産経抄5月10日

中部電力はきのう、菅直人首相による浜岡原子力発電所の全面停止要請を受け入れた。苦渋の決断を下した水野明久社長ら経営陣の脳裏には、中部電力の前身の東邦電力を発足させた、松永安左エ門の姿が浮かんでいたのではないか。
 ▼戦後の民間9電力体制を築いた人物でもある。自由主義の信奉者で、戦時下で進んだ電力の国家統制にも、最後まで抵抗した。そんな松永なら、たとえ首相といえどもあまりに唐突だと、突っぱねたはずだ。
 ▼関東大震災発生直後には東京に乗り込み、市街から電柱を一掃し、地下に配電線、変電所を設ける「復興案」を作成した。全国の周波数を統一して、各地で電力を融通しあう構想も打ち出している。実現していたら、今回のように首都圏が、夏場の電力不足を心配することもなかった。
 ▼中部電力は今後、原発を火力に切り替えるコストアップなどで、業績の悪化は免れない。いや影響は、管内の産業全体に及び、生産拠点を西日本に移す企業も出てくるかもしれない。国内ならまだしも、海外へ流出する動きが広がれば、東日本大震災で大打撃を受けた日本経済を、さらなる地盤沈下に追い込みかねない。
 ▼戦後の松永は、「電力の鬼」と呼ばれるほどの迫力で、電力事業の発展に取り組んだ。電力の安定供給がなければ、経済復興は不可能との信念からだ。一方で、今も財界人を中心にファンの多い、サミュエル・ウルマンの詩「青春」を訳し、紹介したことでも知られる。
 ▼「年を重ねただけでは人は老いない、理想を失う時に初めて老いがくる」。震災復興どころか、気力、体力を失い、老いを加速させているかのような日本の姿に、やりきれない思いだろう。
電力事業は社会インフラとして私がもの心ついた時には民間企業で何等疑問を抱いていなかった。一般に社会インフラは世界的に見れば国営や公営企業が多い。
もし電力事業が国営であったとしたら、かつての国鉄以上に非効率的な組織になっていたことは容易に想像がつく。
 
日本の場合、小泉構造改革の目玉であった郵便事業は国営から、2005年に民営化が決まったものの、その公益性から現在は中途半端な状態である。
 
鉄道の場合は最初は私鉄で始まって、日露戦争後に国営化されて国鉄となり、1987年に分割民営化が行なわれるまでは、非効率な国営企業の代名詞だった。
 
通信も国家安全保障上重要だということで、最初から国営(電電公社)であったが、それが1985年に民営化されてNTTとなった。JRとNTTは民営化したおかげで効率的に機能している。

電力の場合は、国営化すべきだとの意見が強まった昭和のはじめ1928年(昭和3年)、国内第2位の東邦電力の社長であった松永安左ヱ門が、「電力統制私案」なる文書を発表し、公益事業はどのみち規制は受けるのだから、民営で競い合う方が国民の利便性が上がっていい、と説いた。
 
さすがに戦時中の電力は国営化されたが、戦後GHQに呼ばれて松永安左ヱ門は戦後の電力事業を①民営、②地域分割・独占、③発・送・配電一体、④料金許認可制、という今の枠組みとして構築した。現在東電をなんでもかんでもバッシングすることが許され、それに異論を唱えることは許されない雰囲気であるが、政府までも東電に責任をなすりつけ非難することは許されない。
 
現在の電力体制を非難する方もおられるが、電力を相互融通が効くインフラさえ整えば、現電力会社体制は市場原理と公益性をうまく組み合わせた仕組みであると思う。

原子力発電も、民間企業が出資した日本原子力発電という形で始まった。ところが石油ショック以降は政府の天下り介入が始まり、電力会社は次第に「役所よりも役所らしい」といわれる今の状態に近づくことになる。松永安左ヱ門が守った民間企業としてのスピリットが失われたのだ。
 
1971年福島第一が完成した年に松永が亡くなったが、それと同時にそのスピリットも亡くなったのである。
 
人間が権力を持ったときに示す自己保存、権力誇示の本能の表現、それが官僚意識という。霞が関の官僚機構の中にも、理想に燃えた立派な人物がいる反面、民間企業の中に官僚的な人間は沢山いる。

松永は信念の人であったため、勢いあまって「官僚は人間の屑である」などと放言し、大問題になってしまった。役人そのものを嫌っていたわけではないが国営による弊害を危惧していた。
 
今回の福島原発事故と浜岡原発停止で松永が嫌った「官僚的なるもの」=自己保存や権力誇示の本能は強化され、松永安左エ門の理想と逆行するような気がしてならない。
 
http://sankei.jp.msn.com/images/news/110507/biz11050720420012-n1.jpg浜岡原発5号機は海岸に非常に近く、津波の心配が絶えない=7日午後、静岡県御前崎市(鈴木健児撮影)

 中部電力が菅直人首相の原発全面停止要請を受けたことで、原発を抱える全国の電力各社に、困惑と危機感が広がっている。政府は他の原発への停止要請はないとしているが、政治決断による民間企業に対する要請は、今後、電力各社の経営に介入する可能性を示しており、各社はこの日判断を見送った中部電の対応を慎重に見守っている。
 
「あまりに突然で、対策の立てようがない」

 関西電力の幹部は、海江田万里経済産業相から中部電への電力融通協力の要請を受け、とまどいを隠さない。関電は保有する11基の原発のうち、2基の定期検査を延長して、3基が停止中だ。中部電支援には原発再稼働が不可欠だが、浜岡原発問題を受け、関電が持つ原発の地元でも、反発は強まっており、浜岡への停止要請が関電の原発稼働の道を険しくした格好だ。

 困惑は関電に限らない。「状況がよく分からない」(北海道電力)、「詳細が不明」(四国電力)など、全国の電力各社からは次々と戸惑いの声があがる。
 
 電力各社は東京電力福島第1原発事故後も、追加の津波対策などを講じ、地元住民の理解のつなぎとめに努めてきた。しかし、原発推進のプロセスは首相の「要請」で崩壊した。宮崎慶次大阪大名誉教授は「首相の要請は重い。十分な説明が必要だ」と首をひねる。ある電力会社社員がささやいた「政治介入という不確定要素が経営をゆがめるリスクをどこまで理解しているのか」が、各社の戸惑いを象徴している。
 
菅直人の根性は総理の器ではなく市民運動家=ポピュリストゆえ、いとも簡単に浜岡原発の停止を求めたようにしか私は思えない。
 
国家百年の計を案じ、熟考に熟考を重ねた結果であるのなら、私も今回の浜岡原子炉の停止要請の決断は評価してもよいかもしれない。
 
だが、あまりの唐突な停止要請は、民主主義の根本を揺るがす独裁政権かのような振る舞いではないのか?
 
原発危機よりも民主主義の危機の方が深刻ではないのか!もし、菅直人が国民の圧倒的支持と、議会の信頼を得ているのであれば、非常時に民主的手続きを経ず、強権的な行政措置をとることに対して文句を挟む余地はない。
 
かの独裁者ヒトラーは国民の圧倒的支持と議会における安定的支持があったからこそ独裁が許されたのである。毛沢東やスターリンも民主的とは言えないまでも国民の圧倒的支持は有った。
 
そもそもあのような立地に原子力発電所を計画した方が問題かもしれないが、浜岡原発停止を歴史的勝利とか奉祝するブロガーを多数見かけるがが、脳細胞が猿程度、いや単細胞もいいところで、今回の非民主的な決断が、浜岡原発が地震で事故が発生するよりいかに危険であるか理解する事ができないのであろう。
 
軽薄な菅直人は民主主義の根幹を揺るがす危機であることなどまるで気にするそぶりすらない。
 
100歩譲ったとしても余りに唐突な決断といえよう。今後国民の支持を持たない独裁者が現れた時に悪しき前例を作ってしまったのだと私は思う。せめて夏場のピーク時を過ぎてからの停止でも遅くはなかったのではなかろうか?
 
確かに地震はいつ起きるかはわからない、だが活動期にあるとはゆえ、年内に巨大地震が立て続けに発生するとは私には思えない。
 
儒教の考え方では、国を治める資質が無い者が国を治めると天変地異が起きるという考え方がある。
 
浜岡原発を止める前にご自身が辞職すべきではないだろうか?
 
≪独裁が許される「国会内閣制」≫
 4兆円規模の第1次補正予算は成立したが、復興に不可欠な第2次補正予算成立の目途(めど)は立っていない。政界での「菅降ろし」の動きは止(や)まず、経済界での政権支持はわずか2%(産経新聞4月27日付)である。
 そんな中、菅直人首相は1日、参院予算委員会で、東日本大震災の被災者向け仮設住宅建設に関して、「(8月中旬の)お盆までに、私の内閣の責任で希望する全ての人が入れるように、急がせて必ずやらせる」と明言した。一般には「お盆までに入居」の部分が注目されたが、首相がお盆まで辞めるつもりがないと明言したものでもある。「菅降ろし」、どこ吹く風だ。
 確かに、最近の首相は目が泳ぎ、生気がない。が、菅首相は辞めない。辞めるつもりは毛頭ない。これは首相個人の性格によるものではない。あまり指摘されないが、菅首相による奇妙な憲法理解とそれに伴う権力観によるものと考えるべきだ。
 首相は昨年6月11日、国会での所信表明演説の冒頭で「国会内閣制」という耳慣れない言葉を使った。「国会内閣制」は首相が師と仰ぐ政治学者、松下圭一氏の造語(『国会内閣制の基礎理論』など)で、簡単にいえば衆院総選挙で多数派となった政党(与党)は4年間の任期中、内閣を私物化してよいと国民から白紙委任されたと理解しているということだ。
 このことを首相は自身の著書や国会で繰り返し主張してきた。副総理時代の昨年3月16日には「議会制民主主義というのは、期限を区切った、あるレベルの独裁を認めることだと思っている。(中略)4年間なら4年間は一応まかせる」とまで発言している(参院内閣委員会)。4年間は「独裁」を許されると理解しているのだ。

これは首相1人の見解ではない。民主党の多くの政治家に共通した認識だ。自衛隊の情報保全隊に自衛隊内での民間人を含めた政権批判を監視させるなど、自衛隊を民主党政権の私兵化している背景にもこのような理解がある。

 ≪菅流政治主導が復興を阻害する≫
 「政治主導」に異常な拘(こだわ)りを見せているのも、同じ事情がある。とにかく官僚には任せない、判断させない。政権政党が国政全般を仕切らなければならないと考えている。首相は、山口二郎北海道大学教授が「なるべく本来の役所の行政ラインを活用すべきです。役人にちゃんと仕事をさせることが必要です」と助言した際、「本当はその種の政治任用のポストが必要なんだよな」と応じたという(日経新聞3月31日付)。(略)
 政務三役と官僚とでは人数も専門性の高低においても雲泥の差がある。政治家は大きな方向性を示して後は実務家に任せ、結果責任を取ればよいのだが、細部に至るまで彼らは「独裁」しようとする。少人数の素人集団による「政治主導」は政治空白そのものであり、これが復旧・復興の阻害要因となっている。
 そもそも、菅首相は在日韓国人からの違法献金問題で辞任が秒読み段階だった。そんな時、震災が起きたのだが、その後の対応もお粗末そのものだ。首相の存在とその「政治主導」が被害を拡大させているのだ。が、それでも首相は辞めようとしない。

≪区割り変更し解散に追い込め≫
 本来ならば解散・総選挙が求められるのだが、厄介なことに3月23日、最高裁大法廷が現在の衆院小選挙区の区割りについて一票の格差があり、違憲状態であるとの判決を出した。区割りの変更が必要であり、それができないうちは総選挙の実施が不可能ということだ。これがまた、菅政権を延命させ復旧・復興を遅らせている。
 
が、この状態を座視していいわけがない。(略)野党と民主党の一部が協力して衆院での内閣不信任案を可決し解散・総選挙に追い込むことだ。(略)