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毎日乗り降りしている地下鉄の駅に、東京メトロが配布しているフリーペーパー「メトロガイド」2009年10月号が置いてある。何気なく、一部取って地下鉄の車内である記事を読みだした。五分後私は、年がいもなく、思わず涙を眼にいっぱい溜めてしまいました。

駅前ワンダー第五回麻布十番駅

童謡「赤い靴」のモデル「きみちゃん」像

イメージ 1「南北線麻布十番駅から歩いて2~3分、麻布十番商店街の中心にある広場「パティオ十番」の片隅に、小さな女の子の像があります。この像は、野口雨情が1921(大正10)年に書いた詩に、本居長世が作曲した童謡「赤い靴」の中で唄われた女の子のモデルといわれている、岩崎きみちゃんをモチーフにしたものです。

北海道テレビに在職していた菊地寛氏の著書「赤い靴はいてた女の子」(現代評論社)によると、きみちゃんは1902(明治35)年7月15日に静岡県安倍郡不二見村で生まれました。母親は岩崎かよ、父親は不明です。翌年かよはきみちゃんを連れて函館に渡り、そこで鈴木志郎と出会います。

志郎はかよに結婚を申し込み、一緒に北海道奥地の開拓農場に行って欲しいと懇願します。父親の不明な子どもを連れ、幼い子どもには過酷な開拓村に行くことに悩んだかよは、人のすすめできみちゃんを養子に出すことにしたのでした。

3歳のきみちゃんは、当時札幌にいたアメリカ人宣教師チャールス・ヒュエット夫妻の養女となりました。1908(明治41)年、ヒュエット宣教師に帰国命令がきますが、その時6歳のきみちゃんは結核に冒され、長い船旅をするには無理な体になっていたのでした。夫妻はやむなく烏居坂教会の孤児収容施設「永坂孤児院」に預けることにしました。施設に残されたきみちゃんの病状は悪化するぱかりで、9歳の
秋、見守る身内もなく、ひとり寂しく亡くなったのでした。

鈴木志郎と結婚したかよは、開拓農場に入りましたが、2年で札幌に戻っています。志郎は札幌の新聞社に職を得て、そこで野口雨情と出会い、夫婦同士で一緒に住むまでに親しく付き合います。その時、きっと養子に出したきみちゃんのことが話題になり、雨情の記憶に残って、後年の「赤い靴」の詩となったのではないでしょうか。

かよはきみちゃんが外国で幸せに暮らしていると信じて、昭和23年に亡くなっています。そしてきみちゃんは、青山墓地にある鳥居坂教会の共同墓地に眠っています。

私の娘は10歳、ちょうど同じ年頃で一人寂しく結核で死んでいったなんて、なんと薄幸な少女だったのだろう。

かわいい盛りの三歳で実母と別れ、六歳で育ての親と別れ、そして九歳でこの世とお別れしたなんて、ショックでした。

赤い靴の歌に歌われ、娘は遠い異国とはいえ幸せに暮らしているであろうと信じていた母親。真実を知ったら気が狂わんばかりになってしまうであろう。

ヒュエット夫妻も泣く泣く置いていったと思うと、とても切なくなってしまいました。

結核にかかってしまったきみちゃんの最後はいったい誰が面倒を看たのだろう?きっと感染を恐れ、孤独で誰一人優しく接する大人など居なかったに違いない、なんて切ない。結核に比べたら、新型インフルエンザなんて風邪に等しい。身寄りのない薄幸なちっちゃい女の子が、ばい菌扱いされ阻害されて一人死んでいった。なんてなんて切ないのだろう・・・。

帰りの地下鉄の車内、中年男性が一人地下鉄のフリーペーパーを握り締め、涙をハンカチで拭っていました。

実は我が娘はシルバーウィーク中に新型インフルエンザに感染してしまいました。高熱を発症しなかったので、知恵熱か、風邪かと思っていました。金曜日病院にて診断を受け、感染が発覚しました。しかし、タミフルの投与を受け、土曜にはもう平熱に戻りました。

私はインフルエンザに感染すると即、喉が腫れるので、自分では感染していないと確信していました。

月曜日検温したところ、「体温35度4分平熱」出社しました。私が勤めるグループ会社では9月に入り、ガイドラインが変わり、家族が感染しても平熱であれば本人の判断で出社できるルールとなっています。

私が出社しないと月曜日は特に仕事が回らないので、周囲もやむを得ないと理解していただき、私も含め全員マスク着用で仕事をしてもらい、ご迷惑をおかけしてしまいました。

問題は、その後です、下手にマスクをしているとばい菌扱いされるのです。マスクも息苦しくなるので時々顎にマスクを引っ掛け電話で話していると、Ddogさん「マスク!・マスク!」と、ばい菌扱いしやがるのです。

おいおい、俺は平熱だぞ!娘は火曜から学校へ登校しているぞ!しかも、君はマスクしていないだろう!マスクしていない奴に逆に注意されるなんて、ふざけるな!と鬱々としていました。

そんな水曜日の昼、事件は起きました。

昼時、社員食堂で直前までマスクをして、食べだす直前にマスクを顎にしてカレーを食べていたところ、同期の友人が隣に座り、ご飯を食べながら雑談となりました。同期のI君は系列のグループ別会社の重要なポジションに在籍してます。ほどなく、我々から三つ四つ離れた席におっさん達が座り私の前と斜め前は、私の娘が新型に感染しているが私は、他人に迷惑をかけない為マスクをしていることを知っている同じオフィスの人間でした。

I君は、予防かい?と聞くので「まぁ」と答えたのですが、気が許せる友人であったし、周囲は事情を知っている人間ばかり、そこで、娘が感染したが、もう完治し学校へ行った話をした。

迂闊だった。そのチョトは離れたオッサンが「そんな奴出社しちゃダメだろう、帰れ」と言い放った。その知らないおっさんは「そうだろうI。」」と言い、I君は硬直しています。私は普通なら危険を察知し危機回避をするし、するべきであったが、魔が刺した。「いえ、ガイドラインに沿っています、9月の第一週にガイドラインの通達変更が出ています、ご確認下さい。」と言ってしまった。散々事情を知らない人間にばい菌扱いされていて、知らないおっさんに「そんな奴呼ばわりされ」魔がさしてしまった。

そのオッサンの正体を知る数人が顔を青くした。I君の上司、グループ系列会社の社長K、もと本社の役員だった人物だ。「そういえば社内衛星放送で見たことがあった・・・」

私の悪いくせだ、相手をついつい正論で追い込んで撃破してしまう。リアル社会では封印しているよう心がけてはいるものの、危険人物に恥をかかせてしまった。(ネットでは徹底的に殲滅するまでやる時はやりますし、阿修羅掲示板ではやりまくっていました、でも馬鹿相手にアホらしい)

昨日、私のセクションの長に呼び出され、これまでの業績が木っ端微塵になるほど説教されてしまった。

理不尽極まりないが、サラリーマンの掟を破ってしまったのだ。返す言葉がない。人格を否定されるほどキツイ言葉を貰った。

話は「きみちゃん」に戻るが、私が失ったものなど、「きみちゃん」が失ってきたたものに比べ、失ったなどと呼ぶに値しないほど下らない。

私はいったい何を嘆いていたのか?そう思うと自分自身がさらに情けなくなり、ハンカチで目頭を押さえるばかりでした。

もう一つもっと切ない話を一つ、こちらもあまりにも切ない

ごみ箱で尽きた命【天木直人のブログ】
http://www.amakiblog.com/archives/2009/09/24/#001490
9月23日の東京新聞に佐藤大という名の記者が、一つの事件について、「現場考」という囲み記事で書いていた。

その事件は、昨年12月、東京都練馬区のマンションで、二歳半の男の子が両親に虐待された末に殺された事件である。

最近とみに目につく悲しい事件だ。

私がその記事に胸を打たれたのは佐藤記者の筆力である。

姉二人に次いで初めての男の子。予定より二カ月ほど早く生まれ、「優しい衣を着てるみたい」というイメージから母親は「優衣」と名付け、可愛がって育てる。

その母親が、同年代の子に比べ成長が遅かった現実を前に、愛情を焦燥感に変化させ、イライラを優衣ちゃんにぶつけるようになったという。後はお決まりの虐待とその行きつく先の悲劇である。

それを伊藤記者は次のように書いていた。

「なかなか寝つかない優衣ちゃんに腹を立てた両親は、優衣ちゃんを高さ80センチのプラスチック製のごみ箱に入れ、スライド式のふたを閉めた。さらにポリ袋をかぶせた上にゴムをかけ、外れないようにした。ごみ箱の中で、もがき苦しんでいた優衣ちゃんの声はやがて、やんだ。両親が、ようやくふたを開けたのは半日後。優衣ちゃんは少量のごみにまみれ、既に息絶えていた・・・」

伊藤記者は続ける。

「・・・通報で駆け付けた消防隊員や捜査員に『自分でごみ箱に入った。気づいたら死んでいた』と説明していた両親は、逮捕後は一転して『しつけのつもだった』と容疑認めているという。
一家が住むマンションでは、ベランダで泣く優衣ちゃんの姿が住民に目撃されていたという。
練馬区は『虐待の通報はなく、把握していなかった』としている・・・」

佐藤記者は、両親が悪い、それを見過ごした住民や行政が悪い、などと声高に非難はしない。
救う手立てはなかったのか、とマンションのベランダを見上げて、体を震わせて一人で泣いていた優衣ちゃんを思うのだ。

彼は書く。実の親から虐待を受け、行政や地域から手を差し伸べられることなく、失われた幼い命。

「ごみ箱の中で尽きた命」

この言葉が、我々すべてを糾弾しているような気がする。

いつから日本はこんな国になったか。その責任はどこにあるのか、と。

あまりにも下らない理由で落ち込んでいるのは喜劇だ。そこの貴方、こんな日本にしてしまっているのは、他人ではない。我々自分自身なのだ!我々、そして自分自身がより良い社会を築こうという意志を持つべきなんだ。革命なんてたいそうなことはしなくていい。我々一人一人が王道の人生を歩もうともがき続ける事が大切なのだ。