この曲はフランスを代表する作曲家ラヴェルの代表曲パリ音楽院在学中に作曲した初期を代表する傑作であり、ラヴェルの代表曲の1つと言える。ラヴェルがルーヴル美術館を訪れた時に、17世紀スペインの宮廷画家ディエゴ・ベラスケス(1599-1660)が描いた若い王女(マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ)の肖像画からインスピレーションを得て作曲したという。「亡き王女」という題名はフランス語でinfante défunteとなり、言葉の韻を踏む遊びから命名された。ラヴェルによるとこの題名は「亡くなった王女の葬送の哀歌」ではなく、「昔、スペインの宮廷で小さな王女が踊ったようなパヴァーヌ」だとしている。パヴァーヌとは16世紀のヨーロッパに普及した王侯貴族のための行列舞踏である。
しかしどこか静かな幽玄な空間を作り出すこの曲は永年フランス革命の露と消えたマリーアントワネットへの追悼曲だとばかり思い込み、勘違いしておりました。
亡き王女の為のパバーヌをYouTubeでどれにしようか聴き比べていたら、Fujiko Hemmingさんのピアノに惹かれてました。ラベルが王女マルガリータの絵から感じたのイメージとは解釈がことなるかもしれませんが、Fujiko Hemmingの亡き王女の為のパパーヌはなんと心に染み入るのだろう。ピアノ一台でどうしてこんなに幽玄な世界広がるのだろう。そう、墨一色で森羅万象を描く水墨画のような亡き王女の為のパバーヌだ。
「明神の精」鈴木墨章 http://www001.upp.so-net.ne.jp/pf6/sub1-6.htm
THEハプスブルグには関係ない絵ではございますが、なんと水墨画です。
「明神の精」鈴木墨章 http://www001.upp.so-net.ne.jp/pf6/sub1-6.htm
THEハプスブルグには関係ない絵ではございますが、なんと水墨画です。
THEハプスブルグ展を29日日曜日家族で観てまいりました。
ベラスケスの白衣の王女マルガリータとオーストリア皇妃エリザベートが見たくて乃木坂の新国立美術館まで出かけていきました。そこで一句
『乃木坂へ、枯葉踏み行く、絵画展 』
もう一句
『亡き王女、銀杏並木に すまし顔』
駄毒狗
ウィーン美術史美術館とブダペスト国立西洋美術館のハプスブルグ家秘宝の絵画というので期待しすぎてしまった。16世紀の絵画が多かったせいもあるが、宗教画人物画ばかりで、風景や静物画がほとんど無かった。シェーンブルグ宮殿に飾ってあって初めて絵が栄えるような絵が多く、入り口チケット売り場が空いていたのが嘘のように人混みのなか鑑賞するのは辛かった。
ベラスケスの白衣の王女マルガリータとオーストリア皇妃エリザベートが見たくて乃木坂の新国立美術館まで出かけていきました。そこで一句
『乃木坂へ、枯葉踏み行く、絵画展 』
もう一句
『亡き王女、銀杏並木に すまし顔』
駄毒狗
ウィーン美術史美術館とブダペスト国立西洋美術館のハプスブルグ家秘宝の絵画というので期待しすぎてしまった。16世紀の絵画が多かったせいもあるが、宗教画人物画ばかりで、風景や静物画がほとんど無かった。シェーンブルグ宮殿に飾ってあって初めて絵が栄えるような絵が多く、入り口チケット売り場が空いていたのが嘘のように人混みのなか鑑賞するのは辛かった。
ハプスブルグ家の肖像画は意外に少なく11歳の女帝マリア・テレジア アンドレアス・メラー・オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世・オーストリア皇妃エリザベート・・・・皇妃エリザベートは人ごみ越しにじっくりと鑑賞させていただきましたが、その美しさは絵画になってもなおその瞳に吸い込まれるような感覚にとらわれてしまいました。
しかし、ハプスブルグ家は風景画は好まないと思える。宮廷内を描いた作品もあったがその主題は人の動き。ハプスブルグ家の関心は人とその心のうち、宗教画もその人の内面を表すための教訓であろう。
ハプスブルグ家は13世紀に勃興して20世紀初頭までヨーロッパに君臨した。巧みな結婚政策によって勢力を拡大し、神聖ローマ皇帝も数多く輩出した名門王家です。政略結婚であったが、その割には夫婦仲が円満で子宝に恵まれたケースが多く、多産は伝統とも言える。そのため現代でもハプスブルク家に関して、陰謀などの血生臭いイメージはあまり無い。
有名なハプスブルグ家の家訓
「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ」
「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ」
このTHEハプスブルグの展覧会に風景画が少ない。その理由を考えさせられました。ハプスブルグ家の賢さは絵画の選定にもあったのではなかろうか?もし、美しい外国の風景画が多くシェーンベルグ宮殿に飾ってあったのなら、美しい他国に対し領土的野心に燃え、戦争を引き起こしていった可能性がある。
意図的に風景画はコレクションしなかったのではなかろうか?ハプスブルク家の関心は人とその内面である宗教画なのであろう。
意図的に風景画はコレクションしなかったのではなかろうか?ハプスブルク家の関心は人とその内面である宗教画なのであろう。