Carol Ryan

[ロンドン 17日 ロイター BREAKINGVIEWS] - 中国観光客による高級品の「爆買い」が勢いを失っている。4月の購入額は前年同月比で約2割減った。中国当局が海外購入品の持ち込み抑制に乗り出したのが原因かもしれない。

景気循環など、従来の物差しで高級品の需要を予想する手法はもう通用しなくなっている。

ベイン・アンド・カンパニーによると、中国人による購入は世界の高級品販売の3分の1程度を占めている。同じハンドバッグでもパリで買えば北京の半額で済むため、大半は海外での購入だ。しかしそれも過去の話になるかもしれない。中国政府は4月8日、海外購入品に対する関税を大幅に引き上げ、上海の空港の到着ロビーでは今、「戦利品」が捨て去られるという残念な光景が広がっている。海外購入の高級腕時計への関税は2倍の60%に、バッグと衣料品は従来の20%から30%に、それぞれ引き上げられた。

中国政府が、パリのシャンゼリゼやロンドンのボンドストリートではなく国内で買い物をしてほしいと望むのを責めることはできない。闇で高級品を輸入して販売するプロの商人にも当局は目を光らせており、ベインの推計ではその額は年間70億ドル程度に上る。

高級品ブランドとしても、怪しい二重市場が取り締まられることを残念だとは思わないだろう。中国本土で正規のブランド品購入が増えることにも期待が持てる。ただ、そうはいかない可能性もある。中国の買い物客は単に出費を減らして終わりかもしれないし、正規の価格で買えるほど裕福になるには何年も要するかもしれない。

重要なのは、これまでの高級品需要のパターンが当てはまらなくなってきたことだ。従来なら、人口動態や国内総生産(GDP)の基調を見れば将来の販売動向がかなりうまく予想できたし、大きな脅威といえばテロや世界的な景気後退だった。しかし中国政府が2013年に汚職摘発を強化し、ここにきて高級品の関税を引き上げたことから、今度は中国政府の政策こそが最大のリスクとして浮上した。これは先を読むのが至難の業だ。

●背景となるニュース

・世界中の観光客による高級品購入動向を示すグローバル・ブルーのデータによると、4月の購入額は12.8%減少した。減少は2カ月連続。

・中国観光客による購入額は3月が23.6%減、4月は18.5%減だった。

ついに爆買いが終息してきた。どうやら輸入関税を導入したとはいえ、誕生したばかりの中間層に経済停滞の影響が出始めてきた。

関税の強化は進行するデフレを食い止める為に貴重な国内需要を海外に持っていかれることを阻止しようというわけだ。それだけ国内需要が不足している裏返しだ。

小室直樹先生はかつてソ連の崩壊を予言して的中させた。今でこそ誰でもソ連は崩壊すべくして崩壊したと思っているが、1980年、光文社から小室先生が『ソビエト帝国の崩壊 瀕死のクマが世界であがく』が出版された当時、ベストセラーとなったが
アカデミズム側は突拍子すぎて奇人扱いをした。
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中国共産党政権も崩壊することも予言している。「中国共産帝国の崩壊」ちょうど中国で民主化を求める学生達が天安門に集結し、それを当局が武力鎮圧した天安門事件の直後に1989年9月に出版したものだ。

「中国共産帝国の崩壊」の中で中国は5000年まったく変わらない社会で、孔子が活躍した頃の古代中国のように自由競争主義のように分割民営化しなければ崩壊すると予言した。

小室先生は共産主義中国崩壊を予言した。しかし、未だ中国共産党政権は崩壊していない。小室直樹は予言を外したと言い張る方もいるが、それは誤りである。
鄧小平は、南巡講話によって、小室先生の処方箋通りに共産主義を改め自由主義的経済を導入した。予言が外れたのではない、むしろ適確な現状分析だったのではないかと思う。

もしかして、小室先生の本を鄧小平は読んだのか?1992年有名な南巡講話を発表し、鄧小平は毛沢東が始めた人民公社を解体した。そのことにより、軛を外された農民が都市に流入して、未曽有の繁栄をもたらした。
マイナス金利に踏み込んでもインフレを作り出すことができない。それは日本だ
けの現象ではない。

ヨーロッパ中央銀行もマイナス金利を採用しているが、思ったように物価を上昇
させることができない。米国のインフレ率も低くなっている。ほぼ全ての先進国で
インフレ率はゼロ付近をうろついている。

そして、一時は石油価格が1バレル=140ドルになるなど、あれほど騒がれた資源
インフレもウソのように終焉してしまった。


なぜ、このようなことが起きているのであろうか。私はアジアの農業と農民を見
て来たが、昨今の世界経済の変化には、中国の農民の動きが大きく関わっている。

かつて世界経済のエンジンだった農民工


アジアの農民はコメを作ってきた。化学肥料のない時代、コメはコムギなど他の
穀物より単位面積当たりの収穫量が多かった。また水管理が必要なことなどから、コメを作るにはコムギよりも多くの人手を要した。

こうしたことが重なって、アジア農村の人口密度は高くなっていった。コメは主にインド以東のアジアで作られているが、現在、そこには世界人口の約半数が居住している。

しかし近年、人口は農村から都市へと移動している。日本でも昭和20年代後半から昭和が終わる頃まで、多くの人が農村から都市へと移住した。同じ現象がアジア各地で起きている。そして、それは13億人の人口を擁する中国で特に顕著である。
経済成長とは、農業が主な産業であった国が工業化することである。もちろん農
業部門も少しは成長するが、その速度は工業部門に比べて著しく遅い。途上国の経済成長とは、地方で農業に従事していた人が都市に出て工業部門で働くことを意味する。

下の図に、世界で1年間に増えた都市部の人口を示す(アフリカを除く)。
中国を除いた地域では、都市人口の増加はほぼ一定である。毎年3000万人から4000万人が都市部へと流入している。

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一方、中国の都市人口は開放改革路線に舵が取られた1970年代後半より急上昇して、21世紀に入った頃からは毎年約2000万人も増加している。

先進国では都市と農村の生活水準の差はそれほど大きくない。しかし中国では都市と農村の差が極めて大きい。その中国で毎年2000万人もの人々が農村から都市に流入している。

農村から都市に出て来て働いてもそれほどの給与は得られないから、流入した農民がそれほど多くの消費財を購入したわけではない。だが、それでも農村にいるときよりは遥かに多くの物を消費している。

農村から都市に出た人々は消費者であると共に生産者である。中国ではその多くは工業部門で働いた。いわゆる農民工である。彼らの職場は大量の石油、石炭、鉄鉱石を必要とし、中国は世界から大量の資源を輸入した。

日本も高度成長時代に中国と同じことを行ったが、中国の人口は13億人。それは世界の歴史をも変えるインパクトをもつ。

中国では1980年から2015年までの25年間で都市人口が6億人も増えた。都市内
部の増加があるから、その全てが農村部からの移入ではないにしても、都市では一人っ子政策の結果として人口増加率が激減していたから、その多くは農村からの流入と考えてよい。

世界人口の1割にも及ぶ人々が農村から都市へ移動して、その多くが工業部門で働いた。それが資源需要を急増させ、資源国であるブラジル、オーストラリア、アンゴラなどの景気を浮揚させた。都市に出てきた中国の農民が世界経済のエンジンだった。統計を見ると、1990年頃から2010年頃まで中国だけでなく世界の多くの国々で成長率が明らかに高くなっている。

中国の道連れになったまま

だが、ここに来てそのエンジンが逆回転し始めた。中国における農村から都市へ
の人口移動のピークは2011年である。その数は2270万人。2016年は若干減って
2040万人と推定される。

中国で農民が都市へ流入する時代は過ぎ去ろうとしている。これからも、しばら
くは都市人口の増加が続くが、ピークを過ぎてから都市に出る人々の資質はそれ以前に出た人々に比べて見劣りするだろう。能力が高く独立心旺盛な農民はとっくの昔に都市に出てしまった。

その結果、都市で経済が爆発的に増大する時代は終わった。それが資源バブルの崩壊を招いている。

今後、インドで同様の現象が起きることを期待する向きもあるが、それは中国ほ
ど爆発的な現象にはならないであろう。中国以外では農村から都市への人口移動は緩慢である。

農民が都市へ移ったことにより中国は世界の工場になった。安い労働力を使って安い工業製品を輸出している。その結果、世界中に安い中国製品が溢れ、世界にデフレをもたらしている。そして、それは先進国の工業部門に打撃を与えて、雇用を奪っている。

マクロな視点から見れば、米国でのトランプ現象や欧州での移民排斥運動は、中国から輸出される安い工業製品が大いに一役買っていると言えるだろう。

今後もこのような状態はしばらく続くだろう。中国は過剰投資によって急成長し
た国である。そのため、過剰投資が問題となっても投資を止めることができないジレンマがある。どの国でも成功体験の自己否定は難しい。だから、過剰設備を抱えながら、投資を増やすことによって景気を下支えしようとしているのだ。

21世紀に入ってからの資源価格の高騰と下落。そして世界的なデフレの背景には図に示した中国の人口移動があった。

しかし、現在そのピークは過ぎ去り、今後、中国が世界経済をリードすることは
ない。いくら中国政府が力んでも、農村からの元気な若者が都市に出て来ることがなくなれば、経済を成長させることは難しい。そして、これまでに作った生産設備があまりに巨大であるために、中国だけでなく世界がデフレに苦しむ時代に突入してしまった。

なお最後に一言追加すれば、
農村部からの人口移入はピークを過ぎたからと言って、図に示すように、止まったわけではない。それが、中国経済が崩壊しそうだと言われてもなかなか崩壊しない理由である。このような状況がしばらく続く。重苦しい限りである。

しかし、中国は5000年まったく変わっていないのだ、南巡講話から四半世紀が経ったが、中国は官僚支配と孔子の思想に縛られる「二重の思想体系」という社会構造は、基本的に今もなににも変わっていないのだ。

中国では、「儒教」的な道徳観が支配しているようにみえるが、中国人は孔子のような道徳など持っていないのだ。道徳を持っていないからこそ孔子は中国人に向かって道徳を説いたのが論語であり儒教なのだ。

儒教的な道徳観は、支配者が人民を統制する際に極めて都合のよい教えであるのだ。社会主義と相反し、かつて毛沢東と紅衛兵が文化大革命で徹底的に否定した孔子の思想を中国共産党は人民支配の為に再び復活させている。

中国における政治は、法に基づく統制(法家)によって、官僚が人民の生活を富ませるという発想のもとに行なわれる。この「法家」の思想は、じつは社会主義と親和的な発想であり、「統制経済」とも親和的であることはいうまでもない。

 だが、この法家の思想では、官僚は、人民よりも能力が優れていることが前提となっている。能力が優れているからこそ、人民を「国が富む」方向に導くことができ、官僚はそのような能力をもっているがゆえ、人民は官僚を敬わねばならない。そのため、中国における法律の運用は、官僚の裁量権が強くなってしまうのである。

また、法や制度運営に関する官僚の個人的裁量権が強いということは、とくに地方では、官僚は独立的な経営者のようにふるまえる権限を有すると考えてよいことになる。そのため、公私混同が起き、国家会計と個人の財産も混同され、日本では想像もつかないほどの巨額の賄賂の受け渡しが頻繁に行なわれる。

 このような官僚の個人的裁量権の強さは、法律的には「事情変更の法則」といわれている。「事情変更の法則」とは、当事者間の人間関係や社会関係によって契約履行の条件が変わることを意味している。すなわち、契約が非常に人間的なつながりが強い人のあいだで交わされる場合には、まったく同じ取引であっても、つながりがあまりない場民の権利を守る」ために法律が存在するというのが根本思想である。

中国では、法律とは、「為政者が国民を統治していくための方法」というのが根本思想である。

欧米の法体系は「民法」中心主義といわれるが、これは資本主義を機能させるために必要な「所有概念」を明確に規定したものだ。 ところが中国では、「所有と占有の混同」といわれることが多いが、すなわち「法的に誰が保有しているのか」ということと、「現在、誰が管理しているのか」ということの区別がつかないことを意味している。

 最近は中国でも株式会社がる。、株式会社の「所有者」はいうまでもなく、「株主」である。つまり、株式会社は、所有者である株主の利益を最大化するために経済活動を行ない、その利益を配当というかたちで株主に還元する、というのが基本的な株式会社の仕組みだ。もちろん業績が好調で将来、配当加増えそうだという評判が立つと、その企業の株式を購入したいという人が増えるので、株価が上がり、キャピタルゲイン(資本利益)を得ることができる側面もあるが、理論的に株価の上昇は、将来の企業利益の増加によって配当が増えることが前提となっている。

 一方、「占有」というのは、「所有者」である株主が、企業の日々の事業活動を管理しているわけではなく、日常の事業活動はその会社の経営陣が行なっており、経営陣が企業を「占有」していることを意味している。中国では「所有と占有の混同」を株式会社の経営で考えると、経営者が株主の利益最大化を無視して、自分の報酬のみを上げるために事業を行なう。とくに取引先の企業から不正にリベートをもらったり、業績を上乗せするために、顧客に過剰な接待を行なったりして、利益の増加分を自分の懐に入れてしまうケースが後を絶たない。つまり、経営者が自分が会社の「所有者」であるとみなし、自分の利益を最大化するように会社を経営してしまうということだ。

さらの中国ではこれを政府がやっている可能性が高いということなのだ。とくに地方政府の官僚による「所有と占有の混同」が問題になっている。

 これは、地方政府の高官に任命された中国共産党の官僚が、資本主義国の官僚では想像もできないほど、多額の賄賂を自分の懐に入れていることにも明確に現れている。

 たしかに、資本主義の国でも規制当局である官僚が賄賂を受け取るケースは多々あるが、中国の場合、そのスケールがまったく違う。前述のように、リーマンショック後に実施された四兆元の大型公共投資のうち、六~七割が地方の共産党幹部の懐に入ったという噂もある。これが事実であれば、それこそが、彼らに「所有と占有の混同」が起こっている証左だと考えられる。

 たんなるスケールの違いのようにみえるが、これは資本主義国の賄賂とは意味が異なる。よく考えてみると、資本主義国における官僚の賄賂は、一種の「契約」だ。すなわち、ある経済活動について、通常は一回限りの便宜を図ってもらえるように、現金を渡したり、高級な料理をおごったりする。

だが中国の場合、賄賂は「契約」ではない。そのため中国独自の人間関係である幇をうまく形成できていない場合には、一回の賄賂の授受で官僚が便宜を図ることは少ないといわれている。そして現在、中国で問題となっている地方官僚の不正は、国家(地方政府)の会計と個人の会計の区別がまったくないことによるお金の着服であり、本人たちも、賄賂を受け取ったり、政府のお金を不正に着服しているという認識はないのであろう。

中国の官僚らの不正蓄財などの問題は、つねに「私腹を肥やす」ということ以上に、中国古来の非資本主義的な経済観が影響しており、これがすぐに改まるとは思えない。ゆえに、習近平がどんなに賄賂撲滅のパフォーマンスを行っても所詮茶番にすぎないのである。

パナマ文書に習近平の親族の名前があり、はたしていつまで中国共産党の支配が続くのか?
2014年から日中関係は改善を始めた

―――現在の日中関係は日中国交正常化以後の歴史の中で見ると、最悪期にあたるのでしょうか?

高原:日中国交正常化以後の日中関係は70年代、80年代は良好でしたが、90年代から下り坂となり、2010年以降からガラガラッと関係が悪化しました。ただ、2014年から関係改善の兆しが見えてきました。理由としては4つあります。

まず、安全保障の面です。2014年5月、6月と続けざまに日中の軍用機のニアミス事件が起きました。本当に衝突していれば、対立はエスカレートせざるを得ませんから、危機管理のメカニズムを実用化する必要があると中国も理解しました。

次に中国経済の減速が明らかになる中で、日本との経済的なつながりの大切さを中国の指導層も再認識したということが挙げられます。

そして3つ目は、国際関係という面では南シナ海での米中の対立などで、米との新型大国関係が滞っています。対米関係悪化の局面で欧州やアジア諸国との関係改善を図るというのが、中国の歴史的なパターンです。いま進めているのは「一帯一路」(「シルクロード経済ベルト」を意味する「一帯」、「21世紀海上シルクロード」を意味する「一路」)という経済圏構想ですね。そうした外交路線の転換の一環として日本との関係改善を図っていると考えられます。

最後に中国国内政治です。中国にとって対日関係の改善は強いリーダーしか取り組むことができない課題です。反日宣伝キャンペーンのおかげで、日本に理解を示すことは政治的に正しくない行為となっており、容易に政敵の批判を受けるからです。その意味では習近平総書記の力が強まったことで関係改善が進んだと言えます。

ただし、今後も楽観はできません。経済の減速が進めば、ナショナリズムで中国共産党や国民をまとめようとする可能性があり、東シナ海の尖閣諸島近海に送り込んでくる船を増やすなどの形で、日中の対立をあおる可能性も否定できません。社会が動揺している時期は、どこの国の世論も揮発性が高く、中国もそれにあたります。不必要な摩擦が生じることを避けるよう、日中両国の要人は言動に注意すべきでしょう。

日本と中国のお互いに対する認識ギャップは大きく、日本人は最近の日中の緊張関係を全部、中国が悪いと考えていますが、中国人はみんな日本が悪いと思っています。こうしたギャップを縮める努力が必要です。

―――中国の世論は、中国共産党や官製メディアにコントロールされているのではないのですか


高原:中国共産党が国を導くという基本原則があり、官製メディアの世論へのリーダーシップも強いです。ただ、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)にも世論を動かす力はあり、だからこそ、共産党はインターネットの管理に力を入れているのです。お互いの相互作用で中国全体の世論と言いますか、「社会の雰囲気」が形成されています。


実際のところ、中国の政治家はSNS上の世論をかなり気にしています。地方の幹部がニュースに出ていたときに高級時計をしていたといった書き込みで、本当に失脚することもあるほどです。もちろん、中央のトップについての批判やパナマ文書関連は厳しく検閲されているので、その限りではありません。

習近平は独裁者ではない

―――そもそも最高権力者である中国共産党の習近平総書記は、中国をどうしたいのでしょうか?

高原:はっきりしませんね。経済的、政治的な改革をする「右」方向に行きたいのか、毛沢東時代をほうふつとさせる「左」方向に進みたいのか、もちろん中国にとって望ましいのは、国有企業の寡占体制を打破し、富の分配制度を改革することです。その2つを実現するための政治改革も必要です。これは前首相の温家宝時代から言われていたことで、現在の財政部長(日本の財務大臣に相当)も所得税の累進税率の強化や不動産税の徴収強化を主張していますが、既得権益を奪うようなことは政治的に難しいです。

ちなみに、遺産税(日本の相続税に相当)は税目としては存在するのですが、実際には徴収されていません。さらに、大金持ちだけが相続税の徴収に反対するかと言えば、そうでもないのです。家やクルマをやっと手に入れたのに手放すのは嫌だという市民も多いというのが現実です。

習近平自身については二つの見方があります。一つは政治改革を本当はしたいが、その前に抵抗勢力を打ち払って二期目で政治改革に取り組むという説です。もう一つは政治改革に興味はないというもので、私は現時点では後者だと思っています。

彼にとって大切なのは中国共産党の支配が続くことです。政治改革に興味はないと感じます。海外の第三者から見ると、中国共産党が絶対的な権力を手放す方が、長い目で見て国家や社会が安定すると思うのですが、当事者はそう考えられない。中国のことわざには「虎にまたがったら降りられない(騎虎の勢)」という言葉があります。背に乗り続けていないと食われてしまうという意味ですが、権力を手に入れた以上、それを維持するしかないということです。

反腐敗の取り締まりが続くことで、地方の幹部が萎縮してやる気を失い、経済への悪影響が懸念されていることは、習近平も認めるところです。習近平は幹部たちの不作為を批判しているのですが、彼は独裁者ではない。地方の幹部たちは面従腹背で言うことを聞きません。

自分で何でもコントロールしようとし過ぎたことで習近平への反発は強まっています。2月19日に新華社や人民日報といった三大メディアを回って、「メディアの姓は党」であり、「党の喉と舌」として党中央の意向をきちんと伝えることを要求しました。

それに対しては、強い反発を世論の側から受けました。特に反腐敗の取り締まりを進める王岐山の友人で経営者の任志強氏が痛烈に批判し注目を集めました。官製メディアからはその任志強氏への批判が始まりましたが、騒動の最中、中央規律検査委員会は「千人の諾諾は一士の諤諤に如かず」(千人の服従は、一人の直言に及ばない)と題した記事をホームページに掲げました。そして任志強氏への批判がやんだことで、習近平が妥協を強いられたと格好の話題になりました。

また、「習近平同志を中核(中国語で核心)とする党中央」というフレーズを使うことがいくつかの地方指導者から始まり、誰がその表現を使うか多くの人々が固唾をのんで見守っていたのですが、中央政界の人のほとんどは呼応せず、キャンペーンは頓挫してしまいました。これは習近平の威信に打撃を与え、潮目が変わってきたと感じます。

3月4日には官製メディアの1つに習近平同志への公開書状が公開され、数時間後には取り下げられたのですが、不景気や外交上の孤立化、メディア統制や権力の独占など諸方面の習近平の失政を並べ立て、その辞職を勧告する内容で、政治的に高いレベルでの抗争があることを示唆するものでした。

少なくとも2015年までの様に政敵を次々に倒していた頃と、習近平を取り巻く環境は違います。来年開催される5年に1度の中国共産党の党大会に向けて、いよいよ熾烈な戦いが始まったということです。党大会では7人の政治局常務委員のうち、5人が交代する可能性があり、そこに誰が入るのか。構図としては、「習近平の支持者たち」と、反発する元総書記の江沢民や前総書記の胡錦濤につらなる人々を含めた「その他の勢力」との対決です。

中国の政治が今後も安定していると思う人は少数派

―――習近平総書記の力が落ちることは日本にとってプラスですか、マイナスですか?

高原:習近平の力が落ちるのは現時点では日本にとってマイナスだと考えます。習近平は対日関係改善に踏み切り、2014年、2015年にそれぞれ1回ずつ日中首脳会談を実施しています。そのほかにも複数回、日中関係の改善を訴える良い演説をしてきました。

例えば、2015年5月23日、自民党の二階俊博総務会長が3000人以上の旅行業関係者を連れて中国を訪問した際に演説し、「みなさんを通じて多くの日本の方々に心からのご挨拶と祝福の意を申し上げます」「歴史のわい曲は中国人も日本人も許しません。日本国民も戦争の被害者であり一緒に平和を築いていかなければなりません」といった趣旨の演説をして、人民日報の1面に大きく掲載されました。ただ、日本のあるテレビ局はそのニュースのキャプションで「歴史のわい曲許さず」とだけ強調していて残念でしたが…。

―――これからの日本と中国はどうなると思いますか?

高原:2014年に中国を訪問し、様々な人の話を聞いたのですが、中国の政治や経済がこれから先も安定していると思っている人は少数派です。何がどうなるかは分からないが、大きな変動がこれからあると多くの人は思っています。

中国では党が認めた宗教については信教の自由が認められていますが、非公認のものも含め、キリスト教や仏教の信者が増えています。これも将来への不安の表れではないでしょうか。ちなみに布教の自由はありません。

たとえ経済成長率が3~4%に落ちたとしても、相当大きなマーケットが毎年、新たに生まれると考えられますが、経済成長率が4%にまで落ち込んだ時に中国が政治的、社会的に安定を維持できるのかは、注意深く観察していく必要があると思います。北京や上海を見ているだけでは、中国の実態は分かりません。もっとお互いをよく知る努力が必要で、中国からたくさんの観光客が訪れていることはその意味で、素晴らしいことです。

できれば、さらに影響力のあるブロガーを含めた両国の知識人がお互いの国を訪ねて交流したり、多くの青少年がお互いの国でホームステイをしたりすることも大事です。特にお互いの国の政治家の家にホームステイできれば、より良いでしょう。そして、自衛隊と人民解放軍の交流も大事です。認識ギャップが危険なまでに拡大している現在、相手の部隊を訪問したり、艦艇交流をしたりすることで、相互理解を深めることが非常に重要です。

成長を続け爆買いをする中国というイメージが崩壊しはじめている。

誰もが中国の統計など信じなくなった。

中国共産党のマルクス史観と中国の伝統的な歴史観には矛盾がみられる。現在、習近平政権は、地方を中心に共産党幹部の不正蓄財の摘発を本格的に行なっているが、これは中国特有の歴史観への、ある意味で「挑戦」かもしれない。

中国の「歴史は繰り返す」という歴史観からみると、現在の中国共産党一党独裁という「王朝」は終盤に近いという認識をすることも可能である。なぜなら過去に「王朝」が崩壊する局面では、地方官僚の不正が横行し、それに対する不満から人民が蜂起するという状況が生じたからである。

報道規制などによって極めて限定的ながらも垣間みられる地方でのデモや暴動の増加は、中国の歴史観からみると、中国共産党一党独裁体制の動揺を意味するものである可能性も否定できない。だが、「歴史は絶えず、進歩している」というマルクス史観に立てば、現体制は時間の経過とともにより良いシステムに更新されつづける必要がある。それを正当化する意味でも、習近平政権は、地方官僚の不正を徹底的に摘発し、人民の僻積した不満から生じる社会不安を抑見込まなければならない。繰り返しになるが、これは中国の伝統的歴史観への挑戦かもしれない。

しかし、問題の本質である地方官僚の不正が、中国が長年築き上げてきた行動様式(エトス)に根ざすものだとすれば、その克服は容易ではない。

その行動様式の基礎となっているのは、長年かけて築き上げた人間関係を基礎とする幇という共同体システムであり、「法は人民をうまく統制するために存在する」という「法家」の思想である。これらの二つの基礎が地方官僚に「所有と占有の混同」を促進させてきた可能性がある。

習近平政権が、過去における地方官僚の不正を徹底的に摘発したとしても、中国の行動様式(エトス)自体を抜本的に改めなければ、新たな不正蓄財は止まらないだろう。数千年の歴史のなかで育まれてきた行動様式(エトス)を数年で抜本的に変えることは不可能である

歴史が繰り返すのであれば、共産王朝はもはや末期であろう。

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5月の連休は、久方ぶりに上海など中国の江南地方を回ってきた。まっすぐに伸びる片側4車線の高速道路、その両側には幅1キロメートル以上はあるかとおぼしき分厚い緩衝緑地帯。その向こうは高層マンション群の建設工事ラッシュだ。

 上海浦東地区では完工したばかりの上海タワー・ビルがそびえ立つ。このビルの高さは632メートルで、東京・浅草地区の東京スカイツリー(高さ634メートル)とほぼ同じ。超高層ビルとしてはドバイのブルジュ・ハリファ(高さ828・9メートル、ビル本体は636メートル)に次ぐ世界第2位である。

 天上の世界に達する建築物を建てようとして、神の怒りを買ったという旧約聖書「バベルの塔」の寓話(ぐうわ)、あるいは画期的な超高層ビルが建つたびにバブル崩壊が起きるという現代のジンクスを思い起こさせる。いったい、中国の不動産市場はどうなっているのか。不動産バブルは崩壊ずみではなかったのか。

 グラフは上海の不動産平均相場と中国の銀行融資年間増加額の推移である。共産党中央は2008年9月のリーマン・ショック後、党の指令下にある中国人民銀行と国有商業銀行に大号令をかけ、銀行融資をそれまでの3倍以上に増やさせた。地方政府は土地を農民や住民から取り上げ、デベロッパーを招いては不動産開発にいそしむ。中国全土で不動産バブルが起きたが、12年には破裂した。

 グラフが示すように、崩壊前には銀行の新規融資額は大きく減っている。住宅市場の過熱に慌てた当時の胡錦涛政権が冷やしにかかった結果だった。各地で巨大なゴーストタウンが生まれ、現在でも醜悪な姿が野ざらしになっている。

 上海、北京、深●(=土へんに川)など沿海部の巨大都市は様相が異なる。不動産市況悪化とともに生じた景気悪化局面を打開しようと、党中央は再び銀行融資のかさ上げを命じた。余剰マネーは主として上海など巨大都市部に集中し、不動産相場を押し上げるようになった。

 何しろ、融資の増加額の規模はすさまじい。最近では日本円換算で200兆円を超えている。年間融資増加額は15兆円に過ぎない日本とはまるで比較にならない。上海の知り合いは今年初めに億ションを買ったが、数カ月で1000万円相当、値上がりしたとほくそ笑んでいた。

 異様な規模の融資の増加は、同時に同規模の債務の膨張をもたらす。不動産開発は鉄鋼、セメントなどモノの需要を押し上げるが、上海など一部地域に集中しており、11年当時の全国規模の開発とはわけが違う。鉄鋼などの過剰生産能力は温存されたままだ。

 銀行融資を抑えると、たちまち不動産バブルは崩壊し、資本逃避ラッシュが起き、人民元暴落の危機が再発しよう。高水準の銀行融資を続けるしかないが、その分だけ不動産バブルが巨大化するだけだ。バブルと債務主導の中国経済は日本を含め世界を巻き込むだけに不気味だ。 (産経新聞特別記者・田村秀男)
近年、田中角栄の再評価が起き、田中角栄本が巷に溢れかえっています。
私は、どれを読んでも、「まあ今頃書いても・・・」という感想しか持てない。

日本中、マスコミと言うマスコミが田中角栄バッシングに走り、新潟県民以外は全て反田中角栄だった頃、一人田中角栄を擁護し、政治家田中角栄がいかに稀有な政治家であるか理詰めの説明をしたのは、小室直樹氏であった。今頃角栄を擁護しても遅いのだ・・・・。竹下登以降の日本政治は官僚を制御できず、世間は角栄の偉大さに今頃気付いたようだ。

ソ連が崩壊して四半世紀、今度は中国共産党政権の崩壊が小室先生の予言通りになる可能性が高くなってきている。

小室直樹先生がご存命であれば、今度はどんな処方箋を書くか?それとも、唯滅びるのみと、診断するだろうか?そして、先行き不透明な21世紀の世界に日本にはどのような処方箋を書いたか・・・小室先生の著作を改めて読み直し、その糸口を辿りたいと思います。

知の巨人・泰斗とは小室直樹を指す言葉だと改めて思います。