心理学で解く「嫌韓現象」のメカニズム
THE PSYCHOLGY OF ANTI-KOREA HATRED
日韓関係
誰が、どのようにして 嫌韓に「なる」のか 偏見についての研究と
嫌韓(けんかん)とは何か-。日韓関係が「戦後最悪」とも言われるなか国内では「嫌韓」がより日常に浸透しっつある。ワイドショーなどが韓国の「反日」を繰り返し報じその傍らで「嫌韓」を主張する雑誌や書籍が売れていく。政治家もまた、そのような風潮を意識した発言を繰り返す。現代日本では、「嫌韓」が無視できない存在になつている。では、この「嫌韓現象」はどのようにして生まれたのか。誰が、どのようにして嫌韓に「なる」のだろう。その問いについて考えるには、社会心理学が蓄積してきた偏見研究が役に立つ。「誰が偏見を持つのか」という問いは、第二次大戦後に大きく注目された。ナチスドイツが行ったホロコースト。その筆舌に尽くし難い事件の記憶から、心理学者はレイシズム (人種偏見・差別)を精神病理的な現象と捉え、その実相の解明に努めたためだ。なかでも、ドイツの哲学者で心理学者のT・W・アドルノらの提唱した「権威主義的パーソナリティー」が有名だ。これは、権威への服従、他者への不信などを特徴とした、反民主主義的イデオロギー(特に全体主義)を受容しやすい性格のことである。脆弱な自我しか持たない人々が、その自我の防衛として、権力への服従を志向し、他者に不寛容になる -。このアイデアは人文社会科学の多方面に、受け入れられた。しかし、社会心理学は1960年代以降、むしろ「普通の人」の、「普通の心理的メカニズム」が偏見をもたらすことに関心を寄せた。そして、偏見を持ちやすい個人についての研究は、90年代以降再び盛んになる。例えば、黒人、女性、同性愛者などの複数のマイノリティーに対する偏見の強さを照らし合わせると、「ある集団に対して強い偏見を持つ人は、別の集団に対しても強い偏見を持っていることが多い」ということが繰り返し示されており、その背景に共通の基盤があると考えられたからである。日本ではどうか。筆者のうち高史明が2015年に実施したオンライン調査で、韓国人を含むさまざまな外集団への感情温度を測定したものがある。感情温度とは特定の集団に対する感情的評価で、得点が高いほど好き/好ましいと評価していることを意味する。「韓国人」 への感情温度は、「中国人」や「在日朝鮮人」 への感情温度と、強い正の相関が見られる。これらの集団が、日本では「似通ったもの」と見なされやすいことを考えると、このことは不思議ではないかもしれない。しかし、「韓国人」への感情温度は、「うつ病患者」「アスペルガ一障害の人」「生活保護受給者」「同性愛者」などに対する感情温度とも中程度の正の相関があった。つまり日本においても、ある集団に対してネガティプな人は、他の集団に対してもネガティブであることが多い、という知見が当てはまる。こうした、「偏見を強く抱く傾向のある人」に着目することは、偏見や差別についての啓発手法や対象を定めるためにも、重要なアプローチであると言える。「日本すごい」と思う人の傾向では、外集団への一賞したネガティブさの基盤には、一体何があるのか。近年の研究が重視するものが、「右翼的権威主義」と「社会的支配志向性」の2つである。「右翼的権威主義」は、カナダの社会心理学者B・アルトマイヤーが見いだした特性である。これは、アドルノの「権威主義」概念が持つ問題点を解消しながら発展させたもので、①権威主義的服従、②権威主義的攻撃、③因習主義の3つの要素から構成される。・分かりやすく言えば、偉い人に従いましょう、逸脱する人はやっつけましよう、伝統は守りましょう、という傾向のことである。アメリカの社会心理学者F・プラトーとl・シダニウスらが見いだした「社会的支配志向性」は、集団問のヒエラルキーを是認するような特性である。それは、優れた集団は上に立つべきだ、劣った集団は分をわきまえよ、というような態度に表れる。両者は共に排外主義との根深いつながりを持つが、筆者の高による13年の調査によれば、在日韓国・朝鮮人に対する感情温度は、将に社会的支配志向性との関連が強かった。これは、日本社会において在日韓国・朝鮮人が、「見下しやすい相手」としてセッティングされていることが関わっているのかもしれない。また、近年の研究の中では、「集団的ナルシシズム」に注目したものもぁる。集団的ナルシシズムとは、内集団の価値に対する非現実的に高い評価を指し、その内集団の価値が正当に評価されていないという不満と結び付くものである。「私たをはすごい」にもかかわらず、それが正当に評価されていない。そのような間違った評価は正きれる必要がある、という考え方だ。.集団的ナルシシズムは、日本人の韓国人に対する感情に関わっている。日本人統計発の所屁ずる集団に対して持つ態度が、他の集団をどう捉えるかに影響するのである。日本で調査をしても、集団的ナルシシズムが強い人は、「嫌韓」傾向が高いことが確認できた。また、これが単なる相関ではなく、双方向の因果関係であることも示唆されている。「日本すごい」と思いがちな人は韓国を嫌いになりがちで、「嫌韓」言説に親しむ人は、「日本すごい」と思うようになりがちだということだ。NHKの調査(右グラフ) では、「日本は一流国だ」「日本人は、他の国民に比べて、極めて優れた素質を持っている」と考える者の割合は、近年急増し、日本が経済的に成功していた80年代の水準にまで上がっている。集団的ナルシシズムと嫌韓態度が相互に因果関係を持つことを考えれば、このようなデータは興味深い。■偏見を抱きやすい人はいる。そうした人は相対的に、右翼的権威主義や社会的支配志向性が強い人であり、集団的ナルシシズムの強い人でもある。ただし、嫌韓という現象が一部の特殊な人によるものだということではない。ところで、韓国や韓国人に対する態度は、現在がことさら最悪なわけではない。ここからは、「嫌韓」のメカニズムについて社会文化的な要因を見てみよう。小学生~大学生がさまざまな人種・民族集団について持つ信念や態度を分析した元大阪学芸大学の心理学者、原谷達夫らによると、ご1958年の調査で多くの回答者が「朝鮮人」の特徴として上げたのは「きたならしい」など否定的な性質であった。好感度は、回答を求めた12の民族・国民集団の中で最も低かった。同じ12の民族・国民集団についての1941年の調査では、朝鮮人は日本人、ドイツ人、イタリア人に次いで好感度が4番目に高かった。それが、敗戦直後の1946年には一気に12位に落ち、1958年にも同様だった格好になる。日本からの独立、および日本国内の朝鮮人(在日)が貧しい地位に置かれ、不衛生な環境など現に好ましくない境遇にあったことが、民族的特徴として朝鮮人そのものに結び付けられたとも言える。歴史に見る嫌韓意義の揺らぎこのように、外集団への態度は時代によって、イベントによって、そしてメディアの取り上げ方によって大きく変化する。このような現象を読み解くのに役立つのが、「現実的集団葛藤理論」である。集団間に現に利害の対立が存在することにより、外集団へのネガティブな態度が生じるというものだ代表的な研究はアメリカの社会心理学者M・シェリフによる「サマーキャンプ研究」だ。キャンプに集まった、面識のない少年たちを2つのグループに分ける。そして、グループ同士の競争で勝利すると特典が与えられるといった、グループ間の競争的な状況を生じさせる。すると、競争的なイベントの外でも相手のグループのメンバーを非難し追い落とそうといった、敵対的な態度・行動が速やかに生じたのだ。サマーキャンプ実験ではその後、両グループが協力しないと解決できない課題を与えていく。すると今度は敵対的な態度や行動が大幅に薄れていった。この現実的集団葛藤理論を補助線として用いて、今度は日本人の「嫌韓」意識の揺らぎを、歴史を跨まえて見つめ直してみたい。韓国を植民地にしていた1941年の調査時点で、少なくとも表面的には、朝鮮人と日本人は「協力的」な関係であった。そのため、日本人の朝鮮人に対する態度はポジティブなものであった(ただし、独立した同盟勢力であるドイツ人やイタリア人よりは低い評価であったし、日本人と対等に扱われていたわけでもない)。しかし敗戦により朝鮮半島への支配力が失われ、それまで覆い隠されていた利害の対立があらわになると、ネガティブな感情が急速に表れた。その後、朝鮮戦争の時代から90年代にかけ、日本は急速に経済成長する。この問、韓国は政治的にも経済的にも「遅れた」国であり、韓国に対する蔑的な態度が維持された。90年代になると、韓国の民主化と冷戦の終結を経て、歴史の清算問題が取り上げられるようになる。この点での利害の対立は徐々に表面化していく。だが、韓国が日本を脅かさない程度に豊かな国となり、韓流ブームに見られるように韓国の文化が盛んに流入した2000年代には、韓国に対する態度は比較的ポジティプなものではあった。他方では、韓国が日本にとっても主要な産業部門で輸出を伸ばし、競争相手となつたことは、韓国に対する敵対心の素地を築くことにつながった。季明博大統領(当時)が竹島(韓国名・独島)を訪問した2012年に、日本人の韓国への態度が急激に転換されたのは、このように長い歴史を持つ蔑視と、現実の「集団葛藤」による敵対視の相互作用によるものと考えられる。日本人の自己肯定感はどこから韓国人に対する認知には、さらにイギリスの社会心理学者M・ヒューストンが「集団問の帰属のバイアス」と呼んだ原因帰属の偏りも加わる。外集団の振る舞いを評価するときには、内集団の振る舞いを評価するときと比べて、ポジティブなものは外的要因(状況など)によるものと見なしやすく、ネガティブなものは内的要因(性格や知能など)によるものと見なしやすい。例えばあるたぐいの語りでは、日本の経済的発展は日本人の「勤勉さ」「協調性」のおかげだが、韓国の発展はあくまで「日本の支援のおかげ」といった外的要因に還元される(中にはあからさまに、「日本が植民地化したおかげ」といった語りまで存在する)。逆に、もともと否定的な外集団である韓国人がネガティブな行動を取ったときには、それは既に持っていた「知識」に裏付けを与えるものとなる。さらにウェブ上の言論空間では、相手のネガティブな特徴を強調できるニュースばかりを選び、自分たちの優位性を確認するという 「セレクティブエネミー(選択された敵)」という現象も起きている。ステレオタイプ化された敵の情報を選び、「愚かな相手」より自分たちが常に賢いのだと確認する行為だ。こうした際にももちろん、「集団間の帰属のバイアス」が影響する。卑怯で間違った韓国人と、理性的でおとなしい日本人という対比が、ネットのフィルターバブル(情報中立性の欠如〕を通じて強化されるのである。ところで、ではなぜ日本人は、日本人であるというだけで、日本人をポジティブに評価しょうとするのだろう。イギリスで活躍した社会心理学者のH・タジフエルらが提唱した「社会的アイデンティティー理論」はこうした問いに向き合ってきた。人問の自己評価は、所属する集団の評価に左右される。また、人間は一般的に自分は価値がある人問だと思いたいものである。この2つが重なることにより、人問は自分の所属する集団を価値があるものと見なしたい欲求を持つのである。例えば日本人スポーツ選手が海外で活躍すると誇らしく感じたり、日本のコミックやアニメが高く評価されることを「クールジャパン」だと喜んだり。こうした傾向は日ごろ接する現実の集団だけでなく、実験室で作られたかりそめの集団ですら生じるのである。ただし、こうした抽象的で、比較的普遍的な動機のみで、現在の日本人の自己肯定を捉えることはできない。それを捉えるには、近い過去において、日本が現にさまざまな成功を収めたことと、その後失敗しっつあることを考慮する必要がある。何らかの基準と照らし合わせて、それより低いものしか得ていないと認知される場合に不満や外集団への攻撃性が強まるという「相対的剥奪」は、社会科学では比較的よく知られている。ただし、偏見との関連性が特に指摘されている相対的剥奪は、個人レベルのものよりも、集団レベルのものである。自分個人が貧しかったり不幸だったりすると認知していることより、日本がうまくいっていない(長い間経済的に停滞しているなど)と認知していることが重要だということだ。これに対し、何らかの基準と照らし合わせてよりうまくいっているという「相対的充足」もまた、実は外集団への攻撃性をもたらす。つまり、内集団が伸びているときにも縮んでいるときにも、どちらでもないときと比べて集団問バイアスが強まるのである。日本が戦後大きく経済成長したというイベ.ント=相対的充足は、「なぜ日本が経済成長したのか」を「合理的に」説明しようとさせる。もちろん実際にはさまざまな外的要因も複雑に関わっている。しかし先に述べた「集団間の帰属のバイアス」のとおり、内集団の成功は内的要因に帰属されやすい。つまり日本人が「真面目さ」「勤勉さ」といった、経済成長してしかるべき資質を備えていたからだと、「本質主義」に基づく説明がなされがちだったのである。そうした解釈に基づいたとき、実際の現代日本は、相対的剥奪を感じさせるものである。あるべき日本像と比べて、今の日本は得るべきものを得ていないのだと。メディアの「製造者責任」を問う自己愛的な個人の場合と同じように、こうした理想と現実の不一致は、他者の責任に転嫁されがちである。「利己的な動機で日本をおとしめている連中(韓国や中国) のせいでうまくいかない」といった形で。また、韓国人に対する日本人の敵意を捉えるためには、「メタステレオタイプ」という概念も役に立つ。これは、相手から自分たちがどう思われているかについての信念である。東京大学(当時) のキム・ジュンと清泉女学院大学(当時)の大江朋子(現在は帝京大学)が09年に発表した研究によれば、ネガティブなメタステレオタイプを持っている日本人参加者ほど、韓国人に対してネガティプなステレオタイプを持っていた。分かりやすく言えば、「韓国人は反日だ」と思っている者ほど、韓国人はネガティプな性質を持っていると信じていたのだ。最近のマスメディアは、韓国がいかに「反日的」であるかを報じ続けている。こちらが相手を憎んでいるのではなく相手がこちらを憎んでいるのだというフレームを用いることで、集団問の葛藤の責任を全て相手に転嫁しながら、視聴者の感情をかき立てている。日本に対して好意的でない韓国人のみに注目し、「セレクティブエネミー」として用いることは、日本人が持つ排外主義にお墓付きを与え、ヘイトクライム(偏見に基づ車犯罪)にすらつながりかねない。偏見や敵意は社会的に学習される。メディアはこれまで以上に、自らの「製造者責任」を問わなくてはならない。最後に前向きな話を。多くの研究は、総じて「集団間接触理論」を支持している。アメリカの社会心理学者G・オルポートが1954年に提唱したこの仮説は、外集団との接触が偏見を減少させるというものだ。オルポートは直接の交友関係を想定していたが、90年代に入ると、間接的な接触も有効だと拡張されていった。例えば友人の友人として間接的な関係を持つことや、「交友関係を築くことが可能である」という物語をメディアや他者の語りを通じて知ることなども、偏見を和らげるのである。政治的にはこじれた関係にあつても、文化交流は続けることの意義は、こうした文脈でも理解可能だ。顔を合わせること。直接話すこと。広く知り直すこと。こういった基本的な交流は、相手を悪魔化する流れを和らげる力を持つ。歴史認識や政治風土をめぐるすれ違いが続く中だからこそ、憎悪のメカニズムを学んだ上で、それを食い止める役割があなたに求められている。(筆者の荻上はTBSラジオ『荻上チキSeSSIOn-22』のパーソナリティー。高の著書に、『レイシズムを解剖する 在日コリアンへの偏見とインターネット』〔勤草書房〕がある)
まあ、TBSで極左プロパガンダ放送を垂れ流す荻上チキと高史明こと本名:金天三が書いた記事ですから、内容は読まずとも推して知るべしですが、全文さらさないと気がすみませんので曝しました。
最近のNewsweekはパーの左翼系のライターを偏重し、週刊金曜日化ていて、実に残念。つい朴 槿恵政権時代はNewsweekは率先して嫌韓記事を書いていたにもかかわらず、嫌韓記事を喜ぶ人間は>『「愚かな相手」より自分たちが常に賢いのだと確認する行為だ。』と、かなり上から目線で嫌韓に同調している日本人を非難している。
いったいどの口で言うのか!Newsweekは率先して嫌韓特集を組んでいただろうが!
2019年Newsweekは韓国と言うより主体思想派(文在寅)擁護の記事が目立つ
現編集長である長岡義博氏は2017年7月までは記者で、8月号より編集長とあり、2017年8月号以降徐々に左に傾きだしている。前任の竹田圭吾氏2001年~2010年9月 横田 孝 氏2010年10月〜2017年7月とは明かに異なる。編集長とは、誰にどんな記事を書かせるか決定権がある、左寄りのライターを起用すれば左寄りの雑誌に変質する。
長岡編集長になって以降明らかにパよく寄りのライターの起用が目立ちだしている。
自分たちの雑誌が過去に嫌韓記事を量産していたことを棚に上げたこの特集はいったい何なの?
私が思うに嫌韓とはレイシズムというより、知韓の結果であると捉えるべきではなかろうか?韓国朝鮮半島の現在と過去の歴史を知れば知るほど、現代の韓国人のメンタルを知れば知るほど日本生まれ日本育ちの日本人であれば、その価値観と真逆の価値観にある韓国という国と国民を嫌悪してしまうのは自然なことであろう。むしろそう思わない人間の偽善性に対しても嫌悪感を抱いてしまいます。
1982年朝日の誤報から始まった「教科書問題」は、左翼教科書問題の家永裁判など戦前の大日本帝国の犯罪性を子供たちに教えるために教科書に載せようとする当時の進歩的知識人と韓国が連(つる)む切っ掛けとなった。朝日新聞と赤旗を読んで育った私は、韓国は朴大統領率いる独裁国家=悪であると信じていた私にとって、1982年第一次教科書問題で、韓国側の理不尽な言いがかりに、当然憤りを感じていた。
歴代天皇陛下は国民に思いをはせておられる。
荻上チキと金天三は即位礼を見て皇室を戴く日本を凄いと思わなかったのであろう、でなければ、こんな記事をかけないはずである。
荻上チキさんと金天三さんの基準でいえば私は右翼・ネトウヨという存在だろう、だが荻上チキさんと金天三さんの基準で言う多くの右翼・ネトウヨといった我々保守主義者の多くはもはや韓国を嫌っていない。むしろ毎日楽しいネタを提供してくれる貴重な隣国だと思っているはずです。
どんなに日本を嫌っても痛くも痒くも感じません。笑えるのです、日本を落しませようとするウソの数々、もはや怒っていません。韓国を嫌っているのではありません、失笑してるのです。韓国がその劣等感と反日教育の結果、世界中から失笑を買う行動の数々、楽しくてしかたありません。
韓国人は気の毒な人々だと思いますが、私が本気で嫌いなのは荻上チキ氏や高史明こと本名:金天氏そして古谷経衡氏といった日本に住んで、我々「日本のことを誇らしい」と考える人間を攻撃する輩が大嫌いだ。
そうです、その通りですね、そのかわり冷戦時代の日本の左翼は韓国に対して極めて敵対的でした。冷戦時代も今も日本の左翼は北朝鮮に対して極めて好意的であった。 かつて韓国人と大いに交歓した日本の保守系学生らが、現在、少なくない数でヘイトの前衛に立っていることを私は知っているし、その人間を名指しすることもできる。しかし冷戦時代の記憶や知識などみじんもない現在の自称保守やネット右翼には、韓国人が反共の同志だった事実をいくら指摘したところで通用しないから、古老らは沈黙を貫いている。冷戦時代の日本の保守は韓国に対して極めて好意的であった。
まあ、豊田氏が2019年の視点からすれば韓国人の本性、日韓の歴史に対して認識不足であった、それだけである。まえがきぼくは、日韓友好を新う出では、人後に落ちないつもりだ。1978年単に上梓した「韓国の挑戦」 では、韓国経済のポテンシャルに注目し、高度経済成長を予言出した。一とくに、自動車産業が発展するという予測は的中し、そのため日本では顰蹙を買った。そんなことはありえないという経済人が、ほとんどだりたからである。だが、このところ韓国にうんざりしはじめた。韓国の対日非難が、年を追うごとに激化しているからである。しかも、最近の対日非難には、多くの捏造が含まれでいるなこれでは、日本人がいくら誠意を尽くしても、暖簾に腕押しになってしまう。 日本側が技術移転や経済協力などで、誠意をもって多くの対韓努力を行なっても、韓国では報道すらされない。逆に、日本で韓国に対してなにかの動きがあると、事実を捻じ曲げ、捏造を犯しても、対日非難の大合唱が起こるのである。つい最近でも、日本が日本海(韓国では東海と呼ぶ)に、膨大な放射性物質を不法投棄していると韓国で報道きれた。ニュスースソースは、ロシアだづた。ちょつと考えれば判ることだが、これほ核の杜撰な管理が大問題になっているロシアが、自国への非難を日本へ転嫁するため、故意にリークした虚報でしかない。だが、韓国人は、これを信じた。日本人の多くが、韓国に対して、日韓併合という歴史への反省から、贖罪意識を持りている。だからこそ、友邦として、できるかぎりの協力を惜しまなかった。だが、韓国は、ロシアが流した明らかに嘘と判る情報にすぐさま飛びついて、対日非難の大攻勢に出る。ぼくは、情けなくなつた。あれほど謝罪を繰り返し、できるかぎりの贖罪と援助をしたにもかかわらず、韓国の対日観は、相も変わらぬ捏造を犯してまでも、日本叩きだけを最終目標にしているようなのだ。日本国民のほとんどが、隣国である大韓民国との友好親善を心から願っている。だが、どうやら韓国人は、日本との友好親善をまったく望んでいないらしい 韓国人にとって日本は鬱憤憂さ晴らし、非難弾劾、侮蔑攻撃、罵詈讒謗の対象でしかないのだろうか。もし、そうだとすれば、日本人も韓国との関係を見直さなければなるまい。本書の執筆に際し、叫現代コリア払誌の佐藤勝巳氏、西岡力氏のご好意で、資料、アドバイス等、少なからぬご協力をいただいたにこの前書きで、謝意を表したい。一九九四年三月 豊田有恒
西岡力氏なども含め韓国を知れば知るほど、関われば関わるほど日本人は韓国を嫌悪してしまうのは、日本の価値観からすれば当然である。産経の黒田氏はそれでも韓国人をある意味愛情をもってみているが・・・
古谷経衡
一過性かな?地上波は情報弱者の東京裁判史観から未だ覚醒していない戦後生まれの高齢者中心と考えれば、これから韓国を知れば知るほど嫌韓が加速する可能性が高いと思う。
テレビの中枢が韓国を憎んでいるからではなく、単に高齢化した視聴者に対し視聴率として訴求できると踏んでのことであって、地上波テレビが思想的に転換したからではない。地上波テレビにおける嫌韓は一過性のものであり、時期が来れば収束すると私はみる。
古谷氏は一過性である根拠は何も示していない。
古谷経衡
古谷経衡氏の区分で言うと私は筋金入りの保守派のようだ。だが、1980年代からの嫌韓派(知韓派)であり、2002年日本人の多くが韓国人の習性を知ってもらい嬉しかった。
少なくとも2000年代後半~10年代初頭まで、この国では保守とネット右翼は分離していた。前者のよりどころは「改憲・自主憲法制定」「靖国神社公式参拝推進」「東京裁判史観の是正」であり、嫌韓は大きなウエートを占めてこなかった。理由は、冒頭に挙げたとおり保守の中の少なくない部分が、かつて反共保守として韓国人と交歓を持つ者であったからである。一方、後者のネット右翼は、2002年のサッカーワールドカップ日韓共催大会からネット上に繁茂してきた連中で、冷戦時代における日韓の蜜月などという事実を知らず、ひたすらに韓国(この場合は韓国チームやサポーターら)と(彼らからすると)その専横を擁護するように思える日本国内のマスメディアへの攻撃に終始した。そうした中から在特会(在日特権を許さない市民の会)が生まれ、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)は嫌韓と「親韓」マスメディアへの呪詛としか言いようのない批判的姿勢がスタンダードとなった。
古谷氏の言うネトウヨの代表である在特会やNHKから日本を守る会に対して私は快く思っていない、なぜなら彼らの行動は韓国人と同じく下品で低レベルである。
本来の「保守」は絶滅危惧種もともと高齢者のサロン的要素があった保守と、それよりもやや若い(とは言ってもアラフォー)層を主体としたネット右翼が合体したことにより、嫌韓の主軸は高齢者となり、中高年で嫌韓が好発している。朝日新聞の調査でも、世代別に韓国への感情を聞いたところ、加齢すればするほど「嫌い」のパーセンテージが増える。「嫌韓はネット右翼の専売特許」どころか、「嫌韓は中高年男性の専売特許」と言える。日韓両国の若い層(30代以下)はお互いに双方の文化に好意的であり、嫌韓どこ吹く風である。
日韓両国の若い層(30代以下)は好意的と書いているが、私の長女は学習院大学の政治学科で日韓問題を学習している。彼女も日韓関係を知れば知るほど、私ほどではないが、韓国を快く思ってはいない。かつて韓流ドラマファンだった中高年主婦層も韓国の実状を知れば知るほど嫌韓に走った主婦層も多くいる。日本の若い層(30代以下)も韓国を知れば知るほど嫌韓になるであろう。
「保守」とは本来、人間の理性に懐疑的で、社会の急激な改変や改良を嫌い、歴史や経験、常識(コモンセンス)に価値判断の基準を定めるという生活姿勢そのものを指す。もうそんな本来の意味での「保守」は、絶滅危惧種である。私はたとえ絶滅しようとも保守の本懐を曲げないで死にたい。
古谷氏が保守?「冗談はよしこさん!」
祖国を貶され、先達達を侮辱する韓国に怒りをもった日本国民を上から目線で侮辱する姿勢はパーの左翼の行動原理そのものだ。まちがっても我々保守主義者の一員であると名乗ってほしくない!