『情報力』佐藤優、鈴木琢磨を読む-1 日本とアジアを考える⑦
『情報力』情報戦を勝ちぬく“知の技法”佐藤優、鈴木琢磨 (イースト・プレス・1680円)
http://www.yukan-fuji.com/archives/2008/06/post_14447.html 鈴木琢磨氏(毎日新聞編集委員)は“北朝鮮ウォッチャー”のなかでも、資料を丹念に読んだり、現場での取材に重点を置いたりと、いわゆる「社会部的な手法」で、多くの“特ダネ”をモノにしている。なかでも、金正日の最愛の人といわれた在日朝鮮人出身の故・高英姫夫人の生い立ちや、プロレスラーだった父親の人生を追いかけたリポートは出色だった。 本書は、鈴木氏とインテリジェンス(諜報)の分野では“超売れっ子”となった佐藤優氏との北朝鮮問題をテーマにした対談集である。この中で鈴木氏は、北朝鮮の後継者問題について、「2010年8月25日」を“後継者デビューの日”だと予測し、その後継者はすでに金正日に代わって、「舞台裏を動かしている」と言う。その後継者は誰なのか? それを読み解くカギは? インテリジェンスの最前線がスリリングに明かされる1冊。
最近最も知的好奇心をそそられるのが、佐藤優氏である。今日こうやって佐藤氏の著作を楽しんでいる私であるが、はたしてこのことは喜ぶべきか、悲しむべきか少々複雑な心境です。できれば、現役の外交官として、辣腕を揮っていてほしかったと思うのですが、佐藤氏の活躍には実は裏が有りそうな気にもなっています。だいたい、自由に日本のインテリジェンスの内幕を書いているが、彼がインテリジェンスの人間であるがゆえに、果たして何処までが真実なのか?逆に疑りたくもなる。なぜなら彼が現場へ復帰した場合、問題になりそうな情報も混じっている箇所も見受けられる。佐藤氏は現場復帰しないと腹をくくっているのか?それとも佐藤氏を在野に置き、逆に日本の当局が高度なインテリジェンス活動をさせているのか?真相は如何に?と思ってしまいます。10年か20年もすれば実は当時佐藤氏の活動は・・・といった真相が出てきそうな気もします。
本書でありますが、北朝鮮関連では、手島龍―氏との共著『インテリジェンス -武器なき戦争』
http://www.ryuichiteshima.com/books/intelligence/intelligence.htm
高永哲氏との共著『国家情報戦略』
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2724456
この2冊はすでに読みましたが、本書にも出てきますが、陸軍中野学校のことが取り上げてあります。
よく金正日が「チョンマルナカノヤ!(本当に中野だ!)」と射撃訓練で命中した場合賛辞を送るのだそうです。この中野は陸軍中野学校のナカノを意味するそうです。
北朝鮮に限らず、国民党やインドネシア、ビルマ、マレーシアなど、日本の陸軍中野学校のインテリジェンスの影響力の痕跡を見ることができる。
http://www.ryuichiteshima.com/books/intelligence/intelligence.htm
高永哲氏との共著『国家情報戦略』
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2724456
この2冊はすでに読みましたが、本書にも出てきますが、陸軍中野学校のことが取り上げてあります。
よく金正日が「チョンマルナカノヤ!(本当に中野だ!)」と射撃訓練で命中した場合賛辞を送るのだそうです。この中野は陸軍中野学校のナカノを意味するそうです。
北朝鮮に限らず、国民党やインドネシア、ビルマ、マレーシアなど、日本の陸軍中野学校のインテリジェンスの影響力の痕跡を見ることができる。
■金正目が着目した陸軍中野学校の「インテリジェンス遺産」 P177~179 佐藤:あるテレビ局で北朝鮮の報道担当努めていた方から聞いたのですが、北朝鮮は、どうも戦時の陸軍中野学校「東京.中野区」の教材を使いながら情勢分析しているというのです。 鈴木:旧陸軍の諜報、防諜、宣伝など、秘密戦の教育や訓練を目的とした学校ですね。戦 後はその跡地に警察大学校が建っていました。 佐藤:日本が戦時に持っていた過去のインテリジェンスの遺産から・いい部分をピツクアツプして北朝鮮が使っている。ですから、いま北朝鮮が進めている工作活動は・陸軍中野学校が当時考えたものと似ているのです。 鈴木:かつて金正日の料理人努めていた藤本健二氏によると・射撃訓練で弾丸が的に命中したときに、金正日が「チヨンマルナカノヤ!(本当に中野だ!)と称えていたそうです。彼は「すばらしい!」という意味として「ナカノ」の名前を何度も繰り返し使ったという。これはじつにすごい言葉だと思います。我々日本人が封印してきたインテリジェンス遺産を、金正日が完全に消化して使いこなしている証左です。金正日は陸軍中野学校に関する資料を徹底的に集め、中野学校を取り上げた日本映画もすいぶん観たそうです。 佐藤:戦後、朝鮮半島は日本の植民地支配から解放されました。陸軍中野学校の優秀な人材は、戦争が終わったからといって、ただちに任務を終えたわけではなかった。彼らのうち一部は、現地にとどまって工作活動を続けたと推定されます。そのへんは『アメリカの日本改造計画』(イースト・プレス、2006年)での関岡英之さんとの対談でくわしく話しました。 鈴木:日本に戻らす北朝鮮にとどまり続けた陸軍中野学校のメンバーと金日成が、いったいどのように交錯したのか。ここは歴史の空白であり、おもしろい話です。金日成は優秀な日本人を帰国させることなく、人材として利用しました。人材を養成しなければ、新しい国家は運営していけません。金日成は国家運営のハードの部分だけではなく「インテリジェンス」にいち早く目をつけ、陸軍中野学校のメンバーを北朝鮮に残したのではなかったか?そしてまた、中野学校の人たちも、北朝鮮に残ることが自分の使命だと感じていたのではないでしょうか。中野学校の人たちがどんな活動をしていたかということは、いまもわかってはいません。「チョンマルナカノヤ!」の話を聞いて、私はハッとしました。 中野学校の遺産は時空を超えて北朝鮮に生き続けているのです。 ■敗戦後を見据えた、驚くべき工作ネットワーク 佐藤陸軍中野学校に関して、そのほとんど全容が著されている本があります。中野学校のOBが出版した限定版の『陸軍中野学校』・(中野校友会編、原書房・非売晶・1978年)です。千ページ近いこの本には、一冊ずつナンバーが付されていて、一般には売られていません。ただし、国立国会図書館、東京千代田区永田町には所蔵されていますから、手に取って読むことはできます。 鈴木中野校友会の『陸軍中野学校・は時折、古本屋で高値で売られていますね。平壌にも あるはすです。 佐藤:陸軍中野学校にはかなりのことが書かれているのですが、私が気づいた中で、中野学校が深く関与したにもかかわらず、書かれていないことが二つあります。ひとつ目は、中野学校の国内工作についてです。吉田茂(元首相1878~1967)は戦時、近衛文麿(元首相1891~1945)と結託して終戦和平工作を図りました。この動きがスパイに察知され、吉田は昭和二十年二月に憲兵隊に拘束されています。しかし、『陸軍中野学校』には、この吉田拘束事件に関係したことが書かれていないのです。中野学校をはじめ、戦前の特務機関のレベルはそんなに低くありません。当時、日本の中でイギリスと通じた大規模なスパイ事件があったことは事実だと思う。「英米と日本が単独講和し、ソ連が太平洋戦争に参戦する前に戦争を終結させよう」と考える勢力が日本国内にあったことは当然でしょう。 鈴木陸軍中野学校が吉田茂にからんでなんらかの工作活動をやっているにせよ、戦後に影響があることを考慮してか、『陸軍中野学校』には何も書かれていない、というわけですね。 佐藤:『陸軍中野学校』にもうひとつ書かれていないことは、戦後の中野学校の活動につい てです。昭和17年の段階で、中野学校は「このままいくと日本は完全に負ける」と見ていた。日本は昭和21~22年には完全に占領され、占領軍による傀儡の日本政府ができるだろうと彼らは考えていたのです。そこで、中野学校の人たちは、アメリカの植民地統治、たとえばフィリピンにおける植民地政策の研究をしています。戦後にできるであろう傀儡日本政府に、どうやって中野学校から諜報要員を送り込むか。日本の国家体制がおかしくなったときに、どうやって傀儡政権をゲリラ戦でつぶすか。そんなことを昭和17年あたりの段階で彼らは考えていたのです。中野学校の人たちは、日本が植民地支配していたありとあらゆる場所に「残地諜者」を置きました。 鈴木:つまり、中野学校の"海外支部"を各地に準備したのですね。 佐藤そうです。残地諜者のネツーワークを使い、日本の国家体制が崩されたときには横のネツトワークを使って立て直そう、という戦略を立てていたわけでて朝鮮半島に関しても、なんらかの工作計画宰野学校が持っていたと考えるほうが白然と思います。 鈴木:先ほどの話に戻れば、「チヨンマルナカノヤ!」に象徴されるように・金正日がいま でも陸軍中野学箸意識しているのは間違いない。中野学校は北朝鮮の工作活動の原点になっているはすです。 佐藤:話露軍中野学校だけに限定する必要はありません。戦後、北朝鮮に残った旧陸軍の情報将校や下士官で、現地の奥さんと結婚して完全に北朝鮮に居ついてしまった人がいると考えるほうが自然です。心はつねに日本、東京を向いている。同時に北朝鮮に対しても、ある種のインテリジェンス技法を教授する。そういった旧陸軍情報専門家から得た技法が北朝鮮の工作員にも生かされていると考えても、論理の飛躍はないと思います。北朝鮮は気球を使った宣伝ビラ作戦を非常によく使いますが、これも中野学校の手法をまねてしる偽札作戦にしても、中野学校が登戸研究所とタイアップしてかつて本格的にやっていた手法です。蒋介石(1887~1975)政権の偽札を登戸研究所が刷り、その偽札を使って中野学校出身者が軍需物資を調達するとともに、中国でインフレを起こすという作戦です。北朝鮮が進めている一連の工作の原型は、陸軍参謀本部第二部(情報担当)の先例中にあると私は見ています。