やさしい経済学 21世紀と文明 生命的な情報組織-6・7
東京大学教授 西垣一通

6.
進化史をふりかえると、ヒト(ホモサビェンス)という生物種が地上に出現したのは十数万年前のことだった。あらゆる生物はもとをたどれば親類同士であり、チンパンジーの祖先と枝分かれしたのは五百万年ほど前だったようだが、それから進化を重ねヒトが誕生したわけだ。言いかえれば、大脳の容量や身体能力などは十数万年前から基本的に変わっていな
いことになる。

文字ができたのは約五干年説前で、それ以前の様子は、考古学的に推測するほかはない。
さらに、詳しい記述が残っているのは、印刷技術が広まったせいぜいここ数百年くらいのことである。われわれは近代以降の出来事ばかりについ目を奪われがちだが、自分たちがいったい何ものなのか見抜くには、まず想像力をはたらかせ、太古の暮らしを思い描いてみたほうがいいだろう。

今でも狩猟採集民はいるが、農耕牧畜がはじまるまでのヒトは、数十人から百人程度の群れをつくり、移動しながら生活していたのではないかと考えられている。この人口規模は割合に大切だ。よく知られているのは人類学者ロビン・ダンバーの「百五十名が群れの上限値」という仮説である。

霊長類は哺乳(ほにゅう)類のなかでも大脳新皮質がよく発達した動物だが、ダンバーはさまざまな霊長類について調査し、大脳新皮質のサイズと群れのサイズとのあいだに明確な相関関係があることをつきとめた。群れが大きくをなると、個体どうしの相互コミュニケーションが複雑化し、その処理の負荷が一挙に増大するので、大脳も大きくならざるをえない。ヒトの場合、大脳新皮質のサイズから計算すると、群れのサイズは百五十になるというのだ。

言いかえると、われわれヒトとは、せいぜい百名程度の共同体をつくり、そのなかでコミュニケートしあいながら生きる生物なのである。何千万、何億の人々と一緒に共同体をつくるほどの脳は、残念ながら遺伝的に持っていないのである。

ではいったい、人口一億以上の近代的国家共同体というのは何ものなのだろうか。いや、そればかりではない。二十一世紀には、インターネツトをべースにして地球村ができ、そこでは六十数億の全人類が互いに情報を共有し、コミュニケートしあえるという夢がよく語られる。だがヒト本来の脳の容量からすれば、そんな考えは幻想のような気もしてくる。

7
本来はせいぜい百人程度の群れで生きていたヒトという生物を、何千万人、何億人という単位の共同体にまとめあげたのは、言うまでもなくメディアの威力である。

ヒトの言語は約五万年前に現れたという。文字が約五干年前、活版印刷技術が約五百年前、そしてコンピューターが約五十年前に出現した。やや強引だが、インターネットの本格的普及.をおよそ五年前とみなして対数をとり、共同体規模との関係を表すと、面白いグラフが描けそうな気がしてくる。

インターネットやウェブという発明は、たしかに近未来に途方もない飛躍をもたらす可能性が高い。私がコンピューターを学び始めた四十年ほど前、まさか地球上の個人同士が互いにパソコンやケータイで交信できる日が来るなどと予想していた専門家は誰もいなかった。

コンピューターはあまりに高価で、しかもメーカーの異なる二つのコンピューターを結ぶことさえ難事だったのである。しかし、驚異的なIT(情報技術)の進歩発達にくらべて、それを真に使いこなすための原理的な研究はむしろ低迷しているのではないだろうか。人間とITとの関係がうまくとらえられていないのである。

平たく言えば、われわれ人間をまるで情報処理機械のようにあつかう風潮が最近ますます強くなりつつある。毎年のように新たなハードやソフトが売り出されるが、ようやく操作を覚えた頃(ころ)にはすぐに消えていく。機能は満載だが、頻繁に不具合がおきる。昔は簡単にフリーズするコンピューターなど存在しなかった。今は自己責任で修理しなくてはならない。

情報とはわれわれに「意味のある内容」をもたらしてくれるもののはずなのに、それ以前の形式的な処理ばかりに振り回されているのだ。

われわれが生きる上でもっとも大切なのは、心の通じ合う少数の仲間との、暗黙のうちにおこなわれる濃密なコミュニケーションである。それが知恵をはぐくみ、生きる勇-気を与え、創造活動の源泉となる。ヒトとはそもそもそういう生物なのである。

何も「昔の共同体に戻れ」などと世まい言をいうつもりはない。ウェブで見知らぬ多くの人々と会話しビさまざま.な知識をえるのは楽しいことだ。だが、ITを本当に活用する道は、人問や動植物を機械と同一視するのではなく、生態環境を形成している生命的なネットワーク上のコミュニケーションをもっと尊重するだろう。

「なるほど」と今週最も感心した日経新聞記事(やさしい経済学)の一部でした。

ヒトは150人くらいが群れとしての上限とはよく言ったものだ。

私のつたない経験をもとに、この説を照らし合わせると納得性がある。営業職のころ、一部店で担当したお客様は500~600名であったが、頻繁にお取引があったのが確かに150~200名のお客様(実質は100人弱)だ、1000名以上のお客様を担当した時があった。毎日一人コールセンター状態で朝の6時に会社へ出社し、6時15分にはデスクに座っていた。帰るのは10時過ぎが当たり前だった。その時でさえ実数は150名のお客様とコミュニケートするのが精一杯だったような気がする。(とてもブログなど出来ないな)

最も小さかった地方支店で20~30人の人員構成であった。そうすると、時々社員同士の家族も加わってバーベキュー大会や花火大会で最大100名程度集まり、居心地はよかった。人口百万都市の支店で人員が100名を超えると、家族同士の付き合いは稀で、フロアーが違えば話したことも無い。そして本社においては、自分のブース近辺と関係部署、食堂のヒト、警備・掃除のおばさん合わせると100名程度しかコミュニケートしていないことに気づかされた。地方支店が家族的な付き合いができるというのは単に、ヒトの集団150名理論からくる現象とも考えられる。

プライベートで家族の会話に出てくる登場人物は、家族で会話が成立することを前提にすると、プライベートな友人、近所の方、子供の学校関係 稽古関係、親戚など合わせるとやはり100名~200名かもしれない。少なくとも1000人はいない。

ということは、このブログの常連のコメントをいただく方が150名程度あれば比較的居心地がいいのかもしれない?今後の目標として150名の方のコメントをいただけるようなブログにしていけたらと思うのでありました。