Ddogのプログレッシブな日々@ライブドアブログ(仮)

政治経済軍事外交、書評に自然科学・哲学・聖地巡礼・田園都市ライフ、脳の外部記憶媒体としてこのブログを利用しています。2020/11/30以前はGoogle検索でキーワードを入れると常に上位にありましたが、日本のトランプ大統領デモを紹介した記事が米国でバズって以降検索アルゴリズムから排除され検索ヒットされにくい状態です。是非ブックマークをお願いします。このブログをご訪問していただいた方の知識や感性として共有できれば幸せに思います。

カテゴリ: イベント・映画・芸術


本日年休をとっていちご狩りに行った。

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横浜ベリーベリー


2500円でイチゴが食べ放題・・・・この農園にしたのは、横浜市営地下鉄ブルーラインの立場駅と中田駅の両駅から歩いて十数分と近く、他の農園より多くの種類のイチゴが楽しめることでした。紅ほっぺ、とちおとめ、
おいCベリー、あきひめ、よつぼし、もういっこ、桃薫、レッドパール、天使のいちご(白いイチゴ)の9種類が食べ放題でした。

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練乳もつけ放題でしたが、どの種類も美味しくて甘く、練乳はほとんどつけずに十分甘く、不要なくらいでした。全種類たべてみました!

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白いイチゴの「天使のいちご」を初めて食べました!これが美味しかった!しかし、白いので熟しているか否かを見極めるのにちょっと慣れが必要でした。


見た目は甘くなさそうですが、酸味が控えめでちゃんと甘味がありちゃんと完熟したものであれば非常に美味しかった。

9種類のうち私が一番気に入ったのは

紅ほっぺです。

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ネットで検索するとイチゴ本来の甘酸っぱさとコク!と書いてありましたが、他のいちごよりジューシーで柔らかい食感と甘さ、他の銘柄より頭一つ抜きんでて美味しかった。最後の3分は。これを一皿分素早く収穫して一気に口にほうばりました・・・

『紅ほっぺ』は、静岡県生れの苺です。
「章姫(あきひめ)」と、「さちのか」の交配により生まれました。

育成場所は、静岡県農業試験場。
2002年に品種登録されています。

紅ほっぺが登場するまでは静岡県を代表する品種だった「章姫」の果実が大きく甘味が強い特性と、「さちのか」の果肉かためで酸味とコクがある特性と、両方の優れたところを引き継いでいます。

とちおとめ

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とちおとめもとっても美味しかった。やはりメジャーな銘柄は、美味しいから売れて生産農家も増えるという仕組みなのであろう。

「とちおとめ」とは、栃木県農業試験場で育成され、1996年(平成8年)に品種登録された苺のことを言います。「久留米49号」に「栃の峰」を交配して選抜・育成された品種で、現在では栃木県内で生産されている苺の9割以上がこのとちおとめとなっているそうです。

とちおとめは全国的に見ても現在もっとも多く作られている品種で、東日本ではシェアNo.1を誇っています。

とちおとめの特徴

とちおとめは一般的に、粒が大きめで形がよく、鮮やかな赤色をしています。糖度が高く、適度な酸味を持っており、果汁もたっぷりでジューシーな味わいです。果肉が詰まっているのでしっかりとした歯ごたえがあり、比較的日持ちがするのも魅力のひとつとされています。

収穫してすぐのものは甘く強い香りがするのも特徴で、鮮度を見極めるための判断材料として香りを重要視することもあるそうです。

●平成24年に登録されたばかりの新品種

おいCベリー,いちご,イチゴ,苺
おいCベリーは独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構が開発育成し、2010(平成22)年登録出願、2012(平成24)年に品種登録されたばかりの新しい品種です。

この品種は九州沖縄農業研究センターにおいて取り組まれ、ビタミンC含量が安定して高く、果実品質と収量性に優れる促成栽培用品種をめざし様々な品種を交配育成され生まれました。

●おいCベリーの特徴

おいCベリー,いちご,イチゴ,苺
農林水産省の品種登録データベースには下記の通り記載されています。

『果実の大きさは大、果実の縦横比は縦長、果実の形は円錐形、果皮の色は濃赤、果実の光沢の強弱は強、そう果の落ち込みは飛び出す、果実のがく片の付き方は水平、果径に対するがく片の大きさは同等、果実の硬さはかなり硬、果肉の色は赤、果心の色は赤、果実の空洞は無又は小、季性は一季成りである。  出願品種「おいCベリー」は、対照品種「とよのか」と比較して、そう果の落ち込みが飛び出すであること、果肉の色が赤であること、果心の色が赤であること等で区別性が認められる。対照品種「さちのか」と比較して、そう果の落ち込みが飛び出すであること、果心の色が赤であること等で区別性が認められる。』

●7粒で1日分のビタミンC

おいCベリー,いちご,イチゴ,苺
農研機構の紹介によると、『果実は、ビタミンCが市販品種の中で最も多い「さちのか」の約1.3培、「とよのか」の約1.6倍含まれ、さらに高い抗酸化活性を有しています。また、果 実は「とよのか」より大きく、濃赤色で光沢があり、糖度が高く、食味も良好で、日持ち性も優れています。』との事で、たった7粒で1日分のビタミンCを摂ることが出来るほどだそうです。

●おいCベリーを食べてみた食味

食べた感じは、果肉にしっかりと歯触りがあり、それでいて固すぎると言う訳ではなく、まず甘さが広がり、それを支えるバランスの良い酸味が後に続きます。

●主な産地と生産量

まだ登場したばかりの品種なので生産量は多くないようですが、佐賀県や長崎県などの九州を中心に、四国や中国地方などで栽培が始まっているようです。
たしかに美味しかった。ちょっと固くていちごのショートケーキのいちごに向いてそうです。


「章姫(あきひめ)」は、「久能早生」と「女峰」を交配して、静岡県の萩原章弘氏が育成したイチゴです。1992年(平成4年)に品種登録されました。章姫の「章」は、育成者の名前にちなんでいるそうです。ちなみに萩原章弘氏は章姫の母親である久能早生の育成者でもあります。

章姫は果実が長めの円錐形をしているのが特徴。ほとんどのイチゴは横幅のある円錐形ですが、章姫は縦長の円錐形です。果皮は濃橙赤色で、果実は少しやわらかめで口当たりがよく、果汁も豊富。酸味が少なく甘味をしっかりと感じられるイチゴです。

新品種が登場しても根強い人気

静岡県ではかつて章姫が主力品種でしたが、2002年(平成14年)に輸送性の高い「紅ほっぺ」が品種登録されたことで、その座を明け渡しました。さらに2017年(平成29年)には「きらぴ香」も品種登録され、バラエティ豊かになっています。以前に比べると章姫の流通量は減少していますが、現在もおいしいイチゴとして健在です。ちなみに、紅ほっぺ、きらぴ香ともに章姫の血が流れています。

章姫の選び方(見分け方)

章姫は基本的に果皮が鮮やかな紅色ですが、あまり濃いほうではありません。少し色が薄めでも全体に紅色がまわっていて、香りがよければ大丈夫でしょう。

章姫は果皮が少しやわらかいので、パックの中で押されすぎて果汁が漏れていないかも要チェックです。

章姫の保存方法

気温の高い場所だと鮮度の低下が進むので、冷蔵庫の野菜室に入れて保存しましょう。乾燥防止のため、パックをポリ袋に入れておきます。章姫は日持ちがよいほうではないので、なるべく早く食べて、みずみずしい甘味を楽しみましょう。

章姫の食べ方

章姫は酸味がおだやかなので、酸味が苦手な人や小さな子どもにも食べやすいイチゴです。水洗いしてそのまま食べましょう。

もちろんケーキやスムージーなどに利用してもおいしく食べられます。

◆日本で初めて実用利用されはじめた種子繁殖型イチゴ品種
よつぼし いちご ヨツボシ イチゴ 苺 ストロベリー
よつぼしは農林水産省の提案公募型事業「新たな農林水産政策を推進する実用技術開発事業」の一つとして、三重県、香川県、千葉県と九州沖縄農業研究センター(農研機構)の4つの機関が2009(平成21)年から2012(平成24)年までの4年間にわたり「共同育種による種子繁殖型イチゴ品種の開発と種苗供給体系の改革」という共同事業に取り組み、研究開発したいちごで、日本で初めて実用化されるイチゴ種子繁殖型品種として2014(平成26)年に品種の登録出願が出されています。

開発に当たっては各機関がもつ沢山の優れた育種を組み合わせ、その中から選抜が行われたそうです。

結果的に三重県が「かおり野」から育種した「三重母本1号」を母親とし、それに花粉親として、「さちのか」や「とちおとめ」それに香川県独自の四季なり品種を香川県が交配育成した「A8S4-147」という品種が選ばれました。よつぼしはこの2品種の交配によってできるF1品種となります。

一般的な他のイチゴはランナーと呼ばれる蔓で株分けをする、いわゆるクローンの増殖によって苗を増やしておくのに対し、種から増やすことによって親株から病害虫の影響を受けにくくできるとともに、収穫時期が終わった後、親株を管理する必要がないというメリットがあります。栽培技術のマニュアル作成に当たっては育成に関わった4機関以外にも、山口県と北海道、それに東北農業研究センターでも栽培されたそうです。

名前の由来は「甘味」、「酸味」、「風味」が揃って「よつぼし」級に「美味」しい事と、4つの機関が共同で開発した期待の品種という意味が込められているそうです。

もういっこは2008年に品種登録された宮城県が開発した品種です。
甘みと酸味のバランスが良く、美しい光沢があり、贈答にも喜ばれる見た目です。

そのユニークな名前の由来は美味しくてついつい「もう1個っ!」と手が伸びてしまうという意味なのだそう。

一苺一笑がある宮城県亘理郡は、たっぷりと降り注ぐ日照量と温暖な気候に恵まれているため、東北一のいちご生産地です。東日本大震災で大きな被害を受けましたが、このもういっこの生産とともに、地域はだんだんと復興が進んできています。
30分のタイマーがなった時手が届くプランターは もういっこだったので、手を伸ばしてもぎ取ろうとしたら・・・地面へ落してしまった。 ライマーのベルもなり終わったので、泣く泣くゴミ箱へ・・・・このいちごはもういっこならぬ、もうちょっとだったのに・・・・(笑)

桃薫
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「桃薫」の果実は、モモに似た芳醇な香りが特徴的で、今までのイチゴとは違った風味が楽しめます。果実には艶があり外観が優れ、色が淡いことから、見た目も普通のイチゴと違います。また、果形が揃い、収量性にも優れていますので、新しい用途の開発と需要の広がりが期待されます。

桃薫も美味しかった。もうちょっと時間があったらもうちょっと味わって食べたかった。
口の中で幾つかのいちごが混ざり、もう何が何だかという状態で口の中に入れたらのですが、小ぶりな粒でしたが、確かにいちごであるけど、完熟前だが固くて甘い桃ぽい味がしたような気がします

レッドパールは後程
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お値段以上の大満足であった。

キッチンタイマーを渡され30分ピ
ピっと鳴ったところでゲームオーバー❗ちゃんと正直に食べ終えましたが・・・30分はあまりにも短く、もう15分ほどほしかった。写真を撮っている暇など無かった。

大満足したあと横浜駅に戻り
お昼小籠包を頂いた



一般に現在食べているいちごはオランダから伝わったものだが、漢字で苺とあるからには平安・奈良の時代から食べていたのであろうか?

調べたところ実は、平安奈良どころか縄文も越え新石器時代にはすでにイチゴは食べられていたようです。

ただし私たちが食べているようないちごではなく、野生のいちごでしたので、ずっと小粒のものだったと考えられてます。なお石器時代には実を食べるだけではなく、葉や茎、根まで食べられていました。

いちごが世界ではじめて栽培されたのは、17世紀の頃で、エゾヘビイチゴだったと言われています。フランスやベルギーなどのヨーロッパ地方で、野生のいちごを持ち帰り、畑で作りはじめました。

なお、本格的に栽培されるようになったのは、約200年ほど前からです。

日本における苺の歴史

<日本イチゴの歴史>

 日本では、平安時代の延喜式にイチゴが記載されていますが、当時は野生の野イチゴが食用として利用されていたようです。現在一般的に普及している品種は、歴史的に新しいもので、18世紀にオランダにて、南アフリカ原産のチリ種に北アメリカ原産のバージニア種を交配して育成したのが現在栽培されているイチゴのルーツと言われています。

 日本には江戸時代末期(1830~1840年)頃にオランダから長崎に伝えられ、当時はオランダイチゴと呼ばれていましたが、あまり人々に認識されませんでした。本格的な栽培が始まり、品種改良・育成が進められたのは明治時代になってからで、フランスから導入されたゼネラル・シャンジー種をもとに育成された「福羽」は日本イチゴの基礎を作った名品種です。

 終戦後(昭和25年)アメリカから「ダナー」が導入されてからは栽培が全国的に普及し、その後新品種の「宝交早生」・「春の香」等のスターが誕生しています。「宝交早生」は昭和50年代にはイチゴ全体の6割の生産量を占めていました。

 日本のイチゴ史に燦然と輝く2大品種「女峰(にょほう)」「豊の香」は色んな品種が混在していた1880年代半ばに登場していますが、食味の良さ、粒の大きさ等で他の品種を圧倒していたことから、この2品種で全国生産量の9割を占めるまでに成長し、東の「女峰」、西の「豊の香」の二強時代が永年に亙り続きました。しかしながら育成から14年以上経った時点で、各県試験場などによるイチゴの品種改良はめざましく、最近では生産県を中心に優秀な品種が出てきました。

 東では「女峰」に変って「とちおとめ」が急激に増え、西では人気の高かった「豊の香」にも陰りが見え始めており、「さちのか」・「さがほのか」への品種更新が始まっています。
 また、東西の2大品種に続き「あきひめ」・「あすかルビー」等、それぞれが育成された主産県でのシェアを高めてきています。

一緒に行った友人とイチゴについて話が弾むと、韓国のイチゴ問題について当然話が及びました。

韓国の日本のブランドいちご無断栽培問題





1:知的財産を無視する韓国

まずはこちらの記事から

「韓国イチゴ最高」…国産品種‘成功’
KBSニュース(韓国語) 2016.05.05
タイ、バンコクにある大型マート陳列台の中央には韓国イチゴがいっぱいでした。250グラムで245バーツ、私たちのお金で8千ウォン程度と高い方なのに、タイ人たちの食欲をひきつけました。
<インタビュー>ジャーン・ヤ(バンコク市民):「他の国のイチゴに比べて韓国イチゴは食感がやわらかくて良いです。」
<インタビュー>ラリタ(バンコク市民):「本当においしいです。甘酸っぱい味が最高です。」
昨年、私たちのイチゴの海外輸出額は390億ウォン。農産物輸出1、2位のパプリカと梨は海外品種を育てて輸出しましたが、イチゴは堂々と国産品種を輸出しました。2002年、初めての国産品種が開発された後、今は'雪香(ソルヒャン)'等、国産品種栽培率が90%を越えました。
<インタビュー>パク・ホンヒ(慶北(キョンブク)尚州(サンジュ)イチゴ栽培農家):「雪香のような国産品種は生産量も多く早く収穫できて遅くまで収穫が可能で、病虫害に強くて...」
国産イチゴ品種の成功はりんごや梨など他の果物の国産品種多様化につながっています。
<インタビュー>キム・ウソプ(中央果樹苗木管理センター課長):「世界的に競争で勝とうとするなら、自分だけの品種、私たちの地域に合う郷土的な品種をずっと開発して...」
日本品種のアオりんごに代わる国産品種'サマーキング'とやはり日本品種の新高梨に対抗する国産品種'シンファ'の普及が速度をあげています。
KBSニュース、イ・ジェヒです。

韓国が国産品種のイチゴなど果物を日本に対抗して輸出しだしたという記事なのですが、ここで問題となるのが「2002年、初めての国産品種が開発された後、今は'雪香(ソルヒャン)'等、国産品種栽培率が90%を越えました。」という記述です。


これなのですが、韓国は2009年頃から「外国に支払うロイヤリティーの負担を減らすことができる」との動機から国産品種の栽培を推奨してきたとしているのですが、元となった品種が何なのか一切言及していません。


(※1)


記事中で韓国産品種と呼ばれているイチゴなのですが、実際のところどうなのかといえば、記事中にもある雪香という品種は日本の「章姫」と「レッドパール」を掛け合わせた品種、苺香という品種は日本の「栃の峰」と「章姫」を、錦香という品種は日本の「章姫」と「とちおとめ」という品種を掛け合わせたものです。




そして問題なのが、こうした日本のブランドイチゴを韓国では一切日本側にロイヤリティーを支払わず育て、当然掛け合わせる許可も取らず勝手にやっているということです。


そしてこのような状態になった背景は解っているだけでも以下のようになっています。


農林水産知財専課

権利の管理について
Q.大切な新品種が海外に持ち出された事例があるとききます。どのような事例がありますか。

いちご レッドパール 個人育種家
韓国の一部の者に生産・販売を許諾したが、韓国内で種苗が無断で持ち出され、その収穫物が我が国に輸入、販売されていた。
育成者権者が輸入業者を相手に裁判を起こし、輸入を取りやめることなどを条件に和解。

とちおとめ 栃木県
韓国に種苗が無断で持ち出され、その収穫物が我が国に輸入、販売されていた。
栃木県が許諾先の業者に文書で注意。


特にレッドパールの場合には、2013年6月にフジテレビのニュースジャパンが取材をしており、20年ほど前、レッドパールの開発者である愛媛県の西田朝美さんという方のところへ、韓国の研究者の金重吉という人物が現れ、何度も頼み込まれて仕方なくレッドパールの苗を5年間、有料で栽培できる条件で渡す契約をしたのだそうです。


(2013年放送のニュースジャパンより)


その結果、この人物が次々と他の韓国人に苗を渡していき、西田さんには一切ロイヤリティーが支払われないまま韓国内でシェアが広がって行き、挙句の果てには金重吉という人物は「5年契約」という縛りを無視して今でもレッドパールを栽培しているそうです。


更に問題なのが、韓国は2002年に植物新品種保護国際同盟(UPOV)に加入したのですが、日本に対してイチゴのロイヤリティーを支払わなくていいよう、韓国政府が手を回しイチゴを適用外にし続けてきたのです。
(余談になりますが、レッドパールの知的財産権は2008年に切れました)




そして「どうしたら日本にロイヤリティーを支払わなくて済むか」という抜け道として、日本のブランドイチゴ同士を掛け合わせて「別品種という事」にし、その新品種が広まるまでの時間稼ぎをしていたというわけです。


そして近年になり、この「国産品種」が韓国内で定着したため、他国へと売り出した、そして最初の記事に繋がります。




2:自己完結で「口実」を作り出してしまう

このような状態になっている背景には、韓国社会独特の上下関係を絶対視する価値観や、他者の劣等性を指摘できれば自己の正当性を証明できると言う価値観、客観的視点が存在せず全てを主観視点で思考する考え方が深く関わっています。


今回の事例の場合、韓国側の言い分を調べてみると先ほど取り上げた「1万6000人のイチゴ農家、ロイヤリティー賦課で苦境に 朝鮮日報 2005/03/22」のように、日本が知的財産を盾に韓国のイチゴ農家を苦境に陥らせているという趣旨の記事が多数出てきます。


また他にも、韓国産のイチゴ(日本の品種を掛け合わせた品種)のほうが美味しいとか病気に強いとか、「日本とのロイヤリティーをめぐるイチゴ戦争で韓国を勝利に導いた」といったフレーズが出てくる場合もあります。


(※2)


こうしたフレーズが重要で、たとえば「日本が知的財産を盾に韓国のイチゴ農家を苦境に陥らせている」と指摘できれば、彼らの価値観ではそれで「日本の劣等性」を指摘したことになります。


韓国人以外からしてみると、そもそもロイヤリティーを支払わずに勝手に栽培していたのだから自業自得と考えるわけですが、主観視点のみで思考する彼らにはそもそもその発想がありません。


韓国人の農家がロイヤリティーの支払いで困っているのだから、日本の行いは悪であり「日本の劣等性の証明」となるのです。


そして彼らの価値観では日本側の劣等性がこれで証明できたわけですから、「韓国の農家が知的財産を侵害している」という問題点は相対化によって打ち消されて消えてなくなり、「日本人のせいで韓国人の農家がロイヤリティーの支払いを迫られ困っている」という部分のみが残ります。


つまり、彼らの価値観ではこの件に関して日本=加害者、韓国=被害者という構図が出来上がっているのです。


また、「韓国産のほうが美味しい」とか「韓国産の方が病気に強い」という主張も根元は同じです。


実態がどうであれ、主観視点のみで思考する彼らにとっては「こう主張した」時点で「日本のほうが劣っている(下位の存在)」という事になります。
(これには日本側が強硬な態度に出ないからという側面も存在します)


上下関係が絶対的な意味を持つ韓国社会においては、下位の存在は上位の存在に逆らう事ができません、なぜなら「上位の存在は下位の存在よりも徳が高く、その行いは全て正しい」からです。


こうして韓国では、その独特の価値観によって本来は知的財産を侵害された日本側が被害者になるはずが「日本は劣等な加害者である」と結論付けられ、自己完結の「知的財産を侵害してもいい口実」が出来上がり、それを土台に「日本とのイチゴ戦争に勝った」と勝利宣言をしているというわけです。


つまり、韓国的価値観ではすでにこの問題は「韓国側の正当性が証明された事」で解決しているのです。
だから日本品種を勝手に掛け合わせて外国へ輸出しても、それは全く問題がなくなるのです。


韓国のイチゴ無断栽培問題は、平昌オリンピックの女子カーリングのモグモグタイムで、韓国のイチゴが美味しいと選手の一人が発言したことが、一躍注目を浴び、大きな波紋をよびました。昨年の不完全ながら種苗法改正に至るなど、改めて韓国とは一切関わりを持ちたくないと思うのであります。

まあ、約束を一切守らない韓国が韓国内で日本のイチゴを栽培し品種は日本のイチゴだと認識して食べているなら腹もたたないが、約束したロイヤリティは払わず、勝手に交配し韓国産と強弁、韓国産イチゴとして、輸出する他の産業でも毎度同じことの繰り返しに我々日本人は韓国とは一切関わりたくないと思うのであります。


執筆中

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【SANSPO】2021.2.10 05:02 

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代表作「刑事コジャック」の写真と大好きなたばこを手にする森山さん。あの渋い声は、もう生で聞けない…=1976年

米ドラマ「刑事コジャック」やアニメ映画「紅の豚」の渋いダミ声で知られた声優で俳優、森山周一郎(もりやま・しゅういちろう、本名・大塚博夫=おおつか・ひろお)さんが8日午後9時10分、肺炎のため埼玉県の病院で死去したことが9日、分かった。86歳だった。葬儀は近親者で執り行う。プロ野球・中日の大ファンとしても知られた。主人公の祖父役を演じた昨年のNHK連続テレビ小説「エール」が最後の出演作となった。

 低音の魅力で一時代を築いた昭和一桁世代。森山さんが旅立った。

 この日、所属事務所が公式ツイッターで報告。「芸能生活63年の間、ファン並びに関係者の皆様には多大なるご支援をいただき、まことにありがとうございました」と感謝した。

 関係者によると、森山さんは昨年12月、埼玉県久喜市の自宅で転倒。腰などを骨折し入院した。入院中にもともと悪かった肺がさらに悪化。一時は持ち直すも今月8日に容体が急変し、帰らぬ人となった。若い頃から愛煙家でもあった。

 名古屋市出身。愛知県立犬山高校では硬式野球部に所属し、走攻守の三拍子そろった外野手。愛知県大会でベスト4まで進んだが、甲子園出場の夢は果たせなかった。故郷の中日が大好きで、俳優仲間らとファンクラブを作ったり、晩年も足繁く球場に通った。

日大芸術学部を中退後、1953年に劇団東芸に入団。人気ドラマ「特別機動捜査隊」や時代劇を中心に、刑事から重厚な悪役まで幅広く演じる一方、草野球チームも結成した。エースで4番を務め、声をからして仲間を応援するうちのどをつぶし、元のダミ声にさらに磨きがかかった。

 その渋い低音を生かして、洋画の吹き替えでも活躍。当たり役は73年から6年間にわたって放送された米人気ドラマ「刑事コジャック」。米俳優、テリー・サバラス(94年死去、享年72)が演じたタフな主人公・コジャック警部補の日本語吹き替えを務め、お茶の間の人気者になった。

 アニメ映画「紅の豚」(92年公開)では、トレンチコートの似合う主人公ポルコ・ロッソの声を担当。森山さんの声のファンだった宮崎駿監督(80)直々のオファーで引き受け、「飛ばねえ豚は、ただの豚だ」は名せりふとなった。

 99年に脳梗塞を患い、手足のしびれなど後遺症に悩まされたが、「エール」で窪田正孝(32)演じる主人公の頑固な祖父役を演じたのが最後の仕事に。独特の声で多くの人を魅了した86年の生涯だった。

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森山さん(前列左から3人目)は長門裕之さん(同2人目)、藤村俊二さん(同4人目)、坂上二郎さん(後列左から2人目)らと「昭和九年会」のメンバーとしても活躍した=2000年

「紅の豚」マドンナ役の加藤登紀子が追悼

 「紅の豚」でマドンナのマダム・ジーナ役として森山さんと共演した歌手、加藤登紀子(77)は自身のツイッターで「寂しく、懐かしく、胸がいっぱいです。心からご冥福をお祈りします」と故人を偲んだ。「『いい奴は皆死ぬな』と言ったポルコロッソ。このシーンを録音したのが、森山さんとの初対面でした。あの声を聞いて、瞬間的に、私はジーナになれたのだと思います」(原文ママ)と当時を振り返った。

森山 周一郎(もりやま・しゅういちろう)

 本名・大塚博夫(おおつか・ひろお)。1934(昭和9)年7月26日生まれ。名古屋市出身。仏俳優、ジャン・ギャバンや米俳優、チャールズ・ブロンソン(いずれも故人)の声も担当した。声質は幼少時からおとなびた低音だったという。俳優、宝田明(86)や女優、中村メイコ(86)と結成した昭和9年生まれの芸能人の親睦団体、昭和九年会の一員でもあった。高校時代の同級生だった夫人との間に1男1女

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子供の頃刑事コジャックやチャールズブロンソンの吹き替え役やゴルゴ13といった渋いカッコいい大人の声優といえば、森山周一郎氏だった。そして、我々世代から言えば紅の豚ポルコ・ロッソ役だったろう。「飛べない豚は、ただの豚だ」、ごく当たり前のことを言っているのだが、男の生きざまを肯定するカッコいい名言となった。

紅の豚は宮崎アニメの中でもっとも大好きな映画だ。自分がポルコの歳となってジーナとの関係や、最後まで自由に生きることがものすごくかっこよく思えた。紅の豚ポルコロッソは架空の人物だが、いつしかポルコは森山周一郎氏と重なっていたかと思う。

森山周一郎氏の声は本当にカッコいい。城達也さんや野沢那智さんはだいぶ前に旅たち、私から見たちょっと上のカッコいい大人達、森山周一郎氏が吹き替えた男くさいチャールズブロンソン、高倉健、菅原文太、松方弘樹といったカッコいい大人達も既に鬼籍となられた。かっこいい大人と言える人達で残るは北大路欣也さんや藤竜也さんぐらいであろうか?
渡辺謙・草刈正雄・三浦友和・吉田鋼太郎世代は私達1960年代に生まれた世代から見ると大人世代と言うより兄貴世代、中井貴一・真田広之・織田裕二・香川照之は同世代にあたる。皆いずれ必ず旅たちの時は来る、わたしはいつでも旅経てるよう、心構えを備えておきたい。

紅の豚の設定時代は1929年10月の世界恐慌の翌夏なので1930年、ポルコ推定年齢40歳過ぎ、映画のエンディング、17歳だったフィオがジェット水上機でホテルアドリアーノを訪問するシーン1960年代初頭、ポルコとフィオの歳の差23~25歳 私が生まれた1963年だとすると、フィオ50歳 ポルコ72-75歳だった。

映画の公開は1992年から30年近く経ったので今年で生誕130数年くらいになるが・・・
森山周一郎氏が存命だったつい先日まではポルコもなんとなくどこかで生きていたような気がしていたが、森山周一郎氏が亡くなったことにより架空のポルコもこれで故人となったような気がする。

現在宮崎駿さんは「君たちはどう生きるか」を製作されているが、宮崎駿さんにはもうちょっと長生きして、ナウシカをリメイクもしくは、原作6巻分の続編を製作してほしいものです。


•2018/11/02 

 

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「トランプ米大統領再選支持」集会・デモ in 東京(3)


ブログでこれだけトランプ再選支持を書いておいて、トランプ再選支持集会デモに行かないわけにはいきませんでした!この動画の中に私Ddogも・・・「お!映ってる!」

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2時少し前、日比谷公園に行くと、沢山の善男善女・・・私を含め中高年世代が8割でしたが、20代30代のお子さん連れの方もいて、盛り上がってました!
皆さん熱かったです。

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皆さん寄せ書きをしていたので、
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わたしもDdog!と書いてきました!

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星条旗を拝借・・・米国のデモと違って参加者は100%マスクをしていました。

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おお・・出発だ!

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日比谷公園を出て銀座方面へ

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結構、ご婦人の参加者が多く、比率は半々くらいでした・・・
青い帽子のご婦人は確か学校の先生のようでした?たぶん日教組には入っていないのでしょう。
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事前にシュプレキコールの紙を渡された。
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市民デモの参加は原宿で行われた反民主党政権デモ以来2回目だが大声で叫ぶとストレス発散に最高だった!

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銀座の目抜き通りです。

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東京駅前八重洲付近 結構デモ行進の列は長く、後方もずっとです。1000人位いたのかしら?

まったく見ず知らずの人達でしたが、話しかけると皆すぐに打ち解け、皆さん熱心に応援しているのだなとすぐにわかりました。

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たまたま一緒に行進した中に、某大手海外通信社にお勤めの某ご夫妻、

※メッセージをいただければ修正前のお写真送ります!

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ご主人が米国人医師で9.11の時NYに住んでいて、今は日本にお住いのatukoさんなどは、米国の友人達から直接情報を貰っており、Twitterやネットにも書けない情報、もちろん私が知らない情報を持っていて、些か驚いた次第です。

いま、ネット上表に出していい情報で、一番Hotな話題がフランクフルトで、サーバーを確保する際のCIA対国防省(DoD)の銃撃戦だそうです。今日初めて聞きましたが・・・

検索するとヒットしました。

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状況更新 - 1127 -


フランクフルトでの国防総省とCIAの銃撃戦、ディープステートに対する極秘作戦は世界中で猛威を振るう

 

(Natural News この瞬間に、極秘作戦が世界中で戦われており、トランプ氏側の国防総省とDIA(国防情報局)が、CIAを運営しているブラックハット(悪玉)のディープステート相手に戦ってています。

 

良いニュースはトランプ氏が勝っていることです。

 

ご存知の通り、国防総省はドイツのフランクフルトにあるCIAが運営するサーバーファームを襲撃しました。これは、2020年の選挙へのCIAの干渉の証拠(ドミニオンの投票機を使った選挙結果の裏口操作)が含まれています。しかし、サーバーファームの施設で銃撃戦があったことを示す新情報が浮上しました。米陸軍特殊部隊が関与し、施設を守るためにアフガニスタンから空輸されたCIAの訓練を受けた準軍事部隊と交戦があったとのことです。

 

CIAの将校1名が銃撃戦の最中に死亡し、主流メディアでは"ソマリアで死亡"と報道されています。米軍兵士5人も死亡し、エジプトでの"ヘリコプター墜落事故"で死亡したと説明されています。

 

死者が出たにもかかわらず、サーバーは国防総省に買収されることに成功し、それらのサーバーはトランプ大統領の私設諜報グループに引き渡され、最近恩赦を受けたマイケル・フリン元帥が率いていたが、彼のセキュリティクリアランスが回復したため、現在は再び極秘情報の処理が許可されている。

 

ここがいいところだ

 

シドニー・パウエル氏は、ジョージア州とミシガン州の訴訟で専門家の証人を繰り出そうとしている。これらの証人の一人は、2つの手段で入手した票の盗難の詳細を手渡されています:1)国防総省が運営するサイバー戦争プログラム「クラーケン」、2)複数回の襲撃の間に入手したサーバーから発見された情報です。(バルセロナとトロントでもサーバーファームの襲撃があったと聞いています)

 

その目撃者の一人が、米軍の防諜活動やNSACIAなどに長年携わってきたサイバー犯罪捜査官として有名なケシャバーズ・ニア博士です。

 

彼は今、シドニー・パウエルに宣誓供述書を提出しましたが、このリンクで見ることができます。

 

彼の発言には次のようなものがあります。

 

私は以前、DVSES&Sに悪用可能な重大な脆弱性を発見しました。この脆弱性は、悪意のあるオペレータが内蔵の秘密のバックドアを介して機密機能を実行することを可能にします。このバックドアを利用して、インターネット経由でシステムの更新やテストを行うことができます。しかし、このバックドアは、票の移動、票の削除、リアルタイムでの票の追加などの不正行為を行うためにも使用することができます...私は、2020年の選挙データがすべての激戦区の州で改ざんされ、その結果、トランプ大統領に投票された数十万票がバイデン副大統領に移されたことを確信しています。

 

こうしてサークルは完成した。国防総省軍はサイバー戦争兵器(「クラーケン」)と特殊部隊(米陸軍傘下の特殊部隊)を配備して物理的なサーバーを取得し、これらの作戦から得られた全ての情報は国防総省のフォレンジックアナリストによって抽出され、それは宣誓の下で証言する準備ができている様々な専門家の証人に引き渡され、その結果、裁判所はスイングステートでの不正な投票操作を無効にすることになります。

 

こうしてトランプ氏は300票以上の選挙人票を獲得し、大統領としての2期目を確保することができるのです。成功すれば、これらの暴露はまた、民主党を完全に破壊し、何千人もの反逆者が、米国政府を転覆させるためのこのサイバー戦争の選挙での窃盗未遂の役割のために、刑務所に入ることになるでしょう。

 

私のシチュエーション・アップデートを完全に聞いて、すべての詳細をポイント・バイ・ポイントで解説しています。

 

Brighteon.com/f3ec1ad8-c2b9-4b2a-8e00-befae671189d

 

 

 

前日の状況更新ポッドキャストは、Brighteon.comのヘルスレンジャーレポートチャンネルでご覧ください。

https://www.brighteon.com/channels/hrreport

 

また明日(土曜日)には、今日集められた情報をもとに、また別の状況報告を掲載する予定です。


トランプ支持者のデモ行進を見に行きました。withリッキー社長。•2020/11/29

デモ終了後、八重洲の地下で軽く喉をアルコール消毒を行いながら、今後の展開を情報を皆さんで予測を考えました。当然トランプ大統領が再選された場合どうなるか?が問題だという点では一致しました。

大手通信社の某氏はソロスが米軍に拘束されている可能性が高く、物凄い抵抗もあるものの、
各州がそれぞれの選挙結果を認定する最終期限は、12月8日もしくは12月14日の選挙人団選挙までには決着する12月決着説、私は1月の下院投票決着説までもつれる説、上のリッキー社長君も動画の中で言っていたが、問題はトランプ大統領勝利後の内戦勃発である。

ディープステートCIA・BLM・ANTIFA Vs 国防省州兵・ミリシア・トランプ支持市民の戦いでどの程度の死者がでて、日米左翼メディアがどんな捏造報道をするのかが心配だ。

世界緊急放送など陰謀論やそっち系の妄想だとわたしは相手にしなかったが、この世界で善であるふりをしていたものがいかに邪悪で、我々が騙されていたかを暴くことで、米国内の内戦は止まる可能性もあり、ちょっと調べてみる気にもなった。

興味ある方はどうぞ、ちなみに私は100%信頼しているわけではなく、ひょっとして・・・程度です。


執筆中


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一応当ブログの管理人Ddogは自称「本好き」ではあるが、荒俣宏さんのような希少本コレクターでもなく、一頃は年に300冊は読んだ活字中毒者であったが、横浜市の図書館があまりにも酷く、読書ペースが落ちてしまいました。今は週3日町田図書館で過ごす時間と、ブログの更新の合間に読むが主な読書時間である。おそらく最近は週一冊、年に60冊程度のペースに落ちてしまった。

本好きは大きく分けて二通りだと思う、活字中毒者と、活字というより本そのものが好きで、本が置いてある図書館や本屋が好きな本好きに分かれると思う。

私は、両方だと思っているが、どちらかといえば本がぎっしり詰った空間にいると癒される後者の方かもしれません。

活字中毒者は基本図書館で本を漁るが、本を本屋で買いだすと際限なく本で埋まってしまう。そして本に埋まった空間で過ごすことが至福の時間だと私は感じます。

今日紹介する一冊は本に癒される本好きの皆さんの為の本です。

今回は、紹介された本屋さんを検索する形で紹介したい。

Contents

南米のパリに花開いた豪華な本の劇場 006
エル・アテネオ・グランド・スプレンデイツド[ブエノスアイレス,アルゼンチン]

ヨーロッパ西端の港町、宝石のような老舗 012
レロ書店[ボルト,ポルトガル]

荘厳なゴシック教会に生まれた本の神殿 018
セレクシス・ドミニカネン[マーストリヒト,オランダ]

「自由時間広場」で本と食を堪能 024
クック&ブック[ブリュッセル,ベルギー]

優雅なアーケードを彩る本の万華鏡 030
トロビスム書店[ブリュッセル,ベルギー]

三姉妹の手でよみがえった17世紀の本の館 036
パラッツォ・ロベルティ書店[バッサーノ・デル・ダラッパ,イタリア]

ロンドンで最も愛される美しい書店 042
ドーント・ブックス・マリルポーン[ロンドン,イギリス]

SF映画に入り込んだ気分で本を楽しむ 048
ラスト・ブックストア[ロサンゼルス,アメリカ]

本と人が集まる駅舎は、旅情あふれる本屋さん 054
バーター・ブックス[アニック,イギリス]

エーゲ海の島、作家を育む本の楽園 060
アトランティス・ブックス[サントリーニ,ギリシャ]

グリーンに囲まれて、本と人が集う家 066
カフェプレリア・エル・ベンドゥロ[メキシコシティ,メキシコ]

太陽のもと、本に親しむさわやかな時間 072
ポルア書店[メキシコシティ,メキシコ]

パリ左岸、英語書店の終わらないドラマ 078

ワインバー兼書店でパリらしい夕べを 084
ラ・ベル・オルタンス[パリ,フランス]

チュイルリー公園で植物や庭の本に親しむ 090
ジャルダン書店[パリ,フランス]

カフェも魅力、[文学の家」の小さな本屋さん 096

選書経もセンスが光る黒一色のデザイン書店 102
メソド[アムステルダム,オランダ]

多彩な文化が集合、大人のためのブックカフェ 108
トランケパル[コベンハーゲン,デンマーク]

パッサージュの古本屋さんでパリの歴史を探訪 114
ジュソーム書店[パリ,フランス]

フィレンツェの老舗で文化遺産の本に出会う 120
ゴネッリ古書店[フィレンツェ,イタリア]

あとがき 126

Recommendation 127

装丁・デザイン BANG!Design,inc.
写真 Stefano Candito,Laetitia Benat
印刷・製本 図書印刷


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エルアテネオグランドスプレンディッドは、アルゼンチンのブエノスアイレスにある書店です。1875年建築家ペロとトレスArmengolによって設計された1946年からは映画館としても使われ、2000年に本屋となった。2008年には、ガーディアン紙は世界で2番目に美しい書店に選ばれました。 2019年、ナショナルジオグラフィックから「世界で最も美しい書店」に選ばれました。




ポルトガル北部にある、ポルトガル第2の都市ポルト。その世界遺産にも登録されている歴史地区に、ハリー・ポッターの世界を味わえる「レロ書店」があるのをご存知でしょうか。

イギリスのガーディアン紙が選ぶ「世界の素敵な書店」で第3位に選ばれ、連日観光客で賑わう、ポルトを代表する人気スポットです。
その人気故、列に並ぶ事が必須となりますが、少しでも空いた時間にじっくりと見たい人の為の攻略法をお教えします。

1869年に建てられたこの書店は何人かオーナーが変わった後、1894年にレロ兄弟の手に渡り、1919年に「レロと兄弟」という意味のレロ・イ・イルマオンという現在の名前が付けられました。
最初はごく普通の、地元の人たちに愛される書店だったのが、ハリー・ポッターシリーズの原作者、J・Kローリングが英語教師としてポルトに赴任していた頃に、この書店がハリー・ポッターの世界観に影響を与えたのではないかいう噂が広がり、ハリー・ポッター人気と共に、この書店の人気も急上昇したという訳。

しかしこの書店、有名になり過ぎた結果、多くの観光客が訪れるようになったのは良いのですが、書籍を購入せず、ただ店内を観て回るだけの客が増えてしまいました。本来の営業活動に支障が発生するという懸念が出てきた為、現在は入店料金(2018年6月現在5ユーロ)がかかります。
ただしこの入店料金は、バウチャーとして使用できる為、店内で書籍を購入すれば入場料は実質無料。

しかし入店料金をとる様になったにも関わらず、人気は相変わらず現在も続いています。
その混雑を避ける為にどのタイミングで行けばいいかと言うと、ずばり閉店間際です。レロ書店は20時までオープンしていますが、ツアーなどの人たちで混む時間を避けるには、やはり夕方以降になりま。


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「世界で最も美しい本屋」に選ばれたオランダ・マーストリヒトの本屋さん

2014.12.21
 
 
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「世界で最も美しい本屋」に選ばれたオランダ・マーストリヒトの本屋さん
※こちらの記事は2014年12月21日公開のものです。

オランダ南部にある歴史深い街、マーストリヒト。ここに「世界で最も美しい本屋」があります。2008年、イギリスの新聞『ガーディアン』が世界中の本屋から「世界で最も美しい本屋」を10軒選び発表しました。そのなかの1軒に選ばれたのが、マーストリヒトにある「ドミニカネン」です。


700年以上前に建てられた教会の内装をそのままに、美しい本屋に再生

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古い教会が建つ旧市街のフライトホフ広場からすぐのところに、その本屋があります。
今から700年以上前にドミニコ会修道院の教会として建てられたこの建物は、歴史の波に翻弄されて荒廃し、一時は倉庫や自転車置き場、展覧会会場などに使われていました。それがオランダ人建築家によって改装され、本屋として生まれ変わったのは2006年のことです。

教会の名残が随所に残る

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古い教会を思わせる外観からは中が本屋になっているとはすぐにわかりません。教会だと思って入ってくる人もいそうです。

そっと扉を開けると、内装は教会そのもの。太い柱とヴォールト天井が印象的な空間が広がっています。書棚には数千冊の本が並び、棚にも本がたくさん平積みされています。オランダ語の本が中心ですが、一部英語のものも扱っています。1階右奥には子供向けの本のコーナーもあり、絵本を選ぶ親子連れの姿がありました。

天井までの広い空間を生かして一部に2階と3階のフロアが作られ、そこにも書棚が並んでいます。3階部分は天井に近く、美しい天井画を見ることができるので、ぜひ上がってみてください。窓にはステンドグラスこそないものの、教会らしい柔らかい光が差し込んでいます。


ほっとひと休みできるカフェもあります
ほっとひと休みできるカフェもあります
photo/Tomomi Nakagawa
一番奥の、教会のちょうど内陣に当たる部分がカフェになっています。上の階から見ると、テーブルが十字架の形になっているのがよくわかります。そのテーブルを照らすライトは、どこか燭台をイメージさせる丸い形をしています。こんな静ひつな空間でゆっくり本を読むのもステキですね♪

歴史を感じさせる空間とモダンなデザインが融合した「世界で最も美しい本屋」。オランダへ行ったら、ぜひ立ち寄ってみてくださいね。
Cook & Book 
【ブリュッセル】2013年 09月 16日 

寒い~。暖房入れたい~。と思わず口に出てしまう秋(と言うより初冬ではないか)のブリュッセル。10月の声を聞くまでは暖房を我慢しなければ、この先もっと寒くなった時に困るもんね。しかし、あのいつもより少々長めだった夏はどこへ・・・壁の蔦も赤くなって来ました。
さて、まだいい気候だった先週の日曜日、ブリュッセルの南東Woluwe-Saint-LambertにあるCook & Bookに行ってきました。
ここはその名の通り本屋さんとレストランの融合、とでも言うべき総合ブックセンター。代官山のTSUTAYAみたいな感じかな。最初は名前からロンドンにあるCook for booksみたいに食関係の本屋さんかと思ってたら本屋さんとレストランが合体していたという・・・。しかもやたら広い。1500㎡ですって。でかっ・・・
まぁ、ここに来たかったのはちょっと欲しい雑誌があったから。
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MOODというベルギー発の食と音楽に関する雑誌でstockistが限られてるので、一番確実なBook & Cookへ行ってみようと。この雑誌は広告は一切なしなので12ユーロと少々お高いんだけど日本の食堂みたいなところとか結構ニッチな記事が載ってるので面白そう。写真のは1号で、これには札幌とか目黒(だったかな)なんかの食事情が載ってて良さげなのであった。なんて言いつつまだ読んでないですが。(汗)
それにしてもこのCook & Book、すごいわ~。何がすごいって、建物がブロックでAとBで分かれてるんだけど、AにはBD(バンド・デシネ)、JEUNESSE(絵本など子供向けの本)、VOYAGES(旅行関係)、BEAUX-ARTS(美術など)、MUSIQUE(音楽関係)のラインナップで各々個別の部屋に分かれてる。さらに各部屋のデコがテーマに沿うものになっていてイートインコーナー(これがまた趣向が凝らしてある)が一つずつあるという・・・。各部屋で供されるのはメインダイニングで作られるお料理。Aではどちらかと言うとカフェご飯系(でもちゃんとしっかりしててメニューもバラエティ豊か)で、自分の好みのテーマのお部屋でオーダーして本を愛でつついただくという塩梅。Aは子供向けのコーナーがあるのでkids用のメニューも充実してる様子。
Bの方はSERRE (温室 - これはどこだったか判別付かず・・・)、ROMAN(小説)、CUCINA(料理全般)、ANGLAIS(英語の書籍)。こちらもAと同じ趣向でメインダイニングはイタリアン。ちょっと大人の雰囲気かな。
各部屋はテーマごとにデコが変えられてるだけでなく雑貨も、少しずつ売られてる食材もテーマごとになってるところ。よくぞ考えたよね~。いやもう飽きないわ。
写真撮っても良いのだろうかとこっそり撮ってみました。こっそりすぎて例によりブレブレです。(笑)
まずは美術関係コーナー。

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モンドリアンを意識してるのか、カラフルなカラーブロックでモダンな雰囲気になってます。
Block Aのメインダイニング。

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音楽関係の部屋にへ向かう廊下。

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MOODはここに置いてありました。(バックナンバーで1号があってウレシイ♪)食と音楽がテーマの雑誌だけど音楽の方に入れたってことね。このコーナーは大人の雰囲気で、バーカウンターがある。しかも、CDだけじゃなく結構な量のビニール盤も売っててこれはアナログ好きにはたまらないんじゃないかと。
外から見たBDコーナーへの入り口。

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Seanはウィンドーのスーパーマンやらバットマンやらの等身大フィギュアが気に入った様子。このコーナーにはmanga - 漫画も沢山あってSeanはフランス語版のワンピースを見つけて「読みたいの~」。アニメじゃないからね~。キミにはちょっと難しいんじゃないかい?
こちらはBのメインダイニング。料理関係のコーナー。

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お料理グッズとか色々あって楽しい。
こちらは英語圏のコーナー。

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私の写真じゃ分かりづらいけどイギリスの図書館か書斎みたいな雰囲気のデコ。
ここは子供連れで来ても広場に遊具スペースがしっかり取ってあって全く問題ナシ、大人も子供もばっちり楽しめるという訳。2006年に出来たということなのでもう既に7年目らしいけど、MOODを買おうと思わなけりゃ知ることもなかったかも。これだけの広いスペースでこんな大胆なことやっちゃうなんてオーナーはお金持ちだよね~。とPaulとしきりに感心していたのであった。
レストランと本屋さんの合体と言うコンセプトは私の行きつけの本屋さんCandideとGaudronに通じるものがあるけどこっちはお隣さん同士できちんと分かれてるので同じとは言い難い。Cook & Bookは共生だもんね。両社が大体同じ時期にopenしてるので(CandideとGaudoron は昔からあったけどGaudronが改装してほどなくオーナーがとなりのボロい本屋さんを買収してCandideになった)この手のコンセプトはちょっとしたトレンドなんだろうか。
聞くところによるとCook & BookのUccle店が最近できたらしいのでちょっと見に行ってみようか、なんて言ってるところです。

私は基本レストラン+本屋はあまり好きではない!カフェメニューだけの本屋+カフェであるなら本も汚さないが、油を使ったメニューがある本屋+レストランは何よりも本を汚し、本を侮辱している。

食べる行為と排便、SEXは人が生き物であるがゆえ、人の最も動物的行為である。

一方読書は、人が人たる所以、「考える葦」である証拠なのだ。
「考える葦」とは、人間は一本のにすぎず自然のなかで最も弱いものである。 だがそれは考える葦roseau pensantである。 パスカルは、人間は孤独で弱いが、考えることができることにその偉大と尊厳があるとした。 ゆえに、食事と読書は私は基本相容れない行為だと思っている。

食事中新聞や本を読むなんて・・・私にはできない。

最近、現在もあるかどうかはわからないが、東京ミッドタウン日比谷のヒビヤセントラルマーケットは許せない。本屋の中に「から揚げ屋」なんて本に対する侮辱意外なにものではない。何が新業態だよ!有燐堂のボンボンが社運をかけて出したそうだが・・・・
この「世界の美しい本屋さん」で紹介された本屋さんと似て非なる本屋である。
似て非なる最大の理由は本に対する愛情が希薄にしか感じられないからだ。

だが、蔦屋書店/家電 ビレッジバンガードは違う、なぜなら本に対する愛情が、TOYを愛する愛情と同じくある店だからだ。

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2018.8.30訪問「トロピスム書店」(ベルギー・ブリュッセル)
Tropismes Librairie 
書人宝庫2018/10/25 11:42

 「トロピスム書店」(Tropismes Librairie)に行ってみよう。
 そう考えたのは、ベルギー再訪が決まり久しぶりに開けた20代の頃の旅の記録の中に、この書店のしおりを見つけたからだ。インターネットで調べると公式サイトもある。facebookページもあった。
 あぁ、まだあの書店はあるのだ、とわかり嬉しかった。facebookの写真をみると、記憶とほとんど変わらない様子だ。

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 フランス語圏の都市を旅するときは、たいてい書店に寄った。中でも「トロピスム書店」を印象深く記憶しているのは、私にとって初めての海外で、初めて訪れた外国の書店だったからだ。

 当時はまだ欧州への直行便はなく、アンカレッジで給油し、ポーラールート(Polar Route)といって北極の上空を飛んだ。今はないサベナエアーで初めて降り立った欧州の空港が、ブリュッセル空港だった。トランスファーの短い時間にグランプラス(La Grand-Place)だけでも見学できるだろうかと訪れ、路地を歩く中、偶然、発見したのが「トロピスム書店」だった。
 スマホで書店をマップ検索、なんていうことをできる時代ではなく、しかもブリュッセルは最終訪問地でなかったため前知識もなかった。まさしく偶然の出会いだった。

 ベルギーは、北をオランダ、南をフランスに接しており、北部ではフラマン語(ほぼオランダ語らしい)、南部ではフランス語が話されている。首都ブリュッセルはフラマン語圏だがフランス語話者が多い。「トロピスム書店」(Tropismes Librairie)はフランス語の本を扱う書店だ。


 そして2018年8月30日、パリから鉄道でブリュッセルへと向かった。ブリュッセル訪問は4度目になるがいずれもEU統合前。中央駅を降りると、すっかり様子は変わっており美しく整備され、駅舎の向かいには景観に溶け込むようにヒルトンがあった。
 観光の定石に従いグランプラスを再訪。ヴィクトル・ユゴーが世界で最も美しい広場と、コクトーが華麗なる劇場と賞賛したという広場は、変わることなくゴージャスに輝いてた。

 グランプラスから、確かこっちの方向だったと勘を頼りにギャルリー・サンテュベール(Galeries Royales Saint-Huber)に向かった。欧州内でも古いパッサージュ(アーケード商店街)のひとつで、ベルギー王室御用達のショコラティエや宝石店、レストランなどが並び美しい景観で観光客好みの場所になっている。今風にいえば、どこを切り取ってもインスタ映えする一角だ。

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 目指す書店は、100メートルほどのこの短いパッサージュのどこかを横に入った小路の先にあるはずだ。その入る場所がなかなかわからず結局パッサージュを2往復し、遂に壁にLibrairie(書店)という小さな看板を見つけた。小路の先には、以前と変わりない店舗が見えた。

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 店舗は地階、1階、中2階からなり、1階は新刊を中心に文芸書が、中2階には絵本など児童書が、地階には、専門書が並ぶ。地階にはデスクに座った書店員がふたりおり、ひとりは社会学、心理学、哲学の棚の周りにデスクを構え、もうひとりのデスクは料理、旅などの実用書の棚のあたりにあり、担当する専門が分かれているようだ。さらに奥には、美術と建築の棚があったがデスクは見当たらなかった。文学と新刊が並ぶ1階にも担当する書店員がいた。

 ブリュッセル中心部には大型書店はないようで、「トロピスム書店」はじめ中規模の書店が多いようだ。このベルギー滞在ののち再びパリに戻りカルチェラタン界隈の書店を何軒か訪ねたが、過去に訪ねたことのある中規模の書店は変わらず同じ場所で営業していた。どこも大型書店とは異なる中規模店ゆえの個性があって楽しかった。

 今や、国内外の出版社の出版目録をWEBで見ることができるし、SNSでレビューも読める。アマゾンで注文もできるし、書店もネットショップを持っていることが多いが、店舗に足を運ぶと発見は多い。「トロピスム書店」の公式サイトによると作家を招いたイベントもしているようだ。店舗を見る限りイベントスペースと呼べる場所は見当たらなかったが、dans nos mursとあるので店内で行うのであろう。開催時間を見ると営業終了後で予約制になっていた。

 1階と地階を結ぶ階段に手書きの貼り紙があり、学生は10%引きとの案内があった。旅行者も適用されるのかなと思いつつ、同行していた大学生の息子がレジで学生であると申し出ると、レジのお兄さんはにこやかな笑顔でさっさと割引し、学生証を見せるまでもなかった。きっと選んだ本と風貌から判断したんだろう。
 書店の学割は「トロピスム書店」でしか見なかったが、ベルギー滞在中は、美術館の入館料も鉄道の運賃も、大学生の息子は私が払う大人料金と比べると大きく優遇されていた。学生であるか否かでなく年齢で割引する場合もあった。日本にも学割はあるが、総じて割引が大きく、若者の文化的体験を応援している気がしたことも書いておく。

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 話を「トロピスム書店」に戻す。会計の後、レジのお兄さんに「店内で写真を撮っていいですか」と聞くと、笑顔で快諾。
 1階と中2階はゴージャスだが、地階はごく普通の内装だ。中2階から1階全景を撮ろうとしていた時だった。日本語を話すふたりの女性が上がってきてスマホで写真を撮り足早に去っていった。
 帰国して知ったのだが美しい書店として最近、書籍やWEBで紹介されているらしい。ブリュッセルの観光名所に近く、知れば訪れたいと思う人も多いだろう。インスタ映えする撮影スポットの中2階は児童書コーナーで絵本が並んでいる。フランス語がわからなくてもお土産にいいと思う。

11, Galerie des PrincesGaleries Royales Saint-HubertB-1000 Bruxelles

【GOTRIP!】ネイサン弘子 | 2019/03/31 

インターネットやデジタル書籍の登場で、文学の国イギリスでも本離れ、紙離れは止まる様子はありません。

そんな状況下にあっても、紙に印刷された本の温もりを求める人々や、その美しさをひと目見ようとする客足の絶えない書店が、ロンドンにある「ドーント・ブックス(Daunt Books)」メリルボーン店です。

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落ち着いた独立系のショップが立ち並ぶロンドン中心部のメリルボーン・ハイ・ストリートに佇むこの書店は1990年にオープン。

歴史は決して古くはないものの、もとは1910年に古書を販売する古物商のために造られた店舗であるため、歴史情緒溢れるエドワード朝の建物の趣きを存分に生かしたアンティーク・ショップのような雰囲気が魅力。

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一歩足を踏み入れると、重厚な木作りの本棚が天窓とステンドグラスから差し込む優しい光に照らされ、その優雅な雰囲気に酔いしれてしまいそう。

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所どころに置かれたイスに腰掛け、ゆっくりと本を吟味することも可能。

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地下階へと続く階段の擦り切れた床板に歴史を感じます。

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こちらの書店のユニークな特徴は、小説であれガイド本であれ、本の種類に関わらず国別に分けて陳列されているところ。こうすることで、旅行客にも一般客にも見やすくしているのだそう。

日本の本も人気で、英訳された小説のほか、日本の人生哲学などを欧米人が紹介した作品など、多くの関連本が平置きされており、日本文化への注目度の高さを感じます。

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ため息が出そうなほど美しい装丁のフォトブックや、絵を眺めているだけで楽しい絵本たちを見てまわれば、あっという間に時間が過ぎてしまうことでしょう。

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もちろん旅行者に嬉しいガイド本や、お土産になりそうな絵葉書やエコバッグなども充実しています。

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ロンドンを訪れた際は、一見の価値ありの「美しすぎる書店」に足を運んでみては?

Post: GoTrip! https://gotrip.jp/ 旅に行きたくなるメディア



ラスト・ブックストア(アメリカ)

2005年、ハワイ育ちの起業家ジョッシュ・スペンサーさんが、ロサンゼルスの小さなロフトでネット書店を開業。イーベイの安価な古書店からスタートし、2009年、ダウンタウンに実店舗をオープン。2011年、現在の場所に引っ越した。店は1階と中2階に展開する。1階は、高い天井を白い円柱が支え、銀行のロビーだった往時を思わせる広々とした空間。SF映画に登場する不思議な機械のような本棚が並び、あちこちに置かれたレザーの椅子は、往時の銀行家がゆったり座って葉巻を吸っていそうな雰囲気だ。壁には、本が流れる川のようなレリーフが趣を添える。中2階は、低い天井に届きそうな本棚が隙間なく並ぶ。迷路のようなフロアを探検していくと、曲線や不規則な幾何学形で構成された不思議な棚、本のトンネルなどの仕掛けが次々と現れる。





ギリシャの観光客に大人気な真っ白な島「サントリーニ島」にある本屋「Atlantis Books(アトランティス・ブックス)」は、とても小さな店内に、様々なユニークな本があることから、観光客の間でも人気なスポットです。サントリーニ島独特の海を眺められるテラスがあるのも魅力的ですね。

カフェと書店(リブレリア)を融合させたこの店は、メキシコらしく底抜けに明るい。本がびっしりと並ぶ黄色の壁に、緑色の手すりのある螺旋階段、レトロなランプが空間のアクセントになっている。店は、1940年代に建てられた家を改装して作られた。かつて中庭だった場所は吹き抜けに生まれ変わり、改装前に生えていたのと同じ、オレンジの木が植えられた。肉厚の葉の観葉植物も空間いっぱいに育っている。2階には大きな窓とバルコニー。日に焼けた美女が手を振る、メキシコ映画のワンシーンのような雰囲気だ。三世代の家族連れがブランチをとり、休憩中の警官もほっとくつろいだ表情を見せる店。明るく温かい家のような本屋さんに、今日もさまざま人たちが帰ってくる。

ポルアは、1900年創立のメキシコの書店チェーンで、出版も手がける老舗企業。「すべての人たちに本を提供する」をモットーに、スペイン北岸のアストゥリアスからの移民、ポルア家の三兄弟が設立した。今では、およそ60店舗をメキシコ国内に展開。インテリアは店によって雰囲気が違うが、どの店も壁一面にぎっしりと並んだ本がトレードマーク。チャプルテペック森林公園店は、「たくさんの人たちに足を運んでもらい、ポルアの精神を知ってもらう」というコンセプトで、2011年にオープンした。自然と一体化した建築も、そこで売られている本も、メキシコの魅力を象徴するような本屋さん。南米一の公園に誕生した名所で出会う本は、とりわけ新鮮な魅力を放つ。

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シェイクスピア・アンド・カンパニー書店訪問記 パリの本屋は世界一 
Published 2020年1月3日

2019年末にパリに行った際に、ずっと行きたかった本屋「シェイクスピア・アンド・カンパニー」を訪ねてみた。

オーナーのシルヴィア・ビーチを筆頭に、常連としてヘミングウェイ、ガートルード・スタイン、フィッツジェラルド、エズラ・パウンドなどが訪れた。またギンズバーグやバロウズなどビート・ジェネレーションとも交流があり、ヘンリー・ミラーの名前もある。

ちょうどヘミングウェイが文学修行をしたパリ時代を綴った『移動祝祭日』を読んでいて、パリとこのシェイクスピア・アンド・カンパニーに行く人はぜひ『移動祝祭日』を読んでみていただきたい。
 
その頃は本を買う金にも事欠いていた。本は、オデオン通り十二番地でシルヴィア・ビーチ(*1) の営む書店兼図書室、シェイクスピア書店の貸し出し文庫から借りていたのである。冷たい風の吹き渡る通りに面したその店は、冬には大きなストーヴに火がたかれて、暖かく活気に満ちた場所だった。店内にはテーブルが配され、書棚が並び、ウィンドウには新刊の書物が展示されていた。壁には故人や現存の著名な作家たちの写真がかかっていたが、どれもみなスナップ写真のようで、物故した作家たちですらいまも生きているように見えた。

なんといっても、この書店が文学史上有名なのはジョイスの『ユリシーズ』を出版したことだろう。

そんな伝説的な書店も、近年映画等でも登場して観光名所となった。私が訪れたときも、他にも観光客が多くきており、とても落ち着いて本探しができる雰囲気ではなかった。

しかし、1階と2階の本棚を見ながら、あれもこれも読みたい、まだ世の中にはこんなに読みたい本があるのかとしみじみと感じた。特に2階は人も少なく、店主シルヴィア・ビーチが使ったとされる机やタイプライターなどが置かれ、書店というよりは書斎のような雰囲気が読書好きにはたまらない。

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ソファに座ってピアノの生演奏を聴きながら読書、本探しができる書店。こんな書店が近くにあったら間違いなく通い続けるだろう。

以前ニューヨークのStrand Book StoreやメキシコシティCafebrería El Pénduloに行った時も感銘を受けたが、個人的にはこのシェイクスピア・アンド・カンパニーが書店としては一番だと思った。つまり、(いまのところ)世界一の本屋だと思えるくらい良かった。

帰りに数冊の本とトートバックをお土産にして帰る。


もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは a moveable feast だからだ。

ヘミングウェイ


La Belle Hortense
本が読める書斎のようなワインバー
 
TV5MONDE - ラ・ベル・オルタンス|La Belle Hortense

最寄駅はメトロのサン・ポール駅。駅から目の前のリヴォリ通りをパリ市庁舎方面へ歩き、ヴィエイユ・ドュ・タンプル通りを右に曲がったところにあります。鮮やかな青色で塗られた一見ブティック風のお店に入ると、中は居心地のよさそうなバー。ここでは、お店自慢の上質の赤ワインを飲みながらゆっくりと好きな本を読むことができます。
 
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入口手前は普通のバーカウンターになっていますが、奥に入るとプライベートな雰囲気の書斎があります。静かな店内には読書を本気で楽しむパリジャンがいたりして、インテリ層の多いパリを身近に感じることもできます。ワインを選んだあとは、書斎に入ってゆっくりと本を選ぶ。書店とも家とも違った不思議な空間で本を選ぶと、いつもと違った本に出会えるかもしれません。フランス語が苦手という人でも、かわいらしいフランスの絵本やパリの写真集もあるのでご安心を。どんな人でも気軽に楽しめます。本棚のラインナップにもさりげないセンスが光っています。もちろん自分で持ってきた本を読んでもOKです。 ちなみにお店の名前「ラ・ベル・オルタンス」は、ジャック・ルーボーの同名小説「麗しのオルタンス」からきています。
 
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運ばれてきたワインを飲みながらつかの間の本たちとゆっくりと過ごすひと時は、パリで過ごす秋の夜長に最適です。
 
La Belle Hortense
住所:31 rue Vieille du Tempre, 4e Paris
最寄メトロ:サン・ポール(St-Paul)




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ジャルダンドゥパリの最後の書店を訪問  2018年11月30日午後12時34分

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ジャルダンアンアート(DR)の正面

ジャルダンアンアートは現在、庭園の芸術に特化した唯一のパリの書店です。実際、ラメゾンラスティークは数年前に閉店し、2017年1月にチュイルリー庭園の書店が閉鎖されました。JérômeMarcadéによって作成された  Jardins en Artは、パリで最も古い地区の1つの中心部にあり、芸術や文字で多くの素晴らしい名前が見られる建物にあります。

余韻がいいところです。ジャルダンアンアートブックショップギャラリー(1)は、パリの左岸、オデオン地区の19番通り、ラシーン通りにあります。ドアを押すだけで、本や芸術作品でできているが、緑に囲まれた居心地の良い雰囲気に身を置くことができます。ファンは、植物に関する文学、フランスや世界で最も美しい庭園でのアルバム、街でのガーデニングに関する本を購入します。また、「需要はそこにある」ので、専門出版社ウルマーとのパートナーシップの一部としていくつかの実用的な本。古い本やコレクター向けの本もいくつかあります。

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(DR)

500件の参照のみではなく、最近の出版物であるGherardo CiboによるL'Herbierのような美しい作品が、庭師のStéphaneMarieと植物学者Marc Jeansonによって上演され、コメントされているため、このオファーは完全なものではありません。 (2)これは美しいクリスマスプレゼントになるだけでなく、書店の創設者であるジェロームマルカデが書いた本「インスピレーションの場所-ノルマンディーの作家の家と庭(3)」にもなります。それはノーマン作家の記憶の魂に捧げられる非常に美しい本です。そして、美しい写真で示されます。

しばらく前に出版されたものの、乾燥の賞賛など、地球温暖化のこれらの時代に非常に話題になった作品もあります。別の庭園は、 ArnaudMaurièresとEric Ossartによって可能です(4)。

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Jan Dilenschneider。絵画(DR)

この場所はただの書店ではありません。もちろん、庭の世界にインスピレーションを得た、またはリンクされたアーティストの展示に特化したギャラリーでもあります。たとえば、アメリカ人のヤンディレンシュナイダーの絵画、ジャンマリードパスのブロンズ、鉄工の作品などです。ジェローム・キランと他の多く。

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ジェロームマルカデ(ジャンバプティストルルー)

JérômeMarcadéは2014年にこの書店ギャラリーをオープンしました。それまでは防衛問題を専門としており、彼は公共コミュニケーションのキャリアを持っていました。なぜこの地平線の根本的な変化なのか?「50代の危機」と彼は冗談めかして言った。長い家系の召命に忠実ですか?庭園に情熱を抱く母親と父親から受け継がれた情熱を調和させ、具体化しようとする、情報に通じた書誌学者-彼の図書館には約10,000の作品がありました-アートコレクターですか?間違いなく少しだけです。

「ここはいつも書店でした」とジェロームマルカデは説明します。理解するには、19世紀の初めに戻る必要があります。当時、パリのオデオンのアーケードには、セーヌ川の岸壁や書店、出版社、印刷業者などで見られるような古本屋がありました。その中には、すぐに結婚に結びついて事業に参加した2人の家族、BechetsとDuriezがあり、特に作家に代わってVictor Hugoの著作権協会を管理し、2つの家を設立したことで知られています。エディション、1つの文学と他の科学。

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中庭の端にある華やかな門。22、ruムッシュドプランス(DR)への入り口です。

最初の建物を売却した後、この家族は19番通りに​​ラシーヌ通りに建物を建設し、続いて中庭に続いて、作業グリッドから22番通りにルムシーユルプリンスに向かいました。当初、そこにテナントだったフラマリオンの1階には、ファインブックとガーデンブックの部門がありました。正確には、ジェロームマルカデの本屋があります。フラマリオンが動いたとき、特にアン・ガヴァルダの成功した出版社となったル・ディランタンテが彼に取って代わった。オデオン広場に落ち着くために彼が去ったとき、家族の建物にいつも住んでいたジェロームマルカデは、彼の書店-ギャラリープロジェクトを実行することができました。

ジェロームマルカデが時折芸術作品を展示する美しい舗装された中庭では、中二階に4つの大きなアーティストのワークショップ、最上階、彫刻家のワークショップ、そしてその上の寝室を見ることができます。傾斜した天井。ギュスターヴ・ドレ、アントニオ・デ・ラ・ガンダラ、ジェームズ・ウィスラー、イヴ・ブレイヤーがそこで働いた。若いドイスノーはそこで写真のレッスンを受けに来ました。ランボーは屋根裏部屋に留まり、そこでギデは彼の後を継いだ。Prévertや他の多くの人が、何らかの理由でこのサイトを頻繁に訪れました。

芸術的で文学的なパリのセクション全体がこれらの壁の間を行進していることに気づくと、あなたはとても感動します。本をめくって、絵画や彫刻を見て、中庭に行って、アーティストのスタジオの広大な窓をちらりと見て、立ち止まり、瞑想します。そして、私たちは座って、この並外れた場所の精神を吸収するために時間をかけたいと思っています。

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ゲートの前のジェロームマルカデ、22番通り、ルムッシュールルプリンス(マチューサルヴァン)

(1)アートの庭園。19、rue Racine(VIe)。電話番号:01 56 81 01 23.日曜を除く毎日、午前10時30分から午後1時、および午後2時から午後7時30分

(2)Editions duChêne、39.90ユーロ

(3)  エディションデファレーズ。€29。

(4)エディションプルーム・ド・キャロット。€29。





Norli Literature Houseは、ノルウェーのユニークな書店です。
書店には、大小の読者向けのフィクションの幅広いセレクションと、歴史、社会、討論、歌詞、哲学の優れたセレクションがあります。ここでは、他では見つけられない文学的な宝石や、議論を巻き起こし、刺激する本を見つけることができます。Literature HouseのNorliは、エキサイティングな文学の宝探しの場所です!

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Webサイト(https://www.mendo.nl/)もかなりオシャレですが、店内のインテリアも黒で統一されていてとても格好いいです。

店内に何ヵ所か椅子が設置されていて、座って本を確認することが出来ます。

写真集やアートブックは大きくて重い事が多いので、座って読めるのはかなり快適でした。まさに、本好きの気持ちが分かっています。

サイトにも記事があるように、スタッフの方がオススメの本をセレクトして特集を組んでくれています。どんな本が選ばれているかを見るだけでも勉強になります。

また、MADE BY MENDOというレーベル名で自分たちで出版もしているようです。センスのある本屋さんの出版レーベルなだけあって、装幀がとても素敵な本ばかりでした。アムステルダムの歴史や街に関連した内容の本も多かったです。

さらに、店内で什器として使用されている真っ黒い本の形のブックスタンドやオリジナルの香水などもプロデュースして販売していて本当に多才です。

私が訪問した際にも、このお店をめがけて来たと思われる旅行客が、両手いっぱいに本を買って帰っていきました。

オーナーの方もとても親切に本の事を教えてくれます。

アートブックや写真集に興味がある人には、アムステルダムで是非行って欲しい書店です!

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こちらは、本屋、雑貨屋、CDショップ、カフェが融合したような空間、TRANQUEBAR(トランクェバー)。

店内には、世界中の本(デンマーク語や英語に翻訳されたもの)やCDや雑貨が展示・販売されています。写真はカフェの注文カウンター。まるいカウンターの棚には、本、ランプ、お茶の葉っぱ、チョコレート、ドリンクなどが置かれています。

素敵なのは、そのセンス。かっこよくて刺激的、そして面白い本がたくさん並んでいます。本棚は、建築、写真...などなどテーマ別になっているとともに、アフリカ、南アメリカ...のように、世界の地域別にもなっています。そして、アジアのところに、日本のコーナーもあります)!置いてある本はというと、村上春樹が多々。デンマーク語に訳されているんですね~。

また、面白いのは、販売・展示されているさまざまな雑貨たち。なぜ、こんなものがここに!?という驚きを与えてくれるので、目に面白く、冒険心を刺激してくれます。
パリいち美しいと言われるパッサージュ、ギャルリー・ヴィヴィエンヌ内にある、パリいち乙女な古書店。しおりにもなるショップカードは紙もの好きはぜひ手に入れたい。人気の写真集「世界の夢の本屋さん」にもピックアップされている。


メインライブラリラウンジ
メインラウンジ

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1875年に正式に設立されたLibreria Antiquaria Gonnelliは、イタリアで最も古く、最も歴史のある古書店の1つであり、同じ家族に属し、ドゥオーモの隣にある本部をリカソーリ経由で変更したことがないという利点があります。

しかし、初期の1863などとして、創業者ルイジGonnelliはアカデミアデッラCruscaで冊子を配布していた:「女性の秘密物事の書籍/ Cruscaの語彙に添付言語の良い世紀の書き込み」、フィレンツェ、Tip.del Vocabolario、1863、中表紙には次のように書かれています。「これと、以下のクルスカのパンフレット、Ab教授発行。ジュゼッペマヌッツィ、リブラホルイジゴンネッリ、リカソーリN°6経由で販売可、フィレンツェ ":好奇心旺盛な小さな"リベロ "は1863年以来の図書館の活動を証明しています。

すでに20世紀の初めには、貴重な版やインキュナブラが「店」にあり、敷地内にはガブリエレダヌンツィオ、ジョヴァンニパピーニ、フェルディナンドマルティーニ、ベネデットクローチェ、ジュゼッペプレッツォーリニの当時の監督の文化の人々が頻繁に訪れました。 La Voce」:Luigi PasseriniやTammaro de Marinisなどの著名な書誌学者の名前に加わる有名な名前。

個人やコレクターに加えて、重要な書誌研究所はこの図書館の顧客を表しています。歴史的な部屋や有名なサレッタゴンネッリの美しさにも魅力と魅惑の場所です。16世紀の砂岩に門、柱、窓がある古代の屋根付きの中庭です。展示会やイベントに使用されます。

私たちのエディション


古くて珍しい本、原稿、版画、図画の販売に関連する活動に加えて、ゴンネリ書店は19世紀の終わりから独自の出版活動を開始し、芸術、文化、書誌学の世界に関する出版物を時折出版し、自慢しました。彼の最初の版の中で、1892年にAngiolo De Gubernatisによって編集された「画家の辞書」または1927年のヒューセシルブルックスによる有名な「Bodonian版の大規模な参考文献」。

アルドゴンネッリの義理の息子であるアルフィエロマネッティのイニシアチブのおかげで、書店は約40年間、2つの権威ある編集コレクション「トスカーナ文化の未発表文書」と「パピロロジカフロレンティーナ」を発行してきました。  、さまざまな国籍の専門家の科学者の科学的研究の結果。これらのネックレスには、歴史的、ドキュメンタリー、芸術的な観点から興味深い作品のさらなる出版物が添えられており、その中で「Quaderni Gonnelli」が強調表示されています。SalettaGonnelliで開催されたアートおよびグラフィック展の際に発行されたカタログと最近のシリーズ「書簡。」 

展覧会

図書館の別の部屋
図書館の別の部屋

ジョヴァンニファットーリと他の「マッキアイオーリ」の画家による絵画は、特にアルドゴンネリが商人のコレクターマリオガッリとリボルネースの画家であり、アートライターのマリオの友人だった年に、図書館に隣接するサレッタゴンネリで販売されました。ボルジオッティ。

サレッタでは、ジョルジオデキリコ、プリモコンティ、オットーネロザイなど、20世紀の巨匠として多くの世代が歴史に名を馳せてきたさまざまな世代のアーティストの絵画展も開催されました。

オークション

1880年、ルイージゴンネリは12日間連続でブックオークションを開催し、書店と並行して、収集品を手頃な価格で購入する機会だけでなく、公売を委託する活動も開始しました。オークションにて。

1960年代後半まで、本、原稿、絵画、彫刻、図面の多数の重要なオークションがサレッタゴンネッリで行われました。

ほぼ50年の長い沈黙の後、2009年にはに登録されたこの歴史的な活動GonnelliカサD'ASTEのブランドは、大きな成功を収めて「再活性化」されたお客様に、収集情熱と投資の組み合わせの下の世界へのさらなるアクセスを提供します透明で100年以上のプロ意識の庇護。

AMOR LIBRORUM

今、その第四の家族の世代では、書店やオークションハウスの両方がでアシストマルコ・マネッティ(AlfieroマネッティとMariapia Gonnelliの息子)によって管理されているスタッフが熟練した専門家の協力者の。

 ほぼ150年後、Gonnelliは歴史的な活動の伝統を維持し、育成することに成功しました。これにより、私たちを世界に結びつける書誌学者への貢献を提供します:「amor librorum nos unit」。

http://www.gonnelli.it

ここまでたどり着きましたか?長々とお付き合いありがとうございます。
おそらく、途中でわき道にそれたことでしょう。それで結構です。

この本で感じたことですが、世界中に本好きは数多いるということが感じられとても嬉しい気分です。情報はネットで取れますが、本は本であって、読書は本に限ると思います。

レコードはCDに取って代わられ、CDはデジタルダウンロード化されたように、紙ベースの本がデジタルブックにとって代わとは思えない。確かに一定数はキンドルや
デジタルブックにとってかわるかもしれませんが、この世に本好きがいる限り無理だと思う。

そして、「この美しい本屋さん」に紹介されたような本屋さんがある限り、本文化は廃れないのではないか。




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昨日青葉公会堂で映画道草をみてまいりました。

観てみようと思ったのは、パンフレットの道草の草の字の艸(くさかんむり)がタンポポの綿毛を意味するかのように二重に書かれて、大きく描かれたタンポポの綿毛が飛ぶ絵と相まって、私のアート好きのハートに突き刺さったからです。たぶん、プロのアーチストの方はやられたと思った方もいたでしょうね。

  

ストリーは、よくあるドキュメンタリー映画かもしれませんが、観おわってみると、いい映画を観たなという気持ちになりました。


私の姪はダウン症であるが、たまにしか会う事はない。会うと可愛くてならない、いつまでも天使のような子供でいるのだ。

だが、彼女の日常生活を私は知らない。同じように街で見かけるの知的障害がある人達の日常を見ることはない。

私の日常には障害者との接触は無い。おそらく障害者と世間との間には、同じように接触がない。
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映画パンフに載っている知的障害者の暮らしとは?

 知的障害がある人の暮らしの場は広がってきていますが「重度」とされる人の多くは未だ入所施設や病院、親元で暮らしているのが実情です。

 2014年に重度訪問介護制度の対象が拡大され、重度の知的・精神障害者もヘルパー付きのひとり暮らしが出来る可能性は大きく広がりました。

 そんな中、16年夏には相模原障害者殺傷事件が起きました。この街で誰もがともにあるために、新しい選択肢を見つめてみませんか?
2014年に重度訪問介護制度の対象が拡大され、重度の知的・精神障害者もヘルパー付きのひとり暮らしが出来るようになったというニュースは知っていたが、その内容にまで関心はなかった。

私は、介護者という存在を知らなかった。知的障害者は身内が介護しているものだと思っていました。診察とか食事の準備といった日々の行動を介助する方のようですが、ネットで調べても道草にでてくる介助者はよくわかりませんでした。国家資格があるわけではなく、障害者の介護をされている方みたいです。生活だけではなく感情面や精神面でのサポートをしています。

食べて寝て、電車に乗って、公園を散歩する。日々のなにげない生活を自分の思い通りできる自由は、施設に閉じ込められ一生を過ごす身障者にとっては夢のような生活なのかもしれない。

しかし、身障者にとって、本人の意志を尊重してくれる介護者の存在はけっして多いとは思えない。一昨年死んだ母も最後公的な介護なくして生きていくことは難しかった。

映画に登場する介護者の方々は、皆「菩薩」なのではないか?あんなふうに、わがままな障害者に辛抱強く向き合い一緒に生活するなんて普通の人間にはできない。ある意味で、みずから悟りの境地を求め修行する現代の行者に見える。己のためだけに悟りを得る為に山を歩き回る千日回峰よりもしかしたら、功徳が高いかもしれません。

障害者と向き合い、ときに葛藤している介護者や障害者の家族、そして障害者自身の話をこの映画は新鮮でした。

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この介護者の方は11年前から亮佑さんと知り合いだという。

このパンフレットの製作者で、ピュアな心で描く絵は、山下清画伯と遜色が無い。
器用にスケボーや一輪車を乗りこなす多芸な人だ。

両親は?と、こちらは亮佑さんの生い立ちを想像してしまう、なぜ、高校を卒業して一人暮らし?亮佑さんは作業所へ通っており寝起きを供にして、作業所へ送り届けて、お迎えをして二人で散歩して夕飯を食べる。

いったいどうやって生計をたてている?だいいち、亮佑さんの両親は?なぜ一緒に生活しないのか?両親は亮佑さんを捨てたのか?画面の裏側をどんどん想像してしまいました。

実は映画の後半、亮佑さんは月一度実家に帰り、両親家族と楽しく過ごし、また介護者と同居する自宅へ帰っていくのだ。両親は亮佑さんの自立を願って一人暮らしさせているという。

介護者と亮佑さんの生活は楽しそうだった。でも、介護者はアラフォーで、ご自身の結婚は?その家族は?仕事は?なぜ、彼に関わっているのか?昔の写真が断片的に写っていたが、下手な子供になった探偵の推理小説アニメを見るよりも、障害者の世界を知らない私にとって、謎が謎を呼び映画の断片から謎解きや想像を勝手にし始めていた。

少し経って、介護者は複数いて、交代で亮佑さんの面倒を見ているという。
日本はこんなに障害者に優しい社会だったのか?亮佑さんは恵まれている方なのか?

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宙夢くんの介護者の方が、おっしゃってたことが印象的でした。映画を見た後ネットで予告編を見たら、やはり取り上げてありました。
介護者は有名私立進学高を出て、国立大学に入り、エリートの道に進んでいたようでしたが、今は介護者をしておられる。介護者がエリートではないということではない。人間としての「徳」が、超エリートであった。

「なぜこういう人がこの世界に必ずいるんだろうって、いつも思っていました」「存在するからには、必ず意味があるはずだ・・・」と介護者の方は問い思っているようでした。

オーストリアの精神科医ヴィクトール・エミール・フランクルはユダヤ人収容所に収監された経験を持ち、ナチス強制収容所での体験を元に著した『夜と霧』のなかで、「”この人生に何の意味があるのか”だなんて問いかける必要はない」と言います。
そして次のようなことを、言っています。「どんな時も、人生には意味があります。
どんな人の、どんな人生にも意味があり、なすべきこと、満たすべき意味が必ず与えられています。ですから、人生の意味は何かと、問いを発する必要はありません。」

宙夢くんが存在する意味を問うてはいけません。我々は逆に宙夢くんに、自分の存在意義を問われている立場であり、我々が自らその答えを出さなければならないのです。

どのような人生であっても、人間はどう行動するか、どう生きるか選択することはできる。私たちの社会は、決して宙夢くんを放棄してはいけないと思うのです。

宙夢くんに幸せな人生をおくらせてあげようなど、目標ではないし目標であってもならない。かわいそうだから、何もできないのだからと、ベッドに縛りつけていればいいというものではありません。宙夢くんに人生に戦うチャンスを与えることさえできればいいと、思うのです。

映画では語られなかったが、障害者の内面はきっと苦しみに満ちているのであろう。気持ちを伝えられない苦しさ、もどかしさ。しかし、画面から彼らの心の中が見えるというのは傲慢なのかもしれないが、苦しんでいるのは、苦しむ勇気を持っている証なのではないでしょうか?

人並みの幸せは、目標ではないし、目標であってもならないと思うのです。
苦難と戦いは、人生を無駄にしない。そもそも苦難と戦いこそが人生を意味あるものにするのだと思う。障害者の方を見て、かわいそうだななんて思うのは傲慢なのかもしれません。
むしろ、戦っている立派な魂だと尊敬すべきなのかもしれません。


宙夢くんの場合は、母親が出てきて、壮絶な子供時代の話をされていた。
原因は何かあかさなかったが、宙夢くんは自閉症で5.6歳の頃彼の父が死に、赤ん坊の兄弟と、3人が残された。母は働かなくてはならなかったが、家中に排泄物を撒く宙夢くん、赤ん坊に暴力をふるう宙夢くん、母は、噛み付く宙夢くんに噛み付かせたままにした。ほとんど寝ずにふらふらになって勤めに出かけたという。

なんか、その話を聞いて、今は明るく話してくれた美人のお母さんを抱きしめたくなった。
気のせいだろうか、障害者のお母さんには美人な方が多い。苦労をして、人の優しさを知っているからなのか?単にたまたま知っている方が美人だったからなのかもしれません。

私の知り合いのご婦人は、私のダウン症の姪の事をブログで書いたことをきっかけで知り合いましたが、息子さんがダウン症で、それはそれは天使のような方でした。
ダウン症の子供は生まれる親を選んでくるといいますが、まさにそのような方でした。

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たぶん、出演された障害者の方で、裕一朗さんが、一番自分と戦っていた。
もどかしい自分と戦い、エスカレーションした場合、暴力的となってしまい周囲に迷惑をかけてしまうのであろう。以前入所していた施設で暴力を振るわれたことで、暴力的になってしまったというが、介護人や父親らの努力で、おちついた日常生活がおくれるまでになる姿は、感動的だ。

公園からの帰り道、電車を待つホームで、裕一朗さんがご婦人に触れてしまったという。
介護人曰く「私は警察でもなんでもなくて、彼を拘束するこはできない、ただ人に迷惑をかけないようにするガードマン・・・」

裕一朗さんにも性欲はあるかもしれない、いやあるであろう。身障者の日常をファンタスティクにまとめたいこの映画の趣旨にはふさわしくないのであろう、身障者の性欲というタブーには切り込まなかったが、存在を匂わせた。

裕一朗さんの戦いに集う人達、父親、NPO法人の介護人、練馬区の介護派遣の人達、まるで皆で海峡に橋をかけるようなプロジェクトのように裕一朗さんの介護方法を議論しあう。
なんて、生真面目な日本人なのであろう。
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あの、入所者19人が刺殺され、入所者・職員計26人が重軽傷となった津久井やまゆり園に入所していて実際に被害に遭った矢野一矢さん。

わたしは、犯人の元施設職員植松聖被告の行った行為はけっして肯定されるべきものではないと思うのだが、彼の気持ちもわからないでもない。

すべての被害者がどうだったかはわからない。あくまでも私の偏見と想像なのだが、障害者の方が、日常的に被告に対し入居者が言葉の暴力を加えていたのであろう。

菩薩ではない普通の人間が、職業として止むをえず、介護の仕事を選んでしまった場合悲劇である。

実は心の中で障害者を見下し、人間と思っていない障害者から毎日暴言を受け続ければ、普通に切れて暴力を振るってしまうのは、ある意味必然のことだろう。
健常者である人間は厳しい社会でなんら保護されないのに、障害があるというだけで保護され、それでも不満があるのか?という怒りが溜まっていたのであろう。

あくまでも外野の無責任な意見だが、津久井やまゆり園の事件では、被告だけを責めてはいけないような気がします。事件に到った被告の心のケアするような、仕組みやプログラムが不備であったような気がします。彼の同僚なり上司も、被告の心の傷にまで気がつけなかったことも悲劇であったのだろうと思います。

最後に、この映画とは関係ありませんが、身障者の社会進出という意味で、山本太郎率いる政党れいわ新選組に二人の身障者の国会議員が誕生しました。

この映画を観たり関心があり、このブログを最後まで読んでいただいた方は、おそらく私が感じるような強烈な違和感を感じていないと思います。

しかし、私は、山本太郎に強烈な違和感を感じてしまうのです。身障者に対する扱いは、実は山本太郎と
植松聖被告と同じではないか?単なる道具として扱い、同じ人間として扱っていないと思うのです。国会議員はきれいごとでできるものではないが・・・・
野党である限り、無責任に喚きちらす事は可能かもしれません。




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2月9日
鉄(くろがね)小学校の青葉区の研修会で東京五輪音頭2020の練習をしてまいりました。
 
1964年の東京五輪音頭の2020年バージョンでした。
唄は石川さゆりさん。竹原ピストルさんや加山雄三さんも歌っています。

でも、やっぱり三波春夫大先生の歌唱力は改めて凄かったんだなぁと思うわけです。
どうせなら、AIで三波春夫さんに東京五輪音頭2020を歌ってほしかったなぁ。
歌詞です。
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歌詞の内容は、無難ですが、歌いだしの♪ハァ~リオデジャネイロで眺めた月は♪は、♪ハァ~リオで眺めた月は♪にすべきじゃなかったかな?

さて、踊りなのですが・・・これの振り付けは難しい!
最初の動きは・・・2020を表現したものですとインストラクターの区役所の斉藤さんの説明に、???だった。 よくよく見ると漢数字で二〇二〇でした。


一応、下の振り付け説明を読んでから上の動画に合わせて踊ってみましょう。

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1.2回踊ったら、下のメモも見ると納得です。
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しかし、昨年渋谷で行われたイベントの動画を見るかぎり、振りが難しくって、練習した踊り手以外、一般の人は踊っていません・・・というより、踊れません。
最初の振り付けが漢数字の
二〇二〇であることを理解できなければ、いきなり壁で、その先に進めません。この振り付けを考えた人はちょっと・・・専門バカなのか、一般人を巻き込むようなムーブメントになりにくい踊りかなぁ・・。振り付けを考えた人は踊り手であってプロジューサー的ではない人ですね。




それでもビデオを観ながら6・7回踊って、輪になって2回ほど踊ったらまあ、ちょっとはおどれるようになったかなぁ。

                                        

2月8日町内会の令和元年の納会の余興で、落語家の
林家ひろ木さんが来られ、小話と落語、津軽三味線を弾かれてました。林家ひろ木師匠は青葉区あざみの在住で、林家きく翁師匠の弟子で最近真打になったそうです。

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落語の演目は、
ダイジェストでしたが、初天神でした。


冒頭の枕・・・日本の昔話

昔々、ちょっと太めのおじいさんがいました。・・・・・こぶとりじいさん。
昔々、おじいさんが罠にかかった鶴をたすけてあげました。数日後若い娘が恩返しがしたいとやってまいりました。絶対に部屋を覗かないで下さいと言って、翌朝覗いてみると、部屋の中が空っぽになっていました。鶴じゃなくてサギだったか・・・

・・・・使い古された小話でオイオイと思っていました。

昔々おじいさんが、ポチという白い犬を飼っていました。ある日おじいさんと散歩をポチは畑から宝の匂いがして、穴を掘りはじめました。家に帰りたいおじいさんは、犬の尻尾を強く握って引っ張ります。すると、ポチがおじいさんに向かって・・・
と、言いかけたところで、私は、師匠といっしょのタイミングで言うつもりでしたが
「はなさんかじじい!」と、落ちを先に言ってしまいました。

師匠が動揺してしまったので、「尾も白いお話でしたね」とトドメを刺してしまいました。

もし私が落語家だったら、客に落ち先に言われたら、もう一つ二つ昔話小話で畳み掛けてやりますけどね。師匠は落語に移りました・

一応昔話ネタは私の引き出しにしまってありますのでご披露します。

昔々、太郎君が亀吉君のところに遊びに行くと、入り口が閉まっていましたので勝手口へ回ろうとすると、中から亀吉君が 「裏しま
ってる太郎」「浦島太郎」。

昔々ある日子供が池のそばで遊んでいると、池に落ちてしまいました、すると池の中から神様が現れ、二人の子供を抱きかかえていました池に落ちた子供はどっちかね?「金の太郎」です。「金太郎かぁ」

昔々、箪笥を売っているお姫様がいました。・・・かぐや姫!やがてそのお姫様はおじいさんさんと喧嘩わかれしてしまいました・・・・大塚かぐやか!


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数年前から友人と神田川・日本橋クルーズ体験をしようと計画しておりましたが、仕事が入ったりで度々ながれ、今年は10月16日と調整しておりました。ところが台風の上陸が相次ぎ10月13日の台風19号で今回も中止かと諦めかけました。幸なことに、東京都心に限っては長年の治水事業の成果ででょうか、当日は通常運行されました。実際に船からの景色は、まるで何事もなかったかのようでした。江戸~東京そして未来の東京の治水について感じるものがありました。

神田川クルーズ90分体験

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乗り場は日本橋のたもと、野村證券本社ビルの目の前です。

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乗船場(日本橋 防災船着場
この
この乗船場は平成7年1月の阪神・淡路大震災を契機に災害時における河川舟運の有効性が注目され、災害時河川による物資輸送を想定し都内各所設けた防災船着場が整備されました。折角のインフラを有効活用する目的の一つとして、観光/社会見学用に神田川クルーズが始まったとのことです。2010年にタモリ倶楽部でタモリさんが神田川を探検した回は大変興味深く、私も是非参加したいと思いましたが、そう思われた方々が非常に沢山いらっしゃったということですね。
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防災船着場については都内河川に現在合計 94 箇所(既設 69 箇所・計画 25 箇所)ありますがそれにくわえ、東京湾岸にも東京港防災船着場整備計画として、現在の13箇所→38箇所に整備する計画です。下手をすれば都内の電車駅数654駅717駅)とまではいかないが、都内のJR駅数141駅に匹敵する。私が思った以上に都内には水上交通を活用できるインフラが揃っています。
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神田川・日本橋クルーズの船 エスエスNANO1号(40名)

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乗船開始です。
 
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先に団体旅行の小型のチャーター船が出発でした。我々の船は救命胴衣は着けません。

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日本橋を出発し、日本橋川を水道橋方面の上流へ遡ります。

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時計回りで日本橋川→神田川→墨田川→日本橋川に戻るルートです。
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日本橋を出ると
旧大和証券本社ビル跡に東京駅前常盤橋プロジェクトのA塔の建設風景が見えます。
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東京駅前常盤橋プロジェクト
ちなみにB塔は
日本一の高さとなる地上61階、高さ390mの超高層ビルとなる予定です。
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日銀本店ビルが見えます

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常磐橋の解体復元作業
2013年より行われている修復工事は、石垣の石一つ一つの付き方方向を記録しながら同じように組み立てていくという気の遠くなる作業です。
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船は本当にギリギリで通過しました。

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首都高都心環状線 神田橋JCT

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鎌倉橋付近
江戸城建設の際に相模国鎌倉から運んだ木材や石材を荷揚げした河岸があり鎌倉河岸と呼ばれたため付近の町は「神田鎌倉町」と名付けられ本橋も鎌倉橋と称するようになったとのことです。
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神田橋
橋名は、かつてこの付近にあった神田明神に由来します。
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一ツ橋IC付近
完全にこの付近は空が見えず、高速の道路底辺が暗い。まるで地下水路のようです。
江戸時代の石垣が壊されコンクリートの首都高の橋脚となってしまったのは残念なことですが、それも歴史の一部かもしれません。

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俎板橋(まないたばし)靖国通り
このあたりは首都高速5号池袋線

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新三崎橋付近
この付近でようやく首都高の下から抜けます。

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中央線鉄橋

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総武線の鉄橋は国鉄の前身甲武鉄道時代から120年以上使われていいます。レトロで美しいレンガづくりの鉄橋。残念なことに総武線を利用している人のほとんどが優雅な鉄橋を渡っていることに気がつくことはありません。

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ここで、日本橋川と神田川が合流(分流)します。

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千代田区千代田清掃事務所 三崎中継所

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東京都内には約140の河川や運河が流れており、江戸時代、物資の運搬は主に水路が利用され、水運は江戸の都市機能を支えていました。三崎中継所は千代田区、文京区、台東区の不燃ごみを収集し、そのごみは神田川から運搬船で埋立地へと運ばれる。今東京の水路を行き交うのは観光船が多いなか、不燃ごみを東京湾の埋め立て処分場まで運び、水路を現役で利用しています。

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水道橋

水道橋は江戸時代初期に神田川の開削に合わせて架けられたのが始まりで、当初は現在よりやや下流に位置していたそうです。現在の橋は1988年(昭和63年)3月に架け替えられたもので、先代よりやや大ぶりの橋となった。

やや下流には先代水道橋も架かっております。
1928年(昭和3年)に、架けられた鋼橋です。

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その先代の水道橋ですが、大東亜戦争の米軍の空襲による傷跡が残っています。

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水道橋駅

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このあたりの神田川は狭く両脇がビルなので、まるで都会の峡谷のようです。

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神田川御茶ノ水分水路
謎の横穴お茶の水分水路

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直径 8.8m 全長 760m 本郷台の地下に位置

神田川の治水対策にはそうとうお金がかかっています。江戸に幕府が開かれて400年、江戸幕府以来築いた治水対策はあの台風19号でも都心部はなんとか守られた。日本人の努力の賜物であったと思います。

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いよいよ、神田川最大の見所、神田川の渓谷 御茶ノ水切り通しにはいります。

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昔は丘の尾根であった場所を人力で切り通すのであるから凄い!


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(江戸城の惣構え)
 「惣構え」とは、いわゆる城を取り巻く外郭、またはそれに囲まれた内部のこと言い、城の他  城下町一帯を含めた外周を掘りや石垣、土塁で囲い込んだ日本の城郭構造をいう。  秀吉が落城させるために時間がかかって難儀した小田原北条の小田原城の惣構えは、城下町の外周2里半(約9km)に及ぶ日本で最初の本格的な「惣構え」が出来ていた。  小田原城包囲で全国から参戦してきていた、各地の城主達は、小田原落城後 自分の城に戻って、小田原城を範とした、近世の城郭構造、「惣構え」構造への改修工事が、各地で始まってゆくことになる。  その代表のひとつが前田利家の金沢城の惣構えでもあり、他に京都の町を囲んだ、秀吉の「御土居」等も典型的な惣構えでもあった。 信長によって生まれた安土城の中世城郭構造は、小田原北条の小田原城惣構えによって、その後の中世城郭構造の転機となる影響を及ぼしていた。

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 江戸城自体も惣構えの構築が進んでいくのだが、江戸城防禦のウイークポイント部分があった。  ある時、家康と仙台藩祖・伊達政宗が江戸城内で将棋楽しんでいたところ、将棋の勝負で窮地に陥っていた政宗は、思わず 「次の一手は神田山か!」 とつい思わずつぶやいてしまったというエピソードがある。  家康は政宗のこのつぶやきに戦略意図の潜在的な思いが吐露されたことに気付いていた。  確かに奥州の雄、伊達政宗は、加賀の前田利家と並ぶ、家康にとって手ごわい武将の一人で、その政宗も江戸城の攻略は、神田山を降りてゆけば江戸城の大手門に難なく進軍できることを前々から睨んでいたのだ。  確かに神田山方向は江戸城防禦の最大のウイーク・ポイントであった。

(神田川開削プロジェクト)
 二代将軍・徳川秀忠の時に、平川下流域の洪水対策、及び江戸城東北方の防御の守りを一段と固めるために、平川を付け替えて外堀にすることが企図されていた。  すなわち小石川から南流して日比谷入江に注いでいた平川の流路を東に向かわせ、神田山と呼ばれる、本郷台地を切り通し、舌状台地を湯島台と駿河台に分断して、現在の御茶ノ水に人工の谷を開削する大プロジェクトであった。

 徳川秀忠は、大阪夏の陣が1615年(元和元)5月に一段落して間もなく、この神田川開削プロジェクトを仙台藩祖伊達政宗に命じている。  徳川幕府は、長期政権維持するために家康以来、様々な工夫を打ち出していた。例えば参勤交代制度などの他、江戸城整備等を命じ、外様大名を財政面で苦しい状況に追い込んでいたのだ。  
 徳川秀忠が命じた、神田川開削プロジェクトは、江戸城防禦の守りを更に固めると同時に、東北の雄藩、政宗の仙台藩に工事の為の財政負担を強いる目的もあったのである。

  兎に角、この神田川開削プロジェクトは、驚くことに海抜0mに近い、平川の流れを海抜20m弱ほどある、本郷台地を開削して深い渓谷を造り出す大土木工事であった。  それが江戸時代の、コマツのパワーシャベルやブルトーザーやダンプトラックもない、鍬とモッコの時代の大土木工事であった訳だ。  もっとも仙台藩は、それまでに仙台湾に沿う貞山掘り運河の土木工事の実績があった。  秀忠の命を受けた仙台藩祖・伊達政宗が現在の飯田橋駅近くの牛込橋付近から秋葉原駅近くの和泉橋までを担当して工事に取りかかり、約5年を費やして、1620年(元和6)に神田山と呼ばれる本郷台地の舌状台地は、湯島台と駿河台とに分断されてしまった。

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神田川より順天堂大学病院(手前)と東京医科歯科大学(奥)のビルを仰ぐ
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川面から見上げる湯島本郷方面。川からはだいぶ高低差があり、神田川が本郷台と駿河台を二つに分けます。

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JR御茶ノ水駅と新御茶ノ水ビルディングを望む

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新御茶ノ水ビルの後ろは、デジタルハリウッド大学などが入る御茶ノ水ソラシティ
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御茶ノ水橋
駿河台のメインストリートである明大通りに架かる御茶ノ水橋


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工事中のJR御茶ノ水駅
JR御茶ノ水駅改良プロジェクト
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完成予想図

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聖橋
両岸に位置する2つの聖堂(湯島聖堂とニコライ堂)を結ぶことから「聖橋」と命名された。橋は船から見上げた時に最も美しく見えるようにデザインされていると言われていたので、聖橋を船から眺めた景色は今回のクルーズの一番の見所でした。

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御茶ノ水で大学時代を過ごした私でしたが、いつか船から聖橋を眺めるというちょっとした夢がかないました。
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地下鉄丸の内線の鉄橋の下を潜るのも そうはない体験です。ちなみに東京メトロ丸の内線は四谷駅付近・後楽園駅付近・茗荷谷駅付近とここ神田川の鉄橋と4箇所地上を走ります。
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2019年デビューした丸窓がついた赤い丸ノ内線の新型車両「2000系」
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船は、地下鉄丸の内線を鉄橋を通過する姿を眺める為に暫し止まっていてくれました。

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外堀通り沿いの神田須田町のレトロな建物群、老舗ビリヤード専門店 淡路亭が有名です。
奥の高層ビルは秋葉原ダイビル


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昭和7年に架けられた総武線神田川橋梁。八の字のラーメン橋は、松住町架道橋と並び秋葉原電気街のランドマークとなっています。ちなみにラーメン橋ラーメンとは、「骨組み」を意味するドイツ語のRahmenに由来するもので中華そばのラーメンではありません。
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こちらもレトロな旧万世橋駅を再生したマーチエキュート神田万世橋 元の交通博物館である。
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先ほどの御茶ノ水分水路の出口は昌平橋のたもとにありました。ちなみにマニアックな神田川暗渠クルーズ(お茶の水分水路、水道橋分水路)というのも、あったらしいです。

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秋葉原の高層ビル群、JR神田万世橋ビル(手前)・住友不動産神田ビル2号館(奥)
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リバーサイドオープンデッキがあるデニーズ秋葉原中央店
今度行ってみたくなりました。

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美倉橋
ゆりかもめが飛来していました。クルーズ船の方は、この鳥を見かけると秋が深まったと感じるそうです。うみねことユリカモメの見分けかたは、ゆりかもめはウミネコに比べ小型で、くちばしと足がみごとな赤いろになっているとのことです。
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この先水路は狭くなるので対抗船が来るとのことで、10分弱ほど停船していました。ちなみに緑の船が国土交通省の船で、船の行き来を監督しているようです。さんざん待ってやってきたのは千代田清掃事務所へ向かうはしけでした。

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はしけが過ぎて動き出した船は柳橋の船宿街に入ります。
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船宿とは、もともと江戸時代~明治初期、港町におかれた入港船舶の乗組員のための宿屋でしたが、時代とともに船遊び・釣りなどのために貸し船となり、現代では水上での宴会をする料亭を営むようになりました。
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浅草橋を挟んで上下流に船宿が並びます。
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浅草橋

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柳橋付近は浅草から東京湾に向かう老舗の船宿が多く立ち並びます

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船宿の屋形船はそのほとんどがFRB製の船となってしまい、昔ながらの木造屋形船は都内では画面中央の赤い船第七小松丸だけだそうです。ちなみに、徳川将軍家の御座船を模しているとのことです。
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木造屋形船の船宿小松屋さん
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船は神田川から隅田川へ、写真では分かりにくいのですが、比較的透明だった神田川と違い、台風19号の影響で、隅田川は黄色く濁っておりました。
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神田川河口、緑の橋は柳橋です。
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スカイツリーが目に飛び込んできました。

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首都高速6号線と7号線両国JC付近
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隅田川の女王エメラルダス号
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松本零士氏デザインのエメラルダス号は2005年に就航したヒミコ、2013年のホタルナに次ぐ第3番船として今年(2019年)に就航したばかりです。
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松尾芭蕉史跡展望庭園
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小名木川河口
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化粧直し中の清洲橋
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新大橋
昔の情緒ある旧新大橋は現在明治村に移築されているそうです。

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隅田川大橋と佃島のタワマン群

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Diwaリバーゲートビル旧リバーサイド読売ビル、現在低層階はマンションで上層階のオフィス塔には吉野家HD本社などが入居しています。
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このビルの空間は、後のビルへの日照の確保の為だそうです。

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絶景の隅田川清洲橋とスカイツリー
この日は晴天ではなく、青空がバックではなく非常に残念でした。
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巨大構造物フェチにはたまらない箱崎JC
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旧山一證券本社ビル現在は茅場町タワービル
このビルを見るたびに、同じ業界に勤める私は、あの号泣会見を思い出します。 

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豊海橋をくぐると再び日本橋川です。

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首都高速6号箱崎JC付近で・・・うぁ!ッスマホのバッテリー切れだ!・・・・
ということで、残りはYoutubで検索した動画でお楽しみください。









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船をおりるとおなかがへったので、かねてより行きたかった、日本橋の天丼の老舗金子半之助本店にて江戸前天丼980円を頂きました。



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地下40mの「超巨大水路」で水都・東京の復活を!

目指すは東京の水不足解消&観光開発。大林組「スマート・ウォーター・シティ東京」構想

東京が、実は“世界有数の水不足都市だ”と聞いてにわかに信じられるだろうか? 「未来の都市構想」を紹介する本連載の第2回は、そんな東京の水問題を解消すると同時に、景観や交通網を大胆に構想する大林組の「スマート・ウォーター・シティ東京」を取り上げる。同社テクノ事業創成本部PPP事業部 葛西秀樹部長に話を聞いた。

東京の地下に巨大な水のトンネルを築く!
  
かつて東京は、“東洋のベネチア”と呼ばれる「水都」であった。

東京の街は、前回(1964年)の東京五輪で大きく変わった。江戸期に徳川幕府が百万都市を築き上げる基盤となった舟運のための運河は、高速道路や地下鉄へと置き換わった。

そして、世の中が2020年の東京五輪開催決定に盛り上がる中、広報誌『季刊大林』56号(2015年11月30日発行)の企画を検討していた葛西さんは、ある構想を描く。

「“水都復活”をテーマに『スマート・ウォーター・シティ東京』構想を思いついたんです。先の東京五輪で失った東京の魅力を、次の東京大会で復活させてはどうか、と」

『スマート・ウォーター・シティ東京』構想の核は3つある。

まず注目したいのが、ページトップに掲載した画像「ウォーターズ・リング」。都心の地下40m以上の大深度地下に、全長14kmにわたる地下トンネルを建設する構想だ。

「皇居のお濠の下あたりに、内径14.5mのトンネルを2本造って、雨水を大量にためる構想です。わが社の持つ現在のトンネル技術で建設可能です」

トンネルの主目的は、防火用水としての雨水の活用や、局地的なゲリラ豪雨の受け入れなど「都市の防災装置」。だが面白いのは交通システムとしての活用だ。

「トンネル内を水陸両用車の“アンフィ・モービル”が走る提案をしています。地上の運河とエレベーターで接続され、交通網として活用します。アンフィ・モービルは自動運転でコントロールされるので、渋滞や事故に巻き込まれることもなくなります」

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ウォーターズ・リングと、雨水の注入・放水および、地上の運河からの出入り口ともなる「SWN(スマート・ウォーター・ネットワーク)ゲート」の位置を示した図。リングは二重、ゲートは都心5カ所を想定

手に入れた水資源は観光資源に

この構想のもう一つ大きなポイントは「水不足の解消」だ。

世界規模での「水不足問題」を考えると、東京も例外ではないと葛西さんは言う。

「狭い範囲にたくさんの人が暮らしている東京は、実は世界有数の水不足都市なんです。多摩川や利根川など『周辺の広い地域』から水を集めることで成り立っているんですが、実際2016年にも水不足は起こりました」

温暖化によって気候の変動が大きくなっているため、今後は局所的な「ゲリラ豪雨」への対策も必須だ。

「現在の下水道網では、ゲリラ豪雨などに耐えられなくなってきた。既に地下に巨大な貯水施設は造られているので、ウォーターズ・リングでは、この水資源を有効活用できないか、という着想もありました」

こうしてためた雨水を地上の建物へと融通する「スマート・ウォーター・ネットワーク(SWN)」という構想が2つ目の核だ。

SWNにより雨水が有効活用できるようになれば、内陸でウォーター・レジャーが可能になるという。

「(水資源に余裕ができることから)現在、他県から取水している水の一部は、玉川上水を通じて外濠・内濠に流すことができるようになります。そこで、お濠をつなげ直して水が流れるようにすれば、水がよどまないのでお濠の水景が美しくよみがえります。水がきれいなら、都心でもウォーター・レジャーを楽しむことが可能です」

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ウォーターズ・リングによって、美しい水景が復活した市ヶ谷周辺の景観を表したCG。両岸や橋の上に江戸風情を演出した店が立ち並ぶのは、スカイツリーを手掛けた同社らしい発想だ

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神田川から望む秋葉原の夜景。海抜が低いエリアは、潮汐により水位が上下するため、小型ボートにさまざまな機能を搭載した「ユニットボート」でにぎわいを生み出す。このユニットボートは、災害時の防災機能も備える

豪華客船の玄関「メガフロート」を東京湾に

最後の核が「水都にふさわしい玄関口」を造ることだ。

日本各地に多くの大型客船が寄港していることはご存じだろうか? しかし実は、日本の首都・東京へは大型客船が入ってこられないという。

「理由はレインボーブリッジ。橋が低いので超大型客船が通るのは難しいのです。建設当時、乗客約2000人のクイーンエリザベスII号の来航を想定し、海面から橋桁までの高さ52mで設計されましたが、現在の客船はさらに大型化が進んでいますから」

そこで提案するのが「東京ウェルカム・ゲート」。

東京湾内にメガフロートを造り、水上交通網の起点とする構想だ。

「玄関口であり、東京に一番近いリゾートにしたい、と考えました。羽田空港沖の水深10~15mほどの海域に、外径1kmのリング状の“水上の街”を建設します。この辺りは水質もいいので、マリーナや砂浜、サンゴ礁を人工で造って、マリンレジャーが楽しめるよう整備します。ここから、アンフィ・モービルや小型船に乗り換えて、都心部へ入っていけます」

実際、東京都は2020年までに、青海地区に世界最大のクルーズ客船に対応する新客船ふ頭を整備することを2015年12月に発表している。その際にこの東京ウェルカム・ゲートについて、東京都からヒアリングがあったという。

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『季刊大林』56号の扉も飾った、「東京ウェルカム・ゲート」の完成予想CG。建物屋上の太陽光発電パネルと潮力発電施設を備え、このリゾートで必要とする電力は自給自足する

スマート・ウォーター・シティ東京のエネルギー貢献

EMIRA編集部としては、雨水をためることで可能となる「ヒートアイランド対策」にも注目したい。

この構想には、都心の気温上昇を抑えるための対策が盛り込まれているのだ。

「ためた雨水を細かく流れの速い“毛細水路網”として散水することで、ヒートアイランド現象を抑制します。また、ウォーターズ・リングに貯水する際に地下50mまで落とすので、その際に発電して、くみ上げる際の電力として使うこともプランに含めています」

このように、世界有数の都市・東京において、水をどのように活用するかを考えた「スマート・ウォーター・シティ東京」構想。

残念ながら具体的な事業として計画されたものではないのだが、発表時に大きな反響を呼び、そのアイデアは東京の観光ビジネスや都市計画に、まさに水のように浸透していっている。「水都・東京の復活」も、そう遠くない未来に実現するのかもしれない。

かつて江戸はかつては豊富な水と共存する水の都、水都でした。
江戸時代、江戸は徳川家康が都市計画物資を運ぶために整備した河川や運河が縦横に張り巡らされておりました。1964年の東京オリンピックに向け、運河や川は埋め立てられ、水景は一変してしまいました。その象徴は神田川・日本橋クルーズの出発点でもありました日本橋です。江戸・日本橋の象徴日本橋です。現在日本橋は2020年東京五輪・パラリンピック後、工期は未定だが、10~20年かけ首都高を地中化する大プロジェクトが控えてます。
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江戸時代、人々は隅田川とその支流・運河、外濠・内濠に流れる水と共存していました。
船が物流の主力であった時代、水路をはメインストリート街の顔でもありました。
21世紀も水を有効活用したエコシステムは復活する兆しがあります。江戸の知恵を現代に取り戻し、都心で必要な雑用水を雨水利用に切り替えるていこうという動きは実にスマートであります。

実は東京は人口一人当たりで考えると、世界的にも有数の水不足な都市でもあります。
また、19号台風に耐えましたが、有数の洪水危険都市でもあります。

東京湾に流されているだけの未活用な雨量を有効し、大深度地下に巨大な貯水施設を整備する事により、都心部の降水を大量貯水し、循環活用を狙う「スマート・ウォーター・ネットワーク」のアイディアはなかなか素晴らしいアイディアだと思います。

都心の水量をコントロールするとともに、水上交通網を整備する「運河復活」は東京の更なる発展をもたらすと思います。

神田川・日本橋クルーズは東京の歴史と未来をいろいろと考えさせる体験でした。

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私は、一番良かった映画は?と聞かれると、いつもBlade Runnerと答える。
他にも素晴らしい映画は数多あるけれど、自分にとって青春の1ページを飾る印象的な映画であるからかもしれない。

私がBlade Runnerを初めて観たのは映画館ではなかった。

映画が公開された翌年、明治大学駿台祭が終わった1983年11月6日早朝、今は無き学生会館3階美術部部室前のホールであった。

前日11月5日駿台祭のフィナーレは山手線を一周するオーバーナイトハイクであった。酔った勢いで前日の確か10時から明治大学の記念館から歩きはじめ、一晩中山手線に沿って50kmほど歩き、朝日が昇る頃、全員くたくたになって部室に辿りついた時だった。

確か米津先輩だっただろうか?当時はまだ高価だったβマックスのBlade Runnerのビデオをホールの大型TVと繋ぎ、そこにいた部員たしか二十数人と、当時付き合っていた後輩の彼女と並んでブラウン管のTV画面を全員で食い入るように観た。

徹夜で歩いた後、晩秋の朝の冷たい空気と、新鮮な朝の光の中で観る、陰鬱で温暖化で雨ばかり振る近未来のロサンゼルスを舞台にでくりひろげげられるSF作品は、当時バブル目前の活力があって明るい80年代の日本、暗く不安な近未来という対比的なシチュウェーションも印象的だったが、圧倒的な映像美と、ヴァンゲリスの音楽に強い刺激を感じざるをえなかった。漠然とした未来への不安、若い自分に、今を生きることの大切さ、人間とは何か人生とは・・・・、私は深く考えさせられた。
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あれから三十数年の時が流れたが、あの時の感動は今も忘れられない。

2049を語る前に、まずはオリジナルのBlade Runneが如何に偉大な映画であるか、私なりの解釈を語りたい。


上の動画の月曜ロードショーは1986年のものである。日本語や漢字ががあふれる未来社会を荻昌弘氏は新鮮な驚きとして語っていましたが、ブレードランナーの世界観は、後のSF映画含めアニメや小説マンガすべてに多大な影響を与えた作品だ。
例えば、世界的ヒットとなった日本のマンガ攻殻機動隊の世界観や映像の根底にブレードランナーがあるの誰が見ても明らかだ。


レプリカントと電脳を持つ擬体、世界観は確かにそっくり、いや、ほぼ同じである。
ブレードランナーは攻殻機動隊に、攻殻機動隊はマトリックスに、マトリックスはその後に続くSFに多大な影響を与えています。ブレードランナーはSF映画の金字塔であると思います。

<オリジナル ブレードランナーあらすじ>

【すぐにわかる】ブレードランナー 手書き紙芝居【完全ネタバレ】



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2019年の地球では環境の破壊によって人類はそのほとんどが宇宙へと移住していました。そんな中、地球に残った人々は人口過密状態である大都市の高層ビルが沢山並ぶ中、生活を強いられる事になっていました。

人類は宇宙の開拓のために人造人間レプリカントを作り出した。レプリカント達は奴隷のような過酷な仕事に従事させられていた。レプリカント達は時が経つにつれて「感情」が芽生え始め、人間に対して反旗を翻すようになっていきます。

レプリカントを開発したタイレル社はそんなレプリカントに対して安全装置である4年の寿命を与えますが、その後も反乱は後をを立たずそんなレプリカントらを「解任」(殺害)する任務を遂行するのが専任捜査官の「ブレードランナー」で、そのブレードランナーの一人がデッカードであった。

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デッカードは、ブレードランナーの仕事に疑問を抱き、一時辞めていただが、潜入した4体のレプリカント達は、開発元のタイレル社に押し入り、ブレードランナーを殺害、そして身分を置き換えて潜伏する事件が起きた。

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その4体を見つけ出すために、ブレードランナーを退職していたリック・デッカカードは呼び戻される事になり、雨が降り続くLAというよりどこか東京に似た近未来都市で、レプリカントの追跡捜査を始める。

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捜査の過程で、レプリカントを製造したタイレル社に訪れ、創業者タイレル博士の秘書であるレイチェルと出合う。

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タイレル博士はレプリカントかどうか見分けるVKテストに興味を持ち、試しに人間であるレイチェルに試しにしてみては?

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デッカードに提案レイチェルに試してみたところ、彼女はレプリカントであった。

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彼女は自分がレプリカンとであることを知らなかった。過去の記憶も持っていた。彼女は自分がレプリカントではないかと気が付いてしまった。

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そんななか、タイレル博士が反乱レプリカントのリーダーバッティに自宅で襲われる。何故反乱を起こしたかというと、あらかじめ寿命が決まっている運命を知り、寿命を伸ばせないか博士に直談判しようとしたのだ。

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バッティが生みの親タイレル博士に詰め寄り、寿命を延ばすよう頼むが、タイレル博士は一言「美しい火は早く消えるのだ」一度、人造人間として生命を持ったものの寿命を延ばす方法は無かった。絶望と憎しみに満ちた表情でバッティは博士を殺害した。

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イメージ 31デッカードがバッティを発見するが、バッティは屈強で、デッカードはあやうく殺される寸前となった。ところがバッティはデッカードを助けた。

Blade Runner - Final scene, "Tears in Rain" Monologue (HD)

そしてバッティはデッカードに語りかける。

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「お前たち人間には信じられない光景を俺は見てきた、オリオン座の肩の近くで炎を上げる戦闘艦、暗黒に沈むタンホイザーゲートのそばで瞬くCビーム、そんな記憶もみな、時とともに消えてしまう。」「雨の中の涙のように」「俺も死ぬときがきた・・・・」

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そして、聖者が入滅するように座ったまま動かなくなった。
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バッディの寿命が尽きたとき、バッディの飼っていた白い鳩がまるで魂が体から解き放たれたように飛び立って行った。

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最後のシーンはデッカードがレイチェルとともに、森林地帯をタイヤで地上を走る車でどこまでも遠くまで走って行くシーンで終わった・・・
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まさか35年後、正統な続編のブレードランナー2049に続くとは思わなかった。


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ブレードランナーの魅力はオープニングの京浜工業地帯のようなLAの空を飛ぶ車と、巨大なタイレル社ビル、そしてサイバーパンクなあの荒廃した東京のような未来都市かもしれない。事実近年の世界的なブームとなっている日本観光現象は、ブレードランナーに代表されるサイバーパンクな世界が現在の東京で実体験できることにあるかもしれません。
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ブレードランナーは未来がバラ色ではないという「ディストピア」を描き、陰鬱さと人間の心の闇を投影するイメージとして、無国籍でアジア的な東京の夜が一種のイメージとなったのであろう。
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実際の東京は
ブレードランナーの荒廃した世界ではなく、ブレードランナーのサイバーパンクテイストがある安全で、ハイテク都市であったのだから人気が爆発してもおかしくはないだろう。

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当時、漢字や日本語に溢れる近未来のLAの映像に、1983年の私は、なんだか嬉しい気持ちになった。当時日本人がLAやNYに憧れていた時代、ハリウド映画でここまで日本に関心を持ってくれたことはなかった。

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1980年にアメリカ・NBCで制作・放送されたテレビドラマSHOGUNはあったものの、強力わかもとには驚いた。

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上の動画の守鍬刈雄氏ブレードランナー論もかなり面白く聞かせていただいた。
名作とは10人いれば10以上の解釈があるものが名作の条件のような気がします。
ブレードランナーも10人いれば10以上の解釈がある作品であると思います。

ブレードランナーは確かにハリソン・フォード演じるブレードランナーのデッカードの物語ではあるが、ブレードランナー2019の真の主人公は、レプリカントのリーダーであるロイかもしれない。ロイが語るレプリカントとして生まれた生物が語る人間とは?生物とは?魂とは?哲学的である。

この宇宙は、我々の脳が見ているヴァーチャルリアリティーかもしれない。最新の科学の量子論宇宙は実は、フォログラフィかもしれないという仮説すらあるのだ。
それでもデカルトは、宇宙や自分の存在が疑わしいものであったとしても、疑っている自分がそこに存在しているという。我思うゆえに我あり。

レプリカント達も現在急激に進化をしているAIも、もし、自分の存在を認識するようになったのならば、ただの人工的な道具ではなくなるのかもしれない。

物語のレプリカントには自我という感情以前に自己保存の本能が備わっている。
一つ疑問なのだが、人間の胎児は母親のおなかの中で言語の基礎を学ぶのだそうだが、人間はが何年も時間をかけ、様々のことを体験し学習するのだが、現実問題として、将来レプリカントの脳にコンピューターをプログラミングするように、直接記憶を埋め込むことが技術的に可能なのか?

レプリカントはなぜ人間になりたがるか?長生きしたいからだろうか?私はそれだけではないと思う。人間は常に自分は何者なのかを問い続け、生きることに努力を傾け、やがて死を受け入れる物体であるならば、映画におけるレプリカントは人間であった。

感情(自我)を持ったレプリカントは人間とどう違うのか?自我を持ったレプリカントは人間のと同じではないのか?と問うている。

人間とレプリカントは本当に違うのですか?という映画なのだが・・・今のリアルな2017年の世界において、AIが急激に進化している。果たしてAIが自我を持つかは誰にも解らない。

そもそも自我とは霊魂と一致するのだろうか?自我と、超自然的な霊魂が一致するならば、脳が無い機械的には霊魂は宿らないのか?そもそも機械的脳の思考こそ自我の正体ならば、AIには自我が宿るような気がする。

霊魂の存在を認める立場からすると、時として人形に魂が宿ってしまうように、レプリカントのような人造人間が完成すれば、レプリカントにも魂が宿ってしまうのだろうか?すくなくとも体を持たないAIには魂が宿るのだろうか?機械的な脳であるAIが自我を持った瞬間、霊魂が宿るような気がしてならない。

Blade Runner 2049のAIジョイには物語としてAIにも魂が宿っていた印象だ。
わたしは多くの人と同じくやがてAIも自我を持つようになると思う。その時に人はAIの自我を尊重できるのであろうか?

ブレードランナーは米国キリスト教原理主義者とリベラル派の葛藤が隠れているような気もする。SFの古典アイザックアシモフ I ROBOTでロボット三原則を作ったが、その根底にはキリスト教徒にとって、ロボットやレプリカントなど人間が作った人形は神をも畏れぬ悪業なのだろう。

また、レプリカントを移民に置き換えると、現代においてはかなりデリケートな問題も内包していることになる。レプリカントではなく人間の難民に生きる権利はあるのだが、容赦ない現実は、ブレードランナーがレプリカントを始末するように、神は無慈悲だ。


SF映画の金字塔「ブレードランナー」(1982年、リドリー・スコット監督)の続編「ブレードランナー2049」が全国公開中だ。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督(50)は、生態系が壊れ、退廃的な空気に満ちた前作の世界観にどう肉薄したのか。(高橋天地)



前作から30年後、2049年の米カリフォルニア。宇宙開拓の労働力「レプリカント」(人造人間)を取り締まる専門捜査官「ブレードランナー」のK(ライアン・ゴズリング)はある事件の捜査中に巨大な陰謀に気づく。彼は30年前、女レプリカントと姿を消したブレードランナー、デッカード(ハリソン・フォード)が全容解明につながるキーマンだと突き止め…。

「10代後半の頃から、数千回は見ました。スコット監督はビジュアルを大切にする方で、退廃的で悪夢のような世界観に深く魅了された。僕も彼のような映画監督になりたいと思いました」とヴィルヌーヴ監督。

夢をかなえたかつての映画少年は、どんな作品づくりを心がけたのか。

「人間とは何か、というテーマは前作と変わらないし、受け継いだものはたくさんあります。ただ、スコット監督と私は違う感性の持ち主であり、当然、異なる視点で描いた部分もあります」

具体的には、舞台となった2049年のカリフォルニアの、とりわけ厳しく雨も雪も多い気候だ。

「生態系が一層崩れて気候が変わり、雪の嵐がくると考えた。続編の世界観への入り口を“冬”に設定したのです。描くにあたっては、私が生まれ育ったカナダの冬を意識しました」

1982年、前作は陰鬱な未来像を提示して大きな衝撃を与えた。ヴィルヌーヴ監督は35年がたった今、「北京の空はスモッグで覆われており、私には『ブレードランナー』の世界が近づいているように思える」と危機感を抱く。そして、「環境を破壊するのも、歯止めをかけるのも人間の知恵次第だ」と訴える。

本作で凄腕の捜査官、デッカードを再び演じたハリソン・フォード(75)は、「ブレードランナー」について、「前作と『スター・ウォーズ』(1977年)の成功で私は出演作を選べるようになった。私にとって、とても重要な作品です」と振り返る。前作同様、自分の存在意義に悩む人造人間のレプリカントたちの姿は、観客に「人間とは何か」という重い問いを投げかけている。

フォードは「今や遺伝子操作で人工的に人間は作れる時代だが、私たちは倫理的にそれを抑制している。(結果的に)シリーズは、人間の自制心を賛美する内容になっているのではないか」と語った。


大学の部室前のホールで初めて観たブレードランナーから30数年が経ち、再来年ブレードランナーの時代設定の2019年となる。

当時付き合っていた彼女とは別れてしまったが、ちょうど自分の娘が、私がブレードランナーを観ていた年頃となった・・・

35年ぶりのBlade Runneの続編 観に行かない理由がない!
最初のファーストデイ ららぽーと横浜にあるTOHOシネマのレイトショウを独り観に行った。

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Blade Runner 2049を観るにあたっては、予習が必要なのです。前作と映画『ブレードランナー 2049』までの“空白の30年間”を繋ぐ短編が3つ、作られた。

Blade Runner 2019の後に起った最も重要な出来事である大停電を扱った2022年の世界を描く 「ブレードランナー ブラックアウト 2022」


映像の舞台は、「ブレードランナー」の主人公・デッカードが恋人・レイチェルを連れて姿を消した3年後である2022年。

登場するのは謎の男・イギーと美少女・トリクシー。2人は労働力として製造されている人造人間「レプリカント」であり、レプリカントには人間に比べてはるかに短い寿命が設定されています。そこで、2人は「人間になる」べく、大停電を起こし、すべての電子機器をシャットダウンさせてレプリカントにまつわるデータをすべて抹消することで、人間とレプリカントの境界線をなくそうと考えます。



食料危機の解決に貢献をした食品企業ウォラス社が、新なレプリカントを製造し、レプリカント禁止法が人類の宇宙への進出を妨げていると訴える「レプリカント禁止法」の無効にする為に、レプリカントの自殺の強要をする2036年を描いたお話。

2049」の1年前、2048年の世界。ウォレスがレプリカント禁止法の廃止を実現させ、ブレードランナーたちが違法な旧型レプリカントの処分を徹底する世の中で、デイヴ・バウティスタ扮する心優しい旧型レプリカント・サッパーが葛藤するさまがつづられた。軍から抜け出してきたサッパーは1人の少女に心を開いていたが、ある出来事から彼女をおびえさせてしまう。そしてこのエピソードのラストが、「ブレードランナー 2049」でのサッパーと新人ブレードランナー・Kの対面につながっていく。



2049年。

遺伝子工学によって誕生したレプリカントのKは、

レプリカント専門の捜査官『ブレードランナー』

として、古きレプリカントを抹消する司令を受け、日々任務に明け暮れていました。

その最中、謎の箱を見つけます。

Kがその箱を開けてみると、なんと、一人のレプリカントのなきがらが入っていたのです。

慌てて、製造者であるネアンデル・ウォレスに報告。

すると、このなきがらが、かつてK同様にブレードランナーとして生きてきた、リック・デッカードの愛したレプリカント『レイチェル』だったことが判明。

さらに、そのなきがらは彼女が出産した直後のものであることも判明し、改めてKは上司にも状況を報告。

すると、なぜか現在行方不明となっているデッカードだけでなく、レイチェルの娘をも見つけ出し始末するように言い渡されてしまうのです。

はじめは、とにかく上司の言葉通りに、レイチェルの娘を探そうとしていたKでした。

途中、ふとしたきっかけで、自分がレイチェルの娘・アナ・ステラインを守るために

レプリカントによって作り出された『レプリカデコイ』であること

に気付かされます。

その一方で、ようやく元ブレードランナーのリック・デッカードが見つかります。

しかし、これからというところで、デッカードがウォレスの手下である、ラブにさらわれてしまいます。

さらにKはラブに重症を負わされてしまうのです。

絶体絶命の大ピンチで、娘の所在もまだ見つかっていない状況でした。

そんな中、デッカードが所属していた、レプリカント解放運動の活動家・フレイサに窮地を救われます。

そして、K自身がレイチェルの子供ではないかと疑心暗鬼になっている頃に出会った

記憶のスペシャリストであるドクター:アナ・ステリンが、デッカードの娘

であることをフレイサに告げられます。

レイチェルの娘のことがわかったKは、単身でウォレスの下に訪れ、ラブと激闘を繰り広げながら、なんとか勝利。

そして、デッカードとステリンの親子の対面をさせてあげ、安堵したのか息を引き取ったのです。


映画が終わりエンドロールが流れはじめたが、周囲の人は誰も立ちあがらなかった、もっとも、そんなに観客はいなかったのだろう・・・

私は不安な未来と微かな希望、そして切なすぎて立ち上げれなかった・・・・
時計は12時を回り、電気が点いて周りを見ると、予想以上の人が着席したまま立っていないのだ。勿論寝ている人など無かった・・・・

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ブレードランナーが大コケだって?
そんなの関係ネエ!

たしかに万人受けするような内容の映画とは、多少テイストが異なっています。

だが間違いなくBlade Runner 2049も
映画史に輝く名作となるだろう。


2049年私は86歳、はたして生きているのであろうか?

私が最初にブレードランナーを観た1983年、2017年にブレードランナーの続編が出るなんて想像できただろうか?2017の世界は残念ながら、人類は地球以外の惑星に移住できていない。空を飛ぶ車も飛んでいない。

でも幸いにも、ブレードランナーの世界ほど環境は破壊されていない。
かなり優秀なロボットやAIは完成しつつあるが、レプリカントのような人造人間は登場していない。

しかし、いつの時代にも人は、自分とは何かを問い続け、愛が存在し、苦悩し、悦び、やがて死が訪れる。人間を模したレプリカントも同じであった。

このBlade Runner 2049は、ただのSF映画ではなく、愛の物語、それも利他的な愛について語った作品としての側面も強い。

デッカードが、レイチェルと別れ、娘とも会わずに身を隠していたのもレイチェルと自分の娘に対する愛ゆえであること

娘に対しても、危害が及ぶ可能性があったために、会うことを諦めていたのが実際のところでした。

最終的にレプリカントのKが命がけの奮闘のお陰で二人は会えたのだが、Kの利他的な愛があってからこそ。そして二人の為に死んでいくK、だがそこには笑みがあり深い満足感が漂っていた。

そして、一番献身的な愛に溢れていたのは主人公Kの恋人であるバーチャル化したAIのジョイの存在であった。

彼女が、女ターミネーターのような敵役レプリカントのラブに、ジョイの存在を記憶した媒体が壊される寸前にKに言った、I LOVE YOUは本当の愛以外の何物でもない純粋な愛であった。

考えてみればBlade Runner 2019のバッティも最後は笑みを浮かべていた・・・


人とレプリカントの違いは無いだろう・・・・だからアフリカやシリアからの難民を差別するのは止めようとハリウッドは言っているのか?

スラムの中にあった孤児院。これは現代社会における児童労働問題、貧困の告発
かもしれない。そこの孤児院は人間なのにレプリカントのように従順に労働せよと人間の子供を奴隷として使っているのだ・・・・

何が言いたいかはわかる。しかし、・・・・映画の世界をより鬱屈した世界に描き観客を不快にしかさせなかった。





執筆中
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9月18日明治安田生命J2リーグ 第33節FC町田ゼルビアVSモンテディオ山形 戦を町田市立陸上競技場にて観戦いたしました。

2017明治安田生命J2 第33節 モンテディオ山形vs.FC町田ゼルビア ハイライト動画

互いに中盤でのつぶし合いが続き、一進一退の攻防となった試合は後半の中盤を過ぎてもスコアが動かない。きっ抗した展開が続く中、ホームの町田は戸高 弘貴と吉田 眞紀人に代えて、平戸 太貴と鈴木 孝司を投入。対する山形も安西 海斗に代えて、汰木 康也を起用して局面の打開を図った。

先に動いた町田は、平戸が自慢の右足でセットプレーからチャンスを創出するも、ゴールならず。一方の山形はトップ下の佐藤 優平が浮いたポジションを取りながら、サイドに開いた汰木を活用するが、ゴールを決め切るまでには至らない。

終盤に入ってもスコアボードが動かない展開に、両指揮官はさらに交代カードを切ってゴールをこじ開けようとした。町田の相馬 直樹監督は谷澤 達也に代えて遠藤 純輝を投入し、対する山形の木山 隆之監督は瀬沼 優司と佐藤に代えて、永藤 歩と太田 徹郎を起用。ともに交代カードを切り尽くし、試合は終盤を迎えた。

そして表示された後半のアディショナルタイムは4分。互いにロングボールを入れてゴール前でのチャンスを増やそうとする展開の中、町田は93分に平戸のCKから井上 裕大と遠藤がシュートチャンスを作り出したが、相手DFのシュートブロックとシュートミスでゴールならず。

結局、試合はスコアレスドローでタイムアップ。町田はホームの連敗を『4』で止め、アウェイの山形は5戦連続のドローゲームに終わる。ともに死力を尽くした雨中の激戦は、勝点1を分け合う結果となった。

[ 文:郡司 聡 ]
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生まれて初めてのVIP席でのサッカー観戦でした。

日本証券業協会はJリーグのスポンサーで、日本証券業協会に所属する我が社にVIPチケットが回ってきたらしいのだが、J-1の試合であれば我社役員あたりが、取引先とでも観戦に行ったのであろうが、現在J-2リーグの12位Vs13位の試合で、オマケに台風が迫っていて、天候不良も予想され、まあ・・・役員も熱心なサッカーヲタクか、よほど暇でもなければ町田までわざわざ出掛けて観るような試合ではない。

ということで、木曜日、町田支店にVIP席4席とSS席16名のチケットが回ってきたのだ。(正確にはS席はチケットだが、VIP席チケットではなく、名前を登録するだけ)
年の功で、4名分のVIP招待券を私が頂き観戦してきました。

娘は浦和でグラススキーに行く約束であったので、義父母と家内の4人で行こうとしたが、あいにくの雨で、義父は面倒になったのか行かないとのことで、3人で行った。

試合は18時キックオフであったので、通常車で30分程度で行けるので、16:30家を出た。いつになく渋滞していたので、義母はおもむろに車内でおにぎりを食べ始めた。海苔と鮭の美味しい匂いに誘われ家内も1つ食べた。私も勧められたが、なぜか食べなかった。

鶴川街道や小野字の交差点が難所で、到着は17:40になってしまった。

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VIP席関係者はスタンドに近い多目的広場が駐車場として用意され、無料で駐車することができた。
VIP専用入り口から入り、エレベーターに乗って、4階に到着すると、町田ゼルビアのマスコットキャラクター「ゼルビー君」にお出迎えしてもらいました。

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VIP席の裏には・・・食事と飲み物が用意されていました。

ラッキー・・・テヘペロ・・・
妻と義母は・・・しまった感漂っていました・・・
知らなかったなぁ

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それほど豪華というわけではありませんが、カレーに牛煮込み、サンドイッチ、チョコケーキ、かぼちゃポタージュにキヌアときゅうりのサラダ、魚のローストと肉料理と10品以上はありました。

見た目はホテルビュッフェから比べれば質素でしたが、一つ一つ丁寧に料理され、昼にタイカレーを食べたにもかかわらず、美味しいカレーでした。特にかぼちゃのポタージュは今まで飲んだかぼちゃのポタージュの中で一番おいしかった。(手作りだと思いますが案外冷凍だったりして・・・

VIP席にはJ-2の試合でもフリードリンク・フリーフードのようです。
J-1とか、日本代表のVIP席はさぞや豪華なのでしょうね・・・・

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席の後ろがVIP控室・・・たとえJ-2とはいえ、地元の有力企業の経営者家族とおぼしき人たちがいて、富気が漂っていました。
短パンにTシャツではなく、小奇麗な格好をしていって正解でした。

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あいにくの雨でも雨にも濡れず快適です。
収容人員は10,600人 (メインスタンド1,666席、バックスタンド他8,034席)
観客数は2,519人とのことでしたが・・・・雨にもかかわらず熱心なファンで会場は埋まっていました。
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子供達と手を繋いでの入場

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記念撮影
・・・で、試合開始・・・・

実は、前半が終わりハーフタイムになった際、場内アナウンスでVIP席にサッカー連盟の誰々様が見に来ています!~といって紹介され、その方が立って手を振って挨拶されたのだ、次に、町田スポーツ連盟の誰々さん~で挨拶、次にスポンサー社長の誰々様が見に来ていますと言って紹介挨拶・・・・・

おいおい聞いてないよ~まさか~日本証券業協会のDdog様と言われるのか???
一瞬焦ったが、紹介者は5人で終わった・・・・(笑)

せっかく立ち上がって手を振る気になっていたのに・・・(笑)

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双方決定力不足の0-0ドローの試合でしたが、飽きることなく、町田ゼルビアを応援できました。

実は応援団は山形の方が沢山来ていて、どちらがホームなのかと思うくらいでした。
3連休東京に遊びに行くぞと決めて山形から応援に来た方々は気合が違うのかも。
入場料と交通費を入れると安くても1万円以上かかっているだろう。

かたや、地元は今日は雨だからと・・・止めた方も多いのかもしれません。
それでも、雨の中応援しに来ていたサポーター達は、山形サポーターの数に押され気味でしたが、雨の中飛び跳ねて頑張って応援していました。

山形のサポーターは時間とお金を掛けた分、気合を入れて応援するのは当たり前とは言え前半45分、と後半45分間飛び跳ね続け、タオルを振り、消費エネルギーは凄い!試合に出ていた選手ほでではないが、ウォーミングアップしていた控え選手と変わらないエネルギーは消費していたと思います。まあ、花笠祭りで鍛えているのかもしれませんね。

私達家族は、会社、協会のお金でVIP席に座わらせてもらって、雨にも濡れず、飲み物と食事まで頂いて・・・・私の負担は競技場までのガソリン往復200円相当ほど 
・・・駐車場もタダで、なんだか申し訳なく感じてしまいました。

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雨に打たれて応援するサポーターはただのファンではない。
サッカーサポーター教という宗教に身を投じ・・・・

修行(苦)と法悦悦楽)を共有する宗教と僧侶(熱心な信者)の関係に近いのだなぁと関心してしまいました。

それにしてもVIP(Very Important Person;非常に重要な人物)をVIP待遇と言いますが・・・自分でVIP待遇を受けておいて、少々おかしいかもしれませんが、正直なところVIPという言葉に違和感を感じてなりません。

VIPの存在は資本主義社会、お金が絡む世界では当たり前なのかもしれませんが、人は金を持ち、金を出資する見返りに、優越感を伴う待遇を受ける。・・・これはやむを得ない人間社界の原理なのか?

違和感を感じるのは、私は、平等主義を徹底された戦後教育の申し子だからなのでしょか?それとも日教組で共産党員だった父という特殊な環境に育ちひねくれた性格だからでしょうか?

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VIPに普段は無縁なわたくしでも、そういえば私は、VISAのゴールドカードを所有していますので、VIP待遇を受けました。海外旅行に行くときに、空港でVIPルームを利用していました。高い会費を払っても、海外旅行保険が入っているので、高い会員カード分年一回以上海外旅行に行けば元を取れるので入っています。

ゴールドカードの上には、なにやら本当に特別なブラックカードがあるらしいので、ゴールドカードでは特に優越感はありませんが、それでも・・・VIPルームを利用するとちょっとだけ気分がいい気がします。

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友人に親の代からデパートの外商さんを利用される方がいますが、外商さん利用顧客は何かと厚遇され、7月に銀座三越のハロッズ ザ プランテーション ルームでアフタヌーンティを頂いた際も、外商カードの威力で、窓際で一番奥の良い席に案内されました。少なくとも悪い気分ではないが・・・・これが当たり前に感じると人間というのは堕落してしまうような気がします。

これは、資本主義社会に限った話ではありません。社会主義国のはずの中国や北朝鮮でも共産党や労働党の幹部は資本主義国以上に厚遇され、体制維持に利用されています。

VIP待遇とは、古来より、相手を普通の人より特に厚遇し、その引き換えに、何かを引き出すために利用してきました、また逆に対価を払って厚遇してもらう、この行為自体は人類の普遍の行動原理かもしれません。

JRにもグリーン車があるように、お金を払えば相当の対価をしてもらえるわけで、それなりのサービスを受けたいのなら対価を払うのは、当たり前ですが、VIP待遇という言葉が、どうしても個人的に違和感を感じてしまうのです。VIPという言葉が成金的で嫌なのかもしれませんもしれません。「VIP待遇」改め「要人待遇」だと言葉が大げさかもしれませんが、まだましなような気がします。

少し成功し、社会的な地位を得た時に、人は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」といった、謙虚で出来る人と、ふんぞり返ってしまう人、大きく分けると二つに分かれるとは思います。どちらかというと、謙虚でいられる魂の持ち主が少数派だからこそ、VIP待遇が存在するような気がします。

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私がVIPという言葉を知ったのはまだバブル前の1980年代初頭、上京して間もないころでした。「ディスコに行くとVIPルームと称する特別な部屋があって、そこに出入りする男は女子を入れ食いで掻っ攫えるらしい・・・」「へっ~VIPって何?」と聞いたのがはじめて聞いたVIPだったと記憶しています。((笑))

VIP待遇というのは、人間の業ですね。人間が社会生活を営む上で生じる些細な心の隙間なのでしょう。例えば商売において、人間が人間を相手にしているのだから、人間の弱さを利用しようと考えて、VIP待遇を行っているのかもしれません。

私のようにVIPという言葉にに違和感を感じ、VIP待遇を設ているサービスに対し、ひねくれた見方をすると人間からすれば、「お金を運んでくる人か、そうではない人か」という二種類のものさしで見ているような気がして、なんだか失礼にも感じててしまう。やはり私の感性が間違っているのでしょうか?

VIP待遇を受けたのなら、それはおもてなしを受けたと考え、私のように、ひねくれて考えるのではなく、素直に感謝したうえで、謙虚に振る舞える人間が本当の大人なのかもしれません。


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オランダ博物館所蔵の作者不詳の絵画が北斎の肉筆洋画であると研究発表される その1ライデン国立民族学博物館・シーボルト だけではブログの画像容量を超えてしまい北斎(北斎工房)の肉筆西洋画を網羅することができませんでしたので、その2としてフランス国立図書館蔵を中心とした北斎(北斎工房)の肉筆西洋画を紹介します。

フランスと日本 日本風俗図絵より (デ・ステューレル・コレクション)
江戸時代の古き良き日本の風景や日常が、リアルに感じ取ることができます。
凄いコレクションです。








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雨中の漁   


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海女 







以上 ブログの容量の関係で、その1に掲載した作品は載せることが出来ませんでしたので、タイトルの方をクリックしていただければ、フランスと日本 日本風俗図絵の画像とリンクしてあります。

一昨年、大規模な北斎展が東京国立博物館で開かれた。そこには多くの里帰り作品も出ていた。ものすごい混雑だったが、前期・後期の2度観にいって北斎の全貌を知ったと思っていた。

ところが、それはまったくの誤りであることが、今回の東京江戸博物館の北斎展でわかった。

 出島に滞在したオランダ人たちが、北斎の肉筆風俗画を入手し、祖国に持ち帰っていたのである。

 これらの風俗画は、現在、オランダ国立民族学博物館とフランス国立図書館に所蔵されており、今回これらが初めて同時に里帰りしたので、今まで知らなかった北斎を知ることになったのである。

 展覧会は、第一部「北斎とシーボルト」と第二部「多彩な北斎の芸術世界」の2部構成。第二部は「今まで知っていた北斎」、第一部が「今まで知らなかった北斎」である。

 確かに第一部の肉筆画は今まで観てきた北斎の絵とはかなりの距離がある。画題は人間中心である。色鮮やかである。一部の絵では、遠くのものが小さく描かれており、しっかりとした水平遠近法がとられている。

 「本当にこれが北斎か?」と一瞬思うが、会場には北斎の類似作品が並列に展示されており、だんだん「やはりこれも北斎なんだ」と自分にいいきかせるようになってくる。

 図録の冒頭の論考「葛飾北斎とシーボルトの出会い」を読んでその思いをいっそう強めた。この論文の著者は、今回の展覧会の学術協力者となっているオランダ国立民族学博物館のマッティー・フォラー氏 Dr Mathi Forrerである。まとめると次のようである。

1.出島のオランダ商館長ブロムホフと書記官フィッセル: 二人とも日本の文物のコレクションを行っていたが、1822年の江戸参府の際、北斎に絵画作成を依頼し、オランダ製の紙を提供した。

2.その頃の北斎: 1822年に一人の娘を失い、年長の娘の離婚などもあって、絵の制作状況はスランプ状態であった。この依頼品の作成は1824年暮ごろから始まったと考えられる(今回の絵の一つ《節気の商家》の大福帳にこの年号が描き込まれているため)。

3.次のオランダ商館長デ・ステューレルと商館医シーボルト: 4年後の1826年に北斎より依頼の絵を受け取っている。二人はこれを欧州に持ち帰り、現在パリとライデンに保存されている。

4.シーボルト・コレクション: 15点すべてがオランダ紙に描かれ、現在「ライデン国立民俗学博物館」に保管されている。これらにはすべて西洋画の影響がある。一部には魚屋北渓が描いたと思われるものもあるが、ほとんどは北斎本人によって描かれたものとされている。欧州人の依頼だったので、自分にも洋風画は描けるといった北斎の気概が感じられる。

5.デ・ステューレル・コレクション: 25点がフランス国立図書館に寄贈されているが、1点を除いた24点は和紙に描かれている。パリのものでは、肖像画↓のような一部の例外を除けば、西洋の影響が観られない。これらパリ作品の下絵が、今回大英博物館から出展されているが、これらは魚屋北渓が描いたもののようだとのこと。

6.後期北斎作品への影響: 欧州注文作品に出ているイメージはその後数多く使われており、北斎の大発展の契機となったのではあるまいか。

所蔵の経緯や、文献、4年ごとに江戸を訪れる商館長の慣習などから、多くは1822年に発注、1826年に受け取ったものとみられている。

日本の風俗を欧州に伝えるために依頼されたのだろう。北斎は当時60代。「北斎漫画」などで名声を得ていたが、北斎の代表作「冨嶽三十六景」の「神奈川沖浪裏」(1836年)製作前である。

 
本人の手によるものも、弟子の魚屋北渓とあるが、その1でも述べたが、西洋絵画では中世から続く徒弟制度が依然として続けられていた為、例えばレンブラント筆とされる大作の絵画の多くはレンブラント工房の製作、であるように、北斎工房製の絵画はやはり北斎の絵として判断していいかもしれません。

 
その1で引用させてもらった神谷浩・名古屋市美術館学芸課長は「「俺たちだって、あんたたちみたいな写実的な絵が描けるんだよ」という対抗意識から、西洋画の特筆である陰影を作品に施したのかもしれません。」と言っておりました。ただ、西洋画を西洋画家から学んだのではなく、西欧近代絵画に挑んだが陰影の西洋表現への全体的理解は不十分だったかもしねい。その1の驟雨(しゅうう)(夕立)などはちょっと過剰に感じる。

 だが、
比類なきデッサン力を誇った北斎もしくは北斎工房が描いたこの絵画に描かれた人間は生き生きと描かれ、さすが北斎であり、その後の冨嶽三十六景などに大きく影響を与えた仕事だったと思う。



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隅田川両岸景色図巻 の吾妻橋付近(東京都墨田区提供))

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隅田川両岸景色図  三囲神社(右奥)と牛嶋神社付近(東京都墨田区提供)


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葛飾北斎が江戸の日本橋を描いた水彩画=ライデン国立民族学博物館提供
オランダのライデン国立民族学博物館所蔵で、長年作者不明とされてきた6点の絵が江戸時代後期の浮世絵師、葛飾北斎(1760~1849年)の作品である可能性の高いことが22日、分かった。西欧の水彩画の技法を使った異色の作品で、当時交流があったとされるドイツ人医師、シーボルトらの影響を受け、描いたとみられる。

 長崎市で開かれた「国際シーボルトコレクション会議」で、同博物館シニア研究員のマティ・フォラー氏が報告した。6点のうち5点は和紙に江戸の街並みを描いた風景画で、残る1点は版画。これも江戸の風景が描かれている。

 同博物館はシーボルトが日本からオランダに持ち帰った絵画などのコレクションを所蔵。2年前、シーボルト直筆のコレクションの目録が見つかり、フォラー氏が照会したところ、今回の6点に関し、「北斎がわれわれ(欧州)のスタイルを使って描いたもの」との記述があった。絵の特徴も細かく記されており、北斎作の可能性が高いとみている。(共同)

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葛飾北斎が描いた水彩画。江戸の品川周辺とみられる=ライデン国立民族学博物館提供
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葛飾北斎が描いた水彩画。江戸の赤羽橋周辺とみられる=ライデン国立民族学博物館提供
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葛飾北斎が描いた水彩画。江戸の両国橋とみられる=ライデン国立民族学博物館提供
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葛飾北斎が描いた水彩画=ライデン国立民族学博物館提供
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葛飾北斎が描いた石版画。江戸の永代橋とみられる=ライデン国立民族学博物館提供
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葛飾北斎が江戸の日本橋を描いた水彩画=ライデン国立民族学博物館提供
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江戸時代の出島を描いた絵、これは?・・・・http://www.webkohbo.com/info3/nagasaki/nagasaki3.html

北斎の肉筆画と判明 「作者不明」西欧の水彩画風の6枚
【YahooNews】西日本新聞10月22日(土)10時10分配信

長崎のオランダ商館で働いていたシーボルトは1826年に江戸に上った際、北斎らと面会したことが分かっている。同博物館には、この6枚とは別に、北斎の肉筆画と認められた11枚が伝わっている。
調べてみたら11枚どころではなく、もっと沢山の北斎肉筆画が海外に流失しておりました。

シーボルトと北斎はなんと交流があり、沢山の肉筆絵画を注文していたと言うのです。
ただし、娘の応為であるとか弟子の魚屋北渓などが画いた北斎工房の作品が混ざっている。
しかしながら、西洋絵画では中世から続く徒弟制度が依然として続けられていた為、例えばレンブラント筆とされる大作の絵画の多くはレンブラント工房の製作、であるように、北斎工房製の絵画はやはり北斎の絵として判断していいかもしれません。
 1999年、アメリカの「ライフ誌」が行ったアンケート調査「この1000年でもっとも偉大な業績を残した世界の100人」で、日本人で唯一選ばれた江戸の浮世絵師・葛飾北斎(1760-1849)。印象派などヨーロッパの近代絵画に大いに影響を与えたことが知られる彼は、実は、長崎出島の医官シーボルトとも交流があった!? 現在、江戸東京博物館では、北斎の芸術を一望しながら、彼と出島の外国人たちとの交流も紹介する「北斎―ヨーロッパを魅了した江戸の浮世絵師」が開催中だ(2008年1月27日まで開催)。この北斎とオランダ人との交流の謎を、展覧会の代表者である名古屋市美術館学芸課長の神谷浩氏に聞いた。

 (2008年2月9日~3月23日に名古屋市美術館に巡回、4月5日からは山口県立萩美術館・浦上記念館に巡回する)

展覧会は2部構成


 この展覧会は、オランダ国立民族学博物館のキュレーターであるマティ・フォラーさんが「北斎と長崎出島のオランダ人との交流を紹介したい」と提案したことから始まりました。

 というのは、彼の職場であるライデンのオランダ国立民族学博物館とパリのフランス国立図書館に、北斎が描いたという不思議な絵があったんです。これが今回ご紹介している作品群で、ライデンの方が長崎出島の医官だったシーボルトが民族資料として持ち帰った15点、パリの方が出島の商館長(カピタン)を務めた後、フランスに移住したヨハン・ヴィレム・デ・ステュルレルが持ち帰った25点。北斎画というにはその出来にかなりばらつきがあるので、研究者たちは、この中のどれが北斎の絵で、どれが弟子の絵なんだろうか、なんて首をひねっていたんですが、それをフォラーさんが、とりあえず作者の推定まで一生懸命やってくれたんです。

 そこで、この研究の成果をぜひ日本で紹介したい、ということになりまして、まず第一部で、彼の研究に基づいた展示を行い、第二部で、有名な《冨嶽三十六景》や、新発見の《四季耕作図屏風》などを含めて、北斎の芸術を一望できる展示にした、というのが今回の展覧会の構成です。

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北斎 《四季耕作図屏風》 文化年間(1804-18)中期 紙本著色 107×292センチ 個人蔵

北斎とシーボルト

 展覧会の第一部では、北斎とシーボルトの交流に焦点を当てています。しかし、北斎とシーボルトの接点を物語るような決定的な記録は、残念ながら出てきていません。ただ、いろんな状況証拠から、どう考えても2人は出会っていただろう、と思わざるを得ないんですね。

 例えば、当時、長崎出島のカピタンは、4年に1度の江戸参府が義務付けられていました。北斎も1700年代後半、まだシーボルトが来日する前に、すでに『東遊(あづまあそび)』という狂歌絵本の中で、出島の外国人たちが江戸で定宿としていた「長崎屋」の様子を描いているのですが、ちょうどこの頃、彼は出島のカピタンとトラブルを起こしているんです。

 『古画備考(こがびこう)』(1845年から50年にわたって編集される)という本に書かれている記事には、この頃、北斎はカピタンと彼に同行してきた医者に、日本人の男女の一生、つまり生まれた時からお葬式までの様子を2巻1セットの巻物を2セット描きました。出来上がった絵を彼らの宿に持参すると、カピタンは約束通り150金を支払ったのですが、医者の方は「自分は貧乏だから75金にしてくれ」と値切ってくる。そこで、北斎は、「金がないなら、ないと最初に言ってくれれば、絵の具を安くするとかいくらでもコスト削減の手立てがあったのに」と怒ってね、医師には絵を渡さずに帰ってしまった。すると、奥さんから「なんで75金でOKしなかったのよ」と叱られた、という記事なんですね。

 つまり、北斎は、長崎出島のカピタンのために絵を描いていたことが分かる。そして、もしかしたら、この医師はシーボルトかも知れないんです。シーボルトと北斎が出会っていたとしたら、彼らを引き会わせたのは、おそらく1800年代の初めごろに「出島出入絵師」となっていた川原慶賀(1786-1860以降)だったろう、ということも推測できるんです。

 この人は、シーボルトの資料収集のために、日本の植物や風俗を描いた人で、文政9(1826)年の江戸参府の時にも、彼はシーボルトとともに江戸に来ています。第一部で紹介している北斎の風俗画も、おそらくこの時に同じ絵描きの慶賀がシーボルトを北斎先生に紹介したことで生まれた、と考えると大変自然なんですね。

北斎と北斎工房

 それにしても、カピタンたちは、数多くいた江戸の絵師たちの中で、なぜ北斎に江戸の生活の記録を描かせたのか? シーボルトの「お抱え絵師」であった川原慶賀の存在は無視できないとは言え、これは僕も一番知りたいナゾの1つです。

 もちろん、彼らが北斎を選んだことは大正解でした。よく言われるように狩野派の絵師は、お手本通りに描くことしかやっていなかったわけですから、生きている人間を生きているように描くという点では、北斎は群を抜いていた。その頃に出回っていた画工の見立番付などを見ても、北斎は最上位の「横綱」になったり、それを通り越して「行司」になったり、と、非常に評価が高いんです。江戸でトップの絵描きで、何でも描けて、しかも流派に属さない一匹オオカミ的な存在だった、というところで、外国人たちも頼みやすかったのかもしれません。

 さて、今回、第一部の風俗画は、「北斎工房」の作ということでご紹介しています。「工房」というと、アトリエの中に先生がいて、弟子がいて、分業制で制作しているような西洋の工房を思い浮かべる人が多いと思うんですが、北斎の場合、そこまで厳密ではなかったと思う。まあ、彼は引っ越し魔でしたし、家の中も散らかし放題でぐちゃぐちゃだった、という記録もありますから、彼の家が西洋的な意味での「工房」だったとは思えません。

 たぶん、北斎が受けてきた仕事を、どんなふうに描くか、というところぐらいは皆で相談したとしても、あとは適当に割り振った絵を弟子たちが描いたのではないでしょうか? その時に、北斎が中心に描いたり、娘の応為(おうい)がかかわっていたり、ということで、自然といろんなタイプが出てきたのでしょう。ただ、北斎が確認して「よっしゃ」とOKのハンコを押した時点で、これらは立派な「北斎ブランド」となるわけです。このあたりのニュアンスが伝わりくいようで、「弟子が描いたのなら偽物では?」と聞かれることがあるんですが、これは、北斎がプロデュースした一種のブランド商品、と考えていただければいいかと思います。

「燃える男」北斎の陰影法

 西洋画の技法にも大変興味を持っていた北斎は、自分で油絵の具を作ったこともあるようで、最晩年に出版した『画本彩色通』という本の中で、彼は、油絵の具の作り方を丁寧に説明しています。カピタンたちに発注された風俗画も、絵の具は日本の顔料を使っているんですが(シーボルトのコレクションに関しては、紙はオランダ製)、西洋の絵画をまねて陰影法を採用するなど、従来とは明らかに違った技法で絵を描いていますね。

 実は、当時の日本において、絵に陰影を付けるということはとんでもないことなんです。でも、北斎は「燃える男」なので(笑)、「俺たちだって、あんたたちみたいな写実的な絵が描けるんだよ」という対抗意識から、西洋画の特筆である陰影を作品に施したのかもしれません。

 面白いことに、シーボルトが日本にいた文政年間、北斎は目立った活動をしていません。つまり、この時期は年表に記述が少ない部分なんです。ところが、今回詳しく調べてみると、不毛の時期と思われていた時こそ、この展覧会でスポットの当たる時期だった。それで、マティ・フォラーさんなどは、この時期、北斎は娘の応為が離婚したり、彼自身の老齢(当時60代)がこたえたり、いろんな意味でどん底だった。だから、出島の外国人のために仕事をすることで、次のステップを踏むことができたのではないか、と言っています。

 しかし、僕はその逆で、むしろ北斎は、この時期、出島の外国人たちの仕事に没頭していたのではないかと思っている。立証はできないですけどね。でも、先にも言ったように、北斎はカピタン相手に150金という画料をとっていた。これが「両」とすると大変です。当時、文人画などは、絵の具料込みで10両ぐらいで描かれていた例を思うと破格ですよね。江戸時代後半の貨幣価値を現在の貨幣価値に換算すると、おそらく1両が数万円だったと思いますから、150両といえば数百万円。シーボルトの仕事も量は多いし相当な金額をもらっているはずなので、ほかの仕事をしなくても経済的には全く問題なかったと思われます。それに北斎って、酒も女性もバクチにも興味なさそうだし、一体何にお金を使ったのかと思うんですが、使ったとしたら、おそらく絵の具に相当つぎ込んでいる。今回出品されている作品も、僕の同僚が「何これ。本当に日本の絵の具なの?」と驚いたぐらい、発色のよい、高級な絵の具を使用していました。

 文政11(1828)年、「シーボルト事件」とともに、シーボルトが日本を去った後、北斎は《冨嶽三十六景》、非常に出来の良い『北斎漫画』12編といよいよ傑作を連発してくのですが、これはシーボルトたちの仕事が北斎に様々なインスピレーションをもたらしたとともに、この仕事に没頭するために、いろんな仕事を中断していた、とも考えられるのではないかと思います。

第二部の見どころ

 第二部でまず、見ていただきたいのは『北斎漫画』です。ライデンから借用したこの本の初編から10編までは、文政9(1826)年の江戸参府の折にシーボルトが江戸で購入して、そのまま博物館に入ったもので、「シーボルトと、マティ・フォラーさんの指紋しかついていないんじゃないか」という冗談が出るくらいにピカピカなんです。本の入っていた袋まで大事にとってあるので、こういったものを見るのも面白いと思います。

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北斎 《美人夏姿図》 文化年間(1804-18)中期 絹本著色 85.5×29.4センチ 個人蔵(後期展示)

 また、北斎と言うと、どうしても「赤富士」や「波」が描かれた《冨嶽三十六景》を思い浮かべる人が多いと思うのですが、彼が力を入れたのは、むしろ《冨嶽百景》の方だったと僕は思っている。これは北斎が70代半ばに出版した版本なんですが、構図も素晴しいし、彫り師も、北斎が選んだ当時最高の人を使い、跋文(ばつぶん)では、自分の人生を回顧して、「俺はまだ頑張るぞ」とさらなる決意表明までしています。墨一色の本であるにもかかわらず、状態のいいものを見ると、モノクロームってこんなに表情が豊かなのか、と改めて感心できると思います。

 それから、今回出ている肉筆画に関しては、僕ははっきり言って自慢しますよ。特に今回は新発見の《四季耕作図屏風》や、約30年ぶりに公開される《生首図》、そして《松下群雀図屏風》など、あまり手垢(てあか)の付いていない作品を紹介することができました。その中でも、僕の一番のお気に入りは、東京では後期(2008年1月2日~27日)に展示される《美人夏姿図》。壮年期の北斎が描いた美人画なんですが、ピンクの襟とか、衣が透けている感じが素晴らしくて、どうすればこういう風に描けるのか本当に不思議です。まさに神業というか……。この美人は僕の恋人といっていいぐらいの作品です。

 今回展示室の出口の近くに「悪玉」の面をつけた人間が踊る『踊独稽古』をパネル展示しています。閉館近くなって周りに人が少なくなると、実際にこれを見て踊りだす人がいるんですよね(笑)。試しに踊りたくなってしまうほど、北斎の絵は、骨格がきちんと描けていて、デッサンがしっかりしているんです。

 僕は、北斎に会いに来たのが、シーボルトでなくゴッホだったら、絶対に「素描を描いてください」と言ったと思っている。後世の話ですが、ゴッホは北斎のデッサン力を、大変評価していました。確かに北斎は、眼と手の神経が直結しているのではないか、と思うほど優れたデッサン力の持ち主でした。それに加えて、北斎のコンポジション(構図)とイマジネーションの力も素晴らしい。そして、彼が描いた絵の「量」も考えなければならないと思います。「質より量」というのではなく、北斎は、描き続けるうちに、画力がどんどん上がっていった画家でした。そういった彼の芸術的な特質を、じっくりと考えながら見ていただければ、と思います。
さて、北斎の肉筆洋画発見とのニュースで、海外に流失した北斎の肉筆絵画を検索してみたところ、非常に沢山の画像を発見することができました。

その多くは私が知る北斎の浮世絵や肉筆画と異なり、同時代の印象派画家に影響を与えるだけのことはあって、驚き感動しました。北斎の絵を見たシーボルト達は西洋画家から学んだことが無い極東の端の島国の老画家が生き生きと描く西洋画に唯々驚いたと思います。そして、美しい生の日本そのものを、天然色で本国に伝えたかったのだと思います。



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       年始回り



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    武家 

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     町屋の娘







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            武士と従者 



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PHOTOGRAPHS BY KAZUMA OBARA
TEXT BY AKIHICO MORI

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2016年、オリンピック、パラリンピックに次ぐ新たなスポーツの祭典が誕生した。その名は「サイバスロン」。障害をもった人々とスポーツのまったく新しいつながりが生まれた現場をレポートする。

その時、サイバスロンの会場では、観客の視線が中央の巨大なスクリーンに集中していた。映し出されていたのはゲームの映像。10秒も見ていればルールが分かるような単純なもので、4体のアヴァターが「かけっこ」を繰り広げ、より速くゴールした者が勝ちとなる。

しかし、プレイヤーの手元にジョイスティックなどの見慣れたゲームコントローラーはない。代わりに、その頭にはドレッドヘアのように複雑に編み込まれた電極とコードがつけられていた──。

スイス・チューリヒ空港にほど近い街、クローテンにある「スイスアリーナ」。こぎれいなスイスの街並みのなかにあって、国民的スポーツであるアイスホッケーの試合会場として親しまれているこの会場に10月8日(現地時間)、約4,000人の観客がサイバスロン目当てに世界中から集まり、チケットは売切となった。

冒頭のゲームは「脳コンピューターインタフェイスレース」。パイロット(競技に参加する障害をもったアスリートはこう呼ばれる)は頭部の電極から読み取られる脳波でアヴァターをコントロールし、レースを展開する。パイロットは首から下の運動機能のすべてを失うかまたは重度の麻痺を患っている。彼らは動かない身体から飛び出して、ヴァーチャルな世界を自由に動いてみせる。そんな体とテクノロジーの奇跡の先に成立する競技に会場は熱狂した。

能動義手 V.S. 筋電義手

サイバスロンの種目は6つ(脳コンピューターインタフェイスレース、機能的電気刺激自転車レース、強化型義手レース、強化型義足レース、強化型外骨格レース、強化型車椅子レース)。チームはF1レースのように、エンジニアリングを行うスタッフと、実際にレースに出場するパイロットによって構成される。専門分野を持つチームが世界各国から集まり、それぞれの競技で世界一を競い合った。

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日本から「強化型義手レース」に参加したチーム「メルティンMMI」。筋肉の電位を測定することで装着者の意思を読み取り、繊細な動きを実現する。                     
会場のブースでは、先述の脳コンピューターインタフェイスレースを実際に体験できた。「物事を考えず、リラックスすること」と「さまざまな物事を考え、頭を働かせること」が、このゲームにおける“コマンド”になる。レースはこうした意識のモードを瞬時に切り替えることで、アヴァターを加速させて競い合う。プレイしてみたところアヴァターはさんざん停止を繰り返した。脳コンピューターインタフェイスレースのパイロットは何年間ものトレーニングを行っているからこそ、サイバスロンの舞台に立ち、人々を熱狂させる試合ができるのだ。

サイバスロンには先述のヴァーチャルな世界だけではなく、現実のフィールドをつかったレースも多数存在する。たとえば「強化型義手レース」だ。

さまざまな義手を身に着けたパイロットたちは、日常生活に求められる作業をいかに速く、正確にこなせるかを競い合う。たとえば球や円錐、針金のような突起物などを義手でつまみ、適切な場所へ移動させるパズルや、日用雑貨をトレーに載せ、トレーから落とさないように運び、ドアを開ける、といったタスクだ。

日本からは「メルティンMMI」のチームが参加していた。「メルティンMMI」の強みは筋肉の活動電位である「筋電」を測定し、独自のアルゴリズムによって動作する「筋電義手」だ。意のままに指を1本だけ曲げ、手首を回転させるといった、自分の手指のように義手が動かせ、繊細な動作を実現できる。

10チームで繰り広げられたレースに優勝したのは「能動義手」を使ったオランダのデルフト工科大学のチーム「DIPO Power」だった。能動義手は、筋電義手などのように電気を動力とせず、使用者の正常な機能が残された体の動きを動力とする、古典的な義手だ。

レース終了後、メルティンMMI取締役執行役員粕谷昌宏に今回の能動義手の優勝についてインタヴューする機会があった。

「今回のレースでは、主にグー/パー動作による日常生活の基礎的なタスクの成功率が勝敗を左右した。能動義手は日常生活タスクに長い研究の歴史をもつからこそ、優勝を手にしたのではないか。また、『メルティンMMI』の義手の長所は繊細な動きによる自然なジェスチャーができること。次回のサイバスロンではそうした部分も評価してくれることを期待する」(粕谷)

そこに境目はなかった

『WIRED』日本版は、サイバスロンが開催される数日前から現地に入り、参加チームに密着した取材を行っていた。そのひとつが「強化外骨格レース」にエントリーしていたアメリカのチーム「IHMC」だ。

強化外骨格レースでは、パイロットは自らの脚にロボットの脚「エクソスケルトン」を装着し、タスクの達成ポイントと時間を競い合う。タスクでは、ドアを開けて通過する、コース上の予め決められた場所のみに足を置いて歩く、階段を昇って降りるといった、日常生活に必要とされる歩行能力が試される。                                                                
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サイバスロンの主催であるETHZ(スイス連邦工科大学チューリッヒ校)から「強化外骨格レース」に参加した「VARILEG」。研究者と学生で混成されるチームだ

エクソスケルトンは「パワードスーツ」の一種であり、いわば人工の筋肉だ。内部のモータなどを動力源としたアクチュエーター(エネルギーを動きに変える駆動装置)によって、使用者の身体機能を補強・拡張する。パイロットは下半身に麻痺があり、日常では一歩も歩くことはできない。

パイロットのマーク・ダニエルは、試合の2日前、滞在先のホテルのロビーで、突然のインタヴューオファーにも気さくに応じてくれた(『WIRED』日本版では12月10日発売予定のVOL.26にて「IHMC」の密着レポートなどをお伝えする)。

「サイバスロンには、2つの側面がある。1つは、身体の不自由な人々が求めているテクノロジーの開発に、人々の関心を惹きつけることのできるコンペティション。ぼくたちが戦い、勝ち負けが決まることで観客は興奮を覚える。人が興奮を覚えればそれはエンターテインメントになる。するとぼくらをサポートしてくれる出資者も現れ、開発が活発化することが期待できる。もう1つは、チーム同士の交流の場。ほかのチームのテクノロジーを知り、自分のテクノロジーを教えることで、障害者を支援するマシンは次のレヴェルに行くことができる」(ダニエル)                                                         
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米国から参加した「IHMC」のパイロット、マーク・ダニエル。「IHMC」は強化型義足レースで準優勝を果たした。

「ぼくはサイバスロンがスポーツとテクノロジーにとってのアイスブレイクになることを願っている」ともダニエルは話してくれた。サイバスロンのパイロットはみな、こうした気持ちで競技に参加している。優劣を競うアスリートであり、最初のサイバスロンをつくってゆくイノヴェイター。彼らについて説明するために、もはやそれ以外の言葉は必要ない。

先述のメルティンMMIのパイロットである前田和哉は、サイバスロンが、いわゆる「障害者スポーツ」という枠組みを壊し、まったく新しい時代をつくろうとしていることに期待を抱いているという。

「観客のみなさんが、障害者という目ではなく、競技として見てくれていることを、歓声に包み込まれて感じました。面白ければ賞賛するという、スポーツとしてとても自然なことが実現されていると感じました。とても気持ちよくレースに臨めましたね」(前田)

サイバスロンに、障害者と健常者の区別はなかった。観客も参加者もみな、眼前で繰り広げられるスポーツに熱中し、いまつくられつつあるサイバスロンの歴史に興奮していたのだ。

IHMCは決勝戦でドイツのチーム「ReWalk」と激戦を繰り広げ、準優勝を果たした。その試合の直後、控室で他のチームとの交流を行いながら、ダニエルは「これは始まりにすぎない」と何度も語っていた。

次回のサイバスロンは2020年。東京オリンピックと同時に日本で開催されると噂されている。


わかやま845 サイバスロン ロボット車いす


第1回サイバスロン熱闘 身障者とロボ技術開発者が一丸に
【スイス便利ノート】2016-10-10 17:11大野瑠衣子

スイスのチューリヒで8日に開催された国際競技大会「サイバスロン」には、ロボット工学の研究者やベンチャー企業など、世界25カ国から70以上のチームが参加。選手と開発チームが一丸となり、それぞれが開発した身体障害者のための補助器具の性能を競った。参加した7つのスイスのチームのうち、脳コンピュータインタフェースレース部門で「ブレイン・トゥイーカーズ(Brain Tweakers)」が、電動車いす部門では「HSR・エンハンスド(HSR Enhanced)」がそれぞれ優勝し、FESバイク部門では「IRPT/SPZ」が3位に入賞した。                   
 観客席から「わあっ」と歓声が起こった。強化義手部門のレースで、米国選手でパイロットとよばれるロバート・ラドシーさんが、電気スタンドに電球をくるくると手早く付けた瞬間だった。彼の義手は、人の手の形に似せようとした従来の義手とは異なり、白と青でデザインされた、美しいカーブを描くフック型の義手だ。
 ロバートさんは手元を慎重に見つめ、確実に課題をこなしていく。缶詰を開け、砂糖を包み紙から取り出し、パンを厚さ2センチにスライスした次の課題は、洗濯干しだ。会場の観客も、大スクリーンに映し出されたロバートさんの義手が動くようすを一心に見つめている。                                 
 固唾を呑んで見守るのは、ロバートさんの義手を開発したチームも同じだ。時に声を掛け、大スクリーンを見つめながら競技の様子を追っている。最後の課題である日常生活用品が入った箱を持ち運び終え、ロバートさんがゴールし優勝が決まると、会場の歓声がさらに大きさを増し、割れんばかりの拍手がスタンド中に響いた。
 「簡単に課題をこなしているように見えましたが、実際はどうでしたか」との優勝インタビューの問いに、ロバートさんは少しはにかみながらこう答えた。「もちろん、簡単でしたよ」

 スイスは、脳コンピュータインタフェースレース部門と電動車いす部門で優勝し、FESバイク部門は3位に入賞するという目覚しい活躍ぶりだった。日本からは3チームが強化義手、強化義足、電動車いす、FESバイクの4部門に出場し、和歌山大の中嶋秀朗教授によるチームは電動車いすレース部門で4位と健闘した。                                                    
ロボット技術開発の発展、心と身体の「バリアフリー」を目指して           
 同大会を企画したスイス連邦工科大学チューリヒ校のロバート・リーナー教授は、「6千枚以上あった観戦チケットは大会前に完売したが、資金集めやルール設定など開催までには苦労がたくさんあった」という。また、今回のサイバスロンをただの競技会にはしたくなかったと話す。「同大会の開催を通して、身体障害者の補助器具に応用できるロボット技術をさらに発展させ、開発研究者たちのネットワークが広がる場所を提供したい。またこのような機会によって人々の心の『バリア』もなくなれば」。大会前には出場者の交流会を開催し、会場の入り口には最先端ロボット技術や補助装具の歴史を紹介するブースを用意した。大会当日、ブースのまわりには来場者の人だかりができた。

プレッシャーを乗り越え健闘するパイロットたち                                 8日に開催された第1回「サイバスロン」のようす。ビデオは大会中にオンライン配信された内容のハイライト。(SRF)

 「とにかく面白そうで観に来た」と話すフィリックス・タウブナーさんとマルコ・ビューレさんは、共に連邦工科大学チューリヒ校で機械工学を学ぶ大学2年生だ。「次の学年になれば大学の『フォーカス・プロジェクト』に参加できる。そこでサイバスロンに出場できるようなロボット技術にも取り組んでみたい」と話す。

惹き付けられるパイロットたちの圧倒的な熱意

 レース会場では、観客席から歓声が上がっていた。電動車いすレース部門の決勝で、パイロットたちが最後の課題に差し掛かったところだった。机を動かさないよう、いすを上げ下げし、スラロームを進み、スロープを上がってドアを開閉し、でこぼこ道や傾斜のついた道を進むという課題を乗り越えてきたパイロットたちが、3段の階段を登降するという最終課題に取り組む。パイロットたちはそれぞれ真剣な表情で、電動車いすを操作するためのコントロールパネルを手に握る。転倒の危険をはらむため、パイロットの横には2~3人の補助が付いている。
 「キュイーン、キュイーン」。電動車いすに乗ったパイロットたちが進む速度は、実にゆっくりだ。コントロールパネルの操作に手惑い、じっと止まってしまう場面も多い。オリンピックやパラリンピック競技と比べれば、躍動感に欠けると言える。しかし、そんなことなど忘れてしまう圧倒的な熱意が、パイロットたちにはみなぎる。観客も緊張気味にレースを見守っている。ひとりのパイロットが最後の階段を降り切ると、「やった!」と大きな声が一斉に上がった。

パイロットたちのプレッシャー

 しかし、時には課題をうまく達成できず、悔し涙を流すパイロットもいたようだ。FESバイク部門で1位になったマーク・ムーンさんもまた、「ミスをしてチームを落胆させないようにするプレッシャーがあった」と優勝インタビューで話した。
 今大会ではモチベーション・コーチとしてパイロットたちをサポートしたリューディガー・ビョーンさんは、観客席で競技を見守った。自身も事故で両足を無くしたというビョーンさんは、パイロットたちについて、「試合前のパイロットたちの目を見たんだ。本当にきらきらと輝いていた。それからそれを見守る観客の目も見てみた。同じようにきらきらと輝いていた。すごいことじゃないか」と讃えた。

 リーナー教授は、「全てのチームが優勝できる可能性を持っていた」と全チームの健闘を称え、出場した日本のチームについては「すばらしいロボット技術を開発した。最先端のテクノロジーを駆使し、動作もしっかりとしている。もちろん新しい技術ゆえ、まだ修正していかなければならない箇所はいくつかあるが」と今後の発展への期待を述べた。また、大会中については「日本チームは応援団から『ニッポン』コールが起こりとてもアクティブな印象を受けた」と語った。

 「開発研究者同士の交流によって、新しいコラボレーションも始動した。今後は身体障害者が必要としている本当の補助器具の開発に尽力したい。また、サイバスロンは引き続き開催する予定だ。スイスだけでなく、ほかの国でも開催を考えている。既にドバイや韓国などから開催のオファーが来た。日本も開催地候補として検討している」


古くは「600万ドルの男」「サイボーグ009」現代においては「攻殻機動隊」で活躍した、サイボーグもしくは義体(化)がかなり現実のものとなってきた。「ブレードランナー

2012年ロンドン・パラリンピック陸上男子走り幅跳び覇者で「ブレード・ジャンパー」の異名を持つマルクス・レーム(27)選手=ドイツ=は2月、英国での国際競技会で健常者を抑えて優勝を果し、リオパラリンピックにおいてパラリンピック男子1500m(視覚障害)、4人がオリンピック金メダル記録を超える記録を作った。

卓球や、アーチェリーなどはパラリンピックとオリンピック両方に出場する選手が出始めた。

最近では、障碍者と健常者の差は縮まる一方である。将来的にはサイバスロン大会の出場者が技術の発達で、オリンピック記録を上回る可能性もあるだろう。
電脳や義体といった表現が説明不要で受け入れられるようになった現在、サイバスロン大会は、フィクションがリアルに変わる大きな原動力になるかもしれません。

小型のモーターなどを搭載し動作をサポートするバイオニック義肢・義足を使うアスリートが100m走タイムがウサインボルト記録を遠からず超えるだろうし、2020年の東京パラリンピックではオリンピックの選手を超える記録を出す義足が出現するかもしれません。それがもっと進んで義体化が日常になった時、我々の身体に対する考え方はどう変わるのだろうか?

2020年サイバスロン大会が東京で開かれることを期待したい。そして、オリンピック、パラリンピックと融合していくことも期待したい。





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熱戦を繰り広げた
リオデジャネイロオリンピック2016は、間もなく閉会する。
私も御多分に漏れず、朝目覚めたら、今日は日本がメダルを獲得しているか確認するのが何よりも楽しかった。

しかも、内容が逆転に次ぐ逆転、見応えのある充実した大会であった!

日本はメダル41個も獲得できて、本当に良かった!メダルには至らなかったが世界の印象に残る大金星も競技でも競技以外でも日本は獲得した!

テロも起きず、当初わたしが抱いていた期待よりも大きな感動ドラマを次々に観ることができた。さすが4年に一度の人類最大、最高のスポーツの祭典である。

1.難民選手団が結成されたことが何といっても印象的だった。
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日本にいると、肌で感じることの少ない難民問題であるが、2015年9月、海岸に打ち上げられ横たわるシリア難民の男児写真を見た時は、心が張り裂けそうになったが、その後私はまた無関心になっていた。だが、リオ五輪で再び難民問題を考えさせられた。

米ソ冷戦が集結して20年、米国の一極集中によるポスト冷戦は、愚かな米国オバマ大統領によるの世界警察官辞職宣言によってポスト冷戦期と言う米国一極集中による平和な時代は終焉を迎えた。

今、世界は秩序なき世界になりつつある。ISやボコハラムなど暴力集団の発生と増殖し、既存世界秩序を無視する暴力集団から逃れる大変な数の難民が発生したのである。

増えすぎた人類は狭い地球で行き場を失くしている。愚かなドイツのメルケル首相は、EU周辺諸国の国情も考えずエゴイスティックにきれいごとで難民受け入れを表明した。もはや難民問題は博愛精神で簡単に片づけられる問題ではなくなった。

気の毒な難民を支援するということは、呑気に暮らす我々がその平和を手放す覚悟がない限り安易に支援すべきではない。狭い地球で、非難民である先進国の市民がその平和を犠牲にせず、気の毒な難民を救うことができるだろうか?先進国の市民が平等に貧しく悲劇を背負って生きる覚悟を持てるか否かである。

先進国と言われえる欧州も日本も、中世から近代を実現させる為に、血で血を洗う内戦(シビルウォ-)を経験して、近代社会を建設してきたのだ。中東やアフリカは真の近代社会を実現させる為に、血を血で洗うシビルウォーの真っ最中であるという考え方も成り立つ。近代技術によって移動手段があるからこそ難民という問題が発生してしまったのかもしれない。

大変なお叱りを受けるかもしれないが、難民は、自国に留まって内戦(シビルウォ-)を経験しなければ、真の難民問題は解決しないのではないか?とも考えてしまう。

難民選手団は、どこか春の甲子園の21世紀枠のような、匂いがする。オリンピックに努力を重ねたにもかかわらず出場できなかったアスリートに対して失礼な気もするが、日々生きることすら大変な努力が必要な難民アスリート、その努力にも敬意を払わなくてはならないことを考えると、否定もできない。

リオの難民選手団は、難民問題を敢えて無視している私が、とんでもない人でなしであることを自覚させてしまった。生活に余裕がない先進国中流市民にとって、なんと迷惑なことか・・・私は心の余裕がない貧しい人間であると改めて自覚した。

2.組織的ドーピングで多数のロシア選手が出場できず
戦後の近代オリンピックは私が物心がついた頃ソ連や東ドイツは圧倒的な強さを誇っていた。ロシアになり、東西ドイツが統一された後も強さを維持していた。
それがドーピングの力に因るならば、恥ずべき行為であると思う。

だが、大会目前に出場を拒んだIOCの決定には些か納得がいかない。ロンドン五輪以降ドーピングをしていた選手は当然出場停止となっても仕方がないだろう。だがなぜ、パラリンピック選手まで出場停止には納得がいかない。パラリンピック選手がどうドーピングをしているかの納得のいく説明がない。例えばパラリンピック選手が腕の筋肉に筋肉増強剤を使ったとしても・・・ドーピングなのか?リハビリや治療の一環なのか・・・区別がつくのか?私は些か出場できなかったロシア選手に同情してしまう。

しかし、現代科学はips細胞など、神の領域に踏み込んでいる。
米国のDARPA国防高等研究計画局サイボーグ兵士の開発に着手している。
ドーピング問題をここで止めなければ、やがてアスリートの遺伝子を操作するサイボーグ選手が出現するのも時間の問題かもしれない。ショッカーの改造人間ではないのだから、ドーピング問題は多少強権的かもしれないがここで遮断しなくてはならない。

3.日本.競泳陣の活躍メダルラッシュ!
競泳・女子200m平泳ぎ金藤選手の金メダル、男子400m個人メドレー荻野選手の金と瀬戸選手の銅 男子200m個人メドレーでも荻野選手の銀、男子200mバタフライ坂井選手の銀、女子200mバタフライ星選手の銅、何といっても男子800mの52年ぶりの銅メダル水泳日本!東京では幾つメダルを取るのか!素晴らしかった。


4.陸上男子400mリレーウサインボルトに迫った韋駄天日本の銀メダル
奇跡のバトンリレーに世界が興奮した

第一走者山県亮太選手、 第二走者飯塚翔太選手 第三走者桐生祥秀選手 アンカー ケンブリッジ飛鳥選手は掛け値なしに速かった。賛辞にを語る言葉は幾つあっても足りはしない。通称「4継」、陸上男子400メートルリレーで日本が銀メダルを手にした。前を行ったのは短距離3冠のボルト選手が率いるジャマイカだけで、37秒60はアジア新記録の快事である。

日本のバトンパスが世界から称賛されている。研究と練習を重ねて無駄を排したバトンパスは、〈人類最速〉のボルト選手を脱帽させたという。未到の領域とはいえ、日本人ランナーが100メートルを9秒台で駆け抜ける日もそう遠くはあるまい。4年後の東京五輪が楽しみだ。

大げさであれ何であれ、賛美の言葉は惜しまない。

5.羽根田卓也、カヌーで日本初アジア人初の銅メダル!
日本ではマイナー競技のカヌー、アジア人初のメダリストとなった羽田選手はすごい。高校卒業後、単身スロバキアに渡って競技を続け、初出場の2008年北京で14位、2012年のロンドンでは7位に入賞した。3度目のオリンピックで悲願のメダルに輝いた 単身スロバキアにカヌーの為に渡り、結果を出したのだから凄い。
野球の野茂選手とか、サッカーの奥村選手、三浦選手、単身海外の強国へ乗り込み武者修行に飛び込んだ武者としてカヌーの羽田選手は同列である。何事もパイオニアは尊敬に値する。

6.逆転でつかんだ体操男子団体12年ぶり金、レジェンドとなる内村選手の逆転個人総合2連覇!男子種目別跳馬白井選手の銅!
団体の金メダル、個人総合の白井選手2連覇、感動した!

でもなー欲を言えば、種目別でもう少しメダルを期待していたのに白井選手の跳馬だけに留まり、残念だった。

7.ラグビー男子が強豪NZ破る、Wカップ再来のジャイアントキリング!

ベスト4にメダルが無いのが残念・・・金星連発の大活躍に興奮しました。

8.柔道・ベイカー選手、田知本選手が金メダル。メダルの宿命を背負う日本柔道選手たちの活躍




9.卓球女子団体が独との熱戦の末に敗れるが、銅メダルは分解すると金と同じ!


10.男子卓球団体銀、水谷選手の個人銅メダル。卓球日本の復活!


【高画質動画】リオ五輪・卓球)水谷選手!銅メダル!現地時間2016年8月11日

11.テニス錦織が銅、日本人選手のメダル獲得は96年ぶり

12バドミントン女子、高橋・松友組が金メダルシングルス奥村選手の銅


13レスリング女子が4階級で金メダル、伊調が4連覇達成
14レスリング吉田4連覇ならず、涙の銀メダル

15.男子レスリングも復活のグレコローマン男子59kg級太田選手、フリースタイル男子57kg級の樋口選手の銀メダル


16.シンクロペアと団体銅メダル。井村ジャパン!


17.陸上男子50km競歩の荒井選手のデットヒートは手に汗を握った!勝てて良かった初の銅メダルそして4位のカナダ選手のフェアプレイ精神にアスリート精神を感じた。
「3時間半レースの疲労を知る人は少ない。接触はよくあること。彼が故意だったとは思えない」
「CASへ抗議することもできたけど、これ以上続けることは誠実だとももふさわしいことだとも思えなかった」
「荒井も同じく苦しんでた。彼が僕の肩にかすったけど、僕はアグレッシブに歩くから、もしかしたら彼のほうへ近寄ったのかもしれない。ビデオを見てみても、彼がわざとだとは思えなかった」
「自分自身に問いかけたんだ。このメダルを受け取って誇れるだろうか。夜眠ることはできるだろうか。そして決めた。レースにはすごく誇りを持ってる。彼の結果を奪い去ることなんてできないよ」

18.予選敗退した男子サッカーだったが、惜しかった。それより緒戦日本の相手国、窮状のナイジェリア選手団を救った高須クリニック医院長が金メダルだった!
美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長は21日、リオデジャネイロ五輪サッカー男子で銅メダルを獲得したナイジェリア代表チームに、支援金とボーナスとして計39万ドル(約3900万円)を手渡した。高須氏は、資金難からさまざまな問題に直面した同代表チームへの金銭的支援を表明し、直接手渡すために現地を訪れていた。

同代表チームは大会第16日の20日(日本時間21日)、高須氏の太っ腹に勇気づけられたのか、3位決定戦でホンジュラスを下し、ナイジェリアにとって今大会で初めてとなるメダルを獲得。スタジアムで観戦した高須氏は試合後、自身のツイッターで、シアシア監督とミケル主将に支援金20万ドル(約2000万円)と選手19人への銅メダルボーナス19万円ドル(約1900万円)の小切手を手渡す写真を公開した。

また、銅メダルを手にするミケルと満面の笑顔で収まったツーショットや、高須氏の演説に耳を傾ける選手たち、上機嫌な同国のスポーツ相の写真も掲載している。

同代表チームをめぐっては、給料の支払いが遅れたり移動費を選手が立て替えるなどの問題が起き、準々決勝前にはボイコット騒動が発生。ナイジェリアのファンだという高須氏はツイッターで「本当に気の毒だ」とし、20万ドルの寄付とメダル獲得時のボーナスを支払うと表明。19日、リオへと飛び立った。

ナイジェリア国内からは高須氏に対し、「ナイジェリアへの愛を示してくれてありがとう。イエス・キリストの名において天国へ召されることでしょう」「ドリームチームへのあなたの愛に感謝します」といったメッセージが寄せられている。

(五輪速報班)

19.重量挙げの三宅選手の銅も賞賛に値する。

20.メダルに一歩及ばなかったが、女子バレーと女子バスケット、女子ラクビ―どれも女子球技は見ごたえがあった。



21.女子ゴルフの野村選手は惜しかった!

22フェンシング太田、初戦敗退・・・剣道がオリンピック種目なら・・・空手はどうせやるなら、種目として極真空手方式の直接打撃種目も設けるべきだろう。

競泳・フェルプス(米)が五輪通算23個の金メダル獲得し引退

伝説のボルト、陸上100mなどで3連覇達成

流れ弾、緑色のプール、テレビカメラ落下…会場めぐるトラブル相次いだが、予想を覆しての大成功だった。


リオ五輪で最も記憶に残った出来事は数多くの逆転劇だっただろう。大切なのは
諦めない気持ちだと我々に伝わったような気がします。

一番逆転したのは、事前の悪評から成功したリオオリンピックだったかもしれない。

追記
ふがいない日本マラソン陣であったが、最後の最後にカンボジア代表元日本人芸人
「猫ひろし」が139位で完走した!なんと客席から「カンボジアコール」が巻き起こり、サインまで求められる人気!ゴール地点のブラジル人を盛り上げる金星をあげた。


客席から起こるカンボジアコールに、「にゃー!」とお決まりのギャグで応えた。
その直後、猫ひろしのもとには写真やサインを求める人々が殺到!
まさかの人気ぶりに、Twitterブラジルで売れた!と呟いている。
ゴール後、客席から『カンボジアコール』がきたので、これでもかって位盛り上げたら、終わった後まさかの大人気でサイン会。ブラジルで売れた!」

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38歳、身長151cmの芸人猫ひろしのベストタイムは2時間31分58秒日本統治時代の朝鮮出身の日本の男子マラソン選手 孫 基禎(そん きてい、ソン・ギジョン、1912年8月29日 - 2002年11月15日)選手が1936年のベルリンオリンピックで、アジアの選手として初めてマラソンで金メダルを獲得した時のタイムは2時間29分19秒。
ベルリンオリンピックであればメダル圏内の実力である。

芸人ごときと侮蔑する話ではなく、立派なアスリートとして、五輪に出場した元日本人として、尊敬すべき話だったと思う。


リオ閉会式の安倍マリオの海外反応は大好評のようだ!




絶賛である!
閉会式安倍首相は最高だったが、旗を受け取る都知事が和服の小池知事で絵になった!もしチャイナ服の舛添だったら最低だったかも(笑)舛添じゃなくって本当によかった!私も世界中の人たちと同じく4年後を期待しようと思う。

小池知事 頑張って下さい!




韓国・中国の金メダル激減の理由 ビデオ判定で八百長困難に
【世界のニュース トトメス5世】2016年08月18日17:00

ロンドン五輪で海老沼は審判買収で敗れたが、買収されなかった審判が異議を唱え判定は覆った。
この事件がおそらく八百長試合撤廃の転機になった。                                                                  
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リオ五輪で驚くべき事態が起きていて、それは審判の誤審がいつもよりとても少ないことです。

過去の誤審が実は審判買収であり、わざとやっていたのは明らかでした。


常勝国家に異変

書いている時点でリオ五輪も残り3日ほどになったが、今回は各国のメダル獲得数に大きな変動が起きている。

目に見えて減少したのがロシア、韓国、中国の東側(?)3カ国で、それぞれかなり酷い。

まずロシアはソチ五輪の組織的ドーピングで多くの選手が出場禁止になり、メダル数も激減しました。
2012年ロンドンでは金24個、合計81個だったが、今回は残り3日の時点で金6、合計14と4分の1ほどに止まっている。

次に惨敗ペースなのが中国で、ロンドンでは金38個、合計88個だったのが、今回は金17個、合計34個に止まっている。

中国は出場禁止こそ受けなかったが、80年代から90年代にかけて「無敵の馬軍団」と呼ばれた陸上などで、組織ドーピングの内部告発があった。


つまり今までばれていなかっただけで、やっている事はロシアと同じだったのでした。

そもそも中国の五輪メダルは不自然で、それまでゼロだったのが、1984年ロサンゼルスから爆発的に勝ち始めました。

中国が勝っているほとんど全ての種目で、国家ドーピングが疑われています。


3つ目が韓国で、2012年ロンドンでは金13合計28だったが、今回は残り3日で金6、合計14個に止まっています。

旧ソ連を起源とするドーピングは東側(共産国側)で盛んだったが、比較すると西側では少なかった。

西側が良心的なのではなく、国家が強権を持つ共産国に対して、民主主義国ではやりにくかったからでした。



買収と八百長で得たメダル

代わりに韓国が精を出したのが審判の買収で、審判が得点を決める競技では無敵と言えるほど強いです。

代表選手が冬季五輪のフィギュアスケートのキムヨナで、現役時代ほとんど負けたことがありませんでした。

その勝ち方は不自然で、転倒しても最高得点、ジャンプに失敗しても最高得点を連発していました。


フィギュアスケートは他の競技と違い、協会が秘密主義で役員の名簿すら公表されていません。

そして審判の選出方法もまったくの謎で、誰が決定しているのかも非公開です。

そしてキムヨナがメダルを獲得した全ての大会では、キムヨナのコーチが審判をしていました。


日本柔道の監督は井上康生で、井上が日本選手が出場する試合で審判をやって手心を加えたら、全員金メダルを取れますが、そういう事でした。

キムヨナが何度転倒しても最高得点だったのは、キムヨナの元コーチが必ず最高得点を入れ、他の審判にも高得点を強要していたからです。

2012年ロンドン五輪は韓国がらみの不自然な判定が特に多く、サッカー、柔道、フェンシングなどほぼ全ての競技で「韓国がらみのおかしな事件」がおきていました。


最悪だったのが日本の海老沼とチョ・ジュンホとの試合で、海老沼が勝ったのに審判が取り消して韓国選手が勝ちました。

柔道では世界的に有名な「日本を絶対に勝たせない審判グループ」が存在し、海老沼はその連中に当たったのでした。

韓国が過去に獲得した判定がらみのメダルは、全てがこうした不正、八百長によって手に入れたものです。


キムヨナが金メダルを取った全ての演技で、キムヨナの元コーチが審判をしていた。
原辰則が巨人の試合で必ず主審をするようなもの。                  
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                                                   増えた日英

ところが今回IOCは八百長禁止のためビデオ判定を導入し、相手が異議を唱えるとビデオ審査する事にしました。

「韓国による八百長を防止する為」とは言っていませんが、そうである事は誰の目にも明らかです。

この結果韓国は今回の五輪で、審判が判定する競技で全く勝てなくなり、柔道では金メダルゼロに終わりました。


6個の金メダルのうち5個はアーチェリーと射撃で、審判が関係する種目ではフェンシングだけでした。

過去に韓国選手はサッカーで相手選手の顔面を蹴飛ばしたり、柔道で殴る蹴るの反則をしましたが、審判を買収していたので一度も咎められませんでした。

例え試合で負けても海老沼のように無効を宣言して、試合結果をひっくり返していました。


IOCでは誤審防止のためと言っているが、誤審とは買収の事であり、買収は西側諸国のお家芸です。

最近欧州や南米ではサッカーの八百長や買収が次々に発覚し、全ての欧州プロチームが過去に八百長をやっていたのが分かりました。

サッカー日本代表監督のアギーレも八百長試合で解任され、有名選手の大半も八百長に関与したといわれています。


不正撲滅でメダルを減らしたのはロシア、中国、韓国でしたが、メダルを増やしたのはイギリス、日本でした。

アメリカは前回金46個、合計104個で今回は金28個、合計86個になり、金は減りそうだが合計では同じくらいでしょう。

ドイツは前回金11合計44だったが、今回は金11、合計28とメダル数を大きく減らしそうです。


因みにドイツは「ドーピング超大国」東ドイツと合併した1992年大会では82個もメダルを取っていて、大半がドーピングによる成果だと思われます。

その後ドイツのメダル数は大会の度に減少し、今回は30個台に止まるでしょう。

日本は今回、過去最高のメダル獲得ペースで、どの国が八百長や審判買収、ドーピングでメダルを得ていたのかが推測できます。



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