人間の幸せとは何だろう?上原美優さんの自死は考えさせられる。
私は最近あまりTVを観ないので、彼女に特に思い入れがあるわけではない。
 
たまたま見かけたTV番組で、彼女が子供の頃の貧乏話を嬉々と語っている姿を見た。貧乏でも家族の絆を感じとても楽しそうに語るのだ。
 
たが、ふと成功した今彼女は本当に幸せなのかな?と思った。なぜなら、あの頃は楽しかったかのように語ったからだ。でも、私はその時彼女は今は幸せに違いないと断定していた。
 
種子島の貧乏な大家族から、TVの人気者に這い上がったというのに、いったい何故死ぬ必要があったのだろうか?きちんとした彼氏がいたのに辛かったのか???
 
命をおとされた上原美優さまの男も、今や芸能界のみならずAV業界の悪の権化と化した「なんとか連合」の幹部でございます。先頃海老さまが伊藤リオン受刑者に殴られた現場に居た海老さまと相対していた張本人でございます。一部のマスコミ報道で美優さまと死の二時間前まで一緒にいて、美優さまの首吊り死体を発見した「某飲食店に勤める黒服の恋人」と称されている男でございます。

この男の正体は某飲食店に勤める黒服の恋人、などではなく美優さまが所属するプロダクションのトップの男でございます。そしてバリバリの「なんとか連合」の元幹部でもございます。

かねてから美優さまは働いても働いても喰うだけが精一杯のギャラのその安さに心底疲れて芸能界で活動することに絶望していました。金と肉体を搾取され続ける女工哀史のような絶望の日々、もうこんな奴隷のような生活を続けているなら、先に天国に行ったお母さんのもとへ行きたい、と思いつめていたのでした。
 
だそうですが・・・真偽はわかりません。でもどうも事実のように思いますが、あまりに可愛そうですね。ご冥福を祈ります。
 
もし、貧乏なまま、種子島で親戚家族といっしょに住んでいれば死ぬ事はなかったのか?でも自らの意思で上京してTVタレントとして成功したのだ・・・・
家族とて子供の頃は楽しくてもやがて悩みの種ともなることもある。
 
貧乏人は家族愛で自殺しないのか?例え有名にならなくとも、彼女は自死していたかもしれない。無名な若い女性が人知れず種子島で自死したとしても、ニュースにもならなかったろう。
 
報道では母親の死が自殺の原因の一つだという。自死する本当の理由は本人にしかわからない・・・
 
釈迦の初期の教えの中に、赤ん坊を病気で亡くした母親の話があります。

その母親は赤ん坊が亡くなったことを認めることができず、遺骸を抱いたまま村を歩き回ったため、赤ん坊が、ミイラになっていました。そこで村人が釈迦に通報して村に招いたのです。
 
釈迦は母親に向かって、村中を回って、その家から一人も死人を出したことのない家からカラシの種をもらって赤ん坊の口にふくませれば、その子は生き返ると告げます。
 
喜んだ母親は村中の家を回り歩くのですが、そこは古い村だったので、死人を出したことのない家など一軒もありません。母親はどの家でも家族を亡くした話を聞きます。親を亡くした悲しみ、子を亡くした嘆き、赤ん坊を亡くした家も少なくありません。村のすべての家を訪ね尽くした時、母親は気づきます。悲しんでいるのは自分一人ではないのだと……。

釈迦は母親に理屈をいわなかった。諸行無常、というのが仏教の基本原理ですから、死ぬのは人の定めなのだと説くことは可能です。
 
しかし理屈を聞いただけでは、母親は失った子どもへの執着から解放されることはなかったでしょう。
 
母親はいったんは釈迦から希望を与えられ、村の家々を訪ね歩きます。そこで一軒ごとに、どんな人が死んだのか、その時の悲しみはいかばかりのものであったか、そんな話を聞いているうちに、その家の悲しみが、我がことのように感じられます。
 
そうすると、自分が子を失った悲しみが相対化されます。自分というものを客観的に眺める視点が得られるといってもいいでしょう。そして村中のすべての家を回り終えた時、足で歩き回った自分の体の疲れと、一軒ごとの個別の悲しみの記憶が、母親を子どもを失った悲しみという呪縛から解き放つのです。
 
上原さんに限らず、自死する人の多くは自分を客観的に眺める視点を得ることが出来なかったのかもしれません。
 
私事で申し訳ありませんが、私も沢山の悩むべき課題を抱えています。将来に対する不安要因も少なくありません。
 
10年前に脳梗塞を煩った田舎の母親の痴呆が悪化し始めています。また教師をしていた父親が退職金全てを昔の生徒に泣き付かれて貸して焦げ付かせています。
 
水戸に住む学芸員をやっている妹と美術学校講師の義弟夫婦には、不登校の甥っ子とダウン症の姪を抱え、とても両親の面倒をお願いするわけにはいきません。そのことでまた土日に水戸へ帰るつもりです。
 
家内はといえば、近所に住む実の父母と絶縁状態で・・・、その余波が私と娘に及び被害を受けています。家内は自分がいかに恵まれているという事を認識することをせず、自分は昔両親に愛情をかけてもらえなかった不幸だと思い込んでいます。客観的事実から家内の話は被害妄想の類と思っています。
 
家内とは家族なので離婚はしないつもりですが・・・そんな妻を最近呆れかえって見ています。もちろん、家内が私の両親の面倒をみるはずもなく・・・
 
私はといえば・・・ボーナス返済を選択していないので今は返済を滞らせることをしていないが、ボーナスがよければ途中返済をする予定で70歳まで住宅ローンを組んでいます。ところが・・・ちっとも出世もせず、しかもここ数年ボーナスがろくに出ず、途中返済が進まない。60歳の定年を過ぎたら職があるのか?職が無ければどうやってローンを返済するか?まったく目処がたっていない。オーマイガー!
 
そのうえ、娘は学費が高い私立中学に入学してしまい・・・初年度150万円年間100万円近い学費は払えるのか!既に貯金は全てSAPIX関係に吸い取られてしまいましたし・・・南無阿弥お陀仏
 
この状態を不幸と思えば不幸だが・・・・不幸と感じなければ不幸ではない。
わたしは今の状態は有り難いと全て肯定的に受け入れることにしています。

よく、会社の人間からまるで私が「悩みがなさそうで羨ましい」とかよく言われます。
違うのです、誰にだって悩みはあるのです。ただ悩みを顔に出さないようにしているだけなのです。そして悩みは自分の心の中でしか処理することはできません。

母親本人は自分はちょっと物忘れが酷くなった程度にしか感じていなく、父親だって生活するのに十分な年金を貰っている。幸せじゃないか。不登校の甥は自分の世界を持っている、芸術家家族なので将来偉大な芸術家になる準備段階なのだ、不登校だから不幸と誰が決めたのか?ダウン症の姪本人は自分をちっとも不幸となんか考えていない。
家内と義父母の問題だが、妻の行状(悪口ではなくあるがままの話)は私と娘で義父母の格好の話題となっています!娘の学費は我が家の唯一の投資!

私を単なるブロガーから思想家にするには妻の悪妻ぶりはまだまだで、ソクラテスの妻クサンチッペには遠く及ばなくて残念です。(笑)

今を精一杯に生きていれば、将来のことなど・・・明日のことすら解らないのに今から悩む必要はない。もちろん、過去のことなど過ぎ去った事、今更悩む必要はない。
 
毎日千人前後の人に私の拙い文章を読んでいただいてもらっている・・・稀に一昨日のようにYhahooニュースにリンクをされると1日で1万2千件弱のアクセスを記録する日もある。それだけで十分に幸せすぎます。

今、私はこうやってブログを書いている、そして世界中の人間がcool japanと憧れる日本に生きている。それだけで十分幸せじゃないか!