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空海と密教美術展を観にいった。密教は一般の大乗仏教(顕教)が民衆に向かい広く教義を言葉や文字で説くに対し、密教は極めて神秘主義的・象徴主義的な教義を教団内部の師資相承によって伝持するがゆえに密教と言われる。

密教は僧侶向けに複雑化した仏教体系となった。インドで仏教が衰退して言ったのは、インドでの大衆重視のヒンドゥー教の隆盛・拡大という潮流があったのだが、密教がインドの大衆層への普及・浸透ができず、インドでの仏教衰退の原因ともなった。

「秘密の教え」という意味の表現が用いられる理由としては、顕教が全ての信者に開かれているのに対して、灌頂の儀式を受けた者以外には示してはならないとされた点で「秘密の教え」だともされ、また、言語では表現できない仏の悟り、それ自体を伝えるもので、凡夫の理解を超えているという点で「秘密の教え」だからだとも言う。

私のブログでも何度か書いた密教経典の一つ、理趣教はSEXを悟りの境地だと教えるのだから、一般大衆向きではないのは、当然の事だろう。

本書はニーチェの言葉の二番煎じ本ではあるが、哲学としての仏教を理解するにあたり、誠に大衆向けにわかりやすく説明していて、密教との対極に存在するかもしれない。仏教衰退期インドにて本書が出版されていたならあるいは、インド仏教は衰退せずにいたかもしれません・・・てことはないか?


もし誰かにいやな目に遭わされたら

もし君が敵からいやな目に遭わされて、鬱になったり落ちこんだりす
るのなら、それを見た敵は、「わ-い、ざま-みろ」と笑って喜ぶだろう。
ゆえに「真の損得」を知る人は、どんないやな目に遭わされようとも、
嘆かず平常心を保つ。前と変わらず穏やかなままの、君の優しい表情を
見た敵は「ちぇっ、がっかりだ」と落胆する。
皮肉なことに、敵を悩ませるための最高の「イヤガラセ」は君が怒ら
ず朗らかにしている、たったそれだけのこと。
増支部経典


もし誰かの怒りを  買ってしまったら

怒っているいやな人に対して「ちえっ、そんなに怒らなくてもいいの
に」と、ムカムカ怒りを感じるのなら、君はその怒りによってまさに悪
をなしたことになる。
怒っている人に対して怒りを感じずにすませられることこそ、難敵と
戦ってなんとか勝利することになる。
他人の怒りを前にしたとき君がいち早く気づくべきは、君自身の心ま
で怒りに染まりそうになっていること。それに気づいて落ちつくように。
そうすれば、君にとっても相手にとっても、心の治療を施すことにな

君が相手の怒りをそっと穏やかに受けとめるとき、互いの怒りはやが
て静まり、癒されていくだろう。
相応部経典

もし誰かに悪口を言われたら

もし君が、誰かに悪口を投げられて傷つきそうになったなら、思い起
してみるとよい。この悪口つていうやつは、今に始まったことではなく、
原始時代からず-つと続くものだということを。
静かに黙っている人は、「ムッツリしている」と悪口を言われ、たく
さん話をする人は、「おしゃべりな人ですこと」と非難され、礼節をわ
きまえてしゃべる人すらも、「何か企んでいるんじゃないかしら」など
と悪評を流される。
法句経227

悪口を言われない人はいない

この世のどんな人でも、必ずどこかで誰かの怒りを買っている。
誰かに悪口を言われるのが当たり前。
昔も今もこの先も、未来永劫、それは当たり前の事実なのだから、
悪□なんて涼しく聞き流すのがよい。
法句経228

攻撃には「肩すかし」を もって返す

他人から攻撃されたとき、君もまた攻撃をもって返すなら、君の中の
恨みも相手の中の恨みも静まることなく増幅し合い、無限に連鎖してゆ
くことになる。
攻撃を受けても「まあ、いっか。恨まないま」という肩すかしを投げ
返すなら、互いの恨みは静まり安まる。
これは、永遠の普遍的真理。
法句経5

君も相手も、やがては死んで
ここから消え去る  


誰かと敵対して争いが生じそうになったら、しかと意識してみるとい
い。君も相手もやがては死んで、ここから消えまる、ということを。
君以外の人々は、「自分もやがて死ぬ」という真理をうっかり忘却し
ているけれども、君がこの真理をはっきり意識していれば、怒りも争い
も静まることだろう。
「どのみち、君もやがてここからいなくなる。どのみち、私もやがてこ
こからいなくなる。じやあ、ま・…いつか」と怒りを捨てて、平静さを
取り戻すまうに。
法句経6

相手の悪ではなく、
自分の内側を見よ


他人の 「悪」に気づいても、君がイライラする必要はない。
他人がやらかしてしまったこと、他人がすっぽかしてしまったこと、
そんなものをジロジロ見なくていい。
そのかわりに視線をクタッと君の内側へと反転させて、じっくり見つ
めてみるといい。
「自分は何をやらかしてきて、何をすっぽかしてきたのかな」と。
法句経50

プライドを  すんなり手放す

怒りを、ポイッと捨てること。
「俺様は偉い」
「私は賞賛されるに値する」
「私のセンスは抜群だ」
「僕は大事に扱われて当然だ」

これらの生意気さを君が隠し持つからこそ、そうでない現実に直面す
るたび、怒りが君を支配する。
これらの生意気さに気づいて、それをすんなり手放せるように。
すべての精神的しがらみを乗り越えて、心にも身体にもこだわらず、
何にもしがみつくことがないのなら、もはや君は怒ることも苦しむこと
もなくなるだろう。

法句経221

仲間入りをしてはいけない
最低の人間パート1


すぐにカッカと怒る人。
いつまでも恨みを忘れない人。
自分の欠点を隠そうとする人。
自分を実際より良く見せようと親切を押しつける偽善者。
こういった人々は最低の人間だと知っておき、
その仲間入りをしないように。

仲間入りをしてはいけない
最低の人間パート2

母、父、兄弟姉妹、パートナー、その母や父。
そういった身近で大事な存在に対し
いやな振る舞いをしたり、言葉で傷つけ悩ませる人は
たとえ外面では「いい人」を演じて、
会社や学校では優しく振る舞っていたとしても、
最低の人間だと知っておき、
その仲間入りをしないように。

何か起こっても動揺しない練習

君よ、
もしも君の敵が君をつかまえて、
のこぎりで君の手足を切断しようとするならば、
手にも足にも激痛が走ることだろう。
手からも足からも、
身体的苦痛を送信する神経データが人力されてくるだろうけれども、
その身体の苦痛データに対して心を反応させ、
「イヤだ-」と、心に怒り、すなわち反発心が生まれるならば、
君は私の生徒ではなくなってしまう。
私の生徒であろうとする以上は、
誰に何をされても怒らないように。
次のように練習すること。
「何か起こっても、心が動揺しないように練習しよう。
怒りに駆られてネガティブな言葉を口にしないよう練習しよう。
怒りを発生させず、
いやな相手に対しても優しさと同情心によって接するよう練習しよう。
その相手を、慈悲の念によって満たしてさらに、
すべての生きとし生ける者たちを、
無限の敵意なき慈悲の念によって満たせるよう練習しよう」と。
中部経典『鋸喩経』