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確かにベストセラーになるだけのことはあって、非常に面白かった。

しかし、所詮戦後教育の申し子達である全共闘世代(著者は1950年生まれ)の物書きによる、日本人論にすぎない。彼らの世代に共有されている左翼的感性には、私の属する新人類世代との感性と大きなギャップを感じる。内田氏は、自分は左翼ではないかのごとき書き方をしているが、世代が彼をそうさせたのかわからないが、内田氏の唱える日本人が辺境ゆえに持つ行動様式について、自虐的に捉える事に違和感を感じざるをえない。これは私が抱く全共闘世代の人間に対する偏見であって、色眼鏡である。だが色眼鏡を外して見てもやはり全共闘世代は左に傾いている。
全共闘世代とは1950年~1954年生まれを指す。有名人を検索すると、姜尚中、中沢新一、竹中平蔵、副島隆彦、古舘伊知郎がこれに当たる。なんとなく納得する名前がならぶ。

本書は、膨大な日本人論からの「抜書き帳」みたいなものであると著者は本書の性格を断ってはいる。これは本書に客観性を付与しようと言う著者の仕掛けである。しかし、膨大な日本人論の有名著書ですら網羅できるわけが無く、先人の引用だとしても、引用する日本人論の思想立ち位置によっては、まるで異なる日本人論になる。それゆえ著者内田氏が客観性を装っても、引用は恣意的にならざるをえず、本書は著者が抱く主観的な一日本論であると私は思う。

内田樹氏の著した本書は、日本及び日本を辺境、辺境人として捉える考え方は優れた着想力であると思う。だが、そこかしこに違和感を感じる箇所が多数存在する。

p33~34
直近の戦争については、まだ死者たちの記憶が薄れていませんから、彼らは何のためもつに死んだのか、その死を以て私たちに何を贈ってくれたのかという問いが立てられることがなくはありません。けれども、その問いの答えはばらばらです。第二次世界大戦の死者たちについてさえ、その死が何を意味するかについて、私たちは国民的合意を持っていない。死者たちはある人々から見れば「護国の英霊」であり、ある人々にとっては「戦争犯罪の加担者」です。まるで評価が違う。

彼らはなぜ死んだのか、その死を代償にして、私たち後続世代に何を贈り、何をやり残した仕事として課したのか、その贈与と責務を私たちはどう受け止め、それを次世代にどう伝えてゆくのか、悲しむべきことに、それについての国民的合意は存在しません。

大和の沖縄出動に動員された青年士官たちは、自分たちが戦略的に無意味な死に向かっていることに苦しみ、こうやって死ぬことにいったい何の意味があるのかについて、士官室で烈しい論争をしました。その論争一人の海軍大尉がこう語って収拾したと吉田満は『戦艦大和ノ最期』に記録しています。

「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ 日本ハ進歩トイウコトヲ軽ンジ過ギタ 私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダワツテ、本当ノ進歩ヲ忘レテイタ 敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ 今目覚メズシテ イツ救ワレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ」

「日本ノ新生ニサキガケテ散ル」これは大和特攻に限らず、硫黄、インパール作戦や南洋の島々で散っていった多くの先人達がが英霊である所以であるべき逸話だ。この話は我々日本人が皆知らなければならない物語である。私は九段の靖国神社へ参拝するたびに、英霊達に深く頭を下げるのであります。

ところが、全共闘世代の人間がこの話を知ったのはつい最近なのであろう、p34~35
「日本ノ新生ニサキガケテ散ル」ことを受け容れた多くの青年がおり、戦後の平和と繁栄は彼らから私達への死を賭した「贈り物」であると私は思っているけれども、彼らが私たちに負託した「本当ノ進歩」について、私たちは果たしてそれに応え得たでしようか。それ以前に、そのような負託が先行世代から私たちに手渡されたという「物語」を私たちは語り継いできたでしょうか。

私たちはそのような物語を語りません。別に今に始まったことではなく、ずっと一日からそうなのです。私たちは歴史を貫いて先行世代から受け継ぎ、後続世代に手渡すものが何かということについてほとんど何も語りません。代わり得を語るかというとふ国との比較を語るのです。
語り継がず、忘れているのは日本人の民族的習性だと内田樹は断定している。

ここだ!全共闘世代は、先人達がこのような気持ちを抱いて散っていった同じ年頃に、大学紛争で「革命ごっこ」、「戦争ごっこ」をしていて、帝国陸海軍の軍人を戦争犯罪人と断定していたのだ。推測だが内田もその一人であったろう。理性を持った人間であれば、「なんと自分は情けないんだろう」と羞じ、反省するのだが、全共闘世代の人間達は自己否定せず、これを日本の民族的習性に置き換え、自己正当化しようとしているのだ!

私は、それを見抜いてしまった瞬間に、本書が陳腐な内田樹の「自分正当論」にしか見えなくなり、その後の素晴らしい洞察も、「とはいっても全共闘世代の著者の言っていることだしなぁ・・・」と色眼鏡でしか見れなくなってしまったのである。

私は、「日本ノ新生ニサキガケテ散ル」この逸話は、義務教育期間に民族の神話として教育すべきだと考えるのです。語り継ぐということは教育すればいいだけです。民族性の問題ではない。日本の戦後教育に問題があるからです。日本が腐っているのは、教育を歪める日教組、文部科学省、日本を恐れる米国のインテリジェンス、そして全共闘世代が自己正当化を謀れば謀るだけ腐っていくのだと考えます。

本書には、内田氏の素晴らしい洞察が幾つもちりばめられているのですが、しかし、内田樹の深層心理は日本人は醜い民族であるという自虐心が存在する。

例えば、べネヴィクトの「菊と刀」で日本軍の捕虜は捕まると、自ら進んで機密情報を話すとか、関が原の戦いで小早川秀秋の裏切りを「変わり身が早い」節操が無い民族性だと反日日本人のよく主張する日本人論に共感している。内田氏はこの理由を日本人捕虜が機密情報を話すのはその場の空気に対する親和性を持とうとする日本人の習性として説明しているが、日本人論の著作者として説明不足である。

狭い島国、しかも人類の居住する東の袋小路の日本列島にはジェノサイド(genocide:民族的抹殺)の伝統は無い。縄文人と弥生人が争い融合していった歴史は、聖徳太子の時代にその歴史的教訓から「和を持って尊しと成す」という十七条の憲法に結実した。仏教と神道の融合「本地垂迹説」は民族の知恵である。それゆえ日本にはジェノサイドの伝統が無い。ジェノサイドを経験していない日本は、敵に降参すれば、敵方となって相手の持ち駒となってきた伝統がある。将棋とチェスのルールの違いからするばわかるであろう。これはその歴史的伝統がそうさせたことを書かなければ、日本人は卑しい民族である論に加勢してしまう。
少々内田氏に同調してしまうことがある。東条英機が作成した悪名高い”戦陣訓”の「生きて虜囚の辱を受けず」についてである。一説には日本人のこの負の民族性から、捕虜になると自軍の情報を漏らしてしまうことを防ぐ為に「生きて虜囚の辱を受けず」と東条英機が日本の軍人の弱点を見抜き加えた説がある。残念ながら私はその説を信じる。

P81
核廃絶運動もそうです。日本人は核攻撃の歴史上最初の被害者です。その被害者という立場から核廃絶を訴えている。私もそれを願っています。けれども、それは日本人全体がこれまであらゆる核兵器の使用に人道的立場から反対してきたということではありません。私たちは現にアメリカの「核の傘」の下で軍事的安全を享受しています。政府は核拡散には反対しても、アメリカが核を保持することに反対したことはない。それどころか、近年では日本の自主核武装の必要を論じる政治家や評論家がおり、その支持者たちがいる。そして、たぶん誰も反対しないのは、第二次世界大戦末期にもし日本が原爆を開発して保有していたら、大本営はそれをニューヨークやサンフランシスコのアメリカの非戦闘員の上に落とすことをためらわなかっただろうし、当時の日本国民はそのニュースを歓呼の声で迎えただろうということです。そういう国民が発信する「核廃絶」のメッセージが国際社会に対して指南力を持つことはむずかしいだろうと私は思います。
ここでも全共闘の影を消せない、日本人は1941年真珠湾の戦艦を急襲したが、ホノルルを無差別爆撃は行ったわけではない。世界の長距離戦略爆撃の魁となった、1937年第二次上海事変の渡洋爆撃は、圧倒的多数の軍に囲まれた海軍陸戦隊と居留民を守るため、中国国民党軍と軍事施設を爆撃したもので、無差別爆撃を行っていない。南京の爆撃も無差別爆撃を行っていない。南京大虐殺は国民党のプロパガンダであったものを、中共がさらに尾ひれ腹ヒレを加え捏造したものである。
※私はまったく日本軍が無辜の市民を一人も虐殺しなかったとは言わない。シンガポールで憲兵による華人の屠殺は、在シンガポールの多数の反日的中国人に対し、まったく少数の兵力しか駐在させるこのができなかった日本軍憲兵の悲しい選択があった。

また、日本軍の弱点は、武士道精神であった。日本の潜水艦隊は非武装の商船を攻撃する通商破壊を潔しとしなかった。また、駆逐艦雷の英国海軍軍人救出の逸話から考えると、欧米一般市民に対し率先して戦略爆撃を行う事は想像しにくい。日本陸海軍も戦略爆撃機「富岳」を計画したが実現できなかったが、もし原爆が完成して投下するとしたら、米国本土ではなく米国艦隊に投下し、休戦交渉したであろう。太平洋戦争が行われず原爆が完成していたとすれば、南京や重慶に対して投下しなかったかと問われれば、確かにゼロではないだろう。私も否定しないが所詮”if”である。

内田は”if”話で日本人を貶めている。

全共闘世代の巧みな日本人論は日本国名の由来と日の丸も貶める事も忘れてはいない。

P110~118に書かれているが、日本は中華思想の華夷秩序の辺境であって、日本という国名は日ノ本、中国から見た日が昇る方向の国だから決めたと、ベトナムを越南と呼ぶロジックと同じである。日の丸はその中華思想の日ノ本の図象化だ書いてあるが、中国が日本の国名を定めたのは初耳どころかトンデモ論だ。

故に日の丸、日本の国名を尊ぶナショナリスト達は中華思想の華夷秩序を尊んでいるのと同じだと批判しているのである。言掛りも甚だしい。日本の国号は689年に頒布された飛鳥浄御原令で定められた説(吉田孝説)が定説となっている。唐と軍事的緊張関係にあった天武朝が、日本国の号を敵対国に配慮して定めたなどという話はありえない。天照大神の神話太陽信仰より太陽神の子孫であると考え「日ノ本」「日本」と国号を制定したと考えるのが自然ではなかろうか。

中国の歴史書の「旧唐書」「新唐書」に書かれてある『「日本」国号は日本列島を東方に見る国、すなわち中国大陸からの視点に立った呼称である』説を採用している。この説は左翼が好んで採用するようである。

もう一つ内田氏のあげ足を取ると、中国の国名が伝統的に一字で周辺の野蛮国が漢字二文字だという説だ。ならば、魏志倭人伝で日本のことを”倭”と漢字一字で日本国名を表現した事実を無視している。