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南スーダン国連平和維持活動(PKO)に参加していた陸上自衛隊部隊のうち、最後まで現地に残っていた田中仁朗隊長を含む11次隊の約40人が27日帰国し、第9師団司令部のある青森市の空港に到着した。安全保障関連法に基づく「駆け付け警護」の新任務を初めて付与されたが、実施されることなく5年強の活動が終了した。

 昨年11~12月に約350人が現地入りし、道路補修などの活動に従事。政府が今年3月に撤収を決め、約310人は4月以降、3陣に分かれて既に帰国している。

 2011年7月に独立した南スーダンは13年末以降、内戦状態になった。ジュバでは昨年7月、政府軍と反政府勢力による大規模な戦闘が起きて、治安情勢が悪化。現地の部隊が作成した日報には「戦闘への巻き込まれに注意が必要」といった記載があり、停戦合意などPKO参加5原則との整合性が問われた。
なにはともあれ、よくぞ御無事で帰還されました、お帰りなさい。ご苦労様でした。

欧州や日本は長い年月をかけて、自由、平等、博愛、公正、自律、協生といった関係原理を基本的諸価値を長い歴史の中で多くの悲劇を経験し理解し、合理主義、個人主義、民主主義、
科学主義等の精神を発達させてきた。その過程で、血で血を洗う多くの戦争や虐殺、衝突を経てきた。アフリカの部族社会から、近代に脱する過程で同じ過程を経験するであろうことは必然であるのだが、我々の価値観からすれば、人の道に外れる虐殺行為はとても看過できるものではない。

もし、明治維新や、関が原、源平合戦に装甲車に乗ったPKO部隊が間に入られたらいったいどうだったか?歴史に「if」はないけれど、余計なお世話だった気がしてならない。

アメリカだってシビルウォ-南北戦争を経験し、欧州は100年戦争やフランス革命、ロシア革命、日本も信長の叡山虐殺など、血生臭い愚行を重ねて近代国家を誕生させたのだ。

明治維新で江戸幕府が残っていたら・・・関ヶ原で引き分けにされていたら?源平が共存したら?今日の日本に至る歴史の過程で「if」はないが、次の安定的で平和な時代を迎えることが出来なかったろう。ただ、日本には天皇家が存在している限り分裂することだけはなかったかもしれない。

しかし、アフリカには神話の時代から連綿と続く王家はもはやない。

暴論だが、国際社会はアフリカに対し余計なお世話をしているのかもしれない。
アフリカの人達で殺し合って、それで自分達の手で歴史を積み重ねていくべきではないのか?PKOでドローにしている限り、本当の平和は訪れないかもしれない。

我々文明国の価値観が、同じ地球上で未だに行われている淘汰による競争、血で血を洗う抗争を看過できないのである。ある意味でエゴイスティックな行為で、言い方が悪いが民族として学習機会を奪っているともいえないだろうか?真の「ネイション」「国家」を成立させる機会を妨害しているのかもしれない。

国連にとって平和構築は、1990年代から新たな意味を付与された広い概念となったのだが、目の前で喧嘩をしている犬を引き離しているような、上から目線のような気がしてならない。

武力紛争終結後の国や地域で実施される平和構築の事業には、武装勢力の戦闘員の武装解除、動員解除および社会復帰、紛争当事者間の和解、法制度と司法制度の整備、自由な選挙の実施、自由主義的な市場制度の導入と開発支援までが含まれる。

平和構築とは、政治、法、社会と経済の全領域にわたる広い概念であり、内戦で国土が荒廃し、国民が分断された状態から新しい国家と社会を建設する大事業を意味している。

新生国家南スーダンにおいて平和構築を遂行することの困難さは、当初から予測されていた。もともと近代国家もなく、一度も近代的文明が無かった南スーダンは、長期にわたる内戦を経験し、自ら築くのではなく、国民は複雑に分断されている状態で、他国の人間がいきなり近代文明的価値観の平和という状態を構築すること自体、そもそも無理がある試みである。

だが、PKOは建前上戦争が終結した地域の平和維持と構築である。だが、本当は理想論だが今すぐ生命の危機にあるシリアや北朝鮮、東トルキスタンやチベットの一般市民の救出ではないだろうか?シリアでは毒ガスを使って市民を虐殺している、とても許される行為ではない。

話が飛んで申し訳ないが、織田信長が叡山虐殺を行った。だがこの叡山虐殺や、石山本願寺攻めを経なければ、宗教と政治が分離した近代日本は誕生しなかった。
その過程で織田信長は宗教勢力に洗脳された原理主義市民を大量虐殺を行った。

アサドのしていることと表面上同じなのではあるがアサドのしていることは、カンボジアのポルポトや中国の毛沢東、スターリン、ヒトラーが行った一般市民虐殺だ。もちろんトルーマンによる東京大空襲や、広島長崎の原爆投下も含まれる。

信長は他の歴史的殺人鬼と違い、日本史上では戦国武将三傑として尊敬されている。しかし、アサドのしていることを国際社会は止めなくてはならないが、国連にはその力が無い。いや現在の腐った国連には余計な力が無い方が良いかもしれない。

現在の国連は偽善に満ち満ちた官僚組織で、一度解体すべきだと思っている。

アサドの蛮行を自ら止めず、中国や北朝鮮の人権侵害には何も実効的なことをせず、一方で日本の「テロ等準備罪」に文句を言い、ありもしない慰安婦の強制連行を信じ、クマラスワミ報告を未だに訂正していない。日韓合意に改善勧告など、トンデモな国連特別報告者のケナタッチのような偏ったリベラル左翼が跋扈して、それを政治利用しているようにも思える。それどころか次は日本の左翼の主張だけを聴取し「表現の自由」問題視する国連報告草案を準備している。まともな公平中立な組織には思えない。巨大な思い込みが激しい素人NGOの集まりのようになってきている。

欧米の、リベラル左翼はその高慢な理想主義は空想的で、年々ラジカルになり、かえって多数派の自国民の利益がかえって虐げられている。リベラル左翼はそれを卑小、歪曲した「ポピュリュズム」「極右」と呼んでいる。だがそういった人種は次第に居場所が国内で無くなっているのかもしれない。その為そういった人種は究極のダイバーシティである国連に集まってしまっているのかもしれない。

PKOは国連平和維持活動の一環である。世界でも有数な平和で自由な日本に対し上から目線で高尚な意見を述べる腐った組織の為に日本は未だに米国に次ぐ約10%の予算を負担している。それなのにまるで日本政府を理解しようとしない組織の為に、PKO部隊を出すのも考えものである。

とはいえ、日本は大人の国である。腐った国連という組織と、PKOの理念は別物であると考え、今後も国際貢献活動を続けるべきである。

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最後の南スーダンPKO殿部隊が無事帰国したのはなによりなのだが、日本も「駆けつけ警護」をするようになったのだから、軽装甲機動車(ライトアーマー)では能力不足だと思う。96式装輪装甲車やその後継装輪装甲車改、複数の16式機動戦闘車を状況に応じ投入すべきと思う。




日本は憲法9条を盾に、PKOすら出していなかったが、先進国としての責任から、PKOを出すようになった。今後も9条を盾にPKF任務をしていない。だが、現場では一般市民がPKO部隊に保護を求めてきており、国連職員も殺害されている中、武人は一般市民を守りたいと言うのが、人としての本能だろう。

現場に即したことを考えれば、駆けつけ警護は最低限容認されるべき行為だ。

今PKOが求められているのは、単なるPKOではない。武力による保護なのだ。
PKOの現場では一般市民が目の前で殺害され、武人であるそれを止めたいのだが、難しい局面にたたされてしまう。

政府軍・反政府軍どちらにも加担できないし、加担すれば攻撃したら攻撃を受けてしまう。非常に難しい政治的選択を現場では求められる。

PKOの現場で何が起きているかを、政府は隠すべきではない。実態を踏まえ、議論が必要だろう。例えPKOでも、自衛隊に戦死者が出るのは時間の問題かもしれない。

自衛隊に戦死者が出る日
【週刊東洋経済】2017 5/13 p43

自衛隊による南スーダンでのPKO(国連平和維持活動)は、現地の治安情勢が危険になる中で撤収が決まった。 PKOの現場の危険度は以前よりかなり増している。駆け付け警護の任務も付与され、自衛隊員が死傷するリスクは高まってきた。

自衛隊の前身である警察予備隊以来、自衛隊の殉職者は昨年10月までで1909人に上るが、敵対勢力との戦闘による「戦死者」はまだいない。

 東京・市ヶ谷の防衛省の一角に、殉職した自衛隊員を追悼する「メモリアルソーン」がある。大臣をはじめ防衛省の幹部が離着任するときには必ず献花が行われる場所だ。

設けられたのは1998年だが、現在の形に整備されたのは2003年のこと。この年の暮れから自衛隊のイラク派遣が始まった。

 防衛省・自衛隊が隊員の犠牲を本当に覚悟したのは03年からのイラク派遣以降だろう。活動地域は「非戦闘地域」とされたが、現地の陸上自衛隊部隊は武装勢力の攻撃に幾度もさらされた。最大の脅威は仕掛け爆弾で、任務に当たった陸自幹部は「もし手足のうち2本以上が吹き飛んでいたらとどめを刺してくれ、と同僚に頼んでいた」と振り返る。それだけ緊迫した状況だったのだ。死者が出なかったのは僥倖というほかない。

戦死に備え秘密訓練


 この間、防衛省では死者が出た場合のシミュレーションが周到に行われた。陸自部隊が攻撃され数人が死んだという想定の下で日曜に緊急呼集をかけ、秘密訓練も実施した。葬儀会場に想定した日本武道館の空き状況、記者会見の段取りや遺族への対応など、検討事項は多岐にわたった。

 現在では、政府は実務面では戦死者発生への準備を終えていると見ていいだろう。だが、その認識が国民と共有されているとはいいがたい。リスクの存在と対策に目を向けず自衛隊の任務を拡大するばかりでは、現場の隊員に矛盾を押し付けることになる。(編集部)


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     防衛省の一角にあるメモリアルソーン。毎年秋に首相も出席し殉職隊員追悼式が行われる。