年末から、どうしても当ブログでも取り上げたい動画がありました。
CGSの人気講師ねずさんこと倭塾塾長 小名木善行善行氏の結美大学での動画である。

最終氷河期、日本の縄文時代が始まる直前のおよそ2万年前、日本は寒冷化した地球上のなかで温暖な気候で、海面が現在より140m低かったという事実である。2万年前人類は文明と言えるものは持っていなかったとされている。

世界最古の文明は、今から約5000年前のエジプトのナイル川流域におきたエジプト文明と、西アジアのチグリス・ユーフラテス川流域におきたメソポタミア文明であったというのが定説である。

ところが世界で一番古い土器は日本の縄文土器とされるが、なぜに農耕が始まったエジプトやチグリスユーフラテス河付近ではなく、極東の日本なのか?それは2万年前の日本の地形や気候にその理由が隠されている。

もしかしたら超古代史史観ではポピュラーなことだが、日本こそが世界の文明の源流であった可能性が高いと思う話であった。2万年前の氷河期末期海面は現在の海面より140m下にあったという事実である。

日本近海の水面下140m付近の海底を浚えば、もしかしたら2万年前の土器や農耕跡がないとも限らない。


Googleマップで2万年前の日本地図が見える、すごい使い方│小名木善行•2020/10/10 

image023

Google mapの航空写真で水色の部分は大陸棚で水深140mより浅い部分である。
小名木先生の説明では、正確ではないと思い検索して水面下140mの部分までが陸地であればどうかというシュミレーションを検索したものが下の画像です。

image045
海面上昇下降シミュレーションより水面下140mの地形 

この動画を切り取った画像で、日本海は海として描かれているが、海洋と切り離され死海(海抜は-418m)やアフリカの大地溝帯海抜は-155mのように、海水面下の海抜-2500mの盆地であった可能性のありうる。

理由は、日本海の航空写真を見ると、能登半島~佐渡島の海底に陸地だった頃に形成された大渓谷の跡が確認できる。明らかに海底斜面の泥が深海へ落下する際にできる乱泥流もしくは混濁流の跡とは違う。

image041

image026

どう見ても大渓谷である。もう一つ考えられることは2万年より更に前の12万年前の氷河期に形成された可能性もなくはない。その間に地殻変動があり水面下2000m以上に渓谷が沈んだ可能性もある。

image046

能登半島と佐渡の間の海底に存在する大渓谷付近は水深2500m付近だ!
ゆえに、日本海は2万年前日本海盆地という日本海の形見の湖を囲む盆地

洪水伝説は、黒海にボスボラス海峡から豊穣の三角地帯の一翼を担った黒海海底の穀倉地帯に海水がなだれ込んだ記憶ではないかというのがDdogの解釈であるが、同じことが日本海でも起きた。流れ込んだ入り口は津軽海峡である。

かつてアイヌの人々が津軽海峡を「しょっぱい川」と呼んだが、もしかしたら、比較的ゆっくり流れ込んだのだろうか?日本には世界中である洪水伝説が、沖縄を除きほとんどない。

しれとも、文明が既に興きていた縄文以前のプレ日本列島の住民は、天災を予知しあるいは避難をしていて、大洪水伝説は残らなかったかもしれない。

小名木先生は、古代日本人達は、人類が全く抗しきれない自然の力を、「人格神を超えるより上位の無人格神の存在を感じてもなんら不思議ではない」、と説明されてます。

image030

2万年前ベーリング海峡は氷河と海面低下で陸続きであった。
その結果北極海から寒流は流れ込んで来ず、その結果氷河期であっても日本近海は赤道付近の温かい海流が日本付近に流れ込んでいた。


image032

氷河期ではあっても日本は世界で唯一温暖な地域であり先々史時代文明が興っていたとしても何らおかしくない。

そこで、有名な与那国海底遺跡の存在の合理的説明が可能となる。

image028

文明が興っていた可能性が高いのは、内海ヒルコを囲む沖縄海底と、北東亜平原付近であった可能性が高い。そしてその海の出口にあるのは与那国海底遺跡ではないか?

そして、その目的は内海のヒルコから外洋へ出る出口であり軍事的要衝であるから軍事的要塞施設ではなかったか?遺跡の高さ26m更に木組みで物見台でも建築すれば、だいぶ遠くまで見渡せる。



Google mapで日本の海底にある…謎の巨大模様の正体丨小名木善行・2020/12/22に公開済み


image020

これに関しては海底遺跡ではない・・・・ような気がします。南北50km東西60kmしかも水面下1000mでは都市遺跡ではない。ではなにか?と聞かれたら・・・・今のところ答えは持ち合わせていません・・・それこそ地底人ノンマルトか宇宙人の海底基地か?
これが川口浩探検隊ならば、竜宮城は実在した!だね(笑)

image025

これを小名木先生は天鳥船用の滑走路だと言う。全長50kmの滑走路・・・滑走路ではなさそうな気がします。全長50kmはあまりに長すぎるので、あえてSF的に考えるのであれば、宇宙空間へ天鳥船を押し出す電磁カタパルトであれば50kmは説明がつく。

古事記をSFとして解釈すれば、天鳥船は鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)とも言い、飛ぶことができるが外観は石や硬い楠木のような素材で出来た大気圏外も飛行可能な極超音速機、もしくは宇宙船となる。

image054
天鳥船画像元 https://twitter.com/BChiguma/status/929413582290161665/photo/2

image056

image060

日本の古史古伝の竹内文書中にも天鳥船は言及されており、天鳥船と同じく世界中と黄泉の国を行き来するエジプトセン・ネジェム古墳の壁画の太陽の船にそっくりな絵が6世紀に作られた福岡県珍敷塚古墳に描かれているのは単なる偶然なのであろうか?



福岡県珍敷塚古墳と甑島沖の謎の約50kmの直線(滑走路)は確かにそう遠くはないが・・・6世紀の約200kmは近くはない。

image050


ただ、仮に私が超古代文明が存在していてそのエンジニアであったとするならば、甑島が山脈で邪魔となるので、あえてあの場所には造営しない。