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日本人のノーベル賞受賞は2年ぶり。山中教授と村上春樹さんは、去年も名前は挙がっていたような気がします。日本人の受賞は米国籍の南部陽一郎氏を含め計19人目、そろそろ暗記しきれなくなった(嬉)
医学・生理学賞は1987年の利根川進氏以来、2人目の快挙だ。iPS細胞は、あらゆる細胞に分化する能力を持つ万能細胞で、これを基に神経や肝臓、心臓などの細胞を作製し、病気や事故で機能を失った患者の臓器などに移植することで、難治疾患を治療する再生医療の実現が期待されている。
TVで会見を聞いていましたが、早ければ5年後に実用化できるかもしれないという。
ほぼ同い年の山中教授のような人格者がノーベル賞受賞を受賞したことは日本人として非常にうれしい。閉塞感のある今の日本にとっては非常に明るい話題で喜ばしい。
iPS細胞の研究は国からの支援が手厚いようだが、それでも資金不足で山中教授自らチャリティマラソンを走り資金を集める日本の研究開発の現状は悲しい。
企業など日本社会が当たり前に無駄かもしれない基礎研究に資金を出せる意識改革や仕組み作りが、技術立国再興を目指す日本に不可欠だと思う。
山中教授は間違いなく天才であろう。
山中教授が人類の進歩に果たした役割は非常に大きなものであろう。

天才達の伝記を読むと、天才とはどんな時代でも、現状に安住する大多数の人々に背を向けて自分のやりたいことを見出してこれを成し遂げ、天才達の成し遂げた仕事が後の文明の発展に大きく貢献している。

人類の本性は、伝統的な生活を維持することであり、この本性に逆らう創造的な人々は一般に抑圧され歴史には残らなかったのが常である。大多数の保守的な凡人はその文明を維持することができても、一握りの天才たちによってその文明が生まれていると思う。

 この人類の保守的な、伝統にしがみつく本性を、ごく少数の天才が現れて別な方向に向けることがなければ、1000年、2000年などの歳月はあっという間に過ぎ去ってしまう。

実際に、アフリカ大陸の大部分の地域では、このようにして時が推移した。また極端な例では、オーストラリアの人々は太古の時代同然の生活のまま現代を迎えた。このような結果は、これらの地域の人々の知能の問題ではなく、少数の優れた人々の創意を生かせなかった自然環境と社会環境が原因に違いない。

世界で文明を興した地域には、大多数の平凡人のなかに、歴史に残らない無名の
天才たちがいたに違いない。

ベストセラー作家の藤原正彦氏が天才を輩出する条件についてインドが生んだ天才数学者のラマヌジャンという人を例にとって書いておりました。

ラマヌジャンは大学中退の大天才で、独学で勉強して、数学の公式や定理を、ひとりで三千何百と発見した人物です。インドといえば、ほかにも天才が何人か出ているのですが、不思議なことに、ラマヌジャンばかりでなく、20世紀を代表する天体物理学者のチャンドラセカールほかにも天才もラマヌジャンの生まれたクンバコナムあたりから輩出しているんです。

12世紀から13世紀にかけて、クンバコナムにはチョーラ王朝時代があった。そこの王様は大変な変人で、金にものを言わせて、美しいお寺を造りまくったようです。小さな寒村に、ものすごい豪壮で芸術的なお寺があります。それはどれもヒンズーのお寺で、ラマヌジャンの数学の公式のような美しさを湛えていました。

藤原氏はインドの他にもあちこちヨーロッパを見て、天才の生まれる所、土壌というのを考えてみたそうです。数学的天才というのは、人口に比例して出るわけではないそうです。

天才を輩出する条件。一つは美の存在です。二つ目は、何かにひざまずく心。三つ目は、精神性を尊ぶということです。要するに、金だとか、物だけではなくて、役に立たないものを尊ぶという精神があるんです。

ラマヌジャンは16歳から22歳まで、主にクンバコナムで、何もしないで数学だけをやっていた。ぼくは彼の家に行きましたが、本当にボロ家です。赤貧洗うがごとき生活をしていたわけです。もちろん紙も買えないわけですから、石版の板に数字を書いて、計算して、何か結果が出ると紙に写す。それを6年間もする。家は貧乏すぎて食い物がない。お母さんが隣近所にコメを恵んでもらったり、昼飯を抜かしたり、そんな生活をしていたんです。息子のラマヌジャンは、いい年をして働かないで、明けても暮れても、美しいサーランガーパニ寺院の縁側で一生懸命数学をしている。親もなにか精神性の高いものであろうと考えて、「この穀つぶし、働け!」なんて決して言わない。そういう役に立たないものを尊ぶ心があったから、彼は生き延びたんです。

民主党のような場当たり的な予算の仕分けなどやっていたら日本から天才を輩出できなくなってしまうだろう。