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石井英夫(いしい・ひでお)
昭和8年、神奈川県生まれ。コラムニスト。元・産経新聞論説委員。早稲田大学政治経済学部卒業後、産経新聞社に入社。社会部畑を歩んだのち、産経新聞朝刊一面の看板コラム「産経抄」を昭和44年から平成16年まで35年の長期にわたり執筆し、平成4年、菊池寛賞を受賞。フジテレビ番組審議会委員なども歴任。主な著書に『コラムばか一代 産経抄の35年』『日本人の忘れもの』『蛙の遠めがね』などがある。

産経抄を永年執筆されてきただけのことはあり、コラム一つ一つがとにかく名作ばかりだ。わたしはいつになったらこの様なコラムを書けるようになるのか・・・おそらく
死ぬまで無理のようである。
消しゴム

先日、新聞にこんな子どもの投稿詩が載っていた。
「ある日」と題した詩である
ある日、けしゴムになってしまった。
ぼくはみんなに消されて、体が小さくなっていった。
(田中瑠星/埼玉県新座市/小学四年生=11月26日付「読売新聞」)

その詩を読んで、おやまあかわいそうにと思った。しかし選者・長田弘氏のこんな講評を読んで、うれしくなった。「ちがう。きみは消しゴムになってみんなの間違いをいっぱい消して、大きな間違いを小さくしたんだ」と。
どうだろう。人はだれでも思い出したくもない思い出や、忘れてしまいたい記憶というものがあるのではないか。人生に忘却用の消しゴムがあったら、ごしごしと消してなくしてしまいたくなるような出来事が……。
しかし反対に、簡単に忘れてしまったり、ごまかしたりしてはいけない大切なものもある。
どこかで読んだことだが、乃木大将は幼い息子に、気がゆるむからと消しゴムの使用を禁じていたという。ほんとかどうか真偽のほどは知らない。
このごろはパソコンの普及で消しゴムが使われる機会も減ったようだが、デザインや香りがあるものなどいろいろあり、品質も格段によくなった。相変わらず値段が安く、百円程度で買えるのもうれしい。
ゴムといっても消しゴムの原料はほとんどが塩化ビニール樹脂、つまりプラスチックの一種だ。原油高の影響で原価は値上がりしているはずだが、メーカー各社の努力で製造工程が改善され、総コストを抑えていてくれる。
日常、机で使う消しゴムは、使うにつれだんだん小さくなり、やがてはなくなってしまう運命にある。といっても最後の最後まで使い切ることはできない。人が意識して捨てたり、投げたりするのではなく、どこかに転がったり、落ちたりして行方がわからなくなってしまうのだ。

消しゴムはいつの間にかなくなってしまうものだ。しかし人間の最期もそうありたい。人知れず静かに姿を消していきたいと思っている。
(平成十九年三月号)

金魚の化身

少年のころから、私は詩人・室生犀星が好きだった。犀星の詩に惹かれて、彼が生まれ育った金沢の寺・雨宝院を、犀川のほとりに訪ねたこともある。

その雨宝院が『幼年時代』や『性に目覚める頃』に描かれた森閑たる寺院のイメージとまるで違うことに驚き、詩人の古く。詩と真実”の落差に仰天したものだった。

金沢出身の詩人で文芸評論家でもある安宅夏夫氏は、室生家と家族ぐるみの交際をし、作品収集や全集の出版にも尽力した犀星研究家でもある。その安宅さんから「お前さんは犀星が好きだから」と、たびたび犀星研究のリポート(『人物研究』誌=近代人物研究会発行)を送っていただいていた。私にとっては驚きの犀星発見で、何度か産経新聞に書かせてもらったのだった。

たとえば、その1。

犀星の本当の父親は、文学全集などで定説とされている加賀藩士の小畠吉種ではなく、その長男の生種だという。生種は二十六歳で小学校長をしており、妻子があった。彼は二十歳の芸者ちかと愛し合うようになったが、妻子ある教育者が芸者とねんごろになって子をもうけたでは世間に顔むけができない。そこで父の吉種(六十歳)の子としたという。

たとえば、その2。

犀星の代表詩の名句「ふるさとは遠きにありて思うもの」(『小景異情』)は、じつは石川啄木の小説(『我等の一団と彼』)のなかの人物のせりふのリメーク(化粧直し)たった。小説の登場人物・高橋彦太郎が「故郷は遠くから想うべき処」「帰るべき処じゃない」などと語っている、などなど。

それら安宅さんの新説は、犀星ファンの私に大きな衝撃を与えた。
さて、安宅さんは最新の『人物研究第二十言万』(平成二十年六月)で、さらに興味津々の「女ひと伝説」を提供してくれた。

犀星の妻とみ子は昭和三十四年の秋、六十四歳で亡くなっていた。そしてその三年後の昭和三十七年三月二十六日、犀星は東京・港区の虎の門病院で七十三年の生涯を閉じるが、犀星の死に水をとった住み込みの若い女秘書がいた。小山万里江(仮名)である。

万里江は東京駅そばの大丸百貨店の時計売り場の女子店員だった。昭和三十三年の秋、犀星は娘の朝子と大丸に買い物に出かけ、時計売り場の少女に目をつけたのである。犀星ときに六十九歳、万里江十九歳。犀星はしばしば時計の修理にかこつけて、自分の署名入りの本を渡し、やがてお茶に誘い、食事をともにしてついに住み込みの秘書にする。

そのころ『杏っ子』がベストセラーになり、読売文学賞を受賞した。

「一生仕事をやり通したって、ただそれだけでは男として何の値打ちがあるか。最後に傍らにいてくれる女があってこそ、その男の生涯は映えて額縁に納まる」 それが口ぐせだったという。犀星の女の好みははっきりしていた。楚々としてたおやかな女より、ルノワールが描くような豊満な女を好んだ。女優でいえば原節子より京マチ子。野性昧のある艶やかさ、たわわな肉の重みを愛した。万里江は色白肉厚の、おっとり型のぴちぴちギャルだったらしい。

こんな秘話も紹介されている。

東京・馬込の犀星邸は平屋で男便所がなかった。男性の来客がいぶかしく思ったが、じつは室生家の男便所は奥の部屋にあった。犀星は書斎兼応接間(和室)にいて、前に火鉢、横に書き物机、横に骨董を並べた棚がある。で、その裏に犀星だけが出入りする男便所があった。この。奥の部屋”の男便所が、文字どおりギリシヤ神殿もかくやとばかりの色彩タイルでしつらえてあった。それは以前からあったものではなく、万里江を起居させるための「改造」であった、と安宅さんはいうのである。秘話でなくてなんだろう。

この万里江との出会いが、犀星の文学空間に沃土をもたらし、花をひらかせた。犀星最晩年の傑作『蜜のあわれ』の女主人公「金魚の化身の少女」となったのだという。

少女がおじさまと親密な間柄になる様子は次のように記されている。

「尾のところにお触りになってもいいわ、くすぐつたくないよう、そよろそよろとお触りになるのよ。おじさま、尾にのめのめのものがあるでしょう。あれをお凪めになると、あんまりあまくはないけど、とてもおいしいわよ、しごいてお取りになってもいいわよ」

金魚の化身の少女から「おじさま」と呼ばれる七十歳ぐらいの小説家・上山は、作者の犀星その人だった。
「一たい金魚のお臀って何処にあるのかね」
「あるわよ、附根からちよつと上の方なのよ」
「そうかい、人間では一等お臀というものが美しいんだよ、お臀に夕栄えがあたってそれがだんだんに消えてゆく景色なんて、とても世界じゆうをさがして見ても、そんな温和しい不滅の景色はないな(略)」
「おじさま、大きな声でそんなこと仰有ってはずかしくなるじやないの、おじさまなぞは、お臀のことなぞ一生見ていても、見ていない振りをしていらつしやるものよ(略)」
「そうはゆかんよ、夕栄えは死ぬまでかがやかしいからね、それがお臀にあたっていたら、言語に絶する美しさだからね」
安宅さんは、この『蜜のあわれ』をスーパーリアリズム(事実以上に事実をリアルに描いた)作品と評している。「無の空間から一瞬にして薔薇の花束をつかみ出してみせる魔術・奇術」(三島由紀夫)であり、犀星文学の行きついた極北である、といっている。

さて犀星の看病のため病院に泊まりこみ、老詩人の死に水をとった万里江はその後どうなったのか。犀星の死後三十余年、万里江の消息を尋ねて東北の実家を訪ねた伝記作家がいたが、それによると万里江は結婚して夫と二人の子、そして孫たちに囲まれて幸せに暮らしていたという。

陰の女とされた万里江の青春をどうしてくれるという女権主義者もいるだろう。老人の横暴が無垢の少女の人生を台なしにしたというウーマンリブ的抗議があるかもしれない。

何をおっしやる、二人の出会いは男と女の奇しき漫遁ではないか。この世の人間が遭遇した運命というものだ、といえばそれで足りるだろう。
(『正論』平成二十年九月号)
男は幾つになっても女性にモテタイ・・・
しかし、加藤茶といい室生犀星といい・・・
男はかくあるべきですな・・・
かつ丼

どういうわけか、あまり女性がかつ丼をぱくついている姿を見ることはない。してみるとこれは男の、それも若い学生や働き盛りの労働者の好物であるのかもしれない。

 たしか五木寛之さんのエッセーに、早大入学のため九州から上京した昭和二十年代の末に、学生食堂で生まれて初めてかつ丼を食べ、「世の中にこんなうまい物があったのか」と目からウロコの思いがしたというくだりがあった。五木さんと同世代だから、全く同感である。

 そしてかつ丼の考案者はなんとかいう早大の教授だったらしいとあったが、記憶違いかもしれない。いい齢をして、かつ丼はいまでも無性に食べたくなることがあり、しかし食べるとしばらくは見るのもいやになる。そんな年増女の深情けのような食べ物だ。

 最近、題名にひかれて『かつどん協議会』(原宏一著、集英社文庫)という本を読んだ。かつ丼はとんかつと玉ねぎを醤油で甘辛く煮て卵でとじ、ごほんの上にのせただけの料理である。全食連こと全国食堂中央連盟なる組織があり、その会議でそれぞれの業界の代表が口角泡を飛ばしてケンカをするという珍奇な小説なのだ。

 その本によると、かつ丼は洋のハイカラと和の伝統を融合させた食の国際化の象徴だそうだ。大正デモクラシー時代をへて、戦後日本の高度成長を担ってきた労働者の子不ルギー源であり、店屋物の代表として街の大衆食堂のヒーローだった。その大衆食堂は昭和五十年代からファミレスの台頭によって衰退し、かつ丼はヒーローの座をハンバーグに奪われることになったという。
 ああ、年増女の深情けのごときかつ丼がいとおしい。
                                  (平成二十一年四月号)

かのスティービーワンダーは来日するたびにカツ丼を食べるそうだ。
彼は目が見えない、彼のカツ丼のイメージはいったいどのようなイメージなんだろう?
それにしても、かつ丼で年増女の深情けを連想する石井氏は幾つになってもオスなのでしょう。立派です。