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目次

まえがき  1
INTRODUCTION 地震学者がいる組織  13

第1章 3・11が地震学者にもたらしたもの 23                     
「間違いを犯してしまった」 なぜ3・11を予測できなかったのか 地震学者の「  反省」 地震学者の総本山 「地物」と「地質」 微妙な壁の高さ 「岡村さん、  ごめんなさい」 工学と地震学 「宗教が違う」 津波研究者 反省から学ぶこ  と

第2章 地震学者と「予知」 67                                
「予知は困難と認めよう」 「予知」と「予測」の違い 地震学者と予知研究 東  海地震の「問題点」 地震知事の活躍 地震学者に与えられた強権 「予知は  難しい」予知にナマズ? 大震法の見直し 調査に見える地震学者の本音
「等身大」をキーワードに 始まった「予知外し」 名を捨てて身を守る 進む「  予知離れ」 予知学者たち

第3章 原発と地震学者 119                                 
反省か、言い訳か 食い下がる電力会社 新説まで飛び出す 原発推進派   の主張ものわかりのいい研究者になるな 立川断層はなぜに見誤ったのか

第4章 過去の記録は将来の予言である 155                      
あの「予知」はどこまで信用できる? 地震予測は天気予報とは違う 「劇薬」  予測 古文書から地震研究 過去の災害報道はどう読むか

第5章 起こるべき地震に備えて 181                             
地震村の村長 被害想定づくりの苦労 確実に起きる地震 首都直下地震の  切迫度
首都直下地震の被害想定 まだまだある想定される地震
首都直下地震が起こったら 被害想定はこうすれば減らせる

第9章 次代を担う地震学者たち 215                           
地震学があえぐ三重苦 地震研のエキスパートたち 「100点を狙わなくてい  いが、O点はいけない」 「日本沈没」と地震学者 震災ショックからの立ち直  り 地震予算

あとがき  250

1973年高度経済成長が終焉を迎え、狂乱物価とも言われたインフレーション、オイルショックなどの社会不安、関東大震災から50年という節目でもあり、1970年の日本万国博覧会に代表される薔薇色の未来ブームへのアンチテーゼとして小松左京氏の小説と映画「日本沈没」は登場した。

「日本沈没」は日本人にプレートテクトニクス理論とかフォッサマグナ (Fossa Magna)など地質学の基礎的な知識や日本がいかに地震大国であり大規模地震災害へのリスクが喚起されるきっかけともなった。

「日本沈没」の衝撃の余韻の最中1976年に東京大学の理学博士だった石橋克彦氏によって「駿河湾地震説」が提唱され、地震学者の多くが東海地震の発生の可能性を強く主張した。 1978年には「大規模地震対策特別措置法」が制定され、その中で静岡県下を中心とした「地震防災対策強化地域」が設定され、体積歪計やGPSなどの観測機器を集中して設置することで、世界でも例を見ない警戒宣言を軸とした「短期直前予知を前提とした地震対策」がとられることになった。

東海地震は明日起きてもおかしくはないと言われ、当時高校生だった私は東京の大学に進学するか否か、少し躊躇したものでした。

ところがあれから40年弱・・・東海地震は起きず、まったく予想されていなかった阪神淡路大震災、東日本大震災を日本人は経験した。

東海地震は起きず、3.11や阪神淡路大地震を予測できなかった日本の地震学者達は本書によれば「地震予知」は不可能だと 地震 自信を喪失しているというのだ。

P24-27
「間違いを犯してしまった」

(略)
東日本大震災から7ヵ月後の2011年10月15日。
静岡大学のホールで日本地震学会の特別シンポジウム「地震学の今を問う」が聞かれヽ地震学者ら約500人が集まった。
(略)
「地震学研究者が社会に対して果たしてきた貢献がはなはだ不十分であったと言わざるを得ません。地震研究の何かいけなかったのでしょうか」
とうたわれ、「地震学者の反省会」として注目された。全国から取材のためにメディアが殺到し、会場にはテレビカメラの放列が並んだ。

演壇に立つた東北大学教授の松浮暢は、「松澤が流してしまった『誤報』」と書いたパワーポイントを投影しながら言った。

「間違いを犯してしまった」
スクリーンには「運動型 危険性低下か」との見出しがついと新聞記事の切り抜きがあしらわれていた。宮城県の沖合け、ユーラシアプレートに太平洋プレートが沈み込む地震の巣で、三十数年から四十年前後の間隔で大地震が繰り返されてきた。
最後に起きたのが1978年であることから、遠くない将来に次の地震が来ると指摘されており、関心が高かった。

記事は2011年3月10日付。その前日に三陸沖で発生したマグニチュード(M)7・3の地震のことを伝え、その中では松澤の見方も紹介している。

予測した場所で一定規模の地震が起きたから、近い将来に起きると想定されている宮城県沖の大地震は可能性が低くなった……。

ところが翌日、M9の巨大地震が起きた。
松澤は、「大地震の可能性が低くなった」という見解を示したことに頭を下げた。
さらに、できると思っていた地震予測ができなかったことを、地震学者全体の失敗として総括したのだった。

東日本大震災が起きた時、松澤は仙台市にある東北大の研究室にいた。
大きな揺れで本棚から専門書やファイルが滝のように落ちてきた。想定していた宮城県沖地震が起きたと思ったが、繰り返す大きな揺れに「これはおかしい」と感じた。
しかし、停電でパソコンが使えない。
どんな地震かを知るのに必要な地震の発生地や規模などの情報が得られない。
地震の解説のために出演を求められた地元のテレビ局に行き、パソコンを使わせてもらった。
インターネットに接続し、世界の地震情報をいち早く速報する、米地質調査所のサイトを表示させた。
そこには、宮城県の沖合のM9の本震の震源と、岩手沖から茨城沖まで広がる、数多くの余震の震源位置を示す印加表示されていた。
地震は、ある一つの点ではなく、広がりを待った領域で起きる。その領域が地下の断層にあたる震源として示される点は、地震が起き始めた場所であり、地震を起こした領域は全体で震源域と呼ばれる。
大きな地震の後に続く余震は、本震を起こした領域やその周辺で起きる。余震が起きる場所がどれだけ広い地域に及んでいるかは、本震の震源域の大きさ、つまり規模の大きさを示している。
テレビ局で松澤が目にした岩手沖から茨城沖までの震源域は、南北500キロにも及んでいた。
宮城県沖だけにとどまらない。想定を超える広がりだ。これまでの地震学者たちが観測や研究では考えたことのない規模たった。

松澤は、これまで積み上げてきた理論が、カラカラと崩れていく気がした。

なぜ3・11を予測できなかったのか

地震学者たちは、なぜM9という地震を予測できなかったのか。
筆者が取材した何人もの学者は、異口同音に、
「地震発生の仕組みを、単純化しすぎて考えていた」と指摘した。
地球で観測された地震で最も大きいのは、1960年に起きたチリ沖地震のM9・5.これを含めて、東日本大震災以前に、M9以上の地震は4回観測されている。
インド洋犬津波を起こし、22万人以上が犠牲となった2004年のスマトラ島沖地震(M9・1)は記憶に新しい。
これらの地震は、いずれも海側のプレートが陸側のプレートに沈み込む場所でおきる「海溝型地震」と呼ばれるタイプだ。

p34-38
地震学者の「反省」

静岡大学での議論から半年後、発表内容や、新たに会員から意見を集め、日本地震学会は「地震学の今を問う」という報告書をまとめた。
「日本地震学会再生の第一歩」としたこの報告書の中で、会員から集めた東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)を想定できなかったことに対する意見を整理している。

主な意見は6つあった。

 ① 経験科学としての限界

地震の理論も多くは経験則を一般化したもので、実際に起こった地震以上のことは検証できず科学的根拠をもって予測するのは困難。経験不足だった。
地震は地下で起きる大規模な現象で、化学のように実験室で同じ現象を起こし、理論が正しいか否かを確認することができない。野外で穴を掘ってダイナマイトをしかけて人工地震を起こしても、規模は微々たるものだし、実験室で地殻に見立てた岩石を割る様子を調べても、実際に起きる地震とはスケールが違い過ぎる。
結局のところ、地震や地殻変動の観測を続け、発生したことを説明する理論を作り出すことが主流となってしまう。

 ② 観測データの問題

観測網は陸地が中心で海底のことは十分にわかっておらず、宮城県沖に莫大なエネルギーが蓄積しており、当時のデータで東日本大震災の予測は可能だったと思われるが、その理論を構築しても説得力に欠けていた。
阪神大震災以降、全国の至るところに地震計が設置され、全地球測位システム(GPS)による地殻変動の観測網も発達してデータ量が豊富になっていた。だが、観測網は陸地が中心で、海域のことがよくわかっていないことに気が回らなくなっていた。
地震の後になれば理論を作って説明できることも、地震前には予測できない、という定式化した失敗加東日本人震災でも繰り返された。

 ③ 震源で起きることの理解不足

予測理論は未成熟で、地震が起きる過程を理解するのに重要々力学がよくわかっていない。地震は地下深くで起こり、地表に現れる断層は、結果の一部でしかなく、地震が起きたとき何か起きているか、地震発生現場で観測することは困難だ。

 ④ 既存の理論が正しいとの思い込み 

「東北沖ではM8クラスの地震が最大で、M9クラスは発生しない」という思い込みに支配されてしまい、学者たちが思考停止していた。2004年のスマトラ島沖地震で判明した成果を生かせなかった。

 ⑤ 地球科学一般の知識不足、専門の細分化の弊害

地震学者は近代の計測を重視して他分野の研究への関心が低く、解析結果から導き出した理論を他分野のデータにつき合わせて検証していなかった。

各分野の専門家が集まった場でも、それぞれ第一人者が参加しているため、互いが示すデータは正しいものとして考えており、相互理解が不十分だった。

 ⑥ 研究計画の問題

短期間で評価を求められる体制で、鋭気ある若手の研究者が困難な研究課題に取り組むことが阻害され、自由な発想にもとづく研究ができなくなっている。
研究の質よりも論文数が重視されている。
短期的なデータでは検証できない、長い年月をかけて繰り返される超巨人地震のような研究がおろそかになった。

近年、財政状況が厳しくなり、研究の分野でも「選択と集中」という名のもとに、目先で役立つ研究が重視され、それに伴い研究機関も短期間に成果を出さないと組織の存在が危うくなる、という悪循環がある。

さらには、研究者を評価する制度が広がったこともあり、だれもが目先の成果を追い求めるようになっている。研究業績は書いた論文で評価される。論文という実績に結びつかない地道な観測は、大学や研究所、研究者としての自分の立場を考えると、積極的に取り組みにくい状況になっている。

東北大学の松澤もこの「地震学の今を問う」で、M9を想定するために欠けていたことをまとめている。

海溝近くで大きな地震か起きるわけがないと思い込み、海溝近くの観測が技術的に困難であることから十分な観測をしてこなかったこと。

巨大な津波があったことがわかった869年の 貞観地震(後述)のことも、2010年ごろに
はかなりわかってきたが、データ不足から社会に危険性を呼びかけるのに慎重になってしまった。
研究者の姿勢として、海溝で起きる地震の全体像を把握するためには、もっと長期間のデータが必要であると認識しつつも、結論を急ぎすぎてしまった――。
松澤は震災後、講演のたびに、この見解を示してしまったこと、できると思っていた地震予測ができないことをわびた。

前者は自身の、後者は地震学者コミュニテイ全体の失敗だ。

しかし、反省を繰り返した松澤の姿勢を、苦々しく思う学者もいる。
地震学者は地震のメカ丹スムや影響を探究するのが専門のはず。なのに、防災にどれだけの責任を負うべきなのか。さらに、地震の予測が外れたとき、社会から糾弾されなければいけないのか――。

物理学者や数学者が、理論が間違っていたから従前のそれを撤回したとしても、学問的に教科書を見直すような大きな誤りでなければ学界内の騒ぎにとどまり、大きく報道されることはないだろう。それだけに、地震学者の中には、 「なぜ学問で真理の探究をしている自分たちが社会から責められなければいけないのか。税金を使って研究をしていると言っても、物理だって数学だって同じだ」という思いもある。

そのような研究者を多く見てきたある学者は、「若手の学者のほうが閉鎖的で、研究費をもらえるのが当然の権利と思って、地震そのものだけでなく、なぜ防災をやらなきゃいけないのかと考えているように思える」と指摘する。特に東日本大震災以降、地震学者の一人として批判されることに対する不満もあるようだ。
だが、松澤はこう反論する。
「学者全員が謝る必要はない。でも『反省しすぎ』と批判するのは学者の思い上がりだ」 天文学や恐竜の研究とは違って、地震学は、医学や上本、建築、原子力工学ほどではなくても、社会への影響か大きい。
そうした学問を選び、そして生活に密接する「災害」に結びつく研究をしている以上、それから目を背け、「私は純粋な真理探究のみをしており、防災とは関係ありません」というわけにはいかないだろう。
少なくとも地震学を学ぶ理学部ではなく、東京大学の地震研究所(後述)や、京都大学の防災研究所などのように、災害からの被害を減らすことを大きな目的とする研究機関に在籍している者であるならば、なおさらだ。
日本では地震学者の目標としても、社会的な要求としても、「地震予知がいつの日にかは予測できるのではないか」と信じられてきた。地震予知ができれば、多くの人命を救うことができ、社会資本の喪失も最低限で済むと信じられてきた。

 現在の東海地震に備え地震予知連絡会なるものも存在し、プレート・テクトニクス理論によって地震の発生を明快に説明してきた。東海地震の予知を前提とした大震法の制定以降、一般に、自然科学では、自然現象を説明できるモデルができれば、そのモデルに基づいて、その現象についての予測・予知ができると考えてきた。当然地震もそうだと思われてきた。

大震法の対象である東海地震と、対象外の地震の区別はつきにくい。切迫している東海地震でお金をかけて予知できるようにしているから、その他の地震もお金をかけて観測網を整備すれば予知できる、というのは当然の考え方である。

ところが1999年、Nature誌は、「地震予知は可能か」についてホームページ上で公開討論会を行なった。賛否両論が噴出したそうだが、7週間にわたる討論の末に出た結論は、「一般の人が期待するような地震予知はほとんど不可能であり、本気で科学として研究するには値しない」というもの。現在では、この結論が世界の科学者の常識となっているようだ。

 日本では地震発生が社会に与える影響が大きい分、地震学者に対する社会の期待は大きかった。地震学者たちも、期待に応えられると思っていたが、2011年3月11日の東日本大震災について、予知どころか予測すら出されていなかった。

日本の地震学、改革の時                           【Nature】 472, 407–409 (2011年4月28日号) 

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この地図で最も危険だと評価されているのが、東海、東南海、南海という3つの地域の「シナリオ地震」である。しかし現実には、1979年以降、10人以上の死者を出した地震は、この確率論的地震動予測地図において、比較的リスクが低いとされてきた場所で発生している。この矛盾からだけでも、確率論的地震動予測地図およびその作成に用いられた方法論に欠陥があること、したがって破棄すべきであることが強く示唆される。またこれは、昨今の一連の固有地震モデル(およびその類型である地震空白モデル)に対しても否定的な結果2-4を示しており、確率論的地震動予測地図を作る際に仮定した物理モデルが、本来の地震発生の物理的過程と根本的に異なる誤ったものであることを示唆している。

過去100年間で、沈み込み帯におけるマグニチュード9以上の地震は5回発生している(1952年カムチャッカ、1960年チリ、1964年アラスカ、2004年スマトラ沖、2011年東北)。この事実は、沈み込み帯の地震の最大規模は、その地質学的条件にあまり依存しないことを示唆している5。これまでも大津波は東北地方の太平洋沿岸を頻繁に襲ってきた。1896年の明治三陸津波は最大38mにも達し、2万2000人以上の死者を出した。また869年の貞観津波の高さは、記録によると、今回の3月11日に発生した津波にほぼ匹敵するものとされている。

もし、世界の地震活動度と東北地方の歴史記録が、地震の危険性を見積もるときに考慮されていれば、もちろん時間・震源・マグニチュードを特定するのは無理としても、3月11日の東北地震は一般には容易に「想定」できたはずである。とりわけ、1896年に起きた明治三陸津波はよく認知されており、かつ記録もなされているので、こうした地震への対策は、福島原子力発電所の設計段階で検討することは可能であったし、当然そうすべきであった。


多くの予算が「予知」の幻想とともに投入されたのは事実であろう。そして、大地震は、駿河トラフでも南海トラフでもない、また活断層として危険視されてきた場所でもないところばかりで起きた。すなわち、「大地震はいつどこで起きるかわからない」ということが、現在の正しい言い方であろう。しかし、それは結果論にすぎない。

残念ながら日本政府は、このようなマグニチュード9クラスの地震が東北地方を襲う危険を予知することができなかった。だが、もし歴史的記録がもっとよく揃っていたなら、データ間の矛盾を見逃さなかったなら、大震災の危険性を十分警戒することができたかもしれない。

p72-73
 地震学者というと、イコール「予知」と連想する読者は多いはずだ。しかし、そうした世間一般のイメージと、現在の地震学者が取り組んでいる研究内容は遠く離れているのが実情である。
確かに地震予知をめぐっては、がっては、「もうすぐ地震予知ができるだろう」と思われていたが、研究が進むほど難しさがわかってきた。それだけに、地震学者の研究対象は、地震予知を直接的にめざすことからは離れ、地震の仕組みを解き明かすという基礎的な研究に向かう。
その地震研究でわかったことを基に、将来起きる恐れがある地震像を描いたり、緊急地震速報や津波警報を早く正確に出したりすることで被害を減らすことに役立てようとする研究が行われてきた。しいて言えば、「将来、地震予知に役立つ可能性がある」とは言えるが、多くの地震学者はその将来が「近い」とは考えていない。
予知と地震学者との距離は、時間経過とともに広がっており、日本の地震学者を語る場合、それはそのまま、地震予知研究の歴史とも重なってくる。


「予知」と「予測」の違い

地震の「予知」と「予測」はどう違うのか。
一般的に「予知」は地震の直前、長くとも数日前に発生を予測することで「短期予知」「直前予知」とも言われる。
「予測」は、数ヵ月以上にの期間で地震が起きる可能性を確率で示すもので、期間の長さで「中期予測」や「長期予測」とも言われる。
しばしば報道にも登場する、 「南関東でマグニチュード(M)7程度の直下型地震が30年以内に起きる確率は70パーセント」 「富士川河目0 層帯でM8・Oの地震が50年以内に起きる確率は最大30パーセント」 などは、長期予測にあたる。

長期予測は、文部科学省の地震調査研究推進本部(地震本部)が日本近海での海溝型地震や内陸の主要な活断層について、地震が起きると考えられる場所、起きそうな地震の規模、30年率50年以内に地震が起きる確率を推計して発表している。
東日本大震災後の2011年5月6日夜、当時首相の菅直人が浜岡原発の運転停止を中部電力に要請したことを発表したとき、その理由としたのが、 「東海地震が30年以内に起きる確率は87パーセント」 という、地震本部による東海地震の長期予測だった。一般に地震予知は、
「いつ (時)」
「どこで (場所)」
「どのくらいの(規模)」
地震かという3要素を、精度高く予測することが必要だが、長期予測の場合「いつ」が、「30年以内に20パーセント」など確率で表現される。
政府の地震調査委員会は、M7クラスの首都直下型地震が発生する確率について、「今後30年以内に70%」と、高い数値の予測を出しているがこれは予測であって予知ではない・・・!30年以内に来なければ残り30%でいくらでも言い訳が効くのだが、
p161
劇薬、と呼ばれた地震予測の記事がある。

「首都直下型 4年以内70% 地震活発切迫度増す M7級 東大地震研試算」
2012年1月23日、読売新聞か上面で報じ、あまりの反響に各社加後追い報道をした。
地震調査研究推進本部は、首都直下を含む南関東でM7級の地震が起きる確率を「30年以内に70%」としているだけに、まったく違う予測手法で、大きな意味は持たない予測だが、それにしてもその数字の大きさは衝撃的だった。
これは予測記事であって、一般人の私にとっては地震予知情報と捉えてしまった。

だが、予知と予測はまったく違う、目から鱗!まぎらわしいではないか!
予知がまったく不可能であれば予測もあてにならないのである。

本書は、地震予知はいかに不可能であるか延々書き綴っている。

p156-159
あの「予知」はどこまで信用できる?

 既に述べたように、専門家の知識を結集して、気象庁が24時間体制で異変が起きないか監視している東海地震ですら「予知は困難」という状況のもと、ネットや週刊誌に、時期を特定した民間の研究者による「地震予知」の情報が載ることがある。
 これらは、信頼できるものなのだろうか。
 在野の研究者も含めた一般からの「地震を予知した」といった情報は、気象庁や地震学者のもとにも届く。そうした情報に対して、気象庁や日本地震学会は見解を示している。

 気象庁による説明では、東海地震が予知に必要な科学的な観測や常時監視体制が整っている唯一の例であるとした上で、「それ以外の地震は直前予知ができるほど現在の科学技術は進んでいない」 と断言している。

 日本地震学会も同様の見解を示したうえで、 「阪神大震災のような、いわゆる直下型地震の予知はさらに困難です」と、Q&A形式で答えている。                                                         巷間で出されている地震予知情報に対して気象庁は、「日時と場所を特定した地震を予知する情報はデマと考えられます」 「地震言は科学的なメカニズムが説明できていない」と注意を促しているが、それでも地震予知に関する情報がネットや雑誌にしばしば登場する。

中には「当たった」という主張も少なくない。
 これには理由がある。
 日本は地震が多い国だから、ぼやかした「予知」をしていれば当たる確率が高いのだ。
 地震は日常的に起きているから、
 「動物の異常行動」
 「地震雲」
 「天気」
 こうしたお馴染みのキーワードで象徴されるようなことを観察していた結果、ちょっとした異常があったあとにも地震が起きる可能性は高い。すると、統計的に関連性が薄い、あるいは関連を意味づける理論的な裏づけが合理的でなくても、結果として「当たった」と主張できてしまう。

 例を示そう。
 2012年に日本では震度4以上の地震は81回、4日生にI回、起きた。
 震度―以上の地震だと3139回。これだと1日あたり8・6回起きている。
 体に感じない地震も含め、マグニチュード(M)3・O以上の地震だと1万204回もあり、M4・O以上の地震も1604回あった。
つまり、「明日、東北地方で地貢があります」と予知すれば、ほぼ確実に当たるっもっともらしく、何らかの観測データを示したうえで、時期や場所を絞り込んだ形で、
 「1週間以内に関東地方でM5の地震が起きる」
 とする予知であっても、内容を統計的に考えると、当たって当然の予知だ。さらに限定した形で、
 「5月10日からの1週間で、茨城県沖でM6の地震が起きる」
 と予知して、5月20日に千葉県沖でM5の地震が起きたら「規模や場所に誤差はあったが、ほぼ的中した」と主張するかも知れないっ千葉県や茨城県沖は地震が多い場所であるからランダムに予測しても地震が起きる可能性は高い。

 地震は、 マグニチュードは1違ったらエネルギーの規模は30倍も違うから、M6と予測してM5だったら「誤差」と言えるほどの小さな違いではないだろう。

  東日本大震災後、M9の南海トラフの巨大地震や首都直下地震のような大地震の被害想定が発表されることが多くなったが、これは「敵」である地震の大きさを仮定して防災対策を進めるため、「いずれ起きる可能性があるだろう」「ひょっとしたら、ここまで大きい地震があるかも知れない」という地震を想定しているだけで、急に地震学のレベルが高くなって、いろんなことがわかったということではない。
先にも述べたように、起きる時期を特定しておらず、いわゆる「地震予知」でもない。

 国や自治体が防災対策のために作る新しい想定で、従来にはなか゜だ大きな地震が想定されるのは、M9という想定外の地震が東北沖で起きたから、その延長で他の地域も考えようとしているに過ぎない。

 落とした皿が割れる例言言えば、ある皿が、これまでとは違って粉々になってしまったから、別の皿も粉々になる恐れがあると考えているような予測だ。
 ただ、何百枚に1枚ある不良品を事前に見つけ出すことはできず、たぶん、次に落とす皿は不良品である確率は非常に低いが、次の皿ではない、とも言いきれない。丹念に調べて、この皿が粉々になる皿だと思っても、実際に落としてみなければ結果はわからない。
私は不思議でならない、予知がまったく不可能なのはその方法が間違っているとは思わないのか???確かに週刊誌に×月×日○○沖M7.5地震と巷の地震予言も一度も当ったことがない。

筆者および地震学者の多くは間違った方法に固執し、在野の研究者の研究を頭から否定している。ここらへんが朝日新聞の編集委員をしているだけはあって、不愉快な上から目線である。

しかし、一人だけ半分認めている人がいる。東京大学名誉教授上田誠也氏だ。
p114-117
予知学者たち

社会が期待する地震の直前予知に挑戦している研究者は、どんな人々なのか。
従来の研究テーマから離れて、新しい研究に取り組み始めたとき、東京大学名誉教授の上田誠也は、米国在住の学者から言われた。

「アメリカでは、みんなセイヤはクレージーになったと言っているよ」
新テーマは、地中を流れる電流の観測から地震予知を目指す「VAN法」と呼ばれる研究だった。

東京大学地震研究所の看板教授の一人だった上田は東大の定年退官を前に、この研究に取り組み始めた。日本で取り組む学者はおらず、現在でも学界の関心が薄い傍流の研究であり、地震学者の中で有望視されているとは言い難い。日本の先輩研究者からも、
「晩節を汚すことになるぞ」
と言われたほどだ。
上田は、プレートテクトニクス、岩石磁気学、地球熟学の研究で世界的に知られる学者だ。地球のダイナミックな動きを読み解く岩波新書「新しい地球観」を3週間で書き上げたことがある。

東大紛争が一段落したころに起きた地震研紛争――教授か技官に暴力をふるったことをきっかけに起きた紛争で、研究所に出入りできなかったとき、多くの作家が愛用することで知られる東京・駿河台の山の上ホテルにこもって書いた。

研究の流れを追いながら地球のダイナミックな動きを読み解いた力作だ。1971年に出版されると、中高生を魅了し、翻訳されて海外でも読まれた。
「これを読んで地球科学の研究を志した」
という研究者も少なくない。上田が2011年に国際会議に出席のために滞在していたオーストラリアのメルボルンでも、たまたま訪れたレストランで仲間と酒を飲んでいたら、偶然居合わせた日本の女性研究者が上田を見つけ、「先生の本を読んで、研究者を志しました」と声をかけてきた。

そんな上田が新テーマに挑むきっかけになったのは、ギリシヤの学者が書いたいた論文だった。
国際的な学術雑誌の編集を任されていたとき、長く掲載されない論文を見つけた。それがVAN法との出会いだった。
「多くの偉い人たちが駄目だと言っていたが、エッセンスは悪くないと思い、掲載した」と、上田は振り返る。ギリシヤに実験を見に行った。粗末な汚い機器だったが、まともな物理実験であり、研究者も立派だと感激し、その真摯な姿勢にも感銘を受けた。
プレートテクトニクスは、大事な部分の研究が終わっていた。今までの名声に頻って暮らすのも悪くないが、直接、世の中の役に立つことをしてみようと思った。
「音楽と音響学が違うように、地震予知と地震学は違う」
と上田は考えている。それまで地震予知に取り組む日本の研究を見ていて、このやり方では地震の予知は困難だと考えていた。

東海大教授の長尾年恭は、東大地震研の上田研究室で博士課程を終えた。上田がVAN法に傾いていくのを間近に見ていた。金沢大の研究者になってテーマを選ぶとき、深海掘削にするか地震予知にするか二つの選択肢があった。
「深海掘削は通常の科学だから誰でもそれなりに成功する。せっかくの人生なのだからチャレンジングなことをやりたい。面白いテーマに賭けたかった」
上田が東海大に移ると、長尾も続き、2人で研究を続けてきた。国からの支援は乏しく、苦戦を強いられている。

2012年9月、大阪で地震予知研究国際フォーラムかあった。上田は、
「阪神大震災以降、基礎研究重視の美名のもと予知が敵前逃亡的に放棄されてきた」と力説した。長尾は、各国の電磁気的な地震予知研究を説明し、
「地震に先行する電磁気現象はある」
と研究の必要性を訴えた。ただ、聴衆は100人ほどだった。
さすがに大朝日新聞の編集員である。超上から目線・・・・なぜ朝日新聞の読者が激減しているかよくわかる!

20年後30年後まだ予知など無理かもしれない。でも、たとえ100年後でもいい、いつの日にか現在の地道な研究をすることで、予知ができるようになればいいと思うのだが・・・できない言い訳ほど聞いてて聞き苦しいものは無い。

前向きに地震予知を目指すことが無駄だと言う筆者黒沢より、疑似科学と揶揄されても地道に研究する研究者を応援したい。予知が無理だと主張する研究者に無駄な予算をつけるべきではない。

現在話題を集めかつ科学的(もしかしたら疑似科学)な地震予知のリンクです。
横浜地球物理学研究所】は正論ですが・・・・


2012年12月14日発売の写真週刊誌「FRIDAY」のインタビューで串田氏は、「琵琶湖周辺でマグニチュード7.8の直下型地震が起こる可能性がある」と予測し、FM電波の異変は「第4ステージ」を迎えたとしていた。しかし、琵琶湖周辺で大規模な地震は発生せず、地震発生予測は後ろ倒しになっていき、段階は「第5ステージ」「第6ステージ」とどこまでも続いている。
   また、2013年8月31日のZAKZAKの記事では、「早ければ9月前半にも近畿圏でM7以上の大型地震が発生する可能性がある」と警告したが、こちらもまた予測は外れてしまった。





 今、最も信頼を集めている「地震予測」は、地震学者の手によるものではない。地震学を専門とせず、地震学会からも距離を置く門外漢の学者が、独自の手法で次々と地震予知を的中させて注目されている。

その人物とは、東大名誉教授の村井俊治氏。1992年から1996年まで国際写真測量・リモートセンシング学会会長を務めた「測量学の世界的権威」である。村井氏が用いるのは測量学を応用した予測法で、全国で約1300あるGPSの電子基準点のデータを追跡して地殻の微少な変動を計測し、地震の「前兆現象」をとらえるという。

村井氏は驚くべきことに、5月5日以降、計4回発生した震度5以上の地震をすべて的中していた。村井氏は、本誌5月30日号でこう話している。

〈現時点で注意が必要なのは北海道の函館の周辺です。(中略)函館はこれまで見ていてかなり特殊な基準点で、少し離れたところで地震が起きる際にも前兆現象が確認されることが多い。たとえば、2003年に起きたマグニチュード8.0の十勝沖地震の際にも函館の基準点は動いていた。浦河沖で小地震も観測されているので、函館だけではなく道南の広い地域で警戒が必要です〉

北海道だけではなく、津軽海峡を隔てた青森でも注意が必要だと語った。

〈東日本大震災も含めた4年間の隆起沈降の記録を分析したところ、東北6県のうち、青森の基準点だけはほかと異なる動きをしていて、北海道と連動していたんです。距離的にも函館に近い青森は注意していたほうがよいでしょう〉

村井氏はその後も顧問を務める民間会社JESEA(地震科学探査機構)のメールマガジン『週刊MEGA地震予測』の中で「函館周辺は要注意」「青森県北部は要注視」と繰り返し呼びかけた。

すると7月8日に北海道南部の石狩地方で震度5弱を記録する地震が発生。8月10日には青森県東方沖を震源とする震度5弱(青森県三八上北)の地震が起きたのである。

7月5日には岩手県沖地震(震度5弱)が発生。これについても、村井氏は毎週のようにメルマガで〈東北・関東の太平洋岸では隆起が非常に貯まっており、いつ地震が起きてもおかしくない〉と警告していた。

圧巻は9月3日午後4時に配信されたメルマガの予測だ。栃木県を今年初めて「要警戒」と指摘したうえでこう解説した。

〈長野県、群馬県、栃木県、岐阜県の山脈地帯にまとまって異常変動が見られました。上記4県に5センチ超の異常変動があります。要警戒です〉

その直後の午後4時24分頃、栃木県北部で最大震度5弱(日光市)の地震が発生したのだ。

村井氏は決して成果を誇らず、「私の予測法は、まだ場所や規模、日時を正確に提示できるような段階にはありません」と今後の課題を語る。

しかし多くの地震学者たちが長年提示してきた予知がほとんど空振りだったことを考えれば、もっと注目されていい。日本の地震学の最高峰とされる東大地震研究所さえ、2012年1月に「M7級の首都直下型地震が4年以内に70%の確率で起こる」と発表した後に「50%以下」と撤回し、世間を混乱させた程度の精度と自信度なのだ。

■村井氏が顧問を務めるJESEAでは毎週水曜日にメルマガ『週刊MEGA地震予測』を月額216円で発行している。詳しくはhttp://www.jesea.co.jp/

※週刊ポスト2014年9月19・26日