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維新の大業の一環「建国記念日」 東京大学名誉教授・小堀桂一郎
【産経新聞】正論 2021.2.11


 昨令和2年には新帝陛下御治世の下での初回の建国記念の日を迎へたが、偶々(たまたま)『日本書紀』撰上千三百年の記念年だつたので、自然に神武天皇の肇国(ちょうこく)事業に懐古的感想を馳せるめぐり合(あわ)せとなつた。

 それは慥(たし)かに建国記念の日の意義を考へる際の正統的な視点であるが、それと並んでもう一つ、此の祝日の制定を明治維新の大業の一環だつたと捉へる見方がある。

 ≪開国と祝日の制定経緯≫

 慶応4年1月に開国の宣言が詔勅及「御沙汰書」を以(もっ)て宣明されてゐるが、その双方に以後<外国交際の儀は宇内の公法を以て取扱ふ>との文言がある。

 <宇内の公法>とは日本国が参入する事を宣言した国際社会で共通に行はれてゐる法制・慣例である。自国と交際相手国との間に外交・通商の面で社会慣例上の齟齬(そご)が種々あらうが、その場合自国の旧慣を捨てて国際慣例に従ふとの主旨を国家の責任を以て宣言したものである。

 これが明治5年の太陽暦採用施行の前提になつてゐるのだが然(しか)し注目すべきは新暦採用を宣する詔書に、国際標準に合せるとの主旨は一語も無く、改暦の理由としては唯(ただ)太陽暦の精密に比して太陰暦には不便が多すぎるとのみ述べてゐる事である。国家意志の自主性を明示したい明治政府の矜持(きょうじ)を其処(そこ)に読み取る事ができる。

 太陽暦は明治6年1月以降国民生活の時間的区分を規定する事になつたが、すると従来の上巳(じょうし)・端午(たんご)・重陽(ちょうよう)等の五節句の祭儀は、民俗伝統としての意義は十分に認められはするものの、太陰暦を廃止する以上、国家的祭儀として保持するのは不適当と思はれる。

 そこで<諸事神武創業の始に原(もとづ)き>との王政復古の大号令の趣旨に合せて、当代の国家的祭儀としては皇祖神武天皇の御即位記念日と現に国家元首たる今上天皇の御誕辰(たんしん)の日がそれに相応しいと考へられた。現天皇の場合は御誕辰の嘉永5年9月22日を新暦に換算すればそれで済む。神武天皇の御即位は「日本書紀」によれば西暦紀元前660年辛酉(しんゆう)の年庚辰朔(かのえたつさく)とされてゐる。これを太陰暦の元日と見ただけでは毎年異同が生ずるので皇紀元年の元日を太陽暦に換算して2月11日と固定させ、明治6年にこの日を紀元節と定めた。故に第一回の紀元節祭は明治7年のこの日といふ事になつた。

 新設の祝日紀元節が、民間に深く浸透し根付いてゐた五節句に匹敵するほどの親近性を得たのは明治21年の小学唱歌に周知の通りの名旋律と品格高き国風の歌詞を得たのを機会に徐々に時日をかけての後の事であるとは昨年の本欄に記した。今回はそれが維新の大業の一環でもあつたとの上記の観点からその由縁(ゆかり)を考へてみよう。

 ≪外形の善美より以前に≫

 建国記念日制定の動機は、維新政府の首脳達の国家意識の成熟とその意識を広く民間に涵養(かんよう)したいとの要請である。それは当時彼等の眼には先進国と見えてゐた欧米列強に伍して独立主権国家としての面目を備へ、諸外国からの侮りを受ける事なく万民を保全してゆくといふ、国是としての要求を充すための努力の一端だつた。

 この要求は新政府の首脳達、即ち御年14歳で践祚(せんそ)されたまだ童形の新帝、といふより慶応2年暮に崩御された先帝孝明天皇の身辺に結集してゐた公卿と武家集団の胸裡に切実に生じてゐた事である。

 此の人々は會澤安(やすし)の『新論』(文政8年)に起源を有し、徳川斉昭治下に隆昌を迎へた水戸学の学統に深く学んでゐた。学び且つ用ゐてゐた言葉は伝統的漢文だつたがその内容は近代国家に必須の国家戦略論の骨格を備へてゐた。

 その哲学の要諦は、外に向つて国家の存在の意味を宣揚し得るためには、外形の善美より以前に、国民の内面に自国の正統性の根拠についての認識が無くてはならぬ、との判断である。正統性の意識を培ふのは正しい歴史認識であるが、それが広く他者からも認められるためには、その認識が普遍妥当性を有する、つまり「理」に即したものでなくてはならない。

 明治新政府の人々は、対外関係強化の核としての国民統合の実を築くに当つて、それを普遍的な理に基(もとづ)かせる事に細心の注意を払つた。故に太陽暦施行の詔には専ら学問的動機を挙げ、国家的祝祭日の制定は国家元首の誕辰と肇国の皇祖の即位記念日との2件に絞つた。且つ二千年余の昔の伝承である皇祖の即位記念日の制定の経過説明は、暦学上の精密な計算結果以外の政治的な注釈を付加へる事を抑へて簡潔な布告に留(とど)めた。

 ≪「理」を以て簡潔明晰に≫

 現今我国は険悪な国際関係の渦中にあり、果して自国の安全保障を全うし得るか否かの危機に直面してゐる。之に加へて余計な事には悪疫の猖獗(しょうけつ)に祟られて国民の経済生活自体が破綻に瀕(ひん)してゐる。

 この国難を克服する王道は国民の団結に基く挙国一致の忍耐と努力以外に無い。その目標に向けて人の情緒に訴へる呼びかけも固(もと)より有効ではあるが、その基底には明治の維新政府が示した如き、冷静な「理」を以て人を納得せしめる簡潔明晰さが不可欠である。(こぼり けいいちろう)


毎年建国記念日の2月11日には「建国記念日に思う」という記事を書いていたが、今年は、うかつにも失念してしまっていた。

産経の正論を読み、建国記念の日が太陽暦で固定された意味と意義、国家戦略であったことを読み、改めて現在、中共ウィルスやオリンピック開催問題で揺れる日本を見ていると、
明治維新の元勲達はどう思うのか、とても情けなくなる。

政府の対応というより、前立せん癌(2002年)・肺癌(2015年)を患い、現在は透析を受けている一人のご老人を寄ってたかって言いがかりから、集団リンチを行い、女性蔑視だと叫び、男女同権だと叫ぶ反日野党と左翼マスコミの姿は私の目からは常軌を逸した悪魔にしか見えない。元首相で政敵だからといって、人として許される行為ではない。


また、森会長を集団リンチして気勢を上げている連中は、日本学術会議という反日反科学集団の悪行を擁護し往々にして建国記念の日に反対集会を開き、日本建国の日を偲ぶことを妨害して喜ぶ連中とほぼ同じである。

建国記念日が戦後GHQの意向で、昭和23年一度は廃止となったが、1966年(昭和41年)「建国記念の日」として復活したが、GHQの反日政策を金科玉条のごとく守る左翼勢力は毎年この日に建国記念日の反対集会を開く。同時にこういう人たちは、憲法9条を守ろうと主張する人たちと完全に被るのである。バカ野党関係者の愚かしさを改めて感じるのであります。

「建国記念日」は本当に神武天皇が即位した日を記念した日ではなく「建国をしのぶ日」と祝日法で規定されています。悠久の昔、日本列島に今日に繋がる王朝である天皇家による初の統一国家である今日の日本国が建国された日を祝う日なのである。
※当時は日本とは呼ばず、大八州、大日本豊秋津洲、豊葦原千五百秋水穂国、大倭日高見国とも呼んでいましたが・・・

私は保守主義者ですが、皇国史観の原理主義者ではありません。皇国史観では神武天皇以降の歴史にしかスポットがあてられていませんが、日本列島には1万年2-3千以上続いた長い縄文時代があり、偽書とされる多くの古史古伝には縄文時代の歴史それ以前のに起きたであろう地球規模、人類規模の歴史、遠い過去の歴史の断片が書かれていると信じています。

古史古伝に登場するウガヤフキアエズ王朝とか富士高天原王朝から比べれば神武
王朝の成立は疑う余地がない。

神武天皇が即位した正確な年代や正確な日はいつなのか、そもそも即位という儀式をとり行ったのかすら正確ではないことは十分に承知している。

日本の建国の日は、日本書紀の記述を根拠に、紀元前660年の旧暦1月1日に「初代天皇」である「神武天皇」が、おおきみ(大王)として即位し、今日の天皇家を国家元首とする日本と言う国家が成立した日として、明治5年以降2月11日を記念日として祝ってきた。

キリスト教にいおいては、三位一体説や、イエスの奇跡のように、ある種非合理的な事実について、あるか無いかの真実を追求することではなく、奇跡があったことを同じく信じる、もしくは心の奥では信じてなくとも信じると宣言することで、同朋として認め、仲間である意識が形成される。

日本においてはどうか?一部の反日団体は、建国神話を皇国史観や戦争と結びつけ、それを祝うことは軍国主義の復活である、などとして反対する勢力が蔓延っている。

多くの伝統と秩序を重んじる日本人にとって、それら勢力は永遠に分かりえない。GHQが施した「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」というマインド・コントロールから覚醒しないこれら勢力は、いつしか反日思想で通じ合う敵対国家、北朝鮮・韓国・中国といった反日国家の国益と結びつき、日本を悪い方へと導いても、政治的に正しい(ポリティカルコレクト)さえよければ良しとする人々は、日本にとって癌細胞のようなものである。

マスコミも国民も2月といえば2月14日のバレンタインデーで、大いに盛り上がる日だが、269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した「聖ウァレンティヌス処刑の記念日」であって、そそれも事実か否かは正確ではない日だそうだ。日本人とっては本当は2月11日の方が重要な日である。

建国記念の日を盛り上げるには、いっそのこと2月11日を神武天皇を記念して聖エンペラーDayとでも呼び、2/14を義理チョコの日、11日を本命チョコの日だと電通あたりに宣伝させたら大いに盛り上がると考えるのはいささか不敬であろうか?・・・・