イラストレーターの安西水丸さん死去 71歳、執筆中に倒れる
2014.3.24 14:52 [msn産経]
イラストレーターで作家の安西水丸(あんざい・みずまる、本名・渡辺昇=わたなべ・のぼる)さんが19日午後9時7分、脳出血のため神奈川県鎌倉市の病院で死去した。71歳。葬儀は親族のみで済ませた。喪主は妻、満寿美(ますみ)さん。後日、お別れの会を開く予定。 http://sankei.jp.msn.com/images/news/140324/art14032414560002-n1.jpg
昭和17年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒業。電通や平凡社勤務を経てフリーに。繊細で優しいタッチのイラストで人気を集めた。作家の村上春樹さんと親交が深く、共著に「村上朝日堂」「ランゲルハンス島の午後」などがある。文筆家としても小説やエッセー、翻訳など多方面で活躍。主な作品に絵本「がたん ごとん がたん ごとん」、小説「バードの妹」「メランコリー・ララバイ」など。
17日午後、鎌倉市内の自宅で執筆中に倒れ、救急車で病院に運ばれ治療中だった。
先週月曜日の日経新聞朝刊の訃報に「安西水丸」の文字を見た時には驚きました。
私は小説家でありエッセイスト村上春樹のファンであります。ということは、必然的にイラストレーターの安西水丸さんのファンでもあるということになります。
70年代末~80年代サブカルチャーの隆盛で、キラ星のごとく次々とヘタウマイラストレーターが登場した。矢吹信彦、湯村輝彦、渡辺和博、安斎肇、みうらじゅん・・・・
そして安西水丸さんである。
最初に水丸さんのイラストに遭遇したのは「村上朝日堂」である。何冊も村上春樹の本を読みすすめていくうちに、春樹さんのエッセイと水丸さんのイラストがセットとなって重なり、二人のパーソナルも重なっていき・・・あの独特なゆるーい世界観、「春樹-水丸ワールド」が好きだった。
村上春樹の作品において安西水丸さんの存在は非常に大きく、村上作品にはなくてはならない存在だったと思います。もし、安西水丸さんと村上春樹さんが出逢わなければ、村上春樹作品はここまで成功しただろうか?少なくとも村上作品の印象は今とは少し違っていたことは間違いない。村上春樹と安西水丸さんのコンビで新しい本がもう読めないと思うととても寂しい。
昨年末には大滝詠一氏も亡くなってしまい、自分の青春時代のヒーローが若くして次々鬼籍に入っていくのはどこか寂しい・・・気がつけば寂しいを連発してしまっている ・・・・
村上朝日堂より
「豆腐」について(1)
このコラムはずうっと安西水丸さんに絵を描いてもらっているわけだけれど、僕としては一度でいいから安西さんにものすごくむずかしいテーマで絵を描かそうとずいぶん試みてきたつもりである。
しかしできてきた絵を見ると、まるで苦労のあとというものが見うけられない。いくら苦労を見せないのがプロといわれても、少しくらいは「弱った・困った」という目にあわせて楽しんでみたいと思うのが人情である。
だからこのあいだなんか、「食堂車でビーフーカツレツを食べるロンメル将軍」というテーマで文章を書いてみたのだけれど、ちゃんとビーフーカツレツを食べている、ロンメル将軍のさし絵がついてきた。
それで僕は考えたのだけれど、結局のところ、むずかしいテーマを出そうかと思うから、僕は永遠に安西水丸を困らせることができないのである。
たとえば「タコと大ムカデのとっくみあい」とか「髭を剃っているカールーマルクスをあたたかく見守っているエングルス」なんていったテーマを出したって、安西画伯はきっと軽くクリアしちゃうに違いない。
それではどうすればいいか? どうすれば安西水丸を困らせることができるか? 答はひとつしかない。単純性である。たとえば豆腐とかね。
新宿の酒場にとてもおいしい豆腐を出すところがあって、僕はそこにつれていってもらった時、あまりのおいしさに豆腐を四丁たてつづけに食べてしまった。
しょうゆとか薬味とか、そういうものは一切かけずに、ただまっ白なつるりとしたやつをべろっと食べちゃうわけである。本当においしい豆腐というのは余計な味つけをする必要なんてなにもない。英語でいうとsimple as it must beというのかな。
これは中野の豆腐屋さんが料理屋向けに作っている豆腐ということだが、最近はおいしい豆腐がめっきりと減ってしまった。自動車輸出もいいけど、おいしい豆腐を減らすような国家構造は本質的に歪んでいると僕は思う。
「豆腐」について(2)
安西水丸氏を絵柄の単純さで困らせるために豆腐の話をつづける。
僕は実をいうと熱狂的に豆腐が好きである。ビールと豆腐とトマトと枝豆とかつおのたたき(関西だとはもなんかがいい)でもあれば、夏の夕方はもう極楽である。
冬は湯どうふ、あげだし、おでんの焼き豆腐と、とにかく春夏秋冬一目二丁は豆腐を食べる。うちは今のところ米飯を食べないから、実質的に豆腐が主食のようなものである。
だから友だちなんかが家に来て夕食を出すと、みんな「これが食事!」と絶句する。ビールとサラダと豆腐と白身の魚と味噌汁で終っちやうわけだからね。しかし食生活というのは結局のところ慣れであって、こういうのを食べつけていると、これが当然というかんじになってきて、普通の食事をとると胃が重くなってしまう。
うちの近所には手づくりのなかなかおいしい豆腐屋があって、とても重宝していた。昼前に家を出て、本屋か貸しレコード屋かゲームセンターに行き、そば屋かスパゲティー屋で昼食をとり、夕食の買物をして、最後に豆腐を買って帰るというのが僕の日課であった。
おいしい一旦腐を食べるためのコツは三つある。まずひとつはきちんとした豆腐屋で豆腐を買うこと(スーパーは駄目)、もうひとつは家に帰ったらすぐに水をはったボウルに移しかえて冷蔵庫にしまうこと、最後に買ったその日のうちに食べちゃうことである。だから豆腐屋というのは必ず近所になくてはならないのである。遠くだといちいちこまめに買いにいくことができないからね。
ところがある日僕がいつものように散歩のついでに豆腐屋に寄ってみると、シャッターが下りていて、「貸店舗」という紙が貼ってあった。
いつもにこにこと愛想のよかった豆腐屋一家は突然店を閉めて、どこかに去ってしまったのである。これからの僕の豆腐生活はいったいどうなるのだろうか?
安西さんと村上春樹氏の最初の仕事は短編集「中国行きスローボート」表紙だそうです。以下wikiよりお二人のお仕事の数々を引用します。
表紙の絵について安西はこう述べている。「ぼくはいつもの絵の中で、いちばん強い印象があると思っている線をはずしてみた。絵柄は皿にのった二つの西洋梨にした。見つめているとだんだん見えてくるような絵になったらいいと思った。」(『群像日本の作家 26 村上春樹』 安西水丸「村上春樹さんについてのいろいろ」)
- 象工場のハッピーエンド 村上春樹文,安西水丸絵 CBS・ソニー出版, 1983.12
- 村上朝日堂 村上春樹,安西水丸 若林出版企画, 1984.7
- ランゲルハンス島の午後 村上春樹文,安西水丸絵 光文社, 1986.11
- 村上朝日堂の逆襲 村上春樹,安西水丸 朝日新聞社, 1986.6
- 日出る国の工場 村上春樹,安西水丸 平凡社, 1987.4
- 村上朝日堂はいほー! 文化出版局,1989.5
- 夜のくもざる 村上春樹,安西水丸 平凡社, 1995.6
- うずまき猫のみつけかた 村上春樹,安西水丸 新潮社,1996.5
- 村上朝日堂はいかにして鍛えられたか 村上春樹,安西水丸 朝日新聞社, 1997.6
- CD-ROM版村上朝日堂 夢のサーフシティー 村上春樹,安西水丸 朝日新聞社, 1998.7
- ふわふわ 村上春樹,安西水丸 講談社, 1998.6
- CD-ROM版村上朝日堂 スメルジャコフ対織田信長家臣団 村上春樹,安西水丸 朝日新聞社, 2001.4
- 少年カフカ 村上春樹,安西水丸 新潮社, 2003.6
- 村上かるた うさぎおいしーフランス人 村上春樹,安西水丸 文藝春秋, 2007.3
安西の本名である「渡辺昇」が村上春樹の小説に使われたのは以下の7作品。「象の消滅」、「ファミリー・アフェア」、「双子と沈んだ大陸」、「ねじまき鳥と火曜日の女たち」、そしてショートショート集『夜のくもざる』に収められた「鉛筆削り (あるいは幸運としての渡辺昇①)」、「タイム・マシーン (あるいは幸運としての渡辺昇②)」、「タコ」。