Ddogのプログレッシブな日々@ライブドアブログ

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2012年11月

笑止千万!滋賀県の嘉田由紀子知事が結成した日本未来の党は日本版みどりの党をめざしているのだろうか?いやちがう!また新たな小沢が実権を握る構造の新民主党が出来るだけだ!

党の顔は滋賀県の嘉田由紀子知事かもしれないが小沢が党の実権を握るだろう。その構造は、新進党や民主党同様に必ず破綻するだろう。党内が二重権力構造となると民主党同様党運営に支障を来す。そしていつものごとく小沢がかき回し離党・分裂・・・もう先が読めている!

前選挙で小沢はとりあえず自民党政権を終わらせようという有権者意識を利用し、烏合の衆である民主党を率い己の権力奪取を図った。今回も反原発の単細胞有権者を利用して己の政治基盤の維持させしようとしている!

「脱原発」を卒業しよう 池田信夫】2012年11月28日

「卒原発」を旗印として滋賀県の嘉田知事を代表とする「日本未来の党」が結成され、そこに「国民の生活が第一」や「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」などが合流し、民主・自民に次ぐ「第3極」が一夜にしてできた。しかし今週のシンポジウム「エネルギー政策・新政権への提言」でも議論したように、原発というsingle issueで政治を論じるのはナンセンスだ。それは経済政策の中のエネルギー政策の中の1割ぐらいの問題にすぎない。

きのうの第2部でも出演者全員が同意したように、日本でこれから原発を新設することは不可能だし、経済的でもない。「卒原発」を政治が論じるまでもなく、原発は減ってゆくのだ。問題はそれでいいのかということである。

原発の減った分は、化石燃料で補うしかない。シェールガスなどのおかげで、火力の直接コストは原子力より安くなると見込まれるが、「CO2を2020年までに1990年比-25%に削減する」という国際公約は、絶対に達成できない(これは政府も認めた)。火力による大気汚染や採掘事故で、毎年数万人が死亡している。もちろん原発にもリスクはあるが、それと火力のリスクのどっちが大きいかは自明ではない。

つまり直接コストでみると原発の時代は終わったのだが、環境への影響を含めた社会的コストでみると、火力に依存するリスクも大きいのだ。新政権では「脱原発」という問題を卒業し、エネルギーの社会的コストを最小化するにはどういうポートフォリオがいいのか、という経済問題として冷静に考えてはどうだろうか。

今年は過去9番目の暑さ 温暖化影響で異常気象多発

 【ドーハ共同】2012年の世界の気候は、平均気温を引き下げるラニーニャ現象があったにもかかわらず過去9番目の暑さで、各地で極端な異常気象による災害が多発したと、世界気象機関(WMO)がカタール・ドーハの気候変動枠組み条約第18回締約国会議(COP18)の会場で28日、発表した。
WMOはこれらを温室効果ガスによる地球温暖化の影響とみており、COP18で交渉の加速を促したい考え。
今年1~10月の世界のデータを分析した暫定報告。南米ペルー沖の海面水温が下がるラニーニャ現象に伴い3月までは低温傾向だったが、4月に終息した後は上昇。

温暖化に後ろ向きな「化石賞」 日本など5か国に

2012/11/28 12:20
 カタールで2012年11月26日から開かれている国連気候変動枠組み条約第18回締約国会議(COP18)で、各国の環境NGOで作る「気候行動ネットワーク」は26日、地球温暖化対策に後ろ向きな国に皮肉を込めて贈られる「化石賞」に、日本など5か国を選んだと発表した。日本の受賞は今回で3度目となる。
   温室効果ガスの削減を義務付ける京都議定書に来年以降参加しないことなどが理由で、「参加するチャンスはまだある」というメッセージを送った。これに対し日本政府は、「不参加は2年前にすでに表明している。今後も態度は変えない」と話した。
国会周辺に集まる脱原発の単細胞生物達は日本経済・エネルギー政策や世界政治経済に関心ないどころか、今では地球温暖化をまるで無視している!
脱原発=明るい未来だと思っているようだ。おめでたいと言うより、困った人達だ。

確かに地球温暖化の原因は単純に二酸化炭素が増加するだけが問題ではない。だが、二酸化炭素が環境に及ぼす影響は原発が地球環境に及ぼすリスクとでは比較にならないほど二酸化炭素の方が大きいと私は思う。放射能は少なくとも人類全体の生存にかかわるような気候変動には関係がない。

反原発を叫んでいる人々の多くのは、3.11前までCO2削減を唱えていた人であったと思います。例えば私はFMJ-waveのヘビーリスナーですが、3.11前にはCO2削減エコを局のイメージ戦略に使っておりました。ところが、今は反原発を前面に出しております。流行の音楽をオンエアするJ-waveは流行に敏感なだけですから・・・
反原発派は広い見識をもたず、深く物事を考えない流されやすいタイプの人達が多いのだと思うのです。

そういった人達は3.11原発事故後は、CO2による温暖化は出鱈目だと言い出しています。無節操にもほどがある。最近反原発論者は「実は原発は地球温暖化に優しくない」という論理を振り回しています。この論理は反原発派は国民を少しでも反原発派に巻き込もうとする嘘言である! 私は3.11前にはCO2による温暖化は大げさだと主張していましたが、CO2増加が環境変化に無関係なわけがない、その根本的なことを反原発派は無視している。そして何も考えず小沢一郎の復権に一役買おうとしている。

反原発派が垂れ流す「実は原発は地球温暖化に優しくない」という論理を木っ端微塵に論破しているブログをみつけました。


「原発は発電時以外には大量のCO2を排出している。政府や電力会社はこれを故意に隠してきた」の嘘

確かに原発は、発電所の建設や維持、ウランの精錬の過程でCO2を排出します。それが「大量」なのかは、基本的に論じる人の視座に依存する話ですが、単位電力量あたりの発電に伴って排出されるCO2の量を、他の発電方法と比較するのがフェアな方法でしょう。



http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/n/nyango10/20100507/20100507085650.png 図は、(財)電力中央研究所による試算結果です*1。発電燃料の燃焼によるCO2だけでなく、原料の採掘・精錬・輸送、発電施設の建設・運用・保守に伴って排出されるCO2の量を、発電方法毎に比較しています。オレンジ色が発電燃料の燃焼によるCO2排出量、水色がその他の活動によるCO2排出量です。

原子力発電の場合は、発電過程におけるCO2排出量はゼロ。その他の活動によるCO2排出量が22g/kwhです。特に火力発電と比較して、圧倒的にCO2排出量が小さいことが分かります。全然「大量」ではありませんね。

勿論、「原発が発電時以外にCO2を排出」することを、政府や電力会社が隠しているわけではありません。Nyangoが引用したデータも5年前に既に公表されたものです。大体、燃料輸送や精錬、発電所の建設にエネルギーを使うことは自明です。政府や電力会社が、わざわざ注釈をつけなかっただけの話です。

「原発は放射能を出し、海を、空を、日常的に汚染している。原子力発電所近傍における白血病による死亡者は顕著に多い」の嘘

耐震偽装問題のときに話題になった「きっこのブログ」*2は、玄海原発の周辺だけ白血病の発症者数が全国平均の10倍になっていることをもって、原発は放射能を出し、健康に深刻な影響を及ぼす、としています。併せて、「確かに白血病患者が多いですね」との現地住民の声なるものも掲載しています。



目に見えないだけに「放射線が漏れている」と聞くと、我々は思わず身構えてしまいますが、実際、放射線は身近の至るところに存在する。宇宙からの宇宙線、食物摂取、大地からの放射などです。カリウムが豊富なバナナからも、K-40による放射線が豊富に出されます。自然由来の放射線量は、国内平均で1.1ミリシーベルト程度。シーベルトとは被爆による人体への影響を議論する際に用いられる指標で、放射線量を放射線の種類によって重み付けしたものです。健康被害がより深刻とされる中性子線、アルファ線、重粒子線などでは、5~20の重みをつけます。

一方、原子力発電所における放射線値は0.001シーベルト以下。(略)
では、きっこ氏が持ち出した、玄海町の白血病死亡者の件は、どのように受け止めればよいのでしょうか?

仮に、原発の立地と白血病死亡の間に明確な因果関係が存在するのであれば、敦賀や女川、福島など、他の原発立地地域でも白血病による死亡者が増大するでしょう。死因別死亡者数を市町村レベルで把握するには、人口動態調査を収めたCD-ROMを8万円程度で購入しなければならず、Nyangoは検証を断念しましたが、おそらく、敦賀など他の原発立地地域の白血病死亡率は全国平均と変わらない程度でしょう。変わるのであれば、既にアンチ原発論者が「それ見たことか」騒いでいるはずだからです。

更に、「きっこのブログ」の住人の声はインチキだと思います。急性骨髄性白血病 (AML) 、急性リンパ性白血病 (ALL) 、慢性骨髄性白血病 (CML) 、慢性リンパ性白血病 (CLL)をあわせた発症率は、10万人に10人程度です。玄海町の発症率が全国平均の10倍であったとすると、10万人に100人、人口割合で僅か 0.1%に過ぎません。発症者がこれだけ少ないなか、どうやって、一般市民が「白血病といえば、確かに周りに多いですね。身近によく聞く病気です。」と認知することができるのでしょうか。

(略)

「原発は7度も高い温水を大量に海に捨てて地球温暖化に大貢献している。」の嘘

確かに、原子力発電に伴い、大量の温水を海に排出します。「7度」も間違った数字ではありません。

しかしながら、「7度の大量の温水の排出」の事実をもって、「地球温暖化に大貢献する」と断じるのは、大いなる論理の飛躍です。

数値でもって反証してみましょう。温排水の量としては、反原発論者が持ち出す「年間1000億トン」を採用します。1000億トンが7度分上昇したときのエネルギーが総て大気に放出されたと仮定し、これを太陽放射と比較します。実際は温排水は莫大な量の海水中で拡散したり、底層の温度の低い水と拡散したり、あるいは、水蒸気になるときに大気から潜熱を奪うことにより、温排水の総てのエネルギーが大気に放出するのは、凡そあり得ない話なのですが、反原発論者の嘘を暴くため、もっとも厳しい仮定を敢えて採用するのです。

原発による大気中への熱放出(1日当たり) 1000億トン × 7度 × 4.2(J/cal)÷ 365 日 =8.05 ×(J/Day)

太陽放射(1日あたり)(J/Day)

両者の比は、。

要するに、原子力発電による地球温暖化の影響なんて、あり得ないくらい厳しく見積もったとしても、1日の太陽放射量の200万分の1にしかなりません。

まとめ

反原発論者のペテンを暴露することを目標に執筆してきましたが、如何だったでしょうか。

サヨクや反原発論者の胡散臭い言説の特徴は、以下の3つ要約できると思います。 

「大量」等、大げさな修辞語を駆使するわりには、具体的な数値を出さない。科学と事実に基づく理性的な議論でなく、読者の印象に訴えかけるような感傷的な言説を展開する
自己の主張に都合の良い部分だけをイイトコドリ。自己の言説の根拠となるソースをまったく示さない。
自己の主張に綻びが発生すると、自己の瑕疵があたかもなかったごとく振舞うとともに、議論の論点をシフトする

反原発を前面に押し出す政党が日本の原子力産業を圧迫する政策をとれば日本製の安全な原発が作られなくなてしまう。そうなれば、新興国に中国や韓国の危険な原発が増えるだけだ。

日本は地球の未来を守るために安全な原発を世界に供給し少しでもCO2の排出を止める責任がある。そして廃炉技術や、3.11の経験を踏まえたより安全な原発を作り原子力技術を廃れさせてはいけないのである。

もし、反原発政党が政権を担うことになれば、日本の未来どころか地球の未来を奪うことになりかねないと私は危惧するのであります。

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<11月20日>(火)

フォーリンアフェアーズ誌に、久々に目が覚めるような論文が掲載されている。といっても、わずか6ページの巻頭エッセイなのだが、"Broken BRICs"という。「BRICsって、もう終わっちゃったよ。新興国が台頭して先進国と並び立つ時代が来る、なんてもう忘れた方がいいんじゃないの?」と言っている。この雑誌は、5年に1回くらいの割りで、「文明の衝突」とか「アジアの奇跡という神話」とか、時代を画するような論文を載せる。これもまた、いろんな意味で目からうろこの指摘だと思う。概ね、以下のようなことを言っている。

●エマージング市場の概念は実は新しく、1980年代半ば以降である。台湾、インド、韓国などが矢継ぎ早に外資に門戸を開放し、1994年まではブームが続いた。新興国市場は世界の証券市場の1%から8%にまで急増するが、1994年のメキシコ危機でブームは終焉する。そして2002年までは途上国のGDPシェアは下落する。中国だけが例外だった。エマージング市場、なんてことはほんの1か国で起きたに過ぎない。

●第2次ブームは2003年に始まった。新興国のGDPシェアは20%から34%に駆け上がった。2008年の国際金融危機の落ち込みは、2009年に大方盛り返したものの、そこからが低成長になっている。過去10年のような手軽なマネーと底抜けの楽観主義がなければ、新興国市場は今後は低迷する公算が高い。、

●BRICsという概念ほど混乱を招いたものはない。4か国に共通するものはほとんどない。ブラジルとロシアは資源国、インドは消費国だ。中国を除けば、互いの貿易の結びつきも少ない。2000年代が例外であっただけで、1950年代のベネズエラ、1960年代のパキスタン、1970年代のイラクのような成長は、いずれも長続きはしなった。最近流行の経済予測は、中国とインドが世界のGDPの半分を占めていた17世紀を振り返って、「アジアの世紀が来る」と言っているようなものだ。

●向こう10年、日米欧は低成長だろう。が、中国経済もまた3~4%に成長は鈍化する。農村部の過剰労働力が消える「ルイスの転換点」はもう近づいている。中国がアメリカを抜き去るという懸念は、かつての日本がそうであったように杞憂に終わるだろう。中国や他の先進国の成長が減速すれば、ブラジルなどの輸出主導型成長も止まる。今後、新興国市場が一斉に伸びるということはないだろう。

●新興国市場の成長がばらつき始めると、国際政治も変わることだろう。西側は自信を回復し、ブラジルやロシアは輝きを失う。中国の統制主義的、国有資本主義の成功も怪しくなるだろう。人口動態による配当という考え方も疑問を持たれる。かつてはアジアは日本を、バルトやバルカン諸国はEUを、そしてすべての国がアメリカを目標としたものだ。しかし2008年危機はこれらのモデルの信頼性を失わせた。(略)

●つくづくこの10年が異常であり、こんなことはもう起きないだろう。一人当たり所得2万~2.5万ドルの世界で、今後10年で伸びそうなのはチェコと韓国だけだ。1万~1.5万で期待できそうなのはトルコと、ひょっとしたらポーランドくらい。5000~1万ドルではタイがほぼ唯一の有望株で、あとはインドネシア、ナイジェリア、フィリピン、スリランカ、あとは東アフリカくらいか。先進国の水準に到達する国はほんの一握りであろう。


○言っていることは、実は常識的なことである。ただしその意味するところは重い。2003年に始まったBRICsブームは、ちょうど10年で終わったかもしれないのだ。そしてBRICsという言葉を発明したのはゴールドマンサックスであったが、この論文を書いたRuchir Sharmaは皮肉なことにモルガンスタンレーの人物である。はたして2013年は新興国ブーム終焉の年になるのか。(略)
私はおそらく日本で最初にBRICsは幻想にすぎないと主張していたと思う。

以下2008年10月の記事である。


④にてBRICs諸国に、はたして資本主義の『精神』が存在しているのであろうか?と論じた再度掲載する。



資本主義の『精神』とはドイツの社会学者マックス・ヴェーバーによって1904年~1905年に著された「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の『精神』」において述べられた、資本主義経済の発展の鍵である。

プロテスタンティズムの倫理が、資本主義を興隆させたという話を知らずして、資本主義を語ることはできない。私も原書で読んだのではなく、岩波の文庫本を読み、それだけでは理解できず、山本七平「日本資本主義の精神」を読み、次に小室直樹の「日本資本主義崩壊の論理」を読み私は理解したつもりになっています。

資本主義とは近代社会が自由にどん欲な利益追求をもたらしたのではない。ヴェーバー曰く、「決して近代人だけが、欲深なわけではなく、利にさといのは人の常である」。どんな時代や国においても、みな限りない欲望(金銭欲)がある。

中国の最初の王朝は「殷」であるが、「商」とも呼ばれ、商売こそが中国の基礎であった。イスラム諸国も、シンドバットの時代から商売上手で、西欧諸国よりも、資本主義成立の条件は整っていたかもしれない。

どん欲さが資本主義を生むなら、いたるところで、資本主義が生まれたはずだろう。1900年当時も中国やインドの方が人口や資源に恵まれていた。にもかかわらずなぜ、当時イギリス・ドイツ・オランダ・ベルギー・北部フランス・アメリカなどのプロテスタントの国だけに資本主義が成立し、繁栄していたのであろうか?人口や資源だけで論じたのであれば、中国やインド、アラブ諸国は、西欧諸国より早く資本主義が成立していてもおかしくはなかった。なぜか?「資本主義の精神」が存在しなかったからである。

ヴェーバーが言う資本主義の精神とは、単なる利益追求や権力や名誉を得る為利益を貯めのものではない。
岩波文庫P342
プロテスタンティズムの世俗内的禁欲は、所有物の無頓着な享楽に全力をあげて反対し、消費を、とりわけ奢侈的な消費を圧殺した。その反面、この禁欲は心理的効果として財の獲得を伝統主義的倫理の障害から解き放った。利潤の追求を合法化したばかりでなく、それをまさしく神の意志に添うものと考えて、そうした伝統主義の桎梏を破砕してしまったのだ。ピュウリタンをはじめとして、クエイカー派の偉大な護教者バークリーが明らかに証言しているように、肉の欲、外物への執着との戦いは、決して合理的営利との戦いではなく、所有物の非合理的使用に対する戦いなのだった。
資本主義の精神を構成する最も重要な要素は何か。

勤勉に働くのは実は人間の自然状態ではない。資本主義の精神その最も重要な一部分を一言でいえば、それは「勤勉の精神」である。それは、労働を神聖なる宗教的行動とする精神である。とは言っても、それは、全世界をその中に内包するほどの深遠なる意味を有する。労働こそ、いちばん大切な人間行動である。人間は、その人がなす労働によって評価されるべきものである。

また、資本主義の精神とは、利益追求あるいは具体的行動として経済合理性をコントロールする精神のことであり、野放しの貪欲な利益追求は資本主義ではない。

略奪や戦争によって利益を得る、相手を騙して利益を得る、奴隷を酷使して利益を得る。これらはけして資本主義とはいえないのである。単なる儲け主義であるならば、近代以前からずっと存在していたのである。

貪欲な利益追求の果てに金融危機に至ったウォール街は資本主義の精神と乖離していたと私は思ったのだが、小室直樹は、「日本資本主義崩壊の論理」において、
アメリカ病とは、資本主義の精神の欠如による経済の病気ではない。不足、未成熟によるものでもない。資本主義の精神は十分にあるのだが。いやあり余って、燗熟しすぎて腐熟し、腐臭を発しているような経済のことをいう。そのことによって発する経済的病気のことをいう。ソ連病が資本主義の精神の不熟に由る病気だと言えば、アメリカ病は資本主義の精神の腐熟に由る病気と言うべきか。まことに、対蹠的な病気ではある。
ウォール街は資本主義精神の過剰であったか・・・。
一度資本主義が成立すれば、資本主義の精神はご用済みであるとも小室先生は述べている。

ゴールドマンサックスのレポートにあるように、2050年にはBRICs経済が発展し、本当に中国が世界一の経済大国に本当になれるのであろうか?

毒入りギョーザに続き、毒入りインゲン、メラニン混入、次々と信じがたい事件が止むことがない中国に、マックス・ヴェーバーの言う 資本主義の「精神」など存在するとは思えない。

キリスト教国ではない日本にも資本主義の「精神」は存在しないという議論はここでは避けたいが、山本七平「日本資本主義の精神」に記してあるように、江戸時代の思想家鈴木正三の説いた「農業即仏業なり」「何の事業も即仏行なり」の労働の宗教行為化と、禁欲的精神による事業の再生産が資本の蓄積をもたらし、資本主義を成立させたのである。

中国は、日常的に相手を騙して利益を得る社会環境において、資本主義の精神は育まれるとは思えない。共産党の特権階級(貴族)が農村出身の「民工」という名の低賃金「奴隷」を酷使して利益を得る姿は前近代的である。チベットや南シナ海域の島々を略奪して利益を得る、姿は帝国主義ではあるが、資本主義的精神の欠片はまったく見あたらない。

ヴェーバー曰く「富を目的として追求することは邪悪の局地としながらも他方(天職である)職業労働の結果富を獲得するのは神の恩恵だ。この宗教思想からの経済的結論として、禁欲的節約強制による資本形成がなされるのである」資本形成こそ資本主義の要諦であり、拡大再生産し、発展し、成長するのである。

中国の富裕層は伝統的に富を蓄積はするが浪費し、資本主義的節制に程遠いイメージである。中国の庶民は高い貯蓄率にも表れているように奴隷労働の結果資本蓄積を行っているように見えるが、政府共産党の失政により、本当に中国の銀行にその資産が蓄えられているか疑問である。

ロシア。中国と同じく富裕層の資本主義精神の欠如は同類、庶民に至っては目的合理性の精神は見当たらず、石油・天然ガスによる開発独裁経済にすぎない。

カトリック系のラテンの国ブラジルは快楽主義ではあってもプロテスタント的禁欲主義には程遠い。同じくインド、カースト制を克服できない国に資本主義は根づくとは思えない。

アメリカという亡霊資本主義国の没落は、こういった資本主義の精神の欠如するBRICs諸国の拡大再生産は期待しない方が無難と考える。

経済を離陸させるにはその燃料となる新たなるマネーの存在が必要不可欠であるにもかかわらず、金融工学により創造されたデリバティブや、ヘッジファンドといったニューマネーは失墜し、今後BRICs諸国のテイクオフに必要なマネーという燃料が供給されていく保証は無い。

BRICs諸国に私の認識不足で資本主義精神が根付いていたならば亡霊資本主義国が没落しようと関係なく経済は離陸することはできよう。しかし、単に人口が多い、資源がある、成長率が高いことだけをBRICs発展の根拠とする門倉貴史の世界観は、非常に未熟としか言いようが無い。(略)

以上
2008年10月に私が書いた記事ではあるが・・どうだ!という気分でいっぱいである!



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佐々木融 JPモルガン・チェース銀行 債券為替調査部長

[東京 21日 ロイター] 今、為替市場では安倍晋三・自民党総裁に対する注目がかなり大きくなっている。海外の同僚や顧客からは、「総選挙の何日後に安倍氏は首相に就任するのか」「新政権発足後の何日後に日銀法は改正されると思うか」「安倍氏の経済ブレーンは誰なのか」といった質問を頻繁に受ける。今後総選挙が近づくにつれ、さらにこうした質問が増えそうだ。為替市場でここまで日本の政治に注目が集まるのも久しぶりのことだ。

11月に入ってから、安倍氏は日銀の金融政策に対して積極的な発言を繰り返している。中にはやや行き過ぎた発言もあるが、このように日銀に対して執拗なプレッシャーをかける姿勢を見て、海外勢を中心に、円に対して弱気な見方が強まり、円売りポジションも相当程度積み上がっていると見られる。大手ヘッジファンドでポートフォリオマネージャをしている知人が、先日ニューヨークでの夕食会で、「円に対して強気か弱気かでアンケートをとりたい」と声を上げたところ、「そんな質問は愚問だ。85円か90円か、どこまで円安が進むと思うかでアンケートをとろう」と言われたそうだ。つまり、「全員が円に対して弱気なのは当たり前」という前提である。

安倍氏自身が本気で為替相場を円安に誘導するために日銀にプレッシャーをかけているのかどうかは定かではないが、同氏が主張するような金融政策をたとえ日銀に行わせることができても、少なくとも為替相場が中期的に円安方向に動くことはないだろう。

実際に物価上昇率が2%まで上昇したら為替相場は円安になるだろうが、1%を目途にしていても日本の10年国債金利は0.7%台である。つまり、市場は金融政策でデフレが解消できるとは全く信じていない。こうした状況で「2%を目標にする」と言っても、影響がない状況に変わりはないだろう。

率直に言って、日本がデフレを脱却するために必要なのは、金融緩和によって金融システムに溢れている資金を実体経済に流す、財政政策、構造改革、規制緩和、税制改革といった政府の施策である。こうした施策を政府が本腰を入れて行わないのであれば、いくら日銀が金融システムに資金を供給してもインフレにはならないだろう。

ちなみに、日銀は今でも無制限の緩和を行っているようなものである。日銀は2011年以降の約2年間でバランスシートの規模を対国内総生産(GDP)比27%から33%まで6%ポイント拡大した。一方、米連邦準備理事会(FRB)は17%から19%の2%ポイントの拡大にとどまっている。それでもドル円相場は11年初めとほぼ同レベルで推移しており、円安にはなっていない。

現在発表されている双方の金融政策をもとに13年末の状況を推計すると、日銀のバランスシートは対GDP比40%前後まで膨らむ一方、無制限にモーゲージ担保証券(MBS)を購入するとしているFRBのバランスシートは20%強程度にしかならず、日銀のバランスシートの規模はFRBの倍近くなることが予想されている。

名目金利がゼロの状況下で、中央銀行がいくら国債を購入しても、供給される資金は銀行システムの中にとどまり実体経済には届かない。日銀が民間金融機関から国債を購入すると、民間金融機関は国債を日銀に引き渡す一方、民間金融機関の当座預金には売却代金が日銀から振り込まれる。しかし、民間金融機関は特に流動性に困っているわけではないので、当座預金に振り込まれた資金をそのまま積んでおくか、再び国債で運用するしか選択肢がない。

時折、この資金を使って銀行が外債を買ったり、外貨建てローンを増やすのではないかといった思惑が聞かれるが、銀行は負債のほとんどが元本保証の預金なので、為替リスクを伴った形で多額の外債投資を行うことはない。こんな政策を繰り返していても、景気に対するプラスの効果もないし、為替相場への影響も全くないと言っていい。

<「最強と最弱」の両極端な動きを繰り返す円>

そもそも、最近は当局者が市場の反応を気にしながら政策を行うことが多いように思える。日本の通貨である円は主要通貨の中でも極端な動きをする特殊な通貨である。主要通貨(円、米ドル、ユーロ、英ポンド、スイスフラン、スウェーデン・クローナ、ノルウェー・クローネ、加ドル、豪ドル、ニュージーランド・ドルの10通貨)の年間の騰落率を見ると、円は08年には最も強い通貨となった後、09年は最も弱い通貨となり、10年、11年は再び最も強い通貨となった。そして、12年は今のところ最も弱い通貨となっている。つまり、過去4年連続で円は主要通貨の中で「最強または最弱通貨」になるという両極端な動きをしている。そして、今年の円は年初来最弱通貨となっているため、このままだと記録を5年連続に伸ばすことになりそうだ。

円が極端に動く背景には、金利が極めて低水準である中で、金融市場の規模が大きく、資金調達も容易で、かつ個人や投資家が投資に向ける資金を大量に保有しているという国内事情がある。そのため、世界経済の状況が改善すると、円が投資先の通貨に対して売られ易くなる一方、日本人は250兆円もの多額の純資産を海外に保有しているため、何か日本経済・世界経済を不安定にさせることが発生し、リスクを避けようという気持ちが高まると、資金が日本に戻ってきて、巨額の円買いが発生してしまう。このようなダイナミズムで動いている巨大な市場を動かそうとしたり、短期的にマーケットがどちらに動くかを気にしながら政策を行っていたら、本当に実行しなければならない政策を見失うことになるだろう。

自民党の日本経済再生本部が11月16日に公表した「中間とりまとめ(骨子)」では、「新しい成長戦略の立案・実施、金融緩和、規制改革、有効需要の創出など、あらゆる政策手段を導入して名目3%以上の経済成長を目指す」と記している。また、21日に発表された同党の政権公約でも法人税の引き下げ、外資誘致へ金融特区の創設などが盛り込まれている。つまり、金融政策にだけ責任を押し付けているわけではなく、政治もデフレ脱却のために行動することを考えている。

金融政策に関して発言をすれば手っ取り早くマーケットが動き、効果が出たように見えてしまうが、実体が変わらないならマーケットは元に戻る。本当に実体を変えるために必要なのは、自民党自身が示しているように「新しい成長戦略の立案・実施、規制改革、有効需要の創出」である。金融政策によってマーケットにお金は溢れている。実体を変えるために本当に必要なことによりフォーカスして欲しい。
   自民党の安倍総裁は「政権をとったら、2~3%のインフレ(物価上昇率)目標を設定し、無制限に金融を緩和する」「建設国債は日銀に全部買ってもらう」などと発言している。 それに対して日本銀行の白川方明総裁は、物価上昇の目標設定など、自民党の安倍総裁が唱える「大胆な金融緩和」について、「経済や財政に悪影響を与える。現実的ではない」などと否定的な考えを示している。

白川総裁は「国債の買い入れについては、IMFが発展途上国においても中央銀行が行ってはならない項目の最上位にある。通貨発行の権限を有する中央銀行が国債引き受けやこれに類似した行為をすると、通貨発行に歯止めがきかなくなり、さまざまな障害が生じる」と指摘している。白川総裁は国債の直接引き受けに対し明確に反対した。

   フィナンシャル・タイムズ紙は、野田首相の「よいしょ記事:自殺行為の解散・総選挙でも尊敬集める野田首相」を掲載している。だが、FT紙の英国では、1992年からインフレ目標を導入しており、英国経済の成長に大きな貢献があったとされているからだ。ワシントンポストとかNYタイムス、FTの社説は第二次世界大戦前と論調が変らない、日本が日本の国益を主張することに対しては容赦なく非難し、日本の国益を害することに対しては歓迎論調である。今回石原維新の会代表に対しては『「第3極」を目指して手を握るナショナリストたち』と手厳しい。

安倍総裁の「無制限買入」に対し「ハイパーインフレになる」、「建設国債の日銀引受」に対し「財政規律を守らない、日銀引き受けは禁じ手」の反論が、白川方明・日銀総裁らからもあり、FT誌に限らず日経新聞、日欧米各メディアも一斉に同じ論調だ。

だが、建設国債買い入れ発言には、市場でオペを通じて行うことを述べたもので、直接引き受けを言ったわけではないとやや後退した発言に訂正後退している。
だが、金融政策だけではデフレを克服できないとし財政政策として200兆円規模の大型公共事業を提案するほか、日本経済がデフレ脱却に向かっていないと判断した場合には、8月に合意された消費税率の引き上げ延期を検討する考えを明らかにした。これは評価すべきと思う。

安倍総裁は円安誘導策についても言及、市場介入に消極的な姿勢を示した。介入の効果は薄く、これまで効果的でなかったと述べた。そこで円安誘導に対して日銀の国債「無制限買入」についてインフレ目標を達成するまでの間、無制限買入という意味であって、インフレ目標を突破してまでも金融緩和するはずないときちんと主張すべきだ。インフレ目標を設定している国ではハイパーインフレになっていない。

安倍総裁は経済にそれほど詳しくないのでしかたがないが・・・今回も安倍総裁も裏では消費税を増税したい財務省が糸をひいているようにしか思えない。
3%の成長をしなければ消費税増税法案は施行されない・・・
日銀引受が禁じ手であるというのは誤りである。確かにハイパーインフレを経験したドイツなどの強い意向でECB(欧州中央銀行)は禁止規定があるが、その他中央銀行の国債引受についてはFRB(米連邦準備制度)、英国のBOEは禁止規定がなく前例はあるが今やる必要はないというスタンスだ。中央銀行の国債引受は国際的に禁じ手という意見は教科書的には正解かもしれないが、建前に過ぎない。

今年度も借換債17兆円の日銀引受が行われている。借換債も建設国債を含む新発債も、条件は同じで市場では混在して取引されており、両者の区別はない。財政規律の観点から、今年度であれば日銀引受は30兆円の枠になっている。仮に建設国債5兆円を全額日銀引受としても、借換債17兆円と合わせ22兆円なので、財政規律の観点では何の問題もない。法改正なしで、若干予算修正すればできうる話だ。

日銀引受と日銀の独立に対し過剰に反応している。「戦前の日銀国債引受から戦後ハイパーインフレ」との誤った連想からだ。戦前の日銀引受は1930年代前半だ。戦後のハイパーインフレとは10年以上の間があるし、30年代後半のインフレ率は高くない。戦争で生産設備が壊滅的な打撃を受け、モノ不足でハイパーインフレになった。ハイパーインフレと日銀の国債引受は関係ない。歴史は年代を入れて正しく理解すべきだ。

冷静に考えてみれば、インフレ目標を設定している国ではハイパーインフレになっていない。仮に建設国債の日銀引受であっても、財政法の観点からいえば問題ない程度だ。2012年度発行された国債は174兆円うち建設国債は5兆円にすぎない。

日銀法の改正について「日銀法改正も視野に」とは、言っているが「日銀の独立性はきちんと確保していく」とも言っており「日銀に対して緊張感を持てということだ」というのが安倍政権の考え方だろう。

円高是正策で「官民協調外債ファンド」を創設し、基金が外債を購入することなどを検討する方針が選挙公約に盛り込まれた。資金供給手段としての外債購入とはいえ、海外からは為替介入と映る。安倍総裁発言に対しマーケットは過剰に反応している、過大な期待を織り込みだしているので、実際自民党中心の政権が出来た場合、安倍政権が期待通りでなければすぐにマーケットは失望に変質してしまうのだ。

安倍発言が無くとも、日本の経常収支が遂に赤字となり、シェールガス/オイルでエネルギー大国へ復活を果たす米国・・・自然体でも円は歴史的な高値から円安になるだろう。

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p202-205
「それが私の心だ」

日本経済新聞が「A級戦犯靖国合祀、昭和天皇が不快感」の大みだしで富田メモをスタープ報道したのは、二〇〇六年(平成十八)七月二十日である。メモの記録者である富田朝彦(一九二〇-二○○三)は警察官僚の出身、一九七四年宮内庁次長、七八年五月から昭和天皇が崩御した半年前の八八年六月まで宮内庁長官の職にあった。

残された在任中の日記とメモを未亡人が旧知の井上亮記者を通じ日経新聞へ託したのが○六年四月で、社内チームが読解に当り、半藤一利と秦(著者)の検証を経て公開した。私たちは一読して徳川元侍従長の回想録などの既存情報と符合し、「やはりそうだったのか」の思いを深め、全体として天皇の肉声を伝える第一級の歴史的記録と判定する。

とくに各方面で衝撃的な反響を呼んだのは、八八年四月二十八日に昭和天皇がA級合祀について語った部分であった。次にメモの原文をそのまま引用したい。

私は 或る時に、A級が合祀されその上松岡、白取(ママ)までも、が、
筑波は慎心に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は強い考えがあったと思うのに
親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない、それが私の心だ

 同じ紙面に私が寄せたコメントは「富田氏は政治的な動きをつつしむ気配りの人だったようだそれだけにメモの信頼性は高いと思う。昭和天皇の靖国神社不参拝問題は関係者の証言が乏しく憶測で議論が続いてきたが、今回、決定的とみられるメモが出てきたため、今後はこの〈事実〉を踏まえた議論になるだろう」というものだった。

しかし公開直後は有力な識者の間でもネガテ「多くの人は、見たいと欲する現実
しか見ない」(ユリウスーカエサル)という警句を思いだした。
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私も当初富田メモの信憑性を疑った、だが、富田メモが正しいという決定的な証拠が出た、「ト部亮吾侍従日記」である。私も富田メモを疑ったことを自己批判してする。現在は富田メモの信憑性を信じている。

p207-211
「ト部亮吾侍従日記」(朝日新聞社2007年)で、富田が天皇発言をメモした同じ日(一九八八年四月二十八日)の項に、「お召しにあったので吹上へ 長官拝謁のあと出たら靖国の戦犯合祀と中国の批判・奥野発旨のこと」と記されていた。
徳川発言説は最終的に否定されたわけである。関連して二〇〇一年七月と八月のト部日記には、ダメ押しともいえる二つの記事が見つかった。

日記の七月三十一日には「朝日の岩井記者来……靖国神社の御参拝をお取り止めになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」と、八月十五日にはその日の朝日新聞朝刊、が「陛下は、合祀を聞いた時点で参拝をやめるご意向を示されていた」という元側近談を報じたことについて、「合祀を受け人れた松平永芳は大馬鹿」と書きこんでいた。

もうひとつの新資料は、昭和天皇の作歌を指導していた歌人岡野弘彦が、○六年末に刊行した『昭和天皇御製 四季の歌』の記述である。それによると、徳川侍従長が八六年秋、持参した御製三、四十首のなかに、
この年のこの日にもまた靖国の
みやしろのことにうれひはふかし
(一九八六年八月十五日)
という歌があり「何をどう憂いていられるのか」を尋ねると、徳川は次のように答えたという。

ことはA級戦犯の合祀に関することなのです。天皇はA級戦犯が処刑された日、深く謹慎して悼みの心を表していられました。ただ、後年、その人達の魂を靖国神社へ合祀せよという意見がおこってきた時、お上はそのことに反対の考えを持っていられました。 その理由は二つあって・・・戦士した人々のみ魂を鎮める社であるのに、その性格が変ると、
もう一つは、あの幟争に関連した国との間に将来、深い禍根を残すことになるとお考えなのです……お上のお気持は、旧皇族のご出身の筑波宮司はよくご承知で、ずっと合祀を押さえてこられたのです、が……松平宮司になるとすぐ、お上のお耳に入れることもなく合祀を決行してし まいました。それからお上は、靖国神社へ参拝なさることも無くなりました。

やや舌足らずの感がなくもない富田メモの核心部分は、徳川の回想録やその後の新資料によって裏付けられ、補足されたと言えよう。すなわち昭和天皇と筑波宮司は対内、対外的配慮からA級合祀に反対であり、松平宮司は「ご内意」を知りつつ、あえて合祀を強行した。そのやり方に不快感というより怒り、嘆きを抱いた昭和天皇は、親拝の中止で翻心を期待した、が、松平に応じる気がなかったのは明らかだ。
富田メモやト部日記を通読しての推測だが、最晩年の昭和天皇がもっとも気にかけ、望んでいたのは沖縄訪問と靖国参拝の再開ではなかったかと私は思う。八八年五月二十日の富田メモにも走り書きながら、四月二十八日のメモとほぼ同主旨の天皇発言があり、参りたくても行けない悩みを富田に伝えておこうとする強い意志を感じるというのが、研究委員会メンバーの共通した見解であった。富田がメモを生前に焼却しなかったのも、昭和天皇の遺志を伝えたいと考えてのことだった可能性も捨て切れない。

十数回に及んだ富田メモの研究委員会で議論を重ねても、なかなか解釈が一致しなかったのは「親の心子知らず」のくだりだった。なにしろ最後の宮内大臣だった松平慶民の日記や資料を継嗣の永芳が焼いてしまい、宮内庁が進めている『昭和天皇紀』の編纂事業に支障を来しているくらいだから、慶民の言行、とくに「平和に強い考があった」かどうかを検証するのは容易でない。

しかし「私心が全く無く、美しい勇気を持ち、天皇の信任が厚かった」(入江相政)ことを推測させる情報は、いくつか見つかった。ひとつは一丸四六年から四八年にかけ天皇退位問題が盛んに論じられていたときの事情を、天皇が稲田周一侍従長に語った記録で、「もし退位した場合は……靖国神社の宮司にまつりあげて何かしようとしている人々もあるとの噂もあり、又摂政になると予期して……動きを見せた皇族もあるから、退位はなさらない方がよいと言ってくれたのは松平慶民言だったというのである。

退位すべきかどうか迷っていた昭和天皇は、この頃には「熟慮の上、苦難に堪え日本再建に尽す決意」を固めていたが、芦田首相をふくむ有力な退位論者は少なくなかった。慶民、が天皇の思いに沿って冷静に手を打ったようすが窺える。四八年四月には、GHQ民政局の意向を受けた芦田首相が松平と大金侍従長の同時更迭を求めるが、昭和天皇は二人とも「よく気が合う」のでと、すぐには承知せず、吉田茂(前首相)は慶民の留任を訴えた手紙をマッカーサー元帥へ送った。

後任の候補は三転、四転する。天皇と松平は小泉信三を希望したが芦田は賛成せず、候補は金森徳次郎、南原繁、堀内謙介と転々して最終的に田島道治へおちついた。
A級合祀はいっのまにか、「ゴルディアスの結び目」さながら解きがたい難題とないてしまった。それを解きほぐすカギは、まだ見つかっていないようである。

私は靖國神社の英霊達に心から感謝をしています。
しかし、A級戦犯の合祀は松平宮司が暴走した感があり、残念でなりません。
昭和天皇のお心内を考えると、松平宮司への静かな抗議が神社への参拝の停止です。

ご神体となってしまったからには今更分社化すると、禽獣国家中国・朝鮮の圧力に畏くも神国日本の神を冒涜したことを認めてしまうことになる。合祀したことは残念であるが現状維持を続けるしかないであろう。







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p179-181
 松平永芳は宮司退任直後の二〇〇二年、A級合祀(一九七八年十月十七日)を決断した経緯について、次のように述べている。

私は就任前から、「すべて日本が悪い」という「東京裁判史観」を否定しないかぎり、日本 の精神復興はできないと考えておりました。それで就任早々書類や総代会議事録を調べますと、その数年前に、総代さんのほうから「最終的にA級はどうするんだ」という質問があって、合祀は既定のこと、ただその時期が宮司預かりとなっていたんですね。

私の就任したのは五十三年七月で、十月には、年に一度の合祀祭がある。合祀するときは、昔は上奏して御裁可をいただいたのですが、今でも慣習によって上奏簿を御所へもっていく。

そういう書類をつくる関係があるので、九月の少し前でしたが、「まだ間に合うか」と係に聞いたところ、大丈夫だという。それならと千数百柱をお祀りした中に、思いきって十四柱をお入れしたわけです。

その根拠は「日本とアメリカその他が完全に戦闘状態をやめたのは、国際法上、二十七年の四月二十八日」だから、処刑されたA級は「戦闘状態のさ中に敵に殺された」も同然だとされた。

(略)いささか強引な論理であるだけに、松平も各方面からの異議や苦情が出るのを予期したのか、「思いきって」と表現している。そして、それなりの配慮も忘れていない。

第一のハードルは十月六日の総代会であったが、一九七〇年の総代会で合祀は「既定のこと」(決定ずみ)という論理で臨んだと思われる。しかも八年間に総代の多くは入れ替り、合祀推進派の青木一男が健在だったから、難なく合意が得られたのだろう。

第二のハードルは政界だったが、靖国法案が流産して復活の見通しはないと判断した松平は『中外日報』(九月七日付)で、靖国は国や政治家の世話にならず、「国民総氏子」の理念に支えられて自立する方針を明らかにしじいた、「”国営化”には否定的」の大見出しを打ったこの報道で、松平は「ゴーイング・マイウェイ」を宣言したと言えよう。

第三のハードルは宮内庁筋であったが、新祭神の上奏簿を届ける(この年は十月七日)のは「慣習」にすぎないと割り切り、異議があっても独立宗教法人の決定として押し切る覚悟だったかと思われる。
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p183-185
こうした極端な秘密主義のおかげとはいえ合祀の事実が半年も明るみに出なかったのは、ふしぎとしか言いようがないが、松平にとっては思わぬ幸運であったろう。マスコミも半年前の旧聞に属する既定事実をむし返し騒ぎたててもしかた、がない、と早々にあきらめてしまったからである。しかし長い目で見ると、松平が関係各界のコンセンサスを得るための根まわしを怠ったことは、不満と不信の種を植えつけてしまう。神社界も、その例外ではなかった。

たとえば神道界の理論的支柱とされ、筑波前宮司が青木ら総代会の合祀強硬派たちを抑えようと設置した「祭祀制度調査委員会」(一九六一-七六)の中心メンバーでもあった葦津珍彦は、七九年二月のある日、子息の泰国(『神社新報』編集長)を派遣して国民のコンセンサスを得られない「A級の独断専行による合祀」に抗議した。A級戦犯には「悲惨な敗戦へとミスリードした責任がある」という立場からだったが、松平は「国から名簿が来たら合祀する。それが筋だ」とくり返すだけであった。

だが葦津父子の動きは水面下にとどまる。公然化して神社界が分裂しかねないリスクを避けたのであろうが、同様の動きは宮内庁内部でも起きていた。徳川義寛(侍従次長、ついで(一九八五――八八年侍従長)の回想録(一九九七)から、要所を引用したい。

靖国神社の合祀者名簿は、いつもは十月に神社が出して来たものを陛ドのお手元に上げるこ とになっていたんですが、昭和五十三(一九七八)年は遅れて十一月に出して来た。
「A級戦犯の十四人を合祀した」と言う。私は「一般にもわかって問題になるのではないか」と文句を言った、が……私は東条さんら軍人で死刑になった人はともかく、松岡洋右さんのように、軍人でもなく、死刑にもならなかった人も合祀するのはおかしいのじゃないか、と言ったんです。永野修身さんも死刑になっていないけれど、まあ永野さんは軍人だから。
でも当時、「そちらの勉強不足だ」みたいな感じで言われ、押し切られた……国を危うきに至らしめたとされた人も合祀するのでは、異論も出るでしょう。筑波さんのように、慎重を期してそのまま延ばしておけばよかったんですよ。

関連して昭和天皇が亡くなられた直後の一九八九年(平成一) 一月十六日付の朝日新聞に、次のような記事が掲載されている。

イメージ 3亡き陛下は、A級戦犯が合祀された後の靖国神社へは行かれなかった。当時の侍従長だった徳川義寛参与よると、昭和五十三年秋にひそかに合祀される前、神社側から打診があり。
「そんなことをしたら陛下は行かれなくなる」と伝えたという。

徳川の二つの証言をつなぎあわせると、合祀の前に神社側から打診があり、反対の「御内意」を伝えたにもかかわらず神社は合祀を強行し、一か月後に合祀者名簿を届けてきたという経過になる。ただし打診した日、名簿を受けとった日付は不明、またやりとりの当事者が誰だったのかもはっきりしない。

これに対し、靖国神社はのちに「七日新祭神合祀ノ儀上奏並二十八日勅使御差遣申請ノタメ池田権宮司、宮内庁侍従職及掌典職へ出向ス。古河禰宜、林権禰宜随行ス」と記載されている十月七日の社務日誌(図5-I)を公開、この日に上奏文とA級をふくむ全合祀者の名簿を宮内庁へ届けたはずで、前日に総代会の了承を経ているから手続き上の過怠はないと反論する。

だが、松平永芳宮司ら一部総代の善意の暴走が昭和天皇の逆鱗に触れたのは間違いなさそうだ。

p188-191
そこで徳川説と靖国の言い分をめぐる関係者の諸説(一部は要旨)を列挙して、争点をさらにしぼってみることにしたい。

○馬場久夫談話録(二〇〇七年)
十月七日とは別に十一月頃、池田権宮司に横地主典が随行して上奏名簿を  宮内庁へ届けたと記憶する。そのさいだったか、「これでは陛下はお参りでき  なくなる」と言われたと横地から 聞いた。
その後、参龍の席で数人の神職が池田権宮司を囲んで「なぜあんなことをし  たのか」と聞くと、応待した侍従から「これで陛下はお参りに行けなくなります   が、いいんですね」と念を押され「わかっています」と答えたとのことであった。  A級合祀はいわゆる「事後承諾」だったと思う。

○林昭太郎談(二〇〇七年三月七日)
十月七日、合祀事務を担当する調査課長の私は古河調査部長とともに、池   田権宮司に随行して宮内庁へ行った。A級十四名の「昭和殉難者」は厚い表  紙をつけた別冊となっていたが、七日に持参した記憶はない。横地はおくれて  それを届けたのかもしれない。「事後承諾」説に同感する。

○岩井克己談
『侍従長の遺言』は宮内庁詰記者として親しかった私が、徳川からのヒアリン  グをまとめたものだが、神社から十月七日の社務日誌に上奏簿を届けた記   録があると抗議され、徳川からの聞きちがいかなと思って、第三刷では「十一  月」を「ふだんよりおそく」と訂正した。

○伊藤智永(毎日新聞記者)の著書
十月七日の「上奏」は合祀者名簿を提出しない目頭での方針伝達に過ぎず、  恐らくは表現も婉曲だったため、宮内庁側はA級戦犯を合祀に含める方針に  ついての単なる「打診」と受け止め、懸念を伝えて制止した。
ところが松平は、戦後の上奏は戦前のような実質的な裁可の権限を伴わな   いのをいいことに、この目頭伝達を以て「上奏」済みと主張し、A級戦犯を含   む「上奏簿」の提出は、合祀が済んだ後で行った。

○松本健一 『畏るべき昭和天皇』
A級合祀の数年後、中曽根首相は「近隣諸国の国民感情に配慮し、首相の   公式参拝を取りやめた。岩見隆夫『陛下の御質問』(一九九二)によると、富   田宮内庁長官から中曽根のもとに、「靖国の問題などの処置はきわめて適切  であった。よくやった、そういう気持ちを伝えなさいと陛下から言われておりま  す」との伝言がもたらされたという。

○富田メモの公表を受けて開催された緊急総代会(二〇〇六年七月二十八日  )における神社側の説明資料(要旨)
昭和四十五年六月の総代会で「速やかに合祀すべきだ」と青木一男氏から   提案があり、筑波宮司が「時期は慎重に考慮し、御方針に従い合祀する」と   述べた。同五十三年十月六日の総代会で、松平宮司から提案があり「一同   異存なし」と再度了承している。翌七日に宮中へ報告した。松平宮司は決して  独断と偏見で決めたのではない。総代会で何度も決めておいて、最後に宮内  庁に相談した。

さて以上のような諸証言をどう読み解くかだが、整理すると次のような複数の筋書が想定できよう。

1、十月七日に上奏文と西田中尉を筆頭者とする出身府県別の合祀予定者名簿  を宮内庁へ届けたさい、A級の十四名は、
a 出身地の府県別に分散して記載し、池田権宮司、が目頭で総代会(六日)   の決定に基づき。合祀を予定していると報告(打診)した。
b 名簿から外した。
2、宮内庁側は担当の徳川侍従次長を中心に対応に苦慮したが、総代(加藤進  、東園佐和子)からの情報もあり、松平宮司の決意が固いと察し、法的な対    抗手段がないことも考慮して、
a 静観せざるをえなかった。
b そんなことをしたら陛下は親拝しなくなると伝え、翻意を期待したが、空振り   に終った。
3、十月十七日の合祀後、松平宮司はA級の合祀に正当性を与えるため、「昭和  殉難者」というカテゴリーの新設を考案、「昭和殉難者(仮称) 一覧表」(図5  ー2)を宮内庁に届け、異議が出ないと見定めたうえ十一月二十四日に、「仮  称」を外した宮司達を発出した。そのさいA級のみを抜きだして浄書した簿冊  を届けたとすれば、「遅れて十一月に出してきた」と徳川が記憶違いした可能  性もある。




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民主党の鳩山由紀夫元首相は21日午後、党本部で野田佳彦首相と会談し、次期衆院選について「考え抜いた揚げ句、立候補しない決断をした。政界を引退し、第3の人生を歩みたい」と伝えた。首相は「決断を重く受け止める」と答えた。会談後、首相が記者団に明らかにした。
鳩山はもともと地元の支持を失い、民主党から出ても落選する可能性が高かった。

「総理経験者が落選するなんて話、あまり聞いたことがないね。もし鳩山(由紀夫)さんがそうなったら、地元の恥だから丸坊主にでもなってもらうしかない」

そう話すのは、鳩山元首相の後援会幹部の一人だ。

鳩山氏の地元は北海道9区(室蘭市、苫小牧市など)。だが選挙区内では、「落選危機」が囁かれている。

「鳩山氏の対抗馬は、リレハンメル五輪銅メダリストの堀井学氏。堀井氏はすでに9区内の登別市選出の道議会議員になっており、知名度が高い。報道各社の世論調査ではいずれも堀井氏優勢で、鳩山氏の当選確率は4割程度。つまり落選濃厚です」(地元紙記者)

首相時代を含め、数々の失言や迷走で有権者の期待を裏切り続けただけに、鳩山氏の危機は「当たり前」と言えるかもしれない。

だが、本来ならば腐ってもなんとやら。元首相がここまで追い込まれている事実が、民主党の惨状を物語っている。
日米関係、沖縄の普天間問題を解決不能なまでに破壊した責任は許せない。首相を辞めたら政界を引退する、という約束を守っておらず、政界引退ではなく1日も早く国民の前から消えてほしい。議員引退する話もどうせまた朝令暮改し、どうなることやら!どうせなら自分の星に帰ってほしいものだ!

そもそも鳩山由紀夫氏は、「日本は日本人だけのものじゃない」と発言し外国人参政権を導入して、日本人の主権を脅かす愚かで危険な人間なのだ。一番トラストミーと言っても信頼できない男である。首相引退後も、イランに出かけまんまと利用される始末。余計な発言の数々、ぶれる信念、とにかく「座敷牢」に押し込めておくべきと思っていました。

引退会見で「弱きものの声を・・・」などと偉そうなことを言っていたが、政治家として信念があるなら、無所属で出ればいいのだ!それをしないのであるなから、今回は首相経験者の落選という前代未聞の大恥をさらしたくないだけだ。

民意で落選させられるのではなく野田に追いやられたという都合がいいストリーができてしまった。穿った見方をすれば鳩山はTPPにわざと賛成しなかったのかもしれない。

 民主党は、踏み絵作戦に出た。党の政策を守ることを書面にて提出するようです。党の政策と言えば、TPPであり、消費税増税なのでしょう。 鳩山は、TPP参加に反対です。踏み絵戦略は、体のいい鳩山(北海道9区)追い出し作戦だった。民主党は農村部の切り捨てる生き残り戦略なのだろう。

民主党は都市部の支持だけで生き抜こうとしているのだろう。今後、1票の格差をなくすわけですし、今の状況と比べて、都市部での議席数が増えることになるのですから、将来を見据えての戦略かもしれない。

地方では、自民党に勝てないという分析があるので、勝てそうな場所に集中するということと思います。しかし都市部で民主党支持はいるのだろうか?いずれ消滅するでしょう。TPP参加とか、政策を語る以前に、民主党としての信用がない。民主党と聞いた段階で、信用ができない。民主党支持が15~20%とかあるらしいが・・・そんなに支持者がいるとは信じられない。

ところで鳩山の第三の人生とは何か?いやな予感がしてならない!鳩山が政界引退後・・・TVに出まくられたらたまったものではない・・・TV関係者の諸君、鳩山がTVにでていたら即チャンネルを回すからそのつもりでいてくれ。

小沢のタニマチになられても困る・・第三の人生とは中国朝鮮のエージェント業であろうか?鳩山は「雑誌ムー」か「NewSientist」の記者が向いているだろう。



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来月の総選挙を経て次期首相に就任すると目される自民党の安倍晋三総裁が大規模な追加量的緩和の可能性を示唆していることが挙げられる。

安倍氏は15日、日銀はインフレ・ターゲットを2~3%とし、そのためには無制限の金融緩和をするべきだと述べた。現在のインフレのゴールは1%であり、日銀は今年、これに向けて小刻みに債券購入枠を増やしてきた。それ以上のインフレ・ターゲットに向けて無制限に債券を購入することになれば、日本円の唯一の魅力として残っていたセーフヘイブンとしてのステータスは消え去るだろう。

さらに日本の国内総生産(GDP)は7-9月期に前年比マイナス3.5%となった。

だが、円安は日本のトップメーカーにとってありがたい話だ。ソニーやパナソニック、シャープなど、一時は民生用エレクトロニクス業界を席巻した企業はいずれも円高と世界の競争激化によって利益が打撃を受けている。

これら企業やその他の輸出業者にとって円安は再びトップの座に返り咲くチャンスを与えてくれるかもしれない。
自民党の安倍総裁は自民党として2%の物価目標をかかげ、目標の達成に向けて日銀法改正や外貨の購入基金の創設も打出した。
 さらに安倍自民総裁は、無制限の金融緩和やマイナス金利にまで言及し、金融緩和圧力を強めている。
12月16日の選挙後自民党を中心として公明党・民主党の連立政権となり安倍総理となり日銀の政策を超緩和に変えるのは間違いない。バブル崩壊後20数年間デフレスパイラルに追いこんでも何の効果のでない日銀の政策を変え日本を変えていかなければならないとの空気が現状政財界で充満しており、歴史的円高を終了させなくてはならない。
市場には中央銀行の独立性が損なわれないような政策を政治が変えるべきでないとの意見もあったが、そうした独立性が損なわれないような政策をとっていたことがデフレの解消につながらなかったことも十分注意しなければならない。
日銀の保守的な政策の維持をこれまでとってきた結果が今日の不況のもととなる円高を招いてしまったことを日銀自身も十分自覚して今後発想の転換をめざした政策をとりいれなければ日本は世界で一番遅れた先進国におちてしまう。現状こそ新しい政策を実行し、円安を推し進めるべき一番よいときが到来したのではないだろうか。
日本は地政学的に米英と政治経済を通じて同盟すべきであり反米政権は国益を損なう。日米が協調して日本の近隣諸国からバカにされないような国をこれから育てていかねばならない。日本銀行が日本の衆院選後の決定会合で一段の緩和的な政策に転換できるのかどうかが今後の一番大きなポイントであり、これが実行に移され、さらに米国で12月末までに何らかの「財政の崖」の解決策が見い出されれだろう。
米国は新しいエネルギー革命として米国主導のシェールガス時代が訪れ、シェールガスの埋蔵量の世界一の米国がガスの生産量のトップとなって再び世界をリードする時代が訪れるであろう。それまで米国はじっと我慢にたえてドル安を続け中国にドルを消費させながら再びドルを21世紀の世界の基軸通貨国としての地位を確実なものにしていく戦略か?
中国は米国からシェールガスを輸入し輸入大国、消費大国へと変身していくであろう。現状、大量の外貨蓄積を材料に世界の覇権のために資金浪費を続け、さらには最近では軍事力を世界に示すために武器の近代化を進めている。
さらに新興国を自分のテリトリーに入れるために大量の資金を投入しぱらまいている。中国の国内の近代化をすすめていくためには大量の資金が要する。さらに中国は欧州危機でユーロヘの輸出が激減し、米国も輸出国家に変身してきつつあり、日本への輸出も日本景気悪化で縮小しつつある。

中国国内では色々の悩みをかかえ政争がたえない上に国内での人心も厳しい何が起っても不思議でない状況にあり、13億人の民が居るといっても、働き手となる若者は年々減少し、労働力が不足気味で人件費のコストは年々上昇し、もはや欧米の賃金に等しい上昇となり、日本企業も安い労働力が少ないため、不採算を理由に中国を撤退し始めた。5年後の中国の姿がえがけない状況となってきた。日本も5年後には中国への輸出大国になってくるのではなかろうか。そんな時代がはやくも訪れそうだ。

11月16日衆院が解散された。今まで米国との関係をこわしてしまった民主党には米国も日本との協力関係に冷徹であって尖閣との問題にも深く関与しようとしなかった。日本の円についても日本の円を通してドル安をすすめている点についてはなんの断りも無かった。
米国のドル安政策は円の円高(日本の国力の減少につながる)によって信用危機を乗り越えたと言っても過言でない。しかし、12月に日本自民党という戦後からの盟友が戻ってきたことで流れ(米国の為替に対する考え方)が変わったようである。
 円高は2007年から続けられてきた結果、日本の企業は米国の企業のふところが富んでいくのとは正反対に企業業績は悪化し、日本の大企業は一気に業績が悪化し将来も続くことから日本経済は不況につつまれてしまう。
 これからの米国はアジア防衛のためにも日本の経済を回復をしなければならない。そのためには円安しかないとみて今回、ドル安を推進する米国も円安OKを出したようだ。今のような企業の業績悪化が続くとアジアは中国の傘下に入ってしまうとの危惧感が強まり、米国は自民政権の復活を機にドル高・円安を認めたようだ。


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「気概」損ねる人口減少

【経済教室】歴史と思想に学ぶ 猪木武徳 日経新聞2012.11.05 17面
人口の“量と質”は一国の経済水準を決める最も重要な要因である。先進工業国では人口の過半が労働力として生産活動に従事しているから、人口が潜在的な供給能力を決める第一ファクターである一方、人口は国内市場の規模を規定するため、国の有効需要を大きく左右する。人口の増加局面と減少局面の違いを経済学はどのように論じてきたのだろうか。

 経済学の分野で人口の話をする場合、まず取り上げられるべき人物はトーマス・ロバート・マルサスであろう。人口の増殖力は食糧の増加力を際限なく上回るため、人口は食物の水準以下に抑えられなければならないと論じた彼の 「人口の原理」は、当時の楽観的かつ急進的な進歩主義思想に対して向けられた論駁 (ろんばく)の書であった。

匿名で出版された初版(1798年)では、「人間の完全化と社会の無限の進歩」を唱えるウィリアム・ゴドウィンやニコラ・ド・コンドルセらに対して痛烈な批判を投げかけ、マルサスを当時の論壇の寵児(ちょうじ)とした。

  「人口の原理」は、ゴドウィンらとの論争の過程で版を重ねるたびに修正が加わり、様々な限定が付加されて論旨も複雑になった。後に、戦前の日本を含め、真のメッセージは何かに関する「マルサス論争」を生むことになる。ジョン・メイナード・ケインズは、初版の5万語から第5版の25万語まで膨れ上がった事情に対し「あとの版では(中略) 一般原理は社会学的歴史の先駆者による帰納的検証に圧倒され」 「青年の頃の、輝かしい才気と盛んな意気が消え火せている」 ( 「トーマス・ロバートーマルサス」大野忠男訳)と評した。

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需要の開拓が重要に  ケインズの懸念、日本でも

イメージ 1 その後、マルサスの人口原理に対して、資本主義体制批判の立場からカール・マルクスが展開した過剰人口論が経済学界で強い影響力を持つことになる。マルクスは、マルサスが供給面から人口過剰の問題を論じたことを徹底批判し、過剰人口は資本制生産様式に固有な現象であるとして、労働需要の面から論ずべきだと主張した。企業が機械の導入などによる省力化を進めることで失業者(産業予備軍)が生まれ、この労働力の過剰が賃金を低水準に保つ圧力になると論じたのである。

 マルサスの理論の社会的背景は現代とはかなり異なる。
そもそもマルサスの当初の論点は、貧困は神の人間創造の矛盾を示すのか、あるいは貧困はその人間が生み出した罪であるのか、というところにあった。それが人間の生存の前提としての食糧生産と人口の法則の対峙という図式に変わっていく。人口の増減を食糧生産(所得)の観点からのみ論ずる形に問題が置き換わるのである。

 だが現代では、子どもを持つか否かの選択は、所得だけに依存するわけではない。民主制の平等社会では、子どもに教育を受けさせ、立身出世への道を準備してやることが親の務めのひとつにっている。子どもを持ち、育てる費用は、マルサスの時代とは根本的に変わった。教育にかかる直接的な費用だけでなく、子どもを育てるために労働市場から退出したことによる逸失所得も大きい。従って、子どもの数は抑え、家計予算を他の目的に振り向けたかが合理的だという判断が支配的となる。

日本をはじめ世界の多くの国々で問題となっている少子化現象の背後には、こうした個人にとっての合理的な 「意図」と社会全体が生み出す「帰結」との間の齟齬(そご)が存在するのである。
 「少子化や人口減少など騒ぐような問題ではない、技術進歩が解決する」と主張する者もいる。しかしこの楽観論は理論的可能性を論じたものにすぎない。人口減少がもたらす社会の「気概」の問題を
軽視していると鋭く批判したのはケインズであった。

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 ケインズはベルサイユ講和会議を批判した「平和の経済的帰結」 (1919年)の第2章で、マルサス流の過剰人口論を展開したものの、世界経済が深刻な不況に陥った30年代に入ると人口減少の経済的な帰結を悲観的に論じるようになった。その見解は37年2月に英国の優生学協会の講演で展開された「人口減少のいくつかの経済的帰結」に要約されている。

 ケインズの論の進め方は簡単かつ具体的で説得力に富む。まず、我々の想像力は貧困で「将来は過去と似たものだ」と考えがちだが、必ずしもそうはならないと彼一流のシニカルなコメントを披露する。しかしそれでも人口動態に関しては、かなりの程度将来を見通すことができ、人口が増加の局面から減少へと転換する時期が早晩必ずやってくること、その結果、経済にいかなる影響が及ぶかは十分推論できると言うのだ。

 人は現在の状態に基づいて将来を予想するから、人口増加の局面では需要は常に想像以上に拡大し、社会にある種の楽観主義が行き渡る。資本供給に行き過ぎやミスがあっても、すぐに吸収される。それに対し、人口減少局面では需要は予想以下に低迷し、資本の過剰供給はなかなか是正されない。かくて悲観的な雰囲気が社会に充満する。

 資本需要は3つの要因に規定されることを忘れてはならないとケインズは言う。第一に人口、第二が生活水準、そして第三が資本技術である。第三の資本技術は、その生産の入り口から出口までにかかる「生産期間」を意味している。言い換えると、資本需要は、消費者の数、平均的な消費水準、平均の「生産期間」に依存すると要約できる。

 19世紀の資本投資は、交通や公共サービスなど人口要因にそれほど依存しない耐久性の高いものが多かった。ビクトリア朝の文化は、巨大な耐久物から成り立っていたとも言える。しかし30年代の発明は資本節約的なものが多くなり、人々の好みも変化が激しく、資本財がそうした消費者向けの生産に向かうようになった。その結果、技術進歩は 「生産期間」を短くするものが多くなるだけでなく、人々が裕福になると、消費の対象は生産期間の短い「サービス」に向けられるようになる。

 こう考えると、人口減少で消費者の数が減り、生産期間も短くなると、資本財への需要をかろうじて支えることができるのは、人々の消費水準の上昇だけになる。ケインズは、1860年と1913年の簡単な数値を示しながら、この期間の資本投資の約半分は人口の増加によるものであり、残り半分が高い生活水準を可能にする資本技術によってもたらされたと論じたのである。

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 この議論は何を含意するのか。ケインズは人口増加が貧困をもたらすとするマルサスの原理を必ずしも放棄したわけではない。人口の減少局面で繁栄を維持することがいかに困難かを指摘したのである。人口減少によって有効需要が低迷する結果、「失業の悪魔」 (devil U)が忍び込むというのだ。この「悪魔」はマルサスの「人口の悪魔」 (devil P)ごと同類だとケインズは言つ。「人口の悪魔」はいまや鎖でつながれたものの、人口の減少期には「失業の悪魔」が暴れ出す可能性があると警告するのである。

 ケインズはこの「悪魔」に対抗するには、所得の不平等を是正して消費を増やし、利子率を低くして生産期間が長くなるような投資を促す政策が必要だと説いた。さもないと、資本主義社会は労働など
の資源が使われないまま慢性的な不況に苦しむと考えたのだ。社会が再配分政策の方向に動かない限り、現行システムの下で自由と独立を謳歌することは困難になるというのがケインズの診断であった。

 このケインズの講演は、人口増加は資本需要と消費需要を拡大し、有効需要そのものを増加させることによって経済成長を生み出すと要約できよう。こうした人口と有効需要についての素朴な関係把握に対して、その後批判が加えられたことはいうまでもない。しかしケインズの推論が、事実の重要な一面を突いていることは間違いない。

 現下の日本の問題に照らすと、企業や投資家からすれば、人口減少で国内の有効需要が減っても、輸出で国外の市場をつかめばよいと論ずることはできる。「技術進歩かおる」 「労働力が減少しても、国際展開し海外の労働力に頼ればいい」という論理も成り立つ。

こうした議論は理論的には正しい。実際、内需の先細り懸念や円高を背景に、日本でもケインズが見ていた当時の英国と同じように海外投資が徐々に増え始めている。

 ただ、このままでは社会全体で進む「気概」の衰弱を避けるのは難しい。ケインズが唱えた公共事業による国内への投資誘導は難しいとしても、国内の投資や消費をどう掘り起こすか。金融緩和だけでは、たとえ企業が生き残ったとしても日本社会の活力は回復できないのである。
  (青山学院大学特任教授)


日本の人口論争
 戦前の日本では、人口論は経済学の主要な柱のひとつとみなされ、「理性による人間改革と生存権の確保」を標榜する社会主義者と、「私有財産制の下での結婚と家族」を前提とする反社会主義者との対立の構図が存在した。マルクス主義者、国家主義者、自由主義中間派などがマルサス論争にこぞつて参加し、過剰人口が海外移民などで解消できる限度を超えているとする立場と、 「国力強化」のための人口増加の必要を説く立場から、相互批判を展開した。

 日本の実体人口学の大成者・南亮三郎とその小樽高商時代の教え子・吉田秀夫との問で交わされた「人口の原理」をめぐる論争や緻密な原典研究も、当時の日本のマルサス研究の水準の高さを示すものである。
人口動態論は経済に留まらず国家戦略的に論ぜられるべき問題だ。
私のブログでも取り上げています。




いよいよ中国は日本のたどった道を歩みだす。人口オーナス期の到来と土地バブル崩壊、競争力の喪失=経済衰退を迎える。しかも愚かな事に大軍拡と役に立たないインフラ整備をしている。

中国は、毛沢東が支配した時代、イギリスを抜き去り世界第2位の大国となるべく大躍進政策を計画した、経済政策は失敗したが、人口は爆発的に増えてしまった。
その結果、1970年代中国は年に1700万人からの人口が増える人口爆発状態となってしまった。そして1979年鄧小平は4つの近代化を実現すべく、1980年党中央委員会と国務院が人口計画育成法、所謂一人っ子政策を始めた。

中国政府は、総人口のピークを15億人前後に抑え、その後、緩やかに減少していくように出生率を2・1以下に安定させるとしている。

中国の人ロオーナスが経済成長に与える悪影響は徐々に出始めている。国連や世界銀行の統計では、中国の人ロオーナス期を迎えるのは2015年とされ、2020年には中国は日本同様高齢化社会へ早くも突入するのだ。

日本では1950年~1970年が典型的な人ロボーナスの時代だった。これは高度成長の時代に当たる。人ロボーナス状態だったことが日本の高度成長を支えた大きな要因の1つだったのである。労働力の伸びが成長を支え、団塊の世代をはじめ、現役勤労者層が多かったため貯蓄率も高かった。さらには高齢者も少なく、そのための負担も小さかったため、手厚い年金制度を作ることもできた。

日本はアジア諸国に先駆け、1990年頃人口ボーナス期の終了1995年以降は人ロオーナスの時代⇒出生率の低下⇒少子化の進展⇒高齢社会への移行⇒労働力人口の滅少⇒総人口の減少という順序で人口が変化してきた。貯蓄率の低下、年金・医療などをめぐって勤労世代の負担が高まり、将来不安が増大してる。今日の日本の状況は人口動態から鑑みて必然性がある。今後は後続のアジアの国々でも同じことが、ほとんど同じ順番で起きる。

政府・官僚・国会議員をいくら無能と罵倒しても容易に解決できないのである。
日本は世界を救う国家・民族であるという使命と矜持を語るリーダーが必要だ。

★日本の人口動態



【アジア各国の人口ボーナス期と終了時一人当たりGDP】
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★中国の人口動態




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イメージ 1

本書は靖國神社の祭神について書かれています。
靖國神社とは日本国を誕生させ国家の犠牲となった方々がいかなる人なのかを明らかにすることにより、国家とは何かについて考えさせられる本でした。

たとえば維新前の反乱である水戸藩の天狗党乱の武田耕雲斎や蛤御門の変で御所を攻撃した久坂玄端が祭神とされているが、西郷隆盛や白虎隊は祭神にされていない。

また、維新の元勲で朝鮮人に暗殺された伊藤博文や殉死した乃木希典も祭神ではない。戊辰戦争で後方輸送に従事していて銃弾に倒れた秋田藩の女性農夫山城美与(女性合祀1号)はじめ日清戦争の後方病院のコレラ病棟でコレラで倒れた看護婦岩崎ゆきはじめ56161柱合祀されている。

理不尽なノモンハン事件での未合祀者など、捕虜生還の例など祭神選定は問題なきとは言えない。

そして現在の靖國神社の祭神といえば所謂A級戦犯問題である・・・

A級戦犯の合祀問題は東京裁判史観の否定で肯定すべきところだが、合祀後なぜ昭和天皇が参拝中止になったか?で、我々保守側の人間はA級戦犯の合祀問題を的確に回答できない。

地政学の記事で昭和天皇は「脱亜・親米英」で一貫していたことを書きました。
なるほどと感心したのですが、日独伊三国同盟を推進し、日本を第二次世界大戦に巻き込み日本の国益を著しく害した松岡洋右や白鳥敏夫を昭和天皇が絶対許さなかった。

本書によればA級戦犯合祀以降昭和天皇が参拝しなくなった理由を、昭和天皇のご意志に反して合祀を独断で強行した松平宮司への反発説が大きな理由であったとしている。

p160-161
BC級裁判では、「命令は絶対」の時代なのに実行者が処罰され、命令者は責任逃れする例が少なくなかった。実際には実行者が将校の場合はともかく、下級兵士は極刑を免れる例が多かったが、数多い「報復裁判」のなかにはドラマのようなケースもありえたろう。無実を訴えた遺書を残す死刑囚もいたので、BC級の大多数は無実の罪を負ったらしいというイメージが広がる。
今となっては当時の捜査や判決を再検分するすべはない、が、打合せの審議では厚生省担当官の「人違いによって処刑された者が二百名ぐらいある」とか、「審査に甲乙を付することは困難」といった発言が記録されている。裏を返せば、半ば以上は妥当な判決だが、寛厳の程度に異論の余地があることを認めているともとれる。
また、大岡昇平の『ながい旅』が描いた岡田資中将(東海軍管区司令官)のような姿勢で臨んだ戦犯もいた。岡田は名古屋地区を爆撃して捕虜となった米軍飛行士たちを既定の軍律会議に付すのを省略して、司令官の判断で処刑したかどで米軍の横浜裁判にかけられる。岡田は全責任を負うと明言して部下の責任を引き受ける一方、米軍の無差別爆撃は国際法違反だと主張して「法戦」を挑み、一歩も退かなかった。その立論に検事や裁判官もたじたじとなった、が、所詮は「勝者の裁き」であり、絞首刑の判決を免れなかった。

(略)
ではどんな論理で、戦犯の合祀を正当化したのだろうか。戦争受刑者世話会の藤原銀次郎理事長は、二十八年一月十六日付の吉田首相あて請願で「ポ宣言受諾の国策に従うという公務に就いたものであり、戦争にさいし偶々執行した公務のある事項が敵によって罪に問われ……刑死者は外国の裁判で処罰されたもので国内犯罪でないことは……政府も屡々言明しているところであり、戦闘行為中に死亡した者と何ら異らない」と述べている。 のちに松平水芳宮司がA級合祀に踏み切ったさいの理由づけに似ているが、この件については靖国神社は早くから積極的で、二十九年に (以下略 )
166-167
第五章 A級合祀の日 ―― 一九七八年十月

半年後のスクープ記事

A級戦犯の合祀が各新聞に報じられたのは、合祀から半年後の一九七九年(昭和五十四)四月十九日である。スクープしたのは共同通信社の三ヶ野大典記者(編集委員)で、地方新聞など加盟紙は朝刊で報じたが、毎日、読売は夕刊掲載となった。
次に三大紙のみだしの一部を紹介しよう(傍点筆者)。
「東条元首相ら十四人 ひそかに殉難者として」「戦争肯定につながる」(朝日)
「昨秋、ひそかに 『軍国の罪ぼかすI強い反発の声』」(毎日)
「戦争責任どうなる 神社に遺族の電話次々」(読売)
十年近くもめつづけたあと流産した靖国の国家護持法案や首相の参拝をめぐって新聞の話題を賑わしてきたにしては、前年十月十七日の合祀から半年もその事実が明るみに出なかったのは奇異に思えるが、朝日と毎日が「ひそかに」と特筆したのは、その口惜しさからかもしれない。

識者や市民の反応を眺めると積極的支持は見当らず、「柔軟に考えては」とか「やむをえず認めよう」が精々で、「”戦犯の美化”こわい」「戦争責任はだれが取るのか」「内緒はよくない」のような批判的感想が多い。だからこそ神社も公表をためらったのだろう。

神社側は三紙とも藤田勝重権宮司が質疑に応じたが、「不満の人もあることから、いちいち遺族の承諾を求めるものではないと判断し、案内も出さなかった……関係者にあらぬ刺激を与えたくなかったが、無理にかくす気持ちもなかった。あくまで、まつられるべき時期にきたと思っている」(毎日)とか「仏教の世界でいう三十三回忌の過ぎた昨年、改めて(総代の)皆さんに相談、おまつりすることにした」(読売)と釈明している。
整理すると、提起された批判の論点は、
1、神社側から公表するつもりはなかった。
2、遺族へ事前の了解を求めず通知もしなかった。
3、加害者側と被害者側、がともに祀られることで、戦争責任の問題がうやむやにされる。
にしぼられる。
だが遺族には合祀の直後に通知していたから、いずれ洩れるのは必定なのに伏せておいたのは、政治やマスコミの「雑音」に惑わされず、独自路線を進もうとする松平永芳新宮司の姿勢表明だったのかもしれない。

その松平は合祀報道以後の数年はマスコミのインタビューを拒みつづけたが、スクープの立役者である三ヶ野大典記者が四月十八日に神社を訪れたときは顔を出し、「A級戦犯受難者の合祀は、私が昨年七月、宮司に着任して以来、懸案の事項だった。十四人はA級ということで、これまで見送られてきたが、時期を見て当然、まつられるべき方々と考えていた。戦後三十余年たち、なすべきことがらであるとの見地から踏み切ったことです」と語っている。後年の言動に比べると、当りさわりのない抑えた調子のコメントだが、とりあえずはマスコミの反応ぶりを自身で確めておきたいと思ったのだろう。
p173-174
 終戦直後に学習院の同級生だった高松宮の推挙で靖国神社の宮司に就任した筑波は、のびやかで開明的な気風を導入した。社報で「将来再び戦の悲しみを繰返す事なく、相たずさえて楽しき世界」を築こうとか、「我国のみはとの自己中心の幼稚なる殻にとじこもっている間、真の平和は得られぬ」と呼びかけ、平和主義、国際主義への志向を強調している。この志向は一九六〇年代に入って、一段と強まっていく。

一九六三年夏、松下正寿(クリスチャンの立教大学総長)を団長とする「核兵器禁止宗教者平和使節団」に加わり、ローマ教皇やカンタベリー天主教、さらにウ・タント国連事務総長らを歴訪して核兵器の廃絶と軍縮を訴えた筑波は、帰国すると本殿の左横に全世界の戦没者を祀る「鎮霊社」という小さな木造の社を創建、六五年七月に鎮座祭を挙行した。

不特定多数、しかも外国の戦没者を祀ることには神社内にもかなり異論が出たが、筑波の強い意向で実現したのである。翌年年頭の社報は、その主旨を「本当に平和を望むなら、かつての敵味方が手を取り合って……一般の戦争犠牲者と共に万邦の英霊をも合祀致しました」と説明、社前には「明治維新以来の戦争・事変に起因して死没し、靖国神社に合祀されぬ人々の霊を慰める為、昭和四十年七月に建立し、万邦諸国の戦没者も共に鎮斎する」(傍点筆者)という由来を記した案内札が立てられた。

「合祀されぬ人々」のなかに旧賊軍の西郷隆盛や白虎隊の少年などがふくまれているのは確実だが、保留のままになっていたA級戦犯の受け入れ先も兼ねたのではないか、という見方もある。

現在は祭神名票が届いた六六年二月から本殿に合祀された七八年十月まで、A級の霊魂は本殿内陣の相殿で待機していたというのが神社の見解だが、いずれにせよ筑波宮司は、内外の世論を刺激するであろうA級合祀への消極的姿勢を崩さなかった。

その理由を公言した証跡は見当らないが、馬場久夫(神社弘報課長)は私的な場で筑波から「お祀りはするが、時機がある。私たちが生きている間は無理だろう」と聞いたことがある。理由を尋ねると「宮内庁の関係だ」としか答えず、そのときは判じかねたが、のちになって思いあたったと回想している。

筑波自身は「戦犯という言葉は相手、が一方的に付けた方々」だから「将来当然神社にお祀り申上ぐ可きだ」と社報(一九五三年八月と五五年一月)に書いたぐらいだから、主として天皇や宮内庁の意向を汲んでの処置だったのかもしれない。
筑波藤麿宮司は昭和天皇の意向を汲みA級戦犯合祀に踏み切らなかったのだ。


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新たな常務委員7人の横顔 中国共産党の新指導部 

2012/11/15 13:13
習近平・総書記(59) Xi Jinping(シー・ジンピン) 豊富な地方経験、手腕磨く
イメージ 1 習仲勲・元副首相を父に持ち、老幹部の子弟らを指す「太子党」の有力者。文化大革命のあおりで10歳代から陝西省延川県で7年の下放生活を送った苦労人だ。「今でも困ったときは下放時代を思い出して自分を発奮させる」という。政治経験でも河北省、福建省、浙江省など各地を約25年間渡り歩いた。党幹部養成機関「中央党校」での講話では、今後の出世条件に地方で苦労した経験の豊富さを挙げた。「点滴石をうがつ」がモットー。党内出世競争ではダークホースといわれたが「焦らず、目立たず、敵をつくらず」で江沢民前国家主席ら長老の支持を得て、最高指導者の座まで上り詰めた。妻は中国で有名な軍所属の歌手、彭麗媛さん。陝西省出身。

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 李克強氏(57) Li Keqiang(リー・クォーチャン) 胡氏側近、小沢氏と縁

イメージ 7 胡錦濤国家主席の直系。同じ時期に共青団に所属し、いつも食堂で食事を共にしていた。人の悪口を言わない李氏の性格を胡氏は好んだとされる。北京大卒業後も北京大共青団に残り、1985年には小沢一郎・国民の生活が第一代表の自宅にホームステイした。99年、43歳で河南省長となった。その後、河南省トップの書記、遼寧省の書記を務めたが、行く先々で災害や事故が起き「運が悪い」との評判もある。

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 張徳江氏(66) Zhang Dejiang(ジャン・ドォージアン) 江氏系、失脚の薄氏後任
イメージ 9 3月に更迭された薄熙来・重慶市書記の後任として着任した。張徳江氏は重慶市の薄派一掃を誓ったが、実は薄氏を支えた江沢民氏の直系だ。朝鮮族が多く住む吉林省の大学で朝鮮語を学び、北朝鮮・金日成総合大に留学。江氏の1990年の北朝鮮訪問を通じて同氏と親密になり、吉林、浙江、広東省書記を経て2008年に副首相。江氏が薄氏更迭の条件として張氏の後任登用を推したとされる。趣味は音楽で、イタリア民謡を原語で歌う。           ………………………………………………………………………………

 兪正声氏(67) Yu Zhengsheng(ユー・ジョンション) 太子党、トウ一族が後ろ盾
イメージ 8 本籍は浙江省紹興。父親は初代天津市長を務めた兪啓威氏で、「太子党」の実力者だ。ハルビン軍事工程学院でミサイル技術を学び、電子工業省時代の上司が江沢民前国家主席だった。1984年に中国身障者福利基金会に副理事長として転出。同会理事長でトウ小平氏の息子、トウ樸方氏を支え、トウ一族の信任を得た。山東省煙台市長、同省青島市書記、建設相、湖北省書記を経て2007年から上海市書記を務めた。演説のうまさには定評がある。

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 劉雲山氏(65) Liu Yunshan(リウ・ユンシャン) 派閥争い折衷案で昇格
イメージ 2内モンゴル自治区でキャリアを積む。教師、新華社記者を経て、胡氏の出身母体の共産主義青年団(共青団)でも内モンゴルの副書記を経験。内モンゴルと党中央で宣伝畑を歩む。「江氏派と共青団派の双方に緩やかな形で所属したため、派閥の権力闘争の中の折衷案」(関係者)として常務委員入りした。息子の劉楽飛氏は投資ファンドの著名運営者で米誌が2011年に「アジアで最も影響力のあるビジネスリーダー25人」に選んだ。

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 王岐山氏(64) Wang Qishan(ワン・チーシャン) 党内随一の経済実務家
イメージ 3 「中国共産党で随一の経済実務家だ」。10月24日に北京の清華大学で開かれた会合。朱鎔基前首相は集合写真を撮る際、同席した王氏をこう評した。特に金融に強く、難局を乗り切る剛腕から「消火隊長」と呼ばれる。夫人は故姚依林・元副首相の娘。結婚によって党幹部の子弟グループを指す「太子党」に名を連ねた。2008年から金融・経済担当の副首相。新指導部では党員の汚職調査などを担当する党中央規律検査委員会のトップに。

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 張高麗氏(66) Zhang Gaoli(ジャン・ガオリー) 石油閥で経済界に人脈
イメージ 4 アモイ大学を1970年に卒業後、石油省の広東省茂名製油所に入り、中国石油化工集団(シノペックグループ)の茂名製油所社長を85年まで務めた石油閥。その後、広東省副省長、深セン市書記、山東省書記を経て、2007年から天津市書記を務める。深セン時代に香港の長江実業集団を率いる大富豪、李嘉誠氏と盟友関係を結び、李氏と江沢民氏の間を取り持ったといわれる。張氏の娘は「ガラス王」と呼ばれる富豪の企業家に嫁いだ。

 15日に発表された「チャイナセブン」は、張徳江・重慶市党委書記、兪正声・上海市党委書記、劉雲山・党中央宣伝部長、張高麗・天津市党委書記、江沢民一派とされる顔ぶれが多数を占める結果となった。胡主席サイドの李源潮・党中央組織部長や改革派のホープと目される汪洋・広東省党委書記の昇格はなかった。


【北京=島田学】中国共産党の新体制が15日に決まった。最高指導部である政治局常務委員の人選には江沢民前国家主席ら党長老の影がちらつき、5年後には常務委員の候補となる政治局員には胡錦濤国家主席に近い人材が多く選ばれた。権力闘争に揺れた北京の動きを追った。

新指導部の人選は、土壇場まで胡氏主導で進んでいた。イメージ 5
北京の暑い夏を避けるため、共産党首脳が集う河北省の避暑地、北戴河。8月上旬、ここで胡氏は党長老らに常務委員人事の素案を示した。李克強副首相、李源潮党組織部長、汪洋広東省党委員会書記――。胡氏と同じ共産主義青年団(共青団)の出身者で胡氏の側近でもある3人の名があったと関係者は話す。

このとき、胡氏は党総書記だけでなく、軍の事実上のトップである党軍事委員会主席からも退く意向を示す。胡氏主導で進む人選に不服だった党長老の多くも、渋々と人事案を承知した。

共産党では党老幹部の子弟らの「太子党」と共青団が勢力を二分し、水面下で綱引きを続けてきた。4月に太子党の有力者で元重慶市トップだった薄熙来氏が失脚してからは、勢力争いはさらに激しくなっていた。指導部人事がすんなり決まるはずはなかった。

9月1日夕、中国国営新華社が伝えた短い人事情報に北京が揺れた。胡氏最側近の令計画・党中央弁公庁主任(当時)が突然異動となり、息子のスキャンダルが流れ始めた。翌2日、今度は習近平氏が唐突に公の場から姿を消した。習氏の重病説が駆け巡るなか、共青団からは「胡氏が軍事委主席にとどまり、党の安定に努めるべきだ」との声が相次いだ。

胡氏が大きな影響力を持ち続けることに党長老は危機感を強める。胡氏の軍事委主席への留任を阻み、常務委員から共青団の出身者を外すべく、9月中旬から猛烈な巻き返しに出る。

9月22日、北京中心部にある国家大劇院。歌劇に興じる客席に党長老の筆頭格である江氏の姿があった。中国では引退した政治家の動静が伝わるのは異例。10月には上海海洋大学の校長と会い、存在感を誇示し始めた。

党長老の反攻で大きな役割を担ったのは江氏の元側近で太子党の有力者、曽慶紅・前国家副主席だったとされる。最終的に常務委員に選ばれた7人のうち、李副首相を除く6人までが江・曽両氏の人脈に何らかの形でつながる。11月14日、人民大会堂で開かれた党大会閉幕式。壇上には満足そうに笑みを浮かべる曽氏の姿があった。

習氏の後見役でもある曽氏は、太子党の影響力をさらに拡大するための布石も打つ。その象徴が党規律検査委員会のトップに王岐山氏を充てた人事だ。腐敗を取り締まるポストに太子党の仲間を据え、自分たちの既得権益にメスが入るのを避ける狙いとみられる。

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軍事委主席から退き、常務委員の人事でも劣勢に追い込まれたかにみえる胡氏。影響力を維持するために、党トップ25にあたる政治局員の人事を使った。

15日昼、中国国営新華社が政治局員の顔ぶれを伝え始めた。共青団出身で「ポスト習」に最も近いとされる胡春華・内モンゴル自治区党委書記の名前を見つけた共青団の関係者は胸をなで下ろした。「これで胡錦濤時代はまだ終わらない」

常務委員以外の政治局員は18人。5年後の党大会で常務委員が入れ替わるとき、後任はこの18人から選ばれる。年齢を考えると昇格する可能性があるのは11人。このうち6人を共青団の出身者が占めた。

新総書記の習氏はどう動いたのか。胡氏が大きな影響力を残すのを避けたうえ、最終的には軍事委主席にも就いた。共青団の出身者が多いとはいえ、5年後の党人事も仕切るのは習氏。党長老と胡氏の対立で「漁夫の利」を得たと映る。

「新指導部は期待に応えて使命を果たす」。15日の就任あいさつで習氏は胡氏の業績にまったく触れなかった。指導部の顔ぶれは決まったが、5年後を見据えて太子党と共青団の権力闘争は終わらない。
はっきり言って、日本や中国の拡張を警戒する諸外国にとって失望の人事だ。
事前には、団派が過半数を超えると聞いていたが・・・蓋を開けると江沢民の上海閥と太子党だらけであり、中国は世界と協調するより対決することを選んだ。
保守色を鮮明にした習近平の不遜な顔が気にいらない。小沢一郎に似た凶相をしている。
習近平は強硬な言動で2009年末に訪日した際は慣例に反する形で天皇陛下との「特例会見」を実現させ、顰蹙を買った。習近平が外交の場に出始めてから、中国の強硬な振る舞いが目立ち反日暴動のフィクサーと噂されている。
胡錦濤や温家宝首相ら「第4世代」は、日本の援助や技術の恩恵を受けた世代だが、習近平が社会に出た頃は、すでに改革・開放による高度成長期に入っており、日本や米国に対する畏怖はない。
「われわれは偉大な民族だ。5千年にわたる文明発展の歴史の中で、中華民族は人類の文明の進歩に不滅の貢献をしてきた」習近平の就任スピーチは、胡錦濤が否定した「覇権主義」であり「帝国主義」である。
中国の強固な日本嫌いから日本と中国との交易が滞り始めており当分修復の可能性はない状況となってきた。日本の最大の輸出先は数十年前と同じく中国から米国に交代する可能性が高まってきた。これは日中関係の悪化という足元の事情に留まらず中国の成長力の低下という根強い原因が中心となっている。こうした流れの変化はここ10-15年中国が日本の力を借りて経済大国第二位に成長してきたわけであるが、もはや中国は労働力の安さを利用して日本企業が製品を輸出するには相応しくない国家へと成長してしまい安い労働力は姿を消し、中国国内で生産したものを中国国内で消費する国へと成長してしまい日本の貿易相手国としては昔ほどのメリットがある国ではなくなったことにある。
中国は今までの10年の成長力の強い国から根深い成長鈍化の国になってしまったようである。日本からの輸出・入で拡大する中国という今までのイメージは日本政府の政策や日本企業の中国への戦略を再考する大切な機会になってきたようである。
 すでに米国は中国の人件費が米国の労働者を上回ってきたことから、中国の店をたたんで他の東南アジアの新興国に企業を移転したり、米国の本土に工場を移す企業が多くなり米国では輸出拡大、雇用の拡大などの効果をもたらしている状況となってきた。日本も1-2年後には中国からアジアの新興国に工場を移して生産したり、日本に再び工場を建設する動きが活発化すると思う。
習近平が目指す所得倍増計画は今までのような成長は見込めず頓挫する可能性は非常に高い!

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野田佳彦首相は14日、わずか2日後の「電撃解散」を宣言した。「近いうち解散」を約束してから3カ月。国会の党首討論で衆院解散の時期を明示する異例の展開となった。

【日程決まる】衆院選:16日解散、首相表明…12月16日投票

安倍晋三・自民党総裁「もうクリスマスセールが始まろうとしている。約束の期限は大幅に過ぎている」

党首討論の冒頭、安倍氏は笑みを浮かべながら決断を迫った。

これに対し首相は解散確約の条件として衆院の定数削減を突きつける攻勢に出た。

首相「1票の格差(是正)と定数削減も今国会中に実現する。それを約束いただければ、今日、具体的に提示させていただきたい」

あいまいな答弁を想定していた安倍氏は慌てた。首相が解散時期を提示する意向を示したのに「私の質問には全く答えていない」と批判し、格差是正を定数削減と切り離して処理するよう求めた。

「身を切る改革」で自民党との違いを訴え「追い込まれ解散」の印象を少しでも薄めようと「ばくち」を打った首相。来年の通常国会での定数削減などを迫ったうえで初めて解散時期を口にした。

首相「国民の前で約束してほしい。決断いただくなら今週末の16日に解散してもいい」

安倍氏「今、私と野田さんだけで決めていいはずはない。議論をすり替えている」

即答しない安倍氏に自民党内から「首相が解散まで踏み込んだことをまず評価すべきだ」(中堅議員)など不満の声が漏れた。

首相「後ろに区切りを付けて結論を出そう。16日に解散します。やりましょう、だから」

退路を断った首相の発言に安倍氏はようやく呼応した。

安倍氏「それ約束ですね、約束ですね、よろしいですね、よろしいですね」

電撃解散を武器に討論を優勢に進めた首相は衆院選への決意の言葉で締めくくった。

首相「覚悟のない自民党に政権は戻さない。その覚悟で頑張る」

公明党の山口那津男代表は討論後、「野田さんの政治家としての姿勢はずっと信頼していたが、きょう改めて示された」と首相の決断を高く評価した。
日本は大変な時代を迎えた。これから世界は、史上最大の激動期を迎える可能性が高い。残念ながらわれわれの人生はその真っ只中にある。

そんな時、野田と安倍のやり取りをみていて・・・・今頃になって解散するのにえらそうにする野田、動揺する安倍・・・・・・・これが与党と野党第一党の党首かと思うと悲しくなってきた。

ネット社会の進展は地球を小さくする。瞬時に情報が世界をかけめぐり、急速に世界はグローバル化し均質化している。世界中の人間と競争することを意味する。人口動態の変化等である。どれも人類の過去の歴史になかったスケールでの変動で、止めることはできない。そして、残念ながら国も企業も地域社会もわれわれを救うと言い続けるだろうが、急激にその力は失われ、守る約束は実行されない。それどころか国に至っては大きく我々の足を引っ張っている。

残念ながら、世界の中で日本の存在感は徐々に小さくなっていくだろう。もちろん天才的リーダーが出現すれば、あるいは日本の復活もあり得るかもしれない。橋下や石原可能性があっても過度な期待をしてはいけない。勿論民主、自民では残念ながら日本の凋落を止めることは避けられないとみておいた方いいかもしれない。その中でわれわれの負担は増していく。

日本の存在感の凋落とアジア新興国の台頭がこの地域のパワーバランスを変え、安全保障面でも日本を取り巻く状況は厳しさを増すと想定するのが無難だ。安全保障は軍事面だけでなく、食糧やエネルギーも現実は厳しい。

3.11の震災被害・原発事故の処理もままならないなか、中国が尖閣/沖縄を取りに動いている。とにかく大変な時代なのだ。

原発いらない?オプスレイ反対?TPP反対・・・まあ、アマちゃんなことを言ってられないのだ。日本が日本として存続することを考えるべき時代に着たのと私は思う。

国は未曾有の危機に立たされているが、野球のイチロー選手ややサッカーの香川、長友、本田選手はじめなでしこジャパンなど個人は世界に対しては決して世界に引けをとらないどころか、世界を代表している。

知力、感性、体力を総動員させて世界のひのき舞台で活躍している。世界の名門大学や研究所に比して厳しい研究環境でノーベル賞を受賞した山中伸哉教授も同様だと思う。

だが、日本は悲しいことに政治家にリーダーたる人物が存在してこなかった。日本と世界ではリーダーの力量で大きな差がある。これはリーダーを鍛える機会を教育でも政治や企業でも持ってこなかったからだ。

日本は現場の有能さで乗り切ってきたし、結果を出さない無能なリーダーを厳しく交代させるメカニズムが、内輪の和重視のカルチャーで育っていなかったことにある。

人生は準備で大きく左右されるが、これからの時代への準備はいまだかってないほど人は、開き直った時に無類の強さを見せる、人々の運命を変えていくだろう。

変化を正確に予測するのは難しいが、できる限り推測する努力がまず欠かせない。準備の鉄則は最悪を想定すること。最悪を想定することは縁起の悪いことではない。
日本人には特有の「言霊論」があり、「最悪の事態の話をしてしまうとそれが現実のものとなってしまう」と恐れてしまう傾向がある。これは最悪だ。これが最善のケースばかりを想定して作戦を作った太平洋戦争の敗因であり、最悪のケースを想定せず大きな事故を起こした福島第一原発事故の原因でもある。活断層の上だと疑われる場所に原発が建設されている事例が明らかになったが、これもこの“最悪想定毛嫌い説”を裏付ける。効果的な少子化対策が実行されなかった原因の一つこの言霊論かもしれない。

最悪を考えるのはネガティブ志向ではない。実は最悪を想定することこそがポジティブ志向の原点だと思う。人は最悪を想定して準備して初めて自信を持ってポジティブになれるのだと確信する。準備のないポジティブ思考は単なる思考停止である。

未来予測とその準備は厳しいかもしれない。しかし、これくらいの厳しさを予想して準備しておけるかどうかが運命の分かれ道だと思う。

これからグローバル化や技術の進化や高齢化で戦後に培った日本人の価値観は大きく揺らぎ、「何のために生きるのか」という哲学的問いをわれわれは自身に投げかけざるを得なくなる。

教養は、明日をも見えないと思わせるくらいの激動の時代の松明の役割をすると思っている。科学技術に対する正しい知識もそうだ。我々の世界の隅々にまで科学技術が入り込んでいる反面、我々の科学技術への理解は劣化しているのではなかろうか?反原発運動は放射能や遺伝子組み換え食品についても、科学の知識がなく感情でにはしり「正しく恐れる」ことをしていない。

だが、リーダーは危機ばかりを語ってはだめだと思う、夢と希望、そした自分達の誇りもおおいに語れるリーダーが欲しいのだ。

出でよ日本のリーダー


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[東京 8日 ロイター] 財務省が8日に発表した9月の経常収支は5036億円の黒字と、前年同月に比べて68.7%減少した。世界的な景気減速を背景に輸出が同10.5%減少するなど、貿易・サービス収支が大きく落ち込んだことが主因。

季節的な影響を除いた経常収支は1420億円の赤字と、現行統計を開始した1996年1月以来初めて赤字に転落した。

ロイターが事前に民間調査機関を対象に行った予測調査の中央値は7745億円程度の黒字。9月の黒字幅は専門家の予想より大きく減少したこととなる。

<貿易サービス収支は6カ月連続の赤字>

経常収支上の貿易収支は4713億円の赤字。欧州、中国向けを中心に輸出が1割を超える減少となる一方、原粗油など輸入が4.5%増加し、3カ月連続の赤字となった。サービス収支も2801億円の赤字と6カ月連続で赤字を計上。合算した貿易・サービス収支は7514億円の赤字となった。貿易・サービス収支の赤字も6カ月連続。

安定的な黒字を計上し続けている所得収支は、9月も1兆3098億円の黒字と前月並みの黒字額を確保。ただ、半期末にあたる9月末が週末で債券利子の受け取りなどの一部計上が翌月にずれ込んだ季節要因もあり、前年比では6.0%減少した。所得収支が前年実績を下回るのは3カ月ぶり。

<季節調整済み収支の赤字転落、旧統計では第2次石油危機以来>

財務省によると、季節的な影響を除いた経常収支が赤字に転落するのは、現行統計下で初めて。算出方法が異なる旧統計までさかのぼると、第2次石油危機の影響で原油価格が高騰した1981年3月以来のこととなる。

季節調整済みの貿易収支は9774億円の赤字、貿易・サービス収支は1兆2886億円の赤字と、ともに現行統計開始以来最大の赤字を計上した。季節調整後の貿易・サービス収支は、昨年3月から1年7カ月にわたって赤字を計上し続けている。

財務省では季節調整後の赤字転落について、貿易収支の落ち込みが主因だと分析した上で「内外経済動向など今後の動向を注視したい」と話している。

<12年度上期経常収支、上期としては過去最低の黒字幅>

同時に発表した12年度上期の経常収支は2兆7214億円の黒字と、前年同期に比べて41.3%減少した。上期の黒字幅としては、比較可能な85年以来最低。貿易収支は2兆6191億円の赤字、貿易・サービス収支は4兆2982億円の赤字と、ともに過去最大の赤字幅を記録した。

所得収支は7兆5024億円の黒字。前年同期に比べて2.1%増えた。所得収支の黒字幅は4四半期連続で拡大している。

(ロイターニュース 基太村真司)
日本は3.11後原発が停止して、原油とLNGの輸入が増加したうえに、尖閣問題等で中国への輸出が減少した。輸出産業の工場は海外に移転し、日本の貿易収支は恒常的に赤字になりつつあった。
しかしながら資本輸出こくである日本は経常収支は黒字なので為替の面では円高になるとの解釈で来た。日本の経常収支が赤字になるのは何年も先のこと、という認識が一般的だった。
ところが、9月の経常収支が季節調整済みで初の赤字となったのは衝撃を覚える。 
 経常収支が恒常的に赤字という状態が続くのであれば、ついに日本が経常収支の黒字国から赤字国になってしまったとして円安になるだろう。「投機的な円高」「ドル安」「ユーロ安」以外に、円高であることの理論的な説明がしにくくなる。 
 今後ずっと経常赤字が続けば、歴史的に振り返ったときにここを境にして為替を取り巻く環境が変わったことになり、円安への歴史的な転換点になる可能性がある。
平成24年7~9月期の実質国内総生産(GDP)が3四半期ぶりのマイナス成長に転落したのは、輸出や個人消費の落ち込みが大きい。先行きも海外経済の大幅な回復が見込めないことに加え、沖縄県・尖閣諸島をめぐる日中関係悪化の影響も懸念される。景気がさらに下ぶれすれば、日本経済が景気後退局面から抜け出せなくなる恐れもある。

輸出の不振は深刻だ。9月の貿易統計速報によると、欧州連合への輸出は前年同月比21%減、中国向けも14%縮小と悪化した。頼みの米国向けや新興国向けも伸び悩んでいる。輸出不振の影響は、国内企業の増産意欲を失わせている。民間企業の設備投資は前期比3・2%減で、リーマン・ショック後の世界経済悪化の影響が強く出た21年4~6月期の5・5%減以来の落ち込みを見せた。

雇用も製造業の新規求人数の減少が響き、9月の有効求人倍率は3年2カ月ぶりに悪化した。生産の低迷が雇用に影響し、個人消費が冷え込む悪い流れとなっている。

民間予想では、「10~12月期もマイナス成長となる可能性が高い」(SMBC日興証券の牧野潤一チーフエコノミスト)となるという見方が根強い。日本の最大の輸出先である中国は、経済の減速や日中関係悪化もあって、輸出が急回復する見通しは立っていない。米国も大型減税の失効と歳出削減が重なる「財政の崖」への懸念が残る。

輸出が回復せず、景気低迷が続けば、デフレ解消も遠のく。政府、日銀が政策を総動員し、一体となって景気後退からの脱却を急ぐ必要がある。
これでは、近いうちと言い放って空き巣のように通した消費税増税法案だがGDPがマイナスだと予定通りに消費税率を引き上げることはできない!ざまあみろ財務省!
平成24年7~9月期の実質国内総生産(GDP)が3四半期ぶりのマイナス成長に転落したのは、日本経済が内需、外需ともに失速する「負の連鎖」に陥ったためだ。
輸出不振で企業の生産活動が落ち込み、雇用や所得は悪化、消費の一段の冷え込みを招いている。先行きも、日中関係悪化の長期化や米財政問題、エコカー補助金終了の影響など「内憂外患」で景気後退が長引く心配は拭えず、政府・日銀は景気てこ入れへ政策の総動員を迫られる。
  米国で大型減税の失効と歳出の強制削減が年明けに重なる「財政の崖」と呼ばれる問題を回避できなければ、急激な緊縮財政が米経済を悪化させ、頼みの北米市場も縮小は避けられない。
気後退下で通貨(ドル)が上がるというのは金融学的にも考えられないことで、FRBは後退を阻止するため一段の追加緩和に動くため、ドルは安くなるのが当たり前である。QE3実行下では株安進行と金利低下もドル安観測を強める動きとなってしまう。現状、ドルは円に対してドル安が強まってきている。かと言ってどんどん円高は進んでいくかというとドルは円に対してほぼ80-90%のドル安の水準に達してしまって、もうこれ以上大きくドル安・円高になれない状況である。円高はほぼ限界にきており、あとは期間の問題に絞られてきた
米国のQE3が続く限りは米国の株高政策も続き、米国の富裕層から復活の印が出て、米国の産業は人件費の高まった中国への投資を避けて米国に製造業を復活させると思う。
米国は輸出倍増政策を実行するため2015年いっぱいにはゼロ金利策を進めて、ドル安を続けたいところであるが、2015年央までにはQE3を解除していかざるを得ない状況になるであろう。
 日本はここに来て経常収支の赤字が早ければ1年以内から2年の間、遅くても3年いっぱいには定着するという見方が根強い。
今回の9月のQE3という強力な通貨切り下げ策に加えて12月にオバマ再選が実施されたことで、ドルの価値はー段と弱まったと言えよう。しかし、QE3の実施で米国の景気も回復の足音が高まり始めてきた。米FRBが強力にドルの上昇を抑えたとしても、現状の米国景気の改善具合を見ていると2014年いっぱいがリミットであろう。米国の実体経済は中国の景気回復の鈍化に比例する形で実体経済は拡大していくことになろう。
本格的な円安の時代は2014年以降かもしれないが、円/ドルが70円台という今が歴史的な円の高値圏であることは間違いない、歴史は大きく舵を切りつつある。
これは私の個人的相場観です、相場取り引きによる責任はご容赦ください
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野田佳彦首相は10日午前、年内にも交渉参加を表明する方向で調整している環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)について「マニフェスト(政権公約)に書くことになると思う」と述べ、次期衆院選の政権公約に明記する考えを表明した。自民党がTPPに慎重な姿勢を示していることを踏まえ、TPPを衆院選の争点に据える方針を打ち出したといえる。福岡市内で記者団の質問に答えた。

TPPへの交渉参加を表明する時期としては、直近ではカンボジアで20日に開かれる東アジアサミット(EAS)が想定されるが、首相は「特定の時期に特定の表明をする方針は固めていない」と述べるにとどめた。

首相はTPPに加え、日中韓FTA(自由貿易協定)、「東南アジア諸国連合(ASEAN)+6」による東アジア包括的経済連携(RCEP)を「同時に追求していくのが政府の基本姿勢だ」と重ねて強調。TPPに関しては「交渉参加に向けて協議している」と説明した。

次期衆院選でTPPが自民党との対立軸になるかは言及を避けたが、「われわれの考え方を国民に示す必要がある」とした。
野田がTPPを言い出したのは純粋に選挙対策であると思う。保守派にとってTPP問題は意見をを二分する争点で大きなアキレス腱であるからだ。

野田がTPPを言い出したのは純粋に選挙対策であると思う。国益とか国家戦略は二の次で、党内合意すらできておらず民主党内では、「農業など国民生活への影響に関する国民的な議論が不十分ななかで、拙速にTPP交渉に参加することは容認できない」という意見が多数あり、野田も田中真紀子同様TPP参加表明は思いつきにすぎないのではないか?

民主党は今週、政権公約について本格的な党内論議を始め、今月中にとりまとめることにしていますが、交渉参加の方針を明確に打ち出し、選挙の争点にしようとすれば党内対立が再燃し、離党者が出ることが予想されている。ある週刊誌によれば野田がTPPを強行すれば民主党より離党者が40名出るとの記事もある。

だが、民主党が純然たる選挙の争点とする場合尖閣問題や原発・消費税より有利な戦いとなる可能性もある。民主党は左翼支持者が多数存在しているがTPP問題は保守派にとって意見を二分する問題であるからである。

でもとりあげたように、戦前より「親英米」か「大アジア主義」で国論を二分してきた。戦後保守派も大きく分け保守本流(親米保守派)と民族派(反米保守)に分かれる。民族派はTPPに反対なのは理解できますが、保守本流の中ですらTPP問題は意見を分けることになる課題です。

農村に基盤を置く自民党はTPP慎重派が多く、政府の準備不足、情報不足、国民に対する説明不足を言い訳にして、愚かにも拙速な交渉参加に反対しています。
私はこのことから自民党には改憲もTPP参加も無理な政党であると考え支持いたしません。

問題なのが第三極、維新の会とみんなの党は明確にTPP参加に積極的だが、石原慎太郎立ち上がれ日本はTPP参加に消極的である。TPPで騒げば橋下と石原が袂を分け民主には有利に働く可能性がある。TPP参加問題は野田にとって第三極を組成させずにおける可能性と、保守を分断する武器として選挙の争点としようとしているのであろう。民主党内ですら意見を纏めることができない野田がTPPを選挙の争点としても実行力を伴わないであろう。TPP参加問題を争点とするのは選挙対策の思いつきにすぎないのではないだろうか!

第一野田は、TPP交渉参加方針を表明したつもりなのかもしれないが、この決断は、あまりにも遅すぎる。この期に及んでも野田は「国益」よりも「党内対策」の為に「交渉不参加」の余地を残し、「交渉参加」とはっきり明言できない。どうせ解散後民主党は消滅するのだからマニフェストに何を取り上げるかなんて意味も無い。

TPPが提起されてから約3年間、民主党この問題を放置したあげく、この加入不加入の入口論を争点にしているおかげで、交渉参加の遅れをもたらした。TPPは参加後の交渉条件が大切である。TPPが、日本の未来の帰趨を占う国政の重要課題であったにもかかわらず、民主党政権・野田総理が、今日に至るまで態度をあいまいにし、議論の過程をブラックボックスにするなど適切な情報発信を怠ってきた。根拠に乏しいTPP反対論が広がっており国民の不安を払拭するのは困難であろう。

今頃表明しても国益を大いに失するばかりで民主党政権の責任は極めて重大である。所詮野田民主党は与党として失格であり、3年半前国民は間違った政党を政権につけてしまったのである。

私がTPP参加に賛成する理由は資源に乏しい我が国の戦後の繁栄の礎は自由主義経済・自由貿易である。グローバル化は今日の文明が滅ばない限り泣こうが喚こうが日々進展している問題である。今更鎖国をすることは困難であり非現実的である。早晩TPP問題は避けて通れないもんだいなのである。日本は、自国を世界にひらき、世界に市場を求めて成長を遂げていく道を歩むべきである。また、国際ルールを無視し、自国の利益のみを追求する姿勢を見せている中国に対し、TPPでデファクトスタンダードを作って環太平洋諸国とともに国際ルール遵守を促していかねばならない。

TPPを日本農業の抜本強化の絶好の好機とすべきである。農地法をいったん廃止し、地域で農地に関わるルール作りを定められるよう新農業法を制定することなどが適当であり、農地の大集積に向けた大胆な支援・抜本的な取組み(小さな地主・大きな小作人となるイメージ)が必要である。
他方で、日本農産品は、福島第1原発事故を受け、TPP交渉参加国の大半から科学的知見に基づかない必要以上の輸入制限措置を課せられている。こうした競争条件が対等でない状況の改善をはじめとして、政府は日本の国益に沿った交渉を行うとともに、交渉の出遅れを挽回すべく大覚悟をもって交渉するよう願うばかりです。 

 日本の国家戦略や地政学的見地、また昭和天皇のご遺訓である「脱亜」「親英米」からしてもTPPは推進すべきである。しかしながら私はTPP参加表明をした野田佳彦を支持しないし民主党は与党として失格だと思う。民主党は解散後の総選挙で大敗して解体し社会党のように消滅すべきと思います。





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三、「(第二次世界大戦の)戦争後のアジアでは、軍事的に強大な支那国の出現を阻め。  米国の〈アジアの盟邦〉は日本のみ」
p88-90 
スパイクマンの『世界政治における米国の戦略』が、戦後すぐ、邦訳されなかったのは、日本の学界・出版界に何らかの重大な問題が潜んでいるのを示唆する。その結章(全十六章の本の、僅か十六分の一)すら、今日に至るも学界が無視するのは、GHQ占領史や米国の対日外交の学問研究を歪曲する意図によろう。この結章は、米国政府に与えた絶大な影響の事実においても重要で、例えば、そこには、「中国重視か、日本重視か」に揺れる国務省に対する、スパイクマンの明快な回答がある。

スパイクマンは、戦後のアジア政策政策について、米国は「中国重視となるだろうが反対であるる、米国は軍事的に強大な支那国の出現を阻止すべきで、米国の(アジアの盟邦)としては、現在の敵国・日本を選択すべきである、と提唱したのである。

このスパイクマン提唱が、三年後の一九四五年に入ってからのクルー国務次官やスティムソン陸軍長官といった親日派の活躍の、(直接の影響を与えたわけではないが)先駆であったのは言うまでもない。

戦時中のクルーやスティムソンが残しか遺産は、戦後は一時、親中派に牛耳られた国務省の対アジア政策をふたたび揺り戻した。中道路線のマッカーサー元帥は、一九四八年頃から、GHQの対日政策を、ホイットニー/ケーディスらの”日本潰し”路線から、ドーマン/ウィロビー/カーン/パケナム/ドレーパーらの”日本再生”路線に大転換させた。戦後になっても、スパイクマンの『世界政治における米国の戦略』は、米政府部内に大きな影響を与えていた。米国の親日派(日本重視派)の系譜を図示しておこう。

「スパイクマント→グルーノ/スティムソン→ドーマンウィロビー/カーン/パケナム/ドレーパー→フォスター・ダレス」

この系譜こそが、”日本再生のトリオ”「昭和天皇/マッカーサー(ウィロビー/吉田茂)のエンジンとなった。ところでスパイクマンは、少し天才がかっているから百年先まで見えるのだろうか、二〇二〇年頃には現実となる、中共による東南アジア支配や南支那海の「制海」を予見して、今から七十年前の一九四二年、米国政府部内の親中派を、次のように牽制した。

「近代化し軍事力を増強した支那は、(シンガポール 南支邦海 海南島 フィリッピン/インドネシアの海域を指す)〈アジアの地中海〉で西側諸国(米国)に対して脅威となるだろう」仮に米英日の海軍同盟があっても)エアーパワーを有した支那は、(ハートランドのロシアに似た)その大陸的性格とあいまって、〈アジア地中海〉を制海するに至る」(注6、丸カッコ中川)。

そして、第二次世界大戦後の米国の対日政策は、敵国であったとか、日本によって米国が甚大な被害を蒙ったとかをすべて本に流して、一緒に戦った同盟国の英国に対する政策と類似の保護的なもの(a similar protective policy)であるべきだと結論する(注6)。戦後目本の外交と安全保障の要石である日米同盟の構築に、スパイクマン地政学の存在を無視してはならない。


二、昭和天皇の”ご聖断”とスパイクマン地政学
p386-391 
”ご聖断”といわれる、昭和天皇のポツダム宣言を受諾する不動のご意思は(一九四五年八月)、日本国の外交をして、四十年ほど歴史を遡らせて、ようやく小村寿太郎の明治後期と「連続」させた。小村が一九〇六年に外務大臣のポストを去って以来、四十年間も迷走・暴走を続けた日本国の外交が、GHQ権力の下にはあったが、やっと正常に回帰した。

民族系論客たちは、GHQの占領政策をことさらに難詰するが、GHQによって、日本が元来あるべき日本に、少なくともその方向への基盤を再生できた、最も根本的な現実を隠蔽する。

”日本の再生”や”日本の保守”に関心がない民族系論客たちは、その特性である感情過多の幼児性と視野狭窄と知識欠乏から、日本をもう一度亡国の奈落に突き落とそうとしている。彼らの論理は支離滅裂だし、それ以上に、亡国主義のニヒリズム病に侵され精神の錯乱に遊んでいる。

具体的には、祖国と日本国民とを「スターリンの奴隷」に売り渡した大東亜戦争という”祖国叛逆の八年間”と、主権を喪失したが日本が祖先と久々に連続し祖国日本が曲がりなりにも還ってきた”米国占領下の七年間”と、いずれが、本来のあるべき日本国との乖離が少ないか、冷静に省察してみる知力も論理力も、彼らにはまったく不在である。民族系論客の愛国心は、知の著しい欠如によって、歪で奇形的である。ために、ひたすら日本国の存立を害する極左の革命思想の蔓延を放置し助長する悪に染まっている。実際にも極左人士やKGB工作員と仲が良い。

この民族系論客の問題は、その出生の系譜を辿ると、氷解する。母親は、英米に対する植民地解放闘争のドグマを理論化した、レーニンの主著『帝国主義論』。彼らはレーニンの子宮から産まれた、極左の血をひく、その変種である。父親ははっきりしないが、宮崎?天や内田良平や頭出満らとともに、日本という国家の廃滅を目指して「大東国」を妄想した、アナーキストで。アジア主義の元祖″樽井藤吉あたりではなかろうか。共産党員を返上して幸徳秋水 大杉栄系のアナーキズムに引越しをした林房雄の『大東亜戦争肯定論』を、彼らがや典としていることは、民族系論客が”極左翼の変種″で、「保守」とは対極にあることを裏付ける。

さて、昭和天皇にのご聖断″に話を戻せば、ご聖断が、あれほど国民全体に即座に受容されかのは、ラジオ放送された昭和天皇の玉音に魂を揺さぶられたからでもあるが、それだけではなかろう゜アジア共産化/日本共産化/ソ連軍の日本全土占領/昭和天皇監禁・銃殺 (1千万~二千万人の)男性日本国民の大規模抹殺などを戦争目的とした、祖国日本を全面的に破壊しつくす”悪魔の思想″に取り憑かれた狂気の大東亜戦争から、日本国が「救済」されたことを、屈辱的な戦争の敗北を受け容れねばならない激痛の中に、意識を超えて安堵したからにほかならない。

昭和天皇は、ポツダム宣言受諾について、次のように、お述べになられている。

「私の決心は、第一に、このまゝでは日本民族は亡びて終ふ、私は赤子(国民)を保護する事ができない。……私の一身は犠牲にしても講和をせねばならぬと思った」

これが大東亜戦争の真実であるっこれに絡んで、忘れてはならない歴史事実は、本質的にレーニンの共産革命の踏襲であった大東亜戦争が、「コミンテルン三二年テーゼ」に従った天皇制廃止を目的としていたことであるご昭和天皇の監禁・殺害が本土決戦の過程で実行される手はずだったおぞましい歴史事実について、戦後、共産党系と民族系の学者・論客は、阿吽の呼吸で共謀したかのように、「検閲」して徹底封印した。むろん、稀有なほどに英邁であられた昭和天皇はこのことは、お見通しされていて、太平洋戦争の開始を裁可された時のご聖慮を自ら、次のようにご回想されている。

「私か若し(御前会議の対英米)開戦の決定に対して『ベトー(拒否、veto)』したとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証出来ない」
「それ(=私か殺害されること)は良いとしても、結局凶暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行はれ、果ては終戦も出来兼ねる始末となり、日本は亡びる事になったであらう」。

一九三六年の二・二六事件も、ロシア革命を模倣した純然たる共産革命であり、天皇殺害が最終段階では予定されていた。一九四四年春に着工された松代大本営は、昭和天皇や皇室を一網打尽に監禁する「皇室専用刑務所」であった。昭和天皇が、二・二六事件を自ら近衛師団を率いて断固として鎮圧しようとしたのは、。二・二六事件が「コミンテルン三二年テーゼ」の実行であることを熟知されておられたからである。

それはともかく、ポツダム言言とそれに続くヒロシマ原爆とが、昭和天皇の降伏決定のご意思が初めて国家の意思となる政治環境を生み出したのは、政治史における通説の通りである。なお、二度の御前会議(八月九日および十四日)で、「阿南・陸軍大臣らは、唯一の条件たる国体護持が保証されていないため反対した」との歪曲は、ソ連軍導入による天皇制廃止と日本共産化を計画していた阿南らの、国家への大叛逆行為を隠蔽するために、戦後、大々的に流された"半分嘘(half lie)、半分本当(half truth)"の偽情報テクニックに基づく歴史捏造である。

阿南惟幾・陸軍大臣らは、八月九日/十四日の御前会議で、条件「①国体護持」などどこ吹く風とばかりに、他の三条件②③④の方に力点を置き、「和平を行うとせば此の四条件は絶対なものであります」と、譲らなかった(注12)。②③①ともに、「本土決戦」という名で戦争を続行して、ソ連軍の東京入城。~日本占領を成功させるため、ポツにダム官言を拒否する屁理屈だった。
② 復員後の自主的武装解除       ’
③ 戦争犯非人の日本側での処罰
④ 連合国軍の保障占領については留保
”国体護持”は、米国主導のポツダム言言と昭和天皇のその受諾とによって達成された。一方、”国体破壊”に執念を燃やしたのは、「一億玉砕」を叫んだ阿南らの帝国陸軍、つまり日本の方だった。

降伏・終戦に直面したとき、敵の米国が「親日」、日本自身が「反日」という、なんとも絶句する倒錯が鮮明に露呈した。大東亜戦争とは、国家に叛逆した「反日」の戦争だった。

また、ポツダム宣言が天皇制度を基本的に存続させようとしているのは、読めば誰にでもすぐわかることで、ことさらに「国体護持」を叫んだのは、ポツダム宣言を拒絶する論弁であった。バーンズ国務長官の回答など、むろん不必要だった。

なお、昭和天皇は、ポツダム宣言について、「朕は確証を有す」と、天皇制度と皇室が護持されることを確信されていた。米英への強いご信頼、それが昭和天皇の、深い真正の愛国と高貴な徳性と結びついていた。

大東亜戦争の敗北の結果、当然に発生するGHQ(米国)の支配的指導と強制で、さまざまな禍根も残したが、日本は米国と緊密な外交関係を取り戻し、国益の復活を手にできたのは幸運の一語に尽きる。幣原喜重郎や吉田茂など、親米派が総理大臣となり、日本再生の道が開かれだのは事実である。これはまた、スパイクマン地政学に従った、安定的な世界秩序に不可欠な構造がつくられ、日本の安全と経済発展に寄与する基盤となった。

そして、一九五〇年六月の朝鮮戦争の勃発によって、日本は掃海部隊以外での参戦はしなかったが(注14、このとき日本の戦死は1名)、米軍の兵姑基地として三十八度線を守る実質的に韓国防衛に参画したことは、改めて日本が「北進」の外交に転じたことを意味し、それは陸奥宗光が精魂傾けた日清戦争の一部のささやかな再現となった。

このとき仮に、米国がマッカーサーの考えるとおりに、原爆を、鴨緑江以北やハバロフスク、場合によっては北京に投下して、毛沢東の中共を殲滅的に敗北させていれば、目清戦争が完全に再現されていた。

さらに、日本の主権回復にあたって、日本が米国と安全保障条約を締結し、片務的ではあれ、日米同盟が一九五二年四月に発足したことは、スパイクマン地政学が実現したのであり、日本外交が再び加藤高明/小村寿太郎の時代を回復したことになる。一国の外交の健全性回復が、他国の強制によるというのは実に情けないが、狂った外交で亡国に至るに比すれば、何か倍も歓迎すべきであるのは、言うまでもなかろう。日本の敗戦が、日本外交を、反スパイクマン系からスパイクマン系に劇的に大転回したのである。これを、人物で表徴しておこう。
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p393
 昭和天皇にとって、「マッキンダー/スパイクマン地政学」から逸脱する外交の非と逆走性は自明にすぎていたように思われる。

日本外交の「脱亜」と「親英米」路線は、昭和天皇のご遺訓である。われわれ日本国民は、未来永劫に亘り、陛下のこの聖訓を守り続けねばならない。
p392-393にかけて欠落した重要な文章は投稿に追補してあります。

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10年前に胡錦濤政権ができたとき、中国国内では「胡温新政」という言葉がはやった。政治改革の停滞と腐敗の蔓延(まんえん)が彩った「江沢民時代」がやっと終わった後、多くの人々は清新なイメージの胡錦濤・温家宝両氏に多大な期待を寄せ、新しい国家主席と首相となったこの2人が政治を刷新して明るい時代を切り開いてくれるのではないか、との希望的な観測が広がっていた。

だが蓋を開けてみれば、胡・温両氏が中国の政治をつかさどったこの10年間はむしろ、「新政」への期待が裏切られる日々の連続だった。待望の政治改革は10年にわたって一歩も進まず、「創新」よりも「守旧」の方が胡政権のモードとなったからである。

政治改革が進まなかった結果、権力と市場経済との癒着から生まれた「権貴資本主義」の利権構造が空前の規模において拡大かつ強化され、腐敗の氾濫は未曽有の新境地に達した。政権末期になると、「清廉潔白」な政治家として腐敗の一掃を期待された温家宝氏その人の身辺でさえ、巨額の不正蓄財の情報が流されるありさまだ。

「権貴資本主義」の利権構造が拡大されている中で、貧富の格差の是正と社会的対立の解消を目指した胡政権の「和諧社会(調和のとれた社会)建設」はただのかけ声だけに終わっている。胡政権成立時と比べれば、格差はむしろ数倍以上に拡大している観がある。

人民日報系の雑誌「人民論壇」が今年10月に実施した意識調査で、回答者の70%が「特権階級の腐敗は深刻」とし、87%が特権乱用に対して「恨み」の感情を抱いていると回答したことは前回の本欄でも紹介した。それはまさに「和諧社会建設」の失敗に対する現実からの嘲笑であろう。

貧富の格差が極端に拡大し「特権階級」に対する人々の「恨み」が増大すると、社会的不安はますます高まってくるものだ。全国で発生した暴動などの集団的抗議活動が年間9万件に上ったのは胡政権中盤の2006年のことだったが、政権末期の11年になると、暴動・騒動事件の発生件数が18万件を超えた。さすがの「胡温新政」、ただの5年間で「国民所得倍増」ならぬ「国民暴動倍増」を見事に実現させたのである。

胡錦濤政権はその成立した日から、「維穏」、すなわち「社会的安定維持」を最重要課題にして国政の運営を行ってきたが、上述の「暴動倍増」の数字によっても示されているように、政権が「維穏」に熱を入れれば入れるほど社会的不安はむしろ高まってきている。揚げ句の果てには、胡政権最後の年である今年の国家予算に計上された「治安維持費」は当年度の国防費を上回る巨額となったほど、中国社会は完全に乱れている。

こうしてみると、過去の10年間にわたって、胡錦濤政権が推進してきた諸政策はほとんどが失敗に終わってしまい、いわば「胡温新政」たるものは、単なる黄粱一炊(こうりょういっすい)の夢に過ぎなかった。そして、10年間にわたる胡政権の失敗と不作為の結果、中国社会全体はかつてないほどの危機にひんしているのである。

今年9月、「中国経済学界の良心」と呼ばれている著名学者の呉敬●氏が「中国の経済・社会の矛盾はすでに臨界点に達している」と警告を発したことは、まさに「中国の危機」に対する知識人たちの現状認識を代弁したものであろう。

危機打開の難題は結局、胡・温の後の新政権に委ねられることになる。ちょうど今日開かれる党大会で誕生する予定の習近平政権には果たして危機脱出の妙案があるのか。お手並み拝見である。

中国揺さぶる「資本逃避」共産党支配“負の副産物”

中国共産党全国大会が8日から北京で始まった。習近平新総書記体制をさっそく揺さぶるのが資本逃避問題である。中国は厳しくカネの出入りを規制しているが、党の既得権者たちにとってはザルも同然、巨額の資金を自在に動かす。大半は「熱銭=ホットマネー」と呼ぶ投機資金である。

カネに色はないが、熱銭はあらかた推計できる。貿易収支などの合法資金と、非合法の流入資金が外貨準備を構成する。そこで外準の増加額から合法資金流入額を差し引いて作成したのがグラフである。

中国の株式市場が活気を帯びてきた2003年ごろから投機資金が中国本土に流れ込むようになった。その後、上海株価の急落とともに流入額は激減した。08年9月のリーマン・ショック後の09年3月には逆に約2000億ドル(16兆円)の資金が海外に流出した。流入に転じたのは09年後半からである。ピーク時の11年6月には実に4100億ドル(32兆8000億円)以上もなだれこんだ。

その背景は、不動産バブルである。バブルが崩壊局面に転じると、熱銭は逃げ出した。今年9月時点での年間ベースの流出額は2300億ドル(18兆4000億円)以上、中国の国内総生産(GDP)比で3%以上と推計される。

米欧のアナリストたちはこの程度の資本逃避は中国経済への打撃要因とはみていない。アジア通貨危機の際にGDPの23%の資本逃避が起き、スハルト政権が崩壊したインドネシアに比べるとたいしたことはない、というわけだが、楽観的すぎよう。

資本逃避は共産党支配体制の負の副産物である。ニューヨーク・タイムズ紙は10月26日付で温家宝首相一族が海外を中心に約27億ドル(約2160億円)もの巨額不正蓄財があると暴露した。北京はネットでのアクセスを遮断すると同時に、温家宝一族の弁護士を通じて否定声明を出した。中国の党幹部が海外メディアで同種のスキャンダルを報じられた場合、通常は無視する。不正確な噂話が多いのでほっとけ、というわけだ。今回はムキになっているので、かえって「報道は正しい」と知り合いの中国人は言う。

温氏にとどまらない。夫人の英国人殺害事件のために失脚した薄煕来元重慶市党書記の場合、夫人がためた海外資産は約1000億円という情報がネットで流れている。夫人の裁判は非公開で、しかも不正蓄財問題を素通りし、もっぱら殺人案件に絞った。海外への資金流しが問題なら、党幹部はみんな同罪だ。

党幹部は海外に一族や子弟を住まわせ、国内の特権を利用して荒稼ぎした富を海外で運用するケースが多い。習近平氏自身、娘はハーバード大学に留学、一族の多くは海外で市民権を得た上で、中国国内でビジネス活動している。労働者の低賃金労働をもとに蓄積された資本を、共産党幹部が国外に持ち出し、国内では貧富の格差が広がる。資本逃避は中国共産党体制崩壊の序奏なのだ。(産経新聞特別記者・田村秀男)

8日から北京で始まった中国共産党の第18回党大会で、胡錦濤体制から習近平体制による新最高指導部が始動する。

現在の中国共産党内には2つの大きな派閥がある。共青団派と太子党で、それらの政治思想は若干異なっている。

共青団派のトップは胡錦濤氏で、共産主義青年団の出身者を中心に構成されている。政策的には格差是正で大衆主義だ。

一方、太子党のトップは習近平氏で、中国共産党のエリートたちの子息が中心。政策的には格差容認で既得権を守る。こうした背景があっての政権交代なので、大会前に権力闘争が激化するのも納得がいく。

胡錦濤体制での温家宝首相の一族の秘密資産暴露報道はその権力闘争の結果であろう。最近の尖閣列島をめぐる反日デモも、習近平側が生ぬるい胡錦濤側を攻撃しているという見方すらある。

日本との関係では、当分の間、体制が安定するまでは厳しく当たってくるだろう。中国に進出している日系企業は安心できない状態が続くだろう。なにしろ反日デモも誘導できるほどの習近平体制なのだ。

それに、胡錦濤体制を批判するために、過去対中進出した企業が行ってきたことをほじくり返す恐れがある。例えば、対中進出後に日系企業が受けた許認可や課税上の扱いが「優遇」とされ、遡及(そきゅう)的に懲罰を受ける可能性もある。

習近平氏は太子党のトップであるが、沿海部の福建省や浙江省の党要職を務め頭角を現してきた。その地域は国内大手輸出企業が集まり人民元は安くしておくことが既得権を守ることになる。

このため、為替コントロールをしておかないと、国内基盤が揺らぐ恐れがあり、人民元の変動相場制への移行はできるだけ遅らせたいだろう。

その一方、為替管理を強化すれば、国内に過剰流動性が供給され、国内の金融政策が効かずに、インフレ傾向になる。前の胡錦濤体制では、インフレが格差を生むので、その抑制にも目配りがあって金融政策の自由度はそれなりに確保されていた。その結果、人民元レートは一定の弾力化が行われ、資産バブルもそれなりに管理されバブル崩壊も一歩手前で回避されてきた。

ところが、9月28日の本コラムで指摘したように、胡錦濤体制が末期を迎えた今、2年以内で不動産市場が崩壊の危機にある。これは、胡錦濤体制から習近平体制への「負の遺産=時限爆弾」である。習近平体制になって、人民元を固定化させようと思えば思うほど、この時限爆弾が破裂する可能性は高まる。

一方、さらに人民元を弾力化して、金融政策の自由度を高めようとすれば、今度は、習近平体制の既得権層に打撃を与えて、政権基盤が弱くなる。

こうした中で、日本の政局で安倍自民や石原新党という保守勢力の台頭があると、中国国内で強い立場を演じるために反日デモや無謀な尖閣諸島への挑発が頻発する可能性もある。 (元内閣参事官 高橋洋一)
10年に一度の中国の指導部交代が行われる。胡錦濤から習近平へと、共産党総書記のポストが引き継がれる。指導部人事をめぐり、各勢力の人事抗争が直前まで続いていたようだが、15日からの党中央委員会第1回全体会議で、今までの権力闘争の狙い目となった政治局員と政治局常務委員の構成が明らかになる。

党大会直前にリークされた温家宝首相一族の不正蓄財が報道は江沢民と周永康(政法委書記)のリークだそうだ。上海閥=江沢民一派は最後の抵抗を示した。

党内の権力闘争が激化するかたわら、中国経済は経済成長の鈍化や不動産のバブル崩壊、環境問題、日々深刻化する課題に直面している。これらの問題で国民の不満がくすぶり、抗議活動の激増は今や共産党の支配体制の存続まで脅かしている。

そのなかで、共産党最高指導部入りも取り沙汰されている汪洋広東省党委書記が9日、「日本政府が適切な対応を取れば、友好は期待できる」と日中関係の改善に期待を示した。これは、日本に対する和平の呼びかけではなく、中国の老獪な外交と考えるべきだと思う。世界中のマネーが中国から逃避する中、日本マネーに頼らなくてはならない現実も少しは見えての発言かもしれないが、日本が尖閣に対する対応を緩めた途端ちゃぶ台返しで裏切られることは目に見えている。

中国のいい時期は過ぎた、中国経済はそれだけ追い詰められているのだ
不動産市場は崩壊の危機にある。貧富の格差の是正と社会的対立の解消を目指した胡政権の「和諧社会(調和のとれた社会)建設」はただのかけ声だけに終わりった。労働者の低賃金労働をもとに蓄積された資本を、共産党幹部が国外に持ち出し、国内では貧富の格差が広がった為、胡政権成立時と比べれば、格差はむしろ数倍以上に拡大している。今後太子党の習近平政権が格差是正を掲げようとも、共産党の既得権益を放棄するとはありえないので説得力はまるでない。

最近の中国の軍事力の増強ぶりは異常とも言えます。しかし1970年代後半から80年代初頭ソ連の軍事拡大と重なって見えます。過剰に増大した軍は巨大な金喰い虫であり膨張した軍を支えきれなくなったのもソビエト崩壊の一因でもあった。

経済に変調をきたしだした中国が膨大な軍事力を今後も維持拡大していくことは困難と私は思います。ましてや超金喰い虫の空母を何隻も建造し維持することは当面できないでしょう。中国の人口構成も今後急速に高齢化が進むと懸念されており、今回の共産党大会は中国共産党体制崩壊の序奏が始まったような気がしてなりません。





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