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不謹慎と思われるだろうが、私は今の日本におけるヤクザ構成員への非人道的行為には目に余るものがある。例えば、ヤクザの組長が好きな相撲を観戦しただけで、相撲協会を揺るがす大騒動をする。
 
ヤクザには自由に株式を売買させないとか、ホテルに宿泊させない、レストランを使用させない、もっと酷いのは、ヤクザと判明した時点でマンションをから出てってもらう・・・
 
これは絶対狂っている!
 
p26~27
『犯罪統計入門』(日本評論社、2006年)などの著書のある龍谷大学教授浜井浩一は、犯罪は減少しているにもかかわらず、国民が「治安が悪くなった」と感じる「体感治安」の悪化を以前から指摘している。

浜井は、『犯罪白書』の執筆を担当したこともある元法務官僚であり、首席矯正処遇官として横浜刑務所の職員も務めた。こうした経験から統計と現実のギャップに注目した論文を発表している。

浜井によると、実際の治安は悪くはないのにもかかわらず、「日本の治安は悪くなった」と考える国民は多い。警察庁の外郭団体・社会安全研究財団による定期調査「犯罪に対する不安感等に関する調査研究」第3回調査報告書、08年3月1によると、「この一年で日本の治安は悪くなった」との回答が7割なのに対して、「この一年で自分の居住地域の治安は変わっていない」との回答も7割だった。同じ設問で第一回調査の結果は「6割」。ほぽその程度で推移している。

つまり、国民は身近なところでは治安の悪化を感じないが、日本全体の治安の悪化は感じている。では、なぜそのように感じるのか。それは、やはりメディアの影響である。04年の内閣府調査によると、国民が治安に関心を持ったきっかけは、9割近くが「テレビや新聞の報道」によると答えている。

つまり大半の国民の身近で犯罪は起こってはいないのだが、テレビで犯罪が起こっていることを知ると、「イヤな世の中になった」と考えるのである。ショッキングな報道に接することで、バーチャルに治安の悪化を感じてしまう。
 ペナル・ポピュリズムの高揚p28~29
こうした他人事のような漠然とした不安は、「暴力団」に対しても抱かれている。しかし、たとえば読者の皆さんの周囲に「ヤクザにひどい目に遭わされた」という人がどれだけいるだろうか。

それに、ヤクザの抗争事件は実際には何件も起こっていないのである。06年は抗争も発砲も0件、08年も事件は1件だけである。しかし、ひとたび事件が起これば、何度も報道されるため、毎日どこかで「暴力団員」同士が拳銃を撃ち合い、付近の住民に銃弾が当たるような印象を持ってしまう。しかも「不思議なことに自分の街は大丈夫だと国民の七割が考えているのである。

実際の犯罪は少なくても「暴力団」という「悪」への制裁が望まれ、法改定や暴力団追放運動の高まりを生む。これは、実際には国民一人一人がそれほど真剣に「暴力団を取り締まれ」と考えているのではない。

体感治安の悪化と同様、メディアに主導された「世論」なのだ。世論とは、本来は「輿論」と書いた。多くの人々による議論にもとづくものが本来の「輿論」だったが、「世論」には、もっとゆるい「大多数の意見」程度の意味合いしか感じられない。

そして、世論はペナル・ポピュリズムヘと向かう。この傾向は日本だけではなく国際的にも強まっていると、浜井など先端的な刑法学者らが以前から指摘している。

世界でペナル・ポピュリズムが高まる背景には、社会の「不安」があるのだ。凶悪事件の報道に接することで体感治安が悪くなったと感じる人々は、犯人を憎み、厳罰を望んでいく。

ニュージーランドも日本とまったく同様とされている。同国ヴィクトリア大学のジョン.プラット教授によると、ニュージーランドでは07年までの15年間に犯罪件数が25%も減っ たにもかかわらず、被拘禁者数は倍増しており、拘禁率は米国に次いで世界第2位に高まっている。そして、警察や政治家への信頼が低下する一方で不況やテロヘの不安が増大し、さらには犯罪被害者団体による世論への「圧力」も強まっている。

厳罰化を求める声に押されて「悪」を必要以上に叩くだけでは、本質的な問題は何も解決されない。むしろもっと悪い社会になる。そんなことは法律家も政治家も官僚たちもわかっているのだろう。「悪」を叩いておけば儲かるし、社会的評価という新しい実利が生まれるので、躊躇なくそちらを取っているに過ぎない。
激変するシノギ事情p53~54
ヤクザは社会との関わりなしには存在し得ない。ある意味、社会全体の経済状況の影響を最も受けやすく、この間の景気の低迷はヤクザを直撃している。それに加え、取り締まりの強化と暴排運動の高まりにより、ごく一握りの「勝ち組」を除く、ほとんどのヤクザが「(シノギが)厳しい」とボヤいている昨今である。

警察庁がまとめた統計を見ると、「伝統的資金獲得犯罪」とされる覚醒剤、恐喝、賭博、ノミ行為による検挙者数は、近年減少傾向にある。

とりわけ覚醒剤については、ほとんどの団体が禁止し、密輸や密売に関わったり、使用したものは破門、絶縁されることから、大幅な減少傾向が続いている。当局が正規の組員として認知している構成員は、準構成員らを含む検挙者数の20%程度である。

一方、金融業、建設業、不動産業、産業廃棄物処理業は、近年のヤクザのシノギの定番である。金融業では高金利の貸付、建設業では談合の仕切りや公共事業への参入、不動産業では競売妨害や無免許での宅地建物取引、産業廃棄物処理業では不法投棄などが目立っている。

建設業における公共事業参入に関しては、先に触れたように排除条項などが盛り込まれたために違法とされているものだ。

「企業対象暴力」「行政対象暴力」は、当局が近年の取り締まりの重点項目としているところだが、警察の統計では10年の検挙件数は342件としているが、「総会屋等及び社会運動等標ぼうゴロ」の検挙人員を164人としている。ヤクザが直接、手を出すケースはそれほど多くない実態が浮かび上がつてくる。
 
また、バブル崩壊直後にクローズアップされた金融・不良債権処理に関わる検挙件数も減少傾向にあるが、この場合、資金繰りに困った人物がヤクザを利用するケースが多いようだ。
 
一方で最近目立っているのが、詐欺、窃盗、強盗といった事犯だ。詐欺の場合、先に触れたように排除条項があるため自分の居住地、あるいは組事務所として使用する場合に、他人名義で契約をしたといったケースも含まれている。また、生活保護費を詐取するといった事件も報じられている。
 
だが、窃盗、強盗といった犯罪は、「ヤクザは盗人の上、乞食の下」と自潮気味に言われてきたように、従来のヤクザ社会では恥とされたものである。だが、シノギが厳しくなり、食うためには何でもせざるを得ないような末端組員の中には、こうした犯罪に手を染めるものもいるわけだ。しかも、不良外国人と共謀して窃盗団を結成し、盗んだ車などを海外に売り飛ばすといった事例もみられる。
 
覚醒剤などもそうだが、現役のヤクザがこうした犯罪に手を染めるケースもあるが、圧倒的に多いのは組織を破門、絶縁となった元ヤクザだ。ヤクザ組織には厳しい捷がある。だが、その組織から外れてしまえば捷に縛られることなく、手っ取り早く金になるこの手の犯罪に走る傾向が強いわけである。
p66~67
すでに述べた通り、取り締まり強化によってヤクザはその存在形態を変え、警察当局をして「活動実態の不透明化」といわせる状況を生み出したのである。にもかかわらず、当局はなおも取り締まりを強化し、暴排運動によって社会から孤立化させようとしている。

こうした傾向がさらに続き、また「結社罪」が成立するようなことにでもなり、その基盤が奪われるとなれば、ヤクザは完全に地下に潜らざるを得ない。繰り返すが、ヤクザは社会に根ざして存在してきた。マフィア対策である結社罪は、むしろ日本のヤクザをマフィア化させてしまうのだ。
とはいえ、ヤクザがその伝統的なスタイルを完全に消失させてしまうことはないだろう。

なぜなら、昨今の実態はそこからかけ離れた部分が多いとはいえ、日本のヤクザは「任侠道」を大義名分としてきたからだ。だからこそ、覚醒剤の禁止などといった捷をつくってきたのだ。

考えられるのは、公然部分と非公然部分の完全分離である。すなわち、「任侠道」に依拠する従来のスタイルのヤクザは、ごく少数の人間によって宗教的儀式集団として生き残る。一方、シノギや抗争といった取り締まりの重点項目となる部分は、組とは完全に分離した非公然郡分として、アウトソーシングされるといった具合である。
p70~71
シノギに関しては、先に見たように「共生者」の存在がクローズアップされている。その共生者とヤクザの関係にも変化が生じている。

これまで企業舎弟、あるいはフロント企業と呼ばれてきた「周辺者」は、ヤクザと一体となった存在だった。これに対し共生者の場合は、持ちつ持たれつの関係といえる。彼らはヤクザではなく、あくまで「業務」の一部で提携しながらシノギをしている存在なのだ。

振り込め詐欺が出始めた頃は、その元締め的な存在としてヤクザが絡んでいた。だが最近では、ヤクザとは関係のないプロの集団として活動しているケースがほとんどである。彼らは銀行口座や携帯電話を用意する、電話を掛ける、振り込まれた金を引き出すといった役割分担をし、さらにはその分担そのものが一つのグループ、個人の専門的な「業務」となっているケースもある。
 
最近、カードを差し込めば店頭での契約手続きなしに使える「第3世代携帯電話」を大量に盗んでいたグループが摘発された。彼らは盗んだ携帯電話をネットオークションに出すなどして売りさばいていたが、振り込め詐欺で使われたものもあるとみられている。そして、その携帯電誘を購入していた顧客として、ヤクザが逮捕されている。

ここで分かることは、このグループはヤクザから仕事を請け負い、ヤクザに利用されて窃盗を繰り返していたのではなく、自らのシノギとしてそれを行ない、その一部をヤクザに「商品」として売り渡していたのである。つまり、共生者が「主」でヤクザが「客」、という逆転現象が見て取れるのだ。

やがてシノギも、こうした共生者、プロ集団にアウトソーシングされ、その収益の一部がヤクザの懐に入るといった時代がやってくるかもしれない。いや、既にそうした動きが起こっている可能性すらある。

このように、取り締まり強化と暴排活動がヤクザの居場所を狭める一方で、ヤクザはしたたかにその態様を変えつつ生き残り、むしろ社会から切り離されることで、非公然部隊や共生者を囲い、より不透明な存在となりつつあるのだ。