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ISIS(イスラム過激派組織)に、フリージャーナリストの後藤健二氏が殺害された。日本で暮らすイスラム教徒の間にISISへの非難と憎悪が広まっている。
後藤氏はシリアの難民キャンプで暮らす子供に寄り添った優しい人であると、日本に住むイスラム教徒の間では有名であった。毛布や食事を持参し、子供たちを喜ばせていたという。
JSFA
1月31日 19:27 · 

We're so sorry to hear that news. It's hard to believe it. words don't seems to be enough. Your care and support to the Syrian kids are unforgettable, human history will register that you are the Hero for both Japanese and Syrian nations.

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「後藤さんはシリアと日本のヒーローです。本当にありがとうございました。そして天国で会いましょう」。日本シリア友好協会のフェイスブックには、後藤さんが通ったシリアの難民キャンプで暮らす子供たちから、感謝の思いをつづったメッセージが寄せられた。
後藤氏に感謝するメッセージが国籍や宗教・宗派、年代を超え、大勢の人が寄せられている。日本に住む多くのイスラム教徒は日本とイスラム社会の良好な関係が続くことを願っている。
日本とイスラム教徒はどのような関係を築くべきか・・・
昨年読んだ現代イスラム研究センター理事長 宮田律氏の「イスラムの人はなぜ日本を尊敬するのか」 は示唆に富む本であった。皆様に紹介したくって本棚から引っ張り出しました。
しかしながら、第4章 イスラムは暴力的な宗教か?に書いてあることは事実であり、狂信的な信者を排出しやすく、過去宗教が悪用され、また悪用されていることは知っておくべきだと思う。
裏表紙ト書き
イスラムを過剰に怖れる必要はない。私たちが思っている以上に、日本人は尊敬されているのだ。

日本は理想的社会と見られ、アニメやマンガも引っ張りだこ。
礼儀正しさや義理、人情といった美風に強い関心と共感を持っているのだ。

欧米の植民地主義に屈せず独立を守った日本の歴史や皇室の伝統への、ムスリムの畏敬の念を紹介し、その良好な対日感情をどう国益に結びつけるかを論じる。日本人のためのイスラム入門。
目次
     はじめに 3

第1章 イスラムの人々は義理・人情がお好き 17

日本と共通するメンタリティ/ネットで日本のホップカルチャーに接する若者たち/ドバイ
にある紀伊國屋書店の最大店舗/ドバイの「マンガ寿司」/日本をライバル視する中東のサ
ッカー/柔道で中東に貢献/茶室をつくったアブダビの皇太子/和太鼓も人気/世界の安全
保障に寄与する日本文化

第2章 イスラム世界で接した親日感情 47

日本とアフガニスタンは独立記念日が同じ?/アフガン支援を止めなかった中村医師/イラ
ン人の親日感情/イランと日本の共通占/日本の中のペルシア文化/特別な友好関係にある
日本とトルコ/イスタンブールの「乃木通り」「東郷通り」  /旧ソ連イスラム系諸国でも

第3章 歴史の中で醸成された親日的心情 77

日上友好の礎となったトルコ軍艦救助/日露戦争勝利へ畏敬の念/日本での布教の先駆者だ
ち/日本車勝利に狂喜したエジプト国王/ヒロシマ・ナガサキヘの同情/インドネシア独立
戦争に参加した旧日本兵たち/ウズベキスタンで賞賛される抑留者たち/アルジェリア独立
と気骨ある衆議院議員/イランにタンカーを送り込んだ出光/サウジ国王と直談判した「ア
ラビア太郎」/先進国で初めてバングラデシュを国家承認/東南アジア諸国で圧倒的に高い
親日感情/トルコ、エジプトでも高い好感度/「帰らないで」デモが起こった自衛隊サマー
ワ活動/弱者を救済する日本

第4章 イスラムは暴力的な宗教か? 123

理想とされたイスラム共同体による統治/異教徒に対するイスラム帝国の行政/「イスラム
の家」と「戦争の家」/十字軍――歪曲されたイメージの始まり/オスマン帝国――キリス
ト教世界への重大な脅威/イスラムとヨーロッパの相克/「ジハード」の起源/暴力行使を
容認したハワーリジュ派/中世のイスラム過激田作想家/アラビア半島の復古運動ワッハーブ
/ナショナリズムに抗する汎イスラム主義/ 現代における改革運動としてのイスラム/イス
ラム過激派への評価とアルジェリア事件/ 「サダム・フセインは地獄に行きます」/「アラ
ブの春」、その後

第5章 遊牧民のもてなし文化 163

人懐っこく、気さくなムスリムたち/もてなしの原点、キヤラバンサライ/イラン人の親切
は家族を大切にする気持ちから

第6章 日本への注文 175

対イラン政策への提言/ソフトパワー行使の必要性/イスラムの習慣に不慣れな日本人/お
昼寝・ハラール料理・土葬/日本への期待 

第7章 中国、韓国との競合 197

最大のライバル・中国/サウジと中国との蜜月/メガープロジェクトに続々と参入する韓国
/日本にしかない最強のカード[皇室]

おわりに 216


第1章 イスラムの人々は義理・人情がお好き
p17-20 
サウジアラビアのテレビ番組「ハワーティル」は、日本の文化や日本人の生活様式をアラブ世界に紹介する番組だ。ハワーティルとはアラビア語で「改善」という意味で、二〇〇九年の八月から九月にかけてのラマダーン期間中に放映され、記録的な視聴率を上げた。この放映によって日本へのサウジアラビア人観光客が増加したという。番組のプロデューサー、アフマドーアルーシュガイリーさんはサウジアラビアの日本犬使から両国の友好関係を推進したとして表彰を受けている。
番組で日本の小学生たちが放課後、教室を掃除する光景を紹介したところ、大きな反響を呼び、サウジアラビアの一部の学校では教室の掃除を生徒たちで行うようになったという。
また、サウジアラビアと日本で、路上に財布を置いておいたらどうなるか、隠し撮りの実験が行われた。サウジアラビアでは、通行人が財布を見つけると、お金だけとって、去ってしまった。 一方、日本の通行人は財布を拾い、交番に届けたのである。
さらに、日本の電車やバスの「優先席」や街中至るところにある「ゴミを捨てるな」「スケートボードをするな」「大のフンを持ち帰社」など注意を促す看板が番組で紹介されると、「優先席などなくても日本人は席を譲るよ」、「街頭の注意がなくても日本人ならできるはず」というコメントが寄せられた。
ハワーティル
」では、アル・シュガイリーさんが日本人の道徳性と経済発展の秘訣を結びつけ視聴者に紹介している。また、彼は日本人の礼儀正しさはイスラムの原理と共通するものと見ている。
アラブ世界に住むたくさんのブロガー、思想家、作家、聖職者たちは、この番組を見て、様々な感想を寄せている。「中東・北アフリカは日本に感謝する」というウェブページを運営するサウジアラビアの女性ブロガー、「サミーヤ」は、
「私たちの第一歩は誤ったものを認めて修正することです。それを『
ハワーティル』が教えてくれました」と書いている。

UAEのムハシゾド・エル・ターイブさんは、
「二○三〇年のイスラム世界を決めるのは若者たちです。日本は古い伝統、習慣を維持しながら、急速な経済発展を実現しています。我々は日本を教訓にしなければなりません」 とコメントしている。
また、チュニジアのワファと名乗る女性は、
「アル・シュガイリーは、日本とアラブ世界の問題を比較し、日本人がいかに清潔で、規律正しく、迅速に行動するかを紹介しています。日本人が互いに尊重し合い、年長者を敬い、自らを大事にする姿勢に共感しました。また、アル・ンユガイリーは『日本は別の惑星』と言っていますが、人間とは常にこうあるべきで、日本人のように振る舞うことが世界をよりよいものにします」 と、日本人のモラルを絶賛する。
サウジアラビアのリームという女性は、
「日本人の行動はイスラムの訴える清廉さと結びつき、環境保全にも役立ちます」 とコメントしている。
さらに、サウジアラビアのマシヤアルというブロガーは、「『ハワーティル』を称賛するアラブの人々が、日本人の徳を実践していないのは残念です。ムスリムは日本を模倣するのではなく、ムスリム自身の道徳倫理をつくり上げましょう」
と呼びかけている。

 日本と共通するメンタリティ

イスラムの人々が日本人を評価するのは、彼らが理想とするような心意気や感情を日本人が備えていると見ているからである。ムスリムと日本人の人間関係で相通ずる考え方に、「任侠無頼」がある。
『広辞苑』によると、「任侠」とは、「強きをくじく気性に富むこと。また、その人。おとこだて」また、「侠客」とは「強きをくじき弱きを助けることをたてまえとする人。
任侠の徒。江戸の町奴に起源。多くは賭博・喧嘩渡世などを事とし、親分子分の関係で結ばれている。おとこだて」とある。




世界の安全保障に寄与する日本文化
p44-45
国際協力銀行の元行員は、
「世界で日本文化ファンを増やし親日国を増やしていけば、将来、もし日本が外国から危害を受けそうになったり、いわれのない誤解で非難を浴びても、『あの国や国民を滅ぼしたり、危害を加えたりしてはならない、日本や日本国民に限ってそんな行動をする訳がない』と、日本ファンの国の声が大きなものとなり、力となって、武力以外の外交の場で支援してくれます。茶道を含め世界に誇れる日本の文化をもっと発信して、外交カアップにつなげるべきです」と語っていた。

河野洋平元外相が提案した「文明間対話」プログラムは、イスラム諸国と極東との間の相互理解につながった。中東イスラム諸国の安定のためには、これらの国々の文化をよく知り、同時に日本の文化や伝統をよく知ってもらうことが重要だ。

中東イスラム諸国の人々の意識を紛争や暴力から遠ざけるためにも、先進国の中では特にこの地域で評判がよく、精神的な癒しを与えてくれる日本の文化を紹介することは有効である。湾岸諸国には、バングラデシュやパキスタン、インドなど南アジアからやってきた移住労働者も少なくないから、南アジアの安定にも役立つはずである。

二〇〇九年に行われたバングラデシュでの「人間の安全保障と日本」というテーマの会議では、日本のソフトパワーの行使による地域の安定化が議論された。平和で穏健なイメージを有する日本文化に対する関心が、紛争の絶えないイスーソム諸国で高まっていけば、なにかというと暴力に訴える急進的、原理主義的な考え方は国民から支持を得られず縮小していくかもしれない。日本文化という共通の関心が享受されれば、国としてのまとまりをもたらすことにもつながり、民族対立の緩和にも役立つ可能性があるだろう。

「帰らないで」デモが起こった自衛隊サマーワ活動
p117-120
 イラク戦争の際の自衛隊派遣は、「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」、いわゆる「イラク特措法」によるもので、活動の柱は人道復興支援活動と安全確保支援活勁であった。活動は「非戦闘地域」に限定されていたが、自衛隊創設後初めて、戦闘地域ではないかとの論議のある地区に陸上部隊を派遣した。

陸上自衛隊は「人道復興支援」のため、比較的治安が安定しているとされたイラク南部の都市サマーワの宿宮地を中心に活勤し、二〇〇六年七月に撤収した。陸上自衛隊によるサマーワでの活動の三本柱は「給水」「医療支援」「学校・道路の補修」の人道復興支援活動であった。

この陸上自衛隊のサマーワでの活動は現地住民の信頼を得るものだった。二〇〇四年一二月に自衛隊の宿営地にロケット弾が撃ち込まれ、自衛隊が撤退するのではないかという噂が流れると、自衛隊が帰国してしまうのではないかという懸念の声がサマーワでは聞かれるようになった。これを受けて一四〇人の市民からなるデモ隊が宿営地に押し寄せて、「日本の支援に感謝する」と主張して、自衛隊がサマーワに留まることを訴えるデモを行った。

二〇〇四年四月には二度自衛隊の宿営地にロケット弾が撃ち込まれていたが、「日本の宿営地を守ろう」というデモも繰り広げられた。

二〇〇四年一月に番匠幸一郎イラク復興支援群長がサマーワに着任すると、彼はサマーワの人々に「自衛隊がイラク人たちの友人としてやって来た。日本は、アメリカと戦い敗戦国になっても、世界第二位の経済国となった。古代メソポタミア文明から偉大な歴史を発展させてきたイラク人が日本のように、復興や発展ができないわけがない」と熱く語った。番匠群長はイラク人の民族的誇りに訴え、他国の軍隊が作業をイラク人任せにしたのに対して、自衛隊は群長など幹部までもがイラク人とともに日没を過ぎても復興活動を行った。

そうした日本の自衛隊員たちの真摯な姿がイラク人たちの心をとらえることになる。サマーワに展開した自衛隊はイラクが日本と同じアジアの国であることを強調したが、他方、イラク人たちの側には日本はイラクと同様にアメリカの軍事攻撃を受け、多大な被害をもたらされたという共通の意識があった。

現地紙の「サマーワ新聞」は自衛隊員たちのことを「高い倫理を保持した人々」と形容し、「日本人は高い文明を保持するとともに、他国の人々のことを尊重し、他国民の家庭や職業に敬意を払う立派な伝統をもっている」と絶賛した。

自衛隊のイラクヘの派遣については国の内外から批判の声も少なからずあった。

特にイスラム世界への欧米の軍事的進出に歩調を合わせるかのように自衛隊を送ったことについては、イスラム世界では否定的な思いのほうが強かっただろう。自衛隊のイラク派遣中にインドのデリーで講演を行ったことがあったが、ムスリムとともに、ヒンドゥー教徒の参加者だちからも自衛隊は直ちにイラクから引き上げるべきだという声もあった。

イギリスの植民地支配を受けたインド人からすれば、自衛隊のイラク派遣はかつてのイギリスのインド支配ともダブつたのかもしれない。結果的には、イラクで現地の人を誰一人殺傷することなく、肯定的な評価を受けたことで、自衛隊がイスラム世界での日本の否定的イメージをつくり出すことにはならなかったのだが、外部勢力の干渉を宗教感情からも嫌うイスラム世界への軍事的関与についてはやはり慎重であらねばならないと思う。
 弱者を救済する日本
p120-121
 紛争地帯の安定化に貢献するという意味では、パレスチナ自治区に対する次の事例のほうが参考になる。二〇一ー年一一月にイスラエルはガザを空爆したが、そのガザ支援でも日本の継続的努力が見られ、この平和的な関与は現地で高く評価された。日本は二〇一一年に、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)によって開業したガザ地区の保健センターに二〇〇万ドルの支援を行った。これはジャバリアとヌセイラト難民キャンプで活動を開始したものだが、ガザの一七万五〇〇〇人以上の難民に対する医療サービスを意味している。日本は二〇〇五年にもイスラエルのがず攻撃によって破壊された住民たちの家屋の再建に一五〇〇万ドルを拠出した。

二〇一二年現在、UNRWAの保健局長は日本人の清田明宏氏だが、センターの開業にあたって「ガザは数々の問題に直面しており、このような状況の中でUNRWAが中東において最も不利な立場にあるパレスチナ難民のためにこの二つの保健センターをオープンすることが出来るのは非常に光栄なことである。日本政府と日本国民からの寛人な協力に対し感謝の意を述べたい」とフィリッポーグランディUNRWA事務局長の言葉を伝えた。


イスラムは暴力的な宗教か? 

 「イスラムの家」と「戦争の家」
p132-134
 さて、軍事的拡大・発展を遂げたムスリムは、イスラム法の支配する地域を「イスラムの家(Dar Al-Islam)」と呼び、他方イスラム法の及ばない地域を「戦争の家(Dar Al-Harb)」と規定したひこのイスラム的世界観も杓子定規的に解釈すると、他の宗教との争いの種となる・というのも、「イスラムの家」に住むのは、ムスリムとイスラムの支配を認めたズィンミーとなり、多神教徒の存在する余地はない。「戦争の家」に住む人々は、ムスリムによって改宗を迫られても、改宗しない人々と定義されるのだ。

かりに「戦争の家」の指導者たちが降伏しない場合は、征服によって、改宗を行っても良いとされ、また「戦争の家」の指導者たちが改宗した場合、その支配する地域は「イスラムの家」になる。他方、不信心者によって占領された地域は、「戦争の家」となるっこの考え方を厳密に解釈すると、確かに、仏教徒、あるいは、神道を信じる人口が圧倒的に多い日本などは、「戦争の家」に属するということになる。

さらに、こうしたイスラムの二元的世界観に関連するのが、武装集団がしきりに唱える「聖戦(ジハード)」という概念であるo「ジハード」は「イスラムの家」を広め、防衛するための手段である。世界は、信心者と不信心者の闘争の場であり、信心者は神の道において戦い、また偶像崇拝を続ける不信心者と戦うの前述したように、イスラム共同体の使命とは、預言者ムハンマドとその支持者たちが説教、外交、戦争を通じて行ったように、神の支配する地域を広めることである。

また、イスラム法は、多神論者、背教者、ムスリム支配を拒絶する啓典の民、またムスリムの領土を攻撃するものに対する戦争を行うことをムスリムの義務と規定している。

そして、この「ジハード」において戦死することは、神への服従を証明する最高の形態とされ、殉教を意味するアラビア語の「シャヒード」は、信仰の告白を意味する「シャハダ」と同じ語源の言葉である。イスラムに内在しているこの教義は、非イスラム、特に偶像崇拝を続ける不信心者との戦いを規定しており、これがテロリズムを正当化する論理になっていることは間違いない。


 「ジハード」の起源
p140-142
 前述の「ジハード」という言葉は、元々信仰の道において努力するという「ジャハダ」という動詞から派生したものである。イスラムの宗教活動が自由に実行されていない制度を改善するという目的ももっていた。イスラムの布教活動(ダワ)は、本来自由なものでなければならないとされた。

イスラムは非ムスリムにたいして寛容で、イスラムを受け入れられるか否かはその非ムスリムの考えに基づくものである。イスラム側には、主体的な布教活動を行わなくても、平等や公平などを訴えれば、自然に信徒が増えるという自負がある。たとえば、インドの低いカーストの者たちは階級社会から逃れたくてイスラムに改宗していった。イスラムは、何の制約もなく、平和的にその呼びかけ盲布教活動)を行うことができると考えられている。

ところが、「アルカーイダ」など武装集団にとって「ジハード」とは防衛的なもので
はない。ジハードを防衛的なものとする思想家たちは、敗北主義者であり、イスラムを本質的に理解しておらず、本来、イスラムはその宗教が存在する地域だけを守るのではなく、可能な地理的範囲でイスラム的秩序を樹立し、イスラム誕生以前の「無明(ジヤーヒリーヤ)」(イスラムの誕生によってこの世に「光明」がもたらされたとイスラムでは考える)を打倒するものでなければならないというのが、武装集団の見方なのだ。

ジハードは無明を根絶することで、神聖な統治(=ハーキミーヤ)を樹立する。
かりに、現状の政府が彼らのイデオロギーを普及することを妨害するならば、現政権はジヤーヒリーヤの政府となり、攻撃する対象となる。思想や信条の普及は、イスラム過激派にとって重要なことであり、それを妨害することは彼らにとって敵対行為なのである。イデオロギーを普及する人々はイスラム過激派の活動の前衛にあり、人々に非人間的な状態を意識させ、人々を「タウヒード(統一)と正義に基づいて行動させなければならない。民族宗教ではありえない、世界宗教かつ一神教の論理が、ここに先鋭化して現れているとも言える。


 暴力行使を容認したハワーリジュ派
p142-143
 イスラムは政治性や社会性の強い宗教であるといえる。それは、ムハンマドがイスラムを創始した動機が政治や社会の改革を目指したものであり、彼が創始したイスラム共同体がムスリムにとって現代でも政治・社会・経済の規範となって機能しているからである。

たとえば、アメリカやイスラエルに対して、「ジハード」を説くオサマ・ビンラディ
ンの思想的背景には、イスラムの歴史が成立して以来の運動家や思想家たちの言説がある。イスラムの原点に回帰し、ジハードを訴える運動は現代になって突然現れたものではない。現代の過激派の思想は、腐敗した為政者、欧米の進出、イスラエル国家の問題、近代化によるアイデンティティの喪失など今日的な問題に語りかけているものの、その先駆となる思想はイスラムが始まった一四〇〇年前から現れているのだ。

彼らはイスラムに内在する教義を極端に解釈し、その目的のためには暴力の行使も考えられると訴えていった。
その端緒はイスラムのハワーリジュ派に見られる。彼らは第四代カリフのアリーの支持者であったが、ウマイヤ朝初代カリフのムアーウィヤと妥協しようとしたアリーと快を分かった後(「ハワーリジュ」とは「退去した者」の意味)、自らの独立したコミュニティーを創設した。そのコミュニティーは、コーランとスンナ(踏み均された道=慣行)に厳格に従い、彼らは預言者のムハンマドが行ったように「聖遷(ヒジュラ)」を行ったが、理想的なイスラム共同体の創設を目指し、急進的で、戦闘的なジハードを追求するようになった。当初は自らのコミュニティーに引きこもり、神の名において自らの拠点から「敵」に対するジハードを行った。

ハワーリジュ派は、善を行い、悪を禁ずるコーランの指令は、字義どおりに、厳密に、例外なく行われなくてはならないと考えた。この世界は「信仰」と「不信心」、「ムスリム(神への追従者)」と「非ムスリム(神の敵)」、「平和」と「戦争」に分けられる。

イスラム法に厳密に従わない行動は大罪である。こうした大罪を犯した者たちは不信心者となる。重大な罪を犯しか者は、背教者であり、悔い改めなければ、死に値するとハワーリジュ派は訴えたのだ。

佐藤 優 《「イラクISIS」を読み解く》 2014/06/19


(1)1月7~9日、フランスで連続テロ事件が起きた。以後、国際社会のゲームのルールが変化した。フランス政府はこの変化を冷静に認識している。

<【パリ共同】17人が犠牲になったフランス連続テロの始まりとなった週刊紙銃撃から14日で1週間。バルス首相は13日、国民議会(下院)で「フランスは『テロとの戦争』に入った」と演説し、治安対策を強化する方針を示した。国境を越えるイスラム過激派の脅威に対し、言論の自由を支持する各国指導者や市民の輪が広がったが、事件の全容解明や再発防止策の具体化は見通せない。

パリ警視庁では13日、死亡した警官を追悼する式典が行われ、出席したオランド大統領は「全フランスが苦痛を分かち合う」と哀悼の意を示した。その上で「自由のために一切の妥協を排し戦う」と述べた。(共同通信)>【注】

(2)バルス首相が強調するように、これは戦争だ。
連続テロ事件は、「イスラム国」(シリアとイラクの一部を占拠するイスラム教スンニー派過激組織)を支持するテロリストによって行われた。これは偶然ではない。
「イスラム国」は、21世紀に、唯一神アラーの法(シャリーア)だけが支配する単一のイスラム帝国(カリフ帝国)を本気で建設しようとしている。この目的達成のためには、平気で暴力やテロに訴える。そのための拠点組織が「イスラム国」だ。

(3)かつてコミンテルン(共産主義インターナショナル)は、世界プロレタリア革命を起こそうと真剣に考えていた。そのための拠点国家がソ連だった。コミンテルン本部は、モスクワ郊外に置かれた。この本部の指令に、各国に設置された共産党支部は従い、革命運動に従事した。

コミンテルンと類推させると、「イスラム国」のやっていることがよくわかる。「イスラム国」は、世界イスラム革命に本気で着手したのだ。
もっともソ連は、国際法を遵守する国家だと主張し、コミンテルンとは無関係だと主張した。

これに対して「イスラム国」は、国際法を完全に無視し、国際社会の秩序を直ちに覆そうとしている。

(4)世界イスラム革命の影響は日本にも及んでいる。
1月20日、「イスラム国」の構成員と見られる男が日本人2人の身代金を要求する画像がYou Tubeに流れた。

(5)安倍首相は中東を歴訪し、「イスラム国」対策として2億ドルを支援する、と表明した。その額と同額の身代金を、当初テロリストは要求した。

しかし、首相の中東訪問がテロ行為を誘発した、と見ると事柄の本質を捉え損ねる。日本人人質事件は、フランスの連続テロと同じ文脈で理解すべきだ。「イスラム国」は、暴力によって世界イスラム革命を実現しようと決めた。既存の国家秩序、国際法、普遍的価値観を遵守する日本も、欧米、ロシア、同様に打倒対象とされているのだ。

今回、首相が中東を訪れなかったとしても、いずれ「イスラム国」はこの種の脅迫を行ったはずだ。


執筆中