13日木曜日 お台場のガンダムを見に行った。
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ガンダムが大地に立って!!30周年サンライズも粋な企画を立てたものだ。

1979年私は高校2年のことだった。アニメといえば宇宙戦艦ヤマトが一大ムーブメントとなって、アニメは小学生が見るものだという概念が消えてはいたが、当時巨大ロボットアニメはについて子供向けと思っていた。

当時学園祭実行委員会の実行会議で1年生の2人が、ガンダムは凄い、学園祭でもどうのこうのと力説し始めた。ロボットアニメなどガキ(小中学生を指している)が見るものだ!と反論したが、リアルなのでとにかく見て下さいと言われ16話セイラ出撃あたりから見始めたと思う。
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ガンダムの世界観には、人間が繰り返してきた歴史的普遍性や、当時最新のテクノロジーやSF理論、物理学・機械工学・政治・軍事・組織論なども絡ませ現実的機械工学っぽいリアリティのあるメカデザイン・設定や戦闘描写がなされ私は、そのままガンダムの虜となってしまった。

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主人公であるアムロの設定がちょうど自分と同年代、性への憧れも最も激しかった時、自分もちょっぴり年上のマチルダ中尉や、俺の空に登場するのような女性教師川村先生や御前一十三(みさき ひとみ)のような 女性に憧れ、アニメでは性的なシーンこそ無かったがフラウ・ボゥやララァ、セイラさん美女に囲まれ、アムロがものすごく羨ましかった。
なお、小説版ではアムロはセイラさんと男女の関係で画かれています。

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当時ちょっと憧れた年上だった人達はもう50に届こうという年頃、ちょうどアムロの母親の年頃なのだろうか?
自分はまだまだ当時のままの少年のような心を保ち続けているつもりだが、一つだけ違うとしたら好みの女性のストライクゾーンがだいぶ高めまでストライクになったことかもしれません。(笑)

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お台場のガンダムを見て当時のリビドー(性的欲求)を思い起こさせたのは私ぐらいなものであろうか?

フロイトは、人間の精神には二つの根本的な本能が存在すると考えていました。
リビドー・・生の本能/生の欲望(エロス:性、もしくは結びつける欲望でもある)

デストルド・・死の本能/死の欲望(攻撃、破壊、分解の欲望でもある)
この二つの本能が生物にはあらかじめ存在し、このせめぎあいの中で人は生きていると考えているわけです。

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デストルドと呼ばれる死の欲望とは、、死にたいという欲動ではなく、かつての状態に戻りたい、できるだけ早期の状態に帰りたいという胎内回帰欲動のことの裏返しではないかと思うのです。

胎内回帰欲動は、突き詰めると生命体にとってのもっとも古い状態、生命体が生まれる以前の状態=死であろうことから、死の欲動とも呼ばれるわけです。

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なぜ男たちはガンダムや、戦闘機は軍艦戦車、銃器刀剣ナイフなど攻撃と破壊をもたらす武器に憧れるのか?これは胎内回帰願望の変形であるデストルド[死の欲望(攻撃、破壊、分解の欲望でもある)]そのものである。男は子宮を持っていない分、胎内回帰に憧れるのである。

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http://www.weblio.jp/content/%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BC
「死の欲動」概念を展開する前のフロイトは、「愛する者の死を願う」といった両価的感情を伴う殺害願望から自殺を説明しようとした。つまり「攻撃性(Aggression)」の内向という解釈であるが、この時点では説自体は「生の欲動」の従属的位置にとどまる。一方彼の「破壊性(Destruktion)」という言葉も混乱を招きやすかった。

フロイトが最初に「死の欲動」という語を用いたのは1920年に著した『快楽原則の彼岸』であり、人間の精神生活にある無意識的な自己破壊的・自己処罰的傾向に注目した。この時期に彼の考え方は「快楽が生」から「死の欲動との闘いが生」へと大きく転換したとされる。彼は神経症における強迫観念、第一次世界大戦帰還兵の心的外傷のフラッシュバック現象、少女の「いる・いない」遊び観察で見られた不快なはずの母の不在の反復などから、従来の持論であった快感原則からは説明できない心理を見出した。
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自我が抵抗しがたい衝動である。 

衝動の存在に通常自我は気付きにくく、無言の内に支配される。快楽原則に従わず反復そのものを目的とし、エネルギーが尽きるまで繰り返される。それは強大なエネルギーで日常的なものではなく、自我はその前に無力である。 

最も蒼古的(原初的)な欲動である。 

死の欲動は個体発生上、最も古い欲動とされた。退行の究極点であり生命発生以前の原初への回帰を目的とする。それは生死や存在非存在の区別もなく明示的言語で表現するのは困難なので「死」というメタファーでフロイトは命名した。ただし人間の「死」のイメージとは関係なく非生命に向かうという意味でしかない。欲動はこの地点から巨大な破壊エネルギーを手に入れる。 

「悪魔的」な生命の破壊衝動である。 

自己と他者の区別無く反復強迫的に無意味に生命破壊を目指す。また「生の欲動」に先立つ。フロイトは死の欲動をエロスによって容易に懐柔されることはないと考えた。憎しみのような攻撃的衝動はエロスの一属性としても理解し得るが、愛と憎しみを超えたところに破壊衝動を想定した。
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マジンガーZによって確立された巨大ロボットアニメというジャンルは実に普遍的人間の心理を織り込んだ、実に奥深い哲学が心理学が隠されているものである。
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ガンダムにおいて萌芽したロボットアニメの哲学性「新世紀エヴァンゲリオン」(1995年)が受け継ぎ見事に開花させたのである。最近のことだが、CS放送で深夜”天元突破グレンラガン”(2007年)というロボットアニメを見た、これがエヴァンゲリオンをも越えるインテリロボットアニメだったのである。テーマは「進化と宇宙での象徴である螺旋」である。

作品名の「天元」とは、万物生育の根源という意味があり、また囲碁の用語では碁盤の中央(中心)を指す。劇中のキーワードにも螺旋、ドリル、回転等、中央・中心に関連するものが多く見られ、中央突破、王道路線を念頭に置いた作品で、私が見た最終話とその直前の数話は、基礎的哲学の知識や、宇宙論、進化論の知識が無くてはとてもストリーについていけない作品だった。

大多数の視聴者は、いったいどの程度哲学や自然科学を理解しているのか疑問すら起きるインテリも度肝を抜かれる深い作品へとロボットアニメは進化しているのである。

【天元突破グレンラガン】
http://www.weblio.jp/content/%E5%A4%A9%E5%85%83%E7%AA%81%E7%A0%B4%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%AC%E3%83%B3
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話がそれだしたので、お台場ガンダムへ戻します。
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お台場には熱狂的なアニメファンの外人達も詰め掛けてきていた。30代の白人男性に話しかけたところ、このためにわざわざカリフォルニアから日本へやって来たというのだ。とにかく日本はガンダムの1/1モデルなんか作り上げてグレートだそうだ。

私も日本に生まれ育ち、日本語で漫画やアニメを体験する事ができ、彼ら外国人のオタクに比べ幸せすぎるかもしれません。

ちょっとその白人男性にガンダムのハリウッドでのリメイク版の噂はどうか?と尋ねたらNo!・・と絶叫していた。

ゴジラにしてもドラゴンボールにしても大失敗、2003年5月20日、カンヌ国際映画祭にて米国での新世紀エヴァンゲリオン実写映画製作が発表されたがその後も聞いていない。
ガンダムやエヴァンゲリオンはハリウッドリメイクしてほしくない。日本でリメイクしてほしい。
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2007年のTRDI(防衛省技術本部)主催の防衛技術展示会は異常に盛り上がったのはご存知であろうか、こともあろうに、自衛隊は「先進個人装備システム」を「ガンダム」と名づけているのだ!

もともと、Wikiによればタイトルを決める時に、仮題は『ガンボーイ』であったそうだ。チャールズ・ブロンソンがTV-CMで流行語にした「う~ん、マンダム」のイメージから「フリーダム」のダムとかけて『ガンダム』という名前が生み出された造語である。

韓国において「ガンダム」の商標登録出願が当初「ガンダムはロボットの普通名詞である」というありえない暴論で拒絶される事件があった。最終的には商標を認められてはいるが、ガンダムは普通名詞化している。

自衛隊のガンダムは普通名詞なのか!
http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/8187754.html

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それにしても、今にも動き出しそうな(首は左右上下に動きます)躍動感あるリアルな1/1モデルであった。そのリアルさには素直に感動した。
200万人を突破したと発表しているが、夜8時前の時間帯であったが大江戸花火大会の人ごみとさほど差がないほどの混雑ぶりである。人気は期間限定のせいかもしれないが、が8月いっぱいの展示はもったいなさ過ぎる。

お台場の自由の女神を撤去して恒久的にガンダムを展示してほしいものだ。