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釈徹宗 Shaku Tesshu
 
1961年大阪府生まれ。浄土真宗本願寺派・如
来寺住職。兵庫大学准教授。専門は宗教思想。
著書に『親鷺の思想構造』『いきなりはじめる
仏教生活』『仏教ではこう考える』、内田樹氏と
の共著『インターネット持仏堂1・2』がある。 
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先日、内田樹との共著である「現代霊性論」を読んだ。2005年9月からの半年間、神戸女学院大学で行われた授業を収録したもの。
 
靖国神社についてもふれていたが、現代霊性論を読み、人間は、葬送儀礼を始めたときから動物から切り離され、どんな民族にも人を弔う儀礼ができ、宗教は人の弔い方ではないかと私は気がついた。弔い方が気に入らないからと言って、死者が化けて出ることはないが、政治と宗教の関わり、宗教とはどうあるべきかを考えさせる良書であった。釈氏によれば靖國神社に合祀された御霊を分ける事が可能かというのは純粋に靖国神社側の判断であり、政治的にはなんら判断は出来ないとのこと。日本では近代になるまで死んだ霊は大いなる全体に還る、という考えが一般的だったという。しかし儒教の影響から、位牌が作られるようになり、死んだ後も魂は個別に生きているときと同じように存在すると思われるようになったなど、宗教者の意見も参考になった。内田樹のいい加減な話をうまく修正して、日本人と宗教について楽しく読むことができた。「現代霊性論」は後日書評を書こうと思っている。この本で、私は俄然釈氏に興味が湧き、早速釈氏の近著「不干斎ハビアン」を読みました。 是非皆様にも読んでいただきたいと推薦したくなる1冊です。
 
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イメージ 5「不干斎ハビアン」とは、かの山本七平氏の名著「日本教について」「日本教徒」で最初の日本教徒として紹介され、元々興味があったところに、最近読んだ「イソップを知っていますか 阿刀田高/著」でもハビアンが日本最初のイソップ物語(伊曾保物語)の訳者の一人でもある事を知り本書に飛びついたわけです。
 
山本七平氏の「日本教徒」では、ハビアンの「破提宇子」を中心に、日本人の宗教に対する接し方を「日本教」として纏めた本であるが、本書は「妙貞問答」を中心に、比較宗教論者としてのハビアンをとりあげ、比較宗教論としても本書を読める。
 
まえがきp3~4
(略)
1565(永禄八)年ごろの生まれ。禅僧であったが、後にクリスチャンヘと改宗。日本人キリシタンの理論的支柱として活躍、仏教・儒教・道教・神道・キリスト教を比較し論じた『妙貞問答(みょうていもんどう)』を著した。当時(天正年間から慶長年間にかけて)は、キリシタン全盛の時代。ハビアンは日本人キリシタンの第一人者であった。ところが、突如、ハビアンはキリシタンの信仰を棄てて行方をくらませる。そして、晩年に再び筆を取り、『破提宇子(はだいうす)』というキリシタン批判書を執筆し発表した。キリシタン側は、この書を「地獄のペスト」と呼んで恐れたという記録が残っている。
 
(略)
 
この『妙貞問答』。おそらく世界で初めて仏教・神道・儒教・道教・キリスト教を比較して論じた書である。すでに十七世紀初頭において、このような書が書かれていたことは、驚嘆すべきである。ヨーロッパでも近代に入ってからやっと本格的に論じられたような各宗教思想の比較論が、なぜ長く混乱期が続きやっと政治・経済が安定期に入ろうかといった時期の日本で成立したのか。いくつかの複合的要因はあるが、なんといっても著者であるハビアンという男の特異な経歴に因るところが大きい。
当時の世界で唯一人、仏教・神道・儒教・道教・キリスト教を相対化した人物、不干斎ハビアン。ひょっとするとこの男、日本思想史上、重要なポジションに立っているのではないか。少なくとも、そのような視点で再読してみる作業は必要なのではないか。いやいや、まずは拙速な仮説に帰納させず、本書では、ハビアンの宗教性を追いながら、そこから派生するさまざまな宗教論を語ってみようと思う。
 本書は、キリシタンとしてのハビアンの主張である『妙貞問答』をテキストに比較宗教論を行っている。まずは、『妙貞問答』その上巻仏教批判から。
 
p44~46
近年において不干斎ハビアンの名を世に知らしめたのは山本七平である。山本は、思想研究書やキリシタン研究書としてではなく、一般書でハビアンを取り上げ、さらにはハビアンを足がかりとした日本文化論を展開した。山本の著作によってハビアンを知った人も多いであろう。山本 七平は『妙貞問答』を「既存の日本の宗教のすべてを批判したという点で、日本最初のものであり、それまでに存在した神道.仏教・儒教の相互批判とは本質的に異なり、脱既存宗教を説いている点に特色がある」(『日本教徒』、1997)と高く評価している。山本は『妙貞問答』の思考プロセスを驚嘆すべきものであると評価した。『妙貞問答』は、既存の日本宗教、そのすべてを批判した最初の書である。

キリシタン体系の結実『妙貞問答』

『妙貞問答」は、ハビアンが婦女子を対象にキリシタン入門書として著述したものだと考えられる。しかし、山本が指摘するように、『妙貞問答』は当時大きなフィールドをもっていた既存宗教のすべてを批判するという稀有な書であり、かつ日本人の手になる最高のキリシタン護教論書である。さらに、キリシタンの立場から神仏儒のすべてを語り批判した、個人の著作としては日本思想史上唯一のものなのだ。その後のキリシタンの理論的支柱となったとさえ言われる『妙貞
問答』。その内容を概観してみよう。
『妙貞間答』は上・中・下の全三巻の構成になっている。全編通じて(パトス的ではなく)ロゴス的であって、あふれる信仰の情熱、といった感は少ない印象を受ける。現在、『妙貞閉答』の写本はわずか二本のみ。吉田家旧蔵本(上・中・下巻。現天理図書館所蔵)と、林崎文庫旧蔵本(中・下巻のみ。現神宮文庫所蔵)である。
『妙貞問答』は妙秀と幽貞という二人の尼僧が対話するという形式になっている。主に妙秀が質問して、幽貞が答えている。この妙秀は関ヶ原の合戦において石田三成方で戦い、討ち死にした武将の未亡人という設定だ。
「上巻」で幽貞は仏教の基本理念から、日本仏教各宗派の特徴をダイジェストで語る。そしてそれぞれの宗派の相違はあるものの、仏教である限り「無」「空」の一点へと到ることを論証する。
さらに幽貞は、「中巻」で儒教・道教を解説し、仏教・儒教・道教の三教が一致すると述べる。
また神道についても妙秀に教示し、神道の正体は夫婦・子育てを神の名のもとに語っているだけだと切って捨てる。そして「下巻」でキリシタンの教理を語り、いかに他宗教と相違するかを提示するのである。
(略)
『妙貞問答』「上巻」で語られる仏教批判の骨子は、「無や空に帰着するので救いがない」「絶対者の概念がない。釈迦も諸仏も人間であり、造物主ではない」
に集約できる。
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地球を宇宙から眺めた現代人にとっては、下らない話であるが、仏教が説く世界観で、世界の中心にある須弥山が海抜八万由旬=33,333里(1億3333万2千m:13万3332Km、地球の直径が12700Km)なら日本から見えないのは、無いからではないか。須弥山が無ければそこにいる33天・帝釈天も存在しないので、仏教が説く三界(俗界・色界・無色界)の俗界は存在しないといった理詰めで読者に仏教の虚構を説明している。
 p49~51
(妙秀が)「三界が虚構であったとしても、仏法で後生が助かるのであれば、それで充分ではないですか」
と言うのである。この反論は実に興味深い。つまり「宗教機能論」なのだ。たとえ虚構のストーリーであっても、最終的にその人が救われるのであればそれは立派な宗教ではないのか、という機能論は現在でもしばしば論点のひとつとされる。そして、このような機能論的視点に立脚するのは仏教思想における特性のひとつでもある。このあたり、『ドチリイナ・キリシタン』にも『日本のカテキズモ』にも『仏法之次第略抜書』にもない、ハビアンによる感性であろう。この質問からは「仏僧であった」「機能論的に宗教を把握する」といったハビアンの特性を見てとることができる。
しかし、幽貞は「その通り、後生が助かるのであれば、何の不足もありません。しかし、そこが問題なのです」と応答する。そして、釈迦の一代記を語り、一人の人問であったことを強調する。例えば、釈迦が誕生時に「天上天下唯我独尊」と発言したことについて、雲門禅師の「そんな傍若無人なことを言う赤子、ワシがその場に居たなら叩き殺して火に喰わせる」といった故事を引いて、傲慢で徳が無いと批判する。仏教の批判をするのに、禅僧のエピソードをもちだすあたり、どこか元臨済の禅僧であることを感じさせる。またどこかユーモラスでもある。『妙貞問答』が、婦女子の読み物としても十分耐えうるものであったことが窺えるのである。
(略)
さらに幽貞は続けて、「インドではブッダと呼び、中国では覚者と呼ぶ。覚者とは覚った人ということ」と解説し、何を覚ったかと言うと「畢竟は空である。ゆえに仏も衆坐も地獄も極楽もつきつめれば無いのだ」ということなのだと厳ずる。つまり、仏教を極めればここに至るのだと幽貞は述べる。
そして、「釈迦は人間ではないか。元は一人の凡夫ではないか」という結論へと導かれる。ここだ。キリシタンによる仏教批判の軸のひとつが、「釈迦も阿弥陀仏も神(造物主)ではない。単に人間が悟りを開いた存在じゃないか」という主張である。キリシタンの「デウス(神)」を理解するのにはわかりやすい対比である。また、キリシタンが他宗教に対して優位性を確保するのに大変有効だ。
(略)
妙秀は「いやいや、仏は単に人間であるとするのもあやまりですぞ」と反論する。
(略)
「仏教がすべて無に帰着するから来世を否定するというのも間違っております。なぜなら仏教では断見(すべては無である)も常見一死後も存続する)も両方否定するからです。この無と有から離れるところに悟りはあるのです、これを中道と言います」と幽貞に語る。
(略)
しかし、幽貞はこの妙秀の反論を一応はそのように言うのであるが、つきつめれば仏教が説いているのは、すべての存在は四大五蘊と呼ばれる構成要素によって成り立っており本体は空である、ということにつきるのだ」と一蹴する。確かに仏教では永遠不滅の魂が否定されている。仏教という宗教の特徴である。すべては一時的状態だと考えるのである。そして幽貞は「中道というのも、仏性というのも、心の有り様を説いているだけであって、これも空の異名なのだ」と少々強引な結論へと導く。幽貞の論旨は、宗派によって用語や多少の解釈の相違はあるが、仏教は「一切が空だ」というところへ行き着くのだ、といったものなのである。
 圧巻なのはこの後、当時、八宗と呼ばれた、倶舎、成実、律宗、法相、三論、華巌、天台、真言、の他に禅宗・浄土宗・一向宗・日蓮宗を加えた十二の宗派を大乗と小乗に分け解説しつつ「駄目出し」していくのである。
 
江戸時代の初期あたりまでは宗論(仏教各派同士の論争。あるいは異宗教間の論争)が盛んであり、ディベートの手法も発達していた。ディベートの大技としてしばしば「与奪」と呼ばれた手法が使われる事があった。一旦、相手に答えさせておいて(与)、その返答を使って反論を行う(奪)のである。
 
ハビアンは、禅僧として与奪の修行もしただろうが、当代随一の知識人でなければ、各宗派の要点を突き、キリシタン信仰に帰依するか「妙貞問答」でこれだけ説得できない。

 
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