タンカー攻撃について米国はイランの関与を主張するが、日本の首相を招いていることと明らかに矛盾した行為になり、イランが国家として直接関与したと考えるのは難しい。イランに近いイスラム過激組織の犯行ではないかとみている。米国は事件後にイラン革命防衛隊が機雷を回収したとする映像を公表し、同国の関与の根拠に挙げた。しかし、被害船員を救助したのもイランだ。支配海域において実態を調査すること自体を問題視するのはやや無理がある。一方、地域の情勢を不安定化させることは、過激組織に利益をもたらす。目に見えない「海峡の支配」を誇示し、石油価格の高騰でより多くの活動資金を得ることにもつながるためだ。注目すべきは、原油などではなくメタノール、エタノールの運搬船が狙われた点だ。揮発性が高く海洋汚染の恐れが比較的少ない上、引火すると激しく燃え、実態以上に派手に見える。攻撃自体よりプロパガンダ(政治宣伝)としての狙いがあったといえる。ホルムズ海峡は日本のエネルギー政策上、「生命線」に位置する。国際協力に基づく対応が不可欠だが、米国や欧州連合(EU)、ロシアが前面にでれば反発を招くため、イランを含め各国と良好な関係にある日本が主導しなければならない。自衛艦の派遣より、人工衛星を使った監視で情報収集するといった新たな国際協力の枠組み作りが必要とされる。現行の法整備の枠内でも活動の余地は大きい。(聞き手 時吉達也)
対テロ作戦などを担当する精鋭部隊、イラン革命防衛隊のキャナニモガッダム・ホセイン元司令官(60)は13日、首都テヘランで産経新聞の取材に応じ、日本のタンカーが攻撃された事件について、「安倍晋三首相の訪問を反イラン宣伝に利用する狙いで行われたもので、テロ組織が関与した」との見方を示した。ホセイン氏は、米・イランの軍事的緊張を高める目的で、分離主義を掲げるイラン南東部の反政府組織「ジェイシ・アドリ」などが行った可能性を指摘。同組織は「特定の国の支援を受けていることが分かっており、軍事技術も高い」と話した。ほかに、イランと敵対関係にあるイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)や国際テロ組織アルカーイダ系などが関与した可能性もあるとした。イラン側の関与については、政府の救難当局がタンカーの乗組員44人を救助したとの報道があることをふまえ、「衆人環視の状況であり不可能だ」と否定。一方で、「現場海域はイランの軍艦が常時監視している。犯行集団を特定することもできるのではないか」とし、イラン政府が調査に乗り出す可能性を示した。ホセイン氏によると、現場海域はテロ組織のほか、船に積み込まれた金や原油を奪う海賊集団も暗躍しているという。ホセイン氏はイラン・イラク戦争(1980~88年)に参戦したあと、陸軍司令官として対イラク工作を担当した。(テヘラン 佐藤貴生)
【北京=西見由章】香港で中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案の審議が再開される12日、香港政府や立法会(議会)付近には条例改正に反対する若者ら数万人以上が集結し、幹線道路の一部を占拠した。香港メディアが伝えた。現場には盾や警棒を持った警官隊が出動し、デモ隊と対峙(たいじ)している。民主派団体は市民による立法会の包囲や授業ボイコットを呼びかけ、店舗が休業する動きも出ている。香港では条例改正によって司法の独立が失われ、高度な自治を認める「一国二制度」が形骸化するとして民主派だけでなく経済界や法曹界などにも反発の声が拡大。9日には103万人(主催者発表)が参加する反対デモが行われ、翌10日未明には参加者の一部と警官隊が衝突した。
【北京=西見由章】香港で中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」の改正について、中国政府は「揺るぎない支持」(外務省報道官)を表明している。ただ実際は習近平指導部が香港政府に改正を「指示」したとの見方が支配的だ。建国70周年の祝賀式典を10月に控える中、香港の混乱が長期化すれば、米中貿易戦争に加えて「内憂外患」のタネをまた一つ抱えることになる。北京の政治学者は「香港を厳しく統制するのが現指導部の方針だが、誤算があった」と指摘する。2014年に香港行政長官選挙の民主化を求めた大規模デモ「雨傘運動」は、政府側の譲歩を得られないまま強制排除され、以降は民主派の動きが低調になった。「こうした状況の中で条例改正も問題ないと判断したが、これほど大きな反響があるとは予想していなかった」(政治学者)という。中国政府は2月、広東省沿岸部と香港、マカオに一体的な経済圏を築く「ビッグベイエリア(大湾区)構想」を正式に始動させた。北京の外交筋は「香港の一国二制度を骨抜きにする動きが強まっている」とし、条例改正が強行されれば中国が同制度の受け入れを求めている台湾でも反発が強まるとの見方を示した。
1997年の返還以来、香港では何度か大規模なデモが起きている。特に記憶に新しいのは2014年に起きた「雨傘革命」と呼ばれる学生蜂起だろう。「またか」と思う向きもあるかもしれない。だが、今回のデモの性質は雨傘革命のそれと大きく異なる。雨傘革命は傍観していたが、今回のデモには参加した香港人男性は言う。「初めて政治デモに参加した。これが最後かもしれない」。夢見て裏切られた雨傘革命雨傘革命のデモ隊が求めていたものは「普通選挙の実施」だった。返還後、香港政府のトップである香港行政長官は1200人の選挙委員だけが投票権を持つ選挙で選定される仕組みを取っていた。いわゆる「間接選挙」の体だが、選挙委員の選定は恣意的で、いわゆる親中派が8割以上を占める。民意が反映される選挙からは程遠い。香港の憲法に当たる香港基本法は、この制度について「必要であれば、2007年以降に」改正できると定めていた。行政長官の任期は5年。つまり、これまでに2回、選挙方法を改める機会があった。1度目は2007年。当時の行政長官(董建華氏)の辞任を求めるデモが激化する中で、民主派は普通選挙の実施を求めたが、中国当局は全人代で「2007年以降に変えるというのは、2007年に変えるという意味ではない」とする基本法の解釈を発表して時を稼いだ。2度目が2014年、つまり雨傘革命の年だ。「今度こそ」と期待が高まる中、8月に中国政府は新選挙制度を発表した。1人1票の投票権を市民に与える。ただし、政府が認定した「指名委員」の過半の支持を受けた者のみが候補者になれる、というものだった。中国政府の意に沿った候補者以外が立つことはなく、有権者にはほぼ選択権がない。つまり「形式だけの普通選挙」だったのだ。これに怒った学生が立ち上がり、大規模なデモに発展した。デモは徐々に力を失い、失敗に終わる(関連記事:不夜城の陥落、力を失いつつある香港デモ)。「形式だけの普通選挙」すら撤回され、1200人の委員による間接選挙が継続されることになった。いまの行政長官である林鄭月娥氏は1200人から選ばれたトップだ。香港は、返還時の取り決めによって高度な自治が認められていると言われる。だが、政府の代表が民意によって選ばれたことは英国統治時代から含めて1度もない。「法治主義」や「資本主義」はあっても「民主主義」はなかったのだ。中国の改革派(天安門事件に抗議して基本法完成前に辞任した)がその起草に参加したがゆえに基本法に書き込まれた文字によって「2007年以降、民主主義を手にすることができるかもしれない」という希望が生まれ、それが裏切られた。これが雨傘革命の実像だった。つまり「いまないものを求めた」のが雨傘革命だった。これに対して今回のデモは「いまあるものが失われようとしていることを食い止める」という闘争だ。「安全」な場ではなくなる恐れ既報の通り、今回のデモ隊の要求は、容疑者の身柄を中国本土などへ移送できるようにする「逃亡犯条例」の改正を食い止めることにある。香港人の脳裏をよぎるのは、2015年に発生した書店員失踪事件だろう(関連記事:香港銅鑼湾書店「失踪事件」の暗澹)。中国政府を批判する書籍を多数そろえていた香港の書店の関係者が突然、失踪したという事件だ。失踪者たちはやがて戻ったが、そのうちの1人が中国当局による拘束と捜査だったことを告発して注目を集めた(関連記事:銅鑼湾書店事件、「ノーと言える香港人」の告発)。言論の自由が守られている香港であれば、中国政府に対する批判も安全にできる――。「一国二制度」の壁を越えて、法的手続きを経ずに中国当局の力が及び、その「前提」がねじ伏せられたことに衝撃を受けた香港人は多かった。「逃亡犯条例」は政治犯を対象としていないと香港政府は言う。だが、上記失踪事件をはじめとする中国当局の強面(こわもて)を知る香港人は額面通りには受け取っていない。デモに参加した男性は「たとえ無罪でも、別件で逮捕され、取り調べのためにと移送されるだけで大きなダメージになる。香港が、それを恐れて口をつぐむような場所になってしまえば、国際都市としての地位は明らかに下がる」と懸念を示す。2003年にも、香港は「いまあるものが失われようとしていた」ことがある。香港基本法23条には「香港特別行政区は国家分裂や反逆、国家機密を盗み取るなどの行為を禁じる法律を自ら作る」という一文がある。この条文に基づいた条例を、香港政府は2003年に成立させようとしたのだ。もし成立していれば、中国政府に対する批判が法的に禁じられる事態になっていた。今回の「逃亡犯条例」改正案は、この条例に近い効果を、香港社会に実質的に及ぼすものと言っていい。2003年条例は香港市民の猛反発に遭い、撤回を余儀なくされた。だが、2003年当時といまとでは、中国政府の力、香港の国際的な地位ともに大きく異なる。中国政府と、その意向を受けた香港政府が今回は強行するという可能性は小さくない。「ないもの」に手を伸ばそうとした雨傘革命と、「あるもの」を失うまいとする今回のデモ。後者は、勝っても新たに得るものはなく、負ければ引き返せない一線を越える。前者と比べて多くの世代や企業が声を上げたところに、香港社会の必死さが浮かぶ。
令和元年世界は次の世界大戦の前奏となる火種が発火し始めた。
このまま、第三次世界大戦へと一気に雪崩込むことはないとは信じているが、ホルムズ海峡の緊張や、香港の100万人でもは、米国があと120年覇権を手放さない戦略を実行しているように思えてならない。※覇権は120年周期で移動するが大英帝国は2期240年覇権を維持した。
ホルムズ海峡タンカー攻撃~香港民主化デモこれは一見関係ない出来事のように思えるが、民主主義を守る正義戦いという、米国の戦争を行う大義名分という視点からすれば、シナリオとして練られているように思えてならない。
まず、ホルムズ海峡タンカー攻撃について。
米国がペルシャ湾と中国を二正面でHOT・WARを直ちに愚策を実行することはしないであろう。
米国の国家戦略はトランプ大統領のツイッターで決まることは無い。だが、ツイッターで引っ掻き回すトランプ大統領が米国大統領である限り、仮にHOT・WARを起こし米国の国益を守る国家戦略を遂行しようとする人達がいたとするならば、非常にやりにくいであろう。
米国の国益とは覇権を維持し続けること、軍事的に中露を押さえ込み、欧州のユーロを押さえ、ドル基軸通貨体制を維持し、踏み台として日本を利用する。その踏み台として安倍首相を利用したとは思わないが、安倍首相はイランを訪問した。
トランプ大統領は、真剣にイランと対話したいと思ったのだろう。安倍首相も、G20大阪で成果の一つとして米国とイランの仲介を果たしたかったという色気もあったのであろう。少なくともイランはまだ米国との仲介を望んでいなかった
犯人は少なくともイラン政府、イラン軍ではないが、安倍晋三首相の訪問で、和平ムードが高まると困る、イランのイスラム革命防衛隊の可能性は否定できないであろう。
イスラム革命防衛隊とイラン国軍は別組織である。ナチス政権下のドイツにおける、ナチSS親衛隊とドイツ正規軍との関係が近いであろう。
普通のイラン国民は、経済が低迷する中イスラム教の指導者と革命防衛隊を快く思ってはいない。イランイスラム体制に一線をひき、若者に絶大な人気があるイスラム教の法学者ハサン・アガミリ師の登場で、変化(民主化)の兆しがイラン国内にも起きている。
米国は民衆レベルで変革を促すと私は思っているが、もしかしたら、米国内のキリスト教原理主義者と、イスラエルのモサドはハルマゲドンを起こしたがっているのではないかと私まで疑いそうだ。
イラク戦争の頃、田中宇などの陰謀論者がさかんにキリスト教原理主義者がハルマゲドンを引き起こす
かのような、情報を垂れ流していた。私は、田中宇などに強い違和感を感じていた。
確かに、米国はイラン同様宗教原理主義国家の一面もあり、キリスト教原理主義者は、本気でハルマゲドンを起こしキリストの再臨を信じている可能性もあるが、イランと違うのは、国家>宗教、民主主義>宗教(キリスト教)であるという点だ。多くの場合、原理主義者をリアリストが抑止ししている。
宗教は異教徒を殺しても平気でいられることをイランは知っているからだ。
イラン核合意を反故にした米国、特にイスラエル寄りの人達が、イランに対する経済制裁を強めるなど中東情勢が緊迫化する中で発生した。米国のポンペオ国務長官は記者会見で、攻撃に使われた武器の分析などから「イランに責任がある」と即効で名指しで批判した。
親日的な人が多いイランが、安倍首相がイランを訪問して首脳外交を行ったのと時を同じくして起きたタンカー攻撃は、少なくともイラン政府やイラン国軍は関わっていない。
ペルシャ湾を緊張させたい勢力は必ず存在しており、その疑わしい筆頭が、イラン国民から乖離しはじめた革命防衛隊であり、イスラム原理主義者であり、イスラム原理主義者は裏で、北朝鮮、中国、ロシアと繋がっている。
少しだけ話が逸れますが、ホルムズ海峡の緊迫は、日本の国家としての基盤を大きく揺るがす、深刻な事態である。老後が2000万円の必要だという話を悠長に国会で論議している場合ではない。
卑劣な攻撃は決して許されない。攻撃した勢力を割り出し、暴挙を繰り返さないよう押さえ込む必要がある。海上石油輸送の安全を期すことが欠かせない。
安倍首相のイランを訪問は、多少G20の成果としたかたかもしれないが、イランから原油を輸入する日本が、同盟国米国とイランの両国間や地域の緊張緩和は、日本自身の国益に直結する。
3.11~東京電力福島第1原発事故後、安全対策の強化などで原発再稼働が大幅に遅れている。主要先進国では最低水準にある。原発の再稼働を急ぐほか、メタンハイドレードの採掘が至上命題となる。
話を元に戻しますが、イランは北朝鮮、中国、ロシアと反米で共闘しうる立場にあることは分かりきっている。
ポンペオ国務長官 ボルトン補佐官
もはや、反中国はトランプ大統領の専売特許ではなく、米国政財界が反中国一色である。
中国を叩くということは、イラン・北朝鮮・中国を同時に叩く必要が出てくる。
中国が南シナ海の岩礁を不法占拠する理由は、中国もペルシャ湾経由の原油に依存しており、南シナ海は中国も国家存亡の急所であるからだ。中国も石油を戦略的に備蓄し始めたというが、2017年の段階でその備蓄量は、37日分しかない。
米国は、中国経済をとことんに追い詰めるつもりである。
9日来、香港で拘束した「容疑者」の中国本土への移送を可能にする「逃亡犯条例」改正案に反対する市民のデモが大規模化。一時は100万人超に達したと伝えられていたが、12日ついに、警察がデモ隊に催涙ガス弾と、暴徒鎮圧用のビーンバッグ弾を撃ち込んだのだ。香港政府によると、13日朝の段階で負傷者は79人に上り、うち2人が重傷という。警官による暴行の様子も動画などで発信されている。今後の事態の変化については予断を許さない。5年前の秋、普通選挙を求めて学生たちが起こした「雨傘革命」の際に、10代のリーダーたちを数年前から指導し運動へと導いていた1人と筆者は知己を得た。この友人は今回、筆者とのチャットのなかで、「最後の戦い」という言葉を繰り返した。私と変わらない年齢の彼はこうも言った。「自分たち世代は自由を謳歌(おうか)した。だからいま、若い世代、子供たちのために、香港を、自由を守り抜かなければならない。そのためにすべてを賭けて闘う」彼や私が若かったころ、香港は世界で最も魅力的な街の1つだった。ちょうど30年前の1989年は、日本では平成が始まった年だったが、この年に私たちは、テレビ画面に映し出された北京・天安門広場での光景に震撼(しんかん)したものだ。しかし、30年後、21世紀となり、たまさか日本で「令和」という新しい時代が始まったいまとなってよもや、あの自由で愉しかった街、香港で、同じ権力による弾圧の光景を見ることになるとは思わなかった。とはいっても、中国共産党政権はこの30年間、広い国土のあちらこちらで同じことを繰り返してきたのだ。天安門事件の起きた同じ年の3月には、チベットのラサで、チベット人のデモを暴力的に弾圧。このデモは、さらに30年前の同じ「9」の付く年、59年に起きた「ラサ蜂起」(=ダライ・ラマ14世の、インド亡命のきっかけとなった事件)のメモリアルであった。その後、97年2月には、新疆ウイグル自治区のグルジャで、ウイグル人のデモを弾圧した。2008年には、またもやチベット・ラサでデモを弾圧し、その翌年7月には、ウルムチで、1万人超のウイグル人を一夜で“消した”といわれる。10年前、ラサやウルムチで流血の弾圧が起きたときでさえ、私たちは香港でのこういう事態は想像し得なかった。だが残念ながら、それはただの希望的楽観だったといま証明されつつある。香港の次は台湾、その次は日本の沖縄だという予測があるが、日本の一部メディアは、今後もこれを「右翼の妄想」と嘲笑い続けるのか。香港でのこの事件は、来年1月の台湾の総統選挙にも影響するに違いないが、わが国がいますべきことは2点ある。まず、G20(20カ国・地域)首脳会合で訪日する、中国の習近平国家主席に「香港の自由の保障」を求め、日本政府が予定している本年中の再来日を見直すことだ。もう1点、わが国の国会はただちに、「香港市民の自由を求める声を尊重することを求める声明」を決議すべきだ。この2点もおぼつかないような政府や国会なら、「今日の香港は明日の我々」となる可能性濃厚であろう。
1989年6月4日天安門事件30年目の節目を迎えたばかりで、第二の天安門事件となる可能性が高くなっている。人口750万人の香港市民のうち100万人規模の市民が参加した意味は大きい。
香港はかつて、150年以上にわたってイギリスの植民地だった。香港島は1842年のアヘン戦争後にイギリス領となり、その後、イギリスは当時の清朝政府から「新界」と呼ばれる残りの地域を99年間租借した。それからの香港は活気ある貿易港となり、中国本土を逃れた人たちが香港に移り住み、1950年代には製造業のハブとして経済成長を遂げた。
99年の返還期限が迫った1984年、イギリスと中国政府は香港の将来について、「一国二制度」の下に香港が1997年に中国に返還されることで合意した。香港は中国の一部になるものの、返還から50年は「外交と国防問題以外では高い自治性を維持する」という約束で香港を返還した。
だが、中国を知る者は、誰も中国が約束を守ると信じていなかった。香港の憲法ともいえる「香港特別行政区基本法」を2014年改悪し、香港政府トップの行政長官は現在、中国政府寄りの人ばかり選ばれた1200人(有権者の6%)からなる選挙委員会で選出される。これで、事実上香港は中国共産党の支配下となった。
民主選挙を求めた2014年の雨傘革命とは、このことを憂えてのことだった。
雨傘革命以降、香港情勢は5年で大きく変わってきている。
かつては、香港は金の生る木であったが、香港に隣接する深圳市のGDPが3年前に香港のGDPを越え、香港は中国の一地方都市に成り下がってしまった。香港の役割はもう中国にとってはもう終わったようなものである。中国にとって、香港の民主化運動が国内に飛び火する方が危険であり、中国は香港の民主主義を潰すのは必然となってきたのである。
逃亡犯条例の改正案は2012-3年反体制書店の店主や店員が拘束され、今後中国国内に拉致されたことが合法化されるのである。香港人にとってこれ極めて重要な問題であり、香港が香港でなくなってしまうのである。香港大学が行った調査によると、香港のほとんどの人が自分は「香港人」だと考えており、自分は「中国人」だという人はわずか15%だった。
この差は世代が若くなるほど大きくなる。2017年の調査では、18~29歳の回答者うち自分は中国人だと答えたのはたった3%だった。
香港人が自らのアイデンティティを掛け100万人がデモに参加したのだ。
米国は、おせっかいにも世界中の民主化を支援している。民主主義という宗教は、米国の絶対に譲れな協議であって、CIA等が設立したが、一応民間機関である全米民主主義基金と言うの組織がある。
全米民主主義基金は、香港の学生たちの運動に対して指導プログラムを提供したとネット上に載っていた。どのように活動すれば良いかという指導プログラムだそうだが、今回も提供され、今回も資金面での支援も行っている可能性は高い。
トランプ大統領は、香港民主化で必ず習近平を問い詰めるであろうし、サミットに事前の議題内容がないチベット・ウイグルの弾圧問題を議長である安倍首相が持ち出せば、習近平は一気に面目を失うのは必然。
我々は、歴史の目撃者となるのかもしれない。
コメント
コメント一覧 (2)
それは無いと思います。
いや無いというよりそれは実行出来ないと思うのです。
元アメリカ海兵隊員のマックス・フォン・シュラー氏の著書
『アメリカ白人の闇』
『アメリカ人が語る 日本人に隠しておけないアメリカの“崩壊"』
や
このような動画で解説されてますが
Will America Have A Second Civil War?
https://www.youtube.com/watch?v=NfwHX0xyUBE
アメリカは第二次内戦が近いうちに起こると言われています。
そうなれば最初の内戦と時とは違いアメリカは主義、思想、宗教、そして人種、何もかもが分断されているので、
アメリカ合衆国は完全に崩壊しこの世から消滅すると思います。
マックス・フォン・シュラー氏によれば「ドナルド・トランプが大統領になったのは良いことだったが、それでもアメリカの崩壊までの時間が少し延びただけ」
と言っています。
大英帝国は第一次世界大戦に勝利し人類史上最大の領土を手に入れましたが、
その後20数年後に滅亡しました、あっという間でした。
アメリカ合衆国もそうなる気がしてならないのです。
Ddog
がしました
認証本当に面倒で返事を書いていませんでした。申し訳ない。
確かにトランプ大統領を選出した米国は、まだ覇権を維持すると思います。
米国から覇権を奪う国は出現するでしょうか?
中国は絶対にありえない、インド?ロシア?欧州?
いずれもNOだと思います。
日英米同盟+印豪が覇権を引き継ぐ可能性がその可能性があるような機がします。
確かに米国は分断されています・・・
ですが、シビルウォーまではないと思います。
そこまでバカではないと思います。
Ddog
がしました