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10/13日に行われたラグビーワールドカップ 日本対スコットランド戦、
スコットランドに先制トライを奪われながら、怒涛の4連続トライで逆転。本気スイッチの入ったスコットランドに意地の2トライを返され、凄まじい攻撃を必死で防戦し何とかギリギリで逃げ切る試合、いや~感動しました・・・



私は、ご多分に漏れずにわかラクビーファンではりますが、明治大学時代もちろんラグビーの明早戦は国立のスタンドで応援しておりました。就職して暫くは明早戦に通いましたが・・・やがてラクビーから縁遠くなってしまいました。

私を含めたにわかラクビーファンが大量増殖したのはブレーブブロッサムズ個々の選手の大活躍とファンタスティックに進化した日本チームのチームプレイによろ躍進である。これまでの4戦とも はらはらどきどきの、劇的なシーンの連続でした。特に日本対スコットランド戦はラクビーの歴史においても最高の熱戦であったと思う。

文武両道韋駄天の福岡選手、予選終了時点で得点ランキング1位の田村選手、トライ数1位の松島選手といった個人の活躍は、もちろんのことながら、でも、ラグビーほどチームの力で戦うスポーツはないのではないか?、今回のワールドカップのラクビーのブレーブブロッサムズの選手たちの「ONE FOR ALL ALL FOR ONE」(1人はみんなのために みんなは1人のために)という姿は、台風19号や東日本大震災以降、相次ぐ災害のたびに「絆」を意識してきた日本人にとって、「ONE TEAM」「日本チームの勝利」は、日本人の琴線に触れたのかもしれません。

もう一つ私を含め多くの日本人が感動したことがあった。
真剣に君が代を歌う
ブレーブブロッサムズの選手達だ、日本生まれ日本国籍の日本人だけでなく、韓国、ニュージーランド、そして日本とルーツが異なる選手が真剣に君が代を歌っている姿も感動的だ。

ブレーブブロッサムズはルーツが異なる選手がボールをつないで「ONE TEAM」として勝利を目指すには団結が必要なのだが、「君が代」を全員が全力で歌うことによって「ONE TEAM」が築かれたという。

【産経ニュース】2019.9.26 22:22

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「君が代」を歌う日本代表の選手ら=20日午後、味の素スタジアム(納冨康撮影)

ラグビー・ワールドカップ(W杯)で日本代表と、強豪・アイルランドとの一戦が28日に行われる。国の威信を懸けた代表戦の試合前に必ず行われる国歌斉唱。日本代表選手の半数を占める外国出身者も、“第二の故郷”の国歌「君が代」を完璧に歌いきる。なぜ彼らは母国ではない日本の国歌を覚え、全力で歌うのか。その理由は「国を背負う」重みにあった。(桑村朋)

 「君が代は 千代に八千代に さざれ石の-」

 20日、東京・味の素スタジアムで行われたW杯開幕戦。日本代表のメンバーはいつもよりも緊張した面持ちだったが、力強く日本国歌を歌いきり、会場を奮い立たせた。

 「小さな石が一つの大きな岩になるのは、まさにわれわれがやろうとしていること。(メンバー)一丸でゴールに向かいたい」

 W杯を前に、こう語った日本代表のピーター・ラブスカフニ。母国は南アフリカだが、君が代の歌詞「さざれ石の巌となりて」の意味をひもといた上で、日本代表として団結することの大切さを説いた。

■全員で練習

 ラグビーでは、国籍が違っても、3年以上継続して居住するなどの条件を満たせば代表資格が得られる。W杯日本大会の日本代表は計31人だが、そのうち外国出身の選手は15人と過去最多の半数を占める。

 外国で生まれた選手にとって、日本に来るまで縁もゆかりもない君が代。日本人でも意味を知らない人もいるだろうが、彼らは歌詞や意味を完璧に覚え、全員で肩を組んで熱唱する。彼らはどのように君が代を覚えたのか。

 「合宿では必ず全員で君が代を練習する」と明かすのは主将のリーチ・マイケル。自身が中心となり、歌詞や意味を外国出身者に伝える。「君が代の中身を自分たちにつなげ、理解して歌わなければ。より良い試合をするためにも、チームに日本を愛する感情を作らないとならない」と、常々愛国心の重要性を説く。


《外国出身選手が真剣に君が代を歌う姿を見て泣きそう》《日本人より日本人らしい》

 優勝候補の南アフリカに歴史的勝利を収めた前回大会(2015年)では、こうした書き込みがインターネット上で多く見られた。当時はメンバーの3分の1が外国出身者。真剣に国歌を歌う彼らの姿に感動した日本人も少なくない。

 今年7月のW杯に向けた宮崎合宿最終日。代表メンバーは、宮崎県日向市の国内最大級の「さざれ石」を見学し、全員で「君が代」を斉唱した。選手自らの発案だった。ジェイミー・ジョセフヘッドコーチは「誇りを持って国歌を歌うことは大事。合宿の締めくくりに最適だった」と意義を語った。

 日本代表の外国出身選手を取り上げた著書『国境を越えたスクラム』(中央公論新社)があるノンフィクションライター、山川徹氏は「国歌を知ることで、国を代表する責任感、チームへの帰属意識が生まれるのだろう」と分析する。

 国歌の練習は、未勝利に終わったニュージーランド大会(11年)の後、当時の日本代表主将の広瀬俊朗氏の提案で始まり、徐々に浸透したという。山川氏は「外国出身選手は国歌の練習を通して日本文化を知り、『本当の仲間になれた』と思う。一見ばらばらに見えるチームが、こうしてまとまる姿を楽しむのもラグビーの魅力だ」と話している。




 

君が代を歌うのは日本人選手だけではない、外国人観光客も君が代を熱唱している。


しかし、日本人でも、いったいどのぐらいの人が「君が代」の本当の意味を知っているのだろうか?私も、ネットが発達し、CGSのねずさんこと小名木先生の動画を見るまでは、本当の意味を知らなかった。

1970年代中学校の時先生も、日教組で共産党の父が、「小さな石が大いにな岩になるわけないない、非科学的な歌だ」「天皇制を称える歌」と批判していた。

朝日新聞と赤旗を読ん育った私であったが、「君が代」を歌う時は大声で歌っていた。
大学入学とともに家を出て上京した私は、様々な人と出会い本を読み、東京裁判史観から脱し、覚醒し今は日本人として誇りを持つようになった。私は「君が代」を誇りをもって堂々と歌う。


上の動画を見て、日本人として君が代の本当の意味を理解するべきだと思います。

左翼が主張するような軍国主義や天皇崇拝の歌であるという説は、「笑止千万、実に程度の低い左翼学者の説」であってそれを信じる日本人はもっと酷い、「君が代」を歌わない人間を、私は軽蔑します。

昔は、君が代が素晴らしいと言うと、右翼と言われ、最近では「ネトウヨ」と少数派パーの左翼(パヨク)さんから呼ばれる。自国が素晴らしいと主張すると、「日本が素晴らしいと主張する人は、自分に自信がなく、頭が悪いなどと「ヘイト」されますが、「君が代」は掛け値なしに「素晴らしい、日本の誇るべき国歌である」と私は主張します。

君が代は、江戸時代には、結婚式の時に、「高砂や」と並び必ず歌われるお祝いの歌でした。国歌としての「君が代」は、1869年(明治2年)に薩摩琵琶の『蓬莱山』にある「君が代」を歌詞として選んだ歌が原型となっている。薩摩琵琶の旋律を基に1880年(明治13年)に宮内省雅楽課が旋律を改めて付け直し、それをドイツ人の音楽教師フランツ・エッケルトが西洋和声により編曲したものが、1893年(明治26年)告示され、1930年には国歌とされたわずか100年程度の歴史ではありません。今から1000年以上もの歴史のある歌です。

「君が代」の文献による初出(しょしゅつ)は平安時代初期の延喜5年(905年)です。
この年に編纂された天皇の勅命によって編纂された勅撰和歌集である「古今和歌集」の代表作として納められています。

万葉の時代から紀貫之など選者たちの時代までの140年間の作品を集めたもので、「君が代」は、和歌として、古すぎて詠み人知らずとして掲載されている。ということはすでにこの時点で多くの人に、愛された歌だったことを示しています。その古今和歌集でお祝いの歌の代表作として紹介された昔から歌い継がれたポピュラーソングだったわけです。

もしかしたら、歴史は更に遡る可能性は高いかもしれません。


さすがに、ヘブライ語訳については、日ユ同祖論信者の私でも、恋のマイアヒもすかうみたいな「空耳」かと思いますが、2000年前から君が代の元歌が歌い継がれた祝い歌の可能性は否定できません。

しかし、少なくとも今から1000年もの昔から、いやもう少しだけ昔の千数百年前から多くの日本人に愛された歌であったということだけは疑う余地はありません。

リベラル・左翼の「君が代否定論者」が「君が代」の「君」を「天皇」と解釈していますが、先の動画「小名木」先生が冒頭で紹介した光孝天皇が「君がため」と歌うのだから、必ずしも、「君」は天皇だけを表すことばではなく、現代と同じで「You」に近かったのではないか。初出の君が代は「我が君は千代に八千代に」と歌っており、「我が君」であれば「天皇陛下」である。

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君が代が古今和歌集に代表的賀歌として選ばれた平安時代には、「君」=「天皇」ではなく、「君」=「大切な存在」であった。
源氏物語は「朝顔の君」「藤袴の君」など美しい女性たちに君という尊称をつけています。

反皇室の反日日本人達の「君が代」の「君」は天皇を指す、だから「戦争賛歌だ」という主張はまったく無知蒙昧からくる間違いです。「君」が「天皇」だけをを表すというのならば、源氏物語に登場する女性たちは全員天皇ということになってしまいます。

「君が代」の初出は、鎌倉時代の『和漢朗詠集』写本です。初めて「君が代は」が確認できますが、一般庶民が祝い歌として謡いだした江戸時代には「君が代は」と歌われており、大山巌が薩摩琵琶「蓬莱山」に収録された「君が代」を国歌に推薦した明治初期には、「君が代」は、代表的祝い歌であった。

漢字で「君」は口偏に「尹」を組み合わせた文字です。「尹」の「ヨ」とは「手」、手で鞭を持つ姿から律令制で、弾正台の長官(警視総監)、弾正尹ですが、口が付くので、暴力や鞭ではなく言葉で従わせることができる、徳が高い人物、聖職者という意味があるという説もあります。

そして、日本のことば「やまとことば」一音一音には意味があるという「音義説」をご存知であろうか?

古来日本では「キ」は男性「ミ」は女性を指す言葉でした。
日本神話に登場する最初の男女神「イザナギ命(伊邪那岐命)」はイザナキとも発音され「キ」男性神、「イザナミ(伊邪那岐命)」は「ミ」女性神でした。
竹取物語の竹取の翁(オキナ)と竹取の媼(オミナ)も「キ」と「ミ」である。

日本創造神話では、偽書とされる竹内文書や秀真伝、ウエツフミ(大友文書)ミカサフミ、
カタカムナのウタヒ(いわゆる「カタカムナ」)の創造神には男女の性別がありませんでした。

天地開闢 (日本神話)Wiki

世界の最初に、高天原に相次いで三柱の神(造化の三神)が生まれた。
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
神産巣日神(かみむすひのかみ)
続いて、二柱の神が生まれた。

宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)
天之常立神(あめのとこたちのかみ)
この五柱の神は性別はなく、独身のまま子どもを生まず身を隠してしまい、これ以降表だって神話には登場しないが、根元的な影響力を持つ特別な神である。そのため別天津神(ことあまつかみ)と呼ぶ。

次に、二柱の神が生まれた。

国之常立神(くにのとこたちのかみ)
豊雲野神(とよくもののかみ)
国之常立神と豊雲野神も性別はなく、これ以降、神話には登場しない。

引き続いて五組十柱の神々が生まれた。五組の神々はそれぞれ男女の対の神々であり、下のリストでは、左側が男性神、右側が女性神である。

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以上の七組十二柱を総称して神世七代(かみのよななよ)という。

天地開闢において神世七代の最後に伊邪那美命とともに生まれた。そして高天原の神々に命ぜられ、海に漂っていた脂のような国土を固めるべく、天の浮き橋から天沼矛で海をかき回し、出来上がった淤能碁呂島にて伊邪那美命と結婚した。国産み・神産みにおいて伊邪那美命との間に日本国土を形づくる多数の子を儲ける。その中には淡路島をはじめ大八洲(本州・四国・九州等)の島々、石・木・海(大綿津見神)・水・風・山(大山津見神)・野・火など森羅万象の神が含まれる。

そこで、天の高天原の神々が、イザナキ神とイザナミ神の男女二神に「この漂っている国をつくり固めよ」と命じて、天の沼矛(ぬほこ)を授けて、国づくりをお任せになりました。

イザナキ神とイザナミ神は、天の浮橋という空に浮かんだ橋に立って、その沼矛を指し下ろしてかきまわしました。

潮をかき鳴らして、引き上げた時、その矛からしたたり落ちた潮が積もり重なって島になりました。この島をオノゴロ島と言います。

このオノゴロ島にイザナキ神とイザナミ神が天の高天原より降って、そこに天の御柱(みはしら)と八尋殿(やひろどの)を見つけました。

そこで、イザナキ神はイザナミ神に問いかけました。
「イザナミよ。あなたの身体はどのようにできているのか」と。

イザナミ神は答えました。
「私の身体はよくできているけれど、よくできあがっていない部分が一カ所あります。」と。

それを聞いたイサナキ神は答えました。
「私の身体はよくできているけれど、一カ所だけ余っている部分があります。
私の余っている所と、あなたのよくできあがっていない部分を刺し塞いで、国土を生み出そうと思いますが、いかがですか?」と。

イザナミ神は答えました。
「はい。それはよいお考えです。」

そこでイザナキ神は、「それでしたら、私とあなたで、この天の御柱で廻り逢ってから、寝所で交わりを行いましょう。あなたは右からお廻りください。私は左から廻ってあなたにお逢いしましょう。」と、イサナミ神と国を生むお約束をなさいました。

約束し終わって、天の御柱を廻った時、イザナミ神が先に言いました。
「まぁ、なんと愛しい男神よ。」と。
その後にイサナキ神が言いました。「まぁ、なんと愛しい女神よ。」と。
言い終わった後に、イザナキ神は「女性が先に言うのは良くないだろう。」
と言いましたが、二人は婚姻を行いました。

こうして生まれた子は水蛭子だったので、葦(あし)の船に乗せて流しました。
次に淡島(あわしま)を生みましたが、これも子には数えません。

そこで、二神は相談しました。「今私たちが生んだ子どもは良くありません。
やはり天の神々のところへ参上して申し上げましょう。」と。
すなわち、天の高天原に行って、天の神々の言葉をうかがうことにしました。

天の神々は占いをして「女性が先に言葉を話したのがよくないようだ。
また帰って先に言う方を改めなさい」と。

こうして、地のオノゴロ島に帰り降りて、再びその天の御柱を前にと同じように廻りました。今度は、イザナキ神が先に言いました。「我成り成りて余りあるところある」と。言い終わった後に、イザナミ神が言いました。「我成り成りて成り足らざるところはあり」と声を掛け合い、お互いの余っているところと足らざるところを結合させて子を生みます。

言い終わった後に生んだ子は、初めに生んだのが淡路島、次に生んだのが四国、
三番目に生んだのが隠岐。そして九州、壱岐、対馬、佐渡と生み、ついに本州を生みました。この八つの島を大八島国といいます。

国を生み終えたイザナキとイザナミは、次に神々を生みました。
石の神、土の神、海の神、風の神、山の神、穀物の神。ありとあらゆる神々を生みましたが、火の神を生んだことが原因で、ついにイザナミは命を落としました。
古事記・最初の男女神がいざなう(誘う)男「キ」といざなう(誘う)女「ミ」であった。

image046男女神が互いに「成り成りて」と声を掛け合っています。

「成り」という言葉は、完全完璧にという意味です。その「成り」が2つ重なっていますから「成り成りて」は、完全に完璧に成長したことを意味します・・・

知性の肉体もまさに完璧に成長し成熟したのですが、ところが気がつけば完璧に成長したはずが、互いに余っているところと、足りないところがある。

余ったり足りなかったりするのは、最終形態、完全体ではない。

そこで二人の男女神は互いの余っているところと、足りないところを合体させ完璧に完全体なろうとしました。

完全体とは何の欠点もなく完全で完璧にということです。

つい、私達世代は完全体と書いていて、フリーザ様を思い出してしまいました(笑)が・・・ちょっと違います。

「キミ」とは男女が喜びまぐわいあっている状態が完全体を表す意味もあるのではないか?

すると子が生まれたのです。このことは私たちとても大切なことを教えてくれています。

成熟し完璧な男女、「キ」と「ミ」は、男女の喜びであり尊敬し敬愛する男女の喜びから、「キ」と「ミ」が結合して完全体「キミ」となりて日本が生まれたのであるから、つまり、君(キミ)とは日本そのものかもしれません。

また、完全体である「きみ」から子が産まれ、成熟し「キ」と「ミ」になりまた結婚し「キミ」となり、子を産み育て、また子が結婚をする繰り返していく様の、やまと言葉で言い表した音であると思います。

その「キミが世」とは男女の営み、「男女の歓喜の世界」=「平和な世」とも解釈できますし、成熟し成長した男女が喜び子を産むことができる平和な世界が、「千代に八千代」にと続いてほしいというのですから、めでたい賀詞です。

江戸時代、「君が代」は庶民の結婚式に「高砂や」とともに歌われた賀歌である。



ここまでだけでも「君が代」における日本文化の素晴らしさを感じる歌なのですが、君が代は「さざれ石の巌となりて」と続きます。

小さな石がさざれ石という巌(いわお:高く突き出た大きな岩)と成るというのです。
さざれ石とは、小石が圧力で圧縮された礫岩のことです。

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礫岩とは、細かな石が長い年月をかけてものすごい圧力で固まったもので、さざれ石とは、日本列島が大陸のプレートが押し合い隆起して誕生した日本列島そのもののを語る物証です。

地球は10数枚のプレートで覆われていて、プレートの上に陸地や海が乗っています。
そして、日本は、①北米プレート②ユーラシアプレート③太平洋プレート④フィリピン海プレートの四つのプレートの上に乗っかっています。

太平洋プレートがの大陸のプレートが地底に沈み大陸プレートが隆起をしています。
互いに押し合っている場所にプレートで運ばれてた小石が堆積し、プレートの境に入り込み、そして何万年何千万年という長い年月堆積した小石は大陸プレートのものすごい圧力に押されて石同士が圧力で固められ、そして大きな塊の岩石(巌)となって、地殻変動で隆起し地上に出てさざれ石となります。

小石がさざれ石の巌となるには、千代に八千代にどころではなく、何十万年、何千万年といった、途方もなく長い年月を必要とします。

古代日本人がそんな地学の知識を持っていたかは分かりませんが、さざれ石を見て、長い年月をかけ生成された、さざれ石の巌と成りてという途方もないと歳月自然の偉大な力には畏怖を感じたからでしょう。

日本は古来から人が生まれ変わるものと信じられてきました
肉体は老いを迎えても魂は再び人となってこの世に生まれる、つまりさざれ石のいわおとなりは生まれ変わって何度でもという意味としてを捉えることができます。

そしてさざれ石は、元々一つ一つ小さな小石でも、大きな力で結束すれば、大きな岩石となっています、一人一人が小さな力でも、でみんなで団結したらそれは巌(大きな岩)も動かすこともある「団結せよ」と歌っているのだ。

つまりさざれ石は、一人一人が小さな力でも、男女が結束し、そして生まれてくる子供たち、新たに親戚となる者等などそのすべての人々が、大きな力の下で固く固く団結し合い
協力しあうことの象徴でもあります。

そして最後君が代は苔の生すまでと歌って締めています。

苔は冷え切ったり乾燥しているところには生えません。適度に濡れ水はけの良いところに生育します、

つまり四方が海に囲まれた日本列島のうよなに水分が豊富な沢のような濡れたさざれ石のような巌にしっかりと結びついたところに苔は生えます。

苔の生すまでの「ムス」とは天地に最初に現れた三柱の神うちの二柱が高御産巣日神(たかみむすひのかみ)神産巣日神(かみむすひのかみ)
「たかみむす」か「たかみむす」を指します。

高御産巣日神は性別はなく、むすという字に「コ」がつくと息子になり「メ」がつくと娘となります。
また「苔の生す」ムスを漢字で書くと「生す」、「生す」とは子供を養い育てるという意味があります。

つまり苔は永遠存在するものではなくその中で新しい生命が誕生し、古いものが死に土となり徐々に広がりをみせます。子孫繁栄を示しているのです。

「苔の生すま」でとは、古いものが土となり新しいものを育て繁栄しましょうという意味なのです。

すなわち苔は、「キミ」=男女が互いにしっかりと結びつき、互いにしっかりと協力し合い長い年月をかけて育成する。それは男女の営みと協力を意味します。

『君が代は』

「君」=「キ」と「ミ」完璧に成長した男女が
「代」時代を超えて

『千代に八千代に』

千年も万年も生まれ変わってもなお

『さざれ石の巌となりて』

一人ひとが結束し協力し合い団結して

『苔のむすまで』

固い絆と信頼で結びついてい生きていこう

以上のようにたいへん奥深く、一つ一つの言葉に日本人と日本列島の来歴が刻まれた、自然科学的にも意味深い歌詞であることに、驚きをかくせません。『涅槃経』に説かれるさとりの歌を和訳した「いろはうた」とともに、「君が代」は、古代日本の高い文明のレベルを示す日本が世界に誇るべき「国歌」であるのです。

「君が代」は、戦争の象徴だとか、そんな意味では全くない、日本人、いや人類の愛繁栄と団結を高らかに謳い上げた歌が、今から千数百年以上前に生まれ、大変におめでたい素晴らしい歌として勅撰和歌集にも繰り返し掲載され江戸時代には、庶民の一般的な祝いの席の謡曲として広く普及していたのです。

千年の時を超えて人々に祝い歌として歌い継がれる歌を我が国の国歌としていること自体、日本は凄いことであり、誇るべき国歌であります。

【PRESIDENT Online】2019/10/06  廣瀬 俊朗(元ラグビー日本代表キャプテン)

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「ぼくは場をつくるタイプのキャプテンだった」
——廣瀬さんの著書『ラグビー知的観戦のすすめ』(角川新書)では、ラグビーの本質を徹底的にわかりやすく解説されています。そこでのポイントのひとつが、ラグビーにおけるキャプテンの重要性です。試合に出る選手でありながら、監督に代わってチームへの指示も出さなければいけない。そんなキャプテンの考え方を仕事などに応用する「キャプテン塾」という構想もあると書かれていました。

今回のW杯をきっかけに、ラグビーの関する書籍はたくさん出てくるでしょう。そんななかで、ぼくの役割はラグビーというスポーツの根っこを深く掘り下げ、リーダーシップなどについて書くことなのかな、と思ったんです。

「キャプテン塾」は仮称ですが、スポーツに限らず、さまざまな組織のリーダーをサポートするプログラムです。キャプテンシーやリーダーシップといっても、漠然としていますよね。それをぼくたちと一緒に考えながら具体化させていく活動です。

——廣瀬さんには私の著書『国境を越えたスクラム』(中央公論新社)の取材でも大変お世話になりました。その取材では、現日本代表のキャプテン・リーチマイケルが、「自分は言葉ではなく、プレーで引っ張るタイプのキャプテンだ」と話していたことが印象に残っています。廣瀬さんはどんなリーダーだったんですか?

リーチがグラウンド上で体を張ってチームを鼓舞していくキャプテンだとしたら、ぼくは場をつくるタイプだったと思いますね。

——場ですか?

そうです。いかにみんなががんばりたいと思える環境をつくれるか意識してきました。

同じ場を共有するために「国歌」に取り組んだ
たとえば、東芝ブレイブルーパス時代、試合前日、みんなでスパイクを磨く時間をつくりました。全員で輪になって、冗談を言ったり、くだらない話で盛りあがったりしながらスパイクを磨く。そんな場がチームワークを育んだという実感があったんです。それに、自分たちのスパイクが、相手選手よりもきれいだと不思議に自信がわく。そんな時間や場を大切にしたいと代表でも全員でスパイクを磨く時間をつくりました。

——ラグビーでは、3年以上の居住などの条件をクリアすれば、国籍とは異なる国の代表としてプレーできます。今回W杯では31人中、15人が海外出身選手です。多文化共生チームをまとめていくうえでも、同じ場を共有する時間は大切そうですね。
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撮影=尾藤能暢

海外出身選手たちとの場という点で、ぼくらが取り組んだのが国歌です。

ぼくにとってもチームメイトと肩を組んで「君が代」を歌う瞬間は特別な時間でした。日本ラグビーを背負って、仲間と一緒に戦う実感がわくんです。

しかしぼくが日本代表のキャプテンになった2012年当時、海外出身選手のなかには、「君が代」を知らない選手もいました。国を代表するのに、その国の国歌を知らないのは、おかしいでしょう。チームの一員として認められていないのではないかと不安を抱いても不思議ではない状況でした。そこで、リーチたちチームリーダーたちと相談し、日本の繁栄を祈る歌だと「君が代」の意味を教えながら、みんなで練習する場をつくったんです。

みんなで肩を組んで歌う「スクラムユニゾン」
——なるほど。だから『ラグビー知的観戦のすすめ』の巻末で、W杯参加20カ国の国歌の歌詞を掲載しているんですね。

いま、ぼくは「スクラムユニゾン」と名付けたプロジェクトにも取り組んでいます。W杯出場国の国歌を覚え、みんなで肩を組んで歌う活動です。各国の選手に喜んでもらうだけでなく、来日したサポーターと肩を組んで、その国の国歌を歌えば、国際交流のチャンスになりますし、国歌を通してその国の歴史や文化を知る機会になりますからね。

「日本ラグビーを変える」という目的があった
——廣瀬さんがラグビーを通して、たくさんの海外出身の選手や関係者と接した経験から生まれた発想といえそうですね。

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撮影=尾藤能暢

違った価値観や文化を持つ海外の人に対して、こちらから歩みよる大切さを感じたきっかけは高校時代です。高校日本代表のキャプテンとしてフランスに遠征したのですが、現地の関係者やお世話になった人に一言「ボンジュール」とあいさつすると、みんなとても喜んでくれたのです。

それ自体はささいな体験かもしれませんが、その経験が社会人になって生きた。ぼくがプレーしていた東芝ブレイブルーパスや、日本代表に初参加する海外出身の選手に、各国の「ヘイ、ブラザー」みたいな砕けた言い方であいさつするようになりました。ニュージーランドなら「ハイ、ブロー」で、サモアが「ハイ、ウソ」。そしてトンガは「ハイ、トコ」……。ほんのちょっとしたことですが、このチームはみんなに対してオープンなんですよ、と知ってほしかったんです。

——同じチームで活動するなかで生じる価値観や考え方の違いはどのように乗り越えていったんですか?

繰り返しになりますが、目的を共有することですね。ぼくらのときの日本代表でいえば、「日本ラグビーを変える」という目的がありました。

「家族の存在があってこそ」という海外選手の感覚
たとえば、ニュージーランドやオーストラリアの選手は家族を第一に考える。家族がちょっと体調を崩したと連絡が来れば、日本代表の合宿中でもすぐに帰宅する。

——日本人なら合宿を優先させるケースが多いでしょうね。

おっしゃるように、従来の日本人の感覚なら代表に選ばれたんだからラグビーを優先すべきだと考えるかもしれません。でも彼らは、ラグビーはもちろん大切だけど、家族の存在があってこそ、プレーや練習に集中できるという感覚なんです。

自分ならどうするのか。改めて問いかけました。

文化や意見が違っても、同じ目的を持つ仲間

ぼく自身も、子どものころから自分自身が納得できないと動かないタイプの人間でした。選手それぞれの意見ややり方があります。だとしたら、ラグビーも家族も大切にしたいという考えは尊重すべきやな、と思った。それに、彼らは、日本ラグビーを変えるという目的を共有する仲間です。帰宅してもトレーニングはきっと続けているんですよ。

そう考えていくと、ぼくたちが帰宅した選手を信頼して待っていれば、彼のチームに対する愛着はより深まるかもしれない。文化や意見が違っても、同じ目的を持つ仲間です。互いの価値観や違いを認め合えれば、よりかたい信頼関係で結ばれ、チームにいい影響を与える気がするんです。

——異なる主張や価値観を寛容に受け入れていく、そこが多様性を持つチームの強さの原点なのかもしれませんね。

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撮影=尾藤能暢

そんな気がします。組織に多様な考え方や価値観を持つ人がいた方が、思いもしない化学変化が起きると思うんです。そんな化学変化から新しい発想が生まれ、面白いことが起こるんじゃないでしょうか。


ラグビーワールドカップ日本大会前の5月から元日本代表主将、広瀬俊朗氏が発起人となって出場国の国歌などを歌っておもてなしするプロジェクト「スクラムユニゾン」が進められてきたという。これは出場国の国歌やアイルランドの「アイルランズコール」、スコットランドの「フラワー・オブ・スコットランド」などチームのアンセム(祝歌、賛歌)を動画で配信。歌詞にはカタカナでふりがなのほか、和訳もつけ、歌いやすいようにしているという。

 国歌や伝統的なアンセムには歴史や文化が鮮やかに映し出されているといわれる。それを誇るのは自然なことだ。日の丸、君が代を否定するバカ達に、己のバカさ加減を知ってほしいものだ。

まあ、「旭日旗」をディスり続ける韓国人にはつける薬は無いと思うが・・・





君が代というのはまあ非常に一般論的にはま歌詞が素晴らしいと千代に八千代に・・
杉浦先生は別の観点から君が代国歌についてすばらしいというご意見ご見識があるそうですが、メロディーが素晴らしいということでおっしゃってるそうなんですけれどねちょっと
フリップ

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これは御魂祭の時に先生が靖国にご奉納されたものでしょうかね?
あの君が代の楽譜ですかね?

そうです

世界の五十数カ国の国歌を全部集めたCD ボックスを持ってるんですよ。
世界の音で十数カ国の国歌をたーっと聞い聞いてみるとドレミファソラシドで言うと
どの国の国歌も、ドミソのソかから始まるかドから始まるかで、普通のドレミファソラシドの音階でできてる。

ところがこれ見てください日本の国歌君が代
実に此処、ドレミファソラシはドじゃなくてレから始まった。

レドミレソミレ♪ミソラレシラソ・・・♪
とにかく世界中の国家でドかソじゃなくないとこから始まってる唯一の国歌、レから始まる。
レから始まってラソミレ♪レで終わる。
これは西洋音解のドレミファソラシドの音階ではなくて、雅楽発祥の今様音階
レから始まる今様音階、これが実に日本古来の独自の音階でできている。

これは世界唯一のそういった意味のメロディ、でそれともう一つ

レイドレミソミレ2小節ハモニー付いていないユニゾン、ラーソミレ終わりもユニゾン

ユニゾンって何ですか?

ユニソンとはハーモニーがついてなくて、斉唱。
コードが付いてない。

だからレドミレソミレの次の、ミソラソラーっていうとこからバーンとハーモニーがついて、ドミファーミファソレミとバスがついてくるわけ

レドレミソミレと来てて、ミソラと来たところで、ドミーファーミ・・・
ハーモニーがドーンとついた瞬間になんと感動的なことよ!

そこでジーンと着ます。

またそのバスの進行もとっても良い進行で、メロディからバスの進行。ハーモニー組み立てそれから使っている音階のユニークさ、すべてにおいて世界一の僕は超名曲!

1880年(明治13年)に宮内省雅楽課が旋律を改めて付け直した、最初の旋律付きの「君が代」である。

更に、その元歌が↓

おまけ