「アニメ」の定義が変わる? ネット配信による世界的な盛り上がりは何をもたらすか
大手配信サーヴィスを中心に、アニメ分野を強化する動きが世界的に本格化している。いまやアニメは世界共通の文化として受け入れられており、これによって「アニメ」の定義すら変わってしまうかもしれない。
【WIRED】2021.04.29 THU 18:00TEXT BY WILL BEDINGFIELD TRANSLATION BY CHIHIRO OKA


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IMAGE BY NETFLIX

2000年代の初頭の話だ。当時はアニメ専門チャンネルに「TOONAMI」という日本アニメを中心とした放送枠があり、ずっと『ドラゴンボールZ』をやっていたことがある。このときは毎朝9時から夕方の5時までコーンフレークの入ったボウルを抱えてソファーに転がり、悟空が絶叫しながらレヴェルアップしていく様子を眺めていたものだった。

本編だけでなく、同じくらいの量のCMも観ることになった覚えがある。1話20分の放送の間に5分間のCM枠が少なくとも4回はあり、その大半はペンキの缶でけがをした従業員のための保険詐欺の宣伝だった。

テレビでアニメを観たのはそれが最初で最後になり、以後は違法なネット配信に乗り換えてしまった。画質が悪く、サイトにはポルノの広告が散りばめられていたが、これは違法サイトであるが故の宿命だったのだろう。

いまではアニメを合法に鑑賞する方法は余りあるほど存在する。最近のアニメファンなら、違法サイトで鑑賞するような嘆かわしい経験とは無縁のはずだ。実際にネットフリックスのアニメ部門のチーフプロデューサーである櫻井大樹は、今年は人気ドラマ『ウィッチャー』や『バイオハザード』のアニメ版からオリジナル作品『エデン』まで、40本あまりの作品を投入していくと語っている。『エデン』はロボットの街に生まれた人間の少女を描くSFファンタジーだ。

Netflixのアニメのラインナップには、スタジオジブリのほぼ全作品が揃っている。さらに『カウボーイビバップ』『新世紀エヴァンゲリオン』『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』など、子ども時代に探し求めていたような過去の名作が並ぶ。


Netflixだけではない。HuluやAmazonプライム・ビデオなどの競合もアニメ分野の強化に動いており、なかでもアニメ配信サーヴィスのFunimationを傘下にもつソニーは、AT&Tからアニメ配信会社の「Crunchyroll(クランチロール)」を12億ドル(約1,297億円)で買収することに合意している。ただし、この取引が独占禁止法に違反しないか、米司法省は調査を進めている。


日本企業が気づいた重要なこと
こうした競争の激化によって、アニメ業界は大きく変わろうとしている。

もともと歴史的に、日本国外で放送されるアニメ番組はごくわずかだった。ファンは好きな作品が自国でも観られるようになるまで何年も待たなければならなかったし、通信販売でヴィデオを取り寄せたり、アニメイヴェントでテープを交換したりすることもよくあった。『新世紀エヴァンゲリオン』のような人気作品の場合、正規品のDVDに数百ポンド(数万円以上)を払うファンもいたのである。

それに違法コピーだけではない。ファンが勝手に作成した字幕(翻訳の背景などの解説が画面いっぱいに入って肝心の本編映像のじゃまになる)や不正確な吹き替えも普通だった。

特にひどいことで有名なのは、ファンの間では「Big Green」と呼ばれる『ドラゴンボールZ』の吹き替え版だろう。ニューカッスル大学講師の吉岡史朗によると、00年代のはじめに英国に来たばかりのころは、日本のアニメを合法に鑑賞できるのは70年代にテレビで放映していた番組の上映会くらいだったという。

だが、時代は変わった。かつての日本企業は「かなり年配の保守的な男性」が経営権を握っていることも多く、ネットの普及によって現れた新しいチャンスを活用することに積極的ではなかったと、アニメ史を専門とするヘレン・マッカーシーは説明する。

それがいまでは、米国の配信大手などが放送前のアニメを買い付け、違法ダウンロードなどの海賊版に対して先手を打てるようになった。マッカーシーは「海賊版と戦う唯一の方法は正確な翻訳を付けたものを配信することであると、ようやく日本企業も気づきました。そして欧米企業と提携をするようになったのです」と語る。

世界共通の文化が誕生

これは根本的な変化であり、アニメ産業の価値が急速に高まっている理由のひとつでもある。アニメ作品を合法かつ気軽に観られる環境ができて違法ダウンロードが消え、アニメ業界の収益性が高まった。それを受けてプラットフォームが投資を強化する、といった好循環である。

これまでも世界にアニメファンはたくさんいたが、お金を払っている人は少なかった。「アニメ好きな人は世界中にいましたが、誰もが合法ではない手段で作品を楽しんでいました」と、吉岡は指摘する。「ところが、Netflixやクランチロールのような“公認”の配信サーヴィスが出てきたことで、いまではきちんと稼げるようになっています。だからといって過去に需要がなかったわけではありません」

つまり、アニメを簡単に観られるようになったからこそ、人気が高まっている。ゲームと同じで、もはやアニメはニッチなオタク向けの趣味ではない。なにしろ90年代にアニメを観ていた世代は子どもをもつ年になっているのだ。

最近は俳優のマイケル・B・ジョーダンが『NARUTO ーナルトー』をモチーフにしたファッションアイテムを売り出したほか、歌手のメーガン・ザ・スタリオンは雑誌で『ぼくのヒーローアカデミア』の登場人物のコスプレをしている(これに触発されて、作品中にスタリオンのファッションにインスパイアされた服が登場したこともとある)。

こうしてアニメとそこで扱われるテーマ(恋愛、アクション、高校生活、巨大ロボット、食文化など)は、世界中で人気となっている。配信サーヴィスが普及したことで、世界共通の文化が誕生したのだ。

「オンラインでのコミュニケーションが拡大するにつれ、なかでも先進国では10代や20代の若年層が体験するものが均質化されてきています」と、マッカーシーは説明する。「英国や米国、フランス、ロシアのティーンエイジャーは日本の10代の若者たちと同じものを楽しんでいますが、これはごく普通のことなのです」

利益を生むようになったアニメ

ネットフリックスがアニメに注力する理由は極めて単純である。「それが利益を運んでくるからです」と、マッカーシーは言う。「『アニメ』というラベルは『漫画』と同じように人々を引きつけ、巨額の利益を生み出すことができます」

また、『君の名は。』のような作品は中国で数百万ドルもの興行成績を記録している。アニメは中国で市場シェアを拡大する上で重要な鍵になると考えられているのだ。

ネットフリックスの櫻井は、直近の数カ月に限れば2億人に上る世界のNetflix契約者の半分はアニメ作品を観ており、アニメの視聴者数は年間約50%のペースで拡大しているのだと、ブルームバーグの取材に語っている。『ゼウスの血』は米国で制作されたNetflixオリジナルのアニメだが、80カ国で人気作品のベスト10にランクインしているという。

配信プラットフォームが新たな視聴者を獲得しようとするにあたり、アニメには別の魅力もある。漫画やコミックと同じように、アニメには膨大な量のアーカイヴがあり、しかもその多くは複数のメディアにまたがっているのだ。これは人気作品からできるだけ多くの利益を搾り取るための“メディアミックス”の結果で、ひとつのアニメからテレビ番組やゲーム、実写版映画などがつくられるほか、キャラクターグッズなども販売される。

ネットフリックスがもたらす変化

ネット配信の普及は日本にも変化をもたらした。日本ではアニメが非常に人気で、『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』や『君の名は。』といった劇場版アニメは、アニメだけでなく一般作品も含めた映画全体の興行収入を塗り替えている。こうしたなか、配信大手はフジテレビジョンといった日本のテレビ局と競う必要がある。

グラスゴーに拠点を置くアニメ配給会社Anime Limitedの共同創業者で最高経営責任者(CEO)のアンドリュー・パートリッジによると、日本のアニメ業界では伝統的に出資者が「製作委員会」を設立し、この組織が国外でのマーケティングや版権管理も担うという。ところが、ネットフリックスによって状況は変わりつつある。

ネットフリックスは『シドニアの騎士』の配信したときのように世界全体の版権を丸ごと買い取って海外展開を管理したり、特定の層をターゲットにしたアニメを自ら制作したりするようになっている。例えば、『ブーンドックス』のラション・トーマスを起用した『YASUKE -ヤスケ-』は、欧米の視聴者を想定してつくられたNetflixオリジナルだ。

「ネットフリックスはオリジナル作品の制作に意欲的です」と、パートリッジは言う。「日本においても同じことを求めており、それが結果として非常に興味深い結果につながっているのです」

「アニメ」の定義を巡る論争も
日本のアニメは昔から米国のアニメーションよりも制作費が安く、自前で制作すればさらに安く上がる。「日本の作品に翻訳を付けて提供するというコストのかかるやり方をやめればいいのです。英語やフランス語のように世界の多くの地域で通じる言語で、日本語を母語としない世界の視聴者のために同じようなアニメをつくることができます」と、アニメ史家のマッカーシーは語る。

「何よりもいいことに、アニメにはあらゆる人のための作品があります」と、イースト・アングリア大学でアジアのメディア文化を教えるレイナ・デニソンは指摘する。「女性向け、歴史の好きな人向け、子ども向け、ティーンエイジャー向けなど、さまざまなジャンルがあるのです。ただ、これまではそのごく一部しか観ることができませんでした。配信サーヴィスはこれを変えたのです。アニメに対する理解を深める上で非常に役に立ち、素晴らしいことだと思います」

一方でアニメの価値が高まるにつれ、その定義を巡る論争も起きている。「アニメ」は一般的に日本のアニメーションを指す言葉だが、それなら米国で制作された『ゼウスの血』は「アニメ」と呼べるのだろうか?

この点についてマッカーシーは、『ゼウスの血』のような作品は「ラベルとしてのアニメ」であり、本質的にはマーケティングのための戦略にすぎないのだと指摘する。

「“米国製のアニメ”といった言葉を使うのは、お金が目当てのときだけです。買い手にそれが“アニメ”であると思わせないと、高値で売れないと考えているのです」と、マッカーシーは語る。「ネットグリックスがやろうとしていることは“アニメ”なのか、それとも“米国製のアニメ”なのか。それが重要になるでしょうね」

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ご存じのように鬼滅の刃無限列車編が、米国でも公開され全世界を席巻している。
世界中が日本文化の塊であるアニメ映画に夢中のようである。

21世紀になってからハリウッド映画で観たいと思うような映画が減り、とくにここ10年で金を払って観たいと思って観に行ったのはQueenのフレディ・マーキュリーの伝記映画「ボフェミアンラプソディ」と・・・あとは・・・思いつかない。

一方アニメ映画(特撮映画)は観たいと思うものばかり。ジブリ作品はいわずもがなで、エヴァンゲリオンや、庵野監督によるシン~シリーズ、シンウルトラマン、シン仮面ライダーなど今からわくわくしてる。

私は昭和38年生まれ、世界初のTVアニメ鉄腕アトムの放映が始まった年に生まれた。当時はビートルズがデビューし文化と言えば欧米文化が全盛で、漫画やアニメは後にサブカルチャーと呼ばれたように、メインストリームの文化ではなかったのである。

だが、いまや冒頭のワイアードの記事を読む限り、世界的な文化もメインストリームの先頭を走り、21世紀は日本生まれのアニメが世界的な文化的影響力を持つ時代になることはもはや疑うことはない。

私のYoutubeのお気に入りには、登録している「岡田斗司夫ゼミ」が度々あがってくる。岡田斗司夫ゼミは、単なるオタク話ではなく、大人の教養として深すぎる話に夢中になって観ています。もはや
岡田斗司夫氏の話は東大で非常勤講師を務めたように、今後学問の一分野「特撮アニメ概論」として成立していくことでしょう。

世界で、アニメ漫画は猛烈な勢いで人気を増していることはいまや常識である。

70年代に海外に進出しだした日本アニメは当時子供であった欧米人に今日全世界にアニメ漫画が世界を席巻する種が撒かれた。

90年代まだハリウッドが面白いコンテンツを出していた頃、アニメや漫画に興味を持ったのは子供時代日本のアニメに惹かれたアジア系や白人のオタク男子を中心に密かにアニメファンが増殖していたようだった。

2000年代ネットが発達してから一気にアニメ日本文化多様化し、男女を問わず若者達は日本文化は新しい最先端の文化として受け入れ始めたと考えていい。

欧州では2000年からパリで始まった「ジャパン・エキスポ」を筆頭に、世界中で日本関連のイベントが広がりを見せている。フランスで最初に火がつき、アメリカ、南米、スペイン、イギリス、アジアではとっくの昔に文化として根付いている。

海外のアニメ・コンベンションが急速に広がっている理由に、多くの若者は、日常生活からの逃避を行ったようですが、自分と同じことに興味をもった人たちで形成されるコミュニティがあって、理解しあうことができ、同好のよしみで、出会いの場、コミュニティとして機能していったことにより、深く広く日本文化が広がっていったと思います

漫画やアニメをきっかけに日本文化に触れた若者たちは、日本文化の深さに触れ、日本にあこがれ、今や日本伝統文化の継承者となる人たちも出始めている。漫画やアニメとは別ルートだと思うのですが和食とか日本食が欧米で高い評価を獲得していったと思います。

海外のファンたちは、つい10年ほど前までは、漫画やアニメの情報は、ネットの不法ダウンロードや海賊版や友人同士での情報交換であって、アンダーグランド的なそれこそ密かな趣味の領域に過ぎなかったと思います。

NETFLIXやソニーなどビジネスマンたちが、日本のアニメの価値に気がついてしまったようで、おそらくここから10年~20年日本で生まれたアニメは世界の文化のメインストリームになっていくような気がしますが・・・・

最初はクオリティの伴った拡大を目指していくとはおもいますが、アニメや漫画は間違いなく枠をはめられることになりつまらないものになるリスクもあります。

私の興味を引き付けている限りは大丈夫でしょうが・・・・アニメの影響力が増せば増すほど西洋的価値観で制限を受けていくこととなりどこかの時点で面白くないものとなっていく公算が大きい。NETFLIXの制作するアニメにはそのつまらない非日本的な枠がもう少し見え隠れしている。

だが今のところ日本のアニメやマンガ、コスプレが、世界中の若者をひきつけてやまない力を持っている。

私は、書籍や雑誌ネットから多くの情報を得ているだけで、観光旅行以外海外との接点はないし、会社の現在のセクションには日本人しか働いていない。

だが、ネットと言う窓から世界を見渡すと、私の恣意的な方向が偏っているせいもあるかもしれないが、フランスや米国といった先進国の若者ばかりではなく、欧州、ロシア、アジア各国、イスラムの国々、中南米さまざまな国の多くの若者に日本の漫画やアニメといったポップカルチャーはいうに及ばず、日本文化そのものが多大な影響力を持っているように思えてならない。

その中でもアニメ・マンガがもたらしている影響力は20世紀終盤からすでに長い年月に渡って続いているものであり、21世紀の幕開けと同時に本格化したインターネットによる情報の浸透度の速さによって世界にさらなる力を持った。
 
純粋な若者なんてこの世には存在しないが、現実の自分の国の醜さから、漫画やアニメを通して観る日本を一種の理想郷ユートピアを日本に感じている有能な若者たちが世界に存在していると思う。

アニメやマンガといった日本文化、我々が思う普通の価値観が漫画やアニメを通し世界共通の価値観を導きだしている。こんな国はかつてあったのであろうか?唐や南宋といった時代日本の教養人はシナに対しそのような憧れを抱き、アヘン戦争に清国が敗れるまで江戸の教養人達も同じだったかもしれない。

敗戦後直ぐから1960年代位までの日本の若者も米国に非常に憧れていた時代もあったと認識しているが、今日本は同じような立場にいるという自覚がない。

あったとしても、国益の観点から見る日本人はどれだけいるだろうか?

私は当ブログで度々Queenのことについて記事を書いてきたが、自分が多感な時代に大きな影響を受けたものに関してはおそらく死ぬまで好きであり続けると思う。

時間の経過はもしかしたら熱意を失う場合もあるとは思うが、年齢を重ね社会とのつながりが増え、責任ある立場になればなるほど、人は自分自身の時間をとることは難しくなる。そして人生の選択において取捨選択をする際に大きく影響を及ぼすのが、自分が多感だった頃に影響を受けた小説や映画といったコンテンツの思想だったり名セリフだたりすることが多い。

例えば、私は北斗の拳のラオウのいくつかある名言で有名が、「ならば神とも戦うまで」とか

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はじめの一歩の名言「「努力した者が全て報われるとは限らん しかし! 成功した者は皆 すべからく努力しておる!!」

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そういった、なにげげないコンテントの名言が、人生に大きな影響を与えることが大きい。

余談だが私の場合は、植木等の無責任一代男にいい意味でも悪い意味でも影響を受けたかもしれない。映画に出てくる大企業の社屋は私が就職した会社の今は無き旧本社ビルである。子供の頃あのような大企業のサラリーマンになりたいと願ったのが運の尽きだったのか(笑)

おれは この世で一番 無責任と言われた男♪ ガキの頃から調子よく 楽してもうけるスタイル ♪学校に入ってからも ヨウリョウはクラスで一番 ♪月謝はいらない特待生 コネで就職かァ OK ♪会社に入ってからは 上役に毎日ごますり♪ ゴルフに小唄に碁のあいて なんとか課長になった♪ いかした女を見れば 手当たり次第に口説き 結婚の約束ァ口だけさ もともとその気はない ♪毎日会社に来ても デスクにじっとしてるだけ いねむりしながらメクラバン それでも社長になった ♪人生で大事な事は タイミングにC調に無責任 とかくこの世は無責任 ♪こつこつやる奴はごくろうさん (セリフ)♪「ハイ!ごくろうさん」

話をもどしますが日本のアニメやマンガは、今だけではなく今や今後50年の世界にもしかしたら決定的な影響をいい意味でも悪い意味でも影響を与えるだろう。
                                   
「アニメーションは子どもが観るもの」という呪縛を日本という国は取り除いた。そして日本人身自身がそのことにまったく気が付かないうちに、いつのまにか世界から理想の国家のように勝手に思われているのだ。日本はそのことに気づき、世界と向き合っていったとき、アニメ・マンガは日本の未来と世界をよりよい方向、さらにいえば「世界平和」へと導くことも可能な立場にある。

日本が創りだした文化であるアニメ・マンガで育った世代は、これからますます世界の中心へと出ていく。ある限定された国というだけではなく、文字通り世界中である。

もしかしたら後世21世紀の時代の価値観を研究した歴史学者は、21世紀の価値観は日本の少年ジャンプの精神「努力」・「友情」・「勝利」によって作られたと結論づけるかもしれません(笑)

世界の若者が、進撃の巨人、鬼滅の刃、エヴァンゲリオンといった日本のアニメを通して倫理や価値観を強く意識するようになったと口にする世界の若者たちが社会のイニシャチブを握るようになったとき、日本という国の存在感と役割はわれわれがいま思っている以上に大きいものになっているはずなのである。
                  
日本には未来がないなどと自虐的に語る腐った識者は黙っていろって思う。

あらゆる視点で、将来の日本がどうなるかの大きな岐路に立っていると思うのだが、なぜ日本人自身がアニメ・マンガの影響力を正しく理解しょうとしないのか、官僚や政治家、経済人達の頭の悪さにイラつきを覚えてしまう。現在のアニメ・マンガが世界に与えている影響力の強ざは、そうした短期的な論理だけで考えていけるレベルをはるかに大きく超えている。

そこにはクリエイティブというものに対する日本人、そして「官」 の考えの矛盾があるのではないだろうか。本書は、そのポイントに入っていく。

日本は「クリエイター」という仕事に対し偏見を持っている。一般企業という村社会に守られた多くの日本人は、自由に生きる、漫画家、アニメ一夕ー、映画監督、フォトグラファーであれ、クリエイターと呼ばれる職種の人にたいし「好きなことしていていいねえ」
といった、ある種の偏見を抱いている。プロとして活躍しているクリエイターを羨む心理の表れなのか・・・産業人として堅気扱いしていないと思う。

世界の人々が、アニメやマンガ、ファッションを通して、日本に抱いてくれている印象は何事においても相手に「敬意」を払と言う点だが、皮肉なことに日本人は相手に「敬意」を払う民族だと思わせるコンテンツを作る人々に対し、一番敬意を払わないのは当の「日本人」であるのは悲劇を通り越して皮肉だ。

われわれには当たり前のように目の前にあるアニメやマンガやファッションを、世界
の若者たちは、オリジリティーに溢れ世界のどこからも生まれてこないもの当の当のと見ている。
 
まず日本人自身が自分の周りにある壁を崩し、世界から日本がどう見られているかを知ったときにこそ、よりよい世界にしていくために自分たちができることも、出口のない中共ウイルス禍に悩み苦しむ年月に終止符を打つために何をすべきかも、見えてくると思うのだ。

短期経済の視点で、諸刃の剣として、ネットによる違法ダウンロードや違法サイトの問題がアニメやマンガ業界に立ちはだかったのもまた事実であるが、世界全体のこれまで手をつけてこなかったエリアでの認知度をありえないほど高め、伸びしろの可能性もとてつもなく広げたこともまた事実なのである

アニメを輸出産業と当して見た場合、自動車産業ほどではないにしても、漫画やアニメコンテンツ産業へと育っていく礎は 残念ながらNETFLIXにかかっているかもしれない。