所謂ビジネス書であるが、非常に面白かった。

ビジネス書のなかにはセミナービジネスの腐臭があって、「何を言っているのだ!」理想と現実は違うんじゃない?と批判的に思うことが多々ある。ビジネス書はどちらかというと得意ではない。

経営書の名著と言われるものは人間の生き方について、生々しく指南してくれる。

いつも本文に関係ない枕話からで申し訳ないが私は時々林秀和氏のホームページを覗き「会社(組織)への提言」をクリックする。

林秀和氏は一市民の昭和19年生まれのエンジニアであるが、林氏の人生訓は善良な日本人の理想形であり、私も日々精進している。

中小企業新卒採用コンサルタント会社株式会社ワイキューブ 代表 安田佳生氏はほぼ同世代だが2つほど年下でである。本書のぐっとくる箇所を褒めたい。

なぜ勉強をしなけれぱならないのか
p126~128
(略)
なぜ勉強をしなければならないのか。
私も息子ぐらいのときにはまだわからなかった。
学校の先生にも聞いたが、答えてくれなかった。
おそらく息子もそうなのだろう。
確かに、いくらまじめに勉強しても学校で習った数学や理科が、大人になって社会
に出たときにそのまま役立つわけではない。
それでも、やはり学校で勉強することは大切だと思う。
なぜなら学校は、強制的に頭を使わせるからだ。
勉強が嫌いでも、勉強なんか役に立たないと思っていても、頭は使えばよくなって
いく。
その証拠に、小学一年生のときよりは中学三年生のときの方が思慮深くなっている。
これは脳みそ自体が大きくなっているということもあるが、それ以上に脳の神経細
胞が成長したことの方が大きいという。頭を使うと、この神経細胞の成長が促進さ
れるので頭がよくなるというわけだ。
頭がよくなるといっても、それは必ずしも勉強ができるようになるということでは
ない。
もっと根本的な脳の能力、ものを考える力、つまり「思考力」が上がるのだ。
そして、この思考力が上がるということが、生きていくうえでとても大切なのであ
る。
なぜ勉強するのかというのは、実はなぜ働くのか、なぜ生きるのかという問題につ
ながっている。
たとえば、音楽家は作曲したり演奏したりするが、なぜそういうことをするのかと
いうと、自分の中に「人々に伝えたいメッセージ」があるからだ。彼らはそれを伝
える手段として、音楽を使っているにすぎない。画家は絵を瀞くことで、小説家は
物語を紡ぐことでやはり同じことをしているといえる。
アーティストの創作活動だけではない。普通の人々の社会生活も本質は同じだ。
みんな、自分のメッセージを伝えるために働き、生きているのである。
たまに、大して音楽性の高い曲でもないのに、とても心に響く曲というのがある。
またその反対に、とてもよくできているのに少しも心に響かない曲というのもある。
曲の音楽性より、そこに込められた作り手の思いが人の心を動かすということだ。
とはいえ、曲を作るスキルや歌に情感を乗せる技術がなければ、いくら強い思いが
あったとしても人の心には屈かない、というのも事実だ。
だから息子にはこう言おうと思っている。
なぜ勉強しなければいけないのか。
それは、自分の表現したい思いを自分の中で形作り、表現するために必要な思考力
を身につけるためだと。

言おれたとおりにやったのに「便えない」と言われる人の共通項
p96~98
(略)
何かを吸収したいと思うなら、まずは100%信じて受け入れることが必要だ。
だが一方、私のゴルフが上達しない理由は、言われたとおりにやっているだけだか
ら、ともいえる。
100%受け入れるためには、「その人は自分に何を教えようとしているのか」と
いうことを考えることが必要なのだ。
何を目的に、私に何をやらせようとしているのか、私に何をして欲しいのか、それ
を考えながら相手の話を聞かないと、その人が本当に伝えたいことは受け取れない。
言われたとおりにするということは、単に言われたことをやるということでもある
のだが、それ以上に大切なのは、その人がやって欲しいことをする、ということだ。
これができないと、たとえば仕事で「○○をやっておいて」と言われたからそのと
おりやったのに、なぜか上司に「使えないな」ζ言われてしまう、ということにな
ってしまう。

たとえば、台所で「鍋を見てて」と言われたとき、本当にただ見ていればいいのか
というと、そうではないことは誰でもわかるだろう。なぜ見てて欲しいのかというと、
鍋が噴きこぼれないようにだったり、中身が焦げつかないようにだったり、見るには
それなりの目的がある。
仕事も同じで、指示の陰にはそれをする目的が必ずある。何のためにそれをする必
要があるのか、そのことが汲み取れなければ、仕事にはならない。
上司が自分に何を求めているのか、クライアントが自分に何を求めているのか、本
当の目的を受け取るには、受け止める側にもそれなりのスキルが必要だ。
ではそのスキルはどうすれば身につくのか。
やはりここでも常に考えるしかない。
私はその訓練として、「要するにこれはこういうことなんだ」という置き換えをす
ることを習慣化している。
たとえば、オバマさんがアメリカ大統領になったというニュースを見たら、それは
要するにどういうことなのか、と考えるのである。
オバマさんが勝ったということは、要するに白人が負けたということなのか。
それとも世界が変わったということなのか。リーマン・ブラザーズが破綻したとい
うことは、要するにどういうことなのか。
株価が下がるということは、円高になるということは、というように、難しくいろ
いろ解説されていることを自分なりに要約するのである。
この「要するに」が身についてくると、相手の言っていることの本質が見、そくる
ようになる。そうなれば、相手が伝え下手でも何を目的として指示しているのか、自
分に何をして欲しいのかということが正確にとらえられるようになってくる。
「要するに、こうして欲しいのね」ということがわかるからだ。
この本も、読み終わったらぜひ「要するに安田はこういうことが言いたかったん
だ」ということを、三つ四つ考えてみて欲しい。
要するに検索はするなとは、自分の頭で考えることと、そのプロセスが大切なんだということらしい。

天才が秀才に勝てない理由
p48~51
新人のT君は変わり者だ。
もともと自立心が強いのだろうが、売り上げが目標に達しなかった月は給料を下ろ
さないと決めている。
「なぜそんなことをしているの?」と聞くと、「自分は今月赤字だったので、赤字な
りの生活をしないといけないんです」と言う。
T君のやり方がいいかどうかは別として、自分なりに考えて行動するのはとてもい
いことだと思う。
世の中には考えて生きている人と、考えないで生きている人がいる。そして、本当
の意昧で考えて生きている人は、絶対に成功する。
これはすべての分野において言えることだが、少なくともビジネスの世界では絶対
的な法則といっても過言ではない。
ビジネスの世界では、秀才に勝てる天才はいない。
なぜなら、天才はなまじ天賦の才があるために「考える」ことを怠ってしまうから
だ。
ビジネスで成功するために本当に重要なのは、頭がいいかどうかでも、才能がある
かどうかでもない。
どれだけ深く考えているか、どれほど長く考え続けているかである。
多くの人は、考えているようで、実は考えていない。
たとえば、「仕事ができるようになりたい」と言う人は多いが、そういう人が「仕
事ができる」とはどういうことかきちんと考えているのかというと、考えていない
ことの方が多い。
自分にとっての仕事は何であり、仕事ができるとはどのようなことを指すのか、そ
の「仕事ができる」の定義づけを自分の中に持っていない。
でも、仕事ができるということがそもそもどういうことなのかわからなければ、い
くら努力をしたとしても仕事ができるようになるはずがない。
では、仕事ができるとはどういうことなのだろう。
実はこの問いに、ビジネスマン全員に当てはまる模範回答はない。
自分にとって仕事ができるとはどういうことなのか。
逆に、仕事ができないというのはどういうことなのか。
それを深く考えることで、自分にとっての仕事のできる人とできない人の「境目」
を見つけていくこと。それが各人にとっての、この問いの答えとなる。
私は、「どうやったら売れるようになるのか、営業の秘訣を一言で説明してくださ
い」というむちゃなことを言われることがよくある。
どうやったら売れるのか。
もっとも簡単な方法は、「二万円を一万円で売ること」だろう。二万円を差し出し
て、一万円で買ってくださいと言えば、たいていの人は買ってくれる。
誰が見ても得な取引だからだ。
だが、そのままでは儲からない。
では、それをビジネスとして成立させるためにはどうすればいいのか。
自分にとっては一万円以下でできることだが、相手にとっては二万円の価値がある
ものを売ればいいのである。
これが売れる秘訣だと教えるのだが、このような話をすると、秘訣生言うには漠然
としていてわかりにくいと、ほとんどの人に却下されてしまう。
「自分にとっては一万円以下でできることだが、相手にとっては二万円の価値がある
もの」とはどんなものか。それを教えてくれないと意味がないということなのかもし
れないが、人間は一人ひとりできることが違うのだから、自分で答えを見つけるしか
ない。
商売で成功した人はみんな、それを必死に考えて見つけ出した人であり、ビジネス
で成功し続けている人は、考え続けることで、それをいくつも見つけ出した人なので
ある。
考えずに成功できた人がいるとすれば、その人はよほどのラッキーか、天才である。
だが、天才もラッキーも自分がなぜ成功したのかがわからないので、成功への道筋
を再現することができない。ビジネスとは、再現の連続なのだ。
だから、天才は絶対に、考えてできるようになった秀才に勝つことはできないので
ある。
安田氏には申し訳ないのだが、この話の元ネタはおそらくどこかの経営セミナーで出回っている典型的な逸話だと思う。

なぜなら、セミナー好きの某役員が3.4年前どこからかこれと同じ話を仕入れ、私達に説教していったのを覚えているからだ。もっとも役員は、自分が通う理髪店で努力家の職人と天才肌の職人の対比で、自分の物語として話していた。Yキューブに本当にT君が居るのだろうかネタではないか?

この手の、セミナービジネスに通じる元ネタは不思議と似た話ばかりになる。