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異常気象が変えた人類の歴史 [著]田家 康
[文]江田晃一  [週刊朝日]2014年10月10日

歴史を理解する時、英雄の登場や為政者の行動などに背景を求めがちだ。本書はこうした歴史の理解に、自然科学の視点を持ち込むことで読み手の認識を一変させる。先史時代から未来予測まで、数万年単位での気候変動が歴史にどう関わってきたのかを40の話を通じて読み解く。                      
例えば、6世紀に領土を拡大していた東ローマ帝国の進撃を止めたのは、地球の裏側の巨大火山の噴火だったと指摘する。ナポレオンがワーテルローの戦いで大敗したのは戦略の誤りではなく、エルニーニョ現象によるものだと推論する。                                                 大国の趨勢を左右する事象だけでなく、最高品質の弦楽器であるストラディバリウスの音色や京都のアカマツ林の秘密にも迫っており、話題の幅も広い。     
異常気象は歴史を変えた全てではないが、分岐点となる出来事に影響を与え、文化や生活そのものを変えてきたことがわかる。同時に、本書は温暖化や寒冷化の恐ろしさを改めて教えてくれる。日本のみならず世界で異常気象が相次ぐ今、多くの示唆に富んだ1冊だ。
目次
第1章 現生人類の最初の試練 — 先史時代
- 第1話 氷期(氷河期)は4回ではなかった
- 第2話 現生人類の最初の試練
- 第3話 ひとつ前の間氷期の気候 — 海面水位はどこまで上昇したか?
- 第4話 人類はいつ頃から衣服を身に付けたのか? — シラミとトバ火山
- 第5話 ネアンデルタール人と現生人類の生存競争
- 第6話 狩猟採集生活における男女の役割
- 第7話 突然訪れた急激な寒冷化へのサバイバル術 — 農耕の開始
- 第8話 縄文人の食文化
第2章 海風を待ったテミストクレス — BC3500年~AD600年
- 第9話 サハラの砂漠化とエジプト文明の誕生
- 第10話 紀元前2200年前の干ばつと『旧約聖書』の中のユダヤ人の流浪
- 第11話 巨大火山噴火による大津波に襲われたミノア文明
- 第12話 海風を待ったテミストクレス — サラミスの海戦
- 第13話 ハンニバルが越えたアルプスの峠 — 第2次ポエニ戦争
- 第14話 フランスのブドウの先祖は耐寒品種
- 第15話 倭国内乱と聖徳太子の願い
- 第16話 皇帝ユスティニアヌスの夢をくじいた新大陸の巨大火山噴火
第3章 京都東山のアカマツ林の過去・現在・未来 — 700年~1500年
- 第17話 日本と中国での漢字の違いはいつ頃生まれたのか
- 第18話 京都東山のアカマツ林の過去・現在・未来
- 第19話 中尊寺落慶供養願文にみる奥州藤原氏の繁栄
- 第20話 火山噴火が多発した13世紀後半
- 第21話 侵攻時期を逸したクビライの遠征軍 — 弘安の役
- 第22話 怪鳥モアを絶滅に追い込んだ森林放火
- 第23話 寒冷期の訪れが芸術のテーマに「死の勝利」を選んだ
- 第24話 コンスタンティノープル市民を絶望に陥れた月食
第4章 ストラディバリウスはなぜ美しい音色を奏でるのか — 1500年~1850年
- 第25話 民衆を魔女狩りに駆り立てた悪天候
- 第26話 オレンジ公ウィリアムを運んだ「プロテスタントの風」 — 名誉革命
- 第27話 ストラディバリウスはなぜ美しい音色を奏でるのか
- 第28話 宝永噴火の火山灰は江戸町中に降り注いだ
- 第29話 フランス革命の扉を開いた異常気象
- 第30話 ナポレオンの進撃を阻んだ温帯低気圧 — ワーテルローの戦い
- 第31話 フレデリック・ショパンとジョルジュ・サンドの愛の旅路
- 第32話 アイルランドのジャガイモ飢饉を起こした湿潤な天候
第5章 破局的な自然災害をもたらすもの — 1900年~未来
- 第33話 タイタニック号沈没の背景
- 第34話 大寒波で頓挫したヒトラーの野望
- 第35話 「氷河期が来る!」と叫ばれた1960年代
- 第36話 食料安全保障を生んだ世界食料危機
- 第37話 桜の開花日からみた京都の春の気温
- 第38話 人為的温暖化の危機とは何か
- 第39話 次の氷期はいつ来るか?
- 第40話 破局的な自然災害をもたらすもの
おわりに
主な参考文献

田家先生の新しい本が出た!
毎度、知識欲を刺激する濃い内容に本当に感服する。

数年ごとに発生するエルニーニョ現象や偏西風の蛇行の変化、十年ごとの太平洋の海面水温の上下動、数十年・数百年といった単位での太陽活動の変化といった大規模でゆっくりとしたうねりは、各大陸、北半球・南半球さらに地球の気候全体を変える力を持っている。

私たちの生活も、こうした時間的・空間的にみてさまざまなスケールの気象・気候の変化と無縁ではない。

私は相場を生業としているヤクザな者です。相場の変動要因になるものは森羅万象ありとあらゆるものに興味がある。太陽黒点周期、気候変動と景気の変動には関連性がある。1キチン循環(約40ヶ月:在庫循環2 ジュグラー循環(約10年:設備投資、太陽黒点周期3 クズネッツの波(約20年住宅や商工業施設の建て替え、建設需要4 コンドラチェフの波(約50~60年技術革新)と関連性がある。
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今、気になっているのは北米が今年も厳冬となり経済活動が低下するか否かだ。
昨年、記録的寒さと大雪で、北米の経済活動は大きく滞った。株価や為替、エネルギー価格、食料価格、景気に大きく影響を与える。

北米の五大湖周辺 記録的大雪
 【tenki.jp】  2014年11月19日 23時18分

アメリカでは寒気の影響でこの時期としては異例の寒さとなり、五大湖周辺では記録的な大雪となっています。雪はしばらく降り続き、大雪などに警戒を呼びかけています。
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気象衛星GOESから撮影した可視画像 日本時間で19日(水)午前3時        
上空にはこの時期としては強い寒気が流れ込み、
北米の五大湖周辺(上の画像参照)には
冬季の日本海でもよく見られる筋状の雲(雪雲)が確認できます。

この雪雲が次々と流れ込んでいる
ニューヨーク州西部の都市バッファロー周辺では記録的な大雪となっています。

もともと冬季に北西の季節風が吹くと、北米の五大湖の風下にあたる
ミシガン州やニューヨーク州北西部では大雪に警戒が必要で
このような雪を「Lake-effect snow(湖に起因する降雪)」と呼んでいます。

その発生のメカニズムは実は日本海側の降雪と同じなんです。

<冬に日本海側で降雪となる理由>

冬季、冬型(西高東低)の気圧配置になると
等圧線は縦縞模様になり、
大陸の高気圧から北西の冷たい風が吹き出すようになります。

その冷たい風が日本海を通過する際に
相対的に暖かい海面から多量の水蒸気が補給されることで
空気が湿り気(水蒸気は雲のもと)を帯びて
日本の山脈にあたり上昇気流となることで降雪となるのです。

スケールこそ違いますが
北米の五大湖が、まさに日本海と同じような役目をすることで
その風下側では大雪となることがあります。

ニューヨーク州西部では雪はしばらく続く見込みで
アメリカの気象当局(NWS)では「Lake-effect snow警報」を出して
大雪や降雪雲下での視界不良などに警戒を呼びかけています。
エルニーニョが発生すれば暖冬となるのですが、11月から記録的雪となり、昨年同様厳冬の予感がある。となると相場は・・・米国の相場は厳しいものとなりかねない。

地球は、太陽黒点の減少から小氷期に向かいつつあるが、温暖化も進み、異常気象が多発している。異常気象という概念は、過去の発生頻度からみて30年に一度の頻度のものを異常気象とよび、確率的な現象であり、地球全体の観測点が膨大であることを考えれば、毎日、地球上のどこかで局所的な異常気象が起きても不思議ではない。

温暖な天候の恩恵を受け望外の豊作を得ることもあるだろう。不思議なもので、自然環境の好転によって社会や経済が発展すると、人間はすべてを自分自身の実力だとうぬぼれ、反対に環境悪化で苦難を強いられると、禍の主因を外部に求めて不運を恨む。これも人間の性なのだろうか。 ことほど、自然環境とわれわれの歴史は切っても切れない関係にある。

中でも気象の変化や気候の長期変動は大きな要素であり、私たちの宗教、美術、音楽といった文化的側面から、国や社会、社会のおり方まで、深く関わってきたことに驚かされる。過去の話ばかりではない。未来をみすえた際も、私たちは今までと同様に気象・気候という自然現象のふるまいに無関心ではいられない、人為的な地球温暖化によって異常気象が増加するとの見方もあるように、異常気象と社会の関係とは未来にもつながる大きなテーマである。

閑話休題

第3話 ひとつ前の間氷期の気候 — 海面水位はどこまで上昇したか?
p26-27
(略)                                              およそ12万年前の間氷期は、今世紀の半はから顕著になると予測されている地球温暖化による環境変化を考える上で貴重な事例といえる。現在よりも北半球平均気温で2℃の上昇、極地では5℃の上昇、これはまさに気候変動にかかる政府間パネル(IPCC)の報告書での未来の気温上昇予測の数値である。     
海面水位は、12万9000年前(±1000年)から11万8000年までの間に4~6メートル上昇した。エーミアン間氷期ほどの海面水位の上昇は、その後現在に至るまでない。このため、当時のサンゴ礁の形跡は陸上に残っており、地殻変動の要因を考慮すれば当時の海面水位の仁昇を知ることができる。インド洋沿岸では1・7~6メートル、アルゼンチン南部のパタゴニアでは2~6メートルと各地で確認されている。                                           
エーミアン間氷期の海面水位の上昇は、主にグリーンランド氷床の融解によると考えられる。コンピューターシミュレーションでは、グリーンランド氷床の要因での海面上昇は3・7~4・4メートルとの計算結果かおり、仮に6メートルの上昇であったならば、グリーンランドだけでなく南極氷床の一部も融解していたのであろう。また、リスボン沖の海面水温が上がっていることから、海水の熱膨張という要因も加わっていたに違いない。                                
もっともエーミアン間氷期では、現在よりも気温や海面水温が高かった時代が 5000年以上続いており、海面水温上昇も数千年という時間軸で起きたものだ。                                                 一方、ICPPによる温暖化予測は温室効果ガスの排出が現在のペースで続いたとのシナリオで、21世紀末までに45~82センチメートルの上昇幅となっている。とはいえ、平均気温が現在に比して2℃以上で高止まりすれば、海面水位の上昇はその後も続き、エーミアン間氷期の水準にまで達するのかもしれない。
第6話 狩猟採集生活における男女の役割
p38-39
(略)                                               男性が狩猟を担うことになったのは、何も背が高く力が強いためだけではなかったかもしれない。もうひとつ、赤と緑、が判別しにくい色覚異常という観点がある。哺乳類の先祖は、古生代末に登場したキノドン類などの単弓類(哺乳類型昶虫類)である。中生代三畳紀になると、哺乳類は恐竜によって生息域を狭められ、小型で夜に食物を探す生態へと追い込まれた。魚類、両生類、爬虫類、鳥類は青、赤、緑を識別する3色型色覚、あるいはこれに紫外線を加えた4色型色覚を持っている。しかし、夜行性を強いられたことで、哺乳類の先祖は赤への維体視物資を失い2色型色覚になった。イヌやネコを含む哺乳類のほとんど、が2色型色覚ゆえ、赤を識別できない。

ところが、およそ3000万年前、狭鼻猿類はX染色体の一部に長波長型の遺伝子を持つようになり、3色色覚を再び獲得した。X染色体の中での変異ゆえ、もともとは女性だけが3色色覚を待ったのだが、相同組換えによる遺伝を重複を通してX染色体のペアの中に短波長の緑と長波長の赤を認識しり遺伝子が共存するすることになった。これによりX染色体をひとつしか持だない男性も3色色覚を得ることになる。ただし、相同組換えでは赤と緑の遺伝子にきれいに振り分けられるとは限らない。このため、2色色覚に由来する色覚異常は、男性に多い。日本人の場合、女性ではO・5%以下であるのに対し、男性では約3・5%となっている。

3色色覚で赤を認識できるならば、森林で葉の中に隠れている野イチゴを探すのに非常に有利だったであろう。有毒な昆虫、昶虫類、キノコ類など、が発する警戒色の識別も容易だ。食物を森林で採集をするには3色色覚を持つ女性が分担するのは合理的であったに違いない。一方、狩猟を行う際、明け方や夕方に大地が赤く染まると赤色の認識によってかえって視界が見えにくくなる。この時に2色色覚の男性は有利に働いたのではないか。

森林で生活する狭鼻猿類のマカクザルは、人類に比べて2色型色覚ははるかに低い。食物を得るために3色色覚が有利であるためだ。人類の場合、狩猟を行い始めたことで3色色覚への淘汰圧が下がったからだと考えられている。
第9話 サハラの砂漠化とエジプト文明の誕生
p50-53
およそ1万年前から6000年前にかけて、地球の軌道の関係で北半球中緯度の夏季の日射量は現在よりも8%ほど多かった。北緯20度の6月から8月の平均的な日射量でみると、1平方方メートルあたり現在の450ワットに対し、1万年ほど前は480ワットを超える値であった。北半球は南半球と比較して大陸が多く分布しており、日射をより多く吸収する。
自然環境の要因だけからすれば、完新世でもっとも地球の気温が高かったのは、1万年前から6000年前にかけてであり、「完新世の気候最適期」とよばれている。

この時期のアフリカ大陸サハラ一帯は緑におおわれていた。これは熱帯収束帯という上昇気流が発生し雨を降らせる地域が、夏季に現在よりも北上していたからだ。インド洋や大西洋からのモンスーン(季節風)が強く、風によって大量の水蒸気がサハラに運ばれていた。加えて、サハラの植生、が水蒸気を保有し、地衣に湿潤にする効果もあった。

このように、サハラは常に砂漠であったわけではない。一方、最終氷期の時代にはモンスーンが活発ではなく、サハラでは現在よりも砂漠が広かっており、砂漠と熱帯雨林の境界のサヘル(草原地帯)は、現在よりも500キロメートル南側にあった。完新世に入ってから、アフリカ大陸北部は高温湿潤の気候に変わり、熱帯雨林の地域は広、がり、その北側の草原サヘルが現在の砂漠のある地域まで北上したのだ。

アフリカ大陸サハラの高温湿潤な気候は、6000年前を過ぎるころから変わっていっ
た。主たる要因は、太陽との距離がもっとも近くなる近日点が北半球の夏から冬へと移っていったからだ。日射量が減少する過程で、モンスーンの強弱が気候の与える影響が目立つようになる。さらに植生範囲が少しずつ狭まくなっていき、サハラ全体での土壌に含まれる水蒸気の長期的な減少傾向となった。

モンスーンの弱化により、サハラの砂漠化傾向が顕著になった時期は、5500年前から5000年前にかけてだ。この時代に地球全体の気候が人きな変化をみせた。乾燥化した地城はサハラだけでなく、中国、インド、中東、メキシコでも証拠がみつかっている。ヨーロッパ、アフリカ雨部、北アメリカ、ニュージーランドでは寒冷化した。

サハラの草原に住んでいた人々は、1万年前は野生動物を狩猟する生活を行なっていた。
その後、8200年前に400年程度の一時的な寒冷化時代に、羊を飼育する牧畜を開始している。この時の寒冷化とは、アメリカ大陸北部で最後に残った大きな氷床の塊が大西洋に流れ込んだためだと考えられている。短期間の寒冷化の後、再び高温・湿潤な気候に戻ったが、彼らは羊を連れてサハラの草原を遊牧する生活を続けた。そして、5500年前に寒冷化・乾燥化の波に襲われることになった。

羊を育てる適地が少なくなると、遊牧民は水を求めてナイル川流域へと流れ込んだ。ナイル川流域では8000年前から農耕が行われており、この地域の人口が急増していったのだ。当時の遺跡があった場所をみると、上エジプ卜とよばれるナイル川中流域で5300年前以降にその数が増えている。

人口密度の増加によって、人々の社会は複雑化していった。社会階層が生まれたことは、墓地での埋葬品が人によって異なることから推察できる。ナイル川沿いで農業を行いながら生活するならば、農耕の技術者と牧畜しか知らない避難民との間で指示する者と指示される者の関係も生まれたに違いない。かくして、奴隷という身分が出来、役人が生まれ、やがて統治者たる王が現れた。

農耕開始以前から、戦闘も行われていたと考えられている。1万2000年前から1万年前とされるナイル川沿いのジュベル・サハバ117遺跡では、49の人骨の約4割に石鏃が食い込んでいた。この戦闘集団は社会の複雑化によって、さらに高度な組織になっていったであろう。王権は武力によって支配を強めたに違いない。

エジプトではナイル川の中流に上エジプト、下流に下エジプトという2つの支配グループがあった。5200年前を過ぎた紀元前3150年頃、上エジプトのナルメル王が下エジプトまで支配し、エジプト第1王朝を創始した。サハラからの人口流人はナイル川中流の方が多かったとみられ、上エジプトが国力で下エジプトを圧倒したのであろう。上エジプトは下エジプトを平和の中で併呑したのか、それとも武力で打倒したのか。定かでない。しかし、上エジプトの首都ヒエロコンポリスで発見されたナルメルのパレットには、大きな姿の国王が敵の髪の毛を握ってこん棒で殴りかかる姿が描かれ、裏面には首のない死体が並んでいる。激しい戦闘があったことを暗示させるものだ。

第11話 巨大火山噴火による大津波に襲われたミノア文明
p59-62
紀元前1700年前から同1600年前の間に、エーゲ海キクラデス諸島にあるサントリーニ島で巨大火山の噴火があった。アメリカ西部のブリストルコーンパインの年輪幅では紀元前1628年から1626年が狭く、アイルランドのオークの年輪幅では紀元前1630年が最も狭い。また、グリーンランドの氷床コアによる火山灰のデータによれば、噴火年は紀元前1669年、1642年、1623年あたりと推定される。噴火規模は過去1万年で3本の指に入る大きさで、マグマ換算体積という尺度でいえば、20世紀最大の噴火である1991年のピナトゥボ火山の12倍に相当したと考えられている。

現在、衛星写真からみるサントリーニ島は三日月型の形状をしており、海底に没した噴火口の大きさは、東西6キロメートル、南北8キロメートルという大きさを知ることができる。地質学訓査では、カルデラ状の島弧全体がかつては巨大な火山島であったことが確認されている。

直接的な影響を受けたのが、クレタ島のミノア文明だ。ミノア文明はエーゲ海文明の一つとして位置づけられ、紀元前1900年頃から繁栄をとげていた。青銅器や土器は芸術性が高いとされ、クノッソスの宮殿には世界最初の水洗トイレも設置されていた。島内では穀物、オリーブ、ブドウを栽培し、ヤギ、ヒツジ、ブタを飼育していた。主たる経済活動はアナトリア、キプロス、メソポタミアといった地中海東部との交易であった。このため、ギリシャ本土との中継地点として、サントリーニ島にあった植民都市アクロティリはミノア文明にとって重要拠点になっていた。

サントリーニ島の巨大噴火に際し、クレタ島は東南東に100キロメートルあまりの近距離にあることから巨大津波が到来した。島東部の港町パレカストロは、海洋国家の玄関口であり、町の規模は宮殿のあるクノッソスよりも大きかった。商船のみならず洋上交通を確保するための軍船もこの港に置かれていただろう。津波に流されたためか、パレカストロを含めて海岸沿いの町の城壁は残っていない。ミノア文明の力の根源であった海軍力のほとんどを喪失した。サントリーニ島の植民部市アクロティリは姿を消した。

パレカストロが壊滅的な被害を受けアクロティリを失ったことで、ミノア文明の打力は変容していった。噴火による津波から数世代経つと、ミヶーネ系のギリシャ人が島を支配する。もともと多神教の文明であったが、噴火後にそれまでと違う寺院が建てられ、新しい宗教的なデザインが描かれており、宗教の変化があったようだ。ミノア文明の土器の文様ではイルカ、タコ、海など海をモチーフにするものが増加している点も、住民の心の有り様の変化を示すものかもしれない。

さらに、クレタ島で用いられてきた文字は、線文字Aからギリシャ語へとつながる線文字Bへと変わった。線文字Bは1950年にイギリス人のマイケル・ヴェントリスによって解読された。しかし、サントリーニ島噴火時に用いられていた線文字Aについては今日でも未解読であり、巨大火山噴火についての文献記録を知ることはできない。地震と津波による大災害というイメージは、プラトンによる『クリティアス』でのアトランティス大陸の伝説へと引き継がれたのであろう。

サントリーニ火山の噴火は、近隣諸国に異常気象をもたらした。エジプトは紀元前1782年頃以降、ヒクソスがナイル川下流を支配する第2中間期とよばれる分裂時代であった。
第18王朝を開いたイアフメス1世(在位一紀元前1570‐同1546)の神殿のヒエログリフからは洪水を伴う激しい暴風雨の記録が残っている。自然災害は、サントリーニ島に近いナイル川下流の方が大きかったに違いない。イアフメス1世は兄カーメス(即位一紀元前1573-同1570)の後継者としてヒクソスを完全に駆逐し、エジプトを再び統一して第18王朝たる新王国を築いた。

最後に、旧約聖書に描かれたモーセによる「出エジプト記」のエピソードについて触れたい。出エジプトについての考古学的証拠は見つからず、ラムセス2世(在位一紀元前1279‐同1213)の時代に起きたとするのも、『旧約聖書』の解釈に過ぎない。

しかし、もし海が割れるようなイメージを喚起させる自然現象があったとしたら、サントリーニ島の火山噴火を原因とする異常気象や地震、洪水によるものではないか。『旧約聖書』の「出エジプト記」にある電、雷鳴、強風といった描写には、巨大噴火に伴う自然現象を連想させるように思われる、が、いかがだろう。
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サントリーニ島画像




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