作曲家の冨田勲さん死去
【NHK NEWS WEB】5月8日 14時53分

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世界的なシンセサイザー奏者で作曲家の冨田勲さんが、今月5日、慢性心不全のため東京都内の病院で亡くなりました。84歳でした。

冨田さんは東京都出身で、慶応大学在学中に本格的に作曲を始めました。
NHKの大河ドラマ「花の生涯」「天と地と」や、「新日本紀行」などのテーマ音楽を手がけました。

昭和40年代からいち早くシンセサイザーを取り入れ、昭和49年にはアルバム「月の光」が世界的なヒットとなり、日本人としては初めてアメリカ・グラミー賞の候補になりました。

その後も「展覧会の絵」、「火の鳥」、「惑星」などの作品を出して世界的に活躍を続けたほか映画やテレビドラマの音楽も数多く手がけ、山田洋次監督の映画、「学校」や「たそがれ清兵衛」などの音楽を担当しました。

冨田さんは今月5日打ち合わせを終えたあと東京・品川区の自宅で倒れ、東京都内の病院に搬送されましたが、午後3時前、慢性心不全のため亡くなりました。84歳でした。

葬儀は7日と8日、親族のみで執り行われ、後日、お別れの会が開かれるということです。

長男の勝さん「父の作品と志はなくならない」

冨田勲さんの長男で慶応大学教授の勝さんは、コメントを発表し、「今まで父の音楽を愛してくださったすべての方々に厚く御礼申し上げます。父は、ことし11月に上演予定の新作を完成させたいという並々ならぬ強い思いを持っていて、倒れる1時間前まで楽しそうにそのイベントの打ち合わせをしていました。父の作品と志は、なくなることはありません。これからも冨田勲をどうぞよろしくお願い致します」としています。

山田洋次監督「音楽で鮮やかに表現」

冨田さんが音楽を担当した映画、「学校」や「たそがれ清兵衛」などの山田洋次監督は「冨田さんは口下手でしたが、ことばでうまく説明できないことを音楽で鮮やかに表現してくれる方でした。毎回、想像できないようなすてきな音楽が出来上がり、立ち会いの日がワクワクするぐらい楽しみでした。冨田さんとまだまだ一緒に仕事をしたいと思っていたのでとても悲しいです」と話していました。
名曲探訪 ・「新日本紀行」 富田勲 / Isao Tomita
新日本紀行のテーマは古き良き日本を表す名曲中の名曲だ。











作曲家・シンセサイザーアーティストの冨田勲さんが5月5日、慢性心不全のため、都内の病院で亡くなった。84歳だった。冨田さんはシンセサイザーを導入した音楽の第一人者で知られ、日本人で初めて米グラミー賞にノミネートされるなど、世界的な評価を受けている。冨田さんの音楽家としてのあゆみ、そして功績は次の通り。

◆冨田勲(作曲家・シンセサイザーアーティスト) 1932年東京生まれ。慶応義塾大学在学中から平尾貴四男、小船幸次郎各氏に作曲を師事。在学中よりNHKの音楽番組の仕事を始める。

1953年にはNHKラジオの第一放送と第二放送を同時に使用したステレオ音楽番組「立体音楽堂」等の番組に参加。1963年大河ドラマ第1作「花の生涯」の音楽を担当、現在までに計5本のシリーズを手がけている。また1966年には手塚治虫氏のTVアニメ「ジャングル大帝」「リボンの騎士」の音楽を作曲、従来のアニメ音楽を越える優れた音楽性が高い人気を呼び、交響詩版「ジャングル大帝」は同年の芸術祭奨励賞を受賞した。

1970年頃よりシンセサイザーによる作編曲・演奏に着手。1974年には米RCAよりリリースされたアルバム「月の光」が米ビルボード・クラシカル・チャート第1位となり、日本人として初めてグラミー賞4部門にノミネートされ、さらに全米レコード販売者協会(NARM)の1974年度クラシック部門最優秀レコードに選出されるという快挙をなしとげ、TOMITAの名は全世界的なものとなる。

以降「展覧会の絵」「火の鳥」「惑星」から「バッハ・ファンタジー」(1996)にいたる多くのシンセサイザー・アルバムを発売、いずれもが世界的なヒットを記録している。

1984年、オーストリア・リンツ市にてドナウ川両岸の地上・川面・上空一帯を使って超立体音響を構成し、8万人の聴衆を音宇宙に包み込む壮大なイヴェント「トミタ・サウンドクラウド」を催す。

以後ニューヨーク(1986自由の女神百年祭)、岐阜(1988 中部未来博)、シドニー(1988オーストラリア建国200年祭)、名古屋(1997 中日ドーム)にて同様のイヴェントを行なう。また立体音響によるサウンドクラウド・オペラ「ヘンゼルとグレーテル」を渋谷オーチャード・ホールにて上演(1990)。

90年代には再び映像音楽への活動を再開、NHK「大モンゴル」、松竹映画「学校」シリーズ、NHK「街道を行く」シリーズ、ビデオ「長嶋茂雄」シリーズなどを作曲。1998年、冨田音楽の集大成とも呼べる、オーケストラ、シンセサイザー、邦楽器を駆使したオリジナル作品「源氏物語幻想交響絵巻」を作曲。東京、ロスアンジェルス、ロンドンにて初演の後ロンドン・フィルと録音し、2000年11月に日本コロムビアよりCDを発売。

2001年3月、NHK放送文化賞受賞。東京ディズニーシー、アクア・スフィアのエントランス・ミュージックとして3面立体音響のためのシンフォニーを作曲。NHK大型ドラマ「聖徳太子」の音楽を担当、東映映画「千年の恋~ひかる 源氏物語」では日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞。2002年はNHKスペシャル「アジア古都物語」の音楽を手掛け、松竹映画「たそがれ清兵衛」の音楽は日本アカデミー賞最優秀音楽賞に輝いた。

立体音響の集大成として4.1chサラウンドによる「惑星」(DVDオーディオ/ビデオ盤)を2003年3月にリリース。2009年には、同じくサラウンドによる「交響詩 ジャングル大帝 ~白いライオンの物語~《2009年改訂版》」をリリース。

2011年からは「ISAO TOMITA PROJECT」が始動。「惑星」や「月の光」「源氏物語」など、過去の代表作をリメイク&サラウンド化した完全版が日本コロムビアより継続的にリリースされている。

2011年1月には世界を舞台にした作曲家・音響クリエーターとしての活動が認められ、2011年度朝日賞を受賞。さらに11月には、日本の代表的な詩人・作家、宮沢賢治の作品世界を題材にし、ソリストに世界的人気を誇るヴァーチャル・シンガー“初音ミク”をソリストに起用した「イーハトーヴ交響曲」の世界初演が行われ大きな話題となる。この交響曲は13年夏に賢治の故郷である岩手県花巻市を皮切りに、全国3箇所で再演公演がおこなわれた。

また、同夏には、幕張メッセでおこなわれた2万人規模の夏フェス『FREEDOMMUNE0<ZERO>2013』に夜明けの大トリに出演し大反響となった。14年には、オーストリアの飲料メーカー“Redbull”主催のプロジェクトRedbull Music Academy東京2014に招かれ、世界の若きミュージック・クリエイターたちの前で講演を行い、世界中で話題となった。

同年5月には、「イーハトーヴ交響曲」が中国・北京で上演され、大きな反響を得た。そして「イーハトーヴ交響曲」に続く新作「ドクター・コッペリウス」を制作中であった。

今年はさる年であるからか、音楽の巨星が次々に堕ちてしまった。
年明け早々正確には2015年12/31だがナタリーコールさんの訃報を聞き、
1/10デビッドボウイ、1/18グレンフライ、2/5モーリスホワイ、3/10キースエマーソン、4/22プリンス、そして
5/5冨田勲氏、私のCD棚を飾る偉大な才能の持ち主であったミュージシャン達が次々と鬼籍へと去ってしまった。

日本人にとって冨田勲がどれだけ偉大か意識している人は少いかもしれないが、日本の戦後において武光徹や黛敏郎よりも偉大な足跡を残したと思う。
シンセサイザーを実験音楽から芸術に昇華させた音楽史的にも重要なミュージシャンであり、
冨田勲氏の音楽は日本人の脳に冨田勲の音楽としてでなく、古典、スタンダードとして記憶されている。日本人の脳ミソには無意に冨田勲のメロディーがダウンロードされているのである。

TVドラマ「のだめカンタービレ」第10話 コンクール本選のシーン。のだめが完全に覚えきっていないストラヴィンスキーの「ペトルーシュカからの3章」を弾いていると、コンクールへ向かう途中スマホの着信音から流れた「今日の料理」のテーマが混ざってしまうというシーンがあった。、今日の料理の主題を、ままペトルーシュカ風のタッチで演奏していたのだが、今日料理が多くの日本人の脳に焼き付いていなければ、あのシーンで使われなかったと思う。そして今日の料理の主題が秀でていなければ、のだめが即興でアレンジしてのだめの才能がいかに高いか印象つけるシーンに登場しなかったであろう。

Stravinsky Petrushka

その今日料理を作曲したのが冨田勲氏である。誰でも知っている名曲が昭和生まれの私達だけでなく今もNHKから流れ続けている限り今の子供達の脳に刷り込まれていくだろう。

60年代~70年代NHKのテーマ音楽は冨田勲氏が一手に手掛けていたようなものだ。冨田勲氏は単なるシンセサイザー奏者ではなく作曲家冨田勲だと思う。
今後冨田勲氏が残した名曲はクラシック古典として残るだろう。

「NHKニュース解説」タイトル曲 by 冨田勲



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