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「人は何のために生まれ、何のために死ぬのか」「人は何処より来たりて、何処より去るのか」「見えない世界が見えてくる、人類究極の命題への挑戦の書」
PHP研究所 
心の世界はあるのか。あるとすれば、それは科学的に証明できるのか? 人は何処より来たりて、何処へ去るのか? 人はなぜ生きているうちは見えるのに、死ねば見えなくなるのか? 心の世界のあの世と、物の世界のこの世はつながっているのか? つながっているとすれば、どちらが実像でどちらが虚像なのか? 人の心なくして、この世(宇宙)は存在しないのはなぜか? 祈りは願いを実現するのか?……これらの問題を、量子論を通して考えてゆくと、意外な事実が明らかになってくる。それが、理系的思考に慣れていない人にも読めるよう、平易に表現されており、これらの問題を考えたことがなければないほど、知的な興奮を呼び覚ましてくれる。「人類究極の謎」を量子論から科学的に解き明かす、瞠目の一冊。

もくじ

はしがき

第一部 見えない宇宙の探索

   一.見えない宇宙の探索はなぜ必要なのか 24
   二.量子論的唯我論―コペンハーゲン解釈が説く、驚くべき世界観 33
   三.物心二元論の古典的な科学観を超克する 41

第二部 量子論が解明する心の世界

   一.量子論の誕生 49
   二.量子論を理解するための五つの基礎理論 59
     1光は波動性と粒子性を持っている 62
       (1)光の波動性を検証する 64
       (2)光の粒子性を検証する 67
     2電子も波動性と粒子性を持っている 76
     3一つの電子は複数の場所に同時に存在できる
                                (電子の状態の共存性)81
     4電子の波は観測すると瞬間に一点に縮む(電子の波束の収縮性) 84
     5電子の状態は曖昧である(電子の不確定性原理) 93
     6人間の心こそが、この世を創造する(量子論的唯我論) 99
   三.量子論への反論
コペンハーゲン解釈に対する反論 102
     1「シユレデインガーの猫のパラドックス」による反論 102
     2EPRパラドックスによる反論 112
   四.量子論への支持
コペンハーゲン解釈に対する支持 118
     1ペルの定理による立証 118
     2アスペの実験による立証 119
   五.量子論が解き明かす不思議な世界 126
     1ミクロの粒子は心を持っている 126
     2人間の心が現実を創造する 131
     3自然と人間は一心同体で以心伝心である 134
     4空間は万物を生滅させる母体である 138
     5万物は空間に同化した存在である(同化の原理) 141
     6空間のほうが物質よりも真の実体である 142
     7物質世界のこの世が空間世界のあの世に、
       空間世界のあの世が物質世界のこの世に変わる
                 (この世とあの世の相補性) 147
     8実在は観察されるまでは実在ではない
                 (自然の二重性原理と相補性原理) 150
     9光速を超えると、あの世へも瞬時に行ける 157
     10未来が現在に影響を及ぼす(共役波動の原理) 164
     11この世はすべてエネルギーの変形である
                  (波動と粒子の相補性) 165
     12宇宙の意思が波動を通じて万物を形成する(波動の理論) 168
     13祈りは願いを実現する 177
     14量子論が解き明かす世界観 186

第三部 あの世とこの世の関係

   一.あの世とこの世の相補性(その一) 193
     1相対性理論から見た、あの世とこの世の相補性 193
     2量子論から見た、あの世とこの世の相補性 201
   二.あの世とこの世の相補性(その二) 205
     1実像と虚像から見た、あの世とこの世の相補性
                  (相対性理論の観点から) 205
     2宿命と運命から見た、あの世とこの世の相補性
                   (量子論の観点から) 218
   三.東洋神秘思想と相対性理論と量子論の関係 222
   四.宇宙の意思の伝達媒体としての波動の理論 229                 
第四部 進化する量子論―物質世界の解明

   一.量子論が指向する未来科学、ナノテクノロジーの世界 241
     1トンネル効果の発見 241
     2半導体の発見 242
     3量子ビットの発見(量子コンピュータの開発) 243
   二.量子論が解き明かす真の宇宙像 250
     1宇宙はエネルギーのゆらぎから生まれた 250
     2宇宙空間のエネルギーが新しい物質(暗黒物質)を生み出す 253
      (1)真空の宇宙では暗黒物質(万物の素)が
                   生まれたり消えたりしている 255
      (2)暗黒エネルギーが宇宙を加速膨張させている 257
     3並行世界説としての多重宇宙説(もう一つの宇宙像) 260

第五部 量子論の明日への期待―心の世界の解明


   一.多重宇宙説の研究こそが新たな真理の扉を開く 271
   二.人間の生物的時間と宇宙時間 276
     1生理時計 276
     2心理時計 278
     3年齢時計 280
     4人間の寿命と宇宙時計 282
      (1)心拍数や呼吸数から見た寿命時間 282
      (2)遺伝子から見た寿命時間 284
   三.心の時間をいかに生きるか 288
   四.幸福とは何か 292

補論 タイムトラベルは可能か

   一.光速とタイムトラベルの関係 相対性理論の観点から 304
      I先速は「宇宙の最高速度」 304
      2先速が時間と空間を二つにつなぐ 305
      3光速も空間も時間も、重力によって変わる 306
      4光速の壁は破られたのか 307
   二.素粒子の重さと速度とタイムトラベルの関係j-量子論の観点から 317
      1素粒子天文学(ニュートリノ人文学) 317
      2ニュートリノはどうしてできるのか 318
      3素粒子の種類と分類 320
       (1)物質の構成単位として見た素粒子の分類 322
       (2)重さと速度の関係から見た素粒子の分類 323

   三.因果律は崩壊しない?―――タイムトラベルの観点から 328
   四.タイムトラベルは人類の夢 335
      1タイムマシンで未来や過去へ行けるのか 335
       (1)未来へのタイムトラベルは理論上は可能 335
       (2)過去へのタイムトラベルは理論上は不可能 338
      2タイムトラベルの具体的な方法 340
       (1)未来へのタイムトラベル 342
        ①フラックホールを利用する方法
        ②中性子星を利用する方法
       (2)過去へのタイムトラベルの方法 344
        ①タイムスコープによる方法
        ②回転宇宙による方法
        ③ワームホールによる方法
        ④宇宙ひもによる方法
      (3)因果律の崩壊なしに、過去へのタイムトラベルを
                                  可能にする方法 354

参考文献
この本は、どこかの新興宗教の教祖や怪しい霊能師、タレントの美輪明宏氏、江原啓之氏あたりが書いたのならいざしらず、数学者の岸根卓郎京都大学名誉教授(1927年生まれ)によって書かれたのだ。
PHP総研人名事典 岸根卓郎 
京都大学教授を経て、現在、京都大学名誉教授、南京経済大学名誉教授、元沸教大学教授、元南京大學客員教授、元The Global Peace University 名誉教授・理事、文明塾「逍遥楼」塾長。著者の言説は、そのやさしい語り口にもかかわらず独創的、理論的かつ極めて示唆に富む。京都大学では、湯川秀樹、朝永振一郎といったノーベル賞受賞者の師であり、日本数学界の草分けとして知られる数学者、園正造京都帝国大学名誉教授(故人)の最後の弟子として、数学、数理経済学、哲学の薫陶を受ける。既存の学問の枠組みにとらわれることなく、統計学、数理経済学、情報論、文明論、教育論、環境論、森林政策学、食料経済学、国土政策学から、哲学・宗教に至るまで幅広い領域において造詣の極めて深い学際学者である。宇宙の法則に則り東西文明の興亡を論じた『文明論』は、「東洋の時代の到来」を科学的に立証した書物として国際的にも注目を集め、アメリカおよび中国でも翻訳され、中国ではベストセラーとなり、内外でも絶賛され大きな反響を呼んだ。また、著書の『宇宙の意思』は「生」と「死」について、洋の東西における「死生観」の対比を、東洋の神秘思想から西洋科学の量子論に至るまでを視野に入れてひもとくものとして極めて高い評価を得た。本書は、その『宇宙の意思』と『見えない世界を科学する』『量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」』を、より深化させたものである。
(データ作成:2015年)
まず、カバーの裏表紙にある「誰も見ていない月は存在しない 月は人が見たときはじめて存在する」という言葉は、量子論の「この世のモノは見るまで存在しない“非実在性”は巨視的世界にも当てはまる」解釈に基づくようだが・・・。

このコペンハーゲン解釈と呼ばれる問答は、禅問答である。一般人からすれば非常識でチンプンカンな話で、四次元の住人である我々の日常感覚と大きくかけ離れいる。人類が誕生する前から月はあったと証明されたら?盲人にとっては存在しないのか?などと考えてしまうのだが、私の反論もその程度である。

アインシュタインとボーアの伝記を書いた、物理学者のアルバハム・パイスによれば「我々は彼の客観的実在性に関する理解についてよく話し合いました。散歩をしていた時、アインシュタインが突然立ち止まり、私の方を向いて、あなたは月は見ている時しか存在していないと本気で信じているのかと尋ねたことを覚えています」と、彼のアインシュタインですら己の理性を疑ったのだ。しかし、数式は量子論の正しさを証明し、量子エンタングルメントは実験によっても証明されている。

量子論の知ってしまうと、あのアインシュタインですら反論できないのであるから、そういうものだと自分の常識を一度破壊する必要がある。考えてみれば般若心経の「色即是空」「空即是色」、デカルトの我思う、ゆえに我あり」Cogito ergo sumも、同じことを言っているのだ。ちなみにデカルトは哲学者でもあり著者岸谷教授同様に数学者でもあった。

 いうまでもなく、生ある者はいつかは必ず死ぬ。なぜなら、それこそがこの世における「生者必滅の理」だからである。身近な者が死んで、この世から消え去ることほど侈く切ないことはない。また、望みもしないのに、いきなりこの世に放り出され、混沌たる人生を経験させられ、最後に再び見知らぬあの世へと連れ去られることほど「理不尽」に思われることもなかろう。そのときになって、私たちは、はじめて、

「人は何のために生まれ、何のために死ぬのか」

 あるいは、

「人は何処より来たりて、何処へ去るのか」

などと真剣に「自問自答」し「苦悶」することになる。

 ところが、ここに銘記すべきことは、そのような「苦悶の根源」こそが、外ならぬ「私たち自身の心の世界の問題」であり、しかも、それはまた見方をかえれぱ「私たちが神より課せられた天命」でもあるから、私たち自身がいつかは解明しなければならない「人類究極の命題」ともいえよう。

 それにもかかわらず、この「命題」(心の世界の解明)への対応は、近代西洋科学では、これまでは「科学外の問題」として「不問」とされてきた。それこそが、いわゆる近代西洋科学の「鉄則」とする「物の世界のこの世」と「心の世界のあの世」を分別(峻別)し、そのうちの「物の世界のこの世」のみを研究対象とする「物心二元論」の「西洋の科学観」である。                           
 ところが最近になって、この「命題への対応」は「最子論」の登場によって大きく変わろうとしつつあるといえよう。なぜなら、量子論は、この「命題」を、従来のような「心の世界のあの世」を無視し、「物の世界のこの世」のみを研究対象とする西洋の「物心二元論」の「理論的な科学実験」(従来の物理学)によってでもなければ、東洋本来の「心の世界のあの世」と「物の世界のこの世」を分別せずに、両者を一体として考える物心一元論の「思弁的な思考実験」(哲学・宗教)によってでもなく、両者を「融合」した、まったく新しい「物心一元論」の「思弁的で理論的」な「思考型の科学実験」によって解明しようと取り組んでいるからである。

ちなみに、その一例が荘子の「心の世界」について説く「思弁的」な名言、すなわち、

「視乎冥冥 聴乎無聾」(めいめいにみ むせいにきく)
 (見えない宇宙の姿を《心》で視、声なき宇宙の声を〈心〉で聴け)

 に対する、量子論の「思弁的・理論的」な「思考型の科学実験」による回答(解答)である。

すなわち、量子論はこの問題に対しても、 「宇宙は〈人間の心〉なくしては決して〈存在〉しえないから、見えない宇宙の姿も、声なき宇宙の声も、〈人間の心〉があってはじめて〈見たり聞いたり〉することができる」
 ことを「科学的」に立証した(コペンハーゲン解釈、後述)。そして、そのことをもっともよく比喩的に表しているのが、量子論を象徴する、かの有名な、

 「月は人間(その心)が見たときはじめて存在する。人間(その心)が見ていない月は決して存在しない」
 であるといえよう。このようにして量子論は、私たちに、 「〈人間の心〉こそが〈宇宙を創造〉するから、〈人間の心〉なくしては〈宇宙の姿〉(宇宙の存在)も〈宇宙の声〉(宇宙の真理)も解明しえない」 ことを「科学的」に立証した。

 そればかりか、量子論はまた、
 「宇宙も人間と同様に〈心〉を持っていて、〈この世のあらゆる事象〉は、そのような〈宇宙の心〉と〈人間の心〉の〈調和〉(相互作用)によって成り立っている」
 ことをも「科学的」に立証した(コペンハーゲン解釈、後述)。しかも、そのことを傍証しているのが、驚くべきことに、二〇〇〇年も前の「東洋の神秘思想」にいう、

 「天人合一の思想」 (宇宙の心と人間の心は一体である)
 であり、同じく「西洋の論理思想」(ライプニッツによる)にいう、
 「大宇宙と小宇宙の自動調和」 (大宇宙の神の心と小宇宙の人間の心は自動的に調和している) であるといえよう。

 さらに、「量子論」は、
 「〈宇宙は心〉を持っていて、〈人間の心〉を読み取って、その〈願いを実現〉してくれる(叶えてくれる)」 ことをも科学的に立証した(コペンハーゲン解釈、後述)。それこそが「量子論」を象徴する、もう一つの有名な比喩の、

 「祈りは願いを実現する」 である。

 加えて重要なことは、「量子論」は、「〈見えない心の世界のあの世〉は存在し、しかもその〈見えない心の世界のあの世〉と《見える物の世界のこの世〉はつながっていて、しかも〈相補関係〉にある」 ことをも「科学的」に立証した。いいかえれぱ、「量子論」は、
 「〈見えない心の世界のあの世〉と〈見える物の世界のこの世〉はつながっていて〈物心一元論の世界〉である」
 ことをも「科学的」に立証した(ベルの定理とアスペの実験、後述)。
 以上を総じて、本書で究明すべき「究極の課題」は、
 「第一に、人間にとって、もっとも知りたいがもっともわからないため、これまでは〈物心二元論〉の観点から〈科学研究の対象外〉として無視されてきた〈心の世界のあの世の解明〉と、第二に、同じ理由で、これまでは〈科学研究の対象外〉として無視されてきた、〈心の世界のあの世と物の世界のこの世の相補性の解明〉について、それぞれ〈量子論の見地から科学〉しなければならない」
 ということである。

その結果、私か本書を通じて学びえたことは、
 「人類は〈量子論の世界〉を知らずして、〈見えない心の世界のあの世〉についても、その〈見えない心の世界のあの世と、見える物の世界のこの世の関係〉についても解明しえないから、人類はもはやこれ以上先へは進めないし、〈深化〉もできない」 といえよう。その意味は、
 「いまや、西洋本来の〈物の豊かさ〉を重視する《物心二元論〉の物質追求主義の〈物欲文明の時代〉は終焉し、これからは東洋本来の〈物の豊かさ〉と〈心の豊かさ〉を同時に重視する〈物心一元論〉の〈物も心も豊か〉で、〈徳と品格〉を備え、〈礼節〉を知る、〈精神文明の時代〉がやってきた」
 ということである(後述)。しかも、そのことを史実によって科学的に実証しているのが、私の、
 「〈文明興亡の宇宙法則説〉にいう、今世紀中にも見られる、〈西洋物質文明〉から〈東洋精神文明〉への〈文明交代〉による、〈心の文明ルネッサンス〉の到来である」
 といえよう。
 さればこそ、私はここに本書を上梓し、熱い想いを込めて、
「神よ、願わくば、人類に〈心の世界の扉〉を開かせたまえ!」
 と祈りたい。しかも、それこそが、私が本書の課題を、「量子論による心の世界の解明」 におき、その書名をして、「量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」」 とする所以である。

とはいえ、「量子論」は現代科学の最先端をいく「もっとも高度な科学」であるから、それに依拠する本書もまた必然的に「高度なもの」とならざるをえない。そのため、私は本書の執筆にあたり、それを可能なかぎりわかりやすく解説するよう最大限の努力を払ったつもりである。とはいえ、ここでとくに注意しておきたい点は、

 「読者が従来の〈古典的な科学観〉(デカルト以来の物心二元論の科学観)から〈脱却〉ないしは〈超克〉しえないかぎり、〈量子論の理解〉は本質的に〈不可能〉である」
 ということである。なぜなら量子論が指向するような、 「〈真に創造的な学問〉は人知を超えた〈神の領域〉(心の世界)にある」 からである。

その意味は、 「〈真に創造的な学問〉は、〈物の世界の科学〉を超えて、〈心の世界の科学〉(神の領域)にまで踏み込んだ学問(科学)である」
 ということである。いいかえれぱ、
 「〈真に創造的な学問〉は、〈論理性〉と〈実証性〉の外に、〈精神性〉をも兼ね備えた学問(科学)である」
 ということである。さらにいうなら、
 「量子論こそは、まさにそのような〈物の世界の科学〉を超えて、〈心の世界の科学〉にまで踏み込んだ〈従来の学問の域を超え〉る〈物心一元論〉の〈真に創造的な学問〉である」
 といえよう。そして、
 「本書もまた、そのような〈量子論〉に依拠した、〈従来の学問の域を超え〉る、〈真に創造的な学問〉を目指して、〈心の世界の解明〉に迫ろうとする」
 ものである。

 なお、ここに付記しておきたいことは、本書は私の前著の「見えない世界を科学する」{彩流杜、二〇一}年)の姉妹編であり、しかも両著とも「心の世界の解明」を共通のテーマとする「心の書」であるという点では同じであるが、本書の「特徴」は、その「分析の視点」をとくに「量子論に集中」したということである。つまり、本書の特徴は、従来の哲学舎や宗教書のような「形而上学」の「思弁的」な「心の書」とは異なり、現代の最先端科学の「量子論」に基づく「形而上学と形而下学」を融合した「思考型の科学実験」に基づく「新しい心の書」であるという点にある。

 ただし、ここに誤解なきよう、とくに断っておきたい点は、本書は従来の「形而上学」の「思弁的」な「哲学書」や「宗教書」などの「心の書」を決して否定するものではなく、逆に、それらの「価値」を「量子論」の観点から「科学的に止揚する」ことにある。ゆえに、このような見地に立って、本書と私の前著の「宇宙の意思」(東洋経済新報社、一九九三年)や「見えない世界を科学する」(彩流社、二〇一一年)などをも併せ読み進めていただければ、それらの「相乗効果」によって、三者とも、より理解が深まるものと考える。
(略)
二〇一四年 初春  
              岸根 卓郎
かなりくどい文章ではあるが、自分も文章を書いていて思うのだが、あふれ出る言葉を文章にするとこうなりやすい。溢れる情熱を誠実に書き起こしたものだと私は思います。

そこで、本文とは直接関係ないのだが、量子論の「非現実性は巨視的世界にも当てはまる」話として、寺澤武一氏の傑作漫画コブラに出てくる「カゲロウ山登り」の回を本書を読んで想い出したので、紹介したい。

「カゲロウ山登り」
その山が存在する。そう信じている者だけに存在する、幻の山「カゲロウ山」。山頂を求め最初は9人だった仲間が次々と死んでいく。山の存在を信じられずに…。そして、その死の影には裏切り者の気配が。最後まで生き残ったのは、山頂に求めるものがあると信じていた奴と知っていた奴だった。 

本エピソードは、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」Cogito ergo sumがその昔元ネタかと思っっていたが、なんと先駆的量子論的な漫画であったのか・・・しかも原作は1970年代末だ!哲学や宗教とこの量子論はかなり近いのだ。いや、真理の追究において単に経路が違うだけなのかもしれない。

p177-187
13 祈りは願いを実現する

「誰も風を見た人はいない。それでも誰も風の存在は疑わない」
 であろう。それと同様に、
 「誰も神を見た人はいない。それでも誰も神の存在は疑わない」
 であろう。私は、そこにこそ「神を信じる人の祈り」としての「宗教」が生まれたと考える。
しかも驚くべきことに、
 「量子論は、ついにその〈祈り〉が単なる宗教儀式ではなく、〈現実を創造〉し、〈願望を実現〉することを〈科学的〉に立証した」といわれている。

その意味は、
 「この世のくありとあらゆるもの〉は、すべて〈人間の意識〉(心)が創り出している〈想念の世界の産物〉であるから、〈人間の祈り〉(想念、心)によって〈現実を創造〉すれば、〈願望を実現〉することができる」 ということである。それゆえ、
 「祈りは願いを実現する」 ということになる。
もともと、
 「祈りとは、宗教が対象とする至高の存在(神、佛)に向けて、人間が願い(思念、想念)を集中すること」
 であるが、その祈りは全人類を通じて、古代から現代に至るまで連綿として継承されてきた。なぜなら、それは、
 「〈人間〉には〈心〉があり、心があれば〈悩み〉が生まれ、悩みが生まれれば〈神〉に縋りたくなり、神に縋りたくなれば〈祈り〉たくなり、祈りたくなれば〈宗教〉が生まれる」
 からである。
とすれば、この事実こそは、
 「祈りが宇宙の意思(神の心)を通じて願望を創造(実現)することを、人間自身が暗黙裏に認めてきた(信じてきた)証である」 といえよう。

このことを「量子論の立場」から、私なりに解釈すれば、

「祈りには〈空間〉(森羅万象を生み出す母体)が大きく関与していて、その空間に〈人間の祈り〉(人の想念、心)が〈電子〉(その波動)を介して〈同化〉すると、そこに〈素粒子の心〉にも変化が生じ、それによって〈願望の事象〉が生まれ(波束が収縮し)、〈祈りが実現〉する」 ということになろう。このようにして、私は、「〈人の祈り〉は宇宙空間を通じて、〈人の願い〉を〈実現する〉ことを〈科学的〉(量子論的)に立証しえた」 と考える。

そればかりか、このことはまた、 「〈宗教〉の〈存在意義〉の重要性をも〈科学的〉に立証しえた」 ことになると考える。

 以上が、「祈りは願いを実現する」という「量子論の主張」についての私の理解であるが、同じことを、さらに「宗教論の観点」からも考えれば、佛教でも、 三界は唯心の所現」
 すなわち、
三界(現世、この世)は、人の心の現れにすぎない」
 と説いているが、その意味は、
「この世は、人の心が創り出した意識(想念)の世界にすぎない」
ということである。とすれば、そのことはまた、量子論の主張する、
「この世は、人の意識が創り出した想念の世界である」
 とも完全に一致することになる。そうであれば、量子論と同様、宗教(佛教)によっても「人は祈り(想念、心)によって、現実を変え、願いを実現することができる」
 ということになる(参考文献20p194)。
このようにして、私は、ここでも「東洋の神秘思想」(佛教)
と「量子論」の「近さ」を思い知らされる。

 そこで、このような「両者の近さ」について、以下に改めて私見を付記すれば、それはアインシュタインが、     
 「ネズミ(人間を比喩)が見つめただけで(ネズミの意識、ネズミの心だけで)、この世が変わるなどとはとうてい信じられない」 との揶揄によって、量子論の主張する、
 「人間の意識(心)によって、この世は変わる」
 に対し猛烈に反論した点についてである。

 佛教ではその根本思想の一つに「輪廻転生の思想」がある球仁の思想では、人間は死ねば天人、人間、動物、地獄の生き物のいずれかに再生し、それを永劫に繰り返すと説き、人間はこの輪廻から抜け出さないかぎり(解脱しないかぎり)、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の「六道」の間を永遠に輪廻転生することになると説く。

  ところが、佛教では、この「六道」よりもさらに上位に「輪廻転生の世界」を超えた「悟りの 世界」(意識の世界、想念の世界)としての、声聞(しょうもん)、縁覚(えんかく)、菩薩の「四聖道」があると説き、
 その「四聖道」(悟りの世界、祈りの世界)へ行けるのは「人間だけである」として、その「特権」 を「人間以外の生物」には与えていないのである。

その意味は、
 「佛教では、この世のすべての事象は四聖道の特権を与えられた人間の意識だけで創り出されて いるから、アインシュタインのいうような四聖道の特権を与えられていないネズミのような人間 ではこの世は変わらない」  ということである。

  以上を総じて私のいいたいことは、
 「量子論によれば、ミクロの世界のあの世では、人間の意識(心)によって、その現実は瞬時に 姿を変えるから(波束の収縮)、基本的には、そのミクロの世界によって構成されているマクロ の世界のこの世でも、ミクロの世界のあの世の法則(コペンハーゲン解釈)に支配され、人間の 意識(祈り)によって、この世の現実を変え(創造し)、願いを実現することができる」  ということである。

  そして、いみじくも、そのことを二〇〇〇年も前に説いたのが、次のキリスト教の『新約聖 書』の聖句である。すなわち、 『イエス答えて言い給う。神を信ぜよ。誠に汝らに告ぐ、人もし此の山に「移りて海に入れ」と言うとも、その言うところ必ず成るべしと信じて、心に疑はずば、その如く成るべし。この故に汝らに告ぐ、凡て祈りて願う事は、すでに得たりと信ぜよ、然らば得べし』(『新約聖書』マルコ伝第一一章二二~二四節)
 と。そうであれば、私は、二〇〇〇年も前にバイブルに説かれた、
 「祈りは願いを実現する」
 という、この聖句の正しさが、二〇〇〇年後の今日に至って、ようやく「量子論」によって「科学的」に「立証」されることになったと考える。

 そこで、このことに関連して、ここで改めて視点をかえ、後に述べる「宿命と運命」の観点からも「祈りは願いを実現する」について、私見を追記すれば、
私は、
 「あの世(ミクロの世界)での多様な確率的な可能性の〈宿命〉が、〈波束の収縮〉によって、この世(マクロの世界)での唯一の現象(実在)として顕現したのが〈運命〉であると考えるから、〈祈り〉によって、あの世での〈宿命〉を、この世で〈波束の収縮〉によって変えれば、この世での〈運命〉も変えることができるので、〈祈り〉によって〈願い〉(運命)を叶えることができる(実現できる)」 と考える。

この点については、すでに「アスペの実験」でも、「相補性原理」でも、私見を明
らかにした。

 以上が、私の「祈りは願いを実現する」との見解であるが、この点に関連してさらに心理学者のバス教授の理論についても私見を追記すれば、彼は、 『人間のニューロンには数十億の原子レベルの意識が含まれており、それらが人間の心となって、原子、分子、細胞、組織、筋肉、骨、器官などで観測を行っている』 という。もしそうであれば、
 「人間の心は、物事を原子レベルで感知することができる」
 ということになる。もちろん、これは「注目すべき見解」である。なぜなら、
 「原子レベルといえば、それは潜在的な実在(祈り、宿命)が、波束の収縮によって、顕在的な実在(運命)に変わる素粒子レベルのことであるから、このバスの理論は、量子論の観点から見た、前述の私の〈祈りは願いを実現する〉との考えとも通じることになる」 からである。

 以上を総じて私は、 「人間の〈祈り〉が〈波動〉を介して空間に〈同化〉すると、そこに祈りとしての〈宿命〉が生まれ、それが同じく〈波動〉を介して時間の経過とともにこの世に運ばれると、それが人間による〈波束の収縮〉によって現実の事象としての〈運命〉になり、祈りは〈実現〉する」 と考える(図3-4を参照)。

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                                                   それゆえ、私は、 「〈祈り〉とは単なる宗教儀式ではなく、〈人間の願望〉を実現するために必要な〈人間の心の在り方の問題〉である」 と考える。

そして、この考えこそが、私の主張する「量子宗教」(著者造語)の意味である。
なお、この「量子宗教」について詳しくは、私の前著の『見えない世界を科学する』を参照されたい(参考文献21p322-331)。

 以上のようにして、私は、 「祈りは願いを実現することを、量子論的見地から〈科学的〉に立証しえた」と考える。とすれば、これこそは、本書の課題とする、
 「〈量子論による心の世界の解明〉への〈一つの解答〉である」
 ともいえよう。

 ところが残念ながら、現実には、 「祈りは必ず願いを実現する」 とは思えない。
なぜだろうか。私見では、それには主として次のような理由があるからではな
かろうか。

一つは、 マクロの世界のこの世に住む私たちが、「祈り」によって、ミクロの世界のあの世で選択したことが(それが「願いとしての宿命」)、時間の流れるマクロの世界のこの世に時系列順に運ばれてきたのが、その時々の「現実としての運命」である。ところが、残念ながら、私たちは自身がミクロの世界のあの世で、祈りによって選択したこと(宿命)と、それがマクロの世界のこの世に時系列順に現れてきたこと(運命)との「相補性」については「まったく気づくことができない」から、その「違い」が私たちにとっては「祈りは願いを実現するとはかぎらない」と映るのではなかろうか。

二つは、私たちこの世に生きる一人ひとりはすべて「異なる願い」を持っているから、それらの多くの「異なる願い」は、多くの場合、互いに「背反」したり、「競合」したりしているはずであるから、もしもそれらの多くの人々の「すべての願い」が「祈り」によって「すべて実現」したとすれば、そのとき、社会は「大混乱」に陥ることになるから、「宇宙の意思」によって、そうならないようになっているのではなかろうか。

 以上のような理由から、私は、 「いまだ隠された宇宙の意思」(いまだ知られざる神の意思)によって、祈りはすべての人々の願いをすべて実現することはできないようになっている」のではないかと考える。

そうであれば、私は、「その隠された宇宙の意思(神の意思)とは何か」 を探ることもまた、「心の世界の解明を目指す、量子論にとっての重要な課題の一つ」ではなかろうかと考える。

14 量子論が解き明かす世界観

 以上は、「量子論が解き明かしてきた数々の不思議な世界」、なかんずく「コペンハーゲン解釈の世界」について見てきたので、最後にその要点を箇条書きにして「総括」しておく。

(1) この世が存在するかぎり、必ずあの世も存在する
(自然の二重性原理と相補性原理)
(2) あの世とこの世はつながっていて、しかもあの世がこの世へ投影されている(自然の二重性原理と相補性原理、ベルの定理とアスぺの実験)
(3) この世とあの世は、その境界領域において互いに干渉し合っている(ベルの定理とアスぺの実験)
(4) この世が虚像で、あの世が実像である
(自然の二重性原理と相補性原理)
(5) 物質世界のこの世が空間世界のあの世に変わり、空間世界のあの世が物質世界のこの世に変わる(状態の共存性と相補性原理)
(6) 人間はなぜ生きているうちは見えるのに、死ねば見えなくなるのか(自然の二重性原理と相補性原理)
(7) 人間にとって、あの世の宿命は、この世の運命である(相補性原理)
(8) 人間の意識がこの世(現実の事象)を創造する(波束の収縮性原理)
(9) 万物は空間に同化した存在である
(波動性と粒子性、および同化の原理)
(10)空間のほうが物質よりも真の実体であり、空間こそが万物を生滅させる母体である(波動性と粒子性、および同化の原理)
(11)万物は観測されるまでは実在ではない(波動の原理)
(12)未来が現在に影響を及ぼす(共役波動の原理)
(13)素粒子はあらゆる形状や現象を生み出す素因である(波動の原理)
(14)この世はすべてエネルギーの変形である
(ディラックの原理と波動の原理)
(15)宇宙の意思が波動を通じて万物を形成する(波動の原理)
(16)祈りは願いを実現する(波動の原理と波束の収縮性原理)


量子論と意識と脳 2017/1/19(木) 午前 2:21 

死後の世界を量子論で科学する.mp4


いま、科学は20世紀の常識を大幅に超越した新たな段階に到達し始めた。
我々の20世紀持っていた常識は、丹波哲郎の大霊界話に負けてしまったかもしれないのだ・・・・いままでオカルトや超常現象といった非科学的なものが科学される時代となってきたのだ。