本日町田駅前で石破茂議員の立ち合い演説があり、暫し聴き入ってしまった。

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TVでは比較的スローな口調でありましたが、演説では滑舌も良く、町田市のことも下調べした数字や事例を取り上げ、鳥取出身で鳥取が選挙区なのに、町田の人口動態の数字を掴み少子高齢化に直面する都市部の危機的未来に町田市民はどうすべきか長期的視点で都議会議員の応援演説を行い、私は痛く感心してしまった。
軍事ヲタクの同好の志としか見ていなかったが、石破茂氏を政治家として見直してしまった。

先日も共産だとか民進党の演説なのか騒音なのかわからないような演説らしいことを同じ駅前でしていましたが、それはそれは酷かった。風俗通いの前川前文部科学事務次官を仕事熱心な善人だと擁護し、安倍首相の悪口をひたすら言い続けていた。頭が悪い奴の話など聞く気も起きなかった。
共産党・民進議員の演説とは石破氏の演説は格が桁違いに違っていた。

今は、かつて数寄屋橋の交差点で辻説法をしていた愛国党赤尾敏氏のような、聞かせる街頭演説を聞くことが無くなった。

そういえば前川前文部科学事務次官は今話題のパワハラ豊田真由子議員の元上司ではなかったか いまや文部科学省出身の肩書は完全に要注意になってしまったようだ(笑)

自由にものを言わなくなった自民党
『月刊日本』編集部2017年06月23日 16:26石破茂 

加計問題の原因は何か

加計問題の対応をめぐり、安倍政権の支持率が急落しています。加計問題や森友問題の原因の一つは、官僚や政治家たちが安倍首相に対して言うべきことを言わなかったことにあると思います。しかし、官邸内や党内で意見を戦わせることができないのであれば、独裁国家と変わりません。現在のような対応を続けている限り、安倍政権は国民の支持を得ることはできないでしょう。

ここでは、弊誌7月号に掲載した、自民党衆議院議員の石破茂氏のインタビューを紹介したいと思います。全文は7月号をご覧ください。                   
イメージ 1月刊日本 2017年 07 月号 [雑誌]


言うべきことを言わないならば、議員でいる意味がない
── かつての自民党には、党内民主主義があり、自由闊達な議論ができました。ところが、第二次安倍政権になってから、そうした自民党の良さが失われているように見えます。

石破 我が党は、党内に様々な意見があり、様々な意見が戦わされるが、一度決まったらそれに皆が従う。そういう政党です。部会や調査会など、それぞれの場所で自由闊達な議論をすることが、本来、党の将来にとって必要なのです。

ところが、最近はそうなっていないと言われます。官邸、党中枢が人事権を握り、選挙の公認権を握り、選挙の支援を差配しているからだ、小選挙区制度が問題だという指摘がありますが、小選挙区制度はいま始まったものではありません。制度のせいではないでしょう。

郵政民営化を推進した小泉政権は、「郵政解散」を打ち、刺客を立てましたが、それでも皆、自由にものが言える雰囲気はありました。私のような反小泉の急先鋒でも、防衛庁長官に任命されました。自分の気に入らない人間でも、必要ならば起用した。役に立たなければ、すぐにクビになった。

いまは、「はい。そうです」と言う人か、閣内に封じ込めておいた方がいいという人しか使わないと言われます。たしかに、「当選したい」、「いずれ大臣になりたい」というのは議員の心理としてはある。党中枢に逆らったら、選挙で応援してもらえないし、ポストにもつけないと思って、自由に意見を言わない人が多くなっているのかもしれません。

── 選挙の公認が非常に恣意的になっているように感じます。候補者のキャリアとマスクばかりが重視され、実績は十分考慮されません。

石破 小選挙区制を導入しているイギリス、カナダ、オーストラリアの議員の質が低いかと言えば、決してそうではありません。つまり制度ではなく、運用の問題だということです。

宮澤内閣で私は農林水産政務次官を務めていましたが、1993年の内閣不信任案に賛成しました。第一次安倍内閣の際にも、総理に退陣を迫り、さらに麻生内閣でも、私は閣内にありながら、与謝野馨財務大臣らとともに退陣要求を行った。結局、歴代総理三人に「辞めろ」と言ったことになります。

いずれの時もつらい思いをしましたが、言うべきことを言わないならば、議員でいる意味がない。官邸、党本部に異を唱えてダメならば、無所属で出ることもできます。私は当選10回ですが、そのうち無所属で2回出ました。……

冷戦が終わり「歴史の終わり」と宣言したのはフランシス・フクヤマ、1992年のことであった。ところが今では「歴史の終わり」とは共産主義と同じく単なる白昼夢にすぎなかったと見なされるようになってしまった。

「歴史の終わり」とは、国際社会において民主主義と自由経済が最終的に勝利し、それからは社会制度の発展が終結し、社会の平和と自由と安定を無期限に維持するという仮説であった。

民主政治が政治体制の最終形態であり、安定した政治体制が構築されるため、政治体制を破壊するほどの戦争やクーデターのような歴史的大事件はもはや生じなくなるなんて、白昼夢もいいところ、空想や妄想にすぎなかった。

偉そうなリベラルのジャーナリストは世界を「ポピュリズムが襲ていると言う」。アメリカではドナルド・トランプが共和党を乗っ取る形で大統領になった、欧州ではイギリスが国民投票でEUを離脱を決めた。欧州では民衆側に立った政党をポピュリズム、極右とレッテルを貼っているが、大衆がそれまで世界を操作してきた、政治家・エリートやマスメディアに対し大衆が反乱を起こしているだけではないだろうか?

世界的に政治家の資質が劣化して、大衆迎合的政治家を排出するようになったのか?それとも、国民の民度が下がってしまったのか?

石破茂元防衛大臣はまともな政治家ではあるが、最近の自民党には人材が枯渇しそうである。話題の豊田真由子をはじめ、政治家は人間のクズがあつまるのだろうか?自民党ではないが蓮舫、辻元清美、ガソリーヌ山尾 志桜里 、超勘違い上西小百合、 還付金詐欺疑惑の自由党 森裕子女性代議士などロクデナシ揃いだ!これはその昔、とんでもないクソババアだった土井たか子をマドンナと持ち上げたのが元凶のような気がしてならない。土井たか子は醜悪な顔をしていると私は思ったのだが、ちょっと可愛い顔をした女性をその資質に関係なく議員候補にすれば当選するようになったのが問題だ。

男性議員も、ストーカー重婚の中川俊直、おんぶ視察の務台俊介、初の育児休暇を取得して不倫をしていた宮崎謙介、金銭詐欺、未成年男子を買春した武藤貴也、もう人間のクズ揃いだ。もちろん、父と弟が獣医で、獣医学部新設に反対するの玉木雄一郎、クイズ王小西洋之は・・・・とりあえず名前をだしておこう。クズ中のクズ有田ヨシフ!キングオブクズは管直人、小沢一郎、鳩山由紀夫の三人衆・・・

もはや与野党とわず政治家はどうもすべて怪しく感じてしまうのはわたしだけではないだろう。これは政治家の質が下がったのだろうか?それとも民主主義や代議制の限界がなのではないだろうか?政治家の質は昔からけして高いとも思えない、支持政党なしは国民のせいではない。民主主義による、代議員制度が制度疲労し、根本的改革が必要な時期に着てしまったのではなかろうか?

大衆の反乱は昔なら銃を取り、革命に直結したものだたが。民主主義の選挙制度のおかげで、暴力革命は起きにくくなった。選挙はこれまで民主主義の象徴とされ、社会における利益配分を最終的に決める手続きと見なされてきた。

与党と野党がせめぎ合い、国会議員が市民の代表として政策を決める―――これは17世紀後半以来、イギリスで数世紀をかけて熟成したものだ。世界で最も古い近代民主主義国家アメリカでも、独立当初は党派に分かれて争うのははしたないこととされ、有力者が談合して大統領を選んだ。

選挙権を持つ階層が拡大して普通選挙が実現すると、大衆が突如として社会の頂点に立つようになった。彼らの票をもらえないと政治家は落選し、路頭に迷うからだ。だが、むやむに選挙権をばら撒いた結果、国家や共同体の利益より、個人や、個人を束ねる圧力団体に利益誘導される状態となってきた。

政党と政治家は金持ちや大衆から税金を巻き上げ、それを特定の団体の利益に充て特定団体の票を稼ぐことに邁進するようになった。

そうした近代選挙制度、国家の実体はそろそろ賞味期限を迎えている。票を得るために、不可能なことでも社会全体のためにはならないことでも、有権者の望むことを約束する。そうしたデマゴーグが既存勢力を蹴散らして権力の座に就くようになってしまった。

民主主義を基とした近代は確かに疲弊している、中国共産党が行っている一党独裁の専制主義体制のほうが機能すると言う愚か者もいる。

 しかし、アメリカを揶揄する中国共産党の幹部は、掠め取った賄賂を米国に送金し、子弟を米国に留学させ、自らもアメリカに移住をしている者も多い。

中国の国内では経済発展が人々の権利意識を向上させ、民主化への圧力が高まっている。問題は民主主義自体にあるのではない。

政党や代議制民主主義という制度が時代遅れのものになってきたのではないか、別のやり方を探すべきでないか、という点にあるだろう。

いっそのこと、政治はITを使った直接民主制か、AIにでも遣らせた方がまともかもしれません。


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