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ロボットとの融合はどこまで進むか?
p147-149
ロボット研究の先駆者、ハンス・モラヴェックは、さらに何歩か進んで極端な状況を思い描いている。われわれが、自分たちのつくったロボットそのものになるという状況だ。彼は私に、脳のニューロンをすべてロボットのトランジスタに取り替える脳手術によって、人間がロボットと融合するさまを語ってみせた。手術でまず、われわれは脳のないロボットの体と並んで横になる。外科医ロボットは、われわれの脳の灰白質をかたまりごとに全部、トランジスタ唯位で複製し、ニューロンをそのトランジスタにつなぎ、そうしたトランジスタのかたまりを空っぽのロボットの頭蓋に収める。ニューロンのかたまりはそれぞれ、ロボットヘ複製されると捨てられる。この複製手術がおこなわれるあいだ、われわれは完全に意識がある。その途中、脳の一部は元の体にあるが、残りは新しいロボットの体のなかにあって、トランジスタでできている。手術が終わると、脳は完全にロボットの体へ移ってしまっている。われわれはロボットの体だけでなく、ロボットのメリットも手に入れる。完璧な容姿をした超人的な体で、不死になるのだ。これは二一世紀中には不可能だろうが、二二世紀にはひとつの選択肢になる。

究極のシナリオでは、われわれはお荷物の体を完全に捨て去り、ついには人格をコードした純粋なソフトウェアプログラムとなる全人格をコンピュータに「ダウンロード」するのだ。あなたの名前を人力してボタンを押すと、コンピュータはあなたがメモリのなかにいるかのようにふるまう。些細な癖まで人格がことごとく回路内にコードされているからだ。われわれは不死になるが、コンピュータのなかに閉じ込められて過ごし、ほかの「人間」(つまりほかのソフトウェアプログラム)と何か巨人なサイバースペースやバーチャルーリアリティで交わるようになる。身体としての存在は捨てられ、この巨大なコンピュータのなかでの電子の動きに置き換えられるにこのシナリオで、われわれの究極の運命は、そのばかでかいコンピュータプログラムのコード群になり、肉体の感覚らしきものはみなバーチャルの楽園で跳ねまわっている。われわれは、コンピュータにおけるほかのコード群と深い考えを共有し、この大いなる幻影を生きていく。新世界を征服する勇ましい大手柄をなし遂げても、自分が何かのコンピュータのなかで跳ねまわる電子にすぎないことに気づいていないっそれももちろん、だれかが「オフ」のボタンを押せば終わる。

しかし、こうしたシナリオを進めすぎた場合のひとつの問題として、前に紹介した「穴居大の原理」があるごすでに触れたとおり、われわれの脳の構造は、一〇万年以上前にアフリカに現れた原始的な狩猟採集民のものと変わらないい。われわれがもつ最も基本的な欲求はすべて、アフリカの草原で捕食者から逃れ、獲物を狩り、森のなかをあさり、配偶者を探し、たき火を囲んで楽しく過ごすうちに形成されたのだ。

われわれの思考の素地に深く埋め込まれた最優先事項のひとつは、とくに異性や仲間の目に良く映ることであるにわれわれの可処分所得のうち、娯楽に次いで圧倒的に多くが、外見を良くすることにあてられているっだからこそ、整形手術、ボトックス、身づくろいの製品、お洒落な服がずいぶん人気を呼んできたわけだし、今風のダンスのステップを覚えたり、筋トレをしたり、最新の音楽を購入したり、フィットネスに励んだりすることが盛んになされるのだ。こうした全部を足し合わせると、アメリカ経済のかなりの部分にあたる個人消費のうちでも、非常に大きな割合を占めることになる。

すると、たとえほとんど不死の完璧な体を作り出せても、頭からインプラントが飛び出て不格好なロボットのようだったら、われわれはきっとロボットの体をもちたいとは思わないだろう。だれも、SF映画から出てきたような姿は望まない。われわれが強化した体を持つとしたら、異性を惹きつけ、仲向内の評判も高めるようなものにちがいない。そうでなければ拒絶するだろう。強化されても不恰好になるのなら、どこのティーンエイジャーが望むだろう?

一部のSF作家は、人類がみな身体から離れてコンピュータのなかで生き、深い思考をする純然たる知能という不死の存在になるアイデアを楽しんでいる。だが、だれがそんな生き方をしたいと思うだろうか?

われわれの子孫は、ブラックホールを記述する微分方程式を解きたいなどとは思わないかもしれない。将来、人は、コンピュータのなかで生きながら素粒子の運動を計算するよりも、前時代のロックミュージックを聴いて過ごしたがる可能性だってあるのだ。

カリフォルニア大学ロサンジェルス校(UCLA)のグレッグーストックはさらに、人間の脳をスーパーコンピュータにつないでもほとんどメリットがないことを見出しているっ彼はこう語る。「私の脳とスーパーコンピュータを実際につないでどんな得があるかと考えてみた場合、ふたつの基準を要求すると行き詰まってしまう。その基準とは、メリットはほかの非侵襲的な手段で容易に得られるものであってはならないということと、メリットは脳手術のつらさに見合うものでなければならないということだ」

したがって、未来の選択肢はいろいろ考えられるが、私としては、一番可能性が高いのは、善意のあるフレンドリーなロボットをつくり、われわれ自身の能力をある程度高めながら、穴居入の原理に従うというシナリオだと思う。われわれは、サロゲートによって一時的にスーパーロボットとして生きる考えは受け入れるが、永久にコンピュータのなかで生きるとか、見る影もなくなるほど身体を改変するとい゜だ考えには抵抗を覚えるだろう。
特異点の前にある障害
p149-152
 ロボットがいつ人間並みに賢くなるのかは、だれにもわからないっだが私としては、いくつかの理由でその時期を今世紀の終わり近くとしたい。

第一に、これまでコンピューターテクノロジーの目覚ましい進歩は、ムーアの法則に従っていた。この進歩は今後減速しだして、二〇二〇~二五年ごろには止まりさえするかもしれない。だから、それ以後のコンピュータの計算速度を正確に見積もれるかどうかはわからない(ポストシリコンの時代について詳しくは第4章を参照)つ本書では、コンピュータの性能は向上しつづけるが、そのペースは落ちるものと仮定した。

第二に、コンピュータが一秒間に10の16乗回といった途方もない速度で計算できても、必ずしも人間より賢いことにはならない。じっさい、チェスをするIBMのマシン「ディープーブルー」は、一秒間に二億通りもの配置を分析でき、世界チャンピオンを破った。ところがディープーブルーは、そんな速度と計算能力をもちながら、ほかには何もできない。真の知能は、チェスの駒の配置を予測するよりはるかに高度であることを、われわれは知っている。

たとえばサヴァン症候群の人は、記憶や計算でとんでもない離れ業を演じる。ところが、靴紐を結んだり、仕事に就いたり、社会的な役割を果たしたりすることはなかなかできない。故キムーピークは、非凡すぎてその驚くべき半生をもとに映両『レインマン』が作られたほどの人物で、一万二〇〇〇冊の本に書かれたすべての単語を暗記し、コンピュータでしかチェックできないような計算ができた。それでも彼は、IQが七三で、人と会話するのが難しく、生きるためにつねに助けを必要とした。父親の介助がなければ、ほとんど何もできなかった。

つまり、未来の超高速コンピュータはサヴァン症候群の人のように、大量の情報を記憶できるが、ほかは無理で、現実世界を自力で生きていくことはできないのである。 コンピュータが脳の計算速度に匹敵しだしても、なんでもさせるには、まだ必要なソフトウェアやプログラムが足りない。脳の計算速度に匹敵するというのは、あくまで最初の一歩にすぎないのだ。

ロボットが人間並みになる時期を今世紀末あたりと考えた第三の理由は、ロボットが元のものより賢いコピーをつくれるかどうかわからないからだ。自己複製するロボットの数学的土台は、ゲーム理論を発明し電子計算機(コンピュータ)の開発に一役買った数学者、ジョン・フォン・ノイマンによって初めて考ええ出された。ノイマンは、「機械が自分自身のコピーを作れるようになるための最少の前提を決定する」という問題をいちはやく検討した。しかし彼は、「ロボットが自分より賢いコピーを作れるか」という問題には取り組まなかった。実のところ、「賢い」の定義そのものに問題がある。「賢い」の普遍的に認められた定義は存在していないからだ。

確かにロボットは、アップグレードしてチップを増やすだけで、それ自身より多くのメモリや処理能力をもつコピーを作り出せるだろう。だがこれは、コピーが元より賢いということなのか、それともただ処理が速くなるだけなのだろうか? たとえば電卓は、メモリが莫大で処理速度も速いと、人間より何百万倍も速く計算できるが、決して人間より賢くはない。したがって、知能は単なる記憶やスピードにとどまらないのである。

第四の理由は、ハードウェアが急激に進歩できても、ソフトウェアはそうでないためだ。ハードウェアは、ウェハーにエッチングするトランジスタをどんどん小さくできることによって進歩してきたが、ソフトウェアはまったく違い、デスクでコードを書く人間が必要になる。人間がボトルネックなのだ。

ソフトウェアは、人間の創造的活動の例に洩れず、間欠的に進歩する。あるとき見事なひらめきがあったかと思えば、長いこと退屈な作業が続いたり停滞したりする。単にシリコンにエッチングするトランジスタの数を増やして、スムーズに進歩するのと違い、ソフトウェアは、人間の創造性や思いつきという予測のつかないものに左右される。そのため、コンピュータの性能がずっと急激に向上しっづけるという予測はみな修正する必要がある。鎖の強さはそのなかで最も弱い環によって決まるのであり、この最も弱い環こそが、ソフトウェアと、人間のするプログラミングなのである。

工学の進歩はたいてい急激で、とくにシリコンウェハーにエッチングできるトランジスタの数を増すなど、効率向上の問題にすぎなければそうなる。ところが基礎研究となると、運と技能と突然のひらめきが必要なので、進歩は「断続平衡」的になる。長期間たいしたことが起こらずに過ぎて、いきなりその分野全体を一変させる突破口が開かれるのだ。ニュートンからアインシュタインを経て現在に至る基礎研究の歴史を眺めると、断続平衡がより正確に進化の仕方を表していることがわかる。

また第五の理由になるが、脳のリバースーエンジニアリングにかんする研究で見たように、プロジェクトの莫大なコストと純然たる規模ゆえに、きっと今世紀の牛はまでずれ込むだろうとも考えられる。しかも、大量のデータの理解にまた何十年もかかり、脳のリバースーエンジニアリングの完了は今世紀の終わりごろになる可能性がある。

第六の理由は、機械がいきなり意識をもつようになる「ビッグバン」は起きないにちがいないからだ。前に述べたとおり、意識の定義に、未来をシミュレートすることによって未来のプランを立てる能力も含めたら、意識にもいろいろな段階があることになる。機械はこの段階をゆっくりのぼっていくから、われわれ人間に、備える時間をたっぷり与えてくれる。これは今世紀の終わりへ向けて起きることなので、われわれにとりうるさまざまな選択肢を議論する時間は十分にあるのだ。また、機械の意識にはきっとそれ特有のものがあるにちがいない。ならば純然たる人間の意識でなく、ある種の「シリコンの意識」がまず生まれるはずだ。
「2100年の科学ライフ ミチオ・カク/著(NHK出版)」を読む