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中共ウイルス禍のおかげで昨年の正月から一人暮らしの水戸の父が住む実家へ戻っていなかった。

三度目の緊急事態宣言が出ているが、GW実家へ帰った。

免許を返納し足のない父を久しぶりに父方の祖父母の墓参りに連れて行った。
途中父が耕す畑にトマトの苗を植える為、近くのホームセンターでトマトの苗と肥料を買い込んだ。

墓参りに行く前、父お気に入りの焼き肉屋で昼飯を食べたのだが、バケツをひっくり返した豪雨が降った。小雨になったので旧金砂郷村にある墓へ墓参りをした。

父の叔父にあたる海軍兵曹長六蔵さんと、陸軍憲兵七蔵さんの話を聞いた。

七蔵さんは陸軍憲兵であった。父も罪状当正確には知らないのだが、憲兵だという理由だけでオーストラリアでB級戦犯として処刑されたのだそうだ。父にとって優しい叔父であったらしい。奥さんのお千代さんは、私の幼少期父の実家によく遊びに来ていて私もかわいがってもらい面識があった。ただ、お千代さんも六蔵さんについて詳しく話すことはなかった。

六蔵さんと父は生前に一度しか会ったことがなかったという。田舎から若くして東京に出、一高~東大を目指したそうだが目標を果たせずそのまま東京で就職したとのことだ。

オーディオファンだったらしく、蓄音機の新しいのが出ると買い替え、古いものは実家へ送って、父の実家には2台ほど蓄音機があったそうで、戦前父は、父のすぐ上の北海道の叔父で蓄音機を廻し、村の若者やら年寄り相手にSP版で流行歌やら浪曲の類の演奏会をやったそうだ。

六蔵さんは独身で、出征の際最後に実家に戻り海軍へ入隊したそうだ。どの海戦で亡くなったのか何に乗っていたのかもよくわからないが、レイテ沖海戦あたりではないかとのことだ。

墓参りを終え実家に戻る途中また雨が強く降ったのだが、東の空にきれいな虹がかかっていた。
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完全な
二重半円の虹であった

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撮影場所は青柳の渡しの碑がある那珂川堤防上である。場所は九代藩主徳川斉昭が北宋士大夫である宋迪が創始した瀟湘八景に倣って選ばれた「水戸八景」の一つ青柳夜雨の碑がある鹿島香取神社境内南のすぐ傍にある。青柳夜雨は青柳の渡しの木の下から見た水戸城下の街のことであるから、水戸芸術館の塔とNTTの通信塔が見えるこの地が実質水戸八景の地かもしれません。

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虹はスピリチュアル的にとても縁起が良いもので、世界的に幸運のサインとして知られています。ちなみに後で書きますが、古代中国や陰陽道ではかならずしも縁起がいいとはかぎらないそうです。

古代中国人以外は、虹を見ると幸せな気持ちになり願いが叶う・希望がある・人生の転機となる・夢が実現する・明るい未来が待っているというスピリチュアル的な意味を感じ取ることが普通です。

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もうちょっと全景が絵になるところで撮ればよかった・・・
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虹の麓に行きたいと思って追いかけたけどこれが限界でした

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https://weathernews.jp/s/topics/201807/300165/

そもそも虹は、太陽に向かって反対の方向に出現します。
私達が太陽を背にして立った時、太陽光の進む方向(対日点)から常に42度の角度を保っています。そのため、虹のふもとに、どんなに素早く行こうとしても、虹は42度の角度を保ち続けるため、虹と自分との距離は縮まりません。しかし、今回も比較的近くに行けた。

残念ながら虹のたもとには辿り着くことは絶対に出来ないけはずだが、学生時代虹の麓を合宿へ行く観光バスで通過した体験があるのだがあれはなんだったのだろう・・・・

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日が沈み雲がかかってくると虹も消えていきました

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なんだかコローやミレーに代表されるバルビゾン派七星の画家やオランダ近代自然主義絵画のハーグ派が描いた19世紀初期の欧州の風景みたいです。

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ところで、「虹」という漢字をよく見ると変だ。虫偏+音符「工」(=つらぬく)。虫偏の虫はへび「蛇」も含みます。広辞苑には にじを、空にかかる大蛇に見たててできた文字。 とあります。

古代中国では、蛇が山で千年、海で千年、野原で千年修行をすると天に昇って龍になれると考えられていました。そして虹は、龍になる大蛇が天空を貫く時に空に作られるものと想像されていたため、蛇を表す虫偏。さらに、「貫く」とか「天と地をつなぐ」などを意味する「工」の字で「虹」という漢字が成立したとのことですが、古代中国人にとっては虹は不吉なものの象徴で、虹が出ると良くないことが起こると信じていたようです。中世になっても中国では虹がでれば、陰陽道の天文博士にそれが吉凶どちらかの予兆か占わせたとか?

ちなみにwikiの虹に面白いことが書いてあった。


古代ギリシャでは紀元前300年ごろまで、中国では西暦1000年頃まで、日本では西暦1200年頃まで「虹は生き物だ」と考えられていた。その後は多くの著者が「虹は生き物ではない」として「虹は生き物だ」と書く本は無くなった
。中国では「蛇=へび」「蛙=カエル」と同様に「むしへん」を用いて「虹」と書いた。

虹には「霓(ゲイ)」という文字でも虹を表した。「虹(こう)」は「オスの虹」で「霓(げい)」は「メスの虹」の意味だった
。また、古代中国の『礼記』の「月令」には「虹は3月に現れて10月に消える」という話が書かれていて、多くの本に引用されていた。この場合、虹は春に発生して秋に姿を消す虫や蛇のように考えられていた。

冬に雨が少ない地域ではこのような現象が見られたと思われる
。英語圏では「レインボウ」と呼ぶが、「レイン=雨」と「ボウ=弓」が結びついた言葉である。西洋でも東洋でも大昔から「にじは雨の子、雨の作り出すもの、雨が大好きな生き物」と思われていた。

翌日妹が、母の墓近くに美味しい蕎麦屋が移ってきたというので、母の墓参りついでに寄ることにした。

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そばまさ」という店だ。食べログで3.49の評価だ。私の評価では4以上の評価は確実にある。

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2色せいろのの2枚とも十割細打ちそばを頂いた。

そばやの帰りに、妹と水戸八景の話となったが、小澤の滝がずいぶん前に曝井(さらしい)のようにきれいに整備されているという話を聞いた。


実家のすぐ近所の曝井は確かにニ十数年前位に綺麗に整備されていたが、小澤の滝の存在自体恥ずかしながら知らなかった。「小沢の滝?何、知らない」と言ったところ、妹は私をバカにして、「ウソ~」と言って、帰りに寄った。滝とあるが、滝ではなく台地の麓によくある曝井のような泉であった。

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妹とは家で別れ、妹から水戸芸術館のチケットを貰った。
3.11とアーティスト:10年目の想像」を見て帰った。


3.11とアーティスト:10年目の想像 | Artists and the Disaster: Imagining in the 10th Year
•2021/02/05


3.11とアーティスト:10年目の想像 | Artists and the Disaster: Imagining in the 10th Year 会場風景

一見ガラガラだったが、もの好きな人がいてこの手の現代アート展の平均的な密度であった。


4時頃に水戸を出たはずだが、途中の渋滞は酷かった・・・家に着いたのは8時過ぎであった。江戸橋JCTの横転事故を通過するだけで1時間以上かかった。

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放蕩息子、17世紀
(The Prodigal Son, 17th century)
サロモン・ド・ブレイ
放蕩息子のたとえ話


ある人に二人の息子がいた。弟の方が親が健在なうちに、財産の分け前を請求した。そして、父は要求通りに与えた。

そして、生前分与を受けた息子は遠い国に旅立ち、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。大飢饉が起きて、その放蕩息子はユダヤ人が汚れているとしている豚の世話の仕事をして生計を立てる。豚のえささえも食べたいと思うくらいに飢えに苦しんだ。

父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。彼は我に帰った。帰るべきところは父のところだと思い立ち帰途に着く。彼は父に向かって言おうと心に決めていた。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」と。ところが、父は帰ってきた息子を見ると、走りよってだきよせる。息子の悔い改めに先行して父の赦しがあった。

父親は、帰ってきた息子に一番良い服を着せ、足に履物を履かせ、盛大な祝宴を開いた。それを見た兄は父親に不満をぶつけ、放蕩のかぎりを尽くして財産を無駄にした弟を軽蔑する。しかし、父親は兄をたしなめて言った。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」(口語訳新約聖書 ルカ 15:11-32)

解説
この物語の主題は、神に逆らった罪人を迎え入れる神のあわれみ深さである。登場する「父親」は神またはキリストを、「弟」(放蕩息子)は神に背を向けた罪びとを、「兄」は律法に忠実な人を指しているといわれる。

放蕩息子であった弟が故郷に帰還し、父親に祝宴を開いて受け入れられるという物語を通して、神の深い憐れみの奥義が表現されている。

一方、弟のために開かれた盛大な祝宴を喜ぶことができず、父親に不満をぶつける兄の姿は、律法に忠実な人が陥りやすいファリサイ派の精神、傲慢さを表していると読むこともできる。この読み方によれば、兄をたしなめる父親のことばはファリサイ派のパン種(偽善・慢心)に注意しなさいという、この兄のようないわゆる「善人」への警告を含んでいるとも読み取れる。マタイによる福音書(20章1-16節)でイエスは「ぶどう園で働く労働者のたとえ」を語っている。一番はじめに呼ばれた労働者は午前9時から働いた。そしてある人は12時から、ある人は午後3時から、またある人は午後5時からという具合にぶどう園で働いてもらい、最後に主人は最後に呼ばれた者から順番に同じ金額の報酬を与える。このことに対し最初の労働者が主人に向かって不平を言った。放蕩息子の兄の不平はこの最初の労働者の不平と同じものと言えるのであろう。。

また同時にこのたとえ話は、神の楽園から追い出されていった創世記のアダムとエバの子孫である人類に対して、神の楽園への帰還を呼びかけるという、壮大な救済の物語を象徴的に重ね合わせている。