イラン・サウジ断交、米国の中東政策に新たな試練
【WSJ】By JAY SOLOMON 2016 年 1 月 4 日 14:00 JST

【ワシントン】サウジアラビアが3日にイランとの断交を発表したことは、オバマ米政権にとって、すでに期待薄となっている中東危機緩和への取り組みが予想外の複雑さを増す結果となっている。

米政府当局者らは、イランとサウジの対立により、シリア内戦の終結を中心とする中東地域での広範な取り組みが損なわれかねないとの懸念が高まっていると指摘する。

ケリー米国務長官は、イランとサウジ両政府に対し、シリア内戦に対処する直接的な外交チャンネルを確立するよう数カ月にわたって圧力をかけていた。

両国は2015年後半に渋々ながら、シリア情勢をめぐる多国間の和平プロセス参加で合意した。これを受けて、国連安保理が和平を目指す決議を全会一致で採択。国連はシリアのアサド政権と反体制派の代表による和平交渉を今月後半を目標に開催すると明らかにした。しかし、イランとサウジの関係悪化で、シリアの和平交渉をめぐる計画の実現が疑問視される結果となっている。

また、オバマ政権下での米国とサウジの関係悪化も露呈している。サウジの当局者らは、イランがアラブ諸国の動揺を狙う地域的な取り組みを展開していると主張し、これを阻止するために一段と積極的な政策を打ち出すよう米政権に繰り返し圧力をかけてきた。

サウジの当局者らは、昨年7月のイランと欧米など6カ国による核合意について、イランは核開発能力が数年間だけ縮小される一方で、著しい財政強化につながると警告している。

この核合意のもと、イランは向こう数カ月のうちに、凍結されていた最大1000億ドル(約12兆円)規模の石油収入を受け取る公算で、こうした資金はイラクやレバノン、シリア、イエメンで代理勢力の支援に使用される可能性がある。

一方、サウジは昨年、サルマン国王が就任して以来、一段と積極的な外交政策を取っている。息子のムハンマド・ビン・サルマン王子(30)を国防相に起用し、以前にも増してイランとの対抗姿勢を強めている。それは、イランの支援を受けたイエメンの民兵組織に対する空爆や、地域の脅威に対して配備する目的の汎アラブ軍設置などでも顕著だ。

サウジの当局者らは先週末、同国がシーア派指導者のニムル師の死刑を執行したこと、ならびに、イラン政府との外交関係断絶をめぐるオバマ政権の懸念を重視しない姿勢を示した。

ここ数日間にサウジ政府の考え方について説明を受けたある人物は、「もうたくさんという印象だ。イラン政府は引き続きテロ集団への資金援助や弾道ミサイルの発射を行っており、それについて誰も何も行っていない」と述べた。

アラブ諸国政府だけでなく、米国の民主党議員も、弾道ミサイル実験の実施に対するイランへの新たな制裁計画をオバマ政権が撤回した際には懸念を強めた。

米政権は昨年12月30日、イランなどの個人や企業に新たな制裁を検討していると議会に伝えたものの、すぐにその決定を覆し、追加制裁の時期については不透明なままだ。

先週末、サウジが正式にイランとの外交関係を断絶すると発表し、両国の対立が一段と深まるなか、数世紀にも及ぶ宗教対立に基づく争いに米政府がどの程度影響力を行使できるかをめぐって、米当局者らは懐疑的な見方を表明している。

アラブ諸国の当局者や複数の中東専門家は、サウジとイランの関係悪化が一段と深刻になれば、米国の外交的立場は一段と難しくなると指摘する。

米国はサウジにとって最も重要な武器供給国かつ軍事同盟国であり、対立が激化する場合にはサウジを支援することが期待される。

ただ、オバマ大統領はイランと核合意に達しており、両国関係を改善させてきた。イランとの外交関係改善はオバマ大統領の最も重要な外交政策の一つだ。

アラブ諸国の外交筋は、ここ数日のうちに、イランと距離を置くべきだという米国への圧力が高まると指摘。バーレーンなどサウジにとってアラブ諸国中で最も密接な同盟国は、サウジ政府の外交政策に従い、イランとの関係を断絶もしくは格下げする見通しだ。

スンニ派の盟主を自任するサウジアラビアと、シーア派の大国のイランの対立は、第三次世界大戦に発展する危険性さえある。

サウジ大使館襲撃の背景には、イランの国家意思があるだろう。大使館が焼き討ちされたのに、人的被害がないこと自体が不思議だ。襲撃が暴徒によるものではなく、指揮命令系統の存在が疑われる。ウィーン条約で大使館の安全を確保する義務を負っているのに、イラン側には襲撃を本気で防ごうという意思はみられなかった。

サウジは国内のイラン外交官に48時間以内の国外退去を要求したが、48時間では秘密文書を処分することはできない。関係先を捜索し、イランがサウジの政権転覆に関与した証拠を探す狙いがあるのだろう。

イラン側は法学者のニムル師の処刑に激しく抗議したが、シーア派が約半数を占めるサウジの東部で、ニムル師が暴力的な反体制活動の中心にいたことは間違いない。両国の対立は、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)の台頭が引き金になった。ISは欧米への攻撃が目立つが、シーア派撲滅という宗派闘争の側面が強い。IS打倒で勢力を伸ばすイランに対し、サウジはアラビア半島がイランの影響下に入ってしまうことだけは避けたく、イランよりISの方がましだと考えるようになった。

米国は今回の事態に何もできないだろう。イラン人がサウジに巡礼に来た際の衝突などは容易に想像でき、非常に危険な状態になったといえる。(談)

サウジのシーア派指導者処刑で深まる中東危機
【Yahooニュース】2016年1月4日 17時29分配信川上泰徳  中東在住 ジャーナリスト

「アラブの春」に呼応するデモ

サウジアラビアで2日にテロに関与したとしてシーア派の宗教指導者のニムル・ニムル師が処刑されたことが、サウジ国内の少数派のシーア派の反発を生み、さらにシーア派が政治を主導するイランやイラクから抗議が噴き出した。テヘランではサウジ大使館にニムル師処刑に抗議する数百人のデモ隊が押し入り、火炎ビンを投げて、火をつけるなどの騒ぎになった。サウジ政府はイランとの外交関係の断交を発表した。スンニ派とシーア派の対立の激化は、シリア内戦を終結させる和平協議やイラク情勢にも影響し、中東をさらに不安定にしかねない。

発端となったのは、サウジ内務省がテロリストとして処刑した47人の名前を公表した中に、数人のシーア派の民主化活動家が含まれ、その一人がニムル師だった。ニムル師はサウジ東部のシーア派の中心都市カティーフのアワミヤ地区のモスクのイマーム(宗教指導者)。2011年春にチュニジア革命やエジプト革命を発端としてアラブ世界に広がった民主化運動、いわゆる「アラブの春」で、カティーフでデモを呼びかけたという。ニムル師は2012年にサウジ当局に拘束され、14年に死刑判決を受けた。

●「暴力ではなく表現の自由を行使」


国際的人権組織アムネスティー・インターナショナルの報告によると、ニムル師の死刑は「支配者への不服従」「宗派抗争の扇動」「デモへの参加を主導」などが理由となっているという。「ニムル師の発言を検討した結果、師は表現の自由を行使したものであって、暴力を煽ったものではない」と結論づけ、釈放を求めた。さらにニムル師に死刑判決を出した裁判について「深刻な問題があり、証拠は師に不利益なものばかりで、法廷での目撃者の陳述はなく、さらに被告人としての法的に基本的な弁護の手段も否定された」などと裁判を否定している。

サウジアラビアでは死刑執行は通常は、金曜日の礼拝の後に斬首による公開で行われる。ニムル師の処刑の詳細は明らかになっていない、2日に発表されたことは1日の金曜日に執行された可能性が強い。2日の公表とともに、中東のシーア派世界では一斉に反発の声が上がった。

サウジ国内では2日、ニムル師の出身地でもあるカティーフではアワミヤからカティーフ中心部に向かってニムル師の肖像を掲げて、「サウジ体制打倒」の声を上げるデモ隊の映像がインターネットで掲示されている。スンニ派王政の下でシーア派が国民の多数を占めるバーレーンでもニムル師処刑に抗議する人々が抗議デモを行い、治安部隊との衝突が起こった。

●テヘランでは怒れる民衆がサウジ大使館を襲撃

ニムル師は若いころテヘランでシーア派教学を学んだ。同師の処刑について、イランの最高指導者ハメネイ師やロハニ大統領も「イスラムにも人間の道にも反する」と非難し、著名な宗教者か次々と非難の声明を挙げた。テヘランからの報道によると、宗教学生はテヘランのサウジアラビア大使館の前で抗議デモを行ったが、怒った民衆は大使館に突入し、火炎瓶を投げて、大使館に火をつけた。イランの治安部隊はデモ隊と衝突し、デモ隊の40人が逮捕されたという。テヘランでのサウジ大使館襲撃を受けて、サウジ政府は関係断絶を発表した。

シーア派勢力が政権を主導するイラクでも、ニムル師の処刑に対する非難が噴き出した。アバディ首相は「処刑は地域の治安に影響を与える」と警告した。バグダッドでは1990年にイラクがクウェートに侵攻して以来、閉鎖されていたサウジ大使館が1日に再開したばかりだが、シーア派政治組織の指導者からは「外交関係を断絶すべきだ」との声も上がっているという。

中東でのスンニ派とシーア派の宗派抗争は、2006年にイラクで広がり、サウジを含む湾岸地域にも緊張がたかまった過去がある。今回はサウジを震源として、宗派対立を抱えるバーレーンなどの湾岸、さらにはイラク、シリアに広がりかねない。サウジが国境と接するイエメンでシーア派武装組織「フーシ派」が首都サヌアを陥落させて、さらに勢力を拡大し、2015年3月にはサウジと湾岸諸国による空爆が始まるなど、状況は悪化している。サウジのカティーフのニムル師の家族や宗教指導者は、シーア派民衆に平静を呼びかけており、混乱が広がることは考えにくい。しかし、宗派抗争は民衆の間の疑心暗鬼によって起こり、広がることから、一触即発の状況は続くだろう。

●シリア和平協議に影響

今回のサウジとイランの関係悪化で直接影響を受けるのは、1月にも始まる予定のシリア内戦を終結させるための和平協議である。昨年11月にウィーンで開かれたシリア支援国外相会合で和平の枠組みが基本合意され、それが12月の安保理のシリア和平決議につながった。この会議の重要性は、イランがシリア和平関連の国際会議に初めて参加し、サウジとともに地域主要国としてシリア和平に参画する態勢ができたことだ。しかし、両国の外交関係断絶によって、シリア和平もまた混迷に陥らざるを得ない。

●なぜ。この時期にシーア派宗教者を処刑?

なぜ、いまサウジ政府は、このタイミングで反発が起こることが分かっているシーア派宗教者を処刑したのだろうか。背景にある最大の要因は、サウジでのISへの脅威である。

ISのテロは昨年5月に、カティーフや隣接するダンマンのシーア派モスクで起こった。6月にはサウジの若者がクウェートのシーア派のモスクで自爆テロを起こした。いずれもサウジ国内に拠点を持つISが犯行声明を出した。

ISがシーア派をテロの標的とするのは、シリア内戦でイランやレバノンのヒズボラがアサド政権の軍事支援に入り、サウジ国内や湾岸のスンニ派の間に「対シーア派聖戦」を訴える声が強まっているためだ。アラブ世界ではアサド政軍による反体制派の民衆の殺戮を非難する声が広がっており、ISの対シーア派テロは、そのような民衆感情を引きつけようとする狙いであろう。

一方のサウジ政府は2014年9月に米国主導の有志連合がISを空爆した時に、サウジも空爆支援国家として名前を連ねた。ISはシーア派だけでなく、シーア派との戦争に対抗できないサウジ王政も批判している。昨年5月のカティーフでのテロの犯行声明ではサウド王家について、「シーア派に対抗して国民を守ることができない」「イスラム法をないがしろにしている」と批判している。治安部隊の車両を襲撃するなどのテロも起き、8月にはイエメン国境に近いサウジ南部のアブハで治安部隊のモスクで自爆テロがあり、15人が死んだ。

●ISだけではない反シーア派感情の広がり


サウジでシーア派やイランへの反発を強めるのは、ISだけではない。シリアやイラクにいるスンニ派部族の多くが、サウジの部族と同根であり、シリア内戦でのスンニ派部族の悲劇や、イラクのシーア派主導政権の下でのスンニ派部族への抑圧に、サウジの部族の間にも怒りの感情があり、その背後でイランが動いていることへの反感が働いている。

このような背景を考えれば、サウジ政府は、ISとの戦いだけではなく、シーア派にも強い姿勢を示すために、アルカイダ系メンバーの処刑とともに、ニムル師を処刑したということだろう。もちろん、サウジ政府にとっては、ISこそが、真正の脅威である。今後、シリア、イラク情勢の悪化と並行して、サウジや湾岸でのISによるテロが激化する可能性は強く、サウジはその対応に追われることになるだろう。

この文脈で見る限り、サウジ政府によるニムル師処刑は、ISとの戦いを進めるうえでの国内対策ということである。ただし、サウジが対シーア派・対イラン強硬姿勢をとるという政治的なメッセージの表明でもあり、シリア和平などサウジとイランの協力が必要な分野での進展はほとんど望めないだけでなく、中東全体でスンニ派・シーア派の抗争を激化させるリスクを伴うものである。

 サウジアラビアは原油価格が下がり急激に外貨を減らしている。
国家として財政が悪化してサウジ王家が倒れかねない危険が迫っている。
シーア派とスンニ派はキリスト教のカトリックとプロテスタントのように血で血を洗う凄惨な殺し合いを核兵器でやりあうまで続いてしまうのか・・・・
神は神の名で殺しあう人間を許さず大きな罰を与えるのだろうか。
地政学的カオス 

今年の国際情勢を振り返ると、世界が「アメリカ後」の秩序形成に向けて一段と加速 した感がある。それは、一種の安定感を漂わせる多極化時代や米中によるG2時代など とは全く次元の異なる世界だ。 

シリア内戦を始めとした中東の混乱、欧州に押し寄せる難民、中国の南シナ海におけ る人工島造成の既成事実化、ロシアの傍若無人な言動……。世界を見渡せば、「地政学的カオス」というのが実情だ。 覇権国家の役割がバランス・オブ・パワー(勢力均衡)の調停であるなら、その役割 をアメリカに求めるのはもう無理なのかもしれない。

昨年(2014)出版されたヘンリー・キッシンジャー元米国務長官の『World Order』は、現状の国際関係を読み解くのに参考になる。

 キッシンジャー氏はその中で「(大西洋と太平洋により孤立した)地理的条件と膨大 な資源に恵まれたアメリカでは、外交とは選択的行動(optional activity)であるという認識が育まれた」と書いている。

「アメリカは世界の警察官ではない」と明言したオバマ大統領の外交に、まさに当てはまる記述ではないだろうか。 その象徴が、ブッシュ政権時代の遠大な「中東民主化」構想から一転して、中東への 軍事的コミットメントを最小限に抑えようとするオバマ政権の中東政策であり、その矛盾が一気に噴きだしたのがシリア情勢と言えるだろう。 

このアメリカの「変わり身」は、単なる気まぐれではなく、中東の戦略的価値の低下 を反映したものだ。国内でのシェール・オイルの急速な増産により、2020年にはサウジアラビアを抜いて世界最大の産油国になると予測されるアメリカにとって、外交・安保政策において「石油」を重視する必要が薄れている結果なのである。 

その例証が、今年7月のイラン核問題の解決に向けた進展だ。アメリカは、スンニ派のサウジなど親米中東産油国の反発を押し切る形で、イランと最終合意に達した。
年明けにも対イラン経済制裁の解除が予想されるが、石油増産な どでシーア派のイランが経済力を強化すれば、その影響力は強まり、中東秩序が一層不安定化することは間違いない。 ここに、親米路線一本道の日本が読み取るべき教訓が潜んでいる。 

日本はアメリカ頼みを続けて大丈夫か? 

近年の米国の外交政策を見ると、10年単位で大きく基軸が変化していることを見逃してはならない。 冷戦崩壊後の1990年代は、ソ連崩壊の後始末と中東欧の安定などのため、米外交の基軸は欧州に置かれていた。その後、2001年の米同時多発テロを受け、米国は対テ ロ戦争に乗り出し、基軸は中東へ移った。 

そして、2010年代になると、中国の台頭とアジア太平洋地域の経済的ポテンシャルに関心は移り、「PIVOT(回帰・旋回)」と称し、アジアへ基軸を移すのである。

 相対的に国力が低下したとは言え、アメリカが唯一の超大国であることに変わりはない。しかし、世界経済におけるシェアが2割強まで低下した現在のアメリカに、国際秩序のバランサーの役割を求めること自体、すでに無理な要求なのである。

アメリカ は優先地域と課題を決めてその影響力を行使する「選択的超大国」にならざるを得な いのである。 アメリカがどこまで日本、アジアに強くコミットし続けるのか。10年単位で基軸が変遷している冷戦後の外交パターンを見る限り、「米国のアジア回帰」が長続きすると 楽観視できる根拠は薄いように思える。 

ロシア、中国の「無法行為」 

冷戦終結から四半世紀が過ぎ、最近は「地政学」の復活が言われるが、これも、シリ ア内戦がその現実を浮き彫りにしている。 アメリカの中東へのコミットメントの低下が招いた「力の空白(バキューム)」につけ込むかのように、ロシアやイラン、過激派組織「イスラム国(IS)」などが入り乱れ、事態を混沌とさせているのがシリア内戦の実情だからだ。 その現状は、キッシンジャー氏が先の著書で世界の現状を「イデオロギー的、軍事的 対立の新たな時代(new age of ideological and military confrontation)」と 規定している通りである。 

今年は、ロシア、イラン、中国などの「リビジョニスト(現状変革)国家」がアメリ カの支配力を試すかのように、シリアだけでなく、ウクライナなど旧ソ連圏や南シナ海の人工島造成などで領土・影響圏の拡大を進める実力行使の傾向を強めた。

 その分水嶺となったのが、ロシアが2014年3月にウクライナ領のクリミヤ半島を併合したことである。 ここに至って、「力による国境の現状変更は行わない」「法の支配の尊重」という国際秩序を維持するための大原則が崩れてしまった。

中国が今年、南シナ海の人工島造 成を加速させたのは、この出来事の展開と無関係ではないだろう。 東西冷戦が終結した際、唯一の超大国となったアメリカは世界に安定をもたらすことを期待されたが、わずか25年にしてその機会は失われてしまった。 

そして、アメリカに挑戦するリビジョニスト国家・勢力の動機を考えるとき、アヘン戦争(1840年)以後の「屈辱の世紀」を忘れない中国、超大国・ソ連の復活を夢見るロシア、英仏が秘密協定で決めたオスマン帝国後の中東の分割支配に対するイスラ ム国の敵意など、「歴史の記憶」「過去の亡霊」がこれらの国家・勢力を突き動かし ているのではないかと思えてくるのだが、どうだろうか。 

パクス・アメリカーナはどこで狂ったか

それでは、「史上最強の帝国」とまで評されたアメリカによる平和(パクス・アメリ カーナ)の軌道はどこで狂ってしまったのだろうか。 

筆者には、2001年9月11日に起きた国際テロ組織「アルカイダ」による米同時多発 テロだと思える。 当時のジョージ・ブッシュ大統領は同時テロ前は「謙虚なアメリカ」を掲げていた。 それが、約3000人もの犠牲者を生んだ未曾有のテロの発生により、アルカイダとの関係を理由にアフガニスタンとイラクで戦争を始め、アメリカは今も両国での戦争から抜け出せないでいる。 

米軍は2016年末でアフガニスタンから撤退する予定だったが、オバマ大統領は今年10月、現地治安情勢の悪化から、米軍駐留延長の決定に追い込まれている。

アフガスタンは、歴史的に「帝国の墓場」といわれるが、アメリカもそのリストに追加される のだろうか。 筆者は自著『ふしぎなイギリス』(講談社現代新書)で、21世紀初頭の世界情勢につ いて以下のように書いた。 

〈 国際テロ組織『アルカイダ』がアメリカに向けて放った一本の巨大な矢が、史上最強の帝国と言われたアメリカを狂わせた。

最新鋭の兵器と自爆テロが戦うという、非対象性の対テロ戦争で、米英軍は各地の戦闘には勝利できても、戦争自体には勝てなくなった。

 そして、アメリカは『世界の警察官』を務めるだけの気力を失う。盟友イギリスは国力を疲弊させ、2つのアングロ・サクソン国家の結束は緩んでいく。

その結果、世界 はリーダーを失い、進むべき方向性を見失い、乱気流の時代に突入していった 〉(第 5章 アングロ・サクソン流の終焉)



 今年の世界の出来事をフォローし、筆者はこの認識を一層強めている。アメリカの対テロ戦争は、アルカイダの弱体化には成功したが、より悪質で手強いイスラム国というゾ ンビを誕生させてしまった。 

主権国家間の国際秩序が不安定化する一方で、その枠外に ある非国家ファクターのテロ組織が存在感を強め、テロの脅威が世界に拡散する。この1年を安全保障面で振り返る なら、そんな年だったのではないだろうか。

 「平和と秩序は人間にとって永遠の課題である」。キッシ ンジャー氏は先の著書でそう書いているが、この言葉を、実感を持って反芻せざるを得ない2015年であったように思う。



1月3日、サウジアラビア政府はイランと外交関係を断絶することを発表しました。これはテヘランにある在イラン・サウジアラビア大使館とマシュハドにあるサウジアラビア領事館がそれぞれ群衆に襲撃され、放火されたことを受けてのものでした。この襲撃は、同日2日にサウジアラビア政府が、2011年に逮捕されていた国内のシーア派指導者ニムル・ニムル師の処刑を発表したことがきっかけで発生したものです。放火に関わった罪で44人が逮捕され、イランのロウハニ大統領も大使館襲撃を非難していますが、両国関係は悪化の一途をたどっています。

サウジアラビアとイランは、どちらも世界有数の産油国で、さらに形態は異なるものの厳格なイスラーム国家という点で共通します。その一方で、両国はそれぞれ、スンニ派とシーア派の中心地です。二つの宗派の因縁は7世紀にまでさかのぼるもので、両者の反目はイスラーム世界の大きな対立軸であり続けてきました。

しかし、それが大きな背景であるにせよ、大使館の襲撃や国交断絶といった外交問題にまで発展した今回の出来事は、それだけでは説明できません。そこには、現在の中東情勢や外部なかでも米国との関係をめぐる、サウジアラビアとイランの角逐を見出すことができます。

中東情勢をめぐるサウジとイランの立ち位置

大前提として、現在の中東をめぐる、サウジとイランの立ち位置を整理しておきます。

中東をめぐっては、イスラーム圏諸国だけでなく、米国、ヨーロッパ諸国、ロシアといった外部の国、さらにイスラーム過激派が複雑な対立と協力の関係にあります。このなかでサウジとイランはほとんどのシーンで対立し続けてきましたが、現在ではシリア情勢をめぐって、その対立は抜き差しならないものになっています。

サウジは石油を国有化した1970年代以降、最大の顧客である米国と安全保障・経済の両面で、基本的には協力関係を維持してきました。イラクがクウェートを占領した湾岸戦争(1991)で米軍主導の多国籍軍に参加したことや、国内に米軍の駐留を認めたことは、その象徴です。

現代でも、シリア情勢や「イスラーム国」(IS)をめぐる対応で、サウジは欧米諸国とほぼ足並みを揃えています。シーア派の一派アラウィー派で固めるアサド政権に対して、サウジは欧米諸国やトルコとともにその退陣を求め、シリアやイラクでのIS空爆にも当初から参加しています。そのうえ、サウジを含むスンニ派の湾岸諸国は、シリア軍を攻撃するために、アルカイダ系を含むイスラーム過激派にすら資金協力を行ってきたといわれます。

これに対して、イランは1979年のイスラーム革命以来、米国と長く対立し続けてきました。その背景には、イスラーム革命で打倒された、世俗的なシャー(国王)による専制支配を、ソ連への防波堤として米国が支援していたことがありました。そして、イスラーム革命のさなか、テヘランの在イラン・米国大使館が群衆によって占拠されたことで両国の対立は決定的になり、米国はイランを「テロ支援国家」に指定し、経済制裁を敷いてきたのです。

それ以来、イランは「反米」で一致するソ連/ロシアと友好関係を築いてきました。シリア情勢をめぐってもロシアとともにアサド政権を支持し、独自にIS空爆を行っている他、シーア派民兵やレバノンのシーア派過激派組織ヒズボラなどをシリアに送り込んできました。アサド政権の処遇をめぐって、グローバルレベルでは米ロの対立が目立ちますが、イスラーム圏ではサウジとイランがお互いに譲れない関係にあるといえます。

イランの「国際社会復帰」がもつインパクト

ところが、以上の関係は、この数年で変化の兆しを見せ始めています。米国とイランの緊張が緩和したことと、ISに対する国際的な包囲網の形成が緒に就いたことは、その典型でした。

このうち、米国とイランの緊張緩和に関しては、7月に成立したイラン核合意があげられます。イランが核開発を抑制(停止ではない)することと引き換えに、米国などが経済制裁を段階的に撤廃する取り決めは、ペルシャ湾で高まっていた軍事的緊張を緩和しただけでなく、西欧諸国にとっては「イランの核弾道ミサイルの脅威」からの解放の希望をもたせるものでした。それだけでなく、この合意は長く対立し続けてきた米国とイランの関係改善の転機としても注目されたのです。

核合意は、イランにとって、いわば「国際社会への復帰」の象徴にもなりました。イランはWTO(世界貿易機関)に加盟していない国のなかで、最大の経済規模をもちます。経済制裁の解除にともない、イラン政府はWTO加盟に前向きな姿勢をみせるなど国際市場に本格参入する兆しをみせ、日本企業も昨年後半から相次いでイラン進出を目指し始めていました(ただし、WTOドーハラウンドそのものが昨年12月に次回開催を決定しないまま閉幕したことで、一部からは「安楽死」とさえ呼ばれる状態にある)。


ところが、サウジアラビアはこの合意が「譲歩しすぎ」であると批判。この点に関しては、パレスチナ問題などをめぐって立場が大きく異なるイスラエルと同じ立場に立つことになりました。

シリア情勢をめぐる不協和音

サウジにとって、イランが欧米諸国と対立し、「干される」状態の方が好ましいことは確かです。その意味で、その「国際社会復帰」に警戒感を強めるとともに、これを進めた欧米諸国なかでも米国への不信感が募ったことは、想像に難くありません。

同様のことは、シリア情勢とIS対策についてもいえます。昨年11月13日のパリ同時テロ事件以降、フランス政府はIS対策のために、米ロを結び付けることを試みています。これにより、9月末から既にアサド政権を支援する形で、IS以外の反アサド勢力に対しても空爆を行ってきたロシアの国際的認知は、結果的に向上したことになります。それは、ロシアやアサド政権と連なるイランにとっても、悪い話ではありません。

しかし、これはサウジにとって、IS対策とは別の次元で面白くない話です。先述のように、シリア内戦の当初、サウジなどとともに欧米諸国は、「アサド政権の退陣こそ内戦終結に繋がる」と主張していました。しかし、状況の変化とともにヨーロッパ諸国はアサド政権の容認に舵を切りつつあり、米国としても難しい判断を迫られています。

このような環境のもと、核開発問題だけでなくシリア情勢なども念頭に、米国がイランとの関係を見直し始めたことに、以前からサウジは警戒感を強めていました。2013年10月にサウジが、選出されていた国連安保理の非常任理事国のポスト就任の辞退という異例の行動に踏み切ったことは、その象徴でした。つまり、欧米諸国から敵視され、排除されていたイランの立場が好転したことは、入れ違いにサウジの危機感につながり、欧米諸国なかでも米国に対して不快感を隠さなくなっていたといえます。

米国とサウジの隙間風

先述のように、イランが欧米諸国と関係を改善し、国際社会に復帰するだけでなく、シリア情勢をめぐってロシアとともに影響力を増すことは、サウジにとって警戒すべきことです。なかでも、対イラン強硬派という点で一致していた米国のシフトは、サウジにとって認めにくいものです。

一方で、米国のサウジ離れは加速しているようにもみえます。先述のように、サウジは世界最大の産油国であり、長年米国はその最大の顧客でした。しかし、昨年12月に米国は40年ぶりに原油を輸出することを発表。これは、いわば米国がサウジにエネルギー戦争を挑んだものともいえます。

2014年の半ばから、原油価格は既に下落し続けています。2014年11月のOPEC(石油輸出国機構)総会で、中小の産油国が反対するなか、サウジが事実上値下げを意味する「生産量維持」の方針を押し切ったことは、これをさらに加速させました。サウジのこの判断は自らにとっても減収を意味しますが、やはり石油・天然ガスの輸出に収入を依存するIS、ロシア、イランなどにとっても痛手となり、それは引いては米国の安全保障上の利益につながります。この観点からすると、サウジの行動は米国の利益に適うものでした。

しかし、他方で原油価格の下落は、米国で本格化していたシェールオイル生産に、コスト割れの危機をもたらすものでもありました。つまり、サウジによる原油価格の引き下げは、安全保障上は米国をアシストするものでしたが、シェール開発にブレーキをかけることでエネルギー面における米国の中東依存を維持させ、米国の独走を許さないものだったといえます。

ところが、米国はむしろシェールオイルの輸出に踏み切ったのです。市場に供給される原油の量が増えることで、原油価格はさらに押し下げられます。この状況は米国にとっても、シェール輸出から短期的に利益を期待できるものではありませんが、他方で他にこれといった産業のないサウジにとっては、さらに痛手となり得ます。つまり、米国は攻勢に出ることで、将来的に原油市場のシェアを確保する足場を作っただけでなく、自らの首に鈴をつけようとしていたサウジの手に噛みついたといえます。

シーア派指導者の処刑が米国にもつ意味

そんななか、冒頭で触れたように、サウジ政府は反政府の抗議活動を行った罪で逮捕されていた国内のシーア派指導者ニムル・ニムルの処刑を発表しました。

今回、処刑されたのはニムル・ニムルだけでなく、合計で47名に及び、その大半はアルカイダ系の過激派だったとみられています。

とはいえ、シーア派指導者の処遇次第で、宗派対立を過熱させる恐れがあることは、以前から懸念されていたことです。国連なども自制を働きかけていたなかで、あえて処刑が行われたことには、少なくともサウジ政府の確たる意思を見出せます。

つまり、今回のシーア派指導者の処刑は、単純な法的手続きの結果や、国内の反シーア派、反イラン感情への配慮という側面だけではなく、意識的にイランとの関係を悪化させたものとみることができます。それは、両国の関係を悪化させることで、イランとサウジのいずれにつくかを米国に迫る効果があります。そして、それは当然、ロシアを含むIS包囲網の形成などに関する判断に迫られている米国に、「サウジの機嫌を損ねることのないように」というメッセージになってくるのです。

ターンは米国に

日本のメディアでは、サウジアラビアは「穏健派」と呼ばれることがあります。それはイランと異なり、米国と正面から対立するシーンが少ないことによります。実際、繰り返しになりますが、サウジは安全保障と経済の両面で米国と足並みを揃えることも珍しくありません。

しかし、自らの目標や利益のためには、いかに友好国であろうとも、相手との関係において主導権を握られないことは、国際政治の常です。サウジと米国の場合、サウジによる原油価格引き下げ、米国による安売り競争、サウジのシーア派指導者の処刑ときて、また次は米国のターンということになります。次の米国の一手が何であれ、これまでの展開に鑑みれば、少なくとも両国間だけにとどまらない影響をもたらすことだけは確かといえるでしょう。
以上の優れた記事を読めば、サウジアラビアVsイラン情勢のおおよそのことは理解できると思います。

昨年末、ユーラシア・グループ社長のイアン・ブレマー氏が「サウジアラビアの国家としての持続可能性が疑問視される」「産油国の将来は楽観できない」との発言し、サウジアラビアが危うい状況にあると世界に警告していました。

私は2016年10大リスクの筆頭ではないかと予測したのだが、1月4日発表されたユーラシアグループの10大リスク筆頭ではなかったが、同盟の空洞化は間違いではなかった。

だが、正月早々1
月3日、イランの首都テヘランのサウジ大使館が襲撃されサウジアラビア政府はイランと外交関係を断絶することを発表イアンブレマー氏の危機予測が現実となった。5位.Saudi Arabia3位The China Footprintも1月4日中国株は暴落イアンブレマーの予測は大当たりである。まあ、ブレマーのまねした私の予測の1位はサウジアラビア崩壊である。

スンニ派筆頭国サウジアラビアとシーア派筆頭国イランが激突すると、中東情勢はかつてない危機に陥るかもしれない。最悪はペルシャ湾が封鎖され、第3次世界大戦に発展するかもしれない。もし、ペルシャ湾が閉鎖されると現在暴落中の原油が暴騰する可能性がある。これは産油国であるサウジアラビア、米国、ロシアにとっては実は大きくプラスになる。

サウジアラビアがイエメン内戦に介入するなか、シーア派指導者ニルム師が裏で暗躍していると、サウジアラビアが処刑してしまったのが直接のきっかけだが、背景は所詮金だ。ニルム師は民主化を推進する宗教指導者でテロリストでもなんでもないから余計にシーア派が激怒したのだと思う。

2015年12月4日の石油輸出国機構(OPEC)総会が減産を見送り、新たな原油安の引き金となった。

中国経済の崩壊により需要見通しが大きく後退するなかで、産油国の原油生産が止まらず、過剰生産、過剰在庫の問題がより本格化・長期化しているところに、「米政府が自国産原油の輸出を解禁」したり、
「イランの核開発問題の終わりが見えて今後のイランの原油増産・輸出量増加の可能性が更に高まった事」など更に追い討ちをかける要因が加わったのがこのところの原油安の原因である。

サウジアラビアからすると、原油安はイランと米国に八つ当たりしたくもなる。
米国の利上げは、エネルギー関連のハイイールド債の価格急落で関連ファンドに動揺が走り、ベネズエラなど産油国の一角にはデフォルト(債務不履行)の警戒信号がともる。産油国などにサウジアラビアは政府ファンドを通して出資しており昨年は13%ほどマイナスとなりダブルパンチだ。

ドイツ連邦情報局(BND)が12月2日に公表したサウジに関するリスク分析の報告が纏められた。この分析が正しいならば、私はサウジアラビアが数年内に崩壊する可能性もあると思えてならない。

BNDの報告書では、副皇太子への権限集中に伴い、サウジがアラブ世界で影響力拡大を志向し、友好国との関係を損なっていると分析する。  
 
同じころ、サルマン国王とムハンマド副皇太子の統治を批判し、他の王子の擁立を呼びかける文書が英紙に載った。

文書は王族の手によるものとされる。真偽は明らかでない。サウジ・ウオッチャーの一人は「こうした亀裂が表面化するのは異例。何かが起こっている」と指摘する。

http://www.nikkei.com/content/pic/20151221/96958A99889DEBE7E0E2E6EAE7E2E3E4E3E0E0E2E3E78AEBE1E2E2E2-DSXKZO9520487016122015X93000-PN1-7.jpgサウジでは第2代国王から7代目の現国王までの6人は、すべて初代アブドルアジズ国王の息子たちだ。ムハンマド・ビン・ナエフ皇太子とムハンマド副皇太子はその子供たちの世代、いわゆる第3世代にあたる。ムハンマド副皇太子は補助金の削減やサウジ人の雇用拡大を説き、改革派としての顔も持つ。サウジの王族は数千人といわれる。副皇太子への急速な権限集中と改革は反発を招きかねない。別のサウジ専門家は「こんな状態は長続きしない。いずれ王族内で修正が必要になる」とみる。 サウジは北側でシリアやイラクと、南側でイエメンと国境を接する。いずれも国家権力の空白を突き、ISなどイスラム過激派が勢力を伸ばす。その波及を阻止することが最優先の課題だ。 サウジは人口の半分が24歳以下。行き場のない若者の不満は過激派の温床となる。急増する若年層を吸収する雇用の創出や教育の充実、インフラの整備が急務であり、政府は巨額の財政出動で出費をまかなってきた。原油安はその財源を直撃している。

潤沢な金融資産があるとはいえ、国際通貨基金(IMF)はこのペースが続けば5年で底をつくと警告する。OPECは4日の総会で生産目標自体を棚上げせざるをえなかった。結束は崩れ、失速のスパイラルにある。

だが目先の原油安より、サウジの体制の不安定化は中東や原油市場をもっと深刻な事態に陥れる。世代交代の行方に注意を払わねばならない。
サウジアラビアのサルマーン国王の息子であるムハンマド・ビン・サルマーン第2皇太子が、国防相として冒険主義的な過剰な軍事行動に出ている。第二皇子は若干30歳、27歳であるという情報もある。苦労知らずの若旦那が冒険をしたらどうなるか、大抵大店は傾き、没落するのが世の常である。

サウジの若旦那はサウジアラビアを破滅させるのではないだろうか!なぜ第二皇子に権力を集中させているかと言えば、サルマン国王が自らの息子に王位を継承させサルマン王朝を目指しているのである。これは王族内でもめるだろう!

ただでさえ財政難のサウジアラビアにとっては、イエメン内戦介入は財政を更に危機的な状況にするだろう。
 
イランに支援されたイエメンのシーア派反乱軍を鎮圧しようと、サウジはイエメンへの軍事介入を強化しているが、事態は泥沼化の様相を呈している。

米国やドイツが妥協するよう勧めても、第2皇太子は聞く耳を持たない。サウジの反対にもかかわらず、米国がイランとの核合意を結んだ結果、イランの脅威が増していると感じているからだろう。
 
 実際サウジアラビアでは、「イランとの関係修復を急ぐ米国は信用しきれないので、このさいパキスタンの核兵器を買おうではないか」との物騒な話も、検討されているようだ。実はサウジアラビア軍はパキスタンの将校から長年、軍事的な指導や提案を受けていて意外と強い関係がある。原油安にもかかわらずサウジアラビアの軍事費は年間800億ドルを超えていてロシアといい勝負だが、まだ軍拡志向は続いているようだ。

原油からの収入で働かなくとも食っていける国に別な産業を興そうとしたってそう簡単に興せるはずもなく、原油価格の下落はサウジにとって死活問題だ。
おかげでサウジ国内の若者の失業率は高く、自暴自棄になった若者たちがテロの走っている。

サウジは中東最大のイスラム国の予備軍が存在する。過去10年間にテロ容疑で逮捕、釈放されたサウジ人は1万人超とみられる。イラクにおけるイスラム国に加わるサウジアラビア人は2500人以上という。

王政打倒の声を強め、ただでさえ評判の悪い治安機関や経済の生命線である石油産業を標的にしたら、原油の供給量と価格は果たしてどうなることか――。

米国や中国やインドなどで意外と「風力発電・太陽光発電」が増加中で、中印両国の原子力発電所増強の動きも活発だ。そもそも原油の長期的な需要は減っている。
最大の輸入国だったアメリカがシェールオイルの成功で産油国になって、輸出も再開、最大需要国の中国の経済失速もしくは経済崩壊、どう考えても石油は下落するだろう。ところが、ペルシャ湾が封鎖されるような騒乱は原油価格の上昇するだろう。できれば自国以外の石油施設が破壊できればそれに越したことは無い。

サウジの第二皇太子はバカ息子・・・・サウジの未来は絶対絶命風前の灯火・・・・そしてこの国家を揺るがす危機に己のバカ息子に国家の明暗を左右する要職を与えるなど、サルマン国王は暗愚もいいところだ。
成功より失敗する確率が高いポジションで失敗したら失脚するのだから、ちょっとでもカシコケレバ、大抵、没落するのがないですかが加わった、ちょっとでも賢ければ息子を防衛大臣になどしないはずだ。サルマン国王は暗愚としか言いようがない。

日本も笑ってみていられない。もしペルシャ湾から原油が止まれば1975年堺屋太一氏のデビュー作シュミレーション小説「油断」のようなパニックになることは必至だ。 ホルムズ海峡はイランとアラビア半島に挟まれ、同海峡を通過するタンカーが輸送する原油は日量約1700万バレルに達する。ホルムズ海峡が武力紛争で通航不能となれば、過去最高水準にある世界の原油在庫は減少し始めるだろう。

今年の原油価格の騰落はおそらく激しいものとなるだろう。