【主張】憲法施行69年 9条改正こそ平和の道だ 国民守れない欺瞞を排そう 【産経ニュース】2016.5.3 05:02

 日本国憲法は、施行から69年を迎えた。

 現憲法は、一度も改正されていない。それは内容が完全だからというわけでは、決してない。憲法と現実世界の乖離(かいり)は、年々、大きくなるばかりだ。その最たる分野が安全保障である。

 戦後日本の平和を守ってきたものは何か。これを「9条」だとみなすのは大間違いだ。突き詰めれば、自衛隊と、日米同盟に基づく米軍の抑止力に行き着く。

 ≪抑止力の理解が重要だ≫

 抑止力の役割を理解しようとしない陣営は、「戦力不保持」をうたう9条を理由に、国民を守るための現実的な安全保障政策をことごとく妨げようとしてきた。実情はまるで、日本を脅かす国を利する「平和の敵」である。

 真に安全保障に役立ち、国のかたちを表す憲法のあり方を論じ合うことが急がれる。主権者国民の手によって憲法が改正され、自らを守り抜く態勢を整えなければならない。そのことが、子々孫々まで日本が独立と平和を保ち、繁栄する道につながっていく。

 極めて残念なことに、安全保障をめぐり、現行の憲法は欺瞞(ぎまん)に満ちている。

 前文は、「日本国民は、(略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とうたっている。

 だが日本の近隣には、公正と信義の発揮を期待できる「平和を愛する諸国民」ばかりがいるわけではない。

 東シナ海や南シナ海での覇権追求を隠さない中国は、4月30日の日中外相会談で「『中国脅威論』をまき散らすな」という対日要求を突き付け、恥じなかった。

 昨年9月の北京における軍事パレードでは、核ミサイルを次々に行進させた。あれは果たして、平和の祭典だったか。

 北朝鮮は、国際世論の反発を顧みず、核実験や弾道ミサイルの発射を繰り返している。

 ロシアは、北方領土の軍事基地化を進めている。

 前文だけではない。9条は日本の防衛力に過剰な制限をかけている。政府の憲法解釈は、自衛のための日本の武力行使は「必要最小限度」としている。

 このことが自衛隊に、「専守防衛」しか認めない政策につながっている。

 一方で、現代の国家を守り抜くには、領土・領海・領空を守る力に加えて、核抑止力や侵略国自体へ反撃する力も欠かせない。

 もちろん、日本や欧州諸国がそうであるように、米国との同盟で「核の傘」や強力な米軍を抑止力として期待するのは、現実的な政策上の選択肢ではある。

 だが、現憲法は侵略国をたたく力を原則として日本に認めない。法的に、本当の「必要最小限度」の自衛力さえ禁じていることになる。防衛上の必要性を満たさない点で憲法解釈は偽りに基づく。独立国の憲法とは言い難い。

 ≪緊急事態への備え急げ≫

 憲法には、日本の国と国民をしっかりと守り抜く方針と、そのための軍隊、自衛隊の規定がない。このこと自体が国民を危険にさらしていると考えるべきだ。

 安全保障、防衛を国家の重要な役割と定めることは、諸外国の憲法においても常識である。

 多額の税金が投入されている東京大学をはじめとする国立大学が、日本と国民を守る軍事研究をかたくなに拒否する異様な光景も9条と無縁ではない。

 国民を守る精神がない憲法を持つ日本は、国の総力を挙げて平和を守る態勢がとれないでいる。

 民進党や共産党などの野党が、集団的自衛権の限定行使を認めた安保関連法に反対しているのも、何十年も前の冷戦期にできた憲法解釈に固執しているためだ。

 南海トラフの巨大地震、首都直下地震など想像を絶する被害をもたらす災害に備える、緊急事態条項の憲法への創設も急がれる。天災は待ってくれない。

 政府に一時的に権限を集中させ、場合によっては私権を一部制限してでも国民の命を救うのが緊急事態条項だ。世界のほとんどの国の憲法に備わっている。

 国連総会が採択し、日本も加わっている国際人権規約(B規約)も認めているのに、緊急事態条項を「ナチス」といったレッテル貼りで反対する「護憲派」の論法は誤りだ。
 日本国憲法はきょう、施行69周年を迎える。 この69年間、世界は激変したにもかかわらず憲法は一言一句変わっていない。護憲派と呼ばれる人達の脳内世界と現実の世界情勢との 乖離 がどんどん拡大している。
69年前に書かれたこの日本国憲法は「不磨の大典」などではない。改正させないように仕掛けられたのである。

 アメリカは原爆投下を、正当化してきた。原爆投下が戦争を早期に終結させ、多くの人命が救われたと繰り返し主張している。オバマも広島で演説してもこの考え方は変わらないだろう。ルーズベルトおよびトルーマン政権の上層部は、原爆の数ヶ月前から既に日本が戦争を終わらせる道を必至に模索していたことをよくわかっていた。日本の降伏は、1945年の春にはもう目処がついており、つまり原爆の必要はなかった。戦争を早く終結するために、原爆を用いる必要はまったくなかったことは明らかである。
 広島の原爆慰霊碑に「過ちは繰り返しませぬから」と書かれてい。どうして原爆を落とされた側が、「過ちは二度とおかしません」と誓わなくてはならないのか。謝罪すべきは、アメリカである。確かに負ける戦争をルーズベルトに嵌められてしまったのも過ちである。開戦を主張する毎日・朝日新聞に煽られて開戦したのも過ちである。ハルノートに対しこらえ性もなく開戦を決断してしまったのは過ちであったかもしれない。
東京裁判でのアメリカ人弁護人が抗弁したように、裁かれるべきは、アメリカだった。アメリカが原爆投下について、謝罪をしたことはない。
マッカーサーは朝鮮戦争を戦って、初めて日本が自衛戦争を戦ったことに、気づかされた。日本の主張が正しかったことがわかった。米国上院外交防衛委員会などでのマッカーサーの発言は、東京裁判が不正だったことを、マッカーサー本人が認めたものだ。
 ドイツはヒトラーがユダヤ人に対して犯した罪が明白だったので、謝罪しやすかった。は早い段階で、謝罪をしている。第二次大戦が終わると、謝罪することによって仕切り直して、戦後が始まった。なぜ、日本はドイツのように対応できなかったのだろうかという議論がある。だがヒトラーのドイツは、全ヨーロッパを覇権のもとに置くために、征服戦争を戦った。日本は自衛のために追い詰められて、やむにやまれず立ち上かった。日本はマッカーサーが言ったように「自衛戦争」を戦ったのだったから、詫びる必要がなかった。
日本にとっては、史上初めての敗戦だった。どのように受け止めていいのか、わからなかった。 日本国憲法原文の英文がある。占領下で憲法を強いたのは、国際法違反だ。マッカーサーはわずか一週間で憲法を作った。その作業にあたったスタッフには、憲法の専門家がいなかった。国連憲章などを参考にして、作文した。
 日本国憲法は日本を弱体化し、二度と戦争を起こすことができない国にする降伏条約だ。憲法の前文は日本を絶対に再びアメリカに対して戦えない国として、誓約させた意図が、ありありだ。
日本国憲法は、日本人によって「平和憲法」と呼ばれているが、前文を冷静に読んでみれば「属国条約」であることがよくわかる。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
前文で約束させられていることは、「日本国民はその生存をアメリカに委ねる」ということだ。
 こうしたアメリカの保護領として日本の立場を変えさせないための軛が、国会の三分の二以上の賛成を得ないと改正することができないとする第96条だ。
この規定によれば現在では、憲法改正の発議というのは「両院」すなわち衆議院と参議院の「それぞれの3分の2」の決議が必要で、その後の国民投票での過半数の賛成で改正が成立することになるのです。このハードルは大変に高く事実上改正不能にさせている。
 日本は自国の歴史と伝統のうえに立って、自主憲法を制定し、国軍を持つべきだ。日本がそれなくして独立国家となることなど、あり得ないことだ。しかし今日の多くの日本人が、それなしでもあり得ると思っている。しかし、護憲派という名の守旧派が無自覚に欧米の国益の片棒を担いでいる間はかなりハードルが高い。
今のアジア諸国民は日本の力を借りて、欧米の支配から独立したという事実を自覚し始めた。「日本はアジア諸国を侵略した」のではなく、 アジア諸国の欧米による植民地支配からの独立は、日本によって初めて可能となった。
これは厳粛な真実だ。日本はアメリカによって不当な圧迫を蒙って、やむをえず対米戦争を戦ったが、アジア解放の理想を掲げた。明治維新は欧米の帝国主義によって、日本が植民地化しないために行なわれたが、アジアの解放はその延長だった。
日本がアジアに進出することがなかったなら、アジアはいまでも欧米の植民地のままだったろう。日本が大東亜戦争を戦ったことによって、大英帝国が滅びた。日本が大東亜戦争を戦わなかったら、いまでもアジア諸民族が、イギリスやフランス、オランダ、アメリカの支配を受けていたろう、 それどころか、米国内での黒人の地位は改善することは無く惨めなものであったろう。米国大統領に黒人がなるなど考えもできなかったことであろう。
護憲派は搾取する植民地支配者であった欧米諸国と戦い、アジアを解放した「大東亜戦争史観」をネットウヨと言い蔑む。東京裁判史観を持つ護憲派が居る限り日本の未来は暗い。
国益を守りながら、21世紀にふさわしい、多くの目前の課題に的確に対応できる憲法改憲を今こそすべきだと私は思う。