image062

現在、妻のトリセツがベストセラーになっている黒川伊保子先生の2018年1月に出版された本である。

黒川伊保子先生の話は、脳科学というよりは、良い意味で、よく当たる人気占い師の人生相談のような読みやすさも手伝って、とにかく面白い。

奈良女子大学理学部物理学科卒業後富士通でAI(人工知能)の研究開発を通じて脳とことばの研究を始める。やがて、脳機能論の立場から、語感の正体が「ことばの発音の身体感覚」であることを発見。AI分析の手法を用いて、世界初の語感分析法である『サブリミナル・インプレッション導出法』を開発し、マーケティングの世界に新境地を開拓した、感性分析の第一人者である。

音義説 ひらがなに意味があるという 2019年5月2日

先日音義説の記事を書いたのだが、これは黒川伊保子さんの説と近いのではないかと思い、以前にJ-Waveで黒川さんが出演していた時に聞いたお話が載っていた「成熟脳 副題:脳の本番は56歳から始まる」を紹介したい。ちなみに私現在56歳、黒川説によれば、56歳はモノの本質を知る脳だという
p143
五十代、本質を知る脳

 さて、五十代。
 脳が、十分に「失敗しにくく、成功しやすい」状態になってくる。

 失敗のときと同じように、成功して嬉しい思いをしたときも、脳は、その晩眠っている間に書き換わる。閾値(しきいち)が下がって、成功回路に信号が行きやすくなるのだ。優先順位が上がるのである。

 複数種の成功に共通に使われる回路があれば、その回路は何度も閾値を上げることになり、優先順位がいっそう高くなる。

 そして、あらゆる成功に使われる、共通の回路。最高水準の優先順位を誇るそれこそが、成功の秘訣、「本質」の回路である。五十六歳近くなると、その回路が目立ち始める。

 三十代の惑い (失敗事例の蓄積)と、四十代のいら立ち(成功事例が増えてくるものの、周りの理解が足りない)を乗り越え、脳は五十代に本質を知る。
 孔子の言う「天命を知る」は、この事象を言い当てているのである。
現在私は56歳、黒川さんの言うように、ものの本質が直ぐに理解できているような気持ちとなっている。これは、私一人の思い上がりではなく、孔子も同じ気持ちであったのかと思うと案外笑える話である。同年代の人間は皆そう思っていているのは、脳の構造上の問題であると説明されると納得してしまった。

半世紀も生きれば、いろいろな経験をして、数多くの失敗や反省もした、消し去りたい黒歴史の数々・・・・最近の物忘れはアルツの前兆かと思いきや、「天命を知った」わけか。

p98
本当のピーク

 しかし、ヒトの脳を装置として見立てていくうちに、面白いことがわかった。

 人生最初の二十八年間、脳は、いちじるしい入力装置なのである。

 入力装置としてのピークは、たしかに二十八歳まで。ヒトの脳を、「新しいことをすらすら覚えられる」ことをもって頭がいいと言うのなら、ここをもってピークとし、後は老化と呼ぶのもわからないでもない。

しかし、この世にたった一つの脳をもって、私たちは生まれてくる。遺伝子の組み合わせの妙と体験とによってかたちづくられる脳という装置は、この宇宙時空で、過去にも未来にも、たった一つの装置なのである。

 その装置の目的が、「世間を知り、一般モデルを踏襲した優等生になる」ことにあるとは到底思えない。その脳にしか見えないもの、その脳にしか出せないことば、それを見つけてこその 「この世で唯一の装置」なのではないだろうか。

 つまり、出力の質のほうが、人間の脳の真髄と見るべきでは?

 実は、この出力性能、私たちが考えていた以上に、ずっとずっと後に、ピークがやってくるのである。
 後に述べるが、人生の賞味期限は、驚くほど長い。
最近新しいことが、なかなか覚えられないのはそういうことか・・・
学問や、新たな分野への挑戦は28歳までということか・・・・
大学時代から28歳までは女性の穴を追い掛け回してばかりいた過去に反省してもいまさら遅い。
まてよ・・・28までに経験した私の失恋の山は、恋する男子諸君に還元できるかもしれないなぁ~
おかげさまで、28歳で家内と結婚した後も、28歳までに経験した失恋の数々は、内緒ながら私の人生に非常に役立っております。しーっ秘密秘密


p99
  人生最初の二十八年

 入力装置として生きる最初の二十八年のうち、前半の十二年間は子ども脳型、二年の移行期を挟んで後半の十四年間はおとな脳型となる。

 十二歳までの子ども脳は、感性記憶力が最大限に働く。感性記憶とは、文脈記憶(行動やことばの記憶) に、匂いや触感、音などの感性情報が豊かに結びついている記憶のこと。

 つまり、子どもたちの脳は、ことの成り行き以外に、五官が受け取った感性情報も丸ごと記憶していくのである。十二歳までの記憶は、ときに、匂いや味を連れてくることがある。小学校のとき、友達のお父さんの車でプールに連れて行ってもらった記憶を想起したとき、その車の匂いや、そのとき口の中に入っていたキャンディの昧を鮮やかに思い出す、などのように。

 ものごとを、ありのままに、あまねく受けとめる。それが、子どもたちの脳の素晴らしさだ。素直さ、と言い換えてもいい。

 教師だった私の父は、「素直な子だけが、伸びる。勉強も運動も」とよく言っていたけれど、素直だということは、きめ細やかな入力が可能な脳の持ち主だということに他ならない。子どもたちは、自らが生まれてきた時空のありようを知るために、あらゆる情報を脳に叩き込んでいくのである。

 繊維にして大胆。素晴らしい記憶力だが、これには欠点がある。一つ一つの容量が大きすぎて、人生すべての記憶をこの形式で脳にしまうのは不可能だということ。さらに、大きな塊なので、検索に時間がかかり、とっさの判断には使いにくいということ。

 このため十二歳から十三歳の間に、脳の記憶方式は、もっと要領のいい形式へと進化するのである。何かを体験したとき、過去の記憶の中から類似記憶を引きだしてきて、その差分だけを記憶するような形式である。これだと収納効率が圧倒的にいいので、「新しい事象」をどんどん覚えられる。

 さらに、過去の類似記憶との関連性をタグ付けして記憶していくので、関連記憶を引きだすのに長けている。この形式の脳だと、「人生初めての体験」に遭遇しても、過去の類似体験を使って、すばやく対応することができる。
知り合いの女性に、「私の頭脳のピークは12歳」だと公言する方がいます。
当時河合塾の全国模試で10番台に入ったこともあったとのことで、御三家の一画である某女子中学~高校に進学された才女である。

現在、フリーランスで翻訳や同時通訳の仕事をされているのだが、しょっちゅうスマホを置き忘れたり、遅刻したりで、日頃はドジなオバサンでとても全国10番台の頭脳の持ち主には見えませんが、確かに12歳の頃はそうだったのでしょうね。(笑)

ちなみに息子さんは慶應の医学部で、娘さんは慶應女子に通われています。お子さん達の頭脳のピークは12歳ではなさそうです。

p101
  おとな脳は、思い込み脳

 別の見方をすれば、おとな脳は、思い込みの強い脳なのである。

 繊細な事象を、「あ~これは、あれね、あれよ」と、過去の自分の体験になぞらえて、ざっくりと把握していく。

 親戚のおばさんに、「あ~、あんたは、あれよね」と決めつけられて、内心怒りに震えた経験はないだろうか。古い時代に、規範通りに生きた脳で、新しい感性をばこっと切り取られると、本当にびっくりしてしまう この手の親戚のおばさんは、説得なんてできやしない。おおざっぱな〝型枠″で、世の中を切り取っているので、こちらの繊細な心情をいくら言い募っても、型枠からはみ出した部分を脳が認知しないのだ。かくして、いくらことばを尽くしても、せんべいをかじる音にかき消されるのが関の山。それが世界中の〝親戚のおばさん″の正体である。

 しかしまあ、おとな脳というのは、多かれ少なかれ、そんなところがあるのだ。

 優秀なビジネスパーソンは、エリートの型枠で世の中を見る。ナチュラリストは、「植物系でからだにいい」型枠で世の中を見る。男女のミゾは、「男性脳の型枠」と「女性脳の型枠」 の違いで生まれるもの。
                                          
 さまざまな型枠を持ち、それらをチャネルを切り替えるように使える、汎用性のある脳の持ち主が、「頭が柔らかい人」「センスのいい人」といわれるのだが、この汎用性は、失敗が作りだすのである。脳が失敗を認めてフィードバックすることで異なる型枠を使ったり、切り替えのポイントを知ったりする。失敗が多い人生は、お得な人生なのである。
一つの型枠にはまるのは、危険だということでしょう。イスラムの原理主義者とか、宗教の戒律は典型的な型枠のような気がします。

血液型で人を型枠にはめるのは愚かにしか見えないが、親戚のおばさんの、「あ~、あんたは、あれよね」に黒川さんが昔怒りを覚えたのは、もしかしたら図星を言い当てたからではなかろうか?血は争えないことはよくあることだ。

だいたい、この「成熟脳」も黒川さんの型枠で「あ~これは、あれね、あれよ」とバッサリ切り刻んでいるからこそ面白いのであるが・・・ご本人は気がついているのであろうか?


p103
  思春期は、脳の調整期間

 さて、世の中を感じ尽くす子ども脳から、思い込みで世の中を切りだすおとな脳へ。

その進化直後の十三歳の脳は、人生で最も不安定で脆弱、誤作動しやすい。なぜなら、思い込もうにも、「思い込み」の型枠がまだ確定していないからだ。すなわち、「過去の記憶に照らしてものごとを判断したり、新記憶を生成したりする方式」に変わったのに、とっさに参照される過去の記憶が僅少、という事態なのである。

 思春期と呼ばれる十三歳から十五歳までの二年間は、新しい脳型に慣れるための調整期間にあたる。脳は眠っている間に書き換えられるから、調整期の子どもたちは、睡眠を必要としている。中学生なんて、放っておけば十五時間も寝ているけれど、あれは、子ども脳期の感性記憶を、おとな脳型に変換している可能性が高い。子ども時代の体験が豊かなほど、その時間は長くなるはずで、そう考えると、宿題もやらずにだらしなく眠っている中学生たちも、ちょっと愛おしくならないだろうか。

 それと、この時期の子は、「自分の気持ち」を尋ねられても、うまく答えられない「学校は、どう?」と尋ねても「別に」と答え、「お弁当は美味しい?」と聞いても「普通」と答えるのは、別に反抗しているからじやない。脳に、特段、答え浮かばないのである。
 これを、反抗期と呼ぶのは、ちょっと不当な気がする。たしかに、この時期分泌量を増やす生殖ホルモンのおかげで、かなり尖った感じには見えるけど。
なぜ、エバンゲリオンのパイロットは皆14歳なのかと、なぜ思春期なのか?ある意味でアニメ新世紀エバンゲリオンは「自我/アイデンティティの確立」の物語のような気がします。
主人公碇シンジは、自分にはなにも出来ない。弱虫でいたい。しかし、周りから過度な期待をされる。応えたい。でも応えられない。

アスカは、自分は何でもできると思っている。しかし、そうではない、というギャップ。

この差を受け入れ、差を埋めた先にある「私はこういう人間なんだ」というような定義をみつけ、自分を確立すること。それがアイデンティティの確立なのです。

その思考過程を経て、私達は、自分が何者なのかを知り、自分を確立し、他人と関わり生きていけるのである。

p104
  ヒトは、十四歳の心で生きていく

 こうして、激動の進化期を越えたのち、十四歳、おとな脳が完成する。

 十四歳は、特別な年齢である。おとなの感性が整った年。つまり、以後の長い人生を、私たちは十四歳の感性で生きていくことになる。

 佐々木美夏さんという方が 『14歳』 という本を出している。ミュージシャンたちの「十四歳」をインタビューした記事をまとめた本だが、多くの読者の共感を得ており、「十四歳」というのがいかなる年齢かを知らせてくれる。この著者は、「その人の十四歳を知ると、その人が見えてくる」とおっしゃっているそうだが、さもありなん。ヒトは、十四歳の 「生まれたての感性」 で見たあらゆることを鮮明に脳に刻印するし、それが後の創造力の源になっている人もたくさんいるに違いない。

 自分を見失ったら、十四歳のときに夢中だつたものに触れてみるといいかもしれない。
 私が十四歳を過ごしたのは一九七四年。クイーンがブレイクした年で、今でも「キラー・クイーン」を聞くと「あの場所」につれていかれて、わくわくする。一九七〇年代はロックシーンがさく裂した時代で、ロックが連れてくるクールな昂揚感は、私の中からどうにも排除できない。

一九九一年生まれの息子は、私が導いたわけじゃないが、十代にラモーンズに夢中になり、ピンク・フロイドやセックス・ピストルズや甲本ヒロトを聴いておとなになった。私は、自分の十代を、息子のオーディオでもう一度蘇らせることになった。

 ハハはいいな~、と、彼は言う(彼は私をハハと呼ぶ)。自分も一九六〇年までに生まれて、五〇年代の音楽シーンの残り香を喚ぎ、ビートルズを横目に見て育ち、一九七〇年代のロックの風を生で感じたかった、と。

 あなたは、十四歳の目で何を見、十四歳の耳で何を聴いていたのだろうか。
実は、何を隠そう私もQueenの大ファンである。

フレディ・マーキュリー没後25年に思う 2016年11月24日

私が14歳の時は1977年。Queenは6枚目のアルバム
We Will Rock YouとWe Are the Championsが入ったNews of the Worldの出た年であったが、他のアーティストはイーグルス 「ホテル・カリフォルニアザ・クラッシュ 「白い暴動」スティーリー・ダン 彩(エイジャ)フリートウッド・マック クラフトワーク ヨーロッパ特急10cc 愛ゆえにデヴィッド・ボウイ ロウ』 『英雄夢語り (ヒーローズ)ウェザー・リポート ヘヴィ・ウェザーヴァンゲリス 螺旋エレクトリック・ライト・オーケストラ アウト・オブ・ザ・ブルービリー・ジョエル ストレンジャーボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ エクソダスストラングラーズ 『ノー・モア・ヒーローズ』10cc 愛ゆえにアース・ウィンド・アンド・ファイアー 太陽神』・・・・・・
ロック史に輝く超名盤だらけと思うのは14歳だったからだろうか?

p105
三つ子の魂、も真実である

さて、十四歳が一生の感性の基盤、というと、「でも、」三つ子の百までって言うでしょう? あれは違うの?」という疑問がわくのではないかしら。

 あれもまた、真実である。端的に言うと、ヒトは三歳で人になり、十四歳でおとなになるつてことだ。

 ヒトの脳は、生まれてきたその瞬間、一生で最も多い数の脳細胞を持っている。その脳細胞を三歳までに劇的に減らすのである。どのような環境にも適合できるように、全方位の感性を持って生まれ、生まれてきた環境に必要な脳細胞だけを残して、思考の比旅に出るのだ。


 そのことは、言語獲得のプロセスによく現れている。

 二歳までの幼児は、目の前で発音してやれば、世界中のあらゆる母音を発音することができる。イギリス人が英語を発音してやれば、イギリス人のように。フランス人がフランス語を発音してやれば、フランス人のように。これは、人の表情筋を鏡のように映し取る能力に長けているからで、大人のように「耳で聞いて再現する」 のではなく、「筋肉の動きを複写する」からだ。

 しかし、あらゆる母音を認知する脳は、とっさの音声認識が不得手である。私が「クロカワ」と名乗ったとき、これが四拍のことばだとわかるためには、音声波形をaiue0の母音で潔く刻む必要がある。十種類以上の母音を認知する脳だと、「くうるおうかぅわあ」のように聞こえるために、とっさの音声認識ができないのだ。仮に、このかたまりで私の名を認知できたとしても、ブロック分けできないので、タロカワとシラカワの共通点には気づけないし、文字が理解できない。つまり、「思考」が始まらないということだ。

 人の脳は、とっさに使う母音種をせめて七種類くらいまでに絞らないと、思考の旅が始められない。このことは、おそらく言語獲得に限らず、あらゆることに言えるはずだ。つまり、三歳までの脳がすることは、「合理的思考を可能にするために、不要な感性を捨てる」仕事である。

 この時期の脳にしてやるべきは、生まれてきた環境をしっかりと知らせること。人としての一生の感性の基盤となる母語(人生最初に獲得する言語)でしっかりと話しかけ、折々の季節を感じさせ、旬の食べ物を味わわせる。この時期の脳には、「余分なものを与える」教育はナンセンス、と私は思う。しかも、まがいものは意味がない。
小学校で英語教育なんてナンセンス!人間のの教養や思考を高めるには母国語でしっかり考えることができるようになることです。

フィンランドでは赤ちゃんを寒風に晒し、極寒の湖に寒中入浴させるのだという。
そうではないと、その過酷な環境でいきていけないのだという。

そのかわり、日本のような夏高温多湿には弱いのだという。
三つ子の魂百までというのは正しく、3歳までに生きていく土地の環境に順応するよう脳や体がプログラミングされるのだという。

p111
 がむしゃらな脳

十四歳までに感性が整った脳は、その後、二十八歳までの十四年間に、単純記憶力を最大限に使う。

 単純記憶力は、多くの記憶を長くキープしておける能力で、その脳の機能だけ見ればたしかにク単純〃なのだが、実はそう単純でむない。記憶を長くキープしている間に、脳は、ばらばらの事象から共通項を切りだしたりして、知恵やセンスを創生できる。このため、この時期の暗記は、単なる暗記に留まらない。その陰で、センスを作りだしていくからだ。たとえば、英単語を二千語覚える間に、英語の音韻センスを身に付けることができる。千本ノックが、打撃センスを伸ばす。

 つまり、がむしやらな繰り返しで高度なセンスが作れる時期で、勉強の好機でもあり、スポーツの能力を高めるチャンスでもあり、仕事の・コツを身に付ける好機でもある。

十五歳から二十八歳までの脳は、四の五の言わずに、目の前に置かれた課題をがむしゃらにこなすことだ。単純な作業に見えても、結果、脳に搭載されるセンスは崇高。それが、この年代の特徴だから。
ああ、28歳までにがむしゃらに、勉強しておけばよかった・・・女性にモテタイ一身で、無駄な努力ばかりしてしまった。でも、往々にしてロックミュージシャンなどは、もてたい一心でギターを始めたという話は、ほとんどのミュージシャンが音楽を始めたきっかけだと言う。

私の場合は、ロックミュージシャンにはならなかったが、身についたのは、「面白い話術かなぁ?」ブログでの人格は比較的硬派なイメージをされているようですが、相手を飽きさせず、相手が気持ちよくなる話術には自信があります。皆さんお世辞かも知れませんが、そう言っていただく方が多いようです。ブログでの上から目線の人格はその反動なのかもしれません。でも、お世辞を言っていただくのは
ただし、ご婦人のかたがたばかりかも(笑)




 執筆中