1月21日老健を出所した。入所中はコロナ禍だからという理由で外出は許されず、食べ物の差し入れも受付不可の人権侵害も甚だしい日々だった、入所者は車椅子に乗せられ自由に歩行すら許されない刑務所以下の生活であった。一日中ただベッドで寝ているか、YouTubeかテレビを視たりラジオを聴くだけの生活、自室のベッドから離れる場合は、トイレと食事、10時のインスタントコーヒータイム3時の100円菓子おやつタイム、週二回の入浴、1回20分週3回のリハビリだけ、ただ冥土への旅立ちを待っているだけの70代~90代の老人達、(もちろん半分近くの人達は認知症と思われる)に囲まれ、いつ老健出られるのかわからない生活、ある意味絶海の無人島生活か島流しの刑を1年2カ月続けた。
妻に老健を出所したいと夏頃から懇願したが・・・絶対家には入れないと言う。出所したいのなら一人で覚悟して生活しろという。
私は59歳、2023年3月末までに復職できなければ定年退職で、それ以降に退所しても雇用延長は不可だと言う。
身体障害者で独り暮らしなんかできるだろうか?風呂は?まあバリアフリーなら何とかなる。食事は作れるだろうが3食3食片腕で作れるか?買い物は?医者へは?洗濯は?まったく独りでできるか?いろいろ想定シュミレーションしたがまるでやってみなけりゃわからない。かなり厳しいだろう正直恐かった。一旦老健を出所したら、独り暮らし出来ませんでしたと白旗をあげても家内の性格からして、絶対家に入れてくれないだろう。昭和63(1988)年秋から5年付き合い平成3(1991)年に結婚した、自分の人生の半分以上の付き合いだ誰よりも家内の性格はよく知っている。

このまま老健や老人ホームの籠の中であと20~30年死ぬまで似たような生活?このままだと生きている意味がない。社会復帰のチャンスは今しかない。自宅へ戻れなくとも、独り暮らしは厳しいかもしれないが出所しよう、問題はまずどこのどういった施設にするか?
場所は最後の勤務地関内の近くのサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)で探した。資料を取寄せたがが適当な物件は見つからな。、そのうち家内が3食食事を出してくれる見守り付き高齢者アパートというのがあるという。場所は相模原・・相模原市といえば身体障害者45人が死傷した津久井やまゆり園事件しかも地図で観たら結構近所だ!・・・そういうことか犬猫のように遠くに捨てにいくと言う意味か・・・私は遠いし、土地勘もないので嫌だったが他に金銭的に見あう施設がなくやむを得ず、現見守り付き高齢者アパートで独り暮らしをして会社に通うことにした。

清水の舞台から飛び降りる・・・まさにそんな気分だ。とても不安だったが決断をした。
一つ問題が起きた、会社は復職するには復職診断書を提出が必要と言う。老健の藪医者医者 Drスモールフォレスト曰く、「自分は復職診断書を書いたことが無い、どういう書式で何と書いていいかわからない、Ddogさんの仕事の内容はわからなうのでので書けない」私「はぁ?!」確かに老健から復職した入所者はいないだろう。普段Drスモールフォレストとはほとんど接触はなくリハビリで診察してもらった記憶はなかった。コロナワクチンを打ってもった程度だ。会話した記憶もない。「そりゃー無理かも?」私は1年前に入院していた担当医Drイタリアンウエステリアにお願いしてみた。Drイタリアンウエステリア曰く「退院して1年以上経っているし現状は診察していないので復職診断書は書けない、しかももうすぐこの病院から別の病院に移る「どこか新たな病院に行けば書いてもらえるか?と聞くと、初診でいきなり書いてくれる医師は知り合いでもなければ無いと言う「現状、老健の先生に書いてもらうしかない」と言う”一理ある”人事部に相談すると現担当医に復職の判断は当社産業医がするので現状の健康診断書でいいから書いてもらってくださいとの回答だった。
老健のソーシャルワーカーのニアーウエステリアに「普通の健康診断書でいいので医師に書いてもらうようお願いしてくださいと」依頼した。ニアーウエステリアはお願い事や仕事何か依頼するのに1から10まで説明して依頼しても理解範囲は1、よくて2程度の理解力で、10頼んでも1~2しかできない人間であった。とても1を知って10をすることなどまずできない無能な男である、その上嘘つきなので私は大嫌いであった。
長々と書きましたがこの経緯が今日の話の中でたいへん重要なカギですので書かせていただききました。
2月6日満を持して産業医Drメニーライスフィールド先生の面接を受けました。
Drメニーライスフィールド先生は本社の医務室で何回か診断指導を受けていたので知っていた。

たぶん大丈夫だろうと思って関内に行った。DX面談だったが、東京へ行くより関内の方が近いだろうという人事部の配慮だった。

Drメニーライスフィールド先生曰く、「残念だけど、老健の医師が診断書に仕事の復帰は難しいと書いてあると言う」そうなると再雇用できない。なんとかほかの診断書貰ってください・・
出所する前に私に言うべきではないのか?
過去通ったことのある病院へ電話で診断書の件で問い合わせたがどこも良い答えをいただけなかった。

私は職場復帰を諦めた。ネットで観ると障害者雇用は意外に多く、2022年障害者雇用促進法の改正でむしろ障害者の売り手市場らしい。

中小企業だが人事部長を務めていた親友のS曰く「身体障碍者1級は二倍ポイントで、引く手あまただぞ、朝会社へ行ってお茶と羊羹出してもらって夕方帰るだけでいいんだから大丈夫だよ」
早速障害者雇用の民間業者数社に登録し担当者とも面談した。
しかし、1月経って現実が見えてきた。世の中そんなに甘くない60歳以上は非常に困難そうだ・・・
2月は住所変更銀行口座開設等多忙な日々だった。3月初旬誕生日直前ん会社より「診断書の件どうなりましたか?」問い合わせが有った。診断書さえあれば復職は間に合うと言う。

3月になって通いだした整形外科の先生に初診の時復職診断書書けるか打診したが初診じゃ書けないのでとりあえず通ってくださいと言う。

2度目の診断時(リハビリには3回通っていた)ダメもとでお願いしてみた。
毎日ブログを書いている事、ブログを見せコメント欄も見せた。多くの人が「復帰待っていました、お帰りなさい、」と書いていただいていました。先生はこれを見て「確かにデスクワークなら可能かもしれないね」とデスクワークなら可の診断書を書いてくれた
そこから急展開
必要な書類を提出。各種資料等、領収書等を準備。3月22日再度産業医Drメニーライスフィールド先生面談突破人事部と面談 人事部より住宅ローンを払いつつ家族と別居して収支バランスはどうなっているのか問いただされた。すらすら答えたが メモ程度でいいから書面で提出を求められた。
3月24日年金支払通知書当のコピー契約書等資料をもって再び人事部へ行って面談。→了承を貰ったが部長が病欠の為3月27日関内で最終面談となり、身体障害者になってしまったが、再雇用を認めてもらいました。最後に念の為週末は定期売り場混むと思うのでと此の後定期券を買って帰って良いか確認した。一時建替になるが、良いかと聞かれ勿論と答えた。
3/27に「では4/3から出社してください」との言葉をいただきました。復帰できたのは皆さまのおかげです。特にコメント欄ににご声援を書き込んでいただいた皆様本当にありがとうございました。

最後にもう一波

部長が他に問題は無いか?との問いに入浴の件でどうにかしなければいけない件があり見守り付きアパート管理会社と調整していた。
契約前入浴週2回で必要に応じシャワーが使用できるはずだった。
ところがシャワー室は使用できず使用させてくれとお願いしていた。
土日に1回入浴し週半ばに休みを取って入浴と考えていたが年休20日だと無理、半日休でも無理・・・
入浴駒は16時が最終。14時退社週3時間早退 3時間☓53週=159時間 20日☓8時間=160時間一切休めずで3時間早退でほぼいっぱいいっぱいだ・・・・厳しい
部長入浴の件相談報告し駅で定期を購入していた。駅員と入力の最中人事より携帯に電話が掛かってきた。定期券購入したと言うと待ってくれという。二時退社で何とかなると説明。論破!(ただ計算上は問題ないが本音で言うとgrん実はは厳しい)あくまでも会社は60歳以上の嘱託社員は極力切りたいようだ。



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神様は越えられない試練は与えない、なんだかそのようにおもえた。誰が言った言葉か調べてみた、どうやら孟子らしいのだが、吉田松陰らが孟子の話だ故事を分かりやすく纏めた言葉らしい。


実は昨秋瀬戸内寂聴さんの動画を視ていて心に刺さったのだが、この言葉は聞いたことがあった、寂聴さんが仏様と言わず神様がと言ったのでいったい誰が言ったのか気になって調べたときは聖書の言葉だと検索しその時はそれでそうかと一旦は思いました。

でも一神教の神様は甘くはないので・・・・なんか納得していませんでした。
先日どこかで「神様」ではなく「天は」バージョンを見かけたのでネタは論語系かもと思い今回調べてみました。孔子の言葉説もありました

だが、調べた中で一番響いたのが孟子説「試練は、乗り越えられる者にしか訪れない!」― 『孟子』孟子かぁ・・・納得
孟子の言葉通りに生きたと言われるのが吉田松陰で、吉田松陰の美学は孟子の言葉「至誠通天]誠を尽くして. 行動すれば、人の心は動かされるに思想は近い


『孟子』(告子章句下)の中に、とても勇気が出る一節があります。

自分が困難にぶつかったとき、それは天が与えた「試練」と考えよ、というメッセージです。
「試練は、乗り越えられる者にしか訪れない!」
  そう思うと勇気が湧いてきませんか? だって天から選ばれているんですよ!!

天将降大任于斯人也
天の将(まさ)に大任(たいにん)を是の人に降さんとするや

必先苦其心志、労其筋骨、
必ず先ずその心志(しんし)を苦しめ、その筋骨を労せしめ、

餓其体膚、空乏其身
その体膚(たいふ)を餓えしめ、その身を空乏(くうぼう)にし、

行拂乱其所為、
行いには其の為す所を払乱(ふつらん)せしむ。

所以動心忍性、曾益其所不能
心を動かし、性を忍び、其の能(よ)くせざる所を曾益(ぞうえき)せしむる所以(ゆえん)なり。

<現代語訳>(佐久 協「『孟子』は人を強くする」より)
天上の神がある人物に重要な任務を与えようとしたときは
必ずその人の心を苦しめ、肉体を疲労させ、生活を困窮させ、やる事なす事すべてがカラ回りするような
大苦境に陥れるものだ。
それは天がその人の心を鍛え、忍耐力を増大させ、大任を負わせるに足る人物に育て上げようとしている何よりの証拠なのだ。
まあ、疑う前に周囲をよく眺めてごらん。われわれが知っている優れた人格を持ち知恵があり、
人の心が読める能力を発揮している者は、みんな悲惨な体験をくぐり抜けてきた者といっていいだろう。
自らの心を悩まし、苦痛をとことん味わった者だけが、人間が生まれついて持っている、素晴らしいパワーを自覚し開花させられるものなんだよ。

吉田松陰から現代の経営者まで、このフレーズを愛唱している人は数多くいます。


●ところで孟子ってどんな人物?
moushi.jpg孟子(紀元前372年? - 紀元前289年)は戦国時代の儒学者で、鄒(すう。現在の山東省鄒城市)の出身。儒教では孔子に次ぐ重要人物です。
彼の母が教育のために3回引っ越した、いわゆる「孟母三遷の教え」は有名ですね。
彼は成長すると、孔子の孫である子思(しし)に弟子入りします。
その後、魏・斉・宋・魯などを遊説して回りましたが、君主たちからは受け入れられませんでした。それからは郷里に戻り弟子の育成に努め、あわせて著作活動に入りました。

孟子の死後に弟子たちは、孟子が行った遊説や論争、弟子たちとの問答などをまとめて『孟子』をまとめました。この書は『論語』『大学』『中庸』と並び、儒教正典の四書の一つになりました。
孟子の思想としてとくに有名なのが、
「人間は生まれながらにして善である」という性善説です。

天将降大任于斯人也、(天の将(まさ)に大任(たいにん)を是の人に降さんとするや)が
天の意思は、大任(試練を)を是(OK乗り越えられる)(将/人)のに降さんとするや(訪れる!)➡
試練は、乗り越えられる者にしか訪れない!➡神様は越えられない試練は与えない。に変化したのではないでしょうか?
執筆中











自分で限界をつくることは、可能性を捨てることである