米国連邦議会上下両院合同会議における安倍内閣総理大臣演説
【首相官邸】平成27年4月29日
議長、副大統領、上院議員、下院議員の皆様、ゲストと、すべての皆様、
1957年6月、日本の総理大臣としてこの演台に立った私の祖父、岸信介は、次のように述べて演説を始めました。
「日本が、世界の自由主義国と提携しているのも、民主主義の原則と理想を確信しているからであります」。以来58年、このたびは上下両院合同会議に日本国総理として初めてお話する機会を与えられましたことを、光栄に存じます。お招きに、感謝申し上げます。
申し上げたいことはたくさんあります。でも、「フィリバスター」をする意図、能力ともに、ありません。
皆様を前にして胸中を去来しますのは、日本が大使としてお迎えした偉大な議会人のお名前です。
マイク・マンスフィールド、ウォルター・モンデール、トム・フォーリー、そしてハワード・ベイカー。
民主主義の輝くチャンピオンを大使として送って下さいましたことを、日本国民を代表して、感謝申し上げます。
キャロライン・ケネディ大使も、米国民主主義の伝統を体現する方です。大使の活躍に、感謝申し上げます。
私ども、残念に思いますのは、ダニエル・イノウエ上院議員がこの場においでにならないことです。日系アメリカ人の栄誉とその達成を、一身に象徴された方でした。
私個人とアメリカとの出会いは、カリフォルニアで過ごした学生時代にさかのぼります。
家に住まわせてくれたのは、キャサリン・デル-フランシア夫人。寡婦でした。亡くした夫のことを、いつもこう言いました、「ゲイリー・クーパーより男前だったのよ」と。心から信じていたようです。
ギャラリーに、私の妻、昭恵がいます。彼女が日頃、私のことをどう言っているのかはあえて聞かないことにします。
デル-フランシア夫人のイタリア料理は、世界一。彼女の明るさと親切は、たくさんの人をひきつけました。その人たちがなんと多様なこと。「アメリカは、すごい国だ」。驚いたものです。
のち、鉄鋼メーカーに就職した私は、ニューヨーク勤務の機会を与えられました。
上下関係にとらわれない実力主義。地位や長幼の差に関わりなく意見を戦わせ、正しい見方なら躊躇なく採用する。この文化に毒されたのか、やがて政治家になったら、先輩大物議員たちに、アベは生意気だと随分言われました。
私の苗字ですが、「エイブ」ではありません。アメリカの方に時たまそう呼ばれると、悪い気はしません。民主政治の基礎を、日本人は、近代化を始めてこのかた、ゲティスバーグ演説の有名な一節に求めてきたからです。農民大工の息子が大統領になれる、そういう国があることは、19世紀後半の日本を、民主主義に開眼させました。
日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした。出会いは150年以上前にさかのぼり、年季を経ています。
先刻私は、第二次大戦メモリアルを訪れました。神殿を思わせる、静謐な場所でした。耳朶を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。
一角にフリーダム・ウォールというものがあって、壁面には金色の、4000個を超す星が埋め込まれている。その星一つ、ひとつが、斃れた兵士100人分の命を表すと聞いたとき、私を戦慄が襲いました。
金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません。しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの若者の、痛み、悲しみが宿っている。家族への愛も。真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました。
親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの、哀悼を捧げます。
みなさま、いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中将がお座りです。70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸した方です。
近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。こう、仰っています。「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでもない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ」。
もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のお祖父さんこそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。
熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました。スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。ほんとうに、ありがとうございました。
戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません。
アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため、力を惜しんではならない。自らに言い聞かせ、歩んできました。この歩みを、私は、誇りに思います。
焦土と化した日本に、子ども達の飲むミルク、身につけるセーターが、毎月毎月、米国の市民から届きました。山羊も、2,036頭、やってきました。
米国が自らの市場を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦後経済システムによって、最も早くから、最大の便益を得たのは、日本です。
下って1980年代以降、韓国が、台湾が、ASEAN諸国が、やがて中国が勃興します。今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えました。一方米国で、日本は外国勢として2位、英国に次ぐ数の雇用を作り出しました。
こうして米国が、次いで日本が育てたものは、繁栄です。そして繁栄こそは、平和の苗床です。日本と米国がリードし、生い立ちの異なるアジア太平洋諸国に、いかなる国の恣意的な思惑にも左右されない、フェアで、ダイナミックで、持続可能な市場をつくりあげなければなりません。
太平洋の市場では、知的財産がフリーライドされてはなりません。過酷な労働や、環境への負荷も見逃すわけにはいかない。許さずしてこそ、自由、民主主義、法の支配、私たちが奉じる共通の価値を、世界に広め、根づかせていくことができます。その営為こそが、TPPにほかなりません。しかもTPPには、単なる経済的利益を超えた、長期的な、安全保障上の大きな意義があることを、忘れてはなりません。
経済規模で、世界の4割、貿易量で、世界の3分の1を占める一円に、私達の子や、孫のために、永続的な「平和と繁栄の地域」をつくりあげていかなければなりません。
日米間の交渉は、出口がすぐそこに見えています。米国と、日本のリーダーシップで、TPPを一緒に成し遂げましょう。
実は、いまだから言えることがあります。
20年以上前、GATT農業分野交渉の頃です。血気盛んな若手議員だった私は、農業の開放に反対の立場をとり、農家の代表と一緒に、国会前で抗議活動をしました。ところがこの20年、日本の農業は衰えました。農民の平均年齢は10歳上がり、いまや66歳を超えました。日本の農業は、岐路にある。生き残るには、いま、変わらなければなりません。
私たちは、長年続いた農業政策の大改革に立ち向かっています。60年も変わらずにきた農業協同組合の仕組みを、抜本的に改めます。
世界標準に則って、コーポレート・ガバナンスを強めました。医療・エネルギーなどの分野で、岩盤のように固い規制を、私自身が槍の穂先となりこじあけてきました。
人口減少を反転させるには、何でもやるつもりです。女性に力をつけ、もっと活躍してもらうため、古くからの慣習を改めようとしています。
日本はいま、「クォンタム・リープ(量子的飛躍)」のさなかにあります。
親愛なる、上院、下院議員の皆様、どうぞ、日本へ来て、改革の精神と速度を取り戻した新しい日本を見てください。日本は、どんな改革からも逃げません。ただ前だけを見て構造改革を進める。この道のほか、道なし。確信しています。
親愛なる、同僚の皆様、戦後世界の平和と安全は、アメリカのリーダーシップなくして、ありえませんでした。省みて私が心から良かったと思うのは、かつての日本が、明確な道を選んだことです。その道こそは、冒頭、祖父の言葉にあったとおり、米国と組み、西側世界の一員となる選択にほかなりませんでした。日本は、米国、そして志を共にする民主主義諸国とともに、最後には冷戦に勝利しました。
この道が、日本を成長させ、繁栄させました。そして今も、この道しかありません。
私たちは、アジア太平洋地域の平和と安全のため、米国の「リバランス」を支持します。徹頭徹尾支持するということを、ここに明言します。日本は豪州、インドと、戦略的な関係を深めました。ASEANの国々や韓国と、多面にわたる協力を深めていきます。
日米同盟を基軸とし、これらの仲間が加わると、私たちの地域は格段に安定します。
日本は、将来における戦略的拠点の一つとして期待されるグアム基地整備事業に、28億ドルまで資金協力を実施します。
アジアの海について、私がいう3つの原則をここで強調させてください。
第一に、国家が何か主張をするときは、国際法にもとづいてなすこと。
第二に、武力や威嚇は、自己の主張のため用いないこと。
そして第三に、紛争の解決は、あくまで平和的手段によること。
太平洋から、インド洋にかけての広い海を、自由で、法の支配が貫徹する平和の海にしなければなりません。そのためにこそ、日米同盟を強くしなくてはなりません。私達には、その責任があります。
日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。実現のあかつき、日本は、危機の程度に応じ、切れ目のない対応が、はるかによくできるようになります。
この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同盟は、より一層堅固になります。それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう。戦後、初めての大改革です。この夏までに、成就させます。ここで皆様にご報告したいことがあります。一昨日、ケリー国務長官、カーター国防長官は、私たちの岸田外相、中谷防衛相と会って、協議をしました。
いま申し上げた法整備を前提として、日米がそのもてる力をよく合わせられるようにする仕組みができました。一層確実な平和を築くのに必要な枠組みです。それこそが、日米防衛協力の新しいガイドラインにほかなりません。昨日、オバマ大統領と私は、その意義について、互いに認め合いました。皆様、私たちは、真に歴史的な文書に、合意をしたのです。
1990年代初め、日本の自衛隊は、ペルシャ湾で機雷の掃海に当たりました。後、インド洋では、テロリストや武器の流れを断つ洋上作戦を、10年にわたって支援しました。その間、5万人にのぼる自衛隊員が、人道支援や平和維持活動に従事しました。カンボジア、ゴラン高原、イラク、ハイチや南スーダンといった国や、地域においてです。これら実績をもとに、日本は、世界の平和と安定のため、これまで以上に責任を果たしていく。そう決意しています。そのために必要な法案の成立を、この夏までに、必ず実現します。
国家安全保障に加え、人間の安全保障を確かにしなくてはならないというのが、日本の不動の信念です。人間一人ひとりに、教育の機会を保障し、医療を提供し、自立する機会を与えなければなりません。紛争下、常に傷ついたのは、女性でした。わたしたちの時代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけません。自衛隊員が積み重ねてきた実績と、援助関係者たちがたゆまず続けた努力と、その両方の蓄積は、いまやわたしたちに、新しい自己像を与えてくれました。
いまや私たちが掲げるバナーは、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」という旗です。繰り返しましょう、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」こそは、日本の将来を導く旗印となります。テロリズム、感染症、自然災害や、気候変動。日米同盟は、これら新たな問題に対し、ともに立ち向かう時代を迎えました。
日米同盟は、米国史全体の、4分の1以上に及ぶ期間続いた堅牢さを備え、深い信頼と、友情に結ばれた同盟です。自由世界第一、第二の民主主義大国を結ぶ同盟に、この先とも、新たな理由付けは全く無用です。それは常に、法の支配、人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共にする結びつきです。
まだ高校生だったとき、ラジオから流れてきたキャロル・キングの曲に、私は心を揺さぶられました。「落ち込んだ時、困った時、目を閉じて、私を思って。私は行く。あなたのもとに。たとえそれが、あなたにとっていちばん暗い、そんな夜でも、明るくするために」。
2011年3月11日、日本に、いちばん暗い夜がきました。日本の東北地方を、地震と津波、原発の事故が襲ったのです。そして、そのときでした。米軍は、未曾有の規模で救難作戦を展開してくれました。本当にたくさんの米国人の皆さんが、東北の子供たちに、支援の手を差し伸べてくれました。私たちには、トモダチがいました。被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれた。希望、です。
米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかに良い場所にしていこうではありませんか。希望の同盟。一緒でなら、きっとできます。
ありがとうございました。
You've got a friendか・・・安倍総理の演説の主題の基底はキャロルキングの名曲が使われていたようだ。
AIIBで欧州に裏切られた米国、でも日本は呼べば駆けつけてあげる・・・・
なるほど、日米安全保障ではなく日米同盟、TPPが発動すると日米共同体へと進化する可能性を感じざるをえない。
そして、この演説は中国、韓国、そして何よりも、日本に巣食う反日日本人左翼達に向かっての痛烈なメッセージでもある。
中国、韓国、左翼=反日日本人は基本的には反米であり、良好な日米関係は最も不愉快な状態だが、安倍首相の議会合同演説ではスタンディングオベーションによる中断は13回!安倍首相の演説阻止を画策した中韓にとっては予想以上のショックである。
中国、韓国、左翼=反日日本人は基本的には反米であり、良好な日米関係は最も不愉快な状態だが、安倍首相の議会合同演説ではスタンディングオベーションによる中断は13回!安倍首相の演説阻止を画策した中韓にとっては予想以上のショックである。
<4月30>(木)なるほど!13回もスタンディング・オベーションを仕掛けたわけだ!これでまず成功!
○議会合同演説の動画はこちらをご参照。昨晩は数えながら見ておりましたが、スタンディングオベーションによる中断は13回に及びました。ここが重要なところでありまして、それが足りないと「失敗だったね」と言われてしまいます。拍手してもらう、できれば立り上がってもらう、というのが米国議会における基本的なお作法というものでございます。
○演説の全文はこちらをご参照。ここにはいろんな仕掛けがしてあって、例えばキャロライン・ケネディ大使を紹介する場面や、昭恵夫人を紹介する場面では、これは議員さんたちも礼儀として立たなければなりません。もちろんローレンス・スノーデン海兵隊中将をその場に呼んだのもヒットでありました。さらに、その隣に硫黄島の戦いを指揮した栗林大将の孫である新藤前総務大臣を配置した、というのも心憎い配慮でした。この辺の手法は、一般教書演説ではしょっちゅう使われている手口でありまして、シャーロック・ホームズ氏がその場にいたら、"It's an elementary, Dr.Watson."と評したことでしょう。
○さらに上院議員と下院議員たちを前に、演説の冒頭部分で以下のような「ヨイショ」するのは、ありふれた手法ではありますけれども、確実に好感度を上げたことでしょう。なにしろ議員さんたちは相身互いの身分。仲間をよく言ってもらえることで、万に一つも心証を損ねることはありません。つかみはバッチリ、というやつです。
皆様を前にして胸中を去来しますのは、日本が大使としてお迎えした偉大な議会人のお名前です。マイク・マンスフィールド、ウォルター・モンデール、トム・フォーリー、そしてハワード・ベイカー。民主主義の輝くチャンピオンを大使として送って下さいましたことを、日本国民を代表して、感謝申し上げます。
○ほかにもいろんな点を指摘できるのですが、日本外交はこんな風にえげつないくらいに人心掌握術を使えるようになったのか、と思うと感慨深いものがあります。今回の米国への公式訪問では、外務省は全力投球していましたからね。「8日間で4都市を回る」という日程を立てられた時点で、外交当局の士気は大いに上がったことでしょう。(以下略)
まず、私(Ddog)が最初に気がついたのは、
>私の苗字ですが、「エイブ」ではありません。アメリカの方に時たまそう呼ばれると、悪い気はしません。
Abe・・・エイブ おお!エイブとは、Abraham Lincolnのニックネーム”Abe”アベだ!そしてリンカーンと言えば有名なゲティスバーグ演説と米国人は連想する。
今年は南北戦争終結、そしてリンカーンの暗殺から150年の節目の年だ。前日にオバマ大統領が、安倍首相をワシントンのリンカーン記念堂に案内したばかりだ。
ゲティスバーグ演説とは独立宣言、合衆国憲法と並んで、アメリカ史に特別な位置を占める演説で、and that government of the people, by the people, for the people, が有名だが、米国では戦没者に対する慰霊の姿勢として、繰り返し引用される。
1・戦った人の自己犠牲への顕彰。敵への悪意は強調しない。
演説から「私達はこの大地を清められないのです。生きる者も、死せる者もここで奮闘した勇敢な人々がすでにここを神聖化してしまいました。そこに、なにかを足したり取り除いたりするわれわれの貧弱な能力など、それにまったくおよばないものだからです」。
2・死の意味の定義
同「われわれ生きる者の使命とはむしろ、ここで戦った人々がこれまで気高く前進させた、この未完の仕事に身を捧げることなのです」
3・未来への提言
同「そして国民を、国民自身の手によって、国民自身の利益のための政治を行うこと(世界初の民主主義体制である米国)を、この地上から消え去さらせはしないためなのです」
エイブを前振りして、リンカーンの「ゲティスバーグ演説」に聴衆の意識をもっていき、続いて第二次世界大戦での硫黄島での激戦にふれ、戦後70年恩讐を超え日米隔たりなく慰霊の気持ちから、日米の和解、そして日米が戦後築き上げてきた繁栄、そして未来への希望へ話題をもっていく。上手い!
安倍首相は米国の第二次大戦メモリアルを訪れた体験を述べた。
>「真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました。親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの、哀悼を捧げます。」という、真摯な言葉で慰霊の言葉を述べた。
これで、安倍首相が靖国神社で先の戦争に斃れた英霊に対し、深い一礼を捧げても米国は文句を言うことはない。中韓、そして反日日本人にとっては首相の靖國参拝は軍国主義化だと批判しづらくなった。
>いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中将がお座りです。70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸した方です。近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。こう、仰っています。「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでもない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ」。
もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のお祖父さんこそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました。スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。ほんとうに、ありがとうございました。」
もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のお祖父さんこそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました。スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。ほんとうに、ありがとうございました。」
そして敵国日本に対する米国の寛容さをたたえ、第二次世界大戦の認識については
>「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません。」
日米は死闘を繰り広げたからこそ、お互いの実力や怖さを理解しているからこそ、お互いが尊敬しあえるのだ。中華人民共和国(中共)、大韓民国(韓国)は大日本帝国とは戦っていない。日本のことをいつまでも戦犯国と罵る言葉がとても恥ずかしい響きに聞こえてしまう。中韓のやっている歴史認識問題はヤクザの言い掛かり、ユスリタカリの類である。
米国のすばらしさをたたえ、米国に配慮しながら、日本の主張を盛り込んだ安倍演説はかなりレベルが高い演説だったと思う。
中国や韓国そして日本の左翼は打ちのめされ発狂している!
安倍首相の訪米に合わせ、いつものように国を挙げ常軌を逸した妨害、いやがらせ行動を仕掛けていました。韓国の大学教授がニューヨーク・タイムズに「真珠湾攻撃を忘れるな」との広告を掲載、ワシントンで反日反安倍デモを行うなどしたが、まったく無意味どころか、世界中から韓国が異常な国だと認識されてしまいました。ハーバード大での質疑応答では案の定、韓国留学生から慰安婦問題をどう思うかと質問し、慰安婦を『人身売買の被害者』と表現し『胸が痛む』と切り替えし留学生を黙らせました。
慰安婦決議の提案者である反日議員マイク・ホンダは、演説の日のために韓国から来た元売春婦の自称慰安婦李容洙を議会に招いたが、演説終了後の満場の拍手に為すすべがなかった。
韓国外務省は安倍首相演説について「正しい歴史認識を通じ、周辺国と真の和解と協力を成し遂げる転換点になり得たにもかかわらず、そうした認識も心からのおわびもなかった」との報道官声明を発表。侵略や慰安婦問題などに言及しなかったことを批判したが、批判になっていない。単なる火病を発症しただけだった。
左翼の批判も酷い
安倍首相の心が伝わってくる素晴らしい演説なのに、英語が上手い、下手うんぬんという低レベルな批判をしている。
もし、オバマが日本の国会で日本語で演説をしたら、小西議員は下手な日本語だと批判するのか?まったく日本の左翼は馬鹿なのだろうか?
今回の安倍首相の演説は、韓国・中国・反日日本人にとっては痛烈な一打となった。