http://www.uniqlo.jp/uniqlock/swf/blog_small.swf?user_id=Bo4uxIuSX6BfwXZC
イメージ 1
アレクサンダー・ハミルトン伝<中>副題:アメリカを近代国家に作り上げた天才政治家 ロン・チャーナウ著 日経BP社
旅行中の飛行機の中で中巻を読み終えた。
中巻はハミルトンの憲法制定を擁護し、アメリカの未来について設計図を画いたたマディソンとの共著名著「フェデラリスト」の執筆、そして憲法論争制定。憲法制定を巡る死闘、そしてワシントン大統領の就任についての様々なエピソードから始まる。

ハミルトンは初代財務長官倒産寸前の新政府を公債を発行したり関税、収税システムを構築、密輸脱税防止為コーストガードの創設など超人的名仕事をこなし、初代ワシントン大統領の手足となって働いた。
日本で言えば明治新政府の西郷隆盛がワシントンでさしずめハミルトンが大久保利通の役まわりだろう。

しかし、新政府は一枚岩ではなかった。農園主出身のジェファーソン達の銀行公債に対する嫌悪感からワシントン政権内で激しい内部対立が起こり、これにフランス革命の評価を巡り、反フランス革命政府の立場をとるハミルトンとジェファーソンの政治的激闘が勃発するのである。
下記図は双日総研のカンベイ氏溜池通信にあった表であるが、なるほどこの表の示す意味を理解した。
イメージ 17

私はハミルトンの立場に強く共感を得る。
ジェファーソンは現代で言ったら「反ロスチャイルド同盟」なる無知集団と同じレベルである。
いちいち経済財政のABCを説明しなくてはいけないし、説明しても理解できる能力を持たざる者達へ説明することが、面倒で困難かは共感がもてる。

なぜFRBを設立した時にあのような騙まし討ち的設立になったか、アメリカ建国当時から農業派と銀行派の激しい対立があったか理解できれば、不自然でもなんでもないことが理解できる。

ワシントン政権の第二期目もフランスイギリスとの外交交渉、フランスの血の粛清の影響、そしてペンシルバニアのウイスキー叛乱事件、ワシントンとハミルトンの出兵鎮圧、そして常設軍設立など米国創建当時の逸話がふんだんに盛り込まれています。中巻の最後はハミルトンの辞任ですが、下巻はいったい何が書いてあるのか今から興味が持たれる。

米国とは何かを理解するには必読の書です。明日下巻が届くので、またハミルトン三昧です。

イメージ 2

オスマン帝国はなぜ崩壊したのか 新井政美 著 青土社
序章 三つの 「?」
一. 「トルコはヨーロッパか」 か?
二. オスマンのナショナリズム??
三. トルコ/オスマン/オスマン・トルコ???


第一章 進歩の先端――西洋社会の観察
一. 十八世紀の遣仏使節
二. サードゥク・リファトの登場
三. サードゥク・リファトの観察


第二章 改革の進展
一. ギュルハーネ勅令とタンズィマート
二. クリミア戦争と改革の 「深化」
三. 改革の成果


第三章 批判的言論の登場
一. シナースィの転身
二. 新聞とその反響
三. 「新オスマン人」 の登場


第四章 オスマンの愛国主義とイスラム
一. 言論活動の再開
二. イスラムと西洋
三. 「平等」 概念をめぐって
四. 「国民」 の内実をめぐって


第五章 立憲制から青年トルコ人へ
一. 新オスマン人たちの帰国
二. クーデタと憲法の制定
三. ベルリン条約とオスマン国家の変容
四. 言論統制と文化の成熟
五. 青年トルコ人の登場


第六章 青年トルコ人とナショナリズム
一. 青年トルコ人の分裂とアフメット・フェリト
二. トルコ・ナショナリズムの起源
三. アクチュラへの反論
四. 革命の成就とオスマンの針路
五. トルコ・ナショナリズムの二つの流れ
六. ナショナリズムとイスラム


終章 帝国の瓦解とトルコ共和国の成立
一. オスマン帝国の崩壊
二. トルコ共和国の成立

■オスマン帝国の優れた点

 オスマン帝国の特に優れた点は、「征服王モハンマド(モハンマド2世/メフメト2世)」による、東ローマ(ビザンツ)帝国の首都コンスタンティノープルの解放でしょう。それはムスリムにとって大きな勝利でした。オスマン帝国のヨーロッパ進出は、アンダルシアでムスリムがヨーロッパから受けた深い傷を癒したのだ、という学者たちもいます。

 また、アラブ世界がヨーロッパの植民地支配主義の手に落ちるのを数世紀も遅らせた、という点もオスマン帝国の功績でした。フランク人はアンダルシアを陥落させた後、北アフリカ支配を目指しました。その時、オスマン帝国が進出し、ヨーロッパ諸国の進攻を退け、「衰退の時代」が来るまでの間、北アフリカ地方の保護を保障したのです。

 そして、人種や宗教の違いによって国民を差別しなかったこともオスマン帝国の優れた点でした。ヨーロッパの学者たちも、オスマン帝国支配下のキリスト教徒たちが平等を享受していたと確証しています。

 また、アブドルハミード2世がユダヤ人シオニストたちに対し、パレスチナに彼らが自分たちの国を建国することを強硬に拒んだことも、優れた点に挙げられると思います。

■オスマン帝国の欠点

 スルタン一人が絶対的権力を持つ制度は、多くの混乱を呼び起こしました。

 オスマン帝国の中には、協力関係にない人種同士も混在していました。たとえば、ユダヤ人は自分たちの富に目を向け、キリスト教徒は彼ら固有の目的を持ち、その中でムスリムはその手に力を持ち得ないでいたのです。

 金銭に関する腐敗や賄賂が習慣化していったこと、そしてそれを改革できなかったこともオスマン帝国の欠点でした。

 無知無学が蔓延し、文化は帝国への背信を招くという考え方があったことも欠点でした。また、国内の至るところにスパイが潜伏し、一族の者同士でさえも互いを恐れるほどになりました。陰謀や策略が多くの人々の心を捕らえ、大部分の統治者たちが欲望に支配されました。そして公正や正義が次第に存在しなくなり、多くの裁判所が統治者の望む裁定を下すようになりました。

 スルタンたちはみな改革のための準備を進めはしても、すぐに「改革」という言葉は彼らの嫌悪するものとなりました。人々の多くはいつでもその結末を恐れて、「改革」という言葉に嫌疑の気持ちを抱いたのです。

http://www.aii-t.org/j/maqha/magazine/osman/index.htm
知らない事ばかりで非常に面白かった。
イメージ 3
そこで今日「オスマン帝国の解体」を借りてきました。これは今週末読む予定です。

イメージ 4
イメージ 5
イメージ 6
イメージ 7
イメージ 8
イメージ 9
イメージ 10
イメージ 11
イメージ 12
イメージ 13
イメージ 14
イメージ 15
イメージ 16