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政治経済軍事外交、書評に自然科学・哲学・聖地巡礼・田園都市ライフ、脳の外部記憶媒体としてこのブログを利用しています。2020/11/30以前はGoogle検索でキーワードを入れると常に上位にありましたが、日本のトランプ大統領デモを紹介した記事が米国でバズって以降検索アルゴリズムから排除され検索ヒットされにくい状態です。是非ブックマークをお願いします。このブログをご訪問していただいた方の知識や感性として共有できれば幸せに思います。

カテゴリ: 経済学




衆院は9日の本会議で、日本銀行の新たな総裁に経済学者の植田和男元審議委員を起用する政府の国会同意人事案を賛成多数で可決した。参院も10日の本会議で同意する見通しで、内閣の任命を経て来月9日に植田体制が発足する。

  植田氏は4月8日に任期満了を迎える黒田東彦総裁の後任となる。衆院は次期副総裁に内田真一日銀理事と氷見野良三前金融庁長官を充てる人事案も併せて可決した。両氏は雨宮正佳、若田部昌澄両副総裁の任期満了の翌日にあたる3月20日付で就任する。

私は安倍首相亡き後の日本の金融政策がどうなるか不安でしかたがなかった、特に円安物価高となり
金融緩和政策変更を求めるバカな意見がが安倍首相暗殺後地上波ワイドショーなどで高まり、黒田日銀総裁の後任人事が気になってしかたなかった。候補に上がったなかで金融引き締め派の・伊藤隆敏 経済学者や、中曽宏 日銀副総裁に決まればアベノミクスで最悪期を脱した日本経済が元の木阿弥どころか更なる地獄へ落ちると怯えていました。雨宮正佳 日銀理事ではなかったのは残念だったが高橋洋一氏の 植田和男評を聞きひとまずは安心しております。

 


高橋洋一氏曰く日銀総裁とはいえ政府の子会社の社長に過ぎず政府の政策目標経済方針が大きい。
安倍晋三回顧録に金融政策とは雇用政策だと
書いてあり、安倍首相は金融政策の本質を理解していたが元長銀とはいえ岸田は・・・・理解しているのか疑問だ。
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※安倍晋三回顧録より高橋洋一チャンネル動画より切り取り




 世界中が現在未曾有のインフレに頭を抱えている。好景気の需要増によるインフレーションデマンドプル・インフレ国民経済の総需要の伸びが総供給に追いつかなくなるために生じる物価上昇現象ではない。
米消費者物価は賃金上昇により市場予想を上回る1月6.4%上昇している。米連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長は3/8、下院金融サービス委員会の公聴会で証言し、利上げペースが加速し、最終的な金利水準が想定以上に上昇する可能性と証言した。


米国では、新型コロナ禍にもかかわらずトランプ大統領の経済政策により未曽有の好景気が続いた。


2022年6月に消費者物価指数の伸び率が昨年比9.1%という衝撃的な値を記録。中央銀行にあたるFRB(連邦制度理事会)はインフレに対して金融引き締め(利上げ)を実施した。

これは好景気の需要増によるインフレーションデマンドプル・インフレにみえるのだが、民主党バイデン政権がロシアのプーチン大統領挑発し引き起こされたウクライナ侵攻戦争と米中デカップリングによって「デマンドプル・インフレ」+「コストプッシュ・インフレ」になってきた。

コ ストプッシュ・インフレは原材料費などコストの上昇が原因で発生するインフレで原材料や資源を供給する企業が価格を引き上げることによって起こされ人手不足で賃金が高騰した場合もコストプッシュ・インフレは、供給力の低下よって起こります。例として、1970年代の石油ショックが挙げられます。
需要が伸びるのがデマンドプル・インフレ、供給が下がるのがコストプッシュ・インフレ。この2つは、全く異なるインフレでなのだが、今回はロシアを封じ込める為に、ロシア産原油天然ガスの供給がストップして世界的エネルギー価格が高騰しました。他にも、気候変動や台風による農作物の不作により食料価格が上がっており、「デマンドプル・インフレ」+「コストプッシュ・インフレ」になっているように見える。第二次世界大戦後から2021年までに米国で発生したインフレのほとんどがコストプッシュ・インフレ、もしくは、コストプッシュ・インフレの複合型である、と考察されています。デマンドプル・インフレと比較して、コストプッシュ・インフレの方が起こりやすい、という印象を受けました。



第二次世界大戦後の世界は「デマンドプル・インフレ」+「コストプッシュ・インフレ」であった。

現在世界は中国ロシアを世界経済から切り離す作業を進めている。ロシアはエネルギー食料の供給元であり供給力が低下している。そのうえ世界の工場であった中国の切り離しである。どう考えてもコストプッシュ・インフレになる可能性が高いのです。

日銀以外は米FRBをはじめとする各国の中央銀行は、「利上げ」を選択しています。「利上げ」は「デマンドプル・インフレ」の処方箋でしかない。

 デマンドプル・インフレの、利上げは「需要を冷ます」ので効果的です。しかし、コストプッシュ・インフレの場合は逆です。利上げにより、設備投資が抑制されるので、供給力がさらに下がり、長期的にはかえってインフレが進行します。

 コストプッシュ・インフレに対して、中央銀行ができることはほとんどありません。彼らは、「インフレが起こったら利上げをする」という思想に染まっているにすぎず、この発想は新自由主義からきています。

 新自由主義では、政府による財政政策ではなく、中央銀行の金融政策と市場の原理に委ねるという特徴があります。


2022年末時点で、米国のインフレ率の上昇は減速しています。一方で、FRBは利上げ幅を縮小しつつも、2023年になっても利上げを継続しています。

米国の利上げは為替市場にドル高を引き起こし、米国以外の国は一層のインフレを引き起こします。利上げは需要を落とすということは、極端に言えば、失業者を増やして賃金を抑制する、ということです。これでは、景気が良くなるはずはありません。現在八方塞がりの英国経済を研究すれば明らかです。



トラス政権は英国史上最短の政権となったが、失敗の原因は減税政策というより利上げ+コストプッシュ・インフレが政権崩壊の原因だったと思う。

英国はエネルギー不足でエネルギー価格が高騰した為、70年代サッチャー政権に倣い。教科書通り、エネルギー関連の公共投資や民間投資が進むようトラス政権は減税政策を打ち出した。

 もちろん、投資をしたとしても、すぐに供給力が追い付くわけではありません。例えば、エネルギー開発のための設備投資をしても、すぐに設備は完成しません。直ぐに効果がでることはありませんでした。

ポンド安を防ぐ為英国は利上げしていました、企業は設備投資を控えてしまいます。つまり、供給力を強化することができない為・英国はインフレに拍車がかかりトラス政権は崩壊した。


コストプッシュ・インフレの処方箋は財政政策である。「公共投資によって供給制約を取り払う」と書かれていました。さらに、「供給」に政府が介入することが「需要」の拡大に寄与しうる、


現在のコストプッシュ・インフレで、供給を上げる政策が必要不可欠で。供給を上げるためには設備投資をしなければなりません。1990年代~習近平が登場するまで、世界はグローバリゼーションの掛け声で世界中が人件費等のコストが安い中国へ投資したがグローバリゼーションは中国という世界秩序を破壊する怪獣を生んでしまった。

供給を増やすための投資先として中国は選好されないどころか一斉に中国から生産設備を引き上げています。

我々が現在体験しているインフレは、ロシアによるウクライナ侵攻であるが同時に中露を世界経済から切り離す「グローバリゼーション経済の崩壊」である。

グローバリゼーションは世界中が自由に繋がり自由競争があって成立していた。ところが中国はグローバリゼーションを悪用、米国欧州も制度を悪用し二酸化炭素による環境問題を悪用して自国有利の規制を設けて自由で公平な国際秩序を破壊しグローバリゼーションも破壊された。


グローバリゼーションは、米国の覇権の下で国際秩序が安定していたからこそ、成立したガラス細工でした。低賃金労働者を求めて世界中のあちらこちらに製造拠点を設けることもできたし、国境を越えて低賃金労働者が集まって来ました。それにより、賃金と物価の上昇が抑制されてきた。

 しかし、中国の台頭は、グローバリゼーションの前提である自由で公平な市場が阻害され、その上愚かな習近平というか中国共産党が米国の覇権に大ぴらに挑戦しはじめたのだ、国際秩序が乱れ、ウクライナ侵攻戦争はいつ終わるか知れず 台湾有事戦争が起こるか分からず、グローバリゼーションが今後成立するわけありません。

 グローバリゼーションが終わった以上は、安い労働力を求めて世界中に安易に工場を建てることはできません。グローバリゼーション崩壊によるインフレの発生は必然的です。



FRBが利上げで犯している二つの間違い
中央銀行に限らず、1980年代以降の主流派の経済学者たちは、インフレ対策=利上げとしか考えていません。彼らは「中央銀行の仕事は物価を安定させることである」という共通認識を有しています。
日本銀行法第1条第1項、第2条)
日本銀行の金融政策の目的は、物価の安定を図ることにあります。物価の安定は、経済が安定的かつ持続的成長を遂げていくうえで不可欠な基盤であり、日本銀行はこれを通じて国民経済の健全な発展に貢献するという役割を担っています。

 中央銀行も主流派の経済学者たち特に日経新聞や大手金融機機関やその研究機関ですら、デマンドプル・インフレとコストプッシュ・インフレを分けて考えていないのが危険きわまりない。

──米国では、2022年8月に予算3690億ドル(約54兆円)の「インフレ削減法」が成立しました。


インフレ削減法は茶番劇であった。供給側を強化し、再生可能エネルギーやインフラへの積極的な投資をするのは理解できるが、ダボス会議の連中が推進する、再生可能エネルギーやSDGs的な政策はどう見てもバイデンの中間選挙対策でしかなく「インフレ削減法」と銘打たれが、実際のインフレ抑制効果はあまり期待できそうにない。議会予算局(CBO)によると、同法が2022年のインフレ率に及ぼす影響はほとんどなく、2023年への影響もマイナス0.1%~0.1%と見積もられる。むしろ、インフレ率を上昇させる可能性もあるという同法はインフレ抑制には、短期的にほとんど効果をもたらさないうえに、経済成長に及ぼすプラス効果もあまり見込まれない
 
 グローバリゼーションは新自由主義の一側面であり、企業は短期的な利益ばかりを追うようになっていました。

 日本においてバブル崩壊以降研究開発や労働者教育に対して投資をしないので、労働者の生産性は上がらない。長期の設備投資もしないので、生産力も伸びない。かつ、インフレになることを恐れ、財政健全化を優先して積極財政をやめました。

 奇跡的に誕生した安倍政権であったが、野党と財務省に嵌められ二度の消費税増税をしてしまった。消費税減税をしないかぎりインフラは老朽化し、供給力は下がる。パンデミックや戦争のような急性インフレでは黒田日銀総裁金融緩和がなければスタグフレーションになっていたと思います。 

岸田政権は、あくまでも私見だが安倍首相に比べ金融経済政策への理解が足りない。
岸田政権のブレーンは原丈人氏やデービッド・アトキンソン氏らしいが世界中が失笑したインベストインキシダ/新しい資本主義は現在影も形もみえてこない。。

 


ただ、米国に教えてもらった台湾有事には何とか反応してくれた。新しい資本主義では言及していない議で、日本銀行の新たな総裁に経済学者の植田和男元審議委員を起用する政府の国会同意人事案を賛成多数で可決した。参院も10日の本会議で同意する見通しで、内閣の任命を経て来月9日に植田体制が発足する。
 岸田は国防の為というより増税目的なのが気に食わない。

岸田は偶然に、米国に脅され防衛費倍増、東北の地震で電力危機による「原発再稼働」。両者への公共投資を決断した。

お花畑ぽい岸田文雄にしては本意ではないと思うがいい仕事をした。

安倍首相が全てレールを敷いていてくれたからだが岸田文雄本人は理解しているか疑問だ。

安倍首相がトランプ前大統領にレクチャーして始まった米中デカップリングだが、いまや米国主導で台湾有事にそなえるための経済を日本も構築しはじめました。

しかし、先日遅ればせながら報道された中国人による沖縄の無人島取得、に代表される中国人による日本の土地取得制限もしくは禁止。中国製太陽パネルを使った無秩序な太陽光発電所開発岸田政権は依然鈍感だ。


現状有事で台湾侵攻が発生したならば第三次世界大戦の勃発であるくらいの危機感はもってほしい。




話が遠回りしてしまったが、植田日銀新総裁が決まったが、所詮日銀総裁は政府岸田の意向に従うしかない。

「自民党最大派閥の安倍派は安倍晋三元首相のレガシーとしてアベノミクスの維持を非常に重視している」とする一方、岸田は金融政策を正常化と言いつつ脱アベノミクスをするため植田氏を総裁に起用した。今のところ植田新総裁は現行の金融緩和・低金利を維持すると言っているが、いずれかのタイミングで金融政策を修正するだろう。

ただ、拙速に政策修正に傾いた場合米国のリセッションより先に、日本がリセッション入りしかねない。
 欧米のインフレ率の高止まりが注目される中、日本と欧米のインフレ率格差が縮小しつつある。


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 1月の消費者物価指数(CPI)は総合ベースで前年比+4.3%(以下、前年比で議論)と前月の+4.0%から加速し、生鮮食品除くコアベースでも+4.0%から+4.2%へとやはり加速している。
図1 消費者物価指数の各国比較(総合指数の前年同月比)

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 なお、生鮮食品およびエネルギーを除くコアコアベースでは+3.2%と伸び率が低くなるものの、これも前月の+3.0%からは加速している。基調的に見た日本のインフレは現状のところ加速中である。

「基調的な動き」から引き締めを判断する植田新体制
 、2月以降は光熱費高騰を軽減する「電気・ガス価格激変緩和対策事業」の適用が始まるため、CPIは顕著に減速する見込みだ。総務省が3日発表した東京都区部の2月の消費者物価指数(中旬速報値、2020年=100)は、変動の大きい生鮮食品を除く総合指数が103.7で前年同月比3.3%上昇した。1月の4.3%から1年1カ月ぶりに伸びが鈍化した。政府による電気・ガス料金の抑制策の効果が表れた。

 今後、こうした動きが全国にも波及することになるが、東京都区部のCPIについて、生鮮食品およびエネルギーを除いたコアコアベースを見れば、2月は+3.2%と1月の+3.0%から実は加速している。

 
 もちろん、日本のCPIの伸びはユーロ圏のそれほど大きくないが、名目賃金の伸びがユーロ圏のそれよりも低いのだから当然である。問題は、CPIの伸び率に関して「コアコア>コア」という構図が続く





 植田新体制とはいえ米国FRBの利上げに円安物価高となりワイドショーで利上げの念仏合唱が大きくなった場合、ポピュリスト岸田はあまり考えもなく利上げを指示すると思われる。



2月24日の衆院議院運営委員会における所信聴取において植田新総裁は
大規模な金融緩和を見直すタイミングについて「2%の物価安定目標が見通せるようになっていくと見込まれる場合は、金融政策の正常化に向かって踏み出すことができると考えている」と述べました。「基調的な物価の判断が大きく改善することが必要」との認識を示している。

私は植田新総裁というより岸田が金融緩和を見直したがっているので、利上げはコストプッシュ・インフレではインフレ抑制機能が機能しないにも拘わらず利上げしかねない。
利上げはマイナスにしか働かない

 CPIに合わせた名目賃金の上昇が確認されれば日銀も動かざるを得ず、予想外の円高リスクに備えるべきだ。

 既に最大手自動車会社が早々に満額回答したことが話題となっているように、大幅な賃金上昇への期待は例年になく高い。同企業に限らず、賃上げ報道は頻発しており、円高→デフレ不況へ逆戻りしかねない。

 

植田和男新総裁誕生で、どうなる日銀の金融政策?[三橋TV第675回]三橋貴明・高家望愛




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【REUTERS】 Yawen Chen 2021年3月7日8:16 午前

[香港 5日 ロイター BREAKINGVIEWS] - 中国のエコノミストが書いたリポートが、政府の神経を逆なでしている。「スタグフレーションがやって来る」と題する著名エコノミストRen Zeping氏のリポートは、1日に公表されるやいなや同国のソーシャルメディア上で爆発的に拡散した。5日に開幕した中国全国人民代表大会(全人代=国会)では経済計画が打ち出される予定だが、リポートへの反応からは経済政策が直面する難題が見えてくる。
 
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3月5日、中国のエコノミストが書いたリポートが、政府の神経を逆なでしている。北京で撮影(2021年 ロイター/Tingshu Wang)

Ren氏は政府の調査部門でエコノミストを務めた経歴の持ち主。2014―15年の中国株の強気相場を正確に予想し、その後の暴落も事前に示唆したことから信奉者が増えた。今回のリポートを読んだ人々の一部は2010年のことを思い起こした。当時は消費者物価インフレが起こる一方で国内総生産(GDP)成長率は減速するという明確なかい離が生じ、一般市民の不満を買った。

中国の人々が現時点でスタグフレーションを心配するのは奇妙に映るかもしれない。スタグフレーションとは、1970年代に米国を悩ませたような低成長と高い物価上昇率の組み合わせだ。中国政府は5日、成長率の目標を「6%以上」に設定したと発表した。昨年はコロナ禍で目標設定を見合わせていた。現在、消費者物価のインフレは無きに等しく、食品を除く消費者物価指数(CPI)は1月に1%近く低下している。政府の今年の目標は3%の上昇だ。

もっとも民間調査によると、1、2月に製造業の景況感は弱まり、サービス業も落ち込んだ。同時に、ゴールドマン・サックスの推計によると世界のコモディティー価格は今年に入って20%前後も上昇している。いずれは世界最大の原油、鉄鋼、銅輸入国である中国にも打撃が及ぶだろう。景気刺激策が世界的なインフレを引き起こすとの懸念から、米国債利回りは既に上昇している。

中国人民銀行(中央銀行)共産党委員会書記である郭樹清氏にとって、これらはすべて頭痛の種だ。郭氏は、景気回復を損なわずに過度なレバレッジを抑制することに努めてきた。中国は新型コロナウイルス大流行に伴うロックダウン(都市封鎖)と景気後退からいち早く抜け出し、国民の間には浮かれムードが広がったが、最近はそれが衰えてきたことを郭氏は重々承知しているはずだ。今週行った講演では、コロナ禍対応の刺激策と補助金が徐々に終了する中で、金利の上昇は避けられないと発言。これを嫌気して株価は下落し、銀行当局が、郭氏は正式な利上げを示唆したわけではないと釈明する事態となった。

政策が正常化すればインフレ圧力は低下し、通貨が上昇すれば輸入エネルギー価格の上昇も和らぐかもしれない。しかしそうなれば、未だ不均衡かつ不完全な景気回復はとん挫するリスクがある。他方、インフレ圧力を放置すれば、郭氏が抑制に努める一級都市の不動産価格など、資産価格に波及しかねない。中国きっての敏腕政策責任者らが、厳しいジレンマに陥るかもしれない。

●背景となるニュース

*全人代が5日開幕し、李克強首相は2021年の成長率目標を6%以上に設定する政府活動報告を発表。昨年は目標設定を見合わせていた。

*政府の調査部門に勤めた経歴を持つRen Zeping氏は1日、対話アプリ「微信(ウィーチャット)」の自身の公式アカウントで「スタグフレーションがやって来る」と題したリポートを公表した。中国の景気サイクルは回復期からスタグフレーション期に移行中だと唱えている。

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*中国人民銀行(中央銀行)共産党委員会書記である中国銀行保険監督管理委員会(銀保監会)の郭樹清主席は2日の記者会見で、今年は市場金利の上昇に伴って貸出金利も上昇するとの見方を示した。この報道を受けて株価は下落した。

*郭氏は、政府は国内市場の波乱を避けるため資本流入を管理する方法を検討中だと説明。当局は、外国市場でのバブル崩壊リスクを「非常に懸念している」と述べた。バブルのリスクは、中国の不動産セクターが直面する最大の課題だとも指摘した。
20年待った、いよいよその時がやってくる。その時とは、先送りに先送りを重ね、膨らみ切った中国経済の歪が、一気に崩壊するときである。

今年1月1日より膨らみ過ぎた不動産バブルを放置できなくなった当局は2020年12月中央経済工作会議において、日本のバブル崩壊の引き金を引いた、土地の総量規制を密かに決定していたのだ!

GDPの世界ランキングで1位は米国、2位は中国、3位が日本ですが、世界第2位の中国が、もし本当に6%もの高成長を実現しているならば、社債市場ではデフォルト(債務不履行)が多発しているニュースが流れるでしょうか?

中共ウイルスにもかかわらず20年10~12月の実質GDPは前年同期比6.5%高成長はありえない、普通は人口増加が著しい新興国でしか実現できません。経済規模が大きくなるにつれ、成長率は徐々に低下していくのが自然です。

中国政府の発表をそのまま信じるアナリストや、エコノミストは、中国は世界2位の経済大国になってなお6%もの高成長を持続していることに疑問を感じないのであろうか?

中国政府の発表ベースでは、2007年以降、中国のGDP成長率は6%を下回ったことがありません。世界景気の影響を受けやすい中国のGDPがこんなに安定しているはずがありません。

中国は、1980年代に社会主義国の体制を維持したまま、資本主義革命を実施しました。その結果、中国は、極端な資本主義と、社会主義が共存する異形の大国となりました。

中国は、経済を力ずくで思い通りに動かそうとします。今にも崩壊しそうな計画経済バブルと、計画経済で膨らませた非効率な投資、ゾンビ企業の延命だけ見ていると、今にも中国バブルが崩壊しそうに見え20年持ちこたえてきました。

中国経済が危機的であった1998年にも、高成長に入ったあとの2004年にも2008年にも2015年も、本来ならばバブル崩壊していたはずですが、当局の指導で持ちこたえさせてしまいました。

「いつか中国バブルが崩壊する」という論調が多いが、実際には、そうなってきませんでした。私は、これからも当分、いわゆるバブル崩壊はないと思っています。景気後退はあり得るが、日本が1990年代に経験したようなバブル崩壊は免れてきました。

計画経済で膨らんだ非効率な投資は、付けをまわしただけで清算されていません。地方に林立した誰も住まない高層マンションがゴーストタウン化している問題、非効率な鉄鋼業のゾンビ企業が延命している問題など、資本主義ならとっくに清算している付けを貯めに貯めている。バブルの一部は、すでに崩壊しているが、社会主義のドラえもんのポケットは無限ではないのだ。



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 中国・武漢市発の新型コロナウイルス・ショックで、国際金融市場の総本山、ニューヨークを含め世界は阿鼻叫喚だ。株式をほとんど持たない筆者を含む庶民にとって気掛かりなのは、われわれの暮らす実体経済への波及だ。特に日本の場合、消費税増税のために衰弱した家計は米国や中国よりもはるかに深刻な打撃を受けかねない。


 グラフは円の対ドル相場と日経平均株価、米ダウ工業株30種平均の日ごとの推移である。ぞっとさせられるのは、円高と日米株安の連動だ。日経平均がダウ平均に引きずられるのは上昇局面でも同じだが、円高と呼応すると、日本経済沈没の予兆となりかねない。

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 3年前のトランプ政権発足以来、順調だった米国の経済成長は株高に支えられてきた。家計や年金の資産が株式中心、企業の設備資金も株式市場で調達する構造になっているからだ。この米国特有の経済モデルは、株価暴落によって一挙に崩れるもろさがつきまとう。

 日本の円は実のところ、米国自身が発行するドル以上に米株高に貢献してきた。日銀はアベノミクスが始まった2012年12月末に比べて、19年12月末で3・9倍の円資金を発行した。増加額は381兆円に上る。日銀資金を受け取る日本の銀行(邦銀)の対外融資は19年9月末時点で4・3兆ドルと、12年末に比べて1・4兆ドル(約145兆円)増えた。

 対照的に、米連邦準備制度理事会(FRB)によるドル資金の発行残高は15年3月をピークに最近まで減らし続けた。巨大な日本の余剰資金が米市場に流入して米株価を押し上げたのだ。


 日本のカネが国内ではなく海外に流れ出すのは慢性デフレのせいである。1997年度の消費税増税を機に物価の下落以上の幅で賃金が下がり、国内需要は停滞する。日銀が量の面で金融を拡大しても、国内では使われない状態が現在まで二十数年間にも及ぶ。

大型消費税減税を

 日本発のカネは米金融危機が起きると、再び本国に還流し、円相場を押し上げる。もとより外需主導の経済は円高に弱く、企業収益の悪化不安のために株価は下がりやすい。内需はさらに萎縮し、デフレ圧力が高まる。デフレはモノに比べたカネの価値を大きくするので、日本国債という円を代表する資産が安全資産として買われる。

 ここで見逃せないのは、慢性デフレ下の消費税増税という安倍晋三政権の自滅策である。増税は家計を圧迫し、内需を萎縮させ、前述した負の連鎖をより強固にする。12年12月にアベノミクスを始動し、円安、株高に誘導したものの、14年4月、そして19年10月の2度にわたる税率引き上げで内需を殺した。昨年10~12月期の国内総生産(GDP)第2次速報値は前期比年率7・1%減にも及ぶ。そこに新型コロナ・ショックの追い打ちだ。安倍首相は自身のメンツにこだわらず、増税の失敗を認め、大型消費税減税を打ち出すべきなのだ。(産経新聞特別記者・田村秀男)

【日経新聞】2020/3/9 10:23 

内閣府が9日発表した2019年10~12月期の国内総生産(GDP)改定値は、物価変動の影響を除いた実質で前期比1.8%減、年率換算で7.1%減となった。2月に発表した速報値(前期比1.6%減、年率6.3%減)から下方修正した。企業の設備投資が速報段階から下振れした。新型コロナウイルスの感染拡大前から、日本経済が停滞していたことが鮮明になった。

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マイナス成長は5四半期ぶり。下げ幅は前回増税直後(14年4~6月期)以来の大きさに達した。19年7~9月期の実質GDPも遡及改定され、年率0.5%増から0.1%増に下方修正された。

設備投資は前期比4.6%減で、速報値の3.7%減から下方修正された。財務省が2日に発表した10~12月期の法人企業統計を反映した。

不動産業でオフィスビルや商業施設への投資が減ったほか、情報通信機械器具業では半導体の生産能力を増強する動きが減った。設備投資の下げ幅は、08年秋に起きた金融危機後の09年1~3月期(6.0%減)以来の大きさだった。

10月の消費税率引き上げの影響が注目された個人消費は2.8%減で、速報値(2.9%減)からわずかに上方修正された。マイナスは5四半期ぶり。増税直前に自動車や家電、化粧品などで駆け込み需要が発生した反動減が出た。10月の台風19号やその後の暖冬などの天候要因も重荷となった。

GDPの改定値が速報値から大きくブレるのは、設備投資の基礎データになる法人企業統計がGDP速報に間に合わないことが主因だ。内閣府の担当者は9日、設備投資の集計を大企業で早める試験を進めていることを明らかにした。集計の前倒しが実現すれば「GDPの改定幅は小さくなる可能性がある」という。


我々のような保守知識層の多くは、いままで安倍政権を支持してきた。だがそういった人間のほぼ全員が、安倍政権が行った消費税を10%の引き上げに大反対であった。

10月までにリーマンショック級のショックが起きない限りとの前提条件であったが、今既にリーマンショックを越えるショックの最中である。

しかも引き上げた10月~12月のGDPの速報値は、今の武漢肺炎ショックの前にもかかわらず、年率換算-7.1%である。安倍首相を唆した財務省、日銀は責任をとれ。安倍首相は辞める事が責任の取り方ではなく、歳入庁と、予算審議庁に分割して、財務省を庁に格下げして完全に解体するのが責任の取り方だ。

10%消費税が日本経済を破壊した。武漢肺炎がなくとも消費税減税を行うべきである。今となっては消費税ゼロこそが最大の景気対策となった。

消費税を増税すると貧困と格差が拡大し、国の財政も悪化して必要な公共投資や社会保障費の確保も不可能になります。国民生活が先進国とは呼べない水準に下落することは間違いありません。

上念司氏の言うところの、ねこじじい理論だ。

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昨年の消費税増税の最大の根拠と言っているのは、社会保障制度でした。
社会保障というのは金持ちからお金を取って、貧乏人に配るという「ねずみ小僧型再分配」というのが、基本です。それをまた、貧乏人に配りますと言っている。

しかも配る時にちょっとピンハネして残りを配ります。消費増税でやる対策で車買う人、家買う人を優遇したのであれば、金持ち優遇である。

これを上念氏は、「ねずみ小僧型再分配」の反対で、「ねこ爺型逆再分配」と命名。

上念氏は社会保障(制度)は、保険でやります。保険でやった上に貧しい人は、保険料を払えないので、所得税で累進課税で 金持ちから取ってその分をお金を払えない人に保険料を肩代わりしてあげる。これが、本当の再分配です。金本から取って庶民に配る、ねずみ小僧は再配分の象徴ですね。

90年代の前半くらいまでは当時の大蔵省今の財務相は反対だった。なぜならば、それはなぜかというと社会保障に税を投入するというのはふさわしくな。消費税であろうと何であろうと社会保障に税を投入するてふさわしくない。

社会保障に税金を投入している国は他にない。
法人税とか相続税とはは税金と全く同じように一般財源だった。一般財源であってこの
社会保障のために使うということは目的税です。消費税を目的税にするっていうのは邪道なんです発想、消費税は社会保障のための税金というストーリーが日本で始まってしまいました。国我々国民はこのストーリーを信じ込まされるようになってしまったわけです。

増え続ける社会保障に税金を投入しつづければ、消費税は増え続けることになる。
FLAT TAXの導入減税、小さな政府

【トトメス5】2020年03月12日11:30 

菅総理は消費が停滞しているのに「イベント自粛」を呼びかけデフレ不況を作った。
こんな時には10兆円でも100兆円でもばら撒かなくてはならない
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画像引用:菅直人元首相は本当に大丈夫なのか 「太陽光発電の電気は音がいい」の「珍説」披露 : J-CASTニュースhttps://www.j-cast.com/2015/10/02246878.html

イタリア全土が封鎖

新型コロナウイルス防止でイベントや営業中止が相次ぎ、通年でGDP2桁マイナスが確実な情勢になってきた。

既に感染者が出ているライブハウス、スポーツクラブ、カラオケ、クルーズ船などは営業中止か開店休業になっている。

京都や奈良の有名観光地も中国と韓国からの入国が止まり、どこも閑散としている。

2011年以前は日本人だけだったのでこんなものだったように思うが、訪日外国人をアテにしていた業界は壊滅状態になっている。

訪日外国人は2011年以前は800万人程度だったのが、安倍政権の観光立国政策で3000万人を超えていた。

2020年は4000万人をめざすと言っていたのが突然ゼロになったから、ダメージは計り知れない。


日本だけではなく感染者が1万人を超えたイタリアは文字通り観光立国だったが、都市ごと閉鎖して観光どころではない。

イタリアは3月8日から感染者が多い北部の州を封鎖していたが、10日からイタリア全土に封鎖を広げると発表しました。

4月3日まで移動を制限し、外出を控えるよう呼びかけ、集会やイベントは禁止になる。

イタリア人はサッカーが好きだが、サッカー・セリエAの試合を含むあらゆるスポーツが禁止になる。

感染者が特に多いイタリア・ロンバルディア州は町中がゴーストタウンになり、外国人はもちろんイタリア人の姿もなくなった。

駅はすべて封鎖されバスも運行中止になり、商店は開いておらずマスクや日用品は売り切れている。

総理がバカだと国が亡びる

イタリアは全土の人口約6000万人で感染者1万人、湖北省は人口約5900万人で約6万7000人、日本は人口1億2000万人で約600人の感染者がでている。

日本は3月6日と3月10日に一日50人以上の感染者を出したが、これが毎日100人以上に増えると感染者1万人超もあり得る。

日本政府は全国の小中高休校やイベント自粛をしているが、その後も感染者が発生し続けている。

集団感染を引き起こしたのは屋形船、宴会、ライブハウス、卓球クラブ、スポーツクラブ、グル-プカラオケなどでした。

クルーズ船のダイヤモンドプリンセスは数百人の感染者を出したので、換気の悪い室内で感染するのが分かる。

3月11日には春の選抜甲子園大会中止が発表され、5月までに収まらないと夏の東京五輪も中止の可能性が出てきた。

これでらで思い起こすのが2011年と1995年の巨大地震による自粛ブームと経済縮小でした。

阪神大震災と東日本大震災後に「遊びは不謹慎だ」という謎の圧力がかかり、あらゆるイベントや遊びが中止された。

地震で経済が停滞している時に政府が自粛を呼びかけたので、壊滅的な消費縮小が起きた。

まともな政治家なら「消費は美徳」とでも言って打撃を食い止めようとしたはずだが、この時日本にまともな政治家は1人もいなかった。

「コロナなのに不謹慎だ」などと言ってさらに消費を落ち込ませたら、日本は再びデフレ不況に戻るでしょう。

一部の人が言っているように思い切って消費税をゼロにするか100兆円の赤字国債を発行し大公共事業でもする必要がある。

こんな場合は政府が率先してお金を使い、何でもいいから消費を拡大すべきだが、安倍・麻生は経済バカなので何もしないでしょう。

従って最悪の場合は2020年の日本はGDP10%以上マイナスで失業率は一気に2桁、第二のバブル崩壊に襲われる。
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日足でそこが抜け
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週足でも底が見えず
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月足の上昇トレンドも突き破ってしまった

                                                                                                                                                                      
《3/22追記》
【産経新聞】2020.3.22 08:00 

中国発の新型コロナウイルス・ショックは2008年9月のリーマン・ショックをしのぐ衝撃を世界の金融市場に与えてやまない。米国の連邦準備制度理事会(FRB)はゼロ金利と量的緩和政策を復活させ、トランプ政権は大型減税など総額1兆ドル(約107兆円)規模の景気対策を打ち出した。

 対照的に日本の対応は小出しで、しかも新型コロナ・ショックの速度に追いつけない。日銀の追加策は株買い入れが中心で金融の量的拡大は小幅だ。安倍晋三政権は早急に財政と金融の両輪のフル稼働を決断し、消費税の大型減税によって内需を支えると同時に、国債を増発して日銀に本格的な量的拡大再開の道を切り開くべきだ。

 「金融市場の不安定さをしずめる」--。日銀の黒田東彦総裁は16日に金融緩和を追加したが、主な柱は株価対策である。上場投資信託(ETF)の新規買い入れ年間枠を従来の6兆円から12兆円に増やした。日銀のETF保有残高はこの2月末現在28・8兆円で、国内上場株式時価総額の4・9%に達している。株式市場に日銀が発行する巨額資金が投入されると株価は上がるのだろうが、麻薬のようなもので、追加投入を繰り返さないと効き目はなくなる。

懸念されるのは、超円高の再来だ。新型コロナ・ショックの波及の当初、円高に振れた相場はこのところ落ち着いているが、日米の金利差縮小などからみて、投機資金が再び円買いに殺到しないとはかぎらない。余剰資金があふれる国際金融市場ではドル以上の安全資産とみなされている円買いが加速しやすくなる。リーマン時では日銀が動かず、円の対ドル相場が70~80%も上昇し、日本経済は震源地の米国や欧州をはるかに上回る打撃を受けた。

 今回も、日銀は中小金融機関を窮地に追い込むマイナス金利を深堀りできない。「金融の量的拡大によって円高を防げる」(内閣官房参与の浜田宏一エール大学名誉教授)のだが、それには市場からの国債買い上げを増やす必要がある。

 ところが日銀は年間80兆円の枠に対し、20兆円程度しか購入していない政策を据え置いた。黒田総裁は「いくらでも国債購入を増やすこともできる」と強気だが、実のところ、限界に突き当たっている。市場で買える国債が大幅に減っているのだ。

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グラフは日銀による国債買い入れ、政府の国債発行と日銀資金供給の前年度比増減額の推移である。日銀による市場からの国債購入は銀行や生命保険会社など民間の金融機関が相手になるが、民間金融機関への国債の供給は既発債を新しい国債に置き換える「借換債」を除く政府の国債新規発行が主力源である。グラフが示すように、民間金融機関が国債売却に伴って保有額を減らした分と、国債の増発額の合計値にほぼ沿って日銀の国債保有増加額が決まる。

 ところが、「財政収支の均衡」を最優先する財務省は国債発行の圧縮に努めている。国債の供給が細っている中で、民間金融機関は焦げつく恐れのない国債をこれ以上手放すわけにはいかない。日銀自体、円高是正が進む中で保有資産の膨張を懸念する声が内部で根強くなり、量的緩和の「出口」を模索するありさまだ。こうして日銀の量的拡大策は先細ってきた。

前述した浜田教授は「今のような危機の局面では、財政支出拡大が現代経済学の国際常識。大災厄の中で財政均衡を優先する考え方はとんでもない誤りだ」と断じた。

 経済を支える人の足が止まり、生産と消費が急激に落ち込むと所得がさらに減る悪循環にはまる。特に消費税率の10%への引き上げ後、大幅なマイナス成長局面に陥った日本経済は新型コロナ・ショックが一段落したとしても再浮上できない恐れがある。消費税率を5%以下に戻せという拙論の早くからの提案に対し、安倍首相の指南役、浜田教授は「2年程度」という期間限定で賛同を表明した。自民党内の一部から出ている消費税率ゼロを求める声は、安倍首相も無視していないようだ。

消費税大型減税は日本経済を再生軌道に乗せるために欠かせない。一つは、日銀の量的拡大再開を可能にし、円高を抑止できる。もう一つは内需の下支え効果である。安倍首相は全世代型社会保障実現のための財源を消費税増税に求めたが、国民所得が大幅に萎縮するようではそもそも社会保障制度が成り立たなくなる。子育てや教育無償化の財源は国債発行でまかなえばよい。いずれも将来の経済成長をもたらす。国債増発と量的緩和という財政、金融の一体化こそが新型コロナ・ショック対策の決定打である。 (編集委員)




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「現代貨幣理論」支持者が日本政府に説く、財政赤字懸念は不要
 【Bloomberg】2019年6月5日 23:14 JST 藤岡徹、Enda Curran

安倍政権は財政赤字削減の取り組みで10月に消費増税を予定
MMT理解すれば「日本の財政は危機ではないと分かる」ー自民議員


今最も話題の現代貨幣理論(MMT)は、自国通貨を持つ国の政府はデフォルト(債務不履行)リスク抜きに政府支出を拡大でき、それによって成長押し上げを追求できるという経済学説だ。物価急騰の恐れがあれば支出にブレーキがかかるが、日本ではデフレ阻止が最優先で2%の物価目標実現には程遠い。

MMTは世界中で賛否両論を集める理論だが、実践の最善例として日本が挙がることはよくある。そして今、日本国内で論争が繰り広げられている。

世界3位の経済大国である日本は財政赤字国であり、その国債を日本銀行はゼロ金利政策の下で購入している。財政政策と金融政策の境目は曖昧だが、MMT支持派は問題ないという。

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だが、日本の当局者は国内総生産(GDP)の2倍以上に上る政府債務への対応が急務だと考え、財政赤字削減を図っている。この計画の中心にあるのが、10月に予定する消費税率引き上げだ。安倍晋三政権や黒田東彦総裁率いる日本銀行にとって、増税が不要だという考えは受け入れられない。

麻生太郎財務相は3日の国会で、MMTを支持する自民党議員の質問に対し、「そういった説を知らないわけではないが、理論というべきかどうかも分からない、一つの理屈だ」と発言。消費増税は社会保障体制の維持に必要で、さらに延期すれば「国債の格付けが下がるぐらいのことは覚悟しておいてもらわなければならない」と語った。

緊縮か政府支出拡大かという議論は、日本以外にとっても重要だ。世界の中央銀行総裁や財務相らは今週、20カ国・地域(G20)の会議で日本に集まる。

世界の金融当局の多くは、超低金利にもかかわらず成長と賃金を押し上げることができない、あるいは不平等を解消できないなどの批判にさらされ、標準的な政策ツールがその有用性を失ったのではないかとの疑念を呼んでいる。これは、抜本的な変化を求めるポピュリストの台頭にもつながっている。

MMTの支持者らは、マネーとは何か、税とは何のためなのか、政府支出で何を達成できるのかなど、経済の根本的な前提について考え直すべき時だと論じる。

そしてMMT派のエコノミストは、債券市場に不安の兆候が出ない限り、財政赤字と負債規模にとらわれる必要はないと主張。10年物日本国債の利回りは13年以降、1%未満で推移している。

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支持者によれば、MMTはスイッチを入れたり切ったりするようなものではない。全ての選択肢を利用するかどうかにかかわらず、自国通貨をコントロールしている政府に当てはまる枠組みだという。そうした政府は財政均衡のために増税をする必要がないとし、経済が過熱した際の需要抑制策としての増税はあり得ると説く。

昨年まで6年間、安倍首相のアドバイザーである内閣官房参与を務めた藤井聡京都大学教授は「MMTの考え方におかしなところはない」と述べる。同教授は、消費増税を凍結した上で、15兆円の補正予算を3、4年続けて初めてデフレ脱却がかなう可能性がある、と主張する。

日本国債から資金が逃げ出さない理由として従来からある説明は、国債の90%前後が国内投資家に保有されているということだ。中国など外国の債権者が大量保有する米国債とは事情が違う。

主流派のエコノミストは総じて、成長促進のための財政支出に肯定的だが、MMTには財政をコントロールできなくさせるリスクがあると指摘する。マサチューセッツ工科大学(MIT)のオリビエ・ブランシャール氏は、MMTが有効なのは金利がゼロの場合のみだと論じる。

現時点で、日銀の弾薬は尽きつつあるように見える。これは、中銀が政府支出の助けなしに、何もないところからインフレを生み出すことはできないということを証明するものだ。

黒田総裁は麻生財務相と同様、MMTに否定的だ。過激で不適切なほか、日本の政策とは全く関連性がないと4月に発言した。

MMTの草分けで同理論についての教科書「マクロエコノミクス(原題)」の共同執筆者であるビル・ミッチェル氏は、「麻生財務相はMMTを好きなように否定できる」が、日本は事実上、「MMTの原理を確立し、異なる財政・金融政策姿勢の結果を検証する実験場だ」と話す。

日本国内では、安倍首相の自由民主党に所属する安藤裕衆院議員が、財政赤字を容認するMMTに関する勉強会を主催した。5月15日の会合には約10人の議員らが参加。安藤氏はMMTを理解すれば、「日本の財政は危機ではなく、ある程度のインフレになるまでは政府支出の拡大を恐れるべきではない」ことが分かるだろうと語った。

原題:Japan Worries About Its Deficit as MMT Argues There’s No Need(抜粋)

もしMMT現代貨幣理論が正しければ、今年10月の消費増税なんて論外であると、消費税増税否定が正しいことになる。


「MMTの理論の正しさを部分的に証明」と肯定派の藤井京大教授
「客観的に見れば違い今一つ分からない」と否定派の吉川立正大学長

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Photographer: Keith Bedford/Bloomberg

消費増税の延期論がくすぶる中、自国通貨建て政府債務はデフォルト(債務不履行)しないため、インフレにならない限り財政赤字を出し続けても問題ないとする「現代貨幣理論(MMT)」が国会などで話題になっている。日本銀行の黒田東彦総裁は極端な主張と切り捨てるが、肯定派、否定派いずれからも、異次元緩和とMMTは類似性が高いとの声が上がっている。

  昨年まで6年間、安倍晋三首相のアドバイザーである内閣官房参与として公共政策などを提言した藤井聡京都大学教授は肯定派。「国債発行額は増えているが、金利は下がっているという点で、日本はMMTの理論の正しさを部分的に証明している」と指摘する。日銀が2016年に導入した長短金利操作は「MMTの主張と重なるところが大きい。異次元緩和はこの時半ばMMTを織り込んだ政策に変わった」と語る。

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日銀本店Photographer: Akio Kon/Bloomberg

  財政制度等審議会の分科会臨時委員も務める吉川洋立正大学長は、「MMTは財政規律を緩めても構わないという呪文みたいなものだ」と懐疑的な見方を示す。深刻化する格差拡大に対処するため、米国では財政規律をうるさく言う必要はないという主張は、「お経のようにありがたい需要があるのだろう」と語る。異次元緩和も「実際には財政ファイナンスになりつつあり、客観的に見ればMMTとの違いも今一つ分からなくなっている」と類似性を認める。

MMTは2016年の米大統領選の民主党指名争いで善戦したバーニー・サンダース上院議員の顧問を務めたニューヨーク州立大ストーニーブルック校のステファニー・ケルトン教授が提唱。アレクサンドリア・オカシオコルテス下院議員ら同党議員が社会政策の原資として支持する一方、ポール・クルーグマン氏ら主流派経済学者は異端視する。

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日本銀行本店Photographer: Akio Kon/Bloomberg

日本が見本となっているとの見方もあり、国会でも再三取り上げられているが、黒田総裁は「極端な主張でなかなか受け入れられない」と強く否定してきた。しかし、ケルトン教授は「日本は財政政策についてのMMTの議論の大半が正しいことを証明した」と主張している。

「現代貨幣理論」支持者が日本政府に説く、財政赤字懸念は不要

リフレ派は反論

  類似性を指摘する声に対し、異次元緩和を主導してきたリフレ派から反論が出ている。原田泰審議委員は5月22日の会見で、MMTは「必ずインフレになってしまう」と指摘。そうなるとコントロールできるか「非常に怪しい」と述べ、異次元緩和とは「全然違うのではないか」と述べた。一方で、「景気は非常に微妙な段階」にあり、消費増税を行うことで「景気後退のリスクは当然ある」と懸念を示した。

  藤井教授は「消費増税が問題だというのがMMTの理論的帰結だ」と指摘。リフレ派からは当初、金融政策だけで物価目標が達成できるという見解もあったが、昨今の「増税は問題」との主張を見ると、リフレ派の主張はMMTからすると「非常に親和性が高いものに変質したように見える」と述べた。

「現代貨幣理論」に注目高まる-600ページに及ぶ初の教科書売り切れ

  ニッセイ基礎研究所の櫨浩一専務理事は5月31日のリポートで「MMTを間違いだと頭から決めつけるのも行き過ぎだ」と言う。ただ、日本より政府債務残高の名目国内総生産(GDP)比が低い国の人たちには、もっと政府の財務状況が悪くても問題が起きてない国があるというのは安心材料だろうが、「炭鉱のカナリア扱いされている日本の住民にとっては大した気休めにはならないのではないか」としている。
現在、経済学の世界を超えて世界中で賛否両論を集めている経済理論、MMT(現代貨幣理論)が話題となっている。政府が自国通貨建てで借金が出来る国は、財政赤字の拡大を心配する必要がなく、それどころか、それによって成長押し上げを追求できるという経済学説です。
通常、財政赤字を通貨の発行で埋めるとインフレになりますが、近年はその常識が通じなくなっているとも考えられており、MMT支持者の多くがその証拠に日本を挙げ、MMTの提唱者の一人であるミズーリ大学のレイ教授は、日本をMMTのモデルのような国だと指摘しています。

民主党のバーニー・サンダース氏のアドバイザーを務め、2020年の大統領選への出馬を表明しているニューヨーク州立大のケルトン教授は、「日本はMMTを実践している」と述べています。去年の米中間選挙で女性として史上最も若い29歳で下院議員となった、民主党のオカシオコルテス下院議員が、今年1月に MMT の議論をもっと盛り上げるべきだとこういう表明をしたことで、今年の始めごろからニュースで取り上げられるようになり、ブルンバーグ、ウォール・ストリート・ジャーナル、ニューヨーク・タイムズ、ロイター通信などが日本とMMTの関連性をこぞって取り上げている。

もともとこの MMT理論はロバート・バローの論文(1979年)90年代にオーストラリアのビルミッチェル教授とか投資銀行家ウォーレン・モズラー氏、源流はケインズ『一般理論』(1936年)だと言われている。

ここ数カ月間、MMTについては経済学者やジャーナリストは「熱い激論」があった。ビルロワドガローECB総裁は「ハイパーインフレのリスク」ブラックロックのラリー・フィンクCEOは支持せず-「くず」と一蹴ポール・クルーグマンは、「MMTの背後にある学説は巧妙でしたが、完全には正しくなかったサマーズ教授の場合、MMTを「大災害のレシピ」 、「政府はどこまでも財政赤字を無限に続けられる」というMMTは極めて悪質だと批判し、パウエルFRB議長は、「赤字は問題にならないという考えは全く誤っている」とMMTを批判しています。

われらが天才高橋洋一教授もかなり批判的です。
「MMT(現代貨幣理論)」という言葉が、新聞やテレビでも取り上げられるようになっている。報道によれば、政府が膨大な借金を抱えても問題はないというものだ。米国では将来の民主党大統領候補と目される29歳のオカシオコルテス下院議員が支持を表明したことで、俄然(がぜん)脚光を浴びている。

もっとも、米国の主流経済学者は批判的だ。筆者も文献を読んだが、さっぱり分からない。通常の経済理論は誤解のないように数式モデルで構成されているが、MMTには雰囲気の記述ばかりで全く数式モデルがないからだ。米主流経済学者もおそらく筆者と同じ感想であり、論評する以前の問題だろう。

一般の人には数式の有無は関係ないかもしれないが、専門家の間では問題だ。例えば、相対性理論を数式なしで雰囲気で説明することはできるが、数式なしでは正確なGPS(全地球測位システム)は作れない。

一方、日本では、筆者を含む経済学者らは「リフレ派」と呼ばれている。筆者はこれまで「統合政府では財政再建の必要性はない」とか「インフレ目標までは財政問題を気にする必要はない」などと主張してきた。

リフレ派は今から二十数年前に萌芽(ほうが)があるが、筆者らは、世界の経済学者であれば誰でも理解可能なように数式モデルを用意してきた。興味があれば、岩田規久男編『まずデフレをとめよ』(2003年、日本経済新聞出版社)を読んでほしい。数式モデルは、(1)ワルラス式(2)統合政府(3)インフレ目標で構成されている。

これらのモデル式から、どの程度、金融政策と財政政策を発動するとインフレ率がどう変化するのかが、ある程度定量的に分かるようになっている。

リフレ派は数式モデルで説明するので、米国の主流経済学者からも批判されていないどころか、スティグリッツ、クルーグマン、バーナンキの各氏はおおむね賛同している。

しかし、日本では、リフレ派の主張は、しばしばMMTの主張と混同される。MMT論者の主張で「日本政府の借金が仮に5000兆円になっても全く問題ない」というものがある。リフレ派の数式モデルでは、そうなるとインフレ率1000%程度になり大問題だ。それを指摘すると、MMT論者は「インフレになるまで借金をするという意味だ」というが、それもおかしい。インフレ目標2%以内という条件なら、借金5000兆円になるまでは数十年を要する話だ。数字があまりに非現実的すぎるのだ。

もっとも、財務省にとって、日本でMMTとリフレ派が混同されるのは好都合だ。MMTは米国の主流経済学者が否定し、しかも定量的な議論に弱い。つまり、財務省にとっては突っ込みどころ満載なのだ。

これに対し、リフレ派の議論は、米主流経済学者も賛同するし、定量的な議論の上に「財政再建は終わっている」と主張するもので、財務省にとって目障りだ。財務省からみれば、MMTを潰せば、リフレ派も自動的に抹殺できると思っているフシすらうかがえる。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)
一方昨年ノーベル経済学賞を取ったロバート・シラー教授は、「政府はどこまでも財政赤字を無限に続けられる」
というMMTは極めて悪質だと批判し、完全に独自な一連の概念ではなく、きちんと定義・統合されておらず、その示唆は誇張されている。」と批判はしているが、「それと同様に、大災害のレシピでもない。」と擁護もしている。

MMTを擁護する藤井聡京都大学大学院教授は、MMTを批判するクルーグマン氏を
以下に批判しています。

ポールクルーグマン氏の次のような批判です。

「債務については、経済の持続可能な成長率が利子率より高いか低いかに多くを左右されるだろう。もし、これまでや現在のように成長率が利子率より高いのであれば大きな問題にならないが、金利が成長率より高くなれば債務が雪だるま式に増える可能性がある。

債務は富全体を超えて無限に大きくなることはできず、残高が増えるほど、人々は高い利子を要求するだろう。つまり、ある時点において、債務の増加を食い止めるために十分大きなプライマリー黒字の達成を強いられるのである。」
(2019年2月12日、ニューヨークタイムス)


この指摘は要するに、国債発行額の上限は、MMTが主張するような「(マイルド)インフレになるまで」というだけでは、場合によっては、債務は無限に拡大してしまうこともある、だから、債務が無限に拡大してしまうことを避けるためにも、
「債務対GDP比が発散させない」ということも制約の一つとして考慮すべきである、というものです。

クルーグマン氏は、もともと、
デフレ状況では、デフレ脱却こそが優先されるべきであり、したがって、債務の拡大を気にせず、デフレ脱却まで徹底的に財政拡大をすべきだ、と何度も論じてきた経済学者です

したがって、このMMT批判は、

「アメリカの様に、デフレでない経済を想定した批判」
であり、「日本の様な、デフレ経済を想定した批判」
ではないと言えるでしょう。


この数ヶ月MMT理論の議論を傍観してきたが、そろそろ私(Ddog)もMMTに対する考え方(立ち位置)を表明しなくてはならない。

多くの経済学者がMMTはトンデモ理論だと批判しています。私もその批判の通り、「国はいくらでも借金したら良いじゃないか」という大胆な理論で、財政の規範がなくなってしまえば、ジンバブエのようなハイパーインフレになるのは必然ですから、経済理論とした場合MMTはトンデモ理論であるという批判は正しいと思う。

20年近く前私が阿修羅経済版で政府紙幣発行は劇薬でありすべきではないという側に立っていた。当ブログでも通貨とは中央銀行が信用を維持するべきで、通貨を市中に供給すれば良いだけだと、「経済は貨幣現象」というリフレ派側の主張を支持していた。

市中に出回るマネーストックが増えれば、インフレ方向に向かうというものでした。 

かし、安倍政権となり黒田日銀総裁による約5年間の異次元の量的金融緩和の効果は、マネーストックは増えませんでした。長期デフレスパイラルに陥った日本は、資金需要がなかったのに、マネタリーベースを増やしてインフレ目標を掲げたとしても、企業がお金を借りて投資をはじめるといった資金需要が増えるとは考えにくいというものです。

資金需要がないのに貨幣を供給し借りやすい状態にしたとしても借りては現れないい。好景気の時は設備投資が旺盛になり、自然とマネーストックは増える、量的金融緩和はクラウディングアウトが起きた時に有効であり、リフレ理論も万能ではないが、アベノミクスは、「財政出動」「金融緩和」「成長戦略」を行う理論的支柱がリフレ派の理論であるという。

しかし、安倍政権は消費税増税を行い、リフレ政策と真逆のことをしており、「財政出動」も「成長戦略」も不十分で、消費税を上げ量的緩和だけではやはり、デフレ脱却には非力だということだ。消費税を上げず、財政出動を行い原発を稼動していたら、デフレを完全脱却していたかもしれない。

そこに登場したのがMMTなのだが、MMTは、国はいくらでも借金して良いと言う理論ですが、国は借金をして、不足する国内需要を創造していた。国は、国債を発行して通貨を獲得して、財政政策を行なっています。財政政策とは、公共事業を行なったり、社会福祉を充実させたり、補助金などを出すことで、経済を刺激していた。それどころか、国の借金がなければ、国内経済を動かす、貴重なマネーが回らず、日本は今よりも大きく衰退した国家となっていたであろう。

MMTはアベノミクスで不足していた「財政出動」「成長戦略」に正当性を与える理論でもある。

ところが、安倍首相も麻生大臣も、MMTを否定する見解をだした。
[東京 4日 ロイター] - 安倍晋三首相は4日午前の参院決算委員会で、日本の財政政策の運営において、MMT(現代金融理論)の論理を実行しているわけではないとの見解を示した。西田昌司委員(自民)の質問に答えた。

安倍首相は、2012年12月の第2次安倍内閣の発足前から、アベノミクスの原型となる大規模な金融緩和と機動的な財政支出の必要性について主張したところ、国債価格と円の暴落を招くとの批判を各方面から受けたと述べた。

しかし、金利は低下し、円高は是正されたが暴落はしなかったと指摘した。一方で「債務残高がいくら増えても、問題ないのかということはある」と表明。日本では、国債の日本人による保有比率が高く、政府資産の規模が大きいとし、債務残高の対GDP(国内総生産)比率にも目標を設けていることなどに言及。「MMTの論理を実行しているわけでない」と語った。

ただ、「必要な財政支出は機動的に行う」と述べた。

麻生太郎財務相も同じ質問に答え、MMTに対しては、グリーンスパン元米連邦準備理事会(FRB)議長やサマーズ元米財務長官が否定的な見解を示していると指摘した。

また、財政規律を緩める危険性もあり「日本をMMTの実験場にする気はない」と述べた。


田巻一彦
いえいえ、MMTはバブル崩壊後日本がしてきた政策そのものなんですが・・・・

日本は「財政ファイナンス」という手法でMMTを実践してきた。

政府が国債を発行して、それを通貨を発行する中央銀行が買うのである。
中央銀行は通貨発行権を持っている訳だから、理論上は、それこそお札を刷りまくって無制限に国債を買うことが出来るし、政府も無制限に国債を発行しまくれるということになる。

事実、日本では政府が発行した国債を日銀が買いまくっている。
今や日本の国債の46%、466兆円もを日銀が持っている訳だから、政府は否定しているが、日本が事実上の「財政ファイナンス」を行っているのは紛れもない現実なのだ。
政府は日本が行っているのは、日銀が市中の国債を買う金融緩和政策としての「買いオペ」で、政府が発行する国債を日銀が直接買う「直接引き受け」ではないから「財政ファインナス」には該当しない、という理屈なのだが、現実は日銀が国債を買い過ぎて市中の国債がなくなってしまい、ETFを買っても追いつかない状態になっている。更に国債を出すか直接「財政ファイナンス」を行っているとすべきだろう。

事実上、「財政ファイナンス」を行っていが、日本の国内法である「財政法」で「財政ファイナンス」は禁止されている。

なぜ禁止かといえば、世界中の経済学者、グルーグマンやサマーズの言うようにそれをすると、財政規律が無くなり、第一次世界大戦後のドイツ、ジンバブエやベネゼエラのようなハイパーインフレに陥るのだ。

ゆえに「財政ファイナンス」は重大な副作用があって、世界中でやってはならない禁じ手とされている。

第一次世界大戦後のドイツや1980年代のブラジル、アルゼンチンなどでこの「財政ファイナンス」によるインフレが引き起こされ、大変な事態を招いている。

しかし、日本は「財政ファイナンス」を行ってもハイパーインフレの気配すらなく、むしろ消費税増税でデフレスパイラルに逆戻りしそうである。

政府が借金しても良い理由としては、自国通貨を発行できる、自国の中央銀行を持つ国は、万が一の場合は、新たな通貨を発行して、国債を買えば良いと考えているからです。MMT(現代貨幣理論)は、とんでもない理論だと言われていますが、経済学の大きな流れから見ればケインズ経済学を乱暴にしたもといえるかもしれません。

ただし大きく異なる点は、ハイパーインフレにならない限りにおいて、政府はいくらでも借金をして良いという部分です。

MMTの大きな欠陥としては、中央銀行は、新規通貨を発行して国債を購入することは禁止されているという点です。MMTを擁護する人が主張する、国債は中央銀行が印刷して購入するからデフォルトすることがないという理屈は、誤っているということです。

<結論>MMT現代貨幣理論はまだ、確立された理論ではなく、自国通貨を自国の中央銀行が発行できる日本やアメリカにしか適用できないが、景気回復の処方箋として、有効な経済政策である可能性が高い。

「MMT現代通過理論はとりあえず増税回避、財務省攻撃専用」ということにしましょう。
ハイパーインフレになった際、どうするか?きちんちした答えがない理論は危険である。

MMTよりリフレ政策のほうが正解だと思う。

参考サイト

MMT、もっと詳しく! (豪州投資家向けサイトから 2019年4月14日)


2019年5月1日




MMTは正しいと断言できないと思ったのは、左翼のバーニーサンダースや頭脳がメロリンQの山本太郎、TPP反対の中野某がMMTを己の政策として受け売りしているからだ。

いつもトンチンカンな彼らが支持する理論を支持するには気にはなれない。いつも間違い続ける人間が推す理論は、次も間違いである可能性が高いからだ。

株式市場には先人の知恵の格言が山ほどあるが、その中の名言曲がり屋に向えというものがある。
いつも、外す人の反対が正解だということなのだ。

MMTはまさに曲がり屋に向えかもしれません。




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日本のサービス産業、労働生産性は米国の5割
【マイナビニュース】2016/12/13

公益財団法人 日本生産性本部は12月12日、「日米産業別労働生産性水準比較」を発表した。滝澤美帆・東洋大学准教授を座長とする「日米産業別労働生産性水準比較研究ワーキンググループ」を立ち上げ、類似データを利用しながら経済産業省「通商白書2013年版」と同様の手法で最新年次による比較を行ったもの。
  
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「日米の産業別生産性(1時間あたり付加価値)」と付加価値シェア(2010年~2012年)

 
産業別にみた日本の労働生産性水準(2010~2012年平均)は、化学(143.2%)や機械(109.6%)で米国を上回り、輸送機械(92.7%)でも遜色ない。一方、サービス産業をみると、運輸(44.3%)や卸売・小売業(38.4%)、飲食宿泊(34.0%)などの主要分野で格差が依然として大きい。

90年代後半(1998~2000年平均)と比較すると、製造業では日米格差が3.2%ポイント縮小しており、特に化学(+36.7%p)や建設業(+18.2%p)、食品製造業(+10.1%p)などで大幅に改善。一方、サービス産業では大きな変化はなかった(0.9%p格差が拡大)。飲食・宿泊(+2.5%p)で若干差が縮小したものの、卸売・小売(-6.3%p)や運輸業(-3.6%p)などで格差が拡大している。

リーマン・ショック前(2005~2007年平均)と比較しても、日米格差は製造業(+6.0%p)で縮小する一方、サービス産業(-1.8%p)で拡大している。飲食・宿泊(+3.2%p)で改善したものの、運輸(-0.2%p)や卸売・小売(-3.3%p)、物品賃貸・事業サービス(-4.5%p)などで日米格差が拡大したことが影響した。

  
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産業別にみた日本の労働生産性水準(2010~2012年平均)は、製造業で米国の7割、サービス産業で5割だった。日米格差は、1990年代後半と比較すると製造業で3.2%ポイント縮小したものの、サービス産業では0.9%p拡大している。リーマン・ショック前と比較しても、製造業では日米格差が6.0%p縮小しているのに対し、サービス産業では1.8%p拡大。サービス産業の労働生産性水準は、1990年代後半から米国の5割程度にとどまる状況が続いている。


※本記事は掲載時点の情報であり、最新のものとは異なる場合があります。予めご了承ください。
日本人は勤勉で真面目に努力に努力を重ねている。世界的に見ても、日本の労働者の教育レベル、勤勉さ、そして忍耐強さのレベルは世界一といっても過言ではないだろう。日本の優秀な労働力は日本の経済を大きく支えてきた。

だが、バブル崩壊後、次々に日本は改革を受け入れ贅肉を削ぎ、制度を変え、痛みを伴う改革が続いた。対策として、女性の社会進出の為男女雇用機会均等法、そのために保育園の整備だ、待機児童のゼロを目指しましょう。その結果今年のユーキャン流行語大賞の一つが「日本死ね」に・・・、正規雇用が減って、非正規雇用が増え、ホワイトカラーエグゼンプションによる残業カット。

にもかかわらず、労働生産性が低い。そこで、また日本の労働生産性えお改善すべく賃金も下げ「もっと頑張る」、そして改革を試みる。でもずっと低迷したままだ。これはミステリーとしか言いようがなく、理由に困り、「そもそも日本は民族として劣っているのだ!」。という日本人を侮辱する暴言がまかり通っている。これは絶対に違う!

最近ネットを覗くと世界一優秀な労働者だと世界中がからされていると思うのだが、日本のパラドックスとでもいうべき不思議な現象である。人的資源のポテンシャルが高い以上、問題は人的質ではなくて、へたをすれば労働生産性の概念が間違っているのではないか?それとも何が悪いのだろうか?

はっきり言って、いつまで頑張ればいいのかわからない。日本人はもうこれ以上どうがんばれと?もう限界である。頑張っているのに労働生産性の低い日本のパラドックスの原因がどこにあるかをちょっと考えてみる。

労働生産性のことで英国人で日本企業の社長であるデービッド・アトキンソン氏が、
まだ日本人は頑張り足りないと言うのである・・・・え~???日本病ですか???

「1人あたり」は最低な日本経済の悲しい現実
日本の生産性は、先進国でいちばん低い

【東洋経済】2016年12月9日デービッド・アトキンソン :小西美術工藝社社長

日本は「成熟国家」などではない。まだまだ「伸びしろ」にあふれている。
著書『新・観光立国論』で観光行政に、『国宝消滅』で文化財行政に多大な影響を与えてきた「イギリス人アナリスト」にして、創立300年余りの国宝・重要文化財の補修を手掛ける小西美術工藝社社長であるデービッド・アトキンソン氏。
彼が「アナリスト人生30年間の集大成」として、日本経済を蝕む「日本病」の正体を分析し、「処方箋」を明らかにした新刊『新・所得倍増論』が刊行された。そのポイントを解説してもらう。


さまざまなジャンルの世界ランキングで高位置にいるが


「日本人は『○○の分野で世界第○位』という話が大好きだ」

これは初めて日本に来てから31年、私が日本の皆さんに対して抱いてきた率直な感想です。

私はバブル直前の1985年、日本にやってきました。そのころ日本はすでに「世界第2位の経済大国」で、国中に自信がみなぎっているのを感じました。いまは中国に抜かれて第3位になっていますが、それでも世界には190以上の国がある中での第3位ですから、たいへんすばらしいことだと思います。それ以外にも、輸出額、製造業生産額、ノーベル賞受賞数など、さまざまなジャンルの世界ランキングで、日本は高い地位を占めています。

これらは、まさに「一流国家」というにふさわしい実績でしょう。そんなすばらしい実績を達成した日本人が、「自分の国は第○位だ」という話を喜ぶのは、ある意味で当然だと思います。

ですが、不思議なこともあります。日本ではなぜか、欧州では当たり前の「1人あたりで見て、世界第○位」という話はほとんど聞かれません。「全体で見て第○位」という話ばかりなのです。

「全体で」「1人あたりで」、どちらで見るべきかはケースによって違いますが、国民1人ひとりの「豊かさ」や、個々人がどれだけ「潜在能力」を発揮しているかを見るには、「1人あたりで」のほうが適切なのは明らかです。同じ100億円の利益を上げている会社でも、従業員100人の会社と1000人の会社では、それぞれの社員の「豊かさ」や「潜在能力の発揮度合い」は10倍も違うという、きわめて当たり前の話です。

「1人あたり」で見ると、違った景色が見えてくる

では、日本の実績を「1人あたり」の数値で見直すと、どんな風景が見えてくるでしょうか。きっと、驚かれることと思います。

・日本は「GDP世界第3位」の経済大国である
 → 1人あたりGDPは先進国最下位(世界第27位)
・日本は「輸出額世界第4位」の輸出大国である
 → 1人あたり輸出額は世界第44位
・日本は「製造業生産額世界第2位」のものづくり大国である
 → 1人あたり製造業生産額はG7平均以下
・日本は「研究開発費世界第3位」の科学技術大国である
 → 1人あたり研究開発費は世界第10位
・日本は「ノーベル賞受賞者数世界第7位」の文化大国である
 → 1人あたりノーベル賞受賞者数は世界第39位
・日本は「夏季五輪メダル獲得数世界第11位」のスポーツ大国である
 → 1人あたりメダル獲得数は世界第50位

注:生産性は世界銀行(2015年)、輸出額・製造業生産額はCIA(2015年)、研究開発費は国連(2015年)、ノーベル賞はWorld Atlas(2016年)、夏季五輪メダルはIOC(リオオリンピックまで)のデータをもとに筆者算出

 
まだまだありますが、これくらいにしておきましょう。これだけでも、日本の「全体で見ると高いランキングにいるが、1人あたりで見るとその順位が大きく下がる国」という特徴が浮き彫りになるはずです。これは、単純に日本の人口が多いからです。先進国で1億人以上の人口を抱えている国は、米国と日本しかないのです。

誤解しないでください。私は、「日本人は大したことのない人たちだ」などと言いたくて、これらの事実をご紹介したわけではありません。むしろ長年、日本人の皆さんと働いてきて、日本人の能力の高さに心からの敬意を抱いています。これは私の単なる感覚ではなく、国連の調査でも、日本は「労働者の質」が世界一高い国であることが明らかになっています。

能力が高いのに結果が良くない。これは、「潜在能力」が活かされていないことを示しています。逆に言えば、日本にはまだまだ「伸びしろ」があるということです。

なぜ、イギリス人がこんなことを書くのか

1979年、私がまだ中学生だった頃、サッチャー首相がテレビのインタビューでこのような内容のことを語りました。

「みんながなにも反発せずに、しかたがないと言いながら、この国が衰退していくのを見るのは悔しい! 産業革命、民主主義、帝国時代などで輝いたこの国が世界からバカにされるのは悔しい!」

当時、戦争が終わってから、イギリスは経済のさまざまな分野でイタリア、フランス、ドイツや日本に大きく抜かれました。イギリスには過去の栄光以外になにもない、あとは沈んでいくだけだ、などと厳しい意見も聞かれ、世界からは「イギリス病」などと呼ばれ、衰退していく国家の見本のように語られていました。

あの時代、まさか今のイギリスのように「欧州第2位」の経済に復活できるとは、ほとんどのイギリス人をはじめ、世界の誰も思っていませんでした。それほどサッチャー首相が断行した改革はすごかったのです。

これは、別にイギリス人のお国自慢ではありません。かつて「イギリス病」と言われ、世界から「衰退していく先進国」の代表だと思われたイギリスでも、「やらなくてはいけないことをやる」という改革を断行したことで、よみがえることができたという歴史的事実を知っていただきたいのです。

サッチャー首相の言葉と同様に、みなさんにぜひ問いかけたいことがあります。

皆さんが学校でこんなに熱心に勉強して、塾にも通って、就職してからも毎日長い時間を会社で過ごし、有給休暇もほとんど消化せず、一所懸命働いているのに、「生産性は世界第27位」と言われて、悔しくないですか。労働者1人、1時間あたりで計算すると、イタリアやスペインすら下回ります。「先進国最下位」の生産性と言われて、悔しくないですか。

「ものづくり大国」を名乗りながら、1人あたり輸出額は世界第44位と言われて、悔しくないですか。

こんなにも教育水準が高い国で、世界の科学技術を牽引するだけの潜在能力がありながら、1人あたりのノーベル賞受賞数が世界で第29位というのは、悔しくないですか。

私は、悔しいです。

「失われた20年」を経て、日本は経済成長をしないのが当たり前になりつつあります。かつてイギリスがそう呼ばれたように、「日本病」などと言われ、衰退していく先進国の代表のようにとらえられてしまうおそれもあります。実際、海外では、日本のことを研究する際には、経済政策の失敗例として扱われることが多いと聞きます。私がオックスフォードで日本について学んだときは、戦後の日本経済がいかに成功したかということが主たるテーマでしたので、非常に残念な変化です。

だからこそ余計に、今の日本経済はごく一部の企業を除いて、「やるべきことをやっていない」という現状が我慢できません。日本人の「潜在能力」が活かされていないことが悔しくてたまりません。

GDP770兆円、平均年収1000万円も十分可能

初めて日本にやってきてから、もう31年の月日が流れています。人生の半分以上を過ごしてきたこの国について今、私が思っていることはこの一言に尽きます。

日本はこの程度の国ではない。

私は、日本を「この程度」にとどめているのは、「世界ランキングが高い」という意識に問題があるのではないかと思っています。世界ランキングでの評価が高いから日本はすごい。世界ランキングが高いということは、日本人の潜在能力がいかんなく発揮されているからだと思い込んでいる方が多いのではないでしょうか。1人あたりのデータを見ずに、世界ランキングが高いということだけを見て、日本の実績は諸外国より上だと信じ込んでいる人が多いのではないでしょうか。

これは、恐ろしい勘違いです。

1億人を超える人口大国・日本の世界ランキングが高いのは当たり前のことです。「1人あたり」で測れば、日本の潜在能力が発揮できていないことは明白です。まだ日本は成長の伸びしろがあるにもかかわらず、この「勘違い」によって、成長が阻まれているのです。

日本の実績を「この程度」に押しとどめている原因を特定し、改革を実行すれば、日本は必ずや、劇的な復活を果たせるはずです。この「劇的な復活」とは、GDP770兆円(今の約1.5倍)、平均年収1000万円(今の約2倍)というレベルです。日本の「潜在能力」を考えれば、そのくらいはまったく不可能ではありません。

まずは、日本が潜在能力を発揮できていない「日本病」とも言うべき病に陥っていることを、しっかりと認識してください。すべてはそこから始まります。
英国の人口は約6000万人日本の人口の半分だ。人口が多いから日本は一人あたりに直すと大したことがないと言うが・・・
イメージから言わせてもらうが、英国貴族がどれだけ優秀でも、ほんの一握りであり大半の国民のレベルは日本より低そうに思えるのだが・・・

・日本は「GDP世界第3位」の経済大国である 
→ 1人あたりGDPは先進国最下位(世界第27位)
⇒反論
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「一人当たりの名目GDP(USドル)の推移(1980~2014年)(アメリカ, 日本, ドイツ, フランス, イギリス, イタリア)」 『世界経済のネタ帳』

欠点は為替レートの変動に影響されすぎること。その国の潜在的な経済力(生産力)はゆっくりとした変化で、為替レートほど急激には変化しない。

為替を調整して購買力平価による比較。ビッグマック指数と同じ
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「人当たりの購買力平価GDP(USドル)の推移(1980~2014年)(アメリカ, 日本, ドイツ, フランス, イギリス, イタリア)」 『世界経済のネタ帳』

購買力平価による比較すると依然としてアメリカには大差を付けられているけれど、ドイツとの差は縮まってる。日本はアメリカほどではないにせよドイツやフランスなどと同程度には持続的に成長している。

・日本は「輸出額世界第4位」の輸出大国である
 → 1人あたり輸出額は世界第44位
反論⇒日本企業は世界各国に工場を建設して現地生産に構造変換した

・日本は「製造業生産額世界第2位」のものづくり大国である
 → 1人あたり製造業生産額はG7平均以下
反論⇒日本は製造業からサービス業に構造変換したが、匠や名工は依然国内に残っている。ものつくり大国だ。

・日本は「研究開発費世界第3位」の科学技術大国である
 → 1人あたり研究開発費は世界第10位
・反論⇒一人あたりに直してもいいが、以下の事実から卑下する必要がない。
トムソン・ロイターの「Top100 グローバル・イノベーター2015」に40社の日本企業が選出されたことを紹介。この数は米国企業の35社を抜いて世界トップである。

 世界経済フォーラムが15年に発表した2015年版「世界競争力報告」の日本の順位は6位である、また同じく世界経済フォーラムによる科学技術イノベーションランキングでも14年時点で日本が4位である。

・日本は「ノーベル賞受賞者数世界第7位」の文化大国である
 → 1人あたりノーベル賞受賞者数は世界第39位

 1949年から2015年までに24人の日本人がノーベル賞を受賞しているがバブル崩壊後1994年から2015年においては17人の日本人が物理、化学、生物、医療などの基礎科学の領域でノーベル賞を獲得している。 一人当たりの受賞者に何の意味がある?

・日本は「夏季五輪メダル獲得数世界第11位」のスポーツ大国である
 → 1人あたりメダル獲得数は世界第50位
へー!だから?

と、反論を書いていたら、デービッド・アトキンソン氏を強力にサポートする記事発見

だから日本経済の生産性は「めっちゃ低い」 
【ITmedia】窪田順生 2016年12月13日 08時00分 更新

日本の1人の当たりのGDPが低い。「生産性が低い。もっと高めよう」といった話をすると、「日本人はチームプレーが得意なので1人当たりのGDPなど意味がない」といった反論も。なぜ科学的根拠のない意見が飛んでくるのか。その背景には、戦前からある「戦争学」が影響していて……。

先日、M-1グランプリを見ていたら審査員のオール巨人さんがこんなことをおっしゃっていた。

「海外のテレビや映画を見ても、日本のお笑いは世界でもトップレベル。今日は世界一の漫才を決めるといっても過言ではない」

確かに、海外のコメディアンのギャグとかを見ても、「なにがおもしろいの?」と感じるのは珍しくない。ただ、「笑い」というものはその国の文化、歴史、社会背景にも深く関わる。もしこの発言を、さまざまな国の「笑い」に関わる人々がご覧になったら、かなり異論が飛び出すのではないだろうか。

断っておくが、お笑い界のレジェンドの発言にイチャモンをつけたいわけではない。個人的には日本のお笑いは大好きだし、日本人として自国の「笑い」は他国にひけをとらないほどレベルが高いと信じたい。

ただ、海外から「日本のお笑いは世界一」という客観的な評価を受けたわけでもなく、ましてや世界各国にどれだけ日本の笑いが浸透しているのかというような指標があるわけでもないにもかかわらず、その産業を長く牽引されてきたような方の口からいともたやすく「世界一」という言葉がでてしまう現象が、ある人物が指摘している「日本病」の特徴とあまりにもピタッとハマり過ぎていて非常に興味深いということを申し上げたいのだ。

その人物とは、このコラムで何度か紹介してきた小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏である(関連記事)。

日本経済の成長を阻害している「日本病」


新著『新・所得倍増論』(東洋経済新報社)で、アトキンソン氏は30年におよぶアナリスト人生の集大成として、豊富なデータをもとに日本経済が長く停滞している原因を分析し、「GDP1.5倍」「平均年収2倍」を実現できる道を示している。

そこで注目すべきは、日本経済の成長を阻害している、「日本病」について考察をされている点だ。

それは一言で言ってしまうと、客観的な事実に目を向けることなく、自分たちに都合のいい「願望」のような評価に引きずられてしまうという「病」である。

例えば、近ごろよく「生産性」の話になるのでご存じの方も多いが、日本の1人当たりGDPは世界で27位と、先進国の中で最も低い生産性となっている。しかも、アトキンソン氏によると、労働者ベースでみるとスペインやイタリアよりも低く、米国50州で最も生産性の低いミシシッピ州にわずかに勝る程度だという。

だが、このように客観的なデータを提示されても日本人の多くはこの現実を受け入れようとしない。受け入れないどころか、「そもそも日本人はチームプレーが得意なので1人当たりのGDPなど意味がない」とか「日本人には生産性などという指標でははかれない力がある」という科学的根拠のない反論をしてくることの方が圧倒的に多い。

なぜか。アトキンソン氏は我々日本人の頭の中に刷り込まれている「世界第2位の経済大国」が深く関係しているのではないかと考察している。

『世界ランキングが高いということは、日本人の潜在能力がいかんなく発揮されていると思い込んでいる方が多いのではないでしょうか。1人あたりのデータを見ずに、世界ランキングが高いということだけを見て、日本の実績は諸外国より上だと信じ込んでいる人が多いのではないでしょうか。これは、恐ろしい勘違いです。1億人の人口大国・日本の世界ランキングが高いのは当たり前のことです』(P64 第1章 日本はほとんど潜在能力を発揮できていない)

要するに、日本の生産性がここまで低いのは、「焼け野原から世界第2位の経済大国まで成長した日本をその辺の国と一緒にするんじゃないよ」という「勘違い」が社会全体にまん延しているからだというのだ。

これは非常にハラオチした。

日本人は「全体」と「個」の話をゴチャマゼにしてしまうことが多い。例えば、日本代表選手が金メダルをとると、実況は「見たか、日本の底力」みたいなことを平気で言う。その選手個人が成し遂げた偉業であるにもかかわらず、なぜか日本人全員がスゴいみたいな「勘違い」をするのだ。最近よくテレビ番組で見かける「日本の××は世界一」というのにも同じ問題が散見される。

支離滅裂な論理展開が当たり前に

「世界第2位の経済大国」というのはGDPという「経済の大きさ」の指標である。GDPは人口×生産性なので、中国経済が台頭してくる以前、先進国の中で米国の次に人口の多い日本が、2位というポジションについたのは当然といえば当然の結果である。しかし、「日本のGDPが世界第2位にまでなったのはなぜ?」という問いかけをされても、「人口が爆発的に増えたからでしょ」と答える人は少ない。「世界一の技術力があったから」とか「日本人は世界一の勤勉だから」とか答える方が圧倒的に多いのではないだろうか。

確かに、日本には技術力の高い企業がある。しかし、そうではない企業もそれ以上に多く存在している。日本人労働者は真面目だというが、怠け者だって少なくない。そういう「個」の事情が、「全体」に対する評価に引きずられる形ですべて帳消しにされる。つまり、ひと握りの日本人・日本企業が優れているという話が、「世界第2位の経済大国」というフィルターを通すと、いつの間にやら「日本全体が優れている」という話にすり替わってしまっているのだ。

では、いったいなぜ日本ではこういう支離滅裂な論理展開が当たり前になってしまったのか。

アトキンソン氏は、戦前の「戦争学」の影響ではないかと考えている。 

『経済の大きさ、GDPランキングを重視するのは、完全に軍事や国防の視点です。(中略)近代の日本もそうでした。とにかく欧米の軍事力に追いつき、それを追い抜かすことが最大の目的でした。このような戦争学における「追いつき追い越せ」という思考が、戦後もそのまま「経済」という血の流れない戦争に適応され、現在にいたるまで思想の主流となっている可能性は否めません』(P79、第2章「追いつき追い越せ幻想」にとらわれてしまった日本経済)

これはまったく同感である。

電通の女性社員が自殺した事件を受けて、この連載でもパワハラ・加重労働というものが、実は日本の大企業の多くが、戦前のシステムや思想をそのまま引き継いでいることに端を発している問題だと指摘をしたが、実は経済だけではなく、日本社会全体が「戦後レジーム」どころではなく、「戦時レジーム」から脱却できていないのだ(関連記事)。

そのようなことを書くと、「そうだ! だから安保法制で自由に戦争ができる国にしたんだ!」といきり立つ方もおられるが、残念ながら今回はそういう軍靴の音が聞こえる的なお話ではない。

日本が戦争に敗れて、マッカーサー率いるGHQがやって来たのを境にガラッと日本社会が変わったと思っている人も多いかもしれないが、実はそうではない。

『戦時体制は、実は半分しか解体されなかった。軍隊は即、武装解除されたが、行政機構は一部の組織改変、幹部の公職追放はあったものの、ほぼ戦前のまま残った。(中略)官僚機構は戦前の「富国強兵」から「強兵」を外して「富国」の経済戦争に国民を動員し続けたといえる』(毎日新聞 1997年4月26日)

戦時中に発明された「下に責任とリスクを押し付けるシステム」

これは役所だけの話ではなく、政治も経済も同様だ。吉田茂や鳩山一郎など戦中の指導者層がそのまま戦後もリーダーになれたように、基本的な「プレイヤー」はほぼ変わっていない。メンツが変わらないのだから、システムや思想が変わっていくわけがない。

なぜIT全盛のこの時代に、人間が朝から晩まで馬車馬のように働からされ、組織に絶対服従の姿勢を見せなくてはいけないのかというと、日本企業文化に骨の髄まで「戦争」が染み付いているからだ。「戦争」と同様に「経済の大きさ」がなにをおいても優先されるので、「1人あたり」の働き方や生産性は軽んじられる。むしろ、それらの犠牲の上に「経済の大きさ」が成り立つという思考に、企業や業界全体に毒されてしまっているのだ。

アトキンソン氏は『新・所得倍増論』の中で、日本が成長を取り戻すには、政府が経営者に「時価総額向上」のためにあらゆるプレッシャーをかけていくべきだと提言しているが、これも戦時体制を引きずっている日本社会にとっては、非常に有効な手段だと思う。

電通の女性社員自殺問題、ユニクロの「ブラック職場」問題、そして近年多い不正会計など日本企業の不祥事をご覧になっていただくと、ある共通点が浮かび上がる。

それは、いわゆる「日本型資本主義」というものが、「下」に責任とリスクを押し付け、「上」が延命をはかっていくシステムになっていることだ。

例えば、マンションの杭打ち問題など分かりやすい。杭打ち不正は「下」である旭化成子会社が責任をとらされ、「上」である発注元の三井不動産はまるで被害者のような顔をしていた。下請け業者の人たちはクビになったりしたが、三井不動産の経営者が責任をとって辞めました、なんて話は一切聞かない。

なぜこういうことになってしまうのかというと、実はこれも戦時体制の影響だ。

「下に責任とリスクを押し付けるシステム」と決別できる

ご存じのように、先の大戦ではすさまじい数の日本兵が亡くなっており、その数は100万人をゆうに超える。しかし、その無謀とも言える作戦を立案し、指揮していた指導者層は、一定期間の公職追放や、「戦犯」のそしりを受けた以外、先ほども述べたように戦後の日本社会でしれっと新しい人生を謳歌している。

こういう戦時中の指導者層がつくりだした「日本型資本主義」はバブル崩壊を経て、「失われた20年」で完全に敗北をした。しかし、1億人以上という人口と、過去の遺産でなんとなくまだそれが露呈しない状態が続いているだけなのだ。

日本が先進国の中で唯一、経済成長をしていないのがその証左である。

アトキンソン氏の提言どおり、「上」にプレッシャーをかけて、時価総額向上を達成できない経営者をどんどんクビを刎(は)ねていけば、日本型資本主義という病におかされた経営者がどんどん駆逐される。社員や下請けという「下」に責任を押し付けて延命をはかるようなブラック経営者も当然あぶりだされていく。つまり、戦時中の「下に責任とリスクを押し付けるシステム」と決別することになるので、「1人当たり」の生産性もあがっていくのだ。

日本の生産性が先進国で最下位ということを前向きに考えれば、日本は先進国というポジションでありながらまだまだ成長ができる余地があるということだ。

マスコミには「日本はスゴい」「日本は世界一」という自画自賛的な論調が溢れているが、実は最も必要なのは、「日本はまだ先進国になりきれていない」という「謙虚さ」を説くことではないのか。
いまだに、世界第二位の経済大国だった日本を引きづり謙虚さが無くなっている?
戦時中に発明された「下に責任とリスクを押し付けるシステム」
これは・・・・あるかもしれないな・・・・だが、根本原因ではないような気がする。

日本の労働生産性が低い理由がどうも納得出来ない。米国の5割だと?
バブル崩壊から四半世紀、リストラやありとあらゆる無駄を削ぎ落としたら日本社会が、未だに非効率社会だと思えない。我々が、日本は世界一の国だと思い込んでいるから本当に生産性が低いのかどうにもこうにも全く納得出来ない。

労働生産性の計算方法

労働生産性は、以下の計算式で求めることができます。

労働生産性(千円/人)=付加価値(≒限界利益(粗利益))/社員の平均人数

※ここで取り上げている「社員の平均人数」とは、期首と期末の社員の平均人数とします。
国別で労働生産性を比較するのははどうかと言えば・・・
「日本生産性本部」によると、
「労働生産性を国際的に比較するにあたっては、付加価値をベースとする 方式が一般的であり、労働生産性を
 労働生産性  =  GDP / 就業者数
(※GDPは購買力平価(PPP)により換算されたもの)
として計測を行っている。」
日本生産性本部 労働生産性の国際比較PDFより http://www.jpc-net.jp/annual_trend/annual_trend2015_3.pdf
ということで「 労働生産性  =  GDP(購買力平価換算) / 就業者数」です。


なぜ労働生産性が重視されるか?


ではなぜ労働生産性、そしてそれが低いことが問題になるのでしょうか?
それは、生活水準に直結するからではないでしょうか。「労働生産性が低い」と言われると、私なんかはつい、よく考えずに暗黙の前提で、生産性が低いのは悪いことだ!と思い込んでしまうのですが、結局、労働生産性が低いと、GDPが低くなる。なので、労働生産性が低いことがしばしば問題視されるのでしょう。
つまり、
労働生産性  =  GDP / 就業者数
(※GDPは購買力平価(PPP)により換算されたもの)
なので、
↓ 
GDP  =  労働生産性 * 就業者数
(※GDPは購買力平価(PPP)により換算されたもの)
まあ一応こうなります。労働生産性が低いとGDPが低くなりますよね。生産性が高く、同じ生産量を短時間で実現できれば、より多くの消費ができます。生産性の上昇は我々の生活を裕福にします。ではGDPが低いことは問題なのでしょうか?当然生活水準に直結しますから、それは大きな問題だと思います。
GDPとは国内総生産の略です。マンキュー先生の経済学のテキストによると、
国内総生産(GDP)は、一定期間において、一国内で生産されるすべての最終的な財やサービスの市場価値である。
N・グレゴリー・マンキュー「マンキュー経済学Ⅱ マクロ編 (第3版)」p.139
と定義されています。ものすごく簡単にいうと、GDP=その国の経済の大きさ、になるかと思います。GDPの大きさは、その国の豊かさや生活水準をダイレクトに反映するということですね。
ちなみに、2014年の各国の購買力平価GDPは、
日本     4631
アメリカ 17419
中国       18030
イギリス     2524
ドイツ        3689
(10億米ドル)
(総務省統計局 世界の統計 2016 第3章 国民経済計算より http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/0116.pdf#page=59
と言う感じになっています。アメリカはダントツですね。中国もとても成長しています(数値の信ぴょう性の問題も指摘されていますが)。とはいえ、単純にこのGDPの大きさだけで、一国の経済の良し悪しが全てわかるわけでもありません。様々なデータを参考にしながら経済学者は経済を見ています。例えば、GDPをその国の人口で割った、「一人当たりGDP」などの指標もよく使われます。

OECDが出している労働生産性は、購買力平価換算のGDPを就業者数で割っているから。
「 労働生産性  =  GDP(購買力平価換算) / 就業者数」
となる。

だが、一人当たりのGDPランキングは、購買力平価換算していないGDPを、全人口で割っているから、一人当たりのGDPと労働生産性は結構違う。

1年間に生み出された付加価値である「GDP(国内総生産)」を購買力平価でならして、単純に「就業者」と自己申告している人の数でと割っているに過ぎない。

「就業者」として国が把握している数字だが、失業率が低い国と高い国では失業率に低い国の労働生産性は落ちるに決まっている。対して割られる側のGDPは家計支出は勿論、政府支出、輸入、利子だって含まれてるわけだからなんというか、割と「適当な指標値」なわけです。

政府が財政政策をして支出を増やしてGDPを押し上げれば、労働生産性があがるわけですから、労働生産性の低いと言うことは、国の政府支出が低すぎるからとも言える。

執筆中

土日に書き足します。




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 日銀が金融政策の枠組みを「量」から「金利」へ修正したのは、「現実路線」への転換といえる。1~2年で市場に出回る国債が枯渇する恐れがある中、円高が進んだ場合などに備えて金融機関の収益をできるだけ悪化させずにマイナス金利を深掘りできる態勢を整えた。だが、年80兆円の国債購入量を減らした場合、緩和の縮小と受けとられる恐れもある。

 現在、日銀は発行額の3分の1超の国債を買い占めている。日銀は今回の枠組み修正で、将来的に緩和手段が手詰まりとなるリスクを未然に防ぐことにした。

 さらに「総括的な検証」ではマイナス金利の悪影響も詳しく解説。国債の大量購入とマイナス金利の組み合わせで長い期間の国債利回りが予想を超えて低下してしまい、国債で資金を運用する金融機関の収益が悪化して金融仲介機能を低下させる恐れがあると指摘した。

 日銀には今回、「量」へのこだわりを捨て去ることで、長い期間の国債の買い入れ量を減らして金利を調整し、こうした「副作用」を少なくする狙いもある。

 しかし、市場からは「量的緩和の限界を公に認められず、枠組み変更でごまかした苦肉の策」(証券系エコノミスト)との厳しい見方も出ている。今後も日銀の国債保有残高は増え続けるものの、日銀幹部は、新たに買い入れる国債を年80兆円から少しずつ減らす可能性を認める。

 日銀の黒田東彦総裁は21日の記者会見で、枠組みの修正は「テーパリング(緩和縮小)ではない」と強調した。だが、国債買い入れ量が減れば、市場は緩和縮小とみなし、金利が急変動する懸念は否めない。

 一方、消費者物価指数は5カ月連続で前年割れし、2%の物価目標達成が見通せなくなっているにもかかわらず、日銀は今回、追加緩和カードを温存した。

 米国の利上げや英国の欧州連合(EU)離脱交渉など世界経済の先行きが見えにくくなる中、過度な円高が進んだ場合に備えて次回以降に選択肢を残す道を選んだ形だ。(藤原章裕)
日銀は異次元緩和の「総括的な検証」を行い、9月21日に発表した。
2013年春に、2年で物価を2%上昇を目標に掲げ、異次元金融緩和政策を始めた。大量の国債を購入しても、マイナス金利の導入しても、円安になった分輸入物価が上昇しても物価上昇率も経済成長率も賃金も低迷したままである。

物価を2%上昇するには円安による輸入物価上昇では話になりません。個人消費と設備投資が必要です。個人消費を伸ばすには給料が増え景気をよくする必要があるのですが、企業は設備投資もせず内部留保に走るだけでは日銀の物価上昇は達成できるわけもない。

企業が投資を増やすためには、国が財政投資を行う必要があるが、国は逆に緊縮財政で支出を絞っているのだから、当初のアベノミクスではなくアベコベミックスになってしまっている。

今回の日銀の新政策は・・・
(1)マイナス金利の深堀は、今回は行なわない。
(2)長期金利(10年国債金利)がほぼ0%で推移し続けるよう、長期国債の売買を行なってコントロールする。
(3)株式ETFの買い入れについて、TOPIX型の買い入れ比率を高める(日経平均型は買い入れ比率が低くなる)。

記者会見で黒田日銀総裁は、金融緩和をさらに強化したと説明しても、マイナス金利を止めると言うことは、実質的にテーパリングである。日銀はいったい何を目指しているのか、それどころか何を決めたのかが、正直私にはよくわらかない。

最近、当ブログで金融証券ネタが少なくなってきた。
正直、金融・証券・経済に対する興味が無くなったのではないが、もどかしいのだ。

予想通り、マイナス金利はやるべきではなかった。マイナス金利によって金融機関の収益が悪化し、年金や保険運用を圧迫し、GPIFも運用に失敗だと言われてしまっている。私は間違いではないと思うのだが、目先評価損を出せば素人さん達にそう言われてしまうのも事実である。マイナス金利の国債を漫然と保有し続ける方が無責任だと思う。

Business Journal 2016.04.20

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2016/8/10(水) 午前 4:46 
予想通りの劇薬であったと思う、日本は貸出金利がもともと低く、引き下げ余地が乏しかった。内需も弱いマイナス金利が実体経済に効果をもたらすことはなかった。
金融政策で、デフレは脱却できないことはもはやわかりきったことになっている。

マイナス金利は愚策だった、意味が無いとまでは、言わないが、マイナス金利で円安を狙ったのなら失敗と云わざるを得ない。

デフレがいつまでたっても脱却できないのはアベノミクスが真のアベノミクスになっていないからだ!日本のような経済が成熟した国の成長を考える時は、需要不足をどう解消すべきなのだが、2013年アベノミクスは大型補正予算を組み政府支出という需要を創出して劇的に変化した。

日本では経済循環における需要の注入と漏出を考える必要がある。注入には投資(設備投資や住宅投資など)、政府支出(公共投資を含む)、年金給付、輸出などがある。一方、漏出には貯蓄、税金、社会保険料、輸入などがある。

需要でも注入が漏出より大きければ経済は拡大し、反対に注入が漏出より小さければ経済は停滞に向かって均衡する(マイナス成長)。

13年度のアベノミクスの一年目は、真水で10.5兆円の補正予算に見られるように経済循環において需要の注入が大きかった。また異次元の金融緩和など(金融緩和だけでなく経常収支の赤字)による円安の経済効果もある程度あった。円安の効果としては輸出増・輸入減、株価上昇による所得効果による消費増が考えられる。

14年度のアベノミクスの2年目から一転して財政は緊縮型に大転換した。

補正予算は前年度から5兆円も減額された。これは注入の大幅減少である。また消費税率が5%から8%に引上げられ、8兆円の所得(購買力)が消費者から国・地方自治体に移転した。この8兆円は経済循環からの漏出になる。したがって14年度は注入が5兆円減り、漏出が8兆円増えた。

14年度中に大型の第二次補正予算を組むこともなくなく15年度もそのような気配は全くなかった。これではアベノミクスが頓挫するのも当たり前である。

安倍政権も財政再建派の罠に堕ち、消費税増税を行ってしまったからだ。
消費税増税を行う必要などないどころか、消費税増税は日本のデフレ脱却を妨げる要因である。

デフレを脱却したいのであれば消費税引き下げ、消費税減税である。


9日の東京市場は、欧米市場でのドル安・株安を引き継いでリスクオフ心理が強まり、日経平均は前日比900円超下落。ドル/円は一時、114.20円と2014年11月以来の安値を記録した。そして長期債のマイナス金利はスイスに次いで2例目。

これは、日銀が敢えて導入したマイナス金利が導入したことにより達成させたい円安株高と意図したことと真逆の結果になってしまっている。

マイナス金利だから115円で踏みとどまっているという可能性もなきにしも非ずだが、マイナス金利という劇薬を飲み込んでしまったからには誰も経験したことがない未踏の領域に踏み込んでしまったのだから、我々の想定外の副作用が次々に起きるであろう。

長期金利がマイナスとは、お金の借り手が利息をもらえるという異常事態に突入する。年金や保険などの運用で一段の環境悪化が避けられない状況となってきた。

金利低下で利ザヤが縮小し銀行収益を悪化させるという、マイナス金利政策の負の側面に焦点が当たり、金融株売りにつながっている。投資家がリスク回避姿勢を強め、質への逃避としての円買いが強まっていることも日本株を押し下げている。一般的に株価が急落すれば割安感が意識されるが、足元で通期予想の下方修正が相次ぎ、下値不安は高まる一方だが。回帰トレンドでは明日16000円を割れれば一旦底かもしれない。

ドル/円が一時、心理的節目の115円を割り込んだ。政治的な国際協調があれば安心感も広がるが、今月はG20が中国で開かれる。市場が荒れた場合には協調して対応するなどといった、各国の強い決意が市場に伝わるような声明や要人発言が出やすいのだが、開催は2月後半中国だ、スケジュール的にまだ間がある。   
目先、10日のイエレンFRB議長の議会証言が注目だが、この状況では米国の追加利上げに対して慎重なメッセージを出すしかないだろう。株価が反転しても、米金利は上昇せず、ドルが125円の方向に戻していくのは難しいのではないか?
日本は貸出金利がもともと低く、引き下げ余地が乏しかった。内需も弱いマイナス金利が実体経済に効果をもたらすことはないだろう。円安を狙ってのマイナス金利と思うが、現状まだわからないが、マイナス金利で円高に振れているのだから、日銀の意図とは違う方向に向いているわけなので、マイナス金利は愚策のような気がする。

むしろ、マイナス金利になれば郵貯銀行や金融機関の経営がおかしくなり破綻する可能性とか、マイナス金利による負の効果の方が気になる。

何よりもゼロ金利にもどそうとしたら金融引き締めになってしまうのだ。

私は、マイナス金利の発表を知った瞬間このマイナス金利は直観としてこれは悪手だ!違うだろう!切り札を切るのが早すぎる!目先マーケットは底打ちして自力反発できる、このタイミングではなく、中国経済がもっと悲惨な状況で日本に悪影響が出た時に切るべき札だと・・・・思った。一時600円近く上がったマーケットに強く違和感を感じた。

単純に考えれば、マーケットにプラスだろう。マイナス金利は円安⇒企業業績上昇⇒株高。マイナス金利で国債などで運用している銀行資金が、国債投資から企業融資が増え設備投資、住宅投資が増え景気が上向く。消費者もマイナス金利下では明日まで貯蓄して資産が目減りするより、今すぐ支出しようとするため消費を押し上げるはず。

そんな単純な話ではないことは、小学生ではないのだから誰も信用しない。
第一、銀行は融資したくとも、企業の資金需要があるわけではないのだから、そう簡単に企業融資が増えるわけがない。また、国債利回りと足並みをそろえて投資や年金基金の収益率が低下するため、消費者は不十分な年金を補うため、通常よりも貯蓄を増やさざるを得なくなる可能性がある。高齢化が急速に進む日本において、消費はさらに減り、結果として景気は一段と減速、ソブリン債需要が高まり、中銀による国債買い入れ・紙幣増刷が増え、利息がほとんどつかない証券の需要は一段と増す。悪循環に陥る可能性が高いのではないか!

マイナス金利は、円を調達通貨として他の通貨で運用する円キャリートレードが増えるので円安要因ではあが、現在の世界の金融市場環境は中国経済の崩壊が顕著で明らかにリスクオフ局面だ!この局面で、いくら低金利の通貨であっても、それを売ろうという動きは続きにくい。中国経済崩壊のリスクオフ局面では金利が低くても安全資産の国債を買う動きが助長されるので、マイナス金利の効果はかなり限定的と思う。

以上の私の文章箇所を抜き出したのだが、予想通り円安にならないどころか円高にになる愚策だった。日銀がやっていることは間違いだとは言い切れないが、マーケットは容易に制御できるもいのではない。
永井靖敏大和証券 チーフエコノミスト
[東京 23日] - 日銀は21日、長期金利操作(イールドカーブ・コントロール)と金融緩和の継続期間明確化(オーバーシュート型コミットメント)を柱とした「新しい枠組み」(長短金利操作付き量的・質的金融緩和)を発表した。

会合後の記者会見で黒田東彦日銀総裁は、金融緩和をさらに強化したと説明。同日、米連邦準備理事会(FRB)は連邦公開市場委員会(FOMC)で現状維持を決定し、イエレンFRB議長は記者会見で年内1回の利上げが適切と強調した。

まず、FOMCについては、利上げの可能性を指摘するエコノミストもいたが、あくまでも少数派で、市場の関心は声明文や記者会見に集まっていた。声明文では、「フェデラルファンド(FF)金利引き上げの根拠は強まった」と、利上げに向けて一段と踏み込んだ表現を使っている。同じ表現が8月下旬の米ジャクソンホール会議での講演で用いられていたことから、「サプライズ」とまでは言えないが、イエレン議長のペースで議論が行われた様子が読み取れる。

つまり、声明文は年内利上げを示唆する内容だと筆者は見ている。「世界の経済金融動向を引き続き注意深く監視する」とした記述が残った点は気掛かりだが、「年内利上げの障害」とまでは言えないだろう。

今回は3人のメンバーが利上げを求めて反対票を投じた。3人が反対票を投じたのは、2014年12月以来のこと。2016年末のドットチャート(FOMC参加者が考えるFFレートの適正値)を見ても、6月時点から下方修正されたが、「年内利上げなし」は17人中3人に過ぎない。

<10年債利回り以外の変動幅が拡大する恐れ>

一方、日銀については、追加緩和や枠組み変更の有無について、直前まで見方が分かれる中、「総括的な検証」と同時に、「新しい枠組み」が発表された。黒田総裁は、金融緩和を強化したと説明している。

1つめの柱の「イールドカーブ・コントロール」は、過度なイールドカーブのフラット化を避けることを狙い導入した。「総括的な検証」の中でも、金利の各ゾーンが経済・物価に与える影響を実証分析し、中短期ゾーンの効果が長期ゾーンよりも大きかったとしている(ただし、構造変化で、長期ゾーンの効果は過去に比べると高まっている可能性についても指摘している)。

加えて、過度なフラット化は、金融機能の持続性に対する不安をもたらし、マインド面などを通じて経済活動に悪影響を及ぼす恐れもあるとまとめている。

声明文で、「イールドカーブ・コントロールを、新たな枠組みの中心に据える」とした一方、(長期国債の)「買入れ額については、概ね現状程度の買入れペース」と記載している点が、「新しい枠組み」を分かり難くしている。

確かに、「長期金利」と「量」の両にらみの政策運営を実施することは、不可能ではない。長期国債が一種類しかない世界なら、金利水準と買い入れ額を同時に決定することはできないが、実際には様々な年限が存在する。また、操作の出発点は「10年物国債金利が概ね現状程度(ゼロ%程度)」と現在の水準であり、目標としている水準に幅を持たせている。

だが、不可能ではないとしても、今後イールドカーブをにらみながら、金融政策決定会合で「量」を調整することになるため、問題含みの感は否めない。枠組みの中心は「イールドカーブ・コントロール」としているため、超長期金利が「趣旨」に反する水準まで低下(あるいは上昇)すれば、「量」を調整する必要があるが、その「趣旨」を読み取るのが極めて難しいからである。

金融政策決定会合前の調整の思惑浮上や、予想外の調整を受け、ボラティリティーが高まる恐れがある。10年債利回りについては、日銀の新たな政策運営目標に加わったことで、安定的に推移しようが、その分、他のゾーンの変動幅が拡大する可能性がありそうだ。

なお、「新しい枠組み」では、日銀は、マネタリーベース残高の拡大方針を継続することにコミットしており、長短金利は「操作を行う」だけで、「物価安定の目標」の達成前の引き上げも想定した形式になっている。

ゼロ%という10年債利回りの操作目標水準には、「現状程度」という根拠しかない。理屈の上では、期待インフレ率の上昇により実質金利が低下することで、長短金利の操作目標が過度に緩和的になった場合、「新しい枠組み」を維持したまま、金融政策決定会合で引き上げることができる。

ただし、現実問題として、「物価安定の目標」を「できるだけ早期に実現する」としていること、期待インフレ率を正確に計測することができないことなどから、達成前の引き上げは困難と筆者は考えている。

こうしたリスクが想定されるなか、両にらみの政策運営が採用された背景には、これまでの政策運営を正当化する狙いや、量的緩和の有効性を主張するボードメンバーへの配慮があったと思われる。「総括的な検証」を受け、「量」の政策運営目標を完全に廃止し、「長期金利」に切り替えると、「日銀の量的金融緩和政策は失敗した」という印象を与える。

失敗の印象は、期待に働きかける効果を弱めるため、日銀としては、政策運営の無謬性を強調し続ける必要がある。また、「新しい枠組み」に対して、ボードメンバーの中から多くの反対票が出ると、政策運営の持続性に対する疑念が高まる。

<将来の修正余地がある分、政策効果も小さい>

「新しい枠組み」の2つめの柱の、「オーバーシュート型コミットメント」については、声明文に「消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比上昇率の実績値が安定的に2%を超えるまで」と、金融緩和の継続期間について具体的な条件を明示した。従来は「物価安定の目標を達成するまで」と、曖昧な表現にとどめていた。

黒田総裁は「両者(2つの柱)が相まって緩和を強化した」と説明しているが、筆者は強化されていない(物価上昇にはつながらない)と考えている。まず、「イールドカーブ・コントロール」は、現状のイールドカーブを基準にしている。スティープ化するリスクを抑えることはできたが、「過度なフラット化は望ましくない」というメッセージを市場に出したことで、フラット化する可能性も低下した。

「オーバーシュート型コミットメント」についても、「物価安定の目標」の達成が近づき、市場が金融緩和解除を織り込みつつある局面では、プラスの影響を期待できるが、現時点では全くといっていいほど織り込んでいない。金融緩和解除が見通せない状況で、解除条件を明示しても、人々の行動に影響を与えない。

これまで日銀が金融緩和解除の条件を曖昧にしてきた背景には、出口の波乱を弱めるためだと筆者は考えていた。すでに極めて積極的な金融緩和を実施しているため、ある程度の波乱は避けられないが、物価上昇後、長期金利の水準に何らかのキャップを付けることで、長期金利の急上昇が景気失速を招き、物価下落につながるというシナリオ回避に注力すると予想していた。

「新しい枠組み」のままだと、金融緩和解除までは10年債利回りは現状のゼロ%程度に釘付けされ、コミットメント終了後、急上昇することになりそうだ。当然のことながら、その前に、「さらに新しい枠組み」が作られると思われる。「新しい枠組み」は、将来の修正余地がある分、政策効果も小さいと見た方がよさそうだ。

*永井靖敏氏は、大和証券金融市場調査部のチーフエコノミスト。山一証券経済研究所、日本経済研究センター、大和総研、財務省で経済、市場動向を分析。1986年東京大学教養学部卒。2012年10月より現職。
今回の日銀の決定が追加緩和であって、カネ余りによる国内株高(余剰資金が株式市場に流入)や円安(余剰資金が外貨建て資産に流入)、あるいは景気回復(経済全体が金余りになる)を一段と推し進める、ことにはなりそうもない。

金利については、長期金利はマイナスからゼロへするということは、金利の上昇ですし、資産の買い入れ額を増やすわけでもないので量的緩和でもない。追加緩和というより、実質テーパリング=金融引き締めのように見えるのは私だけではないだろう。
[東京 23日 ロイター] - 日米中銀会合の2大イベントを通過し、ドル/円JPY=EBSに下落圧力がかかっている。日銀は金融政策の新たな枠組みを導入したが、金融緩和余地は大きくないと市場は受け止めている。米連邦公開市場委員会(FOMC)も利上げを見送り、先行きの金利予想を引き下げた。

1ドル100円割れはいったん回避されたものの、心理的節目をめぐる攻防は続きそうだ。

<日銀新スキーム効果に疑問>

日銀が金融政策の新たなスキームを発表した後、ドル/円は、いったんショートカバーが先行し102.79円に上昇した。しかし、持久力に乏しく、21日の市場では、100.30円まで下押し、22日は100.10円と大台割れ寸前までに軟化した。

市場では、今回導入した日銀の新スキームにおいても、追加的な金融緩和は容易ではないとの見方が多い。マイナス金利の深掘りが今後の追加緩和の手段となりそうだが、「先行する欧州中央銀行(ECB)の議論を見ても、金融機関の収益への影響の観点からも、金利の下げ余地は大きくない」と、あおぞら銀行の市場商品部部長、諸我晃氏は指摘している。

ECBのマイナス金利は現在0.4%。日銀はマイナス0.1%であり、ECBの水準まで深堀りするにしても余地は0.3%ポイントしかない。

さらに日銀がマイナス金利を深堀りした場合、そのままなら長期金利も低下する可能性が大きいが、今回決めたように長期金利をゼロ%付近に固定しようとするなら国債購入の量を縮小せざるを得なくなるかもしれない。「事実上のテーパリングと受け止められて嫌気されれば、円買いが強まるおそれもある」(国内金融機関)という。

<米側にも円高リスク材料>

日本が休日だった22日午後、財務省と金融庁、日銀が3者会合を開き、出席した浅川雅嗣財務官が「仮に投機的な動きが続くなら、必要な対応を取らざるを得ない」と発言。為替介入も辞さない姿勢を示したことが伝わると何とか1ドル100円の大台割れは回避された。足元は、欧米株高を受けたリスク選好の円売りにも救われ、100円後半まで値を戻している。

国際的に非難を浴びるかもしれない実弾の為替介入は難しいとの見方が市場でも多いが、「株安や円高が急激に進行すれば、日銀が追加緩和するかもしれない」(邦銀)との警戒感もくすぶる。ドル/円で90─95円、株価1万5000円となれば警戒水位との見立ても聞かれる。

イベントを通過したことで、ドル/円のインプライド・ボラティリティ(予想変動率)は低下しており、「一気にドル安方向に突っ込んでいく様子ではない」(りそな銀行のクライアントマネージャー、武富龍太氏)とみられている。

ただ、米側のドル高・円安材料も大きく後退している。21日の米連邦公開市場委員会(FOMC)では、利上げを見送り、先行きの金利見通しも引き下げられた。金利先物が織り込む12月利上げの見方は依然50%超だが、長期的な米金利の「天井」が低くなる中では、12月に利上げが実施されたとしても、先行きの利上げに期待がつながらなければ、ドル高・円安方向の力は弱いかもしれない。

さらに米国には大統領選挙という円高材料になりかねないリスクイベントが控える。

三菱UFJモルガン・スタンレー証券のチーフ為替ストラテジスト、植野大作氏は「クリントン候補とトランプ候補の支持率が逆転するようなら、あらためて100円割れのリスクがある」と指摘する。26日(日本時間27日午前)の第1回テレビ討論会に注目が集まりそうだ。

(平田紀之 編集:石田仁志)
毎年金融証券関係者には恐怖のオクトーバーサプライズの季節がやって来る。
今年は何だろう?

円がこれだけやっても90円台に突入するのはサプライズにはならない・・・
トランプ大統領誕生も恐ろしいが11月。

このニュースを根拠にドイツ銀行の破綻が噂されています。

確実視されるアメリカの利上げを受け、為替は円安に振れ株価も上昇の動きを見せるなど、ようやく日本にとって好ましい流れとなった観もありますが、「ドル高が欧州の金融危機を招く」と指摘するのはメルマガ『国際戦略コラム有料版』の著者・津田慶治さん。津田さんはその論拠を記した上で、迫り来る欧州金融危機は日本にとって対岸の火事ではないと警鐘を鳴らしています。

欧州金融危機の足音
米国は景気が回復して、利上げの方向であるが、一方、欧州では銀行が破綻する可能性が出てきた。ドイツ最大のドイツ銀行とイタリア3位の銀行モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナと同国1位のウニクレーディト、バンカ・カリージェである。今後、どうなるのであろうか? その検討。

米利上げが確実
イエレンFRB議長とフィッシャーFEB副議長の8月26日の講演会とその後のコメントで、9月利上げの可能性が増したと市場は見て、1ドル=103円まで円安になったが、9月2日の雇用統計は、予想に比べて低かった。しかし、年内の利上げは確実で、9月の可能性もあるということで、1ドル=104円になっている。

米国の景気は上昇しているが、金融緩和を世界で行ったために、歴史的長期金利の低下が進行している。このことで、日本を除く世界は株高になっている。このままにすると、バブルが起きると米国のFRBは心配になり、利上げを志向している。しかし、どうもこれだけではないようである。これは後で説明する。

これにより、円安になり、日本だけは今まで円高に向かい株安のままに放置されたことで、PERが低く他の市場に比べて割安になっている。よって、日本の株価は1万7,500円程度まで上昇する可能性がある。というように、ここまでであれば、日本バンザイであるが、しかし、ドル高になることで問題が出てくる。それは欧州の金融危機である。

9月2日ドイツ銀行のジョン・クライアン最高経営責任者(CEO)は、同行立て直しを1からやり直す。昨年に新戦略を発表したものの、同行の時価総額は半分以下に減ってしまったので、追加の支店の閉鎖や投資を減らすというが、ドイツ銀がコメルツ銀との合併を検討したが、共倒れになると拒否されたようである。それほど、ドイツ銀行は危機的な状態になっているようである。

欧州金融危機
このコラムでも何遍もドイツ銀行が登場したので、覚えていると思うが、世界最大のデリバティブ扱い量であり、石油価格の下落、英国のEU離脱でデリバティブで大損、ソロスの空売りなど、ドイツ銀行の破綻を読んで、ヘッジフォンドは動いている。

最大量の企業倒産保険であるCDSの引受け手であり、このドイツ銀行が破綻すると、CDSも無効になり、他の企業や銀行も連鎖倒産になる可能性が高い。しかし、誰が倒産するか、事前にはわからない。

このため、ドイツ銀行が倒産すると、世界の金融機関は資金が凍結し、流動性不安になる。どの銀行が倒産するか見えないからである。リーマンショックと同じようになる。一番大きな影響を受けるのは、欧州の金融機関であり、イタリアの1位、3位のモンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナとウニクレーディト、バンカ・カリージェであり、現時点でも不良債権が多く、不安定であり、この両行が倒産して、続いて多くの欧州の銀行が破綻する可能性がある。

世界大恐慌がドイツから発生する可能性が高いということになる。

ECBのマイナス金利の深掘りで、ドイツでも預金者から手数料を取る方向になり金庫が売れ始めて、預金を引き出しているようだ。このように銀行から預金がなくなり、銀行安定化のための預金準備率を維持するために、貸出や投資を削る必要があり、銀行の経営を圧迫することになる。

このため、ECBのマイナス金利深掘りが欧州銀行を不安定にしている。

欧州の継続する金融危機
欧州は、なぜ、ギリシャ危機から危機が続いているかというと、景気対策として、財政出動ができない。対GDP比3%以内の財政赤字しか認めないために、財政出動ができないので、一度、景気が悪くなると、通貨調整機能もなく、景気回復が絶望的になり、若者は職を得るためにドイツなどに移民する必要が出てくることになる。

英国はホンドを維持したので、通貨調節機構が働き、EU離脱選挙後、それ以前より景気が良くなっている。ホンドの大幅下落でそうなっている。

EU圏では、ドイツが支配するECBが金利を決めるので、金融政策を自国の事情では変更できない。このため、マイナス金利などというユーロ安にする政策を継続することになる。輸出には有利であるが、輸入には不利である。また、弱い国に対する補助金がないので、この差を埋めることもできない。日本国内を見ると、地方交付税があり、地方の基礎的な環境を維持できているが、これがない。

このような環境であり、EUは脆弱な連合になり、弱小国の経済が回復しないで、度々、金融危機になるのである。反対に、ドイツはバブル状況になる。

このような脆弱な連合で、ECBドラギ総裁はマイナス金利を深掘りして、金融機関を痛めつけて、特にドイツ銀行の立て直しをできなくしているようである。

なぜ、欧州は危機にならなかったのか
危機が継続する環境であったが、危機がなぜ、起きていないのかというと、1つがドイツが危機になると、ギリシャ危機のように追加的に資金を入れていた。2つには、移民を入れて需要を高めていた。3つにマイナス金利でユーロ安にして、貿易量を拡大した。

しかし、この条件が変化する。1については、ドイツが先に金融危機になる。2については、テロ多発で移民を入れなくなったことで、需要拡大はなくなる。3については、マイナス金利の負の面が出て、銀行倒産が起きる。それと銀行倒産時の安全性を担保できる英シティがEUではなくなる。

米国が立ち直った理由
ユーロ圏や日本と違い、なぜ、米国は立ち直ったのかという疑問が出ると思うが、移民が多く生産人口が増加している。ドルが基軸通貨であり、ドルでのビジネスが多く、安定的である。特にドル・リンク地域・国が多いので、為替リスクが少ない。自国市場が大きく、為替で輸入を止めることで市場を取り戻せる。経済が不調であれば、簡単にドル安にできる。基軸通貨国の特権があるので、このようなことができる。そして、米国は、景気回復になってきた。

今後の予測
欧州の金融危機は、ドル高になるので資金がドルに向かう事になる。預金する手数料を取る銀行から、金利が高い米国の銀行に預金を移すはずであり、銀行経営はEUでは難しくなる。

欧州の経済が大きく崩れると、中国の輸出先でもあり、中国経済も崩壊する可能性が出てくる。米国と日本は中国の国際法無視で、厳しく貿易面でも対応するので、輸出量を増やせない。

日本は、米国の景気上昇で、円安になり経済は復活することになるが、中国と欧州経済の動向により、その影響も受ける可能性があるし、米国も影響を受けることになる。

米FRBは、欧州や中国の景気下落時、自国景気も下がると見て、その時に金利の操作ができるように、政策ツールを増やしておくことを今から準備をしてるようにも見えるのである。

とすると、日本の投資家や企業も、円安になり株価は上昇するが、その後、欧州の動向を見る必要がありそうである。

さあ、どうなりますか?

『国際戦略コラム有料版』より一部抜粋 著者/津田慶治
確実視されるアメリカの利上との書き出しからして、曲りや(相場下手)の文章である。直近記事を書いていなかったので、証拠を残していないが、9月利上げは無いと思っていた。利上げは大統領選挙直前である11月もない。やったとしても12月にやるかどうか微妙だろう。


今回は米国の利上げが無く、引き金は引かれなかったが、ドイツ銀行がヤバイことだけは間違いないようだ。ちょtっと怖いものを見たい方は、↓のリンクへ
以上 煽動記事満載のMONY VOICEの記事ですから話半分で読まないと相場を読み間違えますが・・・今回はどうもちょっと気になります。

中国と関係を深めるドイツが今後ますます苦境に立つことは間違いないであろう。
 日銀の黒田東彦(はるひこ)総裁は講演で、マイナス金利の深掘りや量的緩和拡大の可能性について言及した。サプライズ重視から市場との対話重視への路線変更との指摘もあるが、9月の総括的検証を踏まえて、金融政策は変わるのだろうか。

 筆者は、黒田総裁は天の邪鬼(あまのじゃく)だと指摘していた。それは、セオリーからやるべき手段とタイミングがわかっているときにはあえてやらず、意表を突くように政策を打ち出してきたからだ。それは、やるべき時にやらないで、じらす戦法でもあった。

 このやり方は、しばしば優秀な官僚が好む手だ。意表を突く政策を打ち出しアイデアマンとしての力量を見せて尊敬を集めつつ、当たり前の政策のときにはわざとタイミングをずらして相手が恩義を感じるようにする。民間の優秀なビジネスマンでもやりそうなことだ。

 学者は基本的にそういう対応はしない。理論に基づく議論であり、外部からの予測可能性を高める。例えば、有名なテーラー・ルールでは、インフレーションや国内総生産(GDP)といった経済変数に従って政策金利が決まる。具体的には、実際のインフレ率とインフレ目標との乖離(かいり)、実際の実質GDPと潜在GDPの乖離(GDPギャップ)によって、中央銀行が政策金利を決める。

 背景には、望ましい金融政策についての理論がある。こうしたルールに基づき金融政策を行うのが、学者からみた金融政策である。実際のインフレ率や実質GDPは誰にも分かるので、このルールを知っていれば、中央銀行の金融政策は9割方読めることになる。

 オークンの法則によると、実質GDPと失業率の間には負の相関がある(GDPが増えると失業率が下がる)ので、テーラー・ルールは、インフレ率と失業率から望ましい政策金利を導き出すともいえる。さらに、失業率とインフレ率の間で負の相関があることを示したフィリップス曲線を使えば、失業率(またはインフレ率)から金融政策を予測することもできる。

 こうした学者からのアプローチは、マスコミが言う「市場との対話」とは異なるものだ。外部から観測可能な客観的データがあれば、中央銀行の行動を予測できるからだ。

 マスコミや市場関係者が、「中央銀行と市場の対話が必要だ」と言うときには、中央銀行と市場関係者の間で意見交換をすべきだという意味であることが多い。そうした話は、金融政策のフレームワークではまずない。市場関係者はすなわち金融機関関係者であるが、金融政策は失業、GDPなどのマクロ経済に影響を与えるものであって、個々の金融機関の経営問題を考慮する必要はないからだ。

 金融機関としては事前に金融政策を知りたいという要望はあるだろうが、こうした意味で、日銀が市場との対話を重視することは本来あり得ない。

 9月の総括的検証を踏まえて、日銀がどう変わるかといえば、サプライズ重視から、サプライズなしの、じらし戦術になるだけではないだろうか。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

注目されていた日本銀行の「総括的な検証」と、金融政策の「新しい枠組」が発表された。おおむね予想された通り「2%のインフレ目標」を無期延期し、マネタリーベース(現金供給)という指標を実質的に取り下げる方針転換である。

 ただこの発表は難解な「日銀文学」で書かれており、行間を読まないと意味が分からない。普通のビジネスマンが理解するのは容易ではないと思われるので、ここではその内容をやさしく解説し、それが何を意味するのかを考えてみよう。

黒田総裁の失敗を認めた「総括的な検証」

 まず「総括的な検証」を読んでみよう。これは黒田総裁が就任してから3年半たって初めての総括だが、内容は常識的なものだ。ここでは「2%の『物価安定の目標』は実現できていない」と率直に認め、その原因を次の3つに求めている。

・原油価格の下落
・消費税率引き上げ後の需要の弱さ、
・新興国経済の減速と国際金融市場の不安定な動き

 この説明には無理がある。黒田総裁が最初に狙ったようにマネタリーベースの激増によるフォワード・ルッキングな(将来を見越した)期待形成が実現すれば、こういう要因は無関係だ。国民がみんな「2年後に物価が2%上昇する」と期待していれば、目先のブレは影響しないからだ。

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予想物価上昇率の動向(出所:日銀)

 実際には上の図のように、マネタリーベースの拡大はまったくきかず、予想物価上昇率はずるずると下がって来た。この原因は2013年後半から、円安(ドル高)による輸入インフレが起こったからだ。

 つまり人々の予想は、インフレ率の実績に連動してバックワード・ルッキングに決まるのだ。日銀総裁が何%といったかなんてほとんどの人は知らないので、それをもとにして投資する経営者はいない。

 したがって日銀は「マネタリーベースについては、長期的な増加にコミットする」、つまり短期的な追加緩和はしない。注目されたテーパリング(国債買い入れの減額)については、黒田総裁が記者会見で「将来必要な額はその時々の経済によって上下すると思う」と認めたように、年80兆円という国債の買い入れ額は減るだろう。

 要するに、インフレ目標もマネタリーベース拡大も国債買い入れも失敗した、というほぼ全面的な敗北宣言だ。これは(私も含めて)多くの経済学者が指摘してきたことであり、3年半たってから失敗を認めたのは遅きに失したとはいえ、日本では珍しい。

支離滅裂な「新しい枠組」

 ところがこれを踏まえたはずの「新しい枠組」は分かりにくい。その2つの柱は「イールドカーブ・コントロール」と「オーバーシュート型コミットメント」だが、両方とも意味不明だ。

 まずイールドカーブ・コントロールとは「日本銀行が指定する利回りによる国債買入れ」によって長期金利の利回りをゼロに固定するというものだが、9月20日現在の10年物国債の名目金利はマイナス0.07%だ。

 つまり長期金利ゼロというのはゼロ以下に下がらないようにするのだから、金融引き締めになる。これは金融政策としては理解できないが、日銀のマイナス金利政策で収益に大きな影響が出ている銀行業界への配慮だろう。

「オーバーシュート」に至っては、まったくナンセンスだ。「総括的な検証」でフォーワード・ルッキングな期待形成が不可能だと認めたのに、2%を「2%を超えるまで」と変えても不可能が可能になるはずがない。

 このように「総括的な検証」が客観的事実を認めているのに「新しい枠組」が支離滅裂なのは、データを検証した日銀の事務方と枠組を決めた黒田総裁との間に意見の対立があったことをうかがわせる。

「日本橋」で何が起こっているのか

 では日銀で何が起こっているのだろうか。黒田総裁になって日銀の事務方もリフレ派になったと誤解する向きもあるが、企画局の主流派は白川前総裁の時代とほとんど変わらないので、彼らは面従腹背だ。

 マネタリーベースの拡大で物価が上がると信じている幹部はいない。それが不可能であることは、福井総裁の時代に確認ずみだからである。以下は想像だが、彼らの会話はこんな感じだったのではないか。

日銀企画局の幹部(以下「日銀」) 総裁、総括的な検証によると、インフレ目標も量的緩和もマイナス金利も失敗だったという結論が出ました。
黒田 それは困るな。1つぐらいうまく行ったものはないのか。
日銀 円安はききましたが、これはマネタリーベースと無関係です。為替にきいたのは実質金利の低下ですが、これは実体経済がよくないからです。
黒田 それじゃかっこ悪いから、「金利コントロールに切り替える」ということにしよう。これならFRB(米連邦準備制度理事会)と同じだろ?
日銀 いや、あれは短期金利です。うちはもうマイナスにコントロールしてますよ。
黒田 じゃ長期金利もコントロールすればいいじゃないか。
日銀 それじゃ昔の規制金利の時代に戻ってしまいます。国家社会主義ですよ。
黒田 うるさいな。アベノミクスは国家社会主義なんだよ。


 そんなわけで矛盾だらけの文書が発表されたわけだが、ともかくも撤退に舵を切ったのはいいことだ。日本の官僚機構には、帝国陸軍の昔から「進むを知って退くを知らず」という伝統があるので、今回のように官僚機構みずから方向転換するのは珍しい。

 これは日銀が霞が関ではなく、日本橋にあることも影響していると思われる。霞が関では、ある省の決定が他省庁に影響する場合は合議(あいぎ)と呼ばれる各省折衝で関係各省すべての合意を得ないと閣議決定できないが、日銀は合議に入っていない。

 このため白川前総裁が安倍首相のバッシングを受けたときも霞が関は守ってくれなかったが、日銀の独立性は高い。黒田総裁としては不本意だったと思うが、彼が決めれば「Uターン」して玉砕を避けることができるのだ。

 しかし難しいのは、これからの退却戦だ。330兆円以上に積み上がった国債を日銀が売ることは不可能なので、安倍政権が財政を健全化し、金利の急上昇(国債の暴落)を防ぐことが大事だ。これからは政府と日銀の「総力戦」になる。








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p41-48
 ポールーコリアーが著書『最底辺の10億人』(日経BP社、二〇〇八年)で示した見方を取り上げてみよう。コリアーによれば、最底辺にいる10億人は。八方ふさがりの国夕で暮らしている。彼は、一つの国を。八方ふさがり”状態にさせる要因として次の四つを挙げている。

1.内戦
最底辺にいる10億人のうち非常に多くは、内戦を経験している。仕事もなく、教育も受けていない若い男性が大勢いる国、民族間の不均衡が存在する国は内戦を起こす可能性が高まる。

2.「天然資源の呪い」
。八方ふさがりの国々”のほぼ三分の一は、何らかの原材料の輸出に依存している。概して、その原材料に価値を付加するスキルは持っていない。政府は腐敗していることが多く、民主的な選挙は行われていない。

3.内陸の国
こうした国々のほぼ三分の一は海に而していない内陸の国であり、経済的に不利だ。しかも
”悪い隣人(隣国)”たちに周囲を囲まれている。


4.悪しき統治
こうした国々のほぼ四分の三は、独裁的もしくは腐敗した指導者に統治されている。



●貧困の解決策

これら四つの要因には、それぞれ個別の解決策が必要となる。コリアーは、内戦で引き裂かれている地域に対しては合法的な軍隊の介入を支持している。また、大量の天然資源を持つ国は、自国の輸出品の価値を高めるスキルを開発すべきであり、単純に世界の市場価格で原材料を輸出すべきでぱない。内陸の国々について言えば、港を持つ近隣国と協力してその国の港まで道路を敷き、自国も港を利用できるようにすべきである。悪しき統治の問題は最も解決が困難だ。

ジンバブエを統治するロバート・ムガベは、世界がなすすべもなく見守るなか、在任期間中に同国を破綻へと追い込んだ。

貧困と戦うためにコリアーが薦めた最も重要な提言は、「目標は狭く絞り、手段は幅広く」である。「目標を狭く」とは、破綻状態にある国に住む10億人(その七〇%はアフリカにいる)に焦点を絞ることを意味する。また「手段は幅広く」とは、たんに援助金を提供するのではなく、援助の分配方法の改良や必要に応じた軍事介入、国際憲章の作成、より賢い貿易方針といった幅広い政策手段を提案するよう重点を移すことだ。

対外援助は、貧困問題の部分的な解決策にならないのだろうか? 対外援助の効果については、専門家の間ではっきりと見解が分かれる。『貧困の終焉』(早川書房、二〇〇六年)の著者ジェフリー・サックスは、西側がもっと気前よくなり、けるかに多くの対外援助を貧しい国々に与えることを望んでいる。一方、ウィリアム・イースタリーは著書『傲慢な援助』(東洋経済新報社、二〇〇九年)において、対外援助に対する強烈な反論を唱えた。彼は、サックスのことをありかちな「上意下達」式の大物プランナーであり、この種の人物は対外援助の数々の失敗を決して恥じることはないと批判した。

一部の試算によれば、高すぎる管理運営コストと腐敗によって、貧困層の手に渡るのは対外援助額のわずか一五%でしかないという。対外援助機関が「上意下達」式で援助プランを策定するため、どのような薬や食糧が必要なのか、現場ごとに異なるニーズの情報が抜け落ちてしまう。

さらに対外援助にぱ、被援助国がみずから解決策を考え出すのを妨げてしまう傾向かおる。
対外援助があると、援助される物資と同じモノをその国で生産したり販売したりする民間企業は圧迫される。イースタリーは、大型の対外援助機関の官僚主義と、その巨大な出費および関与について、大部分は失敗であるとしている。だが同時に、こうした大型の対外援助機関の有用性をきちんと認めてもいる。特に、ある種の二しス、たとえば地域の井戸の掘削と維持管理、地域の道路や下水システムの建設と維持管理、薬や食糧を必要とする特定地域での分配などでは役に立っているとする。

上意下達式の援助プランの大きな問題点は、国際規模や全国規模の巨大な援助機関が、さまざまに異なる貧困軽減手段への資金配分を決めなくてぱならないことだ。彼らは、援助を受ける国について、国家全体の状況を念頭に資金配分の優先順位を決める。だが、どの問題に優先的に資金配分すべきかは、村ごと、都市ごとに違っているものだろう。すなわち結果として、一部の地域ではさして重要でない問題なのにムダに多くの資金を受け取り、他の地域では必要額より少ない資金しか受け取れないということが発生する。

このため。ボトムアップ型のプラン策定方法”を加えるのが望ましい。援助を受ける地域社会がすべて参加し、それぞれがみずからのニーズを満たす提案とプログラムを開発し、その後でそのプランを上にあげるのだ。この際、プログラムは一定の基準を満たしていなければならない。

たとえば、何か地域社会を発展させるのかを長期的視点で考えたうえで、その理由を説明できるといったことが基準になる。

ニーズは”山をも谷に変える” 故C・K・プラハラードは『ネクストーマーケット』(英治出版、二〇〇五年)において、現地発のイノベーションと貧困層への財政援助があれば、貧困を抜け出すべく、援助の受け手が互いに助け合う意思を持つようになる状況を見事に描写している。


● 米国の貧困に関する補足

米国における貧困の現状はどうなっているのか? ビルークリントンの大統領時代(一九九三~二〇〇一年)、米国の貧困率は平均で一一%だった。二〇〇八年の貧困率は一三・二%。その後、グレートーリセッションが起き、国勢調査局によれば二〇一一年一一月の米国の貧困率は一六%にまで上昇した。これぱ四三六〇万人の米国人が貧困生活をしていることになる。また、全米の子どもの二〇%がここに含まれている。

タビス・スマイリーとコーネル・ウェストぱよりはっきりと、いまや米国人の二人に一人ぱ貧困もしくは貧困直前状態にあると主張する。彼らの言う「貧困直前状態」とは、今週のペイチェック(訳注‥週次などで受け取る給与小切手)から来週のペイチェックヘとぎりぎりで食いつないでおり、一回でもペイチェックの支払いに滞りがあれば、すぐ貧困に転落する可能性のある状態を指す。我々は貧困層を自分たちの目から見えないよう透明化した、と彼らは考えている。
ロナルドーレーガン大統領はかつてこう発言した。「我々は貧困との戦争を戦った。そして貧困が勝った」―――。三〇年後の現在、米国の貧困はまだ勝ち続けている。

米国以外の先進国のほうが、貧困問題に上手に対応している。米国の貧困率はすべての国の中で上から二八番目、ロシアやポーランド、韓国よりも高いのである。

四人家族の場合、世帯収入が二万三八五〇ドルより低いと貧困層と見なされる。全米国民のおよそ三分の一が一時的な貧困状態を経験しており、約二〇%は常に貧困状態にある。貧困率は人種、年齢層、教育水準ヽ、さらに経済的要因、社会的要因、人目統計上の要因などによって異なる。アフリカ系米国人の未成年が最も貧困率が高い。問題をさらに悪化させるのが、重い債務負担にガソリン価格の上昇、住宅価格の崩壊、そして産業空洞化により米国内の仕事が中国やその他の国々に移転したことだ。

現代の貧困層は本当に苦しんでいるのかどうか、その点に関する議論がないわけでぱない。というのも、貧困家庭といえども自家用車や薄型テレビ、携帯電話、インターネット接続されたコンピュータを持っていることがあるからだ。懐疑派は、ウォルマートその他の企業によって衣服やテレビ、自転車、コンピュータ、その他の多くの消費財価格が下がったことを指摘する。だがその指摘は教育費や医療費、養育費、電気代、ガソリン価格、その他諸々の上昇に留意していない。多くの貧困家庭は、ペイチェックから次のペイチェックまでの間をぎりぎりで暮らしており、支出を賄うためペイデイローン(非常に金利の高い消費者金融)に深く依存している。彼らが抱える債務負担は重く、月中は食費を切り詰めたうえに他の出費も節約し、価値ある所有物を質屋に預けて乗り切らざるをえないケースも多い。

米国の貧困層の生活水準が、政府の支援プログラムに下支えされていることは明らかだ。フードスタンプ(リンドンージョンソン大統領の時代に開始)やメディケイド、住宅補助券(ハウジング・バウチヤー、生活保護給付金、社会保障制度、貧困層向け法律補助サービス、低所得家庭のゼロ歳から五歳までの子どもが学校に通う準備を助けるヘッドスタート・プログラム、低所得の学生か大学に行けるよう支援するペルーグラントなどのプログラムである。

最低賃金を上昇させ、製造業やその他の仕事をさらに生み出し、労働者の熟練度やスキルを増し、多様な貧困対策プログラムの費用捻出のために富裕層への課税強化をI。こうした施策を求める圧力は日増しに高まっている。タビスースマイリーとコーネルーウェストは、さまざまなアイデアを提案している。職場の保育所の増設、ホームレスのための公共住宅プログラムの創設、より強力な組合の設立などであ鮒だが、対立して事実上二極分化している議会が、貧困撲滅のためのこうした提案をどの程度有効に利用できるのかは、誰にもわからない。

貧困層を助けるこれら多様な方法をすべて考慮したうえで、私か薦めるのは以下の解決策だ。

・ベストの解決策を得るには、政府による解決策とNGOによる解決策を合わせただけでは足りないだろう。そこには民間部門―――政府機関とも市民組織とも密接に連携する民間企業による解決策も含まれるはずだ。

・貧困層を助ける仕事とは主に、彼らが自分たちで独自の解決策を開発できるよう、彼らを理解し、影響を与え、補佐する手段を用いることにある。

・全国レベルの貧困問題の大きな構図と、地域ごとに異なるそれぞれの状況とを結びつけて考える必要がある。

・プラン策定、実施、モニタリング、管理にソーシャルーマーケティングの手法を使うべきだ。ソーシャルーマーケティングの狙いは、個人や社会の利益につながるよう人々の行動を変える、またはそのような行動を支援することにある。貧困層を支援するいままでの取り組みのすべてに、手段としてのソーシャルーマーケティングが欠けていると私は強く思う。

・政府による多くの貧困撲滅プログラムのなかで、たんに出血を弱める包帯の役目しか果たさないものを廃止し、その代わりに政府が全国民に一定の最低所得を保障するほうが合理的ではないだろうか。この点を我々はじっくりと検討しなければならない。
日本は世界でも格差が少ない社会である。それでも格差が生まれ始めている。
貧困は日本や米国でも酷くなりつつある。

コトラー博士はベーシックインカムを提案している。ベーシックインカムは、年金・雇用保険・生活保護などの社会保障制度、公共事業を縮小することにより、「小さな政府」を実現するのに役立つといわれている。
また、最低限の生活を保障という点から、企業は雇用調整を簡単に行うことができるようになり、雇用の流動性が向上し、新産業創出などの効果があるという意見がある。確かにいいことづくめだが、ベーシックインカムはその莫大な財源をどこに求めるのか?働かずパチンコに費やす人をどうするか・・・?
単純なはなしではない。セーフティネットは必要だと思うが、大きな政府は好ましくない。
ベーシックインカムは働かない怠け者を必ず作るので、私は如何なものかと思う。
大きな政府は不要だが、ベーシックインカム制度をするのなら国土保全隊を創設してはどうかと思う。
全国の自治体に国費で人員を配置。過疎化対策、山林保全、災害対策、介護福祉を行うのだが、失業した場合、希望すれば必ず働けるようにした方が、ベーシックインカムより優れいると思うのだが・・・素人考えかもしれない。

執筆中
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【今回取り上げる書籍】
『資本主義に希望はある―――私たちが直視すべき14の課題』(ダイヤモンド社/フィリップ・コトラー)

山本一郎です。マーケットに依存した人生を送っています。

ところで、最近「とっつきやすくてわかりやすい洋書の翻訳」はとても流行しているようで、『HARD THINGS』や『WORK RULES!』などはその典型と思います。面白いですからね、読んでて。

一方で、専門家が唸るような本も定期的に出ており、一時期流行したピケティ本だけでなく、『異文化理解力』や『企業としての国家』といった、一般の読者が身近な生活に役立てようにもかなり努力の要るレベルの教養系良本もちらほら見るようになりました。

今回取り上げるのは、『資本主義に希望はある』であります。いわゆる「フィリップ・コトラー」本であり、もともとこの人の言うことはそれなりに難解なので、その母流にある彼の著書をある程度読みこなせないと、この本もなかなかすんなり理解することはむつかしいでしょう。

同時期に刊行された『希望の資本論―――私たちは資本主義の限界にどう向き合うか』(朝日新聞出版/池上彰、佐藤優)と比べ読みするよりは、むしろ経営学の古典に類する『小倉昌男 経営学』(日経BP社/小倉昌男)のような、市場とかかわりを持つ経営の視点や、組織を環境にどう適合させるのかといった方面の話に親和性のある内容になっているのが本書です。

社会の働きがより合理的になるために


で、本書では14の課題となっていますけれども、具体的にどういう課題であり、どうすれば立ち向かえるのか、解決の道筋が見えるのかといった部分はそれほど明確には書き記されていません。価値を規定するマーケティングは資本主義の根底を成す概念なんだよ、と言われ、そのマーケティングへのかかわりをさまざまなパラメータや概念に置換して分析していく手法と解説は圧巻なのですが、例えば市場の失敗をカバーするために社会的費用を誰がどう負担するのかというのは、資本主義を担うマーケティングをいくら突き詰めても結論の出ようのないことです。

うまくいったモデルは合理的であるがゆえに拡大していく一方、劣後となり敗れ去った側の処理を資本主義に委ねたときにどうなるかや、所得格差、教育の機会といった、資本主義で本来扱うことのできない社会的諸問題に対してどのように適切な方法でアプローチしていくのか思案しなければならない時代に差し掛かりました。それは政治の機能の重要さという面だけでなく、人々と向き合う社会の働きが、より合理的になるためには政治そのものもマーケティングを必要とするというぐるぐる感があるわけで。

際どいことを言えば、私たちが「問題だ」「解決しなければ」と思っている貧困問題も、その広さと深さは相当なものであり、直接のコミットで解決できる貧困はごくわずかである以上、なんらかの「広い貧困問題といえども、ここは優先順位を上げて解決を図っていこう」とするべき貧困内のマーケティング競争が発生するということでもあります。資本主義による弊害の解決において、その資本主義を構成しているマーケティングの手法を合理的に活用しないと資本主義に希望がなくなってしまうという実に逆説的な話に至るわけです。

資本主義の欠落部分を埋めていく


実際のところ、この本を見ていくなかで後ろのほうは、むしろマーケティングとして情報を伝えられた側の「幸福」についての記述が奥深いので、ぜひお目通しをと思うわけです。これはもう人間の摂理というか本質にかかわる部分であって、社会に幸福を増やす仕組みとして資本主義が適切であって、うまく作用し合理的に進めていければ多くの富を増やすことができる。一方で、その社会に従属している面々の幸福が達成できなければ社会全体の維持が不能になってしまうので、いかに社会の構成員が真心をもって資本主義の欠落部分を埋めていくのかを考えなければなりません。

今までは市場の失敗や、成長のための成長、市場のオーバーシュートといったさまざまな現象面を個別に見てきたのが資本主義の失敗論であって、もう少し本書のように俯瞰的に見たとき、実は市場に参加している人たちだけではなく、社会をハンドリングしている側に大きな課題があって、何を優先順位として資本主義をドライブしていくのかよく考える必要があるという重大な示唆を得たのでありました。

ところで、この本がおもしろかったこともあって、koboで出張中流し読みしておったんですが、この本の訳は落ち着いていてとっても良くできているように感じました。言い回しや日本語的なわかりやすさで苦労されたところもあったんじゃないかと思いますが、うまく手ごろな感じでまとめられていて、巧さを感じた一冊でした。

この本については、単に「拝金主義もうあかんがな」という話ではなく、広く市場と政治、社会全体の課題をマーケティングという視座でしっかり見通すというテーマの本でして、秋の夜長に読まれるとおもしろいと思いますよ。併せてほかのコトラー本も手にとっていただけるとよろしいかと存じます。
(文=山本一郎)

欧州の難民問題、米国大統領選挙におけるトランプ旋風、日本のデフレ脱却がなかなかできない問題、先進国の資本主義は行き詰っているように見える。
しかし、我々は好むと好まざるを別として資本主義社会で暮らしている。

マーケティング論の大家フィリップ・コトラー博士は資本主義の欠点を14指摘し個別に分析、それをどう改善それぞれの解決策を提案し、資本主義を改善し、より多くの人にその恩恵を得られるようにしたいと本書が書かれた。

14の資本主義の欠点 
1.資本主義は、根強く残る貧困の解決策をまったく、またはほとんど示せない。
2.資本主義は、所得と資産の不平等を拡大させる。
3.資本主義は、何十億人もの労働者に生活賃金を支払うことができない。
4.資本主義は、自動化の進展に直面し、人間の仕事を十分に確保できなさそうである。
5.資本主義は、企業活動による社会的費用の一部しか彼らに負担させない。
6.資本主義は、規制がなければ環境および天然資源を搾取する。
7.資本主義は、景気循環を生み出し、経済を不安定にする。
8.資本主義は、個人主義と利己主義を重視するため、共同体と共有資源を犠牲にする。
9.資本主義は、消費者に多額の借金を促し、結果的に製造業主導型経済から金融主導型経済へとシフトさせる。
10.資本主義は、政治家と企業を一致団結させ、彼らの利益のために大多数の市民の経済的利益を犠牲にする。
11.資本主義は、長期的な投資計画よりも短期的な利益計画にくみする。
12.資本主義は、製品の品質や安全性、広告の真実性、反競争的な行為に対する規制を必要とする。
13.資本主義は、GDPの成長だけを重視しがちになる。
14.資本主義は、市場の方程式に社会的価値と幸福を持ち込む必要性がある。
こういった資本主義の欠点を解決しようという動きは、すでにいくつか試されている。
P29-30
西側のさらなる地盤沈下は避けられないと信じる人も一部にいるが、私はそうは思わない。世界の国々はそれぞれ国民の生活を改善できるであろうと楽観的に見ている。多くの企業や団体が、より力強い資本主義をつくり出そうとしている。消費者、労働者、市民のために、いまより役立ち、環境の破壊や軽視をせずにむしろ改善するような資本主義を――。
 一つの例として「意識の高い資本主義――コンシャス・キャピタリズム」(www.consciouscapitalismcom)と呼ばれる、資本主義者による改革の動きを取り上げよう。これには、ホールフーズ・マーケットやパネラーブレッド、ザ・コンテナ・ストアといった企業(いずれもひと味違う発想の経営で注目される)のCEOらも関与している。
 この運動は四つの信条を掲げる。

1.企業はただ利益のためだけでなく、みずからの事業に崇高なる目的を抱くべきである。
2.企業は投資家のみならず、繁栄を共有する利害共有者全員に利益をもたらそうと努めるべき  である。
3.企業のリーダーは、自社が共同体への責任を果たすと誓う必要かおる。
4.企業は信頼、本物であること、親身になること、透明性、誠実さ、学び、そしてエンパワメントに重い価値を置く社風を持たねばならない。


 これとは別に、ニューエコノミー・ムーブメント(NEM)」と呼ばれる動きもある。より多くのビジネスと資本を、一%ではなく残りの九九%の人々の手に委ねようという趣旨の運動だ。法人資本主義ではなく、労働者が企業を所有・経営するモデルを提唱している。運動のリーダーの一人、ガー・アルペロビッツは、協同組合型で所有・運営される組織の広がりについて次のように説明する。
実のところ、一倍三〇〇〇万人を超える米国人が、すでに一つもしくは複数の協同組合に所属している。
  そのなかでも、信用組合ぱ最も広く知られた協同組合の一形態だ。同様に、自治体が所有する公益企業も二〇〇〇社程度あり、その多くが環境面で主導的役割を果たしている。(中略)また、いまや1000万人を超える米国人が、一万一〇〇〇社前後ある従業員所有企業(ESOP企業)で働いている。


 NEMや「意識の高い資本主義」といった運動が形にしつつめるのは、市民による所有と参加を増やし、利害関係者により多くの利益をもたらすことを目指す、資本主義の新しいモデルだ。
より賢明で建設的な資本主義の姿を探っているのである。

 
コトラー博士はそれでは資本主義の一四の欠点について検討し一章につき一つの欠点を取り上げ、考えうるそれぞれの処方箋を本書は取り上げている。

序章
 資本主義の成功
 資本主義とは何か
 資本主義への批判
 資本主義の一四の欠点

第1章 貧困問題は未解決である
 何か貧困を生み出すのか
 貧困の解決策
 米国の貧困に関する補足
    
第2章 拡大する所得格差
 トマーピケティの登場
 所得はどのように配分されているのか
 不平等が生み出す危険
 巨大な所得格差を減らすための政策
 最低賃金を上げる
   課税システムの累進性を高める
 オフショアのタックスヘイブンを遮断する
 労働者への報酬に応じて最高幹部の報酬を制限する
 税の抜け穴を塞ぐ
 給付金制度の強化
 巨大な資産格差を減らすための政策

第3章 搾取される労働者
 労働組合を結成する
 最低賃金に関する問題
 いま、何が起きているのか
 最低賃金引き上げをめぐる意見の相違
 生活賃金を普及させるその他の手段
 仕事の満足度を上げる

第4章 機械が人間の仕事を奪っていく
 テクノロジーが仕事を奪う
 人は増え、仕事は減る
   オートメーションで最も損をするのは誰か
 経済成長は鈍化するか
 新しいスキルを身にっける
 起業家精神を育てる
 失業者を支援する

第5章 誰が社会的費用を払うのか
 社会的費用を負担しない企業
 公共財を保護する
 独占と参入障壁

第6章 環境破壊を防げるのか
 気候変動とエネルギーヘのニーズ
 活発化する環境保護運動
 環境意識に目覚めた企業
 今後もっきまとう環境問題
 世界は十分な食糧を生産できるのか

第7章 乱高下する市場
 景気循環のもたらす問題
 景気循環の四つのフェーズ
 景気収縮を引き起こす要因
 景気回復に役立つ要因
 高まる市場の波乱
 波乱を生み出す七大要因
    1.技術進歩と情報革命
    2.破壊的技術とイノベーション
    3.”その他”の台頭
    4.ハイパーコンベティション (過当競争)
    5.政府系ファンド
    6.環境問題
    7.顧客エンパワメント

第8章 利己心の是非
 個人主義と自立心の良い点
 コミュニティの良い点。
 企業の社会的責任という概念

第9章 借金で豊かになれるのか
 グレートーリセッションまで(~二〇〇八年)
 米国のグレートーリセッション(二〇〇八~二〇一一年)
 拡大する所得格差
 家計の借金
 米国経済システムの「金融化」
  いかに金融システムを規制するか

第10章 政治に歪められる経済
 ロビー活動とは何か
 ロビー活動の良し悪し
 選挙活動の資金拠出
 ロビー活動にまつわる諸問題の解決策
 賄賂と政治腐敗
 賄賂と政治腐敗の解決策
 政府規制と課税政策
 超富裕層の影響力
 超富裕層の影響カヘの対策

第11章 短期的利益を重視する弊害
 長期的投資に関する問題
 インフラの維持と改善

第12章 マーケティングの功と罪
 米国の食品は健康的か?
 銃について
 広告が欲望をつくり出す
 公共の製品・サービスの質が問われている


第13章 さらなる経済成長は必要なのか
 低成長グループ
 健全な消費グループ
 定常経済グループ
 消費偏重を変えるために
 未解決の二つの大問題
         1.仕事に関する問題
    2.持続可能性のための企業の取り組み

第14章 モノだけでなく幸福も生み出そう
  国民総幸福量
 物質主義と幸福度の関係
 物質主義ではない幸福を
    1.芸術や文化、または宗教と深く関わる
    2.他人を助け、世界を改善する
    3.より簡素に生きる
  気をつけて消費する
 所得不平等と幸福の関係

エピローグ   337
解説       340
原注       357
一方で 、政治学者イアン・ブレマー氏が率いるコンサルティング会社のユーラシア・グループは中国が進める国家資本主義が、我々の認識する先進国の資本主義より優れていて、中国の成長は減速しているが、中国の快進撃が頓挫することはないと、主張している。

リスク 3:中国の存在感
(略)
中国の成長は減速しており、より抜本的な経済改革を行う喫緊の必要性があることも確かだ。しかし、景気減速によって中国の快進撃が頓挫するのかと言えば、そんな気配はない。世界の他の経済に及ぼす北京の影響力は急速に拡大する一方である。その実力に対する自信を深めた習近平国家主席は、中国は自国の利益を守るために、旧来の様な「誤解された、かわいそうな若者」を演じるのはやめなければならない時が来ていることを認めた。

北京は今までのような、後からやってきて、出来上がったルールにただ乗りするような存在から、ルールを作る側の存在へと脱皮し、これまで以上に影響力を増すことになるだろう。
国有企業や国策を担う大型私有企業へのサポートを通じて、短期的な商業戦術に対し国からの積極的な支援が行われている。また、より長期的な戦略的動きも展開してくるだろう(例えば、米国が支持しているような「普遍的」標準に対抗して、中国標準を打ち出してくるなど)。これらも含め、中国は手持ちのあらゆるツールを駆使して、新たな地政学的緊張を生み出している。ロシアとのかつてないような蜜月関係を強調してみたり、欧州で友人を作ることにより大西洋同盟に気まずい緊張を持ち込んだり、アジア諸国との関係緊密化を図り、アジアの首脳らをワシントンと北京の間の板挟みに追い込んだり、というように。
(略)
中国が今までのような成長は望めないとわたしは思っている。中国の国家資本主義は様々な意味で行き詰っている。

日本はけっして中国の社会モデルを受け入れることはなく、中国の国家資本主義は悪夢である。つい4.5年前韓国を見習えと言う騒いでいた日経新聞や東洋経済など馬鹿者達がいたが、いまは口をつぐんでいる。イアンブレマーも中国に肩入れしすぎると自らの評判を落とすことになる。中国に肩入れしすぎたジム・ロジャースはもはや道化師にしか見えない。つい先日も2月に予言した3/10大暴落説は見事に外した。バフェット氏の福音、ジムロジャースの脅迫(警告)ウォーレンバフェット氏が毎年恒例の「株主への手紙」を2/27公表した手紙の中で米国経済は依然好調で希望が持てることを述べている。

私(Ddog)は、資本主義を改革することができると信じている。新しい流れであるコンシャス・キャピタリズムに資本主義の未来に希望を見出したいと思う。コトラー博士の処方箋の実践こそが未来への希望であると思う。

参照
コンシャス・カンパニー(意識の高い企業)とは、①主要ステークホルダー全員と同じ立場に立ち、全員の利益のために奉仕するという高い志に駆り立てられ、②自社の目的、関わる人々、そして地球に奉仕するために存在するという意識の高いリーダーを頂き、③そこで働くことが大きな喜びや達成感の源となるような活発で思いやりのある文化の根ざしている会社です。

コンシャス・キャピタリズムとは、あらゆるステークホルダーにとっての幸福と、金銭、知性、物質、環境、社会、文化、情緒、道徳、あるいは精神的な意味でのあらゆる種類の価値を同時に創り出すような、進化を続けるビジネスパラダイムのことです。別の言い方をすると、自社の存在目的、世界への影響、そしてさまざまな顧客層やステークホルダーをより意識した、ビジネスの考え方です。コンシャス・キャピタリズムには、「存在目的とコアバリュー」「ステークホルダーの統合」「コンシャス・リーダーシップ」「コンシャス・カルチャー/マネジメント」の4つの柱があります。

ジョン・マッキー氏は、書籍の中で、上記4つの柱を中心に、コンシャス・キャピタリズムについて、詳しく説明しています。そして、書籍の最後のほうで、新しい資本主義のあり方を示すいくつかの考え方とコンシャス・カンパニーの考え方を比較しています。その中で、CSV/シェアード・バリューについては、以下のように述べています。
「シェアード・バリュー・キャピタリズム(SVC)は、ビジネスと社会的利益をうまく一致させる現実的な方法だ。しかし、コンシャス・キャピタリズムに備わっていて、計り知れない力を与えてくれる目に見えないが重要な情緒的、精神的な動機づけを欠いている。今日の世界で求められているのは、根本的な意識の変革だろう。しかし、SVCは、小手先の調整に近い。SVCの成果を量る指標も不明確だ。」

コンシャス・キャピタリズムのような理念的な考え方は、非常に重要で、現在の社会に求められているものです。一方で、その実現のためには、リーダー人材の意識変革が必要で、すぐに広がるというものではありません。CSV/シェアード・バリューのほうは、社会価値と企業価値を両立させる具体的な方法を示しており、すべての企業ですぐに実践できるものです。しかし、具体的で現実的な方法を示しているために、「小手先の調整」と捉えられることもあるでしょう。また、戦略フレームワークを示しているがゆえに、「情緒的、精神的な動機づけを欠いている」と見られがちです。「指標の不明確さ」も良く指摘されるところです。

しかし、コンシャス・カンパニーのような考え方とCSV/シェアード・バリューとは対立するものではなく、両立できるものです。コンシャス・カンパニーであれば、CSV/シェアード・バリューを経営レベルで推進しやすいでしょう。また、コンシャス・カンパニーでは、情緒的、精神的な動機をドライバーとして、多くのCSV/シェアード・バリューが推進されるでしょう。CSV/シェアード・バリューの指標については、マクロの共通指標を設定することは難しいと思いますが、企業レベル、打ち手レベルでは、工夫次第でいくらでも設定できます。

コンシャス・カンパニーなどの様々な考え方も、CSV/シェアード・バリューも、より良い社会を創り出そう、新しい資本主義を創り出そうという共通の目的を持っています。それぞれの良いところを融合して、さらに進化していくことが必要でしょう。









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 政府の「国際金融経済分析会合」でジョセフ・スティグリッツ米コロンビア大教授が消費増税の延期や積極的な財政政策を主張した。2014年11月に消費増税延期を安倍晋三首相に提言したポール・クルーグマン米プリンストン大名誉教授も22日の第3回会合に招かれた。

 一方で、以前の消費増税の際に開かれた点検会合では、国内の大半の経済学者やエコノミストは消費増税を進言してきた。同じ経済学者なのに主張が正反対というわけだ。

 率直にいえば、海外の学者にも増税派というべき人はいる。ただし、日本経済を比較的よくわかっている学者の中で、今の日本経済には消費増税が必要という人は少ない。スティグリッツ氏やクルーグマン氏も日本経済をよく知っているので、消費増税が必要と言うはずがない。もし、彼らが消費増税が必要という場合、それは景気が過熱して冷や水が必要な状況だろう。

 これに対し、過去の点検会合で消費増税を主張していた日本の経済学者やエコノミストは、「消費増税しても景気は悪くならない」と言ってきた。

 両者の違いは、はっきり言えば、マクロ経済をどう考えるかである。スティグリッツ氏やクルーグマン氏にはしっかりとしたマクロ経済の理解があるが、それが決定的に欠けている日本の学者も少なくない。

 筆者はプリンストン大で講義を行ったことがあるが、単なる理論ではなく、いかに現実の経済を説明できるかが求められる。授業の3分の1は今起こっている経済問題の説明、3分の1はそれへの対処方法と、その背景になる経済理論の説明、残り3分の1は学生からの質問とそれへの答え-という具合だ。

 ただ、日本では、現実問題とは無関係な理論の説明だけで講義を行うことも可能だ。

 両者の違いは経済学の教科書にも表れている。米国の場合、教科書は分厚く、随所に実例が取り込まれており、実践的な内容になっているが、日本のものは薄く、理論ばかりを書いており、実例が乏しいものが多い。

 こうした事情もあって、日本の多くの学者は、何らかの政策が実行された際、マクロ経済にどう影響するかを見通すことができない。

 政治家が、見解が異なる経済政策議論のどちらが正しいかを見極めるのは難しいが、まともな政治家は、将来を予測させれば当てられる経済学者と、外れる経済学者を見分けることができる。政治家にとっては、当然ながら予測が当たる経済学者の方が信頼するに値する。

 今の安倍政権では、安倍首相を含め主要な政治家にとって、日本の経済学者やエコノミストに対する信頼はあまりない。スティグリッツ氏やクルーグマン氏の方がはるかに信用できるのだろう。

 日本の多くの経済学者やエコノミストにとっては自業自得だが、不思議なのは、予測を外し信頼を失った人たちをマスコミが使い続けていることだ。分析会合について「ノーベル賞ブランドに弱い」と批判的なニュース番組もあったが、その番組が“ハーバードMBA”のブランドを詐称する人物を出演させていたのは皮肉なものだ。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

世界経済は弱さ蔓延、収支気にせず財政出動を=クルーグマン教授
【ロイター】2016年 03月 22日 23:39  

[東京 22日 ロイター] - 政府は22日夕刻、第三回国際金融経済分析会合を開催しポール・クルーグマン米ニューヨーク市立大学教授(プリンストン大名誉教授)から意見を聴取した。クルーグマン教授は「世界経済は弱さが蔓延している」と指摘し、各国が財政出動で協調すべきと強調した。

日本に対しては「長期的には財政状況が心配」としつつ「2─3年は収支を気にせず財政出動すべき」と指摘。事実上日本に対して消費税引き上げの延期を進言した格好だ。

クルーグマン教授の発言内容は、会合後にクルーグマン教授および内閣府幹部が記者団に明らかにした。

<消費税引き上げは「問題」>

クルーグマン教授は、先進国の経済がいずれも弱い内需などの問題に直面しており「日本化している」うえ、世界経済の相互依存が高まっていると指摘。伝統的な政策手段が効かなくなっており、物価目標など各種政策目標の達成が難しくなっていると説明した。

金融政策に限界があるなかで、財政政策は有効と強調。金融政策を助けるためにも財政出動が重要として、5月の伊勢志摩サミットに向けて「各国は財政出動を調整すべき」との意見を強調した。内閣官房参与の浜田宏一・米イエール大学名誉教授によると、「各国が財政で協力すべきときに消費増税は問題がある」と指摘したという。

出席した日銀の黒田東彦総裁が「財政に余力がある国が本当に財政刺激に舵を切るだろうか」と質問したところ、クルーグマン教授は「ドイツは住んでいる宇宙が違う」としつつ、「財政再建を遅らせることを協調する余地はある」と説明した。

<人民元安「大問題」、マイナス金利「効果限定」>

原油価格の下落について、米国では消費にはプラスだがシェール関連企業の設備投資にマイナスだったと指摘。商品価格一般の急落は、地政学リスク要因にはなるが先進国経済に大きな問題ではないとの見解を示した。

中国の資本流出について触れ「人民元安は大問題」との懸念を示したという。マイナス金利政策については「さらに進めるとしても問題があり、効果も限定されている」と論評した。

 *写真を差しかえて再送します。

(竹本能文)

増税延期を首相に進言 ノーベル賞学者スティグリッツ氏

政府は16日、世界経済について有識者と意見交換する「国際金融経済分析会合」の初会合を首相官邸で開いた。講師役のノーベル経済学賞受賞者、ジョセフ・スティグリッツ米コロンビア大教授は会合で、「消費税は総需要を増加させるものではないので、引き上げるのは今のタイミングは適切ではない」と述べ、2017年4月の消費税率10%への引き上げを延期すべきだという考えを示した。

会合には、安倍晋三首相のほか、石原伸晃経済再生相、黒田東彦日本銀行総裁らが出席。5月の主要7カ国(G7)首脳会議(伊勢志摩サミット)の準備にいかすもので、首相は冒頭、「(サミットで)世界経済の持続的な力強い成長に向けて明確なメッセージを発したい」と意欲を示した。首相の消費増税判断にも影響するとみられている。

会合後のスティグリッツ氏の説明によると、同氏は会合で世界経済の見通しについて「15年は世界金融危機以降、最悪の年になった。16年は15年よりもさらに弱くなるだろう」と指摘。そのうえで「金融政策は限界に来ている。G7では、需要を刺激するような各国間の調整策について議論して欲しい」として、各国で協調して財政出動をするべきだという考えを示した。

会合は5回程度の予定で、17日には、デール・ジョルゲンソン米ハーバード大教授と元日銀副総裁で日本経済研究センター理事長の岩田一政氏を、22日には、ノーベル賞経済学者のポール・クルーグマン米ニューヨーク市立大教授をそれぞれ招く。(鯨岡仁)

(朝日新聞デジタル 2016/3/16 13:22)
アベノミクス1.0は円安による株価の上昇が消費にプラスに働く「資産効果」がみられた。だが、その「息切れ」も鮮明になってきた。消費税増税を財務省に唆され8%にしたことがすべての間違いだった。

 政府は23日発表した3月の月例経済報告で、景気判断を「このところ弱さもみられるが、緩やかな回復基調が続いている」とし、前月から引き下げた。個人消費が鈍いほか、海外経済の減速や金融市場の混乱を背景に企業関連でも弱さが出てきたことを反映した。景気の停滞感が強まっており、来年4月の消費税率10%への引き上げに対する安倍晋三首相の判断に影響する可能性もある。下方修正は平成27年10月以来5カ月ぶり。以下略

昨年後半以降の大幅な株価下落、「逆資産効果」が起きている可能性もある。アベノミクスの効果は急速に色あせているのも事実だ。

アベノミクス1.0はけっして失敗だと思わないが、失敗したのは2014年消費増税なのだ。
財政再建と景気回復の二兎追ったのがアベノミクス1.0であったのだが、実は知らないうちに財政再建の緊縮型アベノミクス2.0へ変化していたのだ。

日本は財政を緊縮型にしておきながら、金融政策だけに頼る異常な状態が続いている。金融政策が、マイナス金利導入に見られるように超金融緩和であることは周知のことである。

ところが不思議なことに一方の財政政策が、逆に緊縮型に転換している。まず各年度の補正予算額の推移を示すと、2013年度10.5兆円、2014年度5.5兆円、2015年度4.9兆円、そして2016年度(来年度)3.5兆円といった具合である。補正予算額は前年度の暮にほぼ決まる。2016年度(来年度)の3.5兆円も昨年末に決まり、今、国会審議中である。

補正予算は、見事なほどにに毎年減額されている。たしかに財政の経済効果を厳密に計算するには、予算の中味(真水がどれだけ)を見たり、本予算や補正予算の使い残しや繰越しなども考慮する必要がある。しかし少なくとも補正予算額の推移をざっと見る限り、財政がいつのまにか緊縮型に転換していた。

特に2014年度は、補正予算を前年度より5.0兆円も減額しただけでなく、8兆円の消費税増税を実施している。このようにいきなり14年度から財政の大緊縮が始まったのである。財政政策と金融政策を同時に出動させるといったオーソドックスな政策、つまり実質的なアベノミクス1.0は2013年度のわずか一年で終了したのである。しかしこの重要なことをアベノミクスを礼讃する者も批判的な者もあまり口にしない。

消費税導入時には、企業や小売店が増税分を吸収する努力をし、消費税還元セールなどを実施した。少しでも家計へのインパクトを減らそうというムードが社会全般にあったのだが、2014年の増税はまったく違った。むしろ政府主導で最終消費者に増税分の負担をさせることを狙い「還元セール」の禁止などをルール化したのも間違いだ。そもそも、物価を上げることがデフレの脱出策ではなく、賃金上昇がデフレ脱出の鍵なのだ。

大都市圏は安倍政権後経済はプラスになっているが、都会の人たちの経済状態の方が地方よりも良好ということではなく、観光でやってくる外国人の消費好調が都市部に表れているだけかもしれない。中国人の「爆買い」が都市の百貨店の売り上げをかろうじて押し上、景気がプラスになっている感じだ。

外国人観光客が百貨店で「免税手続き」をして買ったモノの合計である「免税売上高」は過去最高を更新し続けている。逆に、この「免税売上高」を除外して考えると、実際の国内消費はさらに悪いことが明らかになる。

厳密な比較は難しいが、それでも「爆買い」の効果のかなりの部分を反映しているとみられる。差し引きを比較して計算すると、免税売上高を除いた実質的な国内売上高は1月は3.1%のマイナスだったことがわかる。

同様にかろうじてプラスだった12月の売上高も、同様に免税売上高を除いて比較すると0.9%のマイナスになる。実質的な国内消費による百貨店売り上げは11月以降、マイナスが続いていることになるわけだ。

では、なぜ国内消費の悪化が鮮明になってきたのか。圧倒的に大きいのは消費増税の影響がいまだに残っているということだろう。

ここへきて、2017年4月に予定されている消費税の再増税を延期がほぼ決まった感がある。

安倍首相は「リーマンショックや大震災のような重大な事態が発生しない限り確実に実施する」と言い続け、安倍首相は「リーマンショック級ではない」と今も先送りを否定している。だが、7月の参議院議員選挙を控えて、景気ムードを好転させることが安倍内閣の必須課題になってくるだけに、数少ない「切り札」として消費増税再延期を打ち出すタイミングを慎重に見極めているという見方もある。

もちろん、財務省は再増税は既定路線として譲らない姿勢で、仮に首相が先送りを決める場合でも相当な政治的な軋轢が生じるだろう。あまり早く消費増税を打ち出し、その後、海外株式相場などが大崩れするなど外的要因で景況感がさらに悪化した場合、打つ手がなくなってしまうからだ。

前回の延期時と違い、再延期には法律を出して国会で通過させる必要があることもハードルを上げている、解散総選挙で、消費税凍結は信任を得られる。まだ2014年の増税の影響が完全に吸収されていないことは明らかで、さらに消費が下り坂になっている中で、ここで再度の消費増税を打ち出せば、一気に消費が腰折れする可能性が大きい。

来年の消費増税をそのまま決行すれば、日本経済にとっては自殺行為になりかねない。


執筆中









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奇しくもギリシャも中国も古代文明の発祥地であり、どちらも古代文明人の血は薄くプライドだけ高く、他国に迷惑をかけても謝罪することは無く自己中心的な国と国民性だ。そしてどちらも金融や株式市場は不公正なままである。
武者陵司 武者リサーチ代表

[東京 13日] - 中国の共産党政権がいよいよ本性をむき出しにしてきた。今回の株暴落局面で同国政府が繰り出した一連の相場テコ入れ策を見るにつけ、筆者はそうした思いを強めている。

この間のテコ入れ策をざっと挙げれば、当局の大号令に従った大手証券会社21社による1200億元(約2兆4000億円)規模の上場投資信託(ETF)購入、新規株式公開(IPO)の承認凍結、大量保有株主による株式売却の半年間停止、「悪意ある空売りの懲罰」など、市場経済システムを採用している国から見れば、もはやあり得ないものばかりだ。

一部には、8日の暴落を受けて、中国株はあたかも底なし沼に落ちたかのような見方も広がっているが、中国政府は今後も信じがたい手を繰り出してでも株価のさらなる暴落を食い止めるだろう。

まず当面は恐怖の連鎖を断ち切るために、市場原理を無視したあの手この手を使って、「これ以上は下がらない」という官製相場のフロアーを明確に示そうとする可能性がある。上海総合指数で言えば、春先以降の急騰局面前の水準である3500ポイントから4000ポイント近辺だろうか。

本来、市場経済のルールが通用する世界において、相場の下落局面で当局が下支えに動けば、投機筋の「格好の餌食」となり、その売り圧力の前に打ち負かされるのが常だが、中国株式市場はいまだ国際金融市場から事実上隔絶されている。その特異性を生かして、官製フロアーどころか、いったんバブルが破裂したように見せて、もっと壮大なバブル、例えば上海総合指数で言えば1万ポイントへの大相場すらも作りかねないのではないか。

むろん公的介入で株価が持ち直せば、帳簿上の富がある程度確保されるのは事実だが、本源的企業価値からはどんどん乖(かい)離してしまう。株価は、言うなれば経済の体温計である。その「目盛り」を意図的に変えてしまうことは市場原理の否定そのものであり、グローバルな尺度で見て中国株式市場の死を意味しかねない。

<マネーの質が劣化、頼みの綱は公共投資>

資産市場への公的介入は、ある意味で、共産党一党独裁体制の宿命と言える。短期的な高成長路線を優先するあまり、資産バブルの膨張を許してしまった(あるいは暴落の恐れがあっても、資産効果に頼らざるを得ないほど、政策手詰まりに陥っていた)わけだが、いまさら崩壊するままに任せて、政治システムを揺るがすような社会不安を起こすわけにはいかない。今後も弥縫(びほう)策を繰り返すしかないだろう。

周知の通り、中国経済の衰弱は顕著である。粗鋼生産量や鉄道貨物輸送量、発電量、輸入数量などは軒並みマイナス領域か、大幅な鈍化傾向にある。2010年には前年比20%増だった工業生産額も2015年に入って以降、5―6%増にとどまっている。特に中国経済の屋台骨を担う国有企業は2%そこそこの伸びまで低下している。消費も減速しており、自動車販売は4月、5月、6月と3カ月連続で前年比マイナスとなった。

成長の「質」の劣化も明らかだ。例えば、景気減速下で家計の所得や貯蓄が伸び悩む一方、銀行融資は前年比で15%近く増えている。金融機関が身の丈以上に信用供与していることが見て取れる。

中国国務院(内閣に相当)は6月、商業銀行の預貸率の上限規定を撤廃することを明らかにした。金融改革の一環と言えば聞こえはいいが、景気減速下で資金供給拡大を促そうとする背景には、外貨流入が減少し、企業収益が悪化することなどによって中国の資金的困難が一段と深刻化しているという裏事情があろう。

また、報道によれば、地方政府が保有する債務を証券化して、それを人民銀行(中央銀行)が引き受ける荒技までもが検討されているという。証券を裏付けとした通貨の供給は、中国型量的緩和(QE)だとの自画自賛の声も伝えられているが、実際のところは不良債権を中央銀行が引き受けて、通貨を供給するに等しい行為だ。中国は2013年頃を契機に急速に資金的な困難に陥り、輪転機を回すプリンティングマネーでしのいできたが、そのマネーの質がどんどん劣化している。

こうした状況下、高い成長率を無理やり維持しようとしても、成長をけん引してきた不動産投資や設備投資はすでに完全に失速状態にある。こうなると残された唯一の手段として、なりふり構わぬ巨額の公共投資で乗り切っていこうとする可能性が高い。高速鉄道、高速道路、地下鉄などへのインフラ投資が、過剰投資の上に屋上屋を重ねるがごとく繰り返されるのではないだろうか。

<日本株への影響は限定的、中国は緩慢な衰退へ>

ただし、上記のようなシナリオは、見方を変えれば、破局的な経済崩壊は目前には迫っていないことを意味する。一部の悲観論者は、今回の株暴落は中国経済のハードランディングが近いことを示していると言うが、現実に起こることは、もっと中長期にわたって続く「緩慢な衰退」になるのではないだろうか。

その意味で、中国要因が短期的に日本株の地合いをさらに著しく悪化させたり、ただちに日本経済の失速を招いたりすることはないと考える。一部には、中国株安に伴う損失を日本株売却で穴埋めしようとする動きがあり、今後も続くとの見方もあるが、それは違うだろう。8日以降の日本株下落を主導したのは投機筋であり、先ほど述べた通り、中国株式市場は世界の金融市場から事実上隔絶されているので、中国株が下がっても、益出しのための大規模な他国株売却は起こらないと思う。

また、株のバブル崩壊は、ただちに経済の収縮に結びつくものではない。例えば、1990年にバブルが崩壊した日本がマイナス成長に陥ったのは3年後のことだ。ましてや中国は政府の指令ひとつで、いくらでも需要を作れる経済システムを採用している。その意味で、中国に関する短期的な市場リスクをあまり過大に考える必要はないと思う。むしろ日本株への短期的リスクは、ギリシャ問題の方が大きいのではないだろうか。

あえて懸念をひとつ挙げれば、中国の市場は世界から事実上隔絶されているとはいえ、ある穴を通して、同国の困難が外にリークアウト(漏出)する可能性は本当にないのかどうかだ。恐らく、その穴があるとすれば香港経由となろう。

対内直接投資を見れば、中国へのマネー流入を支えているのが香港であることは明白だ。特に2008年のリーマンショック後にその傾向は強まり、2014年には全体の流入額の7割強を占めている。投資主体が香港人なのか、香港経由で再投資をしている中国本土居住者なのか、それとも台湾人かシンガポール人なのかは不明だ。また、さまざまなチャンネルを通してグローバルな金融機関が中国に貸し付けている債権もあろう。

こうした債権の毀損状況によっては、中国の困難がグローバルに伝播することもあり得るのかもしれない。「蟻(アリ)の一穴」という言葉もある。香港経由のマネーの流れには特に注意が必要だろう。
今年に入ってギリシャ債務問題と、南シナ海での米中衝突危機、中国株バブルの生成と崩壊が起こった。

これは、偶然ではないだろう。すべて密接に裏でリンクしているはずである。そうでなければギリシャ危機と中国上海株暴落と南シナ海の緊迫が同時に起こるはずがない。ついでに言うとAIIB調印式と韓国の経済の危機的状況も重なっている。

中韓露VS日米英豪印土+欧州(中立ではないであろう。)の対立が21世紀前半の世界構造になりそうだ。

中国である。中国は20世紀の後半から21世紀の初頭に米国が世界的な信用危機に陥った時に「なんでもあり」の量的緩和政策で大量のドルのタレ流しが発生した時にドルを大量に取得し、世界一の経済大国へとのし上がってしまった。中国はタレ流されたドルの80%近くをかき集めてしまった。そのマネーで約50兆円で人が住まないゴーストタウン(鬼城)や車が通らない高速道路を作った。さらに政治面でも米国と張り合っためにアフリカなどの貧困国への割りのあわない投資をした、政治面でも中国の政治的文化に協力を促し、アフリカ諸国に中国礼賛を強要させる援助をすすめ、マネーのばら撒きを行った。賄賂を貰った政府高官達は話のわかる中国を歓迎したが一般庶民は中国に対して快く思っていない人々を作った。

昨年初め頃から中国国内での地方政府の財政悪化のために政治的に米国にうち勝つためのマネーのばらまきも次第に減少していわざるを得ず、外貨準備高の減少と、国内の景気拡大のためのばらまきも細りがちとなってきた。今年は遂に中国の成長率は7%を割るような状況となってきた。アフリカヘの投資も5年前と比べ大幅に縮小していかざるを得ない状況となってきた。それでも軍備増強をやめることが出来ない中国は冷戦中のソ連に見えてくる。

南シナ海で米中の緊張が高まり、米国は中国経済の崩壊を起こし米国と戦おうと言う力と思い上がりをそぐ戦略をとった。それが今回の暴落に繋がったと言えよう。 

日本と異なる「バブル崩壊」構造、中国では株式と不動産が逆連動
【ロイター】2015年 07月 14日 18:33 JST

[東京 14日 ロイター] - 今回の中国株の乱高下と、日本のバブル生成・崩壊のプロセスでは、不動産の動きに大きな違いがある。株価と地価が上下とも同方向に動いた1980年代以降の日本と異なり、中国では逆連動している。

市場間でのマネーシフトが背景だが、株安による逆資産効果が相殺されることで、消費などへの悪影響も抑えられる可能性がある。

<スイングするマネー>   

中国株は昨年7月から今年6月まで1年間、上昇を続けた。一方、同国の不動産価格はほぼ同期間、下がり続けた。中国主要70都市の新築住宅価格は、昨年5月から今年4月までの1年間連続で前月比マイナス。5月に13カ月ぶりに上昇に転じたが、今度は上海総合指数.SSECが6月12日にピークをつけ、1カ月足らずの間に約3割下落した。

もともと中国株の「バブル」は、不動産市場からのマネーシフトによる影響が大きい。一部都市での2軒目の住宅購入者に対する頭金比率と貸出金利を引き上げるなど、中国政府は過熱する不動産市場を抑えるために様々な抑制策を2013年ごろから次々に導入。「不動産市場から逃げ出したマネーが株高を演出した」(SMBC日興証券・投資情報室中国担当の白岩千幸氏)とみられている。

中国経済の成長率が7%台に減速しているにもかかわらず、上海株は1年間で2.5倍に上昇。株式市場の過熱感を感じた投資家の一部が不動産市場に戻り始めたことで、株価が天井を打った一方、住宅価格などの下落には歯止めがかかったようだ。

相次ぐ金融緩和であふれたマネーは、都市部の不動産に再び流入し始めている。新築住宅価格で深センは前年同月比で7.5%上昇と、70都市で上昇率トップ。前月比でも6.6%値上がりした。北京市と上海市は1年前と比べると下落したが、前月比ではぞれぞれ1.1%、2.2%値上がりしている。

<日本では連鎖的崩壊>

他方、日本の1980年代以降に起きたバブル生成・崩壊の過程では、株価と地価が連動して動いた。
バブルのスタート時点をどこにするかには諸説あるが、プラザ合意のあった1985年を起点とすると、日経平均は1989年末に付けた3万8915円(終値)の史上最高値まで約3倍に上昇。地価は株価に若干遅れるペースだったが、商業地の市街地価格指数はピークの1991年に4倍に達した。

金融緩和と景気拡大によって膨らんだマネーが、株式市場と不動産市場にともに流入。土地含み益の増加をはやして株高が加速し、そのマネーが再び不動産市場に入るというスパイラル的な「バブル」形成だった。

その「好循環」が逆回転したことで、株式市場と不動産市場は深い底に落ち込んでいった。まず株価が下落し、日経平均は3カ月間で3割下落。その後、一時的な上昇はあったものの、下落基調は変わらず、2008年10月には6994円(安値)を付け、ピークから82%下落した。

不動産市場では、株価に少し遅れて「土地神話」が崩壊。市街地価格指数(商業地)は1991年にピークを付けたが、2013年までに86%下落した。不良債権問題によって銀行の間接金融機能が低下。企業業績の悪化に拍車がかかるなど株安と不動産下落の連鎖が、バブル崩壊の影響を長引かせた一因だ。

<「若い」相場にゆがみも>

株安による中国消費への影響が懸念されている。ただ、今回の株高期間中の消費動向をみると、比較的堅調ではあったが、大きく伸びたわけではなかった。株高効果を不動産価格下落のマイナスが打ち消した可能性がある。
その逆で、今回の株安局面でも、株価と不動産価格が逆行している中国では、かつての日本ほど「逆資産効果」の悪影響は出ないかもしれない。また、株式と不動産の間でマネーがスイングしている限りは、大きなバブル生成・崩壊には至らないとの声も少なくない。

上海総合指数はピークから3割下がったが、14日終値時点で、年初からは21%、昨年6月からは91%上昇した水準にある。このまま下げ止まれば、「調整」の範囲内との見方もできる。中国ウォッチャーの間からは「今回の中国株上昇はそれほど過熱した感じがしなかった」(大和総研・シニアエコノミストの斉藤尚登氏)との指摘も多い。

それにもかかわらず、中国政府がなりふりかまわない株価対策を矢継ぎ早に打ち出したのは「メンツ」の問題があったのではないかと、双日総合研究所チーフエコノミストの吉崎達彦氏はみる。「バブルではないと言ってきた手前、引っ込みがつかなくなったのだろう。しかし、まだ『若い』相場に介入したことで、市場にゆがみが出るおそれがある」と指摘。本当のバブルはこれからやってくるのかもしれない、と話している。
(伊賀大記 編集:田巻一彦)

このところ米国は中国との通貨戦争によって6-7年前米国からタレ流されたドルを年々もとの米国へと戻し始める政策をすすめている。現状では中国にタレ流されたドルの回収はあと5年は最低かかると米国ではみているが、現状の中国との通貨戦争を続けていけば、ある米国人の株式アナリストによれば3-5年ですむとみているようだ。ここ2-3年のうちに米国はもっと強力なタレ流されたドルの回収策を考えているようだ。

現状、中国経済はドルマネーが入ってくるような政策は打つことができない経済状態にあり、年々中国経済は貧困化が進んでいこう。

【主張】ギリシャ支援 危機の再燃は許されない
【ロイター】2015.7.14 05:03

 欧州連合(EU)のユーロ圏首脳によるギリシャ支援協議がようやく決着した。これを受け、支援再開を具体化する協議に入る。決裂すれば、ギリシャがユーロ圏からの離脱に追い込まれ、統一通貨ユーロの歩みが後退する瀬戸際だった。

世界経済を混乱させる最悪の事態が、土壇場で回避されたことは評価したい。ギリシャは緊縮策を着実に実行し、失われた信頼を取り戻さなければならない。

これはあくまで当面の危機を回避するための措置である。EUはギリシャへの監視を強め、結束して危機の再燃を防いでほしい。

合意内容は、ギリシャが付加価値税の増税や年金改革などの財政再建策を進めることを条件に、「欧州安定メカニズム(ESM)」を通じて3年間の金融支援を行うというものだ。

国民投票で緊縮策を拒んだギリシャが、一転して債権者の案をほぼ丸のみしたのは驚きだった。

それだけ、ユーロ離脱による経済破綻への危機感が大きかったのだろう。チプラス首相には、痛みの伴う改革が欠かせぬことを国民に丁寧に説明し、混乱を早急に収束させる責任がある。

緊縮策を担保するため、一部は15日までに法制化するという。チプラス政権が唐突な国民投票で欧州の信頼を失墜させた経緯を踏まえた当然の措置といえる。

最大債権国のドイツが支援に最後まで抵抗した。東西ドイツ統合後の経済的な苦境を構造改革で乗り切った国民がギリシャに厳しい目を向けることは理解できる。

ただ、ユーロ導入で恩恵を受けたのもドイツだ。割安なユーロは輸出の追い風となり、巨額の経常黒字をため込んだ。最終的に欧州の盟主としてユーロ圏の結束を優先させた判断を歓迎したい。

焦点は巨額の債務の扱いだ。これまでの支援にもかかわらず、国内総生産(GDP)比の債務残高は増加傾向だ。このままでは財政や経済が再生しないと、債権者の多くも認識している。

債務の減免は債権国の納税者の理解を得にくく、他の加盟国への財政援助を禁じた規定に抵触する恐れもある。

だが、議論すらタブー視するわけにはいくまい。ギリシャ側が破綻回避にどれだけの「説得力」をみせられるか。今後の成否はこの一点にかかっている。

米国の覇権を脅かすもうひとつ存在がユーロであった。

中国の主要輸出先である。ユーロの弱点はギリシャであった。今回の騒動に関しては米国は脇役であった。

だが、最初にギリシャ問題に火を付け、その後もギリシャ国内の米国のエージェントがギリシャ国内で動いた可能性は否定できない。冷戦時代、ギリシャはソ連黒海艦隊出口と、東西冷戦の最前線であり、東西エージェントが暗躍した地である。

基軸通貨がドルからユーロにとって代わる芽は完全に摘まれたと考えていいだろう。

米国の復調と利上げ、TPPに新冷戦など、世界情勢は経済だけでは理解できない。政治、外交、歴史、軍事、気候、環境、ありとあらゆるファクターが絡んでくる。このblogではすべてを俯瞰し、将来を予測していきたい。
執筆中







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【日経ビジネス】2015年4月6日(月)  武田 安恵 
『21世紀の資本』で所得と富の分配について明らかにした経済学者のトマ・ピケティ氏。中国には経済が発展するほど格差が広がってしまう歴史的な構造要因が残っており、「新常態」でそれが是正できなければ中国の先行きは厳しいと説く。
「中国の格差問題に対する私の率直な印象は、解決は非常に難しいというものです。中国を訪れた際、政府関係者や学者と議論しましたが、その多くが中国で格差が拡大していくことに対して心配し、懸念を示していました。しかし、今のところ中国には格差を解消する手段がない。あったとしても不十分なものばかりです」

『21世紀の資本』を著したフランスの経済学者、トマ・ピケティ氏。経済格差が各国で深刻な問題を引き起こしている中で、同氏が導き出した「資本収益率(r)>経済成長率(g)」という不等式は世界的に注目を集めることになった。過去の膨大なデータを解析することで、「富める者がさらに富み、持たざる者との格差が広がる」という法則を明らかにしたからだ。

そこで本誌は、急速な経済発展に伴い格差が拡大した中国について、ピケティ氏に意見を求めた。その答えは、現状の中国を憂慮しつつも、問題点に鋭く切り込むものだった。
『21世紀の資本』で所得と富の分配について明らかにした経済学者のトマ・ピケティ氏(写真=Getty Images)
「もし本気で格差解消に取り組もうとするならば、今以上に多くの人が牢屋に入ることになるでしょう。中国はまず、所得、不動産、相続に関する税の累進性を強化するように、税制度を改正しなければなりません」

実は、ピケティ氏は『21世紀の資本』の中で中国についても取り上げようとしていた。だが、中国では国際的な基準の統計データが不足しており、あったとしても信用に足る内容かどうかが確信できなかったため、断念した。

ただ、ピケティ氏は習近平政権が推し進めている反腐敗運動については極めて高い評価を下している。

「新常態」とは
もとは2008年のリーマンショック後、世界経済が新しい局面に入ったとの意味で使われるようになった「ニューノーマル」の中国語訳。2014年5月に習近平国家主席が河南省を視察した際にこの言葉を使ってから、高速成長から安定成長に移行する中国経済の現状を意味する言葉として広まった。

                                               まず腐敗をなくすことから始めるべきだ

2014年11月、上海の名門、復旦大学で開かれたピケティ氏の講演会で、こんなやり取りがあった。会場の参加者から「中国のこれからの発展に関して、習国家主席に何かアドバイスはありませんか」と質問を受けたピケティ氏はこう答えた。

「企業や政府の間にはびこる汚職、そして腐敗が不透明な収入を増やし、一部の人に富が集中する要因となっているのは紛れもない事実です。その意味で、習政権が推進している反腐敗運動は、富の不平等な分配を確実に是正できる方法と思っています」

「そもそも中国では、なぜここまで汚職が蔓延するのでしょうか。それは、個人の収入をきちんと管理する制度がないからです。賄賂を受け取っても長期にわたって誰にも気が付かれないので、通常ではあり得ない金額の蓄財に走る人もいます。だからこそ、反腐敗運動は格差是正に非常に効果があるのです」

習政権の反腐敗運動に対しては、国際社会から批判の声も上がっている。重大な規律違反の疑いで逮捕された共産党幹部は既に100人を超えた。「腐敗を撲滅する」という大義を振りかざし、政敵を次々と葬り去ろうとする習政権の姿勢は、時に「強権的」とさえ映る。だが、ピケティ氏は格差を是正するには、まず腐敗をなくすことから始めるべきだと指摘する。

中国では政府高官の巨額蓄財が度々明らかとなっている。真相はいまだやぶの中だが、温家宝前首相の一族が27億ドル(約3240億円)以上もの資産を蓄えていると米ニューヨーク・タイムズ紙が報じたこともある。腐敗はあらゆる階層に広がっている。地方政府の中堅幹部が高級腕時計を複数所有していることがばれて、失職に追い込まれる事件などは頻繁に起きている。

こうした実態が肌身に染みているだけに、ピケティ氏の発言は中国国内で大きな話題を呼んだ。在日中国人ジャーナリスト、徐静波氏や中国メディア『陸家嘴』のインタビューなどに答えたピケティ氏は、中国特有の問題点をこう指摘している。

「日本は経済成長の過程で格差が解消されていきましたが、中国は経済が発展すればするほど格差が広がっています。中国は社会主義の国であるはずなのに、大部分の資本が一握りの人に独占されています。このことを私は理解できない」

「ただ、私は中国が毛沢東時代に戻って全ての人が平等になるべきだと言っているのではありません。むしろ、適度な格差は社会にとって有意義だと捉えています。なぜなら、それは人々の上昇志向やイノベーションを生み出す動機となるからです」

歴史をさかのぼって実証分析を積み重ねる手法はピケティ氏の最大の持ち味だ。同氏が指摘する通り、個人の利益より国全体の利益が優先された毛沢東時代、中国は発展から取り残されていた。ところが、鄧小平が実権を握ってから経済が急成長した。格差を許容する「先富論」を打ち出したからだ。

「中国には相続税がない」

先富論は、先に豊かになれる地域、あるいはそうした力のある個人から豊かになることを推奨した。鄧小平の改革解放政策の根幹を成す考え方であり、平等の問題はいったん棚上げされた。発展に乗り遅れた地域や人はいずれ支援できると考えたからだ。

まず選ばれたのが沿岸部だ。中国政府は深圳など沿岸部を中心に経済特区を設け、市場経済化のためのモノとインフラ、そして外資導入のシステムを集中させた。狙い通り沿岸部から豊かになり始め、富裕層が次々と生まれていった。

ところが沿岸部と内陸部、都市部と農村部の所得格差は急速に広がってしまった。鄧小平以降の江沢民および胡錦濤政権は「西部大開発」という目標を掲げ、内陸部も発展させようと試みた。ただ、抜本的な解決には至っていない。

2012年の中国統計年鑑によると、都市と農村部の1人当たり所得格差は1980年に2.5倍だったが、2011年には3.1倍へと拡大している。また、1人当たりのGDP(国内総生産)は最も高い天津市と最も低い貴州省の差は約5倍だ。沿岸部と内陸部の経済格差はいまだ解消されてはいない。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20150403/279549/ph02.jpg中国主要地域の1人当たりGDP。先に豊かになった沿岸部内陸部との格差は5倍(出所:「中国統計年鑑2012年版」)


ではどうすればいいのか。格差が度を超えてしまうと社会階層を固定化させる要因になってしまうため、政策で強制的に格差を是正する必要があるとピケティ氏は説く。

「問題の本質は、資本の分配のされ方、そして税制の問題にあります。中国は急速な経済発展を遂げて、一握りの人がお金持ちになりました。それ自体は途上国の発展段階として自然な現象です。しかし、中国政府は富裕層が資本を独占することを規制し、低所得者層にも富がきちんと分配される仕組みを導入できていません」

「例えば、中国の富豪ランキングに載るようなお金持ちがこの1年間に納めた所得税は、一般的なホワイトカラー1人が納めた所得税とそれほど変わりません。これではお金持ちはますます富み、貧しい人はますます苦しむ。これが非常に大きな問題なのです」

ピケティ氏が推奨する仕組みは富裕層への課税強化だ。格差を解消するための処方箋として『21世紀の資本』の中でも繰り返し述べられていることだ。

成長鈍化を受け入れよ

「中国政府は財産を再分配できる制度を速やかに取り入れるべきです。驚くべきことに、中国には相続税がありません。それは、格差を助長させる要因にもなっています。資産を持つ者に対しては相続税を課すべきです。加えて中国政府は、所得税の納付状況を透明化した方が良いでしょう。それは、政府に対する国民の信頼を高めることにつながるはずです」

ピケティ氏が格差の解消を強く求めているのは、富裕層に対する一般大衆の不満を解消させるためだけではない。このまま格差を放置したままでは、中国経済の発展が難しい段階に達しているとの認識がある。その最大の要因は、一人っ子政策による出生率の低下だ。世界最大の人口を誇る中国も近い将来、人口減少に転じるのは確実視されている。

「人口の減少は、中国のGDPに確実に影響を与えます。2030年以降、中国の人口は減り始めます。同じ人口が多い国でも、生産人口を依然多く抱えるインドと高齢化が既に始まっている中国とでは、中身が全然違います。これから人口ボーナスが期待できるインドと、それが消失しつつある中国では、今後たどる道は明らかに違ってくるでしょう」

中国が、安価で豊富な労働力を武器に高い経済成長を遂げてきたのは周知の事実。だが、その最大の強みと言われていた労働力も、近年は人件費の高騰と人口減少で優位性が崩れつつある。
中国でも数多く講演したピケティ氏。写真は2014年11月の上海での講演模様(写真=王辰)
2桁の経済成長率が望めなくなった今、中国政府は経済構造の改善を通じ、成長の質を変化させることで持続的な経済発展を目指そうとしている。

だからこそ景気が減速している現状を「新常態」と表現し、国民に成長鈍化を受け入れるよう促している。言い換えれば、それは大規模に資本や労働を投入することでリターンを得る従来型の発展の形との決別である。資本の効率性を高めると同時に、得られた収益を適正に分配できる経済モデルへの転換を意味している。

幸いにも、足元の経済成長が鈍化しても失業率は高まっていない。徐々にではあるが、製造業に代わりサービス業の雇用が増えているためだ。

世界に通用する中国企業も次々と台頭している。斬新なスマートフォンを販売し中国のアップルとも評される小米科技(シャオミ)、中国語圏以外にも勢力を拡大するインターネット企業の騰訊(テンセント)、そして世界有数の家電メーカーとなった海爾集団(ハイアール)など、イノベーションの担い手は着実に増えている。

新常態下で活躍するのは中国企業だけではない。中国の抱える問題を解決したり、拡大する中間層向けのビジネスを得意とする日系企業にもビジネスチャンスが広がっている。

(ピケティ氏のコメント部分は本誌取材、中国内での講演やインタビューでの発言を基に再編集した)
はたしてピケティ氏はどれだけ中国と言うものを理解しているであろうか?
単に理解していないと思う。

キッシンジャーは米ソ冷戦を勝利する為中国を取り込んだ。
中国が民主主義国家に変容するのではないかという甘い期待だった。
改革開放前の中国は外国人から見れば純真な優等生、金の卵のように見えた。
だが、中国人は4000年間何一つ変化などしていない。
民主主義などこの国に根付くわけもなく、習近平が行っている反腐敗政策は単なる権力闘争にすぎないと私は思います。
ピケティ氏は中国人を民主主義国家の住人と勘違いしているようにしか思えません。
>中国政府は富裕層が資本を独占することを規制し、低所得者層にも富がきちんと分配される仕組みを導入できていません」

絶対に無理だろう。そんな仕組みを導入したら中国人が中国人でなくなってしまう。人ではなく奴らは中国人なのだ!低所得者層がいるから中国と言う国は成り立っているとしか思えない。中国人は自分とその家族やその周辺さえよければ良いとしか考えない人の集まりなのだから・・・

 2年前、習近平体制が船出した時、強くて若く、国際社会から尊敬される中国の未来の姿。「中国の夢」というスローガンだった・・・・ところが「新常態(ニューノーマル)」という概念が習近平政権では流布され始めた。新常態では経済成長の量よりも質が求められ、環境政策や社会政策が重視されるという。
言い換えれば、経済成長の鈍化を受け入れっつ、痛みの伴う構造改革を進めようということだ。
 GDP成長率は5年連続で下がっているし、構造改革も短期的には成長の足を引っ張る。指導部は国有企業の役割を減らし、公害の発生源となる企業を閉鎖し、社会保障を充実させようとしている。雇用も増やさねばならない(さもないと国民の不満が爆発する)。
目標は、製造業と投資への依存を減らし、サービス業や革新性・創造性に依拠した成長へと移行することだ。
李克強首相は率直に、全人代で今年の目標である成長率7%の達成は容易でないと認めた成長率が7%を割れば十分な雇用を確保できないだろう。

中国社会はバラ色のチャイナドリー「中国夢」から目覚め、灰色のスモッグの夜明け
を迎えている。ネット上には、緊縮政策や賃金低下にまつわる不平不満の声があ
ふれている。別に習近平や李克強が無能なのではない、中国の人口ボーナス期が終わりだし、人口オーナス期に入りだしただけだ。日本が1990年代から突入したバブル崩壊からデフレ社会になり始めたのは、人口ボーナス期が終わり、人口オーナス期に突入したのが大きな理由だ。

 これから石炭や鉄鋼など重工業の多数の労働者の失業と産業の転換は容易ではない。中国国内の秩序は保いてないであろう。

人口ボーナス期からオーナス期への移行期は非常に社会が壊れる。米国や欧州はは移民の流入である意味では乗り越えつつあるが、日本は移民政策を採っていない為失われた20年を経験しようやく安倍政権でこの危険な期間を脱しつつある。

政府も無駄遣いをなくすから、国民も祭日や婚礼などの宴会は「一汁三菜」に抑え、高額化が進む贈答行為を慎むべきだと、習は訴えている。 その結果、贅沢品を扱う業者や要人接待に利用されてきたレストラン、役人御用達の高級衣料品や装飾品を扱う店などの売り上げが落ちた。汚職撲滅キャンペーンは江戸時代の享保・寛政の改革のような倹約令を多発するデフレ政策になっている。(天保の改革[インフレ政策]や田沼意次の改革[重商主義]とは性格が違う)

習近平は、過去30年にわたって経済に活力を与えてきた投資と輸出に代わる成長エンジンとして、国内消費を刺激するための「新常態」らしいが、これから中国は人口ボーナス期が終わりデフレ地獄の人口オーナス期に入る

中国の、「新常態」のもたらす痛みに輪を掛けているのは習の掲げるもう1つの目玉政策、すなわち「汚職撲滅キャンペーン」だ。「トラもハエも退治する」と習は言う。つまり共産党の大物幹部から地方の下級官僚まで、地位にかかわらず不正は容赦なく取り締まるということだ。

最近の習近平は、毛沢東の引用が多いらしく、周永康薄熙来など幹部を粛清する動きは 毛沢東の政治手法である。習近平は限定的に自由化でさえ検討する兆候を見せている。

習近平の幼友達の一人は、彼が10代の時に共産主義や毛沢東主義の書物を読みふけっていたことを思い出し、「習氏は本性を現し始めたようだ。それは始まったばかりだ」と述べたらしい。
 
汚職摘発の第2ラウンドが始まればこうした懸念は一層高まるだろう。次なる標的は、政府が経済構造改革の中心に据えるエネルギーや通信、建設といった国有企業に関わる役人や民間企業家になりそうだ。
今回の全人代の閉幕を待っていたかのように、国内最大手の国有エネルギー企業、中国石油天然気集団(CNPC)の寥永遠社長汚職の疑いで取り調べを受けていると発表された。
寥永遠もCNPC絡みの他の案件と同様、エネルギー業界の「トラ(大物)」である周永康との関わりが疑われているようだ。周永康は80年代からCNPCで働き、96年から98年までトップの座に就いていた。
周永康は習近平の政敵と見られていたので、この「石油閥」摘発の主な目的は犯罪調査というよりは、政治的粛清だろう。(ということは、中国のエネルギー業界は停滞するだろう・・・石油価格の反騰はまずない・・・)

AIIBも日米が参加しないので、中国は金づるである外資の呼び込みもままならなくなる・・・ピケティが思い描く「新常態」とは程遠く、現実の「新常態」とは中国の地獄の入り口にすぎない。
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最近来日したようで、ピケティ、ピケティと何かと話題である。横浜市立図書館は806人待ち・・・少なくとも年内に読むことは無理。回ってこない、買えば5940円税込6415円・・・買う気にならない・・・
そこで、「21世紀の資本」本体は買わないけれど、解説本である髙橋洋一先生のピケティ入門を買った。雑誌もNewsweek週刊ダイヤモンドのピケティ特集を買った。そしてネットでピケティの講演などを聴いた。十分理解したつもりはないが、結構理解したつもりになってきたので、遂に私もブログにてピケティに挑戦する。
相対性理論がE = mc2で言い表せるるように、とりあえずピケティ=下の数式r>gだけでひょっとして十分かもしれない。
イメージ 1
考えてみれば経済成長率より資本収益率の方が高いって・・・証券会社の人間から言わせてもらえば当たり前すぎる。もし、r>gじゃなければ、商売が成り立たない。
<トマ・ピケティ講義>第1回「21世紀の資本論」~格差はこうして生まれる~


イメージ 2

はじめに
まず、なぜ、この本は書かれたのだろうか。
ピケテイは、世界的な傾向として、一部のトップ層に富や所得か集中し、「持
てる者」と「持たざる者」の格差が広がっていることに、強い懸念を示している。

”Capital in the Twenty First Century”=邦訳『21世紀の資本』を書いた根底には、何とか世の中の不平等を正したい、それにつながる仕事を成したい、というピケティの熱い思いがあるのだろう。
しかし、そういう思いや、その思いからくる政策提言を支えているのは、あくまでも「データ」だ。
ピケティは、20力国、300年分ものデータを集積し、じつに壮大なスケールで富や所得の歴史を詳説、我々が生きている世界の格差のあり様をもあぶり出す。

そして、格差の現状をとらえるのみに留まらず、格差是正のために何をすべきか、ということにまで踏み込んでいく。                             (略)
私なりに疑問な点は非常に多いのだけれど、ピケティは理論よりも膨大なデータを駆使し、我々が疑問に思っていることを単純に解りやすく提示している点がベストセラーになっているのだろうと思う。

01

産業革命以来、欧米は、アジアとアフリカに対して圧倒的に強い経済力を誇つてきた。
しかし今では、アジアとアフリカが急速に追い上げており、地域間の格差は縮まりつつある。

欧米はアジアより少ない人口で産業革命以降より多くのGDPを産出してきた。
GDP(国内総生産)とは、国内で、1年間に新しく生みだされた生産物やサービスの金額の総和のことです。

イメージ 3
産業革命によって欧米では一人当たりの生産性が格段に上がったことによりアジアアフリカより多くの、GDPが産出した。

産業革命以降、拡大してきた欧米とアジア・アフリカ地域の格差は、20世紀終盤から21世紀に入って徐々に知事待っている。今後追い上げは続くと考えられ、追い上げがいつ終了するかは、まだわからない。ピケティ(談)

古代から急激な人口増だった世界は、20世紀半ばから急激な人口減少期に入った。
21世紀末にはアフリカ大陸だけが微増し、全体的には増加率が○パーセント水準になると予測されている
 

p22-24
人口増加率に見る巨大な「釣り鐘型曲線」

次に押さえておきたいのは、世界の人□についてである。
経済は、人口という要素を加味しなければ語れない。
一国のGDPは、一人あたりの生産性ではなく、生産し、所得を得る頭数にも関係しているからだ。
たとえば1人当たりGDPが1パーセント上昇し、なおかつ働く人の頭数が1パーセント増えれば、単純計算でGDP成長率は2パーセントとなる。
つまりGDP成長率=一人あたりGDP成長率+人口増加率ということだ。        
人□増は、成長率を下支えするといってもいいだろう。
しかし、現在は世界的な人□減の時代だ。それも急激に減少しており、世界規模で「人口転換」が進んでいるといえる。人口転換とは社会の近代化にともない、人の出生数と死亡率数のバランスが多産多死→多産少死→少産少死へと変化することだ。現在は、その最終段階にあると考えられる。


イメージ 7

1990年~2012年には1.3パーセントくらいに下がったが、下降傾向は止まらないだろう。国連予測では、21世紀末までにO・Oパーセント近くに下落、その超低増加率のまま横ばいになると予測されている。
したがって、古代ゼロ年から2100年までの世界人目増加率については、
20世紀後半の2パーセント弱を頂点とした、巨大かつ急勾配な「釣鐘型曲線」が描き出される。
アフリカだけは唯一21世紀後半人口が増加する。






執筆中


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コラム:経済成長なき「豊かな生活」は可能か
【ロイター】2014年 12月 10日 18:07 JST


━━経済成長を抜きにして豊かな暮らしは可能なのか。西側は、特に西欧諸国は、この問いに正面からぶつからざるを得ないだろう。

Hugo Dixon

[8日 ロイター]- 経済成長を抜きにして豊かな暮らしは可能なのか。その質問を投げかけること自体、所得を継続的に伸ばすことが社会の第一目標であるべきという現代の一般通念に挑むものだ。しかし西側は、特に西欧諸国は、この問いに正面からぶつからざるを得ないだろう。

欧州は景気後退の後遺症に苦しんでいるだけでなく、低成長の時代に突入したかもしれないからだ。

国内総生産(GDP)の伸び率は過去に比べて低いまま推移する公算が大きい。低成長の理由の一端は、欧州社会の急速な高齢化によるものだ。力を付けつつある発展途上国との競争激化も背景にあるだろう。環境的制約も原因になっているかもしれない。地球温暖化の防止策はエネルギーコストの上昇につながるからだ。

イタリアを筆頭として、特に高齢化が急速に進んで起業家精神が衰えている国では、GDPの年間成長率は今では実質ゼロ近辺だろう。高齢化のスピードが比較的緩やかで、活気ある起業家精神を維持している英国でさえ、GDP伸び率は2%を下回りそうだ。

低成長経済がいかに暗黒の世界をもたらすかは想像に難くない。高い若年失業率は「失われた世代」を生み出すことになるだろう。持続不可能な政府債務負担は、公共サービスの一段の削減を余儀なくさせるかもしれない。いくつもの社会階層が貧困に陥り、政治離れがますます進む可能性がある。

低成長を前提とした生き方はあるのだろうか。それに答えるにはまず、経済は社会に役立つべきと認識することが出発点となる。その逆ではない。つまり、経済の社会的役割は、人々が良い生活を営める状況を作り出すことにある。

そこで問いになるのは「豊かな生活とは何か」だ。そのヒントは古代ギリシャの哲学者アリストテレスの言葉に求められるかもしれない。アリストテレスは、豊かな生活には人間の本質に照らして自分の役割を果たすことが含まれると説いた。また人間の本質には、動物と人間の2つの側面があるとも考えた。アリストテレスの教えは、豊かな生活を考えるには2つの要素があると言い換えられそうだ。動物の側面である身体的な要素と、人間にしかない側面である精神的な要素だ。

そうであるなら、豊かな生活には、一定の物理的要素が不可欠になる。最も明らかなのは衣食住だが、その他にも、特に健康面で多くの物理的要素が必要だ。現代社会は医療や健康問題にますます注意を払うようになっている。しかし、肥満のまん延といった現象に目を向けるだけで、身体的な要素については必ずしも上手く行っていないと気づくはずだ。

精神的な要素には、価値観や創造力、美意識や知的好奇心、人生を意味あるものにするための努力など、さまざまな人間の意識が包含される。消費の多寡は必ずしもこれらの大小に直結しない。むしろ、リチャード・レイヤード氏などの経済学者による研究では、一定の金額を超えると収入の増加は幸福感につながらないことが示されている。

西側の経済成長はこれまで、そこで暮らす人々の孤独感やうつの増加を伴ってきた。このことは、物質至上主義的な価値観は人間の本質とは相いれないことを示唆している。あくなき成長を追求すれば、他の貴重なものが犠牲になりかねない。そこで損なわれるのは物理的環境だけでなく、我々の社会環境や地域社会、家族や友人の輪なども含まれる。

一部の人は、すでに裕福な西側社会なら、一段の成長がなくても豊かな生活を送る環境は作り出せると思うかもしれない。そういう人は量より質を重視している。また、経済的活力には価値を認めているが、金儲けを成功の基準にしていないのだろう。そして、社会機構を大切にしているのだろう。

しかし、経済成長にあまり依拠しない価値観であっても、失業にどう対処するかや、GDP成長なしで公的債務をどう減らせるかなどの厄介な問題は残る。長年にわたってゼロ成長やマイナス成長を掲げている「緑の党」の政策に答えがあるのかもしれないが、英国のシンクタンク「グリーンハウス」から最近出された大量の論文を見ても、説得力ある解決策は見当たらない。

例えば、グリーンハウスは失業対策の一環として、ワークシェアリングを提唱している。働きす過ぎの人は労働時間を短くし、失業者が仕事を得る余地を作るという考えだ。

ただ実際には、失業対策はそれほど単純な話ではない。まず、長時間働いている人は自分の仕事を減らしたくないだろう。仮に強制的に労働時間を短縮されたとしても(こうした強制はそもそも豊かな生活には明らかに反するが)、失業者のための雇用創出につながるとは限らない。失業者の多くは必要とされるスキルを有していないからだ。ワークシェアリングよりむしろ、職業訓練や教育にこそ重きを置くべきだろう。

膨大な公的債務に対するグリーンハウスの解決策は、各予算が国民に恩恵をもたらすかどうか、国民の同意を得られるのかどうか、監査を実施するというものだ。監査を通らなかった予算は「忌むべきもの」として拒否される。こうした案は、スペインのポデモス党やギリシャの急進左派連合(SYRIZA)など、左翼ポピュリスト政党の間で支持が広がっている。

イラクのサダム・フセインのような独裁者が債務を膨れ上がらせたのならば、その後継者がそれを拒否するのは理にかなっている。しかし、西側の民主主義社会は、この状況にはまったく当てはまらない。一方的な債務の棒引きは経済的な混乱につながり、さらなる失業者を生み出すだろう。とても解決策とは言えない。

経済成長を抜きに豊かな暮らしは可能なのか。1つだけ明らかなことがある。豊かな生活を追及するあまり、経済成長を軽んじるという考え方を変えない限り、その答えを見つけることはできない。

コラム:原油安は続くか、そして2015年の10大予想
【ロイター】2014年 12月 12日 17:02 JST

John Lloyd

[11日 ロイター] - 毎年この時期になると、新年の予想を立てるのがジャーナリストの恒例行事となっている。原油安の動向など、2015年の10大予想を挙げてみた。

(1)原油相場は底入れ:原油価格は過去5カ月間で40%も下げ、経済成長に追い風を吹かせようとしている。しかし原油の開発・掘削コストは下がっておらず、原油価格が1バレル=70ドルを下回る水準では元が取れなくなる。中東産油国は原油供給を増やして北米のシェールオイル生産を採算割れに追いやろうとしている疑いがあるが、彼らとてさらなる市況低迷は望まないだろう。景気がさらに拡大すれば石油需要は再び増え、価格も上がるだろう。今のうちに安値を拾っておくべきだ。

(2)中国共産党は民主化要求に屈せず:香港の民主化要求デモが事実上収束したことは、中国共産党および香港政府トップの梁振英・行政長官にとって勝利を意味する。中国の習近平・国家主席は2013年3月に就任して以来、抗議活動を一切容赦してこなかった。香港のデモが収束し、彼は2015年もその考えを曲げることはないだろう。しかし市民の民主化への欲求はくすぶり続けるはずだ。

(3)中東情勢が緊迫化:今年の中東では主な役者がこぞって態度を硬化させた。エジプトのシシ大統領はイスラム組織「ムスリム同胞団」支持者ら数千人を殺害、あるいは拘束し、東部と西部の国境地帯ではサウジアラビア指導者らの全面協力を得て、イスラム原理主義組織「ハマス」を後ろ盾とする反乱軍と戦っている。シリアのアサド大統領は過激派「イスラム国」打倒を目指す。イスラエルでは、来年3月の総選挙後に発足する次期議会が、民主国家よりもユダヤ国家の側面を強調する物騒な提案を再び取り上げるとみられ、国民の4分の1を占めるアラブ系市民はますます宙に浮きそうだ。イランは核兵器の部品密輸が疑われているため、核協議の見通しは暗い。中東情勢は間もなく深刻化しかねない。

(4)欧州に移民排斥の波:欧州では移民排斥の傾向が一層強まるだろう。英国で2015年に予定される総選挙では、反移民の英国独立党が躍進しそうだ。フランス、イタリア、スウェーデン、オランダの各国でも反移民政党が台頭している。ドイツでも反欧州の「ドイツ代替党」が反外国人色を一層強めている。外国人を敵対視するムードは、ポーランドと英国を除く欧州全域での経済成長の停滞が一因となっており、来年もさほど状況好転は見込めそうにない。

(5)キリスト教に重い十字架:2013年3月のローマ法王フランシスコの選出でキリスト教は勢いづいた。オープンで比較的リベラルな法王の姿勢は世界中のメディアに好意的に取り上げられている。しかし法王の限界もまた、鮮明になってきた。女性司祭、聖職者の妻帯、同性婚、避妊などへの不寛容な姿勢だ。カトリック教会の支持者層が、アフリカと南米で台頭するペンテコステ派や不可知論者へと流れている。英国のカンタベリー大主教は最近、英国国教会が分裂しかねないと警鐘を鳴らした。そしてキリスト教信仰全般が、イスラム教圏、特にパキスタンでの不寛容、攻撃、殺害などに一層苦しむことになるだろう。

(6)富める者はますます豊かに:大富豪はさらに富み、貧しいものは貧しいまま、労働者層あるいは中間層はほんの少し豊かになるかもしれない(米国ではようやくそうした状況が訪れつつある)。2014年のベストセラー、「21世紀の資本主義」を著したトマ・ピケティ氏は「資本主義は容赦のない持続不可能な不平等を自動的に生み出し、その不平等は民主主義社会が基盤とする能力主義的価値観を劇的に損なう」と論じている。つまり今日の富は明日になれば早速さらなる富を生み出すが、勤労がもたらすものは(あなたが幸運であれば)毎年少しずつ家計が楽になる程度のこと。来年もまた、家計は少ししか潤わないということだ。

(7)モディ首相が改革遂行:ことし5月に就任したインドのモディ首相は、同国に力強い経済成長を取り戻し、世界第2位─間もなくトップになるだろう─の人口大国らしく振舞えるようにすることに尽力している。首相はインドの大企業とメディアからほぼ全面的な支持を得ており、彼なら成し遂げられるかもしれない。

(8)ウクライナとロシアの経済悪化:ウクライナ経済は「メルトダウン」状態に近い。外貨準備は急スピードで減り、通貨フリブナは先月、1ドル=13フリブナから16フリブナまで下がり、さらに下落しそうだ。これによって銀行は多額の損失を負っており、財政赤字は国内総生産(GDP)の10%を超えて一段と拡大する見通しだ。ピーターソン国際経済研究所のウクライナ・ロシア専門家、アンダース・アスランド氏は先月、「ウクライナの銀行システムが凍結するのは時間の問題に見える。生産と生活水準が急降下するだろう」と記した。アスランド氏によるとロシアはウクライナよりゆっくりとしたペースではあるが、やはりメルトダウンに向かう。経済制裁がロシアの銀行と企業を打ちのめし、原油価格の下落が国民を苦しめる。するとプーチン大統領は経済立て直しに専念するため、ウクライナから手を引き始めるのだろうか。期待は禁物だ。

(9)民主主義の正念場:ここ数年、民主主義の評判が悪い。その経済システムである資本主義は大衆に富をもたらしていない。中国を筆頭に独裁的指導者が権力を握り、民主主義の中心地たる欧州では、第二次大戦このかた政治を司ってきた中道政党がポピュリズムの波に脅かされている。あらゆる西側諸国において、かつて着実な経済成長が潤滑油の役割を果たしていた統治者と市民との社会契約にほころびが目立ち始めた。民主主義を信奉する政治家は来年こそまなじりを決して立ち向かうべき、いや、立ち向かわねばならない。有権者に対し、また政治家が互いに、世界が今直面する試練の大きさを示し、すべてはかつての状態に戻るだろうと信じるふりをやめ、新たな戦略を採用することに同意を取り付けようと努めねばならない。

(10)新しいメディア:われわれの商売であるジャーナリズムに一筋の光明が差しつつある。私のような新聞屋でもインターネットの時代に入ったことは理解している。ジャーナリズムとは、世界で、国々で、自分の住む町で、何が起こっているかを伝える手段に過ぎない。いまでは週末まで待たなくても、数分後にそうした情報がただで手に入る。地域情報を伝えるウェブサイトもあちこちで立ち上がっている。民主主義を嫌う独裁主義者は独立系のメディアもまた嫌がる。しかしわれわれにはニュースメディアの将来が見えており、それはかつてなく豊かで多様性に富み、政治的な力を備えたものだ。

米国株が急落、原油安・弱い中国指標を嫌気       【ロイター】2014年 12月 13日 08:39 JST

[ニューヨーク 12日 ロイター] - 12日の米国株式市場は急落。下げ止まらない原油相場に加え、弱い中国の経済指標が圧迫した。

S&Pエネルギー株指数.SPNYは2.2%下落。年初来からの下落率は16.5%に達した。

米原油先物はこの日、バレル当たり58ドルの水準を割り込み5年ぶり安値を更新。ダウ構成銘柄のエクソン・モービル(XOM.N: 株価,企業情報, レポート)、シェブロン(CVX.N: 株価, 企業情報, レポート)はともに1年ぶり安値に沈んだ。

中国経済の減速を示唆するさえない指標を嫌気し、S&P素材株指数.SPLRCMは2.9%下げた。

12月の米ミシガン大消費者信頼感指数は約8年ぶりの高水準となったが、原油安や中国経済をめぐる懸念がこれを相殺した。

エネルギー相場のボラティリティが株式市場にも波及するとの懸念から、シカゴ・オプション取引所(CBOE)のボラティリティ・インデックス(VIX指数)は5%上昇の21.08となった。

ダウ工業株30種.DJIは315.51ドル(1.79%)安の17280.83ドル。

ナスダック総合指数.IXICは54.56ポイント(1.16%)安の4653.60。

S&P総合500種.SPXは33.00ポイント(1.62%)安の2002.33。

週間では、ダウが3.7%、 S&Pが3.5%、ナスダックが2.7%いずれも下落。1週間の下落率としては、ダウが2011年11月以来、S&Pは2012年5月以来の大きさとなった。

日本でアベノミクス反対論が瓦解した理由
2014.12.11(木)  Financial Times

安倍晋三首相率いる自民党は「景気回復、この道しかない。」というスローガンを掲げて選挙運動を行っている。

このスローガンは、安倍氏がそれ相応に楽観的に見える真っ赤なポスターと、(もしかしたら決死の覚悟で)最後の戦いに挑む武将のようなポーズを取る不気味なグレーのポスターに印刷されている。

安倍氏はこのスローガンが好きなあまり、日曜日の総選挙に向けた選挙遊説で着る白いウインドブレーカーに縫い込ませたほどだ。

日本のテンプル大学の客員研究員、マイケル・チュチェック氏が言うように、1つの信念をこれほど執拗に力説する理由は1つしかない。それは事実ではないのだ。

アベノミクスに代わる政策はいくらでもあるはずなのに・・・

経済の新陳代謝を速めるために日銀の紙幣増刷に頼る積極的なリフレ政策であるアベノミクスには、明らかに、代替策がいくつもある。だが、今回の選挙について目を見張ることは、共産党を別にすると、誰も別の道筋を明確に示すことができないことだ。

しかも、安倍氏の支持率が円相場とほぼ同じくらい急激に低下し、世論調査では安倍氏の経済計画を支持すると答える人より反対すると答える人の方が多いにもかかわらず、そうした状況になっている。表面上は、野党がなぜ、アベノミクスの褪せる輝きから政治的資本を獲得できないのか理解するのは難しい。

大雑把に言って、安倍氏がこれほど弱い抵抗にしか遭っていない理由が2つある。まず、野党・民主党は内部崩壊したも同然だ。首相の政策を「アホノミクス」と呼ぶ同志社大学大学院のエコノミスト、浜矩子氏は、民主党は与党の術中にはまったと言う。

浜氏によると、民主党は安倍氏のリフレのギャンブルの前提をすべて否定する代わりに、政策の論理を受け入れ、それを力なく批判しようとしてきた。それは相手の「土俵」で戦う力士に等しいと同氏は言う。

事実上崩壊した二大政党制

民主党の降伏は、日本の二大政党制とされるものが死んだか、少なくとも危篤状態であることを意味している。

半世紀にわたる、ほぼ切れ目のない自民党支配に終止符を打った2009年の総選挙での民主党の勝利は、政治の様相を永遠に変えることになるはずだった。

しかし、政権与党として、民主党は事態をめちゃくちゃにしたように見えたため、日本の有権者が同党を再び信じるようになるまでは恐らく何年もかかるだろう。

「これは戦後政治に関する非常に悲しい出来事だ」。コロンビア大学で政治学を教えるジェラルド・カーティス教授はこう言う。「これだけの歳月を経た後に、二大政党制は発達して深く根を下ろすどころか、基本的に崩壊してしまった」

安倍氏の勢いの2つ目の理由は、アベノミクスに対する国民の熱意の欠如はさておき、アベノミクスを途中で放棄する意欲がそれ以上に小さいことだ。人々は、頭をもたげるインフレが賃金上昇ペースを上回っていることに不満を抱いている。

総選挙での勝利が意味すること

だが、何はともあれ数字に強い日本の有権者が、物価が上昇すれば自分たちが豊かになった気持ちになると考えたはずがない。労働市場の急激な逼迫からすると、来年の春闘の年次交渉の後に賃金が上昇することは妥当だと考えるのに、何も生まれ変わったアベノミクス信者である必要はない。

日本国民は、安倍氏を今追い払うよりは、むしろ同氏の政策が実を結ぶことができるかどうか成り行きを見守ることを望んでいるわけだ。

世論調査を信じるなら、解散総選挙に踏み切ることにした安倍氏の賭けは奏功する。ほんの数週間前には40議席失うリスクがあると見られていたが、連立与党は逆に、議席を若干伸ばす可能性さえある。

たとえ数議席失ったとしても、与党はなお国会で安定多数を維持し、安倍氏はさらに4年間の任期を獲得することになる。

「今回の選挙の結果によって、彼は一段と自信を強めることになるだろう」。首相に近いある人物はこう話す。「今回の選挙は野党・民主党が相手というよりは、むしろ自民党の腰の重い党内分子との争いだった」

つまり、選挙での勝利は、政敵を無力化するだけでなく、党内の不和も取り除くわけだ。そうなれば、安倍氏は、これまでのところ実現できていない構造改革の「第3の矢」を含め、自身の経済政策を自由に追求できるようになる。

安倍氏にとって、何の障害もないクリアな道筋には、1つだけマイナス面がある。もしアベノミクスが失敗したら、責める相手は自分しかいない、ということだ。
 

By David Pilling
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私の選挙区である江田けんじ候補は反財務省で応援したかったが、今回は財務省と対決する安倍晋三にエールを送った。

解散・総選挙を仕掛けた理由は、「安倍総理の周辺も政権の真の敵である財務省とこれに支配されている増税派(財政再建派)議員」に文句を言わせないための選挙である。野党に加担しても、民主党のように財務省に操縦されるだけであろう。

安倍総理は、衆院解散を決めた背景に財務省による消費増税の多数派工作があったことを明らかにしている。少なくとも2年前の衆議院選では自民党は消費税の10%への増税を掲げて闘ったのである。これを御破算にするには解散・総選挙が必要であったのである。

安倍総理の第三の矢が消費税増税で不発に終わっている。そのおかげで巷では
資本主義の終焉を説く輩が横行している。確かに投下した資本が自己増殖していくのが資本主義のメカニズムだが、ゼロ金利下においては、資本を投下しても利潤を生み出さない時代。資本主義の死に突入しています。日本の資本主義は最終局面を迎えていると、水野和夫がうるさい。

【著者に訊け】水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』語る     NEWS ポストセブン】 8月21日(木)11時6分配信

【著者に訊け】水野和夫氏/『資本主義の終焉と歴史の危機』/集英社新書/ 740円+税

「最近はガソリンが高くて困る」「株価は上がっても給料が上がった気がしない」。こうした現実が実は、資本主義の死期が近づいているサインらしい。金融緩和、財政出動、成長戦略を軸としたアベノミクスの“三本の矢”は、〈危機をより深刻にする〉だけだと、日本大学教授・水野和夫氏は言う。

もはや収奪の対象となる〈フロンティア〉=〈地理的・物的空間〉は地上からほぼ消滅し、
〈電子・金融空間〉もバブルの生成と崩壊を繰り返すだけで既に飽和状態。その間、〈「中心」と「周辺」〉の組み替え作業とも言えるグローバリズムは周辺固有の文化すら破壊し、深刻な格差を地球規模で生んだ。

ポストモダンと言いながら近代の延命ばかりに汲々とする昨今、まずは歴史に立ち返り、〈成長の病〉を脱した次なるステージを本書は展望する。
脱近代は脱成長と、イコールなのだから。

「今でも経済学者の9割は成長=善だと信じています。その中で資本主義の終焉を明言する私のような〈変人〉の本が受け入れられて、本人が一番驚いています(笑)」

 本書が10刷14万部と版を重ねる背景には、もう右肩上がりに経済は進まないと薄々予感し、〈「強欲」資本主義〉の後に続く次なるシステムを待望する時代の気分があるのだろう。その気分に水野氏は明確な根拠と歴史的解説を与えてくれる。

 例えば〈交易条件〉という概念である。これは輸出物価指数を輸入物価指数で割った比率なのだが、例えば自動車1台の輸出代金で、購入できる原油が半減すると、交易条件指数は100から50に悪化する。

 日本ではこの交易条件が1973年のオイルショック以降大幅に悪化。しかも現在の原油高は〈新興国の近代化〉に伴う需要の急増が背景にあり、長期化は必至だ。原油価格が高騰すれば、製造業で利益をあげることは難しい。〈交易条件が悪化するということは、モノづくりが割に合わなくなったことを意味します〉と氏は説く。

「経産省もこの程度の数字は把握しているはず。それでも技術力で経済を立て直すのは無理だと誰も言わないのは、やはりショッキングすぎるからでしょうか」

 製造業を中心とする実物経済での市場拡大に限界を見た先進国、特に米国はITと金融自由化を結合させて金融帝国への道を邁進、140兆ドル規模のマネー空間を創出した。21世紀の〈電子・金融空間〉を創出したその米金融テクノロジーを「偽りの空間革命」と呼ぶ。

「こうした資本主義の延命策で、米国などの先進国は自国民を苦しめています。資本は自由に国境を越えますが、労働者が自分の土地を離れることは難しく、実質賃金の減少が恒常化したからです。資本主義は今も昔も〈中心〉が〈周辺〉から奪う営みですから、サブプライム層や非正規雇用者など、国内に新たな〈周辺〉を作り出しただけです」

 こうした現象は実は初めてではない。歴史家ブローデルによれば、中世から近代の過渡期である〈長い一六世紀〉(1450~1640年)にも物価が上昇し、実質賃金が急減した。金利を見ても現代との共通点は多い。イタリア・ジェノバで11年にわたり国債利回りが2%を割るという歴史的事件があった。これも、1997年に10年物国債利回りが2%を割って以来、超低金利が続く日本と重なる現象だ。

「金利に注目するのは、国債の利回りがほぼ利潤率と等しいからです。利潤が得られなければ資本は自己増殖を続けることができません。つまり、資本主義が死にかけているという兆候です。

〈長い一六世紀〉のイタリアでの利子率低下=利潤率低下の際には、地中海世界の外に空間を広げて利潤をあげることで乗り切りました。かのカール・シュミットが大航海時代を評した〈空間革命〉です。しかし、今回は利潤率を回復させる新たな空間が残されていない。ですから、〈長い一六世紀〉という転換期よりもさらに大きな変化を迎える〈歴史の危機〉と言えるのです」

 なぜ低金利が続くのかという純粋な疑問から、利子率がローマ教皇によって公認されたはるか13世紀にまで検証を遡る柔軟な態度は一般的な経済学者とは一線を画す。実は水野氏はここ7年来、富山県利賀村を拠点に活動する演出家・鈴木忠志氏の公演に毎年足を運んでいる。そこで毎回上演される演劇『世界の果てからこんにちは』(初演・1991年)の〈日本はお亡くなりになりました〉といった台詞から刺激を得た結果だと言う。

「私は芸術的素養の全くない人間ですが、鈴木さんの劇を繰り返し観ると、経済だけをやっていたら気づけない視点を与えてもらえる。進歩は善だと思いこむ経済人の常識こそ疑うべきである、というような発想は、ここに通わなければ、得られなかったかもしれません。

 驚くべきは『この世界は病院だ』という鈴木さんの洞察です。『リア王』の舞台は精神病棟だし、『世界……』の舞台は老人病棟。それが何度も見るうちに、舞台に立つ人たちの方がマトモで、病んでいるのは近代に正常な疑問を抱く人を変人扱いする観客側じゃないかと、主客が逆転する感覚がありました。自称変人の鈴木さんは変人としか付き合わないらしく、資本主義の終焉を語るエコノミストは確かに十分変人ですけれど(笑い)」

 問題は終焉の、その後だ。

「少なくともEUではもう成長戦略は採っていないし、EU圏内での通貨とエネルギーの共有を軸に次のステージを模索している。政治形態としては国民国家を超えつつ、南は北アフリカ、東はウクライナが入るかどうかくらいの経済圏で物的・人的資源の自給を図ろうとしている。つまり、従来の覇権的帝国とは違う“閉じた帝国”です。オバマ大統領が世界の警察の役割を降りると発言したアメリカもいずれは閉じた帝国をめざすでしょう。

 となれば、地理的に隣接している日中韓は好き嫌いを超えて連携する他ない。このまま成長戦略と好き嫌い外交を続ければ21世紀も戦争の世紀になる。そうさせないためにも脱成長は必要です。今後三世代くらいをかけてソフト・ランディングできれば、実はこんなに面白い時代もないのです」

「芸術家が歴史の目盛りを刻む」とシュミットが言ったように、彼らの理屈以前の感覚が時代の胎動をいち早く察知する例は歴史的に多い。そうした異分野にも柔軟な目を配るエコノミストもまた、舞台上の変人ならぬ賢明な住人に違いない。

【著者プロフィール】水野和夫(みずの・かずお):1953年愛知県生まれ。早稲田大学大学院経済学研究科修士課程修了後、八千代証券(現三菱UFJモルガン・スタンレー証券)入社。チーフエコノミスト等を経て、2010年退社。同年内閣府大臣官房審議官(経済財政分析担当)、2011~2012年内閣官房内閣審議官(国家戦略室担当)。2012年埼玉大学大学院で博士号(経済学)。現在日本大学国際関係学部教授。著書に『100年デフレ』『超マクロ展望 世界経済の真実』(共著)等。168cm、65kg、A型。

(構成/橋本紀子)

※週刊ポスト2014年8月29日号
水野和夫も焼きがまわった。人類はもうここが限界と考え続け、危機を煽る。
日本ではこの交易条件が1973年のオイルショック以降大幅に悪化。しかも現在の原油高は〈新興国の近代化〉に伴う需要の急増が背景にあり、長期化は必至だ。原油価格が高騰すれば、製造業で利益をあげることは難しい。〈交易条件が悪化するということは、モノづくりが割に合わなくなったことを意味します〉と氏は説く。
今年8月の文章だが原油価格が急落したならば、日本は交易条件が大幅に改善したことになるはずだから、日本の製造業が復活するではないか?水野氏はシェールガス革命のことをスルーしており原油高の見通しがまるでトンチンカンであり、原油価格上昇による日本の衰退論には無理がある。
例えばマルサスの人口論だ、マルサスは18世紀末に「人口論」を著し、人口の増加のペースは食料生産のそれを上回り、食料確保のため実質所得は上昇しないと予測した。マルサスの人口論は西欧諸国による植民地獲得競争に火をつけ、植民地獲得競争は帝国主義となり人類に測り知れない災いをもたらしたのである。
マルサスの時代、地球の人口は8億人程度だった。石油のエネルギー資源化と化学肥料、農業機械という食料生産技術の進歩が人口の増加を支える農業革命を可能にし、地球の人口は72億人に達しているのだ。水野和夫が説く資本主義の死は昔から続く単なるペシミズム(pessimism)にすぎない。
金利率ゼロだから収益もゼロになるというのは、ファイナンス理論からすると飛躍がある。 金利率はゼロではないし、ゼロに近くても、収益がゼロに近づく訳ではない。
常識で考えても、企業が利潤ゼロの投資を行う筈はない。仮に投資を行う企業がなくなれば、水野が懸念する過剰生産設備はあっという間に解消する。金利ゼロを利潤ゼロとし、資本主義の終焉に結び付けるのは無理だ。
日本がデフレになったのは、財政政策、金融政策を誤ったことに加え、過去20年間の資源配分が適切な形ではなく、労働者に賃金として渡すべき資源を借金返済や、内部留保に溜め込んでしまったこと、産業構造が製造業からサービス業に遷移し、デフレを引き起こすように変化したことだ。一人当たり付加価値額の高い分野から低い分野への労働人口の移動があったことに加え、サービス業での生産性の向上が実現しなかったことが、付加価値額、即ちGDPの低下を引き起こし、消費、即ち需要不足を引き起こした可能性が高い。
日本がデフレに陥って以降、グローバル化は大きく進んだが、日本は波には乗れなかった。この間、米国、ドイツの製造業の付加価値額は伸びている。製造業が伸びていない英国では、金融と通信部門の付加価値額が飛躍的に増加し、経済も成長した。そんななかで、日本の製造業が付加価値額を伸ばせず、輸出も相対的に減少した理由の一つは、円高デフレ経済下で製造業がキャッシュフローを返済に回し、研究開発費を削減したため、円高で、全て国外へ外注してしまった結果、他国との技術競争に敗れたためではないだろうか?
 もはや収奪の対象となる〈フロンティア〉=〈地理的・物的空間〉は地上からほぼ消滅し、〈電子・金融空間〉もバブルの生成と崩壊を繰り返すだけで既に飽和状態。
と、水野氏は主張するが、世界には自給自足経済を中心とし一日1ドル以下で生活している人が10億人以上いる。2ドル以下となると25億人、3人に1人だ。この人達の生活を向上させる必要がある。世界には辺境がもうなく、経済成長は不要というのは、あまりに身勝手な論理だ。
世界には十分な食料を買えない人が多くいることを考えるべきだ。インドでは、「生まれてから一度も満腹感を味わったことがない人の比率がインドでは約8割」とのアンケート結果があり、フロンティアはいくらでもある。
 私たちは、まだ経済成長を必要とする社会に住んでいる。気候変動、エネルギー・環境問題を考えながら、持続可能な発展を求めるべきだ。市場が格差を拡大しているのであれば、再配分政策を通し是正を図るのが資本主義の政策ではないのか。中国の過剰設備、歴史を理由に資本主義の終焉を主張し、脱経済成長を主張するのが正しいとは思えない。
 日本も欧米諸国に負けない技術開発に力を入れ、再度製造業を中心とした経済成長を図る一方、非製造業の生産性向上を考えるべきだ。蓄電装置、原子力、バイオ燃料、水素自動車など、これからのフロンティアはエネルギー分野、観光などなどまだ無限にある。








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インターネット上の仮想通貨ビットコインの世界最大級の取引所「マウントゴックス」(東京都渋谷区)が取引を停止した問題で、同社は28日、東京地裁に民事再生法の適用を申請し受理された。不正アクセスによりビットコインが失われたとしており、流動負債総額は約65億円で債務超過の状況だという。

会見を開いたマルク・カルプレス社長や代理人弁護士によると、2月初めごろから、システムのバグ(プログラムの欠陥)により不正アクセスが相次ぎ、正常に完了しない取引が増加。その後、同社と顧客分の計85万ビットコイン(約114億6千万円)のほぼすべてが失われたことが確認されたという。

同社は「預かり金の総額と、預かり金を管理する金融機関への預金残高の総額に多額の齟齬(そご)がある」と説明しており、預金残高が最大約28億円不足しているとしている。利用者への弁済のめどは立っていない。

同社は、ビットコインが不正アクセスで盗まれた可能性が高いとして捜査当局への刑事告訴を検討している。カルプレス社長は「ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません」と謝罪。代理人によると、辞任の意向を示しているという。

同社のサイトは日本時間の2月25日昼ごろ、アクセス不能な状態となり、利用者に不安が広がっていた。

同社は、問い合わせに対応するコールセンター((電)03・4588・3921、月~金曜日の午前10時~午後5時)を設置した。
今回問題となったビットコインは人類が文明を積み重ねてきた貨幣の進化型である。そもそも貨幣とは何かと考えさせられるニュースである。
日本人は正月に神社仏閣に初詣に参拝するが、その際、ケガレを祓い清めるために神社で賽銭を投げる。日本語で「支払い」という言葉は「し・祓う」に通じ、「清算」という言葉は清めの意味を持つ。さらに貨幣とは、他者の霊から自分や自分の家族を守る清めの御幣、つまり呪力を持った「弊=ふだ」を意味する。
http://www.mint.go.jp/wp-content/uploads/resources/htdocs/plant/img/newexhibition3_5.jpg日本で最初に使用された貨幣は、富本銭(ふほんせん)といい、683年頃に日本で最初に鋳造され、この貨幣は実際に流通したのではなく、たんなる厭勝銭(えんしょうせん:まじない用に使われる銭)として使われたと推定されている。
http://www.bk.mufg.jp/csr/contribution/kids/gallery/imgs/nenpyo1_pic2.jpgなぜなら、和銅開珎は「ワドウカイチン」とも「ワドウカイホウ」と読まれる。和同は、日本製の銅という意味で間違いが、開珎の「珎」のは珍めずらしい、もしくは寶という意味である。故に、日本の銅で最初の宝を開いたという意味からしても富本銭は流通していなかった。故に日本最初の通貨富本銭は呪術用であった。通貨とは宗教的なものであった一つの証拠かもしれない。
貨幣はもともと物資の交換に伴う不便を取り除くための代替物が、交換に用いられるようになった。これを物品貨幣(自然貨幣)または原始貨幣と呼び、貝殻や石など装飾品や儀礼的呪術的なものも見られるが、その背景に宗教的意義を持つ場合が少なくない。貨幣は人為的に鋳造されるようになると、形而上の概念である富を呪術的に形あるものにした意味合いも最初から含んでいたのであろう。古代においては全く価値体系の違うモノとも交換を可能にする貨幣に対して、異界(あの世)との仲立ちなども可能であるとする宗教的な意味を持たせると考えたのかもしれない。三途の川の渡し賃として6文銭を棺に入れたと言う古い慣習、古い寺院跡の発掘の際に古銭が併せて出土される事実など、貨幣と宗教は切り離せない。
貨幣は銅や金銀の価値がその価値の裏付けがあった。やがて、最初は金の預かり証が金の代価をとなり、その金の預かり証が通貨として流通しはじめ、それが紙幣が発行されるようになった。だがやがて実際の金の保有量と発行量がアンバランスとなり、金との交換停止(ニクソンショック)となり、ショック後は、発行元の国家の信用がその裏付けとなった。
通貨は電子マネーとなり遂には国家の管理をうけないビットコインへと進化してしまった。国家と言う封印を解かれた貨幣はその呪われた本性を現した。
宗教と貨幣は本質的に同じなのだ!
貨幣が価値を持つのは、誰もがそれを貨幣と信じて疑わないからだ!
1万円札に価値があるのは、特殊な紙やインキが使われているからではない。私たちが、福沢諭吉の似顔絵が描かれた紙切れに1万円の価値があるとする幻想を皆で抱く宗教を信じているからだ。皆が価値があると思えば価値がある。1万円札は所詮福沢諭吉を印刷した紙切れであるし、米ドルに至っては無限に印刷している。しかし、ただの紙切れではなく、裏に国家の信用が刷ってある。だが、ビットコインは国家の担保がついていない。今回のビットコインのように、何の担保がない通貨もどきがある日突然消えてなくなっても何等不思議ではない。
従来の金融・通貨制度は、巨額の資金を投じて規制され、政府が最終的な責任を負っているが、それでも絶対確実には程遠い。ビットコインが機能不全を起こすことは、このほど公表された2008年の米連邦準備理事会(FRB)議事録をみても明らかだ。しかし、高度なソフトウエアのアルゴリズムに基づく制度も含めて、通貨の進化型であるともいえよう。
だが、ビットコインは制度として完全ではないうえに、責任の所在が無い。ところが不思議なことに未だにビットコインは盛んに他の取引所で取引されている・・・・
ビットコインと銀行の預金通帳に打ち出された電子データは本質的には大差はないのではあるが。大事なのは、実体のないものに価値を認める信仰心だ。貨幣経済とは、貨幣を神様と崇める宗教である。だからビットコインはある種の新興宗教かもしれない。
 神様の姿をこの目で見ることができないのと同様に、貨幣の実在を客観的に証明することもできない。その為宗教では壮麗な神社仏閣カテドラルを建設し、そこに神様がおられるような施設を作るのである。紙切れの神様の方は中央銀行を作り異国の紙と交換できる仕組みも作った。これに対しビットコインの神様には信じ込ませるだけのお社が無い、これじゃこの信仰も長続きしにくい・・・・
ビットコインという新興宗教の教祖が、「私が神であることは神である私が知っている」と述べるのと同じ理屈である。なんの根拠もないが、信じるのはその人の勝手だ。
 貨幣制度は共同幻想によって支えられている。貨幣にとらわれるのは、夢や幻にとらわれるのと同じだ。社会や世界は幻想でしかないが、私たちはそこでしか生きられない。
だが、今回のビットコイン騒動はどうしても納得できないことがある。400億円分のビットコインが盗まれたそうだが、仕組みが納得ができない。
そこで少々勉強の為参考サイトをコピペしました。

ゼロから学ぶ「ビットコインの仕組み」
話題のビットコインとは?

[サンフランシスコ 25日 ロイター] -東京を拠点とする、仮想通貨ビットコインの主要取引所Mt.Gox(マウント・ゴックス)が25日、取引を一時停止したことを受け、ビットコインに対する投資家や利用者の不安が広がっている。

以下に、ビットコインの価値や供給量、どのように使用されているかなどをまとめた。

<ビットコインとは>

2009年からネット上で流通し始めた仮想通貨。ビットコインの確認や取引履歴の記録などは、複雑な演算問題を解く複数コンピュータのネットワークで行われる。通貨の供給量を管理する中央銀行のようなものは存在しない。価値はビットコインに対する信頼度によって決まる。

<どの程度の価格変動があるか>

ビットコインの普及に伴い、ネット取引所大手ビットスタンプで1年前1ビットコイン=30ドル程度だったが、昨年12月には1100ドルまで高騰した。ただ、資金洗浄など不正取引に使われるとの懸念などで下落し続け、25日には約530ドルだった。ビットコインの価値は、取引所によっても大きく差がある。

<ビットコインの利用・保管>

オーバーストック・ドット・コムなど一部のオンライン小売で、決済時に使用できる。ビットコインは固有の鍵と一緒に、バーチャルの財布に保存される。財布はビットスタンプなどの取引所に、オンライン、オフラインの状態で保管することができる。

<どのように発行されるか>

ビットコインの発行は、ユーザーが高度な演算問題を解く「採掘(mining)」という作業などを通して行われる。ブロックチェイン・ドット・インフォによると、流通開始時から約1240万ビットコイン(62億ドル相当)が採掘された。

Mt.Goxはどのようにしてコインを盗まれたのか?(サイバー攻撃の解説) 大石哲之

Mt.Goxがサイバー攻撃をうけて、保有するビットコインの大半を失ったという噂がされている。どうやらこれは本当のことのようである。コインの盗難にあったのだ。

さて、このサイバー攻撃の内容についてだが、簡単に説明しておく。

正確には、Transaction mutabilityという問題だ。

簡単にいうと、このバグを突くと、ビットコインが正しくおくられたのに、送った側からみると、あたかも送られてないように見せかけることができる。

これを使うと、相手をだますことが出来る。

例えば私が犯罪者で、Mt.Goxからビットコインを盗もうとする。

まず、私はMt.Goxの口座から、自分のビットコインを、自分の財布に送金する。これ自体はたんなる預けていた自分のコインの引き出しにすぎない。

ここで、わたしはその引き出しトランザクションに手を加える。

すると、送金は成功しているのに、Mt.Gox側からみると、送金が失敗したようにみえてしまうのだ。

そこで、私はMt.Goxに通知する。

「取引がうまく承認されなかったみたいです(実際こういうことはたまにある)。届いてないので、もう一回おくってもらえないでしょうか?」

Mt.Goxは、もう一回送る。実際は届いているのに。

「おかしいですね。今度もとどいてないです。もうっかいやってみてください」

そして3回めの送金を行う。

これを繰り返す。実際の送金はおこなわれているのに、相手は送金失敗とおもっているから、彼らは残高がある限りまた送金を繰り返してくれる。

そして、問題に気づいた時、Mt.Goxの口座はからっぽだ。

しかし、なぜGoxはこのような手口に引っかかったのか。

ひとつは、Goxの財布ソフトウェアがこの問題に対処しなかったことだ。Transaction mutability自体は2011年頃に、ビットコインの開発者によって問題がされ、注意するように呼びかけがなされた。他の財布は概ねこの問題に対処したが、しかし、Goxはこの問題を放置した。

財布ソフトを修正していれば、この不正なトランザクション自体を正しく検出できたはずだが、彼らはそれを行わず、不正なトランザクションを認識することができなかった。

次に、それでも、原理的には、再送金を行わなければ、このような問題は発生しないはずだ。しかし、Goxのシステムは、これを確認せずに、自動的に再送金を行なっていた模様だ。

さらにそれでも、もし顧客のビットコインが顧客別に分別管理されていれば、顧客の残高以上のものは引き出せない。しかし、Goxでは、顧客のコインはまとめられプールして管理されていた。

さらに、それでも、引き出しシステムが自動的にアクセスできるオンライン上のビットコインプールはごく少量にとどめるのが普通だ。そのようなオンラインにあるコインはホットウォレットとよぶ。それとは別に大半のコインは、ネットとは切り離された場所に、外部からアクセス出来ない形で保管するのだ常識だ(コールドウォレット)。Goxのコールドウォレットは実質的には完全にオフラインではなかったようだ。

このような何十にもわたるミスが原因である。ビットコインコミュニティは、Mt.Goxのずさんなシステムとその管理体制を強い口調で非難している。

本件は、ビットコインの暗号やハッシュ関数といったアルゴリズムが破られた関わる問題ではないため、その点は区別して記述したほうがよいだろう。

<テクニカル>

ビットコインのシステムでは、送金したい人が送金トランザクションをつくり、それをネットワーク全体に通知する。採掘者はその送金を過去のデータと照らし合わせ、二重使用がないかをチェックして承認する。

送金者が送金データ2回をネットワークに流してしまうことはよくおこっており、その場合2重使用として検出され、最初の送金が有効になり、後のほうは弾かれて無効になる。過去の2重使用が承認されたことはない。

Transaction mutabilityを突くと、同じ送金データをコピーして、別の送金IDを付与することができるのが大きな違いだ。ただ、その場合でも、採掘により、2重支払いは検出される。しかし、採掘者は、ここが重要だが、オリジナルの送金取引ではなく、コピーされたほうを承認してしまうのだ。そして、オリジナルの送金取引は、送金できなかったという形で送金者にエラーが戻ってくる。

正しい財布の実装であれば、このエラーを検出し、どの送金が正しくなされ、どれが失敗したのかをチェックすることができる。mt.Goxの財布はこれが判別できなかった。

<注>

なお、Transaction mutabilityに関するバグfixはすでにMt.goxでおこなわれたようだ。そしてこのバグfixの過程で、かれらは始めて失われたコインの総額を計算することができ、顧客のコインがすべて失われたという結論に至ったと推測される。

なお、現在、関係者の掲示板などでは、mt.Goxのコインの盗難は、Transaction mutabilityだけではなく、もっとずさんなMt.Goxのシステムに、もっとずさんなレベルのセキュリティーホールがあったという噂もでている。これについては、いずれ判明するとおもわれる。

要は顧客のビットコインが顧客別に分別管理されていれば、顧客の残高以上のものは引き出せない。しかし、Goxでは、顧客のコインはまとめられプールして管理されていた。 分別管理されていないと!!これじゃ今回の騒動は起こるべきして起こったのかもしれない。今回の騒動が実際には、ビットコインの成長過程で起こり得る「必然」の1つであるかもしれない。
まず、ビットコインの仕組みを少し説明します。

ビットコインの取引、たとえば、AさんからBさんに1コイン支払ったというようなものは、取引として記録されます。これはリアルタイムで、たとえばこんなところから見ることができます。なんとビットコインを介した取引は丸裸。すべての取引がこうしてネット上でリアルタイムで参照できるんです。

さて、このリンクには、「未承認の取引」ってなってます。そう、ビットコインの取引は、承認されてはじめて大丈夫だと確認される。それまでは、二重支払があったり、もしくはニセや改ざんした取引だったりするかもしれない。

この承認作業というのを、いろんなひとが競争してやっています。これが「採掘」の実際のすがたです。この作業にかかるコンピューターパワーの見返りとして、承認作業をしたひとにたいして、一定のビットコインが与えられる(新規に生成され、承認作業をしたひとのものになる)というわけです。

そして、ではこの承認作業というのは何をしているのか?

これが予想を超える変なものでした。

http://nomad-ken.com/wp-content/uploads/2013/12/7dd4c3f74f006b34bb1d70d7adebd54e.png

ビットコインの取引は、少ないときは100、多い時は1000といった単位でまとめられて、ブロックという単位をなして記録されます。

このブロックごとにまとめられた取引記録に番号がつけられ、チェーン上につながって、取引記録全体として、保管されます。これは過去のすべての取引を記録した元帳のようなものです。

承認作業とは、承認済みの元帳に、(未承認の)あたらしい取引記録のブロックをつなげて追加していく作業です。

ブロックを元帳の末尾に正しくつなぐためには、つなぐための「キー」となる値をみつけなくてはいけません。そのキーを見つけるには高速なコンピューターをつかってとても時間がかかるのですが、いったんそのキーがみつかれば、iphoneでも簡単にそれが正しいということを検証できます。なので、ビットコインの参加者はだれもが、それが正当な取引であることを確認できます。

採掘とは、具体的には、この「キー」の値を見つけることです。

問題は、このつなげるためのキーをみつけるのに時間がかかるのです。

技術的にはこういうことです。

ハッシュ関数 (直前ブロックの情報,  新ブロックの取引記録,  nonce) →  ハッシュ値

まず、承認済み元帳の末尾のブロックにある情報を得ます。そして、付け加えたい新ブロックにふくまれる取引をまとめた情報にします。さらに、nonceとよばれる32ビットの任意の値、この3つを、ハッシュ関数というものにいれて、256桁の値を得ます。これがハッシュ値と呼ばれるものです。ハッシュ関数は、ビットコインではSHA256を二重にして使っています。

さて、このとき生成されたハッシュ値をみるのですが、この値がある値以下になるまで、nonceを変えて試行錯誤するのです。ある値以下というのが分かりにくければ、こうも言い換えられます。この値は256桁の値ですが、その先頭にゼロがたくさんならぶような値をがえられるとOKということです。具体的に現在の状況では、先頭にゼロが16個並ぶようなハッシュ値が得られるnonceを見つけたとき、それでブロックをつないでいいという決まりになってます。

ハッシュ値をつくって、先頭にゼロが16個ならぶというのは、とんでもなく低い確率です。しかし、それができるまで、ひたすらnonceの値をランダムに取って、ハッシュ関数にいれて、ゼロが16個並ぶかどうかをためしまくります。

ひたすらです。

この試行錯誤の早さが、採掘の早さとよばれ、○○メガハッシュ/s とかで話題になってるわけです。

これが採掘者が実際にやっていることです。はれて、適切なnonceの値がみつかり、生成したハッシュ値にゼロがたくさんならんだら、それが正解です。それを見つけたひと(毎ブロック先着1名のみ)は、新しく取引の記録のブロックを、以前のブロックに正当につなげることができます。そして、新しくビットコインが生成され、それをもらえます。そして、そのハッシュ値が、過去のブロックの情報を含み、ブロック同士をつなげるkeyの役割をします。

このkeyをみつけるのは、ブロック毎に1名です。なので、みんな競争して見つけあいをしています。これが発掘競争といわれるものです。

なぜ、こんなことをしているかというと、これがビットコインのシステムが、分散的に、取引の改ざんを防いているシステムの根幹なのです。ビットコインのアイデアは、この部分が肝だといえましょう。

このような作業には、時間がかかります。当てずっぽうにハッシュの計算をひたすら試して、あたりをひくまで、全世界でスパコン何台分もの、計算をやってためしているのですから。

もし、悪意のあるひとが、取引記録を改ざんしようとしたら、過去の改竄にあわせて辻褄があうように、このkeyも改竄しないといけません。しかし、このkeyを探すのはとても時間がかかるため、改竄者は、容易にはこのkeyを改竄できないのです。しかも、keyは連鎖しているので、改竄した部分以降のkeyを全部改竄しないといけない。

改竄者がkeyを改竄するために再計算する時間と、正規の人(つまり全世界の採掘者)が正しいkeyをみつけるのと、どっちが早いかという競争になります。全世界のひとが参加している発掘者のコンピューターパワーには、改竄者はとうてい追いつかないという形になるのです。これがbitコインの安全を担保する仕組みです。
(略)
Mt.Gox(マウント・ゴックス)社は、全世界のスパコンを何台も動かさないと改竄できないと、安全性に安心しきっていたようだ。だが、ビットコインの暗号やハッシュ関数といったアルゴリズムが破られた関わる問題ではなく、比較的単純な手口でビットコインの存在を消し去ったようだ。
略)
コイン発行数の上限があるのはどういう仕組み?発掘できなくなったら、取引もできなくなっちゃうの?

といった疑問があがっていました。今回は、そのあたり、ビットコインの上限と発掘の関係について理解していることを書いてみたいとおもいます。

・ビットコインの総量は2100万コインと予め決められている

・現在はそのうちの1200万枚が発掘済み

・ビットコインほ採掘量は、年々減っていき、発掘難易度は増している

というのが一般的な解説だとおもうのですが、これでは意味不明だとおもいますので、極力わかりやすく解説します。

○ビットコインの発掘とは?                         
さて、ビットコインの発掘とは実際はなにをしているのか?という記事をよんでいただいたかたにはわかるとおもいますが、発掘というのは、実際には取引記録の承認作業のことです。

さらに具体的にいうと、ブロックという取引記録が100~1000個ふくまれたものを、過去から綿々とつなぐ唯一ビットコイン元帳に、正しく記帳してあげる作業のことです。(ビットコイン用語では「ブロックチェーンに新ブロックを追加する」といいますが、わかりやすく「元帳に記帳」と表現しました)

これを記帳するには、計算量の多い不毛な問題を総当り式で解かねばならず、その正解をみつけたひとが、取引記録に記帳ができます。その記帳に成功したひとが、報酬としてビットコインを新規に生成して受け取るのです。これが発掘といわれるものです。(くわしくは前回の記事をお読みください)。

(略)
Mt.Goxの現状まとめ(2/26)
大石氏の解説でようやくビットコイン問題を理解したような気がする・・・
本当はよくわからないのだが・・・
2007年に起きた擬似通貨「円天」事件とは
健康商品販売会社「エル・アンド・ジー(L&G)」は「100万円で年利36%」をうたい文句に多額の出資金を募り、2007年1月から利息払いを現金から疑似通貨「円天」に変えたが、資金繰りが悪化、円天での配当も止まった。円天とは会員が振り込んだ現金に応じて発行するポイントのようなもの。円天市場と称して全国の高級ホテルなどで食料品から宝石類までが出品され「円天」で取引された。「使っても減らない通貨」などと売り込み、電子マネーにも似た手法でインターネット販売も宣伝した。この詐欺まがいの商法に全国で主婦らを中心に約5万人がだまされ、同社が集めた金は1000億円を超すと見られる。警視庁は詐欺容疑も含め出資法違反(不特定多数から資金を預かることを禁じた預かり金の禁止)で強制捜査に着手した。 

国策としてビットコインと円の親和性を強調し基軸通貨化する案

 現在中国バブルの崩壊が囁かれている。世界経済はリーマン・ショック以上の混乱に見舞われる可能性も否定できない。オバマが米国の覇権を放棄し、米ドルによる基軸通貨体制が崩壊した場合、既存通貨への信頼をなくし、政府からの追及を怖れる世界の富裕層は、資金の出所の追跡が困難であり、しかも「聖性」を有するビットコインに流れる可能性を有している。ビットコインは流通量に上限がある。その性質は貨幣よりむしろ金(ゴールド)に近く、現状のままでは新しい基軸通貨になるのは難しい。
ビットコインの利便性向上の観点から潤沢な流動資産を有する日本円が利用される可能性がある。
ところでなぜ、ビットコイン最大の取引所マウントゴックス社が渋谷にあったのか?誰しも少々驚いたと思う。日本にあった理由がビットコインの発明者とされる謎の人物がサトシ・ナカモト(中本哲史)という日本人名を名乗っているのが日本にある理由であったからかもしれない。だが、日本にある理由はドル次の基軸通貨は円ビットコインになると考えて設立されたからかもしれない。
どんな既存機関も信用できないため、ビットコインは信用できるというパラドックスを心から愛するビットコインユーザーは少ないながら存在するのだが、マウントゴックス社の破綻はビットコイン2.0として発展する重要なステップであるかもしれない。
ちなみに日本通貨の歴史においては和同開珎にはじまった、皇朝十二銭以降、朝廷は貨幣の発行を停止し、11世紀前期からはもっぱら絹が代用貨幣として用いられる時期が続いた。画期的なビットコインも信頼を失い管理者に管理能力がなければ、皇朝十二銭以降の日本の通貨のようにビットコインは暫く存在しなくなるかもしれません。
当局の規制を受けないで、ベンチャーキャピタルの支援を受けた資本力のある企業が、「信頼と責任」や「包括的な消費者保護」と約束するだけでは限界がある。ビットコイン2.0に脱皮するにはある程度の国家や中央銀行の規制を受け入れるべきかもしれない。
 もし、ここで日本政府がわずか400億円出資して、マウントゴックス社を日銀傘下の会社で再生させビットコインを救済したならば、次の基軸通貨は日本円となる可能性がおおいにあるのではないか?安倍総理と黒田日銀総裁は、ビットコインに影響力を持つ可能性を是非検討してみては如何であろうか?

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サマーズのIMF講演がいろいろ話題を呼んでいる。「1993年には日本のGDPは現在の2倍になるとクリントン政権は予想していた」というが、それが今のようになったのはなぜだろうか?
一時は日本政府の経済運営がまずいからだと思われていたが、日本の人口増加率から考えるとバブル期の成長が過大で、本来のトレンドに戻っただけだ。同じような長期停滞(secular stagnation)が、アメリカにも起こっているのかもしれない。それは財政・金融政策ではどうにもならないので、もう裁量的なマクロ政策はやめたほうがいい、というのが彼の示唆である。

クルーグマンも基本的には賛成し、アメリカも人口増加率が0.2%ぐらいになるので、成長が減速することは避けられないという。リフレや財政政策も短期的にはきくかもしれないが、長期的にはサマーズが正しいだろう。

マーティン・ウルフも世界が日本のような停滞に入るおそれが強いと指摘し、それは「世界金融危機の前に見られた金融の行き過ぎが以前からの構造的な弱さを覆い隠していたからだ」という。構造的な弱さとは、世界的な貯蓄過剰(あるいは投資不足)である。

長期停滞論は、経済学の歴史とともに古い。最初にそれをとなえたのはマルサスだったが、リカードはそれを「収穫逓減」という形で理論化した。マルクスも「利潤率の傾向的低下」をとなえ、ケインズも長期停滞論者だった。市場経済の中のスミス的発展には限界があり、それが18世紀に中国が成長の限界に達した原因だ。

そういう主流派に唯一、反対したのがシュンペーターだった。人口が飽和しても、イノベーションで生産性を高めることができる。戦後の歴史はシュンペーターが正しいことを証明したようにみえるが、ここにきてそれはあやしくなってきた。もちろんイノベーションは大事だが、それは需要があっての話だ。人口の減少する国では、需要逓減が起こるのだ。

世界的にみると新興国の消費意欲は旺盛なので、ウルフもいうように貯蓄過剰の先進国の資金を資金不足の新興国に投資するのも一つの方法だろう。しかし中国も貯蓄過剰になっており、ここでも需要不足が成長を制約している。

資本主義の歴史は、スミス的発展の限界を植民地からの掠奪でカバーして資本を蓄積するマルクス的発展だった。それは露骨な帝国主義から戦後の資本輸出による<帝国>型のグローバル支配に変わったが、世界的な需要不足という慢性の病が資本主義の限界を示しているのかも知れない。

ノア・スミス「富の再分配?いいや、敬意を再分配しよう」

Noah Smith “Redistribute wealth? No, redistribute respect.” (NoahpinionDecember 27, 2013)

http://econ101.jp/wp-content/uploads/2013/12/kaitenzushi.jpg
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」 -福澤諭吉

僕は心の中では常に共産主義革命家であり続けている。人類の間の不平等はいつも心を痛めてきたし、そうした不平等を根絶することを望む強い欲求を抱えている。アメリカ社会では、僕らは普通3つの種類の「平等」について議論する。1)「結果の平等」、これは大抵の場合は富や所得の平等を意味する。そして2)「機会の平等」と3)法の下での「権利の平等」だ。1)を典型的に支持するのは、真の共産主義者や社会主義者、そして一部のリベラルだ。2)については中道リベラル、そして3)はリバタリアンと保守主義者だ。この3種類の平等の支持者間の主張は、膨大なもので終わりも見えない。そして、僕と言えばこの3つ全部が大切だと考えている。

でもここから漏れてしまっているものもあると思う。僕は僕が大切だと思う平等のもう一つの重要な側面があることを実感するようになった。そしてそれはそれ以外のどの側面よりも重要かもしれない。それは敬意の平等だ。

僕はこうした実感(他のとてもたくさんのことともに)を日本で生活するうちに持つように至った。それに最初に気付いたのは、回転寿司屋で席に着いて、何人かの調理師が魚を切っているのを見ていた時だった。彼らの仕事は機械的かつ反復的で、ハンバーガーの肉をひっくり返すのと大差ない難しさで、給料もあまり変わらないものだった。だけど日本人である僕の友達は、そうした調理師のうちの一人を寿司屋さんと呼んだ。これは「ミスター・スシ・シェフ」という意味だ。彼女はそうした敬称を反射的に使ったのであって、偉ぶったり、皮肉を込めていたのではなかった。低収入かつ低熟練の労働者に対する敬意は反射的で、自動的なものだった。ふいに僕は、アメリカ人にバーガーの肉をひっくり返す人を「サー」と呼ばせ始めることができるだろうかと考え込んだけど、その考えで笑ってしまった。

日本社会の習慣が平等な敬意を後押しするような場合は他にもある。日本は所得の面で特に「平等な」国というわけじゃない。ジニ係数はほとんどのヨーロッパの国々よりも高い。だけど、富が目立って目につくことは稀だ。お金持ちは人の少ないところにあるアパートや、高い石の壁で中が見えないような一軒家に住んでいて、アメリカのお金持ちが好むような宮殿みたいな豪邸には住んでいない。誰がいくら稼ぐかについて話す人はいない。派手な車はあることにはあるけれど、数は少ないし、それを転がしているのは企業法律家や若い投資銀行家であるよりもヤクザである場合がほとんどだ。日本人は(間違いだけれどもはっきりと)「日本に貧困はない」と主張する。富を目につかせることは大きなタブーで、それは貧困も同じだ。物乞いは限りなく稀だ。

今やこれは時とともに変わっていくのかもしれない。たくさんの人が誤って信じ込んでいるけど、日本文化は静的でも不変でもない。日本の比較的大きな不平等はほんのここ数十年の話で、自分の国が「勝ち組と負け組の社会」へと向かっていることを悩む日本人は多い。でも、敬意に値するのがお金だけである必要はないということを日本は僕に教えてくれた。

この点について、僕の故郷であるアメリカが日本から一つ二つ学んぶことができればと思う。1980年代以前に「負け組(loser)」という単語がよくある侮辱だったかどうかは知らないけど、ここ数十年でこの単語は至る所に現れるようになった。サービス業に従事する人たちは、どうやって生計を立てているかを僕に伝える際、ほとんどいつも恥じ入っているように見える。低熟練労働者は上から目線にさらされており、自分が「負け組」であることを常に思い出させられるんだ。アメリカ人は「2着は最初の敗者(Second place is the first loser)」、「勝利は全てじゃない、唯一のことだ。(Winning isn’t everything; it’s the only thing)」と書いてあるTシャツを着る。

かつてのアメリカはそうじゃなかったという漠然とした感じがある。僕らは揚げ物屋をさん付けしたことはないけれど、(誰かが以前ツイッター上で僕に言ったように)僕らはそれよりもさらに平等主義的な伝統を持っている。それは誰に対してもファーストネームで呼びかけることだ。アメリカ式の敬意は、全ての人を「ただの人(one of the guys)」と扱うことだ。どんなお金持ちでも貧乏人でもね。最近読んだ1920年出版のメインストリート(邦訳「本町通り」岩波文庫)という小説では、こうした意図的に砕けた形の平等主義の振る舞いを「デモクラシー」と呼んでいる。こうした使われ方はふざけたものとも思えない。アンドリュー・ジャクソンが1828年の就任式典でホワイトハウスの敷地を一般に開放した際、それは「ジャクソニアン・デモクラシー」という新時代の始まりとして歓迎されたんだ。

今日僕たちが「デモクラシー」について考えるとき、考えるのは選挙や憲法、法の下での権利といった形式的な制度だ。でも僕らの祖先は、社会的地位に関わらず全ての人に対する平等に敬意を払うという振る舞いも「デモクラシー」だと考えたんだ。平等な敬意はしたがってアメリカの「建国の精神(founding virtues)」の一つともみなせるんだ。独立宣言の起草者たちが「すべての人間は平等につくられている」という勿体ぶった、議論の付きないこの一文を書いた際に意図したのは、能力の平等ではなく、社会から平等な敬意を受ける資格というものであったことは想像に難くない

アメリカがこの建国の精神から向きを変えたという確かな証拠はほとんどない。でもそうだという気持ちは確としてあるんだ。

こうした敬意の平等の衰退については、保守主義者やリバタリアン、ビジネス界を非難したくなる。1980年代、アメリカ人は自分たちの経済的優位は「超競争社会」となることによってのみ維持することができると教えられた。「負け組」になるという脅しだけがアメリカ人を必死に働かせる動機となるという向きがあったのは間違いない。競争よりも協力を擁護したリベラルは、もちろんのことながら右派から馬鹿にされた。そしてリバタリアンは、アメリカの中流階級の富と所得の不平等を広げるとともに上位1%の取り分を成層圏まで打ち上げた、規制撤廃とグローバル化の最大の応援団だった。

でもアメリカのリベラルも、成功の指標として所得と富に焦点を置きすぎるという過ちを犯したんだと思う。アメリカの「不平等」の拡大に関するチャートやグラフの全ては、お金かお金を手に入れる見込みについてのものだ。もちろん、富の格差は嫌悪すべきだし、お金が社会的地位をもたらす物の一つであることも間違いない。でもそこに異常なほど焦点を当てることで、リベラルは社会で一番大事な物としてのお金の最重要性を固定化させる役割を果たしているんだと思う。

これはよろしくない。なぜなら、それが粗野な物質主義というアメリカの姿勢を固定化させてしまうのもそうだけれど、それが達成可能な種類の社会的平等を無視して達成不可能なものを追い求めてしまうというのも理由だ。社会は程度の差こそあれ富と所得については平等になりうるけれど、それはある程度まではという話だ。ヴィルフレード・パレートが観察し、そしてその後の研究が確かめたように、地球上の全ての社会では富と所得の分配は一種のべき乗の法則にしたがっていて、小さな部分が大多数よりもずっと多くのお金を稼いで意のままに操る。これを均すことは出来るけど、均一に近くなることは決してない。

お金に基づく狭い視野の平等を追い求めているのであれ、物質的な不平等によって作られた「競争力」を無感情に称賛しているのであれ、僕らアメリカ人は敬意の平等についてほとんど忘れ去ってしまったように見える。単に僕がこれを嫌いだからというだけじゃなく、僕らみたいな先進国では敬意は人々を幸せにするもののうちの大きな部分を占めているということからも、これはよろしくない。平等主義からの僕らの回れ右が、階級社会へと向かう分岐点の裏にある要因の一つじゃないかとも僕は思ってるんだ。

このままじゃいけないと思う。どれだけのお金を稼ぐかに関わらず、非熟練労働者の一生懸命な仕事が社会交流の中で価値あるものと見なされる社会へと立ち戻りたい。良き親、良き隣人であることが、ウォール街で100万ドル稼ぐのと同じように敬意を払われるような社会へと立ち戻りたい。

つまり、僕は僕らの「デモクラシー」を取り戻したいんだ。僕らには敬意の再分配が必要だ。


ノア・スミス の記事がちょっとおもしろいのでコメント。日本では、金のある人には権力がなく、権力のある人には金がないという(與那覇潤氏のいう)地位の非一貫性がある。これは遅くとも江戸時代に始まるもので、その原因を丸山眞男は徳川幕府の意図的な政策だとしている。『「空気」の構造』122~3ページからから引用しておこう。 
徳川幕府の地位は不安定だったので、幕府は徹底的な相互監視システムをつくり、農民を土地に縛りつけ、貨幣経済を制限して米で徴税し、鎖国によって海外との交流を断ち切ることによって260年以上の長期にわたる平和を実現した。それを支えた江戸時代の「文治主義」が成功した要因を、丸山は次の5つに分類している(『講義録6』148~9ページ)。
1.兵農分離に基づき、支配身分としての武士を他の三民から隔離した
2.武士を細分化された階層的構成をもつ家産官僚行政職にまで馴致した
3.武士内部の身分的ヒエラルヒーを社会生活の典型として全社会に拡充した
4.階層化されたさまざまの特殊社会を各々の「場」に釘付けした
5.それらの特殊社会のよって立ついかなる価値も絶対価値とならないようにチェック・アンド・バランスを作用させた

このような徳川幕府の統治原理を、丸山は集中排除の精神と呼んだ。そこでは軍事力が全国300の藩に分散され、権力が武士に集中する一方で富は商人に集中したため、幕府に反抗する勢力が富を蓄えて革命を起こすことがむずかしい。
 
他方、こうした「分割統治」システムは、人や物の移動を阻害して経済的な停滞をもたらし、才能ある者も身分制度に阻まれて埋もれてしまう、福沢のいう「門閥制度は親の敵」という状況を生み出した。同時代のヨーロッパでは大規模な宗教戦争で何百万人が死んだことを考えると、「徳川の平和」は誇ってよい歴史かもしれない。
 
幕末に来日したアーネスト・サトウは幕藩体制は「政治的停滞を安定と取り違えている」と評したが、「これは少なくとも初期には意識的な取り違えだったのである」と丸山は評している(同161ページ)。
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日本が長期停滞に入ることは避けられないだろう。生産年齢人口の減少による成長率の低下は労働市場改革で避けられるが、需要不足は避けられない。エネルギー価格の上昇も政策で避けられるが、政権にやる気がないのだからどうしようもない。

しかし人々の幸福度は富とほとんど相関がなく、自分の生活に意味があるかどうかが大事だ。江戸時代の平均寿命は40歳前後で平均年収は今の1割ぐらいだったが、人口の圧倒的多数を占める百姓には自治を認め、経済を支える商人には権力はないが非課税で、その富を文芸や美術に使った。その結果、江戸は世界でも最高水準の文化を生み出した。

貧しくても権力と富を平等に分配して幸福度が下がらない生き方を、江戸時代の人々は工夫したのかも知れない。その間接的な証拠は、日本でキリスト教が普及しなかったことだ。それは不幸な時代に流行するので、日本社会の幸福度は相対的には高かったのではないだろうか。ここには、これから衰退する日本が学ぶべき知恵があるような気がする。




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