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2014年4月18日村上春樹氏の前:短編集「東京奇譚集」から実に9年ぶりとなる短編集が出版された。
まえがきに、この短編集はいわばビートルズの”サージェント・ペパーズ”やビーチボーイズの”ペット・サウンズ”のようなコンセプトアルバム風に作ったという。
まえがき
p7
本書のモチーフはタイトルどおり「女のいない男たち」だ。最初の一作(『ドライ
ブーマイーカー』)を書いているあいだから、この言葉は僕の頭になぜかひっかかっていた。何かの曲のメロディーが妙に頭を離れないということがあるが、それと同じように、そのフレ―ズは僕の頭を離れなかった。そしてその短編を書き終えたときには、この言葉をひとつの柱として、その柱を囲むようなかたちで、一連の短編小説を書いてみたいという気持ちになっていた。そういう意味では『ドライブーマイーカー』がこの本の出発点になった。                       
「女のいない男たち」と聞いて、多くの読者はアーネストーヘミングウェイの素晴らしい短編集を思い出されることだろう。僕ももちろん思い出した。でもヘミッグウェイの本のこのタイトル”Men Without Women”を、高見浩氏は『男だけの世界』と訳されているし、僕の感覚としてもむしろ「女のいない男たち」よりは「女抜きの男たち」とでも訳した方が原題の感覚に近いような気がする。しかし本書の場合はより即物的に、文字通り「女のいない男たち」なのだ。いろんな事情で女性に去られてしまった男たち、あるいは去られようとしている男たち。
もし、私が本書のサブタイトルをつけることを許されるのならば、”男が理解できない女性の深層、妻もしくは恋人の浮気”とするだろう。

帯の裏側より  絡み合い、響きあう6編の物語  
「ドライブマイカー」――舞台俳優・家福は女性ドライバーみさきを雇う。死んだ妻はなぜあの男と関係しなくてはならなかったのか。彼は少しずつみさきに語り始めるのだった。                         
「イエスタデイ」――完璧な関西弁を使いこなす田園調布出身の同級生・木樽からもちかけられた、奇妙な「文化交流」とは。そして16年が過ぎた。                                           
「独立器官」――友人の独身主義者・渡会医師が命の犠牲とともに初めて得たものとは何だったのか。                          
「シェラサード」――陸の孤島である「ハウス」に閉じ込められた羽原は、「連絡係」の女が情事のあとに語る、世にも魅惑的な話に翻弄される。  
「木野」――妻に裏切られた木野は仕事を辞め、バーを始めた。そして
ある時を境に、怪しい気配が店を包むのだった。               
「女のいない男たち」――ある夜半過ぎ、かつての恋人の夫から、悲報;を告げる電話がかかってきた。

「ドライブマイカー」

■Drive My Car (ドライヴ・マイ・カー) - 日本語訳
Asked a girl what she wanted to be She said, "Baby, can't you see? I wanna be famous, a star of the screen But you can to something in between"                   ねえ 君は何になりたいんだいと彼女に聞いたなら  ゛あら あなた わからない?  有名になりたいの 映画の大スターにね゛  だけど それまでにあなたにもできることがあるわよ
 "Baby, you can drive my car Yes, I'm gonna be a star Baby, you can drive my car
And maybe I'll love you"
゛あなたをあたしの運転手にしてあげる  そうよ あたしは大スターになるの  そしたら あなたを運転手に雇ってあげる  ついでに愛してあげてもいいわ゛  

I told the girl that my prospects were good And she said, "Baby, it's understood Working for peanuts is all very fine But I can show you a better time"
俺の未来が開けてきたって彼女に話したら  ゛そんなの当たり前でしょ  一生懸命働くのも悪くはないけど  あたしがもっといい暮らしをさせてあげる゛
"Baby, you can drive my car Yes, I'm gonna be a star Baby, you can drive my car      And maybe I'll love you" Beep, beep, beep, beep, yeah
゛あなたをあたしの運転手にしてあげる  そうよ あたしは大スターになるの  そしたら あなたを運転手に雇ってあげる  そしてついでに愛してあげてもいいわ゛  Beep, beep, beep, beep, yeah
I told that girl I could start right away And she said, "Listen babe, I've got something to say
I got no car and it's breaking my heart But I found a driver, and that's a start"
じゃあ今から始めようって話したら  ゛あ、ちょっと待って ひとつ断わっておかなきゃ  残念ながら あたし まだ車を持ってないのよね  でも あなたという運転手が見つかったから上出来ね゛
"Baby, you can drive my car Yes, I'm gonna be a star Baby, you can drive my car
And maybe I'll love you" Beep, beep, beep, beep, yeah ・・・・
゛あなたをあたしの運転手にしてあげる  そうよ あたしは大スターになるの  そしたら あなたを運転手に雇ってあげる  そしてついでに愛してあげてもいいわ゛  Beep, beep, beep, beep, yeah

おそらく作品の当初のコンセプトはビートルズの6枚目のアルバム「ラバーソウル」の一曲目ドライブマイカーであったことは間違いない。
作品の出だしは、女性ドライバー論であったが、家福という男が修理を終えた彼の車サーブ900に女性の運転手”渡利みさき”を雇うというところから話が始まった。




家福は美しい女優の妻と結婚し20年連れ添い、子宮癌で妻を亡くした五十過ぎの俳優である。

自動車整備会社の大場が保証したとおり、渡利みさきは優秀なドライバーだった。ギア・チェンジもアクセルやブレーキの踏み方もやわらかく注意深かった。

家福は助手席に座っている時この席に座っていた亡くなった妻のことをよく考えるようになった。

家福夫妻のは子供がいなかった、20年連れ添う妻と、1210万キロ以上を走ったサーブ900は、ともに家福の愛すべき持ち物であるという点では同列である。まるで自らの一部であるかのように愛したのかもしれない。

Baby, you can drive my car Yes, I'm gonna be a star 
Baby, you can drive my car And maybe I'll love you
Beep, beep, beep, beep, yeah
 
drive my carは当時のスラングでSEXをするという意味もある。

そして口数少ないが痛みを負った人間の暖かさを持つ現在の愛車の運転手みさきに少しずつに自分の心情を吐露していく。

家福は妻を愛していて、他の女性と寝る機会もなくはなかったが、結婚して一度も妻以外の女と寝たことがなかった。しかし、妻は時折彼以外の男と寝ていた。
知る限りでは4人、映画などで共演した年下の俳優と映画の撮影の間関係を持っていたらしい。

家福は自分は感がいい方なので妻が浮気するとすぐに分かったという・・・

私ごとで恐縮ですが、私は結婚して23年の妻がいます。残念ながら私は家内とSEXの相性は良くなく、出来る限りSEXは家庭に持ち込まないようにしています。結婚する前からSEXの相性が悪いのはわかっていましたが、それ以外が気に入って結婚生活をおくっています。私の一番の親友は私の妻かと思います。ただし、親友にも打ち明けられない幾つか秘密はあるかもしれません。(笑)

妻以外の女性と寝ない男の信条など到底私には理解できない。私は家福の配偶者観について理解できない反面羨ましいと思う。自分の妻で満足できるなんて、なんて羨ましい。もし、20年も自分の妻で満たされるなら、高い金を払いジムに通う必要などない。毎晩の床運動で事足りてしまうだろう。

男性の基本的生理機能を考えれば、より多くの女性に自分の種をまき散らしたいという考えを持つことがむしろ自然である。20年も他の女性と寝ない家福氏の心は私から言わせれば不健康である

結婚して3年も過ぎれば、どんなにSEXの相性がよく、素晴らしいSEXができたとしても、最初の新鮮さはすぐに消え、恋愛につきものの緊張感は消えてしまうものです。女性という生き物も、類人猿だった頃から自分の子供が3歳になるまでは、食料の確保をパートナーに依存する為、パートナーを愛し続けることができます。しかしながら、厳しい生存環境では、子孫に多様性を持った方が、子供の生存確率が高くなる生物学的理由から、次のパートナーの種を宿そうとする。女性も3年以上は愛情を持続する率が下がってくるのは当然である。3年目の浮気とはよく言ったものである。

女性は生物学的により生存率が高い男性の種を求めかつ、多様性を求めているというのが、自然な考え方であろう。妻は密かに夫を裏切る・・・村上春樹のこの短編集のテーマである。

話はドライブマイカーに戻るが、妻が裏切れば、妻一筋の家福が心にちょっとした闇を抱えてしまうのはある程度必然といえよう。

家福は自分が妻一筋で愛しているのに、何故他の男と寝るのか理解できないようだった。そして苦悩し、その理由を知りたくなったようだ。家福は頭が悪いのかと私は思うが、作品はそんな下品な言葉は使わない。

家福は妻との浮気に気づいていたが家庭では気づいていないふりを演じ続けていた。ところが、妻は子宮癌で倒れ入院し、短い入院生活で旅立ってしまった。激しい苦痛に苛まれる末期癌患者に浮気のことを問い詰めることなどできなかった。亡った後で、家福は何故妻は浮気したのか、自分には何が足りないのか懊悩(おうのう)し、答えを求め行動に出た。

妻の最後の恋人だった二枚目俳優・高槻に近づき、高槻と友人を演技じ、酒を飲みながら、その答えを探そうとする。自分には妻を満たせず、高槻が満たせたものとは何か、家福は煩悶(はんもん)する。わたしはその行動自体がサイコパスであると思う。

浮気相手への罰として近づいたのなら理解できるが、妻を愛しているからの行動ではなく、自分のプライドとはいえ、いかに自分の欠落した部分を確認するために、自分の亡き妻の元恋人と会って話をしたいというのは普通の神経ではない。

しかし、高槻もどうかしている。たとえ、元恋人の旦那が自分との関係を知らないと確信していたとしても、自分の恋人の旦那と酒を飲むなど普通の神経ではない。普通は、いくら「妻のことが話せる話相手が欲しいだけなんです」と誘われても予定があると断るであろう。ある意味で高槻もサイコな性格なのかもしれない。もしかしたら家福の妻はサイコな性格の男が好みだったのかもしれない・・・(笑)。

男は自分の子供は生物学的に自分の子供であるか常に疑うことがある。自分の遺伝子を持たないのに扶養することは負担である。結婚するのは処女であることを求め、妻に貞操を求めるのは、自分の遺伝子を確実に残したいと言う遺伝子学的な本能である。

でも、子供のいない家福にとってそのことは大して重要なことではない・・・

村上春樹は男の自尊心について考察したのであろう・・・

p50-55
「本当に素敵な女性でした」と高槻はテーブルの卜に置いた両手を見ながら言った。中年期を迎えた男にしては美しい手だい目たった皺もなく、爪の手入れも怠りない。

「ああいう人と一緒になれて、生活を共にできて、家福さんはきっと幸福だったんでしょうね」
「そうだね」と家福は言った。「あなたの言うとおりだ。たぶん幸福だったのだと思う。でも幸福であるぶん、それだけ気持ちがつらくなることもあった」

「たとえばどんなことですか?」

家福はオン・ザーロックのグラスを持ち上げ、大きな氷をぐるりと回した。「彼女をいつか失ってしまうかもしれない。そのことを想像すると、それだけで胸が痛んだ」

「僕にもその気持ちはよくわかります」と高槻は言った。

「どんな風に?」

「つまり……」と高槻は言って、正しい言葉を探した。「彼女のような素敵な人を失うことについてです」

「一般論として?」

「そうですね」と高槻は言った。そして自分自身を納得させるように何度か肯いた。「あくまで想像するしがないことですが」

家福はしばらく沈黙を守っていた。できるだけ長く、ぎりぎりまでそれを引き延ばした。それから言った。
でも結局のところ、僕は彼女を失ってしまった。生きているうちから少しずつ失い続け、最終的にすべてなくしてしまった。浸食によってなくし続けたものを、最後に人波に根こそぎ持って行かれるみたいに……。僕の言ってる意味はわかるかな?」

「わかると思います」

いや、おまえにはそんなことはわからないよ、と家福は心の中で思った。
「僕にとって何よりつらいのは」と家福は言った。「僕が彼女を――少なくともそのおそらくは大事な一部を――本当には理解できていなかったということなんだ。そして彼女が死んでしまった今、おそらくそれは永遠に理解されないままに終わってしまうだろう。深い海の底に沈められた小さな堅い金庫みたいに。そのことを思うと胸が締めつけられる」

高槻はそれについてしばし考えていた。そして口を開いた。
「しかし、家福さん、誰かのことをすべて理解するなんてことが、僕らに果たしてできるんでしょうか? たとえその人を深く愛しているにせよ

家福は言った。「僕らは二十年近く生活を共にしていたし、親密な夫婦であると同時に、信頼しあえる友だちであると思っていた。お互い何もかも正直に語り合っていると。少なくとも僕はそう思っていた。でも本当はそうじゃなかったのかもしれない。何と言えばいいんだろう……僕には致命的な盲点のようなものがあったのかもしれない」

「盲点」と高槻は言った。

「僕は彼女の中にある、何か大事なものを見落としていたのかもしれない。いや、目で見てはいても、実際にはそれが見えていなかったのかもしれない」
高槻はしばらく唇を噛んでいた。それから残っていた酒を飲み干し、バーテンダーにお代わりを頼んだ。

「その気持ちはわかります」と高槻は言った。

家福はじっと高槻の目を見た。高槻はしばらくその視線を受けていたが、やがて目を逸らせた。

「わかるって、どんな風に?」と家福は静かに尋ねた。
バーテンダーがオンーザーロックのお代わりをもってやって来て、湿って膨んだ紙のコースターを新しいものに取り替えた。そのあいだ二人は沈黙を守っていた。
「わかるって、どんな風に?」、バーテンダーが去ると、家福は再度尋ねた。

高槻は思いを巡らせていた。彼の目の中で何かが小さく揺れた。この男は迷っているのだ、家福はそう推測した。ここで何かを打ち明けてしまいたいという気持ちと激しく争っているのだ。しかし結局、彼はその揺れを自分の内でなんとか鎮めた。そして言った。
女の人が何を考えているか、僕らにそっくりわかるなんてことはまずないんじゃないでしょうか。僕が言いたいのはそういうことです。相手がたとえどんな女性であってもです。だからそれは家福さん固有の盲点であるとか、そういうんじゃないような気がします。もしそれが盲点だとしたら、僕らはみんな同じような盲点を抱えて生きているんです。だからあまりそんな風に自分を責めない方がいいように思います」

家福は彼の言ったことについてしばらく考えた。そして言った。「でもそれはあくまで一般論だ」

「そのとおりです」と高槻は認めた。

「僕は今、死んだ妻と僕との話をしているんだ。それほど簡単に一般論にしてもらいたくないな」

かなり長いあいだ高槻は黙っていた。それから言った。
「僕の知る限り、家福さんの奥さんは本当に素敵な女性でした。もちろん僕が知っていることなんて、家福さんが彼女について知っていることの百分の一にも及ばないと思いますが、それでも僕は確信をもってそう思います。そんな素敵な人と二十年も一緒に暮らせたことを、家福さんは何はともあれ感謝しなくちゃいけない。僕は心からそう考えます。でもどれだけ理解し合っているはずの相手てあれ、どれだけ愛している相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。そんなことを求めても、自分がつらくなるだけです。しかしそれが自分自身の心であれば、努力さえすれば、努力しただけしっかり覗き込むことはできるはずです。ですから結局のところ僕らがやらなくちゃならないのは、自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか。本当に他人を見たいと望むのなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです。僕はそう思います」

高槻という人間の中にあるどこか深い特別な場所から、それらの言葉は浮かび出てきたようだった。ほんの僅かなあいだかもしれないが、その隠された扉が開いたのだ。彼の言葉は曇りのない、心からのものとして響いた。少なくともそれが演技でないことは明らかだった。それはどの演技ができる男ではない。家福は何も言わず、相手の目を覗き込んだ。高槻も今度は目を逸らさなかった。二人は長いあいだ相手の目をまっすぐ見つめていた。そしてお互いの瞳の中に、遠く離れた恒星のような輝きを認めあった。
これ以降、家福は高槻に一切会うのをやめる。高槻から誘いがあっても無視する。
つまり、高槻は妻の浮気相手として申し分ない相手だとある程度認め、浮気の理由の一部を理解しようとした。

だが、男である家福は妻の浮気の理由が理解できないままでいた。

p60-62
「しかし奥さんがどうしてその人とセックスをしたのか、どうしてその人でなくてはならなかったか、家福さんにはそれがまだっかめないんですね?」

「ああ、 つかめていないと思う。そいつはまだ僕の中に疑問符つきで残っている。その男は裏のない、感じの良いやつたった。うちの奥さんのことが本気で好きだったらしい。単なる遊びで彼女と寝ていたわけじゃなかった。彼女が死んだことで、心からショックを受けていた。死ぬ前に見舞いに来ようとして断られたことも傷になって残っていた。僕は彼に好意を感じないわけにはいかなかったし、本当に友だちになってもいいと思ったくらいだった」

家福はそこで話しやめ、心の流れを辿った。少しでも事実に近い言葉を探した。
「でも、はっきり言ってたいしたやつじゃないんだ。性格は良いかもしれない。ハンサムだし、笑顔も素敵だ。そして少なくとも調子の良い人間ではなかった。でも敬意を抱きたくなるような人間ではない。正直だが奥行きに欠ける。弱みを抱え、俳優としても二流だった。それに対して僕の奥さんは意志が強く、底の深い女性だった。時間をかけてゆっくり静かにものを考えることのできる人たった。なのになぜそんななんでもない男に心を惹かれ、抱かれなくてはならなかったのか、そのことが今でも棘のように心に刺さっている」

「それはある意味では、家福さん自身に向けられた侮辱のようにさえ感じられる。そういうことですか?」

家福は少し考え、正直に認めた。「そういうことかもしれない」

「奥さんはその人に、心なんて惹かれていなかったんじゃないですか」とみさきはとても簡潔に言った。「だから寝たんです」

家福は遠い風景を見るみたいに、みさきの横顔をただ眺めていた。彼女は何度かワイパーを素速く動かして、フロントグラスについた水滴を取った。新しくなった一対のブレードが、不服を言い立てる双子のように硬く軋んだ音を立てた。
「女の人にはそういうところがあるんです」とみさきは付け加えた。

言葉は浮かんでこなかった。だから家相は沈黙を守った。

「そういうのって、病のようなものなんです、家福さん。考えてどうなるものでもありません。私の父が私たちを捨てていったのも、母親が私をとことん痛めつけたのも、みんな病がやったことです。頭で考えても仕方ありません。 こちらでやりくりして、呑み込んで、ただやっていくしかないんです」

「そして僕らはみんな演技をする」と家福は言った。

「そういうことだと思います。多かれ少なかれ」
やはり同性であるみさきには、その理由は明白なものであった。

結局のところ・・・・女は男にとって永遠の謎かもしれない。



ここからは、勝手にその後日談を想像するのだが・・・
渡利みさきは家福にとってかけがいのない存在になっていく・・・
彼の愛するサーブ900の運転手としてそして、年老いて友人も妻もいない男の私生活の運転手になることであろう・・・・
最後のセンテンス
P62-63
 少し眠ろうと家福は思った。ひとしきり深く眠って、目覚める。十分か十五分、そんなものだ。そしてまた舞台に立って演技をする。照明を浴び、決められた台詞を口にする。拍手を受け、幕が下りる。いったん自己を離れ、また自己に戻る。しかし戻ったところは正確には前と同じ場所ではない。
「少し眠るよ」と家福は言った。
みさきは返事をしなかった。そのまま黙って運転を続けた。家福はその沈黙に感謝した。
・・・・を読むとそうなったかもしれないと想像したい。


村上春樹氏:小説に「屈辱的表現」 町議ら文春に質問状へ - 毎日新聞
この話にはとんだクレームがついた。運転手である渡利みさきは北海道中頓別(なかとんべつ)町出身という設定であった。渡利みさきが、たばこのポイ捨てを行ったが「普通のこと」と春樹氏が表現してしまい、事実に反するとして、同町議らが文芸春秋に真意を尋ねる質問状を近く送ることを決めた。

「町の9割が森林で防火意識が高く、車からのたばこのポイ捨てが『普通』というのはありえない」「町にとって屈辱的な内容。見過ごせない」としている。
村上春樹VS頓別町参照
 作家の村上春樹氏が7日、自身の短編小説『ドライブ・マイ・カー』で、 北海道中頓別町に関して 
事実に反する表現があるとして、町議らが批判を明かしたことを受け、  文藝春秋を通じてFAXで見解を発表した。 

問題とされたのは、同町出身の女性ドライバーが、火のついたたばこを車から外に捨てる描写で、 主人公が「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていること」なのだろう」と表現されていた。                  
町議らは「投げ捨てを普通にやることはあり得ない」などとして、文藝春秋に対応を求めていた。 

村上氏は、「僕は北海道という土地が好きで、これまでに何度も訪れています。小説の舞台としても 何度か使わせていただきましたし、サロマ湖ウルトラ・マラソンも走りました。ですから僕としてはあくまでも 親近感をもって今回の小説を書いたつもりなのですが、その結果として、そこに住んでおられる人々を 不快な気持ちにさせたとしたら、それは僕にとってまことに心苦しいことであり、残念なことです」と釈明。 

さらに、「中頓別町という名前の響きが昔から好きで、今回小説の中で使わせていただいたのですが、これ以上の御迷惑をかけないよう、単行本にするときには別の名前に変えたいと思っています」と今後の町名の変更を示唆している。 

また、掲載元の文藝春秋は、同町からの質問状がまだ届いていないとし、「『ドライブ・マイ・カー』は 小説作品であり、文藝春秋は作者の表現を尊重し支持します」とコメントしている。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140207-00000321-oric-ent 

 http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1391770572/

中頓別町はずいぶんもったいないことをした。中頓別町を世界の村上春樹が宣伝してくれたのに・・・

村上春樹の小説では、「羊をめぐる冒険」で中頓別町に近い美深町がモデルの「十二滝町」が舞台となった。「ダンス・ダンス・ダンス」「ノルウェイの森」などでも札幌や旭川といった北海道の街が、エッセーで湧別町、佐呂間町などで開かれたマラソン大会への出場について言及しており、世界中から村上春樹の巡礼で北海道を訪ねてくるハルキスト達が100年経っても来るかもしれないのに、純朴な町議会議員達は無知なのか、純朴すぎるのかもしれないが、とてももったいないような気がします。