丸山俊 BNPパリバ証券 日本株チーフストラテジスト

[東京 15日] - 日経平均株価は今月10日の取引時間中に15年ぶりとなる2万円を回復。しかし、採用銘柄が毎年入れ替わること、とりわけ2000年に大幅な入れ替えがあったことを考えると、過去の水準と単純に比較することは厳に慎むべきだろう。
実際、2000年の大幅入れ替えの影響を考慮した旧日経平均株価はとっくに2万円を超えていると推定される。

それはそれとして、1月下旬以降の相場上昇は、利上げを模索し始めた米国から、量的緩和を強化した日本と量的緩和に踏み切った欧州への資金シフトがけん引役だった。ドル高とそれに伴う原油安は日本・欧州の企業の投資意欲や消費者心理を刺激し、長期金利の一段の低下は投資家の利回り追求を後押しした。

株式益利回りと債券利回り、株式配当利回りと債券利回りの大幅な乖(かい)離は株式が債券に比べて大幅に割安であることを示唆している。これが景気後退局面であれば利益・配当の減少を心配しなければいけないが、景気回復局面に入った日本・欧州では利益・配当の増加に対する期待が株式の魅力を高めている。

特に日本経済は増税後の反動減緩和や原油安、昨年度を上回る賃上げによる実質所得の押し上げによって個人消費が回復し、円安を追い風に製造業を中心に設備投資がある程度戻るとの期待が高い。国内景気回復と企業収益改善により、グローバル株式の中でも低株価変動率と低収益変動率の性質を兼ね備え、さらに株主還元の強化によって高配当性向になれば利回り追求に最も適した投資先になり得るポテンシャルを2015年の日本株は有しているし、実際にそうした見方が今の日本株を根強く支えている。

さらに海外投資家が長年求めてきたコーポレートガバナンスの改善に日本企業がようやく取り組み始めたという手応えは、公的・準公的機関の株式投資と並び、今や日本株が投資パフォーマンスにおいて他を抜きん出ると期待される大きな理由の1つである。

<官製株高への過剰な期待は禁物>

もっとも、目先では、米ドル・米株の調整が欧州株や日本株の調整に発展する可能性には注意が必要だ。ドル高や原油安の影響により米国企業決算が減収減益に陥る見込みであるほか、米国の第1四半期国内総生産(GDP)成長率が前期比1%台(年率換算)にまで落ち込む可能性が否定できない。
足元での米景気減速は、悪天候や港湾ストの影響だけでなく、利上げを模索し始めた米国で商業銀行が貸出態度を厳格化させていることが影響している可能性がある。市場が利上げ時期の後ずれを好感する局面から、米景気減速やデフレ圧力を懸念する局面にシフトした場合、相場に波乱が起こる恐れがある。

海外投資家の買い越し金額(ネット)を見ると2月の株高は明らかに先物主導であり、その大半が3月の精算日でロールオーバーされているため、そろそろ利益確定のタイミングを見定める頃合いではないか。その際、懸念されるのは現物市場で最大の買い手は公的マネー(=信託銀行)ではなく、主に裁定取引を行っている自己勘定部門であることだ。このため、何らかのきっかけで先物価格が急落した場合、裁定買い残解消に伴う自己勘定部門の現物株売りが一段と株価を下押しする可能性に注意したい。

もちろん、株価が下がれば公的マネーが下支えてくれるとの思惑はあるだろうが、それでは年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)や日銀が買い支えていたにもかかわらず昨年12月中旬から今年1月中旬にかけて日経平均株価が1500円以上も下落したのはなぜか、という疑問に答えることは難しい。公的マネーが株価を下支えしていることは紛れもない事実だが、「アナウンスメント効果が効いている」程度に冷静に捉える必要があろう。

ちなみに、GPIFや準公的年金基金(3共済:国家公務員共済組合連合会、地方公務員共済組合連合会、日本私立学校振興・共済事業団)は10月1日から資産構成の目標値を共有し、運用を一元化する。しかし、最近の株高と昨年10―12月期以降の積極的な資産入れ替えによって、例えばGPIFの国内株式保有比率は足元ですでに23%に接近していると推定される。仮に9月末に向けてベンチマーク比率(25%)を達成しようとすると買い余力は3兆円程度しかないものと思われる。

問題は、公的年金基金の資産構成見直しが一巡した後、日銀以外に誰が日本株を買うのかである。市場ではすでに国内株式の保有比率引き上げに動いている「かんぽ生命保険」に加えて、資産運用の分散が課題の「ゆうちょ銀行」に対する期待が高いようだ。ゆうちょ銀行の保有資産はGPIFを大きく上回る205兆円に達し、その大半は国債で運用されているため、資産規模から言えば株式買い増し余力は大きいように映る。

実際、ゆうちょ銀行は向こう3年間で14兆円をリスク資産に投資すると最近になって発表した。しかし、その大半はおそらく外債となるだろう。

なぜなら、ゆうちょ銀行の自己資本は約8兆3000億円(2014年10月)であり、自己資本比率は43%と世界一と言っても過言ではないほど健全な銀行である。しかし、上場株式を保有した場合のリスクウエイトは300%であるため、仮に上場株式を2兆円買い入れると自己資本比率は33%に、上場株式を10兆円買い入れると17%に落ち込む。今後、M&Aや貸出ビジネスにも参入していくとすれば、ゆうちょ銀行が買うことのできる上場株式はせいぜい合計2―3兆円程度ではないかと思われる。

なお、自民党内では日本郵政グループの企業価値向上を図る目的で、「ゆうちょ銀行」(現在1000万円)「かんぽ生命」(同1300万円)の加入限度額をそれぞれ引き上げる検討が始まった模様であり注視していきたい。

<バブルなら株価はどこまで上がるか>

結局、日経平均株価2万円後の株式投資については、目先の反動に注意しつつ、公的マネーの買いには過度の期待を抱かず、加えて以下の点の見極めが必要となろう。

まず、成長期待の高まりがリスクテイクを促した当時と異なり、現在の低成長・低インフレ・低金利がリスクテイクをどの程度促すのかは不確かだということだ。

例えば、食品株や医薬品株が割高にもかかわらず際立って好調なのは、先進国の長期金利が一段と低迷する中、世界経済の成長に自信は持てないものの利回りを必要とする投資家がいるからである。つまり、株価変動率(ボラティリティ)が小さく、利益変動も小さく、配当性向が高いという債券と株式の中間的な性質を持ち合わせている食品株や医薬品株をあたかも債券に投資するかのように買っているのだ。

生活必需品である食品や医薬品は販売価格を引き上げても需要が大きく落ち込む心配もないため、円安インフレへの抵抗力は強く、海外市場の成長性も十分だ。割高でも買われる食品株・医薬品株と、割安でも放置される商社株や自動車株といった景気敏感株の二極化は、投資家のリスクテイクがいまだ局所的であることを示している。

また、そもそも利回り追求は「低金利」という大前提が崩れれば終わりであること、世界経済の低成長下ではいくら利回りが高くても収益が安定あるいは成長していなければ見向きもされないこと、日本株が利回り追求の受け皿になるには配当性向を一段と引き上げる必要があることを忘れてはいけない。

日本企業の配当性向は依然として30%足らずであり、欧州企業の約60%と比べるとその開きは歴然である。現状は配当性向がようやく30%に達してホッと一息をつけるかなといったところであり、40%以上の配当性向目標を掲げている企業は一握りでしかない。横並び意識が強い日本社会で、日本株式会社や業界を代表するような会社、例えばトヨタ自動車(7203.T)が率先して配当性向を40%に引き上げるといったブレイクスルーが待ち望まれる。

また、取締役の選任や報酬決定に権限を持たない社外取締役が、米国のように株主の代理人として経営を監視できるのかも気がかりな点だ。株主総会で選任されているはずの社外取締役で株主の代理人という意識を強く持つ人材は多くないように思われる。

つまり、稼いだ利益がせめて他の先進国並みの水準で株主に還元され、そしてコーポレートガバナンスの改善を確認できる材料が実際に積み重なってこないと、日本企業の資本に対する評価は高まらないのではないかというのが率直な感想である。

最後に言い添えれば、先進国共通の低インフレ・低金利環境が続く限り、低株価変動率、低収益変動率、高配当性向のリスク資産に対する利回り追求が果てしなく続き、市場全体のリスクプレミアム低下を通じて、やがてバブルを引き起こす可能性は否定できない。

そのときの株価水準を見通すことは困難だが、仮に投資家の要求収益率(エクイティリスクプレミアム:ERP)が2004―2007年の世界好況期並みの水準である4.5%まで低下すると現在の収益予想から逆算される日経平均株価の理論値は2万3000円となり、同期間の最低値並みの水準である4.0%にまで低下すると2万7000円となる。

2万円は瞬間回復したあと2万円を超えられずにいる。晴れ間が少ない今年の菜種梅雨のようである。

無理もない、もうすぐセルインメイが近ついている。例年ゴールデンウィークに前後に株価が一旦天井を何度もつけて、夏低迷し年末に向かって上昇するパターンが身に染みついてしまっている。

バブルとITバブルを二度に亘って経験した者にとっては、まだこの相場はバブルとは言い難い。

1985年のプラザ合意からバブルが発生し日経平均が38915円で天井を打った。 バブル時には土地不動産が急上昇し、 ITバブルの時には30年後の IT技術の夢を買ってしまった結果、バブル崩壊を招<大きな原因となった。
あの時は夢があった、夢を買うといっても大変なことをしてしまった。その結果がその後の15年間の日本の衰退を招いてしまった。18000円まで戻り立ち直りかけた時にもリーマン・ショックが発生し証券市場参加者は皆大やけどを負った。

バブル崩壊後、日本経済を振り返ってみると、実に苦しい時代であった。海外の投
、資家からは日本経済は成長性のないデフレ経済として、世界の経済学者からは誰もがなりたくない反面教師とののしられ、あげくのはてには「超円高」の餌食とされ、日本の国富は3分の1となり、超貧乏国になってしまった。

ここで日本経済の超貧乏国の流れを変えたのが安倍首相の唱えるアペノミクスである。 20年近く苦しんでいた日本経済を変えたのは間違いない。

米国は今まで世界が経験したことのない超緩和策を採り、続いて、日本がデフレの中で異次元緩和といわれる超緩和策をとり、欧州でもユーロが超緩和政策をとり、さらに新興諸国もQE政策をとったことから、世界の金融緩和であふれ出た投資マネーが経済再建の早い日本株に向かい、日本株は2002年4月以来、15年ぶりに2万円台を回復した。アベノミクス始動からの2年半で海外投資家による日本株の買越額は18兆円に上る。株価水準は2倍以上となり、世界でも突出した上昇率である。
特に昨年後半の上昇率は1990年代後半、ITバブルを上回る上昇となった。

 海外ヘッジファンドなどの短期マネーが流入し、下がるとすかさず買いが入る展開となった。特に昨年の後半には外国人投資家が日本の企業の急成長ぶりを知らずに売りに回ったことで、今年に入り日本株の持たざるリスクを感じ、各国の長期投資家が日本の優良株の所有株数を増やしたため、日本株は品薄化となってしまった。それに加えて日本でも公的年金などの運用が自由化され、国内の投資資金が日本株に向かいだしているのも海外勢が日本株を再評価する要因となってしまった。

2万円の日経平均株価をつけたのだから「これでよし」とはいえないというのが現状の日本経済の本音である。日本では今年、郵政が株式を上場することになっている。 

>ゆうちょ銀行の自己資本は約8兆3000億円(2014年10月)であり、自己資本比率は43%と世界一と言っても過言ではないほど健全な銀行である。


だが、
ゆうちょ銀行が買うことのできる上場株式はせいぜい合計2―3兆円程度ではないかと思われる。

200兆円のマネーをかかえ株式投資を拡大化する構想もあり、郵貯に株式運用許可がおりれば日本株はますます品薄化が進み、上昇力を一段と強めるだろう。 

今年はセルインメイを乗り越えられるだろうか?

コラム:低インフレ後の「資産バブル」再来リスク=竹中正治氏
【ロイター】2015年 04月 14日 17:18 JST

竹中正治 龍谷大学経済学部教授

[東京 14日] - 非伝統的金融政策(量的緩和)からの出口に差しかかっている米国で、失業率や新規雇用者数で見る雇用情勢は着実に改善しているにもかかわらず、インフレ率が目標の2%未満の状態が続いている。

このことに米連邦準備理事会(FRB)が頭を悩ましている。これは日本にも共通する問題だ。米国で低インフレが続く原因とそのリスクを考えてみよう。

FRBが使命とする政策目標はインフレ率の安定と雇用の最大化だ。この2つの目標に対して政策手段は金融政策の1つだけである。独立した1つの政策目標を達成するためには、独立した1つの政策手段が原理的に必要とされる。にもかかわらず、一般にFRBの使命が矛盾しないのは、インフレ率と雇用の変化に安定した関係がある場合だ。

例えば「フィリップス曲線」の名で知られているようにインフレ率と失業率の間にはトレードオフの(負の相関)関係がある。FRBが短期・中期的なショックに対応しながら金融政策のかじ取りを行い、インフレ率を一定の水準で安定化させれば、長期的には需給ギャップはゼロとなり、長期的な均衡状態における自然失業率を達成できると考えられている。

しかし、インフレ率と失業の関係性が壊れてしまう時もある。その代表例が1970年代のスタグフレーションの時代で、インフレの高進と失業率の上昇が同時進行した。こうなると金融政策として双方の同時追求ができない。

結局、この時は1979年に就任したポール・ボルカーFRB議長の「新金融調節方式」の下で厳しい金融引き締めが実施され、根強いインフレ期待を抑え込むことを優先した。ただし、その代償として1980年代前半は2度のリセッションに見舞われ、失業率はピーク時に10%台まで上昇した。

<低インフレの何が問題か>

今、FRBが直面している問題は、1970年代とは反対の「低インフレ持続」リスクだ。この問題はローレンス・サマーズ元米財務長官が指摘してきた「長期停滞(secular stagnation)仮説」、つまり自然利子率がマイナスに落ち込んでしまうリスクとも関連して議論されている。

もしデフレと紙一重のような低インフレが慢性化すれば、FRBはこれまでの量的緩和で膨張したバランスシートの正常化(縮小)もできず、目立った金利の引き上げもできないことになる。そうした状態のままだと、将来再び経済に何かのショックが発生して景気が後退した場合に、金利の引き下げ余地は極めて小さくなる。つまり、FRBが金融政策として取れる手段は極めて限られるという厄介な事態となるわけだ。そういう意味で低インフレは低金利と表裏の関係にある。

足元の個人消費支出(PCE)価格指数の変化は、全品目ベースで0.3%(今年2月の対前年同月比)であり、FRBが重視している「食料とエネルギーを除くベース」で同1.4%と目標の2.0%に届いていない。

もちろん、全品目ベースで0.3%まで低下したのは、昨年第4四半期から顕著になった原油を中心とする資源価格の下落の影響だ。それは資源価格の調整・下落が止まれば終わるので一過性のものであり、問題はない。むしろ米国のマクロの交易条件が改善するので実質所得が増加する。ところが「食料とエネルギーを除くベース」でも目標の2%に届かない状態が2012年5月以降続いている。これが懸念されているわけだ。

<現下の日本経済にも類似した特徴>

それでは何が低インフレ・低金利の原因となっているのだろうか。原因候補の第1は設備投資需要の低迷である。設備投資の減少は長期的には供給面の制約をもたらすが、短期では資金需要と投資需要の減少として低金利、低成長、低インフレの要因となる。サマーズ氏はこうした見方に立っているようであり、「インフラ整備(公的資本形成)などのために財政支出を拡大する」ことを提唱している。

しかし、民間設備投資が名目国内総生産(GDP)に占める比率は、2009―2014年の平均が11.9%、1950―2008年の平均値は12.0%であり、安定している。GDP成長率と民間設備投資伸び率の間には高い正の相関関係があるが、その関係性が2009年以降に変化しているようにも見えない。つまり、設備投資が細っている兆候は見られない。

第2の原因候補として貯蓄率の上昇(消費性向の低下)はどうだろうか。家計の貯蓄率(対可処分所得)は、リーマンショック後の不況下で家計のバランスシート調整が起こった局面では上昇したが、2013年4.9%、2014年4.8%と落ち着いている。これは1990―2008年までの平均5.5%より低い。つまり、家計部門で貯蓄増加(消費減少)が生じているわけでもない。

民間企業部門ではどうだろうか。民間事業部門の「未分配企業利益(undistributed corporate profit)」の国民総所得(GDI)に対する比率を見ると、1990―2008年までの平均値が2.3%であるのに対し、2009―2014年の平均は5.0%と上がっている。つまり、2009年以降、企業利益が回復する一方、内部に留保される利益の比率が高まっている。また、GDIに占める労働分配率は、1980―2008年の期間は平均56%を中心に安定的に上下動をしていたが、2009―2014年の平均値は53%と下方シフトの傾向が見られる。

以上で何が起こっているか察しがつく。つまり、リーマンショック以降、企業収益は順調に回復し、企業は手元流動性を積み上げ、雇用も回復しているにもかかわらず、それが賃金上昇にあまりつながっていないのだ。興味深いことに、これは現下の日本経済でも類似した特徴だ。
<失業率と名目賃金伸び率の関係に異変>
そこで掲載図をご覧いただきたい。横軸は失業率、縦軸は名目賃金指数の変化(前年同月比)だ。いわゆるフィリップス曲線である。同曲線を論文で最初に提示したウィリアム・フィリップスは失業率と名目賃金の変化として描いた。その後ポール・サミュエルソンが失業率とインフレ率の関係性として定式化してから、それが一般的になったが、ここでは名目賃金指数の変化として示した。
失業率と名目賃金の変化の関係性を示す近似線の傾きが、2009年までとそれ以降で変わっているのがわかるだろう。つまり、2010年以降、景気の回復で失業率が低下しても名目賃金がそれ以前ほど伸びていないのだ。インフレ率と名目賃金の変化にも正の相関関係がある。したがって「賃金伸び率の低下が低インフレ率を招く」という構図に経済がはまっていると筆者は考えている。

では、失業率で見た雇用の回復にもかかわらず、なぜ賃金伸び率は低いままなのだろうか。「完全失業率=失業者数/(就業者数+求職活動をしている失業者)」で算出される。戦後最大の景気後退を経て米国の労働力の供給には失業率が示す以上のスラック(余裕)が生じている可能性がある。実際、米国の労働参加率は過去数年で3%ポイントも低下しており、これはベビーブーマー世代の引退という人口動態要因を勘案しても大きな低下だ。相当数の「求職あきらめ組」を含んでいると考えられている。

そうした「求職あきらめ組」も景気の回復に伴ってじわじわと求職活動に復帰している。その結果、右上がりの労働供給曲線(縦軸に賃金、横軸に労働供給・需要量)の左部分がフラットに近い状態になっていると考えると説明がつく。この状態では景気の回復で労働需要曲線が右にシフトしても、労働供給曲線がフラットに近いので名目賃金はなかなか上がらない。

今後、景気の回復、雇用需要の増加が続けば、近い将来に労働需要曲線はさらに右にシフトして労働供給曲線の右肩上がりの部分と交差するようになるだろう。つまり、賃金が上がり始めるということだ。イエレンFRB議長の直近3月27日の講演(Normalizing Monetary Policy:Prospects and Perspectives)を読む限り、これはFRBの基本認識(メインシナリオ)でもある。筆者も大方はそのシナリオで正しいのだと思う。

ただし、名目賃金の伸び率と失業率の関係は既述の通り決して安定的ではなく、様々な要因で変化する。技術革新の進展で、製造業でもサービス業でも、定型的な労働を中心に機械による代替がますます進んでいる。現下のドル高も輸入物価の低下を通じて、海外と国内の労働者との賃金面での競合を強めている。こうしたことも賃金伸び率の低下要因になっている可能性がある。

<将来のリスクはインフレより資産バブルか>

それでも上記のメインシナリオに基づいてFRBは低インフレ見通しが変わるまで、金利の引き上げには慎重で、緩和的な金融政策を継続するだろう。この点において前掲講演でのイエレン議長の説明は実に微妙で、インフレ率が目標水準に達するまで金利の引き上げや金融政策の正常化を待つことは適切ではなく、目標水準の達成が予見できるようになったらアクションを取るのだと説明をしている。
そして注目すべきは、「長過ぎる期間、金利を低過ぎる水準に維持すれば、投資家による不適切なリスクテイクを助長しかねず、金融市場の安定性を損なう可能性がある」と述べている。つまり、資産バブルのリスクに言及しているのだ。

イエレン議長はそれ以上踏み込んでいないが、この点は今日の金融政策をめぐる厄介な問題に絡んでいる。というのは、インフレ率の安定と雇用の最大化を実現する金利水準と、資産バブルを抑制・回避するのに適正な金利水準が一致する保証はないということだ。
むしろ「雇用・インフレに望ましい金利水準が資産バブル抑制・回避に望ましい金利水準より低くなる」という乖(かい)離が生じる可能性が高い。これこそ過去四半世紀の様々な資産バブルの教訓ではないだろうか。

さらに言えば、米国の景気循環自体が、総需要と総供給のバランスを軸にした実体経済の循環的な変動(business cycle)から、信用の膨張と収縮を伴う資産価格の変動(credit cycle, market cycle)に性質を変えている可能性がある。

ドル高を伴った低インフレが長引く結果、金利の引き上げが延び延びになり、信用の膨張が再び株式か不動産などの資産価格のバブル的高騰を招く危険が、まだ将来のことではあるが、じわりと高まっていると思う。

振り返ると、ITバブル崩壊による景気後退後、当時のグリーンスパンFRB議長は、2003年に景気後退が終わっているにもかかわらず、インフレ率がじりじりと下がり、日本のようなデフレに陥るリスクを真剣に懸念した。結局当時はデフレにはならず景気回復が持続し、2004年6月から金利引き上げに転じたのだが、そのテンポは非常に慎重なものだった。FRBは公式には認めていないが、デフレに陥るかもしれないという2003年の恐怖経験が、住宅高騰下での金融引き締めをスローなものにした可能性があると筆者は思っている。

代々FRBはグリーンスパン議長もバーナンキ議長も、「バブルは破裂してからでないとバブルとは判断できない」という立場であり、資産価格の高騰もそれが実体経済の景気の過熱、インフレ率の過度な上昇として顕現化する場合にのみ金融引き締めで対応すべきであるという方針を取ってきた。

そうした方針の背後には、雇用・インフレに望ましい金利水準と資産バブル抑制・回避に望ましい金利水準のかい離を想定すると、「1つの金融政策で複数の異なる政策目標を追求する」という政策論の原理的な矛盾を認めることになるので、それを回避したい意識があるのだろう。しかし、資産バブルは必ず金融緩和下の信用膨張をベースに起こる。そのリスクを過小評価するコストはあまりに大きかったことが2000年代のバブル崩壊と金融危機の教訓だ。

筆者は米国経済については長期的に強気の見方をしているが、それはリスクの不在を意味しない。イエレン議長がこの厄介な問題にどう対処するか、それが問われる局面が数年以内に到来する気がしてならない。


執筆中