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1970年代に郷ひろみ(62)、野口五郎(62)とともに「新御三家」と呼ばれ、「傷だらけのローラ」「YOUNG MAN」など数多くのヒット曲で知られる歌手の西城秀樹(本名・木本龍雄=きもと・たつお)さんが16日午後11時53分、急性心不全のため横浜市内の病院で死去した。63歳だった。西城さんは2003年と11年の2度、脳梗塞を発症、右半身まひなど後遺症と闘いながら過酷なリハビリに耐え、ステージに立ち続けていた。3人の子供の成長を見届けながら、ついに力尽きた。

 不死鳥のように何度も立ち上がってきた永遠のアイドルも、今度ばかりは病魔に勝てなかった。西城さんに近い関係者は、「十分すぎるほど頑張ってきたが、もう一度ステージに立ってほしかった…」と絶句した。

 70年代には派手なアクションとワイルドな歌唱力でトップアイドルに君臨。芸能人の運動会では、アスリート並みの心肺機能で活躍した西城さん。

 80年代以降は、大人のラブソングの名手としてファンを魅了したが、2003年6月、48歳のとき、脳梗塞を発症した。韓国のホテルでディナーショーの後、突然左の頬がゆがみ、まっすぐに歩けなくなった。

 帰国後の精密検査で、脳の血管に7ミリ大の血栓が見つかり入院。後遺症で徐々にろれつが回らなくなった。

 西城さんは昨年4月、夕刊フジ「健活手帖」で闘病インタビューに応じた。「歌手としてこんなに致命的な病気はない。人生これで終わったと思いました」と当時を振り返っていた。

 その後、17歳年下の妻、美紀さんの献身的な介護や、声帯の神経を鍛えるボイストレーニング、血流をよくするウオーキングなど過酷なリハビリに耐えコンサートに復帰。06年には新曲を発表するまでに回復した。

 ところが、11年12月には、脳梗塞が再発。右半身マヒの後遺症が出て、歩行困難となり車いす生活を余儀なくされた。

 西城さんは、「運命を恨んでも仕方ない。家族のため、ファンのためにも再び病気と闘うと腹をくくりました」と、不屈の闘志を見せた。

 病に倒れる前には、ブランデーをひと晩で1本空け、たばこは1日3~4箱。「時間があれば好きなサウナで思いっきり汗をかいた」というが、「水は唇を濡らす程度で飲まなかった」というストイックさが、かえって血管にダメージを与えていたようだ。

 懸命にリハビリを続ける父の後ろ姿を3人の子供たち(長女15歳、長男14歳、次男13歳)が励まし続けた。

 西城さんは、「家族のためにも完全回復を目指し、子供の成長を見守り父親としての責任を果たしたい。絶対に病気に負けられません」と気丈に話していた。

 広島市生まれの西城さんは、小学生の時からドラムを叩くなど洋楽の影響を強く受け、高校時代にジャズ喫茶でバンド出演時にスカウトされて芸能界入りした。

 1972年に「恋する季節」で歌手デビュー。「情熱の嵐」「ちぎれた愛」などがヒット、「新御三家」の1人として国民的アイドルになった。その後も「ブーメラン ストリート」などがヒット、「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」は振り付けを含めて社会現象となった。

 その後、17歳年下の妻、美紀さんの献身的な介護や、声帯の神経を鍛えるボイストレーニング、血流をよくするウオーキングなど過酷なリハビリに耐えコンサートに復帰。06年には新曲を発表するまでに回復した。

 ところが、11年12月には、脳梗塞が再発。右半身マヒの後遺症が出て、歩行困難となり車いす生活を余儀なくされた。

 西城さんは、「運命を恨んでも仕方ない。家族のため、ファンのためにも再び病気と闘うと腹をくくりました」と、不屈の闘志を見せた。

 病に倒れる前には、ブランデーをひと晩で1本空け、たばこは1日3~4箱。「時間があれば好きなサウナで思いっきり汗をかいた」というが、「水は唇を濡らす程度で飲まなかった」というストイックさが、かえって血管にダメージを与えていたようだ。

 懸命にリハビリを続ける父の後ろ姿を3人の子供たち(長女15歳、長男14歳、次男13歳)が励まし続けた。

 西城さんは、「家族のためにも完全回復を目指し、子供の成長を見守り父親としての責任を果たしたい。絶対に病気に負けられません」と気丈に話していた。

 広島市生まれの西城さんは、小学生の時からドラムを叩くなど洋楽の影響を強く受け、高校時代にジャズ喫茶でバンド出演時にスカウトされて芸能界入りした。

 1972年に「恋する季節」で歌手デビュー。「情熱の嵐」「ちぎれた愛」などがヒット、「新御三家」の1人として国民的アイドルになった。その後も「ブーメラン ストリート」などがヒット、「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」は振り付けを含めて社会現象となった。
西城さんの訃報に関しては 6:53~

菅義偉官房長官(69歳)は5/17の記者会見で、歌手の西城秀樹さんが亡くなったことについて「突然の訃報に驚きを感じるとともに、63歳という早すぎる逝去は大変残念だ」「新御三家とも呼ばれ、国民からも大変愛され、昭和の後半を飾るスターだった」「2度にわたる脳梗塞を経験されたが、必死の思いでリハビリを続けてステージに立たれるまで回復されたと聞いている」と指摘。「同じような病気を患っている方に勇気を与えたのではないか」と会見を行った。

1970年代に小学生だった私(1963年~)にとって、絶対的大スターであった。
ちょうどちびまるこちゃん(原作さくらももこ1965年~)の時代と重なります。

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新御三家(野口五郎、西城秀樹、郷ひろみ)は同年代の女の子達のまさに神であった。当時、歌謡曲をあまり好まなかった可愛げのない小学生だった私でさえ、圧倒的にかっこよく、歌唱力もあり、TVに頻繁に登場する西城秀樹の存在はスターそのものでした。

ドリフターズの8時だよ全員集合でギャグとして取り上げたせいもあって、小学校のクラスで「止めろ言われても♪ヒデキ!今では遅すぎた♪」は大流行だった。「出せと言われても♪宿題忘れたよ♪」とか唄ったお調子者が各クラスに必ず一人や二人はいた。まあ、お決まりで廊下に立たされたり、下手をすると頭を叩かれた大らかな時代だったことを思いだす。


黄金の80年代を前に大ヒットした「ヤングマン」、まさに二十歳前のヤングマンだった我々世代に向かって、若いうちは♪やりたいこと♪なんでもできるから~♪と唄い、新人類世代と称された我々世代の人生の応援歌だったかもしれません。

おそらく1970年代に小学生だった私達新人類世代にとって西城秀樹さんの訃報は少なからず強い衝撃を覚えたと思います。

大晦日私の母が82歳亡りましたが、西城秀樹さんと同じく脳梗塞で倒れ、ここ数年は認知症で、徘徊をしていた為、母の死は天寿であった悟ることもできますが、西城秀樹さんははまだ63歳・・・往生するにはまだ少しばかり早かったかもしれません。

「諸行無常」すべて存在するものは絶えず移り変わり「生あるものは必ず死ぬ」、この世の中は、無常なものだと感じてしまいます。

「祇園精舎の鐘の声」で始まる軍記物語『平家物語』、吉田兼好の随筆『徒然草』、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」で始まる鴨長明の『方丈記』など、仏教的無常観は我々日本人の心に強く響きます。

「花」と言えば「桜」のことであり、日本人は桜を愛してやまないのは、そこに常なき様、すなわち世の中の無常を感じるからだとされています。

西城秀樹さんは桜を豪快に満開に咲かせた大スターでした、1970年代に小学生であった我々世代にとっては、満開の花以上でした・・・・

日本人が桜を愛する理由の一つが、「桜のように散りたい」という憧れが日本人にはあるのだと思います。現実の人生は「桜のように散れる」人は極少数で、多くの人々は、老い衰え、病気を患い死に至る苦しみを味わうからです。

人生の前半は大スター、人生の後半は、病気に倒れ病気と闘い続けていた西城秀樹さんに、四苦八苦の人間の現実を感じてしまいます。

根本的な苦を生・老・病・死四苦とし 

…生きていること自体肉体的精神的苦痛が伴う。
…老いていくこと。体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなる。
…様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされる。
…死ぬことへの恐怖、その先の不安。

根本的な四つの苦に加え、

愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと
五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと
の四つの苦を合わせて八苦と呼ぶ。

ネットを検索していると、家族の為にリハビリを続ける西城秀樹さん、それを支えるけなげな家族といった美談が沢山載っておりました。

人生は苦の連続で脳梗塞で倒れて、苦を背負いつつ生きていく大スターに、真実の人生を生きようとする人間の努力に感動したのだと思います。

ブッダは「この世は苦である」といいましたが、この世には素晴らしいものはたくさんあるし、美しいものもたくさんあります。しかし、それらはあっという間に過ぎ去り、消えて失われていくものです。ブッタが入滅する前には「この世は美しい。人間の命は甘美なものだ。」とも言っていました。

真実の生き方とは苦を背負いつつ生きていく道であるという人生の生き方の真実を西城秀樹さんに見ているように思います。この世には素晴らしいものはたくさんあるし、美しいものもたくさんあります。しかし、それらはあっという間に過ぎ去り、消えて失われていくものです。

西城秀樹さんがリハビリで戦い続け、逝ったことに、人生は儚いものだと、無常観を感じるとともに、人生の生き方と逝き方を考えさせられます。

自分も同じく、やがて死んでいくものです。人生は無常であると認識し、よりよく生きるにはどうすればいいか・・・・まだ、私は悟りきってはいません。

どちらかと言うと、私は煩悩に苦しんでるかもしれません。ある意味で、悩んで苦しんで苦しむほど、もしかしたら、真の悟りを得られるかもしれません。

苦の世界をどのように生きるか、煩悩を断ち切って苦しい人生をよりよく生きるか、おそらく残された20~30年の人生を、どう生きるか、そしてどういう死に方をするか、西城秀樹さんの訃報に考えさせられるものがありました。

最後に、ヒデキさんのご冥福を心から祈ります。