Ddogのプログレッシブな日々@ライブドアブログ

政治経済軍事外交、書評に自然科学・哲学・聖地巡礼・田園都市ライフ、脳の外部記憶媒体としてこのブログを利用しています。2020/11/30以前はGoogle検索でキーワードを入れると常に上位にありましたが、日本のトランプ大統領デモを紹介した記事が米国でバズって以降検索アルゴリズムから排除され検索ヒットされにくい状態です。是非ブックマークをお願いします。このブログをご訪問していただいた方の知識や感性として共有できれば幸せに思います。


舛添知事の疑惑をテレビはこの一カ月半伝え続けた

6月15日に辞意を表明した舛添要一東京都知事。正式には今日、6月21日に辞職するという。
4月27日発売の週刊文春で、舛添知事の公用車による別荘通いが報じられてから55日で辞職に追い込まれた。不思議なことに、法律を犯したわけではないし、主に追及されたのは都知事になる前の件だ。なぜ彼が辞めねばならないかを明確に説明できる人はいないのではないか。それなのにこれほど多くの人々に辞職すべきと断じられた政治家もいないだろう。
私は5月9日の夜、TBS「NEWS23」に出演した舛添氏があまりに部下のせいにばかりすることにあきれ果て、Yahoo!ニュースに記事を書いた。
自分で自分を炎上させてしまった舛添都知事が挽回する方法
番組放送後にTwitterを調べたら、あからさまに人びとの怒りとあきれ返った様子が表れていたので、そのデータを紹介した。多くの人の怒りに本当に火をつけたのは、この「NEWS23」出演だったかもしれない。
その後、週刊文春は舛添氏に関するスクープを連発した。他のマスメディアはその後追いをする形で、こぞって舛添氏を叩き続けた。「週刊文春にはこう書いてありました」だけで構成している番組もあった。私はそれに辟易して、5月30日にまた記事を書いた。
舛添都知事についてテレビはどれだけ伝えたか(そしてメディアのイナゴ化について)
最初の文春記事から一カ月でテレビは舛添問題をどれだけ報じてきたかを検証したものだ。
その後もマスメディアは舛添氏を叩き続けた。私はいよいよ辟易し、周囲には同様の意見も多く聞こえてきた。日本中の信頼を失っていたので辞めてしかるべきとは思うが、辞めると言うまでメディアは叩き続け、バッシングによって辞めさせられたようにも思える。さらにそれをネットが過剰に煽っていたのではないか?そんな疑問を私は感じていた。それを確認できないかと、分析会社にデータを提供してもらった。                                                      
テレビ報道は舛添氏が会見をするたびに過熱していった

まず、舛添氏の問題をテレビがどれくらい伝えたか、その推移を追ってみた。テレビ放送の内容をデータ化するエム・データ社に依頼し、TV Rankというツールで「舛添」を内容に含む番組を”見える化”してみた。
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データ提供:エム・データ社                                                                                           
見てもらえばわかる通り、舛添氏の問題を扱った番組の数が円の連なりで示されている。文春のスクープ後すぐに連休に入ったので一度報道は中断したが、連休明け5月9日の「NEWS23」の出演から火がつきはじめた。ちょっとした法則性が見受けられ、定期的に”山”ができている。調べてみると、13日と20日の都庁での定例会見、6月1日の都議会での所信表明演説、そして6日の弁護士による第三者調査の発表時に”山”ができているのだ。要するに、舛添氏が人前に出てきて何らかしゃべるたびに、そのことがわあっと報道されている。
そのあとはワイドショーや夜のニュースでそれぞれの会見内容をフォローしたり、別の疑惑について紹介したりするのが定番化していた。会見が報じられて、そのあと一週間フォロー報道が続き、また会見が行われる、というパターンだ。
5月半ば以降からマスメディアの舛添報道が徐々に過熱し、ヒートアップしていったことがよくわかる。だがそれは、マスコミが過剰に煽ったとか、暴走したとは言えなさそうだ。むしろ舛添氏の会見にきれいに合わせて報じていっただけだと言える。ヒートアップしたとしたら、舛添氏が会見するたびに市民感覚を逆なですることを言ったり、言い訳が逆に世間の心証を害したりした結果だと解釈したほうがいいように思える。会見によって沈静化するのではなく、会見が燃料を注ぎ入れる形で燃え続けた。                                      
Twitterの反応は、マスメディアの報道に沿った素直なものだった

では同じ時期、Twitterはどう推移したのか。ソーシャルメディアの分析会社、データセクション社に依頼し、「舛添」を含むTweetの数を出してもらった。(10%抽出データで、実数値は10倍したものと考えてほぼ間違いない)それを折れ線グラフにしたものが、これだ。
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データ提供:データセクション社                                                                                     
5月9日以降盛り上がりはじめ、13日と20日にやはり山ができている。その後5月後半は徐々に下がっていたのが、6月に入ってまた増加し、15日の辞職表明を受けて急上昇している。
私は、テレビ番組のデータとは乖離する部分が、後半に出てくるのではないかと推測していたのだが、むしろ大まかには比例しているように思えるグラフだ。Twitterの反応は、報道を受けての素直なものなのだろう。
そこをはっきりさせようと、二つのグラフを強引に重ねてみた。それがこの図だ。
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作ってみてびっくりした。大まかにどころか、ほぼ比例している。5月下旬には少々乖離が見られるものの、6月6日以降、つまり弁護士の会見以降、テレビ報道と明確に連動して反応が推移している。
これは、あの弁護士会見が決定的にネガティブな結果をもたらしたと言えるかもしれない。6月1日の都議会での所信表明時にはテレビ報道とTwitter件数には乖離が見られるのだが、弁護士会見後に再び相関性が出てきている。弁護士会見は、何も弁護できてなかった。それどころか不要に火に油を注いだと言えそうだ。                                                                                                                                                                          
マスとソーシャルのメディアが煽ったのではなく、舛添氏の自責点

今回の舛添氏の疑惑発生から辞職に至るプロセスは、かなりイレギュラーで異常な現象だったと思う。明確な法律違反はないにも関わらず、日本の首都の知事が辞めてしまったのだ。そこには、マスメディアが必要以上に世間を煽ったり、ソーシャルメディアで人々が無軌道に扇動したりが潜んでいるのではないかと懸念した。
だがデータから見えたのは、マスメディアは舛添氏の会見を定期的に伝えていたし、ソーシャルメディアでは人々がその報道を見て率直に反応していたことだった。メディアが錯綜して世の中を異常にヒートアップさせた、などということはなかった。
ヒートアップさせたとすれば、それは舛添氏そのものだったと言えそうだ。意図しないにしても、会見で不信を増幅させるようなことを自ら言って、人々を自分で煽ってしまったのだ。最初の「NEWS23」で部下に責任を押し付けなければ、その後の会見で説明を先延ばしにしなければ、つまりは最初からきちんと反省してそれを言葉にしていれば、こうならなかったかもしれない。それなのに、その逆ばかりを続けてしまった。
一方で、テレビの報道の量とTwitterの件数はきれいに連動していたのも驚きだった。テレビの伝え方とネットの反応には、以前よりも明確に相関性が出てきている。相乗的に”世論”が形成されており、今年に入って文春が放り込んだネタをテレビとネットが燃やし続ける案件が続いている。「舛添疑惑」もその典型だった。過剰に煽ったとは言い難いにせよ、この相互的な世論形成が辞任に至らしめたのは間違いないだろう。極めて時代的な現象が、リアルな社会を動かしはじめているのだと思う。

境治
コピーライター/メディアコンサルタント
1962年福岡市生まれ。東京大学卒業後、広告会社I&Sに入社しコピーライターになり、93年からフリーランスとして活動。その後、映像制作会社ロボット、ビデオプロモーションに勤務したのち、2013年から再びフリーランスとなり、メディアコンサルタントとして活動中。有料マガジン「テレビとネットの横断業界誌 MediaBorder」発行。( http://mediaborder.publishers.fm/ )たまたま育児について書いたブログが17万いいね!を得て取材をはじめ、書籍にまとめた『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない』(三輪舎刊)を出版した。


日本ではバッシングは社会の規範を保つ必要悪である! 舛添辞任に思う。

舛添が本日辞任した。2016年の年初から、メディアによる「バッシング」が起きている。ベッキーと“ゲス乙”川谷絵音の不倫騒動、SMAP解散騒動、国会議員の「ゲス不倫」、ショーンK学歴詐称事件、乙武洋匡5股不倫騒動、元”ファンモン”のファンキー加藤と”アンタ”柴田の元妻W不倫騒動など、メディアもネットも、日々誰かをバッシングを続け、不倫を詫びる芸能人を、何度も見ることになりました。だが舛添の辞任は当然の結果であると思う。

彼の血の半分は朝鮮人の血が流れていたせいなのか、日本人として、ごく自然にできるはずの、とりあえず謝罪することが問題が発覚した際にできなかった。

とりあえず謝ることができなかった舛添えを見て、最後は四面楚歌となって辞任になることが容易に予想できた。

舛添の公金横領は些細なものである、クレヨンしんちゃんの絵本とか、チャイナ服とか、家族旅行とか・・・・こそ泥程度の犯罪であるが、天下の大悪人として世間は断罪した。

舛添は保守側の論客とされていたが、中韓に媚びる舛添を保守側は早々に見切っていた。舛添は主に保守層側に叩かれた。一方安倍首相に汚い言葉でバッシングしているような、左翼・親韓・親中派は、舛添の行状について擁護こそしなかったが、

おもしろいことに、舛添叩きを「いじめ」だと批判する識者らの意見をみると、上野千鶴子や津田大介が意見を出していた。

数年前から流れていた怪文書情報を改めて出すなど、一部マスコミは「全体としていじめではないか」という行動を取っていました。そしてそのいじめという意見に対し、辞任発表後「今考えると全体的にセコイ話で今後追求するのはどうか」などというやり過ぎ報道への対応分析を行っていました。

この舛添ついでに日本を批判する輩は、まるで何もわかっていない。舛添のバッシングは日本の秩序や規範を保つ必要悪なのだ!

同じ保守の立場ではあるが、その言説にまったく同調できない小林よしのりはやはり頭が悪かった、”集団リンチをまだ続けたかった愚民主主義”という記事を書いている。

日本は宗教が無いと言っても過言でない社会だ。しかし、宗教が無いのに、日本は世界一の秩序と規範を保っている。日本の犯罪発生率の低さや治安の良さは、西欧にはない、日本独特の「世間」の存在を考えないと説明がつかない。

歴史学者の阿部謹也一橋大名誉教授(故人)は、”日本人は、依然として「世間」にがんじがらめに縛られている。犯罪は、「法」に反する行為であるはるか以前に、「世間がゆるさない」のである。つまり、犯罪者は「世間」から「はずされ」てしまう。日本人は「世間を離れては生きてゆけない」と思っているために、この抑止力は絶対である。”と分析する。


それゆえ、インターネットSNSで発言力を持つようになった個人の集合体である世間様は、世間の規範にあわせてバッシングしなくてはならないのだ。むしろ、バッシングせず放置するようなことは絶対に許されないことであると思う。

執筆中


















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