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カテゴリ: 書評・読書感想

デイリー情報を流します。私が毎日チェックしているYouTube等で、皆さんも見ましたか?役立ちそうですという情報番組を紹介しコメントします。


3/14奥山真司の「アメ通LIVE!」東アジア有事と米国海兵隊|サウジ・チャイナ・イラン|名誉回復する米国魔女|後半→
アメ通でエマニュエル・トッドの『老人支配国家』に明日はないが紹介されました。
イラク戦争後の世界を予想し世界的ベストセラーとなった「帝国以後」の著者
エマニュエル・トッド
当ブログでエマニュエル・トッドの本は幾つか紹介してます、読み返したら面白かったのでエマニュエル・トッドに関心があればご参考にして下さい。


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欧州「左派」の「観念的理想論」への痛撃
日本の怠惰な「少子化対策」も徹底批判
【現代の理論】池田 祥子



『老人支配国家 日本の危機』(エマニュエル・トッド著/文春新書/2021.11/935円)
エマニュエル・トッド
1951年フランス生まれ。歴史家、文化人類学者、人口学者。ソルボンヌ大学で歴史学を学んだのち、ケンブリッジ大学で博士号を取得。各国の家族制度や識字率、出生率、死亡率などに基づき現代政治や社会を分析し、ソ連崩壊、アラブの春、トランプ大統領誕生、英国EU離脱などを予言したことで「有名」である。

主な著書に、『経済幻想』『帝国以後』『家族システムの起源』『世界の多様性―家族構造と多様性』(以上、藤原書店)、『シャルリとは誰か?』『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』(以上、文春新書)、『グローバリズム以後』(朝日新書)などがある。

世界の家族、五つの型
E・トッドは、人間形成の基層を担う「家族」に着目し、実証的な研究の結果、次の五つの型を提示している。世界各国の政治、経済との関連も深いため、初めに紹介しておこう。

「絶対核家族」・・・英米中心――子どもは早くから親元を離れ、結婚すると独立した世帯を持つ/遺産相続は親の意思による遺言で決まることが多い/親子関係は自由/兄弟間の平等は重視されない

「平等主義核家族」・・・フランス北部、スペイン、イタリア北西部――子どもは結婚すると独立/相続は、男女別なく、子どもたちの間で平等

「直系家族」・・・ドイツ、フランス南西部、スウェーデン、ノルウェー、日本、韓国――通常は、男子の長子(時には末子)が跡取り/結婚した後も父の家に住んで、すべてを相続/親子関係は権威主義的、兄弟間は不平等

「共同体家族」・・・男の子は全員、結婚後も親の家に住み続ける、一つの巨大な「共同体」となる/相続は平等だが、親子関係は権威主義的

(そのⅠ)「外婚制共同体家族」(イトコ婚を認めない)・・・中国、ロシア、北インド、フィンランド、ブルガリア、イタリア中部トスカーナ地方

(そのⅡ)「内婚制共同体家族」(イトコ婚を選好する)・・・アラブ地域、トルコ、イラン(ユーラシア大陸中央部の広大なエリア)

一考に値するE・トッドの提言
本書を取り上げたいと思った主な動機は、日本の家族のあり様と、それに規制される「非婚・少子化」傾向に警鐘を鳴らしているE・トッドの見解を、改めてじっくり考えてみたいと思ったからである。しかし、本書には、それ以外に、E・トッドの世界認識、現状認識がザックバランに展開されている。

「左派」の人間である私にとっては、E・トッドの見解・提言は、どちらかと言えば首を傾げたくなるものも少なくないが、「理想を掲げて現実を疎んじる」というこれまでの「左派」の習性や限界の指摘とともに述べられる時、今しばし、彼の「現実主義的な」意見にも耳を傾けてみようと思い直している。以下、いくつか紹介しよう。

 ①世界をリードしてきた英米
フランス人であるE・トッドは、以下に見るように、近代史の中で、とりわけ英米に着目し、彼らの「経験主義」「近代国民国家=ナショナリティ」を評価している。

――17世紀末以降、世界史にリズムを与え、これを牽引してきたのはアングロサクソンの英米で、この構図は今後も大きくは変わらないでしょう。私はフランス人ですが、個人的にも、フランスの哲学や観念論より、英米の経験主義に敬意と共感を抱いています(p.3)。

――17世紀末から世界史にリズムを与え、牽引してきたのは、英米です。このことをフランス、日本、ドイツ、ロシア、中国の人々は謙虚に受けとめなければなりません(p.109)。

――英国人が発明した近代国民国家は、資本主義の発展に必要不可欠でした。実際、英国と米国の経済的離陸は、非常に高い保護主義の障壁があったからこそ可能になったのです(p.113)。

――米国、英国においては、現行システムへの反逆が、そのシステムを支えている体制の内部から起こったのです。ボリス・ジョンソン、ドナルド・トランプは既存体制内で優位な立場にある人間です(p.104)。

さらに、シュンペーターが『経済発展の理論』(岩波文庫)の中で述べた、「〝創造的破壊”を起こせなければ資本主義はダイナミックに動かない」という結論を受けて、E・トッドは、重ねて自分の考えを強調している。

――(英米のリードについて)その深い理由は・・・英米の伝統的家族形態、すなわち「絶対的核家族」にあります。絶対的核家族においては、子供は大人になれば、親と同居せずに家を出て行かなければならない。しかも、別の場所で独立して、親とは別のことで生計を立てていかなければならない。・・・これらのことが、シュンペーターの言う「創造的破壊」を常に促していると考えられます(p.112)。

 ②アメリカの「民主主義」―民主主義の隠された土台
――米国をつくった英国人たちは、そもそも人類の平等性を信じていませんでした。彼らがどうして民主主義的な理想を信じるに至ったかを説明するには、次の経緯を認めるほかありません。すなわち彼らは、まず先住民、続いて黒人という、白人以外の人種グループに劣等のレッテルを貼り付けることで初めて、米国では白人はみな平等なのだと思えるようになったのです(p.97)。

――民主主義はそれが始まったときから、自分たちを特別だと考えて、それ以外の者を排除し、そうすることでグループを成し、その内部で討議をする、ある特定の集団のものでした。英国の民主主義は、カトリックのローマ教会と袂を分かったプロテスタントの社会を母体として生まれ、米国の民主主義は、白人が社会から先住民や黒人を排除することで生まれました。/民主主義には、その発生時からエスノセントリックな(自民族中心主義的な)側面が埋め込まれているのです。ところが、「左」の政治勢力には、国際主義的、普遍主義的、グローバリズム的な価値観が非常に深く浸透している・・・。/これらのことが、民主主義の〝失地回復”が常に「右」で起きる理由です。つまり、左派が普遍主義的な価値観に足を掬われて、民主主義のエスニックな側面に遡及できず、もたもたしている間に、右派政党は自らにもともと備わっているその側面を打ち出すことで、自然と民主主義の〝失地回復”を求める票を集めてしまうのです(p.117‐118)。

――左派政党は文化的差別を排することに執心するあまり、実際には国際的な寡頭制(グローバル化した金融資本による支配)を代表することになってしまう。米国の民主党、フランスの社会党などがその例です(p.118)。

 ③EUおよびユーロ批判
E・トッドの「左派」批判は、EUの現実や「ユーロ」という共通貨幣に対して、さらに舌鋒鋭く、「〝牢獄”のようなEU」という言葉すら投げかけている。

彼の引用ばかりが続くが、いま少し、彼の言い分を聞くことにしよう。

――(欧州はユーロとともに死滅しつつある)・・・もともと1991年のマーストリヒト条約での「単一通貨を遅くとも1999年までに導入する」という合意に基づくものとして、(ユーロは)1999年決済用仮想通貨として、2002年には現金通貨として導入された(p.171)。

――遠い日本から見れば、ヨーロッパは一枚岩に見えるかもしれませんが、家族形態、言語、宗教、文化などは地域ごとに相当異なります。これほど多様な社会に単一通貨を導入しても、絶対に機能しません。マーストリヒト条約の間違いの元は、その「貨幣信仰」にあります(p.172)。

――EUのエリートたちは、単一通貨によってEU諸国の統合を加速しようとしたのです。これは1000年にもわたるヨーロッパ史のなかで培われてきたそれぞれの共同体を単一通貨によって数年のうちに融合してしまおう、という急進的なユートピア的夢想です(p.173)。

――ユーロ考案者は、単一通貨によってヨーロッパに平和で平等な世界が生まれると夢想しましたが、むしろ「弱肉強食の世界」が生まれたのです(p.174)。

――それぞれの国民経済は、通貨管理に関して独自の必要性を抱えています。各国は、独自の金融政策、通貨政策をもち、インフレ率をコントロールして失業率を改善するなど自国経済を善導しなければなりません。また「独自の通貨政策」に「独自の財政政策」が伴わねばならない(p.173)。

――戦後、平和をもたらすために必要で、かつ正統な理想でもあった「ヨーロッパ統合」というプロジェクトは、徐々にヨーロッパの人々の相互の敵対感情を生み出すものに変質しました。極右ポピュリズムは、通貨統合の産物です。単一通貨によって人々の精神までも不安定になっているのです(p.176)。

因みに、1992年、フランスでの「マーストリヒト条約」批准のための国民投票が行われた際(賛成51%の僅差)、E・トッドは反対票を投じ、次のような非難の弁を投じている。

「単一通貨構想はあまりに経済至上主義的で、あまりに現実無視の企てに見えたからです。ユーロは、ヨーロッパの歴史や現実の生活を知らない〝傲慢な無知の産物”〝机上の空論”です」(p.172)。そして、今も、「独り勝ちしたドイツ」と「疲弊しているその他の国々」を苦々しく見つめている。  

かつて、私の友人たちは「エスペラント語」を習得しようとしていたし、私自身もこの「世界共通言語」というものに憧れを持っていた。さらに「戦争反対」の思想とともに「アンチ国家」から「脱国家」を希求したこともある。そのためか、「ヨーロッパ統合」というEUやユーロに対しても、あまりにも呑気に眺めていたのかもしれない。それぞれの「国民国家」の歴史、文化、また経済における政治権力の働きなどについて、いま少し、「現実」に即して見なければ・・・と、E・トッドの指摘が徐々に浸透して来るのを感じる。

 ④「核兵器」について
人間の「科学的な知」が獲得し、到達した地平・・・「核兵器」について、私にとっては議論の余地なく、「即刻廃棄!」と考えているが、あまりにも遠大すぎて、実はこれもまた非現実的な願望なのかもしれない。どのようにして、「核兵器反対!」の世界的同意が得られるのか、また、たとえ万一、それが叶ったとして、現実的にどのような科学的処置によって、世界の核兵器が「廃棄」可能なのか・・・実は、私もまた、思考を停止したままなのである(というより、手に負えない?)。

E・トッドは、躊躇うことなく「核兵器」についても自説を堂々と述べているが、この点については、私はやはり保留したい。ともあれ、「核兵器」が存在している人間界には住みたくない!は、偽りなき心底からの願望だからである。

――核兵器は、軍事的駆け引きから抜け出すための手段であって、核の保有は、私の母国フランスもそうであるように、攻撃的なナショナリズムの表明でも、パワーゲームのなかでの力の誇示でもありません。むしろパワーゲームの埒外に自らを置くことを可能にするのが核兵器です。核とは「戦争の終り」で「戦争を不可能にするもの」なのです(p.⒔)。

――使用する場合のリスクが極大である核兵器は、原理的に自国防衛以外には使えないからです(p.⒕)。

日本を憂うるー「直系家族病」としての少子化
本書のタイトルは『老人支配国家 日本の危機』である。全面的に「日本の危機」が分析され指摘されているものと早やとちりしたのは、私だけであろうか。実際は、上記のとおり、「英米国の歴史と、歴史を創り変える力」「EUとユーロ批判」が半ば以上を占め、肝心の「日本への警告」は後半におもむろに登場している。

ただ、「ソ連崩壊」や「中国経済の隘路」を予言し指摘してきた彼の「家族形態論」「人口統計」を根拠にする方法論に基いているため、日本の「進行し続ける少子化社会」への批判は、断固として揺るぎがない。

――核家族システムのフランスでは、親を養おうという意識なんて希薄ですよ。婚外子の存在も普通のことですし、ひとり親でも子育てできる社会システムが整っているので、出生率も2.01にまで押し上げられています。

日本では、直系家族の価値観がますます少子化を進めていると思います。歴史人口学者として言っておきますが、日本における最大の問題は、「人口減少」と「少子化」です(p.225)。

「直系家族」の利点が今や「短所・病」に
――「家族」を重視することで、日本の優れた社会の基礎が築かれてきたわけですが、例えば子育てのすべてを「家族」で賄うことなど、もはやできません。老人介護も同様です。「家族」の過剰な重視が「家族」を殺す-「家族」にすべてを負担させようとすると、現在の日本の「非婚化」や「少子化」が示しているように、かえって「家族」を消滅させてしまうのです。「家族」を救うためにも、公的扶助によって「家族」の負担を軽減する必要があります。/日本の「少子化」は「直系家族の病」と言えます。日本の強みは、「直系家族」が重視する「世代間継承」「技術・資本の蓄積」「教育水準の高さ」「勤勉さ」「社会的規律」にありますが、そうした〝完璧さ”は日本の長所であるとともに短所に反転することがあり、今の日本はまさにそうした状況にあるのではないでしょうか(p.15)。

「少子化対策」と「移民受け入れ」
――移民を受け入れない日本人は「排外的」だと言われますが、私が見るところ、そうではなく、仲間同士で摩擦を起こさずに暮らすのが快適で、そうした〝完璧な”状況を壊したくないだけなのでしょう。しかし出生率を上げると同時に移民を受け入れるには、〝不完全さ”や〝無秩序”をある程度、受け入れる必要があります。子供を持つこと、移民を受け入れることは、ある程度の〝不完全さ”や〝無秩序”を受け入れることだからです(p.16)。

――私は基本的に移民を擁護する者、移民主義者です。ただし、移民の無制限の受け入れを無責任に擁護する者ではありません。移民の受け入れは人々の文化的な差異に注意しながら慎重に進めるべきだからです(p.73)。

――そもそも「移民受け入れ」と「少子化対策」は、二者択一の問題ではありません。双方を同時に進める必要がある。というのも、低出生率のまま移民受け入れのみを進めてしまえば、若い世代において「ホスト国住民」と「移民」との人口バランスが崩れてしまうからです。そうなると、移民の健全な社会統合もできなくなります。移民を受け入れるためにも、出生率を上げ、若い世代を増やす必要があるのです(p.72-73)。

以上が、E・トッドの日本社会の「家族形態」と「少子化」現象への警鐘、およびいくつかの解決のための提言である。

しかし、社会の基底部分である「家族」のあり様を変えていくことはなかなかに手強いことである。しかも日本の場合は、政権与党を初めとして、「日本の伝統的家族」への拘りがいまなお根強い。そのためか、「選択制」の「夫婦別姓」を進める法案ですら、30年近く棚ざらしである。

また、いわゆる「世間」においても、以下の「常識」は「したたか」である。

・結婚相手の選択軸は、男性の経済力/女性の「若さ」「家事力」

・子育てにおける、母役割の強調

・子育ての「成果」としての「学校進学」「有名大学選択」 etc.

一方、E・トッドは、「日本は秩序の社会で、決定が上から下される社会ですが、それでいい、『上からの改革』に合った社会だからです」(p.82)と奇妙な誉め方をしている。だが、「タテ型社会日本」では、官僚内部では「忖度」、書類やデータの破棄、さらには統計の改ざんも目新しくはない。

ただ、そうだとしても、E・トッドの指摘する「日本の少子化」にまつわるさまざまな「危機」に対して、「上」も「下」も、傍観が許されないのは事実であろう。

いけだ・さちこ

1943年、北九州小倉生まれ。お茶の水女子大学から東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。元こども教育宝仙大学学長。本誌編集委員。主要なテーマは保育・教育制度論、家族論。著書『〈女〉〈母〉それぞれの神話』(明石書店)、共著『働く/働かない/フェミニズム』(小倉利丸・大橋由香子編、青弓社)、編著『「生理」――性差を考える』(ロゴス社)、『歌集 三匹の羊』(稲妻社)、『歌集 続三匹の羊』(現代短歌社、2015年10月)など。






「アメリカ覇権」という信仰 エマニュエル・トッド(Emanuel Tdd)
序章より
「いまやアメリカ合衆国の国力で残っているものと言ったら、〔アメリカが中心だと信じる〕周りの諸国の信じたいという欲求だけです。アメリカが中心的であり、良きことを産み出すことができると信じ続けられるのなら、藁をも掴む、というわけです。

(中略)

アメリカは無能だ、耐え難い、しかしそこにある。.それがなかったら、代わりに何があるというのか。分からない。

(中略)

これでもし世界に経済と金融の中心がなくなったとしたら・…。
人々が不安になるのももっともだと思いますよ。

(中略)

ソ連システムの崩壊についての私の予言は、ほぼ的中しました。しかしいざシステムが崩壊してみると、ロシアの苦しみの規模の大きさは、私の予想を完全に超えていました。ソ連邦の崩壊はまさに経済の崩壊だけではない。ほとんど宗教的とも言えるような集団的信仰の崩壊でもある、そしてそれは一五年から二〇年に及ぶ過渡期の苦しみ、生活水準の低下、混乱を産み出すのだ、こういったことを私は理解していませんでした。

いまでは私は、アメリカについて『帝国以後』は楽観的に過ぎる、私はいささか一ソ連の時と一同じ間違いをしでかしてしまったのだと、考えるようになっています。

(中略)

耐用年数の尽きたシステムの崩壊を予言するのは、ほぼ為しうることです。しかし良いタイミングで行なうというのは、そう簡単な話ではありません。ロシアについては、私はほぼ良いタイミングで行なうこと
ができました。

アメリカに関しては、事は私が予想したよりはるかに急速に進んでいます。私は定年に近付いた頃に、アメリカ・システムの崩壊を研究するつもりでいましたから、あまりにも速すぎるわけです。(本書第1章「『アメリカ覇権』という信仰」)

「その過去の産業の繁栄の名残にほかならない軍隊、その今なお余韻として残るイデオロギー的威信、こうしたもののお蔭でアメリカ合衆国は、財よりは、むしろドルという世界通貨を『生産する』ことができるのである。しかしそれもあと何年続くやら。

しかし一九九九年から二〇〇八年までの間に、ユー口に対して四分の一も安値になるというドルの凄まじい下落は、終わりが近いことを告げている。それでも真面目な人々は迫りくる破局から目をそむけ、現在の生活を、不平等をせいぜい利用しようとしている。何ごとも短期という強迫観念は、金融市場を侵しているだけではない。もはや形而上学的展望を持たぬ世界の法則そのものとなっているのだ。(『デモクラシー以後』石崎晴己訳、藤原書店、二〇〇九年六月)

'中心を求める信仰の必然性と虚構性’

外の世界にとっても、幻想としてのアメリカ合衆国というのはやはり興味深いものですが、アメリカ合衆国が言わば「父親」のようでしたので、そうなると世界は孤児になってしまいますね。

そうです。ですから世界はそれを受け入れないのです。しかし極端に走ってはいけません。軍事的覇権というのは、決して良いことはありません。それは戦争につながり、武カの濫用につながります。軍事的覇権に関しては、権力は腐敗する、絶対的権カは絶対的に腐敗する、というコンセプトに落ち着かざるを得ません。イラク戦争はおぞましい事態です。アメリカ軍がイラクでやったことは、人類史上最も忌まわしいことの一つです。最大の忌まわしさではないまでも、かなりのレベルの忌まわしさです。

それに対して経済的覇権の方は、必ずしも悪いばかりではありません。ヨーロッパは、事実上、軍事力の均衡があった第一次世界大戦以前は、ほぼ順調に作動していました。それに第一次世界大戦は、当時のヨーロッパがどれほど均衡点に近かったかを示しています。均衡を破るのに四年もかかったのですから。

大戦前に交易の調節をしていたのはポンドで、イギリスの覇権は良き調節機関であったわけです。そのイギリスの覇権は大戦後に崩壊しましたが、それは筆舌に尽くし難い混乱を引き起こしました。第二次世界大戦後はアメリカの経済的覇権が支配しましたが、それは軍事面ではソ連邦の存在によって行く手を阻まれており、全体として良いシステムでした。それは前代未聞の繁栄の時代を現出しました。

ですから私は、経済的な面では人々がアメリカの覇権の消減を恐れていることは全く理解できます。ここに来てまたしてもヨーロツパが何の手も打てないのは、そのためなのです。何しろ産業・技術・科学の重心はいまやヨーロツパに戻って来たのですから、もし地球の中心的知性というものがあったなら、それは向こう二〇年間、ヨーロッパに中心的調節機関の役割を保証したはずなのです。その後、中央調節機能は東アジアに移り、中国のテイクオフは完全に完了することになるでしょう。

それは信仰の問題なのです。宗教的信仰が崩壊する時に見られるような。いまやアメリカ合衆国の国力で残っているものと言ったら、〔アメリカが中心だと信じる〕周りの諸国の信じたいという欲求だけです。アメリカが中心的であり、良きことを産み出すことができると信じ続けられるのなら、藁をも掴む、というわけです。






















 







2023.3.15【米国】タッカー・カールソンの警告ーシリコンバレー銀行破綻とデジタル通貨【及川幸久−BREAKING−】
米国の左翼傘下の銀行が潰れバイデン政権は異常に早い対応で銀行救済を発表した。バイデン政権は裏でデジタル中央銀行通貨の導入を画策しているとタッカーカールソンが指摘、ちなみにシグネチャー銀行は民間のビットコイン業者ご用達銀行である。デジタル通貨を通して政府が国民のお金や収入個人的な行動を管理することが可能になるというものです。政府/政治家が支配する通貨/銀行の誕生➡大きな政府による金融支配自由アメリカの死 保守が支援する地方の中小銀行を破綻整理統合し左翼フレンドの4大銀行(ウェルズファゴ・バンクオブアメリカ・jpモルガンチェイス・シティグループへ統合


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【ニコニコニュース】2020/10/02 06:30BOOKウォッチ

本書『公安調査庁――情報コミュニティーの新たな地殻変動』(中公新書ラクレ)は外交ジャーナリスト・作家の手嶋龍一さんと、作家・元外務省主任分析官の佐藤優さんが、公安調査庁の変容ぶりを語り合ったものだ。ともに国際情報の専門家として知られる二人が、最近の公安調査庁をきわめて高く評価する内容となっている。

これまでにも共著

 手嶋さんは1949年生まれ。NHK記者として政治部などで活躍。ワシントン支局長、ハーバード大学国際問題研究所フェローを経て2005年に独立。インテリジェンス小説『ウルトラ・ダラー』を発表しベストセラーに。『汝の名はスパイ、裏切り者、あるいは詐欺師』など著書多数。

 佐藤さんは1960年生まれ。英国の陸軍語学学校でロシア語を学び、在ロシア日本大使館に勤務。2005年から作家に。同年発表の『国家の罠』で毎日出版文化賞特別賞、翌06年には『自壊する帝国』で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『修羅場の極意』『ケンカの流儀』『嫉妬と自己愛』など著書多数。手嶋さんとの共著『インテリジェンスの最強テキスト』などもある。

 本書は、以下の構成。

 第1章 金正男暗殺事件の伏線を演出した「最弱の情報機関」  第2章 コロナ禍で「知られざる官庁」が担ったもの  第3章 あらためて、インテリジェンスとは何か?  第4章 「イスラム国」日本人戦闘員の誕生を阻止  第5章 そのDNAには、特高も陸軍中野学校もGHQも刻まれる  第6章 日本に必要な「諜報機関」とは

細菌・ウイルス戦の情報にも対応

 第1章では、2001年に、北朝鮮の現在の最高指導者の兄である金正男が、日本に不正入国を図って国外退去処分になった事件の内幕が報告されている。手嶋さんによれば、端緒は公安調査庁が英国のMI6から入手した情報に基づくもので、「日本に公安調査庁あり」と、主要国の情報機関に注目されるきっかけになったという。

 第2章では、コロナ禍と関連づけて公安調査庁の仕事ぶりを紹介している。新型コロナウイルスが中国のウイルス研究所から漏れたという説があることを背景に、佐藤さんは、「日本では、公安調査庁だけが唯一、細菌・ウイルス戦の分野で情報を蓄積したのです。オウム真理教が引き起こした松本サリン事件と地下鉄サリン事件に取り組んできたからです」と同庁が細菌・ウイルス戦にも対応してきたことを強調している。手嶋さんは「アメリカの国立医療情報センターのような組織を公安調査庁のブランチとして考えてはどうでしょうか」と提案している。

 第4章では、一時は大きく報道された「北大生シリア渡航未遂事件」を取り上げている。イスラム国の兵士に志願しようとしていたとして、警視庁公安部が北大生や関係者を「私戦予備・陰謀」容疑で書類送検したというもの。この事件でも端緒は公安調査庁による関係者の監視活動だという。ただし事件としては不起訴になっている。

国際テロ対策を重視

 本書ではこうした個別の案件と公安調査庁のかかわりだけでなく、近年の同庁全体の様変わりぶりに特に力を入れて紹介している。

 公安調査庁は定期的に、「内外情勢の回顧と展望」「国際テロリズム要覧」をまとめて公表しているが、変身ぶりはその内容からもうかがえるという。

 「読んでみると、公安調査庁の活動が、大きく様変わりしていることが分かります。かつては、調査・監視の対象が、共産党、武装極左グループ、オウム真理教でした。2020年の『内外情勢の回顧と展望(令和2年1月)』は、全体の構成を見ただけで『主役』の後退は明らかですね」(手嶋さん)  「古典的な『ターゲット』への記述がぐんと減っているのに対して、国際テロ対策などが非常に大きくクローズアップされています」「あらためて『内外情勢の回顧と展望』の全体構成に戻ると、国外の方が先にきています。内外情勢ではなくて、『外内情勢』になっている」(佐藤さん)  「国外での情報収集活動に急速にウェートを高めている。あきらかにインテリジェンス機関として方向転換を図っていることが、『回顧と展望』からもはっきりと読み取れます」(手嶋さん)
 日本に来て生活しているイスラム圏の人たちに接触し、母国に帰ってから情報提供者になってもらうような工作に力を入れていることも特筆されている。海外に派遣された公安調査庁の職員が、現地の大使館で警備官の仕事に就き、3日に一回その仕事をするが、あとの時間で本来の業務、すなわち情報活動をするというようなこともあるのだという。

元長官が逮捕された

 インテリジェンスと言えば聞こえがいいが、日本語では「諜報」のこと。簡単には身分を明かせないし、協力者づくりは容易ではない。様々なリスクもある。

 ネットを調べると、金が欲しい劣悪な協力者(情報提供者)のガセ情報に引き回されるケースが少なくないとか、調査官自身が話を作ってしまうことすらあるという関係者の内輪話も出てくる。

 芳しくない事例では2007年、元長官が詐欺事件に連座して逮捕された事件があった。12年には複数の調査官が活動費を不正に受領したとして処分されたことも新聞報道されている。『日本の情報機関―知られざる対外インテリジェンスの全貌』 (講談社+α新書)は、1999年に日経新聞の元記者が北朝鮮で旅行中に逮捕され長期拘置された事件について、「その元記者は公安調査庁の協力者だった」と書いていた。一歩間違えは、あちこちに影響が波及する。

 同庁の定員は1660人で予算は150億円規模だという。BOOKウォッチで紹介した『内閣情報調査室――公安警察、公安調査庁との三つ巴の闘い』(幻冬舎新書)によると、年間の「調査活動費」は約20億円。協力者への報償金は「手交金」と言われ、協力者を取り込むための手段は「カネ」がすべてだという。相応の協力者には月額10万円から50万円程度が振り込まれ、価値の高い協力者は「青天井」なのだという。

議会の十分な監視は及んでいない

 同書によれば、公安調査庁は長年、日本共産党や過激派の監視・工作活動が中心だったが、対象とする組織の弱体化で、同庁もリストラ対象という声が出始めた。そこで新たな調査対象として「オウム」と「海外」が導き出されたのだという。その後、「オウム」も弱体化したので、必然的に「海外」に力が入ることになったのだろうと推測できる。

 そもそも同庁の仕事は破壊活動防止法や、団体規制法などに基づいている。「国際テロ重視」を旗印にどこまで拡大していくのだろうか。

 やはりBOOKウォッチで紹介した『自衛隊の闇組織――秘密情報部隊「別班」の正体』(講談社現代新書)によると、自衛隊も海外情報の収集に力を入れ、身分を偽装した自衛官が海外で活動しているのだという。著者の共同通信編集委員・石井暁さんは、米国のCIAや英国のMI6の例を出しつつ、自衛隊内の闇組織に対するシビリアンコントロールの大切さを指摘していた。

 そのあたりは、手嶋さんも先刻承知のようだ。「日本では、公安調査庁や内閣情報調査室を議会がコントロールしているかと言えば、ほとんどグリップが効いていないと思います」と語っている。佐藤さんも「その通りですね。公安調査庁に限らず、外務省のインテリジェンスにも、警備・公安警察の活動にも、議会の十分な監視は及んでいないと思います」と同意していた。

 日本では、2010年に警視庁公安部のイスラム関係の内部資料がインターネットに大量流出した事件が起きた。協力者づくりや監視活動の詳細がオープンになり、警視庁は大きなダメージを受け、訴訟も起きた。公安警察と公安調査庁は、微妙な関係にある。近年の公安調査庁の海外情報の収集活発化には、この流出事件による警視庁の信頼失墜も影響しているのか、そのあたりも知りたいところだった。

 BOOKウォッチでは関連で、『内閣調査室秘録――戦後思想を動かした男』 (文春新書)、『潜入中国 厳戒現場に迫った特派員の2000日』 (朝日新書)、『官邸ポリス 総理を支配する闇の集団』(講談社)、『ドローン情報戦――アメリカ特殊部隊の無人機戦略最前線』(原書房)、『サイバー完全兵器』(朝日新聞出版)、『超限戦――21世紀の「新しい戦争」』(角川新書)、『陸軍・秘密情報機関の男』(新日本出版社)、『証言 沖縄スパイ戦史』 (集英社新書)、『陸軍登戸研究所〈秘密戦〉の世界――風船爆弾・生物兵器・偽札を探る』(明治大学出版会)、『邦人奪還』(新潮社)、『三階書記室の暗号――北朝鮮外交秘録』(文藝春秋)、『北朝鮮 核の資金源――「国連捜査」秘録』(新潮社)なども紹介している。

書名:  公安調査庁
サブタイトル: 情報コミュニティーの新たな地殻変動
監修・編集・著者名: 手嶋龍一、佐藤優 著
出版社名: 中央公論新社
出版年月日: 2020年7月10日
定価: 本体840円+税
判型・ページ数: 新書判・256ページ
ISBN: 9784121506924

たいへん、面白い本であった。最近佐藤優氏の本は読む気が失せてきたのだが、手嶋龍一氏との共著であったせいか、久々に読んだ気がする。

日本のインテリジェンス機関には、内閣情報調査室 公安警察/外事警察、公安調査庁、自衛隊情報保全隊、秘密情報部隊「別班」といったところがあります。

内閣情報調査室は内閣府、公安警察/外事警察は警察庁と都道府県警察の公安部門 外事警察は公安警察の外事課(外事警察)、公安調査庁は、内務省調査局の流れを汲んだ法務省の行政機関。

日本のインテリジェンス機関は小粒で世界最弱と揶揄されてきたが、公安調査庁は2001年金正男の密入国阻止事件「2001年事件」で名をあげ、日本のファイブアイズ参加の可能性も囁かれており、公安調査庁はその中核になる可能性がある。

P20-25

眞紀子大臣、大暴れ!?

手嶋 法務省から外務省と警察庁に伝えられたのは、午後九時五十分頃。福田康夫官房長官に報告されたのは翌二日未明。田中眞紀子外務大臣に知らされたのは、二日の午前十時過ぎでした。これはかなり遅かった。

佐藤 田中眞紀子外務大臣の耳に入ったあたりから、騒ぎが大きくなっていきます。

手嶋 さて、われらが佐藤ラスプーチンは、この時、どうしていたのですか?

佐藤 外務省の国際情報局分析第一課にいました。ただ、私の受けた第一報は、日本外務省のルートからじやない。

手嶋 さすがというか、やはりというべきか、その筋ですね?

佐藤 もう、申し上げていいでしょう。ロシアの対外情報庁(SVR)の東京ステーション長からの問い合わせでした。「いま、金正男が日本で拘束されたという情報が入ってきたが、詳しい話を取れないか?」という電話が入ったのです。それから五分後、今度はイスラエルの諜報機関モサドの東京ステーション長からも同じ照会がありました。これほどの人たちが、急いで正確な状況を知りたがっている。いかに「大事件」だったかがお分かりでしょう。

手嶋 じつは日本政府のなかで飛びぬけて早く金正男の密入国の情報を知っていたのは公安調査庁でした。世界のインテリジェンス・コミュニティーを驚かせた事件のフロント:ランナーです。当初から「奇跡の水際作戦」に深く関与していた。

佐藤・私のところに問い合わせが入ったのは確か二日……いや、三日の夕方になってからだったと記憶しています。SVRのステーション長は「金正男の拘束が報道されている」と言っていましたから、ブレーキング・ニュースに接して、すぐに連絡してきたのだと思います。

手嶋 日本の民放テレビが「金正男氏とみられる男性ら四人の身柄拘束」と初めて報じたのは三日の午後五時過ぎでした。それまでは、外務省内でも関係部署にすら情報は伏せられていたんですよ。

佐藤 海外の情報機関からも電話があり、詳細を確かめようと、北東アジア課に問い合わせてみたのですが、非常に口が堅い。ちょうど当時の分析一課長が前の北東アジア課の首席事務官だったので、彼を通じて真相を聞き出してもらった。すると「確かに拘束した」という返答でした。現場が一棟に口を閉ざしたのは、メディアへの漏洩を警戒するというより、田中眞紀子大臣が「大暴れ」していたからでした。要するに、「省内政治」のゆえに、えらく大変な状態になっていたんですよ。

手嶋 田中外務大臣は、第一報を伝えにきた川島裕外務事務次官の説明を遮って、「次官、こんなことになってあなたはよく平気でいられるわね。どこの国でもいいから、とにかくマスコミに知られないうちに早く出しちゃいなさい」と、興奮気味にまくしたてたというのです。

佐藤 ああ、「田中大臣案件」になっているらしい。それが分かったので、私はこの間題に深入りするのはやめておこうと判断したのです。変な睨まれ方をしたら、後々面倒くさいですから。まあ、結局、別の件で「面倒くさい」ことになって東京地方検察庁特別捜査部に逮捕されてしまいましたが。(笑)

手嶋 眞紀子外相は、要するに出入国管理法に基づく手続きなどに関係なく、メディアに喚ぎつけられる前にすぐ国外に退去させろ-つまり、日本には来なかったことにしろと主張したわけですゎ。川島次官が「不法入国者は入管法の管理下にあって、外交判断だけでは無理だ」と説得しても、「すぐに追い出しなさい」の一点張りだったといいます。「大臣はパニック状態だ」という噂が外務省内に流れたと記事にもあります。

佐藤 いや、噂話ではなく、真実でした。

手嶋 当時、外務省の対北シフトには、田中均経済局長、槙田邦彦アジア太洋州局長、平松賢司北東アジア課長という三羽ガラス〃がいましたね。彼らは田中眞紀子大臣を抑えるとか、説得するとか、まったくできませんでした。

佐藤 クカラス″というより、クヘビに呪まれたカエル〃です。彼女の前ではほとんど機能していなかったと思います。分かりやすく言えば、外務省の官僚組織は「思考停止」だった。そんな時に不幸にも事件が起こつてしまった。小泉さんの政権も、まだ権力基盤を十分に確立しきれていなかった。内閣支持率が高いと言っても、あれは「主」の小泉人気というより、眞紀子人気だったんですよ。

手嶋 そう、メディアも連日、眞紀子大臣にスポットライトをあてて煽りましから。

佐藤 実態は「田中・小泉内閣」だったと思います。

手嶋 小泉さんがこうした二重権力状態を脱して本格政権を築いていくのは、〇二年一月に田中眞紀子大臣を切ってからのことです。一時、支持率は急落しましたが、次第に盛り返していった。

佐藤 ただ、内閣の発足当時は、也県紀子さんの閣内での影響力は絶大でしたから、外務官僚が楯突くことはできなかった。法に則って事態を処理する「法治国家」でいくか、それとも適法規的措置をもって隠密裏に片を付ける「人治主義」でいくか。政治のパワーバランスのなかで、金正男事件の 「防衛線」が設定されていったのです。

手嶋 外国人を拘束した以上、法に基づいて進めるのが前提であるべきで、ずいぶんおかしなところにラインが引かれてしまったわけですね。

佐藤 異常な状況下では、外務省内で辛うじて政治的な判断をできるのは川島次官だけでした。その次官が、眞紀子大臣に第一報を入れた結果、「早く追い出せ」と叱責された。その足で、恐らくよろよろと総理官邸に行き、福田康夫官房長官に状況を報告した。そこではやはり法的手続きに沿って進めることで何とか「合意」を取り付けた。辛うじて超法規的措置を回避したんですね。ただ、次官は、これ以後、大臣室に「出禁」になってしまいます。

手嶋 そうした外務省の大混乱は、やがて「佐藤ラスプーチン事件」が起きる伏線になったのですが、勘の鋭い佐藤さんは、この段階で何か感じるものがあったのでしょうか。

佐藤 そう、官僚機構の陰湿な暗闘はすでに始まっていましたからね。

手嶋 そんな役所の争いで、ニッポンは稀代のインテリジェンス・オフィサーをみすみす失ったのですから、残念ですね。


P26-29

金正男を捕まえたのなら、拉致事件あ解決するカードにすべき

佐藤 私はあの事件の第一報を海外の情報機関の人間から受け取ったのですが、その時彼らと「せっかく網にかかったのなら、拘束しておいて、拉致問題のカードに使えばいい」と一語したことを覚ゝ凡ています。

手嶋 すったもんだの挙げ句、「法治国家」で行くことは決まったものの、さて、次の段階で撮めたのは、「合法的にしかし速やかに国外退去させるか」、それとも「逮捕して本格的な取り調べを行って刑事罰に処するのか」という点でした。

佐藤 ようやく「防衛線」が、常識の範囲に戻ってきた。(笑)

手嶋 政府部内の構図としては、「速やかに国外退去」を求める派は、法務、外務の両省、これに対して「逮捕すべし」を主張する派は、警察庁でした。各省庁の総合調整にあたる古川貞二郎官房副長官が、これら三省庁の代表を招集し、これに内閣危機管理監、内閣情報官も加わって、拘束の翌二日、午後二時から会議が開かれ、文字通り侃々諸々の議論となりました。 じっは、偽造パスポートによる不法入国が発覚した場合も、入管当局が警察に告発して逮捕に至るケースはごく稀なのです。大半は、本人の身元が不明でも、国外への退去処分となるのが通例です。ですから、法務省は今回もそうするのが妥当と主張しました。それに対して、警察は、過去にも不法入国の形跡があることを挙げて、すんなり帰すことに猛反対しました。

佐藤 金正男は「普通の人間」ではありませんよ。警備・公安警察が徹底的に調べたいと考えるのは当然です。

手嶋 結局、その場では結論に至らず、いったんは各省に「持ち帰り」となります。再開されたのは、同じ日の午後八時。昼の会議は内閣府の庁舎で行われましたが、霞が関周辺で集まると日立つと、第二ラウンドは帝国ホテルで開かれました。三〇分後には福田官房長官も合流し、結果的に「四人を早期に国外退去処分にする」という最終方針が固まりました。退去先は希望を容れて中国とし、川島次官が直ちに中国の陳健駐日大便に協力を要請します。こうした末に、金正男一行は成田空港から北京に向かって飛び立っていきました。拘束から三日後の四日午前十時四十昇のことでした。

佐藤 今度は全日空のジャンボ機で、一般客はすべて一階に移し、二階のビジネスクラスに四人を「隔離」したのです。まあ豪遊といっていい。費用をどちらが持ったかは川島元次官に聞いてください。付き添いは外務省の参事官でしたが。(笑)

手嶋 ところで、さきほど佐藤さんは「金正男の身柄を拉致問題のカードに使うべし」と重大なことを言いました。横田めぐみさんら拉致被害者を取り戻すまたとないチャンスでしたね。

佐藤 ええ、「そうすべきだつた」というのが私の意見です。冷戦期の古典的な方法ではありますが、東西両陣営の「人質交換」と同じですよ。あなたの国の重要人物を確保しています。お返ししますから、あなた方も私たちの大事な人たちを返してくださいと。

手嶋 当時の金正男なら「外交カード」としての十分な価値がありました。

佐藤 そう、北の体制では、金正日後継は、明確になつていませんでしたから。彼は腐っても長男。なんとしても取り戻さなければ、と考えたはずです。

手嶋 でも、当時の外務省は、眞紀子大臣の「暴走」を抑え込むので精一杯。日本の政府部内でも、金正男を逮捕すれば、北朝鮮と不測の事態が起こりかねない、と心配する声があった。当時は北朝鮮側のウィークポイントを適切に読み切れなかったのでしょう。すべての決断にはリスクを伴います。戦後のニッポンという国の在りようを見せつけられる思いがします。

佐藤 冷徹に考えれば、やはり千載一遇のチャンスだった。金正男氏は、こちらから捕まえにいって、無理に拘束したわけじゃない。勝手に懐に飛び込んできたのです。法を犯して入国しようとした〝オウンゴール″だったのですから。

手嶋 人質の交換としては理想的な条件でした。

佐藤 日本政府には、金正男氏の拘束に関して一切非難されるいわれはなく、国内法に照らして厳正に対処しょうと考えている。ただ、一切の取引には応じないという姿勢ではない。そうメッセージを送って、第三国に交渉の場を設定することができたはずです。もしかすると、小泉首相は、「金正男カード」というこの上ない切り札を手に、あの訪朝に向かうことができたのかもしれなかった。

バカ女のせいで日本は国益を害してしまった。かく言う私も当時田中真紀子に官僚支配を打破する可能性に期待していた口でした、しかしながら、田中真紀子が金正男が送り返したと聞き、田中真紀子と小泉政権が駄目な政権であると見放しました。田中真紀子に期待した私が大きな間違いであったことが、本書を読み明確になりました。今更ながら恥じ入るばかりです。




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先日、ルトワックの日本改造論を読んだが、彼の分析能力の高さに敬服した。

 

ルトワックの中国分析論である「自滅する中国 副題:なぜ世界帝国になれないのか」をあらためて読んでみたい。

この本が上梓されたのは2013年。2008年のリーマンショックを乗り切り、2012年の上海万博が終わり、胡錦濤政権から習近平政権へ移行した年だ。

胡錦濤政権は紛いなりにも鄧小平同志の言いつけでる「韜光養晦才能を隠して、内に力を蓄える)」政策を維持してきた。

ルトワックは、胡錦濤政権末期から次第に本性を現し始めた、中国という厄介な国の分析と行く末を本書において見抜いていた。

さながら、ノストラダムス的な予言の書でもあるかのごとく、今日世界中から孤立した習近平政権と中共の現在を適切に言い当てている。


「中国人はナショナリストだが、愛国者ではない!」エドワード・ルトワック|奥山真司の地政学「アメリカ通信」•2018/11/10




日本語版へのまえがき(エドワード・ルトワック)
まえがき
第1章❖〈反発なき強国化〉がまちがっている理由
第2章❖時期尚早の自己主張
第3章❖「巨大国家の自閉症」を定義する
第4章❖中国の行動における歴史の影響
第5章❖中国の台頭で生じる地経学的反抗
第6章❖中国の強国化とそれにたいする世界の反応
第7章❖無視できない歴史の比較
第8章❖中国は成功を約束する大戦略を採用できるか?
第9章❖戦略における古代の愚かな知恵
第10章❖歴史の記録から見える戦略面での能力
第11章❖避けられない反発の高まり
第12章❖なぜ現在の政策は続いてしまうのか
第13章❖オーストラリア ―― 同盟の模索
第14章❖日本 ―― 離脱からの離脱
第15章❖反抗的なベトナム ―― 新たな米国の同盟国?
第16章❖韓国 ―― 天下システムにおける典型的な従属国?
第17章❖モンゴル ―― 反中同盟の最北の前哨基地?
第18章❖インドネシア ―― 排斥主義から同盟へ
第19章❖フィリピン ――「敵」に回してしまう中国
第20章❖ノルウェー ―― ノルウェーはありえない!
第21章❖アメリカの三つの対中政策
第22章❖結論と予測
付録❖「平和的な台頭」の興亡
解説「ルトワックの戦略の論理と中国の戦略文化」(関根大助)
訳者あとがき(奥山真司)

内容説明
中国を知り尽くした戦略家が、戦略の逆説的ロジックを使って中国の台頭がいかに自滅的なものかを

解説した異色の中国論。( 2012年11月刊行書の完訳版) 

――中国が経済的に成功した現在でも、戦略的には失敗している現実は何も変わっていない。

――中国の政府高官たちによく見られるのは、「外国との間の長年にわたる未解決の紛争は、故意に危機を煽ることで解決できる」という考え方だ。そうすることで強制的に交渉を開始させ、紛争を収めようというのだ。

――春秋戦国時代の論者たちの狡猾な策略を「古典から賜った至高の戦略の知恵」という誤った考えでは戦略の論理は理解できない。

――中国が妨害を受けずに世界覇権国になれるのは完全に民主化を果たした時だけなのだが、完全に民主化された中国政府は、いままでとは全く違う目標を追求するようになるのは確実なのだ。
日本語版へのまえがき

ソ連が崩壊した時に、「日本はこれから本格的に平和な時代を迎えた」と考えることは妥当であつたように思える。日本はアメリカからしつかりと守られている同盟国とい立場であり、唯一の脅威は、口うるさいが国力の弱い北朝鮮だけだつたからだ。

その当時からも中国経済は急速に発展しており、同時に軍事費もうなぎ1りであつたが、それも実際は脅威であるようには見えなかつた。その理由は、中国が「平和的台頭」(Peacefull Rise‥中国和平崛起)という自制的な政策に従って行動していたからだ。このスローガンは日本をはじめ、アメリカや世界の国々に向かつて「中国は自らのルールを押し付けたり軍事力で領土を獲得するのではなく、国際的な行動ルールに従い、既存の国境を守り続ける」ということを明らかに約束していたのだ。

もちろんインドやベトナムとの目⊥芸た領土・領海争いはあつたのだが、「平和的台頭」という政策ではそれらはほとんど触れられておらず、例外的に「すべての紛争が時間がたてば互の合意によって平和的に解決するという」という指摘がなされたくらいであつた。

北京政府自国の領土であると(ときに激しく)主張し続けている台湾のケースについても、もし台北の指導者が独立宣言(つまり中国からの分離)をすることによって現状維持を崩さなければ、中国は台湾を軍事侵攻しないと約束しているのだ。

国家が平和的な状態を、とくに平和的ではない時に約束するのは別に珍しいことではない。しかし中国の場合には「平和的台頭」は非常に信頼のおけるものであつた。なぜなら自国の悲惨な状態から繁栄状態までの急速な成長を許してくれた国際システムを維持することは、自分たちにとって明らかに利益になるものであつたからだ。

ところが中国の行動は二〇〇五年以降に変化しはじめており、二〇〇八年の金融危機の勃発以降はさらに急激になつている。振り返ってみると:」の時の中国の支配層――党の幹部や影響力のある学者のアドバイザーたち、そして活動的なPIA(人民解放軍)の将校たちなど――は、金融危機の意味を「拡大解釈」してしまったのだ。

彼らは「経済の総合力で中国の超大国への台頭が早まる」と正確に認識しており、すでに中国の戦略的な力も大規模に拡大してしまったかのような言動と行動を始めたのだ。それまでよく北京に通っていた訪問者たちは、相手側がいままでの自制的な態度から横柄な態度へと急激に変化したことや、外交部の幹部たちの使う新しい言葉さらにはボディー・ランゲージまで――が独善的なものになつてきたことに驚かされることになった。さらに危険なのは、長期にわたって休眠状態にあつた領土が一つずつ復活してきており、しかもこれが今までのようなトップダウンの指示によるものではなく、民間や軍の組織の中に態度の変化が拡大したことによって起こつてきたような部分が大きいことだ。実際のところ、胡錦濤(HuJintao)は最近になつて、任期中に中国の力の拡大を最大限に活用しなかつたとして批判されている。

アジア開発銀行の中国代表が、インドへのローンを突然拒否したのは、まさにこのような状況下であつた。このローンには、インド北東部のアルナチャル・プラデシュ州(これは日本の領土の二割以上の大きさをほこる)への道路建設の資金が含まれていたためだ。

中国側はこの地域を「南チベット」(戚南)の一部であると主張しているのだが、この拒否によって長年主張してこなかつた領有権争いを復活させることになつたのだ。そのすぐ後にアルナチャル・プラデシュ州出身のインド若の高官が中国側にビザの発給を拒否されている。「中国生まれの人間はビザを必要としない」というのが、その理由だ(!)。

ベトナムが海上で直面しているように、中国の新しい行動は以前に比べてかなりフィジカルで荒々しいものであり、漁業を管轄する「漁政」の艦船は、ベトナムの漁船が中国側が領有権を、主張している広大な海にしかけた漁網を没収している。しかも実際はベトナムが占拠している島の周辺の海域でこれを行っているのだ。

尖閣諸島周辺で最初に活動を活発化させたのは、それとは別の海洋機関である「海監」であり、この島々を巡っても中国は静かに領有権争いを復活させている。

人民解放軍海軍(PLAN)はフィリピン海域へ自ら率先して出て行き、最終的にはインドネシアやマレーシアの海域まで出て中国の海洋権益を主張するために、船からテレビの生中継を行っている。

この海域の外周は、国際的に認められている排他的経済水域のはるか向こうにある「九段線」、もしくは「牛の舌」と呼ばれる有名な形の線によって決められている。実際に、その外周は南シナ海の三万平方キロを含んでおり、この合計サイズは三五〇万平方キロになると推定されている。したがって、中国は必然的に自国の岸から数百キロも離れていて、しかもインドネシアやマレーシア、それにフィリピンから見える島々や礁、砂州や岩礁などの領有を主張することになつてしまっているのだ。

陸上でも同じような変化が起こつており、中国はインド側の「実行支配区域」をパトロールしており、これは東のアルンチャル・プラデシュ側と西のラダツクの両方にたいして繰り返し侵入するものだ。

このような態度は新しいわけでもないし、とりわけ珍しいわけでもない。このようなことは人類の歴史では何度も起こつてきたことであり、もし台頭する大国が歴史から学ぶことができれば、人類にはこれほどの犯罪と失敗の記録は残っていなかつたはずなのだ。

このプロセスの一例を挙げよう。ある国家が周辺国よりも相対的に国力を伸ばして侵略的な振る舞いを始めるようになると、その支配者、支配者層、そしてエリートたちが「新しいパワー(もしくはパワーの期待値)は国家の栄光やさらなるパワー、もしくは一般的に想像されているような富などの追求において有利に活用できるはずだ」と自分たちに思い込ませてしまうのだ(非合理性というのはわれわれを不快にするため、海洋紛争は海底に眠る石油やガスの埋蔵量という想像された価値によって説明されることになる。これについては一九八二年のイギリスとアルゼンチンの問で起こつたフォークランド紛争でも同じような想像的な説明がされたのだ。ところがどれほどの埋蔵量があろうとも、中国には海を接した近隣諸国を敵に回すコストまで正当化できるわけがない)。

その次の段階もよく見られるものだ。つまり、ある台頭した国によって脅威を受けた別々の隣国たちが、それまでは互いに関係が深いわけではなく、場合によっては悪い関係にあることもあるのだが、新しい脅威にたいして新しく合同で対処する方法を探ろうとして、互いにコミュニケーションを始めるのだ。その次に彼らは様々な面で実際に協力できることをはじめ、公式な安全保障面での取り決めもないままに自然な同盟関係が形成されるのだ。たとえば二〇一三年現在、日本はベトナムに資金援助を行っており、ベトナムは潜水艦をロシアから購入している。ベトナムがこのような高度な兵器を使うための専門知識を獲得するまでには普通はきわめて長い時間がかかるものだが、インド海軍はまったく同じ型の潜水艦を使っているために、ベトナムの乗組員を自国の訓練養成所で訓練させることを提案している。

インドと日本とベトナムの間には三国間の安全保障協定があるわけではないし、その必要もないのだが、それは最近の中国の独善的な態度がこの国々から防御的な反応を自然と引き起こしたからだ。この三国の人口と経済力の合計は、中国のそれよりも多いのである。

中国周辺のあらゆる国々が、その台頭する国力にたいして同じような反応を起している。オバマ政権の場合はこれが大西洋から太平洋へ「重心」を移す政策を宣言したことにも見られるし、より控え目なものとしては、オーストラリアが中国との友好関係を主張しながらも、同時にダーウィンに新たな米軍基地を開設し、インドネシアとマレーシアにたいして中国の領海の主張に抵抗するように静かに支援しているのだ。
                 
戦略は「常識」とは違う。それは逆説的(パラドキンカル)な論理(ロジック)を持っており、直接的な行動を皮肉的・矛盾的な結果によって罰することになるのだ。したがつて中国がその台頭する力を周辺国にたいする領有権の主張という形で表現すると、それが敵対的な反応を発小させることになり、影響力(ソフト・パワー)を破壊することによって全体のパワーを減少させることになる。よって台頭する国は、「パワーが台頭している」という事実そのものから、パワーを失ってしまうことになるのだ。中国はそれでも台頭できるのかもしれないが、それは国力を(ソ連が一九七〇年代と八〇年代に行って経済を破壊したように)莫大なコストをかけて増大させるか、もしくは相手国を分断・孤立させながら同時に他国には十分に安心させるような措置を行う場合だけである。

ところが中国は、インド、インドネシア、日本、マレーシア、フィリピン、そしてベトナムにたいして、これとまさに正反対なことを同時に行っているのだ。ところがこれはある意味で当然のことと言える。なぜなら彼らの歴史の中には、互いの主権を用心しているような他国がひしめく世界で生きて行くような知恵が残されていないからだ。中国の文化は南部のジャングルから東部の海、西部のほぼ空っぽのチベットの高地、そして北部の草原によって形成されてきたのであり、ヨーロッパの大国が常に行ってきたような、コミュニケーション、行動、そして対抗するような相手は、どの方角にも存在しなかつたのだ。バランス・オブ・パワー(勢力均衡) の理解にはまず独立した他国の存在を認めるところから始めなければならないのだが、中国はその存在をそもそも認めていない。

中国には「天下」(TianXia)という独自の概念があり、異国人は反逆者か、高価な下賜品を含む「仁」を得る代わりに貢ぎ物を捧げてくる、従属者であることになる。

彼らは孫武(SunWu)から始まる春秋戦国時代の論者たちの授精な策略--これは「同一文化内」の計略や戦争だけにしか通用しないものだを相変わらず信仰しつづけているために戦略の論理を理解できず、そのために自国の崩壊という大災害を何度も繰り返し経験することになつたのだ。

したがつて、数や富の上でははるかに勝る漢民族(漢人)も、一九一一年までの三〇〇年間にわたつて満洲族に占領されており、その前のモンゴルとトルコ系の王朝を含めると、過去千年間において中国人が支配したのは明朝の二〇〇年間だけなのだ。

「戦略」を彼らの多くの才能に加えることができなかつたにもかかわらず、漢民族が彼らのアイデンティティーを維持できたのは、ひとえに「征服者たちが文化的に漢民族よりも劣っていた」という理由だけだ。中国が再び経済的に成功した現雫も、戦略的には失敗しているという現実は何も変わつていはいないように見える。ところが今回はその周辺国と世界全体にとつての危険ははるかに高いのだ。

私は奥山真司氏が自分の本を日本の読者のために訳出するという大変な作業を行ってくれたことに感謝している。著者というのはなるべく多くの人々に多くの言語で自分の著作を読んでもらいたいと考えるものだが、私はとくに日本については格別な思いがあることを告白すべきであろう。私はこの国にいる友人を訪れたり、完璧な隠し湯(温泉)を探すために、長年にわたつて何度も楽しく訪れさせてもらつている。

エドワード・ルトワック  
二〇一三年六月三日  
まえがき


現在の中国の問題について、私は 「中国の専門家」(Sinologist)ではなく一人の「戦略家」(Strategist)としてアプローチしている。その理由は、戦略の普遍的な論理はあらゆる文化とあらゆる時代に完全に平等な形で適用できるからだ。

この本の内容は、もちろん私が文章の中で引用した学者たちの研究や文書に拠ったものであるが、それでも私が中国の内外を旅した経験にも彩られているものだ。しかも私は中国が世界に開放するはるか以前から、内部の最も人里離れたところまで行った経験をもっている。

その当時と比べると状況は改善されてきており、私は引き続き中国内部を広範囲に渡って旅している。そのため、私は毛沢東が生存中に続いていた非人道的な苦難と、彼の死の直後から始まって現在も続いている驚くべき社会変化の両方をよく知っているつもりだ。

もちろんまだ中国ではあらゆる点で悪習や欠点があることを十分承知のつもりだが、それでも私は中国の国民が物的な面と個人の自由――もちろん政治面ではいまだに厳しい制限があり、これには残念ながら民族・部族の自己表現も含まれているが――の両面で成し遂げた偉大な進歩に喜びを隠すことはできない。

したがって、私が中国とその国民を見る視点というのは、外から客観的に眺めるようなものではなく、むしろ彼らの希望と不安を一身に感じっつ、かなり以前から彼らの強い本当の友情を示してもらって感謝している一人の人間としてのものである。

したがつて、もし中国の急激な発展が戦略の逆説的な論理と衝突するのであれば、それに従つて起こる悲しむべき、そして不吉な結末を、私は素直に喜ぶことはできない。もし本書の私の正しい/間違った分析の他にもう一つ別の目的があるとすれば、それは中国の支配層が「地球規模の存在感、急激な経済成長、そして同じくらいの速度の軍事力の増強をすべて共存させ、しかもそれを今後も続けられる」という幻想から目覚めて欲しいという希望を託したメッセ一ジにある。

戦略の論理が現在の中国の状態を許すことができるのは不均衡な経済面(しかし軍事面ではない)での成長であり、宥和的な言葉や賢明な計略ではこの論理を出し抜くことはできない。悲惨な結末を避けるためには、たとえそれが常識や普通の人間のもつ直観に矛盾するものであつたとしても、戦略の論理に従わなければならないのだ。急激に増加する富は恥や自制の感情を呼び起こすことはほとんどないのだが、中国がもつそのスケールにたいして対抗しようとしてくる独立した国家がひしめく世界では、これ以外の道は不可能なのだ。

第1章❖〈反発なき強国化〉がまちがっている理由
P20-23

経済・軍事・政治の、三つの面における中国の国力増大は、一九八〇年代から一九九〇年代(一九八九年以降の小休止をはさんで)までの実績の賜物であるというのは事実である。しかし実際のところ、中国は米国とそして日本とも比べても、いまだに裕福ではないし、強大でもなく、影響力も持っていない。さらに欧州やラテンアメリカ諸国にとつても、中国はいまだに 「得体の知れないよその国」というイメージから抜け出せていない。ところが、中国の経済と軍事面での発展がこのまま他の人国たちの平常心を乱すレベル、つまり他国が抵抗なく発展を受け入れることができる範囲を越えるレベルで続けば、他国の反発を引き起こさずにはいられないだろう。

 このような状況はごく自然な成り行きであるといえるのだが、もし中国国内もしくは国外で「急撒な変化」が起こらなければ、これ以上の無抵抗の国力増大は受け入れられることはないだろう。この「急激な変化」とは、中国自身の民主化と、その結果としての政権の正統化であつたり、もしくは中国を「脅威の同」 から 「好ましい同盟国」へと周辺の見方を劇的に変化させてしまうような、さらに深刻な脅威の出現である(パキスタンは、中国の国力が増大すればするほど自分たちにとつて中国が頼りがいのある支援国になってくれるという意味でその典型的な例だ)。

 民主化でさえも「中国の台頭」という戦略的な重要性を消すことはできないし、そこから発生する反応も無くすことはできない。なぜなら民主制国家である米国でさえも、「圧倒的な大国である」という理由だけで、時と場人口によっては同盟国から反発を受けているからだ。しかし民主化が達成され、少数の共産党幹部による秘密めいた寡頭支配が終わり、さらに中国がり国力の最大化を熱心に目指さなくなれば、中国の台頭にたいする懸念や周辺諸国の反発は確実に減るはずだ。民主化は、おそらく 「勃興期の大国にたいする反発は増大する」という戦略の論理の反証にはならないだろうが、それでも反発を受けないで強国化できる限界点のレベルを上げることにはなるだろう。

 しかし実際のところは中国の台頭はすでに経済的・軍事的・政治的にも許容できるレベルを超えており、他国は中国にたいして、監視したり、抵抗したり、避けようとしたり、もしくは対抗しようとするという行動を通じて多かれ少なかれ反応しはじめており、これはまさに戦略の逆説的な論理を作動させてしまっているのだ。街角でのナイフを使った個人レベルの決闘から、国家が行う大戦略レベルの平時における多面的かつ多極的な関与に至るまで、その大小にかかわらず、戦略のもつ逆説的な論理は常に同じである。すなわち、ある行動 この場合には国力の増大だがは反作用を引き起こし、この反作用は元の行動を止めるわけではないが、それでも単純かつ線的なべクトルの物事の進行を阻止するのだ。

 今回の中国の場合にはあまりに大きな反発があるため、現在のような急激な経済力、軍事力、そして地域や世界における影響力の拡大は、今後も続けることはできないはずだ。もし中国の指導者がこれらの警告を無視してさらに突き進もうとすれば、戦略の逆説的な論理が働くことにより、国力の増大は不可能となり、反発はますます増大することになる。

 これまでの単純な成り行きによる不可避の結果というわけではないのだが、それでも経済力・軍事力・世界政治における影響力の拡大を通じた中国の「支配的な大国」としての台頭は、いままで予想もされなかつた事態の発生によって妨害を受けることになるだろう。

戦略にそなわつている逆説的な論理によれば、中国の台頭のスピードの鈍化、あるいは部分的には衰退も発生することが予測されているのであり、もし彼らが協調的もしくは軟化した場合には前者の事態が発生しやすくなり、必要以上に不安にかられるようになると後者の事態が生じやすくなる。

 もちろんここまで述べてきたことは、中国による挑発的な行動、もしくは他国に脅威を与えるような行動が必ず発生するということを暗示するものではない。これらのことは、そもそもある国が急速に国力を増大した場合の反作用として生じる、ある意味必然的なものだからだ。

ところが今回のこの中国の急速な国力増大の場合は、その行動の仕方に関係なく、そもそもそれ自身に不安定な要素を含んでいる。したがって、最近よく言われている 「中国には昔のドイツのオットー・フォン・ビスマルクのように、周辺国に反発を受けない形で対外政策を指揮することができる人物が必要だ」 という指摘は間違っている。つまり本当の問題は中国自身がどのような行動をするかではなく、むしろ中国があらゆる面で発展しているその規模の大きさにあるからだ。

 混雑したエレベーターの中に中国という肥満児が乗り込んできて、しかもその肥満児がその場で急速に太り続けているとすれば、すでに乗り込んでいる他の乗客たちは、たとえ中国自身に悪気がなく、実際は礼儀正しいイイ奴だったとしても、自分自身の身を守ろうとしてエレベーターの壁との間で押しっぶされないように中国を押し返そうとするものだ。もちろんその混雑したエレベーターには、もっと太っていてやかましく、しかもさらに暴力的になることもある米国がすでに乗り込んでいるのだが、米国は何十年もエレベーターの乗客であるため、他の乗客のほとんど――もちろんキューバ、イラン、北朝鮮、シリア、ベネズエラという少数の例外はあるが、彼らの存在そのものがアメリカの優秀さを表していると言えよう――は米国の厚かましい振る舞いへの対処方法を身に着けている。

最も重要なことは、米国の太るペースは中国ほど急速ではないし、今後もこれまでのやり方で対処可能であり、米国には非常に透明性の高い民主的な意思決定手続きがあり、いきなり米同が他国に対して脅威となることはないという意味でやりやすいという点だ。
中国はドイツと同じ轍を踏んでしまった...「海軍をつくったのが『中国、終わりの始まり』」E.ルトワック|奥山真司の地政学「アメリカ通信」•2019/06/28

第2章❖時期尚早の自己主張

2008年のリーマンショックを機に中国の指導層のエリート達はおおいに自信を持つようになり2009年~2010年あたりから突如明確な変化がおき始めた。金融通貨政策で強い主張をするようになり、日本、ベトナム、フィリピンと領土問題で紛争が激化しはじめた。

当時日本は管直人という活動家上がりの男が総理大臣をやっており、2010年9月7日尖閣沖で海保の船に意図的に衝突させた漁船の船長を刑事罰に問うことなく指揮権発動で釈放したのは、このバカ総理のおかげである。

まだまだ、覇権を米国から奪うなど時期尚早であるのに中国指導層を付け上がらせた大きな原因の一つではないかと思う。バカな活動家上がりの総理が世界史を意図せず動かした愚かな行為だったような気がしてなりません。

第3章❖「巨大国家の自閉症」を定義する
p35-37
 すべての巨大国家のリーダーやオピニオンリーダーたちは、危機的な状況に陥った場合を除けば、内政に多くの問題を抱えているために、外政にたいして満足に集中することができない。

彼等は同じような社会的な発展をしている周辺の小国たちと比べて、世界情勢にたいして継続的に注意を払うことができないのだ。結局のところ、それが数百万人の国民によって構成されてうまく運用されている国家であろうと、ロシア、アメリカ、インド、中国といった巨大な国家であろうと、その国内に存在する個人が持ちうる知覚と知能の限界は同じであり、どの国のリーダーも日常的な決断や儀礼的な公務の他に、たとえ危機的状況でなかつたとしても、常日頃から国内での緊急事態に直面しているものだ。

 結果として、単なる不注意が起こるだけではない。その反対に、国際間題というのは巨大国家のリーダーや、さらにはその支配層のエリートたちにとって、どの選択肢も必ず誰かを不快にさせるような困難な選択を迫る内政問題が生じた場合には、むしろ歓迎すべき気晴らしにもなるのだ。しかもこれはただ単に実際にありえることではなく、むしろ日常的に行われている。

 この「巨大国家の自閉症」は、単なる不注意以上に悪いものだ。なぜなら、このような国家のリーダーたちは内政問題への対処に忙殺させられてしまうおかげで、外政に関する複雑で微妙な詳細な情報を、たとえそれが目の前に提示されていたとしても吸収することができなくなるからだ(しかもそのような情報が提示されることは極めてまれだ。たしかに情報担当官の本当の任務は支配者層が聞きたくもない情報を耳に入れることなのだが、実際にそうすると自らのキャリアに傷をつけてしまうからだ)。そのため、外政における意思決定というのは、理解不能な複雑な現実を非常に単純化した見立てを元にして行なわれてしまうのだ。しがたってこの複雑な現実は、国内で勝手に作られたカテゴリーや期待、それに見解などによって、歪められた形で理解されてしまう。だからこそ、マサチューセッツ州やミシガン州選出の政治家たちが、(他州であるために事情が異なり、地元の意識調査も知らないために詳しいとはいえない)ミシシッピ州の現状を語ろうとしないのにもかかわらず、なぜかアフガニスタシ、イラク、そしてリビアの問題の解決法についてはためらいもなく語るようなおかしな事態になつてしまうのである。

 この話は中国にも当てはまる。たとえば中国上層部の知的な人々は、印中間の魅力的なビジネスの話を持ちかけようとする温家宝首相のたった一度の訪印によって、最近の中国の対外的な動きにたいしてインド側が抱いている怒りや不満を、一挙に解消できると信じ込んでいたのだ。このような相手にたいする単純な見方というは、自己の姿をうつす鏡(もっともそこに写った姿は完全に間違ったものだが)のような役割を果たしていることが多い。多くの中国人にとって、中国人の行うビジネスは本当にビジネスの話が中心なのだが、インド人が行うビジネスはインドのためなのだ。インドの対外政策には経済的利益がそれほど強くは反映されておらず、対外政策は外交の専門家や選挙によって選ばれた政治家たちの、イデオロギー的に偏った考えによって支配されているからだ(もしそうでなければ、一九四七年からほぼ最近にいたるまでのインドとアメリカの関係も、これほどまで制約の厳しいものにはならなかつたはずだ)。

 事業経営者や起業家に報償を約束されている中国側と違って、インド側の実際の意思決定者や、経済よりも地政学的な利益に重きをおく官僚、そして国家経済の利益と言うよりもむしろ個人的利益によって行動する可能性のある政治家たちにとつても、報償というのはあまり重要ではなかつたのだ。いずれにせよ、インドの政府官僚や政治家たちは、領土に関する譲歩を少しでもしようものなら自分たちの地位が危うくなることをよくわかつているのだ。
 
近隣諸国との国境紛争を解決するために、領土面で譲歩を行うか、少なくとも長きにわたつて領有の主張を行なつてきた土地を諦めて寛人な態度をとるようになつた中国のリーダー達にとつて、このようなインド側の態度は理解しがたいものかもしれない。その証拠に、中国は二国間交渉において、アフガニスタンの主張を一〇〇%、ラオスの主張を七六%、カザフスタンの主張を六六%、モンゴル共和国の主張を六五%、ネパールの主張を九四%、北朝鮮の主張を六〇%、タジキスタンの主張を九六%、そしてベトナムの陸上の領土の主張を五〇%受け入れている(これは同国との領海に関する非妥協的な態度と著しい対照をなしている)。また、ソ連とその後のロシア連邦との間で続けられた交渉においては、ほぼ五分五分の解決を導き出すことに成功している。
要は、中国は相手の国情のことをよく理解しようともせず、自分の主張が通るものだと思い込みだしている。

第4章❖中国の行動における歴史の影響

古代中国において、異民族の支配を含め、中国大陸を制した朝廷即ち中華帝国が自らのことを「中華」と呼んだ。また、中華の四方に居住し、朝廷に帰順しない周辺民族を、
東夷、
北狄、西戎、南蛮と呼び、「四夷」あるいは「夷狄」(いてき)と総称した

周辺民族を使って周辺民族を統治する「
夷操作」を行ってきた。

現代中国はいまでも古代妄想的な華夷秩序に縛られている。 

第5章❖中国の台頭で生じる地経学的反抗

国際ルール違反を許す習慣というのは、中国がまだ経済的に弱小国だつた頃に形成されたものだ。ところが今や中国のルール違反を許すことはあまりにも害が大きく、中国はそれを活用しながら一方的に自分の利益を追求し続けている。

中国が外国の先進技術を剽窃する一方で、外国の知的財産権が中国でまともに保護されていないことは有名だ。

完成済みの橋梁のよぅな巨大なインフラ製品が中国から輸出される一方で、中国国内のインフラ建設の案件では外国企業による中国企業との競争は禁じられている。他にもこうした例はいくらでもある。

 どんな国でも、すきあらば国際貿易のルトルをねじ曲げようとするものだ。ところがこのよぅな悪習を、その巨大で急激な経済成長と組み合わせて中国は使用した。

この本が出版されたオバマ政権時代まで、クリントン政権~ブッシュJr政権と米国は許してきた。これは米国が「自由貿易」をイデオロギーとして掲げているからだ。

ところが2008年の大統領選挙共和党のマケイン候補あたりから風向きが変った。次の2012年の大統領戦、自由貿易を目指していた元大統領候補で最近は共和党内で反トランプで有名なミット・ロムニー(Mit-Romney)でさえ、「中国とのあらゆる貿易関係を断ち切っても米国は許される」と主張した(2011年6月)。

ルトワックは、P76「いくつかは本当に実行されることになるだろう。」と予言したが、トランプ大統領は実現した。
P77
中国の文化は古代から続いており、極めて権威的で、珍しいほど孤立しており、独立国家がひしめく世界の中における 「幸福の追求」 には適したものではない。よってこの文化の一「脱地方化」(de・provinciahzation)に時間がかかるのは確実だ。
最悪な紛争を発生させずに世界の均衡状態を守るためには暫定的な解決法が必要となるのだが、それに最適なのは、やはり地経学的な「封じ込め」なのである。
トランプ大統領は突拍子もなく米中貿易戦争をはじめたのではない。今までオバマやヒラリーのような親中政治家によって封じ込められてきた対中封じ込め政策を発動したにすぎない。
ルトワック氏は少なくともこの本を書いた2012-13年にはおそらくその10年以上前から米中貿易戦争~米中衝突そして最後は中国共産党政権崩壊まで予見しているのだろうと思う。



執筆中


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現代の諸葛孔明、耶律楚材 竹中半兵衛、黒田官兵衛か?天才戦略家ルトワック氏の日本への見立て、素晴らしすぎます。日本政府はイージスアショア配備を止め、敵基地攻撃ミサイル配備の準備を行っている、まるでルトワックの提言に耳を貸しているようだ!


目次

日本の読者のために 8


序章 戦略思考で日本を救う


国防は最低限の福祉 10

国防と同じくらい大切なもの 15

少子化は自滅の道 18

ルトワックの日本救出戦略 24


第一章 韓国よ、歴史の真実に学べ


朝鮮半島、四つの選択肢 28

日韓衝突は韓国の問題――ヨーロッパの対独感情との比較 31

韓国人のトラウマの構造 34

スウェーデンの偽善 37

韓国人の反日心理と「苦悩品ちた再評価」の義務 40

歴史的事実を直視すべきなのは韓国側 44

韓国は日米のパートナーたりうるか 46

韓国はイタリアと同じで、同盟国にならない 50


第二章〝中国封じ込め″の時代


米中冷戦の開始 56

テクノロジーロビーが対中強硬派に転じた58

中国と協力するグーグル 60

誘惑と贈賄で技術を盗む 62

日本もすでにハイテク戦争に「参戦」している 66

親中派(パンダ・ハガー)は消え失せた 70

軍事大国化し、アメリカを裏切った中国 72

南シナ海での横暴なふるまい 74

「一帯一路」構想の致命的な過ち 75

リーマン・ショックを見誤った北京政府 78

中国は海洋戦略を全く理解できていない 81

アメリカの「中国の敵は味方」作戦 84

戦略の論理が示す〝中国崩壊″という未来 88

経済が悪化すると冒険主義に出る 90

「歴史のターニングポイント」を迎える日 93

政治的に失敗したリーダーは対外戦争を開始する 95

習近平が手を出す戦争のギャンブル 99

尖閣諸島問題から北京の意図を読み取る 102

日本側の尖閣防衛に問題あり 104.

中軋の覇権を前に日本が直面する三つの問題 105

台湾防衛で日本ができること 111

イージス・アショア「十年計画」 の非現実性 114

「風林火山」 の心構えで中国に対抗せよ 117


第三章 変化する北朝鮮と、その脅威


北朝鮮の核・ミサイルと「コリア・ジレンマ」 120

非核化か、体制崩壊か 122

世界が驚いた米朝首脳会談 125

核ミサイルからは誰も守ってくれない 127

日本は先制攻撃できる体制を撃えるべきだった 130

何もしない韓国 134

韓国は自分で自分を守る気がない 138

文在寅大統領こそ、国防意識欠如の象徴だ 141

自国の防衛に主体性を持てない韓国 143

核武装より先制攻撃できる通常兵器を 145

今すぐできたはずの対北装備 147

日本政府は本気の姿勢を見せるだけでいい 151

米軍にも襲いかかる「病」 152

一九四五年以降、アメリカは負け続けている 155

アメリカの追従者ではなく、真のパートナーになるために 159


第四章 自衛隊と情報機関への提言


ルトワックが自衛隊の演習を指揮したら 162

本格的な「ウォーゲーム」を実施せよ 164

本格的な国家情報機関の設置を!166

ルトワック流・情報員トレーニング法 169

日本もやっていた情報・諜報活動 172

エージェントはこうして獲得せよ 174

他国の情報機関 175


五章 経済戦争と国家の本性


「経済戦争」の時代は冷戦後に始まった 180

経済戦争の「武器庫」 183

関税や貿易障壁も「武器」である 186

中国政府がファーウェイに投じる「火力」 188

経済戦争にも明確な敵国がある 190

経済戦争に有利な条件とは 194

アメリカの政治家は「見せかけの市場原理主義者」 196

エスカレート‥貿易が戦争に発展する時 199

経済的相互依存関係は戦争を防げない 203


訳者解説 207


日本の仮想敵国である中国、北朝鮮、韓国はまともな国ではない。

これらは言葉で説得できる国ではなく、強い武力がなければとても外交、言葉だけで相手を諫止するいさめて思いとどまらせることはできない。

武カによってこれら特亜諸国を説得を試みても、簡単に好戦的姿勢を示せば、逆効果となる場合もあり、一方で実際の武力行使を回避しながらも国益を守るため、「相手を止めるために暴力を用いることもある」と示さなければならない。面倒くさい国々だと思う。

中国は、自国民の命より党の支配の存続が優先され、日本が多少核を持ったとしても脅しにならず、日本が核を持てば、韓国に核保有の口実を与えてしまう。

特に北朝鮮相手に核による均衡は成立しない。
P12

米ソ冷戦中のような相互確証破壊(MAD: Mutual Assured Destruction,、敵から核による先制攻撃を受けても、残存兵力で相手に耐えがたい損害を与えられる能力をお互いに持つこと)による均衡は成り立たない。

米ソ冷戦中でも米ソ間は不断の情報交換と対話を続けていたし、何より、あのソ連でも、書記長以下外務大臣やKGBスタッフらが外交問題について常に討議し、共同で政策を決定していたが、北朝鮮はそうではない。たった一人の独裁者である金正恩の、外からはうかがい知れない政策方針や思想、あるいは気分によってさえ、政策が左右されてしまうからだ。現状、彼と相互抑止の関係に入ることは不可能と判断せざるを得ない。

そのため、日本が核を持てば済むという問題でもない。これは相手国の指導者に分別がなければ成り立たないからだ。
また、最高最強の武器を持っていたとしても、「いざとなっても憲法の制約でなにもできません」であったならば、相手に対し諫止や言葉による説得はまったく意味をなさない。

私は、1978年の来栖発言を機に自国の防衛を考え大学1年の頃に完全には保守派に完全に転向し、保守反動と呼ばれることを誇りに思うようになった。以来当ブログでも憲法改正の必要性をことあるごとに書いたが、ルトワックの日本改造論を読んで、憲法改正だけで全て解決するわけではないことを指摘されてしまった。
p15-17

国防と同じくらい大切なもの

もうひとつ、日本が国民に提供しなければならないのは、「安心して子供を産み、育てられる制度」である。

全世界的に、ポストヒロイック(人命尊重)の時代が到来している。
かつて、「大国」は、結果として生じることが見込まれる犠牲者数が多少多くても、制約されることなく、望むときにいつでも武力行使「するはずだ」と認識されてきた。

国にとって死活的な状況でなくとも、小規模な作野で数百人の兵士を失ったり、小さな戦争や遠征作戦で数千人の兵士を失うことは、大国の歴史においては珍しいことではなく、むしろ「死活的ではない利益でも、それを守るために武力行使する意思と能力がある」とみなされてこそ「大国」であだがこうした大国概念は非現実的なものとなった。

少数の戦死者さえ受容しない価値観が先進国に広がっているからだ。…はテレビ報漣の映像があるだろう。負傷兵、遺体袋、悲しむ遺族の姿がテレビに瞬時に映し出されるこを、国民は犠牲に対する精神的に深い傷を負う。

だが、それだけが理由ではない。より根本的な理由は、近代的なポスト産業社会の人口動態である。要するに、少子化のことだ。

かつての大国では、一組の夫婦のもとに子供が四人から六人は生まれるのが普通で、八人兄弟、十人兄弟も決して珍しくはなかった。もちろん乳幼児の死亡率も高かったが、そうして生まれた複数の兄弟のうち、ある者が早世し、またある者が戦争で命を落とすことは、さほど珍しいことではなかった。

現在は一組の夫婦に子供が一人から二人いればいいほうで、その子供たちは当然、長く生存することが期待され、一人ひとりが家族からの大きな愛情を受けている。

死が高齢者だけに限定されていなかった時代には、「死」はどの年代であれ、人間が経験する普通の事柄だった。何らかの理由で若い家族の一点を失うことは、過去においても悲劇だったのは間違いないが、現代ほど特別で受け容れがたいことではなかった。

もちろん、戦争で命を落とす可能性と、その戦争そのものの意義を考慮することによって、親は戦地へ行く子供の運命を思いながらも、その役割の大きさを引き受ける、ということはあるのだろう。
 
だが現代の家族の人口動態を前提とすれば、出生率の低い米国、ロシア、英国、フランス、ドイツはもちろんのこと、日本などはもはや伝統的な「大国」の役割を演じることはできない、ということになる。

軍事力の物理的存在と、軍事力を行使できる経済的基盤があったとしても、社会が犠牲に対して強いアレルギー反応を示せば、それは事実上の 「戦争拒絶」状態だといえるだろう。
少子高齢化対策をしないと、日本は潰れるというのだ。

ルトワック曰く、女性が子供を作りたいと思えばなんとかなるというのだ。
日本全国で、五歳になるまでの完全な保育・育児の無料化を進めることである。 
結婚したくなくても子供は欲しい女性は数多くいる、スウェーデンでは半数の女性は未婚でも子供を生んでいる。    

少子化は先進国に共通する問題だが、スウェーデン、フランス、イスラエルの三国は大学で教育を受けた女性が生涯に三人近く子供を産んでいる。この三国に共通するのが、「五歳までの育児の完全無料化」なのである。五歳まで育児が完全無料化となれば、女性は仕事を続けながら、一人でも出産して育児ができる。
p26

日本では、「戦闘機を買うくらいならそのお金で保育所を作れ」と主張する政党があると聞く。また、少子化対策などの福祉政策と安全保障の間で予算の取り合いになっているようだ。だがこれは愚かな争いだ。国家にとってはどちらも重要であり、どちらかだけでは国は立ち行かない。
               .
日本の愛国者は対中国戦略や対北朝鮮戦略の研究には熱心だが、少子化問題にも同じかそれ以上の危機感を持たなければならない。子供がいなければ、その国の未来はない。子供がいなければ、安全保障政策の議論など何の意味もないのだ。

そして、安全保障の備えであれ、少子化対策であれ、その他の様々な福祉サービスであれ、「国民に安心を提供する」という観点は変わらないのである。
男も、家族と言う重いしがらみを背負って、一人の女に縛られる人生より、どんどん種付け自由で、自由な恋愛ができれば有る意味素晴らしい社会である。

まあ、そういう社会ではない日本では、家族は家族として維持し、裏で男や女として楽しむ賢い生き方をするしかない。石田純一は心の中で思っていればよかったのだ確かに「不倫は文化」かもしれない。

第一章 韓国よ、歴史の真実に学べ において、非日本人であるルトワックが冷静に日韓の問題を韓国が歴史を直視していないと喝破している。

私が興味を持ったのが、ルトワックが韓国の反日の源泉である劣等感を、第二次世界大戦中と戦後のヨーロッパ各国のドイツに対する態度で、解釈されている。

ある程度の理解はしていたが、オランダとベルギーの違い、ノルウェー・スウェーデンの違いを解説しているが、日本人の私にとっては鱗の痛快な解説である。

ルトワックは、韓国はオランダに似ているという。

オランダは、戦後欧州の中で最後までぐだぐだドイツを責め続けた国である。西ドイツのNATO加盟を阻止に動いた国である。ルトワックが子供時代1960年頃オランダの沿岸部へ旅行すると民宿には「ドイツ人お断り」の看板が下がっていた。同じ時期ドイツと血で血を洗ったユーゴスラビアのダルマチア地方の人々はドイツからの旅行者を大歓迎していた。

韓国はオランダやスウェーデンと同じく卑屈で卑怯だと論じているが、私の知識からすれば韓国は日本人の価値観からすれば最低最悪の国家国民性性なのだが、オランダやスウェーデンは韓国と同じなのか・・・と逆に納得してしまった。

p32-33

ドイツが戦時中に殺害したオランダ人の数は、ロシアと比べれば非常に少なかった。むろん戦争が終わる最後の六カ月間、オランダは苦しめられたが、これは食糧が底をつきかけていたからだ。

 オランダ人はほとんど殺されなかったにもかかわらず、ドイツ人への憎しみを解消するまで、ロシア人よりはるかに長い時間がかかった。その最大の理由は、ロシア人はドイツと戦ったが、オランダ人はそうではなかったからだ。

 ドイツ人はロシア人を殺し、ロシア人もドイツ人を大勢殺した。そして戦後、お互いに「もう戦いはやめよう」となったわけだ。

 フランス人は遅かったが、それでも一応ドイツに抵抗した。ベルギー人の抵抗の仕方は巧みで、ドイツが作った秩序を崩壊させている。デンマークは国民レベルで抵抗していて、たく非常に効果的だった。ノルウェーにはレジスタンスの戦士がおり、占領に来たドイツ人をしっかり攻撃した。

 ところが、オランダ人は臆病者で、抵抗しなかったのである。オランダ社会はドイツに服従し、対独協力が大々的に行われた。例えば、ドイツはオランダ警察を頼って、オランダ国内のユダヤ人を逮捕している。

 若いオランダ人たちは、自分の父親たちが臆病者であったからこそ、戦後に反ドイツ的な感情を持ち続けたのである。

p35-37

ロシア人やユーゴスラビア人、そして静かだが強力に抵抗していたベルギー人とも事情は異なる。

ベルギー人の抵抗について付言しておけば、彼らはたしかにドイツと戦闘こそほとんどしていないが、ドイツへの妨害、サボタージュは完壁だった。ドイツ人がオランダとベルギーを占領したあと、地元の警察に「ユダヤ人を逮捕して収容所行きの列車に乗せろ」と命じた。

ベルギーは第一次世界大戦の開戦直後、ドイツの侵攻で占領された。次の第二次世界大戦でも同じだった。そのおかげで、ベルギーのおばあさんたちは見抜かれないような偽文善作りの能力を身につけた。彼らは 「ドイツ人の騙し方」を学んだのだ。

ベルギーはとても小さな国で、ユーゴスラビアの山岳地帯のように、隠れて抵抗運動を続けられる地理的な環境もない。それでも、彼らは非常に効果的に抵抗した。「ドイツの言うことを聞かない」 ことだけを狡猾に行ったのである。

ベルギーにはドイツから逃れてきたユダヤ人だけでなく、非ユダヤ系だがナチスに反対するドイツ人も多く在住していた。反ナチスのドイツ人たちは、ヒトラー政権の下で、オランダとベルギーに逃げ、ベルギーは彼らを守った。

これは、ベルギーによる静かな抵抗の多くの実例の一つにすぎない。ベルギー政府はドイツに「ノー」とは言わなかったが、決してドイツの望むことはしなかった。

しかし、オランダはドイツに協力して逃亡者たちを逮捕し、引き渡した。彼らは強制収容所に送られ、オランダに逃れた人々はことごとぐ死んだ。

オランダは、まるでドイツの使用人のように振る舞っていた。だからこそ戦後、ドイツ人を長期にわたって憎み統けることになった。

一九四五年以降のオランダ政府の国民に対するメッセージは、二つの嘘で塗り固められていた。第一に、戦時中、ほとんどドイツへの抵抗運動がなかったにもかかわらず、話を膨らませて大々的に抵抗していたかのように装ったこと。

そして第二に、対独協力は個別のケースで存在したが、政府ぐるみで協力していた事実はなかったとしたことだ。

これが完全な嘘であることは、アンネ・フランクが逮捕された事実を考えればよくわかる。彼女の家族は逃げて居場所を隠したにもかかわらず、誰かがオランダ当局側に居場所を教えたのだ。これはオランダ人社会に、大規模かつ組織的なドイツへの協力体制があったことを示している。

p37-39
 
スウェーデンの偽善

もう1つ別の例が、スウェーデンである。第二次世界大戦中、ドイツがヨーロッパ中で行っていた非人道的な行為に対して、この国は消極的な傍観者の立場を変えなかった。

スウェーデン人は、自分たちを世界で最も偉大で人道的な存在であるかのように見せたがる。最近の例は、国連の地球温暖化サミットの演鋭で注目を浴びたグレタ・トゥーンベリという女子高校生だ。彼らは常に世界に対して人道主義を説き、入管救済し、地球を救えと主張する。

ところが、第2世界大戦中の人道の危機に対して、彼らは何もしていなかった。ただ戦況をながめて、優雅にパンを食べていただけだ。

そして、事態を傍観するだけではなく、莫大な量の鉄鉱石をドイツに売ったのだ。ナチスはそれを鉄鋼に変え、銃や戦車にした。最も人道的なはずのスウェーデンが、ドイツの兵器の材料を供給していた。

さらに、ドイツ人が同じスカンジナビアの兄弟国であるノルウェーを占領した時、スウェーデンはまったく助けず見殺しにした。それだけではない。事後に占領地のノルウェーに向かうドイツ軍に、自国を横断する鉄道を使わせて、国内を楽々と通過させた。彼らはノルウェーを裏切り、ドイツに部隊輸送の協力をしたのである。戦後、例えば1953年頃になると、ヨーロッパの多くの国ではドイツをすでに許していたが、スウェーデンはオランダと同じょうに、超がつくほどの反ドイツ感情を保持していた。

戦争中、彼らはオランダ人と同じように臆病者で、ナチスに協力していた。戦後のスウェーデンは世界に道徳を説いてきたが、彼らの実際の大戦中の行為は、きわめて非道徳的だった。逆説的だが、だからこそ道徳的高みに立ちたがるのである。

スウェーデン企業や財界人のなかには、大量の物資や資源をドイツに売ることで、戦時中、非常に経済的に豊かになつた者が数多くいた。ナチスの金塊の多くが、最終的にスウェーデンに渡っていたことはよく知られている。彼らはドイツに積極的に協力したからこそ、戦後になって激しい反ドイツ感情に転じたわけだ。

 韓国人にも同じことがあてはまる。韓国の行動は、一見すると不可解なところがある。
ところが注意深く比較してみると、その本質は、ドイツに対する欧州各国の態度と同じであるとわかる。

 戦時中にドイツに協力的だった国こそ、本当に反ドイツ的な態度をとるようになる。
 スウェーデン人は、自らを世界の人道主義の守り手であり、それ以外の国々は自己利益を追求する強欲な人たちであるかのように主張する。戦争終結までドイツに積極的に協力していたからこそ、戦後になると「ドイツはひどい国だ!」と非難して回るようになつた。

なるほど、韓国は日本に協力どころか大日本帝国の一部であったのだから、オランダやスウェーデンの卑屈なトラウマどころではなく、反日は韓国人が韓国人である確認であり、嘘で塗り固めた韓国の歴史観である。歴史を直視できない韓国はいつまでたっても反日を止めることはできない。

そして、ルトワックは韓国は同盟国になれないと看破する、韓国はイタリアと同じく国家としての結束がない。国民の半分は文在寅を熱烈に支持し半分は売国奴だと思っている。北朝鮮という敵に対してまとまりがないのである。

p53-54

 韓国の問題というのは、そのような国としての「結束」がなく、実質的にイタリアと同じである点だ。安全保障や国防問題における韓国の「結束」 のなさは、本書の第三章でも触れるが、たとえ文在寮政権が交代したとしても変わらないのである。

 イタリアは、第一次世界大戦の時、ドイツと敵対する関係だった。しかし第二次世界大戦ではドイツと組んで戦うことになる。一九四〇年、つまり第二次世界大戦の初期の頃に、イタリア政府のトップは当時のイギリスのウインストン・チャーチル首相に会いにいって、「われわれはドイツとともに戦うことにする」と発言した。

 その時のチャーチルの返答は「素晴らしい」というものであった。.後に彼は、「やっかいなイタリアは、むしろドイツと組んでくれたほうがありがたい」と述べているのだ
 もしあなたが政治家として、目の前の戦略的な状況に対処しなければな少ないとしたら、イタリアや韓国のような国とは、大使館のような公式なチャンネルがあったとしても、統一した一つの実態として付き合うことはできないと覚悟すべきだ。

 これは日本がアジアで同盟関係を構築しょうとして、フィリピンをまともな同盟相手として扱うことができないのと同じである。
 第二章〝中国封じ込め″の時代

アメリカが中国と対決せねばならない理由は、大きく分けると以下の三点になる。
Ⅰ アメリカ国内だけでない、日本のような同盟国などからの、違法なテクノロジー窃取
への対処。
Ⅱ.東シナ海や南シナ海など、海洋面における中国の覇権主義への対処。
Ⅲ.中国周辺に位置している国々への支援。

p75-78

「一帯一路」構想の致命的な過ち

 周辺諸国との問題を解決するために中国が打ち出したのが 「一帯一路」構想(OBOR=OneBeltOneRoad) である。これによって中国は諸外国に投資や経済援助をして、スリランカやパキスタンのような国に港湾施設を建設している。つまり彼らは、「マリタイム・パワー(海洋カ)」をカネで獲得しょうとしているのだ。

だが、中国はマリタイム・パワーを誤解している。マリタイム・パワーとは狭義の軍事力だけでなく、関係諸国と友好な関係を持ち、その友好国との軍事的、外交的、経済的、文化的な関係によって形作られる総合的な力めことである。軍艦を寄港させると同時に情報交換をするなど、諸外国と良好な関係を築くことで存在感や総合力を増すものである。

 アメリカは、世界のありとあらゆる国に出かけて戦争したり、爆撃したり、勝手気ままに振る舞っているが、なぜそのような行動が取れるかといえば、近隣のカナダ、メキシコ、カリブ海諸国と一切紛争を起こさないからだ。海上ではそれぞれの国との政治関係によって、どの国と敵対し、どの国と友好関係にあるかということが何よりも重要になる。

 一方、「シーパワー(海軍力)」とは装備や訓練を拡充することで増強できる海軍力そのものを指す。

 現在、中国は、軍艦を建造するのに熱中すること、つまりシーパワーの増強によって、敵を作っている。強力な海軍を建設すれば、関係諸国が中国を恐れるのは当然だ。その結果として、中国はマリタイム・パワーを失う。

 これは一九〇四年のロシア帝国と、第一次世界大戦のドイツが招いた失敗と同じだ。彼らはシーパワーは持っていたが、マリタイム・パワーを持てなかった。

 本来、中国が一帯一路」構想で獲得すべきなのは、マリタイム・パワーのはずだ。信頼の醸成にはカネはかからない。だが、その獲得は非常に難しい。広範囲にわたる長期の取り組みが必要であり、相手国と平等な関係になつてこそ同盟に近い関係が築けるからだ。

 いくらカネでマリタイム・パワーを手に入れようとも、カネは必ずしも信頼獲得の効果を生むものではなく、もっと言えば、カネという札は安全保障という札に負けてしまうことが多い。

 中国は、「われわれは非常に寛大で、多くのカネを配って投資し、大量の旅行者を送り込むことも、あなたの国の製品を大量に買うこともできます」としきりに宣伝する。しかし中国に対して一度でも恐怖を感じた国は、このような提案を拒否するようになる。

加えて、中国が同盟国として、例えばフィリピンなどの相手を同等に見てリスペクトできるかと言えば、かなり微妙である。これではマリタイム・パワーの醸成は難しい。

中国は空母の建設や海上演習を大々的に行うなど、カを見せつけて周辺国を圧倒しようとしているが、これはあくまでもシーパワーに過ぎない。むしろ周辺国は中国を恐れ、中国軍艦の寄港を拒絶するようになる。中国の思惑に反し、現実は嫌われる一方となっている。

にもかかわらず、中国はマリタイム・パワーとシーパワーを混同し、強圧的態度を改める姿勢は見られない。自身の間違いに気づいていないようだ。

そのため、習近平はフィリピンに対して行ってきた、実に攻撃的な「冒険主義」の方針を今後もしばらくは続けていくだろう。
中国はマリタイム・パワーとシーパワーの違いを理解していない。
そして、どんなにシーパワーを持とうともマリタイムパワーの手札を持つ日米にかなわないという海洋戦略の基本を理解していないようだ。
p81-83

中国は海洋戦略を全く理解できていない
 
ここに、米中対立が不可避である理由のⅢが生まれる。 
          
 日本、インド、ベトナム、オーストラリアなどの国々が、対中国同盟を築き始めた頃、オバマ政権のアメリカは背後に回って支えたものの、主導権を取ろうとしなかった。

本来、ランドパワーの大国である中国が大規模な艦隊を作り始めたら、シーパワーの国であるアメリカはその動きに対するリアクションとして、ランドパワー大国の周辺の国々との関係を強化しなければならない。

仮に中国が、日本に「尖閣で間警引き管して申し訳なかった。尖閣は日本のものです」と言明し、フィリピン、ベトナムにも同じ態度をとる。その結果として、中国人観光や投資などの平和的な交流に限ることにすれば、日本からも「なぜ中国と敵対するのか」という声が強くなり、中国のこの地域における覇権の確立につながり、現在、中国が強行しているシーパワーの増強とは相反するマリタイム・パワーが確立されることになる。

中国が「平和的台頭戦略」に戻れば、対中国同盟は破綻することになるだろう。中国人が戦略的であれば、そう行動するはずで、日本にとってはそのほうが大きな問題である。

中国が、シーパワーは小さくあるべきだという戦略の本質を理解していないのは前述の通りだが、そもそも、中国は大海原というものを理解していないようだ。

日本で、「中国が第一列島線、第二列島線を設けてアメリカ海軍を締め出そうとしておりアメリカの空母がミサイルによって危険に曝されるので、グアムまで後退せざるをえないといった議論が専門家の間で取りざたされているようだが、これ基型的なランド.メンタリティ(大陸的思考)の産物だ。

 中国が発想した第一列島線、第二列島線という考え方自体、中国がいかにマリタイム・パワーを理解していないかを証明している。海は陸とまったく違って、潜水艦や航空機が自由に活動する場所だ。にもかかわらず、中国人が国境よろしく列島線を強調するのは、彼らが海洋を理解することがまったくできずに、ランド・メンタリティによって考えていることを表している。

 日本も先の大戦で、広大な領域を手中に収めたものの、それを確保するための航空機、艦船が足りなかったうえに、パイロットの十分な訓練ができなかったために戦争に敗れた。

これはランド・メンタリティ、つまり陸にばかり足をとられているランドピープルの「領土」を基本にした考えによって戦略を考えていたからに他ならない。

中国も同じ過ちを繰り返している。つまり、中国は戦略的思考ができないのだ。
人民解放軍の陸軍軍人の中には、先のマリタイム・パワーへの認識を正しく指摘しているものもいるが、習近平にはその情報が届いていないようだ。
かつてナポレオンは圧倒的な軍事力でヨーロッパを席捲していた。これに対抗して英国が中心となって反ナポレオン連合を結成した。フランス軍7万に対し、英国軍は2万ほどであったが、オランダ、プロイセンなど同盟政策をおこない、ハノーファー王国、ナッサウ公国など小国の軍隊をかき集めなんとか対抗できる勢力にしかならなかった。

だが、ご存知の通りナポレオンは大敗北を喫した。みんながナポレオンを恐れたからだ。

NATO戦略が成功したのも、みんながソ連を恐れたからだ。今は中国を恐れている。中国は国境問題でインドと紛争を繰り返しており、日本は尖閣諸島の領海に毎日のように中国公船が侵入している。一帯一路のサラ金政策、中共ウイルス騒ぎのマスク戦略などいまや全世界を敵に回しているが、ところが中国の夢世界の悪夢を垂れ流す習近平に全世界が怒っている。

第二次世界大戦後の国境を変更しようとする、世界秩序の挑戦者となっている。つまり、中国は昔の朝貢外交時代のように、同盟戦略など興味がなく、軍事力のパワーさえあれば、自分の言うことを聞くだろうという考えを改めようとしない。つまり、中国は現実の戦争という問題に向き合っていないし、向き合うことができない。

中国人は、軍事力を京劇のような、象徴的なものと考えており、実効性よりもハリボテを使って周囲を威嚇することが大事だと思っている。だから、本格的な戦争に対して其の準備ができない。また、海上戦闘における実戦経験が皆無であることは致命的だ。

ちょっと漏れ伝わった写真数枚を見てもダメージコントロールがまるで準備されていない。
                     
南シナ海でも、その戦略のなさは露呈している。中国は南シナ海に人工島を次々と造成して軍事基地化しているが、これらの人工島に配置された中国軍機や艦船は地下壕や掩体壕がないため、戦闘が始まったら三分後には全て破壊されるのだ。軍事的には無価値な基地で、意味がない。トマホークで穴が開けば埋める砂や土など珊瑚礁にはなく、そう簡単に補修することはできないであろう。

これまで中国が戦争に負けてきた理由もこれで、敵は象徴的なものではなく、現実だ、という認識を欠いてきたからだ。

p95-97

政治的に失敗したリーダーは対外戦争を開始する

共産主義体制下では、人民による「革命」が体制を変えることははとんどない。その代わりに、トップが中央政治局常務葺会のほかのメンバーや長老たちから批判を受け、「失業者が続出して人民から不満が出ているが、どうするつもりだ」と突き上げられることになる。

習近平も現時点では独裁者ではなく、常務委員会のメンヾノーの一人に過ぎない。彼らがまとまれば、議決で習近平を追い出すことも可能だ。

彼らは習近平の統治能力に愛想を尽かすか、習近平をスケープゴートとして解雇することによって、その責任を習近平一人に押し付けるだろう。社会問題が多発すれば、党の総書記であっても解雇される。一九八九年に天安門事件が起きた時、趨紫陽が失脚したのがその例である。

つまり、中国国内の経済・失業問題の深刻化は、新たにもう一人、習近平という名の失業者を生み出す可能性があるのだ。

自らのクビがかかった習近平は、対外政策を二の次にして経済最優先の姿勢を取らざるを得ない。ただし、問題解決に至らないとなれば、冒険主義のボタンを押すだろう。中国を注視する際には、この「ターニングボイン」の変化のサインを見逃さないようにすべきだ。

これまで述べてきたことをまとめると、われわれが注目しなければならないのは、中国の外交問題はすなわち内政問題であり、さらに言えば習近平自身の問題であるという点だ。

実際のところ、われわれには「中国」という相手はいない。ただ習近平という人物がいるだけであり、中国の動きは習近平が自身を中心に考えた結果、選択したものなのである。

習近平はよく毛沢東と比警れる。たしかに権力を自分に集中させようとして苛、終身国家主席として、独裁者の立場に近づいている。
                         
本来、習近平の立場は複数の常務委員のうちの一人でしかない。胡錦濤はその立場を守っていたが、習近平は二〇一八年三月に、自らの任期の撤廃でその構造を突き崩した。「firstsamong equals」、つまり「対等でありながら第一」という位置づけから抜け出し、「独裁者」への道を歩き出したのだ。

もちろん、この選択は習近平自身にも危険を及ぼす可能性がある。彼の〝同志″たちが集団で反発し、彼一人を失脚させる可能性もあるからだ。もし経済減速と失業率の増加が目立ってくれば、他の常務要点たちは習近平をスケープゴートにして排除しようと画策するだろう。

その時、対抗する習近平は、自身を毛沢東のような存在にして権力を保持するため、軍の掌握をさらに強める可能性がある。
p114-118

イージス・アショア「十年計画」の非現実性

最後に日本の防衛について、一つ注意しておきたいことがある。
私は今回の米中対立が、軍事的な「戟争」という形には至らずに終わると言ったが、それでも、日本の備えが完全に非現実的な方向に向かうのが我慢ならない。例えば、イージス・アショア(地上イージス)計画だ。

北朝鮮については次章で詳述するが、北朝鮮は現在、すでに日本に届くミサイルを複数保有している。もちろん数は多くはないが、核弾頭もある。まもなくその核弾頭を小型化してミサイルに搭載できるようになり、核ミサイルを実戦配備するかもしれない。

日本には北のミサイルの脅威から自国を守る権利がある。そして日本政府は、北の核の脅威から国民を守るために、複数のミサイル防衛システムを調達することができる。そのうちの一つが、日本がすでに運用しているイージスシステムだ。本来のイージス・アショアのシステム獲得方法を比喩的にいえば、海上自衛隊のイージス艦にドライバーを持って出かけ、ネジを外して陸上に持って行き設置する、というものだ。

ところが防衛省は、十年かけて最新式のレーダーシステムを搭載した、イージス艦に導入されているものとは別のイージスシステムを導入するという。これは科学の進歩という側面では意味のあることかもしれないが、日本人を守るという点ではまったくナンセンスだ。

冷戦時代の日本は、たしかにアメリカに守られた子供のような立場であった。それで生まれた余裕を、日本の防衛産業は国内の細かい注文に応えることや、最先端の科学研究へと振り向けてしまい、例えばイスラエルが対戦車ミサイルを百機購入している間に、ようやく一台の高性能戦車を製造する、という有り様になってしまった。

日本がミサイル防衛システムに本気で取り組むのであれば、いまあるイージス艦のシステムを外して陸上に設置すればいいだけだ。脅威が迫っているのに、十年計画で開発するのは論外と言える。それは科学の進歩の話であり、国防の話ではない。

しかも、開発しているテクノロジーが完成した時に、それが本当の意味で最新式となり、日本の置かれた現状に適合した装備になる確率はゼロである。IT技術やレーダーの技術の進歩は極めて速いからだ。

十年計画は「リアリズム」の完全な欠如だ。現実を完全に忘れている。第五世代のコンピュータの開発の話だったら悪くない。だが、国防というのはエンジニアが発明に取り組むような科学技術の開発ではない。実戦の溌に立つために、ごく短期で成果が求められる世界なのに、長期計画を立てるのは意味不明で、完全に間違っている。

ついでに車つ一点。日本にはまだ他にもできることがある。それは艦船に飛行機を積む空母のようなプラットフォームの廃止だ。日本に拠空母など必要ない。南シナ海では潜水艦があれば十分だ。

 空母の代わりに必要なのは、中古のボーイング747-400(超大型ハイテクジャンボ機)の内部を改装して、空対艦ミサイルや空対地ミサイルを五十発積むこと、つまりミサイル航空機にしてしまうことだ。

日本に求められているのは、アメリカが保有していない戦力を補完することである。ヘリ空母のような機能はすでにアメリカが持っている。

「風林火山」の心構えで中国に対抗せよ

われわれは中国との戦いに勝たねばならない。「勝とう」とか「試してみよう」ではなくて、確実に勝てる状態を確保するのだ。うまくやらなければ戦いは長期化するし、日本もニュージーランドもフィリピンも、中国の植民地になってしまうのである。そうしたことをいま、日本人は真剣に考えるべきなのだ。

中国に対する対応は、常に「反応的」(リアクティプ)でなければならない。この十五年の間に、中国は「1・0」から「3・0」 へと三度も国家の方針を変え、大国でありながら小国のように不安定であった。中国の進む方向は常に不確実で、予測不可能である。

だからこそ日本政府は、中国がことを起こすまでは慎重に、忍耐強く、「受動的な封じ込め政策」を行うべきである。

その一方で、仮に尖閣などに中国が上陸した際には、即座に自動的に発動可能な対応策をあらかじめ用意しておく必要がある。ことが起きてからアメリカに相談したり、対応を検討したりしていれば大きな失敗につながるだろう。

日本の有名な戦国武将である武田信玄は、孫子の兵法の 「風林火山」を重んじた。日本は平時において「動かざるごと山の如し」という姿勢を取るべきだ。そしてひとたび中国が有事を起こした際には、「疾きこと風の如く」の迅速な対応が求められる。


執筆中




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読み終わった。初版は1953年であるが、本書は1985年版である。この表紙に見覚えがあるので、学生時代この本を手に取ったことがあったかもしれない。ところでインテリ気取りの工作員君は本当にこの本を読んだのか?もしかして、ジョージ・F・ケナンが何者なのかすらまったく理解していないで、投稿してきたような気がしてならない。

読んだとしても、読んだ気になっているだけじゃあないか?読みながらそう思った。

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ジョージ・F・ケナン氏はフォーリン・アフェアーズ(Foreign Affairs)誌(1947年7月号)に寄稿した論文「X論文」によって、米ソ冷戦政策を決定つけた外交官だ。1946年「長文電報 (Long Telegram)」をモスクワから国務省へ打電する。今後の対ソ関係に関して詳細に分析、封じ込め政策を提言している。この電報は国務省内で回覧され、トルーマン政権に大きな影響を与えたことは知っていたが、本書を含め、彼の本として著書は読んでいなかった。

沖縄米軍駐留に反対の人々が、終戦後米軍駐留に反対したケナンのことを「常に世界の平和を考え、バランス感覚に秀でている」と評価しているが、本書を読む限り、本当にそうだろうか?という考えに到った。ケナンは日本を当初非武装緩衝国にする封じ込め論を展開した為、左翼には受けがいいようだが、ケナンはリアリストであり、朝鮮戦争が勃発し、戦前の日本の半島統治理由をマッカーサーとともに理解した人物である。

本書を読むきっかけとなった、中国工作員と思われる投稿者が
に下記投稿をしてきた。

市民の目180.197.143.211
2020-08-06 08:31:39 
ジョージ・F・ケナンの著作『アメリカ外交50年』を思い起こします。
ケナンはアメリカ外交の中でも良識派と認められる逸材と言えます。彼が強調するのは、軍事、外交を含めた対外政策における国益をしっかりと定義すること(=見定める)です。それは、相手国を蔑む(例えばヒトラーの語を安易に用いる馬鹿!etc)情緒論や相手国を徹底的に叩き潰す「無条件降伏」主義を戒めるものです。
相手国を変えられるのは、他国(外国)ではなく、その国自身に他ならないとのケナンの言は、外交における箴言であると評価してもよいぐらいです。

翻って、対中外交を考えるときに、好戦的レトリックや排外主義、ステレオタイプの正義論を振りかざす者はアホを通り越して売国奴であると言えます。真摯な日中友好関係を考えないといけない。特に今日8月6日は。日本軍国主義によって受けた広島の犠牲者に合掌。

折角なので、前々からケナンについて興味があったので読んでみることにした。

封じ込め戦略を考え、米ソ冷戦をトルーマンに提言した外交官のジョージ・ケナンの名前と、有名な「X論文」
「長文電報 (Long Telegram)」の存在は、鉄のカーテン~冷戦に到ったのはそういった経緯であることを知っていた。

だが、「アメリカ外交50年」や彼の回顧録は読んだとがなく、興味がある人物ではあった。

しかし読んでみると「アメリカ外交50年」は実にNHK的な表面的なアメリカの立場を擁護する歴史観で埋め尽くされていた。当然といえば当然だが、ただその中に彼なりの政府への批判も散りばめられていたが、民主党の立場なのか共和党の立場ででのポジショントークの匂いが感じられた。

本書では、米国が常に善意の国であると書いてある。スペインとの戦争(米西戦争)は今日米国の帝国主義的野望から、米国の自作自演説が有力視されている装甲巡洋艦メイン号の爆沈事件につをきっかけに始まったのだが、戦争原因をぐだぐだ書いて曖昧にして、米国の野心も間接的に認めているが、スペインも悪いと主張している。

p23-26

「メイン」号事件については、スペイン政府がこの軍艦の沈没についてなんらかの関係をもっていたという証拠は何もなかったし、またかかる関係が存在するはずだと示唆することはとんでもないことであったろう。スペイン官意のみならずハバナ駐在の米国総領事もまた、当時「メイン」号の派遣が紛議を醸すかも知れないという危倶に基づいて、その中止方をワシントンに懇請したのである。スペイン政府はこの惨事の及ぼす影響を緩和すべくあらゆる手段を尽くした。現にスペイン政府は事件の調査を歓迎し、最後には責任問題のすべてを国際仲裁裁判に付託することを捏案した。 - この程案をアメリカは遂に受諾しなかった。

 しかしながら、この二つの事件はアメリカの世論をあまりにも刺戟したので、戦争は「メイン」号の沈没によって不可避となったのだというのが、歴史の判定であるようである。事実右の事件以後、アメリカ政府によって事態の平和的解決が真面目に考慮されなかった。このことは特に重要なことであり、また不幸なことであった。というのは、「メイン」号沈没と戦闘行為の開始との間の九週間の間に、スペイン政府はわれわれの要求と要望に応ずぺく非常な譲歩をしたからである。四月一〇日(戦闘開始一一日前)、マドリッド駐在米国公使-戦争勃発を防止するため真剣な努力をした賢明かつ慎重な人物であった1は、もし大統領が自己の裁量通りに時局収拾を図る権限を議会から得ることが出来るならば、叛乱軍が受諾し得るような自治供与、完全独立あるいは合衆国への割譲など、いずれかの基礎的条件に基づいて最終的解決を八月一日までに遂げることが可能であると報告して来たほど、スペイン政府は折れて来ていたのである。この報告がなされた同じ日に、スペイン女王はキューバでの完全休戦を命令し、ワシントン駐在スペイン公使は、「それ以上の措置を要求すべきいかなる動機も口実も残さないような」自治制度の早期実施を、アメリカ政府に約束している。

 これらは勿論、両国政府間の長期にわ洩りかつ錯雑した通信の中から取り出された個々の一節にすぎない。私がこれらを引用したの軽少くとも文書の上では、一八九八年四月の上旬頃スペイン政府は、われわれが要求していたような種類の態度と措置に非常に急速に接近して来ていたことを示すためである。けれど、それにもかかわらず、合衆国政府はこの最後の瞬間の譲歩によって少しも影響されなかった。そればかりか、議会における感情と行動を抑制して、明らかに戦闘行為の早期開始へと進んでいた方向を転換させるような措置をなんらとらなかった。

さて.当時の人びとが考えたように、スペイン側の譲歩の多くはあまりに遅すぎ、また充分に信頼出来なかったということは事実であり、また、この頃の叛乱軍には、スペイン官憲と少しでも協力するというような気構えもなく、またこれを可能ならしめるような規律を欠いていたのもまた事実である。だが、これらの事情が、アメリカ政府の戦争決意を決定したものであるとは考えられない。むしろこの決定は、アメリカの国論の状態、議会選挙の年であったという事実、一部のアメリカの新聞による臆面もない全く狂信的な戦争挑発行為、および政界各方面からほしいままにまた露骨に大統領に加えられた政治的圧力などに帰せらるべきものである。

(ついでながら戦争の挑発者とみなされることがある財界・実業界方面は、この決定になんら関与せず、一般的に戦闘への介入を嫌っていたということは興味ある事実である。)
御存知のように、このすべての結末が四月二〇日のアメリカ議会の決議なのである。右決議は、「スペイン政府がキューバにおける権限と行政権を即時放棄し、かつキューバおよびその水域から地上および海上兵力を撤退することを要求することは、アメリカ合衆国の義務であり、よってアメリカ合衆国政府はここにその要求を行うものである」というのである。さらに右決議は、大統領に対しかかる要求を貫徹するために「必要と思われる限度において……合衆国の地上および海上の全兵力を行使する」ことを命令し、かつその権限を与えたのである。われわれはスペイン側に対して、この決議の要求に応ずるか否かについて三日間の期限付き最後通をつきつけた。われわれは、スペインがこれを受諾しないであろうし、また受諾することが出来ないことを知っていた。次の日の早朝スペイン側は、最後通牒の通告を待たずに、この決議は「宣戦布告にも等しい」ものであると声明し、アメリカとの外交関係を断絶した。その同じ日に戦闘行為がアメリカ政府によって開始された。かくして、アメリカ政府は、戦争に至らざる手段ばよる解決の可能性が全然消滅しをといい得ないような状況の下において、議会および国民の強力な要求に屈従して、他国への戦闘行為を開始したわけである。

まるで、教科書さえ買えば「優」をくれる凡庸な大学教授の本の文章であり、彼の裏の顔「インテリジェント・オフィサー」としての裏話はほとんどなかった。

だが、ケナンの考え方はインテリジェント・オフィサーである。そうと思わせる箇所がある。

この間の事情についてさらに説明を加えよう。大戦の開始前、世界の陸軍力と空軍力の圧倒的部分が、ナチス・ドイツ、ソヴィエト・ロシアおよび日本帝国という三つの政治勢力の手に集中されていた。これらの勢力はどれも、西側民主主義に対して深刻な危険な敵意を抱いていた。

一九三〇年の後半の情勢では、もし、右三国がその勢力を結集し、緊密な軍事的計画をもつならば、残された西側諸国は、その現有ないしは将来持つべき武力によって、ヨーロッパおよびアジア大陸においてかれらを撃破する希望を全くもてなかった。
ヨーロッパおよびアジアにおいて西側民主主義は軍事的劣勢に立つこととなり、世界の勢力均衡は決定的に不利となったであろう。
 私は、このことが、西側の政治家によって看取されていたとか、また、容易に看取されたであろうとか主張しているのでない。しかし、私は、それが一つの現実であったと信じている。

そして、それが現実であったがゆえに、戦争が起った場合、それは、西側の勝利の程度に制約を課すことになったのである。この三つの全体主義国のうち日本のみが、他の全体主義国のいずれかの援助を借りずに、民主主義陣営によって撃破し得た国であったろう。ドイツとロシアの場合、事態はもっと重大であった。両国が一緒になれば、これを撃破することは不可能であったし、民主主義陣営がそのいずれかと協力する場合にのみ、これを個別的に撃破することが可能であった。

 しかしながら、かかる協力は、それが全面勝利の段階まで推し進められるならば、協力する相手国の力を相対的に強化し、結局平和会議に貪欲な冷酷な債権者として出現させるであろうということである。そればかりでなく、これら二国のいずれかが民主主義陣営に立って参戦する場合、その協力する全体主義国をして、軍事行動の展開の当然の結果として東ヨーロッパの大部分を占領せしめることなくして、その戦争を完全にまた成功裡に終らせることは出来ないということである。

 それ故に、一九三九年当時の情勢下において、西側民主主義諸国は、既に軍事的には劣勢であるというハンディキャップを負っていたのであり、かれらがこれがため代価を支払わないですますことはほとんど期待出来ないことであった。それはもはや選択の自由が残されているようなものでなく、いわばトランプのカードが民主主義陣営にとって不利なように配られていたので、新しい世界大戦でかれらの完全かつ見事な勝利などほとんど予見出来なかったのである。

 そこで、後から考えてみて、こういうことが問われるかもしれない。すなわち、もしそのよぅな実情であったとしたら、西側の政治家たちは、全体主義国が自ら消耗し尽すように、かれらを互いに戦わせ、西側民主主義諸国の安全を毀損しないでおくような政策を、開戦する前に仕組んだ方が賢明ではなかったかということである。

ソヴエトの宣伝が三〇年代に西側の政治家を攻撃したのは、正にこの点に外ならなかった。そして事実、西側の行動のあるものは、あまりにも漠然としており、下手だったので、かかる非難をもっともらしくみせたということはある。一九三〇年代後半における西側の政策をもって、このような死物狂いのマキァヴュリ的計画を行う能力をもっていたと借ずるならば、それは、西側の政策のもつ見透しと力とを、あまりに買いかぶっているといえよう。私個人としでは、西側のどの国の責任ある有力な意見も、実際、戦争を――独ソ間の戦争すらも――少しでも欲していたという証拠を見つけ出すことは出来ない。ナチスとロシア共産主義との間の戦争は、束ヨーロッパの小国の疲弊した身体をかこんで、争われることは明らかであった。そして、ミュンヘンの悲劇にもかかわらず、これら東欧諸国の独立の消滅は、誰も希望しないところであった。他に証拠がないかぎり、われわれは、フランスとイギリスが遂に一九三九年に戦争に訴えたのは、ポーランド独立問題に外
らないとの明白な事実を否定出来ない。

 全体主義国間の相剋を意識的に狙った政策というものは、主観的理由から、民主主義諸国の政治家にとり、実行可能な代案と全く考えられなかったというのが事実である民主主義思想を支持する人びとは、それぞれの見方によって、この事実に対して希望を、あるいは失望を感じるであろう。そして、一九三九年夏、ヨーロッパに戦争の暗影が拡がったとき、われわれが現在後から考えても分かるように、西側の政治家の当面したディレンマは、明白かつ不可避のものであった。ロシアの援助がないかぎり、ドイツに対する勝利の見込みは存在しなかった。

だが、かかる援助に対して、かりにそれがいずれは得られるにしても、西側民主主義諸国は戦争の軍事的帰結において、また平和会議で捷起されるべき要求において、重大な代価を支払わねぼならなかったろう。換言するならば、西側の軍事的目的は、始めから抵当に入れられていたようなものである。ドイツにかんするかぎり、その目的は達成されたかも知れないが、それには高価な政治的代償が請求されるであろう。ところで、これは、ソヴュト・ロシアとの協力だけのことでなかった。民主主義陣営がヴィシー政府やフランコのスペインその他との間に結ぶことを余儀なくされた不本意な妥協も、みな同じ問題の一部を成していた。つまり、それらは西側の軍事的劣勢の代価をなすものであった。

やむをえず、不本意なららソ連を抱き込んだこと、可能であれば、第二次大戦は日独ソを戦わせるべきであったこと。ただの外交官であれば、そのような発想はしない。

彼の評価できる点は、冷徹にソ連・ロシアを研究し、戦後米ソが安易な同盟関係を続けることなく、早々に新たな敵国であるとトルーマンに認識させたことである。米国内には、多くのコミュニストが入り込んでいたことを察知していたからこそ、ソ連に漏れる意図をもって長文電報(Long telegram)を打ったと私は思う。

1946年時点でソ連は核兵器を保有していなかったが、1943年からスターリンが開発を命じており、ソ連が核保有国になる寸前であることは、ソ連大使館員であり、インテリジェンスオフィサーであったならば、ケナンは把握していたはずである。唯一の核保有国であった米国がそのまま、ソ連と戦うことは現実的ではなかった。ソ連が核保有国になるであろうことを予想し、ソ連を封じ込め戦略をトルーマンに提言し、結果的に米国とソ連とは冷戦となり、悲劇的な核戦争をせずに済んだともいえる。


ただし、キューバ危機の相手がフルフチョフではなくスターリンであったならば、ケナン氏は歴史から忘れ去られてたかもしれない。あくまでも、米ソが核戦争に到らず冷戦で留まったのは歴史的偶然にすぎず、その後の冷戦という平和は、ケナン氏の封じ込め戦略が齎したものではなく、米ソの核のバランスによって成り立っただけにすぎない。

ロシア人を徹底的冷徹に評価したからこそ、ソ連はヤバイ国だから、安易に同盟国として気を許すなと、トルーマンだけでなくソ連にも米国からの警告を行ったことが、ケナンの評価されるべ評価である。また、ロシアの思想・歴史・精神性を調べ上げたからこそ将来ソ連が核を持つであろう前提で、封じ込め戦略をトルーマンに提言し評価されたのだ。

戦前はドイツ、戦時中~戦後すぐにソ連大使館員だったということは、ただの外交官ではなく、有能なインテリジェントオフィサーであったと思われる。その証拠に国務省退官後にケナンはNstionalWarColledge(国立国防大学)で、副校長になった。良識派の外交官であったならば、国家安全保障の上級レベルの人員を教育するNWCの副校長になれるわけがない。反戦的外交官・良識派などと評価するのは、世の中の仕組みをまったく理解することができない、お花畑のバカが下す評価だ。ケナンは冷徹なリアリストであった。

話を、現代に置き換えると、わかりやすい。現在ケナンが北京大使館員だったとしよう。
現代のケナン氏は中国の政治システムがいかにヤバイ国であるかを調べあげた、そして電文を中国にもわかるよう警告で打った。前大統領だったオバマは無能すぎて何もできなかったかもしれないが、トランプ大統領は中国は警戒すべき国であると認識し、議会の方も同じく中国を敵として対峙するようになったのではないか?

ケナンが分析したソ連だが、ソビエトを中国共産党に置き換えると驚くほど共通している。

P167-168

さてソヴュト政権の環境についてとくに注目すべきこととは、今日までのところこぬ政権強化の過程が完成しておらず、クレムリンの人々は一九一七年一一月獲得した権力を確立し、これを絶対化する闘争に専心しっづけてきているということである。

かれらはその権力を、主として国内における、ソヴエト社会内部における諸勢力に対して確立しようと努めてきた。

しかし外部世界にたいしてもまた確立し、ようとしてきた。なぜならわれわれのすで暗にみたように、イデオロギーは外部世界がかれらに敵意をもっていること、究極的には国境外の政治勢力を打倒するのがかれらの任務であることを、かれらに教えたからである。

このような感情をかれらがもちつづけるように、ロシアの歴史と伝統がその手を齎したのであった。かくて外界にたいするかれらの侵略的非妥協性は、ついにその反動作用を起しはじめた。再びギボン流の言葉を用いるならば、かれらは間もなく自分自身がよび起した「頑迷の報いを受け」ざるをえなくなった。世界が自分の敵であるという命題について自分の正しさを証明してみせることは、たしかに誰でもがもっている特権である。なぜならかれが何回となしにそれを繰り返し、これを自分の行動の背景とするならば、結局は世界を敵に廻してしまい、かれが正しいことになるからである。 
                  
ソヴュトの指導者にたいする一切の反対は、それが何であろうと、なんらかの価値または妥当性をもつと公式にみとめることのできないのは、かれらのイデオロギーの性格によるばかりでなく、かれらの心境の性質にもよるものである。

(略)

かくてソヴュト政権を動かすもっとも基本的な衝動のひとつが、この事実のために生れることになったのである。いまやロシアにはもはや資本主義が存在しないのであり、クレムリンにたいする重大なまたは広汎な反対がクレムリンの権威のもとに解放された大衆から自然に流出し得ると認められなくな言のであるから、独裁の存続を理由づけるためには、外国の資本主義がおよぽす脅威を強調することが必要になったのである。
p174-175

すなわちクレムリンは絶対誤謬を犯さないという観念である。ソヴュトが権力についていだいている考えは、党以外には、組織といういかなる焦点の存在をも許さないということであるが、この考え方によれば党の指導部は理論上腑二の真理の貯蔵所でなければならない。なぜなら真理が党の指導部以外のところにも見出されるものならば、その真理が組織活動となって表現されるための根拠があることになる頂りである。しかしその。と。そクレムリンの許す。とのできないところであり、また許しもしないところである。

したがって共産党の指導はつねに正しいのであり、一九二九年スターリンが政治部の決議は満場一致をもって採択されるものである上声明してかれ自身の権力をつくりあげて以来、つねに正しかったのである。 

 共産党の鉄の規律は、この絶対誤らずという原則に基礎をおいている。二つの考えは事実上お互いに支持し合っている。規律が完全であるためには、絶対誤りを犯さないということをみとめる必要がある。絶対誤りを犯さないということが成立するためには、規律の遵守を必要とする。そしてこの二つが一緒になってソヴュトの全権力装置の働き方を決定してゆく。

しかしその効果は、さらに第三の要因が考慮のなかに入れられるまでは理解できない。この第三の要因というのは、指導部は特定のいかなるときでも、自分の目的に役立つと思ういかなる時定のテーゼでも、戦術上の目的のために自由に提示でき、そのテーゼが運動に参加している全員によって忠実に、なんの疑いもなしに承認されるのを要求できるということである。この結果、真理は恒久的なものではなく、あらゆる意図と目的とのために、ソヴエトの指導者自身によって、現実につくりだされるものだということになる。それは毎週にも、毎月にも変化できる。

それは絶対的な、不変なものではなく客観的現実から生起するいかなるものでもない。それはただ歴史の論理を代表しているが故に、究極の叡知が宿っていると想像されている人々の叡知がその都度新た爬表明されるにすぎない。これらの要因の効果が累積すると、ソヴエト権力の全下部機構が権力の向かう方向につねに揺ぎない頑なさと確固不動さで追従することになる。

かれらが向かうべき方向は、クレムリンによって自由に変更されるのであって、それ以外のいかなる力もこれを変更すること叫できない。その時々の政策にかんする一定の争点について、党の一定の方針が定められると、外交機関をもふくめた全ソヴュト政府機関は、ねじを巻かれ、一定の方向に向けられた永続的な玩具の自動車のように、定められた通路をとおって情容赦なく進んでゆき、なにかどうしようもないような力に遭遇して初めて停止する。

この機関を構成している個人は、外部からかれらにあたえられる議論や理由を一切受けつけない。かれらに与えられたあらゆる訓練は、外界の滑らかな説得力を借ぜず、これを無視するように教えてきたのである。写真の前の白い犬のように、かれらはただ「主人の言葉」だけに耳を傾ける。


アメリカ外交50年史を読み解くと、もし彼が駐北京米国大使館員であれったとしたならばそうしたであろうと読み取ることができる。彼はリアリストだ。

リアリストとは、イデオロギーとか宗教に関係なく、
米国が置かれた状況を的確に判断し、国益を考え、正しい行動をとろうと考え、過去の過ちも過ちとして修正できる人物である。

さて、本書が書かれた1953年とは朝鮮戦争(1950年6月25日 - 1953年7月27日;休戦中)が一旦停戦となった年であり、帝国日本陸海軍が朝鮮半島から消え、朝鮮人同士の内乱に中ソ、米英が巻き込まれた米国にとって悪夢の日々であった。米軍は半島は日本軍に任せていればよかったと後悔し、日本の立場をようやく理解していた時期だった。

p81-83

第二次大戦のずっと以前から、権威ある観察者で、中国大陸における日本の利益を零し、また中国における外国政府の地位を毀損する傾向をますます強めていた政策の妥当性を疑問視していたものがいたからである。

われわれの最も消息通の職業外交官の一人であったジョン・Ⅴ・A・マックマレー氏は、引退されてから数年になるが、1935年に極めて思索的で予言的な覚書を書いた。その中で、もしわれわれが現にとりつつある方向にこのまま進んで行くならば、日本と戦争が起るであろうと指摘した後、彼は、かかる戦争においてわれわれの目的を徹底的に貫徹したにしても、それはロシアにうまい汁を吸われるだけであり、山ほどの新しい問題をつくるだけであると述べた。

 日本を敗北させたからといって極東問題から日本を排除したことにならないだろう。
……活力のある国民は……敗戦や国家的恥辱によっておとなしくなるものではない。むし ろかれらは、自尊心という激情的衝動にかられて、かれらの帝国的権力の全盛期に揮った実力とほとんど少しも劣らぬばどの「厄介者の価値」を発揮するような諸手段を用いて自己の存在を再び主張するに至る。しかしながら、日本を抹殺することが可能であるにしても、それすら極東ないしは世界にとて祝福すべきこととはならないであろう。それは単に新たな一連の緊張状態をつくり出立だけであり、日本に代ってロシア帝国の後継者としてのソヴェト連邦が、東アジア制覇の競争者として(そして少くとも日本と同じくらいに無法なかつ危険な競争者として)立ち現れるだけであろう。

かかる戦争におけるわれわれの勝利から利益をうるものは、恐らくロシアの外にないであろう。

……かりにわれわれが中国を日本から「助け」てやらねばならないにして、……われわれが中国人に感謝を請求する権利があることを認めないことは、中国人にとってなんら不面目なことでない。国家や民族というものは、集団的にこのような感情に動かされないのがあたりまえのように思われる。……かれらはわれわれに対してなんら感謝することもないし、また利他的な意図についてわれわれを賞揚することもないであろう。却って、かれらは、われわれが引き 受けた責任を果たそうとする場合、これに抗争しょうと試みるであろう。

今日われわれが当面している朝鮮の情勢をみるならば、これらの言葉につけ加えて論評する必要はない。アジアにおけるわれわれの過去の目標は、今日表面的にははとんど達成されたということは皮肉な事実である。遂に日本は中国本土からも、満州および朝鮮からもまた駆逐された。これらの地域から日本を駆逐した要は、まさに賢明にして現実的な人びとが、終始われわれに警告したとおりのこととなった。

今日われわれは、ほとんど半世紀にわたって朝鮮および満州方面で日本が直面しかつ担ってきた問題と責任とを引き継いだのである。もしそれが他国によって引き受けられたならば、われわれとして軽蔑したような重荷を負って、現にわれわれが苦痛を感じているのは、たしかに意地悪い天の配剤である。とりわけ最も残念なのは、ほんのわずかの人びとにしか、過去と現在との間の関係が目に見えないように思われることである。もし、われわれが自らの過誤から教訓を学ばないとしたならば、一体何からわれわれはそれを学びとることが出来ようか。

p235-237

第三回の講演では、一九〇〇年から一九五〇年まで半世紀に及ぶ、われわれの中国および日本との関係について述べた。この講演の結論として私は、それら両国との関係が、中国に対するわれわれの奇妙ではあるが深く根ざした感傷を反映してきたことを指摘した。

この感傷が、自分たちほど恵まれず、より後進的と思われる他の国民に対する慈悲深い後援者、慈善家または教師をもって自任することによって得られる喜びから生じているのは明らかであった。

またこの自己満足の中に、私はアメリカ人が陥りやすいものであるように思われた国民的なナルシシズムー集団的自己賛美-を見ないわけにはいかなかった。この自己讃美の傾向は、われわれの大げさな対外的行動と著しい対照をなす、深い潜在意識的な不安感-自分たち自身にっいての確認の必要-を隠すことができただけであると思われた。

同じ講演において、次に私は、アメリカ人の日本に対する否定的で批判的な態度を取りあげた。それはもちろんわれわれが中国に対してとった後援者的・保護者的な態度の裏返しであった。

われわれの日本に対する不満は、日本が当時東北アジアで占めていた地位1-朝鮮と満州で支配的な地位-に主として圃わっていたように思われる。それらの地域は正式には日本の領土ではなかったから、日本による支配は法的にも道徳的にも不当であるとわれわれは考えたのである。

私はこのような態度に異議を唱え、それはわれわれ自身の法律家的・道徳家的な思考基準を、それらの基準とは実際には怯アーんど全く関係のない状況打当てはめようとするものであったと批判した。そして私は、この甜域における活動的な力であるロシア、中国および日本という三つの国は、道徳的資質という点ではそう違わなかったのだから、われわれは他国の道義性を審判する代りに、それら三者み間に安定した力の均衡が成り立つよう試みるべきであったと論じたのである。

日本をアジア大陸で占めていた地位から排除しょうとしながら、もしわれわれがそれに成功した場合そこに生ずる空白を埋めるものは、われわれが排除した日本よりもさらに好みに合わない権力形態であるかもしれないという大きな可能性について、われわれはなんら考慮しなかったのだと私には思われた。そしてこれは実際に起こったことなのである。

 このことに関連して、私がいま言及している講演が、朝鮮戦争中に行なわれたものであることを指摘したい。私は当時、朝鮮半島においてわれわれが陥っていた不幸な状態の中に、われわれが以前、日本の国益について理解を欠いていたことへの、また日本に代る望ましい勢力があるかを考えもせずに、日本をその地位から排除することにのみ固執したことへの、皮肉な罰ともいうぺきものを認めないわけにはいかなかった。この例によって、私は、外交政策におけるわれわれの選択が必ずしも善と悪の間で行なわれるわけではなく、むしろより大きい悪とより小さい悪との間で行なわれる場合が多いことを指摘しようとしたのである。
つまり、マッカーサーと同じく日本の立場を理解し、日本を追いやり朝鮮半島を抱え込んだことを後悔しているのである。

ジョージ・F・ケナンは、封じ込め作戦において日本を非武装地帯としようと目論んでいたが政府の方針変換で米国政府は日本に基地を恒久的に基地を置き、共産圏への攻撃基地とし、日本に武装させると1949-1950年に方針が変わった。

P240-243

しかし一九四九年の終りまでには、ワシントンで何かが起こっていたのであり、それはアメリカの戦後政策全体に深刻な影響を及ぼすことになったのである。

「封じ込め」の概念は、私が一九四七年に誠に大胆に捷喝したもので有るが、それは私や他の人々がスターリン的共産主義の政治的拡大の危険と信じていたもの、ぞしてとくにモスクワによって指導され操作される共産主義者たちが、ドイツおよび日本という敗北した大工業国で支配的地位を築く危険に対処するものであった。

私にしてもソ連をよく知っている他の人々にしても、ソ連が西側主要国あるいは日本に軍事的攻撃を加える危険があるとは、いささかも信じてはいなかった。

ソ連からの危険は、いわば政治的危険であって軍事的なものではなかった。そして歴史の記録もそのような見方が正しかったことを示している。しかし私がいまだに十分理解できないでいる理由によって、一九四九年までにワシントンーすなわち国防省、ホワイト・ハウスおよび国務省-の大多数の人々は、ソ連がかなり近い将来、第三次大戦となるかもしれをい戦争を始める危険が現実に存在するという結論に達したように思われる。

 なぜあの時期のワシントンでそのような結論がそれほど支配的になったのかという問題は、今日においてもなお、歴史的研究にとってもっとも興味深い問題の一つである。

私はそのような見方に反対であったし、私の同僚のチャールズ・ボーレンも同じであったが、二人とも説得に成功しなかった。

私はただその原因を、多くの.アメリカ人にとって、強力な軍事力をもつ国の場合でも、その国がも齎す政治的脅威がつねに軍事的脅威と結びついているわけではなく、一義的に軍事的な脅威ではない場合もあるという考えかたは受け入れ難いものにみえたことに、求めることができるのみである。

とくに軍関係者の間では、スターリン時代のソ連指導者がアメリカに敵意を抱いていたために、彼らが強大な軍備を持っていたために、そしてまた彼らがアメリカの世界における指導力に激しく挑戦していたために、ソ連の指導者は記憶も生ま生ましいナチのような連中であり、アメリカに対する戦争を欲し企んでいるのだと考える傾向があり、またそれゆえにソ連に対する政策は、一九三九年に戦争が勃発する以前にナチに対してとるべきであった政策のモデルと一致しなければならないという結論に飛躍する誘惑が強かったように思われる。その考え方はどちらも誤っていた。

 いずれにせよ、アメリカの指導層の意見にあらわれたこの変化は、私が述べた時期-一九四九年終りから一九五〇年初めにかけて起こった。そしてそこから生じた最初の結果は、アメリカの軍部および政府の上層部に、日本を非武装のままにしておくことはできない-むしろアメリカは、たとえそれがソ連の賛成しない講和を日本との間で結ぶことを意味するとしても、無期限に日本に軍事力を配置しておかねばならない--という強い感情がたかまったことであった。

この見解は一九五〇年初めにさまざまな方法で公的に表明されたが、その時期はちょうどアメリカが在韓米軍を大幅に削減した時期であった。これらすべてに対するソ連の直接の反応は何であったかと言えば、それは北朝鮮に対して、共産主義の支度を全朝鮮半島に拡大しようという意図をもって韓国尊攻撃することを、奨励はしないにせよ、許容する姿勢をとることだったのである。

もし日本が無期限にアメリカの軍事力の根拠地であり続けるとすれば、もし対日全面講和が結ばれないとすれば、またもしモスクワは日本の情勢を左右できる見込みが全くないのであれば、モスクワは、その見返りとして、アメリカがとにかくさほど関心を示しているように見えなかった朝鮮において、その軍事的・政治的地位を強化しようという気になったのである。

 これが、私の見るかぎりでの朝鮮戦争砂の起源であり、その後のことはあなた方も知っている通りである。三年をかけ、五万四千のアメリカ軍死傷者を出したあとで、この戦争は終結したが、その結果は、戦争前にあった状況と非常によく似た朝鮮半島における手詰り状態を再現したにすぎず ー そしてアメリカの介入の度合がさらに深まったのみであった。その状態は現在も続いている。

 さて、この出来事について、注意しなければならないと私が思うのは、次の諸点である。第一に、われわれがその地域の問題、とくに日本における米軍駐留に終止符を打ったであろうような、この地域の問題の政治的解決についてソ連と交渉することに何の関心ももっていなかったことである。それでは、われわれはなぜこの間題にこれほど関心がなかったのであろうか。

思うに、主としてわれわれはソ連が新たな世界大戦に突入する決意を抱いていると信じて疑わなかったからであろう。これに対抗するためにわれわれは、軍事的前進基地として日本を必要としていた。しかし同時にソ連はすでに悪の体現者と同義されていたために、国内政治の観点からすれぼ、悪と交渉し妥協することが尊いこととは思われなかったのであろう。

私が指摘したい第二の点は、ソ連が次に北朝鮮の攻撃行動を承認-あるいは黙認-するという形で、アメリカの対日政策への反応を示した時、われわれは、アメリカが日本でとった政策と北朝鮮の共産主義者が朝鮮でとりつつあった行動との間の関連を決して認めようとせず、あるいはそれを考えることさえできなかったということである。

反対に、北朝鮮の侵略が行なわれたとき、ワシントンがただちに下した結論は、この行動はナチがヨーロッパ制覇の目的で行なった最初の行動であるとしばしば考えられていた、1928年のミュンヘン危機に比すべきもので、ソ連の軍事力による世界征服の第毒手なのだというものであった。

ボーレンと私とは、再びこの解釈に反対した。しかし二人ともそうした考えを改めさせることはほとんどできなかった。軍部の解釈が支配したのである。
ジョージ・F・ケナンは、いったい何を隠したいのか?
アメリカの指導層の意見にあらわれたこの変化は、私が述べた時期-一九四九年終りから一九五〇年初めにかけて起こった。
1949年から1950年にかけて起きた重大事件とは、1949年8月ソ連は原子力爆弾の開発に成功したのである。

唯一の核保有国ではなくなった米国が、方針転換するのは当たり前である。

以上が「アメリカ外交50年」の気になる点であった。

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工作員の「市民の目」君、討論時間だ。

>相手国を変えられるのは、他国(外国)ではなく、その国自身に他ならないとのケナンの言は、外交における箴言であると評価してもよいぐらいです。

たしかに、いい外交における教訓だね、それに近いことは書いてありましたが、いったいこの本のどこに書いてある?見逃したかもしれないんで、教えてくれないかな?

何ページの何行目?もしかしたら版が違うかもしれないから、何部の何章のどのあたりかでもいいけど(笑)

>それは、相手国を蔑む(例えばヒトラーの語を安易に用いる馬鹿!etc)情緒論や相手国を徹底的に叩き潰す「無条件降伏」主義を戒めるものです。

この本を読んで、それに近い表現がまったく見当たりませんが?

解釈の違いかもしれませんので、何ページのあたりでそのようなことを書いてますか?
討論しましょう!どこ?

この記事読んでるよね、もちろんこの本も読んでいるよね・・教えてくれないかなぁ?
 


σ(´┰`)


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「正直で賢い人は絶対に左派になれない。
正直な左派は賢くなく、賢い左派は正直ではない。
矛盾だらけの社会主義の本質を知らねば明晰ではなく、
知っていながら追従するなら嘘つき(偽善者)だ」
レイモン・アロン

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読み終えました。本当に1991年末にソ連が崩壊し、日米経済戦争で日本もバブル崩壊し、1992年にフランシス・フクヤマ氏「歴史の終わり」が出版され、世界唯一のスーパーパワー国家、国家の絶頂期の1997年に書かれた本であることに驚く。


前編↑は訳者である奥山さんの解説で、もしかしたら本書を読むより分かりやすいかもしれませんが、以下私が書いた駄文もお付き合いください。

1997年時点で、書かれ、当時の常識からすれば下手をするとトンデモ本扱いされない内容であったが、左右両派の米国のインテリ層に読まれ、時代を読み解く警告の書として評価された。2008年のリーマンショック、米国の再興を目指す強い指導者=トランプ大統領の出現、そして米国建国の父達を否定し米国を分裂させかねないBLM運動出現まで予言し、大枠では外していない内容に驚いた。スピリチャルな予言の書ではないが、正確に未来を予想した予言の書である。

西洋の歴史哲学は人類は猿からリニア(直線)的に進化を続ける進化論的な考え方であるというイメージで、その集大成がフランシス・フクヤマ氏「歴史の終わり」であった。
そして、「歴史の終わり」のようなリニア的歴史観を完璧に理詰めで否定したてのけたのが本書である。

p48-49

アメリカ人が何十年間も感じていない感覚にあこがれているのかもしれない。それは「ポジティブで実行可能な運命への積極的な参加者である」という高揚感だ。
これからあなたが体験するのは、近代史をめぐる新たな旅だ。ここで学ぶことはとても多い。しかし、この旅を始める前に、まずはいくつかのことを忘れていただきたい。
まず忘れていただきたいのは、「アメリカは自然の季節的なサイクルから外れた、例外的な存在だ」という考え方である。世代交代について学ぶことで、あなたはいままで学んだものとはかなり異なるモノの見方に直面することになる。それは古代人の知恵から生まれたものであり、「社会変化のリズムは、自然にある生物学的・季節的なリズムが反映されたものだ」という見方だ。その深い意味を知るために、古代の人間たちは出来事を神話に変え、英雄たちをタイプにわけ、そこで活躍する人々は新しい社会秩序(もしくは制度の価値観)において常に創造され、助長され、陳腐化され、破壊され、そして最終的には再生される、という物語につくりかえたのだ。古代人の視点では、このサイクルは終わりのない歴史の中で繰り返され、同じビートを刻むことになる。時間は進歩の上昇スパイラルをもたらすこともあるし、下降スパイラルをもたらすこどもある。そしてこれらは、自然における進化のプロセスととてもよく似ているのだ。

 「線的」な考え方を忘れるためには、「進空という完的な基準についての判断を変える必要がある。古代人の宇宙観の中では、自然がより中心的な位置を占めていたのであり、彼らはわれわれ現代人が知らない何かを知っていた。彼らは自然の変化が一定のものではないし、ランダムなものでもないことを知っていた。彼らは自然が「進歩」を保証するものでもないし、それを否定するものでもないごを知っていた。彼らは一つつのサイクル内にある振れ幅が、サイクル全体の振れ幅よりも大きいことを知っていた。彼らは一年(もしくは一世代)の冬が、その直前の「秋」ではなく、一年前の「冬」とかなり似通ったものであることを知っていた。そして彼らは「第四の節目」が、ものごとの自然な流れの結果であることを知っていたのだ。

 われわれは、ほぼすべての近代社会に蔓延した「線的」な考え方にある、執劫な「死の恐怖」(そして、死の回避の熱心な探求)を忘れるべきだ。古代人たちは、衰退と死の段階がなければ、自然の生物学的・社会学的な循環が完成しないことを知っていた。死なない雑草は森を窒息させてしまうし、人が死ななければ記憶は消滅せず、破られない習慣や慣習は文明を窒息させてしまうのだ。これは社会制度についても同じことが言える。洪水が土地を肥沃にして、山火事が森を再生させるように、「第四の節目」は社会で使い古された要素を一掃し、新たな発展のチャンスをつくるのだ。

 最後に、われわれは「ポジティブな変化は、段々と人間の意図した喜ばしい形で到来する」という「線的」な考え方を忘れるべきだ。多くのアメリカ人たちは、直感的に「今日の分解時代(訳注‥現在は危機)のアメリカをもたらした多くの要因は、根本的に改善される前に痛みを伴う激変と直面しなければならない」と感じているが、この直感は正しい。「第四の節目」は、全世代の人間たちに国家の中心にあるものを癒やす(もしくは破壊する)ための、文字通り「一生に一度」のチャンスを与えてくれるからだ。

これらをすべて忘れ去ることができた瞬間から、われわれは歴史を季節的な視点から学び直すことができるのである。

この筆者達は米国は独立戦争、南北戦争、第2次世界大戦……、80年ごとにアメリカを襲った「危機」が80年周期であることを発見した。だが、建国二百四十数年の国には、建国以来、国を揺るがした危機は、独立戦争と南北戦争、大恐慌~第二次世界大戦の3回しか経験していない。その3回の危機からはまだ、循環が見えずリニア(直線)的に進化の途中にあった障害物にすぎないと考えてしまうのは無理もないことだ。

本書はまず、「歴史は繰り返す」という自然な循環論を、進化論的西洋思想の読者達を説得するところから始まる。私達日本人には当たり前のような輪廻転生的な思想を、歴史的エビデンスを元に延々論拠を積み上げていくところから始めた。(其の点は日本人である私には少々くどく感じた)

本書[第四の節目]「フォース・ターニング」は、人間の社会を総体的に見ると、線的に発展するのではなく、四季のように循環しているのではないか、という理論を構築して、著者達のクライアントで、主な読者層の米国のエスタブリッシュメント達をたたみこむ。

著者らは、建国200余年の米国の歴史では説得力に欠くと欧州社会の過去500年ほどの近代史を分析。その結果発見したのが、大きな戦争を伴う社会的な「危機」もおよそ80~100年の周期であり、それぞれの危機の後にアメリカの国や社会が大きく変化していると、理論を補強している。

本書では、これらそれぞれの80年周期の間の出来事や時代の趨勢(すうせい)を分析し、80年を約20年ずつに分け季節を当てはめている、春「高揚」、夏「覚醒」、秋「分解」、冬「危機」という、それぞれの季節に例え特徴のある四つの期間(節目)を設定している。

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そして、本書の画期的点は、更に人生の四つの段階、幼年期、成人期、中年期、老年期とからめ、それぞれの時代に生まれた20年後と世代の役割と運命を論じている一種の世代論考である。
p109-110

季節と同様に、人生の四段階もお互いに混じり合い、変化をつくり出すリズムに導かれている。季節の長さが冬至から春分、夏至から秋分の時間で決まるなら、人生の循環の各段階の長さは、誕生と若き成人となるまでの間の時間によって決められる。この段階についての米国社会における儀式を使った認知は、今日、二一歳の大学を卒業し、職業キャリアを始める時に行われる。その後は自分のことを自分で決められる大人だと見なされる。人生における最初の段階の長さは、他の段階の長さも決める。子供の集団が成人になってしまえば、その集団こそが若き成人である。そして年長者に中年期の社会的役割を課するのだ。現在こういうことが起こるのは、年長者が四二歳になった時で、これは米国の歴史(憲法ではないが) が、大統領として許容可能としている最低年齢でもある。そして中年期に入った集団が順繰りに、上の集団へ老人の役割を割り振る。この役割は現在六三歳あたりで始まり、政府から初めて老齢給付金を受け取る年齢の中央値である。

 老年期の中でも高齢まで生き延びられた人の割合が過去五〇年で非常に拡大したので、新たな人生の段階を定めるのも一考すべき問題であろう。これが晩期老年期(-atee-derF00d‥八四歳以上)である。晩期老年期にある者の社会における役割は、主に依存することで、他者から慰安されることである。今日の米国において資源の消費以外で、極めて高齢の人間が人生の循環における四つの段階の動きを変えることはほぼない。もし晩期老年者の数が増加し続け、集団として積極的な社会的な役割を主張するなら、サエタルム (と歴史) への影響は大きなものになり得る。
現代の米国における、人生の循環の各段階七慧扁役割は、以下のように要約できる。
●幼年期(プエリティア〇~二〇歳)社会的役割‥成長(養育を受け、価値観を身につける)
●成人期(エペンタス二一~四一歳)社会的役割が活力(組織制度に仕え、価値観を吟味する)
●中年期(ビリリタス四二~六二歳)社会的役割‥叫権力(組織制度を管理し、価値観を用いる)
●老年期(セネクタス六三~八三歳)社会的役割…指導者(組織制度を指導し、価値観を受け渡す)
●晩期老年期(八四歳~) 社会的役割‥依存(組織制度から慰安を受け、価値観を記憶する)
 最初の四つ(幼年期から老年期まで)が、人生の循環における四段階を構成する。この四段階を合わせた長さはおよそ八四年で、これは独立軍命に始まる米国の一個サエクルムの長さに合致する。
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p111-112

世代と歴史

人生の循環における季節性のおかげで、世代み発生が可能となる。この仕組みを見るために、人生の四段階すべてが明確に定義され、厳密に役目が決められている、伝統社会のケースを考えてみよう。
新たに生まれた人生の段階の集団はすべて、先代の集団が為したのとまったく同じようにその社会的な役割成長、活力、権力そして指導者を果たそうとする。特殊な世代は特に存在せず、人生の循環に関する独特の出来事も、伝記にするような創造的な道のりもない。
 ではこの社会が突然、カール・マンハイムが「具体化の瞬間」(crystallizingmoment)と呼んだ「大事件」(GreatEvent)に見舞われたと想像して欲しい。これは、何らかの緊急事態であり、社会に及ぼす結果があまりに深刻なために、社会の構成員すべてを変容させてしまうようなものである。
ただし、それらがどう変容するかは、それぞれの世代が人生のどの段階にいるかによって変わってくる。

子供にとってのこうした反応は、畏敬の念を持って年長者に従うことになるかもしれない(そして彼らの邪魔にならないようにする)。若き成人は武器を取り、命がけで敵に立ち向かうだろう。中年期にある者は、兵を組織し、銃後の国民をまとめ、社会を動員して最大限の努力をなす。老人は戦略を立てて、高次の目的を明確にするだろう。「大事件」によるストレスは、各自がなすべき社会的な役割によってさまざまな感情への刷り込みを残すこの遠いは、各集団の内部での相互影響によっても強化される。子供には互いの恐怖が、若者は互いの勇気が映し出される。中年期にある者には互いの力量が、高齢者には互いの知恵が映し出される。
 「大事件」が成功裏に解決されたら、その不朽の記憶は人生の各段階にいる集団それぞれに、独自の歴史上の立ち位置を授けることになる。これは、世代にとっての外的人格(persona)である。特に若き成人は英雄の集団とされ、そこには偉大な神話が後にわき上がってくる。この英雄の集団が中年期に達すると、その指導者は先代よりも倣慢さを見せることになる。そして高齢者になると、社会からの報酬をより多く求めるのだ。一方それに続く世代 - 大事件の間は恐れおののいていた子供は、人生の循環におけるその後の段階で、謙虚な外的人格を持つようになる。そして社会的役割も、その謙虚さに沿う形に変えてしまう。大事件の直後に誕生した世代は、希望に満ちた眼差しで見られるだろう。彼らのために困難に打ち勝ったという、黄金時代の子供だからだ。そして大事件が時を経てさらに繰り返されると、今度はこの世代が、自分たち自身の基準に適うか否かで若い世代を判定するようになる。

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P152-156

原型の循環

 こうした神話は、ある論理的必然性を示している。世代間で違いが生まれるならば、正反対の極をなす原型(アーキタイプ)が四つあるということだ。そうでなければ何故、若き英雄が生まれることができるのか? それは、自分のことに夢中になっている年上の預言者が、俗世では大切にされていることへの反応ではないのか? なぜ若き預言者が生まれるのか? 年上の英雄は自惚れ上がり、その精神が自己満足に堕していることへの反応ではないのか? つまりどげ世代も、人生の段階で自分たちより二つ分若い人々を形成する上で、強い影響を及ぼさざるを得ないのだ。

 こうした人生の循環を横断する重要な関係は、大部分の社会でまさに見受けられるものだ。こうしたことが起こる理由は、新たな子供の世代が世界に関する第一印象をかき集める時に、新たに中年期に達した世代が子供をとりまく仕組みを支配するようになるからである。子供と血の繋がった両親より年長の親の集団が支配的な役割を担うことになる。ベビーブーマー世代の親は、兵士の世代と沈黙の世代だが、兵士の世代のほうが一九五〇年代にははるかに大きな力を持っていた。学校やPTA活動や小児科診察、テレビ、映画は、兵士の世代が仕切っていたからだ。一九九〇年代も同様である。

ベビーブーマー世代と第一三代の世代がミレニアル世代である子供を誕生させたが、その気風を決めたのはウィリアム・ベネットやヒラリー・クリントン、スティーブン・スピルバーグ、ビル・ゲイツと同じベビーブーマー世代だった。同じように喪失の世代であるノーマンロックウエルたちは、沈黙の世代の、そして沈黙の世代であるビル・コスピーたちは、第三代の世代の方向性を決定した。

同様に第一三代の世代であるジョディ・フォスターたちが、二一世紀初頭に生まれる子供たちの気風を決めるはずだ。

一つ上の人生の段階でも、このパターンの繰り返しである。子供の世代が成人すると、その年長の世代が老年期に到達して、若き成人の世界を取り巻く仕組みを支配するようになる。若い世代が軍務につく年齢になると、人生の循環において対極にある影の世代が、宣戦布告のために持つ権力が最大になる。たとえば国家指導層において一つの世代が持つ支配力について、米国の歴史で考えてみよう。

この支配力は通常、その世代の最初の集団が六五歳になつた時にピークに達するそして止少兵は平均して約四二歳(人生の段階二つ分)若いことになる。兵士の世代は(伝道師の世代が宣戦布告した)第二次世界大戦を戦い、沈黙の世代は(喪失の世代が宣戦布告した)朝鮮戦争を戦った。ベビーブーマー世代は(兵士の世代が宣戦布告した)ベトナム戦争を戦い、第一三代の世代は(沈黙の世代が宣戦布告した)湾岸戦争を戦った。

 こうした人生の循環を横断した関係は、米国の歴史を通じても事実であることが認められる。ベンジャミン・フランクリン(預言者)の「覚醒の世代」が、トーマス・ジェファーソン(英雄)の「共和主義者の世代」が持つ方向性を決めた。つぎに「民主共和派の世代」が、エイプラハム・リンカーン(預言者)の「超絶主義の世代」について決定した。その間にジョージ・ワシントン(遊牧民)の「自由の世代」は、ダニエル・ウェブスター(芸術家) の「妥協の世代」が持つ方向性を決定した。

そして「妥協の世代」は後に、ユリシーズ・グラント(遊牧民)の「富裕の世代」に同じことをしたのだ。 
     
 それぞれの原型が影に示す反応は、友好的なものにも、敵対的なものにもなり得る。ルーク・スカイウォーカーと父との関係が二重性を持っていたように、何らかの形で両側面があるのが普通である。

大部分の両親は中年期に達すると、新たな世代を育てよゲとする。その時に意図しようとしまいと、新たな世代が集団として持つ外的人格が、親たちのものを真似るのではなく、それを補完するように育てる。しかし後に、そうした養育の結果は驚くべきものになることが多い。兵士の世代である小児科医のスポック博士は、第二次世界大戦直後に、「理想的な子供が必要だ」と宣言し、その言葉に従って同世代人はベビーブーマー世代を育てた。しかし多くの者は後に、ナルシストになつた子供に怒りの声を上げた。沈黙の世代の作家ジュディー・ブルームは、意識革命の真っ只中に、「子供を常に保護しなければならないという考え方は嫌いです」と書いている。そして同世代の人々は、その言葉に従って第一三代の世代を育てた。しかし多くの者は後に、冷淡になった子供に苦痛の声を上げたのである。

 こうした人生の循環を横断する影の関係が主にもたらすものは、サエクルムの核心にあって、何度も繰り返されるパターンだ。それは、過保護と保護不足の揺り返しである。危機の際に遊牧民に率いられた家族は、芸術家である子供を過剰に保護してしまう。覚醒の際に芸術家に率いられた家族は、遊牧民である子供への保護が不足してしまう。危横の後で英雄に率いられた家族は、預言者である子供の自由を拡大する。覚醒の後で預言者に率いられた家族は、英雄である子供から自由を奪う。

 こうした人生の循環にまたがる強力な現象によって、なぜ神話が特定の固定された順番で原型を描くようになるのかが説明できる。これこそが時間の季節において、唯一あり得る順番だからだ。英雄から芸術家、預言者、遊牧民へと変わっていく、このパターンが繰り返されることで、四つの原型から四つの世代が出現し得るようになるのだ。
                                
 前ページの表を、斜めの方向から見てほしい。すると、それぞれの原型の間にある時代を超えた関係性と、歴史における人生の循環の立ち位置に気がつくだろう。たとえば英雄は、常に覚醒のあとに子供として登場し、危横の時に成人する。預言者は常に危機のあとに子供として登場し、覚醒の時に成人する。


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p158-159

●預言者の世代は、快楽への耽溺を深めていく危機後の子供として成長する。彼らはナルシストで、覚醒の若き推進者として成人する。次に道徳主義的な中年として原則を定める。そして次の危機では先導役の賢明な高齢者となる。
●遊牧民の世代は、覚醒に際してあまり保護されなけ子供として成長し、覚醒後の世界で疎外された 若者として成人する。次にプラグマテイストの中年として成熟し、危機に際して指導者となる。そして危機後の強壮な高齢者となる。
●英雄の世代は、強い保護を受ける発酵後の子供として成長し、危機ほおける英雄的なチームの一員として成人する。次に活動的な中年として倣慢さをみせる。そして次の覚醒で、攻撃される強力な高齢者となる。
●芸術家の世代は、危機に際して過保護な子供として成長し、危機後の世界で繊細な若者として成人する。覚醒の際には、優柔不断な中年の指導者として自由になる。そして覚醒後は、情感あふれる 高齢者となる。

 この四種類の循環に気がついた者はいただろうか? もちろんである。なぜならそれは、一〇〇〇年の間に何回も繰り返し起こつてきたことだからだ。

繰り返すが本書がアメリカ本国で出版されたのは米国が唯一の超大国として君臨した1997年なのだ。当時はまだ収穫の秋の分解のサード・ターニングの途中だった。

ニール・ハウ氏は、最近のインタビューで「危機の時代は2008年のリーマンショックに始まった」と語っている。リーマン・ショックを契機に危機の節目に突入したと考えているようだが、日本語訳が出版されたのは20年後の2017年なのだ。当然コロナ前である。

だが、私が読んだのは2020年。23年前の社会・経済学の本がこれほど新鮮に感じたことはかつてない。トランプ政権を生んだのはラストベルトのホワイト・トラッシュだけではなく、サイレントマジョリティーとして存在する、米国の非都市部に住む知識層のエスタリッシュメントではないかと思う。

スティーブバノンの言っていること、トランプ政権の国家戦略は、明らかに危機の時代の対処方法だ。明らかに危機の時代を意識している。

本書の第六章「第四の節目の予言」には、フォース・ターニングに起こるであろう事象、特に2008年危機の始まりだけではなく2020年以降の危機のピークにおきるであろう現象を、1997年時点で予測し、見事的中していると考えられる予言がいくつもあり、驚かされる。

P249-253

時が過ぎてさらに一〇年も経つと、盛り上がったムードに後押しされた米国は、チャンスと危難を伴う第四の節目となる重大な瞬間危機のピークに到達する。それはどのようなものだろう?
絶頂期は、その二五年前にはまったく予測不可能な形態を取るものだ。全国で (恐らく国際的に)発生する噴火のような爆発を想像してみよう。最初は分解の時代につくり出された災厄の道筋をたどり、そして危機の発生によって普及する。困窮の道筋から噴き出した爆発がどこに行くかを予見しようとするのは、地震を起こす断層を正確に予言しようとするようなものだ。前もってわかることは、絶頂期を構成する要素(それもドロドロに溶けてしまっているような状態のもの)に関する以下のような情報だけだ。

■経済的な災厄は、公的債務の不履行や福祉基金の破綻を伴うものになるだろう。貧困や失業者の増加、貿易戦争、金融市場の崩壊、そしてハイパーインフレ (またはデフレ)もありえる。
社会面での災厄は、階級や人種、排他性、宗教に煽られた暴力を伴うだろう。武装ギャングや地下民兵、ゲーテッド・コミュニティに雇われた傭兵などが災厄をけしかけることもある。
文化面での災厄は目眩を感じさせるような劣化に飲まりこんだメディアを伴うことになる。そし て国家による検閲を支持するような、道徳面での品行方正への揺り戻しが起こる。
■科学技術面での災厄は、暗号技術による無政府状態を伴うだろう。ハイテクによる寡頭政治と、バイオテクノロジーによる混乱も避けられない。
■環境面での災厄は、大気へのダメージや、エネルギー、もしくは水の不足、そして新たな疾病を伴うものとなる。
■政治面での災厄は、組織制度の崩壊を伴う。納税者の振乱や、一党支配、大幅な改憲、地方の分離 独立運動独裁主義、そして国境線の変更などもありえる。
■軍事面での災厄は、大量破壊兵器を持ったテロリストや」外国との戦争を伴うものになる。

 これからの第四の節目において、こうした絶頂期の構成要素の中には実際には大きな影響を及ぼさない(またはまったく何も起こらない)ものもあるだろう。まったく予期できないやり方で災厄の道筋を突き進み、膨張して分裂し、再び結びつくようなものもあるだろう。
 最終的には米国のすべての小さな問題は、一つの巨大な問題にまとまることになる。まさに社会の存亡がかかっていると感じるようになると、指導者は導き、人々はそれに従うようになる。社会の間題は単純なものに改められて、簡単明快な「イエスかノーか」の図式に収まるようになる。人々は蛸つぼから出て、協力し合うチームに参加する。各チームぱ他のチームによる成果に依存する(そしてそれを信頼する)のだ。人々は同じような希望と犠牲を共有するようになる。そして「社会においてわれわれ平等だ」という新たな感覚も共有される。分解の時代における分裂志向や複雑さ、そして冷笑主義は、遠い昔の記憶でしかなくなる。このただ一、つの大きな問題を修正できれば、新たな黄金時代が垣間見られるかもしれない。

決定的な事件が発生する。それは甚大かつ強力特殊なものであるため、現在考え得る最も荒唐無稽な想定ですら及ばないはずだ。こうした事件は多くの言説を巻き起こし、新たな政治秩序の形成への展望が拓かれる。人々ほこれまで想像もしなかつたような、命を賭けて戦う能力を自分たちの中に見出し、公的な目的のために子供を死地に赴かせるのだ。「アメリカの精神」が帰ってくるが、それはその他に選択肢がないからだ。

 こうして米国は偉大な古代神話、死と再生の瞬間を意味するエクピロシス (ekpyrosis)を再び演じる。われわれは、新たな運A叩との出会いを果たすのだ。
 こうした危機の絶頂の出現は、大きなエントロピーの適転であり、信頼が再誕生するという人類史における奇跡となる。第四の節目を通過すると、旧来の秩序ほ潰えるが、それは新たな社会秩序を学んだ種を産みだした彼のことだ。危険が最も高まった時にその種は植え付けられ、新たな社会契約が根を下ろす。わずかな間ではあるが、米国を覆う天空は、どのようにも変わり得るものとなる。それほ、いままでの分解時代の思考株式を激しく動揺させるはずだ。ベンジャミン・ラッシュは、アメリカ独立革命の絶頂期に、「すべては新しく柔軟だ」と感動のあまり友に語った。そう、すべては繰り返される。

 市民が偉大な業繚(またほ崩壊)を成し遂げる可能性は高くなる。もちろん新たに地方が分離独立を求める動きが突然発生し、驚くべき速度で目櫻を達成するかもしれない。米国が統一を保ったとしても、その地理は根底から変化し、政党の構造は変化し、憲法と権利章典は見る影もないほどに改定されるかもしれない。歴史が示しているのは、それ以上にー真摯な警告だ。武力衝突ほ通常、危機の絶頂期に発生する。衝突が起これば、戦争につながる可能性が高い。これはさまざまな種類の戦争が考えられる。それは階級間戦争や地域間戦争かもしれないし、国際的な無政府主義者やテロリスト相手の戦争かもしれないし、超大国間の戦争かもしれない。戦争が起これば、全面戦争になってしまう可能性が高い。敗者の側が無に帰するまで戦われるからだ。破壊を尽くし領土を奪い、指導者は捕縛される。そして全面戦争が起これば、使用可能な最も破壊的な兵器が使用される可能性が高い。

 戦争があってもなくても、社会はいまと異なったものへと移り変わる。新たな社会は、合衆国憲法起草者たちの世代の展望を守りつつ、力強い新たな誇りを持った、より良い社会となるかもしれない。
その道に、もしかすると言葉にできないほど靡い国家になるかもしれない。第四の節目は、栄光の時にも崩壊の時にもなりえるからだ。

 危機の解決によって、政治や経済そして社会における組織制度が確立される。われわれの子供やその子孫は、その組織制度とともにその後の数十年にわたって暮らしていくことになる。歴史の圧力を受けてすぐの新たな社会秩序は、すべてのものを厳密にする。新たな権威、ルール、境界、条約、帝国そして同盟を厳しく決定するのだ。危機の絶頂期は、社会の記憶の中で薄れていく。ただし個人として思い起こすすべての者にとっては、胸を締め付けられるような記憶となる。絶頂期の後に生まれた者にとって、それは転換点であり、彼の世代にとっては、神話や伝説の素材となる。そして良くも悪くも、生き残った者は危機の結果と共に生きていくことになる。世代の移行はすべて、頂期に発生する。衝突が起これば、戦争につながる可能性が高い。これはさまざまな種類の戦争が考えられる。それは階級間戦争や地域間戦争かもしれないし、国際的な無政府主義者やテロリスト相手の戦争かもしれないし、超大国間の戦争かもしれない。戦争が起これば、全面戦争になってしまう可能性が高い。敗者の側が無に帰するまで戦われるからだ。破壊を尽くし領土を奪い、指導者は捕縛される。そして全面戦争が起これば、使用可能な最も破壊的な兵器が使用される可能性が高い。

 戦争があってもなくても、社会はいまと異なったものへと移り変わる。新たな社会は、合衆国憲法起草者たちの世代の展望を守りつつ、力強い新たな誇りを持った、より良い社会となるかもしれない。
その道に、もしかすると言葉にできないほど靡い国家になるかもしれない。第四の節目は、栄光の時にも崩壊の時にもなりえるからだ。

 危機の解決によって、政治や経済そして社会における組織制度が確立される。われわれの子供やその子孫は、その組織制度とともにその後の数十年にわたって暮らしていくことになる。歴史の圧力を受けてすぐの新たな社会秩序は、すべてのものを厳密にする。新たな権威、ルール、境界、条約、帝国そして同盟を厳しく決定するのだ。危機の絶頂期は、社会の記憶の中で薄れていく。ただし個人として思い起こすすべての者にとっては、胸を締め付けられるような記憶となる。絶頂期の後に生まれた者にとって、それは転換点であり、彼の世代にとっては、神話や伝説の素材となる。そして良くも悪くも、生き残った者は危機の結果と共に生きていくことになる。世代の移行はすべて、

 こうした事件を推し進めるものは何か? サエクルムがめぐると現在生きているすべての世代が、新たな人生の段階に入る。そして老年期のベビーブーマー、中年期の第一三代、成人期のミレニアル、そして新たな沈黙の世代の子供たちが、危機の時代の世代構成を作り出す。分解から危機へのムードの変化に貢献することになる。

 原型それぞれが自分の新たな社会的役割を主張し、米国社会は可能性の頂点に達する。秩序をもたらす者としては老年の預言者がうってつけであり、秩序を受け入れるのは若い英雄だ。ボスとなるのは中年期の遊牧民が現実酪で、感性豊かな人間は幼年期の芸術家だ。彼らに匹敵する求心力を持つ原型の世代構成は、この世には存在しない。新たな社会の目的に対して人類の歴史が持つ自然な力を凝結させる力についても、それと同じことが言える。無数の議論や不安、冷笑、悲観をただ一つの黙示録を思わせる嵐に凝縮させる力の可能性においても、これに匹敵する世代構成は存在しない。

 現在の時点で知りえる、すべてのベビーブーマー、第一三代、ミレニアルの人々について考えてみよう。一〇年から三〇年ほど歳を取った彼らを想像し、前の第四の節目において昔の世代がたどった原型の道筋を迫ってみよう。これこそが次の危機の時代の世代構成であり、彼らが米国を歴史における次の関門へ推し進め、通過させることになるのだ。
おそろしいくらい当たっている・・・まさに慧眼。

中共ウィルスによる世界の死者は7/18現在60万人を越え、米国だけでも14万人である。
これは、南北戦争の50万人、第二次世界大戦の30万人に次ぐ死者数で、今も増え続けている。これに米中が核を打ち合うような戦争になるとは思わないが、危機のピークとして米中激突もありうる。

トランプ政権は後世、危機の時代の米国の大統領として正しく評価されると私は思う。

トランプ大統領が分裂をもたらしているののはなく、トランプ大統領が対処している危機は前任のオバマでは絶対に対処できなかったろう。

バイデン?もし彼が大統領になったのなら、危機は米国の敗北と分裂をもたらすであろう。
大丈夫か?米国民?


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 現在、読書中です。明日、もしくは明後日「フォース・ターニング ウィリアム・ストラウス/ニール・ハウ共著 奥山真司訳(ビジネス社刊)」を読むとして、UP予定です。

その前にこの本が現代の予言の書について奥山さん自身の解説を紹介します。



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2017/03/15

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スティーブン・バノンは私の本「フォースターニング」からアイディアを得た 
地政学を英国で学んだ geopoli.exblog.jp【奥山真司】2017年 03月 16日 

今日の横浜北部は久々にすっきり晴れましたが午後は少し曇りました。これで冬が終わったと考えていいのでしょうか?

さて、ルトワックの最終原稿の追い込みで忙しくしておりましたが、来週発売の『フォースターニング』に関連して、原著者の一人であるニール・ハウが、最近ワシントン・ポスト紙に意見記事を投稿しておりましたので、その要約です。

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バノンの世界観は私の本が元ネタだ
By ニール・ハウ

今月のメディアの見出しには以下のような警戒心を呼び起こすものが並んだ。

●スティーヴ・バノンの暗い歴史観への傾倒は警戒すべきものだ(ビジネス・インサイダー)
●バノンは最後の審判の到来や戦争の勃発が不可避だと信じている(ハフィントンポスト)
●バノンは第三次世界大戦の勃発を願っている(ネイション誌)

このようなメディアの報道に共通するのは、トランプ大統領の首席戦略アドバイザーが、彼自身の世界観に最も影響を与えた本(フォース・ターニング)の熱心な読者である、というものだ。

私はこの本を、ウィリアム・ストラウス氏と共に1997年に出版した。この本がバノン氏の心を奪ったという話は事実である。

彼は2010年に「ジェネレーション・ゼロ」というドキュメンタリー映画を発表したのだが、この映画はわれわれが描いたアメリカ史(そしてほとんどの近代社会の歴史)についての、4世代にわたる循環理論を土台にして構成されたものであった。

このサイクルには、社会政治面での「危機」(これをわれわれは「フォース・ターニング」と名付けたが)を含むものだが、この本について解説していた記事では、あまりにもその恐ろしさが誇張されすぎていた。

私はバノンのことをよく知るわけではない。ただし「ジェネレーション・ゼロ」を含むいくつかの映画制作で、彼と関わったことは事実である。

彼の文化面での知識は豊富で関心したし、彼の政治観もそれほど攻撃的なものには感じられなかった。私が驚かされたのは、彼がブライトバートというサイトの代表になり、しかもそのサイトの主張を拡散しはじめてからだ。

私がオルト・ライト(ブライトバート周辺の極右・白人至上主義を目指しているとされる動き)を知ったのは、多くの人々と同じように、主要メディアの報道によってだ。

2007年に亡くなったストラウス氏と私は、バノンに対してどのように考えて何を主張すべきかをアドバイスしたことはない。

ただし、われわれが彼に一つの示唆を与えた可能性はある。それは、ポピュリズム、ナショナリズム、国家独裁主義が台頭するというイメージなのだが、それはアメリカだけでなく世界中で起こるというものだ。

われわれは政治的なマニフェストを書いたつもりはなかったため、「フォース・ターニング」の内容が左派と右派の中の一部の熱心な運動家たちの間で非常な人気を博したのには驚かされた。

「フォース・ターニング」が出版された当時に最も受けたのは民主党の人々の間であったが、その理由は「ミレニアル世代」(これはわれわれの造語だ)がアメリカを進歩的な理想に向かわせるコミュニティー志向の楽観主義者たちとして記述したからだ。

しかし保守派にもファンがいて、彼らは別の教訓をその本から見つけている。それは、新たな時代になれば左派経済と右派の社会的価値観がうまく融合させることができるというものだ。

イデオロギー以外にも、われわれの本が注目を再び集めている理由がある。それはわれわれが近代の西洋の歴史家たちが大前提としている「線的な時間」(一方向への進歩や衰退)や「カオス的な時間」(複雑すぎで方向性を見いだせない)というものを拒否しているからだ。

その代わりにわれわれは、伝統的な社会のほとんどで受け入れられている「循環する時間」を採用しており、ある出来事が意味を持つのは、哲学者のエリアデが「再演」と呼ぶものが見られた時であるとしている。

循環論的な世界では、偶発的な事件やテクノロジーを除けば、その社会的な雰囲気は似通ったものとなり、その再演の順番も決まっている。

このサイクルの中には四つの節目(ターニング)があり、この一つの節目はおよそ20年ほどつづくことになる。ちなみにこの20年とは、一つの「世代」の長さに対応するのだ。

これを循環する「季節」として考えてみていただきたい。それは春からはじまって冬に終わるのであり、一つの「節目」で新しい世代が生まれ、年上の世代は人生の新たなステージを迎えることになる。

このサイクルは「第一の節目」(the First Turning)の「高揚」(High)の時代から始まる。これはその前の危機の時代が過ぎ去った後に始まるのだ。

この「高揚」という春の時代では、公的な制度機関の力が強まり、個人主義は弱まる。社会において、個人たちは同調圧力に不満を感じながらも、集団としては向かう方向に自信を持っている。

現在を生きている多くのアメリカ人の中には、第二次世界大戦後の「アメリカの高揚」(これは歴史家のウィリアム・オニールが名付けた)の時代の雰囲気を覚えている人もいるかもしれない。トルーマン、アイゼンハワー、そしてケネディ大統領の政権時代がこれに当たる。

それ以前のものとしては、「南北戦争後のビクトリア時代の高揚」(the post-Civil War Victorian High )というものがあり、この時代には工業の発展と安定的な家族が見られた。民主共和派が主導した「憲法制定後の高揚」(the post-Constitution High )や「好感情の時代」(Era of Good Feelings)もこれに当てはまる。

「第二の節目」(the Second Turning)は「覚醒」(Awakening)であり、この時代には高尚な原則や深い価値観の名の元に公的な制度や機関が攻撃される。

社会の公共面での進歩が最高潮を迎える時に、人々は突然にあらゆる社会的な規律に疲れを感じ、個人の権威という感覚を再び獲得したいと考えるようになる。仕事ではなく宗教による救済が若者の主張として叫ばれるようになる。

この時代の典型的な例が、1960年代後半から70年代にかけての「意識革命」(the Consciousness Revolution)である。歴史家の中にはこの時代を「アメリカの第四の覚醒」もしくは「第五の覚醒」と呼ぶ人もあるのだが、これは17世紀のジョン・ウィンスロップの時代か、18世紀のジョナサン・エドワーズの時代を最初とするのかでわかれる。

「第三の節目」(the Third Turning)は「分解」(Unraveling)であり、これは多くの面で「高揚」の正反対であると言える。公的な制度は弱体化して信頼を失い、個人主義が強まって賞賛されるのだ。

「第三の節目」の時代としては、1990年代以外にも、1920年代や1850年代があるのだが、これらの時代はその懐疑的な態度やマナーの悪さ、そして公的機関の力の弱まりによって知られている。政府の力は縮小され、投機的な狂信が頂点に達する。

最後の「第四の節目」(the Fourth Turning)は「危機」(Crisis)である。この時代に入ると公的な制度機関は根本的に再編されるのだが、その原因は国家の存続の危機が感じられるからだ。もし歴史でそのような緊迫した脅威が生み出されなければ、この時代のリーダーたちは国民的な行動を動員を行う目的で、そのような危機を発見したり、さらにはでっち上げたりすることになる。

公的な制度機関の権威は復活し、市民や集団は、より大きなコミュニティーに参加者として協力を始める。このような集団的な努力が実って解決法を生み出すと、第四の節目はわれわれの国家としてのアイデンティティを活発化させたり再定義したりすることになる。

1945年、1865年、そして1794年は、アメリカ史においてそれぞれが新たな「創建的な瞬間」を決定づけたのだ。

「第二の節目」がわれわれの内的な世界(価値観、文化、そして宗教)を再構築したように、「第四の節目」はわれわれの外的な世界(政治、経済、帝国)を再構築するだろう。

われわれの理論によれば、これからやってくる時代(たとえば10年間など)は、その本質的な人間の働きによって過去のある時期と同じようなものになるはずだ。

われわれは『フォース・ターニング』の中で、アメリカは2005年頃に金融市場において「偉大な低下」を経験し、これが契機となって1930年代のような時代に突入すると予測した。

たしかにわれわれがこれまで経験した時間を考えれば、1930年代と同じような道筋を辿っているという考えはかなり当てはまると言えるだろう。

たとえば経済では、1930年代も2000年代も世界的な金融危機によって始まり、経済成長率の鈍化や慢性的な雇用や資本の低下が見られる。投資は低下し、デフレの恐怖や格差の拡大、そして中央銀行による消費増大への刺激策も不調に終わっているのだ。

地政学的な観点からいえば、現在では孤立主義、ナショナリズム、そして右派のポピュリズムの台頭を世界中に見たのだ。地政戦略家のイアン・ブレマーはわれわれが「Gゼロ」の時代にいると述べており、これはすべての国家が利己的になる時代という意味だ。

これは1930年代にも当てはまる。大国による同盟の権威は失墜し、新たな独裁的な政権がなりふりかまわず行動するような状態を見ることになったからだ。

社会的なトレンドにおいても、この二つの時代は似た部分を示している。たとえば出生率や持ち家率の低下、数世代同居の世帯の台頭、そして地元主義の拡大やコミュニティーのアイデンティティ、そして若者による暴力事件の数の劇的な減少(トランプ大統領はこの事実に気づいていないようだが)、そしてポップな若者文化の定着などである。

結局のところ、われわれは世界中の有権者の間に生まれつつある「リーダーたちにより大きな権限を与え、プロセスよりも実行、そして抽象よりも具体的な結果を出してもらいたい」という欲求を感じているのだ。

われわれは歴史がそのスピードを上げ、リベラルな民主制度は弱体化しつつある、極めて不安定で最も重要な時代に生きている。レーニンは「10年間何もなかったとしても、その10年を決定づけるような出来事は数週間のうちに起こる」と記している。

われわれは公的な制度の創造的な破壊に準備すべきだ。これはあらゆる社会が時代遅れになったり硬直化したり機能しなくなったものを破棄するために、定期的に必要とするものだ。そしてこれは、老人から若者に富を移行させる点でも必要になる。

森は定期的な山火事を必要としているし、川にも洪水が必要だ。社会も同じであり、新たな黄金時代を迎えるためにわれわれには支払わなければならない代償があるのだ。もしわれわれが歴史の大きなリズムを見ることができれば、このようなトレンドに落胆すべきではなく、むしろ励ましとすべきである。

過去数百年間にわたる英米史では社会的な危機がかなり定期的なサイクル、つまり80年から90年ほど、もしくは人間の一生分の長さで巡ってきている。

このパターンを見ると、植民地における名誉革命の時代、アメリカ革命、南北戦争、そして世界恐慌から第二次世界大戦という時代が繰り返されている。そして1930年代からのサイクルを一回し進めると、われわれが生きているまさに現代がその時代に当てはまる。

アメリカは2008年に新たな「第四の節目」に入った。これは2030年前後まで続く可能性が高い。われわれの理論では、現在の流れはその時代の半分に近づくにつれてさらに明確になってくるということが示されている。

新たな金融危機や、大規模な軍事紛争など、今よりもさらに不都合な出来事が発生すると、国民の議論を活発化させ、リーダーたちにさらに断固とした行動をとるよう求めることになる。

世界中で台頭する地域主義やナショナリズムは大きな政治主体(おそらくEU)の分裂や、紛争の勃発(おそらく南シナ海、朝鮮半島、バルカン半島、もしくはペルシャ湾)につながる可能性がある。

新たな孤立主義の台頭にもかかわらず、アメリカは戦争に巻き込まれるかもしれない。私は戦争を望んでいるわけではないし、単に冷静に観察をしているだけだ。

それによると、米国史上におけるすべての総力戦は「第四の節目」の時代に発生しているのであり、この時代が総力戦で終わらなかった事例はないのだ。もちろんそのような戦争におけるアメリカの目標は、非常に広範囲な分野から決定されるものであろう。

2020年代の後半になると「第四の節目」は頂点を迎え、終わりに近づくことになる。講和条約が交渉され、協定が締結され、新たな国境線が確定し、おそらく(1940年代の後半のように)新たな強い世界秩序がつくりあげられるはずだ。

また、2030年代初期までにわれわれは新たな「第一の節目」を迎え、若い家族は歓喜し、出生率は上がり、経済格差は縮まり、新たな中間層が台頭し、公共投資は21世紀のインフラのために増大し、秩序ある反映が復活するだろう。

次の「第一の節目」、つまり新たな「アメリカの高揚」の時代には、今のミレニアル世代たちが社会のリーダーとなり、彼らの楽観主義や賢明さ、能力、そして自信を見せつけることであろう。そして2030年代後半のどこかの時点で、ミレニアル世代の初の大統領が誕生し、新たな伝説を創り出すことになるだろう。

それからさらに数年後には、集団的な考えを持つミレニアル世代は、新たな若い世代から思いがけない形で猛烈な批判を浴びることになる。それが次の「覚醒」だ。

このように、歴史のサイクルは容赦なく回り続けるのだ。

====

拒否するのかと思いきや、ここぞとばかりに本の内容を説明しまくってますね。

しかもその考えは、バノンと同じく(というかバノンが学んだのでしょうが)、「2008年のリーマンショックによって危機が始まった」という考え方ですね。

個人的には「2008年に1930年代が始まった」というのはちょっと大げさであり、もしかしたらテクノロジーの発展によって彼らのいう「危機」が回避されているのかと思いたいところですが、トランプ政権の誕生と、しかもこの理論を信じているバノンが政権の中枢にいるという事実は「危機」の到来を予感させるに十分なほど異常事態でありまして。

ということで、この理論が書かれている『フォースターニング』は来週後半に本屋に並びます。賛否両論ある「奇書」かもしれませんが、ぜひ書かれている内容をお楽しみいただければ幸いです。


2020/03/24


The Fourth Turning:
What the Cycles of History Tell Us
About America's Next Rendezvous with Destiny
by William Strauss & Neil Howe

直訳すると題名は「第四の節目:歴史のサイクルから知るアメリカの運命」
と言った感じでしょうか?

この本はいまから20年ほど前の1997年に出た本です。

ざっくりいえば「アメリカの歴史を振り返ったもの」
ということになるのかもしれませんが、その方向性としては未来予測、
歴史の「波」について振り返ったものです。

まずはじめに、この本について翻訳者として思ったポイントを
簡潔に3つほど上げておきたいと思います。

まず一つ目が、自分と他の世代の違いに気づくことができて、
良い意味での諦めがつく、ということです。

ハウとストラウスのこの本は、
たしかにアメリカの未来予測のために書かれた歴史書、
ということが言えます。

ところが受取り方にもよると思いますが、
私にとっては自分たちの世代の「世界観」と、
他の世代との「世界観」の違いが
ここまで明確に示されているという点で、
逆に彼らたちに過剰な期待をせずに割り切ることができた、
という点です。

私の世代は「遊牧民」ですから、
どうしても上の世代と違って社会的に厳しい中で
サバイバルしなければならなかったわけですが、
そのような感覚は自分たちの親の世代は理解できませんし、
われわれも彼らのことは理解できません。

ところがそれを無理にわかってもらおうとするから悲劇が起こるわけで、
本書のようになぜ違うのかという根本的な説明があれば、
自分なりに納得できるところが多いわけです。

もちろんわれわれの世代のことも
下の「英雄」や「芸術家」たちはわからないでしょうが、
それはそれでいいのです。
生きてきた時代や環境が違いますし、
それを無理にわかってもらわなくてもいいのです。

「わかってもらえなくていい」と理解できただけで、
余計なエネルギーを使わなくてよいというのは気が楽。

二つ目は、サプライズが必ず来ることを理解できるということです。

ハウとストラウスは過去のアメリカの時代変化に際して、
人々がいかに驚かされてきたのかを、
かなり詳しく調べて説明しております。

これらからわかるのは、やはり社会というのは
新しい世代が台頭してくると、おしなべて若い彼らの考えに戸惑う、
という点です。

たとえば現在の「冬」の時代が
厳しくなってくる時にこの本で想定されているのは、
英雄世代の若者たちの台頭です。
そして現在のわれわれの感覚では、
現在のゆとり世代にはそれほど倫理観があるようには
見受けられないのかもしれません。

ところが彼らは(もしハウとストラウスの想定が正しければ)
「大戦争を兵士として戦う人々」なので、
たとえば私の世代の「遊牧民」よりも
はるかに道徳的な倫理観をもった、それこそ何か熱いものを信じて
一生懸命やるような、「戦士」(warrior)として性質を
潜在的に持っているということなのです。

もちろんそのようなことは、
今の段階ではまったく表面化していません。

ところが何かのトリガー的な大イベントが起こったりすると、
その若者たちの心にスイッチが入り、
「英雄」としての役割を果たすようになるのかもしれません。

アメリカの場合はそれが金融危機であったり
トランプの当選だったりしたのかもしれませんが、
日本の場合は東日本大震災がそのトリガーだった
と考えることもできるかもしれません。

最後の三つ目は、これが当たるかどうかはともかく、
ひとつのシナリオとして頭の片隅においておくのがいいのでは、
という点です。

実際にこの本の中では、97年の時点で書かれたにもかかわらず、
いかに「冬」の時代に備えて準備するかが
こと細かに書かれておりまして、いまから振り返っても
「そんなの無理だろう」と感じるような提案がいくつかなされております。

ところが私はそのような準備を実際にすることが重要なのではなくて、
そのような「最悪の事態を想定しておくこと」の点に
この本の最大の効能があると考えております。

つまりここで示されているのは単なる一つのシナリオなだけで、
事態がこのように進まない可能性も全然ある、ということであり、
いざそのような事態が起こったとしても
「いよいよ来たか」と心の余裕を持てるという意味で、
パニックになって右往左往するよりははるかに良いと考えております。

        - ※ - - ※ - - ※ - - ※ - - ※ - - ※ -


2020/06/05 


さて、最初にこの本は歴史の「波」について振り返ったもの、
と言いましたが、

歴史の波といえば、地政学の分野では
ロシアの経済学者であるコンドラチェフが提唱したとされる
「コンドラチェフの波」というのが有名なところですが、
これは70年ほどのサイクルで
景気の上下があることを経済史から振り返ったもの、
ということになるでしょう。

コンサル業を営む原著者のハウとストラウスは、
すべての人類の歴史において、
20年ごとに移り変わる「世代」(ジェネレーションズ)が存在し、
その集団が人生の段階を移り変わるときに、
世の中の様相もそれまでのものと大きく変化する、
としております。

アメリカの考えというのは、フランシス・フクヤマの
「歴史の終わり」という論文からもわかるように、
どちらかといえば歴史が一つの方向に向かって進む
というイメージを持つものが多いわけですが、
このハウとストラウスはそのような考えは特殊であり、
実は古代ギリシャ・ローマの時代から、
人類は歴史が繰り返すことを知っていた、
というところから話を始めるのです。

これを彼は「循環史観」と名付け、
西洋の一般的な「線的史観」とわけて考えつつ、
イギリスとアメリカの歴史は、20年ごとの節目の春夏秋冬があり、
その4つの季節で1セットとなる、
およそ80年から85年ごとのまとまり(サエクラム)を繰り返している、
というのです。

このような
「20年×4世代(春夏秋冬)=1サイクラム:約80年」

という公式を元にして、それをなんと
薔薇戦争の時代から現在(1997年)までの
すべての期間や事件などにそれぞれ当てはめて、
各世代やその時代の雰囲気に名前を付けて、
それらを表などにしてまとめているという点なのです。

まず最初に私が感心したのは、一つの「世代」が形成されるとき、
彼らが最初に生まれ育った時代(0~20歳)までの雰囲気に
大きな影響を受ける、としていることです。

具体的にいうと、私は1970年代生まれなので、
私が成人するまでの80年代から90年代の時代の雰囲気、
つまりバブルからその崩壊の頃の時代背景
というものを身に着けているということです。

そして私のような人物が成人してから
中年になるまで(20~40歳)を見ると、
若い時にはバブル崩壊後の就職氷河期、
そしてそのまま「失われた20年」を過ごすことになります。

このような時期を過ごしてきた私たちの世代は、
全体的な傾向として、他の世代たちよりも
サバイバルの技術を身につけていることが多く、
世界に対してもリアリスティックに対処する傾向を持つ、
と指摘されております。

私の世代は、日本では「団塊ジュニア」や
「新人類」「ロス・ジェネ」「バブル世代」などと言われるわけですが、
原著者たちはアメリカの同世代を
「ジェネレーションX」や「第13代」
という呼称で呼んだりしておりまして、
この世代を主に1964年から84年までに生まれた人々である、
と定義しております。

この本によりますと、この世代と似たような特徴を持った世代は、
われわれの1サエクルム前、つまり1886年から1908年までに生まれた
祖父の代に出現していたというのです。

しかも面白いことに、われわれとその1サエクルム前の世代、
さらにその1サエクルム前の世代に、
ハウとストラウスは共通の名前を付けております。

それが「遊牧民」(Nomad)というもの。

これをハウとストラウスたちは、
私を含む世代たちの共通の呼称として使っているのです。

参考までにその前後の世代をそれぞれ述べておきますが、
世代の並びというのは人類史を通じてそのほとんどが、

預言者→遊牧民→英雄→芸術家

image020

となっており、これが1世代20年のまとまりの流れとなって、
順番に繰り返しあらわれているというのです。

そうなると私のすぐ下の世代、
つまり84年~2004年生まれの若い人々は
「英雄」(Hero)世代ということになります。
彼らはいまでこそ「ゆとり世代」とか「草食系」
と言われたりしておりますが、
その1サエクルム前の彼らの祖父の代は、
まさに第二次世界大戦を20歳から40歳までの若者として
最前線で戦った本物の「英雄」世代であります。

そのさらに下の世代は「芸術家」(Artist)と呼ばれておりまして、
2005年以降に生まれたまだよちよち歩きの世代か、
もしくは戦争中に生まれた、石原慎太郎などを筆頭とする
ベビーブーマーたちよりも前の世代ということになります。

そして私たちよりもすぐ上の世代である
「預言者」(Prophet)という世代は、
1946年から64年までに生まれた、
アメリカでいうところのまさに
「ベビーブーマー」をカバーする世代でありまして、
日本でも団塊の、いわゆる「戦争を知らない子供たち」も含まれ、
彼らも現在社会の中で最も人口数の多い世代であります。

こういう世代構成で見ていくと、
世代の移り変わりや、なぜサプライズが起こるのか、
ということがわかるというのが
原著者のハウとストラウスの議論なのです。

        - ※ - - ※ - - ※ - - ※ - - ※ - - ※ -


2020/06/19 


ではそもそもなぜこのようなことが起こるのでしょうか?

もちろん多くの歴史家たちは
似たような循環が起こっていることを指摘してきたわけですが、
なぜこのような循環が起こるのか、その原因までをくわしく説明した点で、
本書は画期的なのかもしれません。

その理由は、ハウとストラウスによれば、
人間の人生の四段階に関係しているといいます。そしてその四段階とは、

幼年期→成人期→中年期→老年期

というものであり、それぞれの段階が、
やはりおよそ20年ごとに区切られている、というわけです。

このような人間の人生のステージの移り変わりというのは、
もちろん古代からすでに様々な文献の中で触れられておりますし、
普通に人間観察をしていれば、
当然の帰結として出てくる分析といえるでしょう。

人間がオギャーと生まれ、戸惑いながらも成人し、
社会的に責任を負うようになって、最後に死を迎える、というのは、
どの時代・どの文化にも普遍的に当てはまるものだからです。

ところがこの四段階は、そのまま自然の中の
季節のめぐりあわせにも対応するのでは?
というのがハウとストラウスの目の付け所。

つまり人間の人生のステージは、
自然の中の季節と対応するようにできており、
幼年期→成人期→中年期→老年期という移り変わりが、そのまま

春→夏→秋→冬

という一年の中での「四季」になるというのです。

われわれ個人の人生の中には、
幼年期→成人期→中年期→老年期という春夏秋冬はあるわけですが、
たとえばこれを書いている私は、「世代」としては「遊牧民」に属しており、
人生の春夏秋冬を経験しつつも、生まれてから死んでいくまで
「遊牧民」というくくりから抜け出すことができません。

あなたの世代がどのようなものであれ、
その世代も必ず「春夏秋冬」という四つのステージを、
その世代なりの特徴のある形で経験していく、ということなのです。

ところがここで最大の問題が出てきます。

「世代も四タイプあり、自然には一年の間に四季があり、
そして人生にも四季がある」というのはわかったとして、
ではそもそもこの「世代」の特徴を決定づけるものは一体何なのか、
そもそもなぜ「世代」はこんなに違うのか、
という疑問が出てくるからです。

その答えとして、原著者のハウとストラウスは、
ここでも「四季」を指摘します。つまり、時の流れにも四季がある、
というのです。

確認します。ここまで、世代、自然、そして人生にも、
すべて4タイプあることを説明してきました。
ここにハウとストラウスは時代(社会の雰囲気)にも
4タイプの四季があるとして、以下のような分類をしております。

春の時代:第一の節目・高揚(High)
夏の時代:第二の節目・覚醒(Awakening)
秋の時代:第三の節目・分解(Unraveling)
冬の時代:第四の節目・危機(Crisis)

image022

まず春の時代ですが、この時期は制度が強まって個人主義が弱まる、
上昇的な時代だとされます。新しい社会秩序が浸透して、
古い価値による制度が崩壊していくことになります。

次の夏の時代ですが、これは精神面での激変が起こる情熱的な時代です。
既存の社会秩序が、新しい価値観による制度から挑戦を受けるようになり、
ちょっとした社会的動乱が避けられない時代です。

ピークを過ぎて秋の時代になると、個人主義が強化されて、
社会制度などが弱まる下降的な時代であるとされます。
それまでの社会秩序は衰退して、
新しい価値観による制度が植え付けられはじめます。

最後の冬の時代には、社会が激動を迎え、
それまでの古い価値観が新しいものととって代わり、
社会秩序の変化が決定的に進められることになります。

「なるほど、時代にも春夏秋冬があることがわかったとして、
これは最近のどの時代に当てはまるの?というか、今はどの時代なの?」

という方もいらっしゃるでしょうから、
以下に直近の春夏秋冬の時代区分を挙げておきます。
ハウとストラウスによれば、

春:1946-1964年
夏:1964-1984年
秋:1984-2004年
冬:2005-2025年

となり、現在は冬の時代のちょうど真ん中あたり(!)ということになるわけです。

そしてここでも重要なのが、時代も約20年ごとに区切られている、
ということなのです。20年というのが重要だというのです。

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2020/07/01


これまで、世代、自然、人生、さらには時代(の雰囲気)にまで、
4つのタイプがあることを説明してきたわけですが、
ハウとストラウスの最大の特徴は、これらをすべて統合して、
自分たちの理論をつくっているのです。

その最大のカギが、特定の「世代」(ジェネレーション)が
なぜ生まれるのかという説明でして、
これがわかるとその理論の全体構造が見えてきます。

まず前回までに、時代には春夏秋冬があり、これが20年ごとに4回訪れる、
その一サイクル(サエクルム)が80年ほどになると説明したわけですが、
この時代の春夏秋冬が、各世代(預言者、遊牧民、英雄、芸術家)の
特徴を形成する役割を果たしている、というところがミソです。

では具体例から見ていきましょう。

シンプルに説明するために、とりあえずここでは
最初の世代である「預言者」だけを参照してみたいと思います。

▼預言者の例

ハウとストラウスによれば、預言者たちは、
春の時代に生まれて幼年期(0~20歳)を過ごします。

ちなみに現在生きている預言者といえば、
日本でいえば圧倒的な数を誇る「団塊の世代」、
アメリカでもベビーブーマでありまして、
まさに歴史上の「春」である1946~64年の間に
生まれた世代ということになります。

彼らは戦後(つまり冬の後)の秩序が入れ替わった「春」の時代に生まれ、
いわゆる「戦争を知らない子供たち」としてすくすくと育ちます。
もちろん最も影響を受けたのは「戦後の復興の雰囲気」でありまして、
比較的高揚感のある時代に育つわけですから、
必然的にナルシストになりやすいといわれております。

そんな彼らが大学生くらいの年(20歳~)になると、
時代の季節も「夏」に入ります。
アメリカではこの頃からヒッピー文化やカウンターカルチャーなどが吹き荒れ、
日本でも学生運動などが始まり、社会的にやや荒れてくる時代でもあります。
1964~84年がこの時期にあたります。

ところが団塊の彼らも、いい加減大人になり(40歳~)、
社会の中の中枢を担うようになります。
その頃には時代は秋(1984-2004年)に入り、
日本ではバブルとバブル崩壊が始まることになります。

そしてその団塊の彼らが社会的にはリタイアしはじめ、
老人となりはじめた(60歳~)のがおよそ10年前くらいからです。
これが冬の時代であり、2005~25年くらいまで続く、というのです。

さて、ここまで預言者である
「団塊の世代」(ベビーブーマー)たちを例にとって、
彼らが人生の四季をそれぞれ過ごしてきたことを説明してきました。

さらにその下の「遊牧民」の人生の四季も同じようにたどってみます。

▼遊牧民の例

ハウとストラウスによれば、遊牧民たちは、
夏の時代に生まれて幼年期(0~20歳)を過ごします。

ちなみに現在生きている遊牧民といえば、
日本でいえば「団塊ジュニアの世代」、
アメリカでは「ジェネレーションx」などと呼ばれておりまして
歴史上の「夏」である1964~84年の間に生まれた世代
ということになります。

つまりすぐ上の世代は「団塊」でありまして、
戦後の秩序が入れ替わった「春」が終わり、
その秩序が試される「夏」の時代に生まれ、
忙しい親たちからあまり保護を受けずにないがしろにされて育ちます。

もちろん最も影響を受けたのは「勢いはあるが荒れた社会」でありまして、
校内暴力なども多かった時代のため、
他の世代よりも個人的で生き抜く
サバイバル技術を持っているといわれております。

そんな彼らが大学生くらいの年(20歳~)になると、
時代の季節も「秋」に入ります。アメリカや日本では
この頃(1984~2005年)からバブルとその崩壊やIT革命が起こり、
とりわけ日本の場合は「就職氷河期」に突入します。
「金の卵」と言われて集団就職できた一つ上の世代とは大違いです。

このようなサバイバル技術を身に着けた彼らが大人になり(40歳~)、
社会の中の中枢を担うようになると、とたんに危機が始まります。
その頃には時代は冬(2005~25年)に入るからです。

その後はどうなるかはわかりませんが、
彼らが社会的にはリタイアしはじめ、老人となりはじめる(60歳~)くらいには
危機の時代となる冬が過ぎ去り、
新たな春が2025年くらいから始まるのではないか、
というのがハウとストラウスの推測です。

※※※

さて、この二つの世代の説明で、
なぜ各世代が独自の特徴を持つようになるのかが
おわかりいただけたでしょうか?

預言者も遊牧民も、そして英雄も芸術家も、
それぞれが特定の時代の季節(春夏秋冬)の流れの中で
生まれてしまったがために、その季節の影響を
(とりわけその幼年期に)モロにかぶることによって
独特の世界観を身に着け、他の世代とは
明らかに異なる行動様式を持つようになる、というのです。

ハウとストラウスは、このような世代の歩みは
ほぼ80年ごとにまったく同じパターンで進行する
としているわけですが、その様子を簡略化したのが以下の図です。

image027

そしてこの図の中で注目していただきたいのは、
預言者、遊牧民、英雄、芸術家という4タイプの世代が、
時代の季節ごとに組み合わせを変えている、という点です。

そしてハウとストラウスは、
とりわけ預言者の世代が老年期(60歳~)に入り、
英雄の世代が若い成人期(20~40歳)に入る、
いわば「冬」の時代に、社会は大改革を迎えるというのです。

では80年前、そしてそのさらに80年前(160年前)に
日本はどのような状況にあったでしょうか?

そうです、それは第二次世界大戦と明治維新だったのです。

        - ※ - - ※ - - ※ - - ※ - - ※ - - ※ -

2019/09/27

<7/18追記>

後編といいますか、私の意見と何ページかのコピペで構成しています。↓



関係ない話ですが、昨日、上念司氏の経済で読み解く日本史箱全6巻セット発売日でしたので予約したものを受け取ってきました。やばいはやくフォース・ターニングを読了しなければ・・・
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自分にとっては、大変面白い本で、久々に一気読みしてしまった。
しかしながら、帯にある宣伝文句「母国に多くのスパイを送り込んだ、日本人女性教官の数奇な人生―――」は、ちょっと違う。まったく数奇な人生ではない、裕福な家庭のお嬢様に生まれ、フルブライトで渡米し、幸せな人生を送ったストリーだ。「母国に優秀なスパイを悪意無く送り込んでしまった、東京女子師範出身のお嬢様が渡米し日米をまたにかけた幸せな人生」が正しい帯タイトルだと思う。

ちょうど、キヨヤマダは、私の知り合いのお嬢様出身の才女と重なってしまったせいで、たいへん面白い本であった。

優秀な女性だからと限ったわけではないが、人は天職に恵まれた時、幸せな人生を歩めるというものだ。彼女は才女で戦後間もない頃フルブライトプログラムで渡米し、結婚、CIAに入局したのは46歳であったにもかかわらず、彼女は自分の才能を伸ばし、77歳まで勤め上げた、具体的にはどの位の高位の地位なのかよくは分からないが、「私はCIAで、
ガラスの天井を破ったのよ」と、自慢したのだから、CIAという組織の中で、女性だからと昇進を妨げる見えないが破れない障壁=ガラスの天井を破ったのだから、実務で相当高位の地位か権限を持ったことがあったのだろうと思う。単に退職時にメダルを貰っただけなら、奥ゆかしい日本女性であれば、ガラスの天井を破ったなどと言及しないであろう。

彼女の業績および影響力の結果として米国が、日米経済交渉などで、相当有利に働いたのであろうと推察される。バブル時代からの失われた20年、日本が凋落していった時代、日本を遣り込めた多くの優秀な米国CIA要員を沢山育てたことや、インテリジェンス活動も行い、たいへん優秀な実績をのこしたからであろう。日本が米国を越える勃興を防いだのは、優秀な日本人である彼女だったのである。

彼女はおそらく日本に対する悪意や恨みがあったわけでもない。ただただ、米空軍中佐だった夫に従って転勤するだけの平凡で退屈な主婦で終わるのではなく、自分の人生を切り開き、自分のためにキャリアを重ね邁進していった人生だったのであろうと思う。国家の思惑とか、思想に関係なく、ただ真面目に自分の仕事を突き進み、CIA内でキャリアを重ねた結果、インテリジェンスに耐性のない母国は、大きく凋落してしまっただけのこと、彼女が悪いのではなく、平和ボケした日本人全員が報いを受けたにすぎない。

おそらく、彼女は、彼女のせいで、日本が手玉にとられたことを悔いていないだろう。


キヨは世界を大きく変えるような目に見える変革や発明をもたらしたわけではない。前人未到の領域に到達し、派手に歴史を塗り替えた偉人もない。しかし、30年以上もの間、日本の歴史の舞台裏で暗躍してきたスパイを養成し、引退時事にはClAから栄誉あるメダルを授与され、表彰彰を受けるほどの評価と実績を残していた。

裏表紙より・・・
目次
プロローグ 墓碑銘がない日本人CIA局員
第一章 「私はCIAで、ガラスの天井を突き破ったのよ」
突然の告白/「ラングレー」の局員/身近にいた日本人CIA局員/日本では理解され難い組織/日本語教官を超えた任務
第二章 語学インストラクターと特殊工作
日本国内におけるCIAの活動/教え子の述懐/対象が「困っていること」を探れ/沖縄返還問題での裏工作/ロッキード事件とCIAの闇/特殊工作への関わり
第三章 生い立ちとコンプレックス
東京の下町に生まれて/姉妹間のコンプレックス/家族へ抱いた嫌悪感/海外留学への夢/英語教師として教壇に
第四章 日本脱出
人生の転機となる出会い/米国への逃避行/異国での再会/移住を決断/アメリカに届いた母の訃報/日本人妻としての苦悩
第五章 CIA入局
センセイの思い出/言語を重視したCIA/アメリカ人に言語を徹底させる理由/CIA女性長官の経歴/採用試験の高い壁/日本語教官としての軋轢/競争させられる職場
第六章 インストラクター・キヨ
実践的な授業/教え子は、自分の子ども/日本での極秘教育拠点/優秀な教官として/同僚との軋轢/米ソ冷戦時代のCIA/バブル経済と日本/スパイのリクルーターとして/冷戦集結とリタイア
第七章 最後の生徒
日本で開かれた引退パーティ/晩年の生活/夫の発病/死後に分かった夫の秘密/悲しみの追い打ち/「病院では死にたくないわね」/モルモン教とCIA/最後のクリスマス
エピローグ 奇妙な「偲ぶ会」
主要参考資料
私が本書に対して当初期待したのは、GHQのジャック・Y・キャノン陸軍中佐やチャールズ・ウィロビーアメリカ陸軍少将と日本の吉田内閣との暗闘の裏話のような話だった。だが、キヨ・ヤマダ氏が活躍された時代はもう少し後の世代、70年代~80年代日米貿易摩擦の頃の話で、日本を遣り込めるのに活躍した要員を沢山育てたというだけの話なのだ。

しかも、CIA内で、単なる通訳の仕事を超えたという詳しい工作の詳細は残念ながら述べられていない。夫の秘密とは、キヨとの間に子供を作ろうとしなかったのに、他の日本人女性との間に子供をもうけていた事を夫の死後知ったぐらいで・・・大きな波乱ではない。

おそらく、本書をまとめた山田敏弘氏も、もどかしかったかもしれない。
彼女のことを知る多くの人達が他界し、よく知る人達にも彼女は多くを語っていない。

P24-25

米国では、CIAで働いているという事実は、非常にセンシティブな情報だと見なされている。CIAに勤めていることが明らかになれば、致命的になりかねない。世界各地を回って情報収集や秘密工作などに従事する諜報員ともなれば、普段から他国機関に付け回され、監視されることもあれば、命を狙われることだってある。ゆえに局員が偽名や嘘の肩書きを使うのは普通になっている。正体がばれることは、すなわちスパイとしての死を意味するからだ。

局員の身元は、どこから特定されるかわからない。本部勤務だった元CIA局員が自分の職場についてどこかで漏らしたりすれば、そこから海外の政府中枢などにいる協力者の身元特定につながることもありうる。というのも、その元局員の行動やコミュニケーションなどをつぶさに監視すれば、どこからか現役のCIA局員につながることもあるだろうし、さらにそこから別の局員たちの身元が特定されることけもなりかねない。

 これまでも、身元が敵対する国にばれたことで、命を落としたCIAスパイは数多い。最近では、二〇一〇年頃から、CIAが中国で使っていた現地のスパイが、次々と姿を消すという事件が起きている。彼らは、素性がばれたヱとで中国当局に拘束され、多くが処刑されていた。若干名は、CIAが資金を工面して中国国外へ脱出させることに成功したが、姿を消したスパイの数は三〇人を超えるという。この史上稀に見る失態により、中国におけるCIAの活動は、一時的に停止にされる事態にまで陥ったという。
元CIAの諜報員が、中国国家安全部に情報を渡していたことだった。この人物はCIAを辞めた後、「IJT(日本たばこ産業株式会社)インターナショナル」の香港オフィスに勤務しながら、中国当局に情報を渡していた。また中国当局が、「COVCOM」と呼ばれるCIAの極秘通信システムに侵入していた可能性があり、そこからもスパイ情報が抜かれていたとの指摘もある。

 さらには二〇一五年に、中国政府系のハッカーが、米人専管理局(OPM)をサイバー攻撃して、連邦職員2210万人以上の個人情報や機密情報を盗み出している。そこにはCIAAが局員の入局に際して調べあげた個人情報なども大量に含まれていたとされ、そこから中国国内にいる協力者が特定された、との分析もある。

 このケースから、CIA関係者たちは常に危険と隣り合わせで任務に当たっていることがよくわかる。

 CIA本部には、ロビーにメモリアルウォール(追悼の壁)と呼ばれる壁があり、そこには身元が明かされるなどして殺害された職員たちの数を示す星が彫られている。現在、133の星があるその壁の前では、毎年、長官をはじめ現役局員たちが追悼式を実施するのが慣例となつている。

また、彼女が育てた子供達もしょの職務上、詳細を語ることはできない。
そんな中で、彼女の存在を発見し、まったくない資料を纏め上げた筆者山田氏の功績は大きい。

ちなみに、現トランプ政権の国務長官マイク・ポンペオ氏は2017年~18年に第24代中央情報局(CIA)長官を務め、CIA本部の、ロビーにメモリアルウォール(追悼の壁)の星の幾つかの追悼を行ったという。

ポンペオ国務長官が中国に対し厳しい理由がよくわかる。

あくまでも推測の域の話ではあるが、ロッキード事件に関して彼女の関わりに触れている。

p-53-55


特殊工作への関わり

 では、ロッキード社による工作に、キヨが何らかの形で関与していたということはないのだろうか。

 そう水を向けると、ピートは、「彼女が日本で工作をしていたかどうかについて、真実が出てくることはないでしょう。ただこれだけは言えます。細かいところは話せませんが、日本にも渡航していたはずですし、何らかの協力をしていたと言ってもいいでしょう」

 キヨの知り合いや関係者などによれば、この頃、米国にいたキヨのもとへ、日本にいる諜報員からしょつちゅう電話や手紙などで連絡が来ていた。近所に暮らしていた友人のドイツ人、ヘルガ・トルダも、キヨが、「普段でも日本からよく仕事の連絡を受けていて、米国でやりとりをするために、夜中も仕事をしている」 と漏らしていたのを覚えていると言う。

 これには、背景がある。東京支局に属するCIA諜報員同士といえども、お互いに頻繁にやりとりをするようなことはない。ましてや、自分が何を追っているのかといった任務の情報も共有はしない。

 スパイの世界でよく言われていることだが、工作に関係している人たちがすべての情報を共有すると、一人が拘束されるなどすれば工作の全容がバレてしまいかねない。

 つまり、それぞれが自分の与えられた任務をこなしており、自分がどういう大枠の作戦に従事しているのかを知らないケースもあるのだ。そうした事情から、個人プレーでの判断を求められる局面が多く、米国にいるキヨを頼る者は少なくなかったという。

 関係者と接触する際に注意する点は何か、疑惑が取りざたされている政治家とのやりとりで注意すべき点は何か、アドバイスだけでなく具備的な指示を求めてキヨに直接、連絡を取っていた諜報員がいたということだ。日本との時差もあり、必然的に電話は夜遅くになったのだろう。
                            
 実は、キヨはすでに述べたような新聞記者を取り込んだ作戦のみならず、後述するように、渡米前の戦前から戦後の日本で富裕層の家庭で育った頃の人脈もあったため、その流れから協力者の獲得という日本国内での特殊工作にも携わっていたという。

「日本企業などに太いパイプを持っていた有力な日本人たちを介して、CIAに協力していた日本人スパイを、大手企業に送り込んでいた」との証言もある。

キヨほもともと政府系だった企業などにも人脈を持っており、諜報員や協力者など情報提供や、就職斡旋にも関与していたのだ。

生前のキヨを知る人たちによると、とにかくキヨはフットワークが軽く、「雑談で湧いて出たようなアイデアもすぐに実現に向けて行動に移すところがあった」と異口同音に言う。人を紹介した場合、その後ですぐに動いて、あっという間に大事な交渉をとりまとめた。

 ある元諜報員によれば、「もちろん、キヨが日本に来る際には、日本国内にいる知り合いの有力者などとも顔を合わせ、情報を仕入れて、諜報員らにも報告していた。企業文化などといったバックグラウンド情報も現場に伝えていた」 と言う。
 こうした話を総合すると、日本でCIAが関与していた様々な工作には、キヨがインストラクターという枠を超えて、その活動に関わっていたということが見えてくる。

image059

東京女子師範学校付属に通っていた頃のキヨ(昭和16~18年頃)なんて可憐な深窓のお嬢様!

下町で、代々続く老舗の肥料問屋のお嬢様として何不自由なく育つ。
優秀な姉と兄がいて、何かと比べられたりしていたが、それが家族を嫌い、渡米したい理由にしては説得力に欠ける。英語を専攻すれば米英文化に憧れるのはごく自然なことである。

戦後すぐには白百合で英語の教師として働き、宝塚の男役のような凛とした姿は、女子高生の憧れの的となった。

彼女が、日本国内に多くの人脈があった理由は、良い所のお嬢様は良い所に嫁ぎ、そういった関係から、日本国内にネットワークが形成されたのは自然なことである。

私の知り合いの女性は、JG出身だが、OG会の会にも頻繁に出席して人脈を持っている話を聞いたことがある。国会議員の奥さんだとか、医者とか官僚とかの奥様が多いとの事。

戦前の下町お嬢様が、当時憧れのフルブライトの留学生ともなれば、日本を離れてもいつまでも関係を維持できたことは納得できる。

【DIAMONDonline】窪田順生 2019.9.5 5:35


政界はもちろん、大企業やマスコミ、世論に影響を与える有名人に、それと知られずに近づき、意のままに操るCIA工作員。しかも、その工作員たちの「先生」は大正生まれの日本人女性だった。最近明らかになった、驚くべき真実とはーー。(ノンフィクションライター 窪田順生)

あなたの隣にもいる!?CIAの協力者の実態

日本の大企業やマスコミ、政界などで今なお広く活動しているCIAのスパイたち。その先生は、なんと大正生まれの日本人女性だった


 ある全国紙で活躍する記者が大怪我を負って入院した。と、ほどなくしてきちんとした身なりの外国人が病室にお見舞いにやってきて、こんなことを言う。

「私はアメリカ大使館の政治担当オフィサーをしている者です。いつもあなたの記事を読ませていただき勉強させてもらっています。入院をしたと聞いて、いてもたってもいられなくなりお見舞いに伺いました」

 その後も足繁く通い、雑誌や食べ物などを差し入れてくるこの「親切な外国人」に、記者は徐々に心を開き、いつしか治療費などがかさんで今月ピンチだ、なんてグチまでこぼせるような間柄となっていた。

 そんなある日、米大使館員を名乗るこの男は、「お力になれるかもしれません」なんて感じで記者に「援助」を申し出てきた。気がつけば、この記者は取材活動の中で得られる日本政府や日本企業の情報を男に提供して、男が望むような記事を書く「協力者」となり、その関係はこの記者が「論説委員」になるまで続いたというーー。

 これは、ジャーナリストの山田敏弘氏が、日本で活動していた元CIA諜報員にインタビューして聞き出した「実際にあったエピソード」である。

「CIA」といえば、多くの日本人は映画のように派手なアクションを繰り広げるスパイをイメージするが、実はその国の政治家、役人、大企業の社員、そして世論に影響を与えるマスコミや有名人などに接近して、知らぬ前に「協力者」(エージェント)へと仕立てあげ、情報収集や工作活動に利用する、というのが彼らの主な仕事である。

 つまり、あなたのデスクの隣にいる人や、テレビに出ているあの有名人も、本人にその自覚のないまま、CIAの「協力者」になっているという可能性もゼロではないのだ。

 と言うと、「そんな落合信彦のスパイ小説じゃあるまいし」「中国相手ならわかるが、同盟国で、子分のように尻尾をふる日本にわざわざそんな面倒な工作活動なんてしないだろ」とシラける方も多いかもしれないが、それは大きな間違いだ。

 我々が想像している以上に、アメリカは日本へスパイを送り込んでおり、ゴリゴリの工作活動に励んでいるのだ。その動かぬ証拠とも言うべき人物が、2010年に88歳で他界したキヨ・ヤマダこと、山田清さんである。


■日本の大企業の中に大勢いる「CIAの協力者」

 大正11年、東京・深川の肥料問屋の家庭に生まれた山田さんは、東京女子大学の英語専攻学部を卒業して英語教師となった。終戦後に渡米してミシガン大学大学院で教育関係の修士号を取得。米空軍の爆弾処理の専門家と結婚してキヨ・ヤマダ・スティーブンソンとなり、20年ほど家庭で夫を支えていたが、46歳の時にCIAの「日本語講師」の募集に応募して見事合格した。

 そこから2000年、77歳で現役引退するまで、日本へ送り込まれるCIA諜報員に日本語や日本文化を教え続け、時には裏方として彼らの工作活動も支えたキヨ・ヤマダは、ラングレー(CIA本部)から表彰もされた「バリキャリ女子」の元祖のような御仁なのだ。

 ちなみに、冒頭のエピソードを明かした元CIA諜報員もキヨ・ヤマダの「教え子」の1人で、実はこの工作活動にも、彼女は裏方として関わっていたという。

 そんなスゴい日本人女性がいたなんてちっとも知らなかったと驚くだろう。それもそのはずで、アーリントン国立墓地にあるキヨ・ヤマダの墓標には「妻」としか刻まれておらず、CIAで働いていたこともごく一部の友人に明かしていただけで公にされていない。前出のジャーナリスト・山田氏がアメリカでCIA関係者や友人たちへ取材を繰り返すことで最近になってようやく、彼女が実は何者で、何をしていたのかがわかってきたのである。

 そのあたりは是非とも『CIAスパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』(新潮社)をお読みいただきたいが、その中でも特に興味深いのが、キヨ・ヤマダと、その教え子たちが行っていた工作活動だろう。

 同書には「キヨはもともと政府系だった企業などにも人脈を持っており、諜報員や協力者などの情報提供や、就職斡旋にも関与していた」と述べられており、以下のような証言もある。

「日本企業などに太いパイプを持っていた有力な日本人たちを介して、CIAに協力していた日本人スパイを、大手企業に送り込んでいた」

 戦後の日本でCIAがこのような活動を延々と続けてきたということは、現在の日本の大企業の中には、キヨ・ヤマダの教え子たちに意のままに操られている「協力者」が山ほど潜んでいる可能性が高いということだ。

 彼らは自分がCIAの手先になっているという自覚すらなく、業務で知り得た情報を提供しているかもしれない。あるいは、CIA工作員が投げた「餌」に飛びついて、アメリカが望むようなビジネスをしているかもしれない。


■対象が「困っている時」を狙え CIAの人心掌握術

 それがあながち荒唐無稽な話ではない、ということは、キヨ・ヤマダという女性の存在が雄弁に物語っている。

  一方で、いくらスパイとはいえ、そんなに簡単に人間を操ることなどできるわけがないのではないかと感じる方も多いだろう。実はCIAには、世界のビジネスマンたちも参考にする「人心掌握術」があるのだ。

 同書によれば、ポイントは「困っていることを探る」ことだという。といっても、弱みを見つけて脅迫をするのではなく、そこを突破口にして、あくまで自発的に協力をしてくれるように仕向けていくのだ。

 サイバー安全保障が専門である著者の山田氏は、冒頭のような新聞記者を籠絡した手口は「情報機関の常套手段」として、最近あったという事例を紹介している。

「しばらく前に、コンピューターに不正アクセスをしてパスワードやクレジットカード番号を盗み出していたハッカーが当局に逮捕された。この人物を協力者にしようと考えた情報機関の関係者は、このハッカーの銀行口座などを調べ、かなりカネに困っていることを察知した。そして、保釈後、ハッカーに接触し、カネを提供するという約束をして、協力者にしてしまった」

 困った時に救ってくれた恩人からの頼まれ事は断りにくいというのは、人間ならば当然の感情だ。CIAをはじめとした諜報機関は、そこを巧みについて協力者に仕立て上げるという。

 あなたがピンチになった時、すっと手を差し伸べてきたその「優しい外国人」は、もしかしたらキヨ・ヤマダの教え子かもしれないのだ。

競争の激しいCIAの言語インストラクターではあったが、キヨのインストラクターとしての評判はすこぶる良かったようだ。

 元教え子たちは「インストラクターとして優れている」「人柄も素晴らしい」ことから、
生徒たちにも人気があったと口を揃える。


p164-169
 
ローレンスは述懐する。
「バブル経済時には多くが日本語プログラムを志願した。重要な国を担当すると出世にもつながるからさ。もちろん、ウチの〃会社〃(CIA)も人員を増やして、日本でのスパイ活動は活発になったよ。どれほどの人員が東京にいたのかはわれわれも知らされなかったが、数百人はいたのではないだろうか。また世界的に有名な自動車メーカーがある地域にも人は送られていたはずだ」    
 それは国務省でも同じだった。国務省で日本語を敢えていたファイファーも、こう語った。
「国務省は入省するとまず希望を出します。当時咄、新しい職員の多くが日本に行きたいと希望を出したのです。日本語が大人気だった。職種的には、領事部とか、政治部、経済部とかの希望を出すのですが、政治や経済の部門は専門職になるので、言語の習得がキャリアにとっても非常に評価される。それで、じやあ君、書ず日本語勉強してこいと言われて学びにくる人も増えたのですが、難しくて音をあげる人も少なくなかった」

 ピートやローレンスのような、キヨが送り出して現場にいた教え子の諜報員たちは、日本に対する工作にも力を入れていた。

その象徴的令は、1995年のアメリカと日本の自動車と自動車部品をめぐる交渉だ。当時は日米の貿易摩擦が深刻で、アメリカは日本の高級車に対する禁輸措置をチラつかせていた。

 米国のミッキー・カンター通商代表と橋本龍太郎・通商産業相による交渉は、当初、日米がお互いに自国での開催を主張した。結局、折り合いがつかず、スイスのジュネーブで行われることになった。

 六月二六日から開催された交渉では米国が有利に話を進めた。その理由は、CIA東京支局が徹底した諜報工作を繰り広げていたからだ。数週間前から、通信電波の盗聴などを専門とする国家安全保障局(NSA)のチームを現地入りさせ、盗聴の準備を進めた。そのおかげで、CIAは交渉に参加していた日本の通商産業省などの官僚や、彼らが電話で密に打ち合わせをしていたトヨタ自動車や日産自動車の交渉担当者との会話までを盗聴し、相手の手の内を掌握していた。毎朝、交渉の前に、カーターはその盗聴内容も含む最新情報についてブリーフィングを受けていた。

 日本側はそんなこととはつゆ知らず、悠長にも、ホテル備え付けの電話で連絡や打ち合わせをしていた。もちろん悪いのは盗聴するほうだが、あまりに警戒心がないのも問題だろう。

 ピートは「あくまで一般論ですが」として、「日本のように政官民が一緒になって動いていると、情報収集はやりやすいのだろうと私は思います」 と語っている。


事実、ワシントンDCでは、日本大使館や日本企業のワシントン支社の電話ヤフアックス、日本政府や企業関係者の滞在するホテルですら、CIAなどによる盗聴の対象になっていたという。

 それまで冷戦構造の中でソ連とのスパイ合戦をしてきたCIAにしてみれば、「日本相手のスパイ行為は随分やりやすかったということですね」と、ピートは語った。特に経済分野は与し易いと感じていたようだ。

 八〇年代以降も、日本の首相が欧州なども外遊する際には、首脳の周辺にいるCIAの協力者から情報を得るために、CIA諜報員も現地に入った。

 キヨの教え子たちは、東京に拠点を置いて、こうした作戟に従事していた。そしてアメリカの経済政策を有利に進めるための工作に奔走しでいた。さらに元諜報貞らによれば、民間や政界、中央省庁などに協力者を作り、ハイテク電子分野や農産物分野の状況についての情報を吸い上げるなど、スパイ工作を存分に行っていたという。

 しかし、日本のバブル期にCIAの日本語プログラムでも起きていたこうした「日本バブル」は、とうの昔に終わっている。それに伴って、CIAでも日本語の人気は徐々になくなつていった

 キヨはのちに、親しい友人にこう嘆いていた。

「二〇〇〇年あたりから、日本語プログラムの人気はかなり落ち始めたのよ。現在では、バブルの頃とは比較にならないほど、規模がずいぶん小さくなってしまったの。日本パッシングではないけど、重要度が低くなっていることは確かだつた。でも本当の問題はね、これが日本にとっても非常に残念な傾向だったということ。情報活動の世界の中でも、日本が軽視されることになってしまうから」

 キヨが言わんとしていることは、こうだ。
 CIAで「日本人気」が低下したことによる影響は、実は日本にもブーメランのように跳ね返って来るということなのだ。
 ローレンスも、こんなことを言っていた。
「インテリジェンスの世界では、各国の間で 『ギブ・アンド・テイク』という考え方がある。
つまり日本が、CIAをはじめとする外国の諜報機関や警察当局の欲しがるような情報をもっていれば、その情報と引き換えに、日本が欲しい情報やテクニックなどを他国から手に入れやすくなるのだ」

 この話は、日本側の当局者からも聞いたことがある。その当局者によれば、「各国の情報当局同士で、こちらから情報をあげるから、例えばそちらの国のメーカーの、この情報を教えてほしい、というやりとりがあります。もしくはメーカーとは関係のないような情報が欲しい時もあります。
 以前、日本で、事件の証拠品である日本製のハードディスクを海から回収したが、塩水でディスクが劣化し、中の重要な証拠を見ることができないというケースがあった。
 そこで日本の当局は、製造元である日本メーカーに協力を要請し、そのディスクから情報を抜き出す技術を世界に先駆けて開発したのです。日本メーカーだからこそ、当局に全面協力をしてくれた。そのおかげで他の国ではできないテクニックを、日本は手にしました。

 そのメーカーのハードディスクは世界的に人気も競争力も高く、かなり普及していたため、外国の当局者にその技術の話をすると、ぜひそのやり方を教えて欲しいという要請が来るようになった。そしてその情報を与える代わりに、こちらの欲しかった情報を提供してもらうよう交渉できたのです。

 例えば、ノキアの携帯から情報を抜き出すテクニックを知りたければ、フィンランドにこちらの技術を提供してから協力してもらう、といちた具合です。日本のメーカーが強ければ、情報を欲しい国の当局者が寄ってくることになる」 逆を言えば、日本のメーカーに世界的な競争力がなくなれば、世界から日本は情報を求められなくなる可能性がある。そうなれば、情報は「ギブ」してもらえなくなる。

 つまり、日本の技術力や経済力が衰退するこどのインパクトは、インテリジェンス分野にも波及する。CIAで日本の人気がなくなるというのは、日本が「使えない国」「重要度の 償い国」だと思われていると捉えることもできる。

  キヨは、そうした背景を踏まえた上で、日本語プログラムの衰退を嘆いたのだった。
インテリジェンスに興味があり、インテリジェンス関係の本に、必ずと言って良いほど書いてある、日本にはインテリジェンスの概念がなく、だからダメだとインテリジェンスの本には必ず引き合いに出される逸話である。

日米交渉における日本のインテリジェンス警戒心の欠如からくる日本側の大失態である。
常に情報は筒抜けで、交渉は米国に常に有利にコントロールされ、国益を失い続けてきた。

その日米交渉で、常に米国に出し抜かれていた理由がやっとわかった!山田清氏の存在だったのか!

【デイリー新潮】2019年10月24日掲載  

 2015年8月、米バージニア州アーリントンは抜けるような青空が広がっていた。

 筆者は首都ワシントンD.C.で開催されていたシンクタンクの会議を終え、あとは当時暮らしていたマサチューセッツ州ボストンへ戻るだけだった。だが、帰途に就くまえに、以前からどうしても気になっていたアーリントン国立墓地に立ち寄ることにした。

 アーリントン国立墓地を訪問してみたいと思ったのは、知人女性との雑談がきっかけだった。以前、D.C.近郊で暮らしていたというこの知人は、その当時に「興味深い女性」と知り合ったと話した。在米の日本人主婦が、友人だけを集めて開いた、小規模なホームパーティでのことだったという。

 知人が直接聞いた話によれば、その女性の名は、キヨ・ヤマダという。日本で生まれ育ったキヨは、戦後しばらくして渡米し、アメリカ人と結婚。そのあと、アメリカの諜報機関であるCIA(中央情報局)に入局した――。

 初めて知人からこの話を聞いた2014年の時点で、キヨ・ヤマダはすでに他界し、アーリントン国立墓地に埋葬されている、とのことだった。そこで、D.C.への出張に合わせて、初めてアーリントンを訪れたのだった。

 ***

 これは最近上梓した拙著『CIAスパイ養成官―キヨ・ヤマダの対日工作―』(新潮社)(https://amzn.to/2P8dhJI)からの抜粋(一部修正)だ。このノンフィクション作品では、戦前に生まれた日本人女性が、軍国主義的な時代の日本の中で育ち、日本という国を一変させた戦後の混乱期に日本を離れ、米国で諜報機関に入っていく軌跡を追った。日本語インストラクターとして入局したCIAでは、対日スパイ工作にも関与するなどして、局内で多大な評価を受けていた。

 キヨの教え子たちは、沖縄返還、ロッキード事件、反共産主義工作、日米貿易摩擦などで指摘されているCIAによる戦後史の裏で暗躍し、さらにキヨ自身も日本での工作活動を支えたり、スパイをリクルートするなど諜報工作にも関与していく。日本の有力者を諜報員に紹介するようなこともあったという。

 出版後、拙著に対する様々な反応に触れている。そんな中でも興味深かったのは、CIAで対日工作に関与したキヨ・ヤマダが「売国奴」だったのではないかというものだった。ある著名人からも、インターネット上でこの本こそ「売国の実態」であるとコメントをいただいた。

 拙著の取材では、米国人だけでなく、米国へ移住した外国人たち、そして米国に移住した日本人など多くに話を聞いた。そんな彼らとの対話を通じて、日本のみならず、欧州から移住して米国に暮らす人たちの苦悩なども耳にした。移民大国の米国ではあるが、移民の多くは、簡単には越えられない「米国人」の壁を感じ、心の奥深くでどこか疎外感を抱いているのが印象的だった。そんな社会の中で、キヨ・ヤマダはCIAで自分の居場所を見つけることになるのだが、そのあたりの詳細は拙著に譲りたい。

 結局、彼女はCIAで対日工作を行った「売国奴」だったのか。取材から見えたキヨ・ヤマダは確かに米諜報機関の手先として働いていたが、彼女の人生を紐解いていくと、「売国」という言葉では片付けられるものではないことがわかる。

 俯瞰すれば、対日工作を行っていた時点で、日本人から見れば「国を売った」という印象を受けるだろう。ただ日本とアメリカの関係においては、そんな単純な構図では括れない。そもそも戦後の日本が世界から奇跡的と言われる経済発展を遂げ、現在は経済的に失速して「失われた時代」が続いている状態ではあるが、世界的に見て裕福な国家になれたのも、米国が日本にもたらした対日工作があったから、という側面もある。

 もちろん、日本の政治家などの中には、戦後に日本人である矜恃を失わないよう米国と対峙しながらこの国を形作ってきた者もいたが、それでも、米国が日本に軍事・安全保障の面で「傘」と「安心」を与え、日本人がそれを甘んじて受け入れ、恩恵に与かってきた事実は消せない。そのおかげで、日本は経済分野にリソースを集中させることができたのである。米国からしてみれば、それは反共政策という自分たちの利害のためだった、としてもである。

 そして、そんな日本のあり様を受け入れ、民主主義国家の日本で、米国に依存する日本を作り上げたのは私たち日本人に他ならない。つまり米国なしには独り立ちができない日本は、日本人自身の選択の結果なのである。そう言う意味では、日本という国の安全をアメリカという他国に委ねた私たちは皆、「売国奴」だと言えるのではないだろうか。

 一方で、筆者が取材で会った米国に移住した日本人の中には、戦前に生まれ、戦後間もなく米国に渡った人たちも多かった。彼らは米国で厚い壁を感じながら、日本人である自分のアイデンティティを強く持ち続けていた。


生き様

 例えばキヨ・ヤマダと親しかった年配の日本人女性2人にインタビューをした際に、こんなことがあった。

 取材後、自動車で訪れていた筆者に、この女性たちは行きたいところがあると言う。そこで一緒に、D.C.の郊外にあるバージニア州フェアファックス郡の郡政府センターに向かった。

 実は同センターの敷地内にある公園の片隅には、第2次大戦で日本軍に強制されたとされる従軍慰安婦のための記念碑が設置されていた。探すのに苦労するほど離れた一角にあったこの記念碑は、D.C.の韓国系組織であるワシントン慰安婦問題連合が、この地域に暮らす韓国系住民だけでなく、議会議員などにもロビー活動を行って2014年に設立を実現させたものである。

 フェアファックスの記念碑を前にして、彼女たちは首を傾げながら、こういう石碑は「信じられないことよね」「許してはいけないと思うわ」「なぜこのような物を作るのか、目的がわからない」と嘆いた。帰りの車の中でも、彼女たちは「もちろん韓国系の友人もいる」が、「日本は詫びて、戦後に時間をかけてすべて解決してきたことではないのか」と熱く語っていた。

 彼女たちとのやり取りでは、日本人としてのアイデンティティを強烈に持っていることを痛感させられた。彼女たちは、身の回りには日本製品を置き、日本車に乗り、出来る限り日本食を食べている。仕事をきっかけにして米国には移住したが、やはり日本への想いは強い。

 米国という「人種の坩堝」の中にいるからこそ、周りから「日本人」の代表として扱われ、日本人であることを強く意識することになる。その中で日本の良い面も悪い面も、それぞれが考えるようになるのである。筆者が会ってきた人たちを見ると、そうした経験を通して日本人であることを誇りに思っている人が多かった。海外に長期間暮らした日本人の多くが「日本びいき」になるという話を聞いたことがある人も多いだろうが、そういう背景があるのだろう。

 そして、それはキヨ・ヤマダも一緒だった。彼女は晩年、CIAに入って「初めて米国に受け入れられたと感じた」という言葉を残している。そんな彼女も、自動車は常に日本車だった。遺品からは、長く疎遠だった家族の写真などだけでなく、数多くの日本語の新聞の切り抜き、山田家の過去帳や数珠、日本で卒業した大学の証書など日本らしいものが次々と出てきた。明治から大正時代の詩人、上田敏による『上田敏詩抄』なども大事に保管されていた。日本の文化や歴史に関する本もたくさん遺されていたという。

 彼女の人生には、「売国奴」などという言葉では言い表せない生き様があったのである。もっとも、彼女は自分の可能性を信じて米国に留学し、思いがけず主婦になって、後にCIAに入ったが、自分の人生を懸命に生き、置かれた環境でベストを尽くしただけに過ぎない。

 こうした背景を踏まえて、キヨ・ヤマダという日本人女性が本当に「売国奴」だったのか、もっと言えば「日本とは一体どういう国なのか」というところまで、拙著から考えるきっかけにしてもらえれば、と願わずにいられない。

山田敏弘
国際ジャーナリスト、米マサチューセッツ工科大学(MIT)元フェロー。講談社、ロイター通信社、ニューズウィーク日本版などに勤務後、MITを経てフリー。著書に『ゼロデイ 米中露サイバー戦争が世界を破壊する』(文藝春秋)、『モンスター 暗躍する次のアルカイダ』(中央公論新社)、『ハリウッド検視ファイル トーマス野口の遺言』(新潮社)、訳書に『黒いワールドカップ』(講談社)など。数多くの雑誌・ウェブメディアなどで執筆し、テレビ・ラジオでも活躍中。

週刊新潮WEB取材班編集


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一応当ブログの管理人Ddogは自称「本好き」ではあるが、荒俣宏さんのような希少本コレクターでもなく、一頃は年に300冊は読んだ活字中毒者であったが、横浜市の図書館があまりにも酷く、読書ペースが落ちてしまいました。今は週3日町田図書館で過ごす時間と、ブログの更新の合間に読むが主な読書時間である。おそらく最近は週一冊、年に60冊程度のペースに落ちてしまった。

本好きは大きく分けて二通りだと思う、活字中毒者と、活字というより本そのものが好きで、本が置いてある図書館や本屋が好きな本好きに分かれると思う。

私は、両方だと思っているが、どちらかといえば本がぎっしり詰った空間にいると癒される後者の方かもしれません。

活字中毒者は基本図書館で本を漁るが、本を本屋で買いだすと際限なく本で埋まってしまう。そして本に埋まった空間で過ごすことが至福の時間だと私は感じます。

今日紹介する一冊は本に癒される本好きの皆さんの為の本です。

今回は、紹介された本屋さんを検索する形で紹介したい。

Contents

南米のパリに花開いた豪華な本の劇場 006
エル・アテネオ・グランド・スプレンデイツド[ブエノスアイレス,アルゼンチン]

ヨーロッパ西端の港町、宝石のような老舗 012
レロ書店[ボルト,ポルトガル]

荘厳なゴシック教会に生まれた本の神殿 018
セレクシス・ドミニカネン[マーストリヒト,オランダ]

「自由時間広場」で本と食を堪能 024
クック&ブック[ブリュッセル,ベルギー]

優雅なアーケードを彩る本の万華鏡 030
トロビスム書店[ブリュッセル,ベルギー]

三姉妹の手でよみがえった17世紀の本の館 036
パラッツォ・ロベルティ書店[バッサーノ・デル・ダラッパ,イタリア]

ロンドンで最も愛される美しい書店 042
ドーント・ブックス・マリルポーン[ロンドン,イギリス]

SF映画に入り込んだ気分で本を楽しむ 048
ラスト・ブックストア[ロサンゼルス,アメリカ]

本と人が集まる駅舎は、旅情あふれる本屋さん 054
バーター・ブックス[アニック,イギリス]

エーゲ海の島、作家を育む本の楽園 060
アトランティス・ブックス[サントリーニ,ギリシャ]

グリーンに囲まれて、本と人が集う家 066
カフェプレリア・エル・ベンドゥロ[メキシコシティ,メキシコ]

太陽のもと、本に親しむさわやかな時間 072
ポルア書店[メキシコシティ,メキシコ]

パリ左岸、英語書店の終わらないドラマ 078

ワインバー兼書店でパリらしい夕べを 084
ラ・ベル・オルタンス[パリ,フランス]

チュイルリー公園で植物や庭の本に親しむ 090
ジャルダン書店[パリ,フランス]

カフェも魅力、[文学の家」の小さな本屋さん 096

選書経もセンスが光る黒一色のデザイン書店 102
メソド[アムステルダム,オランダ]

多彩な文化が集合、大人のためのブックカフェ 108
トランケパル[コベンハーゲン,デンマーク]

パッサージュの古本屋さんでパリの歴史を探訪 114
ジュソーム書店[パリ,フランス]

フィレンツェの老舗で文化遺産の本に出会う 120
ゴネッリ古書店[フィレンツェ,イタリア]

あとがき 126

Recommendation 127

装丁・デザイン BANG!Design,inc.
写真 Stefano Candito,Laetitia Benat
印刷・製本 図書印刷


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エルアテネオグランドスプレンディッドは、アルゼンチンのブエノスアイレスにある書店です。1875年建築家ペロとトレスArmengolによって設計された1946年からは映画館としても使われ、2000年に本屋となった。2008年には、ガーディアン紙は世界で2番目に美しい書店に選ばれました。 2019年、ナショナルジオグラフィックから「世界で最も美しい書店」に選ばれました。




ポルトガル北部にある、ポルトガル第2の都市ポルト。その世界遺産にも登録されている歴史地区に、ハリー・ポッターの世界を味わえる「レロ書店」があるのをご存知でしょうか。

イギリスのガーディアン紙が選ぶ「世界の素敵な書店」で第3位に選ばれ、連日観光客で賑わう、ポルトを代表する人気スポットです。
その人気故、列に並ぶ事が必須となりますが、少しでも空いた時間にじっくりと見たい人の為の攻略法をお教えします。

1869年に建てられたこの書店は何人かオーナーが変わった後、1894年にレロ兄弟の手に渡り、1919年に「レロと兄弟」という意味のレロ・イ・イルマオンという現在の名前が付けられました。
最初はごく普通の、地元の人たちに愛される書店だったのが、ハリー・ポッターシリーズの原作者、J・Kローリングが英語教師としてポルトに赴任していた頃に、この書店がハリー・ポッターの世界観に影響を与えたのではないかいう噂が広がり、ハリー・ポッター人気と共に、この書店の人気も急上昇したという訳。

しかしこの書店、有名になり過ぎた結果、多くの観光客が訪れるようになったのは良いのですが、書籍を購入せず、ただ店内を観て回るだけの客が増えてしまいました。本来の営業活動に支障が発生するという懸念が出てきた為、現在は入店料金(2018年6月現在5ユーロ)がかかります。
ただしこの入店料金は、バウチャーとして使用できる為、店内で書籍を購入すれば入場料は実質無料。

しかし入店料金をとる様になったにも関わらず、人気は相変わらず現在も続いています。
その混雑を避ける為にどのタイミングで行けばいいかと言うと、ずばり閉店間際です。レロ書店は20時までオープンしていますが、ツアーなどの人たちで混む時間を避けるには、やはり夕方以降になりま。


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「世界で最も美しい本屋」に選ばれたオランダ・マーストリヒトの本屋さん

2014.12.21
 
 
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「世界で最も美しい本屋」に選ばれたオランダ・マーストリヒトの本屋さん
※こちらの記事は2014年12月21日公開のものです。

オランダ南部にある歴史深い街、マーストリヒト。ここに「世界で最も美しい本屋」があります。2008年、イギリスの新聞『ガーディアン』が世界中の本屋から「世界で最も美しい本屋」を10軒選び発表しました。そのなかの1軒に選ばれたのが、マーストリヒトにある「ドミニカネン」です。


700年以上前に建てられた教会の内装をそのままに、美しい本屋に再生

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古い教会が建つ旧市街のフライトホフ広場からすぐのところに、その本屋があります。
今から700年以上前にドミニコ会修道院の教会として建てられたこの建物は、歴史の波に翻弄されて荒廃し、一時は倉庫や自転車置き場、展覧会会場などに使われていました。それがオランダ人建築家によって改装され、本屋として生まれ変わったのは2006年のことです。

教会の名残が随所に残る

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古い教会を思わせる外観からは中が本屋になっているとはすぐにわかりません。教会だと思って入ってくる人もいそうです。

そっと扉を開けると、内装は教会そのもの。太い柱とヴォールト天井が印象的な空間が広がっています。書棚には数千冊の本が並び、棚にも本がたくさん平積みされています。オランダ語の本が中心ですが、一部英語のものも扱っています。1階右奥には子供向けの本のコーナーもあり、絵本を選ぶ親子連れの姿がありました。

天井までの広い空間を生かして一部に2階と3階のフロアが作られ、そこにも書棚が並んでいます。3階部分は天井に近く、美しい天井画を見ることができるので、ぜひ上がってみてください。窓にはステンドグラスこそないものの、教会らしい柔らかい光が差し込んでいます。


ほっとひと休みできるカフェもあります
ほっとひと休みできるカフェもあります
photo/Tomomi Nakagawa
一番奥の、教会のちょうど内陣に当たる部分がカフェになっています。上の階から見ると、テーブルが十字架の形になっているのがよくわかります。そのテーブルを照らすライトは、どこか燭台をイメージさせる丸い形をしています。こんな静ひつな空間でゆっくり本を読むのもステキですね♪

歴史を感じさせる空間とモダンなデザインが融合した「世界で最も美しい本屋」。オランダへ行ったら、ぜひ立ち寄ってみてくださいね。
Cook & Book 
【ブリュッセル】2013年 09月 16日 

寒い~。暖房入れたい~。と思わず口に出てしまう秋(と言うより初冬ではないか)のブリュッセル。10月の声を聞くまでは暖房を我慢しなければ、この先もっと寒くなった時に困るもんね。しかし、あのいつもより少々長めだった夏はどこへ・・・壁の蔦も赤くなって来ました。
さて、まだいい気候だった先週の日曜日、ブリュッセルの南東Woluwe-Saint-LambertにあるCook & Bookに行ってきました。
ここはその名の通り本屋さんとレストランの融合、とでも言うべき総合ブックセンター。代官山のTSUTAYAみたいな感じかな。最初は名前からロンドンにあるCook for booksみたいに食関係の本屋さんかと思ってたら本屋さんとレストランが合体していたという・・・。しかもやたら広い。1500㎡ですって。でかっ・・・
まぁ、ここに来たかったのはちょっと欲しい雑誌があったから。
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MOODというベルギー発の食と音楽に関する雑誌でstockistが限られてるので、一番確実なBook & Cookへ行ってみようと。この雑誌は広告は一切なしなので12ユーロと少々お高いんだけど日本の食堂みたいなところとか結構ニッチな記事が載ってるので面白そう。写真のは1号で、これには札幌とか目黒(だったかな)なんかの食事情が載ってて良さげなのであった。なんて言いつつまだ読んでないですが。(汗)
それにしてもこのCook & Book、すごいわ~。何がすごいって、建物がブロックでAとBで分かれてるんだけど、AにはBD(バンド・デシネ)、JEUNESSE(絵本など子供向けの本)、VOYAGES(旅行関係)、BEAUX-ARTS(美術など)、MUSIQUE(音楽関係)のラインナップで各々個別の部屋に分かれてる。さらに各部屋のデコがテーマに沿うものになっていてイートインコーナー(これがまた趣向が凝らしてある)が一つずつあるという・・・。各部屋で供されるのはメインダイニングで作られるお料理。Aではどちらかと言うとカフェご飯系(でもちゃんとしっかりしててメニューもバラエティ豊か)で、自分の好みのテーマのお部屋でオーダーして本を愛でつついただくという塩梅。Aは子供向けのコーナーがあるのでkids用のメニューも充実してる様子。
Bの方はSERRE (温室 - これはどこだったか判別付かず・・・)、ROMAN(小説)、CUCINA(料理全般)、ANGLAIS(英語の書籍)。こちらもAと同じ趣向でメインダイニングはイタリアン。ちょっと大人の雰囲気かな。
各部屋はテーマごとにデコが変えられてるだけでなく雑貨も、少しずつ売られてる食材もテーマごとになってるところ。よくぞ考えたよね~。いやもう飽きないわ。
写真撮っても良いのだろうかとこっそり撮ってみました。こっそりすぎて例によりブレブレです。(笑)
まずは美術関係コーナー。

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モンドリアンを意識してるのか、カラフルなカラーブロックでモダンな雰囲気になってます。
Block Aのメインダイニング。

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音楽関係の部屋にへ向かう廊下。

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MOODはここに置いてありました。(バックナンバーで1号があってウレシイ♪)食と音楽がテーマの雑誌だけど音楽の方に入れたってことね。このコーナーは大人の雰囲気で、バーカウンターがある。しかも、CDだけじゃなく結構な量のビニール盤も売っててこれはアナログ好きにはたまらないんじゃないかと。
外から見たBDコーナーへの入り口。

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Seanはウィンドーのスーパーマンやらバットマンやらの等身大フィギュアが気に入った様子。このコーナーにはmanga - 漫画も沢山あってSeanはフランス語版のワンピースを見つけて「読みたいの~」。アニメじゃないからね~。キミにはちょっと難しいんじゃないかい?
こちらはBのメインダイニング。料理関係のコーナー。

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お料理グッズとか色々あって楽しい。
こちらは英語圏のコーナー。

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私の写真じゃ分かりづらいけどイギリスの図書館か書斎みたいな雰囲気のデコ。
ここは子供連れで来ても広場に遊具スペースがしっかり取ってあって全く問題ナシ、大人も子供もばっちり楽しめるという訳。2006年に出来たということなのでもう既に7年目らしいけど、MOODを買おうと思わなけりゃ知ることもなかったかも。これだけの広いスペースでこんな大胆なことやっちゃうなんてオーナーはお金持ちだよね~。とPaulとしきりに感心していたのであった。
レストランと本屋さんの合体と言うコンセプトは私の行きつけの本屋さんCandideとGaudronに通じるものがあるけどこっちはお隣さん同士できちんと分かれてるので同じとは言い難い。Cook & Bookは共生だもんね。両社が大体同じ時期にopenしてるので(CandideとGaudoron は昔からあったけどGaudronが改装してほどなくオーナーがとなりのボロい本屋さんを買収してCandideになった)この手のコンセプトはちょっとしたトレンドなんだろうか。
聞くところによるとCook & BookのUccle店が最近できたらしいのでちょっと見に行ってみようか、なんて言ってるところです。

私は基本レストラン+本屋はあまり好きではない!カフェメニューだけの本屋+カフェであるなら本も汚さないが、油を使ったメニューがある本屋+レストランは何よりも本を汚し、本を侮辱している。

食べる行為と排便、SEXは人が生き物であるがゆえ、人の最も動物的行為である。

一方読書は、人が人たる所以、「考える葦」である証拠なのだ。
「考える葦」とは、人間は一本のにすぎず自然のなかで最も弱いものである。 だがそれは考える葦roseau pensantである。 パスカルは、人間は孤独で弱いが、考えることができることにその偉大と尊厳があるとした。 ゆえに、食事と読書は私は基本相容れない行為だと思っている。

食事中新聞や本を読むなんて・・・私にはできない。

最近、現在もあるかどうかはわからないが、東京ミッドタウン日比谷のヒビヤセントラルマーケットは許せない。本屋の中に「から揚げ屋」なんて本に対する侮辱意外なにものではない。何が新業態だよ!有燐堂のボンボンが社運をかけて出したそうだが・・・・
この「世界の美しい本屋さん」で紹介された本屋さんと似て非なる本屋である。
似て非なる最大の理由は本に対する愛情が希薄にしか感じられないからだ。

だが、蔦屋書店/家電 ビレッジバンガードは違う、なぜなら本に対する愛情が、TOYを愛する愛情と同じくある店だからだ。

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2018.8.30訪問「トロピスム書店」(ベルギー・ブリュッセル)
Tropismes Librairie 
書人宝庫2018/10/25 11:42

 「トロピスム書店」(Tropismes Librairie)に行ってみよう。
 そう考えたのは、ベルギー再訪が決まり久しぶりに開けた20代の頃の旅の記録の中に、この書店のしおりを見つけたからだ。インターネットで調べると公式サイトもある。facebookページもあった。
 あぁ、まだあの書店はあるのだ、とわかり嬉しかった。facebookの写真をみると、記憶とほとんど変わらない様子だ。

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 フランス語圏の都市を旅するときは、たいてい書店に寄った。中でも「トロピスム書店」を印象深く記憶しているのは、私にとって初めての海外で、初めて訪れた外国の書店だったからだ。

 当時はまだ欧州への直行便はなく、アンカレッジで給油し、ポーラールート(Polar Route)といって北極の上空を飛んだ。今はないサベナエアーで初めて降り立った欧州の空港が、ブリュッセル空港だった。トランスファーの短い時間にグランプラス(La Grand-Place)だけでも見学できるだろうかと訪れ、路地を歩く中、偶然、発見したのが「トロピスム書店」だった。
 スマホで書店をマップ検索、なんていうことをできる時代ではなく、しかもブリュッセルは最終訪問地でなかったため前知識もなかった。まさしく偶然の出会いだった。

 ベルギーは、北をオランダ、南をフランスに接しており、北部ではフラマン語(ほぼオランダ語らしい)、南部ではフランス語が話されている。首都ブリュッセルはフラマン語圏だがフランス語話者が多い。「トロピスム書店」(Tropismes Librairie)はフランス語の本を扱う書店だ。


 そして2018年8月30日、パリから鉄道でブリュッセルへと向かった。ブリュッセル訪問は4度目になるがいずれもEU統合前。中央駅を降りると、すっかり様子は変わっており美しく整備され、駅舎の向かいには景観に溶け込むようにヒルトンがあった。
 観光の定石に従いグランプラスを再訪。ヴィクトル・ユゴーが世界で最も美しい広場と、コクトーが華麗なる劇場と賞賛したという広場は、変わることなくゴージャスに輝いてた。

 グランプラスから、確かこっちの方向だったと勘を頼りにギャルリー・サンテュベール(Galeries Royales Saint-Huber)に向かった。欧州内でも古いパッサージュ(アーケード商店街)のひとつで、ベルギー王室御用達のショコラティエや宝石店、レストランなどが並び美しい景観で観光客好みの場所になっている。今風にいえば、どこを切り取ってもインスタ映えする一角だ。

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 目指す書店は、100メートルほどのこの短いパッサージュのどこかを横に入った小路の先にあるはずだ。その入る場所がなかなかわからず結局パッサージュを2往復し、遂に壁にLibrairie(書店)という小さな看板を見つけた。小路の先には、以前と変わりない店舗が見えた。

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 店舗は地階、1階、中2階からなり、1階は新刊を中心に文芸書が、中2階には絵本など児童書が、地階には、専門書が並ぶ。地階にはデスクに座った書店員がふたりおり、ひとりは社会学、心理学、哲学の棚の周りにデスクを構え、もうひとりのデスクは料理、旅などの実用書の棚のあたりにあり、担当する専門が分かれているようだ。さらに奥には、美術と建築の棚があったがデスクは見当たらなかった。文学と新刊が並ぶ1階にも担当する書店員がいた。

 ブリュッセル中心部には大型書店はないようで、「トロピスム書店」はじめ中規模の書店が多いようだ。このベルギー滞在ののち再びパリに戻りカルチェラタン界隈の書店を何軒か訪ねたが、過去に訪ねたことのある中規模の書店は変わらず同じ場所で営業していた。どこも大型書店とは異なる中規模店ゆえの個性があって楽しかった。

 今や、国内外の出版社の出版目録をWEBで見ることができるし、SNSでレビューも読める。アマゾンで注文もできるし、書店もネットショップを持っていることが多いが、店舗に足を運ぶと発見は多い。「トロピスム書店」の公式サイトによると作家を招いたイベントもしているようだ。店舗を見る限りイベントスペースと呼べる場所は見当たらなかったが、dans nos mursとあるので店内で行うのであろう。開催時間を見ると営業終了後で予約制になっていた。

 1階と地階を結ぶ階段に手書きの貼り紙があり、学生は10%引きとの案内があった。旅行者も適用されるのかなと思いつつ、同行していた大学生の息子がレジで学生であると申し出ると、レジのお兄さんはにこやかな笑顔でさっさと割引し、学生証を見せるまでもなかった。きっと選んだ本と風貌から判断したんだろう。
 書店の学割は「トロピスム書店」でしか見なかったが、ベルギー滞在中は、美術館の入館料も鉄道の運賃も、大学生の息子は私が払う大人料金と比べると大きく優遇されていた。学生であるか否かでなく年齢で割引する場合もあった。日本にも学割はあるが、総じて割引が大きく、若者の文化的体験を応援している気がしたことも書いておく。

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 話を「トロピスム書店」に戻す。会計の後、レジのお兄さんに「店内で写真を撮っていいですか」と聞くと、笑顔で快諾。
 1階と中2階はゴージャスだが、地階はごく普通の内装だ。中2階から1階全景を撮ろうとしていた時だった。日本語を話すふたりの女性が上がってきてスマホで写真を撮り足早に去っていった。
 帰国して知ったのだが美しい書店として最近、書籍やWEBで紹介されているらしい。ブリュッセルの観光名所に近く、知れば訪れたいと思う人も多いだろう。インスタ映えする撮影スポットの中2階は児童書コーナーで絵本が並んでいる。フランス語がわからなくてもお土産にいいと思う。

11, Galerie des PrincesGaleries Royales Saint-HubertB-1000 Bruxelles

【GOTRIP!】ネイサン弘子 | 2019/03/31 

インターネットやデジタル書籍の登場で、文学の国イギリスでも本離れ、紙離れは止まる様子はありません。

そんな状況下にあっても、紙に印刷された本の温もりを求める人々や、その美しさをひと目見ようとする客足の絶えない書店が、ロンドンにある「ドーント・ブックス(Daunt Books)」メリルボーン店です。

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落ち着いた独立系のショップが立ち並ぶロンドン中心部のメリルボーン・ハイ・ストリートに佇むこの書店は1990年にオープン。

歴史は決して古くはないものの、もとは1910年に古書を販売する古物商のために造られた店舗であるため、歴史情緒溢れるエドワード朝の建物の趣きを存分に生かしたアンティーク・ショップのような雰囲気が魅力。

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一歩足を踏み入れると、重厚な木作りの本棚が天窓とステンドグラスから差し込む優しい光に照らされ、その優雅な雰囲気に酔いしれてしまいそう。

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所どころに置かれたイスに腰掛け、ゆっくりと本を吟味することも可能。

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地下階へと続く階段の擦り切れた床板に歴史を感じます。

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こちらの書店のユニークな特徴は、小説であれガイド本であれ、本の種類に関わらず国別に分けて陳列されているところ。こうすることで、旅行客にも一般客にも見やすくしているのだそう。

日本の本も人気で、英訳された小説のほか、日本の人生哲学などを欧米人が紹介した作品など、多くの関連本が平置きされており、日本文化への注目度の高さを感じます。

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ため息が出そうなほど美しい装丁のフォトブックや、絵を眺めているだけで楽しい絵本たちを見てまわれば、あっという間に時間が過ぎてしまうことでしょう。

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もちろん旅行者に嬉しいガイド本や、お土産になりそうな絵葉書やエコバッグなども充実しています。

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ロンドンを訪れた際は、一見の価値ありの「美しすぎる書店」に足を運んでみては?

Post: GoTrip! https://gotrip.jp/ 旅に行きたくなるメディア



ラスト・ブックストア(アメリカ)

2005年、ハワイ育ちの起業家ジョッシュ・スペンサーさんが、ロサンゼルスの小さなロフトでネット書店を開業。イーベイの安価な古書店からスタートし、2009年、ダウンタウンに実店舗をオープン。2011年、現在の場所に引っ越した。店は1階と中2階に展開する。1階は、高い天井を白い円柱が支え、銀行のロビーだった往時を思わせる広々とした空間。SF映画に登場する不思議な機械のような本棚が並び、あちこちに置かれたレザーの椅子は、往時の銀行家がゆったり座って葉巻を吸っていそうな雰囲気だ。壁には、本が流れる川のようなレリーフが趣を添える。中2階は、低い天井に届きそうな本棚が隙間なく並ぶ。迷路のようなフロアを探検していくと、曲線や不規則な幾何学形で構成された不思議な棚、本のトンネルなどの仕掛けが次々と現れる。





ギリシャの観光客に大人気な真っ白な島「サントリーニ島」にある本屋「Atlantis Books(アトランティス・ブックス)」は、とても小さな店内に、様々なユニークな本があることから、観光客の間でも人気なスポットです。サントリーニ島独特の海を眺められるテラスがあるのも魅力的ですね。

カフェと書店(リブレリア)を融合させたこの店は、メキシコらしく底抜けに明るい。本がびっしりと並ぶ黄色の壁に、緑色の手すりのある螺旋階段、レトロなランプが空間のアクセントになっている。店は、1940年代に建てられた家を改装して作られた。かつて中庭だった場所は吹き抜けに生まれ変わり、改装前に生えていたのと同じ、オレンジの木が植えられた。肉厚の葉の観葉植物も空間いっぱいに育っている。2階には大きな窓とバルコニー。日に焼けた美女が手を振る、メキシコ映画のワンシーンのような雰囲気だ。三世代の家族連れがブランチをとり、休憩中の警官もほっとくつろいだ表情を見せる店。明るく温かい家のような本屋さんに、今日もさまざま人たちが帰ってくる。

ポルアは、1900年創立のメキシコの書店チェーンで、出版も手がける老舗企業。「すべての人たちに本を提供する」をモットーに、スペイン北岸のアストゥリアスからの移民、ポルア家の三兄弟が設立した。今では、およそ60店舗をメキシコ国内に展開。インテリアは店によって雰囲気が違うが、どの店も壁一面にぎっしりと並んだ本がトレードマーク。チャプルテペック森林公園店は、「たくさんの人たちに足を運んでもらい、ポルアの精神を知ってもらう」というコンセプトで、2011年にオープンした。自然と一体化した建築も、そこで売られている本も、メキシコの魅力を象徴するような本屋さん。南米一の公園に誕生した名所で出会う本は、とりわけ新鮮な魅力を放つ。

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シェイクスピア・アンド・カンパニー書店訪問記 パリの本屋は世界一 
Published 2020年1月3日

2019年末にパリに行った際に、ずっと行きたかった本屋「シェイクスピア・アンド・カンパニー」を訪ねてみた。

オーナーのシルヴィア・ビーチを筆頭に、常連としてヘミングウェイ、ガートルード・スタイン、フィッツジェラルド、エズラ・パウンドなどが訪れた。またギンズバーグやバロウズなどビート・ジェネレーションとも交流があり、ヘンリー・ミラーの名前もある。

ちょうどヘミングウェイが文学修行をしたパリ時代を綴った『移動祝祭日』を読んでいて、パリとこのシェイクスピア・アンド・カンパニーに行く人はぜひ『移動祝祭日』を読んでみていただきたい。
 
その頃は本を買う金にも事欠いていた。本は、オデオン通り十二番地でシルヴィア・ビーチ(*1) の営む書店兼図書室、シェイクスピア書店の貸し出し文庫から借りていたのである。冷たい風の吹き渡る通りに面したその店は、冬には大きなストーヴに火がたかれて、暖かく活気に満ちた場所だった。店内にはテーブルが配され、書棚が並び、ウィンドウには新刊の書物が展示されていた。壁には故人や現存の著名な作家たちの写真がかかっていたが、どれもみなスナップ写真のようで、物故した作家たちですらいまも生きているように見えた。

なんといっても、この書店が文学史上有名なのはジョイスの『ユリシーズ』を出版したことだろう。

そんな伝説的な書店も、近年映画等でも登場して観光名所となった。私が訪れたときも、他にも観光客が多くきており、とても落ち着いて本探しができる雰囲気ではなかった。

しかし、1階と2階の本棚を見ながら、あれもこれも読みたい、まだ世の中にはこんなに読みたい本があるのかとしみじみと感じた。特に2階は人も少なく、店主シルヴィア・ビーチが使ったとされる机やタイプライターなどが置かれ、書店というよりは書斎のような雰囲気が読書好きにはたまらない。

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ソファに座ってピアノの生演奏を聴きながら読書、本探しができる書店。こんな書店が近くにあったら間違いなく通い続けるだろう。

以前ニューヨークのStrand Book StoreやメキシコシティCafebrería El Pénduloに行った時も感銘を受けたが、個人的にはこのシェイクスピア・アンド・カンパニーが書店としては一番だと思った。つまり、(いまのところ)世界一の本屋だと思えるくらい良かった。

帰りに数冊の本とトートバックをお土産にして帰る。


もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは a moveable feast だからだ。

ヘミングウェイ


La Belle Hortense
本が読める書斎のようなワインバー
 
TV5MONDE - ラ・ベル・オルタンス|La Belle Hortense

最寄駅はメトロのサン・ポール駅。駅から目の前のリヴォリ通りをパリ市庁舎方面へ歩き、ヴィエイユ・ドュ・タンプル通りを右に曲がったところにあります。鮮やかな青色で塗られた一見ブティック風のお店に入ると、中は居心地のよさそうなバー。ここでは、お店自慢の上質の赤ワインを飲みながらゆっくりと好きな本を読むことができます。
 
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入口手前は普通のバーカウンターになっていますが、奥に入るとプライベートな雰囲気の書斎があります。静かな店内には読書を本気で楽しむパリジャンがいたりして、インテリ層の多いパリを身近に感じることもできます。ワインを選んだあとは、書斎に入ってゆっくりと本を選ぶ。書店とも家とも違った不思議な空間で本を選ぶと、いつもと違った本に出会えるかもしれません。フランス語が苦手という人でも、かわいらしいフランスの絵本やパリの写真集もあるのでご安心を。どんな人でも気軽に楽しめます。本棚のラインナップにもさりげないセンスが光っています。もちろん自分で持ってきた本を読んでもOKです。 ちなみにお店の名前「ラ・ベル・オルタンス」は、ジャック・ルーボーの同名小説「麗しのオルタンス」からきています。
 
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運ばれてきたワインを飲みながらつかの間の本たちとゆっくりと過ごすひと時は、パリで過ごす秋の夜長に最適です。
 
La Belle Hortense
住所:31 rue Vieille du Tempre, 4e Paris
最寄メトロ:サン・ポール(St-Paul)




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ジャルダンドゥパリの最後の書店を訪問  2018年11月30日午後12時34分

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ジャルダンアンアート(DR)の正面

ジャルダンアンアートは現在、庭園の芸術に特化した唯一のパリの書店です。実際、ラメゾンラスティークは数年前に閉店し、2017年1月にチュイルリー庭園の書店が閉鎖されました。JérômeMarcadéによって作成された  Jardins en Artは、パリで最も古い地区の1つの中心部にあり、芸術や文字で多くの素晴らしい名前が見られる建物にあります。

余韻がいいところです。ジャルダンアンアートブックショップギャラリー(1)は、パリの左岸、オデオン地区の19番通り、ラシーン通りにあります。ドアを押すだけで、本や芸術作品でできているが、緑に囲まれた居心地の良い雰囲気に身を置くことができます。ファンは、植物に関する文学、フランスや世界で最も美しい庭園でのアルバム、街でのガーデニングに関する本を購入します。また、「需要はそこにある」ので、専門出版社ウルマーとのパートナーシップの一部としていくつかの実用的な本。古い本やコレクター向けの本もいくつかあります。

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(DR)

500件の参照のみではなく、最近の出版物であるGherardo CiboによるL'Herbierのような美しい作品が、庭師のStéphaneMarieと植物学者Marc Jeansonによって上演され、コメントされているため、このオファーは完全なものではありません。 (2)これは美しいクリスマスプレゼントになるだけでなく、書店の創設者であるジェロームマルカデが書いた本「インスピレーションの場所-ノルマンディーの作家の家と庭(3)」にもなります。それはノーマン作家の記憶の魂に捧げられる非常に美しい本です。そして、美しい写真で示されます。

しばらく前に出版されたものの、乾燥の賞賛など、地球温暖化のこれらの時代に非常に話題になった作品もあります。別の庭園は、 ArnaudMaurièresとEric Ossartによって可能です(4)。

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Jan Dilenschneider。絵画(DR)

この場所はただの書店ではありません。もちろん、庭の世界にインスピレーションを得た、またはリンクされたアーティストの展示に特化したギャラリーでもあります。たとえば、アメリカ人のヤンディレンシュナイダーの絵画、ジャンマリードパスのブロンズ、鉄工の作品などです。ジェローム・キランと他の多く。

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ジェロームマルカデ(ジャンバプティストルルー)

JérômeMarcadéは2014年にこの書店ギャラリーをオープンしました。それまでは防衛問題を専門としており、彼は公共コミュニケーションのキャリアを持っていました。なぜこの地平線の根本的な変化なのか?「50代の危機」と彼は冗談めかして言った。長い家系の召命に忠実ですか?庭園に情熱を抱く母親と父親から受け継がれた情熱を調和させ、具体化しようとする、情報に通じた書誌学者-彼の図書館には約10,000の作品がありました-アートコレクターですか?間違いなく少しだけです。

「ここはいつも書店でした」とジェロームマルカデは説明します。理解するには、19世紀の初めに戻る必要があります。当時、パリのオデオンのアーケードには、セーヌ川の岸壁や書店、出版社、印刷業者などで見られるような古本屋がありました。その中には、すぐに結婚に結びついて事業に参加した2人の家族、BechetsとDuriezがあり、特に作家に代わってVictor Hugoの著作権協会を管理し、2つの家を設立したことで知られています。エディション、1つの文学と他の科学。

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中庭の端にある華やかな門。22、ruムッシュドプランス(DR)への入り口です。

最初の建物を売却した後、この家族は19番通りに​​ラシーヌ通りに建物を建設し、続いて中庭に続いて、作業グリッドから22番通りにルムシーユルプリンスに向かいました。当初、そこにテナントだったフラマリオンの1階には、ファインブックとガーデンブックの部門がありました。正確には、ジェロームマルカデの本屋があります。フラマリオンが動いたとき、特にアン・ガヴァルダの成功した出版社となったル・ディランタンテが彼に取って代わった。オデオン広場に落ち着くために彼が去ったとき、家族の建物にいつも住んでいたジェロームマルカデは、彼の書店-ギャラリープロジェクトを実行することができました。

ジェロームマルカデが時折芸術作品を展示する美しい舗装された中庭では、中二階に4つの大きなアーティストのワークショップ、最上階、彫刻家のワークショップ、そしてその上の寝室を見ることができます。傾斜した天井。ギュスターヴ・ドレ、アントニオ・デ・ラ・ガンダラ、ジェームズ・ウィスラー、イヴ・ブレイヤーがそこで働いた。若いドイスノーはそこで写真のレッスンを受けに来ました。ランボーは屋根裏部屋に留まり、そこでギデは彼の後を継いだ。Prévertや他の多くの人が、何らかの理由でこのサイトを頻繁に訪れました。

芸術的で文学的なパリのセクション全体がこれらの壁の間を行進していることに気づくと、あなたはとても感動します。本をめくって、絵画や彫刻を見て、中庭に行って、アーティストのスタジオの広大な窓をちらりと見て、立ち止まり、瞑想します。そして、私たちは座って、この並外れた場所の精神を吸収するために時間をかけたいと思っています。

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ゲートの前のジェロームマルカデ、22番通り、ルムッシュールルプリンス(マチューサルヴァン)

(1)アートの庭園。19、rue Racine(VIe)。電話番号:01 56 81 01 23.日曜を除く毎日、午前10時30分から午後1時、および午後2時から午後7時30分

(2)Editions duChêne、39.90ユーロ

(3)  エディションデファレーズ。€29。

(4)エディションプルーム・ド・キャロット。€29。





Norli Literature Houseは、ノルウェーのユニークな書店です。
書店には、大小の読者向けのフィクションの幅広いセレクションと、歴史、社会、討論、歌詞、哲学の優れたセレクションがあります。ここでは、他では見つけられない文学的な宝石や、議論を巻き起こし、刺激する本を見つけることができます。Literature HouseのNorliは、エキサイティングな文学の宝探しの場所です!

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Webサイト(https://www.mendo.nl/)もかなりオシャレですが、店内のインテリアも黒で統一されていてとても格好いいです。

店内に何ヵ所か椅子が設置されていて、座って本を確認することが出来ます。

写真集やアートブックは大きくて重い事が多いので、座って読めるのはかなり快適でした。まさに、本好きの気持ちが分かっています。

サイトにも記事があるように、スタッフの方がオススメの本をセレクトして特集を組んでくれています。どんな本が選ばれているかを見るだけでも勉強になります。

また、MADE BY MENDOというレーベル名で自分たちで出版もしているようです。センスのある本屋さんの出版レーベルなだけあって、装幀がとても素敵な本ばかりでした。アムステルダムの歴史や街に関連した内容の本も多かったです。

さらに、店内で什器として使用されている真っ黒い本の形のブックスタンドやオリジナルの香水などもプロデュースして販売していて本当に多才です。

私が訪問した際にも、このお店をめがけて来たと思われる旅行客が、両手いっぱいに本を買って帰っていきました。

オーナーの方もとても親切に本の事を教えてくれます。

アートブックや写真集に興味がある人には、アムステルダムで是非行って欲しい書店です!

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こちらは、本屋、雑貨屋、CDショップ、カフェが融合したような空間、TRANQUEBAR(トランクェバー)。

店内には、世界中の本(デンマーク語や英語に翻訳されたもの)やCDや雑貨が展示・販売されています。写真はカフェの注文カウンター。まるいカウンターの棚には、本、ランプ、お茶の葉っぱ、チョコレート、ドリンクなどが置かれています。

素敵なのは、そのセンス。かっこよくて刺激的、そして面白い本がたくさん並んでいます。本棚は、建築、写真...などなどテーマ別になっているとともに、アフリカ、南アメリカ...のように、世界の地域別にもなっています。そして、アジアのところに、日本のコーナーもあります)!置いてある本はというと、村上春樹が多々。デンマーク語に訳されているんですね~。

また、面白いのは、販売・展示されているさまざまな雑貨たち。なぜ、こんなものがここに!?という驚きを与えてくれるので、目に面白く、冒険心を刺激してくれます。
パリいち美しいと言われるパッサージュ、ギャルリー・ヴィヴィエンヌ内にある、パリいち乙女な古書店。しおりにもなるショップカードは紙もの好きはぜひ手に入れたい。人気の写真集「世界の夢の本屋さん」にもピックアップされている。


メインライブラリラウンジ
メインラウンジ

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1875年に正式に設立されたLibreria Antiquaria Gonnelliは、イタリアで最も古く、最も歴史のある古書店の1つであり、同じ家族に属し、ドゥオーモの隣にある本部をリカソーリ経由で変更したことがないという利点があります。

しかし、初期の1863などとして、創業者ルイジGonnelliはアカデミアデッラCruscaで冊子を配布していた:「女性の秘密物事の書籍/ Cruscaの語彙に添付言語の良い世紀の書き込み」、フィレンツェ、Tip.del Vocabolario、1863、中表紙には次のように書かれています。「これと、以下のクルスカのパンフレット、Ab教授発行。ジュゼッペマヌッツィ、リブラホルイジゴンネッリ、リカソーリN°6経由で販売可、フィレンツェ ":好奇心旺盛な小さな"リベロ "は1863年以来の図書館の活動を証明しています。

すでに20世紀の初めには、貴重な版やインキュナブラが「店」にあり、敷地内にはガブリエレダヌンツィオ、ジョヴァンニパピーニ、フェルディナンドマルティーニ、ベネデットクローチェ、ジュゼッペプレッツォーリニの当時の監督の文化の人々が頻繁に訪れました。 La Voce」:Luigi PasseriniやTammaro de Marinisなどの著名な書誌学者の名前に加わる有名な名前。

個人やコレクターに加えて、重要な書誌研究所はこの図書館の顧客を表しています。歴史的な部屋や有名なサレッタゴンネッリの美しさにも魅力と魅惑の場所です。16世紀の砂岩に門、柱、窓がある古代の屋根付きの中庭です。展示会やイベントに使用されます。

私たちのエディション


古くて珍しい本、原稿、版画、図画の販売に関連する活動に加えて、ゴンネリ書店は19世紀の終わりから独自の出版活動を開始し、芸術、文化、書誌学の世界に関する出版物を時折出版し、自慢しました。彼の最初の版の中で、1892年にAngiolo De Gubernatisによって編集された「画家の辞書」または1927年のヒューセシルブルックスによる有名な「Bodonian版の大規模な参考文献」。

アルドゴンネッリの義理の息子であるアルフィエロマネッティのイニシアチブのおかげで、書店は約40年間、2つの権威ある編集コレクション「トスカーナ文化の未発表文書」と「パピロロジカフロレンティーナ」を発行してきました。  、さまざまな国籍の専門家の科学者の科学的研究の結果。これらのネックレスには、歴史的、ドキュメンタリー、芸術的な観点から興味深い作品のさらなる出版物が添えられており、その中で「Quaderni Gonnelli」が強調表示されています。SalettaGonnelliで開催されたアートおよびグラフィック展の際に発行されたカタログと最近のシリーズ「書簡。」 

展覧会

図書館の別の部屋
図書館の別の部屋

ジョヴァンニファットーリと他の「マッキアイオーリ」の画家による絵画は、特にアルドゴンネリが商人のコレクターマリオガッリとリボルネースの画家であり、アートライターのマリオの友人だった年に、図書館に隣接するサレッタゴンネリで販売されました。ボルジオッティ。

サレッタでは、ジョルジオデキリコ、プリモコンティ、オットーネロザイなど、20世紀の巨匠として多くの世代が歴史に名を馳せてきたさまざまな世代のアーティストの絵画展も開催されました。

オークション

1880年、ルイージゴンネリは12日間連続でブックオークションを開催し、書店と並行して、収集品を手頃な価格で購入する機会だけでなく、公売を委託する活動も開始しました。オークションにて。

1960年代後半まで、本、原稿、絵画、彫刻、図面の多数の重要なオークションがサレッタゴンネッリで行われました。

ほぼ50年の長い沈黙の後、2009年にはに登録されたこの歴史的な活動GonnelliカサD'ASTEのブランドは、大きな成功を収めて「再活性化」されたお客様に、収集情熱と投資の組み合わせの下の世界へのさらなるアクセスを提供します透明で100年以上のプロ意識の庇護。

AMOR LIBRORUM

今、その第四の家族の世代では、書店やオークションハウスの両方がでアシストマルコ・マネッティ(AlfieroマネッティとMariapia Gonnelliの息子)によって管理されているスタッフが熟練した専門家の協力者の。

 ほぼ150年後、Gonnelliは歴史的な活動の伝統を維持し、育成することに成功しました。これにより、私たちを世界に結びつける書誌学者への貢献を提供します:「amor librorum nos unit」。

http://www.gonnelli.it

ここまでたどり着きましたか?長々とお付き合いありがとうございます。
おそらく、途中でわき道にそれたことでしょう。それで結構です。

この本で感じたことですが、世界中に本好きは数多いるということが感じられとても嬉しい気分です。情報はネットで取れますが、本は本であって、読書は本に限ると思います。

レコードはCDに取って代わられ、CDはデジタルダウンロード化されたように、紙ベースの本がデジタルブックにとって代わとは思えない。確かに一定数はキンドルや
デジタルブックにとってかわるかもしれませんが、この世に本好きがいる限り無理だと思う。

そして、「この美しい本屋さん」に紹介されたような本屋さんがある限り、本文化は廃れないのではないか。




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現在、妻のトリセツがベストセラーになっている黒川伊保子先生の2018年1月に出版された本である。

黒川伊保子先生の話は、脳科学というよりは、良い意味で、よく当たる人気占い師の人生相談のような読みやすさも手伝って、とにかく面白い。

奈良女子大学理学部物理学科卒業後富士通でAI(人工知能)の研究開発を通じて脳とことばの研究を始める。やがて、脳機能論の立場から、語感の正体が「ことばの発音の身体感覚」であることを発見。AI分析の手法を用いて、世界初の語感分析法である『サブリミナル・インプレッション導出法』を開発し、マーケティングの世界に新境地を開拓した、感性分析の第一人者である。

音義説 ひらがなに意味があるという 2019年5月2日

先日音義説の記事を書いたのだが、これは黒川伊保子さんの説と近いのではないかと思い、以前にJ-Waveで黒川さんが出演していた時に聞いたお話が載っていた「成熟脳 副題:脳の本番は56歳から始まる」を紹介したい。ちなみに私現在56歳、黒川説によれば、56歳はモノの本質を知る脳だという
p143
五十代、本質を知る脳

 さて、五十代。
 脳が、十分に「失敗しにくく、成功しやすい」状態になってくる。

 失敗のときと同じように、成功して嬉しい思いをしたときも、脳は、その晩眠っている間に書き換わる。閾値(しきいち)が下がって、成功回路に信号が行きやすくなるのだ。優先順位が上がるのである。

 複数種の成功に共通に使われる回路があれば、その回路は何度も閾値を上げることになり、優先順位がいっそう高くなる。

 そして、あらゆる成功に使われる、共通の回路。最高水準の優先順位を誇るそれこそが、成功の秘訣、「本質」の回路である。五十六歳近くなると、その回路が目立ち始める。

 三十代の惑い (失敗事例の蓄積)と、四十代のいら立ち(成功事例が増えてくるものの、周りの理解が足りない)を乗り越え、脳は五十代に本質を知る。
 孔子の言う「天命を知る」は、この事象を言い当てているのである。
現在私は56歳、黒川さんの言うように、ものの本質が直ぐに理解できているような気持ちとなっている。これは、私一人の思い上がりではなく、孔子も同じ気持ちであったのかと思うと案外笑える話である。同年代の人間は皆そう思っていているのは、脳の構造上の問題であると説明されると納得してしまった。

半世紀も生きれば、いろいろな経験をして、数多くの失敗や反省もした、消し去りたい黒歴史の数々・・・・最近の物忘れはアルツの前兆かと思いきや、「天命を知った」わけか。

p98
本当のピーク

 しかし、ヒトの脳を装置として見立てていくうちに、面白いことがわかった。

 人生最初の二十八年間、脳は、いちじるしい入力装置なのである。

 入力装置としてのピークは、たしかに二十八歳まで。ヒトの脳を、「新しいことをすらすら覚えられる」ことをもって頭がいいと言うのなら、ここをもってピークとし、後は老化と呼ぶのもわからないでもない。

しかし、この世にたった一つの脳をもって、私たちは生まれてくる。遺伝子の組み合わせの妙と体験とによってかたちづくられる脳という装置は、この宇宙時空で、過去にも未来にも、たった一つの装置なのである。

 その装置の目的が、「世間を知り、一般モデルを踏襲した優等生になる」ことにあるとは到底思えない。その脳にしか見えないもの、その脳にしか出せないことば、それを見つけてこその 「この世で唯一の装置」なのではないだろうか。

 つまり、出力の質のほうが、人間の脳の真髄と見るべきでは?

 実は、この出力性能、私たちが考えていた以上に、ずっとずっと後に、ピークがやってくるのである。
 後に述べるが、人生の賞味期限は、驚くほど長い。
最近新しいことが、なかなか覚えられないのはそういうことか・・・
学問や、新たな分野への挑戦は28歳までということか・・・・
大学時代から28歳までは女性の穴を追い掛け回してばかりいた過去に反省してもいまさら遅い。
まてよ・・・28までに経験した私の失恋の山は、恋する男子諸君に還元できるかもしれないなぁ~
おかげさまで、28歳で家内と結婚した後も、28歳までに経験した失恋の数々は、内緒ながら私の人生に非常に役立っております。しーっ秘密秘密


p99
  人生最初の二十八年

 入力装置として生きる最初の二十八年のうち、前半の十二年間は子ども脳型、二年の移行期を挟んで後半の十四年間はおとな脳型となる。

 十二歳までの子ども脳は、感性記憶力が最大限に働く。感性記憶とは、文脈記憶(行動やことばの記憶) に、匂いや触感、音などの感性情報が豊かに結びついている記憶のこと。

 つまり、子どもたちの脳は、ことの成り行き以外に、五官が受け取った感性情報も丸ごと記憶していくのである。十二歳までの記憶は、ときに、匂いや味を連れてくることがある。小学校のとき、友達のお父さんの車でプールに連れて行ってもらった記憶を想起したとき、その車の匂いや、そのとき口の中に入っていたキャンディの昧を鮮やかに思い出す、などのように。

 ものごとを、ありのままに、あまねく受けとめる。それが、子どもたちの脳の素晴らしさだ。素直さ、と言い換えてもいい。

 教師だった私の父は、「素直な子だけが、伸びる。勉強も運動も」とよく言っていたけれど、素直だということは、きめ細やかな入力が可能な脳の持ち主だということに他ならない。子どもたちは、自らが生まれてきた時空のありようを知るために、あらゆる情報を脳に叩き込んでいくのである。

 繊維にして大胆。素晴らしい記憶力だが、これには欠点がある。一つ一つの容量が大きすぎて、人生すべての記憶をこの形式で脳にしまうのは不可能だということ。さらに、大きな塊なので、検索に時間がかかり、とっさの判断には使いにくいということ。

 このため十二歳から十三歳の間に、脳の記憶方式は、もっと要領のいい形式へと進化するのである。何かを体験したとき、過去の記憶の中から類似記憶を引きだしてきて、その差分だけを記憶するような形式である。これだと収納効率が圧倒的にいいので、「新しい事象」をどんどん覚えられる。

 さらに、過去の類似記憶との関連性をタグ付けして記憶していくので、関連記憶を引きだすのに長けている。この形式の脳だと、「人生初めての体験」に遭遇しても、過去の類似体験を使って、すばやく対応することができる。
知り合いの女性に、「私の頭脳のピークは12歳」だと公言する方がいます。
当時河合塾の全国模試で10番台に入ったこともあったとのことで、御三家の一画である某女子中学~高校に進学された才女である。

現在、フリーランスで翻訳や同時通訳の仕事をされているのだが、しょっちゅうスマホを置き忘れたり、遅刻したりで、日頃はドジなオバサンでとても全国10番台の頭脳の持ち主には見えませんが、確かに12歳の頃はそうだったのでしょうね。(笑)

ちなみに息子さんは慶應の医学部で、娘さんは慶應女子に通われています。お子さん達の頭脳のピークは12歳ではなさそうです。

p101
  おとな脳は、思い込み脳

 別の見方をすれば、おとな脳は、思い込みの強い脳なのである。

 繊細な事象を、「あ~これは、あれね、あれよ」と、過去の自分の体験になぞらえて、ざっくりと把握していく。

 親戚のおばさんに、「あ~、あんたは、あれよね」と決めつけられて、内心怒りに震えた経験はないだろうか。古い時代に、規範通りに生きた脳で、新しい感性をばこっと切り取られると、本当にびっくりしてしまう この手の親戚のおばさんは、説得なんてできやしない。おおざっぱな〝型枠″で、世の中を切り取っているので、こちらの繊細な心情をいくら言い募っても、型枠からはみ出した部分を脳が認知しないのだ。かくして、いくらことばを尽くしても、せんべいをかじる音にかき消されるのが関の山。それが世界中の〝親戚のおばさん″の正体である。

 しかしまあ、おとな脳というのは、多かれ少なかれ、そんなところがあるのだ。

 優秀なビジネスパーソンは、エリートの型枠で世の中を見る。ナチュラリストは、「植物系でからだにいい」型枠で世の中を見る。男女のミゾは、「男性脳の型枠」と「女性脳の型枠」 の違いで生まれるもの。
                                          
 さまざまな型枠を持ち、それらをチャネルを切り替えるように使える、汎用性のある脳の持ち主が、「頭が柔らかい人」「センスのいい人」といわれるのだが、この汎用性は、失敗が作りだすのである。脳が失敗を認めてフィードバックすることで異なる型枠を使ったり、切り替えのポイントを知ったりする。失敗が多い人生は、お得な人生なのである。
一つの型枠にはまるのは、危険だということでしょう。イスラムの原理主義者とか、宗教の戒律は典型的な型枠のような気がします。

血液型で人を型枠にはめるのは愚かにしか見えないが、親戚のおばさんの、「あ~、あんたは、あれよね」に黒川さんが昔怒りを覚えたのは、もしかしたら図星を言い当てたからではなかろうか?血は争えないことはよくあることだ。

だいたい、この「成熟脳」も黒川さんの型枠で「あ~これは、あれね、あれよ」とバッサリ切り刻んでいるからこそ面白いのであるが・・・ご本人は気がついているのであろうか?


p103
  思春期は、脳の調整期間

 さて、世の中を感じ尽くす子ども脳から、思い込みで世の中を切りだすおとな脳へ。

その進化直後の十三歳の脳は、人生で最も不安定で脆弱、誤作動しやすい。なぜなら、思い込もうにも、「思い込み」の型枠がまだ確定していないからだ。すなわち、「過去の記憶に照らしてものごとを判断したり、新記憶を生成したりする方式」に変わったのに、とっさに参照される過去の記憶が僅少、という事態なのである。

 思春期と呼ばれる十三歳から十五歳までの二年間は、新しい脳型に慣れるための調整期間にあたる。脳は眠っている間に書き換えられるから、調整期の子どもたちは、睡眠を必要としている。中学生なんて、放っておけば十五時間も寝ているけれど、あれは、子ども脳期の感性記憶を、おとな脳型に変換している可能性が高い。子ども時代の体験が豊かなほど、その時間は長くなるはずで、そう考えると、宿題もやらずにだらしなく眠っている中学生たちも、ちょっと愛おしくならないだろうか。

 それと、この時期の子は、「自分の気持ち」を尋ねられても、うまく答えられない「学校は、どう?」と尋ねても「別に」と答え、「お弁当は美味しい?」と聞いても「普通」と答えるのは、別に反抗しているからじやない。脳に、特段、答え浮かばないのである。
 これを、反抗期と呼ぶのは、ちょっと不当な気がする。たしかに、この時期分泌量を増やす生殖ホルモンのおかげで、かなり尖った感じには見えるけど。
なぜ、エバンゲリオンのパイロットは皆14歳なのかと、なぜ思春期なのか?ある意味でアニメ新世紀エバンゲリオンは「自我/アイデンティティの確立」の物語のような気がします。
主人公碇シンジは、自分にはなにも出来ない。弱虫でいたい。しかし、周りから過度な期待をされる。応えたい。でも応えられない。

アスカは、自分は何でもできると思っている。しかし、そうではない、というギャップ。

この差を受け入れ、差を埋めた先にある「私はこういう人間なんだ」というような定義をみつけ、自分を確立すること。それがアイデンティティの確立なのです。

その思考過程を経て、私達は、自分が何者なのかを知り、自分を確立し、他人と関わり生きていけるのである。

p104
  ヒトは、十四歳の心で生きていく

 こうして、激動の進化期を越えたのち、十四歳、おとな脳が完成する。

 十四歳は、特別な年齢である。おとなの感性が整った年。つまり、以後の長い人生を、私たちは十四歳の感性で生きていくことになる。

 佐々木美夏さんという方が 『14歳』 という本を出している。ミュージシャンたちの「十四歳」をインタビューした記事をまとめた本だが、多くの読者の共感を得ており、「十四歳」というのがいかなる年齢かを知らせてくれる。この著者は、「その人の十四歳を知ると、その人が見えてくる」とおっしゃっているそうだが、さもありなん。ヒトは、十四歳の 「生まれたての感性」 で見たあらゆることを鮮明に脳に刻印するし、それが後の創造力の源になっている人もたくさんいるに違いない。

 自分を見失ったら、十四歳のときに夢中だつたものに触れてみるといいかもしれない。
 私が十四歳を過ごしたのは一九七四年。クイーンがブレイクした年で、今でも「キラー・クイーン」を聞くと「あの場所」につれていかれて、わくわくする。一九七〇年代はロックシーンがさく裂した時代で、ロックが連れてくるクールな昂揚感は、私の中からどうにも排除できない。

一九九一年生まれの息子は、私が導いたわけじゃないが、十代にラモーンズに夢中になり、ピンク・フロイドやセックス・ピストルズや甲本ヒロトを聴いておとなになった。私は、自分の十代を、息子のオーディオでもう一度蘇らせることになった。

 ハハはいいな~、と、彼は言う(彼は私をハハと呼ぶ)。自分も一九六〇年までに生まれて、五〇年代の音楽シーンの残り香を喚ぎ、ビートルズを横目に見て育ち、一九七〇年代のロックの風を生で感じたかった、と。

 あなたは、十四歳の目で何を見、十四歳の耳で何を聴いていたのだろうか。
実は、何を隠そう私もQueenの大ファンである。

フレディ・マーキュリー没後25年に思う 2016年11月24日

私が14歳の時は1977年。Queenは6枚目のアルバム
We Will Rock YouとWe Are the Championsが入ったNews of the Worldの出た年であったが、他のアーティストはイーグルス 「ホテル・カリフォルニアザ・クラッシュ 「白い暴動」スティーリー・ダン 彩(エイジャ)フリートウッド・マック クラフトワーク ヨーロッパ特急10cc 愛ゆえにデヴィッド・ボウイ ロウ』 『英雄夢語り (ヒーローズ)ウェザー・リポート ヘヴィ・ウェザーヴァンゲリス 螺旋エレクトリック・ライト・オーケストラ アウト・オブ・ザ・ブルービリー・ジョエル ストレンジャーボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ エクソダスストラングラーズ 『ノー・モア・ヒーローズ』10cc 愛ゆえにアース・ウィンド・アンド・ファイアー 太陽神』・・・・・・
ロック史に輝く超名盤だらけと思うのは14歳だったからだろうか?

p105
三つ子の魂、も真実である

さて、十四歳が一生の感性の基盤、というと、「でも、」三つ子の百までって言うでしょう? あれは違うの?」という疑問がわくのではないかしら。

 あれもまた、真実である。端的に言うと、ヒトは三歳で人になり、十四歳でおとなになるつてことだ。

 ヒトの脳は、生まれてきたその瞬間、一生で最も多い数の脳細胞を持っている。その脳細胞を三歳までに劇的に減らすのである。どのような環境にも適合できるように、全方位の感性を持って生まれ、生まれてきた環境に必要な脳細胞だけを残して、思考の比旅に出るのだ。


 そのことは、言語獲得のプロセスによく現れている。

 二歳までの幼児は、目の前で発音してやれば、世界中のあらゆる母音を発音することができる。イギリス人が英語を発音してやれば、イギリス人のように。フランス人がフランス語を発音してやれば、フランス人のように。これは、人の表情筋を鏡のように映し取る能力に長けているからで、大人のように「耳で聞いて再現する」 のではなく、「筋肉の動きを複写する」からだ。

 しかし、あらゆる母音を認知する脳は、とっさの音声認識が不得手である。私が「クロカワ」と名乗ったとき、これが四拍のことばだとわかるためには、音声波形をaiue0の母音で潔く刻む必要がある。十種類以上の母音を認知する脳だと、「くうるおうかぅわあ」のように聞こえるために、とっさの音声認識ができないのだ。仮に、このかたまりで私の名を認知できたとしても、ブロック分けできないので、タロカワとシラカワの共通点には気づけないし、文字が理解できない。つまり、「思考」が始まらないということだ。

 人の脳は、とっさに使う母音種をせめて七種類くらいまでに絞らないと、思考の旅が始められない。このことは、おそらく言語獲得に限らず、あらゆることに言えるはずだ。つまり、三歳までの脳がすることは、「合理的思考を可能にするために、不要な感性を捨てる」仕事である。

 この時期の脳にしてやるべきは、生まれてきた環境をしっかりと知らせること。人としての一生の感性の基盤となる母語(人生最初に獲得する言語)でしっかりと話しかけ、折々の季節を感じさせ、旬の食べ物を味わわせる。この時期の脳には、「余分なものを与える」教育はナンセンス、と私は思う。しかも、まがいものは意味がない。
小学校で英語教育なんてナンセンス!人間のの教養や思考を高めるには母国語でしっかり考えることができるようになることです。

フィンランドでは赤ちゃんを寒風に晒し、極寒の湖に寒中入浴させるのだという。
そうではないと、その過酷な環境でいきていけないのだという。

そのかわり、日本のような夏高温多湿には弱いのだという。
三つ子の魂百までというのは正しく、3歳までに生きていく土地の環境に順応するよう脳や体がプログラミングされるのだという。

p111
 がむしゃらな脳

十四歳までに感性が整った脳は、その後、二十八歳までの十四年間に、単純記憶力を最大限に使う。

 単純記憶力は、多くの記憶を長くキープしておける能力で、その脳の機能だけ見ればたしかにク単純〃なのだが、実はそう単純でむない。記憶を長くキープしている間に、脳は、ばらばらの事象から共通項を切りだしたりして、知恵やセンスを創生できる。このため、この時期の暗記は、単なる暗記に留まらない。その陰で、センスを作りだしていくからだ。たとえば、英単語を二千語覚える間に、英語の音韻センスを身に付けることができる。千本ノックが、打撃センスを伸ばす。

 つまり、がむしやらな繰り返しで高度なセンスが作れる時期で、勉強の好機でもあり、スポーツの能力を高めるチャンスでもあり、仕事の・コツを身に付ける好機でもある。

十五歳から二十八歳までの脳は、四の五の言わずに、目の前に置かれた課題をがむしゃらにこなすことだ。単純な作業に見えても、結果、脳に搭載されるセンスは崇高。それが、この年代の特徴だから。
ああ、28歳までにがむしゃらに、勉強しておけばよかった・・・女性にモテタイ一身で、無駄な努力ばかりしてしまった。でも、往々にしてロックミュージシャンなどは、もてたい一心でギターを始めたという話は、ほとんどのミュージシャンが音楽を始めたきっかけだと言う。

私の場合は、ロックミュージシャンにはならなかったが、身についたのは、「面白い話術かなぁ?」ブログでの人格は比較的硬派なイメージをされているようですが、相手を飽きさせず、相手が気持ちよくなる話術には自信があります。皆さんお世辞かも知れませんが、そう言っていただく方が多いようです。ブログでの上から目線の人格はその反動なのかもしれません。でも、お世辞を言っていただくのは
ただし、ご婦人のかたがたばかりかも(笑)




 執筆中
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今年、沢山本を読んだが、なかなか書評を書きたいと思う本に出会えなかった。
だが、「戦争にチャンスを与えよ」エドワード・ルトワックは前作のチャイナ4.0同様皆様にもお勧めしたい、今、是非とも読むべき本であると思う。

全部紹介したいところだが、今回は北朝鮮問題を中心に紹介したい。


 日本の読者へ  
日本の新たな独立状態と平和

 日本は、世界の中でも独特な場所に位置している。世界の二つの大国と、奇妙な朝鮮半島の隣にあるからだ。これは、イギリスとフランスという、近くに規模も大小さまざまで、敵にも味方にもなる隣国を持つ、二つの密接な関係を待った国同士とは大きく異なる状況に置かれていることを意味している。

 英仏を始めとするヨーロとハ諸国とは対照的に、日本は、歴史的にはごく最近まで、敵国も同盟国も持たずに発展してきた。日本を守ったり脅したりするような「大国」は存在せず、〔「大国」とは言えない〕中国が、重苦しい存在感を示していただけだったのだ。

 こうした日本の際立った歴史的な戦略的孤立状態は、一八五四年の二度目のペリー来航と「日米和親条約」によって、突然破られたわけだが、この戦略的孤立状態が本当に終わったのは、一九四五年のことであった。

 その後の日本は、敗北、破壊、占領から立ち上かって、まったく新しい状況に直面した。

経済的恩恵と低コストでの安全保障を同時に与えてくれる、超大国の。つを同盟国としかからである。

 当初、これは、もっぱらアメリカからの働きかけによるものであったが、一九五〇年六月に北朝鮮が韓国への攻撃を開始してからは、日本政府も、同盟国として積極的に活動し始め、非常におとなしい形ではあるが、自国の独立を次第に主張し始めたのである。

 ところがこの状態も、岸信介が一九五七年二月から一九六〇年七月まで首相を務めることによって終わりを告げた。日本が「自らの独立的選択」によってアメリカの忠実な同盟国となったことを岸首相が完全に明確化したからだ。

 このことの意味は、数年後に明らかになる。アメリカがベトナムにおいて大規模な軍事介入を開始した時のことだ。韓国は、数年間にわたって数十万人もの戦闘部隊をベトナムに派兵したが、日本政府はまったく派兵しなかった。これは憲法の制約によるものではない。「自らの独立的選択」にこそ、その理由があった。

 岸首相のパターツ〔独立的選択〕から動き出し、アメリカの忠実な同盟国でありながら「責任を担うパートナー」となりつつある現在の日本の首相が、岸首相の‘孫の安倍晋三であるのは、単なる偶然の一致かもしれないが、それでも象徴的だ。

 この動きは、すでに領土を新たに獲得しただけでなく、さらに拡張しようとしている拡張主義の中国が急速に台頭してきた状況や、朝鮮半島の特異な状況のさらなる悪化に対する、唯一実行可能で現実的な反応である。

 日本にとってほぼ利益のない朝鮮半島において、北朝鮮が、暴力的な独裁制でありながら、使用可能な核兵力まで獲得しつつある一方で、韓国は、約五〇〇〇万の人目規模で世界第一一位の経済規模を誇りながら、小国としての務めさえ果たしていない。

 国家の「権力」というのは、結局のところ、集団としての結束力を掛け算したものであるが、韓国はこれを欠いている。アメリカが長年にわたって軍の指揮権の譲渡を提案しているのに、韓国が継続的に拒否しているのも、その証しだ。

 それとは対照的に、日本は、新たな独立状態を獲得しつつある。これは、日米の対露政策の違いからも、新たな責務を担おうとする日本の現政権の姿勢からも明らかだ。要するに、日本政府は、国民に露骨に物理的脅威を及ぼしている北朝鮮の問題に本気で取り組もうとしているのであり、それと同時に、アメリカと共に中国に対して、「国際的な海空救難所にする」といった口実で、南シナ海のような場所で不法に埋め立てた人工島を根拠に領有権を主張しないように説得するための、準備を始めているのである。

 もしこの人工島が軍事基地として存続すれば、ペルシャ湾や欧州に至る日本のシーレーンにとって脅威になるし、ベトナムにとっては直接的な脅威になる。ベトナムは、日米にとって非公式だが強力な同盟国となりうるし、フィリピン、インドネシア、マレーシア連邦なども、潜在的な同盟国である。

 このような同盟関係を築いても、戦争勃発の危険を高めることにはならない。そうしなければ、むしろ戦争勃発の可能性が高まる。「効果的な抑止」以外の選択肢というのは、「暖かな平和」ではない。云れは、「慢性的な不安定」であり、あるいは「戦争」かもしれないのだ。

 もちろん日本は、手厚い児童手当によって人口問題に対処すると同時に、予測不能な自然災害にも対処しなければならない。こうした問題を別にすれば、日本の国民は、平和を愛する人々であり、寛大な対外援助も行っており、外国の脅威に不安を覚えながら生きるのではなく、安心して平和に過ごすだけの資格が十分にあるのだ。

   二〇一七年三月一四日 メリ-ランド州チェビー・チェイスにて
                             エドワード・ルトワック

まずルトワック氏のことを知らない方に、著者について
エドワード・ルトワック
Edward Nicolae Luttwak

ワシントンにある大手シンクタンク、米戦略国際問題研究所(CSIS)の上級顧問。戦略家、歴史家、経済学者、国防アドバイザー。 1942年、ルーマニアのトランシルヴァニア地方のアラド生まれ。イタリアやイギリス(英軍)で教育を受け、ロンドン大学(LSE)で経済学で学位を取った後、アメリカのジョンズ・ホプキンス大学で1975年に博士号を取得。同年国防省長官府に任用される。専門は軍事史、軍事戦略研究、安全保障論。国防省の官僚や軍のアドバイザー、ホワイトハウスの国家安全保障会議のメンバーも歴任。著書に『中国4.0』『自滅する中国-なぜ世界帝国になれないのか』『クーデター入門一その攻防の技術』ほか多数。
本書の著者紹介だけでは紹介しきれていない。

単なる研究所の研究員ではなく、実際に戦争コンサルタントとして現場を経験している。彼の革新的な政策のアイデアは戦略戦術として採用されており、湾岸戦争でも彼の意見は採用されたと言う。

彼の著書クーデター:実践ハンドブックでは、大国が地域戦争を鎮圧しようとすると、実際には紛争がより長期化することなど、イラク戦争でも実証され、18カ国後に翻訳され、戦略』(Strategy: The Logic of War and Peace)、世界各国の戦争大学の教科書として使用されています

ルトワックによれば戦争においてはしばしば逆説(Paradox)が働いていると考えられる。例を挙げれば、目標地点に向かう接近経路の選定の問題において一般的には最短距離の道路が選択されるものであるが、戦争においては敵情に応じては迂回することになる悪路を選択すべき状況が考えられる。なぜならば敵の行動を考えれば前者の方が敵の警戒や防備が十分である可能性がある一方で、後者の方を選択すれば奇襲する可能性があるためである。このような逆説は戦争の本性として認められるものであり、平和維持活動に対しても適用できる。ルトワックは改訂版の本書で紛争の休戦を助けるよりも、むしろ両勢力のどちらかが完全に打倒されることで最終的な平和が確立されるものであると主張を展開している。

本書P63に安倍晋三首相がルトワック氏と会談し、アドバイスをしたことが書いてある。安倍首相がルトワック氏から教えを乞う為の会談であったと思われます。
 尖閣をめぐる状況は変わりつつある                           
 最初に申し上げなければならないのは、残念ながら、先日の安倍総理との会談内容については守秘義務があり、いっさいお話しすることはできないということだ。ただ、これだけは言える。私か見たところ、安倍総理はまれに見る戦略家だ。
 日中関係で日本のみなさんが最も関心を持つのは、尖閣諸島に関する問題だろう。
 私は、二〇一六年三月に上梓した『中国4・O――暴発する中華帝国』という本の中で、尖閣の問題について「封じ込め政策」を提案した。これは極めて受動的な政策で、ひたすら中国の出方に「反応する」ことに主眼があった。中国が何かするまでは、日本は何もしないが、何かした時のための準備は周到に整えておく、という考え方だ。
そのルトワック氏は、北朝鮮についてどう対応するかが書いてあります。
おそらく、安倍首相はルトワックの考え方に大いなるヒントを受けているであろうし、
安倍首相を頼りにしているトランプも、同じ考え方をしている可能性が高い。

5 平和が戦争に繋がる―――北朝鮮論
P107-108
「戦略」は「政治」よりも強い

「戦略」は、完全に「パラドキシカル・ロジック(逆説的論理)」によって動かされている。

 このロジックが働いていると、たとえば、最悪の状況、つまり真夜中の道の状態の悪いところから攻撃するのが最善、ということになる。あるいは、戦闘に勝利しつづけて前進すると負けがこんでくるような、状況の逆転が生じる。前進すれば、次第に本国から遠のき、距離が不利に働くようになり、逆に相手は、次第に本国に近づくからだ。よって勝利が敗北に変わり、敗北が勝利に変わる。撤退すれば、本国の基地に近づくことになるし、それまで味方だった、もしくは反対していた勢力も、つく側を変えたりするからだ。

 これを言い換えれば、「パラドキシカル・ロジック」は「政治」よりも強い、ということになる。そして「戦略」は、「政治」よりも強い。

 だからこそ、一九七二年に、反共産主義の代表的な存在であるリチャード・ニクソソのような人物と反資本主義者の権化である毛沢東のような人物が、協力して同盟関係を結ぶようなことが起こり得るのだ。これは、「政治」よりも「戦略」が強いことの証しとなる。

 アメリカと中国の同盟を強いたのが「戦略」なのだが、これは、ソ連の軍事力の規模が一定の限界を越え始めたからだ。つまり、強大化していったソ連の軍事力が、「勝利の限界点」を越えてしまったのである。そして米中の協力関係によって、ソ連の弱体化が始まったのだ。もしソ連が、軍事力の増強を「勝利の限界点」の手前で止めていれば、米中の協力関係は生まれなかっただろうし、ソ連も、はるかに強い地位を維持できたはずなので
ある。 
大東亜戦争において、帝国陸海軍が陥った初歩的な戦略ミスがその敗因であり、補給線が伸びきることによる勝利の崩壊が、パラドキシカル・ロジックで説明できる。

21世紀の諸葛孔明か孫子と称えられるルトワックの考え方からすれば、トランプがプーチンに宥和しようという考え方は正しい。

ロシアゲートだといってトランプを陥れ、同時期、安倍首相に対しては森友・加計問題では産経新聞を除いたマスコミ総動員で、安倍首相に対し、イメージ操作を仕掛けている大元は同じであるように思える。

米露が友好国になることを妨害しているのは、中共のエージェントの息がかかった米国のリベラル政治家と大手マスコミではないだろうか?中共のエージェントが暗躍している可能性が高いのではないか?

p108-110
平和は戦争につながる

 「戦略」において、すべては反対に動く。

 戦争で国家や国民が被害を受け続けるのは、日常生活や平時における通常のロジックと紛争や戦時におけるロジックがまったく異なるからだ。また、そのことを理解するのが難しいために、被害がさらに拡大することになる。

 最も難しいのは、「戦争ではすべてのことが逆向きに動く」というのを理解することだ。
たとえば、「戦争が平和につながる」という真実である。戦えば戦うほど人々は疲弊し、人材や資金が底をつき、勝利の希望は失われ、人々が野望を失うことで、戦争は平和につながるのだ。

 ところが、逆に「平和が戦争につながる」ことも忘れてはならない。

 人々は、平時には、脅威を深刻なものとして考えられないものだ。平時に平和に暮らしていれば、誰かの脅威に晒されていても、空は青いし、何かが起こっているようには思えない。友人との飲み会に遅れないことの方が重要で、脅威に対して何の備えもしない。

 つまり、脅威に対して降伏するわけでも、「先制攻撃を仕掛ける」と相手を脅すわけでもない。そのように何もしないことで、戦争は始まってしまうのである。

 平時には、脅威が眼前にあっても、われわれは、「まあ大丈夫だろう」と考えてしまう。脅威が存在するのに、降伏しようとは思わず、相手と真剣に交渉して敵が何を欲しているのかを知ろうともせず、攻撃を防ぐための方策を練ろうとも思わない。だからこそ、平和から戦争が生まれてしまうのである。

 平時には、誰も備えの必要を感じない。むしろ戦争に備えること自体が問題になる。そうして行動のための準備は無視され、リラックスして紅茶でも飲んでいた方がよい、ということになり、そこから戦争が始まるのだ。

 平和は戦につながる。なぜなら平和は、脅威に対して不注意で緩んだ態度を人々にもたらし、脅威加増大しても、それを無視する方向に関心を向けさせるからだ。日本にとって、その典型が北朝鮮問題だ。
これは、小室直樹先生の名著「新戦争論」でも語られている。

「平和主義者が戦争を引き起こす。」この当時の私の常識を根本的にひっくり返した。目から鱗が落ちるどころか、アシタカのような曇りなき眼(まなこ)にしてもらった気がする。私の東京裁判史観と薄っぺらな平和主義の幻想を打ち砕いてくれた、一節である。

「憲法守れ、戦争反対」などとお題目を唱えれば、平和が訪れるという“非論理的な念仏主義”は、平和を招くどころか、悪魔や鬼とともに、戦争を引き寄せる行為であることを、小室直樹先生は喝破し、戦後教育に汚染された私達の脳味噌を、除染してくれたのであった。

 第一次世界大戦後のヨーロッパにおいても「もう戦争はこりごりだ」という市民の想いが全土へ平和主義運動(パシフィズム)という拡がりを生みます。

平和主義運動が欧州中に蔓延していました。戦火で灰燼となったドイツではヒトラーでさえも当初は平和を訴え当選したのです。当時は平和主義運動(パシフィズム)に反対する者は全員落選したのです。当選したヒトラーは在野時代と打って変わり、平和のみが政策であると演説しているのです。

平和を訴える演説をして、欧州の人々を油断させた裏で、ヒトラーは着々と侵略の準備を整え、フランスとの中立地帯ラインラントへ軍を進駐させ、空軍の創設、戦車隊の増員などといったベルサイユ条約の露骨な蹂躙を行います。

ところが平和主義運動の蔓延がイギリスの首相チェンバレンやフランスにナチスドイツへの軍事制裁を躊躇させたのです。なぜなら英仏両国の政治家は平和主義者の反対の声に迎合せざるを得なかったのです。その後、ヒイトラーはオーストリア併合、ズデーテン地方の割譲と次々にエスカレートさせていったのです。

そしてご存じのように最後のポーランド侵攻を皮きりに、第二次世界大戦がはじまってしまったのです。

まるで、現在はそのデジャビューを見ているような世界である。


小室直樹著「新戦争論」序文

戦争は高度な文明の所産である。

それゆえ「野蛮な戦争はもうごめんだ」。という主張は、自己矛盾をはらんでいる。戦争は野蛮な行為ではないからである。

第一次大戦と第二次大戦の戦間期に、パシフイズムといわれる運動が、ヨーロツパを席巻したことがあった。パシフィズムとは「平和主義」という意味だ。学生も労働者も野蛮な戦争はもういやだ、絶対に銃はとらないと叫んだ。どの国の政治家も、この運動に賛意を表した。そうしないと、次の選挙での当選が望めなかったからだ。失言して本心を言ってしまい、大臣の座を追われる政治家の多い日本の現在と、似ている。

それでは平和がもたらされたか。歴史は皮肉なことになった。パシプイズムは、世界史上、もっとも悲惨な、もっとも大きな戦争をもたらした。彼らの平和運動は、ヒットラーの揺藍(ゆりかご)となったのだ。なぜ、そんな馬鹿なことになったのか。それは、一にかかって、全員が、戦争を野蛮な行為と誤解した点にある。

本質を誤った運動は、たいへんな副作用をもたらす。平和をとなえ、願えば平和がくるという、心情的な「念力主義」は、役にたたないだけでなく、危険だ。戦争を、人類が生みだした最高の文明として、とらえ直し、論理をそこから再出発させる必要がある。

戦争は制度である

国家とか経済とか家とか学校とか、われわれの社会は、多くの制度を生みだした。制度とは、何かの目的を達成するための枠組みである。戦争も同じ制度なのだ。その目的は、国際紛争の解決、ということにある。

この前の大戦を、日本は、世界中を相手に戦った。この大戦の原因を一言で言えば、北東アジア大陸の支配権をめぐる抗争ということになろう。日米両帝国主義の存続にかかわる大紛争だった。紛争は解決されなければならない。そのままでは、国際社会は「中毒症状」におちいり、機能しなくなる。癌の重症患者のように、たとえ危険度は高くても、手術=戦争を行なうよりほかはない。手術は実際に行なわれ、国際社会は健康になった。

健康になって得したのは、戦勝国だけではない。日本もそうだ。日本は、戦争なしで、当時の満州や中国での利権を放棄する用意はなかった。当たり前のことだ。敗戦によって強制的に放棄させられた。死闘の後だから、あきらめもついたのだ。 完全にあきらめさせられたために、戦後まったく別の大戦略に転換できた。そして高度成長を達成し、自由貿易の利益をほとんど独占的に享受できるという幸運に恵まれたのだ。

制度としての戦争を、結果として、もっと有効に利用した国こそ、日本なのだ。この事実がありながら、多くの日本人は、それをまったく意識していない。奇妙なことだ。

戦争は高度に文明的な制度である。この大前提を、ひとりひとりが、しっかりと把握することなくして、われわれの社会から、戦争がなくなることはないだろう。    (略)

 

新戦争論・・・・・”平和主義者”が戦争を起こす
小室直樹著 光文社 カッパビジネス  昭和56年発行.
目  次
1 ”平和主義者”が戦争を起こす


みんなが平和を愛した結果が第二次大戦となった
戦争は個人の「心のうちなる」問題ではない
台風の上陸を法律で禁じようとする平和主義者
日本の「平和主義者」は神州不滅主義者か
ヒットラーの奇跡はなぜ可能だったのか
猫を虎に育てた「平和主義」
平和への讃歌を逆手にとったヒットラー
「平和主義」という宗教は、「戦争」を過小評価している
日本は上手くやっているといると信じる人は「センス」のない人だ

2 戦争を否定すると近代文明は崩壊する

「戦争」と「けんか」はどこがちがうか
戦争のないのが平和、というのはまちがい
戦争とは、つける薬がないものにつける薬である
日本の敵はソ連と決めつけるのは早い
侵略戦争にも歴史の必然がある
満州、朝鮮をめぐる「必然」とはなんだったか
真珠湾攻撃は、「突如」ではない
全面降伏論は、まるっきりのナンセンスだ
日本の非武装中立は白昼夢である
尖閣列島、竹島問題の解決法は例外
北方領土は、戦争によらなければかえって来ないのか
紛争をそのままにしておくと、文明が崩壊する
戦争は、消極的な意味で、万能薬である 
「現状維持」をめぐる二つの正義
第二次大戦で「猛毒」を除いて成長した日本
「戦争」の語を、あまり法技術的な意味にとってはいけない
国際紛争解決の手段でない戦争なんてありえない
オルテガ・イ・ガセの戦争論
建前と実体があまりにはなれると、その国は破滅する
日本は清帝国の二の舞にならないか                            以下略

この平和を希求することが、戦争を引き起こすという戦争と平和の原理・論理を安倍晋三を引きづり降ろそうとしている、愚かな左翼や中国の工作員による誘導ともしらず、公道で「戦争反対」「安倍は辞めろ」とデモをする単細胞生物達の脳細胞に、ちょっとでも届いてほしいものだ。

話をルトワック氏の「戦争にチャンスを与えよ」に戻そう。

p110-111
北朝鮮への日本の態度

 北朝鮮は、特異な政権である。特異な点として、二つ挙げられるだろう。

 一つは、リーダーのヘアスタイルがひどい、ということだ。金正恩の髪型は本当にみっともない。

 もう一つは、北朝鮮の軍事関連の技術力は侮れない、ということだ。根本的な意味で、日本やアメリカ以上の底力を持っている。

 もちろん、彼らのミサイルは、塗装されていない。アメリカや日本のミサイルは塗装されているが、そもそも爆発させるミサイルを塗装した方がよいかどうかという問題は、ここでは論じないでおこう。とにかく北朝鮮のミサイルは塗装されていないことが多い。

 その一方で、北朝鮮は、人工衛星を打ち上げ、中距離弾道ミサイルも発射した。さらに弾道ミサイルを潜水艦からも発射しているのだ。ミサイルに搭載可能な核弾頭の爆発実験も成功させた、と見られている。

 しかもこれらすべてを、彼らは非常に少ない予算で短期間に実現しているのだ。

 もし日本政府が国内メーカーに、中距離弾道ミサイルとそれに搭載可能な核弾頭、宇宙に飛ばす人工衛星の開発などを命じても、おそらく年間の国防費以上の予算と、調査、研究、開発に一五年ほどの時間が必要になるだろう。

 したがって、北朝鮮の軍事関連の技術者を侮ってはならない。彼らは、他国の技術者の五倍以上の生産性を有している、と言えるからだ。たとえば、イランは、核開発に北朝鮮の五倍もの時間をかけながら、一発の核兵器に必要な核物資さえつくりだせていない。人工衛星の技術もない。

 要するに、北朝鮮の軍事開発力は、極めて危険な域に達しており、真剣に対処する必要かおるのだ。
祖父、父親から相続してしまった、この王朝を守るため、最も最善の索としての核武装は、金正恩の立場からすれば、その選択一択しかないのである。

核武装の目標を立て、少ない資源と予算と人財で、父親が始めたNY/ワシントンも狙える核ミサイルの開発成功は、バカではできない。もし西側に生まれていたら、有能な経営者であり、有能な三代目であったに違いない。けっして支持や賞賛はしないが、少なくとも、金正恩は16号でも、金豚でも、黒電話でもない。生まれついての侮れない独裁国家の有能な後継者なのだ。ルトワックの分析は私も正しいと思います。


いっそのこと、有能な豚に降伏してしまえとルトワックは日本を揶揄します。
p111-112
 北朝鮮への降伏

 私は戦略家であり、政治家ではない。ましてや教師や牧師でもない。倫理道徳の価値観の教介は専門外だ。したがって、私か日本政府に対して言えるのは、「何もしないのが最悪の選択肢で、以下の選択肢のうちの一つを実行せよ」ということぐらいである。

第一の方策は、「北朝鮮に降伏する」というものだ。 
                 
 北朝鮮政府が真に何を望んでいる。かを聞き出し、経済制裁をすべて解除する。祖国への朝鮮総連の送金に対する制限も解除し、金一族を讃える博物館を表参道に建て、北朝鮮に最も美しい大使館を建てさせる。

 代わりに、日本政府は、北朝鮮に五00キロ以上。射程を持つミサイルの開発を止めてもらう。五00キ口以上の射程。ミサイルは、国際的な「ミサイル技術管理レジーム」(MTCR)で。制限の対象となっている。またそれだけでなく、これは、幸いなことに偶然にも、朝鮮半島。非武装地帯から下関まで。距離と同じなのだ。

 これは、北朝鮮に対する制裁をすべて解除し、彼らに名誉を与え、国家としての彼らの存在を認めることで、五〇〇キロ以上の射程。ミサイル。脅威を取り除く、という道だ。
冗談じゃない、ルトワック氏は朝鮮民族を解かっていない。
日本とシナに挟まれ、戦争に勝ったことがほとんどなく、文化もなく、恨と火病の住民のほとんどがサイコパスな民族である。


そんな国に降伏しようものなら、南の国民性をひっくるめて、沖縄米軍基地外に屯する基地外以上の基地外、サイコパスで基地外の国民で構成される国家に、そんなことをしようものなら、どれだけ日本に災いを及ぼすか?降伏などトンデモナイ話だ!

そうなると、米軍に関係なく北朝鮮を攻撃することを選択肢にしたいが、現状策源地攻撃は、憲法上容易ではなく、装備も無く、具体的訓練などほとんどしていないのである。

p112-114
 北朝鮮への先制攻撃

 次の方策は、「北朝鮮を攻撃する」というものだ。しかもこれは、先制攻撃でなければならない。核関連施設を特定しつつ、それらすべてを破壊するのである。

 たとえば、イランの核開発の脅威に晒されているイスラエルは、先制攻撃能力を持っている。イスラエルが先制攻撃する場合は、儀式的なことは一切抜きに、ただ実行するのみだ。しかも彼らは、アメリカと違って空爆だけを用いるわけではない。空と陸から同時に攻撃を行うのである。

 もしイスラエルの首相が、「イランが核攻撃を行いそうだ」という報告を受けたら、即座に空と陸から攻撃を開始する。しかも、有人機とミサイルを使うのだ。ミサイルも、短距離ミサイルと長距離ミサイルの両方を使う。

 アメリカは、OPLANという韓国と。合同演習で、北朝鮮。核施設へ。攻撃を想定した訓練を行っているが、いずれにせよ、北朝鮮が核弾頭をミサイルに搭載したら、その時点で完全に手遅れだ。

 ここで覚えておかなければならないのは、北朝鮮のミサイルは、侵入の警告があれば即座に発射されるシステム(LOW)になっているかもしれない、という点だ。こ。システムでは、アメリカの航空機やミサイルが侵入してくれば、北朝鮮側の兵士が自動的に発射ボタンを押すことになる。 

 LOWとは、レーダーからの警告に即座に反応することを意味する。彼らは、その警告を聞いた途端にボタンを押すのだ。そうなると、北朝鮮を攻撃すること自体に大きなリスクが伴う。

 もし北朝鮮を本気で攻撃するのであれば、空からだけでなく地上からの支援も必要だ。

地上に要員を配置して、ミサイルをレーザーなどで誘導しなければならないからだ。つまり「現場の兵士」が必要となるのであり、ミサイルの着弾後も、攻撃目標が間違いなく破壊されたかを確認する必要かおる。ミサイルが着弾しても、爆発による煙やホコリが落ち着くまで写真撮影は不可能であり、破壊評価が遅れるので、現場の人員が必要になるのだ。

そのためには、北朝鮮内に何らかの方法で人員を予め侵入させておき、目標を把握しておかなければならない。

 韓国は、そうした能力を持っているとされるが、もしそうなら、作戦敢行の最も良いタイミングは、今夜、もしくは明晩ということになる。しかし、いくら能力があっても、それを使う「意志」がなければ、能力は何の意味もなさないのである。
確かに、地上に特殊部隊を配置する必要はあるだろう。
だが、北朝鮮とズブズブの韓国にそれを望むことは、作戦の失敗を意味する。
北朝鮮の中国国境に近い山奥の基地まで隈なく特殊部隊を配することは不可能である。しかもその役を韓国兵にやらせるなど、極めて無謀な作戦である。

韓国はあくまでも無いものとして、取り扱わない限り日米は、対北朝鮮予防戦争に失敗する可能性が高い。

p114-116
 「まあ大丈夫だろう」が戦争を招く

 日本国民も、一九四五年以来、他国や他民族が戦争の悲劇に見舞われてきたことを目撃してきたはずだ。街が燃やされ、多くの人間が殺され、子供も殺されたのだ。それらすべてのケ-スがなぜ発生したかと言えば、当事者たちが、「まあ大丈夫だろう」(It will be all right)と思ってしまったからだ。

 人間というのは、平時にあると、その状態がいつまでも続くと勘違いをする。これは無理もないことだが、だからこそ、戦争が発生する。なぜなら、彼らは、降伏もせず、敵を買収もせず、友好国への援助もせず、先制攻撃で敵の攻撃力を奪うこともしなかったからである。つまり、何もしなかったから戦争が起きたのだ。

 いま北朝鮮に関して生じているのは、まさにこのような状況だ。

 アメリカは、北朝鮮の核開発の阻止に関して何もしていない。アメリカだけではない。他の西側諸国も、中国も、ロシアも、何もしていない。
 さらに北朝鮮は、核兵器と弾道ミサイルを保有し、韓国を直接脅かしているのに、韓国自身も何もしていない。彼らは、北朝鮮に対して抑止さえもしていないのだ。

 韓国は、北朝鮮に何度も攻撃されているのに、反撃さえしていない。韓国の哨戒艦「大安」の沈没事件でも、誰もいない方向に砲撃しただけだ。

 要するに、韓国は、北朝鮮の脅威が現に存在するのに、何も行っていない。「降伏」も、「先制攻撃」も、「抑止」も、「防衛」もせず、「まあ大丈夫だろう」という態度なのだ。

 これは、雨が降ることが分かっているのに、「今は晴れているから」という理由だけで、傘を持たずに外出するようなものだ。ところが、このような態度が、結果的に戦争を引き起こしてきたのである。
ルトワックは良くわかっている。朝鮮人は、まったく役立たず足でまといの国であり、彼ら朝鮮民族は、戦争が起きれば真っ先に逃亡する腰抜け、歴史的には同盟した側は常に負けるのである。最悪の時に最悪の選択するDNAはそう簡単に変化しない。

朝鮮戦争でも、米軍が必死に止めるのを無視し、38度線を再び突破し、鴨緑江まで攻め入って、中国の介入を招き、今度は中共が攻め込んでくると、真っ先に逃亡し、米軍を窮地に立たせてしまった軍隊です。

せめて、韓国が米国と同盟を解消してくれれば、日本も余計なことに巻き込まれなくて済む。

 p116-117
 「降伏」も選択の一つ  シリア内戦の真実

 他に選択肢がないのであれば、「降伏」も、一つの立派な戦略的な選択だ。
 たとえば、シリアのアレッポに住む人々、あるいはアレッポから逃れた人々は、アサド政権側に抵抗せず、早々に反政府勢力が死に絶えたり、降伏した方が良かった、と考えている可能性が高い。降伏しておいた方が、はるかに幸福だったかもしれないからだ。

 アレッポがあれほど破壊されてしまった原因は、反政府勢力が降伏しなかった、という事実にある。反政府勢力は、アレッポを死守するだけの兵力を持っていない。アサド政権側に対しては、抑止も、先制攻撃もできなかったので、降伏してもよかったのだ。ところが、反政府勢力は、「アレッポは自由都市である」と宣言するだけで「まあ大丈夫だろう」と考えたのである。

 もしあなたが腹を空かせているとして、国際社会に何かを期待しても、そこから得るものは何もない。ところが、反政府勢力は、アレッポの防御を国際社会に期待して、「まあ大丈夫だろう」を実行したのである。

 戦略の規律が教えるのは、『まあ大丈夫だろう』という選択肢には頼るな」ということだ。なぜなら、それに頼ってしまうことで、平和が戦争を生み出してしまうからである。
ルトワック氏は日本と日本人の歴史をわかっていない。

日本は開闢以来、名誉を重んじる血が流れている。例えどんなに強い敵でも、ひとたび戦を決意したならば、玉砕するまで戦う戦闘民族なのである。

それを止めることができるのは天皇陛下の命令だけだ。

p117-118
 日本政府は自ら動くべし  「降伏」と「先制攻撃」

 したがって、私は、日本政府が自ら動くべきである、と考える。

 国際的なミサイルの制約である「五〇〇キロ」という射程は、たまたま神の与えた偶然なのか分からないが、朝鮮半島の非武装地帯から下関までの距離と同じである。したがって、北朝鮮の望みを叶えつつ、「五〇〇キ口以上の射程のミサイル」の破棄を求めるのは、日本の選択肢として十分あり得る。

 このような「降伏」、もしくは「宥和」も、立派な政策なのである。これは、無責任な態度ではない。「まあ大丈夫だろう」という無責任な態度の代わりに、一つの選択をしているからだ。

 別の選択肢としては、「先制攻撃」がある。日本の自衛隊の特殊部隊に攻撃を命じて、パラシュートやグライダーで降下させ、北朝鮮の核施設の上に到着させ、携行型のホローチャージ弾などでそれらをすべて破壊するのだ。

 もちろん、特殊部隊の九〇人が犠牲になるかもしれない。ただしそれは、背後にいる一億二〇〇〇万人の日本国民を守るためだ。
如何に最強の自衛隊の特殊部隊でも、全国の北朝鮮核施設を無力化することは不可能であるし、ビンラディンの時とは違い、金正恩暗殺などミッションインポシブルである。第一、九〇人の隊員は完全に帰還見込みのない特攻隊であり、そんなこと現憲法下では絶対に不可能だ。私が首相なら、絶対出来ない選択肢だ。

それでも誰かが行かねばならぬなら、足手まといになるかもしれないが、たとえ犬死しても、英霊として靖國に祀ってもらえるなら、私は志願したい。

p118-120
 「抑止」と「防衛」

 「先制攻撃」も一つの選択肢であるし、「降伏」も一つの選択肢だ。さらには「抑止」も。一つの選択肢となろう。

 「抑止」としては、日本が1000キ口の射程の弾道ミサイルを待ち、そこにデュアルユース(民生・軍事両用)の核弾頭を搭載するのだ。

 ここで参考になるのは、冷戦期に欧州でソ連がSS-20を配備した時の状況だ。

SS-20の配備に対し、NATOは、パーシングⅡミサイルシステムと同時に、巡航ミサイルも配備している。日本が本土上にミサイルを配備できないのであれば、潜水艦に核弾頭を積んだ巡航ミサイルを配備してもよい。

 最後の選択肢としては、「防衛」がある。これは、ミサイル防衛によるものだが、どのシステムも完璧ではない。迎撃率が九五%でも完璧とは言えないからだ。

 地球上で現在、最も精度の高いミサイル防衛システムは、イスラエルの「アイアン・ドーム」であろう。これは、短距離ミサイル用だが、より射程の長いミサイルに対しては、「ダビデ・スリング」というシステムもある。

 これらのシステムに興味を持つ日本の防衛関係者もいるようだが、アメリカ政府は拒絶するはずだ。システム開発資金の半分をアメリカが拠出し、拒否権を持っているからである。アメリカとしては、自国で独白開発したシステムを日本に売ろうとするだろう。

 「アイアン.ドーム」は、人類が開発した最高のミサイル防衛システムで、迎撃性能は九五%である。ただしこの性能向上も、実戦経験によって積み上げられたものだ。当初は八〇%、次に八五%、そして最終的に九五%まで精度を上にげてきたのである。

 すると、日本が「防衛」能力を上げるには、言い換えれば、ミサイル防衛システムの精度を上げるには、イスラエルと同様に、敵から何発もミサイルを撃ち込まれる経験が必要になってくる。

 しかし、北朝鮮が核弾頭をミサイルに搭載しようとしている現在、ミサイルー発の着弾でもあっにはならない事態だ。 つまり、最高度の装備を揃えても、「防衛」という選択肢は、十分ではない、ということだ。
私は日本の核武装に賛成できないと思っているが、策源地攻撃として、CSM非核弾道ミサイル、極超音速巡航ミサイルは保有スベシと思っています。

そして、イージス艦/イージスアショアによるSM-3BlockⅡ、THAAD、PAC-3に地上発射レールガンに、宇宙太陽光発電による、高出力レーダー衛星など、北朝鮮がくじけるくらいの防衛システムを構築すべきではないかと思う。

 p120
いずれかを選択すべし

 議論をまとめると、日本には「降伏」、「先制攻撃」、「抑止」、「防衛」という四つの選択肢がある。

 ところが、現実には、そのどれも選択していないのである。代わりに選択されているのは、「まあ大丈夫だろう」という無責任な態度だ。

 外国人である私は、日本政府に対して、いずれを選択すべきかを言う立場にない。ただし戦略家として自由な立場から言わせてもらえば、「まあ大丈夫だろう」という態度だけは極めて危険である。何かしらの行動は取られなければならない。

 私は、小泉首相が拉致問題を解決するために、北朝鮮と直接交渉したことを知っている。

彼は、国連、赤十字、アメリカ、あるいはパラグアイに相談したわけではない。北朝鮮だけと交渉したのである。そして彼は行勤し、結果を出した。

 安倍首相が北朝鮮に行くかどうかは分からないが、何かをしようとは考えているだろう。中国が、北朝鮮に対して、何も行動していないことを知っているからだ。

北朝鮮との制裁や妥協はなに一つ解決は不能である。
日米が連携して、北朝鮮軍を空と海から無力化したうえで、中国とロシアに信託統治させるのが、長期的解決策になると思う。

p121-122

 「制裁」は効果なし

 北朝鮮と中国の国境にある丹東という町に行けば、すべてが分かる。実に多くの会社が北朝鮮と貿易をしている。中国企業は、北朝鮮が求めるものをすべて売るつもりだ。

 「制裁」という言葉は、丹東では何の効力も持っていない。列車は、毎日、北朝鮮に向かい、トラックも国境を越えている。

 北朝鮮のある工科大学を見学したことがある知人によれば、実験室に不足しているものは何もなかったという。アルマーニの服や黒海産のロシアの高級キャビア、ランボルギーニなどはさすがになかったが、弾道ミサイルを製造するための資材は、すべて揃っていたそうだ。北朝鮮内で製造できないものは、国境のすぐ外にある丹束の企業からすべて買えるのである。

 たとえば、金一族は、一家の伝統として、日本の寿司が大好物であることが知られている。そこで日本政府は、経済制裁として、わさびを輸出禁止にできるかもしれない。しかし、わさびも丹東にある企業から輸入できるのだ。

 何度でも言う。現在の日本は、北朝鮮に対して何も行動しておらず、唯一選択しているのは、「まあ大丈夫だろう」という態度だが、このような態度こそ、平和を戦争に変えてしまうものなのである。
韓国と米国は敢えて同盟関係を解消し、防衛ラインを対馬に下げ、その上で、半島の非核化を進めるという選択肢もあることは、あるのだが、そうした場合、米国は中国に付け入る隙を作ってしまうことになり、それこそ米中による第三次世界大戦を招くこととなる。

私の結論からすれば、なんとか北朝鮮を挑発し、一発撃たせた後、まずはEMP爆弾を朝鮮上空で数十発爆発させ、北朝鮮の電力無線網を遮断、同時に一斉に巡行ミサイルと、B-2B-2B-52と空母艦載機による無慈悲な攻撃を加え無力化させ、金王朝を壊滅させることが、何よりの平和を構築する唯一の道であると思います。

北朝鮮がなくなれば韓国とはきれいさっぱり、何の躊躇なく、1,000年国交謝絶することが可能となります。



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『「軍事研究」の戦後史 科学者はどう向きあってきたか』=杉山滋郎・著 毎日新聞2017年2月5日 東京朝刊 (ミネルヴァ書房・3240円)

 科学者が軍事研究をしてよいのかどうかが、いま問われている。科学者の代表機関・日本学術会議は昨年、軍事研究を否定した声明を半世紀ぶりに見直す検討を始めたが、軍事研究の定義などを巡り、推進派と反対派の議論はかみ合っていない。

 本書は科学史家である著者が国内外で積み重ねられてきた軍事研究に関する論争の要点を丁寧に追い、入り組んだ議論の出口を探る試みだ。

 「自衛のためなら軍事研究ではない」「いや、軍事組織から資金を得れば軍事研究だ」。こうした最近の論点は過去にも繰り返されてきた。著者は民生用と軍事の技術が「相乗り」する新たな傾向を指摘し、入り口だけで線を引く発想に一石を投じる。また戦後、声明は実際に守られてきたかと問う。それは、あたかも政治権力に翻弄(ほんろう)される被害者然とした科学界への疑問でもあるだろう。

 歴史研究が直ちに具体的処方箋を出せるわけではないが、最終章では解決につながる問題提起も試みている。そこからは科学者が「軍事研究に手を染めない」ために本当に必要なのは観念論ではなく、歴史の教訓と時代変化を踏まえた主体的取り組みであるとの思いが伝わる。(千)

軍事研究禁止を継承、日本学術会議が新声明案
【2017年3月13日】 大学ジャーナルオンライン編集部

軍事研究をしないとする過去の声明見直しを検討してきた日本学術会議の検討委員会(委員長・杉田敦法政大学教授)は過去の声明の基本方針を継承するとした新声明案をまとめた。4月の日本学術会議総会で正式決定される見通し。

 声明案によると、防衛装備庁が進める軍事、民生両面で利用可能な技術研究は、防衛省による研究への介入が著しく、学術の健全な発展という見地から問題が多いと指摘。むしろ必要とされるのは科学者の自主性や自律性が尊重される民生分野の研究資金充実だとした。

 さらに、研究成果が科学者の意図を離れ、軍事目的に転用されて攻撃目的に使用されることもあるとし、大学など研究機関は軍事面、安全保障面での研究とみなされる可能性のある案件に対し、適切性を技術的かつ倫理的に審査する制度を設けるべきだと主張している。学会などがそれぞれの学術分野でガイドラインを設定することも求めている。

 日本学術会議は1950年に戦争を目的とする科学研究を絶対に行わないとする趣旨の声明、1967年に軍事目的のための科学研究を行わないとする声明を発表している。
しかし、防衛装備庁が2015年から軍事研究への助成制度をスタートさせ、助成制度応募の可否をめぐって大学内で混乱が見られたことから、2016年から検討委員会を設置して声明を見直すかどうかの対応を検討していた。2月には東京都内で安全保障と学術の関係に関するシンポジウムを開き、軍事研究をしないとする過去の声明の取り扱いについて意見交換したが、その際軍事研究に反対する声が続出した。
日本の科学者の任意団体「日本学術会議」が、「軍事研究禁止を継承」という声明案をまとめた。左翼が忌み嫌う「日本会議」の親戚か?そうではないらしい、大学で研究を行う象牙の塔の科学者の任意団体が、世俗の事情も知らず、理想論を「言い放ち」正義面している呆れたニュースが流れた。
「日本学術会議」に所属するマッドサイエンティストの身勝手な信条と異なるからといって安全保障技術研究推進制度 軍事研究禁止を継承」という声明案までまとめ反対する権利はないはずである。学術研究者は全員同じ左翼信条でなければならないというのが、「日本学術会議」の言い分だ。共産主義にシンパシーを感じることが平和を守ると言う、彼らの考え方はまるで論理的ではない、個々の信条を認めないと言う「日本学術会議」の行動様式はまさに例外を認めない専制的な共産主義国家と同じである

日本国民の生命と財産を北朝鮮や中国から守りたいと考える科学者の研究を妨げることは犯罪だ。
北朝鮮が何の非もない日本を狙って核ミサイルを打ち込むかもしれない、中国が国内情勢の悪化から目をそらすために、沖縄を獲りにくるかもしれないなど、以前に無かった危機が確実に高まっているこのご時世に・・・マッドサイエンティストにもなれないバカ科学者達は新聞テレビを視ないのか?
アニメでは正義の科学者たちは科学忍者隊を組織してエイリアンが率いる悪の秘密結社を壊滅していたが、現実の日本の科学者はなんと愚鈍でだらしないのだろ。
日本学術会議の科学者の頭の中は、いまだに1945年のままである。目前に迫っている北朝鮮や中国の核攻撃や弾道ミサイルの恐怖、あるいは、国際社会が直面しているテロとの闘いという現実を正しく分析する能力を持っていない。
日本学術会議の科学者たちは、ただ、「軍事研究」とは、人を殺害する武器を「つくる悪である」という幼稚園児なみの認識しかないのである。軍事研究イコール殺戮の武器研究という「単純正義」に基づくイデオロギー集団と化した「日本学術会議」に科学を担ったり語ったりする資格はない。
本来の科学者の「役割と使命」を知る人々が、こんな政治集団からは早く抜け出して「新団体」をつくって欲しいと思う。
 日本は北朝鮮がノドンやムスダンなどを展開した前世紀末から射程内に入っている。核の小型化こそ未完であったが、核と同様に大量破壊兵器に分類される生物兵器や化学兵器も大量に装備しているとみなされてきた。

 しかし、日本自身が安全保障の観点から問題視することはなかった。改めて気づかされることは、日本は自国の安全に無頓着で、何らの対策もしてこなかったということではなかろうか。

 一昨年の安保法案審議でも見たように、実質的、かつ具体的な議論は一切避けて、憲法論議に終始した。今回明らかになったような脅威が一切議論に上らないため、いつの間には「日本が危機に直面することはないかのような」錯覚に捉われてきた。

 実は北朝鮮以上に潜在的な脅威が中国であることは先にJBpress拙論「『国の守り』を放棄する学術会議でいいのか」で述べた通りである。

 ともあれ、日本では隣国の脅威などを議論するのをタブー視して、ただ米国の抑止力をあてにするだけである。

 普通の国家であるならば、普段から英知を集めて非常時に備えた準備をするのが当然であるが、日本ではそうした意識が欠落している。その最たるものは日本学術会議が「軍事目的の科学研究を行わない」と決めたことであろう。

 安全保障は何を差し置いても優先されるべきことであり、科学研究の総力結集が欠かせないからである。

現代戦の様相

 言霊信仰の強い日本では、「戦争」という言葉は忌避される傾向にある。特に戦後生まれの日本人は軍事に関する認識をほとんど持ち合わせていない。

 そこで、実戦場裏としてはベトナム戦争映画の「プラトゥーン」か、仮想空間で得体の知れない何かが作用して通信遮断などによる混乱をもたらす状況などではなかろうか。

 かくて、戦争は戦場にある将兵たちの戦い、あるいは関係する少人数の領域のことくらいの認識である。従って、軍人をはじめとした特定の人に任せておけばよいというものである。

 しかもその様相は、爆撃機が侵入してくる敵軍に対して爆弾を投下して阻止・減殺する。その後、当方は侵攻してきた残余の敵に対して、戦車や大砲などの火力支援を受けた歩兵が相手の陣営に突入するという第2次世界大戦からベトナム戦争までくらいのパターンである。

 しかし湾岸戦争では、偵察衛星と巡航ミサイルの組み合わせによって、敵に発見されずに従来は考えられなかった遠隔地の主要人物や施設などをピン・ポイントに攻撃できるまでになり、当方が被害を受けることなく破壊率を著しく高めることができた。

 これはエレクトロニクスの活用によるIT技術の急速な進歩で、軍事革命(RMA:Revolution in Military Affairs)が主張され、軍の改革で兵器・装備と共に指揮統制システムが一新されたからである。

 緊急な対応が必要な場合には、第一線部隊である歩兵中隊が、直上の大隊、連隊、旅団等の指揮を受けることなく、師団長から直接指揮される状況さえ生起する。これは、第一線部隊の状況やそれを指揮するに必要な情報が上級レベルでも共有され同時並行的に処理できる情報処理システムなどが開発されたからである

 こうした先進技術を駆使して編み出されたのがエアー・ランド・バトルと称された「空地戦」構想であった。地上部隊がエレクトロニクス化され、指揮通信衛星などを介して空軍部隊や陸軍航空部隊と連携しながら作戦戦闘を遂行できるまでになってきたのであった。

 電子化された基本部隊は「デジタル師団」とも呼称された。通信システムだけでなく、指揮・統制、情報処理などにおいても、デジタル処理で同時多目的対処ができる師団に改編されてきた。

 しかし、科学技術の進歩は著しく、デジタル師団も「今は昔」というほど激変し、無人偵察機や偵察衛星などによって得た情報が宇宙通信衛星を経由してリアルタイムで取り入れることが可能となり、一段とエレクトロニクス化が進捗している。

 そのために、作戦場面も陸に侵入される以前の海空領域で接近を阻止する「接近阻止・領域拒否」A2/AD(Anti-access/area-denial)戦略で、いわゆるエアー・シー・バトルと称されるものである。

戦争は向こうからやって来る

 日本は北朝鮮の被害国である。うら若い無辜の日本人数百人が北朝鮮首領の命令を受けた工作員によって、日本の領土で拉致され連れ去られた。不法に拉致された被害者を取り戻すために、何度も外交交渉を行い、飴と鞭で対処してきたがいまだに解決に至っていない。

 そうした中で、北朝鮮は6か国協議に見せかけた時間稼ぎで関係諸国を翻弄し続けてきた。また、核の小型化とICBM(大陸間弾道弾)の開発を急ぎ、米国を射程に収める核ミサイルの装備で、米国の核抑止力に風穴を開けようとしてきた。

 米国を攻撃目標に設定できることで、日米同盟が機能しなくなり、日本を孤立化させることができるとみているのだ。

 また、中国は経済発展に伴って軍事力が増大した1990年代以降、領海法を施行して日本の領有である尖閣諸島を自国領に組み込んでしまった。

 また、東シナ海の日中中間線周辺に位置するガス田については、日中両国で話し合うことになっていた合意を勝手に反古にし、試掘を継続している。

 日本は憲法前文にあるように、「国際社会における公正と信義を信頼」して、平和を愛する国家として軍隊を放棄し、また「国際条約など」誠実に順守してきた。

 それにもかかわらず、上記のように北朝鮮は日本人を拉致し、日本を射程に収める弾道ミサイルを開発装備してきたし、中国は日本領の尖閣諸島を力にものを言わせてかすめ取ろうとしている。

 日本が北朝鮮や中国にどんな悪事を働いたというのだろうか。北朝鮮では1995年夏の大洪水で穀物生産が約800万トンから400万トンへ半減する危機的状況に陥った。日本は世界食糧計画(WFP)などの要請に基づき、人道的観点から50万トンの米の食糧援助を決定した。

 また、中国に対しては有償無償併せて総額7兆円弱のODA(政府開発援助)支援を行ってきた。今日における中国の発展の基底には、日本の支援によるインフラ整備が大いに寄与しているとされる。

 このように、日本は北朝鮮と中国に多大の貢献をしてきた。しかし、両国は共産主義体制と独裁で国内に不満が山積しており、その空気抜きに外に敵を見つけてナショナリズムを高揚する政策をとっている。敵に見立てられているのは、ほかならぬ日本である。

 日本は軍隊を持たず、交戦権も認めていないので戦争を仕かける意志も能力もない。辛うじて警察官の職務を準用して、専守防衛に任ずる自衛隊が存在するだけである。普段は大規模災害発生時に知事などの要請に基づき人命救助や被災地の復旧・復興の任を帯びて派遣される。

 PKOなどで海外に派遣された部隊も道路・橋梁の復旧や医療・給水支援などがほとんどであり、日本や自衛隊が戦争を仕掛けるなどは思いもよらない。しかし、北朝鮮のように向こうからやって来る脅威には敢然と対処し、領土と国民を守らなければならない。

学術会議の会員に防衛意志はないのか

 ざっくり言えば、北朝鮮の脅威が明らかになる以前の1990年代後半に中国が沿岸に配備したCSS-6(東風15、DF-15)が日本を射程内に入れた時から20余年間、日本は自国への危機として真剣に向き合うことなく過ごしてきた。先の安保法案審議はまたとない機会であったが、例によって神学論争に明け暮れた。

 この時点でも野党はノイジー・マイノリティを煽動して、「戦争法案」だと強弁して「日本の安全」のための具体的な論議をしようなどとは考えもしなかったようである。

 米国の問題視に連動して、いまようやく「ミサイルが飛んできたら」「核爆発が起きたら」という議論になりつつある。それでもいまだに「たら・れば」の仮定でしかなく、「脅威の襲来」という現実認識に至ろうとしない。

 多くの日本人が誤解のうえで親近感を抱いているスイスは、ソ連が人間衛星ガガーリンを打ち上げたことで、核戦争もあり得ると予測し、核シェルターや対処訓練を地方自治体に義務づけた。各家庭には核戦争が起きた時の対処行動のための分厚い手引書を配布した。

 政府主導ではあるが、どれもこれも脅威の認識と対処の必要性を国民が容易に認識できたから進められた政策である。これは「中立の維持」と「自分の国は自分たちで守る」という固い決意に根づく国民皆兵が根底にあることと大いに関係している。

 国防は他人事ではなく自分事であり、国家の総力を挙げて対処すべきことであるが、日本人にはこの意識が完全に欠落している。

 先に開かれた日本学術会議の総会では、軍事研究に関して「安全保障や平和と学術との関係など、より広く継続的な議論が必要」「軍事や国防とどう向き合うかといったテーマは(人文系・工学系など)色々な分野の専門家が垣根を越えて議論するべきもの」(「朝日新聞」2017年4月15日朝刊)という指摘が相次いだとされる。

 こうした慎重な対応を求める声があったにもかかわらず、それを無視する形で、総会に先立つ数週間前に開かれた幹事会が決めた「軍事目的の科学研究を行わない」とした声明を追認したのである。

 軍事研究に関係しなければ平和が留保され、静謐な研究環境が保証されるというものではない。スイスに見るように、むしろ、外部からの脅威は自力で払いのける努力をしなければ、安全な研究環境はおろか、言論の自由や集会(学者の場合は研究発表の場としての学界であろう)の自由までも奪われよう。

 それどころか、独裁者の邪魔になるエリートたちはソ連時代のサハロフ博士などのように監房に閉じ込められ、あるいは文化大革命の中国のように農村に下放され、酷使されるのが落ちではなかろうか。

先進科学研究が日本人を救う


(1)過去の事例から


 1995年に起きた地下鉄サリン事件が残した教訓は大きい。当方が攻撃兵器として使用する意志がなくても、他方に攻撃意志が存在する限り使用の可能性があり、その場合の防護法は確立しておく必要がある。

 当時は既に化学兵器の存在が確認されていたが、自衛隊が防護のための研究を主張しても国会では、「けしからん」という声があり、特に野党からの批判が激しかった。

 しかし、思いもしないことに、オウム真理教が朝の通勤時間帯を狙って地下鉄でサリンを散布し、大変な騒動になった。そこで、防護法を研究していた自衛隊に災害派遣が命じられた。

 死者13人、負傷者6300人余に及んだが、野党の主張どうりに防護の研究もやっていなかったならば適切な処置ができず、被害は10倍、100倍になっていたかもしれない。

 最近の事例でも、金正男氏殺害にはVXが使用されたし、シリアでは化学兵器自体が使用され多数の死傷者が出た。ちなみにシリアは化学兵器を1300トン保有するとされるが、北朝鮮は2500~5000トンを保有しているとみられている。

 2011年の東日本大震災に伴って発生した福島第2原発事故も大きな教訓を残した。特にメルトダウンしているとみられた原子炉の過熱を防止し、放射能の散逸を少なくすることが必要であった。

 しかし、核という言葉が出るだけで日本人にはアレルギーにも似た体質がしみ込んでおり、核兵器対処はいうに及ばず平和利用の原子力についても安全神話で囲い込まれ、対処についてはほとんど研究が行われていなかった。

 この2つの事例からも分かるように、大量破壊兵器と総称される核・生物・化学(ABC)兵器が存在する限り、その防護法についての研究は必要不可欠である。

(2)近未来の戦争様相

 大量破壊兵器は保有の誇示で抑止効果を発揮できる。従って、国際社会の監視を潜り抜けて保有に邁進する国家やテロ組織などが出てきても不思議ではない。今日では製造などに関する情報も出回っており、研究開発の費用を投じないでも比較的容易に手に入れることができる。

 国際社会では核兵器や生物・化学兵器についての取り決めや査察制度はあるが、十分に機能していないため、いろいろな問題が出てきている。

 また、今日ではコンピューターなしの社会は考えられない。軍隊においてもあらゆる部隊などに導入されている。従って、従来は第一線の兵士の損耗で勝敗がおおむね決したが、近未来の様相は全く異なる。

 政治中枢と部隊の指揮中枢の通信システムや師団長の指揮統制システムを破壊や混乱させることで、シビリアン・コントロールが機能しなくなり、あるいは部隊の戦力発揮が阻害される。

 情報収集には衛星や無人機などが多用されるが、収集システムや伝送システムなどを混乱させるだけで、軍隊が無用の長物にならないとも限らない。

 強力な電磁パルスを発射して内装しているコンピューターを機能不全に陥れ、また情報伝搬の電波より強力な電波を発信して情報伝送を混乱させる電子戦などは一層拡大の方向にある。

 さらには相手の情報を盗み取り、当方に有利なように操作・改変まで行うサイバー戦などは隆盛の一途であろう。

独創的兵器・装備の必要性

 電子化された部隊は、コンパクトで機動性に富むなど優れた点が多い。しかし、逆に電子戦に脆弱であり、またコンピューターに内包された情報はハッキングされ、カウンター・インテリジェンスとして利用されやすい。

 セキュリティには最先端の理論と技術が必要なことは言うまでもない。それに関わる基礎研究、さらに応用研究、そして技術開発などは最高学府や研究所などに依存せざるを得ない。

 また、CIA(米中央情報局)の盗聴がエドワード・スノーデン氏によって明かされ、中国開発の格安スマホ用ファームウェアには利用者の個人情報を収集する機能が組み込まれているなど、エレクトロニクス化は情報収集にも巧妙に利用される。

 しかし、日本は自由民主主義という国家体制上からこうした盗聴システムなどに関心はないし、サイバー攻撃能力も持ち合わせていない。このことは、サイバー防衛能力も保有していないに等しいということでもある。

 防衛能力は攻撃能力と表裏一体の関係にあり、サイバー防衛試験などのためには擬似的な攻撃装置がなければならない。

 先の米国大統領選ではトランプ候補を勝利させるためにロシアがサイバー攻撃を行ったと報道されてきたし、それ以前から、中国は米欧日などの最新兵器情報をハッキングし、新兵器の迅速な開発・装備化に役立ててきたことが分かっている。

 日本でもサイバー・セキュリティを任務とする部隊が新たに創設される状況にあるが、自民党の安全保障調査会(会長・今津寛衆院議員)は、ようやくサイバー・セキュリティ小委員会を新設し、自衛隊による敵基地攻撃の一環としてのサイバー攻撃能力の保有に向けた検討を始めるよう提言をまとめた段階である(「産経新聞」平成29年4月21日)。

 これも、北朝鮮の脅威が顕在化したからで、概略の構想は、北朝鮮が日本向けに弾道ミサイルを発射した場合、まず「SM-3」(イージス艦搭載)と「PAC-3」(ペトリオット装着)によるミサイル防衛(MD)システムでしのぎ、敵基地攻撃手段としての戦闘機や巡航ミサイルなどと連動する形で相手のネットワークにサイバー攻撃を仕かけて第2撃以降の発射を阻止するという、極めて受動的なものである。

おわりに

 北朝鮮は4発のミサイルを同時発射し、3発は日本のEEZ内で約50キロの範囲内に着弾した。「在日米軍基地の攻撃を担う部隊」が発射訓練をしたことを明らかにした。最近の緊張状態の中で発表する北朝鮮の声明には、韓国を火の海にし、日本を沈没させるというセリフもある。

 日本から攻撃を仕かけなくても、時と場合によっては相手国から侵略してくることが予測される。自衛隊はこのように侵略してくる軍隊、その国家に対する抑止力として防衛力を構築している。日本から進んで他国を侵略する意志などないことを国会答弁で、また自衛隊の編制や装備の面から見ても確認できる。

 すなわち「専守防衛」が日本の防衛政策の柱の1つでもある。しかし、禍は突然のようにやってくる。在日米軍基地が目標ということは、日本の領土に落下させ、日本人に被害を及ぼすということでもある。

 こうした事態を抑止することは、自衛隊や防衛企業だけで為し得るものではない。国家の総力を結集した防衛態勢の確立には、理論研究を行っている大学や研究機関などの協力も不可欠である。

 しかし、防衛省が先端研究を助成するために平成29年度から設けた「安全保障技術研究推進制度」に、当初は意欲を示していた多くの大学も、日本学術会議の声明を受けて、二の足を踏み始めている。

 個人的な思想信条から会員の中にも反対者がいるであろうが、「軍事目的の科学研究は行わない」とする声明は自縄自縛に陥る危険性を内包しているように思えるがいかがであろうか。

新生「先進技術推進センター」が目指す橋渡し研究と今後の連携のあり方(
説明資料

執筆中


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「人は何のために生まれ、何のために死ぬのか」「人は何処より来たりて、何処より去るのか」「見えない世界が見えてくる、人類究極の命題への挑戦の書」
PHP研究所 
心の世界はあるのか。あるとすれば、それは科学的に証明できるのか? 人は何処より来たりて、何処へ去るのか? 人はなぜ生きているうちは見えるのに、死ねば見えなくなるのか? 心の世界のあの世と、物の世界のこの世はつながっているのか? つながっているとすれば、どちらが実像でどちらが虚像なのか? 人の心なくして、この世(宇宙)は存在しないのはなぜか? 祈りは願いを実現するのか?……これらの問題を、量子論を通して考えてゆくと、意外な事実が明らかになってくる。それが、理系的思考に慣れていない人にも読めるよう、平易に表現されており、これらの問題を考えたことがなければないほど、知的な興奮を呼び覚ましてくれる。「人類究極の謎」を量子論から科学的に解き明かす、瞠目の一冊。

もくじ

はしがき

第一部 見えない宇宙の探索

   一.見えない宇宙の探索はなぜ必要なのか 24
   二.量子論的唯我論―コペンハーゲン解釈が説く、驚くべき世界観 33
   三.物心二元論の古典的な科学観を超克する 41

第二部 量子論が解明する心の世界

   一.量子論の誕生 49
   二.量子論を理解するための五つの基礎理論 59
     1光は波動性と粒子性を持っている 62
       (1)光の波動性を検証する 64
       (2)光の粒子性を検証する 67
     2電子も波動性と粒子性を持っている 76
     3一つの電子は複数の場所に同時に存在できる
                                (電子の状態の共存性)81
     4電子の波は観測すると瞬間に一点に縮む(電子の波束の収縮性) 84
     5電子の状態は曖昧である(電子の不確定性原理) 93
     6人間の心こそが、この世を創造する(量子論的唯我論) 99
   三.量子論への反論
コペンハーゲン解釈に対する反論 102
     1「シユレデインガーの猫のパラドックス」による反論 102
     2EPRパラドックスによる反論 112
   四.量子論への支持
コペンハーゲン解釈に対する支持 118
     1ペルの定理による立証 118
     2アスペの実験による立証 119
   五.量子論が解き明かす不思議な世界 126
     1ミクロの粒子は心を持っている 126
     2人間の心が現実を創造する 131
     3自然と人間は一心同体で以心伝心である 134
     4空間は万物を生滅させる母体である 138
     5万物は空間に同化した存在である(同化の原理) 141
     6空間のほうが物質よりも真の実体である 142
     7物質世界のこの世が空間世界のあの世に、
       空間世界のあの世が物質世界のこの世に変わる
                 (この世とあの世の相補性) 147
     8実在は観察されるまでは実在ではない
                 (自然の二重性原理と相補性原理) 150
     9光速を超えると、あの世へも瞬時に行ける 157
     10未来が現在に影響を及ぼす(共役波動の原理) 164
     11この世はすべてエネルギーの変形である
                  (波動と粒子の相補性) 165
     12宇宙の意思が波動を通じて万物を形成する(波動の理論) 168
     13祈りは願いを実現する 177
     14量子論が解き明かす世界観 186

第三部 あの世とこの世の関係

   一.あの世とこの世の相補性(その一) 193
     1相対性理論から見た、あの世とこの世の相補性 193
     2量子論から見た、あの世とこの世の相補性 201
   二.あの世とこの世の相補性(その二) 205
     1実像と虚像から見た、あの世とこの世の相補性
                  (相対性理論の観点から) 205
     2宿命と運命から見た、あの世とこの世の相補性
                   (量子論の観点から) 218
   三.東洋神秘思想と相対性理論と量子論の関係 222
   四.宇宙の意思の伝達媒体としての波動の理論 229                 
第四部 進化する量子論―物質世界の解明

   一.量子論が指向する未来科学、ナノテクノロジーの世界 241
     1トンネル効果の発見 241
     2半導体の発見 242
     3量子ビットの発見(量子コンピュータの開発) 243
   二.量子論が解き明かす真の宇宙像 250
     1宇宙はエネルギーのゆらぎから生まれた 250
     2宇宙空間のエネルギーが新しい物質(暗黒物質)を生み出す 253
      (1)真空の宇宙では暗黒物質(万物の素)が
                   生まれたり消えたりしている 255
      (2)暗黒エネルギーが宇宙を加速膨張させている 257
     3並行世界説としての多重宇宙説(もう一つの宇宙像) 260

第五部 量子論の明日への期待―心の世界の解明


   一.多重宇宙説の研究こそが新たな真理の扉を開く 271
   二.人間の生物的時間と宇宙時間 276
     1生理時計 276
     2心理時計 278
     3年齢時計 280
     4人間の寿命と宇宙時計 282
      (1)心拍数や呼吸数から見た寿命時間 282
      (2)遺伝子から見た寿命時間 284
   三.心の時間をいかに生きるか 288
   四.幸福とは何か 292

補論 タイムトラベルは可能か

   一.光速とタイムトラベルの関係 相対性理論の観点から 304
      I先速は「宇宙の最高速度」 304
      2先速が時間と空間を二つにつなぐ 305
      3光速も空間も時間も、重力によって変わる 306
      4光速の壁は破られたのか 307
   二.素粒子の重さと速度とタイムトラベルの関係j-量子論の観点から 317
      1素粒子天文学(ニュートリノ人文学) 317
      2ニュートリノはどうしてできるのか 318
      3素粒子の種類と分類 320
       (1)物質の構成単位として見た素粒子の分類 322
       (2)重さと速度の関係から見た素粒子の分類 323

   三.因果律は崩壊しない?―――タイムトラベルの観点から 328
   四.タイムトラベルは人類の夢 335
      1タイムマシンで未来や過去へ行けるのか 335
       (1)未来へのタイムトラベルは理論上は可能 335
       (2)過去へのタイムトラベルは理論上は不可能 338
      2タイムトラベルの具体的な方法 340
       (1)未来へのタイムトラベル 342
        ①フラックホールを利用する方法
        ②中性子星を利用する方法
       (2)過去へのタイムトラベルの方法 344
        ①タイムスコープによる方法
        ②回転宇宙による方法
        ③ワームホールによる方法
        ④宇宙ひもによる方法
      (3)因果律の崩壊なしに、過去へのタイムトラベルを
                                  可能にする方法 354

参考文献
この本は、どこかの新興宗教の教祖や怪しい霊能師、タレントの美輪明宏氏、江原啓之氏あたりが書いたのならいざしらず、数学者の岸根卓郎京都大学名誉教授(1927年生まれ)によって書かれたのだ。
PHP総研人名事典 岸根卓郎 
京都大学教授を経て、現在、京都大学名誉教授、南京経済大学名誉教授、元沸教大学教授、元南京大學客員教授、元The Global Peace University 名誉教授・理事、文明塾「逍遥楼」塾長。著者の言説は、そのやさしい語り口にもかかわらず独創的、理論的かつ極めて示唆に富む。京都大学では、湯川秀樹、朝永振一郎といったノーベル賞受賞者の師であり、日本数学界の草分けとして知られる数学者、園正造京都帝国大学名誉教授(故人)の最後の弟子として、数学、数理経済学、哲学の薫陶を受ける。既存の学問の枠組みにとらわれることなく、統計学、数理経済学、情報論、文明論、教育論、環境論、森林政策学、食料経済学、国土政策学から、哲学・宗教に至るまで幅広い領域において造詣の極めて深い学際学者である。宇宙の法則に則り東西文明の興亡を論じた『文明論』は、「東洋の時代の到来」を科学的に立証した書物として国際的にも注目を集め、アメリカおよび中国でも翻訳され、中国ではベストセラーとなり、内外でも絶賛され大きな反響を呼んだ。また、著書の『宇宙の意思』は「生」と「死」について、洋の東西における「死生観」の対比を、東洋の神秘思想から西洋科学の量子論に至るまでを視野に入れてひもとくものとして極めて高い評価を得た。本書は、その『宇宙の意思』と『見えない世界を科学する』『量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」』を、より深化させたものである。
(データ作成:2015年)
まず、カバーの裏表紙にある「誰も見ていない月は存在しない 月は人が見たときはじめて存在する」という言葉は、量子論の「この世のモノは見るまで存在しない“非実在性”は巨視的世界にも当てはまる」解釈に基づくようだが・・・。

このコペンハーゲン解釈と呼ばれる問答は、禅問答である。一般人からすれば非常識でチンプンカンな話で、四次元の住人である我々の日常感覚と大きくかけ離れいる。人類が誕生する前から月はあったと証明されたら?盲人にとっては存在しないのか?などと考えてしまうのだが、私の反論もその程度である。

アインシュタインとボーアの伝記を書いた、物理学者のアルバハム・パイスによれば「我々は彼の客観的実在性に関する理解についてよく話し合いました。散歩をしていた時、アインシュタインが突然立ち止まり、私の方を向いて、あなたは月は見ている時しか存在していないと本気で信じているのかと尋ねたことを覚えています」と、彼のアインシュタインですら己の理性を疑ったのだ。しかし、数式は量子論の正しさを証明し、量子エンタングルメントは実験によっても証明されている。

量子論の知ってしまうと、あのアインシュタインですら反論できないのであるから、そういうものだと自分の常識を一度破壊する必要がある。考えてみれば般若心経の「色即是空」「空即是色」、デカルトの我思う、ゆえに我あり」Cogito ergo sumも、同じことを言っているのだ。ちなみにデカルトは哲学者でもあり著者岸谷教授同様に数学者でもあった。

 いうまでもなく、生ある者はいつかは必ず死ぬ。なぜなら、それこそがこの世における「生者必滅の理」だからである。身近な者が死んで、この世から消え去ることほど侈く切ないことはない。また、望みもしないのに、いきなりこの世に放り出され、混沌たる人生を経験させられ、最後に再び見知らぬあの世へと連れ去られることほど「理不尽」に思われることもなかろう。そのときになって、私たちは、はじめて、

「人は何のために生まれ、何のために死ぬのか」

 あるいは、

「人は何処より来たりて、何処へ去るのか」

などと真剣に「自問自答」し「苦悶」することになる。

 ところが、ここに銘記すべきことは、そのような「苦悶の根源」こそが、外ならぬ「私たち自身の心の世界の問題」であり、しかも、それはまた見方をかえれぱ「私たちが神より課せられた天命」でもあるから、私たち自身がいつかは解明しなければならない「人類究極の命題」ともいえよう。

 それにもかかわらず、この「命題」(心の世界の解明)への対応は、近代西洋科学では、これまでは「科学外の問題」として「不問」とされてきた。それこそが、いわゆる近代西洋科学の「鉄則」とする「物の世界のこの世」と「心の世界のあの世」を分別(峻別)し、そのうちの「物の世界のこの世」のみを研究対象とする「物心二元論」の「西洋の科学観」である。                           
 ところが最近になって、この「命題への対応」は「最子論」の登場によって大きく変わろうとしつつあるといえよう。なぜなら、量子論は、この「命題」を、従来のような「心の世界のあの世」を無視し、「物の世界のこの世」のみを研究対象とする西洋の「物心二元論」の「理論的な科学実験」(従来の物理学)によってでもなければ、東洋本来の「心の世界のあの世」と「物の世界のこの世」を分別せずに、両者を一体として考える物心一元論の「思弁的な思考実験」(哲学・宗教)によってでもなく、両者を「融合」した、まったく新しい「物心一元論」の「思弁的で理論的」な「思考型の科学実験」によって解明しようと取り組んでいるからである。

ちなみに、その一例が荘子の「心の世界」について説く「思弁的」な名言、すなわち、

「視乎冥冥 聴乎無聾」(めいめいにみ むせいにきく)
 (見えない宇宙の姿を《心》で視、声なき宇宙の声を〈心〉で聴け)

 に対する、量子論の「思弁的・理論的」な「思考型の科学実験」による回答(解答)である。

すなわち、量子論はこの問題に対しても、 「宇宙は〈人間の心〉なくしては決して〈存在〉しえないから、見えない宇宙の姿も、声なき宇宙の声も、〈人間の心〉があってはじめて〈見たり聞いたり〉することができる」
 ことを「科学的」に立証した(コペンハーゲン解釈、後述)。そして、そのことをもっともよく比喩的に表しているのが、量子論を象徴する、かの有名な、

 「月は人間(その心)が見たときはじめて存在する。人間(その心)が見ていない月は決して存在しない」
 であるといえよう。このようにして量子論は、私たちに、 「〈人間の心〉こそが〈宇宙を創造〉するから、〈人間の心〉なくしては〈宇宙の姿〉(宇宙の存在)も〈宇宙の声〉(宇宙の真理)も解明しえない」 ことを「科学的」に立証した。

 そればかりか、量子論はまた、
 「宇宙も人間と同様に〈心〉を持っていて、〈この世のあらゆる事象〉は、そのような〈宇宙の心〉と〈人間の心〉の〈調和〉(相互作用)によって成り立っている」
 ことをも「科学的」に立証した(コペンハーゲン解釈、後述)。しかも、そのことを傍証しているのが、驚くべきことに、二〇〇〇年も前の「東洋の神秘思想」にいう、

 「天人合一の思想」 (宇宙の心と人間の心は一体である)
 であり、同じく「西洋の論理思想」(ライプニッツによる)にいう、
 「大宇宙と小宇宙の自動調和」 (大宇宙の神の心と小宇宙の人間の心は自動的に調和している) であるといえよう。

 さらに、「量子論」は、
 「〈宇宙は心〉を持っていて、〈人間の心〉を読み取って、その〈願いを実現〉してくれる(叶えてくれる)」 ことをも科学的に立証した(コペンハーゲン解釈、後述)。それこそが「量子論」を象徴する、もう一つの有名な比喩の、

 「祈りは願いを実現する」 である。

 加えて重要なことは、「量子論」は、「〈見えない心の世界のあの世〉は存在し、しかもその〈見えない心の世界のあの世〉と《見える物の世界のこの世〉はつながっていて、しかも〈相補関係〉にある」 ことをも「科学的」に立証した。いいかえれぱ、「量子論」は、
 「〈見えない心の世界のあの世〉と〈見える物の世界のこの世〉はつながっていて〈物心一元論の世界〉である」
 ことをも「科学的」に立証した(ベルの定理とアスペの実験、後述)。
 以上を総じて、本書で究明すべき「究極の課題」は、
 「第一に、人間にとって、もっとも知りたいがもっともわからないため、これまでは〈物心二元論〉の観点から〈科学研究の対象外〉として無視されてきた〈心の世界のあの世の解明〉と、第二に、同じ理由で、これまでは〈科学研究の対象外〉として無視されてきた、〈心の世界のあの世と物の世界のこの世の相補性の解明〉について、それぞれ〈量子論の見地から科学〉しなければならない」
 ということである。

その結果、私か本書を通じて学びえたことは、
 「人類は〈量子論の世界〉を知らずして、〈見えない心の世界のあの世〉についても、その〈見えない心の世界のあの世と、見える物の世界のこの世の関係〉についても解明しえないから、人類はもはやこれ以上先へは進めないし、〈深化〉もできない」 といえよう。その意味は、
 「いまや、西洋本来の〈物の豊かさ〉を重視する《物心二元論〉の物質追求主義の〈物欲文明の時代〉は終焉し、これからは東洋本来の〈物の豊かさ〉と〈心の豊かさ〉を同時に重視する〈物心一元論〉の〈物も心も豊か〉で、〈徳と品格〉を備え、〈礼節〉を知る、〈精神文明の時代〉がやってきた」
 ということである(後述)。しかも、そのことを史実によって科学的に実証しているのが、私の、
 「〈文明興亡の宇宙法則説〉にいう、今世紀中にも見られる、〈西洋物質文明〉から〈東洋精神文明〉への〈文明交代〉による、〈心の文明ルネッサンス〉の到来である」
 といえよう。
 さればこそ、私はここに本書を上梓し、熱い想いを込めて、
「神よ、願わくば、人類に〈心の世界の扉〉を開かせたまえ!」
 と祈りたい。しかも、それこそが、私が本書の課題を、「量子論による心の世界の解明」 におき、その書名をして、「量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」」 とする所以である。

とはいえ、「量子論」は現代科学の最先端をいく「もっとも高度な科学」であるから、それに依拠する本書もまた必然的に「高度なもの」とならざるをえない。そのため、私は本書の執筆にあたり、それを可能なかぎりわかりやすく解説するよう最大限の努力を払ったつもりである。とはいえ、ここでとくに注意しておきたい点は、

 「読者が従来の〈古典的な科学観〉(デカルト以来の物心二元論の科学観)から〈脱却〉ないしは〈超克〉しえないかぎり、〈量子論の理解〉は本質的に〈不可能〉である」
 ということである。なぜなら量子論が指向するような、 「〈真に創造的な学問〉は人知を超えた〈神の領域〉(心の世界)にある」 からである。

その意味は、 「〈真に創造的な学問〉は、〈物の世界の科学〉を超えて、〈心の世界の科学〉(神の領域)にまで踏み込んだ学問(科学)である」
 ということである。いいかえれぱ、
 「〈真に創造的な学問〉は、〈論理性〉と〈実証性〉の外に、〈精神性〉をも兼ね備えた学問(科学)である」
 ということである。さらにいうなら、
 「量子論こそは、まさにそのような〈物の世界の科学〉を超えて、〈心の世界の科学〉にまで踏み込んだ〈従来の学問の域を超え〉る〈物心一元論〉の〈真に創造的な学問〉である」
 といえよう。そして、
 「本書もまた、そのような〈量子論〉に依拠した、〈従来の学問の域を超え〉る、〈真に創造的な学問〉を目指して、〈心の世界の解明〉に迫ろうとする」
 ものである。

 なお、ここに付記しておきたいことは、本書は私の前著の「見えない世界を科学する」{彩流杜、二〇一}年)の姉妹編であり、しかも両著とも「心の世界の解明」を共通のテーマとする「心の書」であるという点では同じであるが、本書の「特徴」は、その「分析の視点」をとくに「量子論に集中」したということである。つまり、本書の特徴は、従来の哲学舎や宗教書のような「形而上学」の「思弁的」な「心の書」とは異なり、現代の最先端科学の「量子論」に基づく「形而上学と形而下学」を融合した「思考型の科学実験」に基づく「新しい心の書」であるという点にある。

 ただし、ここに誤解なきよう、とくに断っておきたい点は、本書は従来の「形而上学」の「思弁的」な「哲学書」や「宗教書」などの「心の書」を決して否定するものではなく、逆に、それらの「価値」を「量子論」の観点から「科学的に止揚する」ことにある。ゆえに、このような見地に立って、本書と私の前著の「宇宙の意思」(東洋経済新報社、一九九三年)や「見えない世界を科学する」(彩流社、二〇一一年)などをも併せ読み進めていただければ、それらの「相乗効果」によって、三者とも、より理解が深まるものと考える。
(略)
二〇一四年 初春  
              岸根 卓郎
かなりくどい文章ではあるが、自分も文章を書いていて思うのだが、あふれ出る言葉を文章にするとこうなりやすい。溢れる情熱を誠実に書き起こしたものだと私は思います。

そこで、本文とは直接関係ないのだが、量子論の「非現実性は巨視的世界にも当てはまる」話として、寺澤武一氏の傑作漫画コブラに出てくる「カゲロウ山登り」の回を本書を読んで想い出したので、紹介したい。

「カゲロウ山登り」
その山が存在する。そう信じている者だけに存在する、幻の山「カゲロウ山」。山頂を求め最初は9人だった仲間が次々と死んでいく。山の存在を信じられずに…。そして、その死の影には裏切り者の気配が。最後まで生き残ったのは、山頂に求めるものがあると信じていた奴と知っていた奴だった。 

本エピソードは、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」Cogito ergo sumがその昔元ネタかと思っっていたが、なんと先駆的量子論的な漫画であったのか・・・しかも原作は1970年代末だ!哲学や宗教とこの量子論はかなり近いのだ。いや、真理の追究において単に経路が違うだけなのかもしれない。

p177-187
13 祈りは願いを実現する

「誰も風を見た人はいない。それでも誰も風の存在は疑わない」
 であろう。それと同様に、
 「誰も神を見た人はいない。それでも誰も神の存在は疑わない」
 であろう。私は、そこにこそ「神を信じる人の祈り」としての「宗教」が生まれたと考える。
しかも驚くべきことに、
 「量子論は、ついにその〈祈り〉が単なる宗教儀式ではなく、〈現実を創造〉し、〈願望を実現〉することを〈科学的〉に立証した」といわれている。

その意味は、
 「この世のくありとあらゆるもの〉は、すべて〈人間の意識〉(心)が創り出している〈想念の世界の産物〉であるから、〈人間の祈り〉(想念、心)によって〈現実を創造〉すれば、〈願望を実現〉することができる」 ということである。それゆえ、
 「祈りは願いを実現する」 ということになる。
もともと、
 「祈りとは、宗教が対象とする至高の存在(神、佛)に向けて、人間が願い(思念、想念)を集中すること」
 であるが、その祈りは全人類を通じて、古代から現代に至るまで連綿として継承されてきた。なぜなら、それは、
 「〈人間〉には〈心〉があり、心があれば〈悩み〉が生まれ、悩みが生まれれば〈神〉に縋りたくなり、神に縋りたくなれば〈祈り〉たくなり、祈りたくなれば〈宗教〉が生まれる」
 からである。
とすれば、この事実こそは、
 「祈りが宇宙の意思(神の心)を通じて願望を創造(実現)することを、人間自身が暗黙裏に認めてきた(信じてきた)証である」 といえよう。

このことを「量子論の立場」から、私なりに解釈すれば、

「祈りには〈空間〉(森羅万象を生み出す母体)が大きく関与していて、その空間に〈人間の祈り〉(人の想念、心)が〈電子〉(その波動)を介して〈同化〉すると、そこに〈素粒子の心〉にも変化が生じ、それによって〈願望の事象〉が生まれ(波束が収縮し)、〈祈りが実現〉する」 ということになろう。このようにして、私は、「〈人の祈り〉は宇宙空間を通じて、〈人の願い〉を〈実現する〉ことを〈科学的〉(量子論的)に立証しえた」 と考える。

そればかりか、このことはまた、 「〈宗教〉の〈存在意義〉の重要性をも〈科学的〉に立証しえた」 ことになると考える。

 以上が、「祈りは願いを実現する」という「量子論の主張」についての私の理解であるが、同じことを、さらに「宗教論の観点」からも考えれば、佛教でも、 三界は唯心の所現」
 すなわち、
三界(現世、この世)は、人の心の現れにすぎない」
 と説いているが、その意味は、
「この世は、人の心が創り出した意識(想念)の世界にすぎない」
ということである。とすれば、そのことはまた、量子論の主張する、
「この世は、人の意識が創り出した想念の世界である」
 とも完全に一致することになる。そうであれば、量子論と同様、宗教(佛教)によっても「人は祈り(想念、心)によって、現実を変え、願いを実現することができる」
 ということになる(参考文献20p194)。
このようにして、私は、ここでも「東洋の神秘思想」(佛教)
と「量子論」の「近さ」を思い知らされる。

 そこで、このような「両者の近さ」について、以下に改めて私見を付記すれば、それはアインシュタインが、     
 「ネズミ(人間を比喩)が見つめただけで(ネズミの意識、ネズミの心だけで)、この世が変わるなどとはとうてい信じられない」 との揶揄によって、量子論の主張する、
 「人間の意識(心)によって、この世は変わる」
 に対し猛烈に反論した点についてである。

 佛教ではその根本思想の一つに「輪廻転生の思想」がある球仁の思想では、人間は死ねば天人、人間、動物、地獄の生き物のいずれかに再生し、それを永劫に繰り返すと説き、人間はこの輪廻から抜け出さないかぎり(解脱しないかぎり)、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の「六道」の間を永遠に輪廻転生することになると説く。

  ところが、佛教では、この「六道」よりもさらに上位に「輪廻転生の世界」を超えた「悟りの 世界」(意識の世界、想念の世界)としての、声聞(しょうもん)、縁覚(えんかく)、菩薩の「四聖道」があると説き、
 その「四聖道」(悟りの世界、祈りの世界)へ行けるのは「人間だけである」として、その「特権」 を「人間以外の生物」には与えていないのである。

その意味は、
 「佛教では、この世のすべての事象は四聖道の特権を与えられた人間の意識だけで創り出されて いるから、アインシュタインのいうような四聖道の特権を与えられていないネズミのような人間 ではこの世は変わらない」  ということである。

  以上を総じて私のいいたいことは、
 「量子論によれば、ミクロの世界のあの世では、人間の意識(心)によって、その現実は瞬時に 姿を変えるから(波束の収縮)、基本的には、そのミクロの世界によって構成されているマクロ の世界のこの世でも、ミクロの世界のあの世の法則(コペンハーゲン解釈)に支配され、人間の 意識(祈り)によって、この世の現実を変え(創造し)、願いを実現することができる」  ということである。

  そして、いみじくも、そのことを二〇〇〇年も前に説いたのが、次のキリスト教の『新約聖 書』の聖句である。すなわち、 『イエス答えて言い給う。神を信ぜよ。誠に汝らに告ぐ、人もし此の山に「移りて海に入れ」と言うとも、その言うところ必ず成るべしと信じて、心に疑はずば、その如く成るべし。この故に汝らに告ぐ、凡て祈りて願う事は、すでに得たりと信ぜよ、然らば得べし』(『新約聖書』マルコ伝第一一章二二~二四節)
 と。そうであれば、私は、二〇〇〇年も前にバイブルに説かれた、
 「祈りは願いを実現する」
 という、この聖句の正しさが、二〇〇〇年後の今日に至って、ようやく「量子論」によって「科学的」に「立証」されることになったと考える。

 そこで、このことに関連して、ここで改めて視点をかえ、後に述べる「宿命と運命」の観点からも「祈りは願いを実現する」について、私見を追記すれば、
私は、
 「あの世(ミクロの世界)での多様な確率的な可能性の〈宿命〉が、〈波束の収縮〉によって、この世(マクロの世界)での唯一の現象(実在)として顕現したのが〈運命〉であると考えるから、〈祈り〉によって、あの世での〈宿命〉を、この世で〈波束の収縮〉によって変えれば、この世での〈運命〉も変えることができるので、〈祈り〉によって〈願い〉(運命)を叶えることができる(実現できる)」 と考える。

この点については、すでに「アスペの実験」でも、「相補性原理」でも、私見を明
らかにした。

 以上が、私の「祈りは願いを実現する」との見解であるが、この点に関連してさらに心理学者のバス教授の理論についても私見を追記すれば、彼は、 『人間のニューロンには数十億の原子レベルの意識が含まれており、それらが人間の心となって、原子、分子、細胞、組織、筋肉、骨、器官などで観測を行っている』 という。もしそうであれば、
 「人間の心は、物事を原子レベルで感知することができる」
 ということになる。もちろん、これは「注目すべき見解」である。なぜなら、
 「原子レベルといえば、それは潜在的な実在(祈り、宿命)が、波束の収縮によって、顕在的な実在(運命)に変わる素粒子レベルのことであるから、このバスの理論は、量子論の観点から見た、前述の私の〈祈りは願いを実現する〉との考えとも通じることになる」 からである。

 以上を総じて私は、 「人間の〈祈り〉が〈波動〉を介して空間に〈同化〉すると、そこに祈りとしての〈宿命〉が生まれ、それが同じく〈波動〉を介して時間の経過とともにこの世に運ばれると、それが人間による〈波束の収縮〉によって現実の事象としての〈運命〉になり、祈りは〈実現〉する」 と考える(図3-4を参照)。

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                                                   それゆえ、私は、 「〈祈り〉とは単なる宗教儀式ではなく、〈人間の願望〉を実現するために必要な〈人間の心の在り方の問題〉である」 と考える。

そして、この考えこそが、私の主張する「量子宗教」(著者造語)の意味である。
なお、この「量子宗教」について詳しくは、私の前著の『見えない世界を科学する』を参照されたい(参考文献21p322-331)。

 以上のようにして、私は、 「祈りは願いを実現することを、量子論的見地から〈科学的〉に立証しえた」と考える。とすれば、これこそは、本書の課題とする、
 「〈量子論による心の世界の解明〉への〈一つの解答〉である」
 ともいえよう。

 ところが残念ながら、現実には、 「祈りは必ず願いを実現する」 とは思えない。
なぜだろうか。私見では、それには主として次のような理由があるからではな
かろうか。

一つは、 マクロの世界のこの世に住む私たちが、「祈り」によって、ミクロの世界のあの世で選択したことが(それが「願いとしての宿命」)、時間の流れるマクロの世界のこの世に時系列順に運ばれてきたのが、その時々の「現実としての運命」である。ところが、残念ながら、私たちは自身がミクロの世界のあの世で、祈りによって選択したこと(宿命)と、それがマクロの世界のこの世に時系列順に現れてきたこと(運命)との「相補性」については「まったく気づくことができない」から、その「違い」が私たちにとっては「祈りは願いを実現するとはかぎらない」と映るのではなかろうか。

二つは、私たちこの世に生きる一人ひとりはすべて「異なる願い」を持っているから、それらの多くの「異なる願い」は、多くの場合、互いに「背反」したり、「競合」したりしているはずであるから、もしもそれらの多くの人々の「すべての願い」が「祈り」によって「すべて実現」したとすれば、そのとき、社会は「大混乱」に陥ることになるから、「宇宙の意思」によって、そうならないようになっているのではなかろうか。

 以上のような理由から、私は、 「いまだ隠された宇宙の意思」(いまだ知られざる神の意思)によって、祈りはすべての人々の願いをすべて実現することはできないようになっている」のではないかと考える。

そうであれば、私は、「その隠された宇宙の意思(神の意思)とは何か」 を探ることもまた、「心の世界の解明を目指す、量子論にとっての重要な課題の一つ」ではなかろうかと考える。

14 量子論が解き明かす世界観

 以上は、「量子論が解き明かしてきた数々の不思議な世界」、なかんずく「コペンハーゲン解釈の世界」について見てきたので、最後にその要点を箇条書きにして「総括」しておく。

(1) この世が存在するかぎり、必ずあの世も存在する
(自然の二重性原理と相補性原理)
(2) あの世とこの世はつながっていて、しかもあの世がこの世へ投影されている(自然の二重性原理と相補性原理、ベルの定理とアスぺの実験)
(3) この世とあの世は、その境界領域において互いに干渉し合っている(ベルの定理とアスぺの実験)
(4) この世が虚像で、あの世が実像である
(自然の二重性原理と相補性原理)
(5) 物質世界のこの世が空間世界のあの世に変わり、空間世界のあの世が物質世界のこの世に変わる(状態の共存性と相補性原理)
(6) 人間はなぜ生きているうちは見えるのに、死ねば見えなくなるのか(自然の二重性原理と相補性原理)
(7) 人間にとって、あの世の宿命は、この世の運命である(相補性原理)
(8) 人間の意識がこの世(現実の事象)を創造する(波束の収縮性原理)
(9) 万物は空間に同化した存在である
(波動性と粒子性、および同化の原理)
(10)空間のほうが物質よりも真の実体であり、空間こそが万物を生滅させる母体である(波動性と粒子性、および同化の原理)
(11)万物は観測されるまでは実在ではない(波動の原理)
(12)未来が現在に影響を及ぼす(共役波動の原理)
(13)素粒子はあらゆる形状や現象を生み出す素因である(波動の原理)
(14)この世はすべてエネルギーの変形である
(ディラックの原理と波動の原理)
(15)宇宙の意思が波動を通じて万物を形成する(波動の原理)
(16)祈りは願いを実現する(波動の原理と波束の収縮性原理)


量子論と意識と脳 2017/1/19(木) 午前 2:21 

死後の世界を量子論で科学する.mp4


いま、科学は20世紀の常識を大幅に超越した新たな段階に到達し始めた。
我々の20世紀持っていた常識は、丹波哲郎の大霊界話に負けてしまったかもしれないのだ・・・・いままでオカルトや超常現象といった非科学的なものが科学される時代となってきたのだ。




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昨日騎士団長殺しを読み終えた。

個人的には面白かったが・・・おそらく世間からは駄作だとバッシングされるだろう。
爆笑問題の太田が上から目線で村上春樹を批判してインテリぶる醜い姿が容易に想像できる。わたしもこれでノーベル文学賞が取れるとはとても思わない。

だが、世の中年の男性にとって、もしかしたら私個人の意見にすぎないかもしれないが、小気味よく読めて、けっして駄作だとは思わない。私の期待を裏切らなかった。いつもの村上春樹ハードボイルドワンダーランド劇場であった。

だが、まだ1回しか読み終わっていない。また何回か読み直してみようと思わせる作品だが、ノーベル賞を取ろうとして背伸びして、哲学やら人生論、男女関係のありがたい話、ホラー小説、エロ小説、ファンタジー小説、沢山の伏線を引いて、話を盛っておきながら、最後は取集がつかなくなって、爆死したようにも思えるのだ。

アリスインワンダーランドのように夢落ちでしたジャンジャンではないぶんマシであったが、・・・・ヤバイヤバい、すいませんここからネタバレになるかもしれませんので、未読の人で、知りたくない人はここで読むのを止めてください。


ここからは、既に一読した人だけ読んでください、既に全国には100万人近くのハルキストのうち50万人位は土日のうちに読み終えているでしょうから・・・

個人的仮説だが、秋川まりえは、雨田具彦の家とまりえの家を繋ぐ道は、メタファーが通る穴倉の一部である設定であって、本当はその異世界で、父親が騙されている邪悪な新興宗教のメタファーに捉えられているという当初構想であったのではないかと思う。

ところが、なんだよ~あまりの世俗的なネタバレ、イデアだのメタファーだの登場したあげく、ふざけんなというまりえの隠れ場所。

結局、騎士団長の悪戯に付き合わされて、大騒ぎしただけだった・・・
南京事件やアンシュルスも何も直接的に物語に影響がなかった・・・なんだよ~

思うに、村上春樹は自分ではノンポリだと思っていても、東京裁判史観が身についてしまい覚醒できないままの団塊の世代の代表なのだ。村上春樹より10歳以上歳下のDdogと同い年の免色渉からみれば、赤く染まっているのだ。




執筆中

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待っていたぜハルキ!この期待を裏切らないでほしいなぁ~
今夜は「騎士団長殺し」を徹夜で読むみながら、ブログでも書いてみようか?


ネタバレになるかもしれませんが・・・

さて、現在2017年2月23日22:20 では読みだすとします。


読書中・・・・
22:34
主人公は画家のようだ。
顔のない男が登場して、自分の肖像画を書くように依頼する。
ペンギンの御守りを置いて去っていく。
騎士団長殺しとはある画家が描いた絵のタイトルのようだ



1.もし表面が曇っているようであれば
23:04
画家は結婚し復縁したようだが、離れていた9か月がこの物語のようだ、当時35歳
友人の父の別荘ににタダ同然で住まわせてもらっている。

さっそく28歳と41歳の人妻とSEXをしている。どちらも自分の絵画教室の生徒。
そのコテージは小田原~箱根の山中にあるらしい。
それにしても、村上春樹の小説ではSEXは息をしたり、食事をしたり、トイレに行くのと同列だ。特別なものではなく、人間の日々の行為なのだが・・・
私達世代は村上春樹に感化され、当たり前に異性と気軽にセックスができる男がかっこいいと、思い込んでしまった世代かも知れない。

家内もこのブログはたまにチェックすることがあるので、自分のことはこれ以上は書けない。

肖像画家としては有名になったらしい。職業肖像画家の仕事ぶりについてのな話をする。いつのまにか肖像画家として有名になっていた。

2.みんな月に行ってしまうかもしれない

奥さんは突然夢を見て、貴方の別れなくてはなないと思ったというのだ。
女は男にとってミステリアスなところがある。でも実は妻は不倫をしていた。
妻とのなれそめ。ガールフレンドの親友だった。なんだこの男は、ゲスな女にダラシナイだけの男だったんだ!妻の名はゆず、3つ下の12で死んだ妹と同じ目を持っている。

男は離婚を切り出されたその日のうちに旅に出て、新潟から北海道方面、やがて旅に厭き出した頃、車が壊れ、東京に戻り、親友父の住んでいた箱根山中の家に住むことになった。

23:50
ブログを書きながらだとページが進まないw

3.ただの物理的な反射にすぎない


すいません、あっさり寝落ちしてしまいました。

土曜日の9:00現在まだ読書中です。遅々としてすすみません昼過ぎから、外出の予定です。



オペラ・ドンジョバンニ 騎士団長殺し・・・ 13分過ぎのシーン

読書中・・・・

ようやく日曜16時過ぎ、第一部イデア編を読み終えた。金曜の夜のうちに寝落ちしてしまったせいもあるが、途中入院した妻が、予定より早く退院することになり、土曜も日曜も駒澤の旧国立第二病院に通い、諸事務をしたり、娘にご飯をこしらえ洗濯・掃除に家事に時間をとられてしまったこともある。

だが、100ページ目までは話の前置きのようで・・・いささか退屈だった。物語に乗ってこなかったのだ。何度も寝てしまい集中力が欠けてしまったのだ。
妻の消失と新しいガールフレンドとのエッチ、ねじまき鳥と”女のいない男”たちを合わせたような・・・

物語が動き出した・・・その登場人物の名は免色渉・・・おいおい、今度は”色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年”かよ・・・ひょっとして、駄作か?と少し不安になった。

そして、物語が、プラトン的イデアではなくカント的なイデア、つまり可視的な霊的なイデアである騎士団長の登場で、一気にレキシントンの幽霊/東京奇譚集や1Q84/海辺のカフカのようなスピリチャルな物語に・・・

200Pを越えてからは100P/1時間のいつものペースで読み切った。とにかくいつものハルキワールドは継続されております。

退院した妻の為にこれから夕飯用のジャンボ茶碗蒸しを作って、第二部を読む予定です。やばい日曜日の深夜月曜日まで寝れなくなったらどうしよう。

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