Ddogのプログレッシブな日々@ライブドアブログ(仮)

政治経済軍事外交、書評に自然科学・哲学・聖地巡礼・田園都市ライフ、私の脳の外部記憶媒体としてこのブログに収めています。日々感じること、発見したことを記録していきます。同時にそれが、このブログをご訪問していただいた方の知識や感性として共有できれば幸せに思います。

カテゴリ: 追悼・雑談・事件・その他



【SANSPO】2021.2.10 05:02 

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代表作「刑事コジャック」の写真と大好きなたばこを手にする森山さん。あの渋い声は、もう生で聞けない…=1976年

米ドラマ「刑事コジャック」やアニメ映画「紅の豚」の渋いダミ声で知られた声優で俳優、森山周一郎(もりやま・しゅういちろう、本名・大塚博夫=おおつか・ひろお)さんが8日午後9時10分、肺炎のため埼玉県の病院で死去したことが9日、分かった。86歳だった。葬儀は近親者で執り行う。プロ野球・中日の大ファンとしても知られた。主人公の祖父役を演じた昨年のNHK連続テレビ小説「エール」が最後の出演作となった。

 低音の魅力で一時代を築いた昭和一桁世代。森山さんが旅立った。

 この日、所属事務所が公式ツイッターで報告。「芸能生活63年の間、ファン並びに関係者の皆様には多大なるご支援をいただき、まことにありがとうございました」と感謝した。

 関係者によると、森山さんは昨年12月、埼玉県久喜市の自宅で転倒。腰などを骨折し入院した。入院中にもともと悪かった肺がさらに悪化。一時は持ち直すも今月8日に容体が急変し、帰らぬ人となった。若い頃から愛煙家でもあった。

 名古屋市出身。愛知県立犬山高校では硬式野球部に所属し、走攻守の三拍子そろった外野手。愛知県大会でベスト4まで進んだが、甲子園出場の夢は果たせなかった。故郷の中日が大好きで、俳優仲間らとファンクラブを作ったり、晩年も足繁く球場に通った。

日大芸術学部を中退後、1953年に劇団東芸に入団。人気ドラマ「特別機動捜査隊」や時代劇を中心に、刑事から重厚な悪役まで幅広く演じる一方、草野球チームも結成した。エースで4番を務め、声をからして仲間を応援するうちのどをつぶし、元のダミ声にさらに磨きがかかった。

 その渋い低音を生かして、洋画の吹き替えでも活躍。当たり役は73年から6年間にわたって放送された米人気ドラマ「刑事コジャック」。米俳優、テリー・サバラス(94年死去、享年72)が演じたタフな主人公・コジャック警部補の日本語吹き替えを務め、お茶の間の人気者になった。

 アニメ映画「紅の豚」(92年公開)では、トレンチコートの似合う主人公ポルコ・ロッソの声を担当。森山さんの声のファンだった宮崎駿監督(80)直々のオファーで引き受け、「飛ばねえ豚は、ただの豚だ」は名せりふとなった。

 99年に脳梗塞を患い、手足のしびれなど後遺症に悩まされたが、「エール」で窪田正孝(32)演じる主人公の頑固な祖父役を演じたのが最後の仕事に。独特の声で多くの人を魅了した86年の生涯だった。

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森山さん(前列左から3人目)は長門裕之さん(同2人目)、藤村俊二さん(同4人目)、坂上二郎さん(後列左から2人目)らと「昭和九年会」のメンバーとしても活躍した=2000年

「紅の豚」マドンナ役の加藤登紀子が追悼

 「紅の豚」でマドンナのマダム・ジーナ役として森山さんと共演した歌手、加藤登紀子(77)は自身のツイッターで「寂しく、懐かしく、胸がいっぱいです。心からご冥福をお祈りします」と故人を偲んだ。「『いい奴は皆死ぬな』と言ったポルコロッソ。このシーンを録音したのが、森山さんとの初対面でした。あの声を聞いて、瞬間的に、私はジーナになれたのだと思います」(原文ママ)と当時を振り返った。

森山 周一郎(もりやま・しゅういちろう)

 本名・大塚博夫(おおつか・ひろお)。1934(昭和9)年7月26日生まれ。名古屋市出身。仏俳優、ジャン・ギャバンや米俳優、チャールズ・ブロンソン(いずれも故人)の声も担当した。声質は幼少時からおとなびた低音だったという。俳優、宝田明(86)や女優、中村メイコ(86)と結成した昭和9年生まれの芸能人の親睦団体、昭和九年会の一員でもあった。高校時代の同級生だった夫人との間に1男1女

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子供の頃刑事コジャックやチャールズブロンソンの吹き替え役やゴルゴ13といった渋いカッコいい大人の声優といえば、森山周一郎氏だった。そして、我々世代から言えば紅の豚ポルコ・ロッソ役だったろう。「飛べない豚は、ただの豚だ」、ごく当たり前のことを言っているのだが、男の生きざまを肯定するカッコいい名言となった。

紅の豚は宮崎アニメの中でもっとも大好きな映画だ。自分がポルコの歳となってジーナとの関係や、最後まで自由に生きることがものすごくかっこよく思えた。紅の豚ポルコロッソは架空の人物だが、いつしかポルコは森山周一郎氏と重なっていたかと思う。

森山周一郎氏の声は本当にカッコいい。城達也さんや野沢那智さんはだいぶ前に旅たち、私から見たちょっと上のカッコいい大人達、森山周一郎氏が吹き替えた男くさいチャールズブロンソン、高倉健、菅原文太、松方弘樹といったカッコいい大人達も既に鬼籍となられた。かっこいい大人と言える人達で残るは北大路欣也さんや藤竜也さんぐらいであろうか?
渡辺謙・草刈正雄・三浦友和・吉田鋼太郎世代は私達1960年代に生まれた世代から見ると大人世代と言うより兄貴世代、中井貴一・真田広之・織田裕二・香川照之は同世代にあたる。皆いずれ必ず旅たちの時は来る、わたしはいつでも旅経てるよう、心構えを備えておきたい。

紅の豚の設定時代は1929年10月の世界恐慌の翌夏なので1930年、ポルコ推定年齢40歳過ぎ、映画のエンディング、17歳だったフィオがジェット水上機でホテルアドリアーノを訪問するシーン1960年代初頭、ポルコとフィオの歳の差23~25歳 私が生まれた1963年だとすると、フィオ50歳 ポルコ72-75歳だった。

映画の公開は1992年から30年近く経ったので今年で生誕130数年くらいになるが・・・
森山周一郎氏が存命だったつい先日まではポルコもなんとなくどこかで生きていたような気がしていたが、森山周一郎氏が亡くなったことにより架空のポルコもこれで故人となったような気がする。

現在宮崎駿さんは「君たちはどう生きるか」を製作されているが、宮崎駿さんにはもうちょっと長生きして、ナウシカをリメイクもしくは、原作6巻分の続編を製作してほしいものです。


•2018/11/02 

 

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 私は2008年にブログを始めたころは、本社で代表メールに来る問い合わせやクレームに対応する部署に在籍していました。2013年春安倍内閣発足とほぼ同時期に本部から再び営業店へ復帰した。1986年バブルの始まりとともに入社し、2008年のリーマンショックは本部で迎え、アベノミックスで営業復帰、なんと幸運な男だと内心思っておりました。

2013年当時、本部から営業店への人員の異動は大規模に行われた。定期異動ではない為、引継ぎのお客様などほとんど与えてもらえず、新人と同じく一から新規開拓から始めた。

営業店の泥臭い営業に向いてない方々は会社を次々に辞め、実質はていのいいリストラであった。目標数字(ノルマ)は重圧ではあったが、元々お客様と接する営業は大好きであったので、踏ん張りましたが、50を過ぎての営業はさすがにきつく、残念ながら気が付けばバックオフィスに回されてしまいました。


銀行・証券・保険といった金融業界は仕事としては激務でもあるが、ビジネスモデルは規制と既得権に守られた比較的甘い業種であると思う。しかし、コンプライアンスについては規制が強化されるなか、金利や手数料はタダ同然となり、あらたなビジネスモデルを作ったり、更なる改革と合理化をしなければとても生き残れる状況ではありません。

当社も毎度毎度合理化や社内改革を断行してきました。その度に毎度大変な思いをしてきました。それでも忙しくても数字の重圧はない
バックオフィスは気楽でした。

現支店で4年半ブログを書きつつ気楽な窓際サラリーマン生活を送っていましたが、今回の合理化は、その気楽で楽しい窓際サラリーマン生活に終止符が打たれてしまいました。

営業店には各バックオフィスがあって業務をこなしてまいりましたが、バクオフィスを各店に置くのではなく主要店に集約化しようというのです。その為19日から集約店となった私が勤めるオフィスは6店舗2営業店のバックオフィスとなりました。

ここまでは、前回の雑談でお話ししました。

大規模な異動にもかかわらず業者が来るわけでもなく、受け入れ店側の人員は、日々のルーティン作業を少ない人員でこなしつつ、現場だけの社員で16日金曜日夜9時まで作業して、ギリギリで引っ越しを終えた。
19日月曜日朝まだ、引き渡す事務室には多くの段ボールが残されていました。

朝6時過ぎに出社して、各店から送られてきた段ボールと、引っ越しで出た荷物を整理し、異動してくる社員の荷物をそれぞれの席に置き、ギリギリでロッカーと机のカギを揃えました。

7時前次々と異動してきた人達が出社してきました。

さっそく、皆さんPCが起動しないとか、マウスが動かないとかTeamsがおかしいとかで、皆さんのPCを次々対応してあげているいるうちに時間が過ぎました。そのうち次々と事務処理案件が舞い込み、私は支店と新部署とのパイプ役で朝6時過ぎからご飯も食べる間もなく、19時となり会社全体の退社時間となり、支店を出ました。

翌朝も6時過ぎから出社、7時過ぎに本部マネージャーが出社して6時過ぎからの出社は困る、19時過ぎの退社も困ると言い出す。

オイオイ好きで早く来ているが、こうやって整然と座っていられるのは誰のおかげなのか考えてみろ!誰が整理し片付けこうやって業務が始められるのか・・・感謝こそすれ叱責される意味がわからない!

まあ、私は大人であるから腹にしまいましたが・・・こいつら!・・・
 💢  💢  💢 

まあ、そのこいつら!達は、会社からの無理難題を押し付けられて、彼らなりの杜撰な計画と日程で、紛いなりにも困難な仕事をなんとかここまで持ってきたのだから、ある意味よくやったのかもしれません。ですが、私からすれば無能で自己保身にはしる、所詮
・・・こいつら!・・・💢  💢  💢 なのである。

経営陣に出世するような人物はバックオフィスのことを知る人材はいるわけがない。
そのような人間が机上で考え、経営コンサルタントかなんかのアドバイスでの思い付きで始めた今回の大合理化・・・。所詮頭で考えたことを実践すると多くの不具合が発生する。その思い付きを現場でなんとか工夫し、見事にこなすのは、我々現場のクソ力、人材力なのである。

よく、民度という形而学的な言葉が流通しています。国民や住民の生活程度、また、経済力や文明の進歩
の程度を指す言葉で、ごみを捨てない、列に並ぶことだけが民度ではない。
企業における現場力の対応力も民度を測る尺度かもしれません。

辞令直後、机の上で考えたような役に立たないマニュアルをダウンロードした。どう考えても、現場でルーティーンの仕事をしつつ、引継ぎ業務や、異動する人転入する人のそれぞれの準備、マニュアルをすべて通読するのは不可能。しかも完成度の低いマニュアルはある程度は目に通したが、質問を飛ばしても答えはなく、現場で相談してくださいの繰り返し。

結局のところ、如何にフレキシブルに対応できるかが勝負どどころのような気がしますが、奴らも所詮サラリーマン不具合が起きてもおそらく責任を取る気がない。

怒涛の一週間がようやく終わった。コンプライアンスに照らし現場のみんなと手探りで進んでいるが、仕事量が半端ではない。

同じグループで隣の集約店で大きなトラブルが起きた。郵便局から送るゆーぱっくの伝票番号が、実際の番号とズレてしまい、異なる郵送物を大量に送られてしまうトラブルだった。
幸い情報漏洩にはならなかったが、担当していた人間は私もよく知るご婦人だった。今回の異動で当店から異動していった方だったが、普段の彼女の仕事ぶりから考えれば、起こすわけがない単純なヒューマンエラーであった。

ノウハウや経験は蓄積であってマニュアルには書けない。

バブルが崩壊したここ二十数年、わが国では製造業が衰退し、工場が海外に移転しているにもかかわらず、国内の化学工場や金属加工業の製造工場での爆発が相次いでいる。これも人員削減や技術やノウハウの継承が十分でないまま、合理化が進んだ結果起きるべくして起きた人災である。

幸い爆発事故が起きるるような業種ではないが、日本中至る所で、私たちのような合理化でしわ寄せを喰っている人達が至る所にいるわえで、そのなかで皆が混乱の中踏ん張っているのではないかと、改めて感じた。

米国かぶれの経営コンサルタントは、
日本の生産性の水準は米国と比べて3分の2程度しかない、日本の企業は生産性が低いなどと偉そうに言う。そこでサラリーマン経営者たちは、ビジネススクールの教科書に載っているような安易な助言に従い経営計画を立てる。

確かに今後の日本は人口減少が加速度的に進んでいくので、労働生産性を引き上げなければならないという意見に異論の余地はありません。

しかし、数字に見えない付加価値があるので、生産性の向上という美名に飲み込まれ日本的きめ細やかなサービスが行き届いた社会は遠からず崩壊していくことでしょう。

日本と米国の生産性における格差は、とくに卸売業・小売業・飲食業・運送業などサービス業の分野で生まれています。この分野で日本は米国に劣っているとは思えません。むしろ、優れていると思います。1990年代米国の巨大ショッピングモールを訪れた際日本は遅れているなぁなどと思ったものですが、今じゃリアルなモールはネット通販に押されているとはいうものの、ネット通販に圧されリアル店舗が淘汰された米国や中国人は、日本のリアルなモールが健在で、しかも手厚いサービスを受けられることに、皆驚き、喜んでいる。しかも日本の物価はデフレが進み世界的に見てかなり安い。

誤解を恐れずに言えば、そもそも海外の主要国の生産性が高いのは、日本と比べて様々なサービスがとても大雑把だからです。それは、逆に海外の人々から見れば、日本のサービスが必要以上に手厚いということです。そういった意味では、日本の消費者が海外並みのサービスでも構わないと承知できるのであれば、日本の生産性は思いのほか伸びる可能性を秘めているのです。

我が社の経営陣は合理化さえ出来れば生産性が上がり、株価が上昇するとでも思っているようだ。我々社員のボーナスや給与は引き上げず、下がる一方、合理化だけを進めたならば・・・お客様からはホスピタリティの欠ける会社として選ばれる会社になり得るのか?
この混乱する現場に来て考えてほしいものだ。我々からすれば経営者と現場を繋ぐ社員は、けっして真実をいわないであろう。苦労せず合理化は進んでいますと報告するに違いない。

こういった合理化を進めることは、我が社が、お客様に提供できるサービスの質が大幅に下げることになるという、自然の摂理を理解できるか否か大きく疑問だ。

始まってしまったことはやむを得ないが、お客様に提供できるサービスの質を向上もしくは維持したいのであれば、ここ数年続く社員の実質賃金を下げるのではなく、引き上げるべきだ。社員の賃金を引き上げるではなく、お客様へのサービスを向上さえるなど、絵にかいたモチに過ぎないことを理解できないのではないか?

もうこれ以上安い給料で、ばからしくって生産性の向上への協力などできるわけがない。
ガダルカナルも、インパール作戦も机上で考えれば立派な作戦だが、補給も現地の実情もいい加減で、日本男児の精神力をもってしても無謀な戦いだった。無責任な大企業の参謀部は今も昔もかわらない、それが大和民族の気質ということだろう。

なんだか最後はよく飲み屋で聞く三流サラリーマンの会社の愚痴になってしまいました。


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土曜日にPCショップに行きます。

しばし更新はお待ちください
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Van Halen - Jump (Official Music Video)

【AFPBB News】10/7(水) 5:11配信


エディ・ヴァン・ヘイレンさん(2013年9月17日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News
AFP=時事
エディ・ヴァン・ヘイレンさん(2013年9月17日撮影)。【翻訳編集】 

【AFP=時事】(更新)ハードロック界を代表する米バンド、ヴァン・ヘイレン(Van Halen)を率いたギタリストのエディ・ヴァン・ヘイレン(Eddie Van Halen)さんが6日、がんとの闘病の末、死去した。65歳。息子のウルフ(Wolf Van Halen)さんが発表した。


 ウルフさんはツイッター(Twitter)への投稿で父エディさんの訃報を発表。「最高の父親だった。オンステージ、オフステージで一緒に過ごした全ての時間が贈り物だった」と追悼し、「この死から完全に立ち直れるとは思えない。本当に大好きだよ、パパ」とつづった。

 オランダで生まれ、米カリフォルニア州で育ったヴァン・ヘイレンさんは1970年代、兄アレックス(Alex Van Halen)さんと共にヴァン・ヘイレンを結成。瞬く間に人気を集めた。代表曲には「悪魔のハイウェイ(Runnin' with the Devil)」、ギターソロ曲の「暗闇の爆撃(Eruption)」などがある。【翻訳編集】 AFPBB News 
また私のロックヒーロが鬼籍に入ってしまった、いえバンヘイレンは高次元へJumpしていってしまった。

寂しいものです。

昨日偶然電車の夢がかなう象4の広告をみて、人間が死ぎ際に後悔する10のことといった類のページを幾つか検索していた。そのなかで必ずあるのが生きた証を残せなかったことがあげられていた。

所詮人間は生き物である限り自分のDNAを繋ぐことがその使命だから、自分が生きた証はDNAを繋いだことに尽きると思っていますが、人間はそのことさえ理解していれば多くの人間は穏やかな死を迎えることが可能だろう。たとえ子がなくとも、世間に名が知られなくとも、一生懸命働き社会を支えていたならばそれも生きた証だろうと私は思う。

だが、人は死ぬ間際もっと何かもっと生きた証が欲しいという。そういう人は死の間際まで煩悩が捨てきれなかった人たちなのであろう。

そうはいっても、なにかしらの生きた証というものを残したいと思うのは人情なのでしょう。では何を残せば・・・その生きた証になるのか・・・答えは人によって違うだろう。

バンヘイレンさんクラスのロックスターになれば、生きた証は名曲と呼ばれるヒット曲だろう。その点
バンヘイレンさん後悔することはないだろうが、もっともっと名曲を残したかったかもしれません。

傍から見れば多くの人に愛され惜しまれある意味最高の人生だったかもしれません。
しかしながら、65歳はまだまだ若すぎる。本人はもしかしたら早すぎる死は後悔していることが多々あるかもしれません。

安らかにJump❗

Van Halen - (Oh) Pretty Woman (Official Music Video)



Van Halen - You Really Got Me (Official Music Video)



V an H alen - 1 984 - (Full Album)

Eddie Van Halen Guitar Solo at Hollywood Bowl 10/2/2015

近づくロック文化そのもののご臨終宣告

ビートルズのポールマッカートニー氏が1942年生まれの78歳、1943年生まれのローリング・ストーンズのボーカル、ミック・ジャガー氏も後期高齢者の77歳、もし1946年生まれのフレディマーキュリーが生きていたら74歳、Queenのメンバーブライアン・メイ博士は73歳、ロジャー・テイラー71歳、ジョン・ディーコン69歳である。

ロック界のレジェンドたちも寄る年波には勝てないのかもしれない。

KISSの引退ツアーやら、2019年は世界最後のツアーと銘打ったものが多かったが、今年は中共ウィルス患禍で、そういったものがなかったが、ボヘミアンラプソディのヒットで伝記映画は幾つか撮られていた。

1960年代から活躍してきたロックレジェンドたちは老い次々と鬼籍へ入っていく。
残念ながらドリームシアター以降欧米から私のお気に入りとなるようなロックスターは輩出されているようには見えない。

世界の主要な音楽フェスティバルでも、ロックバンドの出演機会が減り、代わりにポップ、ラップ、エレクトロミュージックのアーティストがヘッドライナーを務めるようになっていて、グラミー賞(Grammy Awards)授賞式で、ロック部門は何年も前からテレビ中継されなくなっているという。

エディ・バンヘイレン氏の死はロック文化そのものの死、ご臨終宣言へまた一歩近づいてしまったのかもしれません。


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前期年休を取っていないとのことで、年休を取るよう人事よりご指導があった。ある意味良い時代なのかはわからないが、時代はかわるものだ(〃´o`)=3 フゥ。皆さんのスケジュールを考えると、今日しか9月中に休む日がなかったので、急遽年休を取得した。

先日、キッチンジロー落城、次々と閉まる御茶ノ水~神保町の思い出の名店たちという記事を書いた。


記事の反応はまるっきりだが、特に予定を考えてはなかったが、毎度読書とブログ書きで費や休日より行った事があるキッチンジロー南神保町店に出かけようと思った
(行きつけだった店は以前に閉鎖済み)。さて・・出かけようかと思ったところ・・・急遽の休みであったので引継ぎしていなかった案件があり会社からSOS。テレワーク用のPCがあればよかったのだが、電話で説明指示するより行ったほうが早そうなので、ちょっと会社に立ち寄った。会社で少し時間をとられてしまい、神保町に到着したのは夕方になってしまった。

三省堂の中を通り抜け確かすぐのところ・・・・あれ?!

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閉まっているではないか!9月末ではなく、もう閉鎖になったのか?
張り紙を見ると営業時間11:00~15:00 15時までか~、(´_`;)トホホ 15時までなら会社に寄らなければよかった・・・

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・・・が、「あれは!」すぐ近所に見慣れたキッチン南海の懐かしい緑の看板を発見!
とはいえ、今日の気分は「キチジ」のメンチカツ、キッチン南海は、あいかわらずの列・・キッチンジロー九段下店へ向かうため桜通りを歩き出したが、昔キッチン南海があった場所まで来たところで、気分がカツカレーになってしまい、戻って新「キッチン南海」へ!

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昔とかわらず、入店待ちの列

店内は満席、あいかわらずの行列だが、さきほどより短くなっていたので列に並ぶ。

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昔と変らぬディスプレイ・・・

オッサン、迷っております・・・わたしの同じくカツカレーかエビフライとしょうが焼きと迷っているのか?だが私は今日は迷いなくカツカレーの一択。
ひらめフライも昔と変らず売り切れていました。(食べたことがない)

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昔と変らぬ値段

カツカレー750円はリーズナブルな値段。町田の仲見世商店街にカツカレーの有名店アサノがありTVでも度々取り上げられるが、カツカレー1450円だ。

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昔と変らぬ味

独特の黒いカレーに載る揚げたてのやわらかいトンカツ、適度なキャベツ、福神漬け。
やっぱりキッチン南海のカツカレーは旨かった!



店内で待っていると、サラリーマン二人の会話が聞こえた。「キッチンジローは閉まっていたけど、キッチン南海が再開していてよかった~」私と同じくキッチンジローの閉店を惜しんで来てみたものの・・・クローズしていたのでキッチン南海を発見して着たようだった。

キッチン南海を出て、キチジの前で、張り紙を見てたカップルが 
女:「キッチン南海がある~!」男:「こっちに移っていたのか~!」と、皆まるで誘蛾灯に集まる夏の虫のごとく、次々とキッチン南海の緑の看板に誘い込まれていきました。(笑)

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【ITmedia NEWS】2020年09月03日 15時21分 公開


キッチンジロー(東京都千代田区)は9月3日、洋食レストラン「キッチンジロー」の15店舗中13店舗を30日に閉店すると発表した。Twitterでは「これはショック」「学生時代はお世話になった」といった声が相次ぎ、公式Webサイトはアクセス集中の影響からか閉店の発表後からつながりにくい状態が続いている。

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 9月30日で閉店する店舗は、南神保町店、錦町店、神田鍛冶町店、外神田店、ニュー新橋店、新虎ノ門店、シーバンス浜松町店、芝大門店、アトレヴィ巣鴨店、渋谷店、深川ギャザリア店、ペディ汐留店、OBPツイン21店。残りの2店舗である九段下店、中之島フェスティバルプラザ店は10月以降も営業を続ける。

 キッチンジローは4月、政府の緊急事態宣言発令を受け全店舗を臨時休業。5月に営業時間を短縮し、営業を再開していた。

 閉店の発表を受け、Twitterでは「キッチンジローの一斉閉店びっくりした」「今月末で閉店を知って衝撃」などの驚きの声や、「子どものころから愛するお店が閉店するのはかなりショック」「青春の思い出が消えていく」といった悲しみの声が上がっている。


超レアCDレンタルのジャニスの閉店キッチン南海スヰートポーズとんかつ駿河、次々と閉まる御茶ノ水~神保町界隈の思い出の名店。遂にキッチンジローまで・・・・

最初に「とんかついもや」「天丼いもや」などいもやグループが消えていった。最後まで頑張っていた靖国通り沿いの「てんぷらいもや」もなくなり、一番のお気に入りだった豆腐入り牛丼・開花丼・カツ丼の「たつや」が消え、ジョッキアイスコーヒーを飲んでは下痢になった喫茶店「アミ」もない。らっきょとウズラの卵がフリーだったカレー屋インディラ「船」があった場所は楽器屋となっている。昔たむろした雀荘「園」も、もはやあった場所すら忘れた、・・・あの学生街に雀荘がほとんどない。

80年代バブル直前 明治大学の学生であった私の青春は、そのまま御茶ノ水~駿河台~神保町の思いででもある。相次ぐ名店の閉鎖は、青春の欠片が放物線を描いて、深い水の中に堕ちていくようだ。あの「それじゃぁまたな」が最後だったのだろうか・・・・


明治大学の1・2年生は教養課程を明大前の和泉校舎でしごす、駿河台校舎へは、サークルのイベントで初めて行ったと思う。初キッチンジローは同じサークルメンバーで付属校出身のF君がが旨いからと誘われて数人で行ったのではないかと記憶している。当時明大周辺には僕らの通称キチジは何店もあった、なかでも駿河台富士見坂(既に閉鎖済み)のキッチンジローによく行った。メンチカツ、手ごねハンバーグが好きだった。

九段下店は残るというが、実は行ったことは無い。懐かしさで食べに行くという動機にならないが、潰れた訳ではない。ネットで見るといつのまにかジョイフルのチェーン店となっていた。どうやら2年前に買収されていたようだ。ジョイフルは30数年前目黒のマンションに住んでいた自動車販売会社を経営していた学生社長の友人宅へ遊びに行く度によく夕飯を食べに行った。いつの間にか都内では見なくなっていたが、九州にに転勤したおり、見かけ、大分のファミレスだと知った。

コロナ禍を乗り切れれば、また復活するチャンスがある。それまで、しばしの別れである。「それじゃぁまたな」




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https://blog.livedoor.com/category/4/

ありゃ・・・いつのまに・・・

当ブログがライブドアブログニュース総合部門の8位だってさ・・・ありがたいことです。

三峡ダムネタで7月5日に1日の訪問者がライブドアブログで始めて1万人を突破、7/16にはYahooブログからを通して過去最高の1日の訪問者35942人PVは45845を記録しました。

でも最近は毎日訪問者が2000件を切る日々・・・ベスト10から落ちていると思い久々順位を覗いたら1位上がっていました・・・

世界のニューストトメス5世さんの二つ下というのがいいですね。誇らしいです。
世界のニューストトメス5世さんは何人かで素晴らしい記事を毎日2本書かれています。毎日私もチェックしています。カラパイアさんとらばQさんも時々読んでいます。

Yahooブログでは訪問者が毎日1000~1500件でしたの若干まだ増えています。
しかし、ライブドアブログに引っ越した直後は500件程度でやる気をなくしていた頃から比べればありがたい限りです。

でもYahooブログでは何故か1万人超来た日も100位以内の順位に登場したのを見たことがありませんでした。いったいどんな基準なのか未だに納得できていません。
Yahooブログの時は、心神の記事等でYahooニュースにリンクが載り何回か1日1万件を越えたことがあったのですが、個人ブログがYahooニュースにリンクされなくなり1万件越えは久しくありませんでした。

目先の私の目標として1日の訪問者コンスタントに2000人以上、1日のPV3000件以上の記事を書ければと思っています。

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まあ、常にベスト10の中にいられるとは思いませんが、精進して、力まず気がついてみればベスト10内にいるような記事をこれからも書いていきたいと思います。


話はかわりますが、安倍首相が首相を辞職しました。

2020年は1945年の終戦、1950年朝鮮戦争、1964年の東京オリンピック、1969年アポロ11号月面到達、1970年大阪万博、1973年石油危機、1986年~1990年バブル景気 1989年昭和の終焉/ベルリンの壁崩壊、1995年阪神淡路大震災/地下鉄サリン事件、2001年9.11、2011年東日本大震災とともに人々の記憶に残る年となってしまった。

2020年を安倍政権の終焉は日本から希望の光が消え、真冬の時代がやってくるのではないでしょうか?

もしかしたら、安倍政権時代を後年懐かしむ時代が来るのではないか?
米国のパートナーとして中国と対峙し、世界中の人から尊敬され、世界中から日本へ観光客が押し寄せた一時代が終わった。

私はポスト安倍は菅義偉官房長官かと思いますが、まだ、具体的に日本をどうしたいという指針は示されていません。石破のニュースステーションで長時間喋っていたが、まったく意味不明、何を言っているのかわからなかった。岸田政調会長の話は私に届いていないので、相変わらず発信力が弱く、線が細い。激動の時代を乗り切るリーダーとして厳しいかもしれません。河野太郎は発信力はありますが、もう少し後かもしれません。

日本中がポスト安倍、安倍後の日本に不安を抱いています。

日本はこのまま滅んでしまうのか?いいえ、私達一人ひとりの声は小さいけれど、嘘をつかず良心的で、誠実な声をあげれば、ネットの時代に大きな流れになると思うのです。

バタフライエフェクトバタフライ効果)はご存知かと思いますが、気象学者のローレンツが気象予報の計算をする際に、ほんのちょっとの誤差にすぎない数字のずれが、まったく違う予報結果をもたらすことを発見したことにより。ローレンツ方程式、カオス理論とも呼ばれています。さすがに蝶の羽ばたき程度ではどうかはわかりませんが、ほんのわずかに初期条件が変わるだけで結果に大きな差が起こる現象、予想がつかないような複雑な現象を起こす微分方程式・力学系を扱う理論のことです。
自然科学であるカオス理論は、社会科学的にも応用されるはずであり、当ブログの声は小さいけれど、少しづつ社会の流れを変えることは可能であるはずです。

正しい知識を共有し、為政者になんとかしてもらうのではなく、我々の声で日本を正しく導くことができるようにすることは可能だと思うのです。

だから応援宜しくというのではなく、当ブログの力は微弱だけれど、バタフライエフェクトの一助となると信じ、自分が正しいと思うことを書き続けて行きたいと思います。

例えば、当ブログの投稿欄に左翼が必至に投稿するのですが、完膚なきまで論破し、嘘を見破り叩きのめしています。私は相当愉快に思っているのですが、私が愉快に思う分バカ左翼は落ち込んでいるととが想像されます。

たんなる投稿者苛めに見えるかもしれませんが、バタフライエフェクトの為でもあるのです。これは当ブログだけではありません。ネット上左翼は論戦に負け続け、左翼の牙城はだんだんと少なくなってきているように見えます。もはや左翼は論理で破綻し、知識層からはだれも魅力的に思えなくなっているのです。

だから左翼の本は売れず、左翼全体は議席を失い、左翼は世界的に失速しているのです。おそらく、米国の大統領選挙はトランプの圧勝でしょう。そう、当ブログ上で左翼の投稿を許すのは、そしてその左翼を完膚なきまで叩くことによって、世界を変えるバタフライ効果となるはずだと信じてのことです。

ポスト安倍総理は、財務省の言いなりにならず(岸田脱落)、外交は国益を鑑み引き続き米国とやり取りができ、中国韓国北朝鮮に付け入りさせない人(石破脱落)そう唱えることで少しは効果があるだろうか?

南無阿弥陀仏・
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・It’s been a hard day’s night It’s been a hard day’s night
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今朝起きると、
東の空はしらみはじめていました。見上げると上空にはまだお月様と明けの明星(金星)が輝いていました。

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東の空は白んできて、薄らと赤くなり始めました。
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今朝の日の出は5:01

日の出マップを確認すると9月初旬までは玄関から日の出は確認できる。

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見事な朝焼けの中、気のせいか赤龍がこちらに向かってくるように見えました。

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刻々と空の表情はかわります。

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日の出です。雲はさほど厚くなかった為よく見えました。

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今日も暑い一日となりそうです。

今年はお盆に墓参りができず、ご先祖様に申し訳ないと思っておりましたが、靖國神社には大叔父二人が祭られているので、靖國神社へ参拝しようかと思いました。

笑われるかもしれませんが、自分の前世の御霊ももしかしたら欠片が留まっているかもしれないと真面目に思って参拝しています。

私は終戦後18年の昭和38年に生まれた。18年前といえば2020年に直すと2002年小泉訪朝、日韓ワールドカップが開催された年だ。もし、輪廻があるとすると20年弱で転生するのは些か早いかもしれないが、もしかしたら、前世は特攻で突っ込んでいく途中、被弾してそこで記憶がなくなったイメージがある(笑われてもいいです)。

あれは、幼稚園にあがる前、3-4歳の頃、庭で焚き火をしていた時だった。大家さんの息子さんの漫画を燃やしている最中、少年誌の口絵のゼロ戦のコックピットを見た途端それは起こった。

私はゼロ戦だったか単座のプロペラ機のコックピットだった。機内に持ち込んだ菓子だったか飴だたかを最後に口に入れた。敵艦隊に近づいた、弾幕の中艦船に上空から突っ込もうとして急降下最中被弾した画像が頭にフラッシュバックした。

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もっと急角度で堕ちるように突っ込んでいくイメージだった

映画永遠の0 特攻のラストシーン

私は周囲の大人に話しても誰も信じてもらえなかった。大人達曰く、漫画の見すぎだって・・。もしかしたら、TVでそのような画像を見ていたかもしれない。だが、今でも覚えているが幼い子供にリアルなCGのような画像が思いつくだろうか?今となっては作られ改竄された記憶かもしれない。でも、前世の最後かどうかはわからないが、フラッシュバックのような経験し不思議な気持ちになったことだけは間違いない。あくまでも個人的思い込みだが、私の前世は若くして特攻で散ったんじゃないかと勝手に信じている。



と、いうことは、私の魂の欠片が靖国にいることになるかもしれない・・・靖国に参拝することは、つまり自分に会いにいくということ・・・かもしれない。

朝十時前に家を出て、靖国へと向かった

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11時過ぎ九段下へ到着

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日差しは強く融けそうになった。

何度も8月15日に行ったことがあるが、15日は軍服のコスプレを着た人達も大勢いて大騒ぎだったが、いかにご時勢かとはいえ15日とはちょっと違って落ち着いていた。

そこで、今日は昇殿して玉串を捧げようと思った。

昇殿するには、社務所にそって右にいくと受付があります。

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ご遺族・崇敬者の玉ぐし料は弐千円からとなっております。
祈願参拝の
玉ぐし料は五千円から

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中に入り、受付をいたします。

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写真撮影はここまで。


なぜか妙齢なご婦人方が多数お一人で参拝されておられました・・・
なかなか感心なご婦人である、日本もいい国に戻ってきたなぁ・・・なんて思っていましたが・・・まさか、11時40分の回40~50名中5-6人ものお一人様の妙齢なご婦人の参拝者って
・・・東京大神宮と同じ参拝目的?

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帰り、いつもの小諸そばを食べようかと思いましたが、お休みで、永田町で途中下車をして久しぶりにC&Cのカレート特盛りポークカレー650円(らっきょ+40円)を食べた。

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(写真は借り物)

久しぶりに食べると学生時代を思い出させる味である。
九段下~神保町~御茶ノ水にかけて昔通ったお店が次々となくなり先日激レアCDレンタルのジャニスまで閉店(中古屋は営業中)したと聞き、さびしい限りです。

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夕方、夕日を見ながら風呂に入ろうと思いましたが、残念ながら本日の夕日は厚い雲に阻まれ、見れませんでした。

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ちなみに偶然TVをつけたら今日のモヤモヤさま~ず2は私の家の周辺でした。
ふだんは見てないけど・・・
田奈ぷらーざ(笑)から子供の国、寺家ふるさと村~もえぎ野まで・・・まともに歩けば10km以上はあるだろう。お店も直線じゃないし・・・なんだやっぱり本当に適当に歩いているわけじゃないんだネ・・・

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【産経ニュース】2020.7.30 21:13 

【台北=矢板明夫】台湾の民主化を進め、初の直接選挙による総統を務めた李登輝元総統が30日、入院先の台北栄民総医院で死去した。97歳だった。李氏は今年2月、自宅で牛乳を誤嚥(ごえん)し病院に搬送され、肺浸潤がみられるとして投薬による治療を受けたが、その後も入院を続けていた。

 28日夜に容体が急変したとの情報が流れた。29日午前、蔡英文総統、頼清徳副総統、蘇貞昌行政院長(首相に相当)が相次いで病院を訪れ、李氏を見舞った。

 李氏は1988年、終戦前から台湾に住む「本省人」として初の総統に就任。中国国民党による一党独裁体制の変革を進め、「台湾民主化の父」と呼ばれた。96年には初の直接選で当選を果たし、2000年まで計12年間、総統を務めた。中国からは「台湾独立派」と批判されたが、流暢(りゅうちょう)な日本語と親日的な言動で、多くの日本国民に親しまれた。


 李氏は日本統治時代の1923年(大正12)に生まれた。戦前の日本教育を受け、なかんずく旧制台北高等学校で高い教養教育を受けた。このことが、李氏が中華思想の呪縛にとらわれず、理性的で大局的な判断と、信念を実行しえた力の源泉だった。

 李氏は72年に外交関係を失ったものの、隣接する日本との関係が、台湾の安全保障や経済発展に欠かせないと信じていた。「だから反日教育をやめさせ、台湾の子供たちに正しく日本と日本人を理解させなきゃいけない」と話していた。

 96年に李氏が作らせた中学の教科書「認識台湾」はその一歩。新しい教科書で日本統治時代の功績も認める記述を大幅に取り入れ、歴史を再評価した。日台間の信頼感が増したのは、李氏の業績だといっていい。(元台北支局長 河崎真澄)
日台の恩人、李登輝翁 が逝去された。日本人が失いかけた日本人としての美徳や矜持を思い出させていただいた。国民党の毒を抜き日本と台湾を真の友好国とした功績はまさに偉烈である。日台両国民にとって李登輝翁は至宝であった。


日本人として生まれ、台湾人として亡くなった
李登輝翁 に贈る曲として相応しいかどうかは不問にしてほしい、李登輝翁逝去の報を聞き、私の頭のなかでは延々この曲が流れている。李登輝翁は来日するたびに自身の靖國神社への参拝している。そのことを問われた翁は「兄が奉られている、弟が参拝しないのはありえないことではないか。」と一喝、胸のすく逸話である、
【7/31追記】一晩寝て、なぜ「海行かば」が頭の中でリフレインした理由が恥ずかしながらわかった。考えてみれば、当然のことでした。自分、もしかすると保守派の日本人のDNAには、「
海行かば」は最上級の葬送曲国であると刷り込まれているからである。
靖国神社で祭られている御霊以外にも、たとえ外国人でも、人類や地球の為に身を尽くされた方に哀悼の意を表する時に、この曲ほど荘厳に追悼する調べは無い。ましてお兄様が靖国に祭られているのであれば、22歳まで帝国臣民であった李登輝翁に哀悼の意を示す時にもっとも相応しい調べかもしれません。(歌詞はさすがに
李登輝翁のお別れに対して違和感はありますが・・・)



李登輝翁は常々「22歳まで自分は日本人であった。」と公言していたが、日本人として生まれ、大陸からやってきた中国人(国民党)に占領され、
中国人ではない新しい台湾人、真の台湾人のアイデンティティを確立した偉人だと思います。

李登輝の存在は、膨張する中華帝国を止めた英雄でもある。

中国共産党は台湾に「一国二制度」の受け入れを迫っていたが、その台湾統一の野望を阻んだのは、李登輝氏が総統時代に政治改革や教育政策などを通じて確立させた台湾人意識であった。台湾の主体性を喚起させ台湾人意識は、台湾民意の主流となり、例え李登輝翁 が死去したからといっても揺らぐことはなく、習近平は武力統一戦略以外選択肢はないであろう。

中国が武力侵攻した場合台湾は、三峡ダムをミサイル攻撃を行うと公言しているが、本当に台湾侵攻した場合、李登輝翁が鬼となって崩壊させてくれるかもしれない。

【李登輝】超一流のリーダーに学ぶ仕事と人生の極意。台湾を民主化に導いた感動実話
•2019/08/29 







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https://news.yahoo.co.jp/articles/97e314b312c0aa69b46d770e2412cda6cad5fbe0


★PCR検査陽性者は必ずしも感染者ではない!

★PCR検査では、不活性(死んだ)ウィルスも検出して陽性としてしまうのが問題である。


PCR検査陽性でも、たまたま残骸が発見されたから陽性になったが、陽性判定でも感染したのか判定できない。無症状者の多くは陽性でも感染していない。

また、感染者は発症者と違う。感染していたからといって、発症するわけではない。

毎日発表されている数字は決して「感染者」ではない。あくまでも「陽性者」である。
陽性者の中には「感染」に至っていない「曝露者」が大勢いる。

コロナウィルスが細胞に侵入したら「感染」なのだが、その前に、ほとんどが自然免疫で処理されてしまう。更に「感染」しても普通はT細胞が細胞ごと破壊する。だから、ここまで「曝露者」と「感染者」の98%が「自然免疫」で片付いてしまう。

「PCR陽性者」(曝露者+感染者)のうち約98%が、無症状か風邪程度で治っている。
国による違いがあるが中共ウィルスは「日本人の場合」、曝露力は強いが、感染力が弱いから、重症者も死亡者も大変少ない。

ちゃんと、発信されている正しい情報を取捨選択すれば、大騒ぎする必要は無い。
私は、ウィルスやバイオ医療に関して単なる素人だが、まったく怖くはない。
怖いのは、情報弱者が繰り出す差別や偏見である。バカ情報番組を視てる情弱者は、煽られ不安がっていればいいんだ。

※暴露者とは、単にウイルスが「曝露」(ばくろ・体の中に入る)しただけで、「感染」(細胞の中に入って増殖する)には至っていない人。免疫にやっつけられて破壊されたウイルスの残骸が出てきただけの人
※感染者 ウイルスが細胞内に侵入した人。無自覚、無症状多数。
※患者 発症してる人。

ただの「陽性者」を「感染者」と呼んだり「患者」とするから大騒ぎになる。

★PCR検査では、中共ウィルス以外のその他のコロナウィルスでも陽性にしてしまう!

PCR検査は、遺伝子の検査です。PCR法は遺伝子検査のグローバルスタンダードとして世界に認知され、多くの医療関係者に幅広くご支持をいただいている技術です。

ただ、遺伝子を検査すると、似たものは親戚であり、ほとんど同じと判断されてしまいます。

例えばコロナウイルスは、コロナウイルスの形をしています。表面にトゲが出てて、大きさがナノメートルとかという形です。このような遺伝子は 、全てのコロナウイルスに共通しています。コロナウイルスはもともと普通の風邪です。


だから、テレビのニュースで発表される感染者(本当の中共ウィルス感染者ではなくただのコロナウィスル検査陽性者)は、なんの意味もない。毎日ただの風邪を引いた人の数、いや風邪すらひいてなく、問題のコロナウイルスだけでなく、全てのコロナウィルスがくっついた人を見つけましたという数を発表しているだかなのだ!滑稽としか言いようがない!


新型コロナ「第2波」を恐れる必要はない
「陽性者数」に一喜一憂するのはやめよう
【アゴラ】池田 信夫2020.7.24(金)


東京都で7月23日に確認された新型コロナウイルスの新規感染者数が、366人になった。300人を超えたのは初めてで、小池百合子東京都知事は4連休の外出を控えるよう呼びかけた。これをマスコミが「第2波が来た」と騒ぎ、「緊急事態宣言をまた出せ」という人が増えているが、それは本当だろうか。

問題は陽性者数ではない

そもそも東京都が発表しているのは「感染者数」ではなく「検査陽性者数」である。これはPCR検査(少数の抗原検査を含む)で陽性が確認された人の数だが、そのうち本当に感染して症状の出ている「患者」は何人いるのか、東京都の統計ではわからない。

7月22日のデータでは、入院患者916人のうち重症は18人である。これ以外に宿泊療養が156人、自宅療養が418人、調整中が470人だが、これはほとんど無症状と思われるので、おおむね半数が無症状と推定される。

4月に東京で陽性が増えたときは、37.5℃以上の発熱などの症状があった人が保健所に相談して検査を受けたので、ほぼ100%が患者だったが、6月から風俗営業の店などで無症状の人にも検査するようになり、6月1日には約1000人だった検査人数が、図1のように7月中旬には毎日4000人を超えた。

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画像元

検査が4倍に増えたら陽性が増えるのは当たり前で、6月初めには毎日20人前後だった陽性者が、その10倍以上に増えた。この検査は臨床的には意味があるが、サンプルが大きく変化したので、感染状況を判断する材料にはならない。

 4月上旬に東京で毎日200人以上の陽性者が見つかったときと今回の最大の違いは、その年齢層である。3月から4月にかけて検査したのは有症者だったので、半分以上が80歳以上の高齢者だったが、今回は60%が30代以下で、無症状の人が多い。

 検査陽性率は1.9%から6.7%に上がったが、この「陽性」の基準(カットオフ値)はウイルス5個である。つまり検体の中にウイルス(あるいはその残骸)が6個以上あれば陽性と判定されるので、大部分は症状が出ない。

 この程度を基準にすると、これからもたくさん陽性が出てくるだろう。そのほとんどは風邪を引いてなおるだけなので、行政が介入する必要はない。問題はコロナで死亡する人がどれだけ増えるかだ。


死者は欧米より2桁少ない

 東京都の死者は7月に入って、90代の患者が2人死亡しただけだ。全国でも毎日0~3人である。これが世界的にみていかに少ないかは、次の図をみてもわかるだろう。

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 これは世界各国の死者を比較したものだが、EUもアメリカもピーク時には毎日2000人以上が死亡していたのに対して、日本は最大でも20人台と1/100である。人口比でも欧米に比べて2桁少ない。

 病気で人が死ぬのを行政が防ぐことはできない。問題は患者が激増して、医療崩壊によって助けられる命が助からないことだ。北イタリアやニューヨークでは感染爆発でそういう状況になったが、日本では感染爆発は起こらなかった。

東京都の重症患者18人に対して、確保された重症者用ベッドは100床。入院患者は916人だが、確保された病床は2800床と、いずれも余裕がある。陽性者数が急増すると過渡的には医療スタッフの手当が大変だが、医療崩壊の心配はない。

「死者は感染の増加から2週間~1カ月遅れて増える」という人もいるが、上の図でもわかるように死者はこの1カ月減り続けている。今後、欧米並みに激増することは考えられない。

新型コロナはインフォデミック

 日本の死亡率が低いのは、政府が緊急事態宣言で国民に求めた「接触削減」のおかげではない。日本より厳しいロックダウンをした欧米では、日本よりはるかに死亡率が高かった。

 その原因についてはこれから科学的な解明が必要だが、結果として日本では新型コロナはインフルエンザ未満の風邪だと考えてよい。昨シーズンは1176万人が感染し、今シーズンの患者は728万人と推定されている。


 今年のインフルエンザ患者は昨年より450万人少なかったが、それでも新型コロナの感染者2万6000人の280倍である。致死率は新型コロナより低いが、それでも死者は毎年3000人程度と推定され、図3のように1月のピーク時には新型コロナよりはるかに多い。

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図3 インフルエンザと新型コロナの死亡率(出所:日本総研、厚生労働省をもと

 むしろ日本の反省点は過剰反応である。「2週間後にはニューヨークになる」とか「42万人死ぬ」とかいう脅しに乗せられ、緊急事態宣言で休業要請によって多くの経済的被害をもたらした。この意味で、新型コロナはインフォデミック(情報災害)である。

 ワイドショーが毎日「感染者数が増えた」という数字ばかり取り上げ、人々が大病院の救急外来に殺到した。このため緊急手術以外の手術はすべて延期され、それで死んだ患者も多いだろう。おかげで一般病院や開業医は患者が減って経営危機に陥っている。

 新型コロナを指定感染症として感染症法の2類に分類したことが、かえって医療の逼迫をもたらしている。指定を解除し、インフルエンザと同じように一般の病院でも対応できる病気にすればいい。

 過剰な自粛もやめるべきだ。いま問題になっているGo Toキャンペーンより、移動制限を解除することが最大の経済対策である。


ウイルスと人間は猿人が出現した6百万年、いやそれよりもずっと前猿になる前から我々と共生してきた。腸内細菌なくして人間は生きることができない。天然痘やポリオやAIDSのようなウィルスな別だが、少なくとも多くのウィルスと人間は共存している。哺乳動物が胎盤の発達していくにはウィルスなしには発生できない。

私は、今回の流行り病は、大騒ぎしすぎだと思う。人間とウィルスの関係が突然変わったわけではない。

日本の場合はPCR検査をしなければ高齢者や院内感染は起きるが気をつけましょうで済んでいたはずだが、大騒ぎするから混乱したにすぎない。確かに中国の武漢での惨状やNYやイタリアの惨状を知ってしまったことがあるが、日本は結果として例年のインフルエンザよりも少ない死者で収まった。

あくまでも結果論だが、数週間の自粛期間は必要だったかもしれないが、せいぜい4月いっぱいで十分だった気がする。日本の流行は4月末に終息したと言って良いだろうと思う。

いま、
不活性のウイルス感染者を含め感染者が増加しているが、重傷者や死亡者がほとんど増えていないことを考えると、私は過剰反応だと思う。現在PCR検査で陽性になったからと言って、感染者というわけではないことを理解しなくてはならない。驚くことに、PCR陽性だからといって、かならずしも COVID-19の遺伝子の残骸どころか遺伝子そのものを検出していない場合もあるというのだから、PCR検査を信頼する方法に疑問であるとしか言いようがない。

PCR検査が増え、陽性者が増えたから、再び感染者が増えているわけではない。
陽性者は増えたから二次感染爆発に繋がると私は思えない。


強すぎるウィルスは宿主を殺してしまうの長続きせず、徐々に弱毒化していくのが通常である。ウィルスが広がるには弱毒化して共生するほうが都合がいいので、ウィルスは弱毒化していく。

鳥インフルエンザは狭いケージに密集して飼っているから強毒化したり大量死したが、これを人間社会に当てはめてはならない。

朝の満員電車でも結局は今回の中共ウィルスは流行らなかった。今ウィスル感染者が増えているのはPCR検査をしているからで、発熱して症状が現れたひと人だけ検査をすればいいだけで、無症状のホストを検査してもいかがなものか?

我々が勘違いしているのは、飛んでいるウィルスが活性化しているか否か、いくつのウィルス以上吸い込めば感染するのか分かっていない。だから、多少ウィルスを吸い込んだからって感染するわけではない。

不活性のウイルスを吸い込んだ人もPCR検査では陽性判定されてしまう。

今回の流行病は、寿命がきていた人達に最後の一押しをしたにすぎない。
疾患をかかえた高齢者以外は恐れることはない。




【7/28追記】

 京大研究者が明言「再自粛不要論」 欧米より圧倒的に低い日本の死亡率…この差は「集団免疫」で説明できる 抗体検査には“盲点”も 
【ZAKZAK】2020.7.28


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日本の新型コロナウイルス感染による死者数や死亡率が欧米より圧倒的に少ない理由について、夕刊フジでは5月に「日本人はすでに集団免疫を獲得している」という研究グループの仮説を報じた。その後、国内の抗体保有率が低いという調査結果や、抗体が短期間で消えるとする海外の報告も出てきたが、研究グループは「集団免疫理論を覆すものではない」と強調する。東京都を中心に全国で感染者が再び増えているが、「自粛は不要」とも明言した。



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 京都大学大学院医学研究科の上久保靖彦特定教授と順天堂大の奥村康(こう)特任教授(免疫学)は27日、記者会見を開き、このところ感染者数が増加しているが、「3週間経過しても死者数は横ばいだ」とし、感染者の増加はPCR検査数の増大と相関しているとの見解を示した。

 米ジョンズ・ホプキンズ大の集計によると、27日現在の日本国内の死者は998人(人口100万人あたり7・9人)。米国の14万6935人(同448・3人)、英国の4万5837人(同689・9人)と比べると、死者数、死亡率ともに大幅に低い。


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 この差を「集団免疫」で説明できるというのが、上久保氏と吉備国際大学(岡山県)の高橋淳教授らの研究グループだ。研究によると、新型コロナウイルスは「S型」「K型」「G型」の3タイプに大別される。感染しても無症状から軽症が多い「S型」は昨年10~12月ごろに世界に拡散し、同じく無症状から軽症が多い「K型」は今年1月ごろをピークに日本に侵入した。やや遅れて「G型」が中国・武漢で拡散、さらに上海で変異したG型が欧米にも広がったとしている。

これらは鳥インフルエンザ対策のために設立された国際イニシアチブ「GISAID」や、現在の日本のパンデミック(世界的大流行)の状況により立証されているという。

 武漢が1月23日にロックダウン(都市封鎖)されたことを受け、欧米各国は2月上旬に中国全土からの入国制限を行った。しかし、「すでに広がっていたS型はG型の致死率を上げる特徴がある」(上久保氏)ことから多数の死者が出た。

 これに対し、日本が入国制限を中国全土に強化したのは3月9日と遅れた。その間に日本国内で広がっていたK型のウイルスは、「G型に対する獲得免疫を有する」(同)ことから、結果的に集団免疫が確立したという説だ。

 仮説を立てるうえで、上久保氏らが着目したのが、新型コロナウイルスに感染すると、インフルエンザに感染しなくなる「ウイルス干渉」という現象だった。「体内に入ったウイルスにより活性化されたサイトカイン(免疫系細胞から分泌されるタンパク質)の反応が出るために、同時に他のウイルスの感染も妨げられる」と説明する。

 昨年10月から今年1月のインフルエンザの流行の波が前年の同じ時期より小さくなっていたといい、ここでS型やK型のウイルスが広がっていたと上久保氏はみる。

 その後、仮説と一見矛盾するような調査結果も出てきた。集団免疫が確立しているということは80~90%の人が抗体を持っているはずだが、厚生労働省が実施した抗体保有調査では、東京の抗体保有率は0・10%、大阪が0・17%、宮城が0・03%と極めて低かった。

これについて上久保氏は、抗体検査の問題点を指摘する。検査キットには、カットオフ値(陽性・陰性の境を決める基準)が人為的に設定されるが、「新型コロナウイルスのように無症状が多い場合、カットオフ値は明らかに有症状の人の高い抗体値に合わせているため、基準が高く設定されすぎて抗体を持っていても陰性と出る可能性が高い」と話す。

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 海外でも抗体の研究が進んでいるが、英ロンドン大キングス・カレッジの追跡調査では、ウイルス感染後、抗体ができて回復した場合でも、抗体による免疫は数カ月以内に減退する可能性があると指摘された。

 抗体が短期間で失われてしまうのなら、集団免疫ができないのではないか。上久保氏は「既感染の状態では抗体が減衰することが多く、抗体があっても抗体検査で出てこない可能性が高い」と述べる。

 ■京大研究者・上久保氏「非科学を横行させるな」

 「再感染」と免疫の関係について上久保氏は東京・新宿のホストクラブなどのPCR集団検査で陽性が相次いだ事例を引き合いに、こう説明する。

 「既感染者(免疫を獲得済み)ののどや、体内に再びウイルスが入ったところで、たまたま集団検査などでPCR検査が行われたと考えられる。抗体が減衰していても免疫が記憶されており、再度ウイルスが入ると、速やかにウイルスに対してその免疫が反応し、ウイルスを排除する。また、免疫細胞が廃れかけた場合は再度ウイルスが曝露(=ウイルスにさらされること)することで、むしろ免疫にエンジンがかかるブースター効果というものがある」

これが事実なら、PCR検査を増やせば増やすだけ、感染者数が増えても、日本では欧米のように死者が急増する可能性は低いということになる。

 「今年に入って半日ぐらい熱っぽいと感じたことがある人は、そのときに新型コロナウイルスに曝露していてもおかしくない。何日も曝露していれば、それだけの日数で微熱や、のどの痛みなどを感じる」という上久保氏。7月に入り、東京都内では連日3ケタの新規感染者が確認され、都は警戒レベルを4段階で最高の「感染が拡大していると思われる」に引き上げた。再度、緊急事態宣言を出すべきだとの声もあるが、上久保氏はこれに反対の立場だ。

 「免疫が形成されるまでに複数回の接種を要するワクチンがあるように、新型コロナウイルスに対する免疫を維持するには、ウイルスと生活していかなければならない。もともとコロナウイルスとはともに暮らしてきた。今から急に始まるわけではない。再度自粛すれば、かえってその機会が失われかねない。『3密』や換気など非科学的な話ばかりだ。すべてを真摯(しんし)に検証すべきだ。私は自分が間違っていたら、間違いは素直に認める。しかし、非科学は絶対に横行させてはならない」



集団免疫説+普段の風邪予防、(手洗いうがい、手指消毒)と日本人の民度によって、この世界的に圧倒的に少ない流行病の死者数が実現したようだ。

神風は三度吹いた・・・いや、弱毒性のK型を私は「神風邪」と呼ぶことにする。(笑)


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中国では三峡ダムが決壊するのではと言われ、ダムを無理に建設した江沢民など共産党幹部の責任論が噴出しているが、日本では球磨川が決壊し、川辺ダムを建設していたら洪水を防げたのではないかと、ダムを建設しなかった罪が問われている。

相矛盾するダム建設の是非論だが、まず、平成13年作家田中康夫が長野県知事時代に行った脱ダム宣言 とはなんだったのか?

脱ダム宣言の中に、「
河川改修費用がダム建設より多額になろうとも、100年、200年先の我々の子孫に残す資産としての河川・湖沼の価値を重視したい。長期的な視点に立てば、日本の背骨に位置し、数多(あまた)の水源を擁する長野県に於いては出来得る限り、コンクリートのダムを造るべきではない。」とあった。私は、「脱ダム宣言」にかつて一定の理解、共感をしたことがあった。

悪夢の民主党政権(2009-2012)の公共事業は悪、「コンクリートから人へ」と言って、 過激に公共事業を削減したのは、田中康夫がそのポピュリズムのなんとなく政治が、ひときわ説得性のあるように見えた具体的な政策だったからであろう。政権担当能力の無い民主党にとって、実に都合がいい政策であった。

今回決壊・氾濫した球磨川の洪水防止のために計画されていた川辺川ダムは2009年、民主党政権・前原誠司国交相が中止を決定。東の「八ッ場ダム」、西の「川辺川ダム」の中止は、民主党マニフェストの一丁目一番地とされた「コンクリートから人へ」の象徴となった。

しかし、その結果はどうか?長野県の千曲川が氾濫し、民主党の政策と現熊本県知事によって川辺川ダムを中止した球磨川が氾濫、民主党政権の目玉の「八場ダム」が中止となりかけたが、安倍政権となって建設が再開された八場ダムの建設が間に合い昨年の台風19号の大量の雨水を溜め、首都圏を大水害から守った。

脱ダム宣言を検証する
~ダムはすぐ埋まる・ダムはカネがかかるは本当か?~
 

これは、「 ダム好きさんホームページ 」の灰エースさんによる投稿です。全国のダム巡りを精力的に行っている灰エースさんが、長野県の田中知事が出した「脱ダム宣言」について、その内容を検証しています。
 
 最近見られるダム否定論に、ダムはすぐに埋まる、土砂を取り除いたりするのにカネがかかりすぎる、カネがかかるだけの無用の長物、ダムによってもたらされる環境破壊を子孫に残していいのかと、まあダムは悪の権化とまで言いたいのかと思うような話がまことしやかにささやかれているように思う。さてこの話どこまで真実か?

 まず長野県の脱ダム宣言全文をここに掲載します。これは長野県公式サイトから引用したものです。

「脱ダム」宣言

 数百億円を投じて建設されるコンクリートのダムは、看過(かんか)し得ぬ負荷を地球環境へと与えてしまう。更には何れ(いずれ)造り替えねばならず、その間に夥(おびただ)しい分量の堆砂(たいさ)を、此又(これまた)数十億円を用いて処理する事態も生じる。
 利水・治水等複数の効用を齎す(もたらす)とされる多目的ダム建設事業は、その主体が地元自治体であろうとも、半額を国が負担する。残り50%は県費。 95%に関しては起債即ち借金が認められ、その償還時にも交付税措置で66%は国が面倒を見てくれる。詰(つ)まり、ダム建設費用全体の約80%が国庫負担。然(さ)れど、国からの手厚い金銭的補助が保証されているから、との安易な理由でダム建設を選択すべきではない。
 縦(よ)しんば、河川改修費用がダム建設より多額になろうとも、100年、200年先の我々の子孫に残す資産としての河川・湖沼の価値を重視したい。長期的な視点に立てば、日本の背骨に位置し、数多(あまた)の水源を擁する長野県に於いては出来得る限り、コンクリートのダムを造るべきではない。

 就任以来、幾つかのダム計画の詳細を詳(つまび)らかに知る中で、斯(か)くなる考えを抱くに至った。これは田中県政の基本理念である。「長野モデル」として確立し、全国に発信したい。

 以上を前提に、下諏訪ダムに関しては、未だ着工段階になく、治水、利水共に、ダムに拠(よ)らなくても対応は可能であると考える。故に現行の下諏訪ダム計画を中止し、治水は堤防の嵩(かさ)上げや川底の浚渫(しゅんせつ)を組み合わせて対応する。利水の点は、県が岡谷市と協力し、河川や地下水に新たな水源が求められるかどうか、更には需給計画や水利権の見直しを含めてあらゆる可能性を調査したい。
 県として用地買収を行うとしていた地権者に対しては、最大限の配慮をする必要があり、県独自に予定通り買収し、保全する方向で進めたい。今後は県議会を始めとして、地元自治体、住民に可及的(かきゅうてき)速やかに直接、今回の方針を伝える。治水の在り方に関する、全国的規模での広汎なる論議を望む。

 平成13年2月20日 長野県知事 田中康夫

 さて・・・まず全体的に大仰な言葉づかいが多いかな? 「看過しえぬ負荷」と言われてはどんな恐ろしいことがおきるんすか!?とこれは不安だナァ。

 しかし冷静に考えてみる。看過しえぬ負荷とは具体的にどんなものなんでしょうか?草木も生えない魚もいない死の川になるなら看過し得ないと言われても仕方ないか。実態はどうなのか・・・

 ここで環境とはどういうものか。日本の土地は急峻で、平野は少ない。その中で1億2千万人もの人が住んでいる。原野のままではとてもこれだけの人口を維持できず、開発はどうやっても必要だというのは誰しも理解できるんじゃないかと思う。住民が安全に暮らせる環境こそ一番大事ではないか?? ただし、無計画な開発は慎むべきだとは思う。無計画な開発は結局住みにくい状況を招くだろうから。

 もともと大自然は強大であって、人間が守ってやらなければ駄目だという考え方は傲慢であるとさえ言いたい。
 これまで様々な人間の活動は、多かれ少なかれ自然に影響を与えてきました。ダムのみが特別ではありません。人間にとって自然は大事ですが、ダムを作るのは看過しえぬ負荷を地球環境に与えるとまで言えましょうか??地球環境にそんなに影響を与えるダムって一度見てみたいと思います。ソヴィエトが作ろうとしたベーリング海峡を締め切る超巨大ダムのことですか??


次の話題に進んでみる。

更には何れ(いずれ)造り替えねばならず、その間に夥(おびただ)しい分量の堆砂(たいさ)を、此又(これまた)数十億円を用いて処理する事態も生じる。

 いずれ造り替えねば=将来その時が来たときに造り替えたくなる=必要であると言うことであります。未来のその時、必要で無くなっておれば造り替える必要があるのか?? 現時点で各地のダム事例を見渡すと・・・明治・大正のころに作られたダムを補修して使っている例はあるが、なんで補修するかといえば、そのダムの水資源が大切だから補修して使いたいとなるわけですが。

 いずれ造り替えねばならん=悪であるなら、絶対に壊れないものは世の中に何一つ存在しない以上、ダムに限らず何も作れませんよねえ。むしろダムは他の品物に比べても格段に長寿命じゃないですか? 一般家屋でダムの法定減価償却年数80年(これがダムは100年で埋まるの元か?償却年数を超えても駄目になるわけでは無いぞ!)を超えて持つ物件がどれだけありますか?

 マイホームを持とうとした人に、そんな家はいずれ建て直さなきゃいけないから作るなという意見を正論だと思いますか?

 堆砂の問題だって・・・掃除をしなければゴミが溜まります。家を建てて掃除をせずに一生暮らす人がどこにおりますか?

堆砂(たいさ)を、此又(これまた)数十億円をかけて処理。

 なんか金食い虫のように聞こえますねえ・・・しかし、数十億円をかけて処理するだけの価値のある仕事をダムがしているのではないんですか? ダムの仕事はいろいろあります。水道、発電、治水、農業灌漑・・・どれも大事な仕事ですよ。無くて済むわけが無い。

 この中で一番おカネに換算しやすいのは発電なので、ここでは発電ダムでダムの稼ぎを計算してみますよ。発電ダムにも電力会社直営と、都道府県や発電卸会社が電力会社に売る場合の2つがあります。電力会社に売る場合は昼間10円夜間5円(1KWH)ぐらいが相場らしいです(最近は価格が下がってきていると言う話も聞きますが・・・)

 ところで水力発電所、1万5000KW出力、と聞いて一般の人はどう思うんでしょうね。多分小さいなあと思うのではないかと・・・いかがでしょうか?? 最新の火力や原子力は120万KWぐらいです。小さいように思いますよね(笑)

 さて、だいたいこの規模1万5000KWの水力発電は都道府県管理の中規模多目的ダムに付属する発電所として一般的な大きさではないかと思います。この小さな発電所が年間いくらのおカネを稼ぎ出すと思いますか??

 では計算条件を仮定しますよ。年間80%の日数、1日10時間、10円で売れる昼間に限って発電するとします。

 15000KWx10時間x365日x0.8x10円=売り上げ4億3800万円

 どう思いますか? 火力のように石油を燃やすわけでもなく、太陽が海の水を蒸発させて雨や雪として降った水をダムにためて電気を作って売るだけで年間4億円の儲けを小さい発電所で作れる。都道府県の作ったハコ物でこれだけの稼ぎを叩きだす施設がありますか?? 1億円どころか赤字じゃないの??

 さて、電力会社直営のダムになるともっとすごいわけですよ。まず出力が大きい。それに直接自分の会社から需要者に売るんだから売電よりもレートが良いわけで。

 ここに実際の年間発電量の資料があるので計算してみます。出力7万5000KW、年間発生電力量214510000KWH。ここの出力も大きいと言っても火力や原子力に比べれば小さいですが、それでもCO2を出さず燃料費もかからないメリットは計り知れないわけです。さてこの電気を電力会社は幾らで売っているか、各電力会社を比べてみると、一般家庭に対しては1KWH当たり20円といったところでしょうか。

 214510000KWHx20円=42億9020万円・・・

 こんなに稼いでるんだから堆砂除去費用が数十億円かかってもOKじゃん。ダムによっては浚渫した土砂を骨材などとして売っているところも実際にあるし。

 おカネに換算しやすい発電ダムは以上の結論として、そのほかの利水にしたって、水道料金などで回収するし、治水では下流住民の家、財産、命とおカネじゃ買えないものを守ってますよ。今年の水害で家が水に沈んだ人なんか、経済的大ダメージだけでなく家族のアルバムとかかけがえの無いものを失いましたよ。下流住民が安全に暮らせるということは何事にも代えがたいんじゃないですか?

 これでもまだダムは維持にカネがかかるのは問題だと思いますか?

 水力発電で発電したということは、他の火力発電所で燃やす石油をその分減らしたということです。年間214510000KWH(2億KWH余り)の水力発電を火力で作るとなると、4万3千トンの石油に相当し、13万7千トンの二酸化炭素排出量に相当します。つまり水力を使えばこういう削減効果がある。

利水・治水等複数の効用を齎す(もたらす)とされる多目的ダム建設事業は、その主体が地元自治体であろうとも、半額を国が負担する。残り50%は県費。 95%に関しては起債即ち借金が認められ、その償還時にも交付税措置で66%は国が面倒を見てくれる。詰(つ)まり、ダム建設費用全体の約80%が国庫負担。然(さ)れど、国からの手厚い金銭的補助が保証されているから、との安易な理由でダム建設を選択すべきではない。
 縦(よ)しんば、河川改修費用がダム建設より多額になろうとも、100年、200年先の我々の子孫に残す資産としての河川・湖沼の価値を重視したい。

 この河川改修ですますことが果たして資産になるのかどうか。さて20世紀は石油をめぐって戦争がたくさんおきた。21世紀は淡水をめぐる戦争がおきるという話さえある。真水は貴重な資源であるが日本の国土を考えると人口に対する真水のたくわえは乏しい。ダムというものは作って明日完成するというものではない。何年、何十年と時間をかけて作るインフラのひとつだし、貴重な真水を蓄える設備として100年200年先の子孫に残す資産がダムではないか。

 大正に作られた兵庫の千刈ダムは今も神戸市の水道を支えているが、これは90年近い前の先人が残した資産ではないか。東京砂漠といわれた首都圏の渇水今は無く、いつでも水道が出るのは当たり前となったのは小河内ダム、矢木沢ダムの大貯水池によるものが大きいが、このダムが現在のペースで堆砂が進んで何も手を打たないとしても、小河内ダム1100年、矢木沢ダム2600年と言う。これは子孫に残すかけがえの無い資産以外の何であろうか? おそらくこの先コンクリート堤体の補修が必要になるときがくるかもしれないが、いま各地の年代モノのダムで行っているような補修を同じようにすればいいのである。歴史は繰り返す。

長期的な視点に立てば、日本の背骨に位置し、数多(あまた)の水源を擁する長野県に於いては出来得る限り、コンクリートのダムを造るべきではない。

 確かに長野県は電源県とも言われるぐらい水に恵まれてたくさんのダムがあるから、利水ダムの需要は少ないだろうね。発電ダムの水も農業や水道で生かされてますから。だからといって、他県のダム事業に口出しするのは?と思いますが。全国が長野のように恵まれているわけではありませんので。そんなことよりも、地元県民で水害に困ってる人の対策をするのが県知事の仕事じゃないんですかね。よその県に首を突っ込む前に。ところで「コンクリートのダムを造るべきではない。」ということは・・・コンクリートを使わないアースフィル、ロックフィルのダムはOKなんでしょうか。謎だ・・・

就任以来、幾つかのダム計画の詳細を詳(つまび)らかに知る中で、斯(か)くなる考えを抱くに至った。これは田中県政の基本理念である。「長野モデル」として確立し、全国に発信したい。

 上の方で誤解と思われる事をさんざん突っ込ませていただいたわけで、本当に詳細を勉強されたのか疑問なわけですけども。そういう誤った内容を発信するのはいかがなものかと思いますね。おかげで水害に悩まされて治水ダムが地元住民の悲願であるという地域のダム計画が勢いづいた反対派のおかげで頓挫しているところもありそうですしー。

 以下、下諏訪ダムについては詳細を知らない身で発言するわけにはいかないのでコメントは控えます。

 さて、脱ダム宣言から3年が経ち、脱ダムの代替案が「普段水をためない高さ30mのえん堤」とか出てきているわけですけども、高さ15mを超えるものをえん堤と呼ぶのは、誰が見ても理解しがたいわけでして、水を普段ためないのをダムではなくえん堤と呼ぶかといえば、そんなことはなく、すでに日本各地に水をためない治水ダムが存在しています。たとえば、大代川ダム、大倉川ダム、小匠ダムなどは、普通にダムとして取り扱われています。これらは普段はまったく水をためず、流れてきた水はスルー、小匠ダムは魚道付きなので水棲生物が行き来することも可能です。洪水が起きたときだけゲート操作で洪水を調整する立派なダムです。脱ダム代替案の「えん堤」はこれらのダムとどういう違いがあるんでしょうか、いくつかの報道記事を読む限り、限りなくこれらのダムと同じもののような感じがするんですが・・・

 今更後には引けないと言うことかもしれませんが、代替案があれじゃあ頓挫したとしか思えないんですけどね・・・。



 熊本県南部を襲った豪雨では、6日朝までに死者計22人、心肺停止18人、行方不明者11人など大きな被害が出た。氾濫した球磨(くま)川の支流では、九州最大級の「川辺川ダム」の建設計画が中止された。治水は万全だったのか。

 “暴れ川”と呼ばれる球磨川では11カ所が氾濫、多数の被害が出た特別養護老人ホーム「千寿園」のある球磨村や、温泉地として知られる人吉市など流域で約6100戸が浸水した。

 国は1966年、洪水防止のため川辺川ダム建設計画を発表したが、賛成派と反対派が対立し、2008年に蒲島郁夫知事が建設反対を表明、09年に民主党政権が計画中止の方針を示した。

 関東学院大学名誉教授(河川工学)の宮村忠氏は「今回の氾濫で『ダムがあれば』と考えた人は当時の反対派にも少なくないのではないか。問題は記録的な豪雨だけでなく、豪雨に備える体制にもあった」と指摘する。

 蒲島知事は5日、川辺川ダム中止の決断は県民の意向とした上で、反対の方針に変わりがないと強調した。大きな被害に「大変なショックを受けた」とし、「ダムによらない治水を目指してきたが、費用が多額でできなかった」と述べた。

 「ダムによらない治水を極限まで検討する」「それをさらに考える機会を与えられた」とも話したが、具体的な方策に言及はなかった。

 前出の宮村氏は、「人吉周辺は以前は人も少なく、ある程度の氾濫を受け入れて立ち上がることができた。しかし、現在は、交通インフラも整い、施設も増え、氾濫を受け入れる選択肢はない。だとすれば、ダムによる治水が必要だった。それぞれの時代に合った技術を適用すべきだということだ」と指摘した。

 群馬県の八ッ場(やんば)ダムも民主党政権で工事を中断したが、その後再開。試験貯水中だった昨年10月の台風19号で治水効果を発揮した。

本来ならば「川辺川ダム」は2017年度に既に完成していた筈だった。今回の豪雨による人的被害が、最も心配されていた地点(人吉盆地)で発生した。もしも、川辺川ダムが完成していれば、今回の決壊・氾濫が起こらなかった可能性が想定される。

蒲島熊本県知事や当時の民主党政権の関係者は、政治責任を感じているのか?はなはだ疑問だ。田中康夫は未だにくだぐだ自分のブログに言い訳を書いている。現役の熊本県知事の言い訳はあまりにも苦しく見苦しい。「私の決断(ダムによらない治水を目指すべき)は県民の方々の意向だった。」「私が2008年にダムを白紙撤回し民主党政権によって正式に決まった。その後、国、県、流域市町村でダムによらない治水を検討する場を設けてきたが、多額の資金が必要ということもあって12年間でできなかったことが非常に悔やまれる。・・・改めてダムによらない治水を極限まで検討する必要を確信した。」と最低の言い逃れに徹している。

欧米では保守は財政再建を目的とする緊縮政策や規制緩和・民営化が中心であるのに対して、リベラル・左派は積極的な財政政策や金融緩和政策で経済全体を成長させて、その上で再分配を強力にすすめている。

それに対して、日本のリベラルと左派は、そもそも経済政策を理解しておらず、優先順位は憲法問題を絡めぐり防衛費を削ることが最優先だ。民主党政権時代、大きな政府で雇用を創出するのではなく、財政再建を言い出し、「自分たちの認める形で再分配するならば消費増税も認める」という、財務省の思惑(消費増税主義)におんぶにだっこした代物である。このような消費増税主義は、財政再建という美名に乗っていたが、民主党政権時代に発生した東日本大震災で、経済を復興再建するのに減税するのではなく、復興増税という経済理論的にもまた実証的にも支持できないトンデモ理論を財務省にそそのかされやってしまった。その結果が、未曽有の左翼リベラル不況が日本を襲った。その延長線上に脱ダム宣言があったのだ。

治水対策において、ダムの必要性は河口に近い下流域では「流入量の管理」が重要であることは実感しにくいでしょうが、山間部が多い河川の上流では水嵩の変化は大きくなります。脱ダムは、それを軽視していたツケが回ってきたと言わざるを得ないでしょう。山で囲まれている日本の盆地の治水は、ダムは有効な治水対策だ。 

治水ダム等で「河川への流入」を時間調整しない限り、盆地周辺に降った雨は一気に流れ込む 自然豊かな山林は治水能力を保持しています。ただ、これは “ハゲ山” と比較した場合であり、地中に吸収できなかった降水は河川へと流入することになります。

左翼リベラルが行ったかかわったが為に、水害となった今回の球磨川や、千曲川や、昨年の多摩川の二子玉川の水害は、みな左翼リベラル災害と言っていいだろう。

長江の膨大な水をダムに溜め、干ばつの時に取り出すダムを建設することは、構想としては悪いものではなかったかもしれない。だが、ドイツ在住の中国水利専門家、王維洛氏の話によると、三峡ダムが洪水を調整する役目に用いる為に、旧ソ連の専門家が算出した水位は265mだった。しかし、その後の浚渫維持を考えると、コストが合わず、265mの巨大ダム建設は技術的にも難しかった為、三峡ダムは最大でも貯水限界は175m、構造が甘く更に手抜き工事で、洪水期の治水限界は145m。故に、三峡ダムに期待される水量調整の機能、つまり洪水防止や水供給の効果は非常に限定的である。

中国に8万6000カ所あるダムの4割は欠陥ダムである。1975年、淮河(中国第三の河)流域では板橋ダムはじめ50カ所のダムが相次いで決壊し、23万人が死亡する事故が発生した。これは人類歴史上最悪のダム決壊災害となった。もはや三峡ダムはダム自身の安全を図るため、放水しまくり洪水防止どころかリスクでしかない。ソース

治水能力が無い三峡ダムと日本のダムを同列で語るべきではない。

九州各地で豪雨による水害で多くの尊い人命が失われた。心から御冥福を祈るとともに被災された方々に御見舞い申し上げます。









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31年前、6月3日夕刻から刻々と伝わるニュースは天安門で軍と市民が緊張しているというものだった。夜半には軍が市民を虐殺しているというニュースを寮の一室で一人ずっと固唾を呑んで視ていた。

ネットで検索すると同時刻視ていた懐かしい動画を検索できた、ネットが無い時代、地上波TV情報が全てだった。思い出したが、当時軍による虐殺事件よりも当時日本では中国軍同士が衝突し内戦が始まることを皆心配し、虐殺より内戦に関心があった。




私も、天安門広場での虐殺事件もさることながら、中国内戦が始まるのかどうか?そちらのほうが興味があったような気がする。6月4日(日)の朝、目を覚ました時一晩中TVを点けっ放しだった。記憶は定かではないが、戦車男をはじめて見たときには、強烈に彼こそが英雄だと思った。従来戦車男の公開されていた映像は↓である。



はじめに見た時は轢かれてしまうのか、どうなるのかわかはらはらして視ていた気がするが、中継が途切れたか先は誰も知らなかった。

私達は、2019年9月に亡くなった1990年の「World Press Photo賞」を受賞Charlie Cole氏(1955年-2019年9月5日)撮影したすぐ後には、中国当局がホテルの部屋に入ってきてフィルムを捜索した、
しかしCole氏は、画像を収めたフィルムをホテルのバスルームに隠し、結局中国当局に見つけられることはなかったと言われているので、これより先はないものだと思っていた。
ソース:
https://en.wikipedia.org/wiki/Charlie_Cole_(photographer)

TVでもその後の彼「戦車男」がどうなったか説明がなかった。

最近従来の動画の数十秒後の映像がツイッター上に公開された。

ツイッターを開いていただいて、動画を見比べてください。


1:50秒以降から終了の2:10の動画は、従来公開されていた動画にはないシーンである。


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2:00 歩道上から自転車に乗った男性が青年に近づく
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2:05 青年に声をかける
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2:07 更に二人の市民が歩道上から戦車男に向かって走りだす
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2:08 戦車から体を乗り出した戦車長に向かって両手をあげ、ちょっと待ってとのジェスチャー
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2:10 最後のシーンは二人の市民が戦車男の傍らにたどり着いたところで終わる。

私が知る限り、その後の戦車男の写真といわれる写真は下の一枚しか検索できなかった。

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画像元AFPbusinessinsider

検索していくと2018年8/2のインドの動画にツイッターより先の動画(3:37~3:41)があり、動画の最後には、Tank Man remains an unknown legend till today. タンクマンは今日まで無名の英雄として知られる、No one knows what happened to him after the 5th of June1989. 1989年6月5日以降彼の消息を知るものがいないと字幕が流れた。


ところが、ところが・・・この記事を書いている最中に発見したのだが、2019年6月3日のANNニュースにこのツイッターの先,インドの動画の先の動画がさりげなく映っていることを発見した。


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この映像について、堂アナウンサーは「周辺から潜んでいた男に取り囲まれどこかに連れ去られたことが映像から確認されております」って・・・既に知られていた事実のように伝えています。

「え゛ェ~!」初めて知った・・・・はたして昨年(2019年)話題になっただろうか?
スクープ映像ではないか?

ツイッターの投稿画像ですら、その後の戦車男の姿として新鮮な映像なのに・・・
昨年このニュースを編集したディレクターはスクープ映像と知っててされげなく画像をながしたのだろうか?それともスクープ映像だと知らなかったのであろうか?それとも私が情弱なだけだろうか?

このソースネタがあると思い、もう少し、TankMan検索しても見つけることができなかったので、中国語で「坦克人」で検索していくとヒットした。なんと2009年8/2の公開だった。


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上の動画を最後まで見ると、路上から駆け寄った男達は本当に私服警官だったのだろうか?見るに見かねた一般の北京市民が、群集の中に紛れ込ませた可能性は否定できない。

もし、私服警官なら、戦車男は突き飛ばされて、路上に押さえ込まれ、場合によっては膝でクビを抑えこまれていたり、戦車の前でいきなり手錠を掛けていたかもしれない。しかも最後は、路上では掴んでいた腕を放し、背中を押しているようにも見える。青シャツ以外の男達も、戦車男から離れている。もし青シャツ以外の男達が私服警官なら、あのような動きはしないだろう。私服警察官ではない可能性も十分にある。

やはり真相は不明だ。

話を戻すが、この画像後の戦車男のその後の消息は不明だ。「処刑された」「投獄されて精神を病んだ」「台湾でひそかに暮らしている」など真偽不明の諸説がある。

文春オンライン


事件直後に英国のメディアが「王維林」という名の19歳の学生だったと報じたことで、中華圏では一般にこの名で通っている。その後、この王維林は「中国政府に逮捕されて死刑になった」「投獄されて精神を病んだ」……などとも言われているが、実際のところはよくわかっていない。そもそも本当に王維林という名前だったのかも不明である。

 今年6月4日、台湾の複数の大手メディアが、香港のNGO「中国人権民主化運動情報センター」発の情報として、この人物が存命であると報じている。報道によれば、彼は後年に例のシーンの映像を目にして、自分が世界的な有名人であることをはじめて知ったとのこと。彼の本名は「王維林」とは別の名らしいのだが、中国が将来民主化する日まで名乗り出る気はなく、中国国内で普通の暮らしを送る気なのであるという。もっともこちらもどこまで信用していいのか、やはり誰にもわからない。



タイム誌やABSニュースが当時の総書記 江沢民に直接インタビューした際、戦車男は知っていて捕らえられその後のことは知らないといっている。

またTIME誌は、「民主化運動主導者の一人」の意見として、「戦車の写真における英雄は二人だ。すなわち、強大な力に対し命の危険を冒した無名の反逆者と、彼の同胞を葬り去ることを拒否し、道徳的な挑戦に打ち勝った戦車の運転手だ」という意見を紹介している。


江沢民は、彼を捕まえ秘密裏に処刑せよと命令を出したとも言われているが、2000年、米CBS放送のベテラン記者ウォレス氏が江沢民にインタビューした時、王さんの写真を見せながら質問した。「この青年の勇気に感心しますか?」だが、江の回答はこうだった。「彼は(当局から)捕まってはいない。彼が今どこにいるか私は知らない」であった。

ウィキペディアには、無名の反逆者とあり

被写体の男性の素性は、謎に包まれている。当時の学生指導者
ウーアルカイシや中国の知識人にさえ、彼のことを知る者が存在しないことから、その場にたまたま居合わせた普通の中国人の若者の1人ではないかと言われている[7]

イギリスタブロイド紙サンデー・タイムズ』は事件直後、この人物はWang Weilin(王維林、王维林)という19歳の学生であると報じた。彼は、後に「政治的内乱罪」(political hooliganism)と「人民解放軍のメンバーを覆そうと試みた罪」(attempting to subvert members of the People's Liberation Army)により、起訴されたとも報じられている。しかし、どちらも確証がない。彼のその後については、「すぐに処刑された」「刑務所の中で精神に異常を来した」「出所して台湾で暮らしている」などの説もある[7]

1990年記者会見で、アメリカ合衆国ジャーナリストバーバラ・ウォルターズから「中国の自由の象徴というべき、あの男はどうなったのか?」という質問に対し、中国共産党中央委員会総書記江沢民は「死んではいないと思うが…」と言葉を濁しただけに留まった[1]

2017年に、香港紙の『蘋果日報』がこの人物の知人とされる人物の証言から、この人物は事件当時24歳で、事件後に無期懲役判決を受け、減刑され仮釈放された後に再び収監され、近く天津の刑務所から出所すると報じた[8]。事件から30年を前にした2019年6月、中国外交部の記者会見にて、この人物の消息について問われた耿爽報道官は少し笑みを浮かべながら「把握していない」「言えることは、あの政治騒動について中国政府はすでに明確な結論を出したということだけだ」と答えた[9][10]


私がネットで検索した情報は、ウィキどまりで、それ以上のことは、殆ど検索できませんでした。タンクマンの消息は依然謎のままである。




人民解放軍27軍(天安門制圧部隊)と失脚した趙紫陽主席に近い28軍・38軍、さらに東北39軍が援軍に来るとの衝突の噂は、いったいなんだったのか?

事実当時北京市の防衛を担当していた第38集団軍の軍長(司令官)徐勤先中将は、1989年5月19日、北京市内に戒厳令が布告されると、中央軍事委員会から北京市内に進軍するよう命令が下ったが、「人民に武器を向ける事は出来ない」と署名を拒否して軍長を解任され、軟禁状態に置かれた。

楊 尚昆中華人民共和国主席の動きで、当時の軍や党内部の状況が少しだけ垣間見える。

6.4天安門事件において、楊 尚昆は、鄧小平と党総書記である趙紫陽の間を取り持とうと奔走すした。1989年5月、ソビエト連邦共産党書記長ミハイル・ゴルバチョフが訪中した際、鄧小平と趙紫陽の関係が決裂してしまったが、楊尚昆は趙紫陽が総書記を続投するように説得した。

北京の天安門広場で展開されていた民主化デモに対して、共産党指導部は武力弾圧を検討したが、楊尚昆は当初、武力の行使には批判的で、鎮圧を回避しようとした。しかし、50年来の知己である鄧小平の決意が固いと知ると反対せずに従った。中央軍事委員会主席である鄧小平に代わって、中央軍事委員会副主席である楊尚昆が武力行使の実行責任を担い、国家主席としての権限で戒厳令を発令した。楊尚昆の甥が北京軍区所属の第27集団軍を指揮してデモを鎮圧した。

2014年6月に機密解除された米国政府のによる六四天安門事件に関する文書によると、この武力弾圧が多くの死者を出すことを意図した残虐なものであり、楊尚昆の甥が指揮した河北省石家荘から招集された第27集団軍に属する非北京語話者の兵士たちは、「人々の集まりに遭遇すると、それが誰であろうとも笑いながら無差別に発砲していた」と示されてる。

軍内部での対立は、確実にあり、最後最高実力者、鄧小平の鶴の一言で、市民の暴力的鎮圧が決まったようだが、おそらく、米国のインテリジェンス経由で日本にも鄧小平と、趙紫陽の対立と、軍内部での対立の情報が部分的に入っていたのだろう。

日本政府は、当時北京に滞在していた、3000人の邦人に対して緊急避難勧告および緊急避難がおこなわれた。「中国・天安門事件(1989.6)における邦人保護措置」によって、日本航空と全日空は6~8日に計10便の臨時便を運航した。これで3133人を羽田・成田空港に運んだ。

ただの噂だけで、日本政府が3000人を超える日本人脱出オペレーションをしたとは思えない。

政府には、米軍からの情報等、日本人が脱出しなければならないほどのもっと緊迫した情報が入っていたはずだ。1985年3月、イランイラク戦争において、テヘランに日本人が取り残され、トルコ政府の厚意で脱出できた轍を踏まない為の措置だったのかは定かではない。

この事実について、多くの日本人は忘れ去っている。あまりにも不思議ではないか!


 
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上念司氏は小池百合子は毛沢東だと揶揄していました・・・「確かに」なので、ゆりちゃんを天安門に飾ってみました。

【Yahoo ニュース】楊井人文 | FIJ事務局長・InFact共同編集長・弁護士5/19(火) 14:01

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筆者の調査結果

 東京都が新型コロナウイルス感染症の重症患者を受け入れるための病床を、都内で約400確保し、5月18日現在の重症者の病床使用率は13%にまで低下し、大幅な休業要請緩和に踏み切った大阪府(19%)を下回っていたことがわかった。大阪府が5月初めに出口戦略の「大阪モデル」として設定した休業要請解除の一つである「重症者病床使用率 60%未満」という基準も、東京都は大きく下回っていることになる。

 18日夜、都福祉保健局の感染症対策課長が筆者の取材に対し、公表されていない重症者病床の確保数を明らかにした。公表していない理由については「国から報告を求められていなかったため」と釈明。一方、大型連休明けの5月11日まで都が発表していた入院者数は実際より大きく上回り、正確でなかったことも認めた。


政府方針の「医療提供体制の情報提供」は未実現

 政府は基本的対処方針(14日改定)で、緊急事態宣言の解除の判断要素の一つに「重症者が増えた場合に十分に対応できる医療提供体制が整えられているか」を明記。「医療提供体制及び検査体制に関するわかりやすい形での情報の提供」を行うとしている。しかし、実際に医療提供体制がひっ迫しているかどうかを表す客観的な指標がいまだに公表されず、メディアの誤報を招く実態が浮き彫りとなっている。

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YouTubeで東京都の感染状況などを説明する小池百合子都知事(5月18日、筆者撮影)

 都は特設サイトで日々の感染者の状況を発表しており、5月11日まで「陽性者数」を「入院中」「死亡」「退院(療養期間経過を含む)」に大別して人数を発表していた。

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 ところが、都福祉保健局の感染症対策課長によると、「入院中」にはホテルや自宅で療養している軽症者や未把握の退院者も含まれていたという。確かに、「入院中」は「入院調整中・宿泊療養に移行した方を含む」「退院者数の把握には一定の期間を要しており、確認次第数値を更新している」との注意書きが掲載されていた。

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筆者作成
 
同課長によると、個別の精査を行った結果、5月12日からようやく正確な数字を発表できる態勢になったというが、それまでは実態と異なる数字を発表していたことになる。同課長は取材に対し「退院者の把握などに時間がかかった。何も発表しないよりいいだろうということで(不正確なデータを)発表していた」と話した。

 たとえば、緊急事態宣言延長前の5月6日は「2974人」が「入院中」と発表していたが、実際はその約半分の「1511人」であったことが判明。都は12日ごろ厚労省に修正報告し、厚労省が16日、正確な数値を発表した(詳しくは、既報参照)。

 だが、NHKは12日時点で東京都だけが依然、医療提供体制がひっ迫しているかのように報じていた(現在も未訂正)。政府の専門家会議も、宣言延長決定直前の5月4日の見解で、依然として「入院患者を引き受ける医療機関への負荷は現状でもぎりぎりの状況にある」との認識を示していた。

 東京都は5月1日までに、軽症者を受け入れるホテルを約2800室確保しており、医療提供体制は大きく改善していた可能性がある。だが、政府の専門家会議も、病床のひっ迫状況について正確な情報を把握できていなかったとみられる。

 この問題について、厚生労働省の健康局結核感染症課の課長補佐は取材に対し「東京都から間違った報告がなされていたことは大変残念」とコメント。重症者病床の確保数についても、これまで各都道府県に報告を求めていなかったことを認める一方、「現在調査し、取りまとめ中」であることを明らかにした。

追記


楊井人文
FIJ事務局長・InFact共同編集長・弁護士
慶應義塾大学総合政策学部卒業後、産経新聞記者を経て、2008年、弁護士登録。2012年4月、マスコミ誤報検証・報道被害救済サイト「GoHoo」を立ち上げ、一般社団法人日本報道検証機構を設立。2017年6月、「ファクトチェック・イニシアティブ」(FIJ)を旗揚げし、事務局長。2018年4月、共著『ファクトチェックとは何か』を出版(尾崎行雄記念財団ブックオブイヤー受賞)。現在、インファクト(InFact)のファクトチェック担当編集長。早稲田大学次世代ジャーナリズム・メディア研究所招聘研究員、インターネットメディア協会(JIMA)監事。

【デイリー新潮】Yahooニュース5/19(火) 8:01配信

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小池百合子都知事

 東京都で医療崩壊が起きうるから、緊急事態宣言は解けない――というのが大方の認識のはずだが、都は入院患者数をごまかし、より深刻に装っていたのだ。

 4月7日からの緊急事態宣言が出される前、小池都知事が総理官邸に日参しては、発令を促し続けたと、以前にも何度か触れた。

 その行動を、7月の都知事選を見据えてのパフォーマンスだ、と看破する向きもあるが、彼女がその危険性を訴えた「感染大爆発」が現実化し、都内の病床数が逼迫する恐れがあったのであれば、道理がなかったとは言い切れないだろう。

 ここにきてようやく、都内の新規感染者数は、8日連続で100人を、5日連続で40人を下回るほどに落ち着いてきたが(5月10日現在)、緊急事態宣言の発令後、一時は経路不明の感染者だけでも、1日に100人を超えていたのだ。

 だから、都内の病床はいまもかなり逼迫してはいまいか。実際、NHKが集計した「新型コロナ対応のベッド数と入院患者数データ」を確認すると、医療崩壊が起きていると思しき数字が刻まれていた。

 東京都の場合、「新型コロナ対応ベッド数」2千床に対し、「入院中の患者数(入院必要な人含む)」は2619人。「ベッドに対する割合」は131%と、2位の北海道と石川県の81%を大きく引き離し、ダントツなのである。

 ところが、都の感染症対策課に、入院中の患者数の内訳を尋ねると、返ってきたのは意外な答えだった。

「都のホームページには、入院中の患者さんは5月7日時点で2679人と記されています。このうち重症の方は87人で、全員が入院されています。一方、軽症中等症の方は2592人ですが、入院されている方、ご自宅にいる方、ホテルにいる方をまとめた数字になっています」

 131%という、患者がベッド数をはるかにオーバーしているかのような数字は、単に雑な集計のなせる業だった。むろん感染者数が多い他の道府県は、いずれも自宅療養者と宿泊療養者を入院患者に含めていない。緊急事態宣言の延長や解除に際して、カギとなるはずの東京都だけが、このように雑な数字を示していたのである。

 対策課の話を続けると、

「2千床のうち400床は重症者のためのもので、中等症の方は、残りの1600床に入ることになりますが、1600床がどれだけ埋まっているかについては、公表していません」

 と言う。医療崩壊を防ぐために国民が無理を強いられているのに、医療の現況を表す数字を示さないとは、さすが都民、国民を愚弄する知事のお膝下である。それでも、病床の埋まり具合を大雑把にでも示せないのかと、なおも粘ると、

「ベッドが埋まっているとなると、大変な事態ですが、宿泊施設に入っておられたり、自宅におられたりする方が、実際に入院されている方よりもはるかに多いわけですから、少なくとも病院があふれているといったことはないです」

 たとえば大阪府は、重症者のための病床188のうち61が埋まり、使用率は32・4%。軽症中等症のための病床は886のうち389が埋まり、使用率は43・9%(ともに5月7日現在)。こうした数字をすべてホームページで公表したうえで、医療崩壊を防ぐための警戒水域を、病床使用率が重症50%、軽症中等症60%と設定し、比較できるようにしている。

 ちなみに、重症者にかぎれば東京都の病床使用率は21・7%。優秀な大阪とくらべても余裕があり、警戒水域からはほど遠い。

不都合な真実

 実は、厚労省のHPには5月6日以降、都内の入院患者数は1832人だと書かれていた。そうであれば中等症軽症の患者数が1700名を超え、用意された1600床は埋まって足りない計算だ。そこで、あらためて都の感染症対策課に尋ねたが、その説明には唖然とするほかない。

「1832人という数字は、退院者の引き算ができていない未調整のものです。退院という言葉には、医療機関を経由して解放された人も、自宅療養や宿泊療養を解かれた人も入っています。また病床数も2千となっていますが、実際には5月11日現在、3300床が確保されています。厚労省にも退院者を含む数字だと伝えたのですが……」

 だが、厚労省の発表を記事にした共同通信社は、早速、〈ベッドの使用率が最も高いのは東京で約92%〉と報じてしまった。

 いずれにせよ、都が公表していた数字は、われわれが命を削って自粛すべき根拠であったはずが、ウソで塗り固められていた。現実には、中等症軽症についても、大阪府よりはるかに状況がよさそうなのである。

 それにしても、なぜ東京都は入院患者数をごまかし続けるのか。さる医療ジャーナリストが疑念を抱く。

「小池知事は感染者がどれだけ減少しても“手を緩めてはいけない”と発言し続け、内部留保が9千億円もある都の豊かな財政を背景に、休業した事業者向けに、周辺の県には不可能な額の支援金を用意し、人気とりに興じています。自粛が必要ないほど病床に余裕があるという事実は、彼女には不都合な真実だったのではないでしょうか」

 ここは小池知事に質すしかあるまい。都庁で動画収録を終えた知事が、ぶら下がりの取材に応じた際、

「週刊新潮ですが、都のデータでは現在の病床使用率がわかりません。なぜ公表されないのでしょうか」

 と声をかけたが、記者に一瞥もくれず、止めてあった白いワゴン車に乗り込んでいった。翌日、政策企画局の政策広報担当から、

「精査を終えた数字は速やかに公表します。病床数については必要数を常に確保しており、逼迫した状況とはなっておりません」

 との回答が届いた。だが、3月下旬の3連休前、五輪を気にして手を打たず、感染拡大させた張本人が、命を削る自粛を強いながらも、その前提となる数字を示さないのは、都民ひいては国民への背信行為。徹底的な検証が不可避であろう。

「週刊新潮」2020年5月21日号 掲載

 もし、
この記事にあるように動機が自分の選挙対策で、緊急事態を長引かせていたことが事実なら、小池百合子は犯罪者だ。都知事の資格は無い。

都民ひいてはいや国民に向かって上から目線で「気の緩み」「密です」を連発していたが、
一番気が緩んでいるのは、小池百合子であった!ということになる。
いまのところ今日百合子は会見を行っていないが、明日5/21会見はするだろう。

はたしてどんな顔して会見に臨むのか?


私が検索した限り今のところこの二つのニュースとDHC虎ノ門ニュースの上念司氏しか取り上げていないが、夜文化人チャンネル生田よしかつさんのライブでも当然取り上げていましたが、・・・幾分トーンは低かったようです。明日21日の会見でどう釈明するのか見所だ。

確かに入退院者の把握は難しいかもしれないが、これが戦争であれば、激戦の最中でも見方の弾がどれだけ残っているか最低把握するのが指揮官としての務め、100人や200人であれば誤差かもしれないが、実際の入院者数は半分という事実は誤差では済まされない。

百歩譲って、悪意や忖度がなく、純粋に間違えましたであったとしても、指揮官として無能、気が緩みすぎて失格である。いたずらに規制を長引かせ、どれだけの人の人生を狂わせるのか!

これを読んでいる貴方も怒るでしょ!

都民でないので口惜しいが、ホリエモンが都知事選に立候補するらしい。


私はけっしてホリエモンは好きな人間ではない。どちらかと言うと嫌いなのだが、もし私が東京都民であれば、今回ばかりはホリエモンこと堀江貴文氏に入れるであろう。

刑期を終えた者とこれから刑務所に入ってもおかしくない者であれば、刑期を終えた者を選ぶ、それだけのことだ!

病床占有水増し疑惑が大スキャンダルとなれば、ホリエモンビックチャンス!アフターコロナの象徴となるかもしれない。

中共ウィルスの蔓延と、緊急事態の延期に嬉々としている百合子の顔をおかしいと疑問を持ったのは私だけではないようだ。


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【篠原常一郎】2020年4月25日2020年4月26日

2020.4.25ジャーナリストの篠原常一郎氏の緊急情報です(Youtube)

政府から正式に発表されているものではありませんので、姜尚中氏は死亡説・重体説を否定しています。真偽は後日追記致します。

金正恩の死亡確認。

金正恩(朝鮮民主主義人民共和国第3代最高指導者)の重篤説、死亡説が流れていましが、ここにきて、篠原常一郎氏から緊急とし死亡確認のYoutubeが公開されました。

これまでの簡単な経緯

2019.10月、脂肪吸引手術の失敗の影響で心臓の血管が詰まり重篤となる。
>もともと太りすぎの影響か、糖尿病や通風を患っていたとも言われており、確か、評論家の李相哲氏は替玉が最近の重要イベントに出ていたと語っていたと言っていた。見る人が見ると分かるそうだ。また、この時点ですでに後継者指名に向けて動いていたとも言われていたようです。

2020.1、フランス医師団が平壌に入った。
>この時にも重篤説、替玉説が流れている。

2020.4.12、心臓手術

2020.4.15、脳死状態を確認。

・妹の金与正(キム・ヨジョン)と国家保衛部は隠しきれないとして、アメリカトランプ大統領に親書を送った。
>現在の権力は金与正と国家保衛省が握っている。国家保衛省とは、主任務をスパイや反体制派の摘発、拉致もここの仕事。

2020.4.25、中国の医師団によっても脳死(回復不能の脳死状態)が確認された。金与正が中国を受け入れ。
>医師団が北朝鮮に入ったことが、大々的に報道されている。

他国、これから。

トランプ大統領はホワイトハウスでの会見で「その報道は正しくないと思う。古い資料を使ったものだと聞いている」とコメントしている。すでに、死亡したことを掴んでたとも読み取れる。

篠原氏によると、早くから日米が情報を確認済みであり、今後ニュースソースに載ってくるとのことです。

韓国政府は掴んでいるのでしょうか?もしこれが事実だとし、韓国が知らなかったらまたバッシングされるのでしょうか?※韓国政府は、金正恩氏は健在で東海岸の元山(ウォンサン)に滞在中だと自信満々のようです。

北朝鮮は、軍にコロナウイルスが拡大している報道も出ており、崩壊状態にあると報道もある。現在の軍は力が弱く、配給も一部の上層部にしか満足に行き渡っていない為、中国との行き来で生計を立てている軍人が多いそうです。北朝鮮に面している中国の吉林省・近隣の黒竜江省等の東北地区は感染者も多く、現在もハルビンでは感染拡大中である。その地域の人間と無防備に行き来をすれば北朝鮮への感染拡大当然と言えば当然だろう。

北朝鮮はボロボロ状態であり、もしかすると拉致問題も一気に動くかもしれない。日本政府の腕の見せ所だろう。

ロイター、韓国消息筋では、正恩氏は生きており、近く姿を現す可能性が高いと伝えている。さて、どちらが正しいのか…。

米中がNK国指導者の「脳死」確認 妹が国○保○部と「親書」か?【ライブ別撮り】#2020/04/25引用



【緊急】米中がNK国指導者の「脳死」確認 妹が国○保○部と「親書」か?【ライブ別撮り2020/04/24


金正恩は「植物状態」に…? 関係者らが明かした「重病説」最新情報
じつは年始から「異変」はあった
【週刊現代】2020.04.24近藤 大介 

手術を受けて「植物人間化した」…?

北朝鮮の若き独裁者、金正恩(キム・ジョンウン)委員長が倒れた。後述する情報が事実なら、満36歳と3ヵ月余りの若すぎる「政治的な死」である。

「異変」を告げる第一報は、米CNNテレビが4月20日に流したものだった。

〈 北朝鮮の最高指導者、金正恩朝鮮労働党委員長が手術を受けて重篤な状態にあるという情報があり、米政府が状況を注視している。この情報を直接的に知る立場の米当局者が明らかにした 〉



世界中が新型コロナウイルスの惨禍に右往左往する中で、この突然のアメリカ発のニュースに端を発した情報戦が始まった。

韓国政府は「地方視察中のようだ」とコメントし、中国政府は「報道は知っている」と述べるにとどまった。ドナルド・トランプ大統領は、「確定した情報はない」とコメントした。当の北朝鮮は数日間、沈黙したままだ。

だが、「爆弾証言」が入ってきた。金正恩委員長は、手術を受けて「植物人間化した」というのだ。

ある中国の医療関係者は、私に次のような詳細な経緯を明かした。

「金正恩委員長は、地方視察に出かけている最中、突然心臓に手を当てて倒れた。同行していた医師団は、慌てて心臓マッサージを施しながら、近くの救急病院に搬送した。

同時に、中国に、『すぐに医療団を北京から派遣してほしい』と緊急要請した。中国は、北京にある中国医学院阜外医院国家心血管病中心と人民解放軍301医院の医師らを中心に、器材なども含めて50人近い派遣団を組み、特別機で平壌へ向かった。
 
ところが、中国の医師団を待っていては助からないと見た北朝鮮の医師団は、緊急の心臓ステント手術を行うことにした。執刀に当たったのは、中国で長年研修を積んだ北朝鮮の心臓外科医だった。

心臓ステント手術は、それほど難易度の高い手術ではない。最も重要な血管にステントを入れる施術自体は、1分くらいの時間で済ませられる。

ところが、執刀した外科医は、ものすごく緊張して、手が震えてしまった。かつ、金正恩ほどの肥満体を執刀した経験がなかった。それで、ステントを入れるのに、8分ほどもかかってしまったのだ。

その間に、金正恩委員長は、植物人間と化してしまった。中国の医師団が到着して診察したが、もはや手の施しようがなかった」

にわかには信じがたい話だが、この中国の医療関係者の証言が事実だとするなら、独裁者の「政治的生命」の最期は、かくもあっけないものだったのだ。

太陽宮殿の参拝を欠席

たしかに、「異変」はあった。

4月15日は、北朝鮮にとって最も重要な祝日「太陽節」である。金正恩委員長の祖父に当たる「建国の父」金日成主席が、1912年のこの日に誕生したため、北朝鮮の「主体歴」は、この年を「主体1年」と定めている。

そして金正恩委員長は毎年のこの日、側近たちを全員引き連れて、金日成主席と金正日総書記が眠る平壌郊外の錦繍山(クムスサン)太陽宮殿を参拝することを、国家の最重要行事と定めていたのだ。

ところが、今年の参拝に、本人が現れなかったのである。これだけで、大変な「事件」と言える。
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他にも「異変」はあった。私は平壌のある旧知の外交官に連絡を取った。彼は、次のように述べた。

「確かに『異変』は感じていた。金正恩委員長が『100パーセント確実に出席した』と言えるのは、今年に入って2回しかない。

1回目は、1月25日の春節(旧正月)に、三池淵(サムジヨン)劇場で開かれた記念公演を鑑賞した時だ。この時は、すでに死んだとも言われていた叔母の金慶姫(キム・ギョンヒ)元軽工業部長(2013年暮れに処刑された張成沢党行政部長の妻)も登場して、われわれは驚いた。それ以降は、本当にいたかどうか分からない。
 
2回目は、2月16日の『光明星節』(父・金正日総書記の誕生日)に錦繍山太陽宮殿を参拝した時だ。その後、8回ほど朝鮮人民軍の視察を行ったと報道が出たが、本当に行ったかどうかは不明だ。

いまだから話すが、2月10日頃、平壌の順安空港に、特別機が降り立った。そこに乗っていたのは、2人のフランス人医師だった。うち一人はおそらく、金一族の主治医を長年務めるフランソワ・グザビエ・ルー医師(パリのサント・アンヌ病院の神経外科医)ではないかと思われる。金正恩委員長の健康が悪化したのだ」

その後、3月初頭にも、平壌で「異変」が起こる。この外交官が続ける。

「北朝鮮外務省から突然、『今後長く国を閉鎖する可能性があるので、大使館員を最低限にして、それ以外は至急、平壌を離れるように』という通知が出された。われわれ外交団が猛烈に抗議したら、『3月9日に、高麗航空特別便をウラジオストクに向けて出すが、これが最終便だ』と最終通告が来た。

それで、ドイツ、フランス、イタリア、スイスの4ヵ国が平壌の大使館を閉鎖し、外交官たちがこの便に乗って去っていった。外国のNGO団体なども含めて、総勢60名程度に上った。

だがこの時は皆、新型コロナウイルスの対策なのだろうと思っていた」

北朝鮮は、世界の160ヵ国あまりと国交を結んでいるが、いくら新型コロナウイルス対策とはいえ、60人もの外交官の追放というのは前例がない。この時から、来たるべき「有事」を警戒していたのではないか。

妹の与正を「後継指名」

4月になって、金正恩委員長の「動画」が最後に報じられたのは、4月11日に行われたという朝鮮労働党政治局会議の模様が、翌日に短く公開されたものだ。音声はないが、中央に鎮座した金正恩委員長が、何やら勇ましく部下たちに説いている。

私は、この朝鮮労働党政治局会議について取材する中で、一つだけ重要な金正恩委員長の「肉声」を伝え聞くことができた。それは、以下のようなものだ。

「わが共和国の最高指導者というものは、特別な人格的資質を備えていなければならない。それは、(朝鮮労働)党のエリートと人民大衆の双方から受け入れられるということだ。それにはもちろん、『白頭の血統』(金正恩ファミリーの意)という必要もある。

そうしたことを考え合わせた場合、今後、私の身にもしも何かが起こった場合、(金)与正が、わが共和国を統治していくものとする」

こうして、金正恩委員長の妹である32歳の金与正(キム・ヨジョン)が、「後継指名」されたという。



金与正は、2017年10月に、兄の正恩委員長を側で補佐すべく、党中央委員会政治局員候補に選出された。だが、昨年2月の「ハノイの決裂」と呼ばれた、トランプ大統領と金正恩委員長の2回目の米朝首脳会談の責任を取らされ、政治局員候補から外された。

ところが、昨年末に開かれた朝鮮労働党全員会議で、党第一副部長に昇格。さらにこの4月11日の朝鮮労働党製辱会議で、再び政治局員候補に返り咲いたのである。事実上のナンバー2に再び返り咲いたと言ってよい。逆に言えば、金正恩にとっては、か弱い妹しか、周囲に信頼が置ける「部下」がいなかったのである。

 
この重要会議の翌日、4月12日に、最高人民会議(国会)が開かれたのだった。当初は、4月10日に開くとしていたが、2日遅れた理由は不明だった。それは、金正恩委員長にとって、早急に「与正後継」を決め、かつ最高幹部たちを説得する時間が必要だったためかもしれない。

最高人民会議には、金正恩委員長は出席していない。また、何かの重要発表も行っていないが、人事に特筆すべきものがあった。金正恩委員長を除く13人の国務委員のうち、5人が入れ替わったのだ。脱落したのは、李洙墉(リ・スヨン)党副委員長や李容浩(リ・ヨンホ)前外相らである。昇格組は、李善権(リ・ソングォン)外相や金正官(キム・ジョングァン)人民武力相らである。これらは、「与正人事」だったのかもしれない。

そして、3日後の4月15日の「太陽節」、金正恩委員長は前述のように、錦繍山太陽宮殿の参拝も欠席したのである。

この直後から、他にも平壌で「異変」が起こり始めていた。前出の外交官が証言する。

「朝鮮人民軍のヘリコプターが毎日、平壌の上空を頻繁に低空飛行するようになったのだ。首都で不穏な動きが見られないか、偵察飛行しているのだ。

それから、市内の警備が突然、厳重になった。特に厳重な警備が行われているのが、平壌駅周辺で、平壌駅は封鎖に近い状態に置かれている。平壌と妙香山(ミョヒャンサン)を結ぶ列車は突如、運休になった」

思えば、祖父の金日成主席、父親の金正日総書記も、「突然死」している。

父・金正日の教え

2011年11月17日、金正日総書記が、69歳で突然死した時、後継者となった金正恩は、まだ27歳の青年だった。

内部的に「後継指名」されたのは、2009年1月8日、満25歳の誕生日の宴席だった。前年の8月に金正日総書記が脳卒中で倒れ、奇跡的に回復したものの、後継指名を急いだのだ。


この時、後継指名を受けた金正恩は、父親に向かってこう述べたという。

「わが国が目指す強盛大国建設は、政治・軍事・経済の3本柱からなっています。祖父は、主体思想でもって朝鮮労働党を掌握し、国の政治を発展させました。父上は、先軍政治(軍最優先の政治)でもって朝鮮人民軍を掌握し、国の軍事を発展させました。

私は、これら祖父と父上の革命の偉業を引き継いで、内閣を掌握し、国の経済を発展させてゆきたいのです」

この発言を聞いた金正日総書記は目を細めて、こう答えたという。

「それでは正恩は、これから経済部門を担当しなさい。わが共和国の経済発展のために、大いに手腕を発揮してほしい。(張)成沢はよく補佐してあげなさい。

ただし一つだけ言っておく。(朝鮮労働)党は国の柱で、(朝鮮人民)軍は党の柱だ。そして軍の柱は、核兵器とミサイル兵器だ。
 
だから決して、核兵器とミサイル兵器を放棄してはならない。放棄した時が、わが国が米帝(アメリカ)に滅ぼされる時だ。このことだけは肝に銘じておくようにしなさい」

金正恩はこの日から、父親の元で後継者としての実践的な帝王学を身に着けるようになったのだった。

顔に出ていた「悲劇を迎える相」

後継者としての金正恩が、公の席に初めて出現したのは、翌2010年9月30日のことだった。朝鮮中央テレビの特別番組で、人民服を着た恰幅の良い青年が、突如として金正日総書記の横に映し出されたのだ。それが金正恩、通称「大将」だった。

翌週の10月4日には、金正日総書記は正恩大将を引き連れて、ミサイル部隊(第851部隊)を視察。10月9日には、朝鮮労働党創建65周年の中央報告大会に、父子揃って出席し、その後、マスゲームを観覧した。翌10日には、金日成広場の主席壇で、やはり父子揃って軍事パレードを閲兵した。

若き日の金日成主席を思わせる溌剌とした「青年大将」は、内外に鮮烈な印象を残したのだった。


この時、私は北京に住んでいた。当時の中国外交部アジア司(局)に知り合いがいたので、突如現れた金正恩に関する話を聞きに行った。ところがその外交官からは、「正直言って金正恩のことは、われわれもよく分かっていないんだ」と言われた。おそらくその時点では、本当に中国も、金正恩について深く研究していなかったのだ。

金正恩について何か記事を書きたかった私は、中国外交部のある地下鉄2号線の朝陽門駅から、そのまま3駅北上して、雍和宮駅まで行った。雍和宮は、北京におけるチベット仏教の総本山で、その裏手に店を構える百発百中の占い師を訪ねたのだ。

私は占い師に、中国の新聞に初めて登場した金正恩の顔写真の切り抜きを見せて言った。

「この青年は、ある中国の近隣の大きな組織で3代目のボスになる人物なのですが、彼の将来性について占っていただけませんか?」

すると占い師は、膨れっ面をした若者の写真を鋭い眼光でしばらく凝視した後、ポツリと告げた。

「この若者は、ロクな死に方をしないね。その大きな組織というのが何なのかは知らないけど、その組織を拡大発展させることもできないよ。だって顔に『悲劇を迎える相』が、くっきり出ているもの」

あれから10年を経たいま思えば、その占い師の目は、やはり慧眼だった。

張成沢粛清の真相
2012年4月に、正式に父親のすべての権限の継承を終えた金正恩は、「長幼の序」を重んじる儒教社会の北朝鮮にあって、若いからと舐められてはいけないという気負いがあったのだろう。その後、聞こえてくるのは、「幹部の〇〇を粛清した」という血なまぐさい話が多くなった。

特に世界が驚愕したのが、2013年12月に、叔父で「不動のナンバー2」と言われてきた張成沢党行政部長を処刑したことだった。しかも、火炎放射器で燃やし、遺灰すらも残らなかったというのだから、尋常でなかった。


後に、ある亡命者から、次のような裏話を聞いた

「当時は、トップの金正恩とナンバー2の張成沢の権力闘争と言われたが、実態はそうではなかった。金正恩が見初めた元国民的歌手の美人妻・李雪主(リ・ソルジュ)が、実は元々、張成沢の愛人だったという衝撃の事実を知ってしまったのだ。

李雪主は、同郷の権力者である張成沢の愛人になることで、国民的歌手に上り詰めたというわけだ。だからこの頃、李雪主は一切、表舞台に登場しなくなった。結局、金正恩が李雪主を許した格好だが、この時から仮面夫婦になった」
 
2017年にアメリカにトランプ大統領が就任すると、この年、金正恩委員長は、派手に核実験やミサイル実験を行い、米朝関係は一触即発となった。加えて、国連安保理は北朝鮮に、かつてない厳格な経済制裁を課した。

そこへ割って入ったのが、「親北」を唱える韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領だった。2018年2月の平昌(ピョンチャン)冬季五輪に、北朝鮮を参加させることに成功。金正恩委員長は3月、初の外交訪問として北京を訪れ、習近平主席と会談。4月には南北境界線のある板門店で、南北首脳会談を行った。

そして同年6月12日、金正恩外交のハイライトとなるシンガポールでの歴史的な米朝首脳会談を実現したのである。

新たな北朝鮮動乱の始まり

米朝首脳会談は、私もシンガポールで約1週間にわたって取材した。かつて朝鮮戦争で血みどろの戦争をしたアメリカと北朝鮮のトップが、12秒間にもわたり、がっちり握手を交わした姿は、感動的だった。


あの時、金正恩委員長の手は緊張で震えていた。トランプ大統領は、「核兵器の代わりに、北朝鮮にハワイをプレゼントしよう」とリップサービスした。

だがその後、米朝和解は進まなかったし、国連の厳しい経済制裁も解かれなかった。

2019年2月に、米朝両首脳は再度、ハノイで会したが、「ハノイの決裂」と呼ばれる大失敗に終わった。金正恩委員長は同年4月、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領との初会談に期待したが、やはり成果なく終わった。


2020年1月下旬、北朝鮮は新型コロナウイルスの流入を防ぐため、中国との国境を封鎖した。国連の経済制裁に加えて、貿易の9割以上を担う中朝国境を封鎖したことで、北朝鮮経済はいよいよ崩壊に向けてカウントダウンとなっていった。

それとともに、金正恩委員長のストレスも、かつてないほどに強まっていったのだろう。暴飲暴食がたたり、デビューした頃は推定80kgだったのが、130kgを超える巨漢となった。そして健康を害していったのである。
 
今後、金与正体制が順風満帆に行くなどと考える世界の北朝鮮ウオッチャーは、おそらく皆無だろう。中朝国境の町・丹東の関係者が語る。

「すでに4月27日から5月20日までの丹東と大連を結ぶ高速鉄道は、すべて運行停止になった。緊急事態を発令して人民解放軍が中朝国境に増派されるという噂が立っている」

新たな北朝鮮動乱の始まりである。

エリンギ、金豚、黒電話・・・あの男の死亡が確定したようだ。

叔父を高射砲で撃ち肉片にし、陽気な兄貴をVXガスで暗殺、いったいどれだけの人の命を奪ってきたのかわからない北の独裁者が地獄へと堕ちていった。

正恩は死にたくなかったろう、死ねば間違いなく地獄の一番底であろう。地獄では毛沢東、スターリン、ヒットラー、ポルポトらと同じ釜の中であろう。

やがて朝鮮半島は有事を迎える。核兵器がどうなることか・・・中朝国境がだいぶ緊迫しているらしい。

2020年の世界はまるで「ノストラダムスの大予言」や、「ヨハネの黙示録」に描かれた人類が迎えた終末の世界のようだ。

【CNN】2020.03.23 Mon posted at 17:00 JST

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1500年ごろに描かれた聖書の「ヨハネの黙示録」の挿絵/Hulton Archive/Getty Images

(CNN) 2008年夏、5歳の時からお告げが聞こえるようになったと主張する高齢の霊媒師が、不吉な予言について記した本を出版した。

「2020年ごろ、重い肺炎のような疾病が世界中に拡散し、肺と気管支を攻撃し、既知の治療法全てに対して耐性を持つ」「疾病そのものよりもさらに不可解なことに、それは到来した時と同じように突如として消え去り、10年後に再び攻撃し、そして完全に消滅する」

この予言は人々の記憶から消え去り、著者のシルビア・ブラウン氏は2013年に亡くなった。しかし新型コロナウイルスのパンデミックを受け、この予言本「End of Days: Predictions and Prophecies About the End of the World(この世の終わり:世界の終末についての予言と天啓)」が改めて脚光を浴びている。米アマゾンのランキングではノンフィクション部門で2位に浮上、売り上げも急増した。

同書のように、新型コロナウイルスは「この世の終わり」の兆候だとする予言者の言葉は、専門家にも食い止める術がない疫病と化している。

インターネットではブラウン氏の予言のような人類滅亡説が数え切れないほど拡散し、新型コロナウイルス流行の不安を政治的混乱やオーストラリアの山火事、アフリカを襲うバッタの大群などと結びつけて不安をあおる。

そうした説の多くは、聖書の中の「ヨハネの黙示録」に関する非常に不正確な解釈を含む。「聖書を持っていなければ買いなさい」という一節で予言を終わらせるものも多い。

銃や弾薬の買いだめに走る人がいるのも無理はないのかもしれない。

しかし宗教や予言について研究している専門家は、そうしたソーシャルメディア予言者や霊媒師に対して自己隔離を促している。人類滅亡説は人の心をかき乱し、精神の健康を損なわせると専門家は言う。

人類滅亡説を唱える人たちの動機が何であれ、そうした予言は過去に何度も浮上していた。

2000年にかけての滅亡説に続き、古代マヤ文明の暦を根拠に2012年で世界が終末を迎えるという説もあった。サバイバルキットの売り上げは急騰し、中国のある男性は現代版のノアの箱舟まで建造したと伝えられた。

そうした現象は現代に限ったことではなく、17世紀の欧州では多くのキリスト教徒が、世界は1666年に終わると予言していた。

冒頭の予言本を執筆したブラウン氏は生前、不確かな予言をめぐって常に批判されていた。自身についても88歳で死ぬと予言していたが、実際に死去したのは77歳の時だった。

事実関係検証サイトの「Snopes」はブラウン氏の予言について検証し、「あり得そうな出来事に関するあいまいな主張を説いて回ることは予言ではない」と指摘。ブラウン氏の予言は真実と虚偽をない交ぜにしたものと位置づけ、真実でも虚偽でもないとした。

そのうえで、「同書が重症急性呼吸器症候群(SARS)の流行後に執筆されたことを考えると、ブラウン氏の『予言』がまぐれ当たり以上のものだったのかどうかは定かではない」と結論付けている。

70年代米ソ冷戦たけなわの頃、TVのバラエティ番組で、度々「ノストラダムスの大予言」の特集が組まれ、1999年7月人類は核戦争で滅びると何度も脳内に刷り込まれ、トラウマとなった。

刷り込まれた1999年ノストラダムスの大予言は、オウム真理教毒ガスサリン事件の遠因ともなった。

米ソは最後まで理性があったせいか、1999年ノストラダムスの大予言は成就せずに済んだ。

だが、朝鮮半島の核が、キチガイの朝鮮人の手元にある。金一族は、権力を握る為、自分達が生き残る為の核兵器であり、発射したら終わりであり、発射する確率はたかくはなかった。

だが、もし統一コリアが誕生し、韓国文在寅が核兵器を手にしたら、あいつらは核兵器で日本を脅しかねない。下手をすると、火病を発症し、日本に向け核兵器を発射しかねない。

金正恩の死は日本にとって手放しで喜べない悪夢の始まりとなってほしくはない。

今後、朝鮮半島の軍事的緊張が再び高まった場合、トランプ大統領の意思決定により軍事作戦が行われる可能性はある。もし空母が稼働状況であれば、一気に北朝鮮に対し軍事行動を起こす好機でもあったのだ・・・

2017年8月、核開発やミサイル発射実験を繰り返している北朝鮮に対し、トランプ大統領が世界が見たこともない炎と怒り(fire and fury)に直面することになるだろう』という警告が実行に移されそうになったという証言が続いている。

米国は自国の安保と国益が直接脅かされるレッドラインの侵犯に対し、先制的な軍事作戦で対処する可能性がある」とし、「トランプ大統領の2019年12月3日の『北朝鮮の核問題を解決するために軍事力を使うこともできる』という発言は脅しではない。

北朝鮮の核は半分中国向けでもあった。現在中朝国境には中国軍が集結しているとの情報だ!中国が北朝鮮を吸収するのか、核兵器を回収するのかはまだわからない。

米軍は中共ウィルスの蔓延で、西太平洋地域に配備されている空母二隻が動けない状態だ。この状態で半島で何か起きれば日米はただ傍観するだけとなりかねない。

しかしながら、北朝鮮を攻撃する可能性もあるが、韓国に対し失望しているトランプは朝鮮半島から撤退する可能性すらある。日本も韓国を友好国とは見ていない。

経済が崩壊した韓国が暴走する可能性すらある。

どうするべきか・・
現実的には北朝鮮を利用したい中露双方の思惑から非現実的なのだが、日本は米国も中国もロシアも、朝鮮半島に対し均等に無視する政治状況を作り出すことがベストだろう。できれば朝鮮半島不可侵条約を日米中露で結ぶべきだろう。ただし核を持った統一コリアに対しては、4カ国共同で核を取り除くことも盛り込むべきだろう。結果、周辺国に戦火が及ばず南北ともに自滅することが最も望ましいシナリオだと思う。

 
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【追記4月27日】
その後の情報は、錯綜しているが、私は篠原氏の情報が真実ではないかと思う。

北朝鮮内で、一時脳死を認めたがすぐ取り消された

影武者を立てようという勢力と、妹の金与正を後継者とする勢力が暗闘しているのではないか?

現在、北朝鮮は金正恩死亡はデマだとされている。デマだということは影武者を立て続けるのであろうか・・・・影武者を本物だとする可能性も高いだろう。

問題は、誰が核のボタンを握っているのか?金与正か?

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【追記 5月2日】
【産経ニュース】2020.5.2 13:31 


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1日、北朝鮮・順川の肥料工場の完工式に出席した金正恩朝鮮労働党委員長(朝鮮中央通信=共同)

 【北京=三塚聖平】中国国営新華社通信は2日、北朝鮮の金(キム)正(ジョン)恩(ウン)朝鮮労働党委員長が肥料工場の完工式に出席したと報じられたことを速報した。正恩氏が「歓声の中で手を振ってあいさつした」などと詳報したが、健康不安説が報じられていたことなどについては触れなかった。

 新華社は、正恩氏が視察した肥料工場について「(北朝鮮の)重要な建設プロジェクトだ」と指摘した。中国政府系サイト「中国青年網」は同日、4月11日以来初めてとなる公開活動への出席だと伝えた。

 正恩氏の重体情報が報じられた際、中国外務省の耿(こう)爽(そう)報道官は「報道は見たが、それについては分からない」と述べるにとどめていた。
はいはい、すでにこの写真は合成写真説が出ている。

篠原常一郎氏によれば、北朝鮮国内では普通年号は主体90年(주체 90 년)と書くそうだが、なぜか写真では2020年と書いてあって不自然だそうだ。

合成写真の使用によって、死亡説は補強されたといえよう。

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文化人放送局 15:00~ 篠原常一郎・緊急特番Live! 生田よしかつ × 宮脇睦 × 篠原常一郎

北朝鮮国営メディアが5月1日の工場落成式でテープカットする金委員長の画像に加え今度は動画を配信したが、はやくも「前の金正恩と顔が違う」「目力、瞳の大きさ、二重幅、生え際の位置などが違う」。などの指摘が相次いでいる。健康体の金正恩にすりかわったとなれば、今後も北朝鮮は影武者をたて、影武者・金与正体制で、これまでどおり金王朝が維持されそうだ。

そうかな~ 


金与正すら影武者だと思うが、


その通り!私は篠原さんの金正恩死亡説を強く支持します。


須田さんガッカリです。またもう一度謝罪しなければならなくなるんじゃないですか?
北朝鮮が死亡説を意図的に流す理由がないと思いませんか?その後生存説を流す理由がまったくわかりません。太陽節の欠席の理由は納得できないでしょう?
どう考えても何かの意図は無いでしょう。

官邸が須田さんらに間違いでしたといわせているような気がします。
理由は明白です。ここで死亡が確定すれば、朝鮮半島の動乱が始まってしまうからです。
トランプ大統領も、生きてるとも死んでるとも言わず、情報が古いとか言う背景は、安易に死亡を認めるリスクを考えてのことです。

影武者によるフェイク動画を流し、海外のジャーナリストに死亡説は間違いでしたと言わせることが、北朝鮮の意図であり情報操作ではないでしょうか?





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昨日急遽、今週今日から週末まで私はテレワークとなった。国から社員の7割がテレワークをしてほしいという要請に、我が社が応えたからだ。テレワークでも可能なことも多いのだが、書類捺印等の仕組みがあるうちは、100%のテレワークなど夢のまた夢というのが現状である。無謀や無茶な命令は入社以来三十数毎度のことで、いつものこととはいえ、今回の命令は、結構むちゃな部類の要請である。現場サイドは、「えーい!どうなったって知らん!」と、無謀なテレワーク体制に突入した。お客様の来店をお断りしても、マーケットが動いている限り、全社休業はありえない。会社に出社した社員は地獄だった、結局お昼ご飯を皆さん、食べられなかったそうだ。わたしも朝から慌しくて、机から離れたのはトイレとお茶を入れたときだけだった・・・

・・・ということになるだろうと、朝から予想していたのだろう・・・。朝は、清々しい気分を先に満喫ておきました。

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丹沢山系は白い雪化粧っだった 丹沢山系に隠れた富士山の頂上も真っ白

昨晩の激しい雨が止み、小鳥の声が響き渡りいつものようにAM5:30頃目が覚めました。 いつもは6時前から自分のお弁当つくりと、家の掃除器かけをして、7:15~20分頃家をでますが、まだテレワークを始めるにはまだ2時間ちかく時間があります。窓の外は清々しい光に満ちていました。

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遠くに見えるのは武蔵小杉のタワマン群

日の出は既に済み、ちょうどお日様が昇りはじけたところです。朝靄がかかった遠くの眺めは、あの忌々しき中共ウイルスが猛威をふるっているのが、別の宇宙のように思える穏やかさでした。

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二階のベランダから庭をみると、春の嵐で、ちょうど咲き終えた椿の花が、苔の上に沢山散乱して、苔たちが早くどけてくれと、騒いでいるように思えましたので、庭に出て、花達を片付けました。

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落ち葉をどけてやると苔たちの笑顔が見える

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落ちた椿の花もきれいだったのですが、掃除した後の庭です

今年の藤は、例年に無く見事に咲き始めています。

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ご近所で評判の、我が家のモッコウバラは満開にあと少しのようです。
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私はマスクも付けづに、気がつけば散歩にでていました。鳥の声の主はメジロ・やまがらの鳴き声だったろうか?とても清々しく聞こえた。




鳴き声の主にひかれて、わがやの近所の小高い雑木林に向かった。

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たぶん、青葉区で一番標高が高い場所かもしれない。
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某研究所脇の階段を上り詰めると、遠くに武蔵小杉のタワマン群
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桐蔭学園は朝もやがかかっています。
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階段をのぼりつめると、横浜とは思えない景色がまっていました。
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このまま、桜がきれいな近所の公園へ向かいました。
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残念ながら最後にわずかに残ったソメイヨシノの花はは昨夜の嵐で完全に散っていました。
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わずかに八重桜が満開となっていました。
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こちらにも美しい声でさえずる小鳥がいるようでした。
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残念ながら声の主をみつけることはできませんでした。
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さりげなくわずかな舗装道路の隙間に植えられたビオラが美しかった。
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そろそろテレワークの時間がせまってきました。また次回・・・


it’s a beautiful day 

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