どこからセクハラ?
【ハイスペック女子のため息 】山口 真由2018.05.08
dima_sifelnukov/iStock財務省の事務次官だった福田淳一氏が、セクハラ発言を理由として辞職することになった。続いて、TOKIOの山口達也「メンバー」も、女子高生にキスを迫ったことで、無期限謹慎に追い込まれ、契約解除となった。セクハラとそれに対する断罪が、ニュースとなって踊る。これらのニュースは、私を不思議な気持ちにさせる。公に向かっても言える建前と内輪だけの本音――社会がこの二つに激しく引き裂かれてしまったと思うのだ。
1. まぁ、そんなん目くじら立てるなよという人々
この間、お友達のお家のホームパーティに行った。着くのが少し遅れたので、周囲はある程度お酒が回って、盛り上がっていた。私は疲れていたので、あまり話す気力もなく、自然と聞き役に回った。私の向かいに座った50代の男性は、セクハラについて持論を展開する。
「女っていうのは権力が好きなんだな、これが。お金が好きだって思われてるし、もちろんそういうのも多いけど、同時に権力も好きなんだよ。だから、地位のある男からのセクハラを嫌がるやつもいるけど、受け入れるのだって多い。多くの部下を顎で使うような男が、自分の性的な魅力に翻弄されるなんて、優越感をくすぐるじゃないか」
2. 絶対に許すべきでないという人々
ところが、テレビのコメンテーターは、みんな揃って大いに批判する。TOKIOの山口氏と女子高生の間に何があったのかは知らないが、「(キスくらいで)無期限謹慎処分なんて、厳しすぎ」と綴られたデビ夫人のツイッターは、予想にたがわず大炎上した。
プライベートの場ではなんと評されようが、パブリックな立場でセクハラを擁護するのは、今や難しい。
オフィスとキャンパスでのセクハラにとても厳しくなったアメリカでは、現状は、「女性がイヤと言えば、たとえ良好な恋愛関係だったとしても、遡ってアウト」と考えられている。これは本当の話だが、ある男子学生は、1年下の女子学生との間でお互いに好意を持ってデートを続けていた。しこたま泥酔したパーティの後に、男子学生の部屋になだれ込んだ両者は、そこで初めて関係を持つ。次の日、今度は、彼女を部屋まで送った彼は、もう一晩を一緒に過ごした。ところが、この関係が後になってモルモン教徒の親にばれて、彼女は激しく叱責される(←モルモン教っていうのは、性的にはヤバいくらい厳格なんですよ、斉藤由貴さんが信者だから日本ではそんなイメージ薄れてますが……)で、彼女は遡ってこう言う。「私はレイプされた」と。その際に、彼女はかつてのボーイフレンドに「あなたの人生を破滅させることだってできるんだから」と言い放っている。
刑事犯罪と違って、大学での放校処分については、女性側への反対尋問権は保証されていない。したがって、一度泥酔して関係を持った後にも、良好な関係が続いていたことをどう思っているか、男子学生から質問をする機会もなく、彼には事実上の退学処分が下された。
これがクリーンを極めたアメリカの結論である。
3. #MeToo Movementとセクハラ
これほどセクハラに厳しいアメリカですら、ある意味、タブー視されてきたセクハラ……#MeToo Movementの盛り上がりは、何十年も言えないくらいセクハラが重い問題であることを改めて教えてくれるとよく言われる。
確かにそういう要素はあると思う。だけど、多分、私が思うに、アメリカの社会は右から左へと短い間に極めて極端に揺れたのだ。試しに、アメリカの1980年代のセクハラ訴訟の顛末なんかを見ると、けっこうぎっくりびっくりである。人事課が人事権を握り、解雇がかなり制限される日本と違って、アメリカの上司は気に食わなければクビにする権利を持っている。その力を背景に、強制的に何十回も性的関係を結ばされる事例が相次いだ。日本でも、工場長が何十人もの女工と強引に性関係を結び、ときとして妊娠までさせたなんて女工哀史の時代があるけど、あれって1920年代の話なんでしょ? 少なくとも1970年代くらいまでのアメリカ社会は、女性差別という意味では日本よりもよっぽどひどかったのではないかと、私は思っている。
ここ数十年でアメリカ社会は急速に変わった。だから、十年前に言えなかったことを、今、SNSで口にしているという要素もあるのかもね。ところで、これは、法律論から言うと、客観的証拠を収集しにくい上に、被害者側の主張だけで加害者を社会的に抹殺してしまうという意味で、人権の観点からはやや問題があるように思う。ハーバード・ロースクールで最も左の女性教授ですら、この点は指摘している。
4. どこがちょうどよいラインなのか?
被害者が泣き寝入りするのはよくない。だからといって、被害者の主張だけで解雇されちゃうのも怖い。いったいどこにセクハラの線を引くべきか? 社会は、今ここで二つに分かれている。仲間内では、「女性記者もさぁ、取材対象に呼ばれたからって、夜にバーに行くやつもなぁ」なんて言いながら、公共の場では「1対1で取材せざるを得ないのだから、女性側に落ち度は一切ない」と賢しらに口にする。プライベートでの灰色な線引きと、パブリックでのクリーンな線引きと、ここには大きな開きがある。こういうダブルスタンダードに誰も納得しまい。
これは、私の極めて個人的な感想だが、被害者の落ち度に殊更に着目すべきでは決してない。一方、一切の落ち度がない聖女のように描くことにも、私は反対する。
例えば、私がセクハラを受けた経験を思い出すと、後ろめたさも同時に覚える。年配の男性にごはんに誘われたとき、私は彼が純粋に私の経験を聞きたいと切望していると信じ切っていたのか。彼より20歳も若い私の意見は、それほどまでに聞く価値がある大局観を持っているのだろうか……彼が私に対して、多少なりともセクシャルな好意を持っていると想定すらしないのなら、私は相当ナイーブだということになる。
そう思うと、私は自分も共犯者のように思えて、後ろめたさを感じる。だから、セクハラは恥ずかしいし、後ろ暗いし、告発しにくいのだ。
「そんなことに後ろめたさを感じる必要なんてなかったんだよ」と、表立って皆から慰められるのは分かっているけれど、多分、そう言ってくれる誰かさんの顔には「隙あり」っていう表情が伺えちゃうし。っていうか、私が自分自身をそう思っちゃうし、だから絶対に#MeTooなんて、私、言い出せないわ、という感覚がある。
5. 個人攻撃で終わらせていいの?
ここだけははっきり言いたいが、私はセクハラ被害者の落ち度を話したいわけでは、絶対にない。それだけは言いたくない。そんなことじゃない。
個別の事情や気持ちなんて全く分からないし、被害者が匿名を望んでいる以上、それを勘ぐるべきではない。ただ、もしそこに、特ダネを取ろうという記者としての功名心や、この記事を公表してやろうという復讐心が、多少なりとも混じったとしても、だから何だと言いたい。被害者が聖女である必要なんて全くない。
と同時に、これはまだ慎重な検討が必要なところだから、声を潜めて発言したいのだけど、セクハラに関する社会のコードが明確に確立する前に、「ここまではいいだろう」という旧時代の感覚に従って、相手の嫌悪感に無頓着になっていた下品で有害な男を、その愚かさゆえに、ことさらに重く処罰する、それで終わらせるっていうのもなんだかなぁと、私は思う。公開処刑を見て、自分は引っかからなくてよかったと日々の幸せを確認するなんて、小市民的じゃん?
法律的には、刑罰を受ける前提として、「ここまではOK、ここから先はアウト」というラインが明確に引かれていかなくてはならない。ところが、セクハラにおいては、このラインがきわめて曖昧。世の中の空気感で、社会的に抹殺されるという極めて重い制裁を受ける。これは公平なのだろうか。
セクハラに関するこの訴えを、ある勇気ある女性の地位ある男への胸をすくリベンジにして終わらせてはいけない。被害者・加害者の人格に関する個人的な興味という、そういうゴシップ的な渇きが癒されると、私たちは日常へと戻っていく。誰もこんなニュースに関心を持たなくなる。だけど……
ある程度いいじゃん的な本音と、どこまでもクリーンであるべきという建前の二つのセクハラのラインは、大きく引き裂かれたまま。私たちがすべきことは、この間のどこが、社会にとってリアルに守ることができる線なのかを、時間をかけて話し合うことではないか。正論で社会の隅々まで照らすのは、社会に無理を強い、どこかでバックラッシュが生じる。どこに線を引けるのか―― 一筋縄ではいかないこの問題を、これをきっかけにゆっくりしっかり話しはじめなくてはならない。
セクハラ問題は実に難しい。明らかに犯罪行為の場合もあるが、男と女の関係のようにケースバイケースであって、第三者が容易に断罪できる問題ではない。
>これらのニュースは、私を不思議な気持ちにさせる。公に向かっても言える建前と内輪だけの本音――社会がこの二つに激しく引き裂かれてしまったと思うのだ。
最近のセクハラで大騒ぎしている日本は平和すぎるが、日本のセクハラ問題も、世界的な#MeToo Movementも私は若干違和感を感じている。
人間は、生物であるがゆえに、呼吸と、食事と排泄とともに、生殖行為は避けて通れない人間の基本原理である。人間であれば呼吸をして、食事してと排泄と同じように、エッチをしたいという行為は、もしかしたら、煩悩を克服した0.01%の聖職者や修験者だったら本当に無いかもしれませんが、どんな聖人君主といえど心の奥底に必ずや持って当然の欲求である。
人間が、エデンの園から追い出されて以降、排泄行為と、生殖行為は基本的に他人様に見せないというのが、万物の霊長である人が人たる所以である。それゆえ人間は下半身を隠すようになった。
パンツをはいて規範を守る日常性とパンツをぬいで規範を破る非日常性、バタイユの過剰・蕩尽理論や、パンツを履いた理由一つが、発情期か否かを隠す目的があるという生物学的動機を語り、知的思考遊びの面白さを教えてくれた本であった。
パンサル理論を応用すると、ここ数年の週刊文春などのの不倫報道は人のパンツを無理やり脱がせる破廉恥行為なのではないか?と思うことも多々ある。
TOKIOの元メンバー山口氏は福島を懸命にサポートしている姿をTVで見かけたり、朝の情報番組で見かけた姿はとても好感がもて、私としては最近の事件に驚いている。
TOKIOの元メンバー山口氏の行為は、当初成人男子のマンションに上がり込む女子高生が悪いと思っていたが、強姦されかけ、トイレから母親にSOSのメールを送り、母親が警察と一緒にマンションに乗りこんだ現行犯だったという。もしその経緯が本当であれば、山口氏は犯罪行為であり、自業自得であり、社会は制裁しなければならない。
私だって、もし独り暮らしで、女子高生が自分の部屋に上がったら、パンツを脱いでしまうかもしれない。が、だが、一瞬の快楽の為に、法律を破り、仕事や、家族、社会的信頼を失うリスクを天秤に掛ければ、女子高生を部屋には上げない。
ただ、現実的には、私についてくるような女子高生になど存在せず、例え数枚の諭吉を握らせたとしてもそう簡単に、私についてこないであろうから、そもそも心配する必要は無い(泣)。
有名人でイケメンの男が、若い娘とイイ思いをすることが許せないという男の嫉妬が、社会的な制裁を生むのかもしれない。自分以外の男が若い娘を傷物にする行為は、その娘と一切関係なくても憤るのは、男の本性かもしれない。また、その逆に、セクハラを大騒ぎする女性は往々にして嫉妬からくるものだと思っている。
セクハラを大騒ぎする女性はフェミニストである場合が多く、私の強い偏見から見れば、フェミニストの女性は精神的なブスが多く、その精神が顔に出ている方も多い。偏見ついでに言えば、同じフェミニストでも、若い頃は美人で、フェミニズムに関わってなくとも歳をとって、異性に相手にされなくなって、女性としての暗黒面に堕ちてフェミニストになったのではないかと思われる方も居る。嫉妬に狂って、若くて美しい女性を守るふりをして、己の実ジェラシーを昇華させる運動がフェミニズム運動だと思う。あくまでも、私の偏見だが・・・・
TOKIO元メンバー山口氏に対する社会的制裁は、ある意味で健全な社会かもしれないが・・・今の日本はけっして健全な社会ではない。
人前でパンツを脱がされるということは恥ずかしい行為なのだが、社会的に地位が有る人物のパンツを脱がされると、ここまで破廉恥とは思っていなかった。半世紀前であれば妾を持つ方が健全に思えるほど、社会的地位が有る人間が素人の女性を金さえ払えば次々に物色可能な社会は、かつて人類が夢想したユートピアな社会なのかもしれないが、別な側面か見た場合、天罰が下る前の堕落した不健全な社会かも知れない。
自分のことは棚に上げておくが、SNSや携帯通信手段の発達が、正否はともかくかつて人類が経験したことが無い、性に奔放な社会が日本にできてしまったと思う。
ところが、人間のモラルや道徳がまだ社会の変化に比べ未発達であるが故に、インモラルなセクハラとヒステリックなセクハラバッシングが、繰り返されているような気がしてならない。
現代の破廉恥社会はルールが定まっていないが故に、少しでもパンツを脱がされた有名人は、旧来の価値観に基づく正論で、過剰に叩かれてしまのではないだろうか?
性的スキャンダルを炙り出せば、政敵を叩く道具としても簡単にスキャンダルを利用されたり、利用してしまう。政敵を持つ人間はそのことを理解し、ある程度自制しなければ、現代においてはただのバカ、くるくるパーである。
私が大嫌いなビーチ前川こと前文部次官前川喜平は、出合系バーの「ラブオンザビーチ」で、若い女性を札束で買い、それを恥じるどころか貧困女性調査だと開き直る・・・人間として最低な男だ!、前新潟県知事の米山隆一は出合系サイトハッピーメールの超常連で女子大生を買いまくっていたとか・・・いかに独身といえども県の知事のすることではない。
まあ、この前川は外国のエージェントかもしれないが、安倍総理をエゴイスティックに批判し、米山は石平氏や松井大阪府知事や橋下前維新の党代表を傲慢に批判していたので、パヨクとして当然の報い、天罰だと思う。
陰謀だと騒ぐパヨクも居るが、誰しも人前でパンツを脱がされたら恥ずかしいのだが、普通の粗チンであれば、脱がせた方が悪くなるが、政治的背景がある人間だったら、政敵がもしかしたらパンツを脱がしにかかるリスクを考えない方が悪い。たとえ脱がされても、恥ずかしくない程度のパンツの中身にしておくべきだろう。欲張って自制心を持たずブレーキをかけられなかった、ハッピー&ビーチが悪い。
ジャーナリスト山口敬之氏をレイプで告発した伊藤詩織は、レイプ被疑者ではなく、被害者を装い世に出ようとした確信犯だと私は思う。前の都知事選挙の際、鳥越俊太郎が若い女性を山中の別荘に連れ込んでレイプしたと昔の事件を掘り返されたが、二人で飲みにいって盛り上がってホテルの部屋へ行ったのと、最初から騙して山中の別荘に連れ込むのでは、同じ有名ジャーナリストのレイプ騒動でも次元が違う。
山口敬之氏のケースはある意味ハニートラップであると私は思う。セクハラを全て同じ枠、または同じ土俵で論じるから話が噛み合わないのだ。
本記事の最初に引用した山口真由氏の文章なのだが、自らをハイスペック女子と定義してしまうことに羞恥心が無いところが痛いのだが、東大在学中に司法試験に合格し、財務省に入省するも、退官し弁護士、NYの弁護士資格もあれば、確かにハイスペック女子である。批判する余地がない・・・
だが、ビーチ前川もハッピー米山も同じハイスペックな経歴を持っている。特にハッピー米山は医師と弁護士の資格も両方持っていてその上知事である。表向きハイスペックだが、ハッピー米山と橋下氏や石平氏とのツイッターバトルを見る限り人間的にはハッピー米山はポンコツにしか見えなかった。
これは私の妄想だが、もしかしたら、ハイスペック女子氏もベットの中では、やはりハイスペックなのだろうか?・・・このように妄想することも一種のセクハラかも知らん。
転載記事
>「女っていうのは権力が好きなんだな、これが。お金が好きだって思われてるし、もちろんそういうのも多いけど、同時に権力も好きなんだよ。だから、地位のある男からのセクハラを嫌がるやつもいるけど、受け入れるのだって多い。多くの部下を顎で使うような男が、自分の性的な魅力に翻弄されるなんて、優越感をくすぐるじゃないか」
半分当たっているかもしれないが、半分以上違うと思う。
女性は、自分の卵子にハイスペックな精子を注入したいというのが基本行動であるから、優秀な遺伝子を持つ匂いがする男は許せても、そうでない遺伝子を持つ男は冷遇する。だから、「今度僕とデートしよう!」とイケメンが言えば「キャー!」といって喜ぶが、中年オヤジが言うと「ギャー!」と言って、セクハラだと騒ぐ。
だけど、こんな私も学生時代は自分で言うのもなんだが、ちょっと「イケメン」だったんだよなぁ・・・
小池百合子のようなハイスペック熟女はこの山口真由氏が話した50代男性に惹かれるかもしれないが、若い娘が>「多くの部下を顎で使うような男が、自分の性的な魅力に翻弄されるなんて、優越感をくすぐる」と勘違いしている男も男だが、そう考える女がいたら、水商売のおねーちゃんだろう。
健全な遺伝子で、心置きなく子供を育てたいと考える健全で健康な女性はアラブの富豪級の金持ちでもない限りその50代のオッサンには魅かれないと思う。
2. 絶対に許すべきでないという人々に登場する白人男子学生君は、なんて可哀想な被害者だ。彼には彼女に親を捨てさせるほどの魅力が無かったのも原因なのだが、だいたい、親にばれたらレイプされたと言い張るような宗教に嵌っている女性を好きになったのが運の尽きだった。
女性は裏切る悪魔だと常に心の隅にこっそり隠してそう思っていないと・・・
まあ、20代では経験不足・・・・ご愁傷様。男からすると、とてもいい関係だと思っていたのに突然怒り出したりする驚きを沢山経験しないと・・・男にとって女性の心は永遠の謎なのだ。5年も6年ととてもいい関係だったのに、ある日突然終わってしまう大人の恋だって沢山ある。50代の男性である私にとっても、女は死ぬまで、いや死んでも謎かもしれない・・・・
3. #MeToo Movementとセクハラ.
>アメリカの上司は気に食わなければクビにする権利を持っている。その力を背景に、強制的に何十回も性的関係を結ばされる事例が相次いだ。
確かに、アメリカ社会は酷い社会だ、だがその反動も酷いものだ、1996年イリノイ州の米国三菱自動車工場のセクハラ集団訴訟、700のオバサンが一人約30万ドル当時の為替で3240万円も勝ち取ってしまったのだ・・・
こんな美味しい話は無い、700人の女性は、直接触られたり、ましてやレイプされたりしたわけでは無いのだ、ただ田舎町で、卑猥な目で見られ、田舎の工員達が色々と噂をしていたのを野放しにしていただけなのだ・・・
セクハラ訴訟は一種のビジネスになってしまった。美味しいビジネスになったセクハラ訴訟は世界的な#MeToo 運動の源流のような気がしてならない。
>被害者側の主張だけで加害者を社会的に抹殺してしまうという意味で、人権の観点からはやや問題がある
世界的な#MeToo Movementに関しては、違和感を感じざるをえない。
だれも福島みずほや辻元清美をホテルになんか誘う奴はいないから・・・心配するなよ・・・それとも嫉妬してるのか?
私は財務省は悪の巣窟で、庇う気はまるでないのだが、元事務次官はセクハラ問題の本質をまったく理解していない。「おっぱい触っていい?」「手縛っていい?」「キスしていい?」という言葉を吐いた福田はバカで軽率だと思う。
しかも問題とされるやりとりについて、自身の関与をぼかしながら「悪ふざけ」「言葉遊び」と言い訳をして、問題の根幹を理解していにもほどがある。
官僚には高い知的能力も必要だが、最低限の現代の社会常識や徳目も求められるべきである。
だが、財務省の福田元事務次官のテープも継ぎはぎで、明らかにハニートラップである。セクハラだと関係のない麻生副総理に辞任を求めるプロ女性達は、セクハラを政治利用しているのがバレバレで、強い違和感がある。
セクハラを政争の道具とするこのバカ女たちが、我々知的スペックが高いと思い込んでいる男性達から、女性を蔑む理由を自ら作っているようなものだ。
もちろん、繰り返すが福田元事務次官は、おそろしくバカであることは否定しない。
では、どういう社会が理想であるか?
このことを、この数日考えていたのだが、一向に答えはでていない。
人間は一皮むけば、オスでありメスであることをまずは認めること。
セクハラ反対と叫ぶおばさん達も一皮むけばメスであり、マリア様のような聖女は存在背合う、世俗の女性であれば、ベットの中で別人格のようなメスであると認めることからこの問題を解決に向かわせる一歩かもしれない。
結局のところ、社会全体で試行錯誤を繰り返し、個人個人の民度が上がり、社会が成熟するしかないという、当たり障りがない平凡な話でまとめます。
<2020年11/3追記>
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