俳優で、テレビ司会者や書評家としても活躍した児玉清(こだま・きよし、本名・北川清=きたがわ・きよし)氏が16日午後0時28分、胃がんのため、東京都内の病院で死去した。77歳。東京都出身。通夜は20日午後6時、葬儀・告別式は21日午前11時半、東京都文京区大塚5の40の1、護国寺桂昌殿で。喪主は妻、北川好子(よしこ)さん。

昭和9年生まれ。学習院大学時代は演劇部で、篠沢秀夫氏(現学習院大学名誉教授)らと活動。卒業後、東宝の新人俳優公募コンテスト「ニューフェース」に合格し、映画俳優として、黒澤明監督の「悪い奴ほどよく眠る」などに出演する。一方で、テレビ俳優としても活躍。「ありがとう」「白い巨塔」「HERO」「トップキャスター」など数々の人気連続ドラマに出演した。

読書家としても知られ、NHKの書評番組「週刊ブックレビュー」の司会を務めたり、産経新聞などや雑誌の書評連載もこなしていた。

昭和50年にテレビ朝日系で始まったクイズ番組「パネルクイズ アタック25」の司会を担当。一般出場者を気遣う知的で誠実な司会ぶりがお茶の間の幅広い年齢層で支持され、30年を超える長寿人気番組に育てた。

俳優・タレントの児玉清さん死去


読書界の淀川長治、読書の伝道師にて偉大なる読書人児玉清さんが亡くなられた。この世から私が尊敬する人物がまた一人鬼籍に入られてしまいました。

NHKの週刊ブックレビューは毎回視ていたわけではありませんが、よく視てました。
本の面白さを余すところ無く語る児玉清さんが語る本の魅力は通販の帝王ジャパネットタカタの高田社長の通販トークより数倍のプレゼン能力を感じます。ちょっと変なたとえでもうしわけありません。でも児玉さんの話をまともに聞くと小遣いがすぐに破綻してしまう点では、出版界の高田社長かもしれません。

私も読書が大好きです。同じく本を愛する私には、児玉さんが本の魅力を語りたくてしょうがないことがわかります、児玉さんは本が愛おしくてしょうがないのです。

(Ddog)にとっては読了した本は自分の分身です。本は脳の外部記憶機能として、また、読了した本の一部を読んだ記憶をとどめる為にブログを書いていますが、児玉さんと同じく「この本が面白い!」と皆さんに伝えたくてしかたがない側面もあります。ある意味で私の師匠かもしれません。
 
児玉さんは本を読むことは呼吸をするぐらい自然な行為として語られます。読書に対する姿勢は、本を読むことそのものが児玉さんの人生であったと思います。そして私も見習いたいと思います。
 
下記URLの動画には児玉清さんのご自宅の書庫が紹介されています。週刊ブックレビューでミレニアム1のブックレビューを扱った動画です。
是非ご覧下さい。

この動画のなかで、児玉さんは「なぜこれほどの本好きに?」との問いに
「僕は結果において意気地なしじゃないかと思うんです、文化発するところにへも行けませんし、虫や蛇も嫌いなので冒険好きだが自分では冒険することができない。
でも本の世界では僕が行けないような処にでも行ける。主人公に心を託せば大変な冒険ができるわけですよね、本によって私の冒険心や好奇心と言ったものを本によって知って補っている。そういった感じで本の虜になっている。」と謙虚に仰っています。

児玉さんが語る本の面白さは、けっして文学論からではなく、読書人としての視点を崩さなかった。批判ではなくここが面白いという賞賛の視点であったと思う。

私はちょっとスノップな言い方で申し訳ありませんが「児玉さんに読書人のありかたを学んだような気がします。」
 
児玉さんを惜しむ声は私ばかりではなく、産経新聞、朝日新聞の一面コラムにて語られています。
2011.5.19 03:20 
「もう翻訳は待ちきれない。原書を買って読もう」。こんなかっこ良すぎるセリフも、児玉清さんなら許される。16日に、胃がんで77年の生涯を終えた二枚目俳優は、物心ついた頃から本を読まなかった日はないという、芸能界きっての読書家だった。

▼母親の急死で、ドイツ文学の研究者への道をあきらめた。就職先を探していたら、偶然東宝映画ニューフェースに合格する。それから二十数年、40代半ばの児玉さんは俳優として大きな曲がり角にいた。台本を読んでからでないとテレビドラマに出演しない。そんな原則を守っていたら、依頼がほとんど来なくなった。

▼鬱々とした気持ちを紛らせてくれたのも読書だった。とりわけお気に入りの英米ミステリーの翻訳を読み尽くしてしまい、仕方なく原書のハードカバーを入手する。ところが存外楽に読め、翻訳本より喜びが深いことに気づいたという。

▼以来、ひたすら面白い本を追い求め、人に魅力を語っているうちに、翻訳本の解説を書き、テレビの書評番組の司会を務めるようになった。平成16年からは、小紙にも海外ミステリーの書評を寄稿している。

▼1回目に取り上げたのが、米国で発売されたばかりの『ダ・ヴィンチ・コード』だった。「予断を許さぬ激しい場面転換に読者の心は●(つか)まれたまま、ジェットコースターライドの切迫感で巻末へと放りこまれる」。日本でもブームに火が付いたのは、薦め上手の児玉さんの力が大きかったはずだ。

▼36年にわたり司会を務めてきたクイズ番組『アタック25』で、最近本に関する問題の正答率が低いことを憂えていた。本離れと電子書籍の普及という激震にあえぐ出版界は、偉大な応援団長を失った。


●=てへんに國
 
 

天声人語 2011年5月19日(木)付

温厚、誠実な好人物にとどまらず、知的でダンディー。中高年がうらやむ「おじさま」の条件を独り占めしていた。77歳で亡くなった俳優の児玉清さんである。実は骨っぽい逸話も多い
▼東宝の新人時代、ロケ先で若手スターからお茶に誘われた。サインをもらいに来た女性が「あなたも」と児玉さんに色紙を差し出すと、スター氏が「こいつは雑魚(ざこ)だよ」。席をけった雑魚、俳優を貫く決意を固めたそうだ
▼ただ、役者の自己陶酔とは無縁だった。テレビで使われる理由を「無味無臭なある種の清潔感、要するにアクの無さ」と自ら解説し、爆弾魔役で取った賞には「やりそうにないやつがやったというのは一度しか効かない」。覚めていた
▼〈さあ、ここからは慎重かつ大胆にお答え下さい〉。36年も司会を務めたクイズ番組。語り口に端正な人間味がにじむ。柔らかな声、共演女優が言う「人を幸せにする笑顔」が、解答者の緊張をほぐした
▼長身にまとった知は自前だった。蔵書で自宅の床が傾くほどの読書家で、米英の小説は原書で読んだ。さらに随筆、切り絵も。芸能人でも文化人でもなく、一人の親としての痛恨は9年前、36歳の長女を同じ胃がんで失ったことだろう
▼「クイズ番組は人生そのもの」と語った通り、児玉さんも勝ち負けを重ねて領域を広げた。半世紀を超す芸能生活が視聴者に等しく残した印象は、控えめだが親しみ深い中間色だろうか。
25すべてのマスをベージュで埋めて、まな娘に再会する旅に出た。
 
その雑魚と言った俳優はだれれあろうと亡くなっても、新聞の片隅に小さく載る程度であろう。児玉さんは産経と朝日の1面コラムで惜しまれる人物となった。タイムマシンに乗って、児玉さんは雑魚ではなく立派な出世魚ですよとそのサインをもらいに来た女性に言ってあげたいですね。
 
ちなみに、この天声人語での雑魚話はちょっと雑な書き方で意味不明な為、すこし解説した記事を見つけました。
 
2005年に発売された故・児玉清氏の回想録『負けるのは美しく』(集英社)――上品で温厚で知的なイメージのある児玉氏が同書で描いた自画像は意外や意外、コンプレックスにまみれ、敗北に敗北を重ねた負け犬の相貌であった。児玉氏が同書発売当時に語っていた思いを紹介する。(週刊ポスト2005年11月4日号より)
 * * *
 
 そもそも俳優という商売はどこまで行っても後悔の連続で、これという答えがないものですから、と児玉氏はいう。
 
「思えば僕の役者人生は負けばかり。自分で自分が勝ったと思えることなんて、1度としてありませんね。それでも闘っては負け、闘っては負けを繰り返し、敗北感、絶望感に常に打ちひしがれてきた」(児玉氏)
 
 役者とはそういうものだと人はいうかもしれない。だがその役者に、なりきれなくてもがき、懊悩した日々を児玉氏は本書に綴るのである。学習院大学を卒業後、母の死によって大学院進学を断念し、ひょんなことから受けた東宝ニューフェイスに合格。
 
「翌年の新卒採用までの、ほんの腰かけ程度の気持ちで」
 
 映画界に入り、1961年にデビューを果たしたものの、その後は大部屋生活が続いた。ろくに人として扱われない日々に嫌気がさし、何度もやめようと思ったが、それはロケで訪れた博多の街に、同い年の某スター氏とくりだしたときのこと。ある店でサインを求められたスター氏が、児玉氏にも色紙を差し出した店員にこう言い放ったのだ。
<この人は雑魚だからサインして貰っても仕方がないよ>――。

<雑魚が雑魚と言われて怒るのもおかしいが><もし、僕がこのまま俳優をやめたら、いつまで経ってもあいつは雑魚だったで終ってしまう><こうなったら意地でも俳優に踏みとどまってギャフンと言わせてやるぞ>

「僕にはどうもそういう生意気なところがあるんだなあ。雑魚は殴られ、罵倒されて当然の現場でも、何かにつけて反発し、バカヤローと襟首を掴まれると、僕の襟首を掴まないでください、なんてことを大監督に平気でいう」

 あの、故・黒澤明監督にも、散々噛みついた。

「当時の黒澤さんは、まさに天皇のごとく君臨していて、僕が現場で腕を組んでいるだけで、腕組むなっと雷が落ちる。理屈も何もなかったな。なのに、怒らせるなよといわれればいわれるほど、僕は“巨匠とはいえ同じ人間じゃないか”と思ってしまうんだなあ(笑い)。
納得いかないことにいちいち食ってかかる、そんな自意識過剰でヘボ役者の僕を、しかし黒澤さんは、アイツがあの気概をあと10年持っていられたら何とかなるかもしれない、といってくれていたらしい。突っ張ってばかりで、でもとにかくしゃかりきだった雑魚の思いを、感じていてくださったんですね」
 児玉さんもやはり「自分は負け犬・雑魚だと思っていた!」おおいに共感いたします。わたくしのハンドルネームDdogには「吠えるだけの負け犬」という意味を込めています。
 
負け犬だからこそ、本を読み知識を積み重ね、運よく一番に上り詰めた奴らを上から目から目線で見下してやろうといった、反骨の心理があったのかもしれません。