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友もなく、女もなく、一杯のコップ酒を心の慰めに、その日暮らしの港湾労働で生計を立てている十九歳の貫太。或る日彼の生活に変化が訪れたが…。こんな生活とも云えぬような生活は、一体いつまで続くのであろうか―。昭和の終わりの青春に渦巻く孤独と窮乏、労働と因業を渾身の筆で描き尽くす表題作
以上がアマゾンの書評である。

1986年の夏 社会の底辺を生き延びていた作者西村賢太の青春を綴った私小説である。

父親が強盗強姦の罪で逮捕服役、姉と母親との3人で夜逃げ同然で生まれ育った街を離れ・・見知らぬ街で最低の中学時代を過ごし、卒業後日雇い労働者となった。

社会の底辺で生きる、怠惰と生存する為の日当5500円 最低限の生存を維持するだけの労働・・・

夢も希望の無い自堕落な生活・・・コップ酒と安ソープだけが彼の友。

友さえいない港湾労働者の自堕落な生活に日下部という同年代の専門学校生の友人ができる。

同じ社会の底辺で働く日下部と自分は同類であると思っていたが、友人には女子大生の彼女がいることに衝撃を受ける。

日下部に嫉妬するがその彼女に友人を紹介してもらおうと貫太(西村賢太)は思いつく。

野球好きの日下部と彼女(美奈子)を野球観戦に誘い出したまではよかったが、慶應大学でマスコミ志望の女子大生とは貴族と苦力(奴隷)ほどの溝があった。

p86-87
 日下部の恋人と云うのは、貫多がそうであってくれればいいと思ったイメージ程ではないにせよ、それでも十人並みの範躊からは間違いなく脱落する形貌の女だった。

その女はまるで化粧っ気もなく、髪も僅かに茶色に染めた一見清楚風な、肩までのストレートと云うのはよいとしても、毛質が細くて量も少ないので清楚と云うよりは悽愴な幽霊みたいな感じであった。

一丁前に眉は形よく整え、ピアスなぞもしていたが、昔の肺病患者みたいなのを連想させる並外れた青白い顔色の悪さにそれは何んら映えるものではなく、着ている夏物のワンピースが無地の白と云うのも、いかにも初対面の相手の前と云うのを収りあえず計算したあざとさかがあり、見た目の至極おとなしそうな風情の中に、何か学歴、教養至上主義の家庭に育った者特有の、我の強い腹黒さと云うのがアリアリと透けてみえる、つまりはあらゆる意味での魅力に乏しい、いかにも頭でっかちなタイプの女であった。

これに貫多はお腹の中で、 (こいつはどうおまけしてやっても、せいぜい十五点ってとこだな)
と、採点する。

その鵜沢美奈子と云う女を交じえ、貫多は通りの向こうの球場へと先に立って歩いていったが、道々、散歩途中の犬みたくして、ちょいちょい振り返り見やってみると、日下部はそんな十五点の美奈子にひどく幸せそうな顔付きで、何やらしきりと話しかけていた。

p90~94
「でも美奈は、マイペースでゆっくり喋るんで滑舌もいいし、客も話を聞き取りやすいから、進行役にピッタリ、最適任者のはずだよ」
「ええーつ、そんなことないよおー」
「本当だよ。俺、美奈にお世辞なんか、これまで一度も言ったことないよ」
「ええー-つ……ありがとう」
「だけど俺も、そろそろまたちゃんと学校に出て、いろいろとつき合いを広げていかないといけないな。そういう人の中には、美奈と組んでなにか面白いことのできる奴もいるかもしれないし」

「うん、正ちゃんの学校の関係なら、そういう人と出会う機会は、絶対あり得るよね」
「そうだ、このあいだ下北の××劇場のスタッフさんと一緒に飲んだんだけど、今度美奈にも引き合わせて紹介するよ。なんか本当に芝居を愛してる感じの、真っすぐな人だったよ」

「えっ、紹介して!」
「うん、すごく気さくな感じだったから、話も絶対に盛り上がると思うよ」
「ほんと? それ、いくつくらいの人?」

「三十ちょっと前ぐらいだったけど、本当にアツい人だったよ。あそこもよくイベントとかやってるから、そのうち手伝いなんかに行ってみたらいいんじゃない」
「あ、いいねー。そういう話があったら、やってみようかな」
「△△の編集の人とも仲がいいみたいなこと言ってたしさ。あれはニューアカ系の中じゃ、今、結構注目浴びてる雑誌だし」

日下部は、同い年の美奈子に何か後見人じみた口調であれやこれやと勧めていたが、その二人の会話から、いつかすっかり取り残されたかたちのもう一人の問い年の者たる貫多は、レモンサワーなぞ頻りにすすり、ひたすら無聊な思いだった。貫多は、眼前の美奈子が自らの華やかな学生生活をハナにかけ、無意識のうちにも明らかに自分より知能が劣った野暮ったい貫多のことをバカにして嵩押ししていると思う。そしてそれにより、改めて自らの充実ぶりをうれしく再確認していると思う。

だから次に彼の方に話題が向いたとき、貫多はそんな美奈子の蔑視なぞ、てんから気にもしてない度量を見せてやるべく、廻ってきた酔いの勢いを駆って大いにハシャギ、レモンサワーを一人だけコップ酒に切りかえると、必要以上の自分語りを洽々とやりだしたりしたが、これには日下部も美奈子も徐々に沈黙してゆき、何度か鼻白んだような顔を向け合っているような様子も見せだす。

するうち、貫多の劣等感からの擬態は酔いの深まりと共にどんどん妙な方向へ屈折していって、やがてすっかり地金をあらわしたような塩梅で、日下部に対しても殊更に遠慮のない口を利いてやり、美奈子が上北沢辺りのワンルームに住んでいると聞くと、

「出たぜ。田舎者は本当に、ムヤミと世田谷に住みたがるよな。まったく、てめえらカッペは東京に出りや杉並か世田谷に住もうとする習性があるようだが、それは一体なぜだい?

おめえらは、あの辺が都会暮しの基本ステイタスぐれえに思ってるのか? それもおめえらが好む、芋臭せえニューアカ、サブカル志向の一つの特徴なのか? そんな考えが、てめえらが田舎者の証だってことに気がつかねえのかい? それで何か新しいことでもやってるつもりなのか? 何か、下北、だよ。だからぼくら生粋の江戸っ子は、あの辺を白眼視して絶対に住もうとは思わないんだけどね」 なぞ言ってやり、またこの言い草に、日下部がちょっと眉間を寄せつつ、わざと聞いてもないような風をしたのを見逃さず、それに対して店中の者が一斉に注視するような怒声を浴びせ、

「何んだ、てめえ! せんにはぼくに映画は嫌いだとかぬかしやがったくせに、今はいっぱしその理解者ヅラしやがって。女の前だからって高尚ぶるんじゃねえよ! ぼくの云う映画とてめえらの云う映画は、映画が違うとでも言いてえのか、このコネクレージーどもめが何が、トークショー、だ。馬鹿の学生人足の分際でよ!」

と絶叫し、更には美奈子を日下部に倣って、美奈ちゃんなぞ慣れ慣れしく呼んだ上で、「週一でしかこいつと会ってないんじゃ、やっぱりあれか。もっぱら、オナニーかい?オナニー、なのかい? どうなんだ」と、下卑たことをも口走り、いよいよ先方二人の帰り支度を早めさせる仕儀となったのである。

無論、貫多は最前の二人の会話等から、日下部と美奈子は自分とはまるで違う人種であることをハッキリと覚っていた。この二人はまともな両親のいる家庭環境で普通に成長し、普通に学校生活を送って知識と教養を身につけ、そして普通の青春を今まさに過ごし、これからも普通に生きて普通の出会いを繰り返してゆくのであろう。そうした人並みの生活を送るだけの資格と器量を、本人たちの努力もあってすでにして得ている者だちなのだ。

そんな人たちに、ゴキブリのような自分が所期のかような頼み事をしたところで、どうで詮ない次第になるのは、とうに分かりきった話であった。

が、それでも貫多は、店から引っ張られるようにして外に出たのちには美奈子に向かい、何か病的な神経でもって、今度女友達を是非に紹介してくれるよう依頼した。繰り返し、何度も何度もしつこく懇願した。しまいには、足を早めだした彼女の腕に取りすがるようにしながら、ペコペコと幾度も頭を下げたが、しかしそれは最早完全にヤケの心境から生じた、まるっきり泣きっ面の無様な自嘲に他ならぬものであった。

1986年の夏を切り取った情景である。ただし私は美奈子側の人間であった。
社会の底辺で努力もしない奴らを蔑んでいた側の人間だったのである。

あの夏1986年は今と比べて希望や夢が溢れかえっていた。

1986年は前年の1985年にプラザ合意を受け大幅な円高と超低金利によって溢れ出たマネーが不動産や株に流れ込み日本がまさにバブル時代に突入した年でもある。

Ddogは某有名私立大学を卒業し、某大手証券会社の新入社員であった。
美人で聡明な彼女もいた・・・

自分の未来も日本の未来も輝いていた・・・

21世紀は日本の時代が来ると信じがむしゃらに働き出した年でもあった。

あれから25年・・・・当時の彼女とは数年も経たず別れ、バブルは崩壊・・・

高給取りと言われたのは今は昔、住宅ローンと娘の私学の学費に苦しむ。
当時の貫太(西村賢太)と同じく100円の清涼飲料水すら我慢する日々

日本中皆この主人公側の人間となってしまったのではないか・・・
日本の中流層は崩壊し次々に底辺に堕ちていく

その日暮らしで未来に夢や希望が無く生きている・・・・

p102
今はただ、日当の五千五百円だけを頼りに、こうした日々を経てるより他には、自らの露命を繋ぐ道がないのである。

しかしそれにしても、こんなふやけた、生活とも云えぬような自分の生活は、一体いつまで続くのであろうか。こんなやたけたな、余りにも無為無策なままの流儀は、一体いつまで通用するものであろうか。

それを考えると、彼は何んとはなしに、自らの行く末にとてつもなく心細いものを覚えてくる。

そして更には、かかえているだけで厄介極まりない、自身の並外れた劣等感より生じ来たるところの、浅ましい妬みやそねみに絶えず自我を侵蝕されながら、この先の道行きを終点まで走ってゆくことを思えば、貫多はこの世がひどく味気なくって息苦しい、一個の苦役の従事にも等しく感じられてならなかった。

ところが社会の底辺にいたはずのこの主人公は芥川賞作家となり今では成功者だ・
・・複雑な心境になる。

貧乏で小汚い中国人の一部が金持ちとなったような苦々しい感情に近い。

苦役列車は、そんな鬱々とした現代日本人のハートに共鳴する一冊であるかもしれません。



            ゴロウ・デラックス 西村賢太1