声優 野沢那智さんが死去 【NHK】

10月30日 22時5分
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フランスの名優アラン・ドロンさんの声の吹き替えなど、多くの映画やアニメーションの吹き替えで人気を集め、声優や俳優、演出家として幅広く活躍した野沢那智さんが30日、肺がんのため東京都内の病院で亡くなりました。72歳でした。
野沢那智さんは、東京都出身で大学を中退後劇団に入り、俳優として舞台に立ちながら声優の仕事を始めました。テレビが普及し始めたころから多くの外国の映画やテレビドラマの吹き替えを務め、中でもフランスの名優アラン・ドロンさんについては、「太陽がいっぱい」をはじめほとんどの作品の吹き替えをして、イメージに合った甘い声で人気を集めました。映画では、アル・パチーノさんやブルース・ウィリスさんなど幅広い役柄の吹き替えをこなしたほか、アニメーションでも「スペース・コブラ」や「新エースをねらえ!」など多くの作品で活躍しました。野沢さんは俳優や演出家、ラジオのパーソナリティーなど幅広い分野で活躍し、演出を手がけたミュージカル「スイート・チャリティ」で、昭和63年度の文化庁芸術祭賞を受賞しました。また、俳優養成学校の代表として若手の育成に努めてきました
http://www.uniqlo.jp/uniqlock/swf/blog_small.swf?user_id=Bo4uxIuSX6BfwXZC今でも、ラジオの深夜番組は人気なのでしょうが、私の中学高校時代である1970年代のラジオの深夜番組は素晴らしかった!ニッポン放送オールナイトニッポン・TBSパックインミュージック・文化放送セイヤング、各局DJがそれぞれシノギを削り深夜放送の黄金時代でもあった。70年代中高生が万年寝不足であったのは彼ら人気DJの仕業であった。
 
中でも野沢那智さんと白石冬美さん担当であったTBSラジオの木曜深夜のパックインミュージック金曜日、金曜パック略して金パ通称ナッチャコパックは思い出深い。
私にとってNo1番組であった。40代後半から60歳くらいの元金パリスナーであれば間違いなく皆同じ思いだと思う。ナッチャコの軽妙な掛け合いは、話芸としてのDJ番組としては一つの頂点ではなかったか?
 
今週なにがあった、これを食べたなど日常のたわいない出来事から、下ネタ、ちょっと思想性(左翼的)がある話まで話題は幅広かった。他の深夜放送のリスナーからの当初の殆どが中高生中心であったのに対し、「御題拝借」というからの投書のコーナーは、浪人生や大学生からが中心で、どれもこれも抱腹絶倒のお便りばかりであった。
 
小さな地方都市の中高生にとって、東京で大学生活をおくると、どんなに楽しい世界が待っているか十分に啓蒙され、眠い目をこすりながらひたすら聴きつづけた番組でした。
 
楽しい世界といっても、いかに東工大の学生が女子に縁が無い生活をしているとか、逆に下宿で二股の彼女が鉢合わせして修羅場になっただとか、たわいも無いお手紙を、ナチちゃんの職人芸的なトークとチャ子ちゃんの絶妙な突っ込みで、一つの話芸として芸術?にまで昇華させてしまうのであるから、東京での一人暮らしが面白そうに感じて当然だったのかもしれません。
 
毎回最後のお便りはしんみりした考えさせるものも多く、今考えればあの番組自体が芸術作品じゃあなかろうか?
 
 
【ニコニコ動画パックインミュージック】
 
 
 
30年ぶりに聴いただろうか青山レーニーナイト・・・懐かしい!!!まだ中高生の私には大人の恋どころか恋をしたことが無かったくせに妙に懐かしい。
 
 
この時代熱かったな! 私も聴いてましたこの最終回・・・ 嗚呼本当に終ってしまうんだと本当に寂しかった。
 
その後声優として2枚目半のカッコいい声の主としてつい最近まで野沢那智氏の声を吹き替えなどで聴いていたような気がしますが、72歳でしたか・・・
 
そして、2010年10月30日が野沢那智氏にとって人生の最終回であったのです。
死因は肺癌だったそうです。
 
番組が終了して28年、今も記憶に残るナッチャコパックは青春の1ページであり、忘れえぬ大切な思い出です。
 
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私の本箱にはこの2冊があるのみですが、昭和44年に「もう一つの別な広場」が出版されて続・続々・五年目の・七年目の・九年目の上・下・10年目の・13年目のそして15年目のと番組で読まれたお便りの一部は10冊刊行された「もう一つの別な広場」に収録されています。
 
訃報を聞きこの2冊を読み返してみたのですが、これは70年代の「聞けわだつみの声」ではなかったかと思うのであります。第二次世界大戦末期に戦没した日本の学徒兵の遺書を集めた遺稿集。聞けわだつみ(日本の古語で海神)の声は、1949年に東京大学編集されて出版された学徒兵の遺書であるが、名も知れず散っていった若者の、免れようのない死と直に向き合ったとき、どのように感じるのか、ということを伝えてくる本であった。
 
「もう一つの別な広場」はラジオに寄せられる無数の70年代を生きた若者達の心の叫びを収録している。ある意味では同等に扱われておかしくは無い。聞けわだつみの声とは違い、改竄されていないので資料的価値もあるだろう。
 
熱病のように一生懸命はがきを書き、投稿するエネルギー・・・若者は皆深夜放送を聴いていたあの時代、深夜放送には不思議な魅力と連帯感があった。両親や友達に話せないことも、ラジオにだったら投稿し素直に相談できた。多くの孤独な若者にとって深夜放送は唯一の救いでもあった。ラジオの深夜番組はゲマインシャフルト(共同体)となっていた。
 
もし、日本を再構築するのであれば、ゲマインシャフルトの再構築から始めなくてはならないと思う。その為には当時のラジオの深夜放送を研究するのもひとつの手段かもしれません。共同体の再構築の試みとして今のブログは70年代の深夜番組のDNAが受け継がれているかもしれませんが、まだあの頃の熱気や連帯感には程遠いような気がします。
 
今から更に28年後、私は生きていれば75歳になる。仮にボケていたとしてもおそらくこのナッチャコパックの思い出はずっと記憶しているに違いありません・・・
 
さらば野沢那智、金曜パックよ永遠に!